バナーその一。当HPにリンクの際ご利用ください。
▼▼
▼▼▼
*これはエレベータです*
plala 2003/06/15〜 頁読込数

まじりあえば 玉も石もうつくしい と思います

素朴なところです。絵は動きません。

生きるってとっても伊勢物語


Copyright(C) waka 1997~

☆ 『生きるってとっても伊勢物語』 ☆
☆ 『年うつり』 ☆

夢はいずれうつつに うつつはいずれ夢に

もっと文字をという方におすすめ。

缺 け て ゆ く 夜 空


Copyright(C) waka 1998~

☆ 『缺けてゆく夜空』 ☆

ときのしずく いのちのまばたき あそぼ

いろいろ。無くしたくない。欲しい。

遊 戯 苑


Copyright(C) waka 1998~

☆ 『虫姫 [短編集]』 ☆
☆ 『迷宮 [魔館であそぼ]』 ☆
↑ お待ちしているわん ↑
☆ 『4行小説 [贈答定型掌編小説]』 ☆
☆  異世界へ [リンク集]  ☆

( ^0^) 春文庫 [ネット前] 

☆ 詩集『非青春の笑顔』 ☆
☆  哀憐笑話 《 はる 》  ☆
☆ 『桃』 〜 JustView 3.01 による縦書きも! ☆
 夏文庫 [ネット後] (^0^ )

☆ 『4行小説・4章小説のこと』 ☆
☆  哀憐笑話 《 なつ 》  ☆
☆ 『テーマ小説 (於 極楽鳥くらぶ)』 ☆
☆  発言  ☆
( ^0^) 絵物語 waka 

☆ 別館開設しました ☆
絵と物語(そのまんま)です(^^)
当サイトのセレクション的なエリアですが
ここでしかご覧になれない
ものもあります。
 文芸遊子03 [掲示板] (^0^ )

〜 文芸いろいろお遊び場 〜
☆ あそびにきてくださいね ☆

閉鎖した 文芸遊子02 のレプリカは、
こちら です。

 
続短断長
 


▼▼
 

 
00:00 2024/11/17 (日)


 学校からかえるころまでにエンピツのはしりがきが、いっぱい。そこで、それを清書するのだが、たくさんあるので、どうせあとでやるさと、なげだしあそぶ。そのはしりがきを清書していないので心がおちつかない、と理由をつけて、勉強は手にしない。あそぶあいまにちょっちょっと清書するだけ。5:00から12時までついにあそぶ。おとといもこうだった。今日はこうならぬ事をいのる。

        (1973/05/31)


 ■サカ、イ■、カ■■
 タカ■■(マ)、シバ■
 ■■ハマ
               > 3つのグループに分類できる??

        (1973/05/31)


 今日もきのうと同じケースで、二つおりのざぶとんをまくらにたたみを床にして、どてらをひっかけ服のままねてしまったのだ。

        (1973/05/31)


 多いより少ない方、大きいより小さい方、がいい事もあるだろ。

        (1973/05/31)


 少ない ○
 少い ×

        (1973/05/31)


 今日の朝みたゆめで、カ■■さんは、天皇陛下の御令嬢だったのだ。

        (1973/05/31)


 嬢?

        (1973/05/31)


 ぼくのまゆげの下にはたくさんおできがあるのだ。

        (1973/05/31)


 原作以上といわれる訳文学は訳文として、失敗したのか?

        (1973/05/31)


 ぼくのかっこいい顔を老化しないうちに写真にとるか? ぼくの顔は、どこか暗い所があります。色がくろいからかしら?

        (1973/05/31)


 テレビで使う番組というコトバは古い?

        (1973/05/31)


 ちこく信号!

        (1973/05/31)


 今日もきのうも朝、マラソンなのです。早起きなんだけど、夜に勉強をしていないので、朝予習をやらねばならず、おくれるのです。あせびっしょり。このあついのにはしるんだからもう。

        (1973/05/31)


 くまの足の指はせなかあわせになっていて、対しょ 蹠 的だというが、ほんと?

        (1973/05/31)


*「学校からかえるころまでにエンピツのはしりがきが、いっぱい。そこで、それを清書するのだが、たくさんあるので、どうせあとでやるさと、なげだしあそぶ。そのはしりがきを清書していないので心がおちつかない、と理由をつけて、勉強は手にしない。あそぶあいまにちょっちょっと清書するだけ。5:00から12時までついにあそぶ。おとといもこうだった。今日はこうならぬ事をいのる。」  これは5/31の第一項。午前零時をまわってすぐだと思う。この夜のたった今まで、17:00から24:00までをいっている。  おとといもこうだった、だから、5/29、5/30と二晩つづけてしまった、と。明晩(5/31の終盤)もまたの、三連続は避けたい、おちていく、と。
*「■サカ、イ■、カ■■  タカ■■(マ)、シバ■  ■■ハマ  > 3つのグループに分類できる??」  同学年の(気になる、高得点の)女子たち。  どういうくくりで分けているのか・・  美少女、淑女、美女・・ だろうか。
*「少ない ○  少い ×」  同じようだと思われるのに、短いが○で、短かいは×。
*「今日の朝みたゆめで、カ■■さんは、天皇陛下の御令嬢だったのだ。」  御令嬢はそぐわない。民の娘ではないのだから。  内親王殿下。  夢の中だけどさ。
*「ぼくのまゆげの下にはたくさんおできがあるのだ。」  まゆげの下方、ではなく、まゆげの生えている下地に(細かいニキビが見える)、ということでしょう。
*「原作以上といわれる訳文学は訳文として、失敗したのか?」  翻訳文学。  原作以上という誉め言葉は、たいていは、せいぜい個人の見解で、おおむね、出版社の売り口上。  個人の見解といっても、文芸をたしなみ、両国語に知悉しており、出版前に目を通せる個人なんて、本当にいるとしても限られてしまうだろう。その翻訳者の師匠、弟子、同業者辺り? 力遠く及ばない担当編集者?  そういうのが現実だろうことをふまえた上で、客観的に、原作以上の翻訳ができあがったと仮定する。  言語を異にするだけで、以下でもなく以上でもない再現が理想形とするなら、失敗だろう。過ぎたるは及ばざるが如し、とも言う。(良いところはもちろん、悪いところもそのまま移さなければ不誠実だ。勝手に丸めたり辻褄を合わせたりは不遜だ)  一種の再話とみなせば、(佳品だからこそ翻訳されたわけで、それ以上ならば)上々の出来。成功だろう。  (読者は再現を期待して購入し、読了して再話に満足する。ということが多いのかも)
*「テレビで使う番組というコトバは古い?」  ふだんは無抵抗でながしているが、いわれて見つめてみれば、古くさい。  → 辞書にある例文は、1600年台。
*「ちこく信号!」  意味不明だが、学校に遅れそう、という悲鳴か?  畳で寝てしまい、御令嬢の夢を見、起きて顔洗いした顔がいつもよりよく見え、そして焦って登校する。月末だけど、いつもの木曜日の朝。
*「今日もきのうも朝、マラソンなのです。早起きなんだけど、夜に勉強をしていないので、朝予習をやらねばならず、おくれるのです。あせびっしょり。このあついのにはしるんだからもう。」  よって、走って走って息切らせてたどりつき、校門をくぐる。  たぶんまにあって、自分の席について、まずはこのノートを開いてこのように一筆。
*「くまの足の指はせなかあわせになっていて、対しょ 蹠 的だというが、ほんと?」  指が背中合わせ、というのがよくわからない。  いろいろしらべると、  (1) 熊の手足は、人の足と同じで、地面に着地するとき、左右の親指が一番内側、左右の小指が一番外側。この線対称のことを対蹠的というのかも。  (2) 動物の歩き方には、 地面からカカトを離して足趾(ゆび)で立つ【趾行】(しこう)、 1,2本の指先に集約された蹄(ひづめ)での【蹄行】(ていこう)、 足のカカトが接地して足裏全体で歩く場合は【蹠行】(しょこう)、 があり(参照 https://punch-ito.com/slanting/heel-2/ )、人も熊もこの蹠行に該当するそうだ。  蹠とは、足の裏の意。  (2)はそのまま、足の裏での歩行をいう。  左右の足の裏を合わせるとぴったり重なる。親指には親指というように各指には同じ指が合わさる。ここから、対蹠的(正反対)という言葉が生まれたのではなかろうか。(1)では線対称といったけど、面対称または腹合わせということになるけれど。  本項は、原形原文からwaka君の耳目に達し文字にするまでに、少々ゆがんでいるのかも。先生や友人の言説を聞きかじってなのか、教科書または辞典のわかりづらい文章をおおつかみしてなのか。  →  さらにしらべると、〔クマは極端に内股で歩くことから、外側の指が太く大きくなり、ヒトの指の並びとは全く逆になっています。〕https://www.higashiyama.city.nagoya.jp/blog/2012/09/post-1189.html という記述を見つけた。(動物園のサイトの解説。画像もあってわかりやすい)  人の指は内側の親指が一番大きく、外側の小指が一番小さいが、熊は真逆で、内側が一番小さく、外側が大きい。  だから、人の手(人の足)と比べた場合に、背中合わせ、対蹠的になる、ということだったのかも。  つまり、人の右手と熊の右手を並べると、指の並び(大小)が逆にみえる。人の右手と熊の右手を背中で合わせれば、大小がぴったり合う、と。

 

 
02:03 2024/11/10 (日)


 サンメンキョウにすわって、3つのカガミをみれば3人のぼくがうつる。もっといるんだが、ちいさかったり、みえなかったり、大きすぎたりしてめだたぬ。目だけを動かして、3人をみる。3人はいつもじっとしている。目も動いていない
 (3人のうちの1人をみるときはいつも、ぼくの目はとまっている。だからそいつの目もとまっている。次の人に目を動かして、みても、みているときは目がとまっているから相手もとまっている。すぐもとの人に目をかえしても、もとの人はさっきとひとつもかわらない。ぼくは位置がかわっていなく、三面のかがみのひらき方もかわっていなくて、目だけ動かすのだからあたりまえ。)

 自分の目だけが動いていて、カガミの3人はひとつも動いていないように思える。

        (1973/05/30)


 友だちと話していると
    友からいろいろな事をしる。
    自分でも興味ある事をハナス。
 「問うに落ちず、語るにおつ」という意の変形なたいもん。
    とにかく、自分の口から興味ある語がポンポンとびだすのは友だちのはなしているときなどである。

        (1973/05/30)


5/30
 キフ
 6:00〜 ケンカエレジイ
 石のケツミャク
 心記(タイトル ハシリ
 文学クラブ
 フロ
 フロの火

 1.5
 5/10 X/60

        (別紙 1973/05/30)


 朋子、A君、Cさん/しずか、Dさん/しずか ← 赤くなる女の子
   → 朋子には死んだ弟が? この弟が重病だったため家がつぶれる。
 昔、A→Cがすき、しかし、朋子は自殺するという。A、一生苦しむならと朋子が好きだという。A、転校。
   → 朋子の母はAの父を追ってきた。

 A、この学校にきて、Dとなかよくなる。父の会社/芸術家でもいいい。/の上役の娘で、父母もすすめる。
 A、朋子になにかとつきまとわれる。

 朋子はまた自殺するという。

 A、Dにすきだといわれる。A、Dにラブレターを、
   → そして、Aと朋子のカコを、自分の正直がいかにこわされたかと

 A君はもてすぎか?

        (別紙 1973/05/30 頃)


*「サンメンキョウにすわって、3つのカガミをみれば3人のぼくがうつる。 ・・・ 」  これはwaka君の四畳半の隣の六畳、姉の部屋の三面鏡。といっても、三面鏡の主は母、だったはず。
*「友だちと話していると  友からいろいろな事をしる。  自分でも興味ある事をハナス。  「問うに落ちず、語るにおつ」という意の変形なたいもん。  とにかく、自分の口から興味ある語がポンポンとびだすのは友だちのはなしているときなどである。」  変形みたいもん、変形みたいなもん、か。  人に語るというのは、演じているようなもの、その場は舞台の上、ほとんど。  かっこよくありたい、興味を引きたい、こっちを見させたい、よろこばせたい、と演者たちは欲っする。気合いが入って、互いに照らし合って、ますます燃え、かがやく。  ・・というのは少々大げさだけど、そういう燃料は注がれているはず。  個々人は動物だけど、集まると人間となって、別の生き物のように活性化する。そんな気がしてくる。
*「キフ  6:00〜 ケンカエレジイ  石のケツミャク  心記(タイトル ハシリ ・・・ 」  「キフ」は棋譜か。寄付は縁遠いと思う。「キラ」にもみえる。  「ケンカエレジイ」(けんかえれじい)は、ちょうどこの頃放映されていたようだ。NHKの少年ドラマシリーズの一つとして。  「石のケツミャク」(石の血脈)は、父がくれた本。SF伝奇もの。半村良。  「ハシリ」は、走り書きのことか。  → 心記本文のほうの1973/05/30に「文学クラブの文芸誌で書いた作品があたってお金がガッポとはいってきたら、みんな学校にキフしましょ。」「この学校にキフするのに、全額か半額か。」などの記載があった。むしろ、寄付が有力か。
*「朋子、A君、Cさん/しずか、Dさん/しずか ← 赤くなる女の子 ・・・ 」  創作メモでしょう。朋子の執着愛?  最近なら、ストーカー話のくくりになるだろうから、わりと先取りしてた? (べつにそれほどのことはない、大昔からあったか)

 

 
01:43 2024/11/03 (日)


 うちでいちばんちいさいへやはぼくの四畳半?

        (1973/05/30)


 人をたたいてはいけない。

        (1973/05/30)


 ぼくはときどき、カミソリや、棒などをぼくが手にしていて、妹などがそばにいるとおあそびに、じょうだに、おふざけに、たわむれに、カミソリや棒を妹の前にひらめかしておどかしてやりたいと思うのです。しかし、けっしてやりません。こういう事をするときにかぎってまちがいがおこり、人をきずつけるのですから。昔、■■コがうばぐるまにのっているとき、そのうばぐるまをゆらしてこわがらせたことがありますが、ゆれが大きくなりすぎて、■■コがとびだし、コンクリートにハナをぶつけさせてしまいました。―― 今まではだいじょうぶのようですが、後になって、後遺症がでたらどうしようかとこれを思いだすごとにおそろしく思います。あんなおそろしい事は、二どとできないのです。

        (1973/05/30)


 A(女)は弟を、1mのへいから、たわむれにつきおとして、ケガをさせてしまい、そのあと、弟Bのためになにかと心をつくす。弟Bは妹Cをたわむれにウバぐるまからおとしてしまい、そのあと、Cのためになにかと心をつくす、というお話。この弟が中心で、自分がCにわるいと思っている心持ちと同じものを姉も自分に対してもっていることにきずくまで。

        (1973/05/30)


 「あそび ≠ おあそびに」なのはなぜか?

        (1973/05/30)


 「抜」 : バッテキ
   └→ これがなんで「テキ」なの?

        (1973/05/30)


 ぼくは書きたい事が多すぎて、ペンがおいつかず苦しむか、ひとつも書きたい事がないのに何かが書きたくて、そして、いくらやっても書けなくて苦しむかのどちらかなのだ。
 書きたい事の多い時によく忘れ、苦しむ。はしり書きが増え、清書するのに時間がかかる。
        (1973/05/30)


 〜せず、・・・する
 〜せずに、・・・する
 〜しないので、〜する
              >この差は!?

 に ≒ ので ?

        (1973/05/30)


 首つりはいたいだろうなあ。
 首つり、歯、いたいだろうなあ。 ・・・?
        (1973/05/30)


 わたくしこと、■■■わか■■、

        (1973/05/30)


 「こと」をむやみやたらに「事」とかくのはまちがいなのでしょうか? ぼくはいままで、ずっと、かっこいいなと思ってそうしてきたのです。そうしてもいいのでしょう。? よくなくてもぼくだけはそうしたいよう。
 今さらなおすのはタイヘン
        (1973/05/30)


 〜したいよお。
          >?
 〜したいよう。

        (1973/05/30)


*「うちでいちばんちいさいへやはぼくの四畳半?」  waka家の面々が住んでいる家屋は、家業の社宅。  職場の北側、道路一つへだてたところにあり、家族も職場の人たちも「うらのうち」と呼んでいた。  元々は、祖父母とその未婚の娘二人(waka君の叔母たち)が住んでいたが、職場の二階に住んでいた長女一家(waka君の父母、waka君ら四きょうだい)と同居することになり増築。その増築領域の中の一部屋が、本項当時waka君の自室に割り当てられていた北西隅の四畳半ということになる。  ・・と思うんだが、推測するんだが、増築云々のあたりは大人の事情であるし、あまりに昔で、実は、小学生ぐらいだったwaka君の記憶でははっきりしたことは言えないのだ。(後年、大人たちに確かめたりもしなかった)  既述だが、うらのうちのあった場所は、半世紀後の現在、職場の駐車場。
*「ぼくはときどき、カミソリや、棒などをぼくが手にしていて、妹などがそばにいるとおあそびに、じょうだに、おふざけに、たわむれに、 ・・・ 」  じょうだんに。
*「 ・・・ ゆれが大きくなりすぎて、■■コがとびだし、 ・・・ 」  このエピソードは、自作「妹の同人誌」冒頭でも述べている。  http://waka.konjiki.jp/katali/imoutonodoujinsi.htm
*「A(女)は弟を、1mのへいから、たわむれにつきおとして、ケガをさせてしまい、 ・・・ 」  姉と姉の遊び友だち数人、そして幼いwaka君とで、神社の石垣の上からアドバルーンを見ていて、waka君が転落し頭を縫うケガをした。しかしあれは、waka君の失敗だったよね。waka君がたわむれに■■コを飛び出させてしまった場合とは異なる。自分がいながら弟にケガをさせた、という負い目ぐらいは持ったかもしれないけど。  本項は、創作上の筋で、事実をそのままなぞりたいわけではないようだけど、念のため。  なお、この事故も自作「あとがき」で触れている。  http://waka.konjiki.jp/katali/atogaki.htm
*「「あそび ≠ おあそびに」なのはなぜか?」  これは面白いテーマかも。  ○ お遊戯とかお話しとかお友達とか、お利口、お花畑、など、丁寧すぎるかの用語を多用する幼稚園などの児童施設。ああいう、よくいえば無邪気なさまざまになぞらえて、脳天気な、不用意な、いいかげんな、無自覚無責任な態度による行為を揶揄する。ときに相手をさげすむ自らの行為に用いて自慢する。  ○ 事実を超えて、おおげさに、高めたり大切に扱ったりするかのようなものいいによって、逆におとしめている茶化し、または悪意。  ・・などがとりあえず浮かぶが。
*「「抜」 : バッテキ  これがなんで「テキ」なの?」  そういう音なんだから、しょうがないじゃーん。  ま、たしかに、曜日とか、洗濯とか、語によってまちまちすぎるかも、秩{隹の字。  手元漢和辞典によれば、  秩{隹(デジタル文字がないのでこう書くが)自体の音は、テキ、タク。尾の長い鳥の意。  擢は、秩{隹が音を表わし、とびぬけてでている意の語源(特)からきている。  曜は、秩{隹の転音が音を表わし、かがやく意の語源(爍)からきている。  濯は、秩{隹の転音が音を表わし、水をかけて手を洗う意の沃からきている。  とある。わかったようなわからないような。
*「〜せず、・・・する  〜せずに、・・・する  〜しないので、〜する  >この差は!?   に ≒ ので ?」  具体例で。  (1) 勉強せず、居眠りする。  (2) 勉強せずに、居眠りする。  (3) 勉強しないので、居眠りする。  (1) (2) はすんなり聞こえるが、(3) になると違和感がある。  前後が逆の関係の場合「せずに(しないのに)」が合い、前後が順当な関係の場合「しないので」が合う。とか?  ・・意外と深い。 「に」が沼。
*「首つりはいたいだろうなあ。  首つり、歯、いたいだろうなあ。 ・・・?」  書いてしまった深刻な一文をながめてたら、こうもよめると気づいたよ。と。  友から症状を聞いて、首の筋がつったり、歯がずきずきしたり、いたいだろうなあと同情している。そんな日常の一場面、にもよめたよ。と?
*「「こと」をむやみやたらに「事」とかくのはまちがいなのでしょうか? ぼくはいままで、ずっと、かっこいいなと思ってそうしてきたのです。そうしてもいいのでしょう。? よくなくてもぼくだけはそうしたいよう。  今さらなおすのはタイヘン」  まちがいじゃないでしょう。その人の書き癖の範囲。  ・・・  現在の私は、「こと」はひらがな書きがふつう、「事」は漢字にしたほうが適切な場合だけ(具体的な事柄や事件を話題にしてそれを指すときなどか)、という配分だと思う。 「あなたのことが好きです」 「いまそんなこと言われても」 「あの事を気にしてるの」 「忘れられない事なの」  ちなみに、「ほう」については、かたとよむ「方」と区別がつきづらいという理由からいつからか、ひらがな書きをもっぱらにしている。 「ぼくはうれしいほうだよ」 「こっちのほうにきて」 「あなた方も」 「やり方があるのよ」

 

 
04:21 2024/10/27 (日)


 またまた書きたい事を忘れてしまった。老化現象

        (1973/05/30)


 ぼくのつちふまずのところがすこしふくらんできた。
 へんぺいそくになるのか?

        (1973/05/30)


 1分=60秒なのに、1秒=10×0.1秒となるのは、変? 1分=10×0.1分である。それなら、0.1分を何々、とするとかし、時、分、秒、みんな10進法にすればよかったのに。それとも60進法の方がいいのか?

        (1973/05/30)


 1年=10ヶ月、1ヶ月=10週間、1週間=10日、1日=10時間、1時間=10分、1分=1秒  それでも、四季はあるから、旧1年=新1年。旧1年=新10ヶ月。旧12ヶ月=新10ヶ月 旧52週間=新100週間。365日=1000日 365×24時間=10000時間、8820時間=10000時間 529200分=100000分、5.292分=1分、31.752秒=1秒 ・・・ヒマ人

        (1973/05/30)


 うそをつけ
        ) ≒ うそだ
 うそつけ         ↑
 └→ なぜこういうのが、こういう意わアラワス?

        (1973/05/30)


 イ■■ちゃんやモリオは、このノートがもしも世に発表されたときの事を考えてか、このノートに自分 彼ら の名をだすときはトクメイにしてくれだってさ。

        (1973/05/30)


 ぼくは天皇陛下が大好き。その人柄が好き。天皇家の人々はだれからも好かれるようにならねばならないのでたいへん。たとえみりょく的な人でも、そのみりょくを好くひとと、いむ人がいる。だから、天皇家の人は特にみりょく的であってもいけないのだ。

        (1973/05/30)


  だれもからも〜〜〜〜〜

        (1973/05/30)


 今上天皇ほどの人柄をもった天皇が、ぼくの死ぬまでにまたあらわれるだろうか?
 ぼくはなぜか天皇のおひとがらがすき。そして、陛下が、政治に利用されたとか口をだしたといって、野党なんかにあんにいじめられると、同情し、なるべく静かにしてあげればいいのに、と思う。
        (1973/05/30)


 今上
    : こんじょう
               }?
    : きんじょう○

        (1973/05/30)


 党内にもいろいろの意見の人がいる。そこで、党をあげて、ある事をなすためには、それぞれの意見の人に、それぞれの説明をして、ナットクさせなければならぬ。ある人には「これはわが党のためです。」といい、ある人には「企業のために」、ある人には、「正義のために」という。そして、みんなが、いろいろな意味をふくめているに、表面上はかわりのない票を投ずる。そして事が決まる。しかし、とても徳があり正直な人を、金の亡者とみあやまって、「こうすれば、あなたのお金が増えますよ」なんていうと、その人は世に発表して、政党がつぶれる事になる。しかし、人は人をだますもの。自分の望む所を人にさとられていない人は、他をだます。つまり、自分がさも金の亡者のようにみせて、あいつには金さえだせばだいじょうぶと思わせる。が、金をもってきたやつを世に発表して、社会からおいだし、そいつを消して、より出世しやすくする。または、これを他人にやらせて、やった人もあとで消してしまったり・・・。そして、最もこのだましあいで強い人は、自分の望む所などなく、ただ無心に人をだます人。望む所のある人は、いつかそれを他人に知られ、それによってけおとされる。それとも、最後に残るのはまったく正直な人かしら。その人は別に、最後に笑う人ではないけれど。

        (1973/05/30)


 正直な人は、きたない事や不正直な事をしない。
 しかし、きたない事や不正直な事を知らない、とはいいきれないのでは??

        (1973/05/30)


 我党×
 我が党○

        (1973/05/30)


*「1分=60秒なのに、1秒=10×0.1秒となるのは、変? 1分=10×0.1分である。それなら、0.1分を何々、とするとかし、時、分、秒、みんな10進法にすればよかったのに。それとも60進法の方がいいのか?」  わかりづらい(頭のわるい)書き方をしていると思うが、要は、統一感がなくてすっきりしない、と。  単位は、年月日時分秒とあるけど、太陽、地球、月の動きに合わせないといろいろ不都合なので、年月日を十倍十倍の関係にするのは無理筋だわな。  時分秒なら、十進法でいけそう。  1日=10時間。1時間=10分。1分=10秒。(waka王国)  となると、waka王国の1秒は、日本国の86.4秒に相当。  秒針が動くまでそんな待たされるのはちょっと・・ あと一つ単位がほしい。  1日=10時間。1時間=10刻。1刻=10分。1分=10秒。(waka帝国)  帝国の1秒は、日本国の8.64秒に相当。どうよ?
*「1年=10ヶ月、1ヶ月=10週間、1週間=10日、1日=10時間、1時間=10分、1分=1秒  それでも、四季はあるから、旧1年=新1年。旧1年=新10ヶ月。旧12ヶ月=新10ヶ月 旧52週間=新100週間。365日=1000日 365×24時間=10000時間、8820時間=10000時間 529200分=100000分、5.292分=1分、31.752秒=1秒 ・・・ヒマ人」  ミスが二ヶ所。 (1) 1分=10秒が正しい。 (2) 365日でも366日でも、8820時間にはならない。  ・・・  小ミスがあろうとなかろうと、この法案は却下。こんな発議をするなんて無能すぎるか、ぶっとんでる。  1年365日は定数に近いわけですから、これを強引に1000日とかにしたら、人の暮らしが夜昼のサイクルと同調しなくなりますぞ。陛下。  → そうか。しかしさ、天然物の地球に暮らしているうちは考えられないだろうが、例えば、宇宙船で航行しているのが常態である人類集団になることができるなら。さらには、人造惑星を構えて、季節も一年も一日も調整自由だとしたら。  → そもそも、これらの前段階として、他の天然物の星に植民できるようになった場合、年月日時分秒、これらは引き継げるのか?? 同じ理由で、年月日を引き継ぐのは無理筋だろう。時分秒は地球のを引き継げないこともないが、天然惑星Qの1日は地球の24時間とは等しくなく、きっと(惑星Qの1日を地球の1時間で割っても)割りきれるような(端数のでない)関係でもない。  よって、不便が大きすぎて、引き継いでもほどなく廃れるのは必定。地球の1秒はもしかしたら標準秒とかに定められて学術的な世界では残れるかもしれないけど、人々の生活空間では消える。  ふうむ・・ 思っていた以上に儚い。
*「うそをつけ うそつけ ) ≒ うそだ  なぜこういうのが、こういう意わアラワス?」  わはをの誤記か。  〔 うそ【嘘】 を 吐(つ)け  うそをつくならつけ、こちらにはわかっているぞという気持で、相手の言ったことが本当でないのをとがめて言う表現。うそを言うな。うそを言え。  > 雑俳・柳多留‐一五(1780)  「うそをつきなさいと袖でたたく也」  →うそ【嘘】 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  的確だ、さすが辞書。出る幕なし。
*「イ■■ちゃんやモリオは、このノートがもしも世に発表されたときの事を考えてか、このノートに自分 彼ら の名をだすときはトクメイにしてくれだってさ。」  waka君は友らを呼び名そのままで書いてる。半世紀経ったけどイ■■ちゃんは姓なので遠慮した。モリオは名前なので許して(^^;; (しらなかった、びっくりだよ。当時ちゃんと、こんな希望を聞いていたとは!)
*「ぼくは天皇陛下が大好き。 ・・・ 」  昭和48年。純真に好きだったよう。  昭和64年、崩御。その御代のちょうどまんなかで、waka君は生まれたことになる。
*「ぼくはなぜか天皇のおひとがらがすき。そして、陛下が、政治に利用されたとか口をだしたといって、野党なんかにあんにいじめられると、同情し、なるべく静かにしてあげればいいのに、と思う。」  戦争責任のことだろう。  おびただしい数の臣民が命を投げ出したことも事実。  背負いきれないものを背負われていたと思う。
*「 ・・・ そして、最もこのだましあいで強い人は、自分の望む所などなく、ただ無心に人をだます人。 ・・・ 」  恐いよ、無心は最後に勝ちそうで。  人間対AIの末路みたいな匂いもする。  ・・  にしても、長文になるとどこに行くのかわからないね、waka君のは。  考えてから書いているのではなく、書きながら考えて、結果長文になることもあるようだ。
*「正直な人は、きたない事や不正直な事をしない。 しかし、きたない事や不正直な事を知らない、とはいいきれないのでは??」  知っているだろう。  が、経験値が低いので、知り尽くしているとはならないはず。  よって、きたない事や不正直な事の土俵では勝ち目がない。  明るみに出せるかどうかがわかれめか。  (正直な人は、小乗的には必ず勝つ、少なくとも負けないんだろうけど)

 

 
01:30 2024/10/20 (日)


 14才の少女が結婚して不徳か、とイ■■ちゃんとモリオにきいたら、ひとつもそうでないってさ。でも、新聞でそのニュースを報じたとき、ほとんどの批評家がその少女を責めていた。

        (1973/05/30)


 新聞のニュース
             }この差は?
 テレビのニュース

        (1973/05/30)


 ねおきとは、ねるときとおきるとき? ※ネオキの顔は、だれしもさえない。
 めがさめて、おきたとき?
        (1973/05/30)


 ■サカさんは、顔、声ともきれい。そして、顔、声ともメダツ。
 └→ ふつうは顔がよこれば声がわるく、声がよければ顔がわるいのに、両方なんて、貴重な存在。
 └→ でも、イ■■ちゃんは好みでないというし、モリオは美人でないし、声もきれいでないという。

        (1973/05/30)


 人の人格は長男か、次男か、三男かなんてのできまるのか? それが大きく影響するのか?
 (例)カラマゾフの兄弟

        (1973/05/30)


 ネコの目は何色?

        (1973/05/30)


 信号無視
 「その人が死ぬのはかってだが、もし事故をおこしたなら、交通じゅうたいがおこり他にめいわくとなるので、信号無視をしたら罰金をとる。」(イ■■より)
└→ その人が死ぬといけないから、罰金をとるのではないのだろうか。考えものである。

        (1973/05/30)


 ○ ← ぼくの血(左親指のささくれより)

        (1973/05/30)


 ドブス
 男ドブス

        (1973/05/30)


 ササクレ : この語をすぐ忘れる。
 カサグレ : 何だこりゃ?(←白土三平のマンガ内?)

        (1973/05/30)


 カ■■さんの足はホソスギ、■サカさんの足はふとすぎ。

        (1973/05/30)


 ぼくは、女をきれいだ、きたないといいすぎる?

 女の前ではまったく女の批評などできないのに、男の友だちの中だとなんのえんりょもはじらいもなく、だれだれさんはどうだとか、ギャーギャーいう、「■サカさんは美人だね。評価してます。」なんていうのを、パッパッというのだ。アア、ムカシのヒカリ、イマイズコ。

        (1973/05/30)


 おつりが、少ないときにていいんにいってもらうか?

 おつりが多いとき、5円ぐらい多いのなら、
      それっぽっち、もらっちゃう
    (                )どっち?
      それっぽっち、かえしちゃう

 おつりが多いとき、千円ぐらいなら、
      もうけたと、もらっちゃう
    (               )どっち?
      大金だから返す

        (1973/05/30)


 おせんべをたべながら勉強をやるのはうまくいきそうで、実はうまくいかぬ。

        (1973/05/30)


 ぼくでも、あまりにちじょくすぎる事は、ここに書けず、頭の中にとっておくか、忘れてしまうのです。今日もひとつちじょくすぎることがありました。肉欲的でいやらしくてささいで、おかした事件。ワスレマス。

        (1973/05/30)


 い■さんの足は、カ■■さんのよりふとく、■サカさんのよりほそくちょうどいいです。イ■さんとカ■■さんと■サカさんは同じような女性の分類にはいります。せのちいさいことが共通。カ■■さんがもっとも知性的、■サカさんが最もめだつ。い■さんは中間

        (1973/05/30)


 もうこのノートはだれにもみせられぬ

        (1973/05/30)


 トイレにいきたい

        (1973/05/30)


 カタギ
 シニセ

        (1973/05/30)


 カガミをみたら、ワリとハンサム
 ぼくのキリッとした、きびしい顔がいい。おこっているようなまじめな 右よこがおがいい。

     ぼくの顔、キニイッタ
     カンゼンウヌボレヨ

        (1973/05/30)


*「14才の少女が結婚して不徳か、とイ■■ちゃんとモリオにきいたら、ひとつもそうでないってさ。でも、新聞でそのニュースを報じたとき、ほとんどの批評家がその少女を責めていた。」  昔の日本、例えば江戸時代以前ならそういう婚姻はあったはず。現代でも、海外なら、児童婚はなされている。  しかしそういうことではないと思う、この記事は。  親らの意向で結婚させられる、というのが実態だろうから、むしろ被害者で、彼女がこぞって批難される流れは変だ。  だから、ここ、waka君は遠慮して(恥ずかしがって?)結婚と書いたけど、実は性行為と書くべき所だったのではなかろうか。  それなら、いくつか道筋は見えてくる。
*「ねおきとは、ねるときとおきるとき? ※ネオキの顔は、だれしもさえない。  めがさめて、おきたとき?」  この場合は、(1) 起きたばかりの時。  辞書を見るともう一つの意 (2) 寝ることと起きること。生活すること。も載っている。  ところで、私は当然、(2) が最初にあって、後世の変様で (1) の意ができたと思ったのだけど、辞書の並びは (1)、(2) の順。  古来の意は (1) で、動詞「ねおく(寝起)」の連用形の名詞化。例文は、木工権頭為忠百首(1136頃)。  (2)の初出は、日葡辞書(1603‐04)のようだ。  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 より。
*「■サカさんは、顔、声ともきれい。そして、顔、声ともメダツ。   ふつうは顔がよこれば声がわるく、声がよければ顔がわるいのに、両方なんて、貴重な存在。   でも、イ■■ちゃんは好みでないというし、モリオは美人でないし、声もきれいでないという。」  顔がよければ。  男子高校生、三者三様。  そのまま素直に聞くなら(そしてほぼ同じ■サカ嬢が見えているなら)、waka君>イ■■ちゃん>モリオの順で、許容度が大きいといえそう。  ただ、正直に言っていないことも多いから。心と真逆のことを口にしてしまったり、ありがちなお年頃だから。
*「人の人格は長男か、次男か、三男かなんてのできまるのか? それが大きく影響するのか?  (例)カラマゾフの兄弟」  あるといえばあるないといえばない、か。  影響はあるんだけど、それが大きいか、ささやかか、がはっきりしないたぐい。  (そもそも現代の日本、兄弟三人、みな男、というケースがかなりめずらしくなってしまったのでは。ある家庭の三兄弟がそうだから、他でもそうだろう、と想定まではできても、やっぱりそうだ、という確認ができそうにないなあ)  ・・  非常に関係は薄いが、ちなみに。半世紀前に聞いた話しだが、双子の性格、能力などの差異を研究するため、その大学の附属小学校に積極的に双子を迎え入れていたことがあった、とかどうとか。  まあ、まさか、男三兄弟の差異の研究のため似たことを計画する輩は、いないとは思うけど。  21世紀、物語の中でシミュレーションするぐらいがちょうどいいテーマとなっているのだろうか。一周まわって、ね。
*「信号無視  「その人が死ぬのはかってだが、もし事故をおこしたなら、交通じゅうたいがおこり他にめいわくとなるので、信号無視をしたら罰金をとる。」(イ■■より)  その人が死ぬといけないから、罰金をとるのではないのだろうか。考えものである。」  ルール無視は自他ともに困るから刑罰を定めて抑止する。  というシステムなんだろうが、最も重い刑罰に相当する死を覚悟した個人にとっては抑止にならない、という弱点があるか。  死にたがりの多かった昔、それでも抑止するために、残虐刑とか、連座とかがあったのだろうか。しかし、これを復活させるのは無理。  信仰という眩惑。これはルールを守らせるというより、別のルールで絡め取るようなもの。  たしかに考えものである。
*「○ ← ぼくの血(左親指のささくれより)」  この○の中に、薄茶のシミ。  半世紀の前のこの程度の血痕でも、解析すれば、個人特定までできるんだろう。
*「カサグレ : 何だこりゃ?(←白土三平のマンガ内?)」  こういう登場人物はいないと思ったが、念のため検索したら、カムイ伝の中にいた!
*「カ■■さんの足はホソスギ、■サカさんの足はふとすぎ。」  失礼だよね〜
*「ぼくは、女をきれいだ、きたないといいすぎる?  女の前ではまったく女の批評などできないのに、男の友だちの中だとなんのえんりょもはじらいもなく、だれだれさんはどうだとか、ギャーギャーいう、「■サカさんは美人だね。評価してます。」なんていうのを、パッパッというのだ。アア、ムカシのヒカリ、イマイズコ。」  性欲昂進して、困ったもんだ。  女子の姿を会話の中に浮かびあがらせて、愛でる、それがうれしい。  すきもののおじさん(おじさんたち)が始まっているよ。  自分でも、少年だったころの清々しさを懐かしんでいる。  (女同士の会話でも似たようなものなんだろうけど・・)
*「おつりが、少ないときにていいんにいってもらうか? ・・・ 大金だから返す」  店員に言って(足りない額を)もらうか?  ・・  大金は返さないとね。寝覚めが悪い、かなり、きっと。  ・・  当時は、釣銭をちゃんと数える癖がついていたと思う。 現在はもう、マシンが選出した小銭を手から手に受けとるだけなのでわざわざ数えない。そのままジャラジャラ小銭入れに収めてしまう。
*「おせんべをたべながら勉強をやるのはうまくいきそうで、実はうまくいかぬ。」  笑。  これを実践した直後の記事でしょう。  かしこいやり方をすれば有効かと思う。例えば、小さな目標を達成したつど小さなご褒美、というように律して。  食い意地に負けて、勉強そっちのけでばりばりもぐもぐを堪能したり、腹満ちて眠くなったりしてしまったか。
*「ぼくでも、あまりにちじょくすぎる事は、ここに書けず、頭の中にとっておくか、忘れてしまうのです。今日もひとつちじょくすぎることがありました。肉欲的でいやらしくてささいで、おかした事件。ワスレマス。」  わかるけど、紳士的だと思うけど、書いておいて欲しかった。気になるじゃんね・・ 
*「い■さんの足は、カ■■さんのよりふとく、■サカさんのよりほそくちょうどいいです。 ・・・ 」  脚フェチ。制服のスカートの裾は膝より少し上ぐらいだったかなあ。
*「カガミをみたら、ワリとハンサム ・・・ 」  昔の写真で自分を見比べると、縦に成長していた時期らしい中学二年から高校一年ごろが、最も好男子に写っている。左右の均衡よく、目もと涼しく、りりしく、坊主頭で清潔感もあり。  本項はもう高校二年生。横に成長するサイクルに入っていくころと思う。黒縁眼鏡をかけた。髪も伸ばしはじめてボサボサ気味になっていく。(ほどなく、がさつな青年然となる)

 

 
01:05 2024/10/13 (日)


 このノートは細けい(B)にすることにしていたのだが、まちがえてふとけい(A)をかってしまった。しょうがないから、こんなに小さくかく。

        (1973/05/30)


 未成年○
       }?
 末成年×

      未
イマダ <   >?
      末

 末成年 ≒ 老年?

 なぜか、末成年と書きたくなる。

        (1973/05/30)


 もしかしたら、末は、「ME」とよまないの?!
            「MI」

        (1973/05/30)


 名数とは?

        (1973/05/30)


 NとH : N → |\| → H

        (1973/05/30)


 らんどく
 かどく : こんな日本語ある?
 つんどく : 本をよまずにつんどく。
                     }科学の先生



・乱読の対語は?
・つんでおく → つんどく

        (1973/05/30)


 青ボールペンは、授業によくつかうので、こんな黒ボールペン(ミツビシかしら?)でかいてもいい。

        (1973/05/30)


 お金をはらってものを買う
 お金をあげてもらった人が恩を感じる
 お金で恩を買う?
        (1973/05/30)


 恩オン : すぐ思い出せぬ。

        (1973/05/30)


 ひげがめだってきたからトコヤにいこう。
 それとも自分でそってみようか?
        (1973/05/30)


 こんな(チジョクな事 オロカな事 ささいな事)はあと何日かすれば、わすれてしまうんだろうなあ、と思う事にかぎって、忘れず、あとあとまで覚えている・・・・?

        (1973/05/30)


 文章の始めからおわりまでをひとめでみられるような書と、本のようにページをめくったり、紙をめくらねば、よめない書を区別したらおもしろい。
 前者には、うらまでかかれていない一枚の書類。新聞も、他の紙面に文章はつながっていないので、前者。テストもだいたい前者。後者には、本や、うらにつづく書類、何枚もでできている書、がふくまれる。まきものは、ひとめではみられるけど、ふつうはまいてあるので、両者の中間といえる。
 このノートも、1つの項目があまり、次のページにつづく事がないので前者か??
        (1973/05/30)


 むずかしい思念は文にしてつたえにくい!!

        (1973/05/30)


 右のように、エンピツで半分にわけてあるが、一行ぜんぶをつかいたくなったら、ボールペンで書いて、あとで、ケシゴムでけせばいい。

        (1973/05/30)


 走り書きをしたいときは、エンピツでかいてあとで上からボールペンでかき 清書し 、その上でケシゴムでエンピツでかかれた所をけせばいい。

        (1973/05/30)


 エンピツの筆跡、フデの筆跡、ペンのそれは、どう言葉 名詞 の上で区別する? 鉛跡、ボク跡、インク跡とでもする?

        (1973/05/30)


 「概念 = 言葉の意味、内容」としていいのか???

        (1973/05/30)


 思念 : 名詞ととっていいでしょう
      動詞でも。

        (1973/05/30)


 文学的なものは概念的にあらわしてはならず、科学的なものはなるべく概念的なものを使用せよ。(世界史の歴史)」

        (1973/05/30)


 五円玉や五十円玉に穴があいているのは、中国の鐶銭の影響か? だから、ひもかなんかをとおして、つるしたら、古きをしって、新しきを得る?

        (1973/05/30)


 もうける人は少く、そんする人は多い。

        (1973/05/30)


 「史記」をよむと、いろいろの人の生き方がわかるとよ。

        (1973/05/30)


 庶民の
     出

        (1973/05/30)


 法家 : ホウ
                 )とよむ!??!
 諸子百家 : ショシヒャッ

        (1973/05/30)


 あまり漢字がカケナクなってしまった。

        (1973/05/30)


 タイイクカからものをかりて、かえさないと、その人のみでなく、クラス全体に、それ以後、かしてあげないのだそうです。
 クラスのみんなにめいわくをかけて、ハジをかかぬために、キオツケマショウ■■■君。
        (1973/05/30)


 タイイクカン
 タイイクカ

        (1973/05/30)


 論理がとんだことになる
        たいへんなことになる
        とばしたことになる。

        (1973/05/30)


 だから、このノートには、エンピツのみをはさめばいいか? それともボールペンをはさむか? それとも両方はさむ? 両方はさまぬ?
 エンピツのみをはさむとすれば、エンピツでかかれたものを、ボールペンでかきなおすか? それとも、はしりがきでないのなら、エンピツでもいいか?

        (1973/05/30)


 「あの人はほけつだったわ。けいじばんを・・・、A君8連勝か ―― Bさんはでてないのね・・・まって、A君はこのごろずっと休んでいたわ。もしかしたら、BさんがA君の名でたたかっているのかも。よくあることだわ、名を変更するのがめんどうで。」

        (1973/05/30)


 若い先生
   クラスみんなでテストの点をつける。
   おれもわからん。みんなで考えて答えよう。
     みんなテストのためにせっきょく的に発言?

     これは小学校? 中学? 高校?

        (1973/05/30)


*「このノートは細けい(B)にすることにしていたのだが、まちがえてふとけい(A)をかってしまった。しょうがないから、こんなに小さくかく。」  心記の四冊目の冒頭項。  細罫にして、ノートを節約という算段だったのでしょう。  太罫(普通罫?)を買ってしまったので、細字で対処、ということらしいが、このレベルの細字だと(罫一行に手書き二行ぐらい)、ノートの横幅がありすぎて読みづらいだろう(あるいは短句の場合余白が多くなりすぎるだろう)という考えか、ページを縦に分割して、左半分をうめたら、右半分に移る、という工夫もしている。  そして、心記三冊目まではほとんど鉛筆書きだったのに、ここからは、ボールペン書きが主となる(色は青、黒、赤など不定。八割方は青か)。これもこのレベルの細字ではエンピツ書きでは読みづらいだろうという配慮か。  (そういうこまごました理由は、きっかけ、表、または後付けで、要は気分刷新かも。でも、記事内容は大差ないような)
*「 ・・・  }科学の先生」  科学という科目はないので正しくは化学の先生(の言)か。
*「乱読の対語は?」  精読?
*「青ボールペンは、授業によくつかうので、こんな黒ボールペン(ミツビシかしら?)でかいてもいい。」  冒頭から前項までは青ボールペン。  本項から黒ボールペンで、40頁過ぎまで。  その後はまた青ボールペン主軸(ラストは134頁)。  (書きぶりからいくと、机の引出しのごちゃっとした中から、使っていない三菱の黒ボールペンを発掘したってかんじ)
*「恩オン : すぐ思い出せぬ。」  これは漢字がすぐ書けなかった、ということだと思う。
*「ひげがめだってきたからトコヤにいこう。 それとも自分でそってみようか?」  まだ、髭剃りが習慣化してない、習慣化が必要なほど伸びがはやくないのか。  えー、16才で? 幼くないか。そういうもんだったかなあ、どうも遠すぎて、もうわからないが。
*「こんな(チジョクな事 オロカな事 ささいな事)はあと何日かすれば、わすれてしまうんだろうなあ、と思う事にかぎって、忘れず、あとあとまで覚えている・・・・?」  (1) 実はそういう事のほとんどは忘れている。例外的に覚えているそういう事があるので、そういう事に限って忘れていないような気がしている。  (2) 実はそういう事のほとんどは忘れている。ただ「あと何日かすればこれは忘れてしまうんだろうなあ」と意識すると意識したがゆえに印が着いてしまって、忘れづらくなっている。  (3) 実はそういう事のほとんどは忘れている。ただ、忘れたいと欲するほどの痛いことは、癒えるのに時間がかかるので、まだうずいている。
*「文章の始めからおわりまでをひとめでみられるような書と、本のようにページをめくったり、紙をめくらねば、よめない書を区別したらおもしろい。」  小話と長編。単細胞と多細胞。写真と映画。  ちがうといえばちがう、おなじといえばおなじ。  基本と応用。発芽と蔓延。一瞬と永遠。
*「右のように、エンピツで半分にわけてあるが、一行ぜんぶをつかいたくなったら、ボールペンで書いて、あとで、ケシゴムでけせばいい。」  エンピツの縦線で、頁を左右に分けており、本項はまだその左領域。  文章は、中央の分割線の前で折り返して書いているが、もし折り返さず本来の一行で書きたくなったら、このボールペン書きでそうしてしまえばいい、そこの部分のエンピツの縦線(分割線)はケシゴムでけせばいい。  という目論見のようだけど、こういう場合は、以降をざっと眺めて、ほとんどない、やっていない。  → その一行か数行だけ、左右ぶちぬきで書くのは簡単だが、その後右領域の空白を記事で埋めていくとそこだけすでに書かれていて、飛び越さねばならなくなる。矢印とか使えば可能だが、読みづらいしめんどうそう。(なによりすっきり感がよろしくないよね) そんな理由で採用されることのほとんどなかった事前、例外の、ルールのようだ。
*「走り書きをしたいときは、エンピツでかいてあとで上からボールペンでかき 清書し 、その上でケシゴムでエンピツでかかれた所をけせばいい。」  走り書きとは、時間がないときとか、文章をととのえていると想が逃げそうなときとか、とにかく片言でもメモしておくことを言うはず。  前項とは逆に、便利に多用していくことになるようだ。  (以降の心記ノート群に、走り書きだけで清書までできなかった項がたくさん見つかる。走り書きであるエンピツ文字を消してしまった後は、ボールペンによる清書だけが残り、最初からボールペンで書いた記事との見分けがつかなくなる。よって現在からながめられる以上にこの運用はおこなわれていたと思われる)
*「エンピツの筆跡、フデの筆跡、ペンのそれは、どう言葉 名詞 の上で区別する? 鉛跡、ボク跡、インク跡とでもする?」  正字を探しているというより、waka君または心記でだけつかう言葉を造語しようとしているみたいだ。
*「思念 : 名詞ととっていいでしょう   動詞でも。」  信用の積まれた堅い語を名詞、命が流れ動くやわらかい語を動詞、と呼ぶ感覚か。  本項でようやく、冒頭頁の左領域が埋まる。
*「文学的なものは概念的にあらわしてはならず、科学的なものはなるべく概念的なものを使用せよ。(世界史の歴史)」  の先生がそういってた、ということ?  にしても、意味不明に近い文章だ。  科学のことはなるべくおおつかみで説明してあげよ、ということならばなんとなくわかる。文学的なものは反対に、となるが、そちらはいまいち納得しづらいよ。  (対句にするためにこしらえた感がある)
*「五円玉や五十円玉に穴があいているのは、中国の鐶銭の影響か? だから、ひもかなんかをとおして、つるしたら、古きをしって、新しきを得る?」  ネット検索すると、環銭という語でヒットする。  鐶銭、こんなめずらしい語、かつ、マイナーな表記。どこかからの引用はまちがいない。半世紀前の教科書では鐶が採用されていたのかなあ。  調べると、中国戦国末期に、円体で中央に円形の孔のある円体円孔銭が出現。秦の始皇帝が中国を統一して以降は、円体で中央に方形の孔のある円体方孔銭が中国や日本の青銅貨幣の基本形となる。日本の和同開珎(わどうかいちん)もこれ、なのだそうだ。  現代日本の五円玉や五十円玉は、円体円孔銭なので伝統に従順というわけでもなさそう。  ・・  多数枚の銭の孔を、銭緡(ぜにさしという紐)で通して、保管運搬したようだけど、今は、紙幣もあるし、さらにはデジタルまであるしで、実用性はないね。  (江戸時代後期に西日本では、一定枚数の銭を通した銭緡をもって銀1匁として通用させる慣習が生まれ、これを匁銭(もんめせん)といったとか)  これを作って室内につるせば、インテリア的なものにはなるか。  つなぎ目に一工夫すれば貯金箱ならぬ貯金垂れ?
*「あまり漢字がカケナクなってしまった。」  半世紀後の現代日本人はもっとだと思う。  (書けなくてもあんまり困らないのでますます書けなくなる。  今の小中学生って、どういうモチベーションで漢字を覚えているんだろう。高校や大学の入試は手書きだから、そりゃ、漢字が書けなければまずいわけだが、その後は? waka君のころは一生もののつもりで身につけようと思い、そうしなければ様々な不便不利益が予想され、それよりなによりとにかく恥ずかしかったんだけど)
*「タイイクカからものをかりて、かえさないと、その人のみでなく、クラス全体に、それ以後、かしてあげないのだそうです。  クラスのみんなにめいわくをかけて、ハジをかかぬために、キオツケマショウ■■■君。」  身に覚えがあるような書きぶり。何かやらかした?  だとしたら、昼休みに遊んでいる卓球の用具関連かも。
*「だから、このノートには、エンピツのみをはさめばいいか? それともボールペンをはさむか? それとも両方はさむ? 両方はさまぬ?  エンピツのみをはさむとすれば、エンピツでかかれたものを、ボールペンでかきなおすか? それとも、はしりがきでないのなら、エンピツでもいいか?」  左領域の「走り書きをしたいときは、・・・」の項から矢印がある。  新しい様式にしたノートの冒頭のこの頁で、運用対処の方針を検討しつつ書いているようだ。  はしりがきでないのなら、は、しっかりした文字なら、エンピツ書きを清書としてもいいのでは、の意だろう。  その後、結局は、チビタエンピツ、ボールペン、(分割線を引くための)線引き、これら全部をはさむことになっていく。エンピツ書きでも清書とみなす案は採らず。
*「「あの人はほけつだったわ。けいじばんを・・・、A君8連勝か ―― Bさんはでてないのね・・・まって、A君はこのごろずっと休んでいたわ。もしかしたら、BさんがA君の名でたたかっているのかも。よくあることだわ、名を変更するのがめんどうで。」」  女子の会話または独白で状況説明している、フィクションなんだろけど、かなり説明不足。  たぶん、校外での将棋の試合、というところだな。他校だから、本人じゃなくてもわからない、というおおらかな、悪くいえばなあなあの事情。  (半世紀前の文章と知らずによんだら、ネット上で別人のアカウントで活動している、とかの状況が最初に浮かぶかも。掲示板もネット上のものと早とちりして)  ・・  半世紀前はいろいろゆるいから、別人の名で参加してもたいして問題にはならなかったと思うけど、勝ちすぎて全国大会の出場資格を得たりすると、幹事さんに事情説明して許してもらうことになりそう。半世紀前なら許されるだろうけど(全国大会には本名で出場)、現在では規定違反で失格、優勝剥奪だろうか。  ・・  現在のネット対局でも、ややこしいことになることもある。ハンドルネームで対局するから、元々本名はわからない。年齢も性別も国籍も。これは皆が納得している。  が、リアルで対面していないので、そのハンドルネームでログインしているのが、これまでの彼なのか別人なのかは、紳士協定的なモラルしかないわけで。  負けたくない試合に、相当な実力者を代打ちに立てていたり、果ては、ソフト指し(マシンに正解手を教えてもらいつつ指す)をしていたり。やろうと思えばズルは底なしでもある。
*「若い先生  クラスみんなでテストの点をつける。  おれもわからん。みんなで考えて答えよう。  みんなテストのためにせっきょく的に発言?   これは小学校? 中学? 高校?」  いつだったかあれは、と記憶を呼びさまそうとしている。  TVドラマの記憶とわかっていて、思い出そうとしているようにも読める。(若い男の先生に教えてもらった、という学年、教科がほとんどなかった気がするので。あったとしたら、教生の先生ぐらい。フラットで先進的な雰囲気もどこかウソっぽい)  いずれにしろ、何かがあって、見て、そういえばと、過去の似たイメージが浮かんだ、気になって詳しく思い出したくなった、そんな項のようだ。

 

 
02:25 2024/10/06 (日)


 カワ■は人を参考にして自分にとり入れるのがうまい。
 ぞれに、感じなくてもいい「まねをしている、というよわみ」を感じていないからえらい。
 ぜったいに皮肉ではない。
        (1973/05/30)


 この心記をだしにくいときほど、むずかしいガイネン ? を思いつく。
 ガイネン : こういより、思念とした方がいいのでは?
        (1973/05/30)


 車中泊 : しゃちゅうはく

        (1973/05/30)


 しらんこ

        (1973/05/30)


 オワリ  リワオ  リアオ  リア王

        (1973/05/30)


  水
  緑
 青空
     のある所にいきたいです。旅行のときも。

        (1973/05/30)


 せっかく・・・したのに。 というとき、だれが、 良いのか。 主語は同情されるべきか、主語は正義か?

