*** Bunge哲学辞典 ***

マリオ・ブーンゲ(2003)『哲学辞典 増補版』より10項目の日本語訳

                   小野山敬一 訳(before20070808〜20080419)


 以下の日本語訳は,システム主義的創発主義的唯物論という立場から書かれた,
  Bunge, M. 2003. Philosophical Dictionary. Enlarged Edition. 315pp.
  Prometheus Books, New York.
から,10項目を訳出したもので,原著者であるMario Bunge教授の許可(2007年4月22日付けのメール)によりウェッブに掲載する.なお,この本は,
  Bunge, M. 1999. Dictionary of Philosophy. 316pp. Prometheus Books, New York.
の第2版に当たる.
 この哲学辞典は,Bunge哲学の体系を,手っ取り早く垣間見るのに便利かもしれない.なお,自からの意識−脳システムで哲学辞典の内容を体系化すれば,きっと御利益があるでしょう.


<訳出10項目一覧>
  emergence 創発 (p.83)
  evolution 進化 (p.93)
  life 生命 (p.163)
  mechanism メカニズム,機械論 (p.175)
  natural kind 自然類 (p.191)
  object 対象 (p.199)
  species 種 (p.274)
  system システム (p.282)
  systemic approach システム的アプローチ (p.285)
  taxonomy 分類学 (p.289)


<凡例>
  ↑:その直後の語を『参照せよ』を指示する.
 【】:【 】に囲まれた文字が,ゴシック体であることを示す.
 _ _:_ _に挟まれた文字が,斜体であること(強調)を示す.
 「」:標徴〔sign〕,記号〔symbol〕,語,そして文であること(表記)を示す.原文では単一引用符(‘’)で括られている.
 『』:概念または命題であることを示す.原文では二重引用符(“”)で括られている.
 〔〕:訳者の注記であり,原語または代替訳を示すことが多い.*がある直前のものは訳の検討が必要であることを示す.



創発 emergence (p.83)
 a 【静態的概念】システムの一性質が創発的であるのは,そのシステムのどの構成要素によっても所有されないとき,そしてそのときに限る.例:平衡,シナジー,共時性,生きていること(諸細胞のひとつの創発的性質),知覚すること(神経細胞〔ニューロン:ルビ〕の一定のシステムの一つの創発的性質),社会構造(すべての社会システムの一性質).創発的性質は,(集塊のように)局所的〔local〕または(安定性のように)大域的〔global〕であり得る.形式的定義:Pは創発的性質である =df ヨxヨy (Px & y < ⇒ ¬Py).ここで,<は部分/全体関係を表わす.b 【動態的概念】すべてのシステムは,その構成要素の(自然なまたは人工的)集成によって形成されるという仮定によれば,創発は個体発生と↑【歴史】(とりわけ↑【進化】)の両方に典型的である.例:発話は子供において生涯の最初の年に創発し,それはおそらく,10万年前のHomo sapiens sapiens〔ヒト種ヒト亜種〕の誕生とともに創発した.創発という概念を,↑【付随性】という曖昧な〔fuzzy〕概念と混同すべきでない.また,全体論者がそれを大事にしているから,特に創発を分析不可能とみなしているからといって,捨ててしまうべきではない.システムについての科学的研究の主要点は,そのシステム的(つまり創発的)性質を,それの諸部分の相互作用か,あるいはその歴史によって説明しようと努めることである.創発は,↑【全体論】と↑【個体主義】の視界〔ken〕を越えるものである.↑【システム主義】だけがそれを正当に扱う.


進化 evolution (p.93)
 様々な種類の物の創発〔emergence〕と潜没〔submergence〕によって区切られた歴史.(よって進化という概念は,歴史という概念の特殊事例である.)例:化学元素と分子の進化;非生物的物質からの細胞の最初の自己集成〔self-assembly〕からはじまる生命の歴史;人類史.進化は,(個体の)発生や生活史と混同されてはならない.今日では,カトリック教会でさえ,生物学的進化が起きたことに異論を唱えない.カトリック教会が異論を唱えているのは,進化についての自然主義的(唯物論的)説明であり,とりわけ心的能力は,いかなる神の介入も無くして,解剖学的および心理学的特徴に沿って進化したという,科学的仮説である.↑【進化的心理学】.


