大江健三郎

『憂い顔の童子』   講談社 2002年

ローズさんの濃い青の車はアメリカ製のセダンだった。箱型の、という言い方がぴったりするところも、車体に黒い頭巾をかぶせたような屋根と木材を張ったドアも、相当に時代を感じさせた。それはローズさんが英文学の助教授の夫と十五年前横浜に上陸した際の、夫婦の車だったというものだ。夫は『ロリータ』の散文の、文学的あるいは言葉遊び的たくらみに関心を持っていて、すでに出版されていた"The Annotated Lolita"をもう一冊というのではなく、趣味の良い知識人のための[12文字に傍点]注釈を付けた本を大学出版局と約束していた。夫はとにかく『ロリータ』おたく[3字に傍点]で、映画のリメーク版で使われたハンバート・ハンバートと少女がアメリカ中を走り廻る車と同じものを探し出していたのだった。もっとも、日本にまで持って来ながら、それでドライヴするためにはすでに重度のアルコール依存症だった。離婚して別々にアメリカへ帰る時、小田急沿線の農家の離れを貸してくれていた家主がローズさんを憐れがって、彼女の取り分となった青いセダンを中古車ディーラーに買い叩かせるよりと、屋敷内の倉庫にあずかってくれた。あらためて日本に来て、ローズさんはすぐその車を受け取りに行ったのだ。

古義人は、ずいぶん昔に読んだわけだが、『ロリータ』の終り近く、殺人者となったハンバートが、下方の家並から崖の上まで聞こえてくる遊ぶ子供たちの声に、いま自分の脇にあの少女がいないことより、子供らが揃ってあげる声のなかに少女の声がふくまれていないのを"the hopelessly poignant thing"と受けとめる、という箇所が好きだった。そこでスタンリー・キューブリックが最初の映画で取りあげなかったその部分が、リメークの映画ではどうあつかわれているかと、映画館を覗いたことがある。小説では回想であるものが、映画では現在のシーンとされていたけれど、その一節がハンバート役の俳優のモノローグとして読み上げられたのに古義人は満足した。その際、画面に見た車なのだ。

古義人が個人的に付き合うようになってからも五年を超えるローズさんから聞いた、大学院への進学をあきらめて始めた結婚生活についての情報は、まだ終身在職権[テニュアー]も取っていない助教授だった夫がナボコフの研究的な愛読者であったということのみだった。

いまのローズさんは、最初の映画でシェリー・ウィンターズの扮したロリータの母親に似ていた。それでも、これはリメーク版の映画をふくめて、ロリータがハンバートから逃れて姿を消した後、貧しい結婚生活の窮状を訴えてきて再会する時の、ピンクの縁の眼鏡をかけて髪を頭頂に盛りあげている様子に通いあうところがあった。ローズさんは孤児院から富裕な家庭に引きとられた過去を持つ人だが、学部の頃にはまだニンフェットめいた容貌をしていたのじゃないか。アルコール依存症の夫がハンバート的人格である以上、大人になってしまったもと[2文字に傍点] ニンフェットに我慢できなかったのもわかるが、またハンバートには少女の運命を傷つけることに道徳的な惧れを抱くところもあるのだから、小田急沿線の農家の離れに住むうち家主の同情を招くほど苦しめた二年間の後で彼女を棄てた夫の胸のうちには "the hopelessly poignant thing"つまり絶望的に心を痛ましめるものもあったのではないか、と古義人は想像するのだ・・・・・・     34-35頁


