エゾナキウサギ保護の現状と問題

                        小野山敬一


エゾナキウサギって?

 山岳地の岩場をすばやく走り回る。あるいは岩の上でじっとしている。ネズミに似ていて耳が丸くて短いが,尾は見えない。このような動物であればまずエゾナキウサギである(写真-1)。成体は体長十数cm,体重150g前後,体色は赤褐色,灰褐色あるいは暗灰色。ウサギの仲間なので上あごの切歯(門歯)が2対(ネズミでは1対)あり,前後に並ぶ。脚は短く,前肢は5指で後肢は4指。前肢でものをつかむことはない。

 ウサギ類(ウサギ目)はウサギ科とナキウサギ科に分けられる。ナキウサギ科は現生ではナキウサギ属だけが知られ,世界に約20種が分布している。2種が北アメリカに,他はアジア,特にヒマラヤ周辺に多くの種が分布する。最も広い地理的分布を示すのがウラル山脈から東の地域を大きく占めるキタナキウサギで,エゾナキウサギはその1亜種である。サハリンには別の亜種がいる。北海道とサハリンのナキウサギは島に生息するという点でナキウサギ属のなかで特異的である。また北海道のものは北朝鮮のものとともにキタナキウサギの分布の南限に位置している(川道,1994)。


生息地

 1928年10月,置戸町で山火事の跡地に植林されたカラマツ幼樹を加害する害獣が捕獲された。これによってはじめて北海道にナキウサギが生息していることが確認された。現在知られている生息地は,北見山地,大雪山系,夕張山地,そして日高山脈であり,北海道の中央部に限られている。標高では50から2230mにわたるが,主に600m以上の山地に分布し,特に1500から1900mに多い(小野山・宮崎,1991;図−1)。 さらに詳しく生息地を見ると,隙間のある岩塊地に限られている(写真−2)。すなわち積み重なった岩々(礫)がそのまま露出した露岩帯(ガレ場)か,その上に森林が成立したところである。ガレ場を単位として数えると生息箇所数は570になるが,調査が進めばさらに増えるだろう。生息地の地質は,火山岩,深成岩あるいは変成岩がほとんどで,岩塊地を生じうるものとなっている。このような場所にしかいない理由として,岩塊地は生理的に高温に弱いナキウサギに低温環境を提供することと,あちこちにすぐ逃げ込むことができる穴があるので捕食者から避難しやすいことが考えられる。

 氷河が発達した最終氷期の約7〜1万年前には,海面が下がって宗谷海峡は陸続きになってい(今より50m下がると陸続きになる;小野・五十嵐,1991)。その間にナキウサギはサハリンを経由してシベリア大陸から渡ってきたと考えられている。その後,氷期が終わって暖かくなると,ナキウサギは山岳地帯へと後退した。このため氷期遺存種といわれる。氷河期が終わった後も北海道で生息し続けていられるのは,岩塊地があるからだといえる。


多様性の認識

 多様なるは人生の彩り。様々な人間がいる。だから面白い。しかしもし地球上の生物は人類だけだとしたら,味気ない。自然には,形,色,音,におい,肌合い,動きなどの多様性があり,それらの物語がある。そしていろいろな生物とその活動を見ることができること,そうであればこそヒトは自分を人類として認める。多様ななかで,多様性を認知することによって,ヒトは自分の位置を知る。これらをもたらしているのは特に生物であり,その活動である。

 多様な彩りをそえているものたちは大事にしたい。ナキウサギも彩りのひとつ。生物多様性は遺伝子,種,生態系といった対象レベルでの多様性がふつう問題にされるが,生活の多様性(生態学的多様性)もひとつの焦点であろう。これには生物間の関係の多様性も含まれる。ナキウサギは様々な動植物と関係をとりむすびながら,日々の生活を送っている。


保護の現状と問題点

 エゾナキウサギは北海道中央部にしかいないし,隙間のある岩塊地に限られているが,現在でも相当の生息地面積と個体数をもっている。したがって全体としては急に絶滅する恐れはないだろう。しかし,最近まで日本に広く分布していた動物が今では絶滅したか絶滅寸前のものも多い。絶滅寸前と言われたときにはもうどんな手段を講じても遅いことが多い。北海道においてもだんだんと多くの動物の生息地が分断され,また面積が減少していっている。ナキウサギのように特殊な生息環境を必要とする種は絶滅しやすいので,監視(モニタリング)が必要となる。 エゾナキウサギは日本版レッドデータブックに入っていない。しかし,生息地が限定され,生物地理上孤立した分布をしており,生活史のすべてにわたって特殊な環境条件を必要としているので,定義からして希少種にすべきものである。 生息環境の破壊あるいは悪化によって生息しなくなったところは,糠平黒石平と然別湖畔の個体群である(芳賀,1965)。現状はどうか? エゾナキウサギの分布図に問題の生じている地点を示した(図−1)。ひとつは,開発からは免れているが,もともと個体数が少なくて孤立的な夕張山地の個体群,他方は道路建設が計画ないし実施されているために影響が心配される個体群である。後者は問題別にとりあげる