        (1973/05/30)


 不まじめ不正直なやつは、小さなマチガイをたくさんおかすが、まじめ正直なやつは大きなまちがいを1つおかす。多くの場合、まじめ、正直なやつはおっちょこちょいではなかろうか。

        (1973/05/30)


 殺し
     >よみマチガエルコト多し。
 多く

        (1973/05/30)


 世界史のテストに U年F組41番とかいてしまったかも。
             T年の時、TF41だったので。

        (1973/05/30)


 上二段
    イ、イ、ウ、ウル、ウル、イヨ ×
    イ、イ、ウ、ウル、ウレ、イヨ、○

        (1973/05/30)


 イセ物語をみんなよんでみましょう!!
 ISE

        (1973/05/30)


 わすれては
        >?
 わすれてわ

        (1973/05/30)


 しゅうじゃく
 しゅうちゃく

        (1973/05/30)


 コミ とは?

        (1973/05/30)


 ミセイネンに所得税はかかるか?
 未成年は金持ちになれるか?
        (1973/05/30)


 下くちびるのまん中がたてにきれてる。
 └→ 時点は朝

        (1973/05/30)


*「カワ■は人を参考にして自分にとり入れるのがうまい。  ぞれに、感じなくてもいい「まねをしている、というよわみ」を感じていないからえらい。  ぜったいに皮肉ではない。」  カワ■君はクラスメート。仲、よし。  (本人が聞いたら皮肉にしか聞こえないかもなあ)
*「この心記をだしにくいときほど、むずかしいガイネン ? を思いつく。   ガイネン : こういより、思念とした方がいいのでは?」  移動中、談笑中、遊戯中、作業中などかな。授業中でも、書道のときや実験の際は、机上に取り出しづらかったはず。  行為より、ではなく、こういうより、の誤記でしょう。
*「車中泊 : しゃちゅうはく」  当時は、耳新しかったか。
*「しらんこ」  知らないという状態(や感情)に愛称をつけたもの。waka君の個人語っぽいけど、けっこう通用した(わかってくれた)はず。  単に「知らない」と返答する冷たさをやわらげたり、関わりたくないという気持をざっくばらんに述べたり、そういうときによろしいようだ。
*「せっかく・・・したのに。 というとき、だれが、 良いのか。 主語は同情されるべきか、主語は正義か?」  言いたいことはわかる(たぶん)。しかし説明不足。「せっかく〜したのに」と相手をなじっている発言者は、正しいのか、同情されるべきか、ということでしょう。  waka君は、なじられている相手のほうに同情してるっぽい?
*「不まじめ不正直なやつは、小さなマチガイをたくさんおかすが、まじめ正直なやつは大きなまちがいを1つおかす。多くの場合、まじめ、正直なやつはおっちょこちょいではなかろうか。」  後半は、waka君自身が、まじめでしかしおっちょこちょいだと自覚しているからそれを一般法則のようにしたいよう。  まじめ正直なやつは、自分は正しいという自覚が強いので、誤っていることでも一旦正しいと勘違いしてしまうと、それで突き進んでしまう。そういう失敗をおっちょこちょいといいたいんだろうけど、結果の被害が大きそう。おっちょこちょいでは済まなそう。
*「殺し  多く  >よみマチガエルコト多し。」  この二つを混同するってことかい? そうかなあ・・  多くではなく、タタく、か。 殺し、叩く、ならなんとなく近縁だけど・・  わからない。
*「世界史のテストに U年F組41番とかいてしまったかも。  T年の時、TF41だったので。」  進級して、すでに2年A組。2年生の時の出席番号は(現在はもう)わからず。
*「イセ物語をみんなよんでみましょう!!」  おお。  志というには淡いメモに過ぎないが、高二のこの時点でいちおう望んでいたか。  教科書に載っていたのは、有名どころの数段だけ。  ほんとにめぐりあうのは、十年後かもっと後だよね。
*「わすれては  わすれてわ  >?」  伊勢物語からの引用なら  / 忘れては夢かとぞおもふ思ひきや 雪ふみわけて君を見むとは /  惟喬の親王のエピソードと思う。が、こんなせつないところ(大人にこそ刺さるところ)、高校生に読ませるかな・・
*「ミセイネンに所得税はかかるか?  未成年は金持ちになれるか?」  所得税は、所得にかかるので、稼いだ人物が誰であれ発生する。  わがくにの徴税機関は優秀なので、とりこぼし、おめこぼしは原則ありえない。  通ったあとは草木も残らない。  (むしろそうであってほしいぞ。重税はつらいけど堪え忍べる。不公平は腹立たしくて我慢できそうにないので)
*「下くちびるのまん中がたてにきれてる。  → 時点は朝」  元のメモをそのまま転記したが、時間が経過してしまったんだろうね。  下くちびるのまん中がたてにきれていたのが朝(今は治っている)、あるいは、下くちびるのまん中がたてにきれていると気づいたのが朝、というようなことなんでしょう。

 

 
00:02 2024/09/29 (日)


 ヨ
 E

        (1973/05/30)


 またをかいているとき人にみられたら・・・

        (1973/05/30)


 かきたい事を1つ忘れる。
 └→
     エスカレーター
               }この差をすぐ忘れる。
     エレベーター

        (1973/05/30)


 ことに
 とくに

        (1973/05/30)


 たのしむ会
 たのしむかい?

        (1973/05/30)


 テレビでは有名人以外には敬語をつかわぬが、死んでしまった無名人には敬語がつかわれる。

        (1973/05/30)


 もしも、文学クラブの文芸誌で書いた作品があたってお金がガッポとはいってきたら、みんな学校にキフしましょ。学校あってこその発表だったのだから。
 しかし、学校にキフするテツヅキなんかがメンドウだろうね。
        (1973/05/30)


 ぼくはくだらない事を心にわすれさせる事がある。が、いちどわすれてしまうと、ほんとうにくだらなかったかしらという疑問がおこるが、もうたしかめられない。そこでおもいだそうとして、苦しむ。

        (1973/05/30)


 「もしも、彼がカンニングをしていたとしても、現行ハンとしてつかまえなければ、そうだとは決めつけられない。だから無罪。」
 こういわれるとほんとうにカンニングをしていなくても、カンニングをしていたように思わるる。
        (1973/05/30)


 この学校にキフするのに、全額か半額か。全額キフすると、キチガイとおもわれるのでという理由をつけて半額。

        (1973/05/30)


 このノートのぼくにとってのカチをしって、いやがらせにぬすむ人がでたら? (どうする?)

        (1973/05/30)


 ドアッともうけると、政府が税金として、その多くをすいあげ、公共のものにつかう。
             自分のきらいなものにもいくかもしれぬ
 それなら、キフのお金に税金はかからぬから
               ほんと?
 自分のすきな公共のものにキフした方がいい。
       愛している、
 キライな所にいってもいい、と考え、どこかにキフして、オンをかっているのだとサッカクされるような事はやらぬがいいか?
        (1973/05/30)


 カネが ナルナル ホウリュウジ
 チコクしそうなときにヨメル
        (1973/05/30)


 悲歌 とはどうよむ?

        (1973/05/30)


 高校芸術科は3クラスの中の各科目キボウ者で、各科目ごとに1クラスをつくる。
 この日本語、妙? 変?
        (1973/05/30)


 「妙」は良い事、「変」は悪い事?

        (1973/05/30)


*「テレビでは有名人以外には敬語をつかわぬが、死んでしまった無名人には敬語がつかわれる。」  どうも状況が見えない。どういう事実を指しているのか。  アナウンサーなどは(犯罪者以外なら)誰にでも敬語あるいは丁寧語をつかっている気がするんだが・・ バラエティとかトークショーとかで?  ・・  具体的な用語を言いたいのではなく、尊重し敬う気持があらわれているかどうかなのかも。テレビでは「有名人以外はぞんざいに扱われているように感じる」、しかし無名人でも「災害で亡くなった方、事件で殺されてしまった方への哀悼は自然、寿命で無くなった方なら年長者」なので、丁重になるようだ。といいたいのかも。
*「もしも、文学クラブの文芸誌で書いた作品があたってお金がガッポとはいってきたら、みんな学校にキフしましょ。学校あってこその発表だったのだから。」  これは殊勝な心がけだ。妄想上のこととはいえ。
*「しかし、学校にキフするテツヅキなんかがメンドウだろうね。」  妄想上の殊勝な心がけさえ、こんな理由をつけて、躊躇する。あとずさる。いわんや、妄想でなくなったときにおいておや。
*「ぼくはくだらない事を心にわすれさせる事がある。が、いちどわすれてしまうと、ほんとうにくだらなかったかしらという疑問がおこるが、もうたしかめられない。そこでおもいだそうとして、苦しむ。」  このジレンマ、なんかわかるぞ。  解決策としては、くだらなそうなことも一度は書く、書き残す。くだらない判定をくだしたら、棒線で消す。いわゆる、見せ消ち状態とすればよし。あとで、ああ、やっぱりくだらないと安心できる。 (紙の帳票や契約書などは、このとおりの手続きをしていたんだけど。見せ消ちに重ねてとか側に印鑑を捺してね。デジタル文書になって、どう引き継がれたのか、詳細は知らず)
*「「もしも、彼がカンニングをしていたとしても、現行ハンとしてつかまえなければ、そうだとは決めつけられない。だから無罪。」 こういわれるとほんとうにカンニングをしていなくても、カンニングをしていたように思わるる。」  嫌疑をかけられたけど、証拠不十分で放免。という状態。  たしかにねえ、殺人事件なら真犯人が捕まれば清廉潔白がはっきりして、めでたしなんだけど、カンニングって真犯人がいるとかじゃないからなあ。  やったやらないは、痴漢事件とかもちょっと似ている。 (疑われた際、またはそのあと、やったという決定的証拠のあがることはあるだろうけど、やらなかったという決定的証明はむずかしい)
*「この学校にキフするのに、全額か半額か。全額キフすると、キチガイとおもわれるのでという理由をつけて半額。」  妄想の派生。なのだが、もう生々しくなってる。
*「このノートのぼくにとってのカチをしって、いやがらせにぬすむ人がでたら? (どうする?)」  まあ、一般的にいえば、その人の日記をぬすんで、それを人質に強迫する、ってことはありえるだろう。しかし、人間の人質でないから、最悪公開されたり燃やされたり程度の被害なので、官憲に通報して拘束してもらえば済むことか。  人質が日記と知って、官憲が本気で動いてくれるかどうかが気がかりだが・・
*「ドアッともうけると、政府が税金として、その多くをすいあげ、 ・・・ それなら、キフのお金に税金はかからぬから、 ・・・ 」  税金のことまで心配してる。  おそらくこのような単純なことでは済まない。税務署はとにかく、ドアッともうけた時点で税金が発生しているとして、その後に寄付しようとどうしようとむしり取りにくるはず。  たしか、あらかじめ法で定められた先に寄付した場合だけ、税で考慮される。
*「カネが ナルナル ホウリュウジ   チコクしそうなときにヨメル」  この鐘は、学校の始業前の予鈴、チャイムだ。  記載の流れからいくと、鐘でなく金だな。  いずれであれ、法隆寺に失礼だね(^^;
*「悲歌 とはどうよむ?」  ふつうに、ひかでしょう。  エレジーとルビをふるとオシャレ?
*「高校芸術科は3クラスの中の各科目キボウ者で、各科目ごとに1クラスをつくる。   この日本語、妙? 変?」  ほんとわかりづらい・・ 上は、想定上の学校のことではなく(例文などでもなく)、現状のことを書いているみたいなんだが、時を経てしまうと(たぶん部外者にも)一読では無理。  waka君の高校の芸術の授業は、絵画、書道、音楽(あと工芸もあったかどうか)のどれかを選択して三年間、学ぶ、修練するというものだったと思う(waka君は書道)。つまり、芸術の時間は、他クラスの生徒といっしょになるわけで、その構成方式が上のように通常3クラスを再編して芸術3クラス(工芸もありなら4クラス)にしていたということらしいが、詳細はもうわすれた。  しかし、1学年でA〜Hの8クラスあったから、3の倍数ではないなあ。2クラスを再編して芸術クラスにしていた生徒少なめのグループもあったのかなあ。

 

 
00:36 2024/09/22 (日)


 脳がなくなって、なお生きつづける話を夢でみた。洪水がでて医者にいけず、脳内のわるいものをとらねば、とますいなしで手術をするのだ。頭をなんかでおさえて、ドリルで穴をあけようとする所までみてあとは目をそらせた。その人はまったく脳がないのだが生きているんだ。とにかく死が目の前にせまっているような悲しく暗い話だった。すこし、変化のある話でもあった。
 この夢の中ではお父さんは市長だったのだ。
        (1973/05/30)


 人間の心が脳にないのだとしたら、脳を取ってしまっても、まだまともに生きているといえる。

        (1973/05/30)


 どんてん : ふつう
               >?
  ハレ
      }トクベツ
  アメ

        (1973/05/30)


 なぜオヤジの頭ははっちゃいけないの?

        (1973/05/30)


 のぼりのエスカレーターをさかさにおりるとき、エスカレーターの段々をみているとまわりの壁などが動いているようにみえる。壁は下から上に動くようにみえるのだっけ、上から下に動くようにみえるのだっけ。忘れた。
 京成ボールの帰りによくエスカレーターで遊ぶのだ。
        (1973/05/30)


 A君は、家のそばにある小さな横断歩道をちゃんと信号をまもってわたる。が、多くの人は、車がとおらぬときは赤信号でもわたってしまう。実はA君は、うしろに女の子が歩いているときなど、信号器の所でとまってその子を自分においつかせ、きれいな顔でもみようなどという下心があったのだ。が、うしろに女の子がいるときだけ、いつもはわたってしまう赤信号をわたらぬのは、もしだれかが両方の場合をみていれば、Aの下心をさっしてしまうし、Aとしても、自分がそんなみにくい心をもっているとは思いたくなかった。そこで、うしろに女の子がいようといまいとその信号器をまともにまもって、他の疑いがおこらぬようにし、自分にも納得させた。おれは別に特別なことをしているわけじゃない、いつものように信号器でとまったら、女の子がおいついただけだ。そしてそのうちに自分をまもりたいという気持がつのり、信号を下心にゆうせんさせて守るようになった。女の子が信号をむしして、いってしまってもおいかけようとせず、じっと青になるのを待つのだった。
 ぼくはこんな下心なしに信号をまもります。
        (1973/05/30)


*「どんてん : ふつう   ハレ アメ }トクベツ   >?」  ハレはケにとって、アメはツチにとって、トクベツであるのに比べ、どんてんはふつうの言葉だね。 ・・と読み解いてみた、今。
*「なぜオヤジの頭ははっちゃいけないの?」  はるは、ひっぱたくでしょう。貼るにとって疑問となった(妙な絵柄がうかんだ)か。  おそらくTVの中のセリフに。
*「のぼりのエスカレーターをさかさにおりるとき、エスカレーターの段々をみているとまわりの壁などが動いているようにみえる。壁は下から上に動くようにみえるのだっけ、上から下に動くようにみえるのだっけ。忘れた。  京成ボールの帰りによくエスカレーターで遊ぶのだ。」  ボーリングの帰りに、でしょう。高校生男子たちらしいといえばいえるけど、おもちゃにしたらあぶないね。まわりにもご迷惑。  段々に視線固定なら、それが上りであるなら、壁が上から下に動くように見える(はず)。
*「 ・・・ ぼくはこんな下心なしに信号をまもります。」  これは小話風。  ラストはA君の(中の善なる、または、善であるかのような)心の声と読める。なかなかいい。  一呼吸置いて物語から離れた書き手waka君の、付け足し、ぼくとはちがうよという言いわけが書かせているんだろうな。  (分裂と一体化が同時に成立しているよう)

 

 
01:04 2024/09/15 (日)


 X(エックス) ―(連想)→ ストライク(ボーリングの)

        (1973/05/29)


 ボーリングのピンが1回転して立つことはあるか?

        (1973/05/29)


 じょしょうび(美少女)
         ←――

        (1973/05/29)


 6と7をたすと、13だっていうのをわすれる。たとえば、26+17=44なんて、すぐやっちゃう。
 ボーリングのスコアをつけるうちにたしざんのよくできないへんな感じをもつ。まるでカンタンなはずと1ケタどうしの和をパッと求められず、ちょっと考えてから求めるようなのだ。
        (1973/05/29)


 ボーリングにおいて、ぼくは
      ストレートのとき13ポンド
      カーブ の とき14ポンド
                       )がいい。

        (1973/05/29)

 エレジイとは?
 プトレマイオス朝のつくった研究機関は? とテストで問がでたので、エレジイとこたえてしまった。

         アイカ、バンカ、悲歌
                         ムセイオン

        (1973/05/29)


 けんかエレジイの作者は?

        (1973/05/29)


 同性
      >でくらしている  : 千葉日報
 同棲

        (1973/05/29)


 もし、水の中にカイブツがいるとしたら、それが外からみるとゆっくりしているようなカイブツでも、人間が水の中にはいるのはキケン。人もゆっくりになってしまうのだから。これはつまり、カイブツのいる森にはいるようなものである。
 カイブツのいる森にははいりたくないが、カイブツのいる湖にならはいってもこわくないように思うのはナゼ??
        (1973/05/29)


 きょうせいの先生は、たとえば、中学にきたきょうせいの先生は中学にもともといた先生を、何と呼ぶのか。中学にもともといた先生はきょうせいの先生の「友人」か「指導者」か? 中学にもともといた先生は、きょうせいの先生の先生か? それとも同志か?

        (1973/05/29)


 ハナがつまってます、キモチワルイクライ。

        (1973/05/29)


 記者会見などでの記者の発言は、おこりたくなる 頭にくる ほど無礼でそん大な口調。すこしは礼とゆずりをわきまえろ。

        (1973/05/29)


 このノートにはしり書きがたまり、清書しなければならないとき、それがたいへんな事をしっているので、やるきがでないんです。そこで、生活の大きな要素であるこのノートをやらないので、他の仕事もやるきがでなくなるのです。他の仕事をやろうとしてもこのノートをやらねばと思って手がつかないんです。今まで、このノートをおわらせずに他の事をやるのをあまりやらなかったのでこういうクセがついたのです。ただししんぶんをよんだりしょうぎをさしたりはできる。が、本をよんだりかいたりべんきょうしたりは、このノートがすっきりしていないとやるきがでない。心をこめてやる気がでない。ぼくはだいぶこのノートにそくばくされているようです。キグルッタのかしら。

        (1973/05/29)


 気狂う : 動詞?

        (1973/05/29)


*「ボーリングのピンが1回転して立つことはあるか?」  ほぼありえない気がするが、可能性としてはゼロではないのかも。  はじかれた他のピンがそのピンに当たるも、そのピンは立ったまま滑ってしかし倒れなかった、というのは目撃したことがある。  (どうやら、雰囲気として、中間テストがおわって、親しいクラスメートたちと、打ち上げにボーリング場に来ているっぽい。ピンをはじき飛ばす、スカッとする)
*「 ・・・ ボーリングのスコアをつけるうちにたしざんのよくできないへんな感じをもつ。まるでカンタンなはずと1ケタどうしの和をパッと求められず、ちょっと考えてから求めるようなのだ。」  当時、スコア付けは、手元でボーリング場の用紙に手書き。(マシンが計算してくれるなどはだいぶ後年)  重い玉を投げて疲労(とくに利き手)、ピンが派手な音を響かせてはじきとぶ(耳が大音にならされる)、うっすら汗、等が影響して、一時的にか、単純な足し算がいつのものようにはできなくなる、ということは実際にありそう。
*「ボーリングにおいて、ぼくは  ストレートのとき13ポンド  カーブ の とき14ポンド   )がいい。」  ストレート投げのときは軽めの玉でいきおいよく、カーブ投げのときは重めの玉で慎重にねらって、投げたい。  (などとかっこはつけても、最高スコア160ぐらいがやっとだった)
*「エレジイとは?  プトレマイオス朝のつくった研究機関は? とテストで問がでたので、エレジイとこたえてしまった。   アイカ、バンカ、悲歌   ムセイオン」 〔 エレジー ・・・ 悲しみの詩。死者を悼(いた)む詩。転じて、悲しみを歌う音楽。悲歌。哀歌。挽歌(ばんか)。 〕〔 ムセイオン ・・・ ギリシアの学芸の神ムーサイの宮殿の意。特にプトレマイオス二世がアレクサンドリアに設けた王室付属研究所。ヘレニズム時代の学問・研究の中心。 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006   珍解答をしてしまった、と。意味はもちろん発音としても、だいぶ離れているのにね。ものがなしさはどこかつうじているのかなあ。  しかし、こんなのまで、テストにでたのか。  採点する先生(世界史なのでツキュディデス(あだ名)だろう)は、他意はないと思ってくれたかなあ。
*「けんかエレジイの作者は?」  Wikipedia、 〔 『けんかえれじい』は、鈴木隆の小説作品、およびそれを原作として映像化した映画作品・TVドラマ作品。  概要 1966年に理論社で刊行。 ・・・  映画 鈴木清順監督、高橋英樹主演で1966年に公開された。 ・・・ 〕
*「同性 同棲  >でくらしている  : 千葉日報」  新聞紙面のその記事の内容が知りたいが、もうムリだね(^^;
*「もし、水の中にカイブツがいるとしたら、それが外からみるとゆっくりしているようなカイブツでも、人間が水の中にはいるのはキケン。人もゆっくりになってしまうのだから。これはつまり、カイブツのいる森にはいるようなものである。  カイブツのいる森にははいりたくないが、カイブツのいる湖にならはいってもこわくないように思うのはナゼ??」  後半の疑問は、前半ですでに答えているのでは?  (1) 記載順序が逆転してしまった?  (2) 後半は、前半が答えとなるような疑問を、前半から作ってみたという試み。  (3) 前半は百も承知でなお、やはり、こわくないように思ってしまうのはなぜ。  ・・  (3)だとして、答えるなら、水中は異界度が高い。同じ陸上の森のカイブツは強弱が明瞭だが、水中のカイブツとの力量差は直感的にわからずもしかしたらの隙があるような気がする。そもそも簡単には見つからないのでは。いつもとちがう環境に好奇心も湧く。こういう場合、十中八九、殺されるとわかる(そういうバカをたくさん見てきた)経験値が、まだ積まれていない若者ほど、挑みたくなる、たかをくくる。そういうことかも。
*「きょうせいの先生は、たとえば、中学にきたきょうせいの先生は中学にもともといた先生を、何と呼ぶのか。中学にもともといた先生はきょうせいの先生の「友人」か「指導者」か? 中学にもともといた先生は、きょうせいの先生の先生か? それとも同志か?」  気づいてしまうと気になる疑問だろうね。  本職と見習いの関係だから、見習い、新人、後輩は呼び捨てにされる、本職、教育係、先輩にはさん付けで敬語、というのが一般社会の常識だったと思う、当時はさ。  ただそういうことはwaka君もわかっていて、気になるのは、先生が先生に先生というのか、生徒が先生を先生と思いそう呼ぶ関係が、教生の先生が本職の先生を先生と思いそう呼ぶ関係にそのままなっているのか、のほぼ一点か。  仮に、生徒のいる前では、○○先生、○○先生と呼びあっていても、両者しかいないところではちがうのではと疑える。そこが知りたい・・  ・・・  実際のところは、現実の教師に訊いてみるしかないか。  現場現場で、それぞれに呼び方があったかもしれない。時代状況もあるだろう。  考えられるのは、自分が見習いだったときの呼び方を自分が教育係になったときも踏襲していく、同じなら安心できる、という流れだけど、だからといって、受け継がれて、半世紀不変というのもありそうにないよなあ。
*「記者会見などでの記者の発言は、おこりたくなる 頭にくる ほど無礼でそん大な口調。すこしは礼とゆずりをわきまえろ。」  いれこんでます。  だれかの記者会見の報道をみて、質問されるほうに同情したか。  あるいは、ドラマの中の(誇張された)一場面にいきどおっているだけ?  (構図だが、たいてい、初老にさしかかる大人が責任者として矢面に立たされ、青二才ともいえるとがった記者らが容赦ない質問をあびせえぐりあおる。waka君はたぶん、そのえぐりあおるほうに快感を感じるよりも、いじめられている老いた人のほうを守りたくなるタチなんだろうな。長幼の序に安心を感じる。大家族で育ったから、そういう性質がしみついているか)(もちろん、責任者が背負った罪にもよるだろうけど。非道い奴だと思えば、えぐりあおる側にまわりそう。スキャンダルの核心人物だとしても善良そうな女子が泣き顔だったりすると、舌打ちをして顔をそむけそう)

 

 
00:12 2024/09/08 (日)


 このごろ、ぼくぐらいの年の男や女がころころ自殺している。

        (1973/05/28)


 お父さんいわく、じみちでない金もうけには手をつけないこと。

        (1973/05/28)


 書をもくどくするのと、声をだしてよむのと、書きながらもくどくするのと、書きながら声をだすのでは、どれが最もよ頭にはいるか? 

        (1973/05/28)


 お母さんいわく、あまりにきびをいじるなって。

        (1973/05/28)


 世の中にある、すばらしい物はその人を楽しくさせるが、反面そのすばらしい物がなくなってしまうのでは、とその人を心配させる。そこで、すばらしい物はあった方がいいとも、ないほうがいいともゆえぬ。
 「世の中にたえてサクラのなかりせば・・・・・」

        (1973/05/28)


・すべてを現実的に考える人
・すべてを空想的に考える人
・現実的に考えた方が適当なものは現実的に考え、空想的に考えた方がおもしろいものは空想的に考える人。

        (1973/05/28)


 ふりごまは上手がするべきか、下手がするべきか。
 どうも上手らしい。
        (1973/05/28)


 A君は、Bさんが好き。A君は、いつか、カサがなくて困っているBさんを、自分のカサに入れてやろうと思っていた。ある日、昼から雨がふった。A君はその日もってきたカサ(朝もすこしふっていた)と、学校においておいたカサの2本をもっていた。そこにCがきて、1本かせという。そこでAはかした。ところが下校の道で、CはBをカサに いれて なにやらたのしそうにしていた。AのカサがBさんをたすけたにかわりはないが・・・とAは思うのであった。

        (1973/05/29)


 なぜ、タバコは茶色いの?

        (1973/05/29)


 エレガントとは?

        (1973/05/29)


 王
   └ なぜ「朝」とかく?

        (1973/05/29)


 使
  エキ
   └ この字でいいの。

        (1973/05/29)


 テスト中に、ふで箱の中から白紙の紙をとりだし、テスト問題をさっとうつし、答を書いてから、その紙をみながら、テストをややているようなまねをする。先生にしかられて、カンニングではありませんといって、よろこぶやつ。

        (1973/05/29)


 Aの好きでないBが、「Aさんに好かれないなら」と自殺しようとする。AはBに「ぼくは君が好きだ死ぬなよ。」といってとめる。心の中では(こいつにつらあてに死なれて一生悩むよりは結婚した方がましだ)と思っている。

        (1973/05/29)


 一度自殺しそこなったひとは二度と自然しようとしない、というが、ほんとうか?

        (1973/05/29)


 テストをうめたところだけはすべてマルをとるという、パーフェクト。

        (1973/05/29)


 承りました  「うけたまわ」りました!!
 ついに、五字のひらがなを表わす漢字をみつけた!!
        (1973/05/29)


 イテフちゃんが笑うと、マチ■君に似ている。

        (1973/05/29)


○ ぼくは「が」とかくべきなのに「ば」とかく事が多い。
 それは主に次の場合である。
  「〜が・・・した。」 → 「〜ば、・・・した。」

○ テストで問題と解答を切りはなすのもテスト時間内にやらねばならぬのか?

○ 名詞と動詞のかけことば
    名詞と名詞、動詞と動詞のかけことばはあるか?

○ くやしい
        悔しい
        口惜しい
        苦しい
                }??

 ※ 悔 やしい }???
   くい


└ → ぼくはテスト中でも、こんなことを問題用紙にかいてあとで心記にかいてやろうなんておもってるのです。(このコトバもテスト中)

        (1973/05/29)


*「書をもくどくするのと、声をだしてよむのと、書きながらもくどくするのと、書きながら声をだすのでは、どれが最もよ頭にはいるか?」  最もよく頭に、の脱字。  頭にはいるかどうはわからないけど、書きながら声にだすのが、最ものめりこんでるでしょう、やはり。 一人芝居? 観客まで兼ねてる。  やったことはたぶんないけど。(もしかしたら小学校低学年ぐらいにはしていたのか)
*「お父さんいわく、じみちでない金もうけには手をつけないこと。」 「お母さんいわく、あまりにきびをいじるなって。」  父母のいましめ。  楽して儲けるという誘惑はこわいぞ。自分いじりに呆けなさんな。ざっくり言い換えれば。  まあ、いわれたとおりだ、とほんとうにわかるのは、ずっとあと、さんざんやらかしたりくずれたりしたあとだよね、たいてい。
*「A君は、Bさんが好き。A君は、いつか、カサがなくて困っているBさんを、自分のカサに入れてやろうと思っていた。ある日、昼から雨がふった。A君はその日もってきたカサ(朝もすこしふっていた)と、学校においておいたカサの2本をもっていた。そこにCがきて、1本かせという。そこでAはかした。ところが下校の道で、CはBをカサに いれて なにやらたのしそうにしていた。AのカサがBさんをたすけたにかわりはないが・・・とAは思うのであった。」  味がある。  小品になってる!
*「王朝   なぜ「朝」とかく?」  手元漢和辞典によれば、古代には朝日をむかえて政治を行なったので、朝は朝廷を意味し、とある。
*「テスト中に、ふで箱の中から白紙の紙をとりだし、テスト問題をさっとうつし、答を書いてから、その紙をみながら、テストをややているようなまねをする。先生にしかられて、カンニングではありませんといって、よろこぶやつ。」  何も懸かっていない試験なら、いたずら、シャレで済むかしれれないが、そうでないなら不審な挙動と即不合格、または試験後別室で審問か。  それも含めてよろこびなら、もうすきにすれば? だけど。
*「Aの好きでないBが、「Aさんに好かれないなら」と自殺しようとする。AはBに「ぼくは君が好きだ死ぬなよ。」といってとめる。心の中では(こいつにつらあてに死なれて一生悩むよりは結婚した方がましだ)と思っている。」  これも、情にほだされて、に含まれるんだろうか。
*「一度自殺しそこなったひとは二度と自然しようとしない、というが、ほんとうか?」  自然しようとは自殺しようとの誤記、だろう、ほぼ。やや誤記が多い、この近辺。  ・・・  死にいざなわれる気分は感染しやすいとも聞く。waka君、同年代のそういうニュースに触れて、心のどこかでひっぱられているか。
*「テストをうめたところだけはすべてマルをとるという、パーフェクト。」  書けたところだけは、の意。  意味は薄いかもしれないが、これもひとつのよろこびになりそう、と?
*「イテフちゃんが笑うと、マチ■君に似ている。」  イテフちゃんは、中学高校の友人イ■■ちゃんの趣向風味の呼び方。(実際には使わず、このノートだけ、あるいはここだけなのかも)  マチ■君は、小学同級で、近所で、よく遊んだ友だち。
*「 ・・・ ぼくはテスト中でも、こんなことを問題用紙にかいてあとで心記にかいてやろうなんておもってるのです。(このコトバもテスト中)」  病膏肓、だね。  その問題用紙は手元に残り、そのままこうして転記できたよ、と。  (だれに語っているのやら)

 

 
05:33 2024/09/01 (日)


 人が何かむずかしいような事をいっているとき、その人は自分が何をいっているかわかっているつもりでいて、じつは、ひとつもわかっていないことが多いのではなかろうか。中学の頃のぼくはそうではなかったろうか。自分の言った言葉を、あとでよくギンミしてみると、その時の その言葉を言った時の 自分にとって、まるで、無関係で無意味でうらろな言葉である あった? と感じられる事が多い。

        (1973/05/28)


 人は言葉をよく知れば知るほど、自分にあったじみでかんたんな言葉を使うようになるのだろう。言葉をよく知らぬうちは自分とはかけはなれているむずかしい言葉を、自分にあった言葉だと錯覚して使用するのではなかろうか。

        (1973/05/28)


 ■■リはぜんそくもちです。今、夜中の1時すぎですけど、コンコン コッ、コッ ゴッ、ゴッ やってます。

        (1973/05/28)


 二つの人格 心 をもつ肉体
   二つの人格が同時にでる
 <                          }こんなのある?
   二つの人格が交代 かわるがわる ででる
        (1973/05/28)


 
 └ なぜ、こんな語を?

        (1973/05/28)


 英語は10点しかとれなくてもなかないようにしましょう。

        (1973/05/28)


 なぜ、「アメリカ」という名称ができたのか?

        (1973/05/28)


 ぼくはまるでガキの頃、ほんとうに、吉■さんの妹と結婚するなんていったのかしら。吉■さんの妹は、今、市立にいて、すごい美人だときいていますが。

        (1973/05/28)


 図書館にくると、明日のテスト以外の事をすぐやりたがるのだ。今も、世界史範囲にはいっていない第1次大戦の所を興味深く読んでいるのだ。

        (1973/05/28)


 どこいら  どこら
          こういう日本語ある??

        (1973/05/28)


 交差 サ
 交叉 サ
 交錯 サク

        (1973/05/28)


*「 ・・・ まるで、無関係で無意味でうらろな言葉で ・・・ 」  うつろな。  うらがまじってる?
*「人が何かむずかしいような事をいっているとき、 ・・・ 」 「人は言葉をよく知れば知るほど、 ・・・ 」  人が、人は、といいながら、実は自分のことをいっている、いいたい。waka君の癖だわな。かっこつけかな。 (それとも、僕が、僕は、とふだんいいすぎるので、恥じて控えたくてこうなるのかも)  ・・・  これらの項で「ひとつも」「まるで、無関係で無意味で」「かけはなれている」など、強く言い切って否定しているけど、否定したがっているけど、これもまた言いすぎなのではなかろうか。  こういうのが、わかっていても直らない、やめられない、ということだと思うよ。
*「 ・・・ 二つの人格が同時にでる ・・・ 二つの人格が交代 かわるがわる ででる ・・・ 」  多重人格か。  交代で発現するようだけど、詳しくは知らない。  そういう人に会ったという記憶もない。  ただし、他人が気づけないケース(この人は気分屋さん、程度の認知)も多いそうだし、自分に別人格があってそれがしばしば発現していることを自分が知らないということも少なからずらしく、会ったという記憶がなくてもまるであてにならないのかも。
*「代   なぜ、こんな語を?」  交代の意味からして、代はわかるけど、交がなぜ使われているのか、とふと疑問がわいた、ということでしょう。  漢和辞典を調べたり、自分なりに想像すれば、とりあえずそういう疑問の答えはみつかると思う。  ま、それはそれとして、事情を考えてみる。  交と代のそれぞれの原義を持ち寄って、一語となったわけだが、国を超え、時間を経て使用されていくうちに、両語の単純な足し算ではない意味をその一語がそなえていった。すなわち、熟語となった。あたかも、子が両親とは別人格として育ちあがるように。ということだから、親の名は継いでいても中身がちがうような気がする、何ら不思議はないのである。  いかがでしょう。
*「英語は10点しかとれなくてもなかないようにしましょう。」  百点満点で。  さすがに10点ということはなかったと思うが、24点とか36点とかはあった気がする。40点未満が赤点(中間考査、期末考査などの試験が年間で五回あり、この平均点が、一教科でも40点未満だと進級できない、というのがルール、原則、建前)。
*「なぜ、「アメリカ」という名称ができたのか?」  アメリカ合衆国は、現在、頼もしく好ましい国家、人々、という印象なんだけど、彼らの先達は相当にやばい人たちだよね。襲来した宇宙人のようにあの国土を奪っていき、自らの血と努力のたまものなのだから当然の権利を得たまで、というツラの皮の厚さでのさばってきたわけだし。  とはいえ、世界中のどの国も、もちろんわが日本国も、昔はやばいことのオンパレードで、罪を重ね重ねして、要は弱者をしいたげ、暴力で威圧し、あらゆるけだものの欲望をほしいままにしてきたのに、どのような不正義も恥辱も自らを正当化して美しく言い換え華麗に勇ましく装って自賛、称揚してきたので、ことさらあの国だけを指さして石を投げるというのも変になってしまうのだけど。  よって、もう皆さんそういうもんだ、お里は知れている、ということをふまえた上で、みてみないふりをしおすましして隣近所と小ぎれいなおつきあいをしていく、というのが大人の世界なのかも。  元気のありあまっている若いやつらや鬱屈した青年らが、いろいろこぜりあいをしたり、とがった理屈をわめいたりするのを、大人たちがなだめたりやんわり手を出したりする。時には、いい年をして大人げないことをする同輩を村八分にしてこらしめたり。そういうのが、眼前にひろがるいまどきの国際情勢だったりして。
*「ぼくはまるでガキの頃、ほんとうに、吉■さんの妹と結婚するなんていったのかしら。吉■さんの妹は、今、市立にいて、すごい美人だときいていますが。」  吉■姉妹の妹。小学校以前の幼友達で、そばに住んでいたはず。おぼろにしか顔はおぼえていなくて(コケシ人形のように純朴でととのっていて)、上の通り、うわさは聞くけど本人に再会とかはしていないはず(知らずにすれ違ったりはあるだろうが)。  たぶん、叔母経由の噂話。枕詞が、ほら、わかちゃんがおよめさんにすると言ってた○○ちゃん、というふう。今は〜〜で、テニス部で、すごい美人なんだよ、などと続いたりしたかな。  市立とは、市立○○高校があったからこう区別していた。(waka君の学校は県立○○高校)
*「図書館にくると、明日のテスト以外の事をすぐやりたがるのだ。今も、世界史範囲にはいっていない第1次大戦の所を興味深く読んでいるのだ。」  なるほど。中間テストはまだ続いているんだ。  5/24(木)に「中間テストがひどい点になることはまちがいない。明日からだというのに、」と書いているから、スタートは5/25(金)。翌日5/26(土)もあっただろう。  中間テストの日程は三日間か四日間ぐらい。五日間ということはないな。となると、せいぜい5/29(火)まで。  数項前の下の妹の咳の記事が、5/28(月)の午前一時。本項は図書館にいるので、5/28(月)の試験を終えて下校後のこと。  5/26(土)またはこの日5/28(月)に最も苦手な英語の試験があり、不出来の事前予測、不出来の事後結果に、いろいろ嘆いていたわけだ。  そして、おそらく最終日の、明日5/29(火)に世界史があるようだ。  ・・・  試験範囲外のところを読んでいるそうだけど、いつものことながら心記にこのように大量の雑事の記述もしていて、はたして正身の試験勉強にどれだけ手を動かしているのか、こころもとないね。  ・・・  世界史は高校二年時の科目だろう。となると、始まって二ヶ月で第一次世界大戦は相当に先走りだわ、たしかに。  ・・・  ただまあ、直近のテストの得点にはならなくても、逃避っぽくても、苦しまぎれでも、そうやってひろびろ様々の知識を渡り歩いたりするのは学徒としては悪くないかもよ。大量の雑事の記述も、心の養生にはなっているかもよ。

 

 
00:18 2024/08/25 (日)


 感じる   :他を受けてそれに反応
                      >こういう差なのか?
 思う
      }:自発的
 考える

        (1973/05/27)


 ぼくは、二三年前、1日に本を五冊ぐらい読んだとうそぶいたことがあります。

        (1973/05/27)


 冊
    >ようまちがえるわ
 用

        (1973/05/27)


 うそぶくとはうそをつく事?

        (1973/05/27)


 ぼくの小さい頃の夢は、ちょうのう力者になることや、きれいなかわいい女の子を得る事。まさに、夢、つまり空想みたいことで、その夢が未来につながっていたようにおもう。つまり、夢が夢だったわけ。(つまり、空想が将来の希望だったわけ)
 平和だったなあ・・・

 今は、小説家になれたら、と思ってる。

 中学の頃までは不死になる事が空想であり、希望であったのだ。今でも、いろんな空想をするけど、将来の希望はすこし現実的になったのだ。でも、現実の見方がずいぶんあまいね、ぼくは。現実と空想をゴッチャにする事が多いんだ。
        (1973/05/27)


 ぼくはかみの毛をあらうというよりあたまのひふをあらうってかんじ。
 ひふについているフケをとるのだもんね。
 かみの毛はかわくが、ひふはかわきにくい。そこで、ゴミがひふについてフケとなるのか???
        (1973/05/27)


 「カラマーゾフの兄弟」も漱石先生の作品も、多くの小説が、会話の文学なのではないかしら? それに対して、詩は、地の文の文学なのではないかしら?

        (1973/05/27)


 英文をおぼえるにはよみながらかくのがいちばん。
 上のように思うようになったのは、ネゴ■先生に上のようにおしえられたからか?
        (1973/05/27)


*「ぼくは、二三年前、1日に本を五冊ぐらい読んだとうそぶいたことがあります。」 「うそぶくとはうそをつく事?」  うそぶく(嘯く)に嘘の意味があるとは辞書にのっていない。が、嘯くと嘘に関連が全くないかと言えば、ないようなあるような、はっきりしない、辞書を見る限り。  嘯くの語義に、〔・・・ (6) 強がりをいう。大きなことをいう。〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 というのもあるので、上の用い方もまちがいとまではいえないはず。  ・・でもなにか違和感がある。言い代えたいんだが、例えば「自慢したことがあります。」では、それが嘘や誇張ではないようにも聞こえる。「大口をたたいたことがあります。」は近いが、長い。ひと言で言うとしたら、「ふいたことがあります。」だろうか。俗語っぽいので少々行儀をよくすると、「うそぶいたことがあります。」になって、一周回ってしまう・・
*「 ・・・ かみの毛はかわくが、ひふはかわきにくい。そこで、ゴミがひふについてフケとなるのか???」  日頃お悩みなんだが、waka君は年頃で、皮脂の分泌が多いんだよね。もう不可抗力、ほとんど。
*「英文をおぼえるにはよみながらかくのがいちばん。  上のように思うようになったのは、ネゴ■先生に上のようにおしえられたからか?」  ネゴ■先生は中学の英語の先生。(もしかしたら、正しくは別の苗字で、聞き覚え違いか)

 

 
03:48 2024/08/18 (日)


 もう余命いくばくもない男だと知っていながら、その人とねる女なんているかしら?
 愛があるなら?
        (1973/05/27)


 ぼくはある先輩には敬語をつかいある先輩にはなれなれしい言葉をつかうのだ。ある先輩に敬語をつかっていて急になれなれしくなることもあるのだ。
 チジョク、ハジ。
 なれなれしいのをつかっていて、急に敬語になることもあるのだ。
 ぼくは社会生活がへたなのか?
 ぼくはぼくのへやでひとりくらすときが一番気楽で平和。

        (1973/05/27)


 英文を読みながらかくのは効果あり。

        (1973/05/27)


 テストの一夜づけはどうしてもムリ。やっぱり、計画をたて、必死にそれをリコウしていかねば。
 期末テストはがんばるぞ。
        (1973/05/27)


 什
 計

        (1973/05/27)


 すもうの部屋は東京にあるのか?

        (1973/05/27)


 夢の中ですごいバカゲタユメ、たとえば、ねりはみがきをおいしそうにたべるとかをみたとする。そして、おきてからすぐでも何日してからでも、なんのきなしに、ねりはみがきをたべてしまうことはないかしら。

        (1973/05/27)


 〜とかをみる
             >この差は?
 〜とかいう物をみる

        (1973/05/27)


 たいほうと北の富士が13勝一敗と14勝でせんしゅうらくであらそって、たいほうが勝ち、同じ星にしてからの優勝決定戦でまたかって、優勝した時のそれらのすもうは、すばらしかった!!!

        (1973/05/27)


 おとぎ話や伝説、海のむこうのカイブツの話しなんてのはどういう状況になるとつくられるのかしら?

        (1973/05/27)


 なにをやってるまっさい中に相手が何かにぶつかってかるい(orおもい)けがをしたとき、すぐ冷静になってキズの手当ができるかしら。本能はずっと興奮しようとするか、冷静になって共同生活者のキズをすぐなおそうとするか??
 これが、どっちなのかがわかれば、人間が社会的動物であるかないかがわかる??
        (1973/05/27)


 「おもいたったが百年目」 こんな文ある?

        (1973/05/27)


 ぼくはせっぱつまらないと勉強する気になれないのです。

        (1973/05/27)


 小さな、すがすがしいにおいのある風はとってもいい。
 小さくて、すがすがしい・・・・。
        (1973/05/27)


 強
    >虫?
 風

        (1973/05/27)


 連体詞は、体言のすぐ前にくるとは限らぬのか?

        (1973/05/27)


 ■■りはぜんそくもちです。

        (1973/05/27)


 夢うつつ

        (1973/05/27)


 あついおゆに水をすこしまぜてのむと、とてもおいしく腹がくちくなるのです。

        (1973/05/27)


 やらないもの
 やらんもん

        (1973/05/27)


 「くちくなる」という日本語ある??

        (1973/05/27)


 今日の朝
 今日の夜

        (1973/05/27)


 ドロボウの二人組というのが一人のや3人より多いのはなぜなのだろう。

        (1973/05/27)


 「おまわりがどろぼうしたのはいるけどどろぼうがおまわりになったのはないですね。」 (天才バカボンより)

        (1973/05/27)


 金は、そんなにまぶしいものか?

        (1973/05/27)


 ぼくは物をくってから、「プァッフ」とゲップをする。この「プァッフ」という音は poor に似ている。

        (1973/05/27)


 「わすれようとしても思いだせない。」 (バカボン)
 事実、よくある、よくある。
        (1973/05/27)


 ドウブツを人間みたいにアタマよくできるようなら、買ってきて、はたらかす。 ・・・・バカボンより ・・・ざんこく??

        (1973/05/27)


*「期末テストはがんばるぞ。」  中間テストは結果かんばしくなかった? 予想どおりに。
*「たいほうと北の富士が13勝一敗と14勝でせんしゅうらくであらそって、たいほうが勝ち、同じ星にしてからの優勝決定戦でまたかって、優勝した時のそれらのすもうは、すばらしかった!!!」  内容もそうだったのだろうけど、場の盛り上がり(TVの向こうとこちらだが)に興奮したみたいだ。  ただし、調べたら、大鵬×北の富士で、そういう優勝決定戦はない。大鵬は1971年に引退しているし。  過去の相撲の回想で、かつ、力士名をまちがえている。おそらく。  可能性が高そうなのは、大鵬引退前の1971年の初場所、玉の海との優勝決定戦か。waka君が中学二年生。
*「おとぎ話や伝説、海のむこうのカイブツの話しなんてのはどういう状況になるとつくられるのかしら?」  これは、難問だろう。そして、とても興味深いテーマ。神話、民俗方面の学問として多くの賢者がとりくんできたのでは。  海のむこうのカイブツの話し、というのは、海外のそういう話し、の意でしょう。  ・・・  基本は見聞(こういう事があった、目撃した、聞いた)なんだけど、人から人に伝えていくうちに、見聞を丸めたり面白くしたり、という操作が加わっていった。人が人に話して聞かせるとき、そのほうが自然で、聞いたままを機械のように受け渡すほうがむしろ不自然だったのでは。  そういう口づての時代、文字の誕生後の時代、ネットやAIの時代。  お話、物語は、しだいにおおらかさや自由度が減り、大勢で育てていくものから、著者の所有物になっていき、ついには、誰のものでも無くなってしまう(マシンが紡ぎだしていく)、というような流れなのかなあ・・ 
*「なにをやってるまっさい中に相手が何かにぶつかってかるい(orおもい)けがをしたとき、すぐ冷静になってキズの手当ができるかしら。本能はずっと興奮しようとするか、冷静になって共同生活者のキズをすぐなおそうとするか??  これが、どっちなのかがわかれば、人間が社会的動物であるかないかがわかる??」  そりゃ、傷の手当てをする、相手をいたわる、と思う。  が、それがそのまま、社会的動物かどうかの判定になるかといえば、ずれている気がするけど・・  社会的動物とは、ざっくり言ってしまえば、群れを大事にする、ということだろうなあ。  自分が一番だが、群れも多少気にかける。それとも、自分よりも群れを優先する。そういう程度のこともある。  群れの中で仲間を介抱することと、特別な関係の異性を救おうとすること、これもおなじじゃなさそう。  ・・・  ううむ。  人間一般が、という判定ではなく、その個体の社会性が濃いかどうか、その個人の情愛が深いかどうか、そういうことになるのではなかろうか。  (人間一般が、社会的動物であることは、こういう特殊ケースで判定するまでもなく、ほぼ自明であると思うので)
*「「おもいたったが百年目」 こんな文ある?」  「ここであったが百年目」という慣用句はすぐ浮かぶ。  本文は慣用句ではなさそうだけど(あまり耳にしたことはないけれど)、文法的におかしいことはないと思う。
*「ぼくはせっぱつまらないと勉強する気になれないのです。」  期末テストの勉強、がんばりたいのは本当なんだけど、まるで気が乗ってこないなあ。やはり、中間テストおわったばかりでは、さすがに。 ということかな。
*「強  風  >虫?」  ふだん意識からとんでいるが、たしかに、虫がはいってる。  手元漢和辞典で調べると、強は元々は虫のアブの意だったが、似た文字(虫のところが男)と音が通じて、その似た文字の意(つよい)に用いるようになったようだ。  風は、昔は神聖な鳥とみなして鳳という文字だったが、のちに生物一般という意の虫のはいる文字ができた、とか。
*「連体詞は、体言のすぐ前にくるとは限らぬのか?」  辞書によれば、連体詞とは、「この・その・あの・かの・どの・わが・あらゆる・いわゆる・ある・さる・とある・いろんな・ほんの・大した・とんだ」など。  この素晴らしい日々。とある高貴な姫君。などの例を考えれば、体言と密着しなくてもよさそう。
*「■■りはぜんそくもちです。」  自室の机で勉強しつつある兄に、今夜も、別室の下の妹の咳き込む様子が聞こえる。  そういうときの書き付けだろう。(くるしそうだ、かわいそうだ、と)  後年、中学に進む頃から、■■りのぜんそくはしだいに治まっていった、ように覚えているが。
*「あついおゆに水をすこしまぜてのむと、とてもおいしく腹がくちくなるのです。」 「「くちくなる」という日本語ある??」  あり。くちい、で形容詞。  〔 くち・い 《形口》 これ以上飲み食いできないほど腹がいっぱいである。満腹である。 〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  しかし、本文の用法はしっくりしないかも。この語釈では、腹がはち切れるほど、そのぬるめたお湯を飲んだことになりそう。もっとひかえめ、そこそこ、腹がほっこりしたよ、といいたかったと思う。
*「今日の朝 今日の夜」  言葉自体は、朝から一日がはじまる、という前提で生まれていると思う。  だから、今日といっている時点から言えば、今日の朝は過去であり、今日の夜は未来。  が、午前零時から日付が変わる、という現代人の感覚だと、それぞれ、前をいっているのか後をいっているのか、不確定になってしまう。  そこの辺りが面白い、ということで、本項を記したのだと思う。
*「ドロボウの二人組というのが一人のや3人より多いのはなぜなのだろう。」  そういう事実認識自体があやしいな。waka君の経験則なので、見聞きする物語の中で二人組が多い、ってところでしょう。  独白より会話があったほうが、劇作はしやすいので。
*「「おまわりがどろぼうしたのはいるけどどろぼうがおまわりになったのはないですね。」 (天才バカボンより)」  にやにや。 楽しいね。 名言級。
*「金は、そんなにまぶしいものか?」  これは、カネ、キン、どちらもありか。マンガの中でよく効果線を発している。  稀少金属の金(キン)をしげしげと眺めたことはあんまりないので、そんなに光をキラキラ反射させるかどうかはわからないのだ。  カネであれキンであれ、心の目で、ありがたみで後光が射す感覚は、わかるのだ。
*「「わすれようとしても思いだせない。」 (バカボン)  事実、よくある、よくある。」  うーん、これ、ほんとによくあるかい?  そういうようなもどかしい感覚は、よくあるかもだけど。  (もどかしいは、矛盾する感覚が衝突していて、脳が答えを出せずフリーズ気味って情況かなあ)

 

 
07:24 2024/08/11 (日)


 今日、帰り道、■■のうらで、どこかでみたような若い女の人に、「いま、おかえりですか。」っていわれた。

        (1973/05/26)


 悲壮
 悲愴

        (1973/05/26)


 今、10時、ちょっと前。おばあさんのへやでも、ぼくのいるおうせつまでも、おねえさんとねているおじいさんのいるおじいさんのへやでもテレビがついている。おかあさんのへやではテレコがなってる。

        (1973/05/26)


 ラジオカセット
 テレコ
 ラジオテープレコーダー
                 }?

