十六 懺悔
 
 
 
 雉娘は郷役場の隅で骨休めをしながら、一通の手紙を見ていた。衝立(ついたて)の向こうにある大机では、猿人間と白銀鬼が、光り物の山を間にして証文のやりとりに長い時間をかけていた。
 それが済み、白銀鬼が退出した。あとには、一〇〇〇万金がきっちり直方体に積み上げられたまま残った。
 ほどなく、犬人間がやってきた。
「早過ぎず遅過ぎず、というところかな」
 桃堕郎さんは、と言って猿人間は言葉を切った。犬人間からは目をそらして向こうを見ていた。
「途中で酔い潰れてしまった」
 と、犬人間は自分の荷袋を開けながら、机のそばに近寄った。
「そこで、俺しか知らない場所でまだ眠っているよ。怪我をするといけないから手足をよく縛っておいた。大丈夫。ちゃんとあとでその場所は知らせてあげる」
 猿人間は言った。
「やっぱりやめにしよう。その金はお前に渡さない」
「そうかい。いいぜ、俺は。ならこのまま帰ろうかな」
 金を詰める作業を止め、本当に帰るそぶりをした。そして、
「へへっへ、冗談だよ。見捨てられるのかい、猿さん」
「けっ、お前こそ。よくこんな仕打ちができたな」
「どうしようもないことってあるんだ。そのうち猿さんにも分かることがあるだろうね」
 詰め終えて、じゃあな、と犬人間が振り向くと、入口に桃堕郎が立っていた。
「今着いたよ。君、ひどいじゃないか。先に行っちゃうんだから」
 犬人間は全身の毛を逆立て、爪先立ちになって跳ね上がった。袋が落ち、金がいくつかごとごと散らばった。
 猿人間がそれらを拾い上げ袋ごと奥のほうへ持っていく。
 うめきながら、犬人間は膝をついた。
 雉娘が来て、桃堕郎に犬人間からの最初の手紙を見せた。桃堕郎は黙読を始めた。
「わたしが助けてあげたの。あそこから桃堕郎さんがいなくなっちゃうんだもん。あなたはどんどん行くしさ。――なんて、見下げ果てた人なのよ。わたしたちはみんな幼なじみじゃないか」
「僕は、生まれてからまだ酔い潰れたということはないんだ。でもまさか縛られるとは思ってなかったんで、あの縄抜けにはてこずっていてね、助かったよ」
 猿人間が戻って来て、鼻を鳴らした。
「どうしましょう」
「うん、一つ聞いて欲しいことがあるんだが」
 床につっぷして、犬人間がか細い声でしゃべり始めた。許してください。ごめんなさい。どんなつぐないでもします。命だけは、ああ、ああ。
「いまさらそれはないだろう。男らしくないぜ、犬さん」
「そう言うなよ。僕の命をとる気はなかったみたいだし。……君もそんなところじゃなくて椅子を使えば。僕は君の話が聞きたい」
 いいえここでいいです。しばらくして桃堕郎に何度かうながされてから、犬人間は、いきさつを述べ始めた。
「……大恩ある桃堕郎さん、かけがえのない友人たちにこんな迷惑をかけてしまって、畜生にも劣る。ははは。最低です。猿人間の言う通りだ、どうにでも好きにしてください。……俺がこんなになってしまったけちのつきはじめは、カネ太郎さんが無残な最期を遂げられたときだと思う。カネ太郎さんは、火山の噴火を鎮めるため、夫婦いけにえとなったのです。そんなカネ太郎さんを卑しめ、自分だけは生きながらえたいと逃げ出した俺は、まず一つ道を踏み外していたんだ。……何もする気になれなくて長いことふらふらしていた。大鬼界では、順調な時期もあったし、それこそ子供のころの夢や希望をかなえようと、燃えていたんだ。なのに、ちょっとした隙をあの黄金鬼がつけいってきた」
 無慈悲で容赦ない取り立て。立ち枯れていく才能。その焦燥、失意。追い詰められた弱虫。物語りつつ、身体をねじきるばかりに犬人間は嘆いた。
「悔しいよう、あそこで俺の力も青春も人を思いやる心もみんな吸い取られた。残ったのは、ごみくずみたいなかす。自分だけの欲をむさぼる悪魔。あのただれきった世界にすべてを狂わされたんだ。それとも、生まれが卑しいからどうやってもだめだったんか。俺のしかばねは、カネ太郎さん終焉の地に、そしてできればあの金でもつかって、カネ太郎さんの遺徳をしのぶ碑を建立してください」
 犬人間は慟哭した。喉が破れそうだった。発狂するかとも思えた。
 雉娘はうつむいて、目をぬぐった。
 猿人間は溜息を一二度。舌打ち。
 桃堕郎は、そう自分を責めるなよ、と肩をたたいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(『桃』  十六 懺悔  了)

 
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小説工房談話室 No.90 ■■■■■■ 
1999/12/15 23:46 和香 Home Page ■■■■■■ JustNet TOP 
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HP採録 平成12年2月15日(火)〜