書評
Ahl & Allen著『階層理論:見方,語彙,および認識論』を読んで

[原著]Valerie Ahl & T. F. H. Allen 1996. Hierarchy Theory: a Vision, Vocabulary, and Epistemology. ix+206pp. Columbia University Press, New York.


         小野山敬一

 世界は(少なくともヒトの認識上)複雑である.われわれは対象世界を一挙に認識することはできない.そこで,取り出した対象を分割し(実際に対象を切断することもあるが,ここでは認識の問題だから本質的には分類という操作である.したがって認識の結果できたものとは構築物である),部分間の関係を調べ,全体を理解するというのが一つの手順となる.しかしそもそも,対象として取り出す時点で,対象としない残りの部分は捨象するという最初の分割をしている(観測者の主体的選択).一つの対象として認識されたものは,どのような妥当性があるのだろうか.それは,そもそもの大きな認識枠組みの問題である.その答えとして提示される代表が階層であろう.では,対象を階層的に捉えた理論とは何だろうか.
 階層理論は主に一般システム理論の文脈のもとに発展し(O'Neill et al. 1986: 75),複雑なシステム(Patee 1973),特に中規模数の単位(存在物)から成るシステム(Allen & Starr 1986)を解明するための道具である.階層理論について体系だって書かれた本は最近あまり見当たらないようだが,本書は階層理論についての入門的かつ体系的な本である.本書の目的は全体論的思考を読者に役立てるようにすることで,実在論と還元論に異議を唱えるような実例と思考実験を示して,全体論的理論の一つである階層理論を提供するものだとしている.
 出版された年に購入したまま積ん読状態だった本書を昨年全読したので,批判的ないしは問題提起的に紹介したい.各章の表題は次の通りである.
 第1章.われわれの時代の複雑性に立ち向かう.(p.1)
 第2章.実在論への挑戦としての分析のレベル.(p.29)
 第3章.観測における二元性(二重性)の重要性.(p.51)
 第4章.階層的レベルを秩序づける.(p.76)
 第5章.文脈を変えること:制約と入れ子性.(p.101)
 第6章.情報の濾過.(p.116)
 第7章.表面で全体を定義する.(p.139)
 第8章.複雑な構造の創造における進化と変革.(p.167)
 第9章.結論.(p.192)

