平成9年12月29日(月)〜

年うつり 第八日



 
 午後一時起床です。十時頃に目は醒めたのです。でも布団から出られませんでした。困ったものです。青空が気持ちよくてまた出掛けました。今回は一路南へ四谷三丁目で、新宿御苑へ折れ、そこでまた南へ向かいました。中央線のガードをくぐり国立競技場、日本青年館。その日本青年館前広場の先で曲がり、西へ登りぎみにどこまでもまっすぐ歩けば原宿です。初詣で混み合うホームに上がってみると、年始で特別に逆方向の山手線しか止まらなくなっていました。反対ホームへ渡る所がなくて(一旦外へ出て初詣をするとちょうどまわって行けるらしい)私は電車に乗り渋谷で乗り替えて折り返しました。原宿を通り新宿で降り、西口から練馬車庫行きのバスに乗って帰って来ました。食事をしながら、夕刊と、夕食を買う時いっしょに見つけたマンガ単行本を読みました。そのあと、人が狂うことや私が狂うことを昨日少しだけ考えていたのを思い出し、夕刊に書いてあったすべては退屈しのぎなのだみたいな物の見方のことを思っていました。しばらくぼうっとしていました。どちらもあまり気持ちの良いものではありません。
 あなたの居眠りがたびたびになりました。私はまだ「お姫様は御機嫌ななめ」「女性特有の日か」などとあなたがいない時や場所で一人うそぶく程度でした。あなたが、とても嫌そうな表情をして、笑顔がひきつっている、と私を指さしたことがありました。私は、え、と説明していた言葉を途切らせてしまいました。私が新しいコピー機の講習を途中までしか受けられなかった日がありました。ローマ字が書いてある紙屑を拾いました。あなたが指を洗ったらしい日がありました。あなたが気違いかもしかしたら天才になってしまったと思えた日々がありました。そして、九月の十日過ぎ、修了を目前にして、あなたは私の隣を離れてしまいました。
 前にも書いたようにあなたはまた製版に戻る、戻ることがあると思っていました。あなたの様子がかなりおかしくなってからも私の隣を離れてからも会社の帰りにあのコンビニであなたに会うことはできました。ただし、夏休みの前あたりほど連日とか頻繁にということはありませんでした。どちらかが意識的に避ける、時には両方が避ける、つまり二人がめぐり会えないということがあったようです。その頃には、あなたと私の間には相当に険悪な空気がありました。二人が針ねずみだとしたら、先に刺し始めたのはあなたの方だし、あなたが身体中に生やしている針の方が私の五倍も長く鋭利だと私は感じていました。コンビニでは必死に元気よくあなたに挨拶するよう心掛けました。遠去かっていくあるいはだめになっていくあなたを少しでも引き寄せ引き上げたく思ったからです。まだ大丈夫だ、私もだいぶ憎らしくなったけど、まだ大丈夫だと思っていました。「必死に」と言うのは、私が挨拶をしてもあなたが気の入らない身を避ける仕草つきの、または頭だけうなずくだけの、時には来ないでと手でさえぎる風の返事しかしないことを私は知っていましたし、現にそれが返って来たからです。だから「元気よく」と心では思っていても声がかすれたり重苦しくなったりもう一言言おうとしてのみこんだりということもありました。これは、あなたに否定されようとする私をこそ救いたいと思っていたとも言えそうです。私が救われればきっとあなたも救われているだろう、という。ある日など、お疲れ様と言う私に、少しして立ち読みしていたあなたは向き直り、無表情に私の顔を見て、また単に元に戻しました。すましている、冷酷などの比ではありません。それは、赤の他人か物体を見る眼でした。私は空白ののち心中きりきりと苦しく痛憤しましたが、どういう理由があるにせよ(私に全く思い当たらない私へのそれほどの憎しみの理由が、誰の心にであれこの世にあるものなのかと思いますが)そんなことをしてしまえるあなたになんだか変なもの、じめりとしたものも感じました。私はそれ以上何も言えませんでした。きっとこの時こそあなたの言う通り笑顔がひきつっていたでしょう。私が嫌いだというだけならどうして言葉で言えないのでしょう。あなたのした通りすれば確かに十二分に安心できるぐらい撃退できるでしょうが、相手の心は傷だらけになります。私でなければ何ヶ月も何年も血のにじみ続けるような。時には神経を断って人を狂人にしてしまうような。まして、それほどの傷を受けるいわれも罪もない相手に!