        (1973/05/26)


 なぜトイレの前のとびらにひもがかけてあってしめられぬようにしてあるのか?

        (1973/05/26)


 足のつめきる
 ミミクソ

 英
 教→EX
 サブ

 フロ
 フロの火

        (1973/05/26)


 ヒッチコックのサイコをみているのだ。メガネをかけているので、字まくスパーもこわくない。

     幕?

        (1973/05/26)


 金で幸福は買えないが、不幸はしまつできる。  ?

        (1973/05/26)


 「おためごかし」とは?

        (1973/05/26)


 犠牲
 深刻

        (1973/05/26)


 自分の好きでない2人の女性に好かれる。そこで、A子には、自分はB子を好いているようにみせかけ、B子には、自分はA子を好いているようにみせかけて、2人にあきらめさせる。 (ハンサムはちがうよっ。)

        (1973/05/26)


 自分の好きでないA子に好かれたCは、自分がさもB子を好いているようにみせかけて、A子にあきらめさせようとする。Cは、Bも好きなわけでないので、Bにごかいされまいと、A子を好きなようにみせかける。しかし、これは、Cが無意識的にBのしっとをひきだそうとした行為であった。Bは、自分を好いているらしいCが、A子も好いているのか、と思い、A子にしっとする。そして、しっとがあるからにはCへの愛もあるはずだと決めつける。かくてCは、2人の女性に好かれる。これは、Cが計画をねったからでなく、彼の無意識層の男の本能によってなされた男の特技であった。
 女にもこのような特技があるのでは?
 無意識の偽善?!?!
        (1973/05/26)


 外人は食パンを耳まで食べないのか??

        (1973/05/26)


 もっと、脳をうまく使用するようにしましょう。何かをおぼえるときも、うまくいもづる式に連想できるように。

        (1973/05/27)


 浪費
 労費

        (1973/05/27)


 自由な事を考えている頭には意味があり、その存在だけでたのしいが、何かを覚えねばという考えから、自由な事を考えられないくらい、いろんな語を心の中でくりかえしているとき、そういう頭には意味がない。そういう頭は、あまりに低級である。形式的、物質的で、もっと自由にのびのびとした感じがない

 「おとくい、のーと、あばずれたった、くつおと、おとくい、ノート、あばずれたったくつおと・・・」などとくりかえしておぼえているのだ。わすれまいとしているのだ。心の中には、これらの文字ぐらいしかなくなり、それしかないぼくの心は非常に低級になるのだ。それがかなしい。いや、低級であるはずがないので、こんなことはやめたが、ぼくのためだ、と思うのだ。それしかないぼくの心は非常にそんをしているのだ。このそんは大きい、いつものように、ふつうにしていれば、そんなどしないものを、と思って、もうこんなふうに覚えるのはやめようかなどと思うのだ。

 ぼく自身、感じはわかるが、コトバにあらわせぬ。
         いや、すでにわすれだしている

        (1973/05/27)


 とにかく、胸がいたくなるほど、上のようなことはかかずに、キラクにいこう。上をかいていたら、ほんとうにムネがいたくなった。胸がかなしいといって、つまるようになった。あわくてももいろのような、いたみなのだ。それでいて、発作的にさわぎだしたいようないたみなのだ。そうだ、なによりも、心がおちつかないいたみなのだ。きちがいか?

        (1973/05/27)


 今はただ忘れてキラクになるのだ。発作をおこして、気がくるうか、病気になるか、バカになるかのどれかなのだ。このくるしみをのりこえて、より高く強い完成をなせるほどぼくはつよいだろうか。

        (1973/05/27)


 かきたい事をわすれる。

        (1973/05/27)


 「プライム :重要」?

        (1973/05/27)


 NHK将棋コウザにでてくる司会者と、サカ■■センセイはどこか、感じが似ている。

        (1973/05/27)


 働くのは主人である。金をもってくるのも主人である。だから、その金は主人がかってに使っていいのでしょう。主婦がむだづかいをとがめるのはおかしいのでしょう。が、しかし、主人が妻子をやしなっているように主人も妻子にやしなわれているのでしょう。妻は主人のみのまわりの事をしてあげるし、精神的になにかと愛をあたえるし、こどもは主人に夢をあたえる。うわついた、子供をさとすためのはなしではないのです、これは。ほんとのことなのです。主婦は主人にけんしんしているからこそ、主人のむだづかいをとがめられるのです。主人のかせぐ金はカゾク全員がカセイでいるといっても過言ではないのです。
 つまりは、人一人の存在は社会があってこそ、というのだろうか?
        (1973/05/27)


 オタベ

        (1973/05/27)


*「今日、帰り道、■■のうらで、どこかでみたような若い女の人に、「いま、おかえりですか。」っていわれた。」  この日、1973/05/26 は土曜日。学校帰りか。  家業の職場そばの路地で。  あちらはこちらを知っているけど、こちらははっきり思い出せないという妙齢の女性、という雰囲気。おばさんなら、こういうことがあっても記録はしないだろう(笑)  職員さんか、近所の住人か。多少年上、はたちぐらいなんでしょう。
*「今、10時、ちょっと前。おばあさんのへやでも、ぼくのいるおうせつまでも、おねえさんとねているおじいさんのいるおじいさんのへやでもテレビがついている。おかあさんのへやではテレコがなってる。」  夜の十時だな。  おばあさんは横浜のおばあさん(父の実母)。玄関そばの東南端の和室。この北側にトイレ。  応接間はそのとなりの洋室。ソファに収まって視聴しているwaka君。応接間の北側が浴室。応接間の南側は広くあけられる何枚かの硝子戸で、外に庇つきのテラスのような三和土があって、その先が庭。(夜だけど)  waka君の姉、布団で寝ながらテレビを見ているらしい祖父(母の実父)、この二人がいる祖父の部屋が応接間のとなりの和室、南向き。この北側に台所、食卓もある。  祖父の部屋のとなりが床の間のある和室で、そのとなり、西端が、父母の部屋。テレコが鳴っている、と。  床の間のある和室の北側に、姉の部屋があり、この部屋を通っていける西北の四畳半がwaka君の自室。  (たしか、西端の父母の部屋、西北のwaka君の部屋は、最初からあるのではなく、昔建て増した領域のはず)  (家族はあと、妹二人がいるんだが、どこにいたんだっけ。床の間のある和室の隅が上の妹■■子の場所で、父母の部屋といっしょなのが下の妹■■り、ぐらいだったか。記憶あいまい)  以上が母屋(平屋)で、南一帯に母屋程度の広さの庭があり、庭の西端に離れがあって、職場の職員さんの寮になっている。二室の二階建てで四室だけど、使われていたのはたいてい二室ぐらい。  ・・・  そうか。母屋には、少なくも三台もテレビがあるのか。意外と、進んでる。  半世紀前の実家なので、思い出の情景で、そういう設備は実際より貧弱に思いたい気分があったかも。
*「ラジオカセット  テレコ  ラジオテープレコーダー   }?」  前項、母親の部屋で鳴っていたのは正しくはラジカセ(ラジオカセットテープレコーダー)なんだが、家族の中ではこれをテレコ(ふつうはテープレコーダーの略)と呼んでいたと思う。  それでwaka君、自分で書いておいて、これでよかったんだっけ、と迷っている。  (みな、そういうマシンに詳しくないので、そういうマシンが家に一台ぐらいしかないこともあり、正しいよりも呼びやすい名前になってしまったようだ)  (母親は、元気に明るく歌う唱歌や童謡のカセットを聴くのが好きだった。どこから入手したのかは知らないが)
*「なぜトイレの前のとびらにひもがかけてあってしめられぬようにしてあるのか?」  トレイの扉がしめられないとかなり困るけど、これはそれとは別の、トイレの前の通路にある扉。  (東端の玄関の内すぐに一畳ほどの空きがあり、南側の引き戸が横浜のおばあさんの部屋、北側にトイレの扉(開き戸)。その間が奥(応接間や浴室)への通路で、玄関から直接奥がみえないようにか、扉(開き戸)がある。これに紐が掛けてあって閉められないようにしてある、ということ)  おぼろに記憶にはあるが、どういう具合にひもが掛かっていたかまでは像が残ってないので、なぜの検討はもうできないかな。  ノブが壊れていてその補充? いやあ、戸が半開きになるような不具合のため、固定したくて、が、可能性高そう。  (近すぎて、この扉とトイレの扉が同時に開いているとぶつかるときがあったようななかったような。 当初は微妙に接触しない、すれ違う設計だったけど、通路の扉の留め具がゆるんでぶつかるようになってしまった、とかね)
*「足のつめきる ミミクソ   英 教→EX サブ   フロ フロの火」  頁上辺のメモ。  やることリストでしょう。  教→EX は、教科書→example か。
*「金で幸福は買えないが、不幸はしまつできる。  ?」  他からの引用っぽい。  もしかしたら、「サイコ」の劇中のセリフ?
*「自分の好きでない2人の女性に好かれる。そこで、A子には、自分はB子を好いているようにみせかけ、B子には、自分はA子を好いているようにみせかけて、2人にあきらめさせる。 (ハンサムはちがうよっ。)」  笑。最後の捨てゼリフがいいね! (舞台への掛け声か)  しかしこの作戦、競争相手があの子ならと、かえって、意欲を燃え上がらせるかもしれないぞ。 → おお、次項で言ってる。
*「自分の好きでないA子に好かれたCは、自分がさもB子を好いているようにみせかけて、 ・・・ これは、Cが計画をねったからでなく、彼の無意識層の男の本能によってなされた男の特技であった。 ・・・ 」  この発展形は、理屈っぽいけど、無意識の本能のなせる所という辺りはうまくつなげているかも。  (男の本能というより、女たらしの本能という気もするけど。女たらしの語りに踊らされる、というより、語りにのって踊るのが好き、わくわくする、という女の本能もありそうな気がする)
*「外人は食パンを耳まで食べないのか??」  笑! なんで?  貴族様は知らないが、食べるだろう、食べられる以上は。
*「浪費 労費」  むだづかいの意味なら浪費。  労費もないことはないが、今は廃れた語のようだ。(浪費に土俵から押し出されてか)
*「 ・・・ いや、低級であるはずがないので、こんなことはやめたが、ぼくのためだ、と思うのだ。それしかないぼくの心は非常にそんをしているのだ。 ・・・ 」  ここは、やめたが、で文を切らないで、「こんなことはやめたがぼくのためだ(こんなことはやめるのがぼくのためだ)」というまとまりで読めば、意味がすんなりつながる。
*「 ・・・ 胸がかなしいといって、つまるようになった。あわくてももいろのような、いたみなのだ。 ・・・ 」  この前後、あからさまに変調。  つないではいけない回路をつなごうとして、ショートしてしまった、という風。  心の事故を起こしてしまったようなので、つないではいけないので、理由や詳細の核心は「感じはわかるが、コトバにあらわせ」ないし、先に進もうとすれば「かきたい事をわすれる」し。  おぼれそうで、「キラクにいこう」「キラクになるのだ」と息継ぎを焦っている。あたかも。
*「NHK将棋コウザにでてくる司会者と、サカ■■センセイはどこか、感じが似ている。」  日曜日。教育テレビ、3チャンネル。  将棋は当時、昼前の放送だったかな・・ (後番組が囲碁だった気がするが、よっぽどヒマだと流れで囲碁まで見てた気がするが、そういう編成はまだずっとあとの時代だったかもしれない)
*「働くのは主人である。金をもってくるのも主人である。だから、その金は主人がかってに使っていいのでしょう。主婦がむだづかいをとがめるのはおかしいのでしょう。が、しかし、主人が妻子をやしなっているように主人も妻子にやしなわれているのでしょう。妻は主人のみのまわりの事をしてあげるし、精神的になにかと愛をあたえるし、こどもは主人に夢をあたえる。うわついた、子供をさとすためのはなしではないのです、これは。ほんとのことなのです。主婦は主人にけんしんしているからこそ、主人のむだづかいをとがめられるのです。主人のかせぐ金はカゾク全員がカセイでいるといっても過言ではないのです。   つまりは、人一人の存在は社会があってこそ、というのだろうか?」  性差で役割分担が固定されているのは、古いんだけど、その枠組みの中では、進んでいるともいえそう。はっきりしなくて、今となっては、もどかしく聞こえる言説。  ・・・  最後の行が傍観者的なので、それまでが、他からの伝聞のようにも思えてきてしまう。いきなりの家庭論で唐突だったとも気づいて。  (伝聞ではなく、脳内で自問しているだけかも)  (過言ではないとかっこよく締めていながら、過言だった気もしてきて、少し醒めた、逃げ腰、という線もある?)
*「オタベ」  こういう菓子名があったというおぼろな記憶はある。  →  https://www.otabe.kyoto.jp/2013_new/about_otabe.html  京都銘菓おたべのサイト。 〔 八ッ橋を焼く前の、生のままを食べるとおいしい事は、八ッ橋屋さんの中では知られていました。 その生地につぶあんをはさんで食べると、さらにおいしかったのです。 そして1966年(昭和41年)に新しくお店を出すことがきっかけで、そのおいしい「つぶあん入り生八つ橋おたべ」は誕生しました。 実は、おたべの生八つ橋の「つ」は、柔らかさをあらわすため、それまでのカタカナの「ツ」ではなく、ひらがなの「つ」を使っています。 また、「おたべ」という名前は、誕生の半年も前に考えられており、誰にでも手軽に作れ、かわいい形として三角の形が選ばれました。〕  これで当たりだとしてだけど、本文当時(1973年)はまだ新しいお菓子だったようだ。京都生まれの新しいお菓子の名が、七年経ってようやく千葉のwaka君にまで聞こえた、と。(まあ、賞味もしたんでしょう)

 

 
00:41 2024/08/04 (日)


 5/26 NHK 10:00〜  「サイコ」をみる

        (1973/05/26)


 サッカーなどで、ボールをもっていない人に故意にぶつかったり、そういう人を故意になぐったりするのは、ファールではないのか?

        (1973/05/26)


 ではないのか?
          >この差は?
 ではないのか。
        ・・・ではないのか。/ああ、そうなのだね。
                   /そうだよ。
                               }?
                                   ]わからん。

        (1973/05/26)


 このごろのスポーツをやる青年は、昔の文学青年みた、ジメジメしていることが多い。
                          いに

        (1973/05/26)


 〜みたく
        >この差は?
 〜みたいに

        (1973/05/26)


 ミタンニ とは?

        (1973/05/26)


 明日
     あす
     あした
     みょうにち
             }この差は?

        (1973/05/26)


 なにか、とてもすばらしい大著のために、そこに使われた表現のために、その世界の言語が大きく変わる事が多いだろう。

        (1973/05/26)


 何か
     なんとなく
     なんということなしに
     なにかしら
     どうしてか

        (1973/05/26)


 ぼくが、1日きてよごれたワイシャツをぽいとフロ場の服をぬぐ所になげるのもすでに1つの定まったしなければならぬ事になってしまっている。はじめは、あらってくれるように、とせんたっきのそばになげだしていたのだが、毎日やるので、あらうおばあさんの方でもあるのがあたりまえ、ないとぼくの所までとりにくるようになっているのです。習慣、継続とは、まさに、力である。
 ついでにあらってください、というかんじでぽいとなげだしておく。はじめから習慣だったわけではないのです。はじめは、ワイシャツをポイとださない方があたりまえで、ぼくが自分でせんたっきに入れねばならなかったのです。それがめんどうなので、ただぽいとやるだけにして、おばあさんにあらってもらうようになったのです。はじめは例外的な、いってみれば不正行為だったけど、今じゃあたりまえ。
        (1973/05/26)


 経続×
 継続○

        (1973/05/26)


 いってみれば
         }この差は?
 いわば
                  }この差は?
 いわゆる

 「いうならば」とは?

        (1973/05/26)


 マンガでも、語呂合わせで笑わせる事多し。
 マンガにおいて、言葉は重要な部分を占める。

        (1973/05/26)


 ぼくのへやの雨戸のうちがわにガラス戸がある。今日、下の雨戸もガラス戸も朝からしめっぱなし。そこで、雨戸の「さる」はおりてるはずなのだが、ガラス戸がくもりガラスのため、はっきりみえない。そこでぼくは、ガラス戸のかぎをあけて「さる」のしまっているのをみてから、ガラス戸をまたしめるのだ。雨戸がしまっているのは、何日か前にそれをしめたぼくが、ほぼ確信しているのに。そして、ガラス戸をあけるときに、それだけ戸じまりが、うすくなるのをきずかって、いやだなとちょっと感じるのだ。

        (1973/05/26)


 「さる」という語をいままで知らなかったよ!!

        (1973/05/26)


 新聞紙にのっている女の人の写真などの部分で、紙がおれるようにして、それをよこからみると、女の人の顔がひちゃむくれてみえる。

        (1973/05/26)


 〜し
      >この差は?
 〜して

        (1973/05/26)


 ひまあるごとに顔をあらい、メンソレータムをぬりましょう。

        (1973/05/26)


 こんなノートをかくのは、時間のムダ、労力のムダ、頭の力のムダではないでしょうか。

        (1973/05/26)


 歯をつっついたマッチ棒で耳をつっつき、耳をつっついたマッチ棒で歯をつっついていたら、いつかどこかが、病気になりますよ、■■君
  ヤメナサイ、ケンキョに考エテ
        (1973/05/26)


*「5/26 NHK 10:00〜  「サイコ」をみる」  頁上辺(欄外)に書かれている。視聴予定と思う。
*「サッカーなどで、ボールをもっていない人に故意にぶつかったり、そういう人を故意になぐったりするのは、ファールではないのか?」  サッカーだとして、ボールがやってきそうなスペースでせめぎあう(この時点では両者ともボールをもっていない)のはありだろう。でも、さすがに殴ったらいかんよ。
*「ミタンニ とは?」  辞書には、〔 ミタンニ (Mitanni) 紀元前一八世紀末、インド‐ヨーロッパ語族が先住のフルリ人を支配して、北メソポタミアおよび北シリアに建てた王国。前一六世紀にはオリエントで最強の国家となったが、前一四世紀初めにヒッタイトに滅ぼされた。 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  とあるけれど、偶然の一致?  本文は「みたいに」からの連想または変化、もしかしたら「みたのに」との通じ合い、そういう意識でメモされているか。  (しかしだとしたら、カタカナにする? いつかどこかで耳にした気がしたってこと?)
*「なにか、とてもすばらしい大著のために、そこに使われた表現のために、その世界の言語が大きく変わる事が多いだろう。」  例えば聖書? シェークスピアの諸作? 日本なら、勅撰和歌集とか?
*「ぼくが、1日きてよごれたワイシャツをぽいとフロ場の服をぬぐ所になげるのもすでに1つの定まったしなければならぬ事になってしまっている。はじめは、あらってくれるように、とせんたっきのそばになげだしていたのだが、毎日やるので、あらうおばあさんの方でもあるのがあたりまえ、ないとぼくの所までとりにくるようになっているのです。習慣、継続とは、まさに、力である。 ・・・ 」  なるほど。自らのだらしなさを言うのかと思ったら、そうするのが期待されている、半ば義務のようになっている状態を言いたいんだ。
*「ぼくのへやの雨戸のうちがわにガラス戸がある。今日、下の雨戸もガラス戸も朝からしめっぱなし。そこで、雨戸の「さる」はおりてるはずなのだが、ガラス戸がくもりガラスのため、はっきりみえない。そこでぼくは、ガラス戸のかぎをあけて「さる」のしまっているのをみてから、ガラス戸をまたしめるのだ。雨戸がしまっているのは、何日か前にそれをしめたぼくが、ほぼ確信しているのに。そして、ガラス戸をあけるときに、それだけ戸じまりが、うすくなるのをきずかって、いやだなとちょっと感じるのだ。」  うんうん。この描写から、北西の四畳半に寝起きしているのは確実。高二の時はもうあそこにいたんだね。  (北西の四畳半。北側は勉強机の前にふつうに窓がある。西側は、下方に、にじり口と言ってもいいような窓がある。実際、ここから、よお、と言って入ってくる友人たちもいたよ)  自分で以前確実に戸締まりしているけど、気になるとまた確かめたくなってそうするのだけど、その確かめるために必要で多少ガラス戸を開けたりして戸締まりをゆるめるそれ自体がまた少々不安、というこの感じ、わかる。今でもままある。(札入れの中の鍵が個数分ちゃんとあるかとよく確かめるが、確かめるため札入れを開けること自体が、無防備状態なので、ぽろっと落としたりの可能性生じて、少々不安、だったりしてる。現在も)
*「「さる」という語をいままで知らなかったよ!!」  知らなかったのを知ったのは、たぶん、前項を書くために家族の誰か大人に名前を訊いたから。  〔 ・・・ 扉(とびら)や雨戸の戸締まりをするために、上下、あるいは横にすべらせ、周囲の材の穴に差し込む木、あるいは金物。戸の上部に差し込むものを上猿(あげざる)、下の框(かまち)に差し込むものを落猿(おとしざる)、横に差し込むものを横猿という。くるる。 〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006
*「ひまあるごとに顔をあらい、メンソレータムをぬりましょう。」  いじりすぎもよくないと思うぞ・・  (こういう望ましいと思う行動予定、自分なりの規範を、意識は高くてもナマケモノでめんどくさがり屋のwaka君はほぼいつもきまって、継続的で誠実な実行で応えられなかった。だからまあ、本項に関しては安心だけど)
*「こんなノートをかくのは、時間のムダ、労力のムダ、頭の力のムダではないでしょうか。」  こういう項を読んで、今も苦笑できるのは、書いておいてくれたからだよ。
*「歯をつっついたマッチ棒で耳をつっつき、耳をつっついたマッチ棒で歯をつっついていたら、 ・・・ 」  こういう告白は残しておいてほしくなかった(^^;

 

 
04:46 2024/07/28 (日)


 家庭でおばあさんやおかあさんやみっちゃんが、ぼくのごはんをつくってくれたり、衣服をあらってくれたりしているのだが、彼らがいなかったら、ぼくはそれらをやるだろうか。はじめのうちはおもしろがるだろうが、しまいにはわずらわしくなったり
 わずらわしいが、つづけねばと思う。
やらなくなっちゃたりするだろう。
 わずらわしくなりそうなので、生活のレベル、気品を下げて、そのわずらわしさを得るような高い所からおりる。
        (1973/05/26)


 早朝、スズメのなく頃マドをあけて勉強をやるのは最高。

        (1973/05/26)


 宮沢賢治はとっても社会にこうけんした人なのです。

        (1973/05/26)


 何ページ前、何ページ後とかかぞえるときは、そのもととなるページを入れて数えるのか?

        (1973/05/26)


 「二DKの団地」とは、どんな感じ?

        (1973/05/26)


 うちのお母さんは、むこをもらったので、どこかに女がよめいりする事をときどき、どのような感じだろうか、と思うのだろうか?

        (1973/05/26)


 股 :マタ
 服 :フク → 月は肉からきている。人が、肉をもった人が着るので月がつかわれてるのか?

        (1973/05/26)


 ぼくは、「人が、肉をもった人が、―― 」というような書き方をこのノートでよくした。これは、「人が」といってから、その人が肉をもっていなければならないことをかかねばと思って、「肉をもった」とつづけるわけだ。「そしてその人は肉をもっているのだが」とつづけるのはめんどうなので同格にした。形容詞とは本来、名詞のうしろにあるべきなのだろうか?

        (1973/05/26)


 うちでは、食卓の上にだされたものは、多くの場合、いくらでもどれでもたべていいのだが、ときどき、「まだ食べる人がいるんだから、それは(ソノオカズハ)もう(たべるの)やめなさい」とか、「それは、オトウサンのですよ、」なんていわれることがある。

        (1973/05/26)


 十分間 : じゅっぷんかん
 十分間にあう : じゅうぶんまにあう

        (1973/05/26)


 「十分 : じゅうぶん」は重要で、よくつかい、意味もわりと深い語なのに、「十分 : じゅっぷん」とまちがわれやすいのはおもしろくない。かといって、ひらがなでかいては味がでない。

        (1973/05/26)


 ぼくは、まっちぼうやピンでみみくそをなんどもとろうとするのだが、すっきりととれたことなし。
            ヘアピン

        (1973/05/26)


 ぼくはささいな名称をわすれる事が多い。

        (1973/05/26)


 てふてふ
 ちゅうちょう
 ちょ
 これは排句の五七五で1字とかぞえるか?
 この「ちょ」のもとが「て」だからかぞえる?
 「ちゃ」「きゃ」のもとも一字か?
        (1973/05/26)


 食事中や、カバンの中に帰り道でノートがはいってとりだすのがめんどうだとそらおぼえ。おぼえる項目がふえておぼえられなくなりそうだとめんどうさをこえてノートをだす。

        (1973/05/26)


「おみよつけも食べなさい。」と母が■■コに。すると、■■りが、
「たべてますよう、こんなにへっるじゃない。」という。母は■■りか、■■こに、
「たべてるなら、ごはんと同じくらいへるはずです。」すると、
「へってますよう。」、と■■り。
「口がよぶんだ。」と母が、■■リに。
    余分

        (1973/05/26)


 サイコ : 心理?

        (1973/05/26)


 辞書でしらべるのがめんどうなので、 ?でごまかす事多し。

        (1973/05/26)


 漢字は、頭で覚えているというより、手でおぼているというかんじ。
 「我」とか「機」とかくときも、頭で考えて書くというより、手が流れて書ける

 頭で考えてわからないときも、手にまかせてかかせると、かける。

        (1973/05/26)


*「家庭でおばあさんやおかあさんやみっちゃんが、ぼくのごはんをつくってくれたり、 ・・・ 」  みっちゃんはwaka家の(職場の職員では無かったと思う)お手伝いさん。だが、この時期、まだいたんだっけ? 私が小学校に上がるかどうかの頃にはいて、中学生の頃に辞めた、ような気がしたんだが、高二のこの時点でもいたのか。(過去、色々めんどうをみてくれたのはたしかなので、もういないみっちゃんもここで名を入れた、という可能性もわずかあるけど、不自然だし)  みっちゃんはとても素直なんだけど、とろくて、おじいさんやお母さんがよく叱っていたよね。笑い顔よりも、困ったような表情のほうを多く覚えている。  みっちゃんは一度辞めたけど、ふたたび短い期間だけ復帰したことがあったんだっけ。  記憶おぼろだ。(姉にたしかめれば、はっきりするかもしれないが)
*「宮沢賢治はとっても社会にこうけんした人なのです。」  生前、文芸以外で、という意味だろうけど、なにか的はずれかもね・・  (小説家とか詩人とか芸術家一般というのがその芸能の先端的であるほど現実社会との折り合いがうまくできないで破綻していたりというイメージがあるけど、あれほどの作品群を残した宮沢賢治は、そういう破綻者ではなくちゃんと折り合いをつけることができて貢献までしていたんだよ。と、擁護するような気持で書いている気がするが、それが、なにか何層か誤解をしている擁護のような・・)  (作品さえちゃんとしたものが残せればあとはどうでもいいというような作品至上主義の創作者は多いけれど、宮沢賢治は実生活も同じぐらいちゃんとしようとした人だったんだよ、という気持、けなげさに打たれている、のかな)
*「何ページ前、何ページ後とかかぞえるときは、そのもととなるページを入れて数えるのか?」  1ページ前、がどこを指すのか考えれば、「入れない」が正解とわかる。
*「「二DKの団地」とは、どんな感じ?」  千葉市郊外には、すでに何ヶ所も住宅団地が建設されていたはずだが、waka君は街中に住んでいたので団地での生活実感がほとんどわかっていないと思う。(自転車で遠出して、そういう団地の中に乗り入れ、外から眺めることはあったんだけど)  たぶん、二DKという語の意味もわかっていない。
*「うちのお母さんは、むこをもらったので、どこかに女がよめいりする事をときどき、どのような感じだろうか、と思うのだろうか?」  お節介な想像だけど。夢想、妄想が自由に泳いで、ふと、かな。あるいは、そんなことを思わせる何かを、母親にみつけて、か。  (ただし、waka君がどちらかといえばシャイで、親しい友人がせいぜい両手の指で数えられるぐらいなのに比べ、あの母親は桁違いに交友関係が広く、話し好きでもあり聞き上手でもあって、どこかに嫁入りした女の話はごまんと耳にしていたはず。しおらしいようなことを想うよりは、何々にちがいない、○○であるべき、などと決めつけるほうではないかという気がするな。笑)
*「股 :マタ   服 :フク → 月は肉からきている。人が、肉をもった人が着るので月がつかわれてるのか?」  いわゆる、にくづき、だよね。  しかし、手元漢和辞典によれば、服は、肉(にくづき)ではなく通常の月の部に含まれる。語源的にも、服の月は肉ではないらしい。
*「ぼくは、「人が、肉をもった人が、―― 」というような書き方をこのノートでよくした。これは、「人が」といってから、その人が肉をもっていなければならないことをかかねばと思って、「肉をもった」とつづけるわけだ。「そしてその人は肉をもっているのだが」とつづけるのはめんどうなので同格にした。形容詞とは本来、名詞のうしろにあるべきなのだろうか?」  前項を書いて、自分の書き癖をみつけて、考察している。  同格にした、というのは、文節を直列させるのではなく、文節を並列させた、の意だろう。  本来、名詞が主で(最初に発想されて)、形容詞が従(次に連想されるもの)なのでは。ならば、語順もこれにしたがったほうが、自然なのに、という気持か。  美しい人。という文節は、その前提として、この人は美しい、という文があったはず。この人は美しい、という感動をふまえて、美しい人、という冷静な把握が残った。とみるべきでは、というようなことを言いたいか。  よって、情動が先行するなら、人、美しい、の順。もう冷静になっている、少なくとも冷静になり始めているなら、美しい、人、となる。  ふむふむ。なるほど。  ひとつの気づきとしてありだろう。(だからどうしたってこともないとは思うけど)  ・・・  まあ、逆の説もないとはいえないかも。  つまり、形容詞が主で(最初に発語に結びつき)、名詞が従(次に情況が追いつく)。情動が先行するなら当然、美しいが先であり、人が続く。美しい、この人。  この人は美しいは、その反射である。  美しい人は、原形そのままに反射の反射も重なっているのだ。  というふうに。(心の波紋が言葉なのだから)
*「うちでは、食卓の上にだされたものは、多くの場合、いくらでもどれでもたべていいのだが、ときどき、「まだ食べる人がいるんだから、それは(ソノオカズハ)もう(たべるの)やめなさい」とか、「それは、オトウサンのですよ、」なんていわれることがある。」  笑。  よく言われたのは、食べ盛りのころのwaka君。そして、食いしん坊の上の妹は小さい頃から。  姉と下の妹は、がっつかない。おしとやかなのか、小食なのか。
*「「十分 : じゅうぶん」は重要で、よくつかい、意味もわりと深い語なのに、「十分 : じゅっぷん」とまちがわれやすいのはおもしろくない。かといって、ひらがなでかいては味がでない。」  これは、今でも感じる。  解決策がないのも同じ。  じゅうぶんは、充分とかけばよし。と一旦は思いつくんだけど、自分ルールはそうすることはできても、他の人は追随してくれない(ましてすでに本になっていてはどうしようもない)。で、充分では、逃げの色合いを帯びてしまう。  振仮名は極力ふらないのが美しい、とも思う。(振仮名をふらなければ読めない語も逃げだ)  じゅっぷんは、十分間にしよう。逃げどころか、これは表現者として敗北だろう。  ・・・  妥協。  ○ じゅうぶん、じゅっぷん、どちらのつもりでも、十分と表記。  ○ 十分は、読者がそれぞれの気持、解釈でどちらにでも読めばよし。  ○ 書き手と読み手のつもりが一致すれば素敵だね。  現時点はこれかなあ(^^;  ・・・  なお、じゅっぷんではなく、じっぷんだよ、という問題も付随している。ご存じの方は多いと思うけど、ここでは、深入りせずで。
*「ぼくは、まっちぼうやピンでみみくそをなんどもとろうとするのだが、すっきりととれたことなし。   ヘアピン」  ヘアピンは、家族の女たちのつかう鏡台で調達。  ・・・  恥ずかしい思い出。  三十前後だった。職場で、どうにも耳の中がかゆくて、しかし適当な耳かきになるものがなくて、あまりにもどかしくてがまんできず、ふらふらと歩き、たいして親しくない職場同僚の年下女子に、ヘアピン貸して、と懇願。キョトンとして貸してくれたその目の前で、皆も見ている場で、耳を掻きました。  ややすっきりして、ありがとうと返した。髪に戻してくれなかったのが、ちょっと残念ぐらいの感覚。  私はそれで始末がついてしまって、その後彼女へのフォローもなし。  現在では、ほとんど、犯罪!?
*「てふてふ ちゅうちょう   ちょう これは排句の五七五で1字とかぞえるか?   この「ちょ」のもとが「て」だからかぞえる?   「ちゃ」「きゃ」のもとも一字か?」  なぜ、どうして、という気持はとてもよくわかる。でも、ふだん、書いても読んでもいない、旧仮名遣いは、ちゃんと説明しようとするとむずかしいのだ。  感覚で答えられないから調べることになるけど、深くて広くて。  だから、私にはやっと、個別に答えをだしていくぐらいしか。  ・・  俳句の作例を見ていくと、蝶は二字、蝶々は四字。よって、ちょうちょうのちょは一字で数えている。  ちゃ、で、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いの異なるものは見つからず。(例えば、茶は、昔も今もちゃで、よいらしい。拗音、促音を小文字でかく決まりにはなっていないので、ちやとかかれていても、ちゃとよめばよしと知っていればよし。そして、俳句では、茶(ちゃ、ちや)で一字数え。発音優先ということでしょう)  (促音、小さい「っ」は、それだけで一字数えだとか。リズム優先で。 名月をとってくれろと泣く子かな 小林一茶)  きゃ、も、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いの異なるものはないようだ。  脚、客など、きゃく(きやく)で、茶の場合と同類。  客をかくとよんだり、伽羅をきゃらとよんだりは、二様の読み方があるということで、仮名遣いとは別。(いずれにしろ、俳句では、脚、客、伽羅はみな二字数えのはず)  →  主な参照先。  https://haiku-textbook.com/haiku-sokuon-youon/ 「俳句における促音/拗音/長音」  https://accent.main.jp/kana/kanatebiki2.htm 「歴史的仮名遣いの手引き」
*「「おみよつけも食べなさい。」と母が■■コに。すると、■■りが、 ・・・ 」  へっるじゃないは、脱字。  前項でいうまさに食事中、母親の上の妹■■コへの注意を、下の妹■■りが自分へのものと聞いて、口ごたえをする。それが、おかしくて、兄は記録したんだね。  黙々と食べているだろう上の妹も役者だ。  妹二人、まだ小学生。
*「サイコ : 心理?」  psycho。この綴り、ちょっとかっこいいよね。
*「辞書でしらべるのがめんどうなので、 ?でごまかす事多し。」  これもまさに前項のことでしょ。  笑。本音暴露。
*「 ・・・ 頭で考えてわからないときも、手にまかせてかかせると、かける。」  これはあるあるだ! ほんとに。  (ただし、漢字を手書きする機会がめっきり減ってひさしい現在も変わらずそうであるかはあまり自信がないな)

 

 
00:28 2024/07/21 (日)


 おとくい : ただ最初はいって、ああ、「・・・業|屋」とはこんなものなのか、と気がしれただけで、次もくる。なぜなら、他の店では気がしれていないので、はずかしいが、その前にはいった店ならかってがわかっていて失敗もしにくいし、キモラクダ。そこで、そういう店がその人のおとくいになる。店がいいとかわるいとかではなく、ただ人と人とのめぐりあわせのように、偶然めぐりあった店で、はじめてだがゆうきをこめてはいったところが、おとくいとなる。他の店にいこうとすると、そのつど、ゆうきをこめねばならず苦労なのだ。そこで、同じ店でまにあうことならと、その1つの店にだけくるようになる。
 多くの場合、店のよしあしでなく、偶然、気がしれたか、どうかで、おとくいがきまる。というのだ。
 ほんと? (考察!)
        (1973/05/26)


 ノートを手にしているときは書く気なく、しまうとでてくる。

        (1973/05/26)


 にーえたった にえたった にえたかどうだかたべてみよ・・・・
 あばずれたった

        (1973/05/26)


 くつがしき石とすれる音のでる歩き方と、すれる音のでない歩き方。

        (1973/05/26)


 こんな事をそらでおぼているのを無意味に感じる。

        (1973/05/26)


 商業はつよい。すべて、機構、や、公式にくみこまれて、そこからぬけることはできぬ。客に無礼をはたらけば、その店の評判はわるくなり、客がこなくなり、物がうれず、利益があがらない。そこで、客に無礼ははたらけない。そして、客に無礼をはたらけないという事で商業は存続できている。すばらしい公式と機構である。
 → (考察)!
        (1973/05/26)


 まとも → はしりがき → そらおぼえ
  ←―――――――――――――――→
 小    インスピレーション    大

        (1973/05/26)


 1度 はしりがきをかくと、もうとまらぬ。
 1度 そらおぼえをやると、どんどんでてくる。

        (1973/05/26)


 公園で子供のボールがころがってきてもとってやらずに、そのボールが段々にあたって、入射角と反射角がひとしくなるようにはねかえるのをほほえみつつみている■■君

        (1973/05/26)


 こんなことをそらおぼえして、何度も口の中でくりかえしているのは、時間のムダ。脳の浪費
 ある一定の時間内に脳が認識できる事をAとすると、そらおぼえをαやれば、おぼえる事に脳の力をつかうので、認識することがおろそかになり同じ一定の時間内に認識できた量は(A−α)となってしまう。
 つまり、こんなことをやらねば認識できたかもしれない多くの事をさいごまでにんしきできずに終わるかもしれない、というのだ。
 これは、ぼくの脳が得られたはずの認識の絶対量を得られないというヒゲキなのだ。
 そこで、ぼくの脳は自然でなく、カタワになる。
 そらおぼえのために口の中で、その事をくりかえしている間は、インスピレーションがおさえられる。考えをまとめたりすることができないからだ。そこで、ちょっと口の中でいうことをやすむとおさえていたものが、ドッとでる。
 そらおぼえをやっているとき、ぼくの脳はかんたんなことしか理解できない。つまり、その間、ぼくの脳は発展していないのだ。無意味に使用されているのだ。つまり、脳の中の個性が消えてしまうのだ。
 → (考察!)

 これが、どれほどムイミなのかの感じはわかるが、うまくセツメイできない。
        (1973/05/26)


 この、100円のノートはカイ■ウ堂のみで売ってるのではなく、セントラルプラザのタダヤでも、ヤマのうちのそばの文房具屋でも売っている。

        (1973/05/26)


*「おとくい : ただ最初はいって、ああ、「・・・業|屋」とはこんなものなのか、と気がしれただけで、次もくる。なぜなら、他の店では気がしれていないので、はずかしいが、その前にはいった店ならかってがわかっていて失敗もしにくいし、キモラクダ。そこで、そういう店がその人のおとくいになる。店がいいとかわるいとかではなく、ただ人と人とのめぐりあわせのように、偶然めぐりあった店で、はじめてだがゆうきをこめてはいったところが、おとくいとなる。他の店にいこうとすると、そのつど、ゆうきをこめねばならず苦労なのだ。そこで、同じ店でまにあうことならと、その1つの店にだけくるようになる。  多くの場合、店のよしあしでなく、偶然、気がしれたか、どうかで、おとくいがきまる。というのだ。  ほんと? (考察!)」  ずいぶんシャイだ。  おそらく、自分のことを書いているんだが、自分とは距離をおこうとしているかのような書き方。  おとくい、ひいき、っていったって、こんなもんでしょ。よしあしを採点したり天秤にかけたりなんて、他の人はしてるの。 と懐疑的だけど、自分のほうが少数派だった時は(シャイで世間知らずで幼いとみなされるのは)恥ずかしいので、腰が引けてる感じか。
*「にーえたった にえたった にえたかどうだかたべてみよ・・・・  あばずれたった」  一行目は耳にすることのあった囃し歌。  二行目はwaka君によるその変え歌の案(のつくりかけ)だろうか。
*「こんな事をそらでおぼているのを無意味に感じる。」  このあたりの諸項、「ノートを手にしているときは書く気なく、しまうとでてくる。」ため、そらで覚えていたんだが、やっとメモできたんだが、(おとくい、のーと、にえたった、しき石・・)などと頭の中でループさせているのは無駄だ、つらいよ、と。  ← なんとなく、笑。
*「商業はつよい。すべて、機構、や、公式にくみこまれて、そこからぬけることはできぬ。 ・・・ すばらしい公式と機構である。」  人、物、金が、からみあい、均衡という秩序のもとでうごめいている、食い合い、支配し支配されている。化け物だが美しい、あるいは、ふつうの光では見えないこの世の実相、そういうものの端っこに気づいた。  というようなことかも。
*「まとも → はしりがき → そらおぼえ  小 ←―――――――――――――――→ 大  インスピレーション」  「1度 はしりがきをかくと、もうとまらぬ。  1度 そらおぼえをやると、どんどんでてくる。」  そらおぼえ。メモせずなにかを覚えておくと、次々覚えておきたいことがわき出る。  はしりがき。清書せずメモだけすると、次々わき出てメモだけの走り書きが溜まっていく。  つまり、まともに清書して文章を整えたりを気にしなければ、インスピレーションが気軽に自然にふあふあわいてくる。  で、それを捕えとどめようと意識するととたんに、それらはわいてこなくなり、逃げてしまう。  というようなことを言いたいようだ。  →  ちょっとおもしろいね。脳内作業で、あちら立てればこちら立たず、そういうふうだと。 並行処理ができれば効率は良さそうだ。もどかしさも消えて。  実際できているときもたまにあると思うんだが、そういうのが得意な人もふつうにいそうなんだが、いかんせん、自分の脳内すらよくわからない、まして他人の脳内はまるでみえない。
*「公園で子供のボールがころがってきてもとってやらずに、そのボールが段々にあたって、入射角と反射角がひとしくなるようにはねかえるのをほほえみつつみている■■君」  創作か半現実か現実そのままかはわからないが、waka君のキャラにいかにも合ってる(笑)  段々。ここは、じょじょに、の意はなく、段差でしょう。
*「こんなことをそらおぼえして、何度も口の中でくりかえしているのは、時間のムダ。脳の浪費。 ・・・ これが、どれほどムイミなのかの感じはわかるが、うまくセツメイできない。」  たしかに、至らず、という説明だ。  そらおぼえをしていると、インスピレーションが大なのか小なのか。  大だという上方からの直感に、下方から理屈で迫ろうとしてるんだが、小という答えになりそうで、両者を整合させようとしているフシがある。  正答の門前なのか、誤答の入り口なのか・・ わからん。  (意識できている領域では作業Pをしているので作業Qが停まっているのは確かなのだが、作業Pを停めてQを思いだすと、Qの作業結果がドッとやってくる。仮にこれが正しい観察なら、無意識領域では作業Qが並行処理されていたってこと、になるんだろうか・・)
*「この、100円のノートはカイ■ウ堂のみで売ってるのではなく、セントラルプラザのタダヤでも、ヤマのうちのそばの文房具屋でも売っている。」  文具にこだわるwaka君としては、現在心記を記しているこのノートはお気に入りなので同じ製品を入手できるできないは重大事なのだが、よく行く(こちらがおとくいさまであろう)カイ■ウ堂で入手したのだが、心配することはないよ、他店でも売っていたよ、という自己報告? かな。  ヤマは中学同級男子。  → なお、カイ■ウ堂は、小学同級の女子、カイ■ウさんの家、家業と思われるが、しかし、文具屋としてのカイ■ウ堂のほうがwaka君には大切で、店の娘のほうは意識から外れていたようだ。(関係に思い及べない、確かめたことがない、そうかもと思ってもすぐ忘れた、あたり。娘が店番していたこともないため)

 

 
03:08 2024/07/14 (日)


 おさえる

 おす

        (1973/05/26)


 となりの人のカオなんてみえぬも同じ。これはとなりが女のとき。むりによこをむいて女の顔をみるなんてはずかしくてできません。はずかしいというより、非常識的すぎて。
 図書館、となりは本■君のあこがれの人、エッチャンでした。
        (1973/05/26)


 まったくわからぬものにはあまり興味がわかぬが、ちょっとわかるような、前は知っていたようなもの、それでいて、今、考えてもわからぬものに興味がわく。

        (1973/05/26)


 わざわざ〜することさえもしなかった。 日本語?
 ※ わざわざ上品にすることさえもしなかった・・・・??
        (1973/05/26)


 図書館で、となりにあこがれの人。しかし、その女性ははじめからすましていて、彼の方をみようともない。主人公は大衆の中の冷たさ、さむさを感じる。が、彼女、帰りぎわに、彼の方をふりむき、1言、さよなら。

        (1973/05/26)


 大衆の中のサムサ

        (1973/05/26)


 どうせ相手は、(あなたにそんなぎせいをはらわしては)悪いからと辞退すると思って、自分にとってすごいギセイ的な事をしてあげましょうかといったら、相手がすんなり入れてしまった。さあ、どうする。

        (1973/05/26)


 急にしんこくなことを友がいうと、どうしても「そうじゃないよ」といわねばならなくなるような心持ちになる。

        (1973/05/26)


 友Aがいるのを忘れて帰ってしまったB。が、Aにとって、Bの行動はうらぎりでなく、ただBが忘れてしまったのだ、としてうけとれる。なぜなら、Bはぼくをうらぎるようなシンコクなやつじゃない、オオカタぼくのいるのを忘れちまったのだろう、とすんなり考えられるからだ。ただ、友が先にいってしまったというだけで、友の自分に対する戦宣布告だ、などととる方が異常なのでは?
 というより、このAとBみたいなキラクな友人関係においては、シンコクに考えられない、ということなのだ。 ?
 受身 ?
        (1973/05/26)


 キンニク痛と、内臓のいたみの差は?

        (1973/05/26)


 ぼくは行動を変えるとき、まわりの変わるときに、インスピレーションがわいて、このノートに何かとたくさんかくのか。その期間たくさんかくようになるのか?
 それとも単純、単調なことをやっていると書きたくなるのか?
        (1973/05/26)


 歯医者 :今も昔もこわい。
 歯医者のてもとがくるって電気じかけのドリルが必要以上にさがって、あごから、せきずいにかけて、くりぬかれるんじゃないか、と思うこともある。歯のちりょうなんて、ぜんぜんいたくないんだけれど。
        (1973/05/26)


 みみくそ
 みみあか

        (1973/05/26)


 「地の塩の箱」とは?

        (1973/05/26)


 現実のみにくさ、わざらわしさ|に負けて|をさけて そこから、ひなんするために文学をやる人がいるか?

