森下正明先生のこと
小野山敬一
Keiichi ONOYAMA: In memoriam Masaaki MORISITA
わたしがアリを手がけるようになったのは、当時博士課程におられた安部琢哉氏のもとで、卒業研究と
してクロナガアリの採食生態を調べたことにはじまる。そうして京都大学理学部の動物生態学教室に出入
りし、川那部浩哉助教授(当時)にくっついてタウナギの調査を見学したりしていたが、森下正明教授に
ついては名前も存じあげなかった。先生にはじめてお会いしたのは、1970年12月に行なわれた大学院入試
の口頭試問でのときである。後で聞いたところでは、先生は肺結核で療養しておられたとのことだった。
その後、修士課程と博士課程の5年間だけでなく、この世を旅立たれる直前まで指導していただくことに
なる。手前勝手な弟子(と名のる資格があるか怪しいが)だったと思うが、いつもやさしく教えていただ
いた。聞くところでは、以前は厳しい先生であったらしいが、想像がつかない。
アリの分類
先生は、動物生態学教室のゼミの部屋でアリ分類の講習をされた。受講者は浪貝茂和氏と田中将人氏と
小野山で、先生の所蔵標本を実体顕微鏡でのぞきながら行なわれた。講習日を取り扱った分類群名ととも
に示すと、1972年7月12日(subfamilies)、12月8日(Lasius)、12月12日(Ponerinae, Nothomymica)、
12月20日 (Cardiocondy1a, Crematogaster, Dacetini [現在はDacetonini [その後の現在はまたDacetiniになった]], Leptothorax) 、1973年3月14日
(Myrmica, Manica)、3月23日 (Aphaenogaster, Pheidole) 、3月30日 (Stenamma, Manica) 、4月11日
(Tetramorium)、そして6月15日(Formica)である。わたしは日本産アリ類の分類的知識をこの講習と
久保田政雄氏の個人的な教えによって得た。しかし、矢野宗幹氏や寺西暢氏の所蔵標本や文献はアリ研究
者に継がれなかったことや、タイプ標本を身近に見ることができなかったため、多くの種の正体が不明で
あった。国際生物学事業計画IBPともからんで、久保田氏のご努力によって少しずつ明らかになっていっ
たのがこの頃である。1974年に『京都府の野生生物』の一つとして「京都府のアリ類」を森下先生と共著
で書いた。わたしにとって最初の論文である。後にこの改訂版を書くことになり、1989年に数度やりとり
させていただいたが、わたしの怠慢で完成に至らなかった。次はやりとりの一節である。 『「京都のアリ」
の中にカドクシケアリの他にシガクシケアリも載せておいたらどうかという点ですが、何分50年も前の記
憶ですからたしかなつもりでも思いちがいがある可能性もありますのでとりあえずは記録のあるカドクシ
ケアリだけにしておきたいと思います。 (なおこのほか幻の種としては京大植物園の中で採集したLasius
bicornisに似た種とDolichoderusでsibiricusとは明らかにちがう種とがあります。どちらも標本が見当たり
ませんので [両方ともすぐ乾燥標本にしなかったので無数のガラス瓶の中に埋没しているかも?] 正式の
記録にすることができません。) 』(1989年7月24日受領のお手紙)
先生の先駆的仕事のひとつであるアリ類の垂直分布を示した図 (森下、1945) や森下 (1940) にある
Mymica scabrinodisとは何かを聞いたことがある。 『小生が古い論文などに書いたMyrmica scabrinodis
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 19の終わり]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 20の始まり]
(もともとvar. をつけていたはずだと思っていましたがいつの間にかvar. が脱落してしまったようです)
はマルカドと見て頂いてよいと思います (前の標本がないので直接照合ができませんが) 。もっともマル
カドの仲間は分けるといくつかに細分できそうなので問題になりますが、小生が前にマルカドと假称した
種はそのうちもっとも分布がひろいので本州から北海道まで分布範囲に入ります。』 (1979年11月13日
受領のお葉書) 分類との関わりについて、『小生は戦前のアリの分類学で採用されていた4名法 (
subsp., var. まで定めた) にさんざん悩まされ、遂に分類学は手におえないとあきらめた経験がありますが、
