佐久間絵美様
- 拝啓 寒気のきびしいころとなりました。お元気ですか。
- 「お元気ですか」とたずねるのは、少々変です。つい先程まで同じ仕事場でそれぞれの作業をしていたのですから。−−今年最後の出社でした。大掃除ということで螢光灯をふいたり機械や机に紙をかぶせラップして、ようやっと終わりました。皆に良いお年をと挨拶し会社を後にして、私はもう習慣となった散歩をしあのコンビニエンスストアで食料を買い、アパートに帰り着いて炬燵の中です。昨日の新聞を読んで(昨夜は係の忘年会でした。読めずにたまったのです。あなたは出席しませんでしたね。先週の課の社員だけの忘年会にも出なかったと聞いています。小野さんの送別会、さかのぼって九月二十一日の島貫さんの送別会も欠席でした)そうしながら早い夕食を済ませ(最後の日なので仕事は四時で終わってしまいました。習慣はおそろしいもので、何時に終わろうと順序として食事の番が来てしまうのです)そして今日の新聞にとりかかる前に、どうしても、どういうわけか、あなたへの手紙を記したくなりました。
- どうしてでしょう。年末で、会社の納めも済んでこの年を振り返る気持ちがあったからなのでしょう。その時、私に最初に思い浮かんだのが、あなたです。私にとってのこの年は、あなたに出会った年なのです。
- 四月にあなたは入社しました。十八歳ということでした。色白で背の高い娘でした。かわいらしいようだなどと話しもし思いもしましたが、もちろんあの頃は「あなた」を見ていたのではなく、「新入社員の一人」「新しい女子社員の一方」を他の人と同様私も見ていました。−−お読みになっているなら、こういう意味のうすい思い出話しなどいいかげんにして欲しい。用件はなんなの、と思われるでしょう。用件は一つです。あなたと仲直りがしたいのです。でも、あなたの前に土下座してそれを得たいのでもなく、逆にあなたに非を認めさせたいのでもありません。どういうことなのか、実は私は、書きながら考えているのです。−−五月になって、確か五月だったと思いますが、あなたは係長の指示により、製版の作業をすることになります。つまり、私の作業の補助をしながら、新人としての研修もするということです。そのように私も指示を受け、そして係長は期限を切りませんでした。当分ということです。製版の仕事を女性ができるものだろうか、それも入社一二ヶ月の、しかも成人でもない子供に。という不安が私にはありました。しかし一方では、多忙のため手助けが増えるのは大変喜ばしく、多少の欠点が実際にあろうとなかろうと、仕事をしてもらう必要があった、そうしてもらわなければならなかった、という事情がありました。私は自分にできうる限りの力で、そういう新人を、慎重に正確に実戦的にと指導しました。あなたも、たぶんそうだったのだろう、と異存はないのではないでしょうか。しかし、ついでながら言い添えれば、一般的に言って人を教えるということは、命を削ることと同じです。私があの頃していたこともその通りでした。毎日毎日この身を削る音を心に感じていましたが、そのそそけだつかんなの跡まであなたは想像できましたか。今もあなたにはまだその本当の感触はわからないと思います。新しい人は何も知りません。知らないということもおそろしい。あなたはあれが、普通は女子社員のする仕事ではないということを知りませんでした。世の中にはかなりちゃらんぽらんな先輩がいて私のような教え方をする人間ばかりではないということを知りませんでした。どのくらいがんばったら普通で、一人前の顔ができるのかという程度などまるきし知りませんでした。あなたは私の言う言葉を信じて、ただできうるかぎり正確に遅くならないようにと、一生懸命、がんばることしかできませんでした。ほどなく、常識をややはずれるぐらい優秀な人を、またはそういう才能のある人を私は教えているということがわかりました。平凡以下で、どこにでも転がっているような投げやりな女子社員だったなら、私もそれ相応に扱えばいいのですから、たぶん気が楽だったでしょう。あなたを初めて大切な人だと思いました。十二分に輝くことのできる才能というのは、それが誰に属していようと宝物なのです。なんとかあるべき姿に育てたい、美しい花を咲かせたい、と思うのは、親であれ、先生であれ、そういう命削る立場におかれたものの真情です。私があなたにそういう想いを抱いたと言えば、あまりにおおげさだ、現実を認識していない、などと批判しますか。その批判はたぶん正当でしょう。でも、人の心はその人の心の中だけしかわかりませんから、その人にとって、その人の心の中はいつだっておおげさです。そして心の中にはいつも本来ひとかけらの現実もありません。あるいは、心という現実があるだけです。私は、あなたをまちがっても辞めさせてはいけないと考えました。そして一ミリでもほんのちょっとだけでも良い方へ伸びて欲しいと願いました。