八 狂乱
 
 
 
 うっとうしい密林の蜘蛛の入った薬瓶とかいうものを求めて、カネ太郎と犬人間はさっそく街を出た。
「どうです、一歩先んじましたね。へへへ、我ながら信じられないようなできばえです。自分の天才に酔ってしまうぐらいですよ」
 犬人間は主人の腹のしたで上下している作品に見惚れながら言った。
「もらった髪飾りをあしらったのが自慢です。すぐ気づいてくれたでしょう? これでたとえ桃堕郎や裏島が先に宝を見つけたとしても、なんだかんだ言ってあの姫は、カネ太郎さんを待ってますね」
「ああ。それはいいとしても、ま、悪い気分ではないな」
 なにか、重石がついて、自分のからだに中心ができた、そんな安定感がある。大丈夫としての誇りに裏付けとなるものが備わった、とでも言うべき感触がうれしい。
 しかし、数日後、あるハダカ山の見えるあたりにさしかかっても、まだカネ太郎のそれは左右ではなく、上下に揺れていた。しかも、だんだん融通のきかない状態に進展していくふうだった。ゼンラオドリコヒメになでられたときのことが脳裏をかすめるたびに、それは、浸潤油が噴き出しそうなぐらいになって、中枢回路にせっぱつまった危難信号を発した。
「これはどうなっているのだ。お前らはこんなものと一緒によく平気な顔で生きてこられたな」
 舌呼吸をしながら犬人間は笑った。この時はまだ、カネ太郎と自分がどういう報いを受けることになるのか想像すらしていなかった。
「うーん、へっへっ、こうであれかしという製作者の意図が、へっへえ、完璧に過ぎたのでしょうか」
「ひとごとのようにっ」
 しばらくは我慢していたが、頭の中まで沸騰し始めて、ついにカネ太郎は切れた。
 街道をそれた。目に入った村に昂然と侵攻した。てあたりしだい村娘たちに暴虐の限りを尽くすために。
 追いかけて行って止めようと噛みついたが、もともと歯など立たず、払い飛ばされた。その一撃で骨が何本か折れた。それから犬人間は、ただ呆然とながめていた。
 泣き叫ぶ悲鳴の中に、「これが恋か」と天を仰ぎうめくカネ太郎がいた。

 村の壊滅は時間の問題だった。夜といわず昼といわず徘徊している化け物は、女と見れば襲い、男なら踏みつぶし、そしてどちらの場合もたいてい生命は助からなかった。建物なども小屋程度なら完全に破壊してしまう。田圃も畑も荒らし放題、まもなく始まるはずだった取り入れの希望がしぼんでいく。少々知能が足りないらしいことと、図体が重いせいかのろまなことだけが救いで、うまい隠れ場所を見つけたもの、敏捷なものたちだけは逃げおおせているはずだった。が、だからといってこのままでやり過ごせる保証はなく、化け物のほうもいくら待っても村を離れる様子がなかった。
 狂える殺戮獣は、動くものすべてをむなしくするまで、村の富をことごとく食い尽くすまで、たぶん去ってはくれない。手下だったという犬人間を捕まえたが、もとはカネ太郎という人語の分かる生き物だったという。今は、と詰問すると、犬人間はからだをちぢめ上目づかいに首を振るだけだった。
 残っている何人かの村の大人たちが長(おさ)を囲んで話し合った。村外に助けを求めに行った者がいたはずだし、隣村なり街なりにたどり着いている者もいるはずだが、救援はまだ来なかった。何が起こっているのかよく理解できていない、助けたくとも手の出しようがない、そばまで来て逃げ帰った、そのどれかかもしれないし、違うかもしれない。今現在も誰かがやられている。からだという水袋が破れ内容物の飛び散る音が、哀しい声が、かすかではあるが、彼らにはときたま聞こえるのだ。
「とにかく逃げるだ」
「生命あってんことだ」
「だあが、このまま泣き寝入りか。俺あ女房も寝たきりの親もやられた。子供たちともずっと会ってねえ。もういのちなどいらね。カネ太郎に一矢むくいてえ」
「みんなで武器取って一度ん当たれば、あるいは、つうことだってある」
 翌朝、長は、初潮を迎えたばかりの自分の孫娘をそばに呼んだ。
 諭した、
「嫁さんなって丈夫な子供産んで、ご先祖の恩に報い、村の発展に寄与するも大切だが、ときには一命を捨てて全体を救うつう行ないも尊いのだ。かしこいお前にならわかるだな」
 こうして、おしろい、べに、祭り装束に身を飾って、少女はよく晴れた戸外にとびだした。ひきつれた哮り声をあげて、化け物がやってくる。
「カネさんこちら、はやくはやく、わたし、高いところが好きなの」
 ハダカ山のほうへと、少女は誘った。
「こっちよ、こっち、あはははははは」
 乾いた黄色い土、熱い硫黄臭、かげろうゆらめく。
 手の甲で汗をぬぐった。
 少女は噴煙上がる火口、見下ろせば地獄の溶岩竜あかあか煮えたぎるふちまで来て、迫りくる化け物を前に掌を合わせた。
「さあここよ。カネさんのお嫁さんになってあげる。ついてきなさい」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(『桃』  八 狂乱  了)

 
  七  三つの宝  ▲
 


 

  九  裏島研究員  ▼
 


 
小説工房談話室 No.76 ■■■■■■ 
1999/12/02 11:57 和香 Home Page ■■■■■■ JustNet TOP 
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HP採録 平成12年2月15日(火)〜