平成9年12月16日(火)〜

年うつり 第七日



 
 昼起きてぞうにです。台所の食器、食器棚、その近辺の掃除をしました。これで私の大掃除はどうやら完了です。台所が広くなりみずみずしくなり気分はやや上々でした。鏡を洗い拭いてから眺めまわしていて、我ながらいい男などと思いました。もともと美男子であるというのではなくいつの間にか「いい顔」になっているという意味でです。男は普通あなたたちのように頻繁に詳細に鏡を見ませんから、たまにじっくり観察すると驚きと発見があります。夜になってテレビを見ていると友人から電話がありました。今どこにいると思う、と言います。島根だそうです。電車で大みそかに発って九州一周をした帰りだそうです。このあと琵琶湖から新潟を通って東京に戻るとのことです。たずねると友人は、残念ながら連れはいない、と答えました。
 夏休みが明けると、あなたの髪がちぢれていました。というより一度熱を加えたものがだらしなくふやけた感じでした。前の方が良かったのに。雷様の白痴の娘みたいじゃないか、と思いましたが、私は自分の頭に手をやって「かっこ良くなったね」と言いました。(さすがにあなた自身変だと思ったのか次の休日の後あたりには手直しされていました。以前の直毛ではありませんでしたけれど雷様よりはずっとおとなしく整っていましたし、目が慣れるとエレガントでいいと思えてきました。大人びてしまったのは功罪なかばしますが)
 夏休みが明けた週の週末、といっても、この週は二日しかなかったので、その二日目の土曜日、会社は四時ぐらいの早じまいでした。あのコンビニに行くとあなたがいました。あなたの頭は雷様でしたが、その私服の下がブルマーのようなものだけで、おそろしく長くておそろしく白くてしめやかな二本の脚がむきだしになっていました。私は一目見て、また見て、気が動転してしまいましたよ。レジにあなたが続いて並んだので、途中までいっしょに帰ろうと誘いました。店の外で待っていてあなたが出てくると、どうせあとは帰るだけなんでしょう、と私は言いました。いつもは渡る大通りを渡らずに私は歩き始めました。幅のないその歩道では荷物が置かれていたり自動車が出入りしたり向こうから人が来たりすると、私たちは一列になりました。歩道は道路側が高く外側へ低く傾斜しているので並んで歩くとあなたの背の方がちょっと低くなりました。今思うと、外がまだ明るかったのも幸いでした。でも警戒ぎみなのかあなたに笑顔は少なく、話はどれも私から切り出したようです。とって食うわけじゃあるまいし、と思いました。あなたは最初に、私の住む所はこっちの方でいいのかとききました。そうだよ、と言って方向はあっちの方かなと遠くを指さしました。あなたは帰省のおみやげを買ってきて昨日それが皆にくばられました。りんごせんべいの袋にあった製造元の住所から始めて、あなたの故郷のことを私はたずねました。あなたは弘前出身と言っていたのですがあとで八戸あたりという言葉も聞きました。確か二つはかなり離れています。後で述べる理由でこのあたりはふんふんと聞き流していましたが、今思うと疑問です。ねぶた祭りのことを訊いたら、それをたずねられるのはあきあきした風で、でも、青森県にはねぶたとねぷたがある、ねぶたは皆が踊るがねぷたは踊らない、だしを見ているだけである、あなたの方はねぷたである、と教えてくれました。(これでいいんですよね)。あと何か話してから、そういえば、と私は言いました。係長から言われたけど、仕事中に冷房が冷えてしょうがないんだって。風邪ひいちゃうぐらい。今日だっけか、呼ばれて、あのノートのそこんところ指さされたよ。あのノートとは、あなたの書いていたまだ書いているかもしれない青い奴で、新入社員が教えられたことや感想反省など記入して指導員に提出する奴です。係長に呼ばれたのは本当です。あなたのエンピツ書きした部分を黙って指で示されました。私も黙って読みました。係長と見合って、まいりましたなあ、と言いました。そこには冷房のことも書かれていましたが、一行、仕事がおもしろくない、とも書かれていました。今年の新人は抜群であるということで係長と私は意見が一致していましたから、普通はアルバイトである私に読ませないものをその時は見せたのでしょう。これほど深刻なことになるとは思っていなかったのであるいは思いたくなかったので、ちょっとでも元気づけてあげようというまだ軽い気持ちと、ついでにも少し個人的に親しくなれたらという思わくがその日あなたを誘ったときありました。