私の誤った一言や、心ない行動であなたのあるべき未来を少しでも曇らしてしまうことを恐怖しました。なんとか明るくてなごやかな雰囲気を保とうと努めながら、心の芯でますますそそけだつ私の張りつめる精神を今は察して下さい。しかしながら、私のそういう過酷な情況を救う恵みがありました。そういう過酷の原因はすでに述べました通り(良い悪いという区別はあまり意味がないことを申し添えますが)あなたです。そして、救ってくれる恵みというのは、一人の女性でした。すでにかわいらしいという形容は適切ではない、美しい姿をしており、若々しく溌溂としていてその明度と温感がなんの無理もなく人に感染していく人です。私にもそんな年代があったという気がして(本当はなかったのかもしれないのにそんな気がしてきて)涙がでるくらいなつかしく思えてしまいます。男女の違いはありますが、年齢の差は悲劇的ですが、私もこのように生きられたら、もしかしたらまだ遅くはないかもしれない、と、希望を芽生えさせてくれ夢を見させてくれるとても若い人です。つまり、あなたです。これも、あなたです。二つながら、あなたは持ち、いつもいつも私の隣にすわっていました。
- たいした枚数ではありませんが、もう夜の十時に近いのです。やっと六月か七月頃に来ています。とても八九十、十一、十二月と続けていく体力がないと思います。でも休みたくはありません。なるべくちぢめて、言いたいことだけを記します。
- そういう才能を持ち、そういう美しさを持つ人というのを、私は今まで信じられませんでした。普通はどちらもないのです。(もちろん、人である以上、必ずなんらかの才能があり、なんらかの美しさがあるはず、とは信じています。しかし、それは容易に人目に触れません。人目に触れるとしてもいつもいつもそうではないのが普通です。ときたま、ぴかりと光るのです。現実問題として、そのぴかりの瞬間に私が居合わせなければ、私はそれを見ることができず、つまり、「あるとは言えない」と評価するしかありません。私の人生にとって「あるとは言えない。が、あるかもしれない」という他人の位置が不当に低くても、これも批判されてもしょうがないという例の仲間ですから、しょうがない)。そして、ときたまは、どちらかを持つ人を知りました。かろうじてどちらをも持つ人を見ました。でもその場合、一方は一級品とは言えなかったり、一方は持続しなかったりします。天は二物を与えず、と言います。それが自然なんだろうと思っていました。
- あの頃、私は毎晩だったか毎朝だったか、ある標語のようなものを唱えていました。それは「三つのしあわせ」というものです。一日のことを、思い返す時にも、これから思い描く時にも、まず「三つのしあわせ」ということばが心の中に浮かぶのです。一つ目は仕事です。過分な量をこなさなければならなかった私にとって、あなたの仕事上の補助がどれほど助かったことでしょう。仕事に圧しつけられ苦しめられなげくことが全くないとは言えなかった私が、あなたを指導する労苦を差し引いてもありあまる余裕を与えられたことによって、仕事に追われるのではなくそれを追うことができるようになりました。(言い忘れるとばちが当たりますけれど、あの頃の島貫さんの貢献も私には少ではありませんよ)。しようと思えばどこまでも厳密な正確さを求め、得ることができましたし、そうしたければ美しさにこだわることも許されました。何ヶ月もしなければいけないと思いつつ先延ばしをしてきた数々の改善事項も次々片付けていくことができました。さながら、心がしだいに晴れわたっていくようです。私にはもう、あの頃からあの仕事がかなりの楽しみとなってしまいました。二つ目はもう一つの仕事です。あなたの知らないもう一人の私の本業です。すでにうすうす感づいているでしょうが、このような原稿用紙に文字をのせていくのが、私の本当の仕事です。残念ながら世間の人はまだ一人としてそれが世のため人のために役立つもの、つまり、仕事だとは認めてくれませんけれども、ということは一円にもならないのと同様のことなんですけれども、私にとっては十年になるのか十五年になるのかこの上なく役に立ってくれたもの、仕事です。はげましてくれたり、きたえてくれたり、けんかになってしまうこともある友のような仕事でした。そして、けんか別れしそうになり、でも好きなんだとあきらめられず、迷い歩くうちにひっかかった劇場があってちょっとのぞいていた、というのが私です。劇場とは昼間のあなたも知っているあの会社のことです。本当は、私はこちら側の人間で、あなたたちと同じ舞台に乗るなんて予定していなかったという、そんなことも考えてしまう困った人間です。ところがどういう訳かまだはっきりしませんが、あなたからの生命力の感化ももちろんあったのでしょうけれど、あちら側と思っていた会社での演技に身が入り、心がこもるにつれて、少しずつゆっくり、こちらで冷たい空気にただよっていたはずの本業と折り合いがつくようになって来たのです。