* ママならぬ間々に/2009年09月/ *



*2009年09月28日*
* 本質主義 essentialismの定義 *

 本質主義は科学的営為の要である.
 本質主義とは,ものごとが生起する必要かつ十分条件を解明するという立場を
採用することである.したがって,科学に限らず,なんらかの物事について有効
な理解・説明・予測・制御をしたいときには,人は本質を見極めようとする.
 本質主義の対極(一つの軸の片方であって,排他的二元の片方ではない)は,
非本質主義であるが,たとえば本質主義に対抗する形態での歴史主義である.本
質,したがってメカニズムを見極めない歴史叙述は幻想を紡いでいるだけであっ
て,夢心地に浸る役にはたつが,それ以外の役には立たない(定義から明らか).
 物の本性(本質的性質)およびまたは本質的振る舞いを見極めよ.



*2009年09月27日*
* 現代アート/庭園での舞い *

 「10 Days in THE SHINSYOKAKU ー真正閣(真鍋庭園)で、現代アートにであ
うー」展の最終日.池がそばにある真正閣という建物内に,8人の作家が作品を
屋敷と離れ家(林檎をスライスして(写真印刷物のようだ)アクリル板で挟む吉
野隆幸作品)に合うような配置で展示.小さな疊をめくると見える床下に撒かれ
た粉末が風の変化で青白く光る(鈴木隆作品).にじり口から見ると,茶室に横
たわる妖しげな人形女(伽井丹彌作品).隅っこの光るガラス置き物(熊澤桂子
作品).床の間に現代的絵画(梅田正則作品).広い床の間?に並べられた写真
(戸張良彦作品).欄間を通り抜けて長〜いダイモテープが2つの間をつなぐ
(池田緑作品).米山将治による資料展示.
 BU-Uによる「かげろふ」.にわとり(鈴木隆作品)を各自8人が持って池付近
をあちこちへと散らばるゆるやかな登場.音楽に乗っての舞い.(すべて敬称略)



*2009年09月26日*
* 半月の夜のお寺でのコンサート *

 第19回実勝寺十五夜コンサート/芽室町実勝寺本堂/1200円(当日).演奏は
フルートが細川順三,そしてハープが井上久美子(敬称略).窓口で当日券を買
おうとしていると係の人が前売り券を1000円で売ってくれた.入場者は180名以
上(或る情報では200名くらいらしい)で満員御礼.
 フルートが黒いので,はて?と思っていると,説明があり,近年良くなった木
管とのことで,NHK交響楽団でも3人が木管フルートを使っているとのこと.
 耳新しかったのは3曲.福島和夫「冥」(フルート独奏)は,尺八的音色もあ
り,半音を連続的に下げたり.ベルナール・アンドレ「ナルテクス」は,頭部管
だけを使っての上昇音とか,ハープは胴の裏や表を叩いたり,調律用ねじ回しで
弾いたり,それを弦の根元に置いて指で弾いたり,と様々な奏法を使った曲.
ジャック・イベール「間奏曲」はスペイン風の曲.
 寺本堂は,側面がガラス戸のようになっており,音響は最適ではないが,いず
れの曲も良い音での素晴らしい演奏で楽しめた.関係各位に感謝.



*2009年09月24日*
* タウナギ/大阪破産 *

 毎日新聞26頁に,沖縄のタウナギが福岡,奈良,そして中国のタウナギとは異
なる固有種と判明したとの記事.塩基配列をもとにした計算では,沖縄のタウナ
ギは中国などのタウナギから分化したのは570〜870万年前だという.その論文が
発表されたオンラインジャーナルは,学会員外の者が無料でアクセスできるので
はないようだ.
 タウナギは韓国では食用で,日本にはもちこまれたとされてきた.京都の水田
で採取した数匹のタウナギを水槽で飼い,ほぼ毎日半年くらい?それらの配置関
係を図に記録したことがあるような記憶があるような遠い昔.

 吉富有治(2009.8)『大阪破産第2章 〜 貧困都市への転落』(光文社)を読
了.122頁に泉佐野市の50リットルゴミ袋が50円とある.高いと言っているが,
帯広市は10リットル当たりで30円と3倍! 大阪市は無料で,燃えると燃えない
の区別も無い.帯広市のゴミ袋は,おいそれとは破れないような強靱な袋で,生
産費用(したがってエネルギー)も結構かかるのではないか? 1袋あたりの二
酸化炭素排出量はいくらなのだろう? レジ袋廃止は心構えの普及には役立つだ
ろうが,実際にたとえば二酸化炭素排出量で評価した場合にどうなのだろうか.
 水道料金も帯広市は,大阪市のおよそ2倍.関東では大阪市よりも安い水道料
金の市がある.先見の明を持ってうまく運営したかどうかの差か.