機会があれば探りを入れてみようか、と思っていた矢先だったのです。つまりあの帰り道のことは、私があなたの脚の白さに感動したからばかりではありませんでした。仕事がおもしろくない、とあなたが書いたことには、私はこの時意識して触れませんでした。でも、係長がこのノートを見ろよ、と言ったことは話したのですから、それまで読んでそれを私が知っていることをあなたは推測したでしょう。あなたが推測しただろうことをわかっていたので意識して触れませんでした。あの時はそんなような微妙な方法が一番良いと感じていたと思うのですが、大間違いだったのでしょうか。煩悩で私の心が曇っていましたか。この早い時点で、もっと堂々と正面からあなたを問い質すべきだったでしょうか。できなかったことはやはり私にはできなかったのでしょう。結果論はいくらでも自由に言えますし、無責任です。私たちは冷房のことでいくらか話したと思います。心配した通り、あなたの気の乗り方、会話する雰囲気全体が、かんばしくないと気づきました。でも、これはたぶん休みボケである、あなたならきっと間もなく元気になる、と思いました。どういう訳か私はこういうことを言いました。「(あのノートに書くだけで)文句があれば自由に言えるってのは、うらやましいね」。あなたは鋭い人なので皮肉かひがみ、その奥のあなたへの非難まで感じたと思います。でも私は、ほんとになにげなく言ってしまっただけでした。(思い出しながら考えましたが、直接の指導は私がしているのにあのノートは私を素通りし、社員だけのラインを通っていく。何かある時だけ係長が私を呼ぶというシステムは誤りです。あなたの不満の声がノートに書かれる分、私へのそれが減り、私はこのままでいいのだと思ってしまいます。または、あなたは同じことをノートにも書き、私にも言うというわずらわしさを感じてしまいます。あなたが、ノートに書いたことを私に言ったことと取り違えたり、あの帰り道があったために私も読んでいるのだと勘違いしたりして、何かしら私や他の人と行き違いを生じさせるおそれ大です。現に思い返してみてそういうことはありませんでしたか。順調な時は問題が少ないでしょうが、危機を救わねばならない時、百害あって一利なしです。付け加えれば、私が読んだのは一回だけあの半ページだけです。後は私は、積極的な質問をことさらしないなら、あなたを察するしかなかったようです。要するに、私がアルバイトで、アルバイトなのに指導をする程仕事にはまっていたことから来るほころびなのでしょうか。一方と気まずくなっても他方に救いがある、あるいは、部下同士が密着せずそれぞれ独自に直接的に支配しやすい、目が届く、などなどと考えたかもしれない係長が故意にそうしたものでしょうか。でも本当の所は、それらのこともあるけれど、新人指導への気配りのなさ、いいかげん、なりゆき、ということが半分以上ではないかと私は今思います。同時に、システムに完璧はないのだから足りない所はそれぞれの当事者ががんばって補うべきとも思います。当事者にはあなたも含まれます)。私は歩き過ぎましたがあなたは呼びました。歩道から下る小さな階段の降り口からです。大通りから一段(二三メートル)低い西側一帯のどこかにあなたの女子寮はあると知っていましたが、こんなとこで降りるのかと思いました。あなたについていくつもりはありませんでした。その日、あなたと私がもう少し別の雰囲気で、私が別の軽々とした明るい気分かかなりいやらしい気分かのどちらかになっていたら、私はでしゃばったかもしれませんけれど。それじゃここでとあなたも言います。おお、それじゃまた月曜日、と、私は破顔で手を振りました。ちなみに、大通りから一段(こちらは十メートルほども)高い東側の台地の中に、私のアパートはあります。この日の帰り道が、あなたと並んで歩いた最初で、また、今のところは、最後でした。五分は歩いたでしょうが、十分はかかりませんでしたね。
 現在の私の暮らしの方のことですが、いつまでも夜昼ずらしておくわけにはいきません。明日はせめて九時頃には起きないと。出社も程なくですから。で、今夜はまだ一時過ぎですが、お休みなさいです。

 



[第七日 了]




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