この作品にナボコフへの言及があることはVladimirさんの「ナボコフノート」で知りました。

ここで面白いのは、ローズさんの元夫に予知能力があるらしいことです。小説の中でハンバートが乗っていた車(青いセダン)は「メルモス」ということになっていますが、こういう車もメーカーも存在しません。リメークの映画では、適当な50年代のクラシックカーを選んでいます。元夫氏は、ライン監督が映画を撮る十年以上も前に、その映画で使われることになる車を予知能力で知り、買っていたことになります。常識的に考えると、元夫氏はロリコンとアルコール依存症のほかにさらに別の悪癖もあった、ということになり、「趣味の良い知識人のための注釈つき『ロリータ』」がなぜいっこうに出版されないのか、という理由もわかるような気がします。「ナボコフの研究的な愛読者」で、しかも『ロリータ』の注釈書を出そうという人であれば、「メルモス」を知らない筈がありませんから。
ここでは暗に「無教養な読者のための」と言われているように思われるアルフレッド・アペルJr.のThe Annotated Lolitaですが、元夫氏の出版予定の注釈書とは違って、こちらは信頼できるものです。アペルJr.はコーネル大学時代ナボコフの学生の一人で、注釈はすべてナボコフのチェックを受けています。もちろん、知りたいことをすべて教えてくれるわけではありませんから、二冊目の優れた注釈書があればいいなあ、とは私も思います。

「メルモス」については、小説『ロリータ』の中にはくわしい記述がありません。私たちにわかることは、ハンバートがロリータとともにアメリカの広大な地域を走破した車が「青のセダン」で、ハンバートがロリータに再会した時には「色があせて紫がかっている」ことぐらいです。ライン監督の選んだ車は、木製のパネルがドアと背面についているものでそれなりの風情はあるのですが、原作には「木の部分」については書いてありませんし、ボンネットと屋根も青というよりは黒に見えます。ライン版の映画についてナボコフの息子ドミトリが唯一クレームをつけたのがこの車についてだそうです(この話は脚本を担当したスティーブン・シフのインタビューに出ています。インタビューは、Zemblaの for Nabokophilesのthe lolita effectの最初にあります)。

この後、古義人はローズさんからお土産にもらったナボコフの『ドンキホーテ講義』を読みます。『ドンキホーテ』がこの小説の主題のひとつになっています。ローズさんという名前の選択にも『ロリータ』の影が感じられます。最後のほうで、手術を受けてまだ意識の戻らない古義人が、夢(?)の中で「ローズ」と「ロシナンテ」を並べて、「薔薇と岩?」と考えるあたりでナボコフ好きの読者は微笑むのではないでしょうか。



インタビュー「大江健三郎の50年」
         『IN POCKET』 講談社 2004年4月号

 あのどうしようもなかった五年間に僕がジョイスの『ダブリンの市民』を読んでいたらどうだったでしょうか。もしかしたらそこで小説家をあきらめていたかもしれない。あるいはナボコフの初期のロシア語で書かれた小説を読んでいたら、やはり小説家というものは特別な才能を持った、定められた恵まれた運命の人間がやるものであって、自分みたいな人間にはほどほどのものしか書けないと、あきらめたと思うんですよ。ナボコフのそうした特別さに気がついたのも、じつは比較的最近になってからのことです。

(中略)

そのうち、小説家として仕事をするのにまぎれて、この二十年ほど自分が本当に優れた小説を読んでこなかったことがわかった。そして、ジョイスのつぎにナボコフの本を、『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』から『ロリータ』、そして昔買っておきながら読んでなかった『アーダ』などを読んでいると、じつに面白くて、ナボコフの初期作品で英訳されたものを読み始めました。もちろん、アメリカに移住して英語で書いたものも読む。研究書も読む。そのうちに、ブライアン・ボイドの『ナボコフ伝 ロシア時代』(上下)が翻訳されて出たので読むと、面白くて続編の「アメリカ時代」をネットで取り寄せて読む。そんなことをしているうちに、二十世紀で最も小説家らしい作家を一人選べと言われれば、それはナボコフじゃないか、とすら思うようになりました。二十世紀の人間のための資産を作ったという点ではトーマス・マンですが、小説家として最も豊かに、読む人の心に本当に食い入る小説を書くという言葉の技術で、ナボコフに勝る人はいないのではないかとすら思った……。

(中略)

 さて、三部作の締めくくりの小説のタイトルは決まっているんです。それはナボコフの『ザ・ギフト(賜物)』という、ベルリンで書いたロシア語の作品の終わりの、プーシキンの『エヴゲニー・オネーギン』のリズムで書かれたらしい詩から英訳で、「グッド・バイ・マイ・ブック!」