 ベルギー幻想美術館/Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)/1300円.マグ
リットの「観光案内人」が少し面白い.デルヴォーの「ささやき」は絹布を一本
ずつ切ってビロード光沢を出し,方向によって光る部分が変わる.
 NADiff modernに立ちより,青柳いづみこ(2009.2)が『6本指のゴルトベル
ク』という本を出していたことを知った.やはり『図書』の連載を本にしたもの
だった.



*2009年09月24日*
* 面白い画材 *

 渋谷の画材店ウエマツ.新しい画材を開発している.店内の案内に,自由工房
という無料体験があると.聞けば,社長がやっていて今のように不在のことがあ
るので予約が必要とのこと.しかし画材を選んでいるうちに,(『美術の窓』の
9月号に出ていた)社長さんが戻ってきて,実習を受けることができた.
 リペルマチエ.反発力による絵具の拡がり.面白い模様ができる.感謝.

画像の名前







*2009年09月23日*
* 恒常的に真なり *

 明治神宮駅で下車.CAT通りの貸画廊 ARTなんとかを見学.某書店のコミック
のブースで開運おみくじを引く.おそらくすべて運勢は「凶」なのだろう.「一
度おもい定めたことはわきめもふらず一心になさい 何事も成功します」とい
う,反駁されることのない有難いお言葉.学問は「自己への甘えを断ち *子
〔登場人物だろう〕の努力を見習え」と.



*2009年09月23日*
* 松本陽子展/第64回行動展 *

 明日9月24日は新国立美術館で3つの展覧会を見る予定にしていた.新宿に向
かいながら,ひょっとしてと思って,新制作展のチラシを見ると案の定,9月24
日は祝日が続く翌日なので新国立美術館は休館.入館は午後5時30分まで.どう
する? 車中,iPhoneで乗り換え検索する.新宿で降りて,新宿西口駅へ.これ
が間違い.新宿西口とは新宿駅の西口と勘違い.新宿西口−東京都庁−新宿で,わ
ざわざ2駅遠くから乗ったのだった.しかも東京都庁では乗り換え.京王線では
明大前で乗り換えて渋谷で降りることを考えたが,結果としてはそうすべきだっ
たか.ときどき走る.
 5時20分に「光 松本陽子/野口里佳」展に入場.8分で巡る.松本陽子作品は
前に同じく新国立美術館で見たことがある.松本陽子(1982)は「絵具への感情
移入あるいは絵具の肉体化」という文を,『材料と表現 アクリル画…新しい画
材』(美術出版社)の80-87頁に書いている.
 午後5時30分(閉場まで30分),第64回行動展に入る.800円.張延汀「白と*
〔自分の字が判読できず〕とエネルギー・流II」(白い紙で球を作って配置),
辻本豊「丘陵」(ストローのように紙を巻いたものを垂直に詰めている),中村
喜吉「ビザンツの光」(上と左右から蓋するとちょうど閉じるようになってい
る)は面白かった.十勝からは(他にもあったかもしれないが),近藤みどり
「イデアの赤い紐」と梅津美香「真夜中の食卓」.どちらも構図が良い.
 2階へは中から上がれるのではなく,外に出なければならない.エスカレータ
を歩く.1階に戻るには,近くのエレベータか遠くのエスカレータを使うことに
なる.設計ミスだと思ってしまう.短時間に3つくらい梯子するのが不心得だろ
う(東京都美術館では4つ5つと梯子することもあった).
 持参していた新制作展のチラシには100円の割引券が付いており,新制作展の
半券を持っておれば行動展には400円で入れた(このような割引はよくあるこ
と).9月21日に行くべきだった.祝日は観客が多いだろうと思って,9月24日に
予定したのが敗着.



*2009年09月21日*
* 八重洲 *

 東京着が遅くなってしまったので,当初予定していた,どのように行けばよい
のかもわからない銀座画廊めぐりを断念.
 八重洲タワーの大丸を見物.鉄骨彫刻の展示があった.確かに作者の言う通
り,たとえば海岸にテナーサックスのジュズ奏者の鉄骨彫刻を置いて取った写真
は面白い.
 (機種乗り換えして感度が良くなったと思う)iPhone3GSの地図を見ながら,
東京駅から有楽町,そして銀座方面へと歩いた.