        (1973/05/26)


 個人の自由と社会内の価値
 例えば、国の金がかけられて、公務員になるべき大学生が、文学者になったりするのは、国の金がムダになったのか? すばらしい頭脳として、全国から吸収した東大生の一部が、実質的でない文学にはしってしまったとき、国の人は、またソンが増えた、というのか? パイロットになるために何億円もかけられた人がパイロットにならない事はゆるされるのか。その人にかけた何億円で、その人はすでに社会的に買われてしまった商品なのではなかろうか。それなのに個人の自由のために、予定の事をしないと、それは、その社会内の不道徳となるのか。エリートとなって多くの人をやしなうべき人が、まったく実質的でない方にいってしまうのは、その社会内にとってゆるされぬのか。社会の価値を第1に考えるなら、たしかにゆるされまい
 → 考察!!
        (1973/05/26)


 ぼくが通るためにとまっているくるまの前とうしろのどちらでもよこぎれるとしたら、うしろをよこぎるだろう。

        (1973/05/26)


*「となりの人のカオなんてみえぬも同じ。これはとなりが女のとき。むりによこをむいて女の顔をみるなんてはずかしくてできません。はずかしいというより、非常識的すぎて。  図書館、となりは本■君のあこがれの人、エッチャンでした。」  waka君の高校のそばに図書館があり、waka君の高校の生徒たちがよく自習室で勉強をしていた。  たしか、自習室の席は、図書館の係の人から番号札をもらってそこに座らなければならなかった。(広いというほどではなく、席数は限られており、せいぜい三四十で、放課後の時間帯は空きがほとんどなかったのではと思う。静謐であることが求められ、そうでない利用者は退室させられた)  waka君は勉強好きというわけではないので、たまにしかそこを利用しようとしないのだが、この日、運よく席が取れて、たまたま、となりの女子が、エッチャンだった。かねて、友人の本■君から想い人だと聞いていたので、いい機会だからどれほどの女子であるか品定めをしたかった。したかったのは山々だったが、近すぎてさすがに露骨で、できなかったよ。  という報告だね。 (で、もしかしたら、その状態であるときに、つまり自習室にいるときに、エッチャンの隣で、これを書いているのかもしれない。本項やら以下の項やらを。勉強の合い間か、勉強もせずにかは、わからないけど)(本人が隣にいるときにその人の名は書けないか。自習室では仮メモだけで、エッチャン云々は清書時に書き足したかな)  エッチャンという女子は同学年にいた。ぼんやりと、顔立ちや活発そうな雰囲気は記憶の隅にあるんだが、苗字とかはまったく忘れた。
*「図書館で、となりにあこがれの人。しかし、その女性ははじめからすましていて、彼の方をみようともない。主人公は大衆の中の冷たさ、さむさを感じる。が、彼女、帰りぎわに、彼の方をふりむき、1言、さよなら。」  みようともしない。  創作話しのプロット。  前半はエッチャンと隣になった事実をそのまま材料にしているわけだが、終わりのさよならは、想像それとも期待を形にしてみた虚構なのか、微妙だ。  多少は顔みしりだったはずなので、校外で遭遇したとき、挨拶ぐらいはあっても不思議でない気がする。
*「どうせ相手は、(あなたにそんなぎせいをはらわしては)悪いからと辞退すると思って、自分にとってすごいギセイ的な事をしてあげましょうかといったら、相手がすんなり入れてしまった。さあ、どうする。」  どうすると言われても、いまさら、冗談でしたとは言えないだろう。  口は災いの元、と、あきらめて、すごいギセイ的な事をしてあげるしかないな。  そういうことをしてもらって、まったくお返しがない、ということもないだろうから、丸損にはならないと思う。そのへんを慰めにして。  あるいは、たまには、無償の善行もわるくない、功徳になる、自分の精神浄化になると前向きに考えてもいいか。実際、後味は良いはず。  損得にうるさく、いつも小ずるいことや人を出し抜くことばかり考えている輩が、たまたま、このような陥穽(彼のポリシーにしてみれば)に落ちる。わりと、物語になりそうだよね。
*「友Aがいるのを忘れて帰ってしまったB。が、Aにとって、Bの行動はうらぎりでなく、ただBが忘れてしまったのだ、としてうけとれる。なぜなら、Bはぼくをうらぎるようなシンコクなやつじゃない、オオカタぼくのいるのを忘れちまったのだろう、とすんなり考えられるからだ。ただ、友が先にいってしまったというだけで、友の自分に対する戦宣布告だ、などととる方が異常なのでは?   というより、このAとBみたいなキラクな友人関係においては、シンコクに考えられない、ということなのだ。 ?    受身 ?」  宣戦布告。  考えられない、はふつうは、受身ではなく、可能(の否定)でしょう。が、「シンコクに考えない」を受身でいいたいところ、ということらしいな。「考えられはしない」とすればいいいか?  ・・・  あまり図書館に来ないwaka君が、この日来たのは、友に誘われたから、という事情はありそう。自習室では横のつながりが希薄になるので、友のことを忘れてしまう場合もありそう。本項も、事実を下敷に書いているのかも。全部でなくとも半分ぐらいは。
*「ぼくは行動を変えるとき、まわりの変わるときに、インスピレーションがわいて、このノートに何かとたくさんかくのか。その期間たくさんかくようになるのか?   それとも単純、単調なことをやっていると書きたくなるのか?」  これはもう、そのまんま、実感だろう。  ○ 自分の行為やまわりの環境がいつもとちがうと、刺激になって、いろいろ書きたくなる。(ふだん来ない図書館、人数はいるのに静かすぎる自習室にいる)  ○ 机上で、単純、単調な作業をずっとしつづけると飽きるので、別のことを書きたくなる。(自習室で一応勉強らしいことをしているんでしょう)
*「歯医者 :今も昔もこわい。  歯医者のてもとがくるって電気じかけのドリルが必要以上にさがって、あごから、せきずいにかけて、くりぬかれるんじゃないか、と思うこともある。歯のちりょうなんて、ぜんぜんいたくないんだけれど。」  ようするに、尖端恐怖のような、そっちのほうの不安が大きい。まともに治療してくれるかぎりは痛くてもがまんするよ、といいたい。  しかし、こういう感想をいうほどには、waka君、歯医者通いはしていないはず。六十年以上で、歯医者にいったのは、この時期の二回ぐらいだけ。つまり、この項は半分作り話。いわゆる、盛っている。「今も昔も」通っているが、ならば嘘。通ってはいなかったが昔からこわい、ならば本当かも。
*「「地の塩の箱」とは?」  キリスト教関係か。募金箱かなにかかな?  図書館のどこかで見かけたか。  → 検索したら、江口榛一(えぐちしんいち)という詩人がおこした地の塩の箱運動というものがあるそうだ。  https://cir.nii.ac.jp/crid/1572261551703886592 〔 ・・・ 「地の塩の箱」は市中に設置され,その箱の中に有志から入れられた寄金を貧しい者に自由に使ってもらおうという趣旨の箱で, ・・・ 〕
*「現実のみにくさ、わざらわしさ|に負けて|をさけて そこから、ひなんするために文学をやる人がいるか?」  わずらわしさ。  対極の世界で遊ぼうと指向する場合もあれば、あえてわずらわしさに首をつっこんで呻吟する自分を書きなぐるような場合もありそう。(後者も逃避の一種だったり)
*「個人の自由と社会内の価値 ・・・ エリートとなって多くの人をやしなうべき人が、まったく実質的でない方にいってしまうのは、その社会内にとってゆるされぬのか。社会の価値を第1に考えるなら、たしかにゆるされまい」  そういうふうに真面目に、負い目に感じながら、まったく実質的でない方にいってしまうなら、多少は許せるかな。社会を支えるために税金を払っている立場の我らは。  殊勝にも社会を支えていると思って税金を貢いでいる一般市民を、おだて、教導し、支配している側から言えば、まったく実質的でない方にいってしまうクズも「織り込み済」ということかな。
*「ぼくが通るためにとまっているくるまの前とうしろのどちらでもよこぎれるとしたら、うしろをよこぎるだろう。」  性格が表われる、と思う。 (1) 車が急発進しても大丈夫なように、うしろをよこぎる。 (2) 歩行者優先という大儀を見せつけるためにも、前をよこぎる。 (3) 運転手にはっきりと全身を見せておくのが一番安全、前をよこぎる。 (4) 運転手を信用してはいけない。うしろをよこぎってもバックされるかもしれない。とまっている車がしびれを切らしていってしまうまで待つべき。  などなど・・ (笑)

 

 
00:07 2024/07/07 (日)


 小説家にたとえなれたとしても仕事の上でわずらわしい事が多いでしょう。
 ■■や他の職業をやるのと同じくらい。
        (1973/05/26)


 テストのおわりの金がなったら、テストの答案をパッとうらがえしにするのが礼儀でしょう。

        (1973/05/26)


 「おねがいです。それを発表しないでください。」
 「しかし、これは私個人の意志では・・・」
 →「そうですか、しょうがない。こちらもあきらめましょう」

 →「そうですか、しょうがない。あとでおぼてろ。」
        (1973/05/26)


 〜してください
 〜してくだない

        (1973/05/26)


                  アレ〜
 アイター      アイタッ <
 チクショー            イタイ
 アレマー

        (1973/05/26)


      「満韓ところどころ」
 漱石先生の「落第」       }をよもう。
      「僕の昔」

        (1973/05/26)


 ぼくの国語辞典がないと、ぼくは日本文がかけないのか?

        (1973/05/26)


 せいしんぶんれつしょうの人と、ねんちゃく気質の人と、ぼくみたいなじゅんかんきしつの人の心中は、ほんとうにほとんどちがうのか? そんなに差がある人格か?

        (1973/05/26)


 しかし、家ではたべられなかった。

 家では、しかしたべられなかった。  → この文は正しいのか?

        (1973/05/26)


 S38 1月
    ↑  わがはいはねこである
 S39
    ↓  4月:ぼっちゃん
    8月
       9月:草枕

        (1973/05/26)


 「インダルジェンス」とは?

        (1973/05/26)


 丈 :だけ

        (1973/05/26)


 漱石先生はなぜ、文学博士の学位を辞退されたか。

        (1973/05/26)


 先生について話すときは、かならず、敬語をおつけするように注意しましょう。
 でもぼくは敬語をどのようにつけていいのか、あまりしらないのだ。
        (1973/05/26)


  攫む
 つか 

        (1973/05/26)


 不得手 ふえて
 不得意 ふとくい

        (1973/05/26)


 「祖母上」とはどうかくのか?

        (1973/05/26)


 「苛苛し」 きびきびし }?

        (1973/05/26)


 こめる ≒ふくめる?
 込

        (1973/05/26)


 円本 :えんぽん
 1円千円 1銭10円 }?
        (1973/05/26)


*「テストのおわりの金がなったら、テストの答案をパッとうらがえしにするのが礼儀でしょう。」  鐘。  所作がいさぎよい。礼儀というよりは美しさか。  いじきたなく欲しがるような挙動は欲しがるもの以上のものを失っている、おそらく。
*「 ・・・ →「そうですか、しょうがない。あとでおぼてろ。」  豹変はこわいよ。 (テロリズムのテロが、凶暴な語感をまとうのは、日本語の命令形に通ずるからかな)
*「ぼくの国語辞典がないと、ぼくは日本文がかけないのか?」  日本語IME(ATOK)に依存している現在の私と相似。
*「せいしんぶんれつしょうの人と、ねんちゃく気質の人と、ぼくみたいなじゅんかんきしつの人の心中は、ほんとうにほとんどちがうのか? そんなに差がある人格か?」  循環型気質、分裂型気質、粘着型気質の三分類、それぞれに結びつく体格などが、当時(中学か高校)の保健体育の教科書にふつうに載っていた。今調べると、エルンスト・クレッチマーの学説らしいが、現在ではさすがに、学校でそのままを教えてはいないのでは。  差別を助長するとか、個人差を無視して単純に分類しているとか、で。  血液型による性格判断に比べれば、ずっとまともだとは思うけどさ。
*「S38 1月 ← わがはいはねこである   S39 4月:ぼっちゃん → 8月  9月:草枕」  というような年譜だが、waka君がこれらを読んだ時期、とするのはおかしい。昭和38年ではまだ小学一年生前後。  S38は、M38(明治38年)のまちがいで、これらが発表された時期ではないのか?  ということで調べたところ、どうやらその通り。しかも正確だ。  Wikipedia、〔  吾輩は猫である(1905年1月 - 1906年8月、『ホトトギス』/1905年10月 - 1907年5月、大倉書店・服部書店) 坊っちゃん(1906年4月、『ホトトギス』/1907年、春陽堂刊『鶉籠』収録) 草枕(1906年9月、『新小説』/『鶉籠』収録)  〕  1905年=明治38年。  「吾輩は猫である」の連載途上で「坊っちゃん」が発表されてるのか。連載直後には「草枕」。  この濃密ぶりに気づいて、感心しているのかも、waka君。  (現在、あらためて、驚嘆)
*「「インダルジェンス」とは?」  インテリジェンス? と思ったが、どうやら、indulgence で別語。免罪符などの意。
*「丈 :だけ」  たけと読めば名詞、だけと読めば副助詞らしい。(副助詞なのに漢字で丈と書くのは昔風だ)  上のインダルジェンスとともに、おそらく、漱石先生の用語。著書を何か読んでるんだろう。
*「漱石先生はなぜ、文学博士の学位を辞退されたか。」  1911年(明治44年)。  いわゆる物議をかもした事件だったようだ。  青空文庫にある「博士問題の成行」の一節。 〔 ・・・   博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉く博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握し尽すに至ると共に、選に洩れたる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余はこの意味において仏蘭西にアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。  ・・・ 〕  かっこいいね。  きかん坊の言い訳のための理屈みたいにも聞こえるが、それも漱石先生らしい。
*「 ・・・ かならず、敬語をおつけするように ・・・」  過剰だ。  他所でこう言ったら、皮肉でいじめているようにしか聞こえないかもよ。
*「攫む」  こんな字まで、第2水準に入ってるんだ。(なのでデジタル表示できる)  ( → もしかしたら、漱石用語だから? まさか!? いや、ないとはいえない・・ JISの水準を決めた人たちの恣意(好悪、敬慕等)が全くなかったはずはないので)
*「「祖母上」とはどうかくのか?」  どう振仮名をふるのか、どう読むのか、の意か。  辞書によれば祖母上で「おばうえ」と読むらしい(古来より)。よって、母上と同様の場面で使いたいなら、祖母上でいけそうだが(伝統にのっとって正しいのだろうが)、現代人は「そぼうえ」としか読めないのでは。
*「「苛苛し」 きびきびし }?」  いらいらし、だろう。
*「円本 :えんぽん   1円千円 1銭10円 }?」  貨幣価値の換算をしている様子。円本がいくらぐらいになるのかを知りたいためでしょう。  Wikipedia、〔  「円本」の呼び名は出版社側の命名でなく[6]、1925年(大正14年)の大阪市、1927年(昭和2年)の東京市に登場した市内1円均一の「円タク」から、たまたま派生したと言われる。当時の1円は大学出の初任給の約2%に相当した[7]。円本がその1円を廉価と謳えたほどに、それまでの本は高価な物であった。  〕  この説明に従えば、現在なら、三千円〜五千円ぐらいか。  ちなみに、「えんぼん」(濁点)とばかり読んでいたが、いくつか調べても(本項の通り)「えんぽん」(半濁点)だった。  また、漱石先生死去後十年位しての流行りだから、これは著書内の語ではない。文庫の解説あたりで拾ったかな。

 

 
0:00 2024/06/30 (日)


 ぼくの使用した紙の方が、使用されていない紙より高価である。他人の使用した紙の方が使用されていない紙より高価である。が、他人にとって、ぼくの使用した紙は使用されていない紙より高価でない。

        (1973/05/24)


 時がたつと、エンピツのしんも弱くなるのかしら?

        (1973/05/24)


 やりたいことは やりほうだい
 やりたいことは し ほうだい
 し たいことは し ほうだい
 し たいことは やりほうだい

        (1973/05/24)


 たまのこしにのる.

        (1973/05/24)


 こよいのこけつは血にうえておる.
       こてつ?

        (1973/05/24)


 金を出せ、出さないと殺す。

        (1973/05/24)


 どろぼうをとらえてみればわが子なり。

        (1973/05/24)


 でないよ
 でんよ

        (1973/05/24)


 「力」などというものは存在するのか?

        (1973/05/24)


 としのこう
 こうを奏する    → こうをろうする ?

    功○
    効×

        (1973/05/24)


 奏する
 そうする
 そのようにする

        (1973/05/24)


 そう ≒ そのように?

        (1973/05/24)


 ぼくは水のついたヘチマのたわしにせっけんをつけて、ぼくの体をあらうのです。でも、おじいさんのせなかをあらうときは、まず、ねれたせなかにせっけんをすべらせ、それからねれたヘチマのたわしで、こするのです。

        (1973/05/24)


 サカ■■先生いわく、病気でもなるべくテストにはでてこいよ。練習にもなるぞ。というのは、つまりぜったい休めない大学入試のときに病気になったりしたときの練習になるよということだ。
 休むと、1年間ろうにん。 
 こんな日本語でいいいの?
        (1973/05/24)


 足の小指のつめのない人がいるか?

        (1973/05/24)


 ゲンコク  コブン  カンブン
   ○          ○    サカ■■
   ○     ○          カメ■■
        ○     ○    タド■■
                         }???

        (1973/05/24)


 お父さんのかしわでは、こまくがふるえるのがわかるほど、よくひびくのです。

        (1973/05/25)


 文章を書かずに、頭の中でこねていればこねているほどハデなものになってしまうのか?

        (1973/05/25)


 中学の頃、テストをするときのならび方では、最後列に、ぼくや安ベエや■川さんや■下さんがいたのだ。

        (1973/05/25)


 ラスト
 テスト

        (1973/05/25)


*「ぼくの使用した紙の方が、使用されていない紙より高価である。他人の使用した紙の方が使用されていない紙より高価である。が、他人にとって、ぼくの使用した紙は使用されていない紙より高価でない。」  高価である=価値がある、と言い替えたほうがいいのかな。(まっさらの白紙と誰かが書きこんだ紙とを比べて)  ぼくの跡も他人の跡もぼくは尊重するけど、ぼくの跡を他人は尊重しないだろうなあ、という諦念、感慨か。
*「時がたつと、エンピツのしんも弱くなるのかしら?」  相当古そうな(例えば小学校の時期使っていた)エンピツをたまたま使ったら、芯がくずれたり折れたりしたんだろうか。  ないことはないかも。
*「やりたいことは やりほうだい ・・・ 」  やりたい、と、したい、の組み合わせを吟味しているだけなんだろうけど、結果的に、ポエムっぽくなってて、たのしい。
*「たまのこしにのる.」  waka君的には、玉(球体)の腰に乗る? とかのイメージ映像が浮かぶんだろうか(笑)  今なら、たまの(ひさしぶりの)腰にのる、などとバレたい(^^;
*「こよいのこけつは血にうえておる.  こてつ?」  清水次郎長あたりのセリフのような場面が思いうかんだけど、ネットで調べたら、これは(講談における)近藤勇の決めぜりふみたいだな。
*「「力」などというものは存在するのか?」  文章の通りなら、意味深な感じ。たしかに手にとれるモノではないから、疑い出せば曖昧になっていく。  愛。金。命。  こういうのも、一度疑ってみると逆に新鮮かも。
*「としのこう こうを奏する  → こうをろうする ?  功○  効×」  亀の甲より年の功、功を奏す、などは慣用句としてあるが、こうをろうする、は見つからず。  (労して功無し。というのはあった!)
*「奏する  そうする  そのようにする」  もちろんイコールではない。が、waka君的には、音が同じで(アクセントは違うが)、かつ、意味が通じる(苦しくても)、となると、捨て置けない。ということになる(笑)
*「ぼくは水のついたヘチマのたわしにせっけんをつけて、ぼくの体をあらうのです。でも、おじいさんのせなかをあらうときは、まず、ねれたせなかにせっけんをすべらせ、それからねれたヘチマのたわしで、こするのです。」  ぬれた。  孫の誰かがよく呼ばれた。妹たちはまだ手の力が弱いので、おもにwaka君か姉だったかな。
*「 ・・・ つまりぜったい休めない大学入試のときに病気になったりしたときの練習になるよということだ。 ・・・ 」  さらっと過酷だ。  現在のご時世でも、ほぼ同じなのだろうか。  多少は(例えば女子の生理痛など)救済措置がとられるような新聞記事は、たまに目にするようになったけれど。
*「足の小指のつめのない人がいるか?」  ネット検索したら、都市伝説とかではなく、実際困っているという記事がヒットする。女子の美容関係のサイトで。
*「 ゲンコク  コブン  カンブン  ・・・  サカ■■  ・・・  カメ■■  ・・・  タド■■   }???」  国語科の先生たちはまだ何人かいたが、そのうち、waka君の印象が強かったりつきあいの長い三先生。そして、先生たちが担当した教科(waka君の経験および他クラスの情報によるか)。これらの対照表ということでしょう。  ??? は、どうしてこうなの、それぞれの得意分野? という素朴な疑問なんだろうけど、高校の現国、古文、漢文程度は、お三方全て手のうちだっただろうと推量。  ちなみに、サカ■■先生は二年時(この時点)の担任。タド■■先生は、一年時の担任で、文学クラブの顧問(田■先生と伏せた場合もある)。  カメ■■先生は重そうな体型でピカピカ頭。タド■■先生は側面は残っている。サカ■■先生はまだ禿げておらず、(後年母から聞いた話だと)若い頃浮き名を流した(地元では有名)、とか。
*「文章を書かずに、頭の中でこねていればこねているほどハデなものになってしまうのか?」  文章を書く際に、もうかなり長い年月、書きながら(入力しながら)考える(こねる?)という習癖がしみついてしまって、頭の中でだけどうこうしてねりあげるということはほぼなくなった、と思う。(よって、ハデなものになってしまうのかどうかなどがよく分からないね・・ なんか、ふわふわした、語と語の結合のゆるそうな、文章というより声のようなものが連なるかも、というたよりない感じ)
*「中学の頃、テストをするときのならび方では、最後列に、ぼくや安ベエや■川さんや■下さんがいたのだ。」  安ベエはきさくな級友。ちんぽがでかい。  ■川嬢と■下嬢は、クラスで有数の美少女。  つまり、最後列で左右をみれば三人がいた、と。それがうれしい、お得だ、粒ぞろいだ、というきもちがうかんで、このメモになっているんだろうなあ、おそらく。  三人とも高校はwaka君とは別。  (テストの時だけの席順というのがあったような書きぶりだ。出席番号順に並んだりしたのか? そういうルールの記憶はまったく欠落しているけど・・)

 

 
2:55 2024/06/23 (日)


 ぼくの頭の毛が長くなってくると、ボサボサになり、鼻の下や下くちびるの下の毛ものびて、まるで下品になるのだ。

        (1973/05/24)


 このごろは、いつも服のままねてしまうのだ。今日は8時15分前までねてしまい、走って学校にきたのだ。

        (1973/05/24)


 ふかかい
 不可解  こんな字、知らんかったわ。

        (1973/05/24)


 ぼくの心臓は運動をしてすこししてから、チクチクいたみだすのだ。
                      ほんのちょっとの感じ。
                   もしくは「シンシン」

        (1973/05/24)


 ぼくは机で何かを書いたり読んでいるとき、非常に姿勢が悪い。

        (1973/05/24)


 中間テストがひどい点になることはまちがいない。明日からだというのに、またテスト勉強を始めていないのだから。そこで、はじめわるけりゃ、みんなダメになりそうで、2年生はダメ。そうなると、3年生になり、大学に入る頃になってもあまりかんばしくないでしょう。

        (1973/05/24)


 T.S.エリオットの「荒地」を読みましょう。

        (1973/05/24)


 見る
 見なす

        (1973/05/24)


 昔の恋人の子供が自分の弟子になるというお話

 → その子供が男の場合と女の場合。

        (1973/05/24)


 写生文の練習をすべきでしょうか?

        (1973/05/24)


 すなお
 正直

        (1973/05/24)


「私は子供の頃、すなおでね、私のいったすべての事を信じたのですよ。」
 こんな日本語ある?
 この文の意味わかる?
        (1973/05/24)


 学生が勉強するのは、向学心のためか、テストの点をより高くとりたいためか?

        (1973/05/24)


 向学
 尚学 }??

        (1973/05/24)


 おのおの
        }この差は?
 めいめい

        (1973/05/24)


 ぼくの笑い声は 大きすぎるのだ。
         妙なのだ。
         声がとおりすぎるのだ。

        (1973/05/24)


 あらまほし ←この語大好き
 あってほしい

        (1973/05/24)


 シャをローマ字で書くと
              SHA
                    >のどっち?
              SYA

        (1973/05/24)


 ぼくは一人でもいいのだ。友だちなどいらんのだ。
 ほんとに、一人で生きていけるのか??
        └ 精神的孤独で
        (1973/05/24)


 シュワキマセリー シュワキマセリー シュウワーアーシュワー キマセリー / キマーセーリー

 「シュ」で1つの音か?
 ぼくがこの歌を覚えた頃「シュハキマセリ」でなく「シュワキマセリ」だと思っていた。
        (1973/05/24)


 ヒロイズム

        (1973/05/24)


 病気で1日中、家のふとんの中でねている時、もっともたいくつなのは夕方でしょう。

        (1973/05/24)


 「§」とは、どういう意と音をもつ文字なのだろうか。それとも文字でないのか?

        (1973/05/24)


 お父さんのかみだなには、マリアさまがあるのです。

        (1973/05/24)


*「ぼくの頭の毛が長くなってくると、ボサボサになり、鼻の下や下くちびるの下の毛ものびて、まるで下品になるのだ。」  高二の五月、髭剃りはまだ習慣化していないようだ。  中学のときの坊主頭はやめてる?
*「このごろは、いつも服のままねてしまうのだ。今日は8時15分前までねてしまい、走って学校にきたのだ。」  だんだんむさくるしい「男」になってきてる。
*「ふかかい  不可解  こんな字、知らんかったわ。」  ほー。この時点で知ったか。
*「中間テストがひどい点になることはまちがいない。明日からだというのに、またテスト勉強を始めていないのだから。そこで、はじめわるけりゃ、みんなダメになりそうで、2年生はダメ。そうなると、3年生になり、大学に入る頃になってもあまりかんばしくないでしょう。」  困りもんだね・・  「まだテスト勉強を始めていない」ではなく原文通り「(今夜も)またテスト勉強を始めていない」が正しいなら、昨日今日あたりはと読めて、まだ重傷ではなさそうだが。  本文は、本心からそう見積もっているというより、やや大げさにおとしめて自虐しているにおいがあるんだけど(悲観というよりまだ余裕あると思いたいために?)、予知が半ば当たってしまい、高校後半、学力的に浮上することはあまりなかったかに記憶している。  2年の終わり、3年の終わりなど、英語の赤点で落第しそうになったはずだし。
*「T.S.エリオットの「荒地」を読みましょう。」  読んでません。知りませんな・・  wikiの解説をみても、どうも、食指が動かない。
*「「私は子供の頃、すなおでね、私のいったすべての事を信じたのですよ。」  こんな日本語ある?  この文の意味わかる?」  文章の通りなら、自分の口にした言葉がすべてほんとうのことだと感じていた、ということに近いと思う。演技、創作もすべてほんとうのことだと感じられる感性、というべきか。演技、創作、をしているという意識が無いレベルか。  すなお、というより、脳内の仕分けがまだ未熟だから? いずれにしろ、特殊な個性とは思う。だからといって、現実離れしている、嘘話というには、リアルが濃いなあ・・  (本項の「 」内は誰のセリフなのか。waka君の創作なのか、見聞きしたものなのか)
*「向学  尚学 }??」  尚学という語は一般的ではないようだけど、尚学館という名の学校はあるもよう。
*「シャをローマ字で書くと  SHA  SYA  >のどっち?」  パソコンのローマ字入力の場合、どちらのキー打ちでも、シャとなる。(私はSHAか)  よって、個人的実用的にはどちらでもよし。(不都合を感じず)  仮に、ローマ字を書かねばならない局面に遭遇したら、迷いそうだけど、外国人がシャと読んでくれそうなのは、SHAかな。なんとなく(笑)
*「病気で1日中、家のふとんの中でねている時、もっともたいくつなのは夕方でしょう。」  中学、高校は、ほぼ皆勤賞だったので、学校を休む、寝込む、ということはまずなかったはず。  しかし、小学生の頃は、わりと虚弱なほうで、しばしばあった。その頃の経験から言っていると思う。  病気で弱っているから、午前から昼にかけては寝たりおかゆを食べたりで、しおらしいわけだが、十分に睡眠をとってもう眠気がおきない夕方頃は、元気も多少戻ってきており、布団で横になっているだけでは、本項の通り退屈を感じやすかったかもしれない。
*「「§」とは、どういう意と音をもつ文字なのだろうか。それとも文字でないのか?」  ATOK文字パレットの文字情報では、節記号 SECTION SIGN という名称になってる。  「§1」で、section one と読まれるようだ。訳せば「第1節」か。
*「お父さんのかみだなには、マリアさまがあるのです。」  神道の神棚なんだけど、そうなんだよね、二十センチぐらいの、白い陶製のマリア像、神社の御札などの隣に。(今も、父亡き後の実家の神棚に立っている)  詳しいことは聞いていないが、なにか、ひらめきを感じてその像を手もとに残した、というふう。若い頃になにかまつわる事柄でもあったのかどうか。  横浜で生まれ育った少年時代に、教会にいった、かよったみたいなことは、聞いたことある。

 

 
5:01 2024/06/16 (日)


 風をひく。  ひどくなる  大風をひく。 ・・・?

        (1973/05/24)


 しづか
 しずか
        }?
 しづやか
 しずやか

        (1973/05/24)


 拠る  よる

        (1973/05/24)


 趨勢 :すうせい ○
    :すいせい ×

        (1973/05/24)


 「邪宗門」という本は二冊あるのではないの?
    北原白秋の詩集「邪宗門」
    だれかさんの小説「邪宗門」   タカハシワキ?
     だれだっけ?!  

        (1973/05/24)


 なんか、ぼくの心臓が今にもとまりそうな感じ。
 ぼくは心臓病か?
        (1973/05/24)


 ぼくはなにかというとすぐ、ありもしない才能をみせびらかしたくなるのか。
 そんな気がなくても、他が 他には みせびらかされているように感じることがあるようだ。
 この文章、わからん・・・・!!
 いや、そんなに悪い事ともおもわずに、むじゃきになって、ひかえ目な気持を忘れる事がよくある。

 そして、そういう心がおきていると知っても、自分で自分にしからないのだ。

        (1973/05/24)


 ぼくはこのノートに自分の良い面しか書いていないのでは。きたない事を告白するときにもかならず、反省 というより、いいわけ。 をつけくわえたり、ちゃかしたりするのだ。

        (1973/05/24)


 ノート
 ページ
  行 

        (1973/05/24)


 Aは異性Bを愛していたが、自分をとりこにするB、Bの美しさを憎んでいた。自分よりも上の存在であるBを憎んでいた。ある日、Bがトイレにはいった。Aもただ行きたいというだけで、となりの男子便所にはいった。小便だったか、大便だったか忘れたが二人は用をたした。AはBの用をたす音をきき、BはAの用をたす音をきく。限りなくみにくいとAは思う。Bがもし、Aがとなりにいるのを知っていたなら、同じように思ったにちがいない。(ゲロ〜〜〜 :筆者)

        (1973/05/24)


 プロ
     >この差!
 フロ

        (1973/05/24)


 よしてください ≒ よしこさん

        (1973/05/24)


 CM
       >?
 せんでん

        (1973/05/24)


 「ありがとう、○○君。いい友だちをもってしあわせだなあ。」といって、まだ何もしていない○○君にたのむ。

        (1973/05/24)


 ねている所をおそわれて食い殺される動物の心持はどんなだろう。

        (1973/05/24)


 心持ち
 気持ち
 心持
 気持
       >?

        (1973/05/24)


       名詞
 心持ち <      }?
       副詞

        (1973/05/24)


*「しづか しずか  しづやか しずやか   }?」  しずやか、静やか、なんて語はあったっけ?  → おお、辞書にあった。
*「「邪宗門」という本は二冊あるのではないの? ・・・ 」  Wikipedia によれば(有名どころで)三つある。  邪宗門(北原白秋。1909年)  邪宗門(芥川龍之介。1918年〜未完)  邪宗門(高橋和巳。1966年)
*「なんか、ぼくの心臓が今にもとまりそうな感じ。  ぼくは心臓病か?」  病ではなくて、症状でしょう。自律神経の乱れ的な、おおむね精神的な。  あくまでも、当時のwaka君の場合は。
*「ぼくはなにかというとすぐ、ありもしない才能をみせびらかしたくなるのか。 ・・・ そして、そういう心がおきていると知っても、自分で自分にしからないのだ。」  高をくくっている、という風かな。  ときどきそういう無邪気な嘘をついて、たまに窮する事態など招くこともあったのか、別の理由なのか、歳とともにそういうのはなくなった(わすれた?)気がする。
*「 ・・・ 小便だったか、大便だったか忘れたが二人は用をたした。AはBの用をたす音をきき、BはAの用をたす音をきく。限りなくみにくいとAは思う。Bがもし、Aがとなりにいるのを知っていたなら、同じように思ったにちがいない。(ゲロ〜〜〜 :筆者)」  自分で書いてて嫌悪感、だったか。  しかし、今からながめると、これはリアルでない気がするな。もしくは説明がたりない。  (1) 限りなくみにくい、と感じたとしても同時に、崇拝する女性のそれに快感もおぼえるのでは。  (2) ふつうは、人間の生理現象でしかたないことなのだからと、頭というより心が割り切って、しかも、現場を直接みるとかさわるとかではないのだから、意識からとぶ、気にしない、という反応なのではなかろうか。その時は多少妙な気がおこったとしても、共にトイレからでて相対すれば、共に感情の整理をして、ほどなくさっきまでの関係姓に復帰できるはず。ふつうは。  (3) むしろ、ともに、生き物の生々しさをさらけあったということで、あたたかいしたしみがわくような気もする。崇拝したり憎んだりという少々常ならぬ思いが、ちょとだけでも、フラットな、男女間、人どうしの間柄へと軟化しそうだ。
*「プロ フロ  >この差!」  なにを言ってるんだか(笑)  たしかに、半濁点のあるなしで、大違いなので、おもしろいけどさ、こんなこと気にしてたらキリがないよね。  ただし、昔、若い頃、「お風呂に入る」を「おぷろに入る」とくだけたり、おどけて言うことがあった。それが頭にあって、ふと両者を比べて、ということだったのかもしれない、この項は。
*「CM せんでん  >?」  私はcommercial を略してCMかと思っていた。  しらべたら、commercial message の頭文字。つまり、message のMだった。  なお、英語で CM は、 command module (宇宙船指令室)の略なんだと!?
*「「ありがとう、○○君。いい友だちをもってしあわせだなあ。」といって、まだ何もしていない○○君にたのむ。」  まだ交流らしいことは何もない、していない間柄の○○君に頼み事をする、という意。  ・・かと思ったが、何度か読み直したら、これは、まだ何もしてくれてはいない○○君に、先にお礼をいってから、頼み事をする、ということだろうと思えてきた。  前者も友情の押し売りふうで困ったちゃんだろうけど、後者のは事情によっては脅迫じみたもの言いになる。怖いよ。
*「ねている所をおそわれて食い殺される動物の心持はどんなだろう。」  寝込みを襲われる。食い殺される。二重につらい。  犬や猫がびっくりするのは何度も目撃して知っている。その様相は人間の場合とそっくり。びっくりしたあと真相が知れて笑ったり弛緩したりすることが多いが、これは殺害されるという最悪の進行。人間のうろたえぶりが二重写しで見えるので、あまりにいたわしい。  食い殺されるは、どこまで痛感があるのかなど、想像の域をこえてしまい、ただ怖い。  しかし、この程度のことをふつうにしているから、我々は美味しい肉が食えているわけだ。  おのれの欲せざる所を人にほどこすこと勿れ。そう曰った御方に、見解を訊いてみたくなる。  聖人でさえ、苦慮するのではなかろうか。  (それともあっさり、人ではないのでと、禽獣虫魚を殺め食することは肯定するのか)
*「心持ち < 名刺 副詞  }?」  こころもち○○する、の場合は副詞。

 

 
0:01 2024/06/09 (日)


 点

        (1973/05/23)


 何かをやろうと考えるのだが、やる気がでない。という心境。

        (1973/05/23)


 ぼくが、メガネをつけたりはずすごとに、かみの毛とメガネの柄がすれて、ふけがとぶのだ。

        (1973/05/23)


 このごろは、白いくつしたをはいてる男子が多いのだ。

        (1973/05/23)


 ストゥリート :道
                  }意と音が似てる。
 ストーリー :物語のすじ

        (1973/05/23)


 「〜がちがうやんけ ≒ 〜がちがうじゃないか」 ・・・・??

        (1973/05/23)


 「生態の文明史観」に使われていた図を忘れてしまった。

        (1973/05/23)


 もやしを食うとかならず歯にはさまる
 これをとるのにくろうするのだが、これもみみっちい事にかかわっているのか。
        (1973/05/23)


 臓書 ○
 蔵書 ×

        (1973/05/23)


 どうしておれは、勉強していると、夜勉強していると、いけない、いけないと思いながら、フトンをしいて、フクのままねてしまうのか。朝になって、しまったあ、といつも思うのだが。そこで、いくら早起きしても勉強をせねばならぬので、その日の授業に最低限必要な勉強をせねばならないので、学校にいく時間がおそくなり、今日は、ハヤアルキだった。

        (1973/05/23)


日本人教師「『口』は一見四画とみえるけど、三画だ、という事になっている。」
外人生徒「(適当だなあ。)」
日「『雄』という字を知っているかい? 『焦』という字も知っているだろう。『隹』以外の部分は『■(ナム)』と『■(四点)』で、ともに四画だね。そこで、『隹』は、他の四画のものともつきやすいんだ。たとえば『口』だ。一応、四画のようにみえるだろ。そこで『唯』という字もある。」
外「先生、それじゃあ適当です。さっきは三画といったのに。」
日「君は、これが四画でないから、だいたいにおいてそういう性質が得られないといいたいのだろう。ところが、この同じ画数の物が、同じつくりにつきやすいというのは、後世の人が字をしらべていってわかったものではないんだ。これは、昔の人が故意にそうやったのだよ。同じつくりには、同じ画数のものをって。ところが、『口』を、四画と考えた人々と三画と考えた人々が昔、いたわけだ。四画と考えた人は『隹』に『口』をつけたけど、三画と考えた人はつけなかった。だから、四画と考えた人にとっては正しかったのだ。今日三画と考えているけど、いちおう、『口』と『隹』がつくというのは、『口』が昔、四画と考えられたことのあるためなんだ。だから、これを、この性質の一つの表われとみて、例外とみる必要なないね。」
外「ハア、そりゃまあ、そうです。」

  └→ 完全ソウサク

        (1973/05/23)


 四画:「しかく」or「よんかく」とよむのか? 「画」を「ガ」とでもよまないのだろうか?

        (1973/05/23)


 〜とでも言おうか。
   └ この文法的解釈は?

        (1973/05/23)


 世紀末とは?
   マツ

        (1973/05/23)


 いつか、「渋江抽斎」や、藤村の物をよんでみましょう。

        (1973/05/23)


 2人の人が同時にちがう事を話したとしたら、文章にはどうやって示せばよいのか?
 「きちがい」「ばかやろう」
 というように、一行に書けばいいでしょう。 }?

        (1973/05/23)


 不成で適陣からでてきた銀は次に適陳にはいらぬかぎり成れぬのだろう。

        (1973/05/23)


*「何かをやろうと考えるのだが、やる気がでない。という心境。」  何かが何になるにせよ、やる気がでないだろう、という気がする。  やる気がでないので、何かをやろうと考えること自体が先に進まない。  どちらかだとは思うけど・・ 
*「ぼくが、メガネをつけたりはずすごとに、かみの毛とメガネの柄がすれて、ふけがとぶのだ。」  笑。そんなにふけ症だったっけ?  多少ふけ症で、それに気にしすぎの性格が加わって、このような自認となった、というところでは。
*「このごろは、白いくつしたをはいてる男子が多いのだ。」  小学校以来の、白っぽい靴下は女子のもの、という固定観念がありそう。
*「ストゥリート :道   ストーリー :物語のすじ   }意と音が似てる。」  なので、私は同じ語の変移かと思ってた。  あらためて、street story という綴りをみると、別字っぽいね。  当時も別字なのにという把握みたいだから、当時のほうが正しい認識だったようだ。
*「「生態の文明史観」に使われていた図を忘れてしまった。」  ただしくは、『文明の生態史観』梅棹忠夫。  waka君、ちゃんとこの単行本を購入して読んでいる。  そして、感心した。  なんといったらいいのか、ほとんど初めてかもしれない、物語とか小説以外で、学術書のようなもので、かっこいい、めからうろこ、という経験をしたのは。
*「もやしを食うとかならず歯にはさまる  これをとるのにくろうするのだが、これもみみっちい事にかかわっているのか。」  みみっちいと非難されるような人間はたぶん少数派なんだろう。  歯にモヤシが挟まっても気にならないようなやつは、ほとんどいないと思う。みみっちくないかもしれないが、逆に、鈍感、はしたない、とかでさげすまれそう。  みみっちい、鈍感、いずれも程度の問題。外れすぎていて気持わるいよ、と文句をつけるのは、かわいそうでは。それも個性だね、人それぞれだもんね、と容認してあげたらと思うけどなあ・・ (そのみみっちさ、その鈍感さでは、生きづらいのはあきらかだから、指摘してあげる、矯正させてあげようとしている、いわば親切な心づかい、なのかもしれない。そういうお節介をするしない、したいしたくないも、人ぞれぞれなのかなあ・・)
*「臓書 ○  蔵書 ×」  この○×は逆なのではないの。
*「 ・・・ そこで、『隹』は、他の四画のものともつきやすいんだ。 ・・・ これは、昔の人が故意にそうやったのだよ。同じつくりには、同じ画数のものをって。 ・・・ 」  とんでもないでまかせだね。  こんな教師に教わる外人生徒、災難でしょう(^^;
*「いつか、「渋江抽斎」や、藤村の物をよんでみましょう。」  『渋江抽斎』森鴎外。いまだに未読。  島崎藤村も、教科書に載っていた詩ぐらいか、いまのところ。
*「2人の人が同時にちがう事を話したとしたら、文章にはどうやって示せばよいのか?」  わりと難しいか。  文章は、順番に文字を追うという基本ルールをもっているので。  本文の方法は、そういう短い言い合いならありかもだけど、長いのになると先後に書くのと大差なし。  同時のことを先後で書いて、同時だったと説明するというのもありそうだが、すっきり感はだいぶ落ちる。  同時のことをごちゃまぜに書く、一行に二つの文字列を重ねるように書く、これらは視覚的には迫っているだろうけど、やりすぎで、文章の品格的にどうよ、という感じ。  落としどころは、双方のセリフをこまぎれにして、交互に書く、あたりか・・
*「不成で適陣からでてきた銀は次に適陳にはいらぬかぎり成れぬのだろう。」  推測で結んでいるが、それが将棋の正しいルールだから、断定でよかった。  それにしても、正しくは敵陣。書くほどにはなれてる(笑)

 

 
3:07 2024/06/02 (日)


 ぼくは先輩と火■君との対戦図をなくしてしまったのだ。

 ぼくは大阪からの電話におじいさんがいないのにいるといってしまったのだ。
 おじいさんはもう大阪にたってしまった後なのに、おじいさんへのまちあいなんかについての伝言をとってしまったのだ。
 やんなっちゃうな。どんな事がおこるかわかったものでない。一生をハメツさせるぐらいの事はおこりうる。
 今、電話をして、ア■■オバチャンの方は、ていせいした、お母さんの反対をおしきって。なるべく早いうちにいやな事、いやなしこりはなくしちゃった方がいいですねん。
 お母さんは、そんなみみっちい事で電話をする事ない、というのだよ。もっと心をおちつけてやれ、ちっちゃいことに気をつかうな、とよ。でも、ぼくはもう、そんなふうには生きられず、なるべく、きたないのや不快なしみをとっていって、いつも平和にくらしていけるようにしなければならぬ。正直にいかねばなりません、ナノダ。
 ぼくの生き方、行き方はまちがってるのかしらねェ。
 それとも、こういう、みみっちい事をみみっちく感じない心をもった方がいいかもね。この場合だって、べつに心は重くないのだ。でも、今からじゃ、ぼくにはなれんかも。
        (1973/05/23)


 ぼくは自分の事にばかり苦しんでいるんだね、やっぱり。

        (1973/05/23)


 妻も子どももつくって、なおかつ、こんなふうに弱々しいぼくであって、いつかその弱々しさを、そいつらにみせてしまったら、恥かね〜〜。

        (1973/05/23)


 人のまことにむくいて、自分のまことを示すのは、すべての人をまことにするためかもしれないけど、人のまことかどうかわからぬ事に、自分のまことでむくいるのは自分のためにだけやってるのかもね。
(書きなおし)
 人のまことにむくいるため、自分のまことを示すのは、すべての人をまことにするためかもしれないけど、人のまことかどうかわからぬ事に、自分のまことを示すのは、自分のためにだけやっているのかもね。

        (1973/05/23)


 ■■校では屋上にあがっていいのか?

        (1973/05/23)


 外国では、電話のうけとり人が金を払う。
   電話をかける人は、相手にわるいと思って、はやくきりあげようとする。

 日本ではかけた人が払う
   かけられた人はどうせ相手が払うのだと長話をしようとする

 ほんと?

        (1973/05/23)


 人間は自分の顔がみえず、他人の顔のみがみえて、それに反応する。世界はこのために動いているのか? 自分の顔がみえぬために世界が動くのか?

        (1973/05/23)

┌ つまり、みみっちくて、自分が正直だと思っているやつは、キチガイか?
 みみっちい事に気づかうのは、きちがいか? みみっちい事に気づかわなくても苦しくない人がたくさんいる。どちらが異常か、というと、むりに、みみっちい事を苦だと思う人の方がそうみえるのだ。
 かたわか?
 それともみみっちい事を気づかう人が増えるべきなのか。そうすれば、きちがいでなくなるのか?
 古人は、
  ・世の中がいやなので、それに対照する夢のような世界をひなんの場として考えた。
  ・世の中がいやになって、それに対照するすばらしい世界を、現実化するために、考えた。
  }とっちか?
        (1973/05/23)


*「ぼくは先輩と火■君との対戦図をなくしてしまったのだ。」  将棋同好会での対戦が、時間切れで次回に持ち越しとなった場合、その指し掛け図を書き写しておく、それを紛失してしまった、と。
*「ぼくは大阪からの電話におじいさんがいないのにいるといってしまったのだ。 おじいさんはもう大阪にたってしまった後なのに、おじいさんへのまちあいなんかについての伝言をとってしまったのだ。」  どこそこで待っているから、という伝言を承ったのに、本人はとうにでかけたあとだった、という失敗。  やらかしを列挙している。
*「やんなっちゃうな。どんな事がおこるかわかったものでない。一生をハメツさせるぐらいの事はおこりうる。」  悔やんでいるんだろうけど、これはおおげさ。  なんでもない伝言ミッションだと思ったのに、落とし穴があった、人間生きていると、いつなんどきどんな事がおこるかわかったものでない、一生をハメツさせるぐらいのこともこうして突然出来するのか。・・と言いたいんでしょう。  → もしかしたら、祖父がすでに出立していることは百も承知だった、見送りまでしていた、それなのに思考のエアポケットに落ちてしまい、いなければ意味をなさない伝言を受けてしまった。これでは、人は、オレは、どんなまちがいでもやらかしてしまうだろう。という不安、不信だったのかも。
*「今、電話をして、ア■■オバチャンの方は、ていせいした、お母さんの反対をおしきって。なるべく早いうちにいやな事、いやなしこりはなくしちゃった方がいいですねん。」  上以外にもまだやらかしていたようだ。  ア■■オバチャンの方、というのは、ここが初出で事情詳細は不明だが、流れは見えるな。  (母は三姉妹。すぐ下の妹がア■■オバチャン。その下の妹がス■■オバチャン。)
*「お母さんは、そんなみみっちい事で電話をする事ない、というのだよ。もっと心をおちつけてやれ、ちっちゃいことに気をつかうな、とよ。でも、ぼくはもう、そんなふうには生きられず、なるべく、きたないのや不快なしみをとっていって、いつも平和にくらしていけるようにしなければならぬ。正直にいかねばなりません、ナノダ。」  母親とwaka君と、性格の違いがよくわかる。親子なのに違うというのは、waka君の性格が父親譲りのきらいありということ?
*「ぼくの生き方、行き方はまちがってるのかしらねェ。  それとも、こういう、みみっちい事をみみっちく感じない心をもった方がいいかもね。この場合だって、べつに心は重くないのだ。でも、今からじゃ、ぼくにはなれんかも。」  うーん。文意が両方にとれるか。みみっちい事をみみっちく感じない、つまり、大事で大切だからおろそかにできないということなら、それはwaka君の心性だよね。みみっちい(細かい、気弱な)感じ方をしないってことなら、母のほうの心性。文脈からいくと後者のほうがすっきり通るんだよな。
*「ぼくは自分の事にばかり苦しんでいるんだね、やっぱり。」  これらをやらかして人に迷惑をかけているのに、それを申し訳ないと思うよりも、失敗してしまった自分を悔やんでいる、要は自分かわいさなんだね、と。
*「妻も子どももつくって、なおかつ、こんなふうに弱々しいぼくであって、いつかその弱々しさを、そいつらにみせてしまったら、恥かね〜〜。」  妄想的な飛躍があるようだけど、要は、妻子のいる大人の男になったあともみみっちいままというのはさすがに恥かなあ、その妻子の手前でも、という心配か。  大人の男としての責任と自覚をもつことはおおいに結構だと思うけどさ、だからといって、性格的なものも変えなければいけないってことはないのでは。  自分らしさ(弱さも含めた自分らしさ)は、大人の男と両立すると思う。しなければおかしいよ。
*「 ・・・ (書きなおし) 人のまことにむくいるため、自分のまことを示すのは、すべての人をまことにするためかもしれないけど、人のまことかどうかわからぬ事に、自分のまことを示すのは、自分のためにだけやっているのかもね。」  宗教哲学的なにおいのする項。  「人のまことにむくいるため、自分のまことを示す」これはわかる、なんかかっこいい関係姓ですらある。それが「すべての人をまことにするため」につながるという辺りが宗教っぽい。宗派というより、個人的な信仰、妄想的な理想理念のような。人類を誠実さで染め尽くすような。  「人のまことかどうかわからぬ事に、自分のまことを示す」ような一方通行な、空まわりな行為は「自分のためにだけやっているのかもね。」これはさびしい、というか、はためには滑稽、困った人、あわれみの対象にまでなりそうか。  ・・・ でもこういうのは、宗教の両面とも言えそう。滑稽で困ったちゃんで哀れんでいた人が、ある局面を境にして全く裏返って、この人こそが(この理念こそが)私たちを導いてくれる、救い上げてくれるのだったかと、悟る。わかってしまう。  ・・・ 怖いといえば怖いけど、妙といえば妙で、金と理屈だけの無情、強者に蹂躙される不条理、そんな世の中のどす黒い大口にただ丸飲みされてしまうよりはマシかもしれないしね。
*「■■校では屋上にあがっていいのか?」  母校は、最高三階か四階建てぐらいの校舎群だったような。  あたまは三角屋根ではなく平たかったから、屋上はそれぞれあったはず。なのに、屋上にのぼった、屋上からのながめ、こういう記憶が全くないな。誰かが屋上に行った、屋上で何々をしていた、そういう話しもまるで耳にしなかった気がする。  よって、屋上にはでられなかった、または、禁止されていた、そういうことかなあ・・
*「外国では、電話のうけとり人が金を払う。  電話をかける人は、相手にわるいと思って、はやくきりあげようとする。   日本ではかけた人が払う  かけられた人はどうせ相手が払うのだと長話をしようとする   ほんと?」  どうなんだろうね、外国といってもたくさんあるから。半世紀前と今でも違うだろうし。  それよりも本項、外国と日本をひとしなみに並記していないのでは。まるで外国人は思いやりがあって、日本人はしたたかみたいなことになっていないか。  → いや、それは錯覚か。受信者払いの場合、通話を発起した発信者が申し訳なく感じるのは自然だ。発信者払いの場合、通話を発起した発信者が金銭の責任を負っていること自体が自然だ。  つまり、通話を発起した発信者が金銭の責任を負わない受信者払い自体が不自然なので、双方に不自然状態を早く解消しよう(通話を早く切りあげよう)という動機が生まれる。逆に発信者払いの場合、不自然さがないので、早く切りあげようという動機が生まれにくい。そういうことでいいのかも。(思いやりやしたかさとみえるものは制度のゆえであって、逆の制度なら外国人と日本人も逆の様相に見えるはず)
*「人間は自分の顔がみえず、他人の顔のみがみえて、それに反応する。世界はこのために動いているのか? 自分の顔がみえぬために世界が動くのか?」  直観的、もしかしたら意外とうがっている、と感じるけど。  〔人は内に心があって、外に顔がある。ただし、内にあるのは自分の心でも、外にあるのは他人の顔ばかりである。鏡に自分の顔を映していると思っても、それは自分であやつることのできる他人の顔という変種にすぎない。〕と言い替えると、すこし謎めいていてかっこいいかも。
*「 ・・・ みみっちい事に気づかうのは、きちがいか? ・・・ 」  こだわるね。  母親(または女性)に指摘されると、ダメ出しされると、割増しで気に病むタイプなのかな、waka君。
*「古人は、  ・世の中がいやなので、それに対照する夢のような世界をひなんの場として考えた。  ・世の中がいやになって、それに対照するすばらしい世界を、現実化するために、考えた。  }とっちか?」  みみっちい論議の続きだが、一度飛躍してから浮かんが設問、ということのようだ。  単なる避難、逃避か。反転攻勢の足がかりにしようとしたか。  ・・・  みみっちいは、個性、性格的なものと思っているようだけど、今なら、客観的に診てもらうとしたら、強迫神経症的なものも考慮されるのかもなあ。

 

 
03:49 2024/05/26 (日)


 外国人の使う「外国」という言葉を自国で使ったらどうなる?

        (1973/05/22)


 「観」に「見る」という意味があるか?

        (1973/05/22)


 日本人がみんなスーパーマンみたくなったら、ソ連とアメリカが身の危険を感じて、すぐ核バクダンをおとしにくるだろう。

        (1973/05/22)


 冷凍睡眠から前時代の賢人がよみがえり、危機にひんしている地球を救う。
 (小説化)
 銀河帝国の興亡のハリ−セルダンみたい。
        (1973/05/22)


 C組のあの人に似た人(シバ■さん?)と どこの組になったか知らんけどい■さんはとても美人にみえます。近視眼でも。(近視眼だから?

        (1973/05/22)


 カゼがはやっているそうです。

        (1973/05/22)


 五■■君はとうとう、退学したそうです。  ついに顔をみなかった。
   ドドー!!
              5/18日づけ

        (1973/05/22)


 「づけ」の用法は?
 or「つけ」

        (1973/05/22)


 昔は男尊女卑
 都会優先
  単純労働=低賃金

        (1973/05/22)


 宮沢賢治の物語はいい、とってもいい。ぼくにとって、最高級レベル。
 彼の本をいくらか手もとにおいておきたいね。
        (1973/05/22)


 ■■校文学クラブにいたことのある、ある作家は宮沢賢治に触発されて作家になったとよ。

        (1973/05/22)


 膚
   >ハダ?
 肌

        (1973/05/22)


 回 → ◎

        (1973/05/22)


 いく
 ゆく
 いぐ ( → こういうことばはあるの!!??)