  1.階層と階層理論
 まず階層とは何なのか.階層の違いは論理階型の違いだと著者はしている(p.23).動物−肉食動物−イヌ−スパイス(イヌの個体名)という階層的分類において,二者どうしはWhiteheadとRusselの言う論理階型が異なると言う.ロットヴァイル犬のスパイスは一般のイヌとは論理階型が異なっており,イヌは肉食動物とは論理階型が異なっているというわけである.同じ階層にある肉食動物と草食動物とは同じ論理階型のものであると言う(草食動物は生態学的分類の一つである.タクソン学的階層とごっちゃにしている).
 論理階型の現代的説明はベイトソンの『精神と自然』に見られると言う.それを見ると,メタ的に捉えたときのレベルの違いのことである.もともとは逆説(矛盾)を解消するための工夫であるが,われれの記述においても,たとえば安定だと述べても,それがどの論理階型に属するのかを明確にする必要がある(ベイトソン,1979: 82)というのは当然だが注意すべきことである.
 タクソンは集合としてとらえることもできるから,「集合」と「集合の集合」とは異なる,つまり論理階型が異なると言える.しかし,個々のイヌはタクソンではない.イヌというタクソンは構築物(カテゴリー)であるとしても,個々のイヌは構築物ではないだろう.この二つのあいだには大きな溝がある.少なくとも,論理階型の違いだけには解消できない.著者は論理的関係の種類を区別していない.この点を整理して階層を認識すべきだろう.
 階層理論とは,少数の要因を厳密に制御することで予測性を実現する(これは機械論的アプローチ)かわりに,観測者も含めて考えるものである(p.28).また,複雑系への機械論的な還元論的アプローチへの代替的アプローチである.「複雑系を適切に記述するためには,いくつかのレベルが同時に扱われる必要がある.レベルはそれぞれが働くスケールにしたがって秩序づけられるだろう.……複雑性は,様々なスケールで観測される構造とプロセスを伴っている」(p.30).階層理論は,スケール,編制レベル,観測レベル,説明レベル,そしてこれらのレベル間の関係という問題に関心を集中する(p.30).
 著者の言う階層理論の考え方によると,レベルや単位も観測者の基準とは独立に存在するような,システムを境界づけた外界自体の特徴ではない.レベルという概念は観測者の見方に相対的となる(p.33).
 観測を構造化するときに観測者の決定に重要な5つの連結点がある(p.35).つまり科学的研究のプロセスは,1)問題を提出する,2)存在物または単位を定義する,3)測定を選ぶ,4)現象に注目する,5)モデルを評価する.著者はこれら5つの各段階で観測対象と観測者の関わりを論じる.絵柄と地は,観測者が区分する(p.37).どの存在物が実在かあるいは本当かという論争は,誤りであることがわかる(p.37).このように,著者は実在論とは対極の構築主義の立場を取る(p.73).
 本書における基本的な観点は,観測されるもの(物質世界)と観測者の二元論である(p.51).観測者が基準を設定し,現象を認識し,存在物の境界を認識し,モデルを作る.科学者の役割は,モデルを作って観察者の決定とは独立に生じる動態を観測したものと観測者にとっての内的意味とを結ぶことである.しかし,「観測者と観測されるものの寄与を混同することなく,スケールと構造の間に連結を創り出すことは,階層理論の核心である」(p.67).
 存在物(存在)(entity)は二種類に区別される(p.71).観測が行なわれる前に仮定されるのが,定義的存在物で,観測者に依存し,スケールと速度(率)には依存しない.経験的存在物は観測によって発見されるもので,そのスケールと速度に依存する特性は観測者の制御外である(p.73).
 レベル設定あるいは上位と下位の分け方の一般的基準または手順は何だろうか.本書では,大きさと速度・率の違いを挙げている(p.91).しかし,これらの測定値をどう判断すればよいのだろうか.測定値は何らかの物(標本)についての値かそれから計算された値である.二つの値の差異を同じレベルに属する対象のものと判断するのか,異なる二つのレベルにそれぞれが属すると判断するのか.結局は,人の任意の判断となるのではないか.
 経験的(存在物の)階層のレベル間の関係としての2つのタイプがある.制約(拘束)を通じての制御と入れ子性あるいは包含性である(p.101).
 アメリカ合州国の法律の執行における階層は,個々の警官,州法廷,そして連邦法廷の3つのレベルがある(p.104).これは非入れ子状の階層の例である.警官と犯罪者との相互作用は頻繁である.連邦法廷は州法廷に文脈を与える.このように,非入れ子状の階層では,配列(秩序づけ)の一般原理は下位レベルに対する上位レベルの4つの特徴づけによって見ることができる(p.107).すなわち,上位レベルの存在物は下位レベルの存在物に対して,1)比較的低い頻度(振動数)で振舞い,2)より低い統合度で振舞い,3)文脈を提供し,したがって,4)制約する.他方,入れ子状の階層では,下位レベルの存在物が上位レベルの存在物によって包含されるという要件が加わる.そうすると,階層であればこれらの4つの条件があると予測できることになる.逆にこれらの4条件が観測されれば,その対象は階層であるかもしれない.
 階層構造と入れ子状構造が同一視される場合がよくあるが,本書では上記のように区別している.では,階層と入れ子状構造の関係は具体的にどうなのだろうか.軍隊の編成と指揮系統のランクを対応させて説明している(p.107).軍隊は入れ子状の階層である.軍隊はすべての階級の兵士から構成され,兵士すべてを含む(注:構成されることと含むこととは述べる立場が逆にあるだけで,二つの関係があるわけではない).軍隊全体は下位の単位よりも統合性が低い.軍隊の編成(部隊構成)は入れ子状だが,しかし命令のランク(階級のランク)は入れ子状ではない(たとえば将軍は軍曹を含んでいない).もちろんこの例は定義による階層であって,経験的な階層ではない.