 僕の小説のタイトルは、『さようなら、私の本よ!』。

大江氏が最近(というのは04年4月ですが)ナボコフを熱心に読んでおられる様子です。本多繁邦さん、伊藤國士さんのお二人にこのインタビューについて教えていただきました。どうもありがとうございます。本多さんは「名誉の殿堂」にはいっていただくべき常連の方、そして今回初登場の伊藤さんは、 大江健三郎ファン倶楽部 を運営しておられる方です。

本多さんが「大江氏の信仰告白」とおっしゃっていますが、確かに大江氏は非常に高い評価をしておられますね。
大江氏とナボコフの世界はずいぶん違うようにも思えるのですが、「人間の苦しみ」を中心的な主題にしているという点では、むしろきわめて近い作家たちといえるのかもしれません。これは楽しみになってきました。


特別随筆「難関突破」[ブレックスルー]   『新潮』  2004年 6月号

 ナボコフという、いまや二十世紀最大の小説家と書かれた広告を見てもあまり違和感のない大作家に、しかし正面から向き合ったのは、五年前からだ。
 『ドン・キホーテ』についての篤実かつ奇矯な講義をおさめた大きい本をプリンストンの書店で見つけ、つい買ったのに始まって、いまでは鱗翅類の研究をめぐっての本を除き――当然のことながらロシア語の本も除く――それ以後目についたものを手に入れなかったことはなく、読み通さなかったこともない。
 まだ学生だったはずだが、『ロリータ』の翻訳を読んだことは確かなのに、むしろそれが災厄をなして、私はナボコフを軽視してきた。このようにしてナボコフを熟読するようになってから、私は信頼するロシア語の専門家の女性を新聞社のパーティで見かけ、そういうところも自分の子供じみたところだが、早速ナボコフの話をしようとして、敵意のこもった反応を引き出した。そのこと自体が、彼女への敬意を、複雑なかたちにであれ深めることにもなった。つまりは歴史のなかのナボコフの一筋縄でゆかないところをよく知っている人にちがいないのだから。
 『ロリータ』にしても――その翻訳の新潮文庫がなお生きている以上、ここで そうしたことを書くのは礼を失しているが、続々現れている優秀なナボコフ研究の 若手によって訳し直されることを望む――私はアルフレッド・アッペル・ジュニアの 註釈付きテキストを手に入れて、初めて心から楽しむことができた。 活字が大きく老眼鏡がいらないので、水泳のクラブに行く電車のなかで読む本 にしていたが、隣り合わせて座った若い人がひとりならず怪訝な表情を示すので、 手製のカヴァーをかけたものだ。
 さて、私が breakthrough という英単語に新鮮な出会い直し方をしたのが、ブライアン・ボイドによる評伝を読んでのことだった。みすず書房から諫早勇一訳『ナボコフ伝――ロシア時代』として出ている原著の前半を読み、このいかにも専門研究者らしい訳業に感銘しながら、小説家の自分としては、あの一句この一行の、意味の方向づけをはっきりさせたいということが重なって――誤訳などというレヴェルのことではない――、後半を早く読みたいのでもあり、プリンストン・ユニヴァーシティ・プレスの大きい本を読むことにした時の話。
 青年ナボコフが亡命者としてのベルリン生活で、ケレンスキーの本で私もその名は知っていた政治家・ジャーナリストの父親、V・D・ナボコフをテロに喪なう経験の後――少年時のウラジミールの豊かな育ちの詳述に重ねられるV・Dの政治生活の記述は、他にかえがたいロシア近代史の授業だった――青春の詩人としてのみずみずしい出発に重ねて短篇は幾つか書いているし、『不思議の国のアリス』の見事なものらしいロシア語訳もやっているが、長篇小説としては初めてのものを書く。
 その『マーシェンカ』は大浦暁生訳が新潮社から出ていて、それも文庫におさめられることが望まれる。とにかくすばらしい青春小説だし、それも勢いをひそめた鬱屈から明確な再出発と、才能ある亡命者の生活と内面が定着されている。英単語をそのまま示したいので、私の訳で引用する。
 《その限界は幾様にもあるけれど、『マーシェンカ』はナボコフの芸術においてひとつの breakthrough だった。そしてかれは、それを自覚していたと思う。》
 私はいま自分での納得と共に、若い小説家に向けて、またこれから小説を書こうとする人たちに向けて、そうだ、これが小説家の経験する breakthrough だ、そしてそれは、小説家の生活に送る、もっとも大切な出来事だ、と話しかけたい気持ちで、これを書いている。

