6日目
2011年9月27日(火)晴れ
マドリード(バス/約1時間)→トレド(Toledo)(バス/約1時間)→マドリード
午後、マドリード市内観光
夕食後、プラド美術館(Museo Nacional del Prado)
出発前にホテルの前で。
9:30マドリード出発
現地日本語ガイドは佐藤さん(女性)、ドライバーはフランさんです。
現地日本語ガイドの佐藤さんより
16世紀 エル・グレコ
17世紀 ベラスケス
18世紀 ゴヤ
と活躍した。
【世界遺産】トレド(Toledo)観光
10:59見晴らし台着
トレドの旧市街が一望にできます。
三方をタホ川に囲われています。タホ川はポルトガルのリスボンに流れて行きます。
560年に西ゴート王国の首都となったトレドは、711年から約400年にわたってイスラム教徒
の支配下におかれた。1085年にアルフォンソ6世が再征服した。
1561年に首都がマドリードに移るまで、政治・経済の重要な拠点として繁栄した。
11:05出発
現地ガイドはビクトールさんです。
11:16旧市街へ
アルカサル(Alcazar)です。
1085年にトレドを再征服したアルフォンソ6世がこの地に要塞を築いたのが始まり。
1936年の市民戦争では土台だけになったが、その後再建された。
カテドラル(Catedral)です。
フランス・ゴシック様式のこの大聖堂は、フェルナンド3世の命によって1226年に
建設が始められ、長年の歳月を経て1493年に完成した。
スペイン・カトリックの総本山です。
免罪の門があるファサードです。
内陣(Capilla Mayor)です。
内陣の祭壇です。きらびやかです。
聖具室です。正面にエル・グレコの「聖衣剥奪」(El Expolio)があります。
エル・グレコの「聖衣剥奪」です。
内陣裏にはナルシソ・トメ作のトランスパレンテ(Transparente:透明という意味)があり、
天井から差し込む光で天使や聖母像はひときわ鮮やかに見える。
トランスパレンテの天井です。
サント・トメ教会(Iglesia de Santo Tome)です。
エル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」(Entierro del Conde de Orgaz、1586-1588)が展示されています。
教会内は撮影禁止です。
12:35出発
12:40おみやげ屋さん着 象嵌細工を売っていました。
13:00出発
14:10レストラン着
昼食はミックスパエリアです。
サングリア 3ユーロ
15:15出発
マドリード(Madrid)市内観光
15:30スペイン広場(Plaza de Espana)着
現地ガイドはマルハさんです。
中央にはセルバンテス像が、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像を見下ろすように立っている。
後ろのビルはスペインビルです。
銀行が高級ホテルにしようとビル内を立ち退かせたが、リーマンショックで頓挫し、
現在はゴーストビルとなっている。
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像です。右上にセルバンテスの像があります。
15:45出発
ミネラルウオーター 1ユーロ
自由時間となる前にバスは市内を1回りする。
16:12レパント(免税店)着
自由時間となり、6名で王宮(Palacio Real)に出発。
16:25王宮着 10ユーロ 広場はけっこう暑い。
1734年のクリスマスに消失したハプスブルグ王家の宮殿跡にフランス・イタリア風の
王宮が1764年に建てられた。
王宮はヴェルサイユ宮殿に似ています。王宮内は撮影禁止です。
17:30出発
17:35レパント(免税店)に戻る
時間があまりないのですが、1人でプエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol:太陽の門)に向かう。
アレナル通りを急ぐ。
17:55プエルタ・デル・ソル着
プエルタ・デル・ソルとは『太陽の門』を意味し、15世紀にはマドリードを取り巻く城壁の門の一つであった。
マドリッド自治政府庁です。
この正面玄関前に、0km地点表示あるそうです。東京の日本橋ですね。
カルロス3世騎馬像です。ゴヤを宮廷画家に任じた王です。
広場の北側にある「熊と山桃の像」です。
「熊と山桃の像」のところから見た広場。
アレナル通り(帰り道)
路上でパフォーマンスする人や物乞いする人がいました。
右側にイルミネーションがありますが、スペインでは薬局以外は使用禁止だそうです。
王立劇場です。
18:25レパント(免税店)出発
