十四 大鬼界で堕落
 
 
 
 流浪の果て、犬人間は大鬼界に行き着いた。
 夜も昼もない泥水と残飯と小さな甲虫のいる一隅で、人生の最期を迎える寸前まで行った。が、そうはならなかった。どこの世界にも奇特な人というのはいるもので、弱り切っている彼を介抱してくれた老婦人がいたし、自分でも夢物語かと思う話を熱心に聞いてくれる好人物にも出会えた。
 かなり余裕のある人らしく、何を血迷ったのか投資までしてくれると言う。驚いて、あなたのお金を確実に何割増しかにしてお返しできるということは、とてもお約束できない。犬人間は、こんないい人を騙すことはできないと、誠心誠意断わろうとしたが、それでもいいから、と笑っていた。若い人の夢と熱意にひょっこり乗ってみたくなるものなんですな、こう年を重ねるとね。
 こうして、狭い土地と簡易住宅ながら、研究所の看板を出すことができた。昼前のさわやか風が一方の窓から一方の窓へと吹き抜ける。犬人間は大きく深呼吸をして、人間の善意というものに報いなければならない、と信じた。
 からくりを次々に創り出した。何も手段がないときに心の中でああもしたいこうもしようと妄想してきたもの、それらに形を与えていったのだが、大半は真実妄想に過ぎなかったことが立証されただけで、だめだった。ひと握りのものが、現実に手の触れられるものとして生まれ落ちたが、それらもあらかた売り物としては愚かしいばかり、百年店先に並べても万引きさえされないガラクタだった。
 数ヶ月後、ついに『粘性物吸取機六号』というのが一台だけだが売れた。犬人間は所内で踊った。ほどなく『光学式害獣追払機改弐号』が続けて三台出た。何だが天下をとった気分だった。
 それからしばらくは何も当たらなかった。悩んでいたとき、あの後援者の勧めがあって『ひとりネ壱号』という大人のおもちゃを創ってみた。単価は小さいが、数がわりと捌けたので、初めて徹夜で作業をするという経験をした。
 ずっと大人のおもちゃ関連だけはそこそこ出たが、あとのものはまるで売れなかった。『光学式害獣追払機改弐号』のうちの一つが、効果がないと返品になった。散々使ったあとでそれはないでしょうと押し問答になったが、結局全額返金でけりとなった。そういうお金、彼の生活費、研究所の維持費、少なくない材料費は、大人のおもちゃの売上げでは到底足りず、開所して一年以上経っていたがまだあの後援者に頼っていた。
 行き詰まると犬人間は酒場に寄ることが増えた。ある夜、酔っぱらって帰ってくると、あの後援者が待っていた。一枚の明細を出して言う。
「今まで私が出したものの全額です」
「どういうことでしょう」
「今すぐ返せとは言いません。ただここで署名だけしてください」
「もちろんいたします。でも」
「ええ、私も惜しくて言っているのではありません。あなたは私に甘えている。うまくいってもいかなくても食べるのに困らないために、あなたは必死ということをお忘れのようだ。せっかくの才能が残念でなりません。どうかお金はついには返すものと肝に命じてください。稼ぎ出せなければ昔のあなたに逆戻りなんですよ」
 言われた通りだと、恥ずかしくなった。
 犬人間は頭が狂うかというぐらい頑張った。からくりはそれからも数多く出来上がったが、しかしどうしても売れなかった。
 よく『音姫探知器一号』を思い出す。ああいうのが天才の仕事なんだろうな、という気がする。俺は、夜なべで大人のおもちゃのねじを調節というわけか。へっ、これが一番お似合いなのかもしれない。
 酒場のなじみは、安っぽい女達だったけれど、犬人間の欲情をそこそこ満たしてくれた。ナメナメアエグヒメ、それにプルプルトイキヒメといった。彼女たちが男以上に好きなものは唯一つ、お金だった。腐敗酒オウトをやりながら両脇の女の腰をさする。げらげら笑い合う。そんなときだけだった、みんな忘れられるのは。賭けごとにも手を染めた。一発当たれば見返してやれると、ナメクジ競争では板を鼻息で焦がし、ヒヨコ股裂き籤では血管が切れる瓦落(がら)を何度も味わった。
 どこから湧き出るのか、金は続いた。そのうちにあの後援者に見放された。聖人君子ではなかったらしく、借金はちゃらとはならなかった。二束三文でだろうが債権を金貸しに売っていた。黄金鬼というその金貸しが取り立てに来てわかった。犬人間はここまで来たらどうしようもないと鷹揚にかまえて、素晴らしげな構想をとうとうとしゃべった。ちょっと専門用語を混ぜたのにくらまされて、黄金鬼は追加融資を約束した。犬人間はおかしかった。安心してください、これで今度の企画が進行しますから早ければ二ヶ月で利息ともども払い込めますよ。
 ナメクジにぶっこんだ。全部いかれた。二週間ほどして、また演説をぶつ。しぶしぶだが同じぐらい出させる。次はヒヨコだ。――わかってたんだ、当たるわけないぜ、ナメナメアエグヒメやプルプルトイキヒメといっしょに、金貸しの馬鹿さかげんを嘲弄し糞味噌に言い、オウト酒を浴びた。女達が勧めるので、確神剤やハハアナタバコもやってみた。どうということはないが癖になる。そして値が張った。しかし犬人間は、金の創り方はもう十分過ぎるほど心得ていた。俺に注ぎ込めば注ぎ込むほど、俺を破産させるわけには行かなくなる、というからくりを発見したのだ。