生命 life (p.163)
 諸生命科学の中心的概念.生きものまたは有機体の本性〔=本質的性質〕に関して四つの主要な見解がある.つまり,生気論,機械論〔mechanism〕(または物理化学主義),マシン〔機械〕主義〔machinism〕,そして有機体論(または生物システム主義)である.↑【生気論】は,『生命』を,たとえば『生命衝動』といった,何らかの非物質的な存在者と目標へと努力する傾向なるものによって定義する.↑【機械論】は,『生きている』という述語は物理化学の用語によって定義可能であると主張する.つまり,有機体は大変複雑な物理化学的システムにすぎない.↑【マシン主義】は,有機体を機械に似たもの,つまり設計され,プログラムされ,そして目標指向的〔goal-directed〕なものとして考える.有機体論(または生物システム主義)は,生命を何らかの極度に複雑なシステムの創発的性質とみなす.このシステムの遠い先祖は,約40億年前には生命のない〔abiotic〕ものであった.生気論は,まったく信用されなくなった.不毛であり,非物質的なエンテレキーなるものは,観察と計算をしようにも不可能だからである.機械論はいまだに流布しており,分子生物学の誕生以来は特にそうであるが,生きものの特有性のいくつかを説明することには失敗している.とりわけ,それは,なぜ有機体における代謝過程が,概して,中性的または自己に仕えるのではなく,有機体に『仕える』のかを,説明しない.機械論はまた,自己洗浄と自己修復のメカニズムの創発も,説明しない.つまり,生きていない化学系は,ついには反応のいくつか,あるいはすべてさえも停止させるような,反応を抑制する化学物質を蓄積するかもしれない.機械論は,デカルトによって創始され,それ以来広まったが,今日ではコンピュータ科学の連中に人気がある.その連中は,生命プロセスの特定の特徴をコンピュータシミュレーションしたものを,↑【人工生命】と呼んでいる.皮肉にも,マシン主義は,設計と計算という概念に含まれる目的論を,生気論と共有している.生物システム主義だけが,化学的前躯体からの生命システムの自己集成についての分子生物学的説明と,遺伝子変化と自然淘汰による進化の理論を認めるだけでなく,生命を化学レベルに根をおろした一つの創発レベルとして認めもする.↑【創発】,↑【創発主義的唯物論】,↑【システム主義】.