*2009年09月20日*
* 京都にて *

 昨日か今日行く予定だった,額縁なしでキャンバスそのままに(しわのある場
合もある)描いたという,アート・ビジョンVOL.8 小林正人展ーこの星の絵の具
/高梁市成羽美術館を断念.したがって岡山に近いので予定した広島現代美術館
も断念.
 橋本関雪展/大丸ミュージアムKYOTO.一つ目の金券ショップでは売り切れ.
二つ目では900円のところ,(招待券が)600円.入口近くの仙人と童子を描いた
屏風の桃が桃なりの形で奇妙に良かった.配置を示すために数を勘定したが,そ
のメモが行方不明.合計で数十個はあった.
 ヒルゲートなど寺町辺りの画廊は午後6時で閉廊らしい(展示替えで早かった
のかも).鳩居堂で筆を眺める.三条祇園画廊は開いていた.



*2009年09月18日*
* 予算削減下の美術館 *

 「なごや文化情報」No.306(2009年8月20日発行)の8頁の「メナード美術館がリ
ニューアルオープン」というT氏の文中に,「近年の不況に伴う予算の削減に
よって,予定されていた企画展が開催できなくなる公立美術館もあるなど,アー
トを取り巻く状況はいっそう厳しさを増している.その中で同館は,……所蔵企画
展に力を入れてきた……」とある.
 近年,自治体が借金財政だからか,公立美術館では美術品買い上げ予算がゼロ
というところもある.やはり,vision(未来像,人の構想力)と優先順位とやり
くり(management)の問題だろう.芸術でまちおこしするという方針を掲げる自
治体もある.
 大阪市のゴミ処理場の建物のデザイン料として,フンデルトヴァッサー
Friedensreich Hundertwasserに9000万円を払ったらしく,非難する市民もい
る.まだ現地見学していないが,生かすようにしたらよい.名刺のロゴマークの
デザインに1000万円を払った自治体もあるらしい.地元の芸術系学生対象に賞金
100万円程度のコンペをしたらよかったのではないか? 審査にも金をかけず,
市民や学生に投票してもらって決めるというのはどうなのだろう? 奈良の鹿角
(仏?)小僧はどうだったのだろうか.



*2009年09月18日*
* 愛知県美術館 *

 歩いて愛知県美術館へ.途中,松坂屋本店南館6階美術画廊を覗く.作陶は罅
の入り具合がやや面白し.美術売り場では「大河原愛作品展」.他の百貨店かで
見たことがある.少し興味深い.次いで,名古屋栄三越7階美術サロン.
 「放課後のはらっば 櫃田伸也とその教え子たち」展/愛知県美術館/800円.
登山博文「埃(ほこり)」が少しよかった.加藤美佳「カナリヤ」は東京都現代
美術館寄託とあるから,前にそこで見たのかもしれない.木村定三コレクション
のなかの香月泰男1962「海老」の特にヒゲが良い.
 前に来たときにも良いなと思ったのは,展示の絵画ごとのA5版1頁の解説紙が
置かれていること.名古屋市美術館では同様のものをB6版で作っている.
 テーマ展の濱田樹理「根源の在処」は,200×1120cmが直角になる2つの壁面を
使った「日本画」(岩絵具+膠+和紙)の大作.意欲的.きっと,大きさとたとえ
ば赤い色に圧倒されて生命のうねりを感じる人はいるだろう.しかしわたしに
は,それほど生命感は感じられない.感性の違いだろう.わたしは生命は形態と
は逆方向の抽象的なものと考えているので,花という具体的形態があることと,
原色の面積が大きいことがわたしの趣味と合わないのだろう.色面絵画ならばか
なりの絶対的な(人には相対的な)大きさが必要である.「根源の在処」の場合
はこれほどの大きさが必要だろうか.「長大な画面は全体を遠望するよりも,鑑
賞者が立ち位置と時間の推移の中で辿ることを重視して構成されているよう
だ」(深山孝彰「大いなる生命の流れの中で」in 「濱田樹理 ー根源の在
処ー」パンフレット)にしても.もしそうなら,花やうねりの要素をもっと小さ
く描いたらよいのではないか.
 見学する時間がなかったが,愛知芸術文化センターのアートライブラリーには
図書や楽譜があるようだ.案内パンフレットの写真からは,すっきりとしゃれて
いて広々としているようで,なかなか居心地がよさそう.
 JR高島屋.



