平成9年12月31日(水)〜

年うつり 第九日



 
 十二時四十分起床です。やむなしです。でも朝は(今日は世間では昼過ぎですが)なんと気持ちいいのでしょう。寒くて、鼓動が止まりそうで、もしかしたらこの後ねむってしまったあとに今日こそそれがあるのではないのか。今がその前の意識なのかしら。と弱々しく思い、もしそうだとしてもそれならどうしようもないのだから怖れても何にもならないのだからとなだめ、いつまでもあたたまらないのをこきざみに震えながら、でも、あなたを始め忘れられない人たちの名を呼んでいた今日の未明が嘘のようです。朝、人は再生する。あたり前ですが、なんとすばらしいことでしょう。
 とはいえ、こういうのは何日か前にもありました。反省は役にたたないものですね。朝食、朝刊、歯磨き、髭剃り、顔洗い、で、まだまるで明るいのですがこれを書きます。今日は最終回にするつもりです。終わるまで眠りません。
 版の修正作業を勤め大事な貢献をしてくれていたアルバイトの島貫女史が辞めることになりました。就職が決まったとのことで、しつこいまでに言ったのですが引き留められませんでした。すでにあなたとほぼ同じぐらい働いてくれていました。あなたと私と島貫さんの三人で数ヶ月のあいだ製版をうまくまわしていたといえます。週の始めに押し付け合いをしていましたが、倉本さんと笹川さんと私の三人であみだを引いて、結局、私が幹事になってしまいました。送別会は九月二十一日と決まりました。笹川さんが声をかけて十数人という大人数にしてしまっていましたので、その一週間私への圧迫は重く現に準備作業はこまごまと少なくなく神経もつかわせられました。言いだしっぺは私でしたが、気持ちとしてはどこかやぶれかぶれの送別会です。三人でどうにか動いていた仕事からすでに一人抜かれ、間もなく一人辞めて、私一人だけになってしまいます。修正の後任もはっきりせず、不安になりたければどこまでもなれます、私も辞めてしまおうか、なんて思いました。(修正担当者はその後三十九の母親である灘さんが来てひと月で辞めた後、今の二十の嘉村さんになっていますが、比較的量の少ないこの時期、二人ならなんとか仕事はまわるみたいです)
 送別会の前日の昼休み、私は会費を集めていました。あなたと笹川さんが入室して来ました。声を掛け、笹川さんがまず三千円を払ってくれます。私が、そして笹川さんも、あなたを見ました。あなたは集金のためにつくった名簿に目を落としながら言いました。
「わたしはでません」
 三人は立っていました。
 私は驚いて、今さら、とあなたに言いました。これが、あなたが製版を離れてからの初めての私との会話です。そして続きます。週の始めに笹川さんが回覧をまわしました。送別会をすること、参加できるでしょうか、という回覧でした。私は幹事になってそれを引き継ぎました。あなたの名前もありました。ここにある人数をもとに私は倉本さんにつきあってもらって会場の予約をし、予算も決めて来ました。次の日、日時、会場が決まったこと、会費三千円は前日徴収しますのでよろしくお願いしますと記した回覧をまわしました。本当に出席できますね、という確認の意味があります。大幅に人数が狂うなら予約に変更を入れねばなりませんでした。戻って来たそれにも、あなたの名前がありました。確定した人で私は名簿をつくり、集金を始めた所だったのです。二度も回覧をまわしているのに、と私は袋からひっぱり出しました。あなたはそこに名前を書く意味がもう一つはっきりわかっていなかったようでした。私は理屈を少し説明しました。
「どうして。用事があるの。お酒が飲めないから」
 あなたは、出ません、と手を振ります。
 私は一旦あきらめて、他の人の集金にまわりました。予約した人数は十二人です。確定した人数は十四人です。十四人を十二人分の席にすわらせ料理を食べてもらうというのが幹事の基本方針でした。予算は三千×十二で三万六千円。消費税と追加注文で四万は払うことになるでしょう。一方集金は、主賓の島貫さんを除いて十三人三万九千円。ぎりぎりである上に、島貫さんにお花を買ってあげたかったし、当日一時間早く帰る女子たちのお茶代も出してあげたかった。四万五千円は欲しい所ですが、それは係長などからのカンパしだいです。カンパの額はもらってみないとわからない、いくらとあからさまに要求できない未定部分です。