戦後漸くvar. が用いられなくなってやっと一息ついたところ、まだ日本のアリの種名にvar. が生きている
のに困惑しています (このことは和名一覧をつくる時に強くいうべき所だったのですが、「和名」の方に
ばかり注意を向けていたのでついそのまヽにしてしまいました)。』 (1989年6月23日受領のお手紙)と
述べられた。
しかし、京都大学におられたときも退官後も旅先でのちょっとの合間にもアリの採集をされていたし、
しぱしば顕微鏡を覗かれていた。少なくとも数冊はあるノオトにはアリの頭部正面図や胸部側面図がたく
さん描かれていた。先生は常に慎重で完璧を期す姿勢であった。そのような先生の珍しい間違いを見つけ
たことがある。1976年に出版された『動物の社会』の6ページに、アミメアリについて「オスもまた発見
されたことがない」と書かれていた。それで、Wheeler (1928) が奈良からの1匹にもとづいてオスの記載
をしていることを申し上げたことがある。
「和名一覧」と「検索と解説」
1988年に「和名一覧」が出版された。1985年からこの出版を含んだ企画についての議論が主に蟻類研
究会大会でなされていた。日本産アリ類のすべてに学名が与えられるのはきわめて先のことになる。どん
な種類がいるのか、とりあえず和名を固定的なものとして与えて整理していこうというのが企画の趣旨で
ある。わたしは、その頃の大会には参加できなかったが、基本的立場は、和名をつけるよりも学名を先に
決定すべきだというものだった (小野山、1987) 。安部琢哉氏の依頼で「沖縄のアリ相」 (Onoyama,
1976) を書いたのは、就職が決まって引っ越し準備などで急に忙しくなったときだった。このときも森下先
生に校閲をお願いした。最初の原稿では、すべての種に和名を併記し、多くに新しく和名を与えていた。
しかし、森下先生の意見を受け入れてすべて削ることにした。「和名一覧」出版計画に際して、先生は和
名を与えて企画をすすめる立場だったので、この件で責任を感じられたようである。「沖縄のアリ相」の
和名を与えた部分の[わたしの]原稿を蟻類研究会の大会で配られたと聞いた。それらの和名は「和名一覧」で一部復
活することになる。
1992年4月27日消印のお葉書ではお叱りをいただいた。 『四月二四日付のお手紙受領しました。「補追」
は昨年の編輯会議で決まったものとはじめてうかがいました。「補遺」なら補レ [カエシ点] 遺として
supplementの意味を示しますが補追は小生には何のことやら判りません。編輯会議を欠席した小生の責任
もありますが、馬鹿なことをきめたものです。今さら致し方がありませんが、感想だけを述べておきます。』
馬鹿なことといえば、大学院生のときにお忙しい先生の時間を奪うまいと大変遠慮してしまったことだっ
たと思う。それでも何度か、夜中に八路軍のいる方向に向かって銃を打ったとか、四国の旅行での話とか
をお聞きした。1匹のノコギリハリアリが地上を歩いていたという話もされたことがある。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 20の終わり]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 21の始まり]
生態学の定義
森下先生が退官された1976年3月にわたしも大学院課程を終えた。学問的な質問などをその後に手紙で
したのだが、先生は必ず丁寧に答えられた。次に掲げるのは1989年6月23日受領のお手紙の後半部分であ
る。
『6月6日付の「生態学の定義」について
基本にさかのぼって考えて行こうとされるのは、まことに結構なことと存じます。さて小生は大学へ入っ
てからアリを材料として生態学をやろうと志したのですが、この「生態学」とは、小生は「生活状態の学」
すなわち「生物の生活を研究する科学」としてうけとめてきました。もちろんHaeckel流の生物と環境との
関係を研究する科学という定義は知っていましたが、小生としてはむしろ生活の科学の方がずっとぴった
りするのではないかという感じを持っていました。これは一つには小生の「生態学」との最初の出会いが・
ファーブルの昆虫記であったことに関係があるかもしれません。
戦後九大や京大で動物生態学の講義をすることになりましたが、この講義でもそのはじめに生態学は生
物の生活の科学であるという定義を一貫して述べてきたつもりです。ただしこれを著述の中に書いたのは
1962年の「現代統計学大辞典」 (東洋経済新報社) の中の「動物統計生態学」 (森下生態学論集II. p.
