丸谷才一
「樹影譚」 『樹影譚』所収 文藝春秋 1988年
そこで、樹の影をあつかつた、ナボコフの作だと思ふ短篇小説のほうだが、うろ覚えで言ふとこんな筋だつた。
主人公は中年の小説家で亡命ロシア人。壁に映った樹の影を見ると異常に感動するたちである。自分のこの癖ないし趣味は何に由来するのかといふのは、長いあひだ彼の関心事だつたが、いくら考へてもわからなかつた。それから話がいろいろあつて(このへんはきれいに忘れてしまつた)、多年、欧米を流浪したあげく、どうしたわけか故郷の家に帰り、なつかしい子供部屋にはいる。眠る前にふと、何かに促されたやうに窓をあける。と、一本の樹が月光を浴びて(それとも数本の樹が部屋の明りを受けて、だつたかしら)眼前の壁にくつきりと影を投げてゐるではないか。彼の嗜好は幼少のころ見なれたこの情景によつて育てられたものだつたのだ、といふのが結末になつてゐた。
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もちろんわたしは、記憶を新たにするためにこの短篇小説を読み返さうとした。それはたしか数年前のことだつた。しかし、この本だと思ふナボコフ短篇集に当ると、その作品ははいつてゐなかつた。別の短編集にもなかつた。念のため英語の本数冊をのぞいてみたが、これにもない。そこで人を介して、訳者であるはずの某氏に訊ねたところ、某氏は言下に、さういふ短篇小説は訳していないし読んだこともない、と答えてから、しかしその筋はいかにもナボコフを髣髴させると言ひ添へたさうである。わたしはこの返事を得て、どうもをかしなことになつたと訝しみながら、やはり作者名は間違ひではなかつたらしいと安心したやうに思ふ。つまりこのころになると自信はかなりぐらついてゐたわけである。
ナボコフの翻訳を手がけてゐる他の二氏にも、これはぢかに質問したのだが、両氏とも思ひ当らないとのことで、彼以外の小説でも知らないと言つてゐた。そのほか、海外の現代小説に親しんでゐる友達に問合わせても、ナボコフに限らずもつと広い範囲でもそんな筋は記憶にない、と答へるだけだつた。そこでわたしは二三の書店に足を運び、これまで読んだことのないナボコフを読みあさり、つひに探し当てることができないまま、これはひょつとすると夢を見たのかもしれないと疑ひ出したのである。 54−63頁
実はまだまだナボコフについての話は続いていきますが、この辺で。上に引いた部分ですでに存在しないナボコフの短篇をひとつ作ってしまっているわけですが(はるかに遠い出典は『ベンドシニスター』の一節ではないかと思います)、この作品はナボコフへのオマージュであるとともにナボコフ論でもあり、ナボコフ的に凝っていて、ナボコフに関するところを抜き出しているときりがありません。未読の方はどうぞ作品をお読みください。
はじめてワープロで旧仮名を入力してみましたが、なんともはや、しんどい作業でした。それにこの画面では旧仮名の美しさは完全に損なわれてしまいますね。