メカニズム〔機構〕,機械論 mechanism (p.175)
 【a プロセス】複雑な物が働くようにするプロセスは何でも.例1:時計の機械的または電気力学的『働き』.例2:学習と創造の神経的メカニズムは,前には拘束されていない神経細胞のシステムから,新しいシステムが自己集成することだと考えられる.例3:社会生活において,協力は一つの調整〔協調coordination〕メカニズムである.例4:投票することは,参加 のメカニズムである.例5:道徳は,社会的な共存と制御のメカニズムである._メカニズム_的または_強い_↑【説明】は,システムにおける(諸)メカニズムを開示することを含む.これらは,説明的論証の前提に出てくる(諸)法則言明において表現される.【b 世界観】宇宙は時計のようなものだという世界観.したがって,宇宙論は力学〔mechanics〕(デカルトの思弁的な流体力学,あるいはニュートンのより現実的な粒子力学)に等しいであろう.機械論は,最初の科学的世界観であった.それは,今日の最も進歩した科学を普及させたし,可視的なすべての物の機械的性質を研究するように研究者を仕向けた.同じ理由によって,人々はかつて優勢であった全体論的で階層的な世界観から遠ざかるようになった.とりわけ,デカルトらは,動物の身体を,ポンプ(心臓)によって駆動される単なる込み入った機械とみなした.魂だけは容赦されたが,いつもそうであったわけではない.機械論には,世俗的なものと宗教的なものという,二つの見解がある._世俗的_機械論は,宇宙は自ら存在し,自ら制御するメカニズムであると,自ら巻直す一種の永遠の時計なのだと主張する.対照的に,_宗教的_機械論は,時計職人を仮定する.デカルトの宇宙時計は完璧であるが,神の創造にふさわしく,それは修理人を必要としなかった.物質を創造し,物質に力学法則を授けたので,デカルト流の神はもはや物理的宇宙にせっせと働く必要は無く,神の注意をすべて,霊的な物事に捧げることができたであろう.対照的に,ニュートン流の宇宙は,浪費的である.つまり,天体の機械の車輪の間には,摩擦がある.よって,神は天体機械が動くことを保つために,しょっちゅうそれを押していなければならない.17世紀の科学革命における発端から19世紀中期まで,世俗的機械論は,莫大な科学的および科学技術的な生産を刺激した.衰え始めたのは,場の物理学と熱力学〔thermodynamics〕の誕生,そして進化生物学の興隆に伴ってのことである.20世紀の初めまでに,それはまったく廃れた.現在われわれが理解しているのは,力学〔mechanics〕は,物理学の一つの章にすぎないということである.われわれはまた,相対論力学〔relativistic mechanics〕が電気力学〔electrodynamics〕を離れては意味をなさないこと,そして量子『力学〔mechanics〕』は全然機械的ではないことを理解している.というのは,量子『力学』は,明確な形状を持つ微粒子も精確な軌跡も記述しないからである.要するに,力学には栄光ある日があったのだ.4世紀前,それは物理的世界の科学的探求への道を示した.実際それは,実在の研究への正しいアプローチは,実験室または野外で試験〔テスト〕されることが可能な数式によって表現され得る諸法則にしたがって振る舞う基本的構成物へと,実在を分解するように努めることだと教えた.ゆえに,明示的ではないが,力学は合理主義と経験主義(↑【合理経験主義】)の総合である.そして,その成功と失敗は,世界観と科学が相互作用するかもしれないことを示している.↑【唯物論】,↑【最小主義〔minimalism〕】.


自然類 natural kind (p.191)
 恣意的からはほど遠い,一つの性質または一つの法則によって定義される収集体.例:すべての生きものは,生物体というクラス(自然類)を構成する;社会的関係によって結ばれる人々から成るすべての存在者は,社会システムというクラス(自然類)を構成する.唯名論者,規約主義者,そして主観主義者(とりわけ現象論者)は,自然類という観念そのものを拒否する.よって彼らは,周期律表,化学元素の変換〔transmutation〕,あるいは生物学的種形成を説明できない.


対象 object (p.199)
 考えられるもの,語られるもの,あるいは作用されるものであろうと,何であれ存在し得るもの.すべての哲学的概念のうちで,最も基本的,抽象的,そして一般的なもので,よって定義し得ない.すべての対象のクラスは,ゆえに最大の類である.対象は,個物または収集体であるか,具体的(物質的)または抽象的(観念的)であるか,自然的または人工的であり得る.たとえば,社会は具体的対象であるが,数は抽象的対象であり,細胞は自然的対象であるが,言葉は人工的対象である.Alexius Meinongと他の少数の者は,具体的と概念的な,可能的と不可能的な,すべての類の対象についての単一理論を建設しようとした.この企画は失敗した.なぜなら,具体的対象は概念的対象が持たない性質(たとえばエネルギー)を持つが,概念的対象は物質的対象が持ち得ない性質(たとえば論理的形式)を持つからである.よって,対象のクラスについての最も根本的な分割は,物質的(または具体的)クラスと概念的(または形式的)クラスへの分割である.


種 species (p.274)
 いくつかの基本的性質を共有する物の収集体〔集まり〕.例:化学的種と生物学的種.分類における最初の段階.より包含的な概念として,属,科,王国がある.属とその種の間の関係は,次の通り.一つの属はその種の和集合である.つまり,これらのどの一つもその属に包含される(⊆).そして,あらゆる個物は一つの種の属員〔成員〕である(∈).種は具体的個物であるという見解は,属員関係を部分−全体関係と間違えているために,この分析を無視している.↑【自然類】,↑【分類学】.