*2009年09月18日*
* 三瀬夏之介個展「問月台」/日本の表現主義展 *

 0921 名古屋駅前のホテルを出発.0947 丸の内乗車.1004 八事下車.
 三瀬夏之介個展「問月台」/中京大学名古屋キャンパス4号館 C・スクエア/無料.
 額縁などはなく,壁に直接,透明ピンで止められている.確かに爆発的.「ハ
ヨピラ」は,あちこち飛行機が煙りを吐きながら墜落?途中だったり,やたらと
噴火して,はちゃめちゃ,大友克洋の漫画「AKIRA」を思いだすような画面.
「千歳」は下のほうがあちこち切り抜かれて穴空きになっている.その裏は感想
を書くための台になっている.そこから作品のほうを見ると,光が二重に裏側に
移り,それが面白かった.「笑月」はドロドロとオドロな印象.
 1102 八事乗車,1115 大須観音下車.大須観音に少し寄り道.
 躍動する魂のきらめき―日本の表現主義―展/名古屋市美術館.4枚の絵はがき
があったが,そのうちの2枚は東郷青児.モダンな感覚.抽象絵画の初期のもの
あり.村山槐多の作品が3つ.平井*某仙の掛け軸「雪山之月」が面白い構図.
 名品コレクション展II(前期).フリーダ・カーロの小さな油彩作品「小さな
仮面を被った少女」や星野真吾「喪中の作品」が展示.
 常設企画展は「放課後のはらっばー櫃田伸也とその教え子たちー」.図書室に
は岐阜で1988.1.5-2.11に行なわれた展覧会の図録「李禹煥展ー感性と論理の軌
跡ー」と画集「LEE UFAN」があった.評論は骨っぽい.読むべし.



*2009年09月17日*
* 「杉山留美子 光満ちる時」展/李禹煥/楢原武正 *

 北海道立近代美術館のこれくしょん・ぎゃらりー500円.1階は「Northern
Aspects #02 杉山留美子 光満ちる時」展.キャンバスにほぼ全面の赤.赤はじ
つに似合っている.あるいは青.あるいはまだらに多彩な色.3つの作品では直
角な配置する2つの壁面が使われている.しかしどちらかだけに題名などを記し
たものがあるので,たとえば20のパネルを隣接させた作品に題名表示は無く,な
んだろうと思う.12頁のパンフレットを参照して考えるとわかる.最後のほうの
壁面に約40×40cmの作品が1つだけあった.左隣の壁面とで合わせて1つの作品か
と思ったが,パンフからするとそうではない.入口受付の人に聞くと前日に作家
自身が置いたとのこと.ところで,パンフレット6頁の「From All Thoughts
Everywhere -B-」は「From All Thoughts Everywhere -B-2-」だろう.そうでな
ければ,展示のほうの説明が間違いか.
 2階の一原有徳の15分のモノタイプや金属凹版を作っているところの15分のビ
デオは参考になった.作品も面白い.A4一枚のワークシートの紹介はよくできて
いる.
 1400からの「ウォームアップ.ギャラリー ぎゅうぎゅうマジック」のガイド
ツアーに参加した.李禹煥の「線より #80057」(30本縦筋)がこの美術館に所
蔵されていたのだった.リトグラフがオリジナルの「点より,線より」8点も
あった.オプアートのヴァザルリやライリーなども.彫刻では手を消毒した後で
触ることができる.空き缶をつぶして層にして球に固めたのがあったが,後で
ワークシートを見て作者が楢原武正だったと知った.(広尾出身で,帯広市民
ギャラリーのオープン展示には2つの立体作品があった.)
 近代美術館近くのツタなどの緑に包まれたcafe ICHIDAでケーキセット.蜜蝋
蝋燭を買った(2度目).
 千歳空港からはじめての中部国際空港へ.飛行機は名古屋へと行き越して左U
旋回して海上に浮かぶように見える滑走路へと.



*2009年09月17日*
* 科学的色彩論 *

 南雲治嘉.2008.6.色の新しい捉え方:現場で「使える」色彩論.8+214pp.
光文社新書.
の42頁に,
 「体内から入ってきた電磁波は,大脳の視覚野ではじめて知覚されるのです.
ということは,色は目で見ているのではなく,脳で見ているということです.」
とある.「脳で」とは『脳を使って』という意味なのだろうか? では,何が脳
によって見ているのだろうか? あるいは,脳内に電気作用的に?構築された
像?を(だれが?)見ているのだろうか?



*2009年09月17日*
* 絵画三昧 *

 ギャラリーたぴお,は改装中.
 第37回美術文化北海道支部展/札幌時計台ギャラリー2階A室.「浮遊」が面
白い.
 鈴木悠高個展 -Evolution-vol.4/札幌時計台ギャラリー2階B室.すべて黄
色が主体の色面構成.入口すぐ左のが特に好ましい.近くでは灰色がかっただん
だらのようなところが遠くからでは緑がかって見える.ゆっくりと浸りたいの
で,椅子がほしい.数十層のグレーズ(グラッシ)をしているとのこと.鈴木さ
んは北海道抽象作家展同人で,隣から同じく同人の方を呼んでくれた.すると
「浮遊」を描いた三浦恭三さんだった.
 地下鉄入口で「さっぽろ派遣村」のビラを受け取る.相談のできるいくつかの
団体が紹介されている.「市営住宅に入ることができます」と市役所住宅管理課
からも.