(あなたを愛することが私のような男には十分に罪である。とあなたは裁決しすべてを正当化したのですか。それを思うだけで吐き気がしたのですか。あなたに、人の心が読めるのですか。それほどの自信があったのですか。愛されるなら、そこまでの権利を持つのですか)。私の隣を離れてしまってから、一日中一言も私たちが話さないという日が続きました。仕事が別になって質問などをする必要がないからだ、と思っていましたが、あのコンビニでの度重なるあなたの対応のおかげで、個人としての私に口をきくのをやめたのだということがどうやら理解できて来ました。コンビニでは、あなたが一人二人の寮の友人たちと来ていることがままありました。そういう時はなるべく見つからないようマンガの棚のあたりで時間をつぶしたりしてやりすごしました。
 あなたが口をきかないのは、なぜなのか、どうしてなのか、何が悪いのか、(あなたが吐き気をもよおしているという考えも浮かんでいましたがあまりに暗くて、この世のもの、少なくもあなたに関わるものには思いづらくて、これ一本に思い定めることは当時の私にはできません。心は、五月からのあなたをまだ色濃く覚えていました。厳密には今もですが)、そう悩んでいた頃、こういうことの反面、あなたが係の他の女子社員たちと仲が良くなっていくようだと気づいたことがありました。私の指導する間、あなたは私の影響下にあると他の女子社員が遠慮したか(嫉妬に近い何かを感じたか)あるいはあなたの美しさや姿の良さ若さ才能に嫉妬したか、またはあなた自身、孤独を好むのか他人との折り合い方がへたなのか、人見知りでそういうことがまだ子供なのか、休み時間など同期の涌井さん以外の先輩女子たちとはあまり溶け込めていなかったかわいがられていないようだと思っていました。でも、あなたが彼女たちとは楽しそうに語らい、昼も食堂の列にともに並んでいるのを目にするようになって、私は、それならそれでもいいか、と思いました。あなたが製版の仕事を(係長の気まぐれという運のためであるにしろもしかしたら何の証拠もありませんが私の知らない所であなたが係長に懇願したためであるにしろ)離れ、あなたが毛嫌いすることで私自身からも離れ、いわゆる影響下を脱したあなたの努力によって、そして自ら進んで新しい園にふみこむなら、それでもいい、と思いました。私はあなたを自立させて私の後を継がせようと考えましたが、どんなにふさわしいと私が思ってもあなたが後継を嫌い、別のことをしたがるのを止めることもじゃまだてすることも権利は私にありません。例えば、冊物を好きになりずっとしたい、と思うことになるかもしれません。あなたを救い明るくするのが私でなければならない理由はない、笹川さんでもいい別の女性でも男性でもいい、あなたにふさわしいのは製版とは限らない、冊物でもいい、別の仕事でもいい、好きこそものの上手とも言うし、そういう風に感じました。(すでに何度も書きましたが、この幸福な見通しは今のところ実現していませんね。係長の言う所から想像する所では、あなたは結局はどの仕事も嫌がってしまい、退屈してしまう。朝、始業の五分後にはもうタイプにかぶさって居眠りをしているとか、午後の大半を机に額の髪をくっつけそうにして眠っているとか、あごを片手でささえペンをもってつたない擬装をして眠っているとか、を現に私は見ました。そしてそれをまわりの誰もがほとんど注意してくれないようですね。どうしてかあの人たちは、あなたを放ったらかしにするのです。あなたが女子たちと和気あいあいとしていた光景も一ヶ月か半月ぐらいで目にできなくなりました。十一月のある日でしたが、あなたが版下に打ったタイプの「熊川」という活字が、「態川」になっているのを私は発見しました。私は冊物の責任者である笹川さんに文句を言いました。(クレームは皆笹川さんを私は通します。あなたに直に言ってはあなたが素直にきいてくれないおそれがある上、笹川さんにも失礼でしょう)。