六 性教育
 
 
 
「おれの子分になるなら」とカネ太郎は言う。「あしたの勝ち方を言ってみろ」
 犬人間は、うなずきながら、大丈夫ですよ、と追従を言った。
「もし力比べの試合でも組まれるのなら、カネ太郎さんの勝利間違いなし。あんなきれいな人を手に入れて、へへ、にくい、にくい」
 宿の一室、カネ太郎がいるだけで部屋の半分がふさがっていた。犬人間は、でもですね、とまなこを上げる。
「不安があるのは、どうも、あのゼンラナントカヒメは、心の中に一癖も二癖も隠している、そういう気がすることです」
 カネ太郎の驚異のからだを、舐めるようながめながら続けた。――つまり、力比べ、あるいは殺し合いであれば、カネ太郎さんが勝ち残る、これは赤ん坊でもわかる。やせたノッポは全くの非力、桃堕郎も強いと言っても井の中の蛙(私が保証します)。あの姫がカネ太郎さんに残って欲しいと願うなら、選考方法はそう決めるだろう。が、どうやら婿選び自体を見せものにする様子があったので、はじめから結果のわかっている勝負では興行が成り立たないと考えるはず。となると、知恵比べとか、謎解きとか、そんなことを言い出すかもしれない。
「おれはな、そういうのは嫌いだ。あのヒメがなんとしても欲しい。お前が役立たずならば、ぺしゃんこにする」
「ですから、必勝法というのは、向こうの出方がわからない以上、今はないわけです」
 私は、明日の勝負の最中に、カネ太郎さんの参謀となって、できる限りの手助けをする。面倒なことはまかせてください。ところで、古来こういう場合は、とかく女にもてるやつが得をする。どんな勝負であれ、女は意中の男をひいきして、そっと謎を教えたり、ズルをしたり、それが通り相場。昨日会っただけでもうこの人になどと決めているとは思えないが、見栄えとか、男振りとか、これは馬鹿にできない。身だしなみなど、今のうちに整えられることは済ましておいて損はないと考えます。
「その点、カネ太郎さんに隙はないかに思えるのですけれど」
 と犬人間は、カネ太郎の巨躯の床と接している暗がりをのぞきこみつつ、
「ぶしつけな質問で、ほんとうにすみませんが、ここは蓋が開くのでしょうか」
「どういうことだ」
「へへ、つまり、ほら、あれ。おしっこするときなんか」
「穴が見えるだろう」
「いや、カネ太郎さんは、立派な男子なのですから、さぞ立派な……」
「何が言いたい。もっとはっきりしろ」
 犬人間が慎重に、機嫌をこわさないよう、尋ね、また調べたところ、あれがなかった。カネ太郎は「男」ではなかった。もちろん「女」でもないが。
 鈍重な口を開かせて、話をよく聞いたところ、カネ太郎は蛋白質だけでなく金属をも食し、それによってからだを際限なく成長させる人間(化け物)であった。他人を襲うときは、そのからだに加え、武器、装飾品、貨幣などもまとめて腹中に収めるという。もちろん空腹でなければ捕食は控えるそうだが。
「この前からずっと満腹で今は欲しくない。だが、あのヒメだけは違う。今まで腹に入ってしまえば一緒と選り好みはしなかったが、あのヒメだけは、どうしても食ってみたくなったのだ」
 そして、カネ太郎は単世代生物だった。簡単に言えば、子供を作る必要がない。捕食を繰り返す限り、いつまでも存在する、神のごとき生き物。当然、性交など関係がなく、たぶん、同じ種族の別の個体というのもいない、単一個体種、全くの孤独。
 驚愕の事実に、犬人間はひそかにおののいた。怖いといえば怖いが、なにか、こうごうしいまでの感動を覚えてしまった。
「えへん、へんへん、でも、カネ太郎さん、これはですね、勝つ負ける以前の問題だ。仮にも嫁取りしようというのに」
 普通の人間は、と犬人間は、何とかわかるよう説明するために、おしべめしべ花粉管から始めなければならなかった。動物の場合、人間の場合と絵に描いていよいよ核心に迫ったが、
「だからどうだと言う。おれは食いたいのだ。そういうものを突っ込んでなにがうれしい」
「カネ太郎さんは、生まれて初めて恋をしたのですよ。だからわからないのだと思うのですけれど、食べてしまったらきっと、満足するどころか、地獄の底に落ちるような悲嘆にくれることになりますぜ」
「そうは思わないがなあ」
「それに、勝負がつく前にこのことをあの姫に知られてしまったら、笑い飛ばされて、一発で落選です」
「ええ、そうなのか」
「女なんですから、これがないとあっちは絶対にこっちを欲しいなんて感じません」
「ふう。よくわからんがな、ほんとうに必要ならくっつければいい」
「と言っても」
「お前はからくりが得意とか言ってたはずだ。おれの左手は、もうだいぶ昔になるがな」
 とその左腕を上に挙げると、指の間が割れて、赤黒い切っ先が数本突き出し、天井に刺さった。
 埃が降ってくる。
「こういう具合に加工してもらった。腹の皮は厚さがだいぶあるから、その時も削ぎとって材料にしてたぜ。今度もそうしろ」
 朝までにやるんだ、と、カネ太郎は眠ってしまった。

 余計なこと言っちゃったなと犬人間はしばらく途方に暮れたが、逃げ出すには惜しい経験という考えが強くなってきて、寝息で上下する腹や腿をそろそろとさすってから、切開に使える包丁とか火箸、あるいは坩堝(るつぼ)になるものはないかと、宿の台所に降りていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(『桃』  六 性教育  了)

 
  五  ゼンラオドリコ  ▲
 


 

  七  三つの宝  ▼
 


 
小説工房談話室 No.67 ■■■■■■ 
1999/11/28 12:07 和香 Home Page ■■■■■■ JustNet TOP 
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HP採録 平成12年2月15日(火)〜