十 桃幻郷
 
 
 
 桃堕郎、桃幻郷に至る。
 遠目には枯れ木の丘しかなかったが、芳醇な香りを発散して桃堕郎がやって来ると、蕾、つぎつぎ花開いて、乙女たちが出迎えた。
 歓迎の宴で、とりわけ美しい姫が、こう申し述べた。
「男の桃人間が一人もいなかったものですから、たとえ実をならせても、種なし桃がなるばかりで、猿人間たちが来てうまいうまいこの世の天国だと言いながら食べてしまいますので、みんなで話し合って、あなた様のようなりりしい方がやってくるまでは――いつか必ず、私たちを捜し当ててくださると信じていました――花を咲かせないようにしようと決めたのでした」
 猿人間が言う。
「私たちの好物の桃の、唯一邪魔だったあのでかい種がなくなったら、そりゃ口当たりがよくて、私だってうっとりするほどほおばってしまうだろうなあ」
 桃堕郎が苦笑した。
「もしかして、お前だけが最後まで俺についてきたのはそういうわけだったのか」
「嫌だなあ。桃堕郎さんを食べたり、かじったり、舐めたりなんて、まさかね。夢に見たことはありますけど」

 夜、二人だけになると、猿人間は主人に進言した。
「昼間はああ言いましたれど、けけけ、これは商売になりますよ」
「どういうことだ」
「つまり、園芸農場を経営するんです」
「よしてくれ」
「なぜです」
「お前の考えてることはわかるよ。宴会のあいだじゅう、顔つきが変だった。要するに、これから生まれる俺の子供たちを、食われるのを承知で売りに出そうってんだな」
「そんな。人倫にもとるようなことは私は言いません。だから、あなたがナニをしなけりゃ、無精卵がなるそうじゃないですか。種のある実は母樹を増やすために必要ですから、どんどんおつくりになって大切に育てて下さって結構。より人気の出そうな、種なし桃、これを女どもに大量に産ませましょう。うまく言いくるめればどうにでもなりますよ。種あり桃を産みたければ、一つにつき十個の種なし桃をならせろ、とかなんとか」
「でも、かりにも命の片割れだぞ」
「いいえ、無精卵は命ではなくて、れっきとした食べ物です。それ以外の何物でもありません。そういうあなただって、豚肉や牛肉をおいしいおいしいと食べるでしょう。豚人間や牛人間がどういう気分なのか考えたことがありますか」
「え、だって、それはもうみんな、納得ずくじゃないか。人間の血がまじっていなければ食用にしてよいし、資源を無駄にしないためにもむしろそうするべきって」
「その通りです。みんな割り切ってますよね。豚人間が養豚場を経営して、毎日何十頭と屠殺場に送り出して、何ら恥じらうことがないってなことはざらです。程度の差こそあれ、誰だってやってることですよ。ちゃんとした生き物でさえそうなのです。生き物にもなっていない無精卵など、ましてものすごくおいしいはずなんだから、食べて当たり前です。だからって、桃堕郎さんも食べろと言うわけではないですしね。欲しい人たちに分けてあげてお金もうけをしましょう、というだけのことです」
「そういうことになるのかなあ」
「やりましょうよ。絶対当たります。一生、おもしろおかしく暮らせますぜ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(『桃』  十 桃幻郷  了)

 
  九  裏島研究員  ▲
 


 

  十一  昇 天  ▼
 


 
小説工房談話室 No.80 ■■■■■■ 
1999/12/06 05:08 和香 Home Page ■■■■■■ JustNet TOP 
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HP採録 平成12年2月15日(火)〜