辻原 登
『枯葉の中の青い炎』 新潮社 (2005年)
とここで、突然、私は思いがけない柵囲いに行く手を阻まれ、驚いて立ち止まる。ナボコフのこのなつかしい一筋の文章の道に、見知らぬ括弧が立ちふさがる。つまり、マドモワゼルがやっとの思いで階段を上ってゆくと、……私はふいに括弧にくくられた挿入文にぶつかったのだ。
(ペテルブルグの家にあった小さな水圧式エレベータは、人をからかうように、しょっちゅう動かなくなっていた)、
「私」の家にエレベーターがあったとは!私は全然覚えていなかった。これはひょっとしたらあとの版で挿入されたのではないかと疑った。英語圏で最も芸術的な作家といわれたナボコフが、文章の流れをいきなり断ち切るような無粋な括弧の挿入文など採用するだろうか。彼の死後、校訂者の不注意でまぎれ込んだか、あるいは原稿で書き込み、消してったものをご親切にも復活させたか。
(中略)
水力式、あるいは水圧式エレベーターとはいったいいかなるものか?まず単純に思いつくのは、昔、学校で習った水圧機だ。小型の水圧機と大型のものをふたつ並べ、小さい方のポンプのハンドルを押すと、水管を通って水が大型タンクのピストンを何倍もの力で押し上げる。ナボコフの家のエレベーターはこのピストンの上に籠[ケージ]が載っていて、ガイドレールに沿って上下する。ということは、建物の中に水の入った大小ふたつのタンクが設置されていたことになる。ピストンの動力源は何だったのだろう。電気か、それとも人力?
しかし、生憎このナボコフ家のエレベーターは故障していて、マドモワゼルは十歩ほど歩く毎に咳き込んでは立ち止まりながら、やっとの思いで階段を上ってゆくのである。
(中略)
サンクト・ペテルブルグのナボコフ家に水圧式エレベーターがあったのは一九〇五年、六年ごろのことである。その五十年前の一八五四年、ヴァーモントのエリシャ・グレイヴズ・OTISという男が、ニューヨークの水晶宮殿博覧会で、自分が乗ったエレベーターを三十フィート上昇させてケーブルを切った。下にいる観客は固唾をのんだが、わずか数フィート下がっただけで止まった。OTISの自動安全装置付きのエレベーターはアメリカの高層ビル建築に拍車をかけた。
(中略)
OTIS社は大西洋を渡ってロシアにまでエレベーターを売っていたのだろうか?YES。ものの本によると、OTIS社は一九〇〇年代のはじめ、エレベーターを売り込むため、専門チームを十字軍のようにヨーロッパに派遣している。彼らはロンドン、ストックホルム、ベルリン、ウィーン、ワルシャワ、そしてサンクト・ぺテルスブルグにまで足をのばした。ナボコフ家は帝政ロシアのペテルブルグでは有数の名門貴族である。…… OTIS社のセールスマンが訪問セールスをかけたと考えるのはごく自然だろう。
(後略)
この作品については、沼野充義さんのご教示をいただきました。どうもありがとうございます。
「ナボコフの短篇で好きなのをひとつといわれれば、『マドモワゼルO 』を挙げるだろう」という書き出しで始まるこの短篇は、ナボコフ家のエレベーターに関する疑問を自ら解き明かしながら、仮にキリール・べズウーホフと名付けられたロシア出身のアメリカ青年をナボコフ家を訪れたエレベーター設置班の中へと、さらには彼を十月革命へと送り込みます。トルストイの愛読者であったナボコフが目を丸くしそうな展開ですが、話はさらに語り手の小学校時代の同級生「野球王」の生涯と死へと続いていきます。最後に、「野球王」の登場によって置き忘れられた態だったナボコフとエレベーターが再び鮮やかに現れる仕掛けです。
ナボコフの「大道具」のひとつ、エレベーターについては『マーシェンカ』『ディフェンス』『ベンドシニスター』そして『ロリータ』の中でも忘れがたい場面や描写が登場しますね。