倉本さんは係長とともに接待にかり出されそうな雲行きでしたが、金は払うと言っていたので問題はありませんでした。参加希望者が十五人前後いたのに十二人分しか予約しなかったのは、予算上のからくりだけではなくこれからまだ辞退者がいるだろうと踏んでのことでもありました。あなたが確定後に抜けてしまうのは三千円穴があくということで痛い訳ですけれども、始めに予測した穴の範囲内と考えればそれほどでもない、とも言えます。(結果として、会場の飲み屋に顔を揃えたのは予約通りぴったり十二人でした。座布団が十二枚みながぴったりの座敷でしたからあやういところです。島貫さんを除いた十一人から三万三千円集まっていました。係長と倉本さんの連名で一万円、後藤さんから五千円カンパがいただけましたので、合わせて四万八千円でした。お花代お茶代、その店の支払いをして三千円強残りました。これは二次会費用の一部にまわせました。幹事として立派と思います。運が良かっただけかもしれません。なんにしろ、幹事になった人はこんなことを考えているのです。わかりましたか)
 昼休み、室内にいた人の集金がひとわたり終わってから、やはりあなたには出てもらわねばならないと思いました。あなたに私との個人的なことを因として、欠席して欲しくありませんでした。私が幹事になって及ばずながら汗していることが、だからこその良くない結果を一つ残すことになります。私との個人的なことのためなのかどうかなどはっきりわかりませんでしたが、あなたが欠席すれば、それが定まってしまうと感じました。それに、島貫さんとあなたと私は、最も小単位でのチームメイトでした。送別会に他の人はいざしらずあなたが出ないなんてことがあるでしょうか。葬式に実の姉妹が顔を出さないようなもんです。
 笹川さんがすわっている机にあなたが手をおいてあなたたちは何か話していました。私は歩いて行きあなたに、どう、考え直して出席してくれないかな、とまたそういうことを話し掛けました。あなたは首を振ります。
「どうして。この人に」と名簿の島貫さんの名を指しました。すでに本人が近くの席に戻っていたからです。「この人に、うらみでもあるの」
 あなたと私は、すわっている長い髪の笹川さんの頭の上で言い合いました。名簿は机の上にあります。
「そんなことありません。色々お世話になったし、とても感謝しています」
「じゃあ、出ればいいじゃん。何の問題もないじゃない」
「松井さんが出ないなら出ます」
「いいよ。僕は出なくたって。ね、佐久間さん、出てよ」
 すかさずそう答えていました。考えも何もありません。二人を交互に見上げていた笹川さんの前で、名簿の中の私の名を指さして言いました。
「こいつは悪い奴だけどさ、この人(島貫さん)には何の関係もないでしょう。いいじゃない」
 あなたは、出ません、と言ってそこを離れます。私は黄色いユニホームの背中を追いました。
「佐久間さん、お願いだから」
「用事があってもだめ。親戚が死んだぐらいの用事がなきゃ、佐久間さんは出席しなきゃだめだよ」
 ロッカーで何かをしまい、あなたは自分の席につきました。私はなおも責めます。
「お金が今ないなら明日でもいいよ。うん、おまけしてあげてもいい」お金がないからと言うようでひどいと思い、「なんなら、お金を払ってもらって、ちょっと顔を出すだけでもいいからさ。お酒とかのまないでも、途中で抜けてもかまわないし。ね」
「ちょっと顔出すだけで三千円払うんですか。松井さんはお金のことばかり。やっぱり、出ません」
 私は本当に天井をあおいで、しょうがない、半日考えて。それでまたきくから。と言いました。引っこみがつかなくなったとはいえ、我ながら諦めの悪い性格です。
 その日の終業時、私が製版機の電源を切っている間に、あなたはささっとすばやく帰ってしまいました。あのコンビニまで追っていく気はしませんでしたし、そうしても、あなたは来ていなかったでしょう。
 翌日、送別会の当日、私はずっと以前から予定していた私用(正直に言いますと、定額貯金の書き替えです。満期日ということもあってこの日付を良く覚えているのです)があって、昼出社でした。会社に来て着替え、ちょっとかっこ悪いので鐘が鳴り皆がどやどや出払ってから入室して一服しました。それから食堂に向かいましたが手前で角を曲がると少し急いでいたあなたにすれ違いました。咄嗟でしたが、気をつけてやさしい声で、
