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『一家団欒』 藤枝静男 (『戦後短編小説再発見10 表現の冒険』講談社文芸文庫 2002年)
この小説の作者である藤枝静男は私小説作家として知られており、また作家自身もそのように自認していた。本名は勝見次郎で、明治四十年(1907)(戸籍上は四一年)に生まれ、平成五年(1993)に八五歳で没している。眼科医としての人生を歩む一方で、同人の平野謙と本田秋五の勧めにより、三十九歳の時に『近代文学』に初めて作品を発表し、作家としても歩んでゆくこととなった。尚このペンネームは、平野と本田に頼んでつけて貰ったもので、苗字の「藤枝」は生まれ故郷が静岡県藤枝市であることに由来し、名の「静男」は、八高時代の親友であった北川静男という人物からとったものである。
『一家団欒』というこの作品は、昭和四一年(1966)、『群像』に発表された。直接的な私小説の手法ではなく、章という主人公を軸に話が組み立てられている。私は作者について何も知識を持たないまま読み始めたのだが、最初に読んだ時には、生きていた頃の過ちを許され、最後の場面である「ヒヨンドリ」の祭りに象徴されるような、神秘性のある美しい物語であると感じた。しかし二度三度と読み返すうちに、この小説に映し出される不気味さが気になり始めた。
主人公である章は五九歳で死亡し、市営バスに乗って彼の家の墓場までやってくる。そして墓のなかで、死んだ家族と再会するというのがこの小説の大まかな内容である。設定について見てみると、まず五二年前に死んだハルが墓に大正四年(1915)没と刻まれていることから、そこから計算すると小説上の「現在」は昭和四二年(1967)ということになり、この小説が発表された翌年に設定されていると考えられる。章は五九歳であるので、満年齢と仮定してそこから計算すると、生まれた年は明治四十年(1907)或いは四一年ということになり、作者である藤枝静男と重なる。他にも家族の名前や享年は、実際の作者の家族のものが使われている。作者による自筆年譜と合わせて見てみると、妹ケイが死んだ年には章は二歳、姉ナツの死の時は五歳、弟三郎の死の時に六歳、姉ハルの死の時には七歳、兄秋雄の死の時は三十歳、そして父鎮吉の死の時は三四歳であった。章は子供時代に相次いで妹・弟・姉を亡くし、彼らは生前、団欒の時を過ごすこともなかった。そうして死んだ後にようやく「一家団欒」の時がやってきたのである。尚、藤枝静男の家族には、小説に登場する人物の他に、姉ふゆ、妹きく、弟宣がいるが、この小説には一度も登場しない。
墓の中で家族と再会した章は、生前の自分が冒した過ちについて父や兄に泣きながら訴える。中学時代の万引きのこと、高校への受験勉強をしている時期の抑えがたい性欲、兄の小遣を猫ばばし、カフエ通いに使ってしまったことなどを、羞恥として語るのである。その度に父は、「ええに、ええに、ええ子だっけに」とそれらを許し、章に安堵を与える。章自身もそうした父の言葉を聞いて、徐々に生前の恥を浄化してゆくのである。また、回想の場面で父が口にする「ダキニ天」について少し述べておくと、本来はインドの民間信仰に表れるダーキニーという名の鬼女で、インドジャッカルという動物に乗り、人間の肝を食用としていたとされる。その後密教によって仏教に取り入れられる際、大日如来の力で折伏され、仏法を守る諸天の一員となったとして、そうした言い伝えと共に信仰が日本に運ばれてきたのである。ダキニ天は非常に強力な法力の持ち主とされ、日本においては「ジャッカル」が姿の似た「狐」に置き換わり、豊饒をもたらす稲荷神と同一視され、平安時代以降広く信仰の対象となった。また自分の肝を与える約束をすると、ダキニ天が願いを叶えてくれるという信仰もあったという。死んだ時に臓器をみんな提供してきたという章の言葉は、ダキニ天との繋がりを思わせる。章の願いが形として現れたもの、それが一家団欒であったのかもしれない。
物語を通じて、母親が全く会話に出てこないことが気にかかっていた。唯一小説に母の姿が登場するのは、章の回想シーンである。友人に、万引きを親にばらされ、家に帰ると母親は背を向けていた。その姿だけが書かれている。年譜によると、母親は昭和四七年に亡くなっているため、小説発表時には存命であった。他にも小説には出てこない姉ふゆ、妹きく、弟宣も同様に、発表時には存命であった。そのため墓に名が刻まれていないのだということが分かったのだが、それにしても誰の口からも、生きている家族に関する言葉が何一つ聞かれないのは不可解である。最後のヒヨンドリの場面に至るまで、一家団欒が彼らの存在無しに、すでに完結しているかのような印象を受ける。死んだ者と生きている者とは、その繋がりが希薄であるということを表しているのかもしれない。