423. たヾしこの論集では上記大辞典の発行年を1959年にしているが、これは誤まり) の冒頭の部分です
から、刊行物を規準としたpriorityからいえば、当然渋谷の「生態学の諸問題」の方が古く、したがって
「渋谷の定義」として用いて結構です。ところで生態学は生物集団の科学であるという定義の問題ですが、
小生は自然界の階層による定義は誤まりであるとまでは考えません。「生物学」や「動物学」、「細胞学」
などは明らかに自然の階層にもとづいて成立しています。たヾし生態学イコール生物集団の科学であると
するのは反対です。「生物集団の科学」 (もっと正確にいえば「生物の集団生活の科学」)は当然成立し
ますが、これはあくまで生態学の一分野であると考えます。個体群生態学や群集生態学(あるいは両者を
含めた生物集団生態学を考えてもよい)がこれに当たります。
それでは「生物」「生活」とは何かということになります。渋谷はエンゲルスの「生命とは蛋白体の存
在の仕方である」という定義にならい「生活とは生物の存在の仕方である」とし生物は「生命の具体的な
担い手である」としましたが、小生はエンゲルスの定義の重要性は認めますが、渋谷の定義は形はエンゲ
ルスのものに似ていてもあまり価値を認めません。
エンゲルスは「生命は肉体に対立する別個の存在である」と考えがちな一般的思想に対して、唯物論の
立場から「生命は物質である蛋白体の存在の仕方に名づけられたものに外ならない」ことを喝破し、物質
的基盤を離れた生命なるものは存在しないことを明らかに主張した点に最大の意義があると考えます。たヾ
し定義としてはこれだけでは不充分で「存在の仕方」とはどんな風な存在の仕方かを示さなければなりま
せんが、エンゲルスはこれに対して「この存在の仕方とは本質的には蛋白体の化学的成分が栄養摂取と排
泄によって不断に自己更新を行うことにある」と説明しています。一方、「生活とは生物の存在の仕方で
ある」という渋谷の定義ですが、こういうむつかしいいい廻しにわざわざかえた所で、かえって「生活」
をわからなくするだけだということは貴兄の御指摘のとおりだと思います。小生はむしろ「生活とは生物
の生き方である」 (人間の場合なら「暮し方である」)とするだけで充分だと思いますが、もう少し内容
的にいうなら「生物が個体維持および種族発展のために行っている営み」ということになるでしょう。
それでは「生物」とは何か、これを「生命の具体的な担い手」などというとそれこそ「生命」という
「もの」が存在するような錯覚を起こしかねません、単に「生きているもの」だけで充分ではないでしょ
うか。もし「生きている」とはどういうことかと聞かれたらエンゲルスにもどって「蛋白体が(あるいは
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 21の終わり]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 22の始まり]
これを主体にする個体)が物質代謝を通じて不断の自己更新を行っている状態」と答えればよいでしょう。
[中略]
実際のところ「生物とは何だ」と聞いて「蛋白体の存在の仕方の具体的な担い手のことだ」と答えられ
「あ、そうか、それでよく分かった」とすぐいえるのは小生などが到底及ばない頭のよい人にちがいあり
ません。書きかけては途中で何回もじゃまが入り結局大分おそくなりましたが、小生の考えを思いつくまヽ
に述べました。御参考にならないかと思いますが、まずはお答えまで。』
自然を測る
まず「自然を測る」こと、しかし「自然とは測っても測っても測り切れないものだ」 (小野、1995:35)、
だから、「定量的に測り得ないものも調べなければならない」 (川那部・巌、1979: 560)。このへんの
ことを「ものごとは全て測らなければならない。ただし、測れないものも測らなければならない(森下正
明翁)」と新聞のコラムに書こうとして、先生に尋ねたことがある。1992年1月13日受領のお手紙では、
『小生の「測らなければならない」というのをどういう風に表現したかときかれてももう古い話でおぼえ
がありません。たヾし恐らく内容的には「ものごとはすべて測らなければならない。できれば定量的に、
もし定量的に測れなけれぱ定性的に測らなければならない(調べなけれぱならない)」というごくすなお
な意味のものだったのでしょう。「ねぱならない」というよりはむしろ「その努力をしなけれぱならない」
という内容だったにちがいありません。』と返事をいただいた。先生がこの道に入られたのはファーブル
の昆虫記によると伺ったことがある。また、生活を記した見本はファーブルだとも伺った。先生の注意深
い観察と定量的測定結果はアリに関する初期の諸論文にも示されている。「自然をあるがままに捉え、そ
の上で自然を測り出す」 (小野、1997)を体現された人である。
森下先生の著作
アリに関する論文も含めて数多くの論文は『森下正明生態学論集』(全2巻、思索社)に収められてい
る。論集に収録されていない(できない)ものが1つある。1956年6月出版の『生命の科学4 生物の活
動』の執筆者の一人として、森下先生の名前が掲げられている。しかし執筆部分が記されていない。推測
するに「五 昆虫の社会」を執筆されたと思い、先生に問い合わせたことがある。1992年2月14日消印の
お葉書では、『お送り頂いたコピーを読んだ所では、どうも私の書いたものではないような気が致します。
ひょっとすると私の文をばらばらにして適当にあちこちへ入れたのかもしれませんが、記憶がありません。
実は数年前これの執筆の際の控えとおぼしき原稿を見つけたことがあり、これと対照すればわかりますが、
かんじんのその原稿は再び雑多な書類の中に埋没してしまい行方不明です。何かのついでに出てくるかも
しれませんが、それまでは疑問のまヽにしておく以外に手がありません。』
論集が刊行された1979年以降に発表されたアリに関連した論文は以下のとおりである。
森下正明 1984. アリ類分布から見た友ヶ島の位置. 関西自然保護機構編「友ヶ島学術調査」:
131-132. 和歌山市.