*2009年09月15日*
* 美術作品解説/展覧会での催し *

 「第3回 国展 トークイン」のパンフレット兼申込書が手元にある.5月6日
(祝)の午後の2時間で,第83回国画展会場(国立新美術館)にて参加無料とあ
る.絵画−彫刻−写真のコースと絵画−版画−工芸のコースがあり,それぞれ定員
150名である.

  美術鑑賞の新たな体験
   皆さんと作家たちとでギャラリーを巡りながら
   対話や作品に降れるなどの体験を通した観賞会

という謳い文句である.
 talk-inは抗議討論集会,またはくだけた講義や会議とか(リーダーズ英和辞
典),トークインは形式ばらないくだけた討論会(デジタル大辞泉)という意味
のよし.
 第81回国展の,トークインとしては第1回目の記録が国画会サイトにpdfで掲載
されている.「30名の団体が12グループ有り、それぞれが同じ時間帯に順次6作
家の作品を前にトークし観賞していくという試みである」とあった.
 たしか今年の日展(国立新美術館)では,近くのレストランでの昼食を挿んで
の観賞会(料金は3000円だったかな?)とか,30分のミニ解説会(無料)があっ
た.工芸のミニ解説会に参加したが,会員先生の1時間を越えての解説であっ
た.工芸部門は良い抽象作品が多く,実に良かった.(その後の大阪市立美術館
での巡回展も見たが,このような催しはなかったのではないかと思う.)
 3作品に1つの割合で(したがって3交代でやる)作品制作者が自分の作品の
前に立って,それぞれ一斉に自分の作品解説を10分くらいして質問など10分で計
20分くらい行なうというのはどうだろうか.学会でのポスター発表形式のように
である.



*2009年09月15日*
* 生態学的メカニズム/種の共存メカニズム *

 Chesson, P. 2008. Quantifying and testing species coexistence
mechanisms. In Valladares, F., Camacho, A., Elosegui, A., Estrada, M.,
Gracia, C., Senar, J.C., & Gili, J.M., eds., (ed.), "Unity in Diversity:
Reflections on Ecology after the Legacy of Ramon Margalef ": pp.119-164.
のIntroductionの最後は,
 「メカニズムを定量化することによって,どのように様々なメカニズムが結び
あって,一つの総括的な共存促進効果を産み出すかもわれわれは理解する.こう
してわれわれは,メカニズムを個々にテストする一道筋を得るだけでなく,或る
所与のシステムにおける様々なメカニズムの相対的寄与を評定する可能性も得る.」
とある.もしそうなら画期的!



*2009年09月15日*
* 生物学的分類とシステム的種概念 *

 個々の対象は一つ以上の性質のものに(あくまでその性質に着目したという範
囲内で)交換可能である(いわばかけがえのある)とするのが,科学的営為であ
る.例:臓器移植.多数の性質を問題だとした場合は,各個体の多数の性質を観
測してものごとを考えることになる.錠剤の薬は携帯性などの点で便利である.
子供で体重の少ない場合は,有効成分が多過ぎるかもしれず,1/2錠がちょうど
良いかもしれない.人体の生理的状態はたとえば日周期的にも異なる(バイオリ
ズム)から,薬の体内入力をどの時点でどの量で行なうかで,一定の効果を得る
『ための』1日当たりの服用量が少なくて済み,それゆえ副作用が少なくできる
かもしれない.
 (脱線してしまった.)或る分類が,対象全体を分割している場合,これだけ
で対象の(なんらかの程度で)特定に役立つ.われわれは性質を観測して物(生
物体を含む)を同定する.どのように分割するか,さらに(排他的分類でなくと
も)分類は,目的に照らして役立てばよい.
 生物体(=有機体)を対象とする場合も,分類は任意である.いわゆる『系
統』で分類しても良い.しかし,システム的種概念からは,生物体を生成
generateまたは産出produceする(生物においては再産出reproduce〔生殖〕と表
現してもよい)システムを分類することとなる.このシステムは現在のところ不
可視なので,様々な現象から推定することになる.むろんたとえば力線を可視化
するような装置(直接でなくとも画像解析的に新しい方法を組み込んだ装置)を
開発することも肝要である.



