平成9年12月10日(水)〜


参照資料


 
 「生きるってとっても伊勢物語」は、ご覧の通り、「伊勢物語」そのままではありません。といって、まるでかけ離れたものとも違います。
 つかず離れず、語りなおしながら、わたしなりの夢を定着していけたらという、そういうわがまましごく、学問的にはどうも、という詩です。
 好きなようにやっていきたいのですが、この自由自在ということほど難しいものはないでしょう。翼もなく空は舞えませんし、先達の導きがなければどこで何をしていいのか無駄にいのちを費やすだけでしょうし。まして、わたしのような無学かつ怠惰なものには。
 強力な援軍、暗闇にさす光明として、いくつかの資料のお世話になっていくと思います。

 本当のところを言えば、真に「伊勢物語」にのめり込みたいのであるなら、こんな所は踏み台程度にして、どんどん以下の資料をはじめとする本物の研究に、そして原典にとあたっていただきたいのです。退屈ということはまずないでしょう。後に成立した「源氏物語」に比べると、さほど量のあるものではありませんが、いくところまでいってしまっているということを考えますと、量が少ない分、そしてまだほとんど手本となるもののなかった時代状況の分、その存在が怖ろしいぐらいなのです。決して期待を裏切らない、かつ、底の知れない、わたしたちの血肉にしみこんでいるらしい懐かしさにみちた、そういう巨大な迷宮なのですから。−−と、まだ入り口に立ったばかりであるらしいわたしにさえこう語らせてしまうのです。「生き甲斐」というと大げさですが「行き甲斐」は大いにあると思いますよ。

 そして、なんだまだこんなところでうろうろしているのかと思われる方、慈悲の心がございますなら、どうかご助言ご叱声を。こういう賢者がいるよ、とお名前でも、書籍でも、ホームページでも、お知らせくださいますように。
 わたしがそういうご馳走を表皮だけでも咀嚼するのに、また、あきれるぐらいの時間がかかるでしょうが、本当にはあきれないで見守っていてくださいますように。

(長くなりました。伊勢物語の簡潔さに学ばなければいけませんね)

平成9年12月10日(水)




鑑賞日本古典文学 第5巻 『伊勢物語・大和物語』
片桐洋一編
(昭和50年11月30日 初版発行 角川書店)
 とりまく時代・政治・風俗・文学上の出来事など広い視点から、伊勢物語へ、各章段へ、歌へと導いてくれるとても丁寧なつくりとなっています。冒頭に総論がありますが、各章段それぞれの場所でも同様に懇切な状況説明があり、どこからでも、あるいは、時間をおいて気が向いたときにでも開くことができます。入門書として、あるいは、ときたまであるけれどこの世界を思い出したい、ふだんはとても忙しい、そういう人に合っていると思います。
 紙数の制約のある中で、特に大切な章段を述べつくしたいという意向なのでしょう、四十段程度のみを取り上げています。
 編者は、平安期の歌物語、歌集等の碩学であるらしく、大きな図書館で調べましたところ、片桐氏の著、共著、編、校注など館所蔵の九冊がみなこの分野の書籍でした。
 私の読んだ本書は、近くの図書館にありました。いい意味で相当に傷んでおり、学生さんのものなのでしょう、鉛筆の書き込みもあって、体温があるみたいでした。編者の注ぐこの物語への愛情が随所に感じられ(この先生の人生までふと想像したりして)、足かけ一年以上かけた読書でしたがとても楽しいものでした。

平成9年12月11日(木)




新潮日本古典集成 第二回配本 『伊勢物語』
渡辺実校注
(昭和51年7月10日発行 昭和62年3月25日8刷 新潮社)
 全百二十五段を掲載しています。周囲のことはなるべく後半の「解説」「附説」にまわし、各章段を簡潔的確に述べていくというスタイルです。
 上掲片桐氏編の書籍を読み終えてしまい、しばらくは忘れていたのですが、習慣が染み付いていたらしくどうしてもまたこの世界に戻りたくなりました。どうせなら別の人のを読んでやろう、それも全段収載のものをと、早稲田の古本屋街を捜しました。十数軒回っても伊勢物語の本は数冊でしたが、その中から本書を得ることができました。
 美本です。函、装丁、紙、活字、はたして著者がどこまで指定できるのかわかりませんが、みな上質このうえなく、手にもしっくりとします。
 渡辺氏の傍注、頭注が必要最小限でしかも十分、煩わしさを感じることなく、あたかも自分が原典そのままに読み理解し進んでいるという感覚です。また、後半の「解説」「附説」で顕著ですが、渡辺氏の文体が素晴らしい。長年研鑽を積むとこうも緊張感のみなぎる、気高い文章が書けるものかと、ためいきが出るほどです。(どこにでもいる小説家程度では真っ青というレベルだと思います)。
 ところで、本書には、渡辺氏の経歴や肩書き、いわゆる著者紹介というものが一切ありません。本書の校注者であるという一点でのみ後世に記憶される、ほんもうである、全く悔いはない、そういう気概で「伊勢物語」を述べた。私の深読みでしょうか。
(気になるので、やはり大きな図書館で調べてしまいましたが、渡辺氏は「枕草子」や「大鏡」についての著作はあるものの、片桐氏のように古典文学一辺倒という訳ではなく、「国語構文論」「新島襄」「近代日本海外留学生史」など多方面に関心があるようです。−−また、本書での、片桐氏の説を大筋で認めながらも厳しい疑問を提起し切り込んでいく手法など、片桐氏に続く世代あるいはお弟子さんかと思っていました。が、調べましたところ実際は逆で、渡辺氏の方が六歳程度年長とわかりました。−−ご両人とも、京都大学にゆかりの学者さんらしいのですが、専攻分野と「伊勢物語」の距離、お互いの先輩後輩関係など、興味がわいてしまいます)
 なお、私の「目次」欄に掲載しました原歌は、この本書=手元にある渡辺氏校注の書籍からそのままを引用させていただいています。ただし、ルビが振れないため、漢字をかなに直した場合があります。

平成9年12月11日(木)




 




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