        (1973/05/22)


 ちょんまげ
 ちょんちょん ちょっぴり  ?
        (1973/05/22)


 すもうの、こしくだけ部屋

        (1973/05/22)


 たのしい
 おもしろい
  ゆかい

        (1973/05/22)


 〜だからにして

        (1973/05/22)


 〜さん
        >ともに、「S」の音がある。
 〜せんせい

        (1973/05/22)


 現国教科書P72L14〜P73L2
 かならずしも三島由紀夫のいうとおりにすることはない。
 しかし、三島由記夫の文章は、すんなり読める。

        (1973/05/22)


*「外国人の使う「外国」という言葉を自国で使ったらどうなる?」  設問の意味がとりづらい。言葉が足りないよ。  単純に考えれば、その外国人の自国語で「外国」を意味する言葉、これをその外国人の自国で使ったら、どうなる? ということだろうけど、特別なことは何も起こらないのでは。  わかりやすいように、日本人の使う「外国」という言葉を日本で使ったらどうなるか、と考えれば。  それだけのことなら、設問自体が立たない気もするので、別の意味が含まれるのかなあ。  例えば英語の foreign country の場合だが、辞書によれば、foreign には「よそもの」というような疎外感があるそうで、本人に面と向かって言うのは失礼になる場合があるようだ。(日本語の、異人に近いのかも)  そういう差は、「外国」を意味するそれぞれの国の言葉で、様々ありそうだから、そういうことが知りたい、気になる、ということかなあ。  →  あるいは、外の人間が外という言葉を使うとして、その人間の立ち位置が、外なのか内なのかによって、外のもつ意味が変わるのではないか。  場合によっては、立ち位置によって、外という言葉自体が変形変容または真逆になったりするのではないか。  そういう、おおまかな疑問が浮かんだってことかもね。  (これを具体的な設問に直すのが、めんどうで、よくわからなくて、言葉を足さなかった、とか)
*「日本人がみんなスーパーマンみたくなったら、ソ連とアメリカが身の危険を感じて、すぐ核バクダンをおとしにくるだろう。」  妄想の途上に生じた懸念、というところか。  たらればに答えるなら、すぐ核爆弾を落としはしないだろうけど、核のボタンに指を触れながら、調査や交渉をしてくるのでは。  無視ってことはないと思うけど。  妄想に助言するなら、  (1) 日本人が先行したけど、あなたたちも続くことができるんだよ、という情報を与えれば、だいぶ警戒はゆるむのでは。  (2) スーパーマンのような能力の中に、無視させるなどの意識操作のようなものがあれば、もっとずっと簡単だろう。人類の危機ではなく、日本という国で最近流行りだしたスポーツとか趣味とかていどに思わせれば、よいわけだ。  (3) 覚醒した少数の先人が賢者であれば、たぶん、そういうことまで見通して、自分たち新人類がすこやかに育ちひろがるように、旧人類と折り合いをつけていけるように、工夫してくれるのでは。(このあたり、たしかに、後ろの項でいう、アシモフ作『銀河帝国の興亡』にかぶるところがありそうだ)
*「冷凍睡眠から前時代の賢人がよみがえり、危機にひんしている地球を救う。 (小説化)  銀河帝国の興亡のハリ−セルダンみたい。」  まねしんぼみたいだから、小説化はどうよ、もっとなにかあれば、って迷ってるところ?  ほとんどの場合、物語は実らないんだが、こうして想をこねくりまわしているときもいわば創作、創造、もしかしたらいちばん楽しいときかも。
*「C組のあの人に似た人(シバ■さん?)と どこの組になったか知らんけどい■さんはとても美人にみえます。近視眼でも。(近視眼だから? 」  C組の書記、シバ■嬢は、どうも中学時代の想い人に似ているらしい。シバ■嬢自身の顔立ちの記憶はほぼないんだが、そうであるなら、堅実でしっかりした人柄を感じさせる美人か。  この年の秋の修学旅行のしおりをみると、い■嬢は2年G組。waka君のA組とはだいぶ離れていて様子がよくわからないのでしょう。い■嬢は妹タイプの美少女で、素直そうで幼げでもあり、男子に夢を見させるような外見だった。が、笑顔の記憶はあまりない。(結局したしい間柄になることはなかったのではっきりしたことはわからないが、伝え聞くうわさなどによれば、外見とは別のちょっとくせのある女子だったのかもしれない)
*「五■■君はとうとう、退学したそうです。  ついに顔をみなかった。 ・・・ 」  中学の模試で、500点満点獲得の、伝説級の天才児。  模試は、全国または関東ぐらいなのか、年に一回ほどの大きなやつ。そのときの、唯一の全教科満点獲得者。模範解答のプリントだったかが主催者から配られたんだが、そこに氏名入りで、優秀成績者が掲載されていた。つまり、同世代の中学生ほぼ全員の知るところとなった、いわば有名人。千葉県だけど他校中学の生徒だった。こんな化け物みたいのもいるんだなあ、と思っていたら、高校がwaka君と同じだった。しかし、最初から学校にこなかった・・ という事情。  まあ、高校に行かずとも彼なら、大学に進めたと思うけど、彼がその後どうなったのか、記憶にない。  (今、ネット検索すると、姓、生年、出身地の符合している、なんとなく彼っぽい精神医学の先生がいる。経歴を見ると、別学部で東大に二度入っている!?)
*「昔は男尊女卑 都会優先  単純労働=低賃金」  半世紀前でいう昔、おおむね太平洋戦争敗戦以前までは、はっきり男尊女卑の世の中。  本項の書かれた半世紀前、新憲法の下、建前、公では男女平等だが、現実社会、世間では昔とたいして変わらず、少なくも男性優遇、女性従属で、老若男女、ほとんどみながそういうものだと(理想や決まりをりっぱな文章で書いたとしても絵空事だろうと)思っている。  現在、公私とも差別は許されないことになっているが、男の本音部分ではそうでもないかも。  あとの二つ、都会優先、単純労働=低賃金は、これらも並記されているので、太平洋戦争以前まではそうであり、または当時もなごりで問題ありそうということだろうけど、現在の記事かと思うぐらい同じだね。 (または、新憲法の下では、単純労働=低賃金も差別のような気分が生じていたのかも。都会優先も? だから、こういう悪弊はもう許されない、少なくともすでになくなる流れにのった。そういう意をくんだ簡略記載になるんだろうか) (これらがwaka君の意なのか、TVとか授業で言われたことを引き写しているだけなのかは、これだけではよくわからないが)
*「宮沢賢治の物語はいい、とってもいい。ぼくにとって、最高級レベル。  彼の本をいくらか手もとにおいておきたいね。」  ほとんど最初に読んだのは、小学五六年生の頃、家の隣に建っていた社会センターという施設(現在は駐車場になっている)の児童用の階の小図書室にあった、宮沢賢治の童話集。青い表紙で五センチはある分厚い重い本。  のめりこむぐらいだったけど、一番衝撃を受けてあとあと思いだしたのは『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』。タイトルからして異質で、物語の内容もすばらしくてすごいと思ったけど、原稿が抜けているとか文字が不明だとかがそのつどそのまま書かれてあって、子供向けに直されていない、現実の本当の何か、という感触がずっと心に残った。
*「■■校文学クラブにいたことのある、ある作家は宮沢賢治に触発されて作家になったとよ。」  天沢退二郎氏だろう。高校、そして文学クラブの大先輩ということになる。waka君が産まれた頃にはもう卒業していたようだが。
*「ちょんまげ  ちょんちょん ちょっぴり  ?」  辞書を見ると、江戸時代の男子の髷(まげ)にも種類があり、「ゝ」に似ている結い上がりのものをちょんまげといったとか。
*「すもうの、こしくだけ部屋」  笑。  真面目風だったのに急にこんなのが現われるとふきだしてしまうよ。  これは、考えてつくったものではないな。  相撲放送とかで解説者のいうこしくだけを耳にして、見えるようなピッタリの語だとちょっとうれしくなった。心で反芻してたら、またピッタリ、耳縁語の部屋(べや)がくっついた。ってところ。
*「たのしい おもしろい  ゆかい」  しやいを共有して、意味もほぼ同じ、waka君の喜ぶ、意と音の類縁が匂う。  それに気づいたのでここに書いたと思う。  でも、語素を検討すると、面が白いだから、楽し、のしとは別で、ゆかいのいは形容詞のいではない。  別なのに同じような感覚で言われたり聞かれたりしているかも。waka君でなくとも。  わりと深いよね。
*「現国教科書P72L14〜P73L2  かならずしも三島由紀夫のいうとおりにすることはない。  しかし、三島由記夫の文章は、すんなり読める。」  そこに載っている三島由夫の文章はもう確認しようがないけれど、小説ではなく論説みたいものだった。文章に一番大切なのは品格である、と言っていた。おぼろな記憶。  三島割腹が1970年。川端康成ガス自殺が1972年。1973年前後の高校の現国教科書に、両氏の文章が載っていたってことか。(川端は『伊豆の踊子』だったか)。今なら自粛とか遠慮とかありそうだ(あったとしても川端の死は近すぎて差し替えする時間はなさそうだけど)。  今、現在も、両氏の文章は教科書に載っているのかもね。半世紀経って、あったとしても自粛、遠慮の時期はとうに過ぎて、歴史になってしまっているだろうから。  それともあるいは、当時も今も、そういう配慮は、こと文学者に限ってはほぼなかったのか。  なにか、わが国の詩歌や文筆方面の伝統では、生と死は地続きのようになっているので、または死を越えたところにあると信奉されている気がするので。

 

 
04:03 2024/05/19 (日)


 ト書 とは??
  がき

        (1973/05/21)


 メガネ屋にしても歯医者にしても、ハイカラな文明の利器をふんだんに使っている。ぼくはこのごろ目や歯がわるくなって、なんか、老化したみたい。

        (1973/05/21)


 母親がいないと、女の子はじょうちょ深くならないのかしら。というのか、人並みよりすこしだけじょうちょがおとるようになるのかしら?
 父親、母親は、子供にとって重要でしょう。
        (1973/05/21)


 ぶっちゃける

        (1973/05/21)


 コーラを牛乳でわって、時がたつと、牛乳がかたまるとよ。

        (1973/05/21)


 人は自分を知識人に、高級にみせたいので、悲劇を書くのか? ぼくはこんなに悲しいんですよ、といって、人にあいされたいのか?
 小説家は、その人がどれほど悲しいか、なのではなく、その人の小説がどれほど感動的かできまる。どれほどすばらしい文章かできまる。どれほどすばらしい真心かできまる。

 むりに悲しい物をかいて、その悲しさできたない文章をカバーしたり、ひとりよがりになるようではいけない。
        (1973/05/21)


 まちがったいすにすわっていると、しせいまでわるくなるか?

        (1973/05/21)


 メガネをかけると、食卓からもテレビを楽しめる
                   ハハハ、と笑うものとはかぎらんよ。

        (1973/05/21)


 楽しむ = 味わう
     =  ・
        ・
        ・

        (1973/05/21)


 いい駒でヘボな勝負をやっちゃ、駒にかわいそうか。

        (1973/05/21)


 6/17の音楽クラブの発表会はいくようにしましょう。勧めてくれるものをやめるのはわるいよ。
 ぼくは、を悪くされるのがいやなのか?
 人気のなくなるのがいやなのか? 少なくともそういう理由をつけて、ぼくは、ぼくにいかせようとしたのだ。友だちずきあいはわるいよりよい方がよく、すすまれてそれにのれば、こちらがすすめたときもあちらがのってくれる、というのが常識。
 ほんとうに友だちずきあいはわるいよりよい方がいいのかい、■■君。
        (1973/05/21)


 イ■■ちゃんは東金というはなれた地にいて、孤独感をつよくさせられるので、友だちずきあいがいいいのか?

        (1973/05/21)


 ぼくはときどき鏡をみて、ときどき、おれの顔もすてたもんじゃない、と思う事があるのだが、今、トイレの鏡でみたぼくの顔はひとつもハンサムでなかった。

        (1973/05/21)


 終わりを象徴するのは、句点。つまり、○である。日本では、少なくとも今、このときのぼくにとっては。

        (1973/05/21)


 小説家は、その思想を頭の中ではまとまった言葉にできず、小説に書いてその小説の上ではじめてそれをまとまらせる事のできる人か。
 この文章も頭が狂うほどわからんのだ。
        (1973/05/21)


 ある青年Aは、勇気をだして、B子をデートにさそう。Aは、ねはまじめで、小心なやつなのだが、B子の気をひこうと、男の野生にあふれた不良のようにすごむ。B子はそれをまにうけ、こわいこわいと思いながらもAからにじみでてくる真心を信じて、彼にしたがう。にあいのカップルだと思いませんか?

        (1973/05/21)


 カレーライスが、|すごォく|たべたいな。
         | すぐ |        }というCM。
         | とく |

        (1973/05/21)


 ぼくなんかに美しい 愛はこないだろう。でも、じみちな真心のこもった愛なら・・・ うぬぼれ??

        (1973/05/21)


 ぼくなんかに
 ぼくになんか

        (1973/05/21)


 「あんまり、こんなオオカミのむれの中にいちゃあぶないですよ。」
 「まっ。羊のむれじゃないかしら、― じゃさよなら、みなさん。」

        (1973/05/21)


*「母親がいないと、女の子はじょうちょ深くならないのかしら。というのか、人並みよりすこしだけじょうちょがおとるようになるのかしら?」  半世紀前の、高校生男子の、素の疑問、だが・・  偏った見方で、配慮も足りない、と強く否定されるはず。今は。
*「コーラを牛乳でわって、時がたつと、牛乳がかたまるとよ。」  伝聞らしいが、試したヤツは本当にいそうだ。  飲んだ(食べた?)ヤツは・・   (きもちわるい、が、意外と美味いのかも!?)
*「人は自分を知識人に、高級にみせたいので、悲劇を書くのか? ぼくはこんなに悲しいんですよ、といって、人にあいされたいのか?  小説家は、その人がどれほど悲しいか、なのではなく、その人の小説がどれほど感動的かできまる。どれほどすばらしい文章かできまる。どれほどすばらしい真心かできまる。 むりに悲しい物をかいて、その悲しさできたない文章をカバーしたり、ひとりよがりになるようではいけない。」  小説家志望の高校生が、あるべき小説家像を思って、自らのいましめとして書いている。その域の話、として読めば、まあまあかもだけど。そういう前提なしならば、いくつかつっこみたくなるわな・・  ちなみに、悪い例として想定している小説家の書いたものを読めば、そのまずさは読者にはあからさまでしょう。そんなものは書くなよ、書いても気づけよ、と。  ふつうそんなものは、小説家本人、編集者、読者によってダメ出しをされるから、本屋に並ぶことはないだろうが、まちがって並ぶようなこともないとはいえない。そんな本は買うなよ、宣伝や名前にだまされるなよ、と。  (ただし、たいていの場合はね。さまざまな書き手がいるので、悪い例のはずの作家のよろしくない動機による作品が、あやしい輝きを放ち、ぶきみな熱を帯びる、そういうこともないとはいえない、かも)
*「メガネをかけると、食卓からもテレビを楽しめる。」  千葉の家(家業の社宅。うらのうちと呼んでいた。現在駐車場)の台所兼食卓は、テレビのある居間の隣だった。
*「6/17の音楽クラブの発表会はいくようにしましょう。勧めてくれるものをやめるのはわるいよ。  ぼくは、を悪くされるのがいやなのか?  人気のなくなるのがいやなのか? 少なくともそういう理由をつけて、ぼくは、ぼくにいかせようとしたのだ。友だちずきあいはわるいよりよい方がよく、すすまれてそれにのれば、こちらがすすめたときもあちらがのってくれる、というのが常識。  ほんとうに友だちずきあいはわるいよりよい方がいいのかい、■■君。」  友だちづきあい。すすめられてそれにのれば。  本音では行きたくなさそうだ。(高校の音楽クラブって、上品で壮麗な演奏という印象で、たいてい歌詞はなく、あっても外国語かきれいごとで、人の情にしんみりしたり、ノリのよさを楽しんだりとはまるで違うように思え、実際そうだったはず。少なくとも当時は)  → 翌月、6/17日曜日の記事をみると、音楽会のことはなにもない。将棋大会の日で、そのこと中心になっている。どうやら、本業(将棋同好会)優先で、すっぱり上書きされたもよう。
*「イ■■ちゃんは東金というはなれた地にいて、孤独感をつよくさせられるので、友だちずきあいがいいいのか?」  県外の人のために説明すると、waka君の高校のある千葉市は内房側(県の西側、東京湾)、東金市は外房側(県の東側、太平洋)で、県中央のくびれ部分とはいえ遠い。丘陵越えがあり、通学は片道一時間半はかかったのでは。  (waka君は自転車で十五分。申し訳ないぐらい)
*「ぼくはときどき鏡をみて、ときどき、おれの顔もすてたもんじゃない、と思う事があるのだが、今、トイレの鏡でみたぼくの顔はひとつもハンサムでなかった。」  笑。  昔、会社の同僚から、うぬぼれ鏡、というのがあるって聞いたのを思い出した。  鏡ごとのうつりによってかっこよく見えたり見えなかったりする。光の具合とか背景、大小、角度、または場の雰囲気、そういうのがあるんだろうな。  でも、鏡ではなく、映している本体のほうの出来不出来も、思っている以上に移ろっているのかもしれない。
*「終わりを象徴するのは、句点。つまり、○である。日本では、少なくとも今、このときのぼくにとっては。」  かっこいいけど、ほぼ意味不明(^^;  ポエム、ということならありかな・・  まあ、しいて言えば、調和、至善、大団円、そういう連想は浮かぶ。  ○のような終わりが欲しい、という気持ちがあるのか。  何の終わり? まさか自分の終わりではないと思うけど。  いろいろな懸案の、円満な、すっきりした終わり? 
*「小説家は、その思想を頭の中ではまとまった言葉にできず、小説に書いてその小説の上ではじめてそれをまとまらせる事のできる人か。  この文章も頭が狂うほどわからんのだ。」  爆。  いや、まじめに書いてるんだろうけど、なんか可笑しい。
*「ある青年Aは、勇気をだして、B子をデートにさそう。Aは、ねはまじめで、小心なやつなのだが、B子の気をひこうと、男の野生にあふれた不良のようにすごむ。B子はそれをまにうけ、こわいこわいと思いながらもAからにじみでてくる真心を信じて、彼にしたがう。にあいのカップルだと思いませんか?」  まあ、いわれてみれば、か。  そんなバランスの夫婦もいるか。  勇ましい兄いに、あこがれるその弟分の、ささやかな家庭とか。TVか映画かで、既視感がある。  (長く連れ添えば、虚飾はおちていくだろうけど。虚飾だったものが本物になったりもまれにあるだろうけど)
*「カレーライスが、|すごォく| すぐ | とく |たべたいな。 }というCM。」  これも、だいぶ意味不明気味。  たぶん、CMについての云々ではなく、TVCMをきっかけにした気づきを言いたい。  |すごォく| すぐ | とく | この三語の音と意の類似、変移していくかのようすを言いたいのでは。
*「「あんまり、こんなオオカミのむれの中にいちゃあぶないですよ。」 「まっ。羊のむれじゃないかしら、― じゃさよなら、みなさん。」」  男女の気のきいた会話を書いてみたかったか。(TVドラマ辺りに触発されて)  つたないね。せめて、もっと削ぎ落として欲しかった。  → いや、これは、男どもの中の女子という構図を描いている。二行なのに、それぞれの気持ちが想像できて、ひろがりまであって、よし。と誉めるべきなのか。

 

 
00:00 2024/05/12 (日)


 ぼくは自分が、キチガイだとして、あまやかしている。キチガイなら、勉強しなくてよいとして、あまやかしている。

        (1973/05/21)


 あのときキチガイになったのだろうか? まさか。 安心するために、キチガイになるようにしてためしてみよう。

        (1973/05/21)


 弁当のサツマイモのマヅイ事!!
         マヅイというよりあますぎる。
        (1973/05/21)


 美女とすれちがいざまに、ふくぶに鉄けんをくらわせる。
 忍者マンガのみすぎ。
        (1973/05/21)


 美女のつうちぼをまちがえてみてしまう。  美女でなくてもいい。
 中学3年のとき、つぼ■さんのテストの成績表をまちがえてみてしまった。とっても、点がよくて、ぼくは自己ケンオ。
        (1973/05/21)


 歴史は循環か、発展か?

        (1973/05/21)


 日本に流入した。 
            >日本でいう
 日本から流出した。
                            }??
 日本に流出した。
            >日本以外で言う。
 日本から流入した。

        (1973/05/21)


 チョコリザとは?

        (1973/05/21)


 ぼくはこのごろの体そう(体育)には半ズボンでなく、長ズボンをはくのだ。

        (1973/05/21)


 体育 たいいく
           }?
     たいく

        (1973/05/21)


 6/17にあるとかの■■高音楽クラブの発表会に行こうか、行くまいか。

        (1973/05/21)


 今、何か、自分という物がわからなくなった。■■和香■という人間が自分だという感じが、ちょっとわからなくなった。■■ワカ■■のかっこをして、■■和香■のような心をもった自分というものがわからなくなった。

        (1973/05/21)


*「あのときキチガイになったのだろうか? まさか。 安心するために、キチガイになるようにしてためしてみよう。」  あのときが、いつのなにをいうのか、今となってはよくわからない。
*「美女とすれちがいざまに、ふくぶに鉄けんをくらわせる。」  爆。  やってはいけないのが、閃いたんでしょう。  このあたりの流れで、やってはいけないと安心するために、やる、がありそう。あぶない。
*「中学3年のとき、つぼ■さんのテストの成績表をまちがえてみてしまった。とっても、点がよくて、ぼくは自己ケンオ。」  坪■嬢は、背高めの子だったかな。ぼんやり雰囲気的になら顔思いだせるけど。  まちがえて見ただけなら、他人の成績だし、嬉しくも悲しくもないと思うんだが。  うらやましいぐらいはあるかもだけど、どうして自己嫌悪?  まちがえた失敗を恥じて? (秘部をみたようで) それとも、嫉妬して?
*「チョコリザとは?」  検索したら、パキスタンのカラコルム山脈にある山と判明。  お菓子かと思ったよ。
*「体育 たいいく  たいく  }?」  生徒だった頃、「体育の授業」を「たいいくのじゅぎょう」ではなくもっぱら「たいくのじゅぎょう」と言っていた。まちがいない。  同じ例がないかと思ったけど、愛飲、会員、定員、敗因、兵員など、みな、いい、とちゃんと二音で発声する。しかしこれらは、後ろ三音が「いいん」であって「いいく」ではないか。  → 「飼い犬」はどうか。これは似てる。「かいいぬ」なんだけど「かいぬ」に近く発声するようだ。ただし、たいく、の場合よりはもうちょっとだけ、いー、と伸ばし気味か。  体育の育があまり意識されないのに比べ(アクセントは体)、飼い犬は犬が主体(アクセント)だから?  → 若王子(わかおうじ)という姓があるけど、わかおじさん、と聞こえたり呼んだりがあると思う。これもなにか似てる。  (検索したら、主に千葉県、全国でやっと200名様ぐらいのレア苗字のもよう。珍しすぎて例としてあげるのは不適だったかも)

 

 
00:46 2024/05/05 (日)


 ほんとに気が狂うような不安な気持が、心の中にある。
        のではないかという
→ この気持にプラスして、ベントウがうまくないのだ、という予想の気持がある。
        より、おちつかないものをたして、
 なにしろ、サツマイモとシャケだもんね、おかずは。
→ この文章も、いいたい事を、ハッキリとしめしていない、頭のコンランスル文章だ。
        (1973/05/21)


 ぼくは、そのときより前に、「あぶない事になるかもしれない事」をやってしまったことにきずくと、すでにあぶない事にはならない事がわかっていても、あぶない事がおこらずにすんでいても、気が狂うほど混乱する。いや、あぶない事がおこらずにすんでしまったのでそう思うのだ。むねをなでおろさずにむねをかきむしるのだ。
 ころびそうになってころばないと、いちどころんでみる
 なんかにぶつかる所なのにぶつからないとぶつかってみる。 そうしないと気がすまない。

 おこらなかったあぶない事がもしおこったら、あぶなかったと思うだけで不安になる。そこで、もしおこってもあぶなくなかったという安心を得るために、そのあぶないような事をやってみて、なんだ、こんなところかと安心したいのだ。
        (1973/05/21)


 そうしないと   →これを
 とうしないと
  と しないと   ←これによみまちがえる。

        (1973/05/21)


 混乱した気持に数学の問題は不適当

        (1973/05/21)


 書きたくてかかっなかった事がたくさんあるだろうなあ。

        (1973/05/21)


 末 マツ
       >?
 未 ミ

        (1973/05/21)


 利息の問題わからない。
  この字でいいの?

        (1973/05/21)


*「そうしないと →これを  とうしないと   と しないと ←これによみまちがえる。」  前項の文中の、そうしないと、が、そ、と、の類似で、とうしないと、に見え、脳内変換で、としないと、に読めてしまったよ、と。  (意味はほぼ変わらないし、自分だけのノート上のたった今のまちがいなので、それによって不利益が生じた等はなにもない。このまちがいかたが気になる、かゆいような、書き残したい、ということでしょう)

 

 
01:55 2024/04/28 (日)


 まちがえられて、キチガイ病院に。きちがいのまね、
 「おれは詩人だ、詩人だ」≒「きちがいだ、きちがいだ。」
 でも、だれもまねとはみてくれない。そのうちに、
 「おれはほんとはきちがいじゃないんだよ。」
 とさけぶ。だれも信じてくれない。
 この人はキチガイか、マトモか?
 もしも、キチガイ病院にいれられたら、いれられた人人だれであれ、まともであれ、なんだろうと、キチガイとみられる。
 そしてほんとうにキチガイになってしまう。なぜなら、みんなキチガイなのだが、だれも他人の事をキチガイとはいわぬ。そして、キチガイとはキチガイ病院にいる人だとしてしまう。

        (1973/05/21)


 どうも、いいたい事をそのまま文にできぬ。

        (1973/05/21)


 おれは、相対主義、懐疑主義か?
 情報混乱の時代にこういう人が多い。
        (1973/05/21)


 おれは今、キチガイの心を持っているのか?

        (1973/05/21)


 心がおちつかなくて、くるしいよ。

        (1973/05/21)


 ざくろはいつさくのか?

        (1973/05/21)


 日本でも、みんなが、はしゃぐようなおまつりがないかしら?

        (1973/05/21)


 子どもの頃にかえりたいよう。 ← 正直になればかえれるか??

        (1973/05/21)


 春は、みんなうかれたがるので、西欧ではイースターやエイプリルフールがあり、日本ではシャカのたん生日やゴールデンウィークがあるのか?

        (1973/05/21)


 人に、「おまえはいい、」といわれたとき、自分に、その人に対する疑いがなければ、赤くなるでしょう。
 この文章は、頭が混乱するほどわからん。
        (1973/05/21)


 頭が混乱するときは、まことに、まことに、苦しい。
 気持ちのやりばがなく、いき所のないエネルギーが、頭の中をすごいスピードで回転し、つくろうとするちつじょをどんどんこわしていってしまう。こわれたちつじょは、いき所のないエネルギーとなり、加速度的に回転は、はやまる。そういうときは、さけんだり、バクハツ的な事をしたり、ねむっちゃたりして、ただただ忘れる事にセンネン。その混乱に正々堂々とたちむかって、それを、収拾する力がぼくにあったらな・・・。

        (1973/05/21)


 まつげがとれて目にはいるといたいよ。

        (1973/05/21)


 まぶたがひちゃむける(=ひんむける=?)とキモチワルイ。
 なんといったらいいのか、マブタがうらがえしのようになる事なのだ。
        (1973/05/21)


*「 ・・・ そしてほんとうにキチガイになってしまう。なぜなら、みんなキチガイなのだが、だれも他人の事をキチガイとはいわぬ。そして、キチガイとはキチガイ病院にいる人だとしてしまう。」  なぜなら以下は、人はみなキチガイなのだが、ふつう世間ではだれも他人をキチガイ呼ばわりはしない、キチガイとマトモの区別は、キチガイ病院に入っているいないで判断されるだけだから、という意味でしょう。  こう読み取れば、なかなかマトモな小論になってる。  (なかなかマトモな小論ながら、文章がわかりづらい)  (マトモだとしても、キチガイがそのまま掲載できる言葉ではなくなっているな、現在は・・ こういう片隅のサイトだし、伏せ字にするとさらにわかりづらいので、お目こぼしを・・ )
*「どうも、いいたい事をそのまま文にできぬ。」  おお、当時のwaka君も自覚してる。まだまだ未熟。  (今もやっと、まだ未熟程度なんだろうけど)
*「心がおちつかなくて、くるしいよ。」  心身不安定の中にいる模様。  脳内で変なのが分泌されている状態か・・
*「人に、「おまえはいい、」といわれたとき、自分に、その人に対する疑いがなければ、赤くなるでしょう。   この文章は、頭が混乱するほどわからん。」  爆笑。  わからないことはないよね。「おまえは要らない」とも「おまえは良い」ともとれるから、言った人を信頼敬愛していれば後者に聞こえるので、恥ずかしくて赤面するってことでは。  自分でそれを書いた直後なのに、意味がとれないってことは、たしかにどこかネジが抜けているのか。あるいは、もうちょっと深い意味があるのか。  (もうちょっと深い意味。信頼敬愛している人におまえは要らないという意味で「おまえはいい」と言われたのなら、申し訳なさまたは怒りに近い感情がわいて紅潮するってことはありそう。「おまえは良い」という場合でも、善行をほめられたのか、人として好きだと告白されたのか、など単純ではなさそう。こういう広がりすぎる想念がいっぺんにおしよせてきて、頭が混乱した、さばききれない心の状態になった、のかもしれない)
*「 ・・・ 気持ちのやりばがなく、いき所のないエネルギーが、頭の中をすごいスピードで回転し、つくろうとするちつじょをどんどんこわしていってしまう。 ・・・ 」  こういう自己観察をしていることもだが、さらにそれをこうして記録に残すって、半世紀後本人が反芻してるって、ふつうあることではないと思う。貴重だ。  なお、つくろうとするちつじょは、作ろうとする秩序と繕うとする秩序が重なっているように読める、聞こえる。どちらかに決めようとすると頭が混乱しそう(^^)  → ふむふむ。繕、ならば、繕おう、が正しい言い方か。
*「 ・・・  なんといったらいいのか、マブタがうらがえしのようになる事なのだ。」  子供などが、自分でそうやって、ほらほら、と友に見せて喜ぶんだが、あれは子供なりの呼び名があったと思うんだが、ひちゃむける、だったかなあ・・

 

 
03:05 2024/04/21 (日)


 A子、B君にラブレターを。クツバコの中に入れておいて物かげからみている。B君がきて、クツバコをあけ、中の手紙をとりだして、一人言、
「また一つ増えた・・・」
 A子、B君はまだだれかにラブレターをもらっていたのかと、思う。実はB君は、また、気分を重くするめんどうな事が増えた、と言ったのだった。B君は女ぎらいというわけではなかったが、彼のそのときの、おちつかないゆううつな気持には、女ときれいな言葉をかわすなんてことが、たまらなくめんどうな事に思えたのだ。彼には考えねばならぬ悩みがやまほどあった。
 テスト前であるかもしれないが、あった。テスト前にラブレターをだすA子もA子である。

   } なにかの小説に使える。

        (1973/05/21)


 ゲタバコ
 クツバコ

 めんどうな
       言
       事

 A子もA子である → ?? → 考察

        (1973/05/21)


 ■だ先生の事を■ださんといってはいけないのだ。

        (1973/05/21)


 〜だよ
 〜でよ

        (1973/05/21)


 気楽なA子が、B君からのしんこくな手紙をうけとると、あざけるように笑って、あそんでいる友だちの方を向く。
 B君が、しんこくな方面に真剣なのと同じくらい、A子は、気楽な方面にしんこくなんだ。
 A子には昔、いやなことがあったので、異常なまでに気楽になろうとしている。
 あざけるような笑い
           >この差は?
 あざけたような笑い
 彼女の気楽さは、虚実なのではなく、真実である。ただ、昔にいやな事があったので、心にはそのしこりが残ってはいるけれど。
 心の根本は、暗さではない。A子が、昔の事をちょっと思いだした、とわかればよい、小説では。彼女の心の真実が暗さだとしなくてよい。暗さが、彼女の昔のことだとわかればよい。
 あざける者が上だとは限らないのだ。
        (1973/05/21)


*「 ・・・ 彼には考えねばならぬ悩みがやまほどあった。 テスト前であるかもしれないが、あった。」  文意がとりづらいね。  テスト前であるためにふだんより悩ましいことが多いのかもしれないが、とにかく、やまほど悩みがあった。 ・・と、とりあえず解釈したい。
*「テスト前にラブレターをだすA子もA子である。」  笑。  テスト前にこういう小話を書いている自分も自分である、という意識もありそう。
*「■だ先生の事を■ださんといってはいけないのだ。」  家業の職員の■ださんを、waka君が■ださんと呼ぶのを、たぶん父ちゃんがたしなめたんだろうね。夕食の、酒の入った席で。  ざっくり言って、息子をただすというより、■ださんを高めるために。
*「あざけるような笑い  あざけたような笑い  >この差は?」  あざけた、という用法は、ほとんどしない、聞かない感じ。「あざけるような笑い」で、慣用句化しているか。
*「心の根本は、暗さではない。A子が、昔の事をちょっと思いだした、とわかればよい、小説では。彼女の心の真実が暗さだとしなくてよい。暗さが、彼女の昔のことだとわかればよい。」  ト書きのよう。いつのまにか、演出メモ(?)になってる。

 

 
02:25 2024/04/14 (日)


 ぼくは、テスト前になると、いつも憂うつ。

        (1973/05/21)


 おれはどうして、ゆううつにかこつけて、なまけものになるのかしら? こんどのテストはまるでひどい点になりそうだよ。

        (1973/05/21)


 テストが近づいて、青年が非行化していこうとする。彼は、不良仲間とつきあう。が、テストが終わってみると、はればれ、急に彼は不良仲間に冷たくなる。
 不良1「やい、なんで今日、来ないんだ。」
 彼、「フフ」
 不良2「やろう!」
 不良がなぐりかかろうとしたそのとき、2人ばかりの大人 先生? がきて、2人の不良をおさえ、彼を助ける。
 彼、「ハハ、バカヤロウ。」(←大声、気のふれたように)
 不良のみならず、二人の大人もいやな顔をする。

        (1973/05/21)


 「子供よ、おまえが将来どのような道を進むかは、おまえの自由である。行きたい所に行って、生きろ。ただ、私もいくらか、おまえには適当だろうと思われる道を勧める。もし、おまえが、私の勧めた道以外を進むのならそれでよい。が、私の勧めにのって、私の勧める道を歩むなら、私には勧めた責任があるのだから、何かと援助をする。
 おまえは、自分の自由な夢を選ぶか、現実的で安定した実益を選ぶか迷うだろうが、一番得なのは、おまえの夢と、おれの勧める所が一致した時だとは、思わないか。おまえは、おれが勧めても勧めなくてもそこに進んだ。おれは、おれが勧めたためだと思って援助する。この援助は、まるもうけじゃないか。」

        (1973/05/21)


*「テストが近づいて、青年が非行化していこうとする。彼は、不良仲間とつきあう。が、テストが終わってみると、はればれ、急に彼は不良仲間に冷たくなる。 ・・・ 」  優等生あるある、を寸劇風に仕立てている。彼は王道優等生ではなく、マジメな弱虫系だけど。
*「 ・・・ 不良のみならず、二人の大人もいやな顔をする。」  にしても、この脚本は、いちおう一人前に、場面を作っている。
*「「子供よ、おまえが将来どのような道を進むかは、おまえの自由である。行きたい所に行って、生きろ。ただ、私もいくらか、おまえには適当だろうと思われる道を勧める。もし、おまえが、私の勧めた道以外を進むのならそれでよい。が、私の勧めにのって、私の勧める道を歩むなら、私には勧めた責任があるのだから、何かと援助をする。」  これも脚本。そのタネ(核となるセリフだけ)。
*「おまえは、自分の自由な夢を選ぶか、現実的で安定した実益を選ぶか迷うだろうが、一番得なのは、おまえの夢と、おれの勧める所が一致した時だとは、思わないか。おまえは、おれが勧めても勧めなくてもそこに進んだ。おれは、おれが勧めたためだと思って援助する。この援助は、まるもうけじゃないか。」」  親の論理、感覚だけどね。損得だけなら言う通りだというのは、息子にもわかるが、そんなレアケースがあるのか、と素朴な疑問もわくはず。  レアケースというのは、確率ではなく、そう思いこむ、信じる、自分とかまわりをだますことで実現するのだ、という大人の知恵(以心伝心? どすぐろいもの?)にのるようそそのかしている、のかもしれないな、これは。  が、この息子にはそれはまだ感知できないようだから、ある意味、親のしかけた試験であるこれには、通らない。好きな道に行って修行して出直しておいで、というお話になったりしそうで、それなら、そこそこ、かもね。
 → 息子の側の見え方は、まるでちがうんだよ、欲しいのは別の物なんだよ。夢か実益かなんて選択肢を悩んでるわけじゃない。親子なのに、異界の住人のように離れている。それぞれがどっぷり浸かっている。

 

 
06:13 2024/04/07 (日)


 夏の風呂のにおいはすき。

   それともあれは、新しいフロなのかしら?

        (1973/05/20)


 大学入試に内申書だなんだといっているが、大学は、高校を卒業して、すぐ行かねばならぬ所なのか? 高校をでて、社会にでてからも、何十才になってからも、大学にいけるのでしょう? そのとき、内申書なんてのがいるのか? たとえ、あったとしても、それは十数年前の物、現在の学生と比較できるか? それとも、大学とは、高校から、エスカレーター式にあがるように組まれた所なのか? 学びたい人が学ぶ所ではなく、高校をでた人が行く所なのか? けっして、高校をでた人が行く所ではないはずだ。学びたい人が行く所のはずだ。とにかく、中学−高校−大学というように、まるで、ひとつの学校のようにする必要があるのか? 学校をと中でやめる人が恥のように思われるのと同じように、大学、までの間に学生から足をあらっちゃうと、恥のように思うのか? 学校の中で、ふつうの人より年をとっている人がいると恥のように思うのと同じくらい、大学に年をとってからはいると、恥のようなのか? 若者は、大学まで、ストレートにいかねばならないのか? 勉強がしたいしたくないに、かかわらず。大学は、学びたい人がいく所ではないのか? ストレートにいくのが、すでにあたりまえなのか? そして、大学の試験には、高校をその年に卒業する人にとって、有利なものがつくられていくのか? そして、だれもが、高校の次は大学ですよ、というのか? そして、高校の次でなければいけなくしているのか?
 今の若者をみたまえ。みな、高校や大学にはいれるものならはいりたいと思って、どんどんはいってくる。しかし、勉強をすすんでやる人など、あまりいない。そうだ、ほとんどいないのだ。これが真実なのだ。大学でだって同じことだろう。劣等感をもちたくないために学校にくる人が多いのだ。そして、消費的ではあるが知識が身についていくのか?

 大学とはなんなのだ。高校とはなんなのだ。みにくい現実のしょうちょうか?

 学校での団体生活ぐらいなのだ、楽しいのは。しかし、高校や大学にはいりたい、が、勉強は責極的にやりたくはない、というのなら、学生は何を求めているのか? 劣等感がいやなのか? 名声、学歴がほしいのか? どちらにしろ、弱々しく、みにくい。

 おれは、おれの進路のために勉強するんだ。群集心理に流されはしないぞ。

 この、みんなにおいていかれるのはいやだ、みんなといっしょにやればだいじょうぶだという群集心理は、弱い動物としての人間の悲しい本能なのだろう。

        (1973/05/20)


 なぜ、ぼくは生きるのだ。小説を書いて、生きる意味を追求していこう。
 自然な気持ちで、生きる意味を追求しよう。
 ぼくは、今、どうして生きるのか、わからなくなったのだ。「ぼくが、生きる意味を感じるときは、いつも、ぼくは生きる意味を感じているように錯覚しているのではなかろうか」と今、考えているのだ。
 ということはつまり、生きる意味などない、という事なのか? これも、錯覚のような気がする。

 すべてが錯覚なのかしら?

 わからん・・・?
        (1973/05/20)


 ノドがいたい。このノートをずっとかいて、勉強を、ほとんどしていない。しかし、このノートに書いた事を考える方が大事な事のはずだ。

        (1973/05/20)


 こみ、とは?

        (1973/05/20)


 身分証明書やお札や、カレンダーをいれておく、定規入れのような(が、定規ははいっていない)手帳のような(が、書く所はない)物は名をなんというのか?
 紙入れ・・・?

        (1973/05/20)


*「夏の風呂のにおいはすき。」  風呂の蓋板の木の香りのことなら覚えている。あの香りのことかな?
*「それともあれは、新しいフロなのかしら?」  夏の風呂だから佳い匂いがしたのではなく、新しい風呂だからなのか、の意か。
*「大学入試に内申書だなんだといっているが、大学は、高校を卒業して、すぐ行かねばならぬ所なのか? 高校をでて、社会にでてからも、何十才になってからも、大学にいけるのでしょう? ・・・ 」  以下、この方面の疑問を次々ぶつけていく長文。(どうどうめぐりをしているのが、壁に何度も当たっているふうだ)  建前が実現していないのではと、腹を立てているところもありそう。
 若いよね〜 いくつもアドバイスしてあげたいけど、こういう、世間知らずで、向こう見ずで、我欲が強くて、しかし実力はまだ何もなくて、希望や夢すら曖昧なのに、世界に飛び出して生きたがっている若者=バカ者がいたから、今こうやって、のびのびそこそこ充実した暮らしをおくれているんだなあ。  あのまま、家族や家業を選んで、■■になっても、そこそこ充実した暮らしはあったと今ではわかるけど、それはこちらの暮らしを知ったからわかったことであって、知らずにあちらの人生のみ歩んでいたら、いつまでも、進まなかった道のことを夢みるようなことになっていただろうな。  それに、あちらの人生、たぶん、家の当主としての道は、そうとうにめんどう多く、重苦しい局面のあるものだったはず。家のことや政治のことや宗教のことや、ダークな面とかよくわからないしきたりとかも残っていただろう。風通しの良さ、すがすがしさとか軽々とした気持ちとかは、だんちがいだったはず。今の人生のほうが、たぶん、断然、私の本性にそっている、幸せだ、きっと。  (まあ、財は築けなかったかもしれないけど、嫁さんも子もいないけど、心身の健康が最大の財産とも言えるから、マルだ)
*「自然な気持ちで、生きる意味を追求しよう。」  自然な気持ちなら、生きる意味を追求しないよね。ふつうはね。
*「ノドがいたい。このノートをずっとかいて、勉強を、ほとんどしていない。しかし、このノートに書いた事を考える方が大事な事のはずだ。」  同意だ。  しかし、へたな考え休むに似たり、ということわざもある。  だから、同意だが、勉強は意味がないからやらなくていい、とかはちがうと思う、今では。  学校の勉強にしろ、それとは真逆に思えたこのノートにかきこんだもろもろの思いにしろ、あちらこちらに触手を伸ばしていたってことだと思う。過半はたぶん空振りをしただけに終わった。しかし、空振りは無意味か?
 無意味な事を考えたりしたりすることに意味がある。  これはほぼ間違いないな。
*「身分証明書やお札や、カレンダーをいれておく、定規入れのような(が、定規ははいっていない)手帳のような(が、書く所はない)物は名をなんというのか?  紙入れ・・・?」  札入れ、でいいのでは?  なお、定期(券)のつもりで、定規と書いている、これは。  現在、waka君が言おうとしていただろうものを所持している。カレンダーはいれていないが、札、Suica、身分証、カギなどはいっている。

 

 
09:42 2024/03/31 (日)


 手紙のおわりに ■■和香■ 拝 なんてかくの?

        (1973/05/20)


 ぼくはどうも敬語がうまくつかえない。勉強しなきゃ。

        (1973/05/20)


 アン :名前
 アーン :泣き声

        (1973/05/20)


 ■■コの作文は独創的。作家になれるんじゃないかしら?

        (1973/05/20)


 たとえ、金持ちになっても、金持ちの気分にひたりきってしまってはいけない。世の中が変わって、労働者の社会になったとき、殺されちゃっちゃあしょうがない。殺されなくても、何かと白い目で見られるじゃないか。
  └→ なんという、ひより見主義。長いものにはまかれろ的思想。

        (1973/05/20)


 舞踏
     ぶどう
          }どっち?
     ぶとう

        (1973/05/20)


 ぼくはお母さんに■■になるかどうかわからんよっていったけど、お母さんはお父さんには話していないのかねえ? いや、話したように覚えている。それなのにお父さんが、ぼくが■■になるものと決めているように 決めていって?いるように みえるのは、身内外の例えば、■ださんなんかがいるときなので、そう言うのか? 
 文がみだれたが、つまり、お父さんが、「ワカ■■は■■になる」などと言うような話のでるのは、身内外の人のいるときに限るという事だ。身内だけのときは、あまり、そういう話はでないように思う。それとも、お父さんは、すべてを知っていて、なおかつ、ぼくに■■になってほしいのか? なってくれないと困るのか? それは、家のため? それともお父さんの夢のため? とにもかくにも、この高校2年の間に、ぼくは、できるだけいろいろこころみて、いろいろ考えて、ぼくの進路を決めようと思う。いろいろやって、ぼくの真理を追求してみよう。ぼくのしっているぼくについて考え、また、ぼくのしらないぼくをみつけよう。この一年間、いや、あと半年ぐらいしかないかもしれないが、その間にぼくはぼくの真理、真実を心をこめて追求しなければ。
 そして、自分の一度決めた進路からは、そうかんたんにはなれてはいけない。たとえ成功しない、99.9%成功しない、とわかり、おそろしいばかりの自己ケンオにおちいっても、他の道へうつってもいけないし、自殺してもいけない。残りの0.1%に夢をたくして歩むのだ。100%むりなら、その道をはなれてもいいだろう。だけど、100%むりなんてことはほとんどないけれど。
 こんな日本語ある?
 お父さんはぼくのために、ぼくに■■になってもらいたいのかも。
 ぼくは前に、とても、謙虚な心になって■■になってもいい、etcと考えていたことがる。手帳かノートにかいてある。そして、そのとき、この心はつねにつづくのだろうなんて感じたのも覚えている。それなのに、今日の心は、また変わりに変わっている。おれの心はどうしてこう移り気なんだろう。一つの進路を歩むなんてことができるのかしら。
 心が移り気なのと、一つの事に長い間、心がとどまっているのと、どちらが正常なのだろうか?
        (1973/05/20)


*「手紙のおわりに ■■和香■ 拝 なんてかくの?」  正しい作法と思われる。自分の名の下に付けて、相手に敬意を表わす。
*「■■コの作文は独創的。作家になれるんじゃないかしら?」  好みらしく、妙な音韻のつながりを発明する。  片耳が難聴ということも関係しているのかどうか。  具体的には、何かを名づけるときの名前がかなりユニーク。  だからどちらかといえば、ポエットなんだけど、この調子で言葉をあつかっていけば、もしかしたら、と思わせる小学生の妹。
*「たとえ、金持ちになっても、金持ちの気分にひたりきってしまってはいけない。世の中が変わって、労働者の社会になったとき、殺されちゃっちゃあしょうがない。殺されなくても、何かと白い目でみられるじゃないか。  → なんという、ひより見主義。長いものにはまかれろ的思想。」  しっかり俗物根性をもってるね、waka君。自分でもあきれてる(笑)。
*「舞踏  ぶどう  ぶとう  }どっち?」  もちろん、ぶとう、なんだが、とおく、漢字がまだわからない頃、耳で聞いて、ぶどうかいとぶとうかい、ぶとうかいとぶとうかいの区別がつかなかったような気がする。そのなごりがあるのかなあ・・
*「ぼくはお母さんに■■になるかどうかわからんよっていったけど、お母さんはお父さんには話していないのかねえ? ・・・ 」  家業である■■を一人息子が継ぐかどうか。厳父が圧をかけ、慈母がなぐさめる、という構図もあるんだろうけど、waka家では、家付き娘である母親がむしろ主たる推進者であり、婿入りした父親は家の血を継ぐ男子に家業を継承する使命を負っていた。そういう構図だったのではなかろうか。今から振り返れば。  waka君の我欲と、家族愛が、整合しない。そこが困るんだよね。両立しないなら、選択するしかない。やむをえないわけで・・ (しかし、今おもえば、我欲といっても、小説家になりたいとか、少なくともふつうの人のように自由に将来を選んでいきたいとか、そいう考えはあっても、はたして、気分以上のもの、志(こころざし)といえるようなしっかりしたものがあったのかどうか。気持ちはつよくても、あたまではなくからだで受けとめるような経験は足らなすぎるし、具体的な作戦とか準備とか根回しとか、愛敬や説得など語り方ということでも、およそ大人になるための素養が備わっていなかった、さらにいえばいずれ夢を実現するために必要な地道な修練も満足にできていなかった、と思う)  今ならば、きれいに両立とはいかなくとも、まわりも自分もだましだまし曖昧になしくずして、じりじり自分の希望に寄せていくような、もたれるようなやりかたも、できる気がするけど、高校生waka君にはとても無理だろう・・
*「身内外の例えば、■ださんなんかがいるときなので、」  ■ださんは家業の職員さん。職場の宿直をしてもらうときなど、いっしょに食卓を囲んだりする。
*「そして、自分の一度決めた進路からは、そうかんたんにはなれてはいけない。たとえ成功しない、99.9%成功しない、とわかり、おそろしいばかりの自己ケンオにおちいっても、他の道へうつってもいけないし、自殺してもいけない。残りの0.1%に夢をたくして歩むのだ。」  これは違うだろう。  成功は、こういう執念の果てに一つぐらい誕生するだろうが、こういう執念は千の不幸をもたらす。
*「心が移り気なのと、一つの事に長い間、心がとどまっているのと、どちらが正常なのだろうか?」  正常なのは、移り気。朗らかで、にぎやかで、楽しい。やわだったり、不安だったりするが。  うつろわない心は、不自然だけど、うるおいを失わなければ、しだいに、妖しくなったり、美しくなったりしそうだ。

 

 
04:19 2024/03/24 (日)


 プラットホームが、すべて同じつくりだったら、プラットホームの同じ所から乗って、同じような所からおりることになる。そこで、もしその列車にのっている間ねていたら、電車がうごいたかどうかわからない。おりてみて目的地についていたら、まるで、電送器と電送器の間を移行したように思うだろう。

 とても未来的。SF的

        (1973/05/19)


 超現実的と未来的とは異なるのでは? 超現実とは、とても現実的というのであって、とても真実にそくしているということでは? それとも現実を超えているという意か?
              → 即する
 ↓
 ┌ 考察 ──────────────────────────┐
 │                              │
 │                              │
 └──────────────────────────────┘

        (1973/05/19)


 尚 とは?

        (1973/05/19)


 ぼくはこのごろ、女の人の事をよく話すようになったのだ。だれがかわいい、たれがいいなんて。でもあの人の事はイ■■ちゃんと、おニシにしかいってないのだよ。真実を知っている人が一人でもいれば、あの人以外の女の人をどういおうと、いいのだ、真実をしっている人は、ぼくの言が、おあそびである事をしっているのだから。ただ、いろんな事をいって、女の人にめいわくをかけるのはよそう。

        (1973/05/19)


 なぜ西洋の陰暦と東洋の陰暦が一致したのか?

        (1973/05/19)


 死ぬ気になれば、なんでもできるというが、ほんとうか?

