西崎憲

『世界の果ての庭 ショートストーリーズ   新潮社 2002年 


けれど、なぜかこのふたつの話をわたしは忘れることができない。わたしはなぜ自分がその話に執着するのかよく分からない。ただここには人間の生きる意味や、存在の意義をまったく無にしてしまうようなものがあると思う。それが戦争のような顕著な形で出ているのではなく、いかにもどこにでもありそうな、単純と言ってもいい形で表れているのが余計に恐ろしいのだ。油をかけたストーヴ前も、女を夜の山に置き去りにした齧歯目の男も、個人としては不快な男、気味の悪い男ではあるが、恐ろしくはない。ただ彼らを動かしているものは恐ろしい。

そうしたものを、わたしはナボコフや、ラロや、ボウエンや、オコナーを読む時に感じる。実際、わたしの書きたいものは、ボウエンやフラナリー・オコナーの質感を持ったポルノグラフィーだ。ナボコフがあるいは書いたかもしれないユーモア小説だ。    27頁 



この作品についても本多繁邦さんのご教示をいただきました。どうもありがとうございます!!

語り手は小説家で、かつては大学でイギリスの庭園の研究をしていた女性です。彼女の家族に起こるあり得ない出来事、アメリカ人日本文学研究者の大伯父に届いた手紙の謎、イギリス軍の収容所から駅の集合体である謎の時空に迷い込んだ日本軍兵士の物語、江戸の町の謎の辻斬りの話・・・・・・複数の物語が平行の(時に交わる)線を描いて進んで行きます。語り手の、静かな強さとでもいえそうな個性が作品の魅力になっています。
ナボコフの書くものにはユーモア小説的な部分もかなりありますが、この作家が考えている「ナボコフの書いたかもしれないユーモア小説」はおそらくもっと微妙で密やかな味わいのものになるのではないかという気がします。