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2008年10月25日
1999年9月に, Webster, G. & Goodwin, B. 1996. Form and Transformation: Generative and Relational Principles in Biology. xiv+287pp. Cambridge University Press, Cambridge. の Webster, G. 1996. Part I. The Problem of Form. pp.1-125. を読了した.むろんほとんど何も覚えていない.覚えているのは,本質的なことを言っていたなということだけ. 昨日,zip diskを発掘し,そこに保存されていた訳文ファィル(1999.8.29以前)を発見した.少し引用する.なお, 凡例1:「」は全文訳を,『』は要約的訳であることを示す.ただし,Webster, 1996: 32までは,小野山のメモが混在し,またメモとして訳文がとりこまれたりしている. 凡例2:「」は原文において," と ",あるいは,' と ',で囲まれた部分を示す;両者の区別はしなかった. 凡例3:<>は囲まれた部分が原文においてitalicであることを示す. 凡例4:……はそこに訳さなかった部分があることを示す. である.
「分類学的実践においては,タクソン名は類の名前として,考えられている」(Webster, 1996: 43).
『形や特定の編制の問題において,祖先を探して由来を物語ることは,逃げにすぎない.というのは,この祖先は,特定の諸々の形の世界にさらにもう一つの特定の経験的な形を追加するだけで,そういうものなので,特別の説明上の意義をもたない.結局,ある「祖先」が見つかっても,それ自身の経験上の編制は説明を必要としている.したがって,この特定のものは,その子孫でこの編制を分かち合う他の特定のものを説明する手段には役立たない.『起源』の初版で,ダーウィンは,特定の形あるいは編制の問題を扱う手段として,明らかに創造者に頼っている』(Webster, 1996: 65).
「種タクサの名称は生物学的言説の範囲では,科学的理論において実際に機能していないので,種タクサは理論的に意義がない,あるいは自然類ではない,またそのようにみなされている.」(Webster, 1996: 71).
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