ホセ・アラニス
「神話生成、『メタ・ヒストリー』、そしてソクーロフの『太陽』」 大和田俊之訳
『映画「太陽」オフィシャルブック』 太田出版 2006年
……いまや人間となった裕仁が妻との再会を果たして短歌を詠む作品の最後のシーンである。
「白雪や桜のごとく降り積もり時をむなしくぬぐい去りけり」
もちろんこの簡潔な句は、歴史とその矮小さという主題を巧みに要約するものである。
(中略)
しかしこの歌にはほとんど言及されることのないソクーロフの詩学のもう一つの核心が含まれている。それは彼のいたずらの感覚である。裕仁の歌には、なんと木の名前として「サクラ」という言葉が含まれている。これが音声学上の偶然であるとは到底思えない ― むしろ一人の映像作家が観客に向けて放ったウインクのようではないか。しかも、この監督は陰気で憂鬱なことで世界的に知られているのである。私がこの点に触れる最大の理由がこれだ。
日本語の歌に自分の名前を差し挟む?映画のオチの一部としてバイリンガルな駄洒落を使う?アレクサンドル・二コラエヴィチよ、それではほとんどナボコフの小説ではないか。 178頁
Nabokovilia Japanは原則として「日本語で書かれたもの」に限っていますが、このエッセイは日本でしか出ないのではないかと勝手に考えて入れました。
御製の「サクラ」に「ソクーロフ」が隠れている?!これには驚きました。『キング、クイーンそしてジャック』のロシア語版テキストに若き日のナボコフの筆名「シーリン」が織り込まれているという話に匹敵する驚きかもしれません。ソクーロフのウインク ― 本当に意外ですが、『太陽』という映画自体ソクーロフの映画としてはいろいろと「意外な」作品でしたのであり得る話だと思います。
このオフィシャルブックには、ナボコフ研究者の沼野充義さんによるソクーロフとの対談と解説も載っています。