山田宏一
「アンデルセンのおとぎの国の少女」 『友よ 映画よ <わがヌーヴェル・ヴァーグ誌>』 話の特集 1978年
ルイ・ノゲラによるインタビュー集『メルヴィルの映画論』のなかでジャン=ピエール・メルヴィルは、『勝手にしやがれ』に特別出演した理由をこう語っている―。
「ゴダールのためだからこそ、あのパルヴュレスコの役をひきうけたんだよ。ゴダールから手紙が来て、映画に出てくれって言うんだ―いつもの調子で女のことをしゃべってくれってね。そのとおりにしたわけだ。わたしはこの小説家の役を演じるにあたって、ナボコフをぶって[3字に傍点]みたんだよ。テレビのインタビュー番組で見たことがあったのでね。機知に富んでいて、キザで、自意識過剰で、ちょっぴり皮肉屋で、ナイーブでね。(後略)」 27頁
メルヴィルはこの映画に「友情出演」しており、国際的に著名な作家「ムシュー・パルヴュレスコ」としてオルリー空港のロビーで記者会見に応じています(「バイト」で参加しているパトリシア(ジーン・セバーグ)とのやり取りもあります)。四半世紀以上の昔からこの場面も「史実」もよく知っており、山田宏一氏のこの本も学部時代からの愛読書だったにもかかわらず、最近ある方から指摘していただくまで、不思議なことにここに登場させようという気がまったくおこりませんでした。私はメルヴィル映画のファンでもあるので、ナボコフを真似たメルヴィルはなかなかよいと昔から思っているのですが、ナボコフ本人が見たらどうだったでしょうね。ナボコフがこの映画を見たかどうかはわかりません。
メルヴィルが見たというテレビのインタビュー番組は、「おもちゃ箱」(2006年)と「ナボコフをさがして」の松浦寿輝氏のエッセイからご紹介したAPOSTROPHESのものだと思ってしまったのですが、番組の放映が1975年、映画の公開が1959年ですので、残念ながらあり得ないですね(パズルのピースがひとつはまった!と思ったのですけれど)。ブライアン・ボイドの伝記には、1958年11月末にライオネル・トリリングと一緒にテレビのインタビュー番組に出演したことが出てきます。メルヴィルはこれを見たのかもしれませんね。この時ナボコフは事前に回答を用意せず、アドリブだったのだそうです。このインタビューはStrong Opinionsにもはいっていませんし、記録がないようです。残念。
アルフレッド・アペル Jr. のNabokov's Dark Cinemaによれば、パルヴュレスコ(Parvulesco)の名前は、フランス語のparvenir(たどりつく、成功する)とparvis(神殿と中廊の間の中庭:詩語)から作ったものだそうです。