五 ゼンラオドリコ
 
 
 
 街の雑踏で、一行は犬人間とはぐれてしまった。宿はもう決めてあるし、どうせまた珍しい道具かなにかにひっかかっているのだろうと、皆はあまり気にとめなかった。
 呼び込みが大騒ぎをしている劇場があり、事実たいそうな人気と見えておすなおすなの繁盛ぶりだった。面白そうだと意見が合って、三人は中に入ってみた。客席は全部埋まっており、詰め込まれて前のほうでの立ち見になった。
 曲芸、手品、剣舞、笑劇、どれも楽しくて賑やか、あかぬけており、拍手喝采だった。桃堕郎もいつか立ち見をしていることや仲間のことを忘れ、くずれた顔と大声で手をたたいていた。今までと毛色の違う音楽が流れ出すと、四方から歓声が上がった。何が始まるのか見つめているのに、幕は容易に上がらない。観客もじれて、掛け声が飛ぶ。いよいよ、この劇団の人気者、人々のお目当ての登場らしい。
 幕がゆるゆる上がると、桃堕郎は息を止めた。
 まばゆい照明の中、一人の女の舞踊が始まったのだけれど、最初の瞬間から、そのしぐさが心の芯棒をつかんで、そして少しまた少しと引き抜いていかれる、そういう感じだった。客席も静まりかえっている。
 これほど美しい舞台、いや、美しさそのものに、桃堕郎はめぐりあったことがなかった。うすい衣装が一つ、また一つと舞って、女から離れていく。胸がこわいぐらい早打ちして、膝が震えだした。
 口の中であえぎがもれた。なにがなんだか分からなくなり、眼が裏返っていく。
 楽曲の調子が変わり、急にみょうに離れ離れになって、そして止まってしまった。女がそっと客席のほうを見る。そちらのほうで、小さなざわつきがあって、一人の背高い男がすでに舞台に上がっていた。
「私は、うらじま研究員といいます」
 と男ははっきりした声で、女に向かってしゃべり出した。
「今日初めてあなたにお会いするのですが、どうか私のお嫁さんになってください」
 まわりから怒鳴り声が起こった。かまわず求婚は続いた。
「もうこんな中年になってしまいましたが、独身です。こんな気持ちになったのは生まれて初めてです、うそいつわりはありません」
 引きずり下ろそうと何本かの腕が下からのびていたが、必死にこらえて、声も絶叫に近くなった。
 すると今度は、舞台の正面あたりで十数人の肉塊が盛り上がるごとく音を立て板の上にどさっと落ちた。それは立ち上がったが、たった一人の巨大な男だった。
「おれはカネ太郎だ。お前は、おれがもらうぞ」
 客席のあっちでもこっちでももみあいが始まった。騒然となった。
 婿が二人か、と誰かが叫んだ。
「俺は、ももだろうっ」
 がなりたてていた。唾を飲み込んだ。我に返ったときにはもう桃堕郎は、カネ太郎から女をかばう位置へと駆け上がっていた。明かりがもろに入って、目の前がくらくらした。

 ゼンラオドリコヒメは、うすぎぬを一つずつ拾って、身を起こした。客席に笑顔をふりまいた。
 しばらくのあいだ、しわぶき程度に静まるまで待ち、それから話し始めた。
「あらあら……、困りましたね」
 おどけた素振りに、ほうっと笑声が起こる。
 裏島研究員のこらえているほうへ、そそっと近寄って、
「ありがとうございます。私、誠実な方って、とても好き」
 優美に辞儀をして、口づけしそうなぐらい顔を寄せてから、男の頭に布を一枚かけた。
「それに、あなたのおかげで舞台がだいなし。んもう、紳士なら、場所を選ばなければいけないの」
 ぶつ真似をした。
 次は、からだの向きを移して、カネ太郎を見上げた。
「まあ、あなたはとてつもなく、お強い方なのね。ようくわかりましてよ。
 あ… 力ずくで奪われてしまうなら、私、こばめません」
 へんねえというふうに首をかしげ、客席の上へつかまれていない片方の腕を舞わせた。
「十人がかりでも、二十人がかりでも、あなたは負かしてしまうんでしょうねえ。けれど、ここにいる皆さん全部が相手では、いくらなんでも無理のようですわ」
 皆が同意のうなり声を上げる。
 こぼれおちる笑みで応えてから、
「でも、お申し出はしっかりとうけたまわったことよ」
 うつむきかげんに、ざらついた肌をなでて、髪飾りを一つ、カネ太郎に握らせた。
「あら、こちらはなんて、かわいらしい方。私を守ってくださるのね」
 初めての匂いが、桃堕郎の毛一本一本まで包み込んでくる。
「だけど、いけません。ここは楽しむところです、剣はおしまいなさいな」
 桃堕郎はぎこちなく、言われた通りにした。
「うれしいわ。ね、あなたも私と、なの」
 こまやかに乳房が揺れて、体温を感じた。
「そう、です」
 ゼンラオドリコヒメの声は、一番奥の客にも話しかけていた。
「困ってしまいました。皆さん、甲乙つけがたい、すばらしい殿方ばかりですのに…… 私、どなたのお嫁さんになればいいのかしら」
 それから手振りで、並んでちょうだい、と男たちをうながした。
「三人の、立派で頼もしくって、かわいい方たちにお願いです。もし、ぐっすりお休みになっても、お気持ちが変わらなかったならば、……
 あしたの朝、この劇場にいらっしゃってくださいな」
 幕を下ろしはじめて、という合図を出す。
「こんなできそこないの女ですけれど、私、その時、どなたのお嫁さんになるかお答えしますから」
 観客は、気づいて、軽い笑いと拍手が沸き上がった。
「結果がお知りになりたいなら、皆さんもどうぞ」
 終音符を、楽器がいっせいに鳴らす。
 桃堕郎は少し前から見つけていたのだが、カネ太郎の上がってきたあたりで、顔だけ出している丸い瞳は、犬人間だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(『桃』  五 ゼンラオドリコ  了)

 
  四  カネ太郎  ▲
 


 

  六  性教育  ▼
 


 
小説工房談話室 No.66 ■■■■■■ 
1999/11/25 11:36 和香 Home Page ■■■■■■ JustNet TOP 
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HP採録 平成12年2月15日(火)〜