『英語青年』1999年11月号 512―514頁

    死と隠蔽
   ―Transparent Thingsを中心に―

             
                    中田晶子
      
死の言葉

ナボコフの作品に死が頻出するということは生前から指摘されていたし、伝記的には父親が暗殺されたこととの関連で語られてもきた。作家の死後、彼の作品では若い頃から一貫して死後の世界への関心が主題になっていることを妻のVeraが指摘して以来、ナボコフ作品における死後の世界、別世界の主題が研究の大きな流れの一つになっている(Dmitri Nabokov 174-75)。
 それ以前にこの主題が関心をよばなかったのは、英米の批評ではメタフィクション作家としての面に目が向けられがちであったからであるが、ナボコフがこの主題を伝達不可能なものと考えて、自身の発言としても直接に語ることをせず、作品の中でも常に覆い隠していたからである(Alexandrov 4-5)。たとえば、瀕死の者が死や来世の存在について語る時、それらの言葉は受け手には伝わらない。"Ultima Thule"では世界の秘密を知って以来狂人となったという知人からその秘密を告げる遺書が送られて来るが、肝心の部分が塗りつぶされている。実際には最後に会った時の会話の中に死後の世界の存在が、三つの言葉によって示されていたのであるが、語り手は気づかない。The Giftでは瀕死の作家が死後の世界の存在を否定して、「死後には何もない。今雨が降っているのと同様に明白なことだ」と述べる。しかし彼が雨音と聞いたものは、上の階の住人が花に水をやっている音であり、外は晴天だったことがわかる。ここでは逆説的に理詰めで来世の存在が浮かび上がる仕掛けになっているが、この部分だけを読むと残酷ないたずらという印象を拭いきれない。"The Vane Sisters"の場合は死者からのメッセージが、語り手がそれとは知らずに語るテクストの表面に隠されていて、最後のパラグラフのアクロスティックになっている。
 それらの言葉、たとえば"The Vane Sisters"のアクロスティックが説得力を持つのは、それが仕掛けられているパラグラフ全体の持つ異様な感覚、さらには前日に語り手が目撃した氷柱から落ちる雫とその影のエピファニー的な光景やこの短編に現れたさまざまなものの別世界的な印象によって支えられるのであり、決して言葉の上の謎解きのみによるものではない。しかし死後の世界の存在は、作品の中でその言葉に直接触れる者には届かず、読者のもとにもテクストの細部を通してのみ現れる。

  死と透視
作品に現れる死への関心は、当然ながら死の瞬間の場面にも現れる。ここでは中断という形で逸らされる死に目を向けてみたい。
 Bend Sinisterでは、主人公クルグに向けて撃たれた銃弾が彼に当たる寸前で「作者」は突然この小説を書いている自分の部屋に場面を移して、主人公の死を中断し、「死は文体の問題にほかならない」と述べる。これはいかにも言語遊戯めいて聞こえるが、ここでの「作者」はこうして世界の恐怖と死の恐怖の両方からクルグを救済する。
 Invitation to a Beheadingの主人公シンシナトゥスは思考が不透明であるという理由で逮捕され処刑台に赴くが、斧が落ちて来た瞬間に突然その理不尽なことに気づき、処刑台から立ち去ってしまう。この部分は、The Giftに含まれるChernyshevsky伝や戯曲The Grand-Dadと並んで、処刑台からの生還の主題を扱った作品の系譜に属するものである。最終場面ではこれまで彼が属していた世界そのものが、死の中断とともに実体を失い、書割のようになって崩壊する。実際に処刑が行われて彼が死後の世界に向かいつつあるのか、それとも自分を抑圧していた理不尽な世界を否定することによって本来属すべき世界に赴いたのかは曖昧であるが、どちらにせよ、彼が牢獄からの脱出を果たして別の世界に移動できたことは確かである。
 この二つの場面に共通しているのは、主人公の周囲の人間が透きとおる変化を見せることである。シンシナトゥスは透きとおって平たくになってしまった人々を離れて自分と同じような人々のいるほうへ歩いて行くし、クルグを差し示す独裁者の腕は透きとおって歪み、その世界の壁が消える。死が、一つの世界の崩壊と別の世界への移行として描かれる時に、二つの世界が重なり透視する視点が現れる。
   "Terra Incognita"では、作中人物の側から、虚構の世界の壁が崩れる恐怖を語ることになる。未踏の地を探検する語り手は自分の周囲にヨーロッパの居間の一部が透けて見える体験を繰り返す。「この透けて見える居間は幻影である」という語り手の確信は次々に否定され、最後には自分自身も消えつつあることに気づく。彼はそれまでの体験を手記に書いているのだが、彼が最後の言葉を書きとめようと開いたノートが消えてしまうところでこの短編は終わっている。彼にとっての死は、虚構の世界の崩壊と共に、語る者としての立場をその居間にいる本当の語り手に譲って文字通りに消えることなのである。この語り手は前述の二作と異なり、本来所属すべき世界に移ることも、Bend Sinisterでのように救済されて「創造者の胸にもどる」こともない。題名の「未知の土地」とは第一義的には語り手の一行が行く未踏の地を指すわけだが、ノートと共に語り手が滑り落ちて行く先の、どこともつかない空間でもあるだろう。ここでは透視という行為自体に危機的状況が潜んでいる。
 Pninでは同名の主人公は死を免れるが、彼にも危機的な状況下で透視の能力が現れる。持病の心臓発作がおきる時、あるいは死者たちの記憶が蘇る時、彼の意思とは無関係に周囲の世界にもう一つの世界が重なって見える。語り手はその状態を死に近づいた危機的状況として語る。存在にとって確固とした輪郭を失う融合は、死に等しいと語るのである。これは主人公の位置を奪おうとしている悪意ある語り手からの脅威でもあるが、またナボコフにおける死の両面を語っている言葉でもある。融合や透視は存在の消滅の危険をはらんでいるが、同時に境界を超えての存在の可能性につながることでもあるからだ。 