        (1973/05/19)


 テレビマンガは、原作を尊重しているのか? マンガの筋、マンガの絵などを。

        (1973/05/19)


 とおめ
 ちかめ

        (1973/05/19)


 争奪戦

        (1973/05/19)


 いつもニヒルに笑っている。

        (1973/05/19)


 女の子にもてよう、女の子の心をくすぐるような甘い物を書こう、なんておもって文章をかくな。

        (1973/05/19)


*「プラットホームが、すべて同じつくりだったら、 ・・・ とても未来的。SF的」  各階に停まって扉の開くエレベーターなどからも似た発想が浮かぶ。  逆に、空間的にも時間的にも実は移動していないのに、わずかの偽装でそうだと思わせるという手もあるか。  これら、物語に使えそうだけど、映像作品がより適しているかもね。
*「超現実的と未来的とは異なるのでは? 超現実とは、とても現実的というのであって、とても真実にそくしているということでは? それとも現実を超えているという意か? ・・・ 」  考察、と書いて、囲いスペースを用意しているが、空白のまま残っている。  時間的な変移を先取りしたようなものが未来的か。  今ある深み、奥行きの向こうが見えるようなものが、(または、それらがこちらの心の高みに反射したようなものが)、超現実という感じ。
*「ぼくはこのごろ、女の人の事をよく話すようになったのだ。だれがかわいい、たれがいいなんて。でもあの人の事はイ■■ちゃんと、おニシにしかいってないのだよ。真実を知っている人が一人でもいれば、あの人以外の女の人をどういおうと、いいのだ、真実をしっている人は、ぼくの言が、おあそびである事をしっているのだから。ただ、いろんな事をいって、女の人にめいわくをかけるのはよそう。」  イ■■ちゃんとお西は、中学以来の友人。  あの人は、中学時代の想い人だと思う。  本項、いろいろ青いね。恥ずかしくなっちゃうよ。
*「なぜ西洋の陰暦と東洋の陰暦が一致したのか?」  西洋に陰暦なんてあるの? 授業で何か、かじったみたいだなあ・・  調べたわけではないが、西洋に陰暦らしきものがあるとして、東洋と重なるものがあるのなら、同じ月を見ていたから、という至極当然の理由でしょう。
*「死ぬ気になれば、なんでもできるというが、ほんとうか?」  先生かだれかに、死ぬ気でやれとか、叱咤激励されて、少々反発したときのセリフっぽい。  理屈で考えたら、なんでもできるわけはないから、くちごたえ側の言い合い勝ちだけど、それは言葉づらを捕まえてるだけだよね。  → 今現在のさまざまに恵まれている一般の日本人が、命の危険にさらされて何かを励むなんてことはまずなさそうだ。上のような叱咤激励が言われたとしても言った側ですら、実感が薄いのでは。  しかし、半世紀前は、戦争の経験者がまだたくさん健在だったはず。大人が真顔で死ぬ気でやれ、と言えば、それらしき背後が見えていたと思う。
*「テレビマンガは、原作を尊重しているのか? マンガの筋、マンガの絵などを。」  アニメーションという語はまだ一般的ではないのかな。たしかに、テレビマンガと言っていた。(アニメという短縮形はさらに後か)
*「いつもニヒルに笑っている。」  ニヒル、この語、この言いまわし、そういえば最近とんと耳にしない。  使われすぎて、飽きられて、古語になりつつあるか。
*「女の子にもてよう、女の子の心をくすぐるような甘い物を書こう、なんておもって文章をかくな。」  爆笑。  書きたくても書けなかったと思うけど、当時の技量では。(試みはしたけど、噴飯物だったとか)  なんて、今では書けるような口ぶりだが(^^;;

 

 
05:03 2024/03/17 (日)


 人は、苦しみを分割する事によって、コウフクを得てきたのではなかろうか。昔は、とっても幸福なときもあれば、かなしい時もあった。が、今は、それらがならなされ、小さな苦痛と小さな幸福の連続。いろいろな規律、慣習によって、人の欲望をおさえ、楽しみをそぐことによって、他人からの、自分に対する欲望、自分にめいわくになる欲望をおさえるとともに自分の他に対する欲望をおさえる。そこで、だれもが、より、不幸でなくなり、より幸福でなくなる。そこで、人は、苦しみと、幸福を分割することによって、こまぎれにすることによってそれらを得るようになった。
 幸福と不幸などと区別できるのか? 2つをあわせて、感情というべきか? 自分の心の中のある心にとっては、不幸でも、他の心にとっては幸福である、ということがあるのでは? それとも、すべての心にとって、幸福とか、不幸とかの区別がないのでは?
 幸福と不幸を区別する要素、視点がいろいろあるのではなかろうか? 個人の差、心の中の差、時の差。それとも、幸福と不幸は区別されない、1つの物であるのか。
 これはつまり、自分の幸福は他人の不幸があってこそ得られ、自分の不幸は他人の幸福があってこそ得られる。
 こうでない、というなら、やはり、幸福と不幸には区別がないのか?
 西洋の悪魔という存在は、自分の幸福のために、不幸をかぶってもらう者が必要なので、その不幸をかぶる者として、考えだされたのか?

        (1973/05/19)


 ぼくは今、まるでバカなのだ、勉強について。宿題も予習もしていない。それに、このノートをかくので、授業がおろそか。

        (1973/05/19)


 小説は、
  「終わりよければ、すべてよし。」
                なのか?

        (1973/05/19)


 もう一つ
 も一つ

        (1973/05/19)


 おのれの欲せざる所を人にほどこすことなかれ。
                           >この差は?
 おのれの欲する所を人にほどこせ。

 孔子のいう思いやりとは、人に幸福を与えることでなく、人に不幸を与えぬ事か?

        (1973/05/19)


*「人は、苦しみを分割する事によって、コウフクを得てきたのではなかろうか。昔は、とっても幸福なときもあれば、かなしい時もあった。が、今は、それらがならなされ、小さな苦痛と小さな幸福の連続。 ・・・ 」  ならされ(均され)、だろう。
*「 ・・・ 西洋の悪魔という存在は、自分の幸福のために、不幸をかぶってもらう者が必要なので、その不幸をかぶる者として、考えだされたのか?」  わりとおもしろい考察。  悪魔は、私を犠牲にして幸福を得ている。だから、悪魔を犠牲にして私が幸福になってもよいのだ。他の人は、といわずに、悪魔といえば、たしかに良心は傷まないかも。
*「ぼくは今、まるでバカなのだ、勉強について。宿題も予習もしていない。それに、このノートをかくので、授業がおろそか。」  うーん、だろうね。毎日こんなのばかり大量に書いていては・・
*「おのれの欲する所を人にほどこせ。」  こちらが、聖書、キリスト教、西洋流か。

 

 
00:41 2024/03/10 (日)


 朝、いい天気。A君、カサ持っていく。
 昼、A君の家にお客さん。そのうち雨ふりだす。A君の母「あ、そうそう、Aのカサがあるだろうからこれをお客さんに。」しかし、カサがない。「Aのバカめ。あんないい天気だったのにカサを持っていったわ。」

        (1973/05/19)


 相手が、弱くて勝てない自分に同情して、わざと負けようとして、勝負に手をぬいてきたら、自分はどうするか。勝負に情は無用。情をかける事自体すでに相手が弱くなっている証拠だと、全力をあげてたたかって勝つ。同情されて勝っても、と思って、相手より手をぬいて負ける。どちらか?

 それとも、どうせお遊びと思って、気楽にいくか?

 相手が、せいいっぱい実力をだしているのに、手をぬいているように錯覚する事もある。相手の体の調子が悪く、せいいっぱいできぬこともある。そういう時は、相手が、「今日は、調子が悪いんだ」ぐらいはいったがいいだろう。そして、自分も、手をぬいているんだ、ばかにしているんだと決めつけずに、おもいやるべきだろう。

        (1973/05/19)


 ぼくはまったくはずかしい子です。宿題を人からみせてもらったのだよ。

        (1973/05/19)


 かたかなと、ひらがなのかんたんな方をつかってごちゃごちゃにかく。
 (例) カタカナと、ひラガナノカンタンナホうをつカってごちャごちャニカく。レい、キミハバカダ。よハむじょうダ。ナンて、カワいソうナひとナノダよ。

        (1973/05/19)


 目がわるいと、通くから知人が歩いてきてもわからず、近くになってから、きづいておじぎ。なまじっか目がいいと、遠くの知人がわかり、あっちもわかり、ともにおじぎ。でも、ずっとおじぎをしてもあるけないので、笑い合ったり、そっぽをむいたり。きまずくなる。そして、やっとすれちがい。やあ、こんにちは、といって、すれちがってから、ためいき。

        (1973/05/19)


 陽明とは?

        (1973/05/19)


*「朝、いい天気。A君、カサ持っていく。  昼、A君の家にお客さん。そのうち雨ふりだす。A君の母「あ、そうそう、Aのカサがあるだろうからこれをお客さんに。」しかし、カサがない。「Aのバカめ。あんないい天気だったのにカサを持っていったわ。」」  小話? A君はバカなの? という余韻ありだよね。
*「相手が、弱くて勝てない自分に同情して、わざと負けようとして、勝負に手をぬいてきたら、自分はどうするか。 ・・・ 」  将棋で、類似した状況などあったか? あくまでも想定、想像のたぐい?
*「 ・・・ そういう時は、相手が、「今日は、調子が悪いんだ」ぐらいはいったがいいだろう。そして、自分も、手をぬいているんだ、ばかにしているんだと決めつけずに、おもいやるべきだろう。」  ずいぶんこまやかな心づかいの敵同士だ。
*「目がわるいと、通くから知人が歩いてきてもわからず、近くになってから、きづいておじぎ。なまじっか目がいいと、 ・・・ 」  遠くから。
*「 ・・・ そして、やっとすれちがい。やあ、こんにちは、といって、すれちがってから、ためいき。」  笑。ありがち、やりがち。

 

 
04:23 2024/03/03 (日)


 より=もっと

        (1973/05/19)


 テスト前に、学校の予習でヒーコラするようではだめだから、テストよりずっと前に、英語や古文、漢文etcの予習をやっておくように心がけよう。

        (1973/05/19)


 ぼくの机の機能をより高めるために、種々の辞典、筆記道具をそろえましょう。

        (1973/05/19)


 A君、B君。 A君「〜しよう。」 B君はそうする事がまちがいであるだろうと思っているが、いわず、A君といっしょにそうする。B君は、A君がマチガイに気ずき、自分の横暴を(B君までもまきこんでしまったそれを)反省するように、と思っているのか? それとも、A君が、自分のために、B君までも失敗させてしまって、そのために、B君に借りをつくる事を、B君は望んでいるのか? とにかく、悪いのはA君、ときまっている。めいわくするのもA君。B君はあそんでいるのだから、べつにめいわくはしない。「いや、なんでもないよ。」という。
 人がまちがっているとき、それを注意してあげず、いくところまでいかせて、「みろ、まちがってるじゃないか。」と、示す。そのほうが、なまじっか注意するよりよいと思っているかもよ。注意すると、それをやめてしまい、結局どうなったかわからず、悪いのはB君になってしまう。しかし、もし注意しておかないと、A君に、「どうして注意してくれなかった。」といわれるかもしれぬ。そういうときは、「君は君、ぼくはぼくさ。それに、ぼくは君と行動を共にしたじゃないか。」と冷たくいうべきか? この場合、A君が価値を多くみとめていたものが失敗によって消えたのだが、B君はあまりなくしていない。
 とにかく、注意する事によって、責任をせおうより、相手のいうとおりにして、責任をみな相手にわたしてしまう方が、気が楽なのでしょう。特に友だちの間では、相手が自分をだますなんてことはないから、責任は信用ある友だちにぽいぽいあげちまうのだ。
 カムイ伝の夢屋がA君で、赤目がB君では?

        (1973/05/19)


 納戸(なんど)とは?

        (1973/05/19)


 暫時 :ざんじ
          >まちがえるな。
 漸次 :ぜんじ

        (1973/05/19)


 くしゃみ
      >この差は?
 せき

        (1973/05/19)


*「テスト前に、学校の予習でヒーコラするようではだめだから、テストよりずっと前に、英語や古文、漢文etcの予習をやっておくように心がけよう。」  テスト前は、テスト対策の勉強に重心を移したいので、テスト前にもある通常の授業の予習は前倒しして終わらせておこう。というようなことだと思う。  理想論、願望であって、waka君はたぶん現実に負けて、このようなことはできていないはず。  (いつもながら、テスト対策の勉強自体が満足にできない、予習の前倒しなど言うに及ばず)
*「 ・・・ B君はそうする事がまちがいであるだろうと思っているが、いわず、A君といっしょにそうする。 ・・・ 」  A君、B君で、思考実験。  B君に深謀遠慮があるのでは、という方向で吟味している。  ・・・ 夢屋と赤目に例えるのは、ちょっとちがうよね。赤目にそのケはあったかもしれないけど、赤目はどこか虚無的だった。自分の意志、欲はうすく、ロボットのように使命を果たしていくのが気持ちいい、すごしやすい、みたいな。そのためには、指令を出してくれる夢屋が必要、というような間柄。
*「暫時 :ざんじ  漸次 :ぜんじ  >まちがえるな。」  暫時はしばらくのとき。漸次はしだいにすすむ。
*「くしゃみ   せき  >この差は?」  同じじゃないよね。鼻がむずむずして発作的にでるのがくしゃみ、のどの異和感をなおそうとするように起こるのが咳、かな?

 

 
02:03 2024/02/25 (日)


 クツシタ、毎日とりかえよう。

        (1973/05/18)


 お母さんが弁当箱を、白から赤に。いやだ、もとのに。
 → 弁当をつくってくれているお母さんを考えるとき、ぼくの態度は、わがまま。お母さんは、たくさんはいるだろうからと赤いのにしたのに。ぼくは、その色と、たくさんたべてしまったとき太ることを思って、よく考えずに、いやだ、と。なるべくなら、あまりたべずにやせたい。→ 昼めしは、弁当箱が小さいからちょうどいい。→ でかくされた。→ モトノニシロ ← やせるための一つの試みのためなら、お母さんの思いやりなど、問題でない、というみにくい態度。「やせるための一つの試み」などというささいな事なのに・・・。
 → ぼくが、わがままをして、お母さんに反発し、こまらすのは、つまり、ぼくが、お母さんにアマエテイルということだ。(死んだおばあさんの言)。

        (1973/05/18)


 うちのおばあさん → 死んだおばあさん。

        (1973/05/18)


 どこかにひっこしたときはどうすればいい?
 → ひっこしそば?
 → こういうときは、常識でも、ハプニング、錯覚、あやまりが許される。
     ↓
    しらない人、小さい人は錯覚を許される?
     ↓
    常識中の異常 → すべては異常?

        (1973/05/18)


 人には 錯覚が ゆるされる。
                  >この差は??
 人は  錯覚を ゆるされる。

        (1973/05/18)


 食事中に席をたったり、すわったりするのは、いいのか?
 → 食堂からでたり、はいったりは?

        (1973/05/18)


 ある事柄について利害が対立。当時者の一方、「彼は資本主義の手先だ。」もう一方、「社会のためには必要。」。 また、他のある事柄について利害が対立。一方、「自然保護」。もう一方、「住民のために工場を。」
  ↑
 とにかく、まったく無関係に近いのに、その事柄についての議論をするとき、問題を他の何々主義だとか、大きな社会内の善の理論におきかえて、議論している。君が、ケチだとかケチでないという問題に、資本主義や自然保護の問題をもちこんで、それで議論をして勝てば、自分はケチでなくなり、相手がケチになる。どうしておれは不幸なのだろうと思うとき、すぐ、何々主義をもちだして、こうこうだから、社会がまちがっているのだ。どうだ、ざまあみろ、おれは勝った。幸福であるべきなのだ。とやっている。何の関係があるのだ。とらのいをかるキツネとはこのことだ。犬と犬をケンカさせるべきなのに犬の主人同志がやって、勝った主人の犬の方が、負けた主人の犬より強い事になるのと同じ事だ。ふざけている。あらゆる問題が、何々主義でかたづくわけはないのだ。それらの問題それぞれにおいて、場合が異なるのだ。じっくりと真実をみて、真実を議論したいものだ。

        (1973/05/18)


*「 ・・・ お母さんは、たくさんはいるだろうからと赤いのにしたのに。 ・・・ 」  今思うと、ヘルシーとか、標準体重とか、そういう意識が薄かったのでは、母ちゃんは。息子を肥え太らせるのが母の甲斐性みたいな感覚!?
*「どこかにひっこしたときはどうすればいい? → ひっこしそば? → こういうときは、常識でも、ハプニング、錯覚、あやまりが許される。 ・・・ 」  引越から連想して、拡散していってるか。  最初の引越がどこから出てきたのか。飛躍があったみたいだけど、前々項に弁当云々があるので、自分の食を養育者にゆだねるヒナの暮らしから、巣だとう、巣だちたい、という意識が引越を想像させて、だったかも。
*「ある事柄について利害が対立。当時者の一方、「彼は資本主義の手先だ。」もう一方、「社会のためには必要。」。 ・・・ 」  当事者だね。
*「 ・・・ とにかく、まったく無関係に近いのに、その事柄についての議論をするとき、問題を他の何々主義だとか、大きな社会内の善の理論におきかえて、議論している。 ・・・ 」  以下、怒っております。  ある意味、自戒をこめているんじゃないかな。いつのまにか自分もやらかしていそうだ、と。やらかしていたかも、と。  (何々主義というのは当時は流行っていたから)

 

 
03:31 2024/02/18 (日)


 カサ が ナイ → カサ ナイ → 貸さない。

 「傘がないよー」
 「貸さないよ。」

        (1973/05/18)


 じゅくは、行くと、とってもおもしろい。しかし、行くまでは、とても心が重い。

        (1973/05/18)


 日本の現代生活では、曜日が重要な意味を持つ。

        (1973/05/18)


 夜の7時頃、じゅくの帰り、千葉駅前の歩道橋の上。中年ぐらいの男の人が2人ほど、らんかんから、下をのぞいている。ぼくもちょっと、と思って ――。ケイサツ官が2人ほど、止まっているオートバイ、暗くてよくみえない。ああ、交通事故か、と思った。それなら、死人でも、まだいるのか、と思って、もっとよくみる。見えない。が、はっと気づいたように見える。ガードレールの所にあおむけにひっかかっていた。その動かない男の人をしばしみる。急にこわくなって、らんかんからはなれ、同時に、こわいこわいと一人言。

        (1973/05/18)


 道で人とぶつかりそうになったら、右と左のどちらによけるべきか

        (1973/05/18)


 もし、おかしやで、おセンベとガムをかったとき、店員、(女)がかんちがいして、小さなガムをとりあげ、「これ、あたしに?」といったらどうする。
   ↓
 「ええ、」といって、そのガムをその女にあげ、それっきり、その店には行かぬ
                           ↓
                   非常に日本的。チップをあげたのだと考えれば、
                   これほどまでしなくともいいのに。

        (1973/05/18)


 じゅくに行くと、たくさん書くことができる。
           ↓
          その原因の一部は、夜、歩くためか?

        (1973/05/18)


 勘違い ○
 感ちがい×

        (1973/05/18)


 急に戦争が始まる。高校に軍隊が攻めてくる。混乱。弾の飛ぶ中をみな逃げる。ハンサムでない男A。彼のあこがれの美人B。Bは明るく活ぱつだった。逃げる中にAとB自然に近ずく。A、いつのまにか、Bの手を引いている。B、ひかれている。B、さけぶ。弾がとび、Bの首をかすめた。A、その血とさけびをみると|血をみ、さけびをきくと|同時に手が動き、Bの首をおさえる。血、出ず。AとBの目と目、会う。A、「今・・・」という。A、ハンカチをだし、きず口にあてようと思う。そこで、「今、ハンカチを」と言おうとする。手をすこしはなす。「今、」とまでいったときに、手がすこしはなれる。一瞬のうちに血がふきだす。A、言葉がでず、手も動かない。一瞬の間に、女の顔から、生気が消えるのを、Aは放心してみていた。最後まで、目と目が合う。

        (1973/05/18)


 玉
 弾

 目が合う
 目が会う

        (1973/05/18)


 たままゆ

        (1973/05/18)


 ガードレール :すぐわすれる。

        (1973/05/18)


*「じゅくは、行くと、とってもおもしろい。しかし、行くまでは、とても心が重い。」  やらされ感、濃厚だもんなあ。嫌な科目でない塾なら、喜び勇んでいけるのに、ふつう、親はだれもそういう遊びみたい塾にお金は出してくれないか。苦役みたいことをさせたい親ばかり?  いやいやいや、芸事関係の塾なら、本人が楽しみにしている場合、少なくないかもね。楽しいことも、人より抜きんでて上に行こうとすれば苦役になったりするかもしれないが。  → 本項は一般論として書いていると思うんだけど。  この時期かよっていたのは英語塾だけで、あの英語塾が「行くと、とってもおもしろい。」ところだったとはとても思えないから、もしあの英語塾のことなら、無理してほめている気がする。  (行って中に入ってしまえば、それなりにおもしろい、いや、おもしろくなくとも少なくも習う側という役回りはあるんだから、時間がすぎれば解放されるんだから、事前にいやだいやだと尻込みばかりするなよ、行ってしまえよ、と励ましたくてなかば嘘を言っている。あるいは(事後に書いているようだから)、案ずるより産むが易しでおもしろがっていた自分とかそれなりに有意義な時間を過ごした自分を想定しないと、自分が哀れすぎる。などがあったり)  → それとも、この日だけは、まれなことだが、ほんとうに楽しいことが塾であったのか・・
*「日本の現代生活では、曜日が重要な意味を持つ。」  ちなみに、1973/05/18は金曜日。塾は週一だったはず、この曜日だったか。
*「夜の7時頃、じゅくの帰り、千葉駅前の歩道橋の上。 ・・・ 」  千葉駅で、線路は東方と南方へ分岐する。  南方へ分岐する線路の向こう側(ずっと向こうは海だが)すぐの住宅街の中に、英語塾の女先生の家があった。こちら側の市街を通りぬけていく先のwaka君の自宅まで、だいたい歩いて20分ぐらいか。  生え抜きのwaka君にとって、庭のような領域の外縁ぐらい。(千葉駅はおなじみだが、その向こうになるとちょっとうとくなっていく)  千葉駅前には(本項で言う)大がかりな歩道橋があったんだが、その後(waka君が千葉を離れたあと)撤去されたり、モノレールが乗り入れたりしたので、現在の様相とは違うと思う。
*「もし、おかしやで、おセンベとガムをかったとき、店員、(女)がかんちがいして、小さなガムをとりあげ、「これ、あたしに?」といったらどうする。 ・・・ 」  仮定の話としたら、こういうありそうもない、というか望みもしない事態をなぜ想像したのかという疑問がある。  案外、実際にこれに似たことを体験したのかもなあ。  としたら、この女子、頭が弱いのかもしれない。妄想と現実の境目がゆるいのかもしれない。  (ちょっとだけ、愛らしいとは思うが、深入りはしたくないタイプか、当時は。今なら、気になって、また同じ店にいくかも?)
*「じゅくに行くと、たくさん書くことができる。 → その原因の一部は、夜、歩くためか?」  この心記にたくさん書ける、書きたいことがたくさん浮かぶ、ということでしょう。
*「急に戦争が始まる。高校に軍隊が攻めてくる。 ・・・ 」  などという荒唐無稽、夢の話のような導入だけど、しだいに、凝集していく。ついには、ストップモーションのようにゆっくりと、見つめ合う悲劇という一点に帰結。  印象的な切れにはなってるけど、小話としては起承程度でハンパかなあ。それとも、あえて物語にしないということか。(短歌の詠嘆のように)
*「たままゆ」  前々項や前項にみえるように、玉と弾の違いや用語のことで、国語辞書を引いたんだと思う。その時、そばにあったこの語を見つけて、拾ってきたんだと思う。(初めて知った、めずらしい、そして美しい名称だったので)

 

 
05:01 2024/02/11 (日)


 自分からやめると、退職金はもらえないのか?

        (1973/05/18)


 ぼくは姉のことを、「姉キ」、「おまえ」のいずれかで呼ぶ。

        (1973/05/18)


 若い母親が死ぬほど、むごい事はない・・・? (→子供のゆくすえを安じて、母親は死んでも死にきれないほど子供の事を
不安がる。子供も、母がいなくてかわいそう。)
  ↓
 自分の子がきのどくでたまらない。

        (1973/05/18)


 もしぼくが急に頭がよくなって、すごい知識人になったら、性格が冷たくなるかしら?

        (1973/05/18)


 ぼくは何か、重大な事をだれかに話したいとき、話したら、どうなるか、相手はどうなるか、自分はどうなるか、なんて、重大な事なんだと心の中でかみしめてから、次に話すかどうかを決める。ええい、話してしまえと思って、口にだしてみることもあれば、口にだせずにそのままになってしまう事もある。とにかく、その人を目の前にして、心の中でいったいどうなるのだろう、ぼくが今、こうこういってしまったなら、と思っているのだ。そして、相手のおどろいたような、いやなような顔の感じがちょっとひらめくのだ。めんどうだ、言ってしまえと思っていうときは、自分と相手との利害をはなれて、何か、どうなるかを楽しむような心持ちが、ぼくの心のうちの一部にあるような気もする。そういう心のために、ぼくの口から、言葉のでてしまう事が多いようだ。前はいわない事が多かったが、この頃は思いきったことまでいう。とにかく、このごろは、どうなるかな、ぼくがこういったら、と考えたときは、いつも言ってしまうようだ。そういうとき、心の中で、さいはなげられた、などといっているのだ。
 いまのところ、こういう、おもいきったことをして、大きなハメツを得てはいない。

        (1973/05/18)


 テストで、計画表のはいった下じきをだしとくな。カンニングだといわれてもしょうがない。弁解はきかず、たしかにこちらが悪い。 →1度やったのだ。

        (1973/05/18)


 じゅくの予習をやるようにしろ。

        (1973/05/18)


 囚人

        (1973/05/18)


 「いつものように」という字を読んだり、そういう言を聞いたりすると、すぐ、「かっさい」を思いだしてしまう。

        (1973/05/18)


 I can buy 現在 → I could buy 過去 }→ I would の次には原形しか来ないのか? ←過去も来るのでは?

        (1973/05/18)


 ゆわなー = いわなー = 言うなー = 強い事を、大きな事を、いうなあ。

        (1973/05/18)


 端 =こば?

        (1973/05/18)


*「自分からやめると、退職金はもらえないのか?」  高校生だからね、詳しくなくてもしょうがない。素朴な疑問。  退職金制度のある会社の場合、会社都合退職より自己都合退職のほうが支給額が少なめになる傾向はあると思うけど、さすがに支給されないってことはないのでは。(退職金制度は義務ではないので、制度自体がない会社の場合は当然、会社都合でも自己都合でももらえないだろうけど)
*「ぼくは姉のことを、「姉キ」、「おまえ」のいずれかで呼ぶ。」  児童の頃は、「おねえちゃん」「■■ねえちゃん」と呼んでいた。(■■は名前)  姉からこちらへは、ほぼ一貫して名前の呼び捨て。「おまえ」も頻繁。児童の頃は■■ちゃんもあったか。
 ← 姉キはまだしも、おまえは不遜だよ。本項が本当にそうなら。うーん、二才差しかないから、とはいえ、いやだからこそ、姉キはむっとしただろう。(喧嘩腰の場合は、なのかもしれない。軽い言い合いまで含めればよくやってたから)  ← そうか・・ 不遜ともいえるおまえもつかうよ、言ってしまったよ、ということを、むしろ書き残したかったのか。本項は。
*「若い母親が死ぬほど、むごい事はない・・・? (→子供のゆくすえを安じて、母親は死んでも死にきれないほど子供の事を 不安がる。子供も、母がいなくてかわいそう。) → 自分の子がきのどくでたまらない。」  ゆくすえを案じて、または、按じて、でしょう。  おそらく、TVなどでそういう物語の場面をみて、同情しつつ。
*「ぼくは何か、重大な事をだれかに話したいとき、話したら、どうなるか、相手はどうなるか、自分はどうなるか、なんて、重大な事なんだと心の中でかみしめてから、次に話すかどうかを決める。 ・・・ いまのところ、こういう、おもいきったことをして、大きなハメツを得てはいない。」  そこまで理知的に自分の言動を操っていたような気はしないんだが・・   たいてい、小破滅を招来してから、あ、まずいことをいってしまった、と事後に失敗だったと気づくというパターンだったような。  つまり、その人を前にして、全然かみしめずに、言ったりやったりが多かった。  かみしめる、というより、何日も前から、不安がったり取り越し苦労をしたり、ということはあり、かつ、苦手だった。せいぜい、やってみなければわからない、案ずるより産むが易し、と自分をなぐさめて、しばし忘れるようにするのがやっと。  だから、本項は、知らない人のことが書いてあるような気までするよ。  (それに本項、重大な事であるにしては、やけに頻繁にあるような書きぶりで、なんだか不自然では?)  (最近、ただ一度だけあったぐらいのことを、一般化して自分の性癖のように書いていたりして。そういう改変は無意識的にやってしまうと思う)  (今さっき、〜全然かみしめずに、言ったりやったりが多かった。などと勢いで書いたが、これも同類の改変、少々盛って話してしまうたぐいかも・・)
*「じゅくの予習をやるようにしろ。」  この時期かよってたのは、英語塾しかないな。  学校で勉強し、家で勉強し、塾で勉強しても、英語はずっと苦手のまま、結局身につかなかった。  根本的にまちがえていたのかもな。方法を。  英語は座学というより、スポーツとか対人戦に近かったのかも。  文法とかの原理から演繹的に現実を理解していくべきものではなく、人との折衝などの必要性から使い慣れていくべきもので、余裕があれば帰納的に文法や原理に思いをはせれば良かったのかも。 (でも学校の英語ってもっぱら前者だったような。しかも、数学のように原理が普遍的に通用したりはせず、例外と不規則のてんこ盛りなので、この進め方ではイヤになっちゃうよね。いくら公式を覚えてもたいして使えないんだから。例外と不規則だらけなのは、英語の罪ではなく、言語はそういうものなのだがら、その言語を使い慣れてから、その後、その先で、例外や不規則だったんだなあ、と発見すれば十分だったのではなかろうか。 どうでしょうか?)
*「囚人」  なぜここにこれが書かれたのかは、今となっては良くわからないが、今ながめると、文字のえづら(絵面)が、面白いね。  囲いの中から(家の中から?)人が外に歩み出しているようにみえたり。
*「「いつものように」という字を読んだり、そういう言を聞いたりすると、すぐ、「かっさい」を思いだしてしまう。」  『喝采』は、ちあきなおみの歌。前年、1972年、レコード大賞受賞。waka君も大好きだった。  いつものように、は歌い出し。
*「I can buy 現在 → I could buy 過去 }→ I would の次には原形しか来ないのか? ←過去も来るのでは?」  まったくわかりません。  なので、BingのAIチャット、Copilot に質問。
>I would の次には原形しか来ないのかという質問ですね。実は、I would の次には原形だけでなく、過去形や現在分詞、過去分詞なども来ることがあります。I would の使い方にはいくつかのパターンがありますが、代表的なものを以下に紹介します。 (以下略)
 だそうです。(^^)
*「ゆわなー = いわなー = 言うなー = 強い事を、大きな事を、いうなあ。」  ゆわなー、いわなー、は、いうわなー、かな。それとも、いわない(ように)、かな。
*「端 =こば?」  辞書に、小端(こはし)、木端(こっぱ)などの語はあるが、端はこばとはよまない? (せまい世界、例えば何かの業態の中では端の意味で「こば」と言うようなら、端に「こば」とふりがなを振るようなことはありえるかも)  端で、つま、とよんだりはするらしい。

 

 
04:42 2024/02/04 (日)


 全人教育

        (1973/05/18)


 消火
 消化

        (1973/05/18)


 あなた、くつ、みがきなさいよ、という女よりいわないやつの方がいいか? 内気なだけでもいいか。

        (1973/05/18)


 のみの夫婦の子だくさん ←?

        (1973/05/18)


 我ら、きれいでない者は、互いになぐさめあいつつ、きれいな人にあこがれようではないか。

 きたない者がきれいな者にあこがれるのは罪悪か? 
 きたない者が、きたない者にあこがれるなどまるで許されず、きれいなものがきたない者にあこがれるのは、まるでありえないのか?

        (1973/05/18)


 罪悪
     ざいあく
     ざいお

        (1973/05/18)


 凹 :おう ?

        (1973/05/18)


 〜にのみしか
         >どっち?
 〜のみにしか

        (1973/05/18)


 のみ
     >これらの用法の謎。
 より

        (1973/05/18)


 ホカ
 外はいい

 タ
 他はいい

 アト
 後はいい

       >同じか?

        (1973/05/18)


 問題は、テスト以外の問題は、自分一人でヒーコラ考えるのは時代おくれで、みんなで、教えあって考えるのがナウな行動、考え方なのか???

        (1973/05/18)


*「あなた、くつ、みがきなさいよ、という女よりいわないやつの方がいいか? 内気なだけでもいいか。」  主人の革靴は、言われなくても磨いておく、汚れているのは私の恥、というような妻女は当時(昭和末期)すでに珍しかったか。  本文は、嫁さんのことではないかもしれないけれど。
*「のみの夫婦の子だくさん ←?」  子だくさんまでついた慣用句は、検索しても見つからんな。語呂はいいんだけどね。
*「我ら、きれいでない者は、互いになぐさめあいつつ、きれいな人にあこがれようではないか。」  これは味がある。  男が相方の女に語りかけているとしたら、想像がひろがる。
*「きたない者がきれいな者にあこがれるのは罪悪か? きたない者が、きたない者にあこがれるなどまるで許されず、きれいなものがきたない者にあこがれるのは、まるでありえないのか?」  残りは、きれいなものがきれいなものにあこがれる場合。  これら四通り、それぞれ有りだと思う。
*「罪悪  ざいあく  ざいお」  ざいお、という読みは辞書にはないなあ。
*「〜にのみしか  〜のみにしか  >どっち?」  これは、〜にしか(ない)、という文に、のみ、を挿入する場合どこに入るか、ということだと思う。  日本語はわりと融通無碍だから、どっちもありか。  〜のみにしか(ない)、が耳になじむけれど、〜にのみしか(ない)、がよりふさわしい場合もありそう。
*「のみ  より  >これらの用法の謎。」  両語とも広いんだよねえ、謎も多そう。  どういう辺りを言うか、もう少し書いておいてほしかった。
*「問題は、テスト以外の問題は、自分一人でヒーコラ考えるのは時代おくれで、みんなで、教えあって考えるのがナウな行動、考え方なのか???」  ふうむ。言ってることは平易だけど、みんなで考えるのがなぜ新しいことなのかが、もうひとつピンとこないね。みんなで楽しくが流行りって感覚? 時代が? 世代が? それとも高校のwaka君の周囲ぐらいだけの流行り? (個人優先でないのはむしろ昔のほうで、みんなで考えていたようなところもあったわけだし)  その功罪や善悪をいうというより、とまどってる感じだ。
 (現在のネット社会、検索効能絶大だけど、これって要は、みんなで教えあってる、とも言えるか)  (この、みんな、集合知のようなものが、最近流行りのAI=artificial intelligence の実体ということになるのかも)  (AI=artificial intelligence =人工知能、ということになるが、これが以上述べているような集合知に過ぎないのなら、知情意をそなえた人工の心、とかはまだずっと遠そうだ。次元が違う気がする)  (それとも、今眺めることのできる集合知ていどでもう、薄壁一枚にまで来ているのかな・・)

 

 
05:49 2024/01/28 (日)


 日本では、目下の者が目上の者からサカズキをもらう

                  おサケをついでもらう?

        (1973/05/17)


 おまえはばかじゃないか。勉強してもしょうがないじゃないか。
 でも、勉強すればすこしは良くなるじゃないか。
 良くなってないじゃないか。おまえは、ただバカなのじゃないか。

          }どうもしっくりいかぬ.

        (1973/05/17)


 「いやだよ、この子は。」 :オニシのよくつかった言葉

        (1973/05/17)


 まとまった時間がないから、サブリーダーはやらない、というのではだめ、ほんのちょっとの時間でもいいから、ほんのすこしずつやる。

        (1973/05/18)


 ふつうの本はこまぎれによむより、まとめてよむほうが、好きだけど、サブリーダーはこまぎれに、ひまをみつけてやらないとおわらん。

        (1973/05/18)


 まとめてよんだ方がすき。
              >この差は?
 まとめてよ方がすき。

        (1973/05/18)


 つまをめとらばさいたけて、みめうるわしく、なさけあり・・・・

        (1973/05/18)


 flying○
 flieing×

   yはどういう字に変わったか?

        (1973/05/18)


 seeing○
 seing×

        (1973/05/18)


 マラソンさえなきゃ、学校は天国。

 勉強はそんなにくるしいわけでな。

        (1973/05/18)


*「日本では、目下の者が目上の者からサカズキをもらう。  おサケをついでもらう?」  杯事(さかずきごと)とお酌をごっちゃにしているかも。  酒宴では、目下の人が目上の人にお酌をするのがふつうでしょう。  親分子分のちぎりのための杯事なら、親分が口をつけた盃を子分になる者が受け取り飲み干す。つまり、盃をもらう。
*「おまえはばかじゃないか。勉強してもしょうがないじゃないか。 でも、勉強すればすこしは良くなるじゃないか。 良くなってないじゃないか。おまえは、ただバカなのじゃないか。   }どうもしっくりいかぬ.」  じゃないか連発で、言葉遊びの要素もあるか・・  自分に憤慨しているんだろうな、基本的に。  勉強すれば少しは良くなる、と一旦慰めたけど、すぐ、これまでさんざん勉強してきたはずだと気づき、それでも良くなってないじゃないか、とぶりかえす。
*「「いやだよ、この子は。」 :オニシのよくつかった言葉」  オニシは中学同級。友人の中ではとくに親しい。高校は別だが行き来はつづき、成人してからもずっと、waka君が東京に引越すまで。  「いやだよ、この子は。」は、名づけるなら、お母さん言葉か。それを友人間の会話の中で楽しく軽妙に。たぶんときたま。
*「まとまった時間がないから、サブリーダーはやらない、というのではだめ、ほんのちょっとの時間でもいいから、ほんのすこしずつやる。」  「ふつうの本はこまぎれによむより、まとめてよむほうが、好きだけど、サブリーダーはこまぎれに、ひまをみつけてやらないとおわらん。」  困難(サブリーダー)は一気に片付けようとすると、山に挑むようだが、こまぎれにすればたくさんのデコボコ。ひとつひとつは容易で、根気よくくりかえすだけなら、あとは時間の問題になったりする。  ちょっとした工夫というかコツだよね。今でもよくつかう手だ。
*「まとめてよんだ方がすき。  まとめてよ方がすき。  >この差は?」  この差は? と言われても・・  過去形と現在形の差、以外に何かあるんだろうか。  よんだ方が好き : 実体験の裏打ちが感じられる。  よむ方が好き : より一般的な印象。  ・・このぐらい?
*「flying○  flieing×  yはどういう字に変わったか?」  語形変化したときに、つられて語尾がyではない文字になったはず、fly+ingはそうならないようだけど、と。
 flies 三人称単数現在、名詞flyの複数形
 flying 現在進行形
 flew 過去形
 flown 過去分詞形
 flied 過去形(野球のフライボールを打つflyの場合)
 調べるとこんなところか。いちおう音が同じとき、y が ie に変わる(ことがある)、ということでよさそう。  (逆に、なんで、flieing じゃないの、という気もするな)  (この不規則ぶり。英語、やだやだ)
*「マラソンさえなきゃ、学校は天国。  勉強はそんなにくるしいわけでな。」  勉強の苦しみは結局精神的なもので、散らしようがあるし、身体はいつも楽してるもんな。  マラソン(長距離走)は身体が苦しく、かつ、精神もいためつけられる。(こんな徒労、責め苦をいつまで・・ と)  ナマケモノが憑依したような人間の面目躍如だ(笑)

 

 
05:21 2024/01/21 (日)


 (( 同じ意である語でも、西洋の語と日本の語ではだいぶニュアンスがちがう。))

 外国語、つまりカタカナをしきりとつかって、知識人ぶるという意味でなく、外国語をつかうのは必要か? つまり、外国の語を日本語に訳さずに発音して、カタカナにして、日本語の中で使うのは (( )) という理由から必要か?

        (1973/05/17)


 まう = もう }?

        (1973/05/17)


 「 」とか『 』の印 しるし は太古の昔からあったのか??

        (1973/05/17)


 『 』の事をなぜ、「かぎかっこ」というのか?

        (1973/05/17)


 いこう :行こう
 いこ

        (1973/05/17)


 古文の四段活用はアイイウエエ でなくて、
            アイウウエエ。

        (1973/05/17)


*「 (( 同じ意である語でも、西洋の語と日本の語ではだいぶニュアンスがちがう。))  外国語、つまりカタカナをしきりとつかって、知識人ぶるという意味でなく、外国語をつかうのは必要か? つまり、外国の語を日本語に訳さずに発音して、カタカナにして、日本語の中で使うのは (( )) という理由から必要か?」  いわれてみれば、より正しいあるいはそのままの意味をということなら、日本語化したものより(日本語で言い替えたものより)原語が適切な場合があるでしょうな。  でも結局、日本語のみ理解できる読者のためには、あるいは、日本語で思考するためには、その原語(カタカナで音訳)をなるべく近い意味になるよう日本語で説明しなければね。  ただし、すでに日本語に取りこまれて長くカタカナ語として使用されている場合は、もう日本語化しており(日本語として思考できるようになっており)、原語の意味とはすでに(大なり小なり)離れてしまっているからとそれを説明するのはたいてい混乱を招くだけかも。(エレガントに説明できなければその文章全体を汚すだけかも)  ← 例えば、ここで「ニュアンス」や「エレガント」を補足説明したりするのは、いろいろよろしくない感じだよね。  → やってきたばかりの外国人のQ君。日本語がまだ話せない彼を紹介するためには、だれかが色々言葉を尽くさなければ、日本人の面々は困ってしまう。  が、Q君、それから長年日本で暮らし、もうすっかりなじんだ、と。自分の言葉であるいは態度や雰囲気でまわりのみんなに普通に理解してもらえるようになった。外国人の風貌だからとだれかに紹介してもらう必要はもう無い、してもらっても困ってしまう。  ・・なんて例えもできそう。
*「まう = もう }?」  給う(たまう たもう)、申す(もうす まうす)などで通じ合っている、これをいうか。
*「 「 」とか『 』の印 しるし は太古の昔からあったのか??」  「 『 』の事をなぜ、「かぎかっこ」というのか?」  Wikipediaをみると、「 」が鉤括弧、『 』が二重鉤括弧、白括弧などというのが正式らしい。  Wikipediaの説明をざっと要約すれば、(この記号自体は)江戸時代以前の文献では見られないため、明治維新辺りの時期に輸入されたものと想像されるが、詳細は不明。旧来の文書で使われる「庵点」や「鈎画」から出来たという説もある。と。
*「古文の四段活用はアイイウエエ でなくて、  アイウウエエ。」  もうまったく、古文の文法は忘却というか、当時からよくわかっていなかったはず。  本文もなにか変だよ。アイイウエエがまちがいで、アイウウエエが正しいって、終止形がイではなくウだということだから、例えば、書く、読む、の終止形が、書き、読み、ではないと言っている。当たり前じゃん。どうしたらまちがえるの、そこが不思議だよ。  終止形が古文と現代語では違う(違うものがあるから)というような感覚または知のカケラが、迷い込んだか曲がりくねったかしたのかなあ・・

 

 
08:33 2024/01/14 (日)


 現代国語で、1年のときにやっていた漢字テストを二年ではやらなくなった。

        (1973/05/17)


 テストを実力をためす物とわりきり、自分の正直な力をみせようと、べつに特別に勉強しない、というのだろうか、ぼくは? ぼくは、テストに負けてしまったのでこんな事をいって、自分のなまけ様 よう を(これを悪いと思っているので)正当化しようとしているのか?

        (1973/05/17)


 〜様
    ざま
    よう
    さま

        (1973/05/17)


 ぼくは机の上にワラバンシをのせておいて、ほとんどいつもそこに、その日の夕方から夜にかけての予定をかく。ワラバン紙にかく所がなくなると、それをみなおし、必要な事を他の次にだすわらばんしにかいてから、フクロの中にしまう。このワラバンシをゴミとまちがえてすててしまう家人はいなくなったようだ。

        (1973/05/17)


 現代人はしてはならない事、してもいい事をよく心得ていて、すべき事は心得ていない。

        (1973/05/17)


 どうして、ぼくの「心記」はこんなにページを食うんだろう。
 ノートがもったいないような気もする。

        (1973/05/17)


 教育とは、文化を継承でき、発展させられる人間をつくる事である。 (リンシャ)

        (1973/05/17)


 継承できる
 適用できる
        >このデキルとは文法的にどういう事なのか?

 こんな日本語はたしかあったはず。

        (1973/05/17)


*「現代国語で、1年のときにやっていた漢字テストを二年ではやらなくなった。」  ふだんの授業での小テストだが、だいぶ厳密だった。単に漢字を書かせるだけでなく、例えば、「東京」の下辺のハネのあるなしでバツ。「飛」の右の点四つを「く」のようにしてもバツ。中学までの習得で、レベルに達していない生徒が多いようだとみなされて、鍛えるためのテストだったようだ。  一年生の間、鍛えて、まあまあいいだろうというところまで来たので、二年からはなくなったのだと思う。
*「テストを実力をためす物とわりきり、自分の正直な力をみせようと、べつに特別に勉強しない、というのだろうか、ぼくは?」  わかりづらいけど、テストは単なる現状計測と割り切って、より良い点をとろうとことさら勉強などしない、という意味でしょう。(身体測定があるからと直前になって体重を減らそうとするような行為は、しない、ばからしい、という論法)
*「ぼくは、テストに負けてしまったのでこんな事をいって、自分のなまけ様 よう を(これを悪いと思っているので)正当化しようとしているのか?」  ま、だろうね。  能力測定であることはそうだけど、やせてるとか体型がかっこいいかどうかなんて錯覚や思い込みに支配されているだけと言えば言えるけど、錯覚や思い込みも大勢の人がさめない夢を見ているようなこの世では、真実でありルールであり、言ってみれば食えるかどうかに直結し、命懸けともなってしまう。  お前はそれもわかっている。わかっている以上、四の五の言って原則論から錯覚や思い込みだから相手にしないのだというのは、わかっている事をわかっていないふりをしているだけなんだよ。  と、叱るべきところだろう。大人は・・
*「ぼくは机の上にワラバンシをのせておいて、ほとんどいつもそこに、その日の夕方から夜にかけての予定をかく。ワラバン紙にかく所がなくなると、それをみなおし、必要な事を他の次にだすわらばんしにかいてから、フクロの中にしまう。このワラバンシをゴミとまちがえてすててしまう家人はいなくなったようだ。」  現在もかいている日々予定表。その原形っぽいものかな。当時は、一日の予定ではなく、学校から帰ってからの(一人の、自分の自由になる時間の)予定か。  現在かいている日々予定表、広告裏白など使ったメモ的なものだけど(何折りかして使うので裏白一枚で二日分とか四日分になる)、ボールペンで予定を記し、実行したら別の色で予定に丸をつけたり消したりメモしたり時刻を付したりして、別にかいて(これはデジタルで入力する)残していく日記の下書き的なものとする。使用後のものを溜めておいて、半年に一度ぐらいシュレッダーで細断後廃棄する。  当時、その藁半紙を溜めたフクロをどうしてたのかな? 大事にとっておいた? 今同様、かさばってきたら、廃棄した(庭にあった焼却炉で燃やした)?  家人云々とあるから、過日これをゴミと思ってすてた母親か妹かがいたのかもね。たぶん、ヒステリックに怒ったと思う、waka君。たいして大切で無いメモなのにね、私物を勝手に処分されたこと自体が癇にさわって。
*「現代人はしてはならない事、してもいい事をよく心得ていて、すべき事は心得ていない。」  名言風だ。皮肉な味もある。しかし、はっとする、巧い。  現代人ということにしているけど、自分を観察していて生まれた「名言」だろうね。  (どこかから拾ってきた警句、という可能性も多少残る。巧すぎるので。笑)
*「どうして、ぼくの「心記」はこんなにページを食うんだろう。 ノートがもったいないような気もする。」  例えばこの日、1973/05/17は、足かけ29頁書いている。平日木曜日に。  これらが書かれているノートは「心記 第3巻」なのだが、足かけ16日間で使い切っている。  (最終頁が144頁なので、平均9頁のペース。特に多い日ではあったようだが)  書かれている内容はご覧の通り、こまぎれの雑文だから、もったいないのはたしかだろうけど、それよりも、書いている時間や労力のほうを心配すべきだろうと思うよ(笑)  このぐらいの熱心さを勉学に注げていたら別の人生もあったやもしれないが、こうして半世紀後、残されたこまぎれの雑文にああだこうだつっこんで楽しめるというのは、わりと貴重では、という気もするぞ。
*「教育とは、文化を継承でき、発展させられる人間をつくる事である。 (リンシャ)」  リンシャとは、人名ではなくて(笑)、倫理社会(教科名)のこと。  授業にでてきて、名言風でかっこいいと思って、書き留めたんでしょう。  → これだけ書く事がある、毎日尽きない、というのは、日々学校で授業を受けていることと裏表になっているのだと思う。浴びるように刺激があってそれに反応する若い感性があって。しかもたっぷり時間の余裕もある。稼ぐことにあくせくする必要もない。(こうして眺め返すと、恵まれた年月だったということが良くわかる)
*「継承できる 適用できる   >このデキルとは文法的にどういう事なのか?   こんな日本語はたしかあったはず。」  何に違和感を感じているのかわからない、ふつうのありきたりの言葉づかいと思うが? たしかあったはず、なんて位置づけではないはず。  辞書を調べると、可能という意味、用法は、比較的新しいらしいけど。  うーむ、半世紀前はまだ、わずかでも違和感があったのか?  → 登山できる、とは言えるけど、山岳できる、は無いわな。「山岳できる」にある違和感と同じものを、「継承できる 適用できる」などに当時はまだわずかながら感じられたから本項があるんだろうか。(今はまったく。感性が摩耗しちゃったのかな)  → https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%87%BA%E6%9D%A5%E3%82%8B_%28%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%29/  ここにあるgoo辞書の「で・きる【出来る】 」の項の第11義に、〔11 (動作性の意味がある語に付いて、接尾語的に用い)そうする能力や可能性がある。また、そうすることが許される。…しうる。「運転−・きる」「拝観−・きる」「スタート−・きる」「そこへはお通し−・きません」「のんびり−・きる」〕とある。  辞書に認知はされている。だが、語義は、1〜12義までだから、かなり新しい。半世紀前、高校生waka君の語感ではどうだったか。当時もありきたりの言葉づかいだった気がするんだが、微妙なのかなあ・・

 

 
05:03 2024/01/07 (日)


 これからは、本千葉から、家の方へいくときも、■■高から、銀座通りの方に行くときも、県庁の前の川の公園にそっていきましょう。

 《地図イラスト》
   (青点線)このルートはどうかしら。  (青実線)下校  (赤線)登校

        (1973/05/17)


 ■■高前の坂のため、
      登校、下校という言葉がぴったりする。

        (1973/05/17)


 登校のときはそんなにひまはないけど、下校のときは、いろんな道をとおっていきましょう。

        (1973/05/17)


 祈り :いのり
         >よくまちがえる
 折り :おり

 祈り?

        (1973/05/17)


 猟奇
   異なものをあさる
             )? 
   異なものがあさる

 鼡
   }?
 鼡

        (1973/05/17)


 学校にもっていくノートにみなエンピツをはさんで、フデバコはもっていかないようにする。
 ⇒??