一枚、二枚と少しずつですがしっかり進みます。今までと同じことを書いているみたいででも違っているかもしれない、そこのところが自分でもよくわからないという文章が、でも進みました。普通なら、昼間あれだけのそそけだつ過酷と戦い、仕事の興趣に知らず知らず時を忘れ疲労を忘れ、エネルギーを消費してしまうのですから、もう一つの仕事にまわすエネルギーは減るはずです。なぜでしょう。でも、うれしい誤算、棚からぼたもちでした。三つ目は、あなたです。最上のものを二つながら持ちあわせる。再三言いますが、おおげさと言わないで下さい。私の知っている「自然」には存在していなかったものが、いきなりやって来て、日々輝きを増していく。私でなくとも、それと似た状況におかれてしまった人がどういう心情になるかしらと、ちょっとでも空想してみて下さい。ある人はそんなものに会ったら言います。「奇跡だ、信じられない」。別の人なら、神を感じるでしょう。少なくとも、何かこの世ならぬものを想ってしまいます。もっとあなたにわかり易く説明すれば、こうなります。日本文学における最上最高の美女は、竹取り物語のかぐや姫だそうです。本当に美しいそして悲しい物語だと思いますが、あれにも作者はいたはずです。それはまちがいないでしょう。そして、その作者は、現実において、かぐや姫のモデルになる人に出会っていると考えたらどうでしょう。二十世紀の小説ではありません。あの頃、素朴な感動がなくてあんなだいそれたものを残せるとは思えないのです。そう考えてしまいたい。その人が、現実のかぐや姫に出会った時の、常識がしだいにはじけてしまった心情を空想してみてくれませんか。私は毎日あなたに会いに行くのが楽しくてしようがなかった。一日が終われば、少なくとも今日一日、時間としても空間としてもあなたとともに生きられたことを、何かしらに感謝しました。目の前のテレビでもいい、炊飯器でもいい、手を合わせたいほどでした。あなたにしてみれば私に会いに来るのではなく、仕事なんだから出社して口やかましい先輩(社員ですらない人)の素朴な思い込みを壊さない程度に気をつかっていたのかもしれませんし、一日が終わるときに考えることは別の人のことでしょう。何かしらに感謝するということも、私のようにひどいことは、ことさらなかったと思います。想われるというのはそういうことですし、想うというのは私のようなことです。そして、私はしあわせでした。私がお題目のように唱えた「三つのしあわせ」の話は、これで終わりです。せんじ詰めれば、私の幸福のことでした。
- なぜ私は、お題目のように唱えたのでしょう。もちろん、ドンツクしながらわめきたてたりしたのではなく、心の中で唱えました。私はかなり常識的な人間らしくて、「自然」とか「調和」ということが好きです。心の中で「三つのしあわせ」とつぶやいた後、必ず二つの想いが連なります。明の想いとは、感謝です。暗の想いとは「いい気になるなよ」というささやきです。そのうちの一つですら得難いしあわせであるのに、三つもまとめてやって来ている。そんな有り過ぎる状態が、起こること自体異常であり、「不自然」であり「調和を欠」いている。何かを得れば、何かをなくす、または捨てる、そういうものだ。三つの不幸に人が圧しつぶされるのと同じ理由で、お前は三つのしあわせに圧しつぶされるのではないか。お前一人の生命の炎で、三人分の幸福に血をかよわせることができるのか。絶対に長続きしない。もうすぐ一つ欠ける。二つ欠ける。あの娘は研修であそこにすわっているだけだろう。お前はアルバイトじゃないか、いつでもクビがある。創作意欲なんてあんなあやふやで当てにならないもの良く知っているだろうに。もし万一、お前の三つのしあわせがまだだらだら続くなら、きっとお前の寿命がちぢまる。業病にかかるかもしれない。とんで、千葉の家族に不幸がおそうか。三つのしあわせと深刻な一つの不幸、これならつりあうでしょう。え、命かけるか。という具合です。悪魔がこの通りささやきつづけるとは思わないように。お題目の後に連なる二つの想いのうち暗い方、数秒のそれを、言語にして脚色しただけです。
- しかしながら、これも不当ではなかった、ということが今の私には改めてわかりますし、あなたにも思いあたる所があることでしょう。私があなたの才能を最上のものと思ったのは、実はおおげさだったのかもしれません。でも、冷めた頭で考え直してみても、あなたの才能が私のそれよりも上であるという直観は、的はずれではなかったと思います。才能とは、可能性です。本当を言えば、才能一人では何一つなせることはありません。光りが降りそそぎ、雨に打たれ、またはその苗が必死に努力することによって、血肉を備えた汗のよく似合う何かしらに育ち上がるのです。そうなって初めて才能は「才能」という名に値する大人になります。製版などというちんけな才能があろうとなかろうと育とうと育つまいと、と笑いますか。