このごろ楽しい。
どうしてなのか、とか、なぜなのかということはわかっている。
新妻を迎えるからだ。
人の女性の現実のそれではないのだけれど、
どうやら私にも季節が訪れる。
三十代というのは、
未成年の頃はおそろしく大人だと思っていた。
あと三十年ぐらいするとおそろしく子供だった、
と思うだろう。
でも、今、今の自分を思うと、
一方の前、つまり若さや過去へも、
一方の前、それは成熟や将来ということへも、
ひいきすることなく同じぐらい目を配れる、
そういう年代だとわかる。
元気も健康もまだある。赤々と燃えている。
頂上へたどりつこうとしているみたいだ。
知識は足りないはずなのだけれど、
知識とは売るためのものではないと納得できた。
要するに興味の故の産物です。
興味もないのに頭に詰めても、病巣となるだけなのだ。
経験も、
これから出会う人や物事や善美に、
感動し驚いて目輝き腕ふりまわせる余地が、
まだ百年分ぐらい残っている程度には、味わえた。
多少の知恵もついたと思う。
うれしいんだ。
生きてきた今が。生きてゆく今が。
新妻を迎える前夜の如き今が。
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