  透明な事物、不透明な死
 Transparent Thingsは題名が示すとおり、全編がこの透視によって語られている作品である。この小説はナボコフ作品の中でもっとも死の濃度が高く、語り手と主人公を含めて主な登場人物のほとんどが初めから死亡しているか、途中で死ぬ。最後から2番目に書かれたこの小品には、それ以前の小説に登場する人物や出来事が姿を変えて頻繁に再登場し、またこれまでに他の小説でなされた手法が凝縮されている。ナボコフの手法として、さまざまに関連する事物、あるいは偶然くりかえされる事物が多いことがあげられるが、この作品でも数多くの物や出来事が関連し、くりかえし現れる。エンペドクレス風に火、水、風、土(重力)が重要なモチーフとなっており、そのすべてがさまざまに死と結びついて、運命のパターンを形作る。
 一人称の語り手は小説の途中でやはり死者となる作家R氏である。彼が生前担当の編集者として知っていた主人公ヒュー・パースンの22歳から40歳までの人生と死を死後の世界から語るのであるが、この特異な語り手は、熟練した透視者として、一つの対象を時空間の壁を超えて自由に見通すことができる。使い古された鉛筆について語る有名な部分では、その鉛筆の製造過程が、軸となる木材を切り倒し、芯を作るのに必要な脂をとるため羊を屠殺する場面にまで遡って、怪しげなドキュメンタリーフィルム風に描かれることになる。こうして私達は主人公の過去、現在の思考や夢はもちろんのこと、果ては彼の内臓の消化過程までを目撃することになる。R氏の言うようにこの世界には「もはや謎はない」のだ。
 ここでは時間と空間のそれぞれの境界が消えるだけではなく、夢と現実の境界も薄れている。現実が夢の翻案であるかのように、形を変えて実現する。そして重要な事柄がテクストの細部に隠れている。たとえば語り手のアイデンティティについては作者自ら明かさなければならなかったほどで、語り手を特定するための手がかりは、生前のR氏の口癖と語り手のそれとの重複するわずかな部分に求めるしかない。ヒューが自分の見ている夢の校正をしたり、死者が生者への影響力を記号やイタリクスでかすかに示そうとするように、現実とテクストの表面との境界も薄れ、両者は重なっている。生者はこのような透視の特権に預かることはできない。ヒューは、夢に影響を与えたり、かすかな気配で伝えられるだけの、死者からのメッセージに対する多少の感受性は持っているものの、それ以上の能力はない。ヒューよりは優位な場所にいる読者にとっても、この境界のない世界は、死者にとってそうであるような謎のない世界ではなく、おそらくどのような読者にも確定できないような、語られる謎、あるいは語られない謎に満ちている。
 大きな謎の一つが生と死にまつわるものである。 R氏は死に臨んでの手紙で「かつて人間が夢見たあらゆる宗教に対する絶対的な拒否、絶対的な死と向かい合っての絶対的な平静」を知ったと書く。しかし瀕死の彼にそれを伝える本を著すことはできないし、その本は永久に書かれることはない。なぜなら「この特別な本でも直感でのみ理解できることを一瞬のうちに表すことはできないからだ。」これがおそらく彼の絶筆となる。私達はここに言葉を超えた何かがあることだけを窺い知る。
 最後のそして最も大きな謎はこの小説の最後のヒューの死の部分にある。ホテルの部屋で火事に会い炎の渦に巻かれたヒューに、子供時代に見た、寝巻き姿で半分眠っている子供の回りを野菜達が勝ち誇って回転する絵本の挿絵が重なる。その回転は次第に速度を増して行く。

