十九 死闘
桃堕郎軍は大鬼界に進撃した。
兵士たちに桃堕郎はこう説明した。
「桃汁をかける。あいつらの表皮は融け始める。その部分を突くんだ。必ず剣はとおる」
まさかこれほど早く攻めてくるとは思わなかったのだろう。抵抗しに出てきた下っぱの赤銅鬼たちは数こそ多かったが、武器らしい武器は持っていなかった。桃汁噴霧機壱号(もちろん犬人間が短時日に開発した)の威力の前で泣きわめき、逃げまどうばかり。鬼一匹ごとに何本もの剣が刺し貫いた。
初戦は大勝利だった。
鬼たちは商会本部に立て籠もった。城塞といってもいい堅牢さを持ち、何度も取りついたのだがうまくいかなかった。包囲戦の様相となって、戦いは膠着した。
えりすぐりの部隊で攻め込んでも、板やら布やらで身を守り飛び出してきた鬼たちが最初の桃汁攻撃をうまくしのいでしまうと、あとは悲惨だった。引きちぎられる様子がこちらの誰からも見えた。特に白銀鬼ら幹部級の気魄はものすごく、統率にもすぐれ、あわや包囲を破られそうになったことまである。
やっぱりおれたちはかなわないんだ。じり貧じゃないのか。そう表立って口にはされなかったが、不安が徐々に広がってきたし、夜、逃亡する兵士が出始めた。
雉娘が息切らせて舞い降りた。
「桃姫たちがそれはもう疲弊しきっています。これ以上こんな勢いで桃の子を産むと何本か死んでしまいますよ」
猿人間は青くなった。
「それはまずい。こちらでも底をつきそうなのに。こんなに消耗してしまうとは考えもしなかった。あんなに大切に育てた若い桃娘たちにも今は産ませています。一本でも死なせるわけにはいかないでしょう。もう勝ちは動かないのですから、あとは停戦交渉して有利な条件で決着させましょう。時間が経てば経つほど士気も落ちます」
犬人間は首を振った。
「いや、正義はあいまいなものであってはいけません。断固完遂すべきです。それに追い詰めているこの有利な時にあいつらを抹殺しなかったらいつやるんです。妥協が一旦は成立しても、なんだかんだといざこざで一生悩まされ続けるに決まっている。この次に勝てるとは限らないし、その時不利に陥ったとして、鬼たちもこちらを許してくれると思いますか」
桃堕郎はしばらく考えていた。この戦いは勝てるんだろうか、本当に正義ならば勝てるんだろうか、という気がしてきた。しかし犬人間の言うことももっともなのだ。あるいはふと、まぐあいはもう飽き飽きしたしなあ、そんな想念もよぎる。
桃堕郎は言った。
「憶病者はむしろいないほうがいい。逃げたい奴は好きにさせろ。桃姫たちにはあと少し頑張ってもらうしかないな。兵一人に二個でいい、桃の実が行き渡るまでは挑発にのらずじっと待とう。それから一気に決める。全軍でぶち込む。ただ一度の戦いに、僕たちのすべてを出して賭けよう。それで勝てないなら、もともとそういう運命だったんだ。しょうがないよ」
その時が来た。
装備は充ち、緊張は臨界に達し、これ以上は待てなかった。
犬人間は部下たちに吠えた。
「いいか、お前たち。ここまでやっちまった以上、もし負けでもしてみろ、どこに逃げようと世界の果てだろうと、ここにいる最後の一人まで、化け物の執念で鬼たちは捜し出す。必ずな。泣いてもおべんちゃらをいってもあいつらは逆らったものを許さない。絶対だ。そうして想像もできないようなむごたらしい拷問のすえに殺されるんだ。これも絶対だ。つまり、身動きできないようにされて目玉をえぐり取られたりちんぽを引き抜かれたりするんだ。うへええええ。痛いし、死ぬよりつらいぜえ。だから、俺たちはもう、やるしかないんだ。今、あいつらをころすしかないんだ。わかるだろう。ころせ。一匹でも多くころせ。最後の一匹まで、ころせ。逃げても進んでも死ぬなら、ぶちあたって道連れにするんだ。俺たちが勝つ。正義が最後に勝つ」
兵士たちの抱える突貫棒参号(犬人間の考案)が城塞の壁に穴を開けた。その穴から白銀鬼が出てきてその兵士たちを噛み殺す。しかし、次の突貫棒、さらに次の突貫棒が雄たけびともに突進して行った。
桃の実をかざし、本隊歩兵が突撃を開始。赤銅鬼、白銀鬼どもが、すさまじい狂声をあげて、反撃に出陣する。
間もなく、辺り一帯が阿鼻叫喚地獄と化した。
桃堕郎は黙想していた。
人々のためになるならと噴火口に飛び込むなんて、なんという悲壮な勇気だろう。どんな気持ちがしただろう。カネ太郎さん、僕にも力をわけてください。
桃堕郎は立ち上がり、剣を天に突き上げた。
「僕はここで戦うために生まれてきた。僕はここで死ぬために、生きてきたんだ。……わあああああ」
そして駆け出した。
何時間過ぎたのかわからない。おびただしい死にまみれて、進んでいった。温かい内臓とか血のりとか、巨獣の腔内を行くようだった。すべてがまざりあいぶちまけあった形容しがたい臭気。ときどき気が遠くなった。奥まったところに薄暗くだだっ広く、豪奢に飾られた部屋があった。喉はからからで、もう一滴も出そうになかった。
黄金鬼のまわりには屍体が散らばっていた。桃汁で半身がただれていた。
「いくぞ、ひとごろし」
「こい、あくま」
剣はぼきりと折れた。黄金鬼の怪力が桃堕郎を抱きつぶした。その返り血、つまり、身体の芯からの最も癖の強い汁を全身に浴びて、かなしげな断末魔の喉声があって、黄金鬼は崩れた。
絶命したあとも、じゅるじゅると融けていく。
その胸の中で、桃堕郎はかろうじて息をしていた。
その時の裂傷は、癒されない痛ましい跡とはなったが。
(『桃』 十九 死闘 了)
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小説工房談話室 No.94 ■■■■■■ 1999/12/18 23:40 和香 Home Page ■■■■■■ JustNet TOP |
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HP採録 平成12年2月15日(火)〜 |