「お、佐久間さん、どうする」
 と言いました。あなたも小さい声で、
「でません」
 と答え、走って行ってしまいました。これがひさしぶりのあなたとの会話の最後で、一ヶ月程あとにあなたが跳び上がって椅子から落ちそうになった日まで私たちが声をかわすことはありませんでした。(それにしても、その後ひっくるめても、三回ぐらいしか私たちは話していませんね。朝や帰りの挨拶は、少なくともあなたが答えないし、出会うことがまれになったし、私も声が出ないことがあるしで、成立しませんし。なんなんでしょう。不思議なおとぎの国の世界みたいです)。三度誘ってだめだったから、しょうがないか、と思いました。会社に来る前にもう、それならしょうがないと私は決めていました。
 その日の終業間際、あなたは島貫さんに個人的なプレゼントを渡していました。
 送別会の二次会で、私はあなたの悪口をたくさん言いました。幹事の責任から解放されて口も軽くなっていました。「松井さんが出ないなら出ます」と言ったあなたのせりふをとり上げ、その場にたちあい今もいる笹川さんに同意を求めながら、
「あの後、鼻歌うたってパンパカ版焼きしていたけどさ、胸の中はずたずただよ。なんかいやらしいことしたっつんなら、あんぐらい嫌われたってしょうがないけども、わたしゃ、何も覚えないもん。どうして憎まれるんだ。なんなんだって思っちゃった」
 などと言いました。他の人にも言いました。全員で六人でした。
「仕事はできるしかわいいし才能はあるしで申し分ないみたいだけど、あれはまるきり処女じゃないのかしら。心はまるで子供ですな。あんなこと、たとえうらみがあっても、大人なら言えないなあ。面と向かって言えないなあ」
 その後もたくさん言いたく思っていましたが、皆の方であまりおもしろがらないので、話題は移りました。(悪口を覚えていれば正直にもっと書き留めておきたいのです。が、でてきません。くだらないことにへりくつを足したものです。おおむね)
 帰り道、淋しい道路を三人ぐらいで歩いていました。堀江さんがどこかのあたりで言いました。私がまたあなたの悪口を繰り返していたのかも知れません。
「佐久間さんて一人っ子なんだって。ずっと母一人子一人だって」
 え、そうなの、と答えました。私は初めて知りました。言われてみればそうかなあ、という気がしてきて、その通り言いました。それから、私の醜い言葉の勢いがやや落ちたかも知れませんけれど、記憶は定かではありません。
(今、思いつきましたが、それは、こういう私の心ない言動があなたとあなたのまわりの人たちを離間させる原動力の一つに、めぐりめぐって知らず知らずなっていった、という考えです。少しでもそれがあったなら、あなたにとっては因果としか言いようがありません。私の心奥にあなたをこらしめたいという黒点が生じてしまったのなら、残念とは思いますが、そういう目にあった人間ならしょうがない、とやっぱり今でさえ思えます。私は私を許せます)

 これでほぼ終わりです。あとは私のことです。
 送別会のあった翌週、秋分の日かその代休の次の日の火曜日、会社のあとであのコンビニに行きました。遅かったのであなたには会えないと思いました。いるかもしれない、と思いました。いたら、まだあなたを救えるかもしれない、と夢想もし、とにかく全部こちらが悪いとあやまってしまってもいい、と考えもし、話すことだけはできるかな、と期待もしました。でもいないはずだとわかっていて足を運んだと思います。ところが、あなたがいました。入口から正面奥の、陳列棚をへだてた通路で、牛乳やジュースの冷蔵ドアを開けたりしている後ろ姿があなただとすぐわかりました。そしてあなたの寮の友達が二人三人いてなにやら声をかわしてもいます。やばいやばいと思い、赤いかごを取るとこちらの雑誌が並んでいる通路を奥へ進み、マンガの単行本の前で何やら物色するふりを始めました。声、気配が消え、やりすごせたらしいと思ってそこを離れ、私の食料をかごにとり始めました。数歩行くと、あなたの友人が見えました。あなたの横顔もちらりと見えました。やばいやばい、気が早過ぎたな、と思い引き返しました。レジから最も遠い奥の棚でそれを壁にして腰をかがめ缶詰など物色しているふりをしていました。