Its ultimate vision was the incandescence of a book or a box grown completely trans- parent and hollow. This is, I believe, it: not the crude anguish of physical death but the incomparable pangs of the mysterious mental maneuver needed to pass from one state of being to another. (104)

悪夢の中でもがいている絵本の少年は夢遊病の発作のあった子供時代のヒューであり、今また白熱して燃え上がる本か箱の中で生から別の存在へと移行する途中のヒュー自身である。これはナボコフの作品中死そのものに最も接近した場面であろう。この"This is […] it"は、「さあ、始まるぞ」という慣用的な意味よりもむしろ「これがそれだ」という同語反復的定義である。すべてが透明なはずの世界で唯一R氏にも見とおすことのできない、名づけられないものとして「それ」が残る。この最後の場面は円環構造を持つ小説の冒頭につながるが、そこではヒューが無事に試練を終え、彼を待ちうける死者達のところにやってきたことがわかる。結局ヒューの死は本の中への死であり、彼の新しい生も本の中で続く。しかしこの「それ」は本当には説明されず、私達には知り得ないものとしてのみ示される。
 「死後の存在の事実を証明することができたら、生の謎も同様に解決できるか、やがては解決できることになる、と考えられている。残念なことに、この二つの問題は必ずしも重ならず、混じり合わない」とはヒューの知り合いの哲学者が死を目前にして書いたものである。これはおそらくこの小説に現れるウィトゲンシュタインへのアリュージョンの一つである。Tractatusには、人間の魂が死後も永遠に存在したとしても生の謎は解けない、と論じている箇所(6.4312)がある。R氏にナボコフ自身が重ねられていることはすでに多くの研究者が指摘しているが、さらに「城と岩を貴族を表す小辞でつないだ長いドイツ系の名前を持つ」作家であるR氏にはウィトゲンシュタインも隠れているのではないか。Transparent Thingsが言葉によってさまざまな境界を超える小説であるからには、きわめて大雑把な言い方ではあるが、語り得るものの限界をTractatus で見極めようとしていたウィトゲンシュタインが登場することは不自然ではない。R氏の言葉「私達がしないことになっているもう一つのことは、説明不可能なことを説明することである」にはあまりにも有名な「語りえぬものについては沈黙しなければならない」(邦訳200)が木霊している。同語反復でしか語られない「それ」は、この木霊のくりかえしなのであろうか。それともそれはナボコフにとっても不可能な「言葉で表現できないことを表現しようと試みている」のだろうか(若島 63)。確かに、神を信じるかという問いに答えての「私は自分に表現できる以上のことを知っている」(Strong Opinions 45)という彼の発言は後者を肯定しているように思える。一方、死の秘密を表すものとしてVeraがあげた"The secret tra-ta-ta, tra-ta-ta, tra-ta/ I must not be too explicit"(Dmitri 175)という詩句を思うと、死と存在の謎「それ」は故意に隠蔽されているのではないだろうか、という決して答えの得られない問いを打ち消すことができない。そしてこの少し欠けた三つ揃いの"tra-ta-ta"も、Transparent Things とR氏の遺作であるTralatitionsTractatus の重なり合う三冊の本と頭韻を踏んでいるのである。

  引用文献
Alexandrov, Vladimir. Nabokov's Otherworld. Princeton: Princeton UP,
 1991.
Nabokov, Dmitri. "Translating with Nabokov." The Achievements of
 Vladimir Nabokov
. Ed. George Gibian and Stephen Jan Parker.
  Ithaca: Cornell Center for International Studies, 1984.
Nabokov, Vladimir. Strong Opinions. 1973. New York: Vintage
 International, 1990.
___. Transparent Things. New York: McGraw-Hill, 1972.
若島正「ナボコフの透明な世界」 Kobe miscellany 12号、1985年、53-66頁。
Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico- Philosophicus. 1921. Trans.
 D. F. Pears & B. F. McGuinness. London: Routledge, 1997.
 邦訳『論理哲学論考』藤本隆志、坂井秀 寿訳、法政大学出版局、1968年。

                     (南山短期大学助教授)