 2.レベルの統合性とフィルター
 レベルに同一性と統合性を与えるのは物質と情報の流れであり,これらの流れのパターンによって,あるレベルは他のレベルから分離される(p.116).一つのレベルの存在物のあいだでは情報の自由な流れがあるが,レベル間での情報の流れには障害や遅延がある.階層のレベルを配列するための発見法は,経験的存在物の空間的および時間的な特徴的頻度によることである.もう一つはレベルを情報の流れの様々な速度の面から考えることである(p.116).そうして情報交換の速度を固定するフィルターを重要視している.
 階層モデルに関連するフィルターの三つの側面とは,1)信号を減じる手段としてのフィルター,2)信号を遅延させるものとしてのフィルター,3)信号を統合するあるいは平均するものとしてのフィルター,である(p.118).「個体から次の世代へと性的結合によって着実に流れていくような遺伝的素材のたまりとして種を考えてみよう.同種の属員(メンバー)が多少とも同じように見える理由は,種内で自由に繁殖が起きるからである.一方,異種の属員が異なって見えるのは遺伝的交換が抑制されているからである.」(p.118).そして,「より上位レベルの編制に関連したフィルターは,より下位レベルのものよりも,より長い期間にわたる,あるいはより広い空間的広がりにわたる情報を統合する」(p.137).また,「規則的構造と階層的秩序は,観測者と観測されるものとの間の接面でのエネルギー,物質,そして情報の流れの速度の違いから創発する」(p.137).量が質に転化するということなのか.
 キバナノクリンザクラとサクラソウは自由に交雑するが,この二種が一種に収斂しないのは,サクラソウは林地によく適応しておりほとんどそこでのみ生息しているのに対して,キバナノクリンザクラは牧草地に生息するからである.したがって,繁殖するとき,あるサクラソウはキバナノクリンザクラよりも他のサクラソウにはるかに接触しやすいし,キバナノクリンザクラでもそうである.雑種ができにくいのは,交雑能力がないのではなく,雑種が強くてよく育つようになるほどに十分な場所が,林地と畑地の間に中間的な生息場所がないからである.もし機能的に中間的な生息場所があれば,雑種は親種と同程度に活発に繁殖できるだろう.生息場所がないので,雑種は親種よりも繁殖成功が低く,平均的により少ない子孫しか残さない.したがって両種間よりも,各種内でより速く遺伝子の交換が行なわれる.雑種での成功率が低いことは,種間での遺伝情報の流れを低減することに役立っている(p.120).
 遺伝子流への雑種フィルターは種間の境界を維持する.種間での遺伝子交換はあるが,その場合でも遺伝子信号の通行を低減する雑種個体というフィルターを通らねばならない.その結果は,種間での潜在的な境界あるいは表面である(p.120).むろんこれは,現在のシステムの維持に役立つ仕組みである.種が成立する場面ではない.