この小説は私小説的な要素も大きいため、当時の社会を繁栄したというよりも、作者の心情が現れがちであると思う。しかしその作者が生きた時代というものが小説に少なからず影響を与えているのは確かであろう。小説の題材になっているものは、「家族」である。この作品が発表された当時(昭和四一年(1966))といえば、戦後二十年経ち、高度経済成長の真只中であった。それまでの風習に目も呉れていられないほど、経済発展だけを追い求めていた頃である。しかしそうやって、日本の社会が所謂「発展」をすることにより、何を得て、何を捨ててきたのか。この小説にはそうした背景が描かれているように思う。例えば、少なくとも章にとっては、当時の社会には安らぎがなく、死んでようやく解放されたという心情を伺い知ることができる。せわしなく働き続ける当時の人々にとっては、生きている意味が見い出しにくい、必ずしも安穏とは言えない社会であったのかもしれない。また、生前も死後もやさしい父、寛大な父親という像は、かつての日本における家夫長制を想起させる。章が万引きをしたときに、そのことに対して咎めない父と、為す術もなく背を向ける母。父は前近代的な社会を表し、母は個人化の進む現代社会を表したものとも考えられる。
また、この小説にはいくつかの、「よくわからないもの」、「得体の知れないもの」が登場する。万引きをしたことに対しての償いとして、父は章に、父の血を飲むように勧める。父の血は生前、章にとっての羞恥と罪を象徴するような、「ブヨブヨと固まって浮かんでいる原油」のようなものの同類として捉えられていたが、死後、それは父の優しさそのものとして受け入れられる。そして物語の最後、章はヒヨンドリを見て、全ての後悔と不幸の原点がそこにあったことを見い出す。章が本当の意味で、完全に生前の後悔から解放されるのは、こうした「無邪気で単純なもの」が全ての始まりであったということを認識した時であろう。そして章は、父が差し出す甘酒を飲む。麹の香に満ちた熱い甘酒は、章のがらん洞の内蔵をどろどろと下っていく。不可解なものに気味悪さを感じなくなり、そこに「優しさ」を感じるようになったのは、自分自身がその奇妙な世界観に入り込んだためである。その世界に入り込めない者にとっては、「異様な厭悪と屈辱」である血も、入り込んだ者にとっては甘酒と等価なものであるのかもしれない。
この作品は読む人によって随分と違った感想を持たせるのではないかと思う。ある人は、死後にようやく訪れた「一家団欒」の様子に感動するであろうし、またある人は古い民俗的な伝統のようなものを感じて気味悪く思うかもしれない。私が感じているのはどちらかといえば後者の方である。それは、より個を重視しがちな現代社会の影響を強く受けているためであるとも言える。そのため、個が埋没して家族という一つの固まりのようになった死後の一家団欒の様子が、なんとなく疑わしく、またそれが永遠であるとされることに対して気味悪く感じてしまうのだろう。しかし作者の生きた時代は今とは随分異なっていたことを考え合わせるべきである。当時は、死は身近なものであった。死というものが、家族の死という形で、幼いころから実感せざるを得ない位置にあり続けたのであろう。章は生前、自分ではどうすることもできない性に悩み、抵抗することもできずにやって来る家族の死に悩み続けた。これらはつまり、人間の存在を超えた、どうすることもできない自然というものを感じる他無かった作者の姿をも表している。そして死んだ後に、このようなどうすることもできないものが、同じくどうすることもできないものによって救われることを知る。ここに現れて来るのは、人間の表面的な意識とは異なった循環を繰り返す、かつての日本人の意識深くに根差していた民俗的な思想観である。当時の日本人が否応なく流されていた、西洋的な考え方に反論するような形を持って、すべてが科学で解決できるわけではないという思いが、そこに表れているのではないかと感じた。
このように様々な考察が行える作品であるが、しかしもしかすると、この小説に表れる、ダキニ天に代表されるようなある種の民俗的な要素は全て、多くの人に共通するある「願い」というものを考えるきっかけにしか過ぎないのかもしれない。本当にやりたかったことは、家族との団欒であった。そして自分を許し、人から許される機会を、生きている内に持てなかった。そうした後悔は誰もが持つものであろう。そう考えると、死後の「一家団欒」の永遠とは恐怖ではなく、確かにひたすらの安らぎであるとも思えた。そして恐らく作者自身も、そうしたものを求めていたのかもしれない。
参考文献:
『昭和文学全集17』小学館 1992年
『筑摩現代文学大系74 埴谷雄高 藤枝静男 集』筑摩書房 1978年
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