書   評

 アーサー・ケストラー著.石田敏子訳,1975.サンバガエルの謎――異端の生物学者カンメラーの悲劇.B6版,14+237pp., サイマル出版会.950円.Arthur KOESTLER,1971.The Case of the Midwife Toad.
 本書は,科学的専門書ではない.オーストリアの生物学者カンメラーの生涯を,獲得形質遺伝を証明したという一連の実験を中心に紹介したものである.ネオ・ダーウィニズム系の著書では,カンメラーの実験は信頼性がなく,カンメラーの人格性にも問題があるというような記述になっている(例えぱ,駒井,1963:36.).このような見方に対して,著者は,新たに集積した資料や当時行われた論争に関する文献の吟味に基づいて,カンメラーと彼の実験の復権と追試を訴えている.記述は努めて客観的で説得力がある.
 自殺の前後,ラマルク説とダーウィン説,カンメラーの実験,その批判,カンメラーの英国と米国での講演と社会背景,サンバガエルの婚姻瘤の標本の真偽,自殺の動機,といった内容を,カンメラーが生きたオーストリアの社会,家族,学界の動向とともに,多数の人物を登場させながらつぶさに述べていて,興昧深く読める.記述の密度は適切(つまり,具体的,詳細,簡潔)で,訳文は読みやすい(原書未見).
 「獲得形質の遺伝によって生物進化が説明できるとまじめに信じている者が今でも多いのは驚くべきことである」(木村,1979)と言うような人々には,本書は是非読まれるべきであろう.生命の起原以来,全生物の歴史は適応によって貫ぬかれている(オパーリン,1960).適応とは何かということは非常に難しいが,この語によって指される現象や過程が生物進化上で起こったことは,ほぼ確かである.獲得形質遺伝説はセントラルドグマによって全く否定されるという主張がある.しかし,生物は階層内や階層間で相互に影響しあっていることは自明という立場からすれば,この主張は偏狭に過ぎる.DNA→RNA→タンパク質という流れは,遺伝子暗号の翻訳(「遺伝子」発現の一部)の過程では一つの主要な経路であるが,生物一般にみられるフィードバック的経路もあるはずで,タンパク質からの逆方向の経路や,更にこのような現象の起こっている場も考えに入れなければなるまい.CRICKのセントラルドグマのモデルは.一つの研究方向を定め,実際,幾多の成果をもたらしたが,すでにその役割は済んだようである.COMMONER(1968など)は,セントラルドグマに反対するモデルを提出している.また,最近,遺伝暗号が全生物で同じだという信仰が打ち破られた(HALL,1979の紹介を見よ)ことも,翻訳の過程でのDNAの絶対的優位を揺るがしたことと,tRNAやその他の物質,更には場(環境)の重視につながる可能性を持っていて,興昧深い.
 さて,カンメラーの一連の実験が正しいとしても,これらが獲得形質遺伝の証明となるかどうかは,解釈の問題が残る.まず,獲得形質遺伝の定義がどうもあいまいである.どんな実験や観察で根拠立てされるのか,反証されるのか[注1].
 爬虫類や両生類はかなりの変異能力を持つ.同じ遺伝物質を持つ卵でも環境(内的・外的)が違えば,その発現状態は違うと想定される.このとき,カンメラーの実験はどうとらえられるか.サンバガエルやサンショウウオについての実験結果は,発現能力が親から子への数代にわたって徐々にある方向へ変化していった,といえよう.以前と違った環境への適応が開始されて,多数飼育されたうちのほんの少数が代を重ね得たというのは,環境という手段による発現能力に対する人為選択ではないか.こう考えていくと,幾多の獲得形質遺伝の実験に対する,自然選択説の立場からの批判と同様の考えに至る.これらの実験はむしろ,選択説の証拠になる,と.あるいはまた,平行感応だと.しかし,どんな獲得形質遺伝の実験も,結果が疑えないときは,選択説により説明されるのなら,そのような選択説とは何なのか? 逆に考えれば,自然選択説はラマルク説に包含されるのではないか? 言い過ぎだが,こう発想するのもあながち無駄ではあるまい.少くとも,消極的解釈を供するに終始して学説の温存を図るという態度はよろしくない.問題の一つは,子はその親の到達した形質から出発して更に一定方向へ変化しえたのはいかにしてか,である.そこには,「遺伝」の概念を再吟味する必要があるようだ.
 個体変異(種内および種間の)の問題は,すぐれて生態学的問題である(中心的には遺伝学的問題であろうが).変異というものが個体発生を通じて発現してくることを,徳田(1951)は強調した.おそらく,徳田(l951:148)が述べたように,「成体の得た獲得形質が遺伝的なものとはなり難い」し,生物の初期発生の時期に外界から受ける作用の効果は著しい.カンメラーの原論文は未見だが,おそらくこのような観点からの吟昧や問題発見に役立つだろう.また,『島の種の変態とその原因――一ダルマチア諾島のトカゲ類の比較実験的研究による確認』も,環境と変異を実験的に取り扱っているようで,是非現在的な検討がなされるべきである.発生学研究者の,これらに対すろ今日的理解はどうなのか,をききたい.
 「エピローグ――それでも進化する」で,著者は,ダーウィン学説に対する修正や批判や不信がずっと続いてきており,異説があることを述べる.セントラルドグマに対する批判にもふれて,ついに,「進化は偶発的突然変異プラス淘汰「以外の何物でもない」とする新ダーウィン学者たちの全体主義的主張は,とうとう切り崩された」と書く.ダーウィンの進化説についてSCRIVEN(1959)が多少分析した如く,学説の発展消滅の歴史には,学説自体の妥当性の他にもいろいろな要因が働く.著者は,新ダーウィン理論に対するベルタランフィの言を引く:「非常にあいまいでほとんど証明もできず,“厳しい”科学に通常適用される基準からもはるかにかけ離れている理論が定説になった事実は,社会学的にのみしか説明のしようがない」.
 自然突然変異と自然選択による進化は,かつてあったかもしれないし,これからもありうるかもしれない.しかし,前進的進化という進化の大筋がそれで説明できるのかどうか――これが重要な問題である.生物の保存性と変異性という二傾向をとらえるとき,進化機構の解明には,変異性がまず考えられねばならない.ある種から違う種ができたとすれば,種内変異の限界を越える現象・過程が,いかに環境との関係でありえたのか.カンメラーはこの問題に肉迫したようにみえる.どこまで接近しえたか,はカンメラーの原著を読まざるを得ないようである.
 この書評は,一面では,「種の生態学」の基礎づけのための接近である.