森下正明 1984. 友ケ島のアリ類目録. 関西自然保護機構編「友ヶ島学術調査」: 275-278. 和歌山市.
森下正明 1984. 白山のアリ. 石川県白山自然保護センター研究報告、11: 47-51.
森下正明 1985. Paratrechina flavipesとCardiocondyla emeryiの謎. 蟻、13: 5.
森下正明 1985. 学名未詳種の取扱いについて. 蟻、13: 5.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 22の終わり]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 23の始まり]
森下正明1986.日本のアリの分布帯. 蟻、14:4-5.
森下正明1987.日本産Odontomachusの謎. 蟻、15:4.
日本産のアギトアリに2型があることは誰も気がつかなかったことで、標本を調べてみると明らかに異
なる2種がいる。形態の細部を注意深く見る先生ならではのことである。
最後の手紙
日本産アリ類データベースの英訳が現在進行中であるが、アギトアリの解説文の英訳をR.W. Taylor博
士にみてもらったところ、「逃避に際して、後方に跳ねる習性がある」のところが二通りの意味にとれる
と返事があり、原文を書かれた森下先生に問い合わせた。その返事が、わたしにとって最後のお手紙となっ
た。全文を掲げる。
『 1997年1月12日
小野山様
新しい年を迎え益々お元気の事と存じます。お問い合わせ頂き乍ら小生昨年から体調悪化
のためダウンしていましたので、返事がおくれてすみませんでした。年が年ですからこれか
らも寝たりおきたりというところでしょう。
おたずねの件、小生が「逃避に際して後方に跳ねる習性がある」と書いた時の「跳ねる」
は必ずしも足で跳ねることを意味するものではなく、むしろmandibleを急激にとじることに
よって地面をたたいた反動で後方にとぶことを意味するもので、これは通常外敵からの逃避
の際の行動と思われます。先は取敢えずお答えまで
お身体をお大事に。
森下正明 』
先生はあの世でも深い洞察を加えつつ観察と実験を続けられておられるにちがいない。これからも、先
生から学んだことを生かしていきたいと思う。
引用文献
川那部浩哉・巌 俊一, 1979. 解題.「森下正明生態学論集第一巻」:555-560. 思索社
森下正明,1 940. 乗鞍岳の赤蟻ども.山小屋、(106): 53-59.
森下正明, 1945. 蟻類.古川晴男編「日本生物誌5、昆虫、下巻」: 1-56. 研究社
森下正明, 1976. 動物の社会. 2+190+17pp. 共立出版
小野勇一, 1995. 干潟のカニの自然誌. 271pp. 平凡社.
小野勇一, 1997. 森下正明名誉会員を悼む. 日本生態学会誌、47: 239.
Onoyama, K., 1976. A preliminary study on the ant fauna of Okinawa-Ken, with taxonomic notes (Japan;
Hymenoptera: Formicidae). In S. Ikehara,ed., "Ecological studies of nature conservation of the
Ryukyu Islands - (II)":121-141. University of the Ryukyus.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 23の終わり]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 24の始まり]
小野山敬一, 1987. 日本産蟻類の和名についての意見. 蟻、15:6-8.
Wheeler, W.M. 1928. Ants collected by Professor F. Silvestri in Japan and Korea. Boll. Lab. Zool. Gen.
Agrar. Portici, 21:96-125.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[p. 24の終わり]
出典: 小野山敬一 .1998 .森下正明先生のこと.蟻,(22): 19-24.