この絵は、鬼退治伝説の寺、清薗寺の近藤和尚の友人であり漫画家の「いわみせいじ」さんが、描きました。 |
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丹波の古刹、清薗寺に麻呂子親王の鬼退治伝説が、絵巻として伝わっているものを、いわみせいじさんが、紙芝居風にアレンジしました。 |
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むかし、むかし丹波の大江山に人の血を食らう鬼が住みつき人々を苦しめていました。 | |
それを聞いた用命天皇は、たいそう嘆かれ、第三皇子麻呂子親王に鬼征伐を命じました。 |
皇子は、河田、久手、公庄、岩田の四勇士を先頭に官軍を従え、鬼退治に出かけました。 |
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途中戦勝を占って、焼き栗を植えたところ、一夜にして成長しました。 |
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皇子の征伐軍に、一匹の犬が一刀の剣と鏡を持って現れ従いました。 |
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皇子は、官軍を率いて丹波の国篠村あたりに達したとき、地の中からいななきが聞こえ、ここを掘り起こしたところ死馬が名馬となって出てきました。 この地は、現在亀岡市篠町馬堀と言い、トロッコ電車の馬堀駅にあたります。 |
丹波の雲原まできたところで、皇子は鬼賊を退治できれば、七つの寺を建立し七仏を安置すると祈誓し、薬師像七体を自ら彫りました。。 |
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一方、大江山に住む鬼ドモは、隠形の術を使って抵抗しました。 |
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四勇士は、親王からいただいた、薬師像を、兜につけ、頭に明鏡をつけた白い犬に先導されながら勇猛に戦いました。 |
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鬼ドモは、毒雲を発し雲隠れの術を使って姿をくらましたが、麻呂子親王が、明鏡を使い照らし出したため、姿をあらわしました。 |
明鏡に、照らし出された三鬼は、逃げ場を失い竹野の浜まで逃げて行きました。 |
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二鬼は討たれ、一鬼は、岩穴に隠れました。 |
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これを追ってきた、親王は、鬼が命乞いをし、一夜にして荒地を、農地に耕したため、命だけは助けてやりました。 |
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鬼は、社に封じ込め、仏谷で彫った薬師像七体は、仏徳に感謝し、七つの寺に安置しました。 ここ丹波の国、鎌倉山清薗寺には、麻呂子親王お手植えの三又桜がある他、鬼退治絵巻等が伝えられています。 |