すいませんと笹川さんが自分で打ち直してくれます。笹川さんがチェックをしたので責任を感じたのでしょう。あなたはそれとは関係ないように席をはずします。聞こえていなかったとも十分考えられます。部屋を出て手洗いでしょうか。打ち直しを待っている間にふと、変だ、と思いました。その版下は十面付でしたから、熊川は十ヶ所あります。その十個の熊のうち八番目の一つだけ態に誤っているのですが、普通そういう誤りをするだろうかと思いました。十回手書きするなら、なくはないのです。活字を一度打てばその位置がわかります。七回同じ位置で打って八回目を誤り、九十とさっきの位置で打つ。活字は音訓で区分けされていますから、タとクの別音を取り違えることも不思議です。原稿を読み違えたなら全部まちがえるはずです。まして正確が身上のあなたです。これはタイプを打ち違えた誤りではなく、後の人が見逃し易いようにと打った誤りではないのか、と思いました。この係なんかこの世からなくなってしまえと言ったあなたの言葉が蘇りました。その前の日、やはりあなたのタイプで、誤りとは言えないけれど小さなミスがあったのを思い出し、製版済の版下から捜してひっぱり出しました。それもやはり十面付です。そこには「A」という活字が十個打たれているのですが、十番目だけが少し大きいのです。その一つをよく見ると、「○」と半角の「2」が合成してあるのです。その一つだけです。なんでこうなるのかな、ま、いいか、とその日私は通しましたが、これも同様なんだろうかと思いました。正しく直した版下を持って来た笹川さんに言いました。
「笹川さん。ちょっと変なことききたいんだけどさ、この誤りってなんか異様じゃないのかな。タイプで普通、こんなまちがいする」
 理由を述べました。
「そうね。熊と態の位置はかなり離れてるし。それで」
 私はAの方の版下も見せて説明します。
「これは僕の思い過ごしだと思うんだけどさ、もしかしたら、わざとじゃないの」
「ええ、なんで。なんでそんなことするのよ」
「そんなこと知らないよお」
「なんで、こわあい」
 その後しばらく話して、確定はもちろんできないけれど、そういうこともありうる、あるかもしれない、今後はとりあえずは笹川さんも私もあなたのタイプの結果を特に注意だけはしていく、と約束しました。言外に、今の所二人以外にもらさないということを含めて。笹川さんの仕事をしてきた勘でも私の見解にうなずく所があったようです。真剣にタイプをいじっていましたが、あなたが戻ってから、Aの方についてだけあなたにたずねていました。あなたはこの頃には、検査の女子と同じ五時か六時、つまり私たちより一時間早く退社するようになっていました。あなたが帰ってから、笹川さんにきくと「先に○を打っちゃったから、しょうがなくて合成したって言ってたわよ」と答えます。「そうか。やっぱり僕の思い過ごしかな。申し訳ない。七番目まで打って三十分居眠りして次の打ったんだろう、きっと」と答えました。今だと、八番目を打ちもらし空白になっているのをタイプを離れてからの自己チェックで見つけ、打ち加えた際に誤った、と考えるのが一番可能性が高いと思えます。あなたがわざとでないのなら。−−仕事中に居眠りしてしまうのは過失です、その人にとってはやむなくです。あなたのように何日も何日も同じ過失を繰り返すのは罪です。それが悪いことを知っているはずですし、それをしないように努力できたはずです。タイプを故意に打ちまちがえる。商品を不良化し、万一の場合、それが客に渡る。見つけづらい誤りを創造しもぐり込ませることはたやすく、あなたほどの才能も要りません。だけれどもこれは犯罪です。その上、仲間だとその人を思っている人たちの信頼に対する非人間的な裏切り行為でもあります。医者が投薬やメスさばきを故意に誤るというのがどういうことか、考えればすぐわかると思います。以上、念のため申します。