 3.表面あるいは境界
 「引き続くフィルターが,引き続くレベルを定義するのとまったく同じように,階層構造を,とりわけ入れ子状階層を,より局所的な表面を内部に囲むような一組の表面として見ることが可能である.直前の章でフィルターの効果と特性として期待されたものの多くは,表面の効果として翻訳できる.それは偶然ではない.フィルターはふつうは表面として同認されるからである.表面はフィルターが働く場所である.表面は物質,エネルギー,あるいは情報の流れが遅くさせられるフィルターとして捉えることができる.これは表面の重要な特徴へと導く.つまり観測対象における明確な不連続性である.表面は物質,エネルギー,あるいは情報の流れをとりまく境界である」(p.139).時間における表面としてクレブス回路の例を挙げている.交換速度の差があり,回路の内部で速く,内部と外部を交叉する速度は低いというわけである.
 「触知しにくいが,しかしやはり明瞭な存在物は,重要な物質,エネルギー,あるいは情報の相対的な交換速度によって特徴づけられる表面によって境界づけられている.境界は空間的に触知できる境界として同定される必要はない.しかし,境界は,抽象的に結合した存在物の内側での交換速度が,抽象的存在物の周囲との交換速度に比較して異なっていることにもとづいてひたすら機能できる」(p.151).ポプラのクローンでの例(p.153) では,放射性物質を注入したら,速度の違いによってクローンの境界がわかるという.しかし区別されるのは,放射性物質が輸送される導管の部分とそれ以外の部分であろう.区分する基準によって境界は異なる.結局,形態的な凝集性だけが表面となるのではないか.抽象的なものはわれわれの思考のなかにあるだけで,それは定義しているのであって経験的に決められたものではない.
 レベルは表面そのものではなく,表面の諸性質を一般化したものであると言う.たとえば,ある特定の人間はレベル自身ではない.レベルは「人間」というレベルとか,「生物体」というレベルでありうる.数多くの生物体はそのレベルに属しているのである.集団によって共有されたレベルを規定する性質は,個々の例自身よりも一般的なものである.レベルは,そのレベルを占めるものとは論理階型が異なっている(p.153).
 論理階型とは対象を入れ子状にしたときのレベルであり,ある対象のレベル,そのメタ・レベル,そのメタ・レベルのメタ・レベルという対象の捉え方での関係づけが本質であろう.これは包含関係として表現してもよいだろう.しかしたとえば細胞小器官と細胞のように形態的に包含関係にあっても,それだけで直ちに二つの階層として認めてよいものだろうか.論理階型の違いあるいはメタの関係とするのは抽象的過ぎよう.もっと特定すれば,制御の関係が考えられる.
 階層構造は物質的階層が顕れたものではなく,観測過程の一部として現われるものだと著者はしきりと強調する.では,なぜこんなにしばしばわれわれは階層を経験するのであろうか(p.167).その答えとして,階層的ではない複雑な構造が世界にあっても,それを知る方法はないだろうというHerbert Simonの言を引いている.そして出てくるのがSimonの有名な二人の時計職人の話である.千個の部品から成る時計がある.一人の職人は,十個を一組とし,さらにその十組を一つの単位として(これで百個)十組にしてというように階層的に組み立てる.もう一人は一続きに(非階層的に)組み立てる.後者は電話による邪魔(一般的に言えば外乱)が入ればその都度最初から組み立て直さなければならない.外乱があればあるほど一定時間後に組み上がっている時計の数は,前者の方が多い.これは当然である.しかし,非階層的に組み立てても途中から続けられるのなら同じであるから,問題はその違いの原因である.つまり,組(単位)にすればそれとして安定となっている原因(とそもそも組にしたことの契機)である.一方は組み立て途中のものなら崩壊するとされているのである.すると,問題は,構造あるいは機能を安定化しているメカニズムあるいは結合力または統合力の同定あるいは説明の仕方である.

 4.メカニズムと目的
 生物学的現象を説明する場合,メカニズム的説明と目的的説明がよく問題になる.著者は「物質的システムが作動していることにおいて目的と価値を探す必要はない.見かけの目的性は,観測者が一定の構造と出来事を後知恵によって意義あるものと認識することから来る」(p.190)とし,メカニズムは目的的であると仮定する必要はなく,事後にわかる目的と出来事の法則的な動態を区別して二元的で相補的な説明をするのがジレンマの解決だとする.たとえば,「生物進化において,矛盾は「適応」のようなわざとあいまいにした言葉で隠されている.適応は,システムを前進させる法則的プロセスと,事実の後で意義と目的を認識する観測者にもとづく規則とを混同させる」というわけである.
 二つ以上の編制レベルを扱うときは,二元的で相補的な,そして一見矛盾したモデルを使わざるをえないと言うのだが,それは二つの側面の説明であって,全体のシステムとしての説明をすべきではないか.また説得力がない.事後にわかる目的とは一体(存在論的に)何なのだろうか.「一つのモデルは盲目的に起きることを説明し,他方は知覚する者によって認識される機能によって解釈される」(p.190)と言われれば主観面は実在ではないから切り捨てましょうとする立場があるだろう.

 5.説明と予測
 Simonの近分解可能性(near-decomposability)という考えが紹介されている.還元主義者の分解可能性とは上位レベルが機能するためには,下位レベルの存在物間に交換があるはずだということである.しかし,「世界は完全には下位レベルの存在へと分解できない.分解可能に近いだけである.そうでなければ上位レベルの存在物は凝集性(coherence)をもつことができないだろう」(p.193).数日後の気象の予報が当たるのは,大気の近分解可能性だというわけである(p.194).
 「諸制約が不安定なシステムでは,予測可能性を回復するための解決は問いを変えることしかない」(p.195).その通りである.しかし,制御して関わる者の立場からすれば,因果系列での結果カテゴリーの範囲(自由度)を見積もった上で,不確実なところは目的にかなうように,あるいは予測される外乱が起こっても,めざす結果が得られるように,条件を操作すればよいのである.