システム system (p.282)
 【a 概念】あらゆる部分または構成要素が,少なくとも他の一つの構成要素に関係している,複雑な対象.例:一つの原子は,陽子,中性子,そして電子から構成される,一つの物理的システムである;一つの細胞は,細胞小器官(それはまた分子から構成される)といった下位システムから構成される,生物的システムである;会社は,経営者,被雇用者〔従業員〕,そして人工物から構成される,社会的システムである;整数は,加法および乗法の関係と推論規則によってまとめられた命題のシステムである;妥当な論証は,含意関係と推論規則によってまとめられた命題のシステムである;言語は,結びつき,意味,そして文法によってまとめられた標徴(sign)のシステムである.基本的な【システムの種類】を,次のように区別してよい.つまり,具体的システムと概念的システムで,生物体と理論がそれぞれの実例である.さらに,具体的システムは,自然的,社会的,あるいは人工的(人によって作られた),と区別される.【b CESM分析】システムという概念の最も単純な分析は,構成,環境,構造,そしてメカニズムという諸概念と関与する._構成_は,その部分の収集体である._環境_は,そのシステムの構成要素に作用するか,あるいは作用される,諸物の収集体である._構造_は,そのシステムの構成要素間の諸関係(とりわけ結合bondまたは連結link),そしてまた構成要素と環境事項の間の諸関係の収集体である.前者は内部構造と,そして後者は外部構造と呼ばれる._総構造_は,ゆえにこれら二つの諸関係の集合である.システムの_境界_ を,システムがその環境事項と直接に連結している,システム構成要素の収集体として定義されるかもしれない.(二つの事項が直接に連結されるとは,それらが連結され,かつ,それらの間を介在するものが他に無いときである.)境界と形状の間の違いに注意されたい.形状を持つものは何でも境界を持つが,逆は偽である.実際,軽い原子〔*light atoms〕とか会社といった,境界を持つが,形状の無いものが存在する.原子の境界は,その外側の電子の収集体であり,商社の境界は,販売人,購買人,市場売買人,弁護士,そして宣伝代理人から構成される.最後に,一つのシステムのメカニズムは,システムを『作動(tick)』させる,すなわち,他の点では保存しつつ何らかの点で変化させる,内的プロセスによって構成される.明らかに,物質的システムだけが,メカニズムを持つ.これで,下位システムと上位システムという概念を定義できる.一つの対象が他の対象の_下位システム_であるのは,それ自身がシステムであり,かつ,その構成と構造が他の対象の構成と構造にそれぞれが含まれるが,その環境はより包含的なシステム〔=他の対象〕の環境を含むとき,そしてそのときに限る.例: 静力学は,〔動〕力学の下位システムである;染色体は,細胞の下位システムである;社会的ネットワークは,社会の下位システムである.明らかに,一つのシステムの_上位システム_であるという関係は,下位システムであることと対をなすものである.たとえば,われわれそれぞれは,器官のシステムであり,器官は今度は構成要素である細胞の上位システムである.宇宙は,最大の具体的システムである.つまり,すべての具体的システムの上位システムである.具体的システムのシステムの現実的モデルは,その主要な特徴を含むべきである.つまり,構成,環境,構造,そしてメカニズムである.言い換えれば,関心のあるシステムsを,任意の所与の時点で,順序4組としてモデル化すべきである.つまり,μ(s) = <C(s), E(s), S(s), M(s)>.時が過ぎゆくにつれて,四つのすべての構成要素のどれも,あるいはすべてが変化せざるを得ない.それほど明らかではないが,ミクロ物理学におけるものを除いて,あらゆるシステムの究極的構成要素を,知る必要は無いし,どのみち知ることはできないということは真実でもある.たいていの場合には,所与のレベルでのシステムの構成を確かめるか推測すれば十分であろう.(或るシステムsのレベルLでの構成という概念は,CL(s) = C(s) ∩L と定義される.)ゆえに,社会科学者は,作用者の細胞的構成に,興味は無い.さらに,むしろしばしば,分析の単位は,個体ではなく,世帯,会社,学校,教会,政党,省,あるいは国家全体といった,社会的システムである._世界システム_と幾人かの社会科学者が呼ぶものは,地球上でのすべての社会的システムの上位システムである.システムという概念についての上記の分析は,なぜ↑【システム的アプローチ】がそれに張り合うアプローチよりも好ましいかを明瞭に示している.どの競合するアプローチも,システムについての四つの区別的特徴の少なくとも一つを見逃しているのである.