 企業は、エンピツのつけられるノートをつくれ。
 もしくは、ノートにつけられるエンピツをつくれ

        (1973/05/17)


*「これからは、本千葉から、家の方へいくときも、■■高から、銀座通りの方に行くときも、県庁の前の川の公園にそっていきましょう。   《地図イラスト》  (青点線)このルートはどうかしら。  (青実線)下校  (赤線)登校 」  地図イラストだが、あまりに個人情報満載。割愛します。  登校は最短コース(赤線)。  従来の下校コース(青実線)はふた通りある様子。(1)は本千葉に寄ってから県庁をくぐり、登校コースに合流。(2)は、登校コースからすこしずれながら、銀座通りにはいっていく。  で、今回提案のコース(青点線)は、本千葉から線路沿いに進み、川に当たったら遡っていく。最も遠回り。  要するに、時間に余裕のある下校時は、どれも遠回り。まあ、散策好きのwaka君は当時から、ということか。
*「■■高前の坂のため、  登校、下校という言葉がぴったりする。」  そうなんだよね、ほんと。学校、台上にあるので、長めの上り坂をのぼりきって正門なんだよね。  しかし、数年前の春帰省したとき、この辺り歩いたけど、そうとう迷ったよなあ・・  あんなに毎日歩いた街なのに、半世紀経っちゃうと、もう土地鑑、ぐずぐずだったわ。  → 帰省時遊行については、http://waka.konjiki.jp/am/am01.htm 「足の向くまま」14:28 2019/03/08 (金)の項に関係記事あり。
*「祈り :いのり  折り :おり  >よくまちがえる  祈り?」  本文では、「祈り?」の祈は、衣偏+斤。 まさかこっちだったか? ということでしょう。
*「猟奇  異なものをあさる  異なものがあさる  )?」  漢語として読み下せば、奇を猟する。前者でしょう。(後者も味があるけど)  ちなみに辞書を引くと、「りょう‐き レフ‥ 【猟奇】 」とある。旧仮名遣いでは「れふき」と書いたってことらしい。
*「鼡  鼡  }?」  猟の右上が、小なのかツなのか気になっている様子。  活字では(デジタル文字でも)ツだね。  猟は正字では、
。元々は、小でもツでもないようだから、あんまりこだわらなくてよさそう。
*「学校にもっていくノートにみなエンピツをはさんで、フデバコはもっていかないようにする。 ⇒??  企業は、エンピツのつけられるノートをつくれ。 もしくは、ノートにつけられるエンピツをつくれ」  うーむ。ボールペンなどなら、いくらでもあるが。  エンピツはそういう加工をするのが、コストがかかりすぎだからないのかな? 基本、芯のカバーが木製だから、しかも、削って減っていく宿命だから、そういう付属機能を付けづらい?  エンピツサックのようなモノならあるので、これに引っかけるための爪を付加すればいいか。サックから抜けやすい気もするので、ノートに単にエンピツをはさむだけの場合と大差ないかもしれないけど。  ノート側を加工の場合、最初か最後のページを自分で切り貼りして袋状にすればいいかと思う。ただし、エンピツ一本なら書くとき抜くからいいが、筆箱代わりにしていろいろ入れると、でこぼこして紙面に筆記しづらくなるでしょう。  結局は一周回って、筆箱が一番すっきりしてて優れているか・・

 

 
11:57 2024/01/01 (月)


 ★  新春 埋もれていた名言 〜R06〜  ★

 

 
01:30 2023/12/31 (日)


 錯 :さく
       >「金≒さ」か? 「金=さ」か?
 鎖 :さ

        (1973/05/17)


 一度、家に3時半に帰ってみたい。

        (1973/05/17)


 だれかが、みんなに話しているとする。みんなのうちの1人が、はやく話しをおわらしてくれないかな、用事があるのにと思っているとき、それに話している人が気づいたら、チジョク。
   → バカゲ

        (1973/05/17)


 〜かな
 〜から

        (1973/05/17)


 バカゲテイル
 バカゲ

        (1973/05/17)


 今日は左肩がいたいのだ。

        (1973/05/17)


 UAの教室は定時制が使わないので、そうじをしなくても苦情がでないのか?

        (1973/05/17)


 さよなら
 ぐっばい

        (1973/05/17)


 女の本能
        )の差
 処女の本能

        (1973/05/17)


 A君が、頭を上下にいくらかしんどうさせて、一人で歌をうたいながら、道を歩いていた。前にいたBさんは、知らない人が私におじぎしている。あっちはしってるのかも、と思って、A君と同じくらいのおじぎをする。

        (1973/05/17)


 前  首リ  首  道  }?

        (1973/05/17)


*「錯 :さく  鎖 :さ  >「金≒さ」か? 「金=さ」か?」  手元漢和辞典によれば、音は、両字ともつくりのほうから来ているから、金は無関係のはず。
*「一度、家に3時半に帰ってみたい。」  waka君の高校、基本的に授業50分、休憩10分と記憶している。  ならば、1時限目:8:40〜9:30 2時限目:9:40〜10:30 3時限目:10:40〜11:30 4時限目:11:40〜12:30 という流れでしょう。(スタートは8:30から8:50のどこかだとは思うが正確な時刻は忘れた)  昼休みが50分として、12:30〜13:20。5時限目:13:20〜14:10 6時限目:14:20〜15:10。まあ、だいたい。  つまり、午後3時10分辺りで終了。その後、教室、教務室の掃除などあり、済んだ後の放課後の教室でトランプとかノネアテとか将棋とかで遊ぶこと多く、学校を出ても友らとつるみ街をぶらついて本屋その他によったりが通常運行。帰宅は5時とか6時になるわけだ。  これを、授業終了後、掃除も遊戯も街歩きもさぼったり我慢したり割愛したりすれば、自転車で15分で家に帰りつけるはず。3時半に帰宅可能。だから、一度やってみたい。と言ってる。  一度ぐらいは、ほんとうにそうしたと思う。  でも、家に三時半についても、外は明るく、夕食はまだまだ先で、独りで手持ちぶさたで落ちつかず、なんだか、放課後という美味しいひとときを一回無駄にしたような気分になったのでは。  で、一度経験できたから、翌日以降は元通り、ということだったかなと思う。
*「だれかが、みんなに話しているとする。みんなのうちの1人が、はやく話しをおわらしてくれないかな、用事があるのにと思っているとき、それに話している人が気づいたら、チジョク。   → バカゲ」  前項から推すと、おわらしくれないかなと思ったのは、早く帰りたい立場のwaka君みたい人か。みんなに話しているのは、先生? 友人? いずれにしろ、話しをおわらしてくれないかなと思われていると気づいた話し手、気づかれたとわかったwaka君みたいな聞き手、双方、なんともいえず気まずいだろうなあ、というのが、チジョク、かな。  そして、そんなことまで想像するのは、バカゲているぞ、おれ、とも感じた?
*「〜かな 〜から」  前項文中の、おわらしてくれないかな、と、おわらしてくれないから、を比較吟味したのかも。
*「UAの教室は定時制が使わないので、そうじをしなくても苦情がでないのか?」  そうそう。夕方から、定時制があったんだよね。  定時制には、夜の給食とかもあったような? (ふつうは昼間の生徒はみな帰ってしまうけど、waka君は将棋をさしていて遅くなることが多く、定時制の生徒たちや雰囲気を多少は目にしている)  UAはwaka君のクラス。
*「さよなら ぐっばい」  なんだかんだあったり頭にうかんだりここに書いたりもしたけど、この日も帰宅となり、友らと交わした別れのあいさつをなんとなく並べてみたか。
*「女の本能  処女の本能  )の差」  笑。何を気にしているんだ〜  まあ、まじめに受ければ、女一般と処女の差ってことか。  一貫している所もあれば、経験を経て、あらわになる本能というのもあるやもしれず。逆に消失してしまう心性もありそうな。  女は子供を産むという、男からすればおそろしいような異能があるので、その前後でも化けていくいきものでもあるやもしれず。  ・・・ いや、意外と深い??
*「A君が、頭を上下にいくらかしんどうさせて、一人で歌をうたいながら、道を歩いていた。前にいたBさんは、知らない人が私におじぎしている。あっちはしってるのかも、と思って、A君と同じくらいのおじぎをする。」  滑稽だけど、創作にしては、想像しづらい状況(特殊とかではなくささやかすぎて)かと思う。この日の下校時の実体験をもとにして、もしかしたら、すぐ道ばたで書いているとか・・
*「前  首リ  首  道  }?」  漢字の連想? 前を首とリに分け、首から道をみちびき。  前と道につながりありか、などと考えている?  (前にあるのは、月だから、無理筋だわな)

 

 
03:23 2023/12/24 (日)


 揩 ?
 階

        (1973/05/17)


 であった
      )?
 だった

        (1973/05/17)


 ぼくの国語辞典はページがとれだした。
 ぼくの運動用の靴は穴があきだした。
 ぼくの漢和辞典は貧弱。

 新しいのが、そろそろほしくなったよ。

        (1973/05/17)


 ワリバシのわり方

(1) 両手でわる
(2) 片手と口でわる
(3) 口でかみくだくようにわる

        (1973/05/17)


 シ ツ ミ  }形の差は?

        (1973/05/17)


 「〜の差?」
         >この差は?
 「〜の差は?」

        (1973/05/17)


 他人が、自分 ぼく の食べている物をみて、あまりに気持わるい食物だと思って、気持がわるくなり、はいたら、おもしろい。

        (1973/05/17)


 人が
 他人が、
 ぼくが、
 自分が
      >文の中でいろいろに使うと、わからなくなる。

 (例) 人が、自分の食べ物をみて、自分も気持わるくなり、他人にはく。

             >同じか?

        (1973/05/17)


 himself
 herself
 myself
 themselves
       > = 自分自身 となれるか?

        (1973/05/17)


 「赤西カキ太」は好き。

        (1973/05/17)


 謎{ 男はだれもがいつでも、女からの愛の告白をまっているのか?

    女は?

        (1973/05/17)


 孔子や老子やソクラテスやイエスキリストや、これらの賢人の言葉は、みな弟子が、書きしるしている。

 これらの賢人はいなかったのでは? もしくはそんなに、かしこくはなかったのでは。

        (1973/05/17)

 「××
  ××」 という漢字?
        (1973/05/17)


 おんどり
  ≒   }?
 おしどり

        (1973/05/17)


*「揩 ?  階」  揩、デジタル文字はあるが、ほぼ使われないと思う。手元漢和辞典によれば、音はカイ。字義は、ぬぐう。こする。たたく。
*「であった  だった  )?」  精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006 によれば、「だ」は〔「にてあり」から出た「である」が、「であ」を経て「だ」と変化したもの。〕
「ぼくの国語辞典はページがとれだした。 ぼくの運動用の靴は穴があきだした。 ぼくの漢和辞典は貧弱。  新しいのが、そろそろほしくなったよ。」  ・その後買い替えた国語辞典が、半世紀後の今手元にある。(角川国語辞典 新版 昭和四十四年初版 昭和五十一年一四四版) やはりだいぶぼろくなっている。  ・その後買い替えた漢和辞典が、同じく手元にある。(角川漢和中辞典 昭和三十四年初版 昭和四十八年一三〇版) これはほんと重宝している。ネット時代の今も十分に。
*「ワリバシのわり方  (1) 両手でわる (2) 片手と口でわる (3) 口でかみくだくようにわる」  私は終始 (1) だし、世間一般もそうだと思う。  一度ぐらいは (2) を試したことがあったが、若いときなのに、歯にきびしいと感じて以後しなかったはず。  (3) は、世間的にもあまりにまれかも。目撃したんだろうなあ・・
*「「〜の差?」  「〜の差は?」  >この差は?」  笑。我ながらしつこいね。  いや、繊細な感覚だとは思うが。  両者は同じところもあるけど、語感としては、「〜の差?」のほうが微妙で情緒的、ひろがりがある。「〜の差は?」はしぼっていく、理知的に究明しようとしている。
*「他人が、自分 ぼく の食べている物をみて、あまりに気持わるい食物だと思って、気持がわるくなり、はいたら、おもしろい。」  どこがおもしろい!? ふつう、困惑する、のが正しい反応では。  少々、趣味がわるい「おもしろい」だね・・  でも、文化とか生活様式の差が大きければ、十分ありえることかも。こちらが納豆を食べはじめたら、糸を引くぐらい腐った豆を食べてると気づいて気分が悪くなる外人さんは、いてもおかしくないし。  そういうギャップのおもしろさを言いたいのかなあ・・ 言葉足らずだけど。
*「「赤西カキ太」は好き。」  志賀直哉にはめずらしい時代物。  赤西蠣太という無骨者も好ましかったが、およそ女にもてそうにない男が、という、物語もよかった。(なぐさめになった)
*「謎{ 男はだれもがいつでも、女からの愛の告白をまっているのか?」  妄想の中ではしばしばそうかもしれないが、現実としてそういうことが本当におこると信じてまではいないであろう。わりとつつましいのだ。  さらに言えば、waka君の側の男子たちのことであって、少数の恵まれた男子は逆のことを心配したりしているのでしょう、よく知らないけど(^^;
*「孔子や老子やソクラテスやイエスキリストや、これらの賢人の言葉は、みな弟子が、書きしるしている。  これらの賢人はいなかったのでは? もしくはそんなに、かしこくはなかったのでは。」  四者をいっしょくたにしていいのか、という気もするし、もう少し事実(として伝わっているもの)を固めたい、裏付けを取りたい説ではあるな。  (いたかどうかならば、老子が一番曖昧か)  (彼らをいっしょくたにするなら(笑)、釈迦も加えたいかも)  → 未精査の段階だが、述べると、彼らの顕現は、年代的にもかけはなれてはいないと言えそう。賢人、聖人が顕われやすく、しかも、きまって後継の者達が書き留めて本人の言説が知られ、広く長く伝わり称賛される。この態様の符合は、まるで流行のようだけど、互いに影響を与え合えるほど時や場所が近い、世界がせまいわけでもなかったはず。人類の段階がそこにさしかかると、それぞれのところで自然発生的に顕われるということだったのか、どうか・・
*「××
  ××」 という漢字?
 これはだ、同じ文字(×)が四つかたまってできた漢字があるかな、ということか。  ×そのままはないと思うが、月や火や水などが四つでできた漢字、どこかでみた気がする。
*「おんどり ≒ おしどり  }?」  鳥なんだけど階層のちがう別語だから、≒ でつなげてはいけないけど、4文字中3文字が位置まで同じだから、つなげたい気持ちはわかる。  撥音化する前の、おすどり、おしどり、ならば、気持ちはもう決定的だろう。

 

 
05:35 2023/12/17 (日)


 しゃべる

        (1973/05/16)


 悪意 :あくい
 悪い :わるい

        (1973/05/16)


 小供
 子供 ○

        (1973/05/16)


 発っする ×
 発する  ○

        (1973/05/16)


     いえ
 今日は、家にはやくかえれたけど、よく勉強ができないのだ。

        (1973/05/16)


 has no mistakes.
          >どっちが正しい?
 has a no mistakes.

        (1973/05/17)


 こちとら

        (1973/05/17)


 作家にも、アマチュア、プロがあるか?

        (1973/05/17)


 自分が父母の子ではない祖父母の子であった、という話。

   ぼくは、これではないのかしら? マサカネ。

        (1973/05/17)


 かれいい

 かれいらいす
 カレイライス

        (1973/05/17)


 男子は、大学にいくなら、どこかの下宿にはいるか、りょうにはいるようにしろ。とにかく、家からはなれて、人のめしをたべろ。 (サカ■■先生)

        (1973/05/17)


*「しゃべる」  喋る、のようだけど、シャベル(穴掘り道具)、ということも。
*「悪意 :あくい   悪い :わるい」  悪意はむりやり「わるい」と読めるし、悪いはきちんと書けば「悪意」だったりする、といいたいのだと思う。このならべ方は。
*「has no mistakes.  has a no mistakes.  >どっちが正しい?」  わかりません(^^;  Copilot with Bing Chat に質問したら、  〔英文として正しいのは「has no mistakes.」です。「has a no mistakes.」は文法的に間違っています。  「mistake」は名詞で「間違い」という意味ですが、「no」は形容詞で「ない」という否定の意味です。  「no」は名詞の前に置いて、その名詞を否定することができます。例えば、「no problem」は「問題ない」という意味です。  しかし、「a」は冠詞で「一つの」という意味です。  「a」は可算名詞の前に置いて、その名詞を一つのものとして指定することができます。例えば、「a book」は「一冊の本」という意味です。  「no」と「a」は同じ名詞の前に置くことはできません。  「has no mistakes.」は「間違いがない」という意味ですが、「has a no mistakes.」は「一つのない間違いがある」という意味になってしまいます。  これは矛盾していて、意味が通りません。  ですから、「has no mistakes.」が正しい英文です。〕  とのこと! なるほど。明解に聞こえる。英語に関しては、しょうがない、AI(artificial intelligence)に膝を屈しよう。
*「こちとら」  辞書によれば漢字は此方人等。  こちと、に複数を示す、ら、がついたもの。  こちひと、が変化して、こちと。
*「作家にも、アマチュア、プロがあるか?」  当然あるでしょう。  文章が一円も売れたことがないのが、純粋なアマチュア。  文章は売れた、しかし、それでは生活ができない。セミプロ。  文章が売れて、それで生活ができる。プロ。  という分類が適切かと思料するが・・  時間軸も絡ませると、過去に売れて生活できたけど、今はもう無理な場合、それでも肩書は作家(職業作家)になるのかなあ・・  作品の質で言えば、素晴らしい作品を書くけれどアマチュア、プロなんだけど恥ずかしいレベルの作品しか書けない、ということも、十分ありそう。  (まあ、恥ずかしいレベルの作品が売れる、ということは、作品の質以外の要素で売れる、ってことだから、事件の当事者とか他分野の有名人とかになるのか)  (前者の、アマチュア、またはそれでは生活できなかったけど、素晴らしい書き手というのは、まさにその作品の輝きによって世にあらわれる。プロにはなれなかったけど、幸福でしょう。素晴らしい書き手が素晴らしい作品を書いたんだけど、彼または彼女以外の読者がおらずどこかに埋もれてしまい世にあらわれないまま消えた。そういう悲劇もあったかも。  ・・・ただし、彼または彼女以外の読者がいないとしても、彼または彼女がその価値を信じられたなら、それで報われている。かならずしも悲劇ではなかった。そういう場合もあったかな・・・)
*「自分が父母の子ではない祖父母の子であった、という話。」  それらしきものは、有名作品で読んだことがある。  逆に、自分の姉だと思っていた人が母親だった、そんな話もあった気がする。
*「かれいい」  伊勢物語、八橋の場面にでてくる。かれいひ(乾飯)食ひけり。
*「男子は、大学にいくなら、どこかの下宿にはいるか、りょうにはいるようにしろ。とにかく、家からはなれて、人のめしをたべろ。 (サカ■■先生)」  昭和の匂いですなあ・・

 

 
04:10 2023/12/10 (日)


 小さい子と口げんかをした事があるかい? その子と君はいったい、どんな原因で争っていたのかい。その子は、「でぶ」と君にいったのかもしれない。君が太っている事に悩んでいたので「なんだと」といって、子供をにらんだのかもしれない。が、考えてもみたまえ、その小さな子供は、でぶという言葉を深く意味を考えて発したのではない。ただ、でぶがいたので、でぶ、といったのだよ。そう気づいた時君は、こんな子供とケンカをしてもしょうがない、と思うだろう。相手はこちらに悪意などないのだ。ただ覚えたての言葉を使ってみただけなのだ。そのでぶという言葉をべつに忌む事はないのだ、悪意がないのだから。しかし、悪意のみでなく、善意も無じゃ気さも、なんの意味もないのだ、その小さな子供の言葉には。さながら、しゃべれるロボットの言のように。その子はとても小さい子供だったのかもしれない。が、はっきりいえる事は君と、その子とではとても間がひらいていた、という事なのだ。 ところで、君は、君のつかっている言葉に意味があると思っている。君ぐらいの年令の友だちが使う言葉にも意味があると思っている。君の友だちも、みな意味があると思っている。いや、感じているのだ。がしかし、君と子供との関係がそのままうつったように、だれかと君との関係を考えたらどうだろうか? そのだれかにとって、君の言葉に意味があるように感じられるだろうか? ただ、他から取り入れた言葉をそのままの形で外にだしているだけではないか、考えたつもりで、考えていない借り物の言葉を発するだけではないか。そして、貸した人もまただれかから借りている。もしこうなら、言葉なんてなんとむなしいものなのだろうと思うでしょう。君の使っている言葉、友の使っている言葉、みな、心が表われているようにみえるだけだとしたら。そう思ったら、もう言葉なんて信じられなくなるでしょう。まわりのやつらはみなロボットなのです。「このバカヤロウ。」という言葉も、彼が真に感じて発したのではなく、錯覚して発したのです。「君が好きだ、愛している。」という言葉も、うつろなものです。その人は考えもしないで、好きだ、といっているのです。彼の心は虚無そのものなのです。 ただ、錯覚しているために、自分は意味のある言葉をつかっているのだ、と感じているのです。人は自分が虚無であるのに、意味があるのだ、と感じているのです。虚無である物を虚無でないように感じさせているのは言葉です。人の言葉を自分の内で言葉にして感じられれば、意味をもつ事になるのです。 が言葉自体なんと意味のないものだ、と思う事はありませんか? ただ、音がでたり、いろいろの形になったり、それだけのものに、意味を認めるなんて、これは錯覚以外の何物でもありませんよ。人の本来は虚無でしょう。

 心なんてないのじゃないでしょうかね?
 人はみなむなしい事をしているだけなのじゃないでしょかね? 動物たちや、小さな子供に心がないのに、なんで、君たちにだけあるんです。植物に心がありますか? ないにきまっているんではないですか? やっぱり君たちは錯覚しているんですよ。

 しかし、こう錯覚しなきゃおもしろくないのかもしれませんね。

 うまく説明できないのです。
       がんばっているんだけど、ぴたりとなっとくのいくようにできぬ。

        (1973/05/16)


* 長文。わりと大切なことを言っている。言葉とは錯覚では、と。  飛躍やあやしいところもあるはずなんだが、このお経みたくえんえんとつながる文章に催眠作用でもあるのか、だんだんとりこまれていくようだ。  言葉をつかって言葉の本質を吟味する、自己解析性が、もどかしさをともなう。哲学がやってることって、だいたい、このもどかしさの起こる問題ってイメージ。  (もどかしさ ≒ システムエラー、私たちの本質あたりにある問題をときほぐそうとすると起こる)

 

 
01:01 2023/12/03 (日)


アメリカの未来

 白人がぜいたくになる

 肉体的労働をしなくても、楽にくらしていけるようになる。

 そこで、肉体的労働は、有色人種がするようになる

 役所の役人、軍人、みな有色人。

 そのうちに、白人はサービスをうけるだけ、有色人は働くようになる。が、まだ、白人が主人。

 そのうちに、とってかわられる。有色人が主人となる。

 ローマ帝国と同じ。

 いつまでも気力あるハンエイをするにはどうすべきなのか?

 良き競争相手を育てる事が重要。
 その世界の大部分を占めてしまうと、あとは、ほろびるだけ。
 ライバルのいるキンチョウがあってこそ、気力ある発展ができる。

 金持ちになりすぎてはだめ。最低限働かねばならぬように法で定める。

        (1973/05/16)


 ローマ帝国もアメリカもしだいにおとろえていく。
 こういうことはとめられないのか???

        (1973/05/16)


 おせいじ ○×
 おせじ  ○

        (1973/05/16)


*「アメリカの未来 ・・・ 金持ちになりすぎてはだめ。最低限働かねばならぬように法で定める。 ・・・ 」  法で、というのは個人尊重の民主国家では対処療法的な法ぐらいしか思いうかばないけど。といって、旧共産圏など権威国家の法、というか統制のたぐいは、無理がありすぎでしょうな。
 アメリカ合衆国。  waka君が危惧した(あるいは本心では期待した?)ようには、転がるようにすんなり衰えてはいないけどね、半世紀経っても。  アメリカは当たり前のことを当たり前にやる国らしい。waka君が危惧する程度のことは前々から気づけていたようだ。対策もwaka君よりはるかに深く広く(他の問題との複合も十分考慮して)案出できた、できている、これからもやっていくのだと思える。  何より、国力、勢い、進取の気性が、他国より抜きんでているように見える。 (危ないところがあるとしたら、国内の分断傾向か。富者と貧者、保守とリベラルなどの二極分化がやりすぎな域に近づいているようにも見える。それから、意欲や熱意と裏腹なのだろうが、だれもが貪欲すぎないか)  一方、日本国となると、どうかすると、衰弱する、危ないとわかっていても、ただ眺めているだけのような、何かしているそぶりをしていれば安心で結局実質的なことはしてないような、だめならだめでしょがないとあきらめているような、そんな気がして、怖いよ。  (太古、天にお祈りしていろいろ決めていたときの気分が実は連綿と現代までつながっていただけのような・・)  (和をもって尊しとなす、これは美質だと思う。アメリカは正義を和より優先するようだけど、まちがってはいないが、それで落としどころは考えているの、と他人事ながら心配になってしまうよ)
*「おせいじ ○×   おせじ  ○」  お世辞。どうやら、おせいじ、せいじ、という読みはないらしい。

 

 
01:09 2023/11/26 (日)


 ぼくはどこまでチジョクなことを、このノートにかいていいのか? かぎりなくチジョクなこともかいていいのか?

        (1973/05/16)


 ボクハ、いんきんたむしか?

    コンナチジョクナコトヲ!!

        (1973/05/16)


 ナップザック

 リュックサック
         )−?
 リックサック

        (1973/05/16)


 ぼくのうちと、ぼくのうちのまわりとは、あまり交流がないのだ。

        (1973/05/16)


 理論と行動とはどちらがむなしい物だろうか?
 理論はつくられた物だから、こちらがむなしいともとれる。が、理論のない行動をしたとき、理論がないのでその行動を意味づけること、その行動の価値を知ることができない。そこで、その行動がどれほどたのしいのか、かなしいのかがわからない。それらは理論によって意味づけられてはじめてわかるものだ。こうなると、理論もだいじなように思える。理論といっても、頭のきれる理屈屋の言葉 学者の言葉 と同等視してはいけない。

 頭のきれる理屈屋の言葉はまさにむなしいものに思えるのだが、ちがうか?
 どちらにしろ、ここでは理論=考え、ととればいい。

        (1973/05/16)


 へばる とは?

        (1973/05/16)


 ササクレはなぜオヤフコウ?

        (1973/05/16)


 もし小数派である戦争賛成派が軍隊をにぎって、戦争を始めたとする。その時、多数を占める反対派はどうやってそれをしずめるのだろうか。やはり、暴をもって暴にかえるしかないのか?

        (1973/05/16)


 性癖とはどういう 音 と 意
         せいへき
             かたよった性質、くせ

        (1973/05/16)


*「ボクハ、いんきんたむしか?  コンナチジョクナコトヲ!!」  これは、前項を受けて、例文としてかいている感じだ。  実際にそうだったことはないなあ。その気(け)が一時的にあったようなないようなかすかな記憶はあるが、勘違いか、またはいつのまにか治っていたはず。
*「ぼくのうちと、ぼくのうちのまわりとは、あまり交流がないのだ。」  息子の目にはそう見えたということだが、親(母親が生え抜き)はどうだったか? 父ちゃんは婿だから、近所づきあいは深からず浅からずだったと思うけど。
*「理論と行動とはどちらがむなしい物だろうか? ・・・ 」  以下、ひとくさり、思考実験。  たいした内容ではないな。  というか、実験だとしても、決めつけがいちいち嘘っぽくてつっこみたくなってしまう。  waka君、あんまり頭が切れないのに理屈も好きだから。
*「ササクレはなぜオヤフコウ?」  調べると「親不孝をするとささくれができる」という迷信は、わりと一般的なようだ。  指先が痛くて親の手伝いができなくなるから、などの理由も推測されているようだが、これは原因と結果の逆転だよね。  親の手伝いをしないと神様の罰としてつかう必要のない指先にささくれができるぞ、というおどし的なものが元かなあ・・
*「もし小数派である戦争賛成派が軍隊をにぎって、戦争を始めたとする。その時、多数を占める反対派はどうやってそれをしずめるのだろうか。やはり、暴をもって暴にかえるしかないのか?」  一転、難問だね。  世界中で答えを知りたがっているかも。  一旦、国家として戦争を始めてしまったら、反対派も「私らは知りません」とは言えなくなってしまう。敵が攻めてきて土地や人命を奪おうとすれば抵抗するしかなく軍隊に頼らねばならぬし、こちらが攻めていって土地や人命を奪えば尻馬に乗る輩も多いだろう。  戦局が大優勢ではまずいが、敗勢でもいけない。多少優勢で敵が弱っている頃合いに、国内で電撃的にクーデターを起こして、民心をとりもどし、停戦、撤退、終戦に持ちこむ。  クーデター、とは言っても、軍を内部対立させて、その一方を味方につけて、という道筋なんだろうなあ。  (弱っている敵はこちらが内部分裂するのは歓迎だろうから、敵の工作員を通じて、敵の動きも逆にコントロールできないこともないかも。クーデターが成るまでは攻勢に出ないと密約するとかね。かなり危ない橋だが・・)  なんにしろ、条件とか、たくみな指導者(誘導者?)とか、騙し合い、腹のさぐり合い、いろいろ難しそうだ。  たとえ、すべてが奇跡的に理想的に進行したとしても、一帯は荒廃し、大量殺人という事実も消えず、戦中戦後の大波乱が、波紋程度になり、戦前のように鎮まるまでには百年以上かかるやもしれない。  とにもかくにも、一番始め、戦争を始めさせない、という対処にまさるものはなさそうだ。

 

 
09:53 2023/11/19 (日)


 印房とは?

 印章

        (1973/05/16)


 印
    >差?
 卯

        (1973/05/16)


 コレヲカクノヲ 人にみられたくない ―― 人にかんじ られたくない

   だれがみてもいいじゃんか

        (1973/05/16)


 帰り道の途中で、■橋君(■■高1年生の、■中での後輩)に会い、あといっしょに帰った。どうしたの、ときいたら、バスからぼくがみえたので下りちゃった、とのこと。

        (1973/05/16)


 このノートをかくのを人にみられたくない。
「あの人は、人に、勉強家だ、知識人だと、みせびらかしたいんだよ」と人にかんじられたくない。
                    (〜といわれたいんだよ)?

 ぼくはところかまわず、書きたくなると、書くから、そんなふうにみられるかも。

 しかし、ほんとうにみせびらかしたくないのなら、そういうやましい心がひとつもないのなら、人にみられようと、みられまいと気にしないのではないか。現字はみられるのがイヤ。

 人に、自分のみにくい心、みにくい真実の心をみられたくない、という思いがあるのでは? そのみにくさがあるのでは?
      みにくさ:人にみせびらかす事
      現実;人にみせびらかすというみにくさを人にみせたくない・・・?

          結局、人にみせびらかさない?

    }オレの真実は何か?

      みにくさを認識できる人にみせびらかさない?   ????

 このぐらいのみにくさが、ほんとうにあるなら、すべての人は認識できるのでは?

 ぼくの本心は、みにくさを認識されるのを、承知の上で、みにくい事をやっているのか?

 ぼくの本心は悪を、ぼくの他の本心 が その悪をおさえているのか?

 ぼくの本心は小さな悪を、ぼくの他の本心がより大きな悪によって、小さな悪をおさえているのでは?

 人にみせびらかす、などという小さな悪を、そういう事をしてしまうぼくの本質の悪がカバーしようとしているのでは。

 つまり、大きな悪は、自分が悪であるという事をかくし、善だとみせようとしているのでは。そこで、小さな悪をカバー。

 自分の本質をかくし、虚実を他にみせているとする。
    その本質は悪であろうか、善であろうか?
    その虚実は善であろうか、悪であろうか?

 自分の本質をそのまま外にだしているとする
    その本質は善であろうか、悪であろうか、

        (1973/05/16)


*「印房とは?  印章」  印房、ネット検索すると、はんこ屋さんの商号に含まれる語。  漢字変換してくれないし、辞書にもない語らしいんだけど、ふつうに使われているな。  印鑑の家、部屋、扱う所、の意味でしょう。
*「印  卯  >差?」  この辺り、waka君の印の手書きが、卯っぽくなるんだよね。  それで気になってる様子。
*「帰り道の途中で、■橋君(■■高1年生の、■中での後輩)に会い、あといっしょに帰った。どうしたの、ときいたら、バスからぼくがみえたので下りちゃった、とのこと。」  ■橋君は、中学、高校が同じで、一学年下。  うーむ。そんなに親しい後輩でもなかったはずだが、バスからみえたから下りちゃった、というのは、つきあいがよすぎないか。先輩に対する敬意、敬愛にしても。  まー、■橋君にも、さびしい気持のときがあったのかもね。
*「このノートをかくのを人にみられたくない。」  この自分の心理を、以下、解剖していってるもよう。(意味のあるなしは置いておいて、とりあえずつきあってみる)
*「しかし、ほんとうにみせびらかしたくないのなら、そういうやましい心がひとつもないのなら、人にみられようと、みられまいと気にしないのではないか。現字はみられるのがイヤ。」  現字は、現実の誤記だろう。  みられるのがイヤだと感じるってことは、やましさやみにくさがあるってことだ、と。
*「 ・・・  }オレの真実は何か?  みにくさを認識できる人にみせびらかさない?   ????」  この辺り、だんだん、自分でも何を言いたいのか考えているのか、混乱気味か。自己解析のもどかしさ、ということもあるなあ。(自分で自分を解析するとき、解析している自分も解析対象になるから、例えるなら、合わせ鏡の永遠反復のような、システムエラーが生じやすいと言えそう)
*「 ・・・ ぼくの本心は小さな悪を、ぼくの他の本心がより大きな悪によって、小さな悪をおさえているのでは?  人にみせびらかす、などという小さな悪を、そういう事をしてしまうぼくの本質の悪がカバーしようとしているのでは。」  歯切れは悪いけど、自己解析のもどかしさの中、がんばって進んでいる、多少発見もしているような感触だ。
*「つまり、大きな悪は、自分が悪であるという事をかくし、善だとみせようとしているのでは。そこで、小さな悪をカバー。」  しかし、意地悪にいえば、もどかしさが苦しくて、抜け出したくて、安易に答えをつくっている、ような感触もする。
*「自分の本質をかくし、虚実を他にみせているとする。  その本質は悪であろうか、善であろうか?  その虚実は善であろうか、悪であろうか?」  虚実は、虚と実、両方のこと。おそらく、waka君は、本質の対語と誤解して使っているので、正しくは「虚像」「虚妄」「虚偽」などがふさわしい。  しかし、心はそれほど白黒をはっきりさせない気がする、つまり嘘をつくにしろ100%の嘘はつかないのでは、と思える。虚実ないまぜにしてつく嘘のほうがあざむきやすいだろう。と、今読み返しながら思った。  なので、この誤解によるだろう用語は、そのまま使ったほうが真実に迫っていそうだ。  (ただ、文章の体裁、対語としてはいびつさが残るので、なやましいけどね)

 

 
09:19 2023/11/12 (日)



     ┌─┐
    ── ↓
 Aの Bの C というときはいらぬか、
 ── ↑
  └─┘

 Aの、Bの  C というときは、AとBの間に「読点」をつけるべきでしょうか?
 ── ── ↑↑
  │  └─┘│
  └─────┘

        (1973/05/16)


 ぼくは、ゴハンをつづけてたべると、つまって、胸か、心臓か圧迫されるようになる。

 老いてからはこれで死ぬかもしれないから、気をつけろ。

 水などをのむとなおる。

        (1973/05/16)


 貧亡
    >?
 貧乏

        (1973/05/16)


 現出
 出現

        (1973/05/16)


 フロの中で血管をひらくのが、もっとも気持のいい死に方だとよ。

         エロゲロ、イヤダナー. 

        (1973/05/16)


 固の囗の中の字は「古」である。
 古いものはカタイ、というのか?

        (1973/05/16)


 循環

        (1973/05/16)


 1個
     }?
 1イ囗

        (1973/05/16)


 口のまん中でだすHIの音と、右でだすそれ、左でだすそれはちがうか?

          KI? 9/16

        (1973/05/16)


 このごろの授業はおわってから疑問がのこる。しかも、どんな内容の疑問なのかもはっきりはあくできない。これは、授業中に書こうと思った内容を書きおとした不安からくるものだと思っている。

 先生のいった事を書こうと思うのだが、黒板に書かれたものもかかねばならないので、おとしがち。

 そこで、おわってから、何か書かねばならなかったのでは、と不安|疑問が残る。

 これはいヤーナ感じ。

 これからは、つとめて、かこうと思ったら、わすれぬうちにすぐ書くようにしよう。

        (1973/05/16)


*「Aの Bの C というときはいらぬか、 ・・・ 」  うまい例文が思いつかぬが、  (i) 家の居間の置物   (ii) 家の、高額の置物   ということになるのか。ちょっとちがう?
*「ぼくは、ゴハンをつづけてたべると、つまって、胸か、心臓か圧迫されるようになる。  老いてからはこれで死ぬかもしれないから、気をつけろ。  水などをのむとなおる。」  むせたってこと? 食べ急いで喉がつまった、というべきなのか。何十年後の凶事を予感してしまうほど難儀だったってわけだ。(何度もみたいな書き方だけど大げさ、たぶんまれにあったぐらい)  だけど、すでに老いているけど、こういう症状は現在まったくといっていいほどないな。よしです。(ふつうにのんびり食べればいいんじゃないの??)
*「フロの中で血管をひらくのが、もっとも気持のいい死に方だとよ。  エロゲロ、イヤダナー.」  読むのも書く(入力する)のもいやだよ、こういう項は。
*「固の囗の中の字は「古」である。  古いものはカタイ、というのか?」  手元漢和辞典によれば、囗は城壁。古の音は堅からきている。堅い守りの意。とのこと。
*「1個  1イ囗  }?」  デジタル文字がないので無理につくったが、手書きの際の、個の略字ですな。  数詞としては「コ」「ケ」のほうが使われやすいと思う。  例えば、顧客リストの摘要欄に、契約者が法人ではなく個人だと付記する場合など、いかにもこの略字が使われそう。(現在は、顧客リスト自体、紙ではないだろうから、この略字は登場する機会激減だろうね)
*「口のまん中でだすHIの音と、右でだすそれ、左でだすそれはちがうか?   KI? 9/16 」  「KI? 9/16」この付け足しは、HIではなく、(言語障害が表われやすい)KIの誤記では、ということなんだろうけど、正誤はもうよくわからない。  それより、心記のこのあたりを四ヶ月後ぐらいに読み直しているってことで、そちらのほうがちょっとおどろき。わずかでも、たまたまかもしれないけど、当時からそういう反芻的行為、私はしてたんだなあ。  半世紀後の、今現在やっているこれも、もろ、反芻的行為だよね。
→ 本項など1973/05/16の記事は心記第3巻に記載されている。1973/09/16となると心記第5巻。よって、記載中のノートの前の頁がたまたまめくれて目についた、という事情ではないな。すでに書き終えたノートをまた開いて読み直している。
*「 ・・・ これからは、つとめて、かこうと思ったら、わすれぬうちにすぐ書くようにしよう。」  ここを読むかぎり、たぶん、その書きおとしたことは書きおとして差し支えのなかったもろもろだよ。(高校生徒の本分から言えば)   waka君の性癖は、授業内容より、その周縁のさまざまなことが気になりやすいタイプ。そういうものはばっさり断ち落として前に進むのが現代人として正しいはずなんだけど、気がついていない、または、好みじゃないみたいだ。

 

 
09:09 2023/11/05 (日)


 あなたの子なので、――

 あなたの子だから、――

 あなたの子宝、

        (1973/05/16)


 ぼくが18、妻が16の時結婚して、30までに12人子供をつくって、年収1億の芸術家になって名声をあげられたらなあ。子供の半分は男で、半分は女。男はそろって各界で活躍。そろって名声をあげる。女はそろって、りっぱな男にとつぎ、りっぱな子を生む。12人の子供がみな12人の子供をつくり、144人の孫ができる。そいつらがそろって名声をあげ、そろってりっぱな男にとつぎ、またそろって12人の子供を。ぼくは、そのころようやく老いて、ともに老いた妻といっしょに月旅行。これだけでも、人生に満足するなあ。

        (1973/05/16)


 今日も7時前に起きられたのだ。

        (1973/05/16)


 うらやましい ← うら+やましい ・・・???

 うらやましがる

 うらやましく思う

        (1973/05/16)


 まるみえ

 まるみや

 まるみや食品

        (1973/05/16)


 1つでなく、
    多くの、見方|視点 考え方  }小説

 1つもあるか?

        (1973/05/16)


 子供をつくろう。たくさんつくろう。彼らは、ぼくの達しえなかったいろいろの夢を実現してくれるかもしれない。だれかが、不老不死の薬をつくってくれるかもしれない。だれかが宇宙への道を大きく開いてくれるかもしれない。子供をつくろう。たくさんつくろう。彼らはぼくの分身。ぼくの夢をうけついでくれるかもしれないやつら。

 それにつけても戦争はいやですね。子供たちが、どんどん死んでいってしまう。

        (1973/05/16)


 美人は相寄る、か?

        (1973/05/16)


 1つでなく、多くの見方(視点)、考え方を表現するのが小説か? ただ1つのそれを表現するのも小説か?

        (1973/05/16)


 だれかをけおとそうと思ったら、その人をほめて、テングにすればいいのです。

        (1973/05/16)


 今日は、きのうの体力測定のために、身体が非常に疲れているのです。

        (1973/05/16)


 授業ではもっとわからない所を質問しましょうか?

        (1973/05/16)


 危×
    }どっちが正しい?
 危○

        (1973/05/16)


 ぼくの家のそばに漢法×|方○の医者がいるかしら? (カメ■■先生が、こう聞いたのだ。)

        (1973/05/16)


 漢方
 漢法

        (1973/05/16)


 書道の授業の後の授業ではなぜか、ノートをきれいに書こうとするのだ。

        (1973/05/16)


*「ぼくが18、妻が16の時結婚して、30までに12人子供をつくって、年収1億の芸術家になって名声をあげられたらなあ。 ・・・ 」  これだけでもたいした妄想なのに、まだつづく(笑)
*「 ・・・ 女はそろって、りっぱな男にとつぎ、りっぱな子を生む。12人の子供がみな12人の子供をつくり、144人の孫ができる。 ・・・ 」  女は産む性、という辺りが、今では、とんでもない失言、社会人アウト、だろうけど、当時はふつう、常識の範囲内だったからなあ・・ 世の中はほんと様変わりしたよ。
*「うらやましい ← うら+やましい ・・・???」  辞書を引くと、うらやましい、は、うらやむ、の形容詞化とのこと。  よって、うら+やましい、は見当違いか、と一旦は思ったけど、「うらやむ」自体が辞書では「心(うら)病(や)む」の意とある。  病む、が形容詞化して、やましい、となるので、うら+やましい、は正解と言って差し支えないのかも。
*「1つでなく、  多くの、見方|視点 考え方  }小説  1つもあるか?」  頁上辺にメモ書き。本文には、  「1つでなく、多くの見方(視点)、考え方を表現するのが小説か? ただ1つのそれを表現するのも小説か?」  とある。  一人称小説だからといって、その人の視点だけ考え方だけとはならない。だれでも考察するときは相手や他人の立場になってみるなどふつうにあるからね。それに、会話をすれば主人公以外の言葉がその小説に現われるわけだし。  一つだけの「見方|視点 考え方」という作品は、小説という様式とはかなり相性わるいってことではないかな。
*「子供をつくろう。たくさんつくろう。彼らは、ぼくの達しえなかったいろいろの夢を実現してくれるかもしれない。 ・・・ 子供をつくろう。たくさんつくろう。彼らはぼくの分身。ぼくの夢をうけついでくれるかもしれないやつら。」  おおらなか「歌」だな〜  それにしても、高校二年生でもう次世代に期待、期待するしかない、というのはいかがなものか。  だから、これは真情というより、歌ってみただけ、創ってみただけ、の「創作歌」なのでは、という気もする。真情は三割ぐらい?
*「だれかをけおとそうと思ったら、その人をほめて、テングにすればいいのです。」  ほめごろし? ずいぶん搦め手からの攻撃だね。  ・・うーん。相手が喜んでくれるとこちらもうれしいから、よっぽどうらみが深いとか勝ち抜くことにこだわりがあるとかじゃないと、途中で当初の目的を忘れてしまうことがままあるのでは。
*「危×   危○  }どっちが正しい?」  手書き本文では、×は、上部の横棒右端が内側へはねている。  たしかに、デジタル文字 
 のこの横棒右端は、とまっている。これが○のようだ。  ちなみに、雰囲気の似ている  は、上部の横棒右端が内側にはねているよね。
*「ぼくの家のそばに漢法×|方○の医者がいるかしら? (カメ■■先生が、こう聞いたのだ。)」  うん。そういうことがあった。国語(現国? 二年生でも授業があったかどうかは不明)の亀■先生から、家の近所にそういう医者がいるかどうか、知っているかどうか、と尋ねられたのだ。いやあ知らないです、と答えたと思うけど、後日そのつもりでさがしたら、家のそばでそれらしき看板をみつけたりした。  亀■先生か、家族かが、漢方に興味あった、必要としてた、のでしょう。
*「漢方  漢法」  辞書には、かん‐ぽう ‥パウ 【漢方・漢法 パフ 】、という見出しで載っているので、漢法も誤字というわけではないらしい。
*「書道の授業の後の授業ではなぜか、ノートをきれいに書こうとするのだ。」  なぜかと言い添えているところが、面白いね。  しおらしいところのないはずの僕がこんな殊勝な、おかしいや、(わかっているけど)、と。  そして、書道の授業の後の授業が終わるまでもたずに、いつもの殴り書きのようなノートに戻っていたと思う。

 

 
01:10 2023/10/29 (日)


 きれいだ、とか、きたない、とか作者にいわれない登場人物をだしてみたいものだ。

        (1973/05/15)


 精子が保存できるようになる。千年後、ワカ■■試験に受験者1億人。これはつまり、ワカ■■の遺言により、わか■■の精子を得て子供をつくれるのはこれこれの試験に合格した女性のみである、と定められたために、なされた試験であった。ワカ■■君は生前妻を得られなかったが、死後、彼の業積に感じて多くの女性が試験をうけ子供を生む。その子供がみな、優秀。そこで、ますますわか■■の子を得ようという人が増える。精子に、自己増殖させる事まで成功したので永遠にワカ■■精子はタエナイ。

 バカラシ、ヒトコト。

 すべての女性にたった1人の男の精子をさずけることによって、それ以後、うまれる人をみな兄弟にする。そうすればみな相互理解がしやすくなるのでは。

        (1973/05/15)


 「ましろ、」とは?

        (1973/05/15)


 ぼくは、小さい頃から、いつも、じゅくには行きたくなかった。書道、そろばん、英語、みんないきたくなかったのだ。

        (1973/05/15)


 暖かい
あたた

        (1973/05/15)


 かんながらの道

        (1973/05/15)


 「キ」という字はなぜかかすれるのだ。かすれないようにいえる人はいるんかいな?

        (1973/05/15)


 ぼくは早口で、いいたくてたまらぬたくさんの事をいおうとすると、発音と文法の狂っている日本語を話してしまう。

        (1973/05/15)


 ぼくは学校のだしたサブリーダーのほとんどを完全に読んでいないのだ。

        (1973/05/15)


 述べる○
 迷べる×

        (1973/05/15)


*「きれいだ、とか、きたない、とか作者にいわれない登場人物をだしてみたいものだ。」  容姿の美醜について作者がとやかく述べない登場人物。  うーん、まあ、世にある小説の、主要な登場人物の、半数以上はそうではないかと思うけど。  作者としてとやかく述べてしまうという自覚がwaka君にあり、反省しているのかな。
*「精子が保存できるようになる。千年後、ワカ■■試験に受験者1億人。これはつまり、 ・・・ 精子に、自己増殖させる事まで成功したので永遠にワカ■■精子はタエナイ。  バカラシ、ヒトコト。」  正字は業績か。  妄想というか、自慰の拡大延長上の、欲望というか。  手塚治虫のマンガに似かよった設定があったかなあ・・  そもそも、同じ父親の遺伝子を持つ子が、何億人も生まれたら、人類の多様性というすぐれた面が、著しく損なわれていくのでは?  可能といえば可能な、妄想だろうけど。  (しかし、ワカ■■君は、まるでキモチいいことをしてないわけで、それは妄想として正しいのか!? ^^;)
*「すべての女性にたった1人の男の精子をさずけることによって、それ以後、うまれる人をみな兄弟にする。そうすればみな相互理解がしやすくなるのでは。」  とうとうすべての女性(笑)  現実的ではないということはおいておいても、全員が兄弟になったら、兄弟であることが当たり前、前提となり、けっきょく、兄弟という特別な関係はないのと同じになってしまい、意味ないのでは?  今だって、人類はみな同じ種族でかすかであれ血縁であることも間違いないだろうに、相互理解が難しい場合があり、殺しあったりしているわけだし。  また、遺伝的近縁者ばかりになるというのは、近親相姦ばかりになるということで、劣性遺伝の顕在化による、人類種族の著しい劣化も懸念されるだろう。
*「ぼくは、小さい頃から、いつも、じゅくには行きたくなかった。書道、そろばん、英語、みんないきたくなかったのだ。」  笑。  でも、行かされちゃったんだね。親(主に母親)が言うので、あらがえなかったわけだ。  書道、ソロバンは小学生の頃だから、やむないとしても、英語塾は中高生になってから。  週一ぐらいでいやいや通っていたけど、高二の夏辺り、とうとう思い切って電話してやめちゃったはず。  なんか面白くない、苦痛、やらされ感濃厚、・・やはり自ら望まないとね、勉学は。  苦痛に耐え、勉励して、結果、テストの点が稼げただけというのは、虚しいよ。
*「「キ」という字はなぜかかすれるのだ。かすれないようにいえる人はいるんかいな?」  かすれる、とはどういう発声を言っているのか。それ次第で答えも変わるか。  「き」は無声軟口蓋破裂音。舌と口蓋で閉鎖をつくったのちこれを開放して無声で(声帯の振動を伴わないで)発する。  ということだから、かすれているといえばかすれている。  このかすれを言うのなら、正しい発音なのだから、かすれないようにいえる人はいないよね。  そうではなくて、「き」がもっとにごった発音になってしまう場合のことをかすれていると言うなら、一部の人にとどまるはず。  今試してみると、口の正面で「き」と発音すると正しい音がでているようだ。  口の右側、右の奥歯の辺りで「き」と発音すると、唾液まじりのにごった「き」になってしまう。  小学生の中頃まで、この唾液まじりの、口の右側で発する「き」だったと思う。これは指摘されて、特殊学級の先生の指導を受けて、矯正されたはず。  だから、高校生のころはもう、正面で発する、正しい「き」だったと思うんだが。(それとも児童の頃の癖に戻っていたりしたんだろうか)
*「ぼくは早口で、いいたくてたまらぬたくさんの事をいおうとすると、発音と文法の狂っている日本語を話してしまう。」  今もその気(け)、濃厚だわ。  早口でも、焦り気味でも、的確によどみなくしゃべれる、しゃべりつくす、それが当然で、けろっとしている、そういう人が滑舌が良いというんだろうな。
*「ぼくは学校のだしたサブリーダーのほとんどを完全に読んでいないのだ。」  英語の授業で、副教材としてサブリーダーをしばしば渡されるが、何冊もたまったそれらのほとんどは、完読していないのだ(虫食い的に、あるいは途中までしか読んでいないのだ)。という文意だと思う。  ほとんど、だから、まれには完読したものもあるのかな。言葉のあやで、実はそういうのは一冊もないのかもね。(全文英語だし、なめつくすように味わいたい内容でもなかったと思うし)

 

 
00:23 2023/10/22 (日)


 不正直

        (1973/05/15)


 小説家になれなかったら、■■になろう、なんていうのは不正直な生き方である。高校3年になる前までに、どちらに進むかを決定しろ。

        (1973/05/15)


 ふつうの高校生は、サブリーダーをどのくらいのはやさでよむか?

        (1973/05/15)


 ぼくはぼくの勉強部屋のような環境でないと、勉強できないのかしら?

        (1973/05/15)


 今の学校の勉強は多すぎ、生徒には閑が少なすぎる。

        (1973/05/15)


 ハチマキをまくと、頭が小さくなるのか?

        (1973/05/15)


 ぼくは超日常的、超常識的な偶然や奇跡に会うと、とっても感激してしまうのだ。

        (1973/05/15)


 愛の告白をうけたり、ラブレターをもらったりするだけで、ぼくの生活のリズムがみだれるだろう。その女の子の事が心の重荷となるのだ。その女の子の心をきずつけまい、自分の今までの生活をなるべく残したい、その女の子以外の人との関係がその女の子がいるというためにこわれるようにすまい、その女の子とあまり、会いたくない、その女の子のことばかり気をつかって、自分自身の時間をなくしたくない、事があれば、その女の子を助けねばならない、その女の子に笑いかけねばならない、好きだといわねばならない、冷たくしてはならない、いつもあいさつをしなければならない、したくもないデートをしなければならない・・・・ まったくいやだなあ。
 これはつまり、女の子を女の友だちとして、特別あつかいするからおこる苦痛である。女の子も、他の男の友だちと同等にあつかい、好きだ愛しているではなく、いい人だ、おもしろい人だ、つきあいやすい人だ、というような関係にしなければならぬ。恋人でなく、友人であると心にいえば、重荷ではなくなるだろう。そうなのだ、友人なのだ。

 女の子は、異性は、友人になりえるだろうか?

