中村真一郎

「年老いたロリータ」  『新潮』 1996年1月号     


 技師であった主人リチャードと、結婚後まもなく移住したカナダで、息子のトーマスも生れ、主人の仕事は順調にいったので、ごく若い娘の頃のあのふしだらな放浪生活は、もう全く私とは縁のない他人の思い出のように、記憶のなかで薄れて行っていたわ。それで主人が職場での事故で亡くなった時は、息子のトムももう一人前になって、ニューヨークへ出て働いていたし、そこで知り合った娘と結婚もしていたので、中年の私は外国でのひとり暮しよりも、亡くなった母の残した、私の子供時代の懐かしい記憶がいっぱいに漂っている、この小さな町の古い家へ戻ることにしたの。そうして昔の学校仲間の二、三人が、この町にまだ暮らしているのを見付けて、時どき行き来しながら、日曜ごとに、昔、母に連れられて通った教会へ、欠かさず顔を出し、あとは通いのお手伝いの中年女ともほとんど口をきかずにひっそりと暮して、今日まで送ってきたわ。 106頁 

「 …… それはお前がぼくの忠実な弟子だというだけでなく、この世で徨っているぼくの魂に同化しはじめて来た証拠なんだよ。つまりお前はもう半分、あの世からこの世へ迷いこみはじめているのさ。そうして、あの世で欲望と縁のない枯れた婆さんになろうとしていたお前は、もう一度、この世に移って来て、いのちの盛りの快楽を充分に味わう力を取り戻しはじめたのさ。お前は死の世界[4字に傍点]と、あの世の人たちの呼んでいる、もうひとつのこの世の中で、本来のお前であるロリータに、生れ戻ったわけなのだ。……」 116頁



この作品についてはShuuichiさんのご教示をいただきました。どうもありがとうございます。

ロリータがお産で死なずに生き延びていたら、という設定は、「おもちゃ箱」で紹介している『ローの日記』の冒頭と同じですが、この短篇のロリータはすでに60歳、ラムズデイルのあの家に戻ってもう20年以上も一人暮らしをしています。無事に生まれ育った一人息子はすでに二児の父となり、家族が母親の過去に触れることを恐れて、現在はクアラルンプールで支店長をしています。あのドリーがシャーロットそっくりの女性になっていることには驚きますが、『ロリータ』の中でもヘイズ母娘の共通点は示唆されていましたから、当然のなりゆきかもしれません。かつてのクラスメートであるロザリンがイタリア人と結婚していたり、ダニエルとフィリスが結婚して「雑貨屋」をやっているというあたりは、なかなかに楽しい部分です。
ドリーの静かな生活は、夢の中に現れたハンバートと合体することで終わりを告げます。慎ましいはずのシラー夫人は、かつてハンバートがドリーにしたように、華奢な混血少年を誘惑することに夢中になってしまいます。分身や彼岸といったナボコフ的テーマ満載のパロディですが、結末が『ドリアン・グレイの肖像』風になっているのは、ナボコフへの嫌がらせであるような。。。