システム的アプローチ systemic approach (p.285)
 【a 概念】あらゆる物は,↑【システム】であるか,システムの構成要素であるかのどちらかだという原理によって指導される↑【アプローチ】で,よって,あらゆる物は,その原理にしたがって研究され扱われなければならない.↑【個体主義】的(とりわけ↑【原子論】的)アプローチ,↑【分割主義】的〔sectoral〕アプローチ,および↑【全体論】的アプローチに反対する.【b 対抗者に対照して】対抗するすべてのアプローチのそれぞれは,システムの四つの区別的特徴の少なくとも一つ,つまり構成,構造,環境,またはメカニズムを見落としている.こうして↑【全体論】は,あらゆるシステムを一つの単位として掴み,システムをその構成,環境,そして構造へと分析することを拒否し,したがってそのメカニズムも見逃してしまう.↑【個体主義】は,構成要素のほかにシステムの存在そのものを認めることを拒否し,それゆえ構造とメカニズムを見落とす.↑【構造主義】は,構成,メカニズム,そして環境を無視し,それに加えて,諸関係を,諸関係の上または先に,関係項無しに前提とするという論理的虚偽を含んでいる.最後に,↑【外在主義〔外部主義*externalism〕】も,システムの内的構造とメカニズムを見逃し,したがって変化の内的源を見逃すこととなる.【c 利点】システム的アプローチを採用すると,理論的に都合が良い.なぜなら,あらゆる物は,一全体としての宇宙を除いて,他のいくつかの物と繋がっているからである.同じ理由によって,それは実践的にも好都合である.事実,自分が研究し,設計し,または操縦している,実在システムの特徴の大部分を見逃す専門家(科学者または科学技術者,政策立案者または経営者)によってこうむる手痛い間違いをしなくて済む.たとえば,国際通貨基金(IMF)によって考案される経済的回復または発展のための計画は,むしろしばしば失敗する.計画が↑【分割主義】的であり,システム的ではないからである.つまり,計画がその社会の発展の型と程度にかかわらず推奨する,再調整に伴う生物学的,文化的,政治的代価を無視するのである.


分類学 taxonomy (p.289)
 ↑【体系学】の方法論:↑【分類】,特に生物学における分類の原理の探求.これらは:(1) 当初の収集体〔collection集まり〕のあらゆる属員は何らかのクラスに割り当てられる;(2) 二つの型のクラスがある.つまり単純なクラス(種)と複成的〔composite〕クラス(たとえば属)である.後者は二つ以上の単純クラスの和集合である;(3) 各々の単純クラスは当初の集まりの属員のいくつかから構成される;(4) 各クラスはその属員が一つの述語か,述語の連言によって決定される集合である;(5) 各クラスは明確〔definite〕である.つまり境界線上の例は無い;(6) 二つのクラスはいかなるものも,互いに素であるか,あるいはどちらかが他方に含まれる.つまり,前者の場合は同一の階級〔ランク〕に属すると言われ,そうでなければ異なる階級に属すると言われる;(7) 二つの論理的関係だけが,分類に関与する.個物とクラスの間に保持される属員関係∈と,異なる階級のクラスを関係づける包含関係⊆である;(8) あらゆる複成的クラスは,直前の階級でのそれの下位クラスの和集合に等しい;(9) 所与の階級のすべての複成的クラスは,対ごとに互いに素である(共通部分が無い);(10) 所与の階級のあらゆる分割は網羅的である.つまり,所与の階級におけるすべての和集合は,当初の収集体に等しい.もし条件(9)が満たされないならば,本来の分類ではなく,↑【類型学】で満足しなければならない.↑【種】.


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This Japanese translation by Keiichi Onoyama of ten entries is broadcasted on 20-April-2008 under the permission of Dr Mario Bunge (through the e-mail of 22-April-2007).