*2009年09月15日*
* ケアンズ現象/システム主義の利点 *

 池田清彦.2008.7.遺伝子がわかる!.171+iiipp.筑摩書房.
を昨日読了した.
 ケアンズ現象については,「適応的な突然変異を選択的に起こすのではなく,
とにかく無闇に様々な突然変異を沢山起こすらしい」と述べ,そのうちで適応的
な突然変異が選択されて,結果的に環境に適応するので,獲得形質の遺伝とは言
えないが,問題を指摘する.「飢餓状態におかれた大腸菌が……高頻度の突然変異
を起こせるのであれば,飢餓状態〔を〕……脱出する装置をあらかじめ備えている
ことになり,偶然の突然変異と自然選択〔淘汰〕により進化するといった話では
なくなる」と言う.「ネオダーウィニズムは生物の主体性を認めない進化論だ」.
 そのあと細胞共生説とか遺伝的同化とか,つづく.まことにまっとうな議論展
開である.
 ものごとをシステムとして見るならば,DNAは不活性な物であり(Mahner &
Bunge 『生物哲学の基礎』),それゆえ記憶媒体として,つまりいわゆる情報な
るもの(『情報』は物の性質と物物間相互作用に還元できる)を生成するのでは
なく,物物間相互作用を引き起こしてメカニズムを具体的に作動させるために
(ここでの「ために」は,目的を含意しておらず,結果としてそうなるというこ
とを時間順序を逆転して表現するための便宜的なものである)システムが参照す
る(人々はこれを「複製」と称しているが,『自己複製』という概念は無意味な
概念である)物である.



*2009年09月14日*
* 政治経済社会的優先順位 *

 教育・学術・文化芸術や医療は無料にすべきだと思う.さて,博士の学位を
取って数年経っても就職できるとは限らない.今年4月の応用哲学会の懇親会で
若い人と話していて,基本的生活(衣食住)ができるくらいの金を全員に支給す
るしかないと言うと,そういう考えをベーシックインカムと言うと教えてくれた.
 その後梅田の書店でたまたま『ベーシックインカムの哲学』という背表紙の題
が目についた.最近,朝日新聞にベーシックインカム(基本収入)の解説が出て
いた.
 昨日,雨宮処凛ほか『脱「貧困」への政治』(岩波書店)を読んだ.政治学者
や経済学者はしっかり議論して総括してほしい.さて,この本でもソ連の崩壊を
社会主義の崩壊と解釈しているようだ.また,新自由主義の定義がなかったと思
う.議論は(一定程度の)定義からはじめるべし.



*2009年09月11日*
* 米国国債保有残高 *

 米国国債の保有残高(2009年?)は:
  中国 8110億ドル
  日本 6770億ドル(約62兆円.1ドル92円で計算)



*2009年09月09日*
* 自由度と主体的制御 *

 ものごとが或る法則によってどれくらい(種類と程度)決まるかは,その法則
(少なくとも表現としては構築体)に付与された自由度による.法則が対象とし
て張る次元のいくつかにおいてなんらかの制約条件が与えられた場合,それに見
合って自由度が減る.
 具体的(つまり物質的)モデルで考えてみよう.棒をたとえば中空に棒の先が
或る直径の円を描くように,棒を振り回すことができる人がいたとする.その棒
に鎖で同じ長さの棒をつけたとする.ぬんちゃくのようなものである.すると,
元の棒の先が小さく円を描くように,かつ同じ角速度で運動させれば,くっつけ
た棒の先は大きく円を描くだろう.やり方はひとつだけではない.元棒と付加棒
が一直線になるように,かつ付加棒の先が円を描くように制御することもできる.
 で,いくつかのものごとから成る或る因果系列において,それぞれに自由度が
あれば,最終結果としてはほぼ全領域の状態が生じ得るかもしれない.たとえば
生態遷移である.将来の結果がわからない場合,人間が力を加えて,望む最終結
果を得るということをすればよい.この場合,力(エネルギーの方向と量)を加
えてどの方向に行くかはわかっていなければならない.



*2009年09月08日*
* ストローソン Peter Frederick Strawson *

 Peter Frederick Strawson (ストローソン 1919-2006) の
Strawson, P.F. 1959 (1964). Individuals: An Essay in Descriptive
Metaphysics. 255pp. Routledge.
は,タクソン学的思考に参照すべきかも.たとえば,
6. Subject and predicate (2): logical subjects and particular objects
6.1. The introduction of particulars into propositions
6.2. The introduction of particulars into discourse
7. Language without particulars
8. Logical subjects and existence

最後のConclusionsには,
[Material bodies] appeared as the basic particulars from the point of
view of identification. ... The admission of ... [the category of
persons] as primitice and underived appeared as a necessary condition of
our membership of a non-solipsistic world. ...
とある.