(中略)

 『賜物』は、ナボコフのロシア語による執筆期で最大の難関突破を報告する小説だが、作家はそこを超えても次つぎに新しい難関にいどむ。アメリカへの移住、そしてロシア語から英語へという、作家にとってもっと根本的な移住があり、『ロリータ』の成功を経て、以後のもっとも重要な大作『青白い炎』―― これはちくま文庫による邦訳が手に入りやすく、次のものは古書の値段が高いということこそあれ入手不能ではない ―― 早川書房の『アーダ』、さらに最終的な奇想を実現した『透明な対象』―― 国書刊行会の新刊がある ―― で書きおさめるまで、ナボコフは立ちどまることがなかった。それを承知した上での『賜物』の重い受けとめを、すでに仕事を始めている若い作家にすすめたいのである。
 私自身、いま書き始めている、サイードが生きていればこれが私の「後期のスタイル」だと示したい長篇に、『賜物』の結びで、主人公が詩の音楽の理論家らしくプーシキンのリズムによって書いた詩として示されている詩の一節をエピタフにかかげている。
 《さようなら、私の本よ! 死すべき者の眼のように、/ 想像した眼もいつか閉じられねばならない。/ 恋を拒まれた男は立ち上ることになろう。/ ―― しかし彼の創り手は歩き去っている。》      

この記事については沼野充義さん、本多繁邦さん、stzzさんのお三方に教えていただきました。皆様、ありがとうございます。stzzさんは、翻訳、英語、書籍、文化等についての掲示板を運営しておられます。
大江氏のナボコフへの熱中ぶりはすごいですね。引用した部分以外にもナボコフへの言及があります。沼野充義さんは、ここしばらく大江氏とナボコフをめぐってのやり取りがおありになるそうです。「往復書簡」としていつか読めるといいのですが。
歴史的事実を言えば、『透明な対象』は最後の作品ではなく、最後から二番目でした。『道化師をごらん!』(立風書房)が最後です。でも、大江氏が「書きおさめ」と書いておられるように、この奇妙な小説でナボコフのビブリオグラフィが終わっているほうがふさわしいようにも思えます。作家が自身の死を先取りして書いているような作品ですものね。


「むしろ老人の愚行が聞きたい」―『さようなら、私の本よ!』 第一部
     『群像』2004年12月号

そのうちドイツ人は、蟹が生温い泡でも噴くようにアルコール臭い息を吐いて、一節を読みあげた。
古義人は三十年前、おなじことがハーヴァード大学の夏のセミナーで起ったことを思い出した。
――あれを夢として再現しているのだ、と自分に納得させると、古義人はその英詩を自分で訳したことも思い出し、声を合わせていた。

  さようなら、私の本よ! 死すべき者の眼のように、
   想像した眼もいつか閉じられねばならない。
   恋を拒まれた男は立ち上ることになろう。
   ―― しかし彼の創り手は歩き去っている。

気がつくと夢のドイツ人は姿を消し、古義人はひとり寝ていた。そのベッド周りの暗い床いちめんに、黒く縮んだ者らが横たわって、眠れぬらしくひそめた息をしている。
――これらは自分の創り出した者らだ、と古義人は恐しい思いを抱いた。かれらを残して大股に歩き去っていたはずが、自分は帰ってきた。そしてかれらの面倒を見なければならない……
 あのドイツ人のルームメイトは、『ロリータ』のいかがわしい[6字に傍点]作柄が袋叩きされたセミナーでナボコフを擁護し、この作家が自分らの生まれた時分にはすでに、ベルリンで優れた活動をしている亡命作家だったことを話した。それでも無視されると、一日かけて大学図書館から作家のロシア語時代の代表作"The Gift"を見つけ出し、深夜古義人を叩き起して一節を朗唱した。
 古義人はその英訳本を借りて読み、自分がナボコフの他の作品を知らなかったとしても、夜の菩提樹の並木道で恋人にこの詩を聞かせる、作中の若い作家の豊かな未来を信じたはずと思ったものだ。