広く十分に他に応用できるということや基本に仕事の別はないということはあえて主張しないことにします。私は理屈の通ることを信じたいと思います。が、それ以上に信じてしまうのは、実際に体験したことです。私に幸福をもたらした職種を信じて何が悪いのか、と言います。三つのしあわせがどうしても長続きしないのなら、何か、形にして残したいという欲が生まれました。二つ目の私の本業は、たぶん捨てられないでしょう。最後まですがりつきそうですし、本業が再び幸せではないことになっても、これはそれ自体形にして残していく作業ですんで、まあ対象外です。一つ目のあの会社の仕事はどうでしょう。あやういでしょうか。今にもクビを言い渡されるような人間関係の悪化はなくむしろ逆でしたし、喜々として仕事にはげむ従業員をクビにする会社も、仕事の結果におもわしい所がないということではない部下を急に配置換えする上司もあまりいそうではないです。課の受注も増減はあってもほぼ安定しています。問題はゼロ。のように一見は見えましたが、私だけには見えている脅威がありました。それは、あなたです。あなたの才能は私よりも上です。そしてあなたには努力できる才能も、若さもあります。どんなに好きでもどんなに離れたくなくても、急激に上昇する者はいずれ、必死になってしかしやっとゆるやかに上向くだけの先輩を越えるでしょう。二人の人間がいて、一つの仕事のポジションがある時、その仕事の量がとうてい一人前の担当者二人分の量をもたない時、よりふさわしい方の一人がその席につきます。もしも、私が心血を注いであなたを指導すればするほど、ポジション争いの日々をたぐり寄せていることになりますし、新しい主人に交替するその日を準備していることになります。あなたは研修ですからいずれ他の席に移るだけでしょうか。私はそれはまちがっていると思いました。これほど適性のある人がどうして別のことをしなければいけない。これをするために生まれて来たのではないのか。それとも、これもできるしあれもできる、ということでしょうか。だとしたら、これしかできない私が、どうしてこれもあれもできるあなたに負けてしまうのでしょう。あなたが余技と思うものに私は本職で勝てない。真否はどうあれ、まちがっていると思った訳がわかりますか。三つ目のしあわせはどうでしょう。何かが残せそうでしょうか。男としてか人間としてか、すばらしい人に関わるしあわせとは何を残してくれるのでしょう。今ならばわかります。あなたを想うとは、一面で、あなたになりたいと願うことでした。私は今、かつてのあなたのように溌溂と毎日を過ごしています。当然ながらかなり見劣りがするでしょうが、私が想っていたあなたのすばらしさを、毎日毎日あなたを想うことによって私の中に芽生えさせることに成功し葉まで繁らせようとしています。年齢はどうしようもなくても気分は若さに向かっているみたいですし、明るさが多少ともまわりの人の心を照らしてあったかくしたりとか、どうも自分で言うのは恥ずかしい様なことになっています。あの頃は、あなたが生きるはずだった未来を、私があなたの替わりに生きているような気分がたまにします。花咲くことがあったら、あなたが咲かせるはずのものには比べようがなくとも、私は強く誇りを感じることができると思います。(ずいぶん意地悪な言い方に聞こえますか。ああ、今は、なんということになったんでしょうか。あの頃、私が生きるはずだった未来を、今、あなたが替わりに生きている、などという因果をときたま考えます。おそろしく不遜で、ばち当たりな言い草ですね。でも、あなたにはどうしても言いたい。あなたのためにばちが当たるならしかたないとあきらめもつきます。あなたはこう言うかもしれません。吸いとったと思っているあたしは、実はあの頃、そんなに明るくも生命力に満ちていたわけでもありませんでしたよ。あなたが今生きているそれも、あたしが生きるはずだった未来とはなんの関わりもないでしょう。あれもそれも全部あなたのただの思い込みですし。−−私はこれに対して答えます。ならば、中年の男が、夢や意欲をすり減らして疲れと不平の毎日を過ごしている、居眠りをする、歯医者に行くと週に何度も私用外出して穴をあける、どうせ居ようといまいと係の仕事には重要じゃないしというように、ただ外見はなぜか二十前の娘なんだ、と誰かに説明でもしたくなるような今のあなたはいったい何なのでしょうか。あなたが私を想い続けてあるいは憎みつづけて私を吸いとったからですか。冗談じゃない。万一そんなことがあっても、あの頃、あなたは私の将来をそんなふうにしか考えていなかったということになる。たとえあなたに出会わなくとも、私はそこまでひどくは決してならなかった)。話しを元に戻しましょう。あの頃は、しかし、私に何を残してくれるのかわからなかった。
- (二時半です。少し眠らせて下さい。また一つ嘘つき、ですか)
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