ひょっとして,と検索すると,
*ストローソン,P.F. 1959 (中村秀吉訳,1978).個体と主語.308+4pp. みす
ず書房.
として訳書が出ていた.未入手.復刊要望の投票サイトには,訳に問題があると
受け取れるようなコメントがある.

ストローソン,P.F. 1971. 論理の基礎〔下〕:日常言語と形式論理学. 法律文化社.
ストローソン,P.F. 1971. 論理の基礎〔上〕:日常言語と形式論理学. 法律文化社.
は,『ならば』と「醜いアヒルの子の定理」関連で一部読んだ.他に,『 意味
の限界:「純粋理性批判」論考』という訳書がある.
坂本百大(編).1987.現代哲学基本論文集II.勁草書房.
には,ストローソン「指示について On referring」(203-251頁;藤村龍雄訳)
という論文が訳されている.



*2009年09月05日*
* agent(行為者? 作用者?) *

 agentとは何なのかが分からない.訳語は,行為者がよいのか? ひょいと見
ると,

O'Connor, T. (ed.) 1995. Agents, Causes, and Events: Essays on
Indeterminism and Free Will. x+274pp. Oxford University Press. [B961202]

という本があった.
 自由意志をめぐる13の論文が収められている.agentを表題のなかに含む論文は,

Chisholm, R.M. 1995. Agents, causes and events: the problem of free
will. pp.95-100.
O'Connor, T. 1995. Agent causation. pp.173-200.
Clarke, R. 1995. Toward a credible agent-causal account of free will.
pp.201-215.

がある.チザムには翻訳書がある.

チザム,R.M.1957.(中才敏郎・中谷隆雄・飯田賢一訳,1994)知覚:哲学的
研究.xiii+301+13pp.勁草書房.[B950329]

チザム,R.M.1976.(中堀誠二訳,1991)人と対象.vi+395+vipp.みすず書
房.[B950329]



*2009年09月05日*
* 著者の主張と文献引用の位置 *

 或る英文の最後に文献が引用されている場合,直前の語や句または主張の提唱
者として引用しているのか,文全体の主張者または著者の主張の根拠として文献
を引用しているのか,どちらもあり得る.日本語ではそのまま最後に引用文献を
置くと,前者であるのに後者の場合と取られるから間違いとなる.この場合は文
脈で判断することになるが,それでも判断がつかない場合は引用文献に当たらな
いといけない.
 "niche construction may provide a microevolutionary process capable of
eventually producing punctuated macroevolutionary trends in particulat
traits (Eldredge and Gould 1972)."
 「大進化では特定の形質において区切り〔平衡が区切られること〕が見られる
傾向(Eldredge and Gould 1972)があるが,ニッチ構築は,その傾向をついに
は生じ得るような小進化プロセスを提供するかもしれない.」(小野山試訳)
 ニッチ構築によって進化速度が加速され,急激に形質の変化が起こるという意
味だろう.
 区切り平衡説を唱えたEldredge and Gould 1972が引用されているのは
puntuated macroevolutionary trends in particulat traitsについてであろ
う.訳文(245頁)では,ニッチ構築がしかじかの小進化プロセスを提供するか
もしれないとEldredge and Gould 1972が主張をしたと誤解されかねない.
 Eldredge and Gould (1972)はニッチ構築よりも前の文献であるから,ニッチ
構築についての主張をするわけはないし,著者がその根拠として引用していて
も,それももちろん著者の解釈である.EldredgeまたはGould (1941-2002.5.20)
が判断した場合は,『ニッチ構築』の主張とは合わないと言うかもしれない.
 関連して言えば,『ニッチ構築』は,自分の主張に都合よく勝手な解釈をして
根拠としている印象がぬぐえない.それは,集団遺伝学理論もそうだが,それの
拡張版にくっつけた現象論的な理論だからであろう.メカニズムも力も明示され
ない.



*2009年09月04日*
* 『ニッチ構築:忘れられていた進化過程』訂正すべき箇所 *

 organismは多くは生物と訳され,ときに生物体と訳されている.organismはそ
の指示対象が明確である.生物は漠然とした言い方であり,英語のlife,
creature, living beingsの訳であり得る.概念と理論を議論する書であるか
ら,一貫して生物体と訳してほしかった.

● 171頁下から5行目
進化的に媒介される→[environmentally 原著 p.171]環境に媒介される

● 180頁下から3行目(誤植)
どの適度まで→[to what degree]どの程度まで

● 248頁5行目8.2式(誤植)
_D_→_d_

● 342頁 新しい用語解説(訳文脱落)
 生命の条件生物体がその場所の環境で機能する意味情報は
→それ〔意味論的情報〕は,局所環境における生物体の生活諸要求と生物体が機
能することに関係する



*2009年09月03日*
* ローン焦げ付き増加と金融不安 *

 新聞によれば,米連邦預金保険後者の判断では,預金保険に加入している8195
行のうち,財務などに弱さがある問題ある銀行は,3月末の305行から6月末の416
行へと4割近く増加し,2009年4-6月期の純損失全体は37億ドル.ローン焦げ付き
増が続いているためらしい.