−−つまり、そんなだいそれた考えが、あなたに著しく憎まれていると思っている(しかし公私は全く別だと思っている)私の頭に芽生えただけでなく、あなたのすぐそばにいる笹川さんに伝染したぐらい、あなたへの信用がぐらつくようになってしまった、あなたのまわりで、ということを述べました。ただしこれは、今話していることより二ヶ月も未来のことです)(もう一つ加えるなら、他の仕事がしたい、この係をやめて別の係に行きたい、この会社を辞めて別の会社で働きたい、とまであなたが望むのはあなたの自由ですし権利でもあります。年末の忘年会二次会の感じでは、係長にはすでにあなたのそういう話が行っている雰囲気です。だけれども、会社、職場、仕事というのは、それぞれのレベルで人間に似ています。人格があるみたいです。あなたが好いても先方に好かれなければそこに働くことができません。ちょっと見で好きになりあなたが望みそこに働けるようになったあとでも、少し実体を知っただけで飽きてしまう嫌になってしまうなら、あなたは幸福ではありません。たぶん相手も。多くの不満が生じるのでしょうが、もう少し良い所も見て、相手を好きになる努力もしてみませんか。誰かに強要されたように見える場合でも最終的には、または一度は、あなたが選んだ相手なのですから。案外、いたる所に落っこっていてつまらないんだろうと思っていた物を今まで拾わなかった、背が高くて眼の悪いあなたがたまたま拾ってみたらきれいだった、また拾ってみたら楽しかった、そういうことかもしれませんよ。悲しいことですが、もしあなたが私たちとは別の所で生きることになっても、少なくとも私の目の届かない所で働くようになっても、それでも同じことを繰り返すなら、あなたには幸せになる素質がない、ということです。もう一つ変なことを付け加えるなら、不幸な人は今の一瞬不幸なのではなく今まで不幸なのです。本当の幸福な人は今の一瞬幸福なのではなく今まで幸福な人なのです。幸福は積み重ねてはじめて幸福になりますし、不幸を積み重ねてはじめて不幸になります。いつか幸せをと願うだけで現在の不幸にあまんじていくなら、積み重ねたものによってその人は不幸な人になります。いつかの幸せを手にしたとしても一瞬、すでに焼け石に水かも知れません。今、幸せであること、今、幸せになろうとすることが大切なんです。それを積み重ねるために。人は、あなたのまわりにたくさん歩いている人々は、実は今見えている通りのものではありません。人一人一人が最前線なのです。過去からずっと積み重ねてきたものの最新の断面に過ぎないのです。本当のその人とは、過去をひっくるめたものです。人の顔の表情がその人の心を表わす程度には、最前線の断面はその人の本当を表わしていますけれど。あなたはとても若いんです。たとえ今まで不幸ばかり重ねて来たとしても、そんなことは普通ないので言い直しますが、多めに不幸を重ねて来たとしても、これからいくらでも比率を改善していくことができます。今まで生きて来た時間の何倍も、これから生きていけるのですから。それにあなたの場合、最初に会った五月の断面はとても白く見えました。今、暗いとしても、たかが数ヶ月分ではありませんか)
 三十余歳でこんな説教を垂れることにちょっと疑問を感じますけれど、もうかなり疲れてしまいました。四時をまわっています。あしたこそ早起きをしよう、と思っていたのですが。

 



[第八日 了]




※ お詫び ※
 本文中にある文字「A」が読めない、文脈上意味がおかしいという方、申し訳ありませんでした。これは、機種依存文字でした。本文から推量いただいたかと思いますが、正しくは、2の丸数字なのです。置き換えてお読みいただくということで、どうかご容赦ください。平成10年1月8日。



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