佐藤正午
『取り扱い注意』 角川文庫 2001年 (初版 角川書店 1996年)
僕はその凹みにタバコを置いて、ラックから四つの駒を取ってボードに並べた。
「ニンフ。妖精のように美しい女」
そう言って、駒袋の中から新しい駒を四つ補充しているあいだに彼女の声が追い打ちをかけた。
「ニンフェット、ヨースケ叔父さんのロリータ」
盤上には彼女のEとTの駒がつけ足されて、また新たに7文字の単語が完成していた。 41頁
それからまもなく人に勧められて読み、再読することになった小説、ウラジミール・ナボコフの古典的名作『ロリータ』のなかで、犯罪者ハンバート・ハンバートはこんなふうに提案している。
――少女は九歳から十四歳までのあいだに、自分よりも何倍も年上のある種の魅せられた旅人に対して、人間らしからぬ、ニンフのような(つまり悪魔的な)本性をあらわすことがある。この選ばれたものたちを「ニンフェット」と呼ぶことにしよう。
僕にはこの一節が謎である。『ロリータ』を読み、再読したあとでもここで立ち止まり途方にくれるしかない。たぶんそれは男としての僕の趣味、といって悪ければ能力の問題だろう。資質、素地、傾向、思想、主義、何と呼んでもかまわないけれど、僕にはその選ばれたものたちを見抜くための必須の何かが欠けているのだ。美しい小学生が、ただ美しい小学生としてしか目に映らない僕のような男には「ニンフェット」について語る資格はない。 101頁
この作品については、若島正さんのご教示をいただきました。どうもありがとうございます!!
語り手ヒデオ君の酔助叔父さんは、小学校6年生の美少女鈴村綾と相思相愛で、10年前に酔助叔父の愛人だった現在20歳の女子大生伊和丸久美子はもはやニンフェットでなくなったことがあきらめきれず、やがて酔助叔父さんはヒデオ君を助手に現金強奪に成功し、13歳になった鈴村綾をマジェスタの助手席に乗せて放浪の旅へ――。ハンバートの夢がすべてかなったかのような世界が90年代の日本に現れます。ハンバートなら多幸症的文体で延々書き続けるでしょうが、酔助叔父さんと鈴村綾は実にクールに現れ、去って行きます。ヒデオ君は周りの女の子ほとんど全員から口説かれるというこれまた幸運児でありますが、そういう境遇にあればさほどの感慨も覚えないものであるらしく、この叔父・甥は(少女愛に関してはともかく)やはり似ています。
ヒデオ君の得意なゲームであるスクラブルや複雑な時間構成など、ナボコフ風小道具大道具に満ちた小説です。