 半年ほど経った。黄金鬼の手下が数人押しかけてきて、最新の明細を見せた。五〇〇万金を超えていた。犬人間は、すげえ、よくぞここまでと、暗くただれた興奮を感じた。
 乱暴口だけでなく刃物まで見せて脅してきたが、こちらは終始丁寧な言葉遣いでいなした。しかし、――来るところまで来ちまいやしたね、うちの会にとっても痛手だが、俺らももう額じゃない意地だ、誠意のひとかけらもないんなら、あんたの命で落としまえつけてもらって、きれいさっぱり忘れちまいたいって会長も言ってるんです、と兄貴分が言うのが、どうも本気に聞こえた。頭の悪い奴らを追い詰めすぎたのだろうかと心の芯のところで初めて不安になった。
 しかし五〇〇万金。最近は馬鹿らしくて大人のおもちゃでさえ身を入れていない。どうしようもなくて、笑ってしまう。逃げるったってもうずっと前から見張りがいるはずだ。いよいよ覚悟決めるか、おい、よう。
 ここは、桃堕郎に助けてもらおうと決めた。言いくるめる自信はあった。ただ、額が額だけに桃幻郷が払えるかどうかが心配だった。
 桃堕郎を招待した。
 やってくると、犬人間なりに心を尽くした接待で熱烈歓迎した。昼は大鬼界の案内とご馳走ぜめ、夜は例の酒場界隈で遊興の数々という具合。一日目はまだ言えなかった。
 二日目。それとなく聞き出した桃幻郷の商売の規模から考えて、それに賭場での桃堕郎の張り方のじれったくなるぐらいのみみっちさを目の当たりにして、なんとも心苦しく切り出しづらくて、延ばしてしまった。
 三日目、ここが正念場と女達にも気合いを入れさせた。桃堕郎は慣れない冗談まで言いだすし、この上ない機嫌と見えた。こんなに楽しく遊んだなんて生まれて初めてだよ、と言う。そして、犬人間を誉めちぎった。
「すごいなあ、お前は。それになんて華々しいところなんだ。長い間心配していたけど、何のことはない、こんな大きな街で人生に成功していたんだね。羨ましい限りだ。金儲けの秘訣とか教えてくれよう」
「そんなこと、お恥ずかしいばかりですよ。たいしたことないと自分では思ってるんですけどね、ちょっとした思い付きだけだったんですけどね、ひひひ、もうからくりが売れて売れて、ほんとは遊ぶ時間も惜しいようなもんでね、……」
 などと答えていた。高笑いをして、一気に酒を飲んで、長い息を吐いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(『桃』  十四 大鬼界で堕落  了)

 
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小説工房談話室 No.84 ■■■■■■ 
1999/12/12 23:42 和香 Home Page ■■■■■■ JustNet TOP 
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HP採録 平成12年2月15日(火)〜