夕張山地の孤立個体群

 個体群レベルで見ると,夕張山地の個体群が孤立していて(図−1の1)個体数が少ないことから,環境改変がなくても絶滅の心配がある。芦別岳の生息地は大雪山での最も近い生息地からは約20km離れており,芦別岳と夕張岳の生息地間も約15km離れている。阿部・島田(1992)の計算によれば,夕張岳の高山帯にすむ個体群は100頭に満たない可能性がある。このように少ない個体数では絶滅しないでいることは困難であるので,森林帯に大きい個体群がいて,そこから個体供給があるだろうと推測されている。

 かつて夕張岳にスキー場をつくる計画があったが中止された。現在ではむしろ市民運動と関係機関の努力の結果,夕張岳自体が国の天然記念物に指定されようとしている(水尾,1995)。しかし,天然記念物として指定される地域が,供給個体群が生息すると推測される森林帯を含むかどうかは不明である。現状よりも生息地が悪化すると,あるいは何か悪影響を与えるような外的変動があった場合には,絶滅へと向かう可能性がある。詳しい調査が望まれる。


道道士幌然別湖線建設問題

 道道士幌然別湖線(通称士幌高原道路)建設計画(図−1の2)は,然別地域白雲山周辺の個体群にとって脅威となるものである。この計画は,岩石山中腹(写真−2)から然別湖南端付近へと2.3kmのトンネルをつくろうとするものである。1995年5月30日,自然環境保全審議会は環境庁の諮問に対して,3項目の付帯意見をつけてこの道路計画は適当であると即日答申している。付帯意見には,「トンネルルートの地形,地質については未解明な点も残されている」,「トンネル工事に伴う周辺環境への影響及び排ガスが動植物に及ぼす影響等供用後の自然環境への影響等について,事前に十分検討を行い,必要な対策を講じる」とある。未解明な点が残されていて十分な検討が行なわれていないのなら,適当だと結論を出すことにはならないはずである。 このトンネル開削によって考えられる悪影響は多い。騒音,振動,排気ガスといった直接的な影響だけでなく,気象の変化,地下水の変化,風穴植生の破壊,カラフトアカネズミなどの侵入による群集構成の変化などがある。もちろん,トンネル開削そのものが山腹に穴をあけるという大破壊にほかならない。これらを一言で言えば生態系の破壊である。トンネル出入り口付近のナキウサギに対して影響があることは,次に述べる湖畔トンネルの例からも予測できる。 この計画は然別湖周辺をすぐれた自然地域としてあげ,「周辺を含めて厳正な保全を図る」ために「徒歩による利用に限定する」とした北海道自然環境保全指針に矛盾している。車道をつくることにはならないはず。この指針は「最近の自然とのふれあいを求める住民のニーズや,今後ますます増大することが予想される観光リゾート開発などに対応する上からも,改めて,保全が必要な自然の地域が,どこに,どの位存在し,将来へ向け,どのような保全施策を講じていくべきなのか明らかにする必要がある」(はじめに)として,制定されたのだが,道自らがこれに沿って実行しなければ空文句になってしまう。

 事前に周到な影響評価をしてもなお生態系への影響は予測できないところがある。したがって,特に脆弱な自然は開発しないことが基本となる。 蘚苔類が覆うところはまさに脆弱である。ここでは踏みつけによる植生破壊が起きている。これは環境影響調査自体による自然破壊である。 然別湖の南の東ヌプカウシヌプリ山,白雲山,天望山一帯は,生物地理学的見地からも第一級の自然であり,守るべき中核地帯のひとつである。東ヌプカウシヌプリ山の東斜面は中腹(標高750m)まで牧草地が迫っている。農耕地などに多いカラフトアカネズミがこの山頂付近(標高1200m)で採集されたのは,このようなことが関係していると思われる。中核地帯の周辺に緩衝地帯がなくなっている状態である。


道道鹿追糠平線改良工事問題

 これは道道鹿追糠平線の道路拡幅工事(図−1の3)である。すでに駒止湖付近以外は工事が終わっている。駒止湖付近のところでは,西ヌプカウシヌプリ山側を削ったり,駒止湖側へ張り出す計画のようである。もし拡幅工事が行なわれると,駒止湖周辺と西ヌプカウシヌプリ山との間のナキウサギの行き来を阻害することになる(実際,交通事故例がある)。西ヌプカウシヌプリ山の南は十勝平野であり,交流が断ち切られる程度に応じて西ヌプカウシヌプリ山の個体群は孤立することになる。 すでに作られた湖畔トンネル付近ではナキウサギの生息域が後退したように思われる。トンネルが作られる前には出入り口近く(80m)にナキウサギが生息していたが,今ではそこから約70m遠くでしか生息していないようである。白樺峠近くの千畳崩のガレ場では,道路拡幅によって生息域が少なくとも約10m後退したと推定される。これと比較すると,トンネル付近では騒音や振動が大きくなったりあるいはより響くために,影響はより大きいようである。