インタビュー、特別随筆で予告されたとおり、大江氏の「三部作の締めくくりの本」の連載が始まりました。第一部では、タイトルにも引用されているエリオットや『悪霊』のドストエフスキイ、三島への言及が多く、ナボコフはあまり目立っていません。それでも北軽井沢の「ゲロンチョン」[小さな老人の家]に古義人を軟禁する「世界的規模の陰謀組織」に所属するロシア人の青年は「ウラジーミル」と命名されていますし、この先の展開が楽しみです。他にも小さなところでナボコフを感じさせる部分があります。たとえば、「古義人は自分のなかに、どこかおかしなところ[7字に傍点]のある、もうひとりの自分が、カラー印刷のズレのように、ダブって実在しているのを自覚するようになった」には、『アーダ』第1部20章ののダン・ヴィーンの姿がダブっているようですし、上の引用部分にある「黒く縮んだ者ら」には『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』のV.の夢が映っているのではないかと思います。

「死んだ人たちの伝達は火をもって」―『さようなら、私の本よ!』 第二部
     『群像』2005年5月号

晴れ渡って色の濃い青空のもと、数週そこを通らなかった間に若葉の脆さを失った茂みを、古義人は登って行った。大きい真黒の揚羽蝶が湿った地面にとまっていて、古義人の進路からわずかな距離だけ逃れた。木立を抜けたところで振返ると、鉄パイプと板、鉄板の足場で囲われた「小さな老人[ゲロンチョン]の家」は、陽に輝く小城砦のようだった。

これまで繁と木庭の話を漏れ聞いての、そこをバリケードとして警官隊と戦闘するという話を、大真面目に受け取っていたのでもないが、そうやって見上げると、なんらかのリアリティーはあるのじゃないか?古義人はそう考えた。

「おかしな老人[マッド・オールド・マン]」の家の裏口へ向けて、一度も刈ったことのない芝の斜面を横切る時、シラカバの太い幹を走り降りて落葉を踏ん張った栗鼠が、何も持たない前肢をかかげて、こちらを見定めた。古義人は、すでに他人のものとなった屋敷内へ入り込んだ気分だった。

武が裏口のドアを開けて、繁の部屋へ上るよういった。タケチャンは電話機を前に、ソファに寝そべっていた。

繁は窓際に立って戸外を眺めていた――となれば、二つの家の境で足場に囲まれた家を振り返ったり、栗鼠に見とがめられて[7字傍点]ギクリとする様子を見おろしたりしていたわけだ――。

第二部にはナボコフへの直接の言及はありませんが、上で引用した部分は相当にナボコフ濃度が高く、明らかに意識して書かれた部分だと思います。足場、黒い揚羽蝶、意味ありげに人を見つめる栗鼠……。ナボコフ小説における足場は重要なモチーフのひとつです。この小説では「ゲロンチョンの家」を囲んで頑丈な足場が組まれ、そこを舞台に派手な攻防戦が、少なくとも捜査がはいる場合に備えての戦闘訓練がが行われることになっていました。しかし「9.11以後の世界秩序を組み替えようとする勢力のひとつ」である「ジュネーヴ」は、あっさりと東京での大爆発計画をキャンセルしてしまい、足場も必要ないものになってしまいます。

『揩スしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』  新潮社 2007年

突然、それまでの情緒的な態度を切り換えて、柳夫人が私に問いかけた。

―『ロリータ』はお読みになったでしょう?(私はこの時もまた、赤面したのではなかったか、と疑う。ハンストのテントのなかで、あの少女だとサクラさんを認識した時同様に。)

