平成11年12月26日(日)〜

新妻を迎える前夜
 
 

 このごろ楽しい。
 どうしてなのか、とか、なぜなのかということはわかっている。
 新妻を迎えるからだ。
 人の女性の現実のそれではないのだけれど、
 どうやら私にも季節が訪れる。

 三十代というのは、
 未成年の頃はおそろしく大人だと思っていた。
 あと三十年ぐらいするとおそろしく子供だった、
 と思うだろう。
 でも、今、今の自分を思うと、
 一方の前、つまり若さや過去へも、
 一方の前、それは成熟や将来ということへも、
 ひいきすることなく同じぐらい目を配れる、
 そういう年代だとわかる。

 元気も健康もまだある。赤々と燃えている。
 頂上へたどりつこうとしているみたいだ。
 知識は足りないはずなのだけれど、
 知識とは売るためのものではないと納得できた。
 要するに興味の故の産物です。
 興味もないのに頭に詰めても、病巣となるだけなのだ。
 経験も、
 これから出会う人や物事や善美に、
 感動し驚いて目輝き腕ふりまわせる余地が、
 まだ百年分ぐらい残っている程度には、味わえた。
 多少の知恵もついたと思う。

 うれしいんだ。
 生きてきた今が。生きてゆく今が。
 新妻を迎える前夜の如き今が。

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
作品記録:
 平成3年1月13日(1991年)初稿。
 1999-08-11 小説工房談話室 #1748 に、「哀憐笑話(十一)」として発表。初稿のまま。
 1999-12-26 本頁に掲載。初稿のまま。