もういいだろう、と思って取りもれた物をかごに入れながら角を曲がると、レジの所にあなたたちがいて色の花が咲いていました。なんちゅうことだ、まいったなあ、と私は引き返し、奥の棚の所まで戻って、今度はしゃがみ込みました。いつかあなたがじっと立っているだけだった場所のすぐ近くで、みっともなくしゃがみながら、少し考えていました。こういうやや遅い時間にあなたがいるというのはどういう訳だろう。あなたは時間になるとすぐ帰ったはずだのに。そうか友達を待っていていっしょに来たんだ。みんな寮に帰るんだからな。ふと気づきました。会社の南門にある女子更衣室の下かその周辺でよく人待ち顔の女の子たちを見ますけれど、待ち合わせはあそこでなくともよいはずだ、と。あそこでないとしたら、このコンビニなんか絶好かもしれない。それからすぐ、あなたがよくここに来るのは寮の友達を待っていたからかもしれない、と思いつきました。寮では夕食があるそうだし、おやつや小物ぐらいでたいした買い物もなさそうなあなたがここに来るのには、そんなためもあったか。お金がないから立ち読みをしているといつか言ったけれど、そればかりのはずはないと思ったんだ。あなたが先に来ていて、さよならを言って、私が先に帰ることが多かった。それか、と思いました。立ち読みをしたりひやかしたりして時間つぶしをする、おやつや小物を買う、それ以外に理由があるとしたら私に会うためだ、とひそかに思えたのが、遠い日のように感じられました。いや、どんなに嫌がられても挨拶を返されなくても、私がここに来たのは、それでもあなたの心を埋める何かしらであると信じていられたからだとするなら、つい一分前までもそうだった訳です。私が信じていられたのは、なぜなら、それほど嫌で挨拶をする必要もない変な物が来ることがよくわかっている、それでもあなたがここに来ることをやめなかったからです。来ることが根深い習慣になっていたとしても、あれほど嫌なものならくずせない習慣などないでしょう。(そして後で叙述できるように、あなたが友人との待ち合わせにそこを使っていたからこんなに嫌なものが現われても来ざるをえなかったのだ、という有力な反証を自ら発見したその時もその後でも、実は私は、そんなことぐらいでは、信仰を捨て切れてはいないのです)。そこまではその時考えていなかったと思いますが、私はいくらなんでももう大丈夫だろうと隠れ家を出てレジに向かいました。あなたたちはまだいました。私はあなたたちの姿を見てつい「まだいるよ」と声に出してしまいました。すぐ引き返したので見られなかったかもしれませんし聞こえもしなかったかもしれません。でもその前のいつか、みすぼらしい姿を見られている気はします。あなたたちは買い物が多過ぎたか宅急便を頼むなどめんどうなことを誰かがしていたかで、最後の一人の精算が終わっていなかったと思われます。私は隠れ家に戻りまたしゃがみました。今度こそ絶対に大丈夫と思えるまでこうしているんだ、と居直りました。のろんこどもがあ。そしてまた考え込みました。自分の今の様子が男としてずいぶんなさけないと感じながら。
 これはもうだめだな、と思いました。あなたとあなたの友人たちの若い娘たちの集団(あなた以外の人たちとも廊下ですれ違うことがあります)にこういう所で行き会うのが気まずいからこんな逃げ隠れをしているとその時まで思っていましたが、それは違うのだと気づきました。二度目にしゃがんでからすぐ気づきました。俺は佐久間さんに会いたくないんだ。話しかけたくないから眼を見たくないんだ。こういう所で顔を会わせて、今までそうしたように不毛に挨拶をしたり話しかけるのがもう心底苦痛なんだ。と、はっきり思いました。あなたの友人たちの前で舞台に乗せられて見せ物のようにそうすることを、私が真実の苦痛に顔をゆがめることを(あなたが気をつかい決してそういう現実は起こらなかったでしょうが)予感するだけでちぢこまってしまったんだ。だからだ、と思いました。私は、あなたと私のお互いで、こちらからは習慣を崩さないぞと意地を張っていると考えていました。そこでいつまでもここで顔を会わせてしまう。あなたにしてみればたぶん入社以来だし、私にしてみればその三倍ぐらい長い習慣です。私の方が長いのだし、あなたは社員とはいえ後輩です。嫌がっているのもあなたの方です。変えるならあなたの方だ、というのがそれまでの私の内心の言い分でした。