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  辻川区の祭礼行事
 
 
平成26年(2014年)8月27日
月日 行事名 神社・お堂 写真 コメント 
 1月
 1日~3日
 正月祭り  鈴の森神社
 恵美酒神社
 高藤稲荷神社

鈴の森神社
 
鈴の森神社は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・天児屋根尊(あまのこやねのみこと)・太玉尊(ふとたまのみこと)・大山積(祇))尊(おおやまづみのみこと)を祭神とし、鈴(すす:清らかな聖地の意味)の森に造られたとのこと。播磨風土記に「神々が集まりたもうた」とあるそうだ。また、峯相記(1348年)には「・・鈴森是也」という記述がある。四柱が合祀されている神社は少ない。大山積尊は後の合祀のようだ(愛媛大三島の大山祇神社の神紋「折敷三の字」と同じ三木家の家紋は後の合祀を暗示しているように思う)。本殿は杮葺春日造(こけらぶきかずがづくり)、祝詞舎(のりとしゃ)と拝殿は瓦葺入母屋造(かわらぶきいりもやづくり)となっている。

明治45年に山ノ口神社(現山口堂)を合祀。境内社としては他に、愛宕(あたご)神社〔火迦具土命(ひのかぐつちのかみ)が祭神〕と恵美酒神社〔事代主命(ことしろぬしのかみ)が祭神〕がある。鈴の森神社の御本尊は山口堂に祀られている大日如来[寛文元年(1661年)作]とのことである。なお、山口堂に隣接する大日堂の大日如来とされていた石仏は応永元年(1394年)作の阿弥陀如来の石仏という指摘もある。
 
 1月
  10日
  前後の
  日曜日
 冬えびす  恵美酒神社    
本殿西の高台に位置し、七福神の一つである恵比寿(戎)を祀る。海上・漁業の神、商売繁盛の神として信仰される。かつては今の屋台倉付近にあったそうだが焼失(明治40年頃に、隣接していた石灰の保管場所からの出火により類焼という伝承あり「辻川だより20号」)。今の地に再築された。歴史は古い。〔以上「辻川だより4号」より〕
大正10年には井ノ口との間に「鈴森神社境内ニ合祀セル戎神社ノ祭典ハ太陽暦ニヨリテ施行シ・・・」と覚書を交わしている。これにより井ノ口の「えべっさん」と辻川の冬えびすの開催日が異なるようになったようだ。
 
 1月
 14日
  か
 15日
 とんど  鈴の森神社
 高藤稲荷神社
    
とんどは全国的には小正月(15日)の行事として14日か15日に行われている。古くはこの小正月までが松の内で(この日まで門松を飾り)、どんど(関西ではとんどと呼称する地が多い)焼きで正月飾りを燃やし、正月様(各家の祖霊)の送り火としたそうだ。
かつては元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日を成人の日(祝日)としていたが、2000年から成人の日は1月第2月曜日に変更された。〔「辻川だより29号」より〕
 
 2月
  3日
 節分祭〔年越祭〕  鈴の森神社
 高藤稲荷神社
   
節分は立春の前日で、古くは立春から新年が始まると考えられていたため、節分は年頭の行事として重んじられていた。現在でも節分祭や鬼追い(追儺)が行われる社寺がある。板坂の應聖寺では鬼追いと「採灯大護摩」が行われるそうだ。鈴の森神社と高藤稲荷でも歳灯が燃え上がる〔以上「辻川だより21号」より〕。「さいと」は柴灯・斎灯(さいとう)が一般的のようだが、辻川では今はもっぱら歳灯(歳越しの灯という意味か?)を使っている。
 
 2月
 最初の
 午の日
 前後の
 日曜日
 初午祭  高藤稲荷神社     
神社名の由来でもある大きな藤がある。狐(きつね)を使者とし、商売繁盛の神として庶民の信仰を集める。もとは農耕の神。毎年2月初めの午(うま)の日に行われる稲荷の祭礼〔初午〕には、神前に油揚げを供え、油揚げと菜を食べる風習がある。辻川では初午に、小豆のおにぎりがふるまわれ、福引が行われる(平成23年から中止に)。狭い境内では子供相撲が奉納される。厄払いの鳥居が奉納されている。
 
 7月
 10日
 前後の
 日曜日
 夏えびす  恵美酒神社     
姫路市飾磨(飾万津)の恵美酒宮天満神社は、恵美酒宮(戎宮)とも称し、昔は事代主命を祭神とし、漁猟の神、航海安全の神として恵美酒・細江の里人たちから崇められていた。この飾万津から但馬への交易路が生野街道であり銀の馬車道であったことからも、辻川の恵美酒神社の由来をうかがい知ることができる。
祭神の事代主命は大国主命の子で、海と関係の深い「えびす」と同一視され、海の神、商業の神としても信仰されているそうだ。
昭和59年頃まで夏えびすでも福引があった。
 
 7月
 夏えび
 す1週
 間後の
 日曜日
 夏祭り  鈴の森神社    
夏祭〔夏越祭〕は辻川区と井ノ口区で祀っている。これは辻川と井ノ口が鈴の森神社の氏子ということで、氏神(鎮守の神、産土神)がともに鈴の森神社になるからである。とはいえ共に祀るのは明治7年に鈴の森神社が村社に列せられた後のことのようだ。
一般的には、古くは水無月の「夏越祓(なごしのはらい)」として6月晦日(みそか)に行われていた。近年は夏の無病息災を祈る夏祭りとして7月31日夕刻執り行われる神社が多い。夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われ、「茅の輪」を3回くぐり夏の疫病退散をお祈りする(辻川では行っていない)。
 
 8月
 23日
 24日
 地蔵盆
 〔地元の有志に
 よってお祭りし
 ていただいて
 いる〕
 地蔵堂    
堰溝(ゆみぞ)の脇にあり、地蔵菩薩を祀る。地蔵盆について柳田國男さんは「堂の前に筵(むしろ)を敷きて老若集り、かんかんと鉦を叩き小豆の飯の握り飯を食べる。平袖後紐の我々は地蔵さんが右の手(実際は左手:國男さんの勘違いか?)に持って御座る三角な物もやはり握飯の類かなどと思って居た。」〔「地蔵殿の苗字」柳田國男〕と記している。地蔵菩薩は左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、地蔵菩薩の縁日である8月23・24日(旧暦7月24日)に地蔵盆が行われる。地蔵菩薩は道祖神、庚申(こうしん)信仰などと結合し、『観音』(観世音菩薩:三十三の化身をもつ[西国三十三所の観音霊場はその例])と並んで民間に広く信仰された。今の地蔵堂は昭和26年に建立されたもので、旧のお堂は移築され、今は鈴の森神社境内内社の大日堂(平成24年に建替)になっているそうだ。地蔵の台座には元文2年(1737年)の刻印がある。南に立つ「南無阿弥陀佛」の石碑には文政八[乙酉(きのととり)](1825年)と刻まれている。〔「辻川だより4号」より〕
 
 10月
 体育の
 日直前
 の土曜
 と日曜
 秋祭り  鈴の森神社     
鈴の森神社が最もにぎやかになる秋の例祭。鈴の森神社の氏子である辻川と井ノ口が屋台を奉納する。例年12時に宮入し、13時30分に宮を出る。宮出前には辻川と井ノ口の子供たちによる奉納相撲が行われる。老若男女が大いに盛り上がる秋祭りの宵宮である。
本宮は翌日曜日、熊野神社(郷社;在田尻区)へ田原地区の屋台12台が宮入りする。

 

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