私が若い外交官と結婚させられて、研修を受ける夫とニューヨークに行った春、『ロリータ』がベストセラーでした。「ニューヨーク・タイムズ」だったかの書評に、アナベル・リイという名が出てたので、領事館のライブラリーの新刊の棚を探して見つけ出して、最初の部分の、アナベル・リイが・・・・・・青臭いハンバート・ハンバートの、アナベルとかいうガールフレンドに重ねられるところまで読みました。

お父さんがホテルを経営するリヴィエラで少年が出会ったアナベルは、本当にね、私の想像のなかでサクラさんを幾つか年長にすれば、そっくりそのままの感じに書かれてた。薄物のワンピースの下はなにもつけてない、とナボコフは書いていて、私などが木綿のズロースで嵩ばってるのに、スイスイ自由に跳ねまわってたサクラさんを思い出しました。 (94頁)

大江版『ロリータ』というべき作品です。この小説でロリータにあたるのは10歳で孤児になり、日本映画の子役スターからハリウッドの名脇役女優となったサクラ・オギ・マガーシャック。ハンバートにあたるのは、終戦後進駐軍の情報将校として日本に来てサクラの保護者となり、後に夫となるデイヴィッド。ナボコフのロリータはハリウッドのスターになりたかったのですし、ハンバートはロリータの夫になりたかったのですから、この小説では二人の夢がかなったともいえるでしょうが、この二人の人生は相当に悲惨で暗い印象です。二人の結婚にしても、いわば「白い結婚」(この定義はおかしいと思われる方もおられるでしょうが)でした。少女のサクラさんをヒロインにして撮った「アナベル・リー映画」の中で、薬で眠らせた彼女に対してデイヴィッドは実際に性的虐待を加えており、彼は生涯罪の意識から逃れることができなかったためです。一方事件のはっきりとした記憶のないまま、サクラさんは悪夢に苦しめられ、鬱病を繰り返すことになります。小説は30年前に挫折した「ミヒャエル・コールハース映画」への再挑戦として、四国の「森」に伝わる一揆芝居『「メイスケ母」出陣』の公演と映画の撮影への途上で終わることになりますが、監督・主演をつとめるサクラさんは、この作品によって悪夢に苦しんだ半生から見事に再生を果たすことになることが示されます。ナボコフのロリータもハンバートから逃れた後、彼女なりに見事な立ち直りを見せますが、17歳という若さで人生を終えてしまいます。サクラさんの希望に満ちた力強い再生は、夭折したロリータへの鎮魂ともなっていることが感じられます。
近年大江氏はナボコフへの関心を語り、小説にも書いてこられましたが、この作品は「ナボコフ連作」を締めくくるのにふさわしいと思われます。 2006年に現実世界の大江氏は文庫版『ロリータ』に解説を書かれましたが、その解説のことも作品中に出てきます。

『ロリータ』でも重要な役割を持っているポオの詩「アナベル・リイ」(日夏耿之介訳)から引用された言葉がタイトルになっています。
「総毛立ちて身まかりつ」の言葉は、第5連の最後に出てきます。

  油雲風を孕みアナベル・リイ
さうけ立ちつ身まかりつ。

原文をあげておきます。

That the wind came out of the cloud by night,
Chilling and killing my Annabel Lee.

「掾iらふ)たしアナベル・リイ」はその連には出てきませんが、詩の中で何度も繰り返される the beautiful Annabel Leeです。

原詩は催眠的とも言えるような単純な繰り返しが多い詩ですが、日夏訳は原詩より数段絢爛豪華な世界になっています。ポオの死美人ものの短篇「リジーア」や「モレラ」にはまことにふさわしいと思うのですが、この詩にはちょっと合わないと感じます。といって日夏氏に原詩の子供らしい簡素さを求めるのはもちろん無理な話だとも思うのですが。

ちなみにナボコフのロリータの背中が熱のために「総毛立つ」場面がありますが、そこでそのまま死ぬわけではありません。アナベルについては「チフスで死んだ」と語られるだけです。