そんなに嫌なら来なきゃいい、時間を変えればいい。俺は変えないぞ。でもしゃがみながら、もうだめだな、と思いました。あなたが何か答えてくれる可能性が万に一つでもあるのに、私にはもうそれが苦痛なんだということがわかりました。あなたが万に一つだとしても答えてくれるというのは、あなたの救いであるよりは多くは私の救いとなったでしょう。あなたが絶対に答えなくても、私が声をかけることが実はあなたの救いになっていたのだ、という方こそ万に一つでもありえるはずでした。それでも、私はもう嫌だと思いました。苦痛でしかないんだ、と思いました。要するに、勝手にしやがれだ。辛抱切れたよ。私は、こんなふうに自分がしゃがみこみ逃げ隠れするのも、金輪際見たくない、と思いました。あなたたちは帰っていました。
 それからの一週間か二週間が私にとって最も不安定な時期でした。私の根っこが何本か抜けて、葉や枝のように空気にさらされているという感じがしました。私は、私の習慣を変えようと思いました。仕事が終わると道を逆に折れ本屋に行きます。有意義じゃないか、これからはここで時間をつぶそうとうれしく決めて、十二分に時間が経ってからあのコンビニに行きました。次の日には道を曲がらずにまっすぐ車道を渡り、今まであることを知らなかった喫茶店に入りました。その二階にある席で店のマンガ本を閉店まで読みふけり、気持ちがいい店だな、いつもここに来ることにしてはどうだろうと喜々として思い、あのコンビニに向かいました。そういうことをほとんど毎日していました。うれしく思ったり、喜々とすることが、たぶん必要だったのです。コンビニではいつもあなたには会いませんでした。時間を三十分以上一時間ほどもずらしているのです。当然でした。だけれど、あなたのいないあのコンビニに行くことも、必要欠くことができなかったのです。あなたに会うことがもう嫌だ、と決めました。だから、あなたに会わないことを心に確認させるために、あのコンビニへ行くのです。たぶん、私は。中秋の名月を見に神田川沿いの公園まで歩いて行ったのもこの頃です。公園ではちょっとしか見えず、あとは雲でした。あのコンビニへの帰り道、雲が晴れました。途中の信号機のそばのフェンスに寄りかかって見ていました。切れ間に異様に浮かぶ月の、周辺に円光の紋を放つあやしいたたずまいは、あなたを思い出させました。うすくだんだんになった雲がやって来ては、黄金の光明を鈍らせますが、そうしている間の方が、月は存在感がものすごいのです。そして雲が切れ再び輝こうとするその間際、美しい人の笑顔に似たあたたかみを感じます。今日はちょっと良かったな、と思いました。
 いつまでもこういう具合でしたら、きっと私は今のあなたのようになって、同病相あわれむみたいことが起きていたかもしれません。でも私は本来、月の下僕ではなく、太陽の子なのでしょう。これがほめ過ぎなら、神経が鈍磨していて、どんなことでも忘れることができ、ちょっと熱を加えるだけで沸騰できるぐらい安直だとでも言い直しましょうか。何種類もの試行錯誤のはてに残ったのは単純なことでした。何かをしよう、どこかで時間をつぶそうとする時、そこまで歩いていくことが必要です。この歩くこと自体がかなりおもしろいと改めて思えるようになりました。昔、無職の時、運動不足解消のために(そして夜眠れるようにと)毎日往復十キロぐらい歩いていたことがありましたので、その素地もありました。あの会社へは十分間で行けてしまうので、あの会社への通勤でそれが使えるということに今までちょっと思い至らなかったのです。私はそれを「強歩」と名付けますが、かっこ良く言えばアメリカでウォーキングエクササイズと言う新しいスポーツの日本における個人版です。「街歩き」とも私は言います。太りぎみでもあったのでちょうど良いと思いました。どこかに目標があると好ましいのです。長続きします。私はそれをあのコンビニに定めました。どうせそうしなくても寄ってしまうのですから、明解で大変よろしい、と思いました。あのコンビニまでご存じの通り会社から五分間です。それを、大きくひろく遠まわりして三十分から四十分かけてたどりつくようコースを作ります。出発は会社の北門からです。コンビニに近く、あなたたちの更衣室があってあなたと会いそうな南門は都合良くありません。