 「道道鹿追糠平線環境影響調査報告書」(昭和61年1月,北海道帯広土木現業所)では,湖畔トンネルのルート上では調査をしておらず,この生息地は分布図に記されていない。保全目標を「ナキウサギの生息地を保全する」としておきながら,3つのルート案の比較をして「ナキウサギへの影響は最小限に止められる」というように保全目標を無視した結論をしている。また,ここでの影響評価は,道路開削による直接的影響についてのみである。トンネルができることによる騒音や振動の影響評価は全くなされていない。


大規模林道建設問題

 大規模林道は道幅7m2車線の舗装道路である。滝雄・厚和線(図−1の4),置戸・阿寒線(図−1の5),平取・えりも線(図−1の6)の一部はナキウサギの生息地の近くを通る。少なくとも置戸・阿寒線については,中山の南麓部で道路が拡幅されれば影響が生じるだろう。1995年11月16日に調査したところ,現在の林道(道幅3.5m)の端から24mおよび33mの距離の岩の下(標高430m)でその年の貯食物を確認した(写真−3)。この付近では林道から10m近くにも生息適地がある。 他についてはどこを通るのか詳しいルートが不明なので,どの程度生息地を横切っているのか判断できない。いずれにしろあちこちで徐々に生息地悪化へと向かっていることになる。


餌づけ問題

 ナキウサギが観察しやすいと,この数年間に多くの人が知るところとなったガレ場がある。日曜日には30人も並ぶという。問題は,写真をとるためにヒマワリの種や豆を与えたり誘因物質をまく人がいることである。餌を与えることで例えばネズミ類が増えてナキウサギを圧迫するおそれがある。また,人になれさせることでナキウサギに病気を感染させる可能性もある。この可能性は低いが,もし病気が発生すると大きな影響が出るかもしれない。野生動物とはある程度距離をおいたほうがよいだろう。


おわりに

 ナキウサギがこれまで比較的守られてきたのは生息地が人には近づきがたい山岳地であったところが大きい。しかし以上に見てきたように今日ではヒトの開発行為が山奥にまでのびている。多くの生物を絶滅させてきた,そして今も絶滅させている張本人はまぎれもなくヒトである。自然を保護あるいは保全すれば多様性は守られる。

 ナキウサギに限らず生物を保護するためにまずなすべきことは,これ以上の自然破壊をしないこと,これが基本的なことである。現実にはそうはいかないのは開発するのが人間だからである。生物の保護を考えるためには,「加害者としての人間の生態」(丸山,1993:4)も考慮しなければならない。守られないのは自然破壊をする人がいるからにほかならない。自然破壊をする人の手から自然を守ること,これが自然保護である。

 エゾナキウサギの正体はカラマツをかじる害獣として捕らえられたことによる。置戸ではその後も被害が出ている。また,留辺蕊でも林業被害がある。しかしそれらは人間がナキウサギのすみ場所に生産の場を広げていった結果である(太田,1966)。この例のように結局,人間が自ら問題をつくっているわけである。 生物多様性の保護が大きくとりあげられている現在,環境庁や北海道庁などの行政機関が先頭に立って保護を実行すべき時である。それにはつねに情報を公開し,広く意見を求め議論する場をもうけることである。また,国民すべてが関心をもって身近なところから行動すべきである。そうしてこそ自然は,そしてその多様性は国民の財産となるだろう。


参考文献

阿部 永・島田明英(1992):夕張岳の動物−特にナキウサギについて.「夕張岳−植生等調査報告書」,31-36.北海道教育委員会.

芳賀良一(1965):開発にともなう野生動物の保護に関する研究.「北海道科学研究員自由課題による研究報告書第7集」,206-209.北海道.

川道武男(1994):ウサギがはねてきた道.270pp.紀伊國屋書店.

丸山直樹(1993):地球はだれのもの?.xii+140+4pp.岩波書店.

水尾君尾(1995):夕張岳を天然記念物へ!.北海道の自然,(33):79-83.

小野有五・五十嵐八枝子.1991.北海道の自然史.vii+219pp.北海道大学図書刊行会.

小野山敬一・宮崎達也(1991):北海道における分布.「野生動物分布等実態調査報告書−ナキウサギ生態等調査報告書−」,25-55.北海道保健環境部自然保護課.

太田嘉四夫(1966):置戸での最近のナキウサギ害.野ねずみ,(74):3-4.

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写真の説明

写真−1 ×4 エゾナキウサギの姿

写真−2 ×4 広く生息地となっている白雲山と岩石山.計画中のトンネルはV字状ガレ場の地下を通る

写真−3 ×4 置戸・阿寒線大規模林道近く(中山南麓)で見られた岩の下の貯食物

図−1 生息分布地と保護上問題のある地域(1夕張山地の孤立個体群,2道道士幌然別湖線建設,3道道鹿追糠平線改良工事,4大規模林道滝雄・厚和線(破線で示す),5大規模林道置戸・阿寒線,6大規模林道平取・えりも線).等高線は標高500mを示す.


小野山敬一.1996.2.エゾナキウサギ保護の現状と問題.北方林業,48: 26-30.(1996年2月号)
Broadcasted with 20 February 1996 agreement of Hoppou Ringyokai (Association of Northern Forestry, Japan).