*2009年09月02日*
* 調査推計力 *

 衆議院総選挙のテレビ各局の開票速報で他局を引き離して早々と残り議席を0
としたのは朝日系であった.そして議席数は実際にそうなった.途中経過での順
番も変わらない.或る時点での残席数とともに示せば(日テレ系は帯広では受信
できない.地上デジタルならできるようだが):
  朝日88−毎日133−読売149−フジ産経161
 当選確実を打つのは出口調査などにもとづいていると思うが,世論調査力と推
測力の違いだろう.
 学生時代に京都で世論調査のアルバイトをしたことがあった.抽出された人の
住所がなかなかわからなかったことがあった.なんと,(五重塔のある)東寺境
内のなかであった.おばあさんは,離れ的に立てられたプレハブに住んでい
た.80歳を越えているが,自分の歳もわからないと.



*2009年09月01日*
* ストリングラフィという楽器 *

 先日,きたくま文化蔵で入手したチラシに,ストリングラフィ アンサンブル
の演奏があり,(十勝)清水町の中学生芸術鑑賞事業が町民にも開放されると
あった.ネットで調べる1992年に発明された楽器で面白そうなので,出かけた.
 ストリングラフィは紙コップと絹糸で作った楽器.やにを塗った糸を擦ったり
(弦と同じ)弾いたり(ピチカート)して振動させ,紙コップがスピーカーと
なって大きい音が出る.清水文化センターの801人席のホールだが,大きすぎる
くらいに響く.不思議なことに,金管楽器のような音も出る.10種類の音が出る
という.紙コップは新しいものよりも7年ほど同じものを使ったほうが,良い音
がでると.
 どうやって音が出るかとかの解説もあり,生徒に体操もさせ舞台での演奏もさ
せの舞台運びである.色彩豊かな衣裳で踊りつつ演奏.舞台のほぼ全体に張られ
た紙コップ付きの糸.視覚的にも面白い.
 ソプラノ,アルト,ベースの3部の4人編成.アルトは二人が交替する.ソプ
ラノは2オクターヴくらいか.弦や金管のほかに,ピックを使って打楽器の音も
出せるし,アコーディオンのように聞こえる場合もある.ビブラートもかけられ
る.ギター演奏のときにときたま出るのと同じ甲高い音が聞えた.音質の好みに
ついては人によって違うだろう.とにかく不思議な音色.
 Morzartの小夜曲,オリジナルの(おそらく発明者の水嶋一江氏作曲)「森の
記憶」と「青磁」,「崖の上のポニョ」と「ゲゲゲの鬼太郎」,Brahms「ハンガ
リア狂詩曲」,Perfume「ワンルームディスコ」,パッヘルベル「カノン」な
ど,クラシックとポピュラーた取り混ぜた曲目.1時間10分少しほどで,14:52了.



*2009年09月01日*
* 笹紙があった! *

 竹紙は,水上勉『竹紙を漉く』の方法で作っているとろがある.京都市役所近
くの店ではそのような竹紙を売っているが,厚手で幅1mほどの大きいものだと雲
肌麻紙なみに高価である.北海道では豊富なクマイザサからできないものかと前
から思っていた.『和紙の手帖』からの引用のようだが,小川幸治(編著
2008.9)『日本画 画材と技法の秘伝集』の141頁に,
  笹紙 〔北海道〕幌加内町 チシコザサ溜め漉き
とあった.チシコザサは正しくはチシマザサ(根曲がり竹とも言われる)だろう.
 ほろかない振興公社で作っているようで,扱っている店のwebには「千島笹の
若い茎の繊維で作られます」とある.



*2009年09月01日*
* 全体のなかの位置としてのニッチ *

 ニッチ理論は競争をもとに組み立てられてきた.ここに問題があるかもしれない.
 上位全体を壊さないという制約(少なくとも結果としては)があるとしたら,
まずあらかじめ協調があり(たとえばそのときの共同体において存在した場合に
他を絶滅することはないように),後に競争が生じても或る範囲内でのことだと
想定できる.たとえばいわゆるニッチ・シフト(最近の議論はどうなっているの
だろう?).具体的には餌量の多い種の生物体を食うように振る舞いが変わる.
 すべての現象は動的である.平衡といっても時空スケールを定めなければ議論
が混迷する.