 6.終わりに
 本書は認識論を一つの主題としており,素朴実在論と構築主義を対比させて論じている.論点の一つは対象と観測者の問題であるが,観測とは両者の相互作用の一つであることは自明である.それゆえに見えなかったとも言えるのが,生態学ではスケールの問題である(たとえばAllen & Starr 1982, Allen & Hoekstra 1992;今西 1949は先駆的に「記述における縮尺度」としてその一部を取り上げていた).強調されるべきは確かに問題設定や観測の精度などであり,これらのことが本書では文学的なやり口ではあるがうまく説明されている.何が実在的かは研究者の感覚の問題であろう.どの程度に実在的に感じるかはハッキング(1983)の言うように,対象の操作可能性(したがって制御可能性とその基礎としての予測可能性)の程度によるところが大きいと思う.数だけから成る世界で数を操作している者にとっては数は実在(的)であるに違いない.
 本書の出発点,つまり階層の定義がはっきりしないが,レベルの違いとは論理階型の違いとするのは定義になっていない.自然においてレベルを設定するには,スケール上での離散性としているようだ.一方では制御や文脈の話が出てくる.レベル間の関係をもっと整理する必要がある.なお,創発(質的新奇性の出現)をレベル設定に用いるやり方がある(Bunge 1969)が,本書(p.146)の創発的特性の項ではおざなりにしか扱われておらず,残念である.(ついでながら,岩下(1999: 17)によれば,創発とは創造発生の略記であるらしい.)
 階層理論という言葉はPattee (1973) 以来であろう.結局,階層理論はその初期から発展したのであろうか? 様々な分野で具体的な展開はあったし,本書で述べられたような理論的整備はあったようだが,基礎理論的な発展はあまり変わっていないのだろうか.
 さて,全体の論理や手順などが論理的に説明され,図式的に示されていればわかりやすかっただろう.写真よりも,そのような図を載せるべきだったと思う.入門書であるという性格からか,引用に際して著者名だけで出版年が記されておらず,同一著者に二つ以上の論文があればどれかが特定できない.
 本書は階層理論の全体像を描いている点で評価できる.構築主義の立場と結びつけている点でも参考になる.ページ数が多くないことも利点である.階層や階層理論あるいは科学論に興味ある人には,お薦めである.


   引用文献
Allen, T. F. H. & Starr, T. B. 1982. Hierarchy: Perspectives for Ecological Complexity. xvi+310pp. University of Chicago Press, Chicago.
Allen, T. F. H. & Hoekstra, T. W. 1992. Towards a Unified Ecology. xiv+384pp. Columbia University Press, New York.
ベイトソン,G. 1979.(佐藤良明訳,1982) 『精神と自然−生きた世界の認識論』.+327pp. 思索社.
Bunge, M. 1969. In Hierarchical structures (Whyte, L. L., Wilson, A. G. & Wilson, D. eds.) , p.17-28. American Elsevier Publishing, New York.
ハッキング,I. 1983.(渡辺 博訳,1986)『表現と介入:ボルヘス的幻想と新ベーコン主義』.486pp. 産業図書.
今西錦司.1949(1971).『生物社会の論理』.398pp+xvi. 思索社.
岩下豊彦.1999.『心理学』.viii+1022pp.金子書房.
O'Neill, R. V., DeAngelis, D.L., Waide, J.B. & Allen, T.F.H. 1986. A Hierarchical Concept of Ecosystems. xii+253pp. Princeton University Press, Princeton.
Pattee, H. H. (ed.) 1973. Hierarchy Theory: the Challenge of Complex Systems. xv+156pp. George Braziller, New York.
*Simon, H.A. 1962. Proc. Amer. Phil. Soc. 106: 467-482.[サイモン,H.A. 1996.(稲葉元吉・吉原英樹訳,1999)『システムの科学 第3版』.xvii+331pp. パーソナルメディア. 第8章にあたる]
Simon, H.A. 1973. In Hierarchy Theory: the Challenge of Complex Systems (Pattee, H.H. ed. ), p. 3-27. George Braziller, New York.


出典: 小野山敬一.2006.Ahl & Allen著『階層理論:見方,語彙,および認識論』を読んで.生物科学,57(4): 243-248.