      文   献
COMMONER, B. 1968. Failure of the Watson-Crick theory as a chemical explanation of inheritance. Nature, 220: 334-340.
HALL, B. D. l979. Mitochondria spring surprises. Nature, 282: 129-130.
木村資生.1979.分子進化中立説.自然,(l979/12): 62-72.
駒井 卓.1963.遺伝学に基づく生物の進化.12+526pp.培風館,東京.
オパーリン,A. I.1960.(石本真訳,1962).生命――その本質,起原,発展――.4+221pp.岩波書店,東京.
SCRIVEN, V. 1959. Explanation and prediction in evolutionary theory. Science, 130: 477-482.
徳田御稔.1951.進化論.7+292pp.岩波書店,東京.


*******
[注1.1995.7.6.]歴史的なそして議論上の意味は大いにあるが,現在ではPopperの反証および反証可能性の概念そのものは無意味だと考えている.


小野山敬一.1980.書評:アーサー・ケストラー著.石田敏子訳,1975.サンパガエルの謎――異端の生物学者カンメラーの悲劇.日本生態学会誌,44: 280-281.
Copyright by The Ecological Society of Japan. 無断転載禁止.
日本生態学会の1997年1月14日付け転載許可のもとに掲載.
Broadcasted with the 14-i-1997 permission of The Ecological Society of Japan.