地図を本式なら見るのですが、一回こっきりではないので失敗しても大丈夫です。夜の街を手探りで始めました。始めのうちは相当に長く疲れるコースだと思えても、何度か通るうちに迷いがなくなり足運びにリズムまで生まれて、え、もう、と思えるぐらいでゴールしてしまいます。感じだけでなく、タイムも短くなっています。そうしたら、コースをまた外へひろげればいいだけです。公道は無限にあるのですから。私はこのようなことを始めました。散歩ということで通じるでしょう。広義の通勤でもあります。あのコンビニ詣とも言えるでしょう。ただし、エレベーターにすればすぐつくのに、山門の長い石段を登るに似ています。さっきは思い至らなかったと書きましたが、あの会社に関わりができた頃、これをしようと思ったことがかつてあった気がします。でも、こんな重労働の後では無理と始めからあきらめてしまったらしいのです。今回、現にやってみるとそんなことはありません。疲れるためではなく元気になるためにしているという実感があります。コンビニで買い物をし部屋にたどりつけば、腹筋運動、腕立て伏せなどをひとわたりします。終業後一時間強でここまで終わります。一区切りついたという爽快感があります。コースは少しずつ変わっても雨だろうと早じまいだろうと日曜だろうとこれをします。しなかったのは、飲み会のあった夜と、冬休みになってからのいく日かぐらいです。普段の何でもない日にこれをしないと、顔を洗わなかったような、食事をしなかったような、いやな気分がすると思うのですが、今の所そういうことがないので私はそうだったとはまだ言えません。それに夜の街というのは案外いいのです。確かに昼以上と思います。それほどの繁華街を通る訳ではありません。淋しい道が半分以上です。しかし、灯の光があったかく、こぢんまり並ぶ店はどれも宝物を大切に売っているかと思えます。行き交う人の影に多様な奥ゆかしさがあり、車まで粋でたのもしげな生き物に思えます。何もかも皆が人なつこく、同時に孤独であるすずやかな夜の舗道。ちょうど夢見る刻限なのかもしれませんが。
 私は静かに熱中しました。しだいにあなたのことを普通に思えるようになって来ました。これを始めてから、ゴールはずっとあのコンビニでしたけれど、十月、十一月、十二月とついに一度もあなたに会うことはありませんでした。あなたのことを思うことはたくさんありました。でも、さっさっと歩いて、手をこすり合わせたり美しい景色を見ながらさっさっと歩いてもっともっと歩いていく間というのは、もの思うにはとてもよい時間なのです。あなたのことではないことももっとたくさん思いました。変なことも仕事のことも夢みたいことも別の女の子のことも自由に思いました。三ヶ月のあいだ。そして、たぶんこれからも。
 私がそうしている間に、十月、十一月、十二月と、あなたは沈んでゆき一人になって行った、のかも知れません。私があなたを救うことを見限り、他の誰かも、あなた自身も、あなたを救うことをおこたったからだ、と、言うことはできます。真実は全く誰にもわからないはずなんですけれど、そうであってもおかしくないと私は思います。あなたを、毎日、見てきた限りでは。
 私は繰り返します。あなたを救えるのは、あなた自身だと思います。私を救うことができたのが、結局、私だったように。
 あれが、私の限界だったんです。私が私の心を救うには、もうあれしかできませんでした。方法の可能性は、広く高く際限なくあります。でも、体力か生命か心かの限界が、弱く小さな私のような人間にはあります。許して下さい。私もあなたのことを、大昔に許していました。力強くなって下さい。人を愛して下さい。仕事を好きになって下さい。仕事を嫌い、人を憎み、自分をいじめることにエネルギーをつかうぐらいなら。

 これで終わりです。終わってみても、なんだかよくわかりませんね。今、六日の午前四時ジャストです。これから寝て、また昼に起きて、ラグビーを見て、何かして、また眠れば月曜日です。会社が始まります。
 あなたが夏休みで変わってしまったように、この冬休みで変わっていますように。私の願いが届きますように。

再拝

一月六日 午前四時十一分

松井 曜

 



[第九日 了]

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