クッキー 5箱 20.25ユーロ
19:00レストラン着
夕食はタパス(スペイン風小皿料理)です。(残念ながら今一でした)
ブドウジュース 3ユーロ
ツアーの皆様と記念に。
20:00出発
20:30プラド美術館(Museo Nacional del Prado)着
15世紀以来の歴代のスペイン王家のコレクションを展示する美術館です。
絵画館としては世界一を誇り、保有する作品は絵画だけでも8000点を超えるそうです。
他の美術館にあるような他国からの戦利品、盗品や略奪品などは無くないそうです。
閉館後のプラド美術館を特別に貸切です。
チャーター直行便(Hifly)でスペインに来た6コースが最終日にプラド美術館に集まりました。
貸切なので他にお客さんはいないのですが、6コースが一斉に名画の前に集まりますので
順番を調整しながら見て回ります。
美術館内は撮影禁止です。
たくさんの絵画が有りました。作者の年代順に簡単に記載します。
・エル・グレコ(El Greco、1541〜1614)
本名はドメニコス・テオトコプーロス(Domenikos Theotokopoulos)。
一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で
「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称である。
「聖三位一体」
絵の中の白い鳩は精霊を表している。
・ディエゴ・ベラスケス(Diego Velasquez、1599〜1660)
セビリア生まれで、1623年に24歳で国王フェリペ4世付の宮廷画家となる。
「ラス・メニーナス」(Las Meninas:女官たち、1656年)
ベラスケスが晩年の57歳のときに描いた大作です。
スペイン国王フェリペ4世の娘である王女マルガリータを中心に、数人の女官たちを描いた作品です。
世界3大名画(モナリザ・夜警)のひとつとされるそうです。
・フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya、1746〜1828)
1786年、40歳で国王カルロス3世付き画家となり、1789年には新王カルロス4世の宮廷画家となる。
1792年、不治の病に侵され聴力を失う。今日ゴヤの代表作として知られる『カルロス4世の家族』、
『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『マドリード、1808年5月3日』などはいずれも、ゴヤが聴力を失って
以後の後半生に描かれたものである。
ハプスブルク家は5代にわたり近親結婚をした。滅びる2代前に仕えた。
「カルロス4世の家族(La Familia de Carlos W、1800年-1801年)」
(カルロス4世王室の人々の偽らざる姿と人間の内面を描いた。)
「マドリード、1808年5月2日」(El Dos de Mayo、1814年)
(フランス軍の侵略に対するマドリード市民の蜂起を描いた。)
「マドリード、1808年5月3日」(Tres de Mayo:プリンシペ・ピオの丘での銃殺、1814年)
「着衣のマハ」(La Maja Vestida、1797年-1803年)
(マハ(maja)とは、「小粋な女(小粋なマドリード娘)」という意味のスペイン語です。)
「裸のマハ」(La Maja Desnuda、1797年-1800年)
(西洋美術で、初めて実在の女性の陰毛を描いた作品といわれている。そのため、当時のスペインでは
問題になった。この絵が誰の依頼によって描かれたかを明らかにするために、ゴヤは何度か裁判所に
呼ばれた。ゴヤは他人から依頼を受けて絵を描くことが多かったからである。しかし、結局、ゴヤが口を
割ることはなかった。)
「我が子を食らうサトゥルヌス」(黒い絵の代表作)
「着衣のマハ」と「裸のマハ」は東京に貸し出す予定でしたが、まだ、展示されていました。
他にもたくさんの絵画がありましたが、時間がないのでゆっくり見るわけにはいきません。
閉館後ですので、おばさんたちが清掃している姿がありました。
それから、おみやげ屋さんも開いていませんでした。
21:55出発
22:20ホテル着
マドリード泊
宿泊は、アウディトリウム・マドリッド(HOTEL AUDITORIUM MADRID)です。
2011年9月27日(火)の支出
サングリア 3 ユーロ
ミネラルウォーター(0.5L) 1
王宮 10
クッキー 5個 20.25
ぶどうジュース 3
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計 37.25