 もてないものだから、すぐ、こんなことを書くのだ。

        (1973/05/15)


 あまりきれいでない女性に対して、きれいでないという態度や言葉を、死んでも使ってはならない。それは、その女性に対しての最大のブジョクであるばかりでなく、ぼく自身、自分があわれになる。そんなブジョクを与えたすまなさと、ぼく自身そんなにハンサムでないにもかかわらず、他の女性が、ハンサムでないよ、という態度をぼくにとっていないという事のために。美男子、美女でない、われらは、何も互いにけなし合う事はないのだ。むしろ、互いに理解しあっているのさ。そこで、互いのきれいでない様子を、口にはぜったいにださないのだ。自分がいわれぬために。それに、他人がいわれてくるしむのは、自分が苦しんでいるのも同じ事に感じられて、たまらなくいやなので。

        (1973/05/15)


*「小説家になれなかったら、■■になろう、なんていうのは不正直な生き方である。高校3年になる前までに、どちらに進むかを決定しろ。」  ■■は家業の職名。  誰かに言われたわけではなく、自分で自分に言っている。
*「ぼくは超日常的、超常識的な偶然や奇跡に会うと、とっても感激してしまうのだ。」  たいていの人はそうだよね。  そういうことがあったならそれを記録してよ。読みたいから。
*「 ・・・ もてないものだから、すぐ、こんなことを書くのだ。」  要するにそういうことなんだろうけど、途中、「まったくいやだなあ。」などと言っている辺り、あながち、つよがりや嘘ばかりでもない気がする。仮に(現実とはだいぶ異なって)、waka君が女の子に好かれるようなイケメン男子であったとしたら、こういうふうにめんどくさがるタイプになるのでは、と思う。
*「あまりきれいでない女性に対して、 ・・・ 」  waka君は女きょうだいが多いので、女子の立場に同化しやすい面がある、たぶん。これは、女子に優しいとか、女子に理解がある、とはちょっと違うんだけどね。女子の心が痛がっていると、こっちまで痛くなる、そんな感じなんだが・・  (それでいて、手をさしのべず捨ておくようなときもある。このぐらい平気だろ、と)

 

 
01:07 2023/10/15 (日)


 このごろは、日が長くなったせいもあるが、家にはやく帰るのだ。

        (1973/05/15)


 ふく■■君も将棋が強い。

        (1973/05/15)


 ぼくはちょっとがんばれば3時40分ぐらいに家に帰りつけるのだ。NHKリクエスコーナーも十分たのしめるし、勉強をして、夜、くるしまなくてもいい。もっと、家が近いという利点を使用すべきだよ。

 おすもうやってました。 チエー。

        (1973/05/15)


 ぼくは不死の夢をすててしまったのか?

        (1973/05/15)


 彩る  いろど

        (1973/05/15)


 ぼくは新聞の字さえ、満足によめないのだ。

        (1973/05/15)


 ぼくの使用する字もようちなのばかりなのだ。

        (1973/05/15)


*「このごろは、日が長くなったせいもあるが、家にはやく帰るのだ。」  ふつうのなんでもない記述のようだけど、ちゃんと読むと、すとんと落ちてないよね。  日が長くなった所為(せい)で、どうして家にはやく帰るのか。  日が長くなったので、同じ時間に帰ってきても早く帰ってきたような気がする(帰宅後、日が暮れるまでの時間が長いため)。そういうことなのかもしれないが、ということを、せいもあるが、で言っている、たぶん。だから、少々不正確なんだ、本文は。  ただし、さらに、日が長くなったので以前より早く帰ってこれたような気がするので、うれしいので、ここはその気分にのってもっと時間を稼ごうという意欲が湧きそうだ(気がするだけでなく、実際に、以前より早い時間に帰ってきたい、こられそうだ)、という気持ちまで含まれている気がする。  ・・ということなら、本文は、なんとか落ちているのかも。
*「ふく■■君も将棋が強い。」  級友。福々しい顔立ち。この年の秋頃にはもう、ふく■■君も将棋同好会の会員になっていたはず。
*「ぼくはちょっとがんばれば3時40分ぐらいに家に帰りつけるのだ。NHKリクエスコーナーも十分たのしめるし、勉強をして、夜、くるしまなくてもいい。もっと、家が近いという利点を使用すべきだよ。」  NHKリクエス(ト)コーナーは、なんとなくラジオ番組っぽい名前だが、TVかもね。  高校の授業は、1時限(1コマ)が50分。休憩10分で、次の時限へ。  なので、昼休みが午後1時頃まで、五時限目、六時限目が済むと、午後3時ってところか。  教室や教務室の掃除をしたりで、3時20分。  自転車にのって急がずあわてずでも、15分で帰着。  なるほど、余裕で3時40分帰宅可能だ。 (実際は、放課後の教室でだらだらしたりトランプや将棋やノネハジキで遊んだり、友と喋ったり笑ったり、しばしば寄り道したりで、ふつうに4時5時たまに6時とかになっていたはず。なお、waka君は将棋同好会員だけど、例会は土曜の放課後のみ)
*「おすもうやってました。 チエー。」  で、有言実行、さっそくNHKリクエストコーナーを楽しもうと思ったんだけど相撲中継で今日はやってなかった、残念、と。
*「ぼくは不死の夢をすててしまったのか?」  たしか、小学生の頃から、不死は夢(願望)の一つだったような。  本項、つまり高校生の頃は、少々ご無沙汰していたのかどうか。 (命の発露が、熱っぽいぐらいの時期だから、細く長い不死のような望みはかすんでしまうのかも)  時経て、現在は、妄想テーマの代表選手だ。
*「ぼくは新聞の字さえ、満足によめないのだ。」 「ぼくの使用する字もようちなのばかりなのだ。」  自己批判してる。  waka君の実感として、子供と大人の違いがあからさまに表われるのが、読み書きの力ってことなんでしょう。  まだまだ未熟だ、もどかしい、と。

 

 
02:07 2023/10/08 (日)


サカ■■国語より{

 日本の女で美しいのは裏日本の女性。

 冷たい水や雪であらわれたハダなので、とても美しいハダ。

 ハダが美しいのは東洋人、

  ↓
 サカ■■先生は千葉育ちなのかしら?

        (1973/05/15)


 作家は昔は、何作も書いて、やっとみとめられた。今は授賞すれば、一作でもみとめられ、金がドバーッ。昔は、みんなピーピー。

        (1973/05/15)


サカ■■先生より、{

 平安女性の理想的美人は身長五尺、重さ30k以下。

  ↓
 ほんと?

        (1973/05/15)


サカ■■先生{

 だれか、チンピラにいんねんつけられたら、逃げるが勝ち。

 いざという時に助けてくれ、と声をだせるのはよほど勇気のある人。

        (1973/05/15)


 人間の心に真実があるのか、行動に真実があるのか。前者なら今までおこらなかった未知(ほんのちょっとでもちがえば未知)の環境をそうぞうし、そこに生きる人間を追求して、人間の真実を求めていけるだろう、文学で。 がしかし、行動に真実があるなら、今まで存在した何かの環境を表現して、そこで、人を生かし、人間の真実を求めるようになるのだ、文学で。
 どちらが正しい?

        (1973/05/15)


*「サカ■■国語より{  日本の女で美しいのは裏日本の女性。  冷たい水や雪であらわれたハダなので、とても美しいハダ。  ハダが美しいのは東洋人、」  女子生徒もいる教室でこの話は、今なら、セクハラあつかいか?  裏日本、という呼称も、問題起きそう。
*「作家は昔は、何作も書いて、やっとみとめられた。今は授賞すれば、一作でもみとめられ、金がドバーッ。昔は、みんなピーピー。」  前後がサカ■■先生語録なので、これもそうかもね。  授賞は賞を授ける意味になるので、受賞が正しい。
*「人間の心に真実があるのか、行動に真実があるのか。前者なら今までおこらなかった未知(ほんのちょっとでもちがえば未知)の環境をそうぞうし、そこに生きる人間を追求して、人間の真実を求めていけるだろう、文学で。 がしかし、行動に真実があるなら、今まで存在した何かの環境を表現して、そこで、人を生かし、人間の真実を求めるようになるのだ、文学で。  どちらが正しい?」  本項、よくわからない・・  [心に真実があるなら、文学において、未知の環境で真実を求めていける。  行動に真実があるなら、文学は、既存の環境で、真実を求めるようになる。]  要約すればこうなるか。  もっと要約すれば、  [心は未知の環境で求めていける。  行動は既存の環境で求めるようになる。]  更に意訳すれば、  [心は広く、行動は狭い。]  ・・確かにそうかもしれないけど、ここまで削ってみると、本項、何も言っていないのといっしょではないのか。  → 削ってしまった[文学]というのがキーワードなのかも。文学が真実(またはそれに類する目的)を求めるとき、心にそれがあるとみなす場合と行動にそれがあるとみなす場合では、おのずと、表現が違ってくる。心にそれがあるとみなすなら、未知の環境(舞台設定)でもかまわないが、行動にそれがあるとみなすなら、既存の環境(舞台設定)でないとまずいだろう。後者の場合、既存の環境の再現を追求すればするほど真実(またはそれに類する目的)に肉迫できるのだ。  ・・こう言いたいのか。だんだん、しっくりしてきたかも。

 

 
05:58 2023/10/01 (日)


 謎はごんべんであることを、忘れてはいけない。

        (1973/05/15)


 ジャパニーズスマイル

 しかられてもてれかくしにニヤッと笑う。

 外国人はこれをやられると、/こわくなる。
             /おどろく。

        (1973/05/15)


 いろいろな国の文化/を/は それぞれの国の言語が代表する。 }ほんと!?

        (1973/05/15)


 どさくさ

        (1973/05/15)


 しかし、みんなは、こんなノートをつくらずに、よく日常生活していけるなあ? 生活できて、あたりまえなのか?

        (1973/05/15)


 モリオにαノート、6時間目のオワリにカエストヨ

        (1973/05/15)


 A子さんは目がわるかった。彼女はB君が好きだったけど、B君の名が、Cだと思っていた。ある日、暗やみで、B君らしい人影をみた。顔はよくみえなかった。
 「あなたはCさんですか」とA。
 「ええ。」とC。
 Aは、CをBだと思って、しまい、好きだという。
 後に、Aは自分のまちがいに気づき、Cがその気になってしまっているので、コマル。

        (1973/05/15)


 一人の天才をだすためには、長い家系のちくせきが必要であろう。そこで、一度天才がでてしまうと、彼の子孫にはしばらくの間、天才がでない。

        (1973/05/15)


*「謎はごんべんであることを、忘れてはいけない。」  意味深に響くけど、単に漢字を覚えるにあたっての自分への注意メモかも。  あえて意味深にとれば、謎は言葉の問題に置換できる、迷妄に堕ちるな、というところか。
*「ジャパニーズスマイル  しかられてもてれかくしにニヤッと笑う。  外国人はこれをやられると、/こわくなる。 /おどろく。」  たぶん、不敵に、ニヤッと笑うだけなら、日本人でも気持わるいと思う。でもふつうかならず、ニヤッと笑いながら「ごめん」と言っていると思う。口の形だけでも。相手は言葉といっしょに受け止めて、てれかくしをしている、やってしまったと反省している、弱っている、など伝わっているのではなかろうか。(子供の頃から何度もこのニヤッといっしょのごめんを聞いているはず)  外国人はこの「ごめん」が聞こえないんだろうな。(子供の頃にも経験がない?)
*「しかし、みんなは、こんなノートをつくらずに、よく日常生活していけるなあ? 生活できて、あたりまえなのか?」  生活できてあたりまえだよ。今の私もこういう、常時、メモしまくる生活はしてないしな。  感度が鈍ったというより、当時のwaka君の感度が、というか、感じたものとその出力の関係のどこかが変になってるんだよね。リアクションを脳内で済ませられずに、つぶやきで済ませられずに、ペンを走らせることで納得するようになってる。  ノートが脳の延長、脳機能の延長のようになってる。たぶんその機能は、整理しつつ忘れる(整理して一旦忘れる)、というような機能だと思う。  → これにはさ、高校時代、学生生活、という立場も成立要素としてあるでしょう。ノートにメモしまくってても、たいして変じゃないし、叱られたりしないし。勤め人になってからは通常、勤務中にそんな事するひまはないし、やってたらしかられるし。  働くようになって以降、しだいに、必要性から(環境によって)この性癖は緩和されていった、ということだと思う。
*「モリオにαノート、6時間目のオワリにカエストヨ」  頁上辺にまたメモ。  つまり、心記ノートの上辺欄外は、こういうちょっとした実用的な備忘に使われる傾向あり。to−do系とか。(まだたまになんだけど、しだいに、顕著になっていく)  非実用的な、すぐどうこうする必要のないようなメモは、本文にあふれているけどね。
*「A子さんは目がわるかった。彼女はB君が好きだったけど、 ・・・ Cがその気になってしまっているので、コマル。」  小話のなりかけ。  やけに特殊な条件を重ねているので、このままではリアリティーがなくて、ドタバタかギャグにしかならないだろうけど、このメモ段階では、てっとりばやく条件を整えたかったというだけでしょう。  → ちなみに、視力も良く、明るい場所でなら、こういうとり違いはありえないと思っているな。  でもやらかすんだよね、人は。  妄想にとらわれたり(悪魔的なたくらみを思いついた、という気分になっていたり)、あるいは、心の抑止や代償がからんでいたりすると(したいけどできない、してはいけない)、別人に本心では無いことを(とんでもないことを)言ったりする。  後で、どうしてあんなことを言った、やった、と思っても、もう遅い。
*「一人の天才をだすためには、長い家系のちくせきが必要であろう。そこで、一度天才がでてしまうと、彼の子孫にはしばらくの間、天才がでない。」  と、一概には言えないかな。どういう方面の天才かにもよるだろうし。  音楽家の家系で次々あらわれたってこともあるらしいし。  長い家系のちくせき自体、たいして意味がないかもしれない。(人はだれでも長い血の蓄積の末裔なわけで)  → 天才自体がね、有用性、実用性との関わりで、そう言われているだけだったりする。有用でも実用でもない天才の発露のほとんどは、自分自身ですら凄いことだと気づいていないのでは。  → いくつものものがまざりあった混沌である現実社会にそれがインパクトを与えているなら、きっと、単一の才能ではないと思う。いくつもの才能の総合力で(おおむね、ひいでた才能とそれをもりたて守護する才能たちのチームワークで)混沌を突破して、皆が驚き、称賛するような天才として認知されているのでは。  (家系や血云々にだけこだわると、見落とすことも多そう)

 

 
00:46 2023/09/24 (日)


 1時間目は体育でした。イ■■チャンなんかと水のみ場へ。水をのみにきたうしろ姿のきれいな人にしばしみとれる。イ■■ちゃんたち先にいく。その人の顔をみようとしたが、みえず、あきらめ。ゲタバコの方へあるくと、たいそうふく姿のい■さんがきて、さらにいくと、コウイ室から、■サカさんがでてきて、今日は美人をよくみるな、と思ってイ■■ちゃんにいおうとすると、「おいみた? 今のがアオ■■さんだ」とイ■■ちゃんがいう。今、そこを通ったらしい。ゲタバコでくつをはいていると、カ■■まんが、登校してきて、ゲタバコの外のベランダには、■浜さんがいた。 美人が6人つづいてあらわれるとは、何か、いい事あるような。

 もっと他に、この学校に美人はいなかったっけ?

 何人かいるのにさ。全部を、今日みたいに短時間に、みられれば、まさしく、キセキ。

 しかし考えてみればむなしい。男は、一生のうち、ただ1人の女だけを、女は一生のうち、ただ1人の男だけを愛するなんてのは迷信なのだろうなあ。

        (1973/05/15)


 いっか
 一家 ・・・> ヤクザ?
     連想
 いっけ
 一家 ・・・> ?

        (1973/05/15)


 いっかげん
 一家言
        >差?
 いいかげん

        (1973/05/15)


 きがつく
 きづく

        (1973/05/15)


 ぼくにとって、身内以外の女性はほとんど陰性。みな、陰性的な感じがする。

 つめたいというのか、おくゆかしというのか、消極というのか、女らしいというのか、ぼくに近づいてくるというより、はなれていく。近づいてもつこうとしない。そういう種類の陰性。

        (1973/05/15)


*「1時間目は体育でした。イ■■チャンなんかと水のみ場へ。 ・・・ 美人が6人つづいてあらわれるとは、何か、いい事あるような。 ・・・ 」  六人のうち、最初の「うしろ姿のきれいな人」は名前不詳。い■嬢は、ここが初出かなあ・・ いやどこかですでに記載してるかも。足が細くてまっすぐな、おとなしげな顔立ちの美少女、だったような。  アオ■■嬢というのは、顔の記憶がないなあ。文中にある通り、ここでもイ■■ちゃん経由で聞いているだけで、顔はみていない様子。  あとの、■サカ、カ■■、■浜の三嬢は、すでに登場しているし、顔もなんとなく思いだせる。  (「カ■■まんが」は原文のママ。カ■■さんはしっかり遅刻か)
*「 ・・・ もっと他に、この学校に美人はいなかったっけ?  何人かいるのにさ。全部を、今日みたいに短時間に、みられれば、まさしく、キセキ。」  今風でいえば、JKだしね。 ・・眼福だよね。  (なお、waka君の視野には同学年女子しか見えていないようだ。三年生や一年生は階も違うし、やや縁遠い)  (やや、ではないかもしれない。いっしょに入学していっしょに卒業する間柄。教わる先生も内容もおおむねいっしょ。クラス替えなどあるので同級生の同級生まで含めれば、学年全員がほぼ知り合い。他学年とははっきり親密度が違うか)
*「いっかげん 一家言  いいかげん >差?」  たしかに、酷似してるのに意味が逆っぽい。皮肉になってる。
*「ぼくにとって、身内以外の女性はほとんど陰性。みな、陰性的な感じがする。  つめたいというのか、おくゆかしというのか、消極というのか、女らしいというのか、ぼくに近づいてくるというより、はなれていく。近づいてもつこうとしない。そういう種類の陰性。」  waka君の同居する家族は、母方の祖父、父方の祖母、父、母、姉、上の妹、下の妹。ということで、女多し。  身内以外の女性が(waka君言うところの)陰性で、とまどうよ、ということだろうけど、それはしょうがないだろう。とくに、女子生徒は学校で、ふつう、男子に本性をあからさまにしないと思うぞ。

 

 
00:45 2023/09/17 (日)


 ホームルーム(H.R.)で自己しょうかいはなかったのだ。

        (1973/05/14)


 サブリーダーをあまりにやってなくて、あまりにたくさん残ってる。(ゼンブダモンネ) それは、ある圧迫となって、ぼくにかかるよ。

        (1973/05/14)


 オサナイカオルなんていたっけ。

        (1973/05/14)


 ひっさつモップ人

        (1973/05/14)


 この前すべった水のみ場でまたすべって、たおれそうになった。手をついて、しりをつくのはまぬかれる。クソーー。

        (1973/05/14)


 カワ■、βノート

        (1973/05/14)


 尻 しり
 屈 × 

        (1973/05/14)


 ぼくのあこがれている人ににている人はC組にいたけど、どうも書記をやっているらしい。その名をシバ■さんという。

        (1973/05/14)


 セントラルプラザにも文房具店がある。

        (1973/05/14)


 邦訳

        (1973/05/14)


 操る
あやつ

        (1973/05/14)


 どうして、家の親子はケンカずきなのか。ケンカといっても口論。おかあさんと、おじいさん。ぼくとおかあさん。なぜか口論ずき。

        (1973/05/14)


 タンパク質の中毒はこわいとよ。

        (1973/05/14)


 雨がちの

        (1973/05/15)


 やるきない
 やるきな

        (1973/05/15)


 豪

        (1973/05/15)


 そうだねん
 そうですねん

        (1973/05/15)


*「ホームルーム(H.R.)で自己しょうかいはなかったのだ。」  あらあら。当続短断長 05:13 2023/08/20 (日) に掲載の通り、この日、1973/05/14 の午前零時過ぎ辺り、遊び半分とはいえ、長々と自己紹介の準備をしていたのに(半ば期待もしていた節あったのに)。  waka君の自己紹介はなかった、ということで、他の人はあった、waka君に順番が来なかった、ということだろう。あるいは、この日には誰の自己紹介もなく、順延とか? そもそも、自己紹介があるかもというのが、憶測からのもので確度は高くなかったとか?
*「サブリーダーをあまりにやってなくて、あまりにたくさん残ってる。(ゼンブダモンネ) それは、ある圧迫となって、ぼくにかかるよ。」  英語のサブリーダー。宿題、または予習みたいな課題か。  全くやってないなら最初からそう言えばいいのに、堂々と言いきることじゃない気がしたんだろうね。自分にすら、言い訳がましくなってる。
*「オサナイカオルなんていたっけ。」  小山内薫ならば、明治〜昭和の、演出家、劇作家、小説家。
*「ひっさつモップ人」  放課後となって、教室または教務室の掃除か。  必殺シリーズのTV放映は、必殺仕掛人(1972年9月〜1973年4月)、必殺仕置人(1973年4月〜10月)という具合で、前年から始まっている。
*「この前すべった水のみ場でまたすべって、たおれそうになった。手をついて、しりをつくのはまぬかれる。クソーー。」  当続短断長 01:27 2022/08/28 (日) に、「この前」と思われる記述あり。日付は、1973/05/04 だから、十日前。  モップは水のみ場にあるようだ。
*「カワ■、βノート」  頁上辺のメモ。貸し借りでしょう。  カワ■君に数学βのノートを貸した。あるいは、借りた。
*「ぼくのあこがれている人ににている人はC組にいたけど、どうも書記をやっているらしい。その名をシバ■さんという。」  簡単な項だけど、謎多し。  シバ■嬢。この名前ではまったく記憶になし。よって、これ以前も以後も関わりはほぼ何もないと思う。  で、waka君のあこがれている人は別にいるわけなんだが、高校時代を通じて、何人もの女子が気になっていた(気に入っていた、惚れていた、眺めていた)ので、誰のことやらわからない。  それに、同じ学校に本人がいるなら、どうして、似ている女子のことを気にしているのか。二人の区別がつかない、混同したことがあったのかどうか。  仮に、あこがれている女子が同じ学校にいないとしたら、シバ■嬢が中学の頃の想い人と似ているってことなのかもしれない。
*「セントラルプラザにも文房具店がある。」  セントラルプラザは、千葉銀座通りのどこか、あるいは銀座通りを抜けた、中央公園近くにあった商業施設だっけ? 大きなビルだったが、現存せず。  幾度も通ったはずなんだけど、場所の記憶がもはやあやふや。
*「どうして、家の親子はケンカずきなのか。ケンカといっても口論。おかあさんと、おじいさん。ぼくとおかあさん。なぜか口論ずき。」  家は、うちとよんでるな。  言い替えれば、長女と実父、長男と実母。血がつながっているから遠慮が無くなるってこともあるだろうし、上の世代が口論ずきだと下の世代にも伝染するってのもありそう。
*「タンパク質の中毒はこわいとよ。」  要は、腐った肉か?

 

 
00:09 2023/09/10 (日)


「人民はただ、平和なくらしを求めているのに、君は、理論をふりまわしている。」
「ハハハ、これは、人民のための理論ではない、人民を守る権力をつくるための理論だ。平和をいくら望んでも、彼らは消極的だ。そこで、彼らが、はいってこられるぐらいの便利な、はいりやすい社会体制をつくってあげるのがぼくの理論だ。ぼくの理論に人民は賛成しないかもしれないが、これによって得られる社会体制の一部に人民は平安を求められるようになるのだ。全部ではないが、一部には求められるのだ。彼らの理想とする社会は得られないが、この理論による社会体制ができることによって、その一部で、その部分で、消極的ではあるが平和にくらせるのだ。そのようにつくるのだ。」
 これが実現できる最高のものだ。

        (1973/05/14)


 頭のいい人が、正しい、より真理に近い考え方をとる(えらぶ)のではなく、頭のいい人のとった考え方が、彼の弁舌によって、真理に近い考え方として、他に示されるのではないか?

        (1973/05/14)


 ドイツは、ヒットラーのインショウがつよいので「独」といわれるのか?

        (1973/05/14)


 他にめいわくはかけていないのだから、授業中にこのノートをかいてもいいじゃないか?

 先生の授業をかいている間、きいていないとはしつれいである。

        (1973/05/14)


 早起き いいけど(学校で)ねむいのだ。
    しても

        (1973/05/14)


 ケン
    日本人の名
         >どっちでも? 
    外人の名

        (1973/05/14)


   c
 a――
   b
        c
     a+――
        b
           >どっち?
        c
     a×――
        b
        (1973/05/14)


 のろい女ってきらい。でも「明暗」の清子みたいな人ならいい。

        (1973/05/14)


 初項1と 

 1と7

        (1973/05/14)


 大学の入試は一つの科目に2時間、3時間をかけるので、その問題に、それだけ長時間たえていられるか、という精神的肉体的しれんである。

        (1973/05/14)


*「 ・・・ 「ハハハ、これは、人民のための理論ではない、人民を守る権力をつくるための理論だ。 ・・・ 」  狂える社会学者、のようでいて、意外と現実的でしたたかな理論が想像できるな。
*「頭のいい人が、正しい、より真理に近い考え方をとる(えらぶ)のではなく、頭のいい人のとった考え方が、彼の弁舌によって、真理に近い考え方として、他に示されるのではないか?」  真理を述べているのではなく、弁舌が上手いので真理のように聞こえる。ということだよね、なんか、ありそうだよ、身近なところにまで。  さらにいえば、たとえ彼が弁舌に優れていなくても、彼のいう真理のことはよくわからないとしても、頭のいい人というブランドを信用して、彼に従う。ということもざらにありそう。
*「ドイツは、ヒットラーのインショウがつよいので「独」といわれるのか?」  ドイツ【独逸】、ということであって、独裁者とは無関係でしょ。遅くとも、幕末か明治の頃にはこの漢字が当てられていたのでは。
*「他にめいわくはかけていないのだから、授業中にこのノートをかいてもいいじゃないか?  先生の授業をかいている間、きいていないとはしつれいである。」  先生の授業を、かいている間きいていないとはしつれいである。だよね。  だれかに指摘された、のではなく、かるい自責の念からの自問自答というところか。
*「ケン  日本人の名  外人の名  >どっちでも?」  ネットで調べたら、https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1444032704 ここに欧米人の愛称について詳述があった。長文なので転載はしないけれど、要は、〔普通はkenneth(ケネス)の略です。〕
*「a c/b  a+ c/b  a× c/b  >どっち?」  これは困るよね。帯分数って、正式な数学表記法なの?  混同を避けるために、a・ c/bなどと、×をあらわす・をはさんだりしたんだっけ?
*「のろい女ってきらい。でも「明暗」の清子みたいな人ならいい。」  呪い女ではなく、鈍い女、ですな。
*「初項1と   1と7」  直前の横線取り消しがなければ、1と7の文字の姿が似てるのが気になっただけと推量したいところ。  数学の命題かなにかに触発されて1と7に関わる別の何かが気にはなったのかも。  ま、謎。  (うーん。1と7の文字の姿が似ているのが気になった。今回それが気になったのは数学のノートの「初項1と・・」などという記述の際。で、このことをこの心記にメモしようとしたが、「初項1と」とまで書いて、これは書く必要がないと気づいて、消して、「1と7」だけにした。そういう流れか)
*「大学の入試は一つの科目に2時間、3時間をかけるので、その問題に、それだけ長時間たえていられるか、という精神的肉体的しれんである。」  って、ほんと、そんな長時間なのあるの? (未経験だからなあ・・)  ざっと検索してしらべたが、よくわからん。わかったとしても現在のシステムで、当時のそれではないしなあ。  ふつうは、長くても、1科目1時間半程度では。  仮に3時間とかそんな長時間かかるなら、多くの科目を課すとして、数日間を要するわけで、入試ってそんな日数かかるものだっけ?  (いずれにしろ、精神的肉体的試練であることはまちがいないと思うけど)  (あと少しいえば、遠く眺めている気楽な立場ではわからないぐらいの、こわさ、おののき、のようなものをこの高校二年生は(本項を書きつつ)ナマで実感しているのでは)

 

 
00:06 2023/09/03 (日)


 フランスは、大平洋で核実験をやって、アジアに威武を示そうとしているのではないか?

        (1973/05/14)


 ぼくは外出するときは机の上のものを、カバンに入れてでるのだ。学校にいく時も。だから、このノートに書くような仕事はいつでもできる。できるようにしなければならぬ。

        (1973/05/14)


 どんなにある女性を愛していても、すごい美人がいるというウワサを耳にしたら、見にいきたくなるだろうなあ。

        (1973/05/14)


 見
 耳

        (1973/05/14)


 作家や学者がどんなに深く、すばらしい事を考え、知っていても、それを何かに書いたり具象しなければ、作家としての学者としてのそれだけの価値をみとめられないのだろうか?
 具象して世に発表しなければ。

        (1973/05/14)


 呉服とは?

        (1973/05/14)


 今日ははやくおきたので、ユックリズムでいけたのだ。

        (1973/05/14)


 一人称限定視点において、主人公の錯覚をうまくえがけるか? 彼の意識と無意識とを区別できるか?

        (1973/05/14)


 一人称限定視点において、主人公はその視点をもつものときまっているか?

        (1973/05/14)


*「フランスは、大平洋で核実験をやって、アジアに威武を示そうとしているのではないか?」  太平洋。(しかし幕末頃は、大平洋も多用されていたとか)  フランスは、フランス領ポリネシアにおいて、1966年から1996年まで200回近くの核実験をしたそうだ。
*「どんなにある女性を愛していても、すごい美人がいるというウワサを耳にしたら、見にいきたくなるだろうなあ。」  笑。  想定に想定を重ねているけれど。
*「作家や学者がどんなに深く、すばらしい事を考え、知っていても、それを何かに書いたり具象しなければ、作家としての学者としてのそれだけの価値をみとめられないのだろうか? 具象して世に発表しなければ。」  世に認められ、忘れられないようにするには、世に知らせたり、業積が貢献しつづけたりしなければ、そりゃむりだろうなあ。  でも本項は、世に知られず、貢献もせずだとしても、それを達成していれば、作家であり学者であるといってもいいのではないか、という問題提起をしたがっているようにもよめる。
*「一人称限定視点において、主人公の錯覚をうまくえがけるか? 彼の意識と無意識とを区別できるか?」 「一人称限定視点において、主人公はその視点をもつものときまっているか?」  視点=語り手、とするなら、語り手が主人公でない物語はざらにあるだろう。  よって、語り手が主人公を眺めているなら、主人公の錯覚を描くのは容易。  語り手の錯覚をうまくえがけるか? という設問に直せば、簡単ではなさそう。  (1) 時間差で、語り手自身が自分の錯覚に気づく。  (2) 他の登場人物の指摘で気づく。  (3) 語り手自身は自分の錯覚に気づかないが、読者は気づくという仕掛け。  (4) 語り手が二重人格で、一方の人格の錯覚を他方の人格が気づく。  などの工夫はありそう。(意外と簡単か)  (4) は、一人称限定視点といえるのか怪しいけど。

 

 
00:31 2023/08/27 (日)


 なぜか しらけた 空気 が ながれる
 ─── ──── ──   ────
  ││  (1) │         │
  │└───┘   (2)     │
  └──────────────┘

 (1) しらけた理由がわからぬ
 (2) ながれた理由がわからぬ
        (1973/05/14)


 ──┐┌────┐

 なぜか しら けた

 ─────┘└─┘
        (1973/05/14)


 「明日にかける橋」というコトバはいい。

        (1973/05/14)


 ねてるうちにふとんをくびにまきつけて死ぬなんてことはあるかしら。

        (1973/05/14)


 ユウレイにうらみころされようとしているのだと知ったら、むしろ、よろこぶべきだろう。なぜなら、ユウレイ、ボウレイという存在を知った事により、死んでも、少なくともそういうものになって、意識をたもつことができる。死んでも、今まで考えていたようには死なない、天国や地ごくもあるかもしれない、と思えるから。しかし、さとってしまった人には、かえって、いや。

        (1973/05/14)


 「かえって」になぜ、「いっそう」という意味がある? 

        > この用法は?

        (1973/05/14)


 ぼくの机のあるあたりの床はふむとひっこみ、足をあげると、もとにもどりながら、ガラス戸に音をたてさせるのだ。

        (1973/05/14)


 足をはなす、というか?

        (1973/05/14)


 はやおきは3文の得というので今日はもっとねられるのに7時頃におきたのだ。雨は12時頃にやんでいたから、太陽はまぶしいくらい。

 歯医者にいくために■■から、朝早く、ホケンショをもってこなければならなかったのだ。

        (1973/05/14)


 娘A。彼女、ちょっとしたことから、みんなに疑われていてどうしても必要な小額の金が得られない。
 「おねがい、かして。」
 「へん、たのむんなら、Bにたのみな、あんたにあこがれてるっていうぜ。」
 A、とても美人。Bの所にA行く。こころよく貸す。

        (1973/05/14)


 ぼく、にらとトリニクがなぜかかきらい。

        (1973/05/14)


 そろそろノートを買わねば。

        (1973/05/14)


 現代の妻子ある人は出家しにくい。

        (1973/05/14)


 重

        (1973/05/14)


 朝早くおきると、おっそろしくゆとりのある生活ができるのだ。これからは、早おきだ。

        (1973/05/14)


*「なぜか しらけた 空気 が ながれる」  なぜかが、しらけた、ながれる、のどちらにかかるかで意味が変わる。これを吟味でしょう。  → 両方にかかるような曖昧さに、面白味がある。という辺りか、答えは。
*「なぜか しら けた」  これは、なぜかしら、でも区切れることの発見だけど、そうなると「けた」とは何か、ということになる。
*「「明日にかける橋」というコトバはいい。」  「明日に架ける橋」 サイモン&ガーファンクル、1970年。(原題:Bridge over Troubled Water)  → 邦題はだれがつけたのかは、検索したけど不明。
*「「かえって」になぜ、「いっそう」という意味がある?」  イコールではないのはたしかだけど、微妙に似かよっているかも?  → 一応、辞書で裏付けをとろうとしたんだが、「かえって」の字義に「いっそう」はない。「かえって」の字義に「むしろ」はある。それで、「むしろ」の字義に「いっそ」があった。そして、「いっそ」を調べると「いっそう」からきたらしいとある。・・妖しい関係?
*「歯医者にいくために■■から、朝早く、ホケンショをもってこなければならなかったのだ。」  当時waka君は被扶養者なので、親の職場にある保険証を拝借して病院にいく。  14日は月曜日。学校はあったと思う。おくれて登校、あるいは放課後にだろうか。  歯医者にいったのは、このとき(初日だけか、あるいは後日二日目があったか)だけだったはず。(生まれてから当時まで、当時から現在まで、通して)  右下奧から二番目の奥歯に、黒い穴のようなものを発見して(まったく痛みはない)、だったはず。このとき、詰め物をしてもらった。(この奥歯は、現在はもう抜けてしまって、ない)
*「娘A。彼女、ちょっとしたことから、みんなに疑われていてどうしても必要な小額の金が得られない。 「おねがい、かして。」 「へん、たのむんなら、Bにたのみな、あんたにあこがれてるっていうぜ。」 A、とても美人。Bの所にA行く。こころよく貸す。」  なんだこれは。オチがついてない。お話の起に過ぎないな。  でもなんとなく、気になるお話ではある。どういういきさつで疑われたのか、とか、声かけされた男性がどうしてとても美人なのに鼻であしらえたのか、とか。
*「ぼく、にらとトリニクがなぜかかきらい。」  鶏肉嫌いは幼少から現在までだが、ニラが嫌いは初耳(?)。この時期だけきらいだったのかもね、庭に生えているニラを母ちゃんがよく調理してた気がして、それがあまり美味くなかったような? 現在ではギョウザにニラが含まれていても美味しいと感じるだけだが。  鶏肉嫌いは、もう原因ははっきりしないが、これも母ちゃんの鶏肉料理がなんか違ったからだったのか。ほんとに幼い頃、母ちゃんが鶏をさばくのをみていて衝撃を受けたりしたんだっけ? (実家では鶏を飼ってた、私が小学生の頃まで。現在の駐車場、昔の弁天さまの池のとなりの敷地に実家があった頃、ドラム缶風呂の頃も、鶏を飼ってた。庭でついばむ鶏の記憶あり。その後あちらこちらと移り住んだあとの、うらのうちでも、鶏の首を玄関でひねる母の記憶あり)(うらのうちのあった場所も現在は駐車場)
*「そろそろノートを買わねば。」  これを書いているノートが「心記」の2冊目。全132頁あり、本項はその101頁目に載っている。
*「現代の妻子ある人は出家しにくい。」  なにをいっているかよくわかんないけどね。  武士佐藤義清(さとうのりきよ)が出家して西行法師となった。このとき、泣く子を蹴落として家を捨てた、というような逸話を耳にしていたのかも。そういう本来の出家は、現代ではもうできないのでは、という意か。

 

 
05:13 2023/08/20 (日)


 こ
 越える
 こ   }?
 超える

        (1973/05/13)


 A君、カミを切ってしまってから後悔。はやくのびないかな。すると、その次の日、おきてみると、もとのようにまで毛がはえている。A君すぐにカミの毛を切ってしまう。
 「常識的でないものは、いつわりだと人にみられる。いつわりだとみられることは、つまり、いつわりだということだ。みんなは、カツラをつけてきたのだろうと、うたがう。毛がとれないとわかっても、毛を移植したんだというだろう。どうなろうとも、けっして、ひとばんで毛がはえたなどという非常識な事は信じないのだ。それなら、そんな、うたがいのたねになるカミの毛など切ってしまえ。」

        (1973/05/14)


 常識的とは自然という事だろうか?

        (1973/05/14)


 これからは、学校がおわったら、すぐ帰り、4時頃から勉強を始めるようにしましょうか?

        (1973/05/14)


 もしかして、今日のホームルームで自己しょうかいするかもしれないので、その草案を書ける、

 えー、■■和香■です。趣味は将棋と読書。理想とするのは静かで安らぎある生活です。 以上。

 これでは短かすぎるとの意見もあるので、またひとつ、つくれる、

 ■■和香■です。循環気質です。言語障害です。将棋と読書が好きです。女の子が好きです。薄情です。人非人 にんぴにん です。残酷です。色情狂です。乱暴者です。異常人です。・・・・

 でもだめだねえ。

 ■■和香■です。趣味は将棋と読書。そううつ病の気 け がありますから、お友だちになりたい人は考えてからにしてください。

 というような、タドもおどろいた1年の時のじゃ、はずかしくてだめ。やっぱり、最初のでいいね。それとも他にある?

 41番、■■和香■、カ■■さんに親しみを感じている男。
 (ワーハハハハ)(ヒッコメー)(イヤーネ)(アンナヒトシラナイワ)

 というのは 一生の恥。

 姓は■■、名は和香■、生まれも千葉なら、育ちも千葉。天涯孤独をあこがれる、しがねえ高校 コウコー の一生徒 イチセイト 。(オドル)テケテケテケテン、テレツクテン ・・・・ よう、ねえちゃん、わらいなさんな。千葉のワカちゃんといえば、ちったあしれわたった名じゃねえか。(オドル)テケテケテケテン、テレツクテン・・・ よう、せんせい、ご注文は? (「もうヤメロ」) テケテケテケテン、テンテケテン ・・・・ そろそろ時間か ・・・ ちくしょう、来年の今月今夜、さ来年の今月今夜、ずっとさきまで、この今月今夜の月を、おれの失恋の涙でくもらしてやるべえ。(いよ、大統領、)(アホ)(ワハハハー)

 これは、おあそび。

 CM : 人非人は、じんぴにんとよまずに、にんぴにんとよむ。

 今、1時5分。

 CM :にんぴにん んにぴにん にんぴんに んにぴんに

 ああ、■■子さん、ぼくの思いをうけとめてください。あなたはだあれ。わすれたのですか、■■です、わか■■です。知らないわ。思いだしてください、そううつ病のわか■■です。あ、わかったけ。おそまつ。 (しらけ〜)

 というのは、もうまるでおあそび。ぼくは何を書いてるのかね。

 (低音で)みなさん ・・・・ 今 ・・・ 私は、ここに ・・・ (強く)ああ!! みなさん、今、今、私、わか■■が、(落とす)ここにいるというのに。(こぶしを前にだして)ギャーッ!! なぜ、なぜ、そんな顔をするのだ。ぼくをブジョクしているな。(落とす)いや、いや、ごめんなさいね。ぼくはなにも、ぼくは、 ・・・・ (シクシク) ・・・ ぼくは、 ・・・ (ウッ、ウッ) ・・・・ (机をたたく)ギャーーッ!! ブジョクだ。笑うな。殺すぞーー キャー 、なんてコトバを。ごめんなさいね。 ・・・ (シクシク) ・・・ (ウッウッ) ・・・ オロさせてもらいます。(おりる、と、とつぜん)ギャーー!! おれをむりにおろしたな!! ・・・・・
 (しらけ・・・)

 ■■■さん、わたしと・・・。君、みんながみてるよ。まっ、なに、気狂いしてるの、あなたなんかきらいよ。あ、まってくれ、「君がぼくを好いている」ときめつけたから、ぼくは気狂いなのか、それとも、みんながいないのに、いるといったから、気狂いなのか。後のほうよ。 ・・・・ ある愛の歌。(ニバンセンジ) (完全しらけ)

 CM: 気狂い=気違い なのか?

 CM: こんな、おーあそびも、イキヌキにはいい。

 41番、■■和香■、カ■■さんに親しみを感じている男。
 (競争相手だ、殺そう。)(殺せ、殺せ、)

 ぼくはですねえ、フム ・・・ マア、■■■という名を覚えといてくれれば ・・ フムム、 ・・・ ぼくはですねえ、やっぱり ・・・・ やせたタイプの ・・・ エヘヘ、女の人が好きでしてねえ、 ・・・ なんというか、やっぱり ・・・ オードリーヘップバーンなんか最高じゃないかと ・・・ フフム ・・・ えーとですねえ、やせた女の人といっても、 ・・・ フフム、やっぱり美人じゃなけりゃあ ・・・・ その点、あの人 ・・・エヘヘ、名前はいわないんですけどね ・・・ エヘヘ、あの人なんかは、 ・・・ エヘヘ、オードリーの次くらいに、 ・・・ グフフフ ・・・ てれるなあ ・・・

 完全おあそびの連発。今、サブリーダーを克己によってやらねばならんのに、こんなことをして・・・。ま、あしたがあるさ、なんちゃって、もう、ハメツみたいな、 ・・・ ダメネエ。

 人類の平和をすみやかに世界にもたらし、かつすべての苦悩を抹殺するためのアイデアを、考えようとしている、世にも偉大な男性にあこがれている女性を好いている男、■■和香■がやってまいりました。たびかさなる失恋にもめげず、今日もはかない夢を追う男、食べるごとに体重を増やして、笑いながら泣いている男、全女性の母性本能をしげきするほど、ウブでない男、である人によく似ているかもしれない男、■■和香■。やってまいりました、あの、あの■■和香■が。 ・・・・ ああ、しらけたのですね。しかし、彼はもうなれています。人生をしらけさせるために、生まれてきたような男なのですから。わかっているんです、同情やあわれみはいりません。

 もうねむい
      女性語の「わ」でない。

 41番、■■和香■。〜〜〜です。質問や意見は?
 (女の子)ハイッ! 私が好きですか? (ギャハハー)
  エエ、そんけいしていました。(ワハハー)
  私をだけますか。(ゲハハー)
  まだ、未成年ですから。(ワハハー)
    (ソノノチ、ナゼカシラケタ空気ガナガレル)

        (1973/05/14)


*「A君、カミを切ってしまってから後悔。はやくのびないかな。 ・・・ それなら、そんな、うたがいのたねになるカミの毛など切ってしまえ。」」  小話のタネ?  お話としては何かがいくつか足りない感じだが、この足りなさ、説明の欠落がかえって佳し、ともいえそう。  それはそれとして、吟味すれば、たしかに異常、超常なんだが、他人は他人の髪の毛など、実はほとんど気にしていないってことがあると思う。数センチ伸びようと縮もうと、だれも気づかないことが多いはず。A君、切らずに他人の反応を試したりおもしろがったりしてみるのもありだったのでは。拍子抜けするぐらい無反応というのも、一つの展開としてあり。  ならば、本文は起の章、翌日髪がまた生えたので、今度は切らずに学校にいってみた、というのが承の章。こういう組み立てはありそう。転や結で、どうはずませ、どうオチをつけていくかが、腕の見せ所。  でも、それがうまく行かないなら(ごてごてさせないでさらっとうまく行く、そういうのが無理なら)、最初にもどって、本項本文だけで佳し、として満足しましょう。次善かもしれないけど、最善に近そうだし。
*「これからは、学校がおわったら、すぐ帰り、4時頃から勉強を始めるようにしましょうか?」  これは願望であって、そういう殊勝なことにはならなかったと思う。
*「もしかして、今日のホームルームで自己しょうかいするかもしれないので、その草案を書ける、」  日付が変わって四項目だから、本項は14日の午前零時以降の記載。この後眠り、朝になり、今日の学校にいく。  新学年が四月からなのに、なぜ五月に自己紹介? ホームルームの時間が週に一時間なので、一度に全員の自己紹介がしきれず、分割してやって来てその何回目か、という事情か。
*「これでは短かすぎるとの意見もあるので、またひとつ、つくれる、」  短い、だから、短すぎる、が正式な送り仮名。
*「というような、タドもおどろいた1年の時のじゃ、はずかしくてだめ。やっぱり、最初のでいいね。それとも他にある?」  タド(一年のときの担任、田■先生。文学クラブの顧問でもある)が、真に受けてしまった、一年生時の自己紹介じゃ、という意。
*「41番、■■和香■、カ■■さんに親しみを感じている男。 (ワーハハハハ)(ヒッコメー)(イヤーネ)(アンナヒトシラナイワ)」  カ■■嬢を話題にするってことは、カ■■嬢は同じクラス、その場にいるって想定かな。すでに、自己紹介のマジメな検討からは外れてきてる。
*「CM :にんぴにん んにぴにん にんぴんに んにぴんに」  自分の手書きの「に」と「ん」が酷似しているのに気づいて、取り違えて読むとどうなるか吟味しているもよう。
*「ああ、■■子さん、ぼくの思いをうけとめてください。あなたはだあれ。わすれたのですか、■■です、わか■■です。知らないわ。思いだしてください、そううつ病のわか■■です。あ、わかったけ。おそまつ。 (しらけ〜)」  わるくないのりだが(^^;  ■■子さんは、中学時の想い人が念頭にありそう。
*「 ・・・ (ソノノチ、ナゼカシラケタ空気ガナガレル)」  自己紹介コーナー、以上か。合いの手、ト書きなど豊富で、舞台をみるようで、散らかりぶりやおさなくおろかなこそばゆさも含めて、楽しかった。(^^)  このときやらねばならなかった英語の勉強とかはすでにどこかに消え去っているけど、waka君が遊んだこの妄想舞台はこの通り、半世紀後も楽しませてくれているよ。

 

 
05:07 2023/08/13 (日)


 女のザツネン
 シット
     相手
     ぼく
 ゴキブリ 足 フロ
 カオ メンソレ セッケンフロ ねむくならん
 克己のポスター

        (1973/05/13)


 耳は、てあらくあつかってもだいじょうぶなのか? おりまげたり、圧迫したり・・・。

        (1973/05/13)


 女には雑念なんてあるの?

        (1973/05/13)


 一郎は 花子に トキを いじめさせようとしている。

    花子が トキをいじめるように

    トキが何かをいじめるように花子がするように一郎が ―― .

        (1973/05/13)


 ぼくは、ぼくを好いてもらいたい女性が、ぼくが他の女性を好くからと、その女性にしっとするようにしむけようとしている。

 要は、ぼくを確実に好いている人がほしく、そのあかしとして、だれかをしっとしてもらいたいのだ。

 いまのところ、ぼくが他の女性を好くからと、その女性にしっとする女性はいない。

 そこで、ぼくは、2人の女性を好いているようにみせ、2人は、互いにしっとしあい、ほんとうはそれほどぼくを好くはずではなかったのに、競争相手がいるからと好くようになる。彼女らは一種の錯覚におちいって、ぼくの望むようになる。つまり、これほどしっとするからには、私はあの人を好いているんだ、と。実は、ぼくの質など関係なく、女同志で戦っているために、はげしくしっとするのに。要するにぼくがどんなに質がわるくとも、彼女らは錯覚して、ぼくを好く。そして、ぼくが苦労しなくとも彼女らが戦えば戦うほど、しっとがつのり錯覚がつのる。

 というようにうまくいく事を、ぼくは望んでいるのではないかしら?

 といっても、まるでうまくいきようがないからね。2人の女性が、競争しあうまでにもっていけばあとはかんたんだが、そこまでもっていくのはなみたいていの手わんじゃむりだね。いつも、「この人はぼくを好いているかも、」「それでは、あの人と仲よくして、この人のようすをうかがおう」「この人はしっとするかしら」「おやしない、失敗。」というように、からまわりばかり。そして「では、あの人はぼくを好いているかしら。」「それではこの人と仲よくして、ようすを、」「おや、あの人もしっとしない」なんてなるのがおちで、いみじくあわれ。

        (1973/05/13)


 ゴキブリ
       フロ場にいたよ、ガキが。ぼくの足にまでのぼってきた。
       キガエル所にもガキがいた。

        (1973/05/13)


 世の動物がみな人間のカオカタチになったらおもしろい。

   いや、万物が。

        (1973/05/13)


 かおに、ひまさえあればメンソレータムをつけ、フロにはいったら、せっけんをぬって、あらうようにしろ。ニキビヲナクス会

   これをやると、フロからでてもねむくならん。

        (1973/05/13)


 ニキビヲナクス | 会
         | かい?
        (1973/05/13)


 動物や植物が、人に殺されそうになると、人間に変身できる力を得たら、おもしろい。

        (1973/05/13)


 カオカタチ
        )?
 スガタカタチ

        (1973/05/13)


 「克己」のポスターをはっても、1日でだめになるかもしれん。が、少なくとも1日もったのだから、もしだめになったら、またつくれ。だめになるごとに「克己」のポスターをつくれ。そうすれば、そのつど、1日はもつ。

        (1973/05/13)


 〜ごとに
        }?
 〜事に

        (1973/05/13)


 〜ごとに = 〜毎に
      ≠ 〜事に

        (1973/05/13)


 はちまきするのといっしょに 耳をかくしたら 勉強にはいいか?

        (1973/05/13)


 いっしょ → 時
      → 場

        (1973/05/13)


 「オードリーヘップバーンよ、夫を何人つくったかしらないが、おれを夫にしなかった事だけは、後悔してもそんはない。」

 コシラエモノ

        (1973/05/13)


*「女のザツネン  シット  ・・・  克己のポスター」  頁上辺にメモ書き。以下数頁で本文に反映されている模様。
*「一郎は 花子に トキを いじめさせようとしている。 ・・・  」  文章内容にとくだんの意味はなく、構文の両義性を吟味するための例文でしょう。  だけれども、偶然ながら、詩的な匂いがあるな・・  トキって鳥? 時? 人名?
*「ぼくは、ぼくを好いてもらいたい女性が、ぼくが他の女性を好くからと、その女性にしっとするようにしむけようとしている。 ・・・ 」  これは例文ではなさそう。  めんどくさい性癖ですな。
*「いまのところ、ぼくが他の女性を好くからと、その女性にしっとする女性はいない。」  独り相撲?  waka君の口ぐせにならえば、チジョク。
*「そこで、ぼくは、2人の女性を好いているようにみせ、2人は、互いにしっとしあい、ほんとうはそれほどぼくを好くはずではなかったのに、競争相手がいるからと好くようになる。彼女らは一種の錯覚におちいって、ぼくの望むようになる。つまり、これほどしっとするからには、私はあの人を好いているんだ、と。実は、ぼくの質など関係なく、女同志で戦っているために、はげしくしっとするのに。要するにぼくがどんなに質がわるくとも、彼女らは錯覚して、ぼくを好く。そして、ぼくが苦労しなくとも彼女らが戦えば戦うほど、しっとがつのり錯覚がつのる。」  理屈はわかる。一理ある。しかし、ありえないな、どんなに質がわるくとも、では。  ある程度質がよければ、それ以上に過大評価してくれることは、この状況ならありえるかも、というところでしょう。まあ、恋は錯覚の重ね塗りだろうから、めずらしくもない状況と思うけど、女性も盲目ではないから、ある程度のよさが男になければ、始まらないよね、きっと。
*「 ・・・ いみじくあわれ。」  いみじくあわれ。
*「世の動物がみな人間のカオカタチになったらおもしろい。  いや、万物が。」  擬人・化。  異常なようだが、動物のみならず無機物まで美少女・化しなければ気がすまないような現代のアニメ状況を思えば、それほど常と異なるわけでもないかも。
*「かおに、ひまさえあればメンソレータムをつけ、フロにはいったら、せっけんをぬって、あらうようにしろ。ニキビヲナクス会」  ニキビヲナクス会の指令、という想定なのね。  まあ、いじらず気にせず放置が、最善かと思うんだが。時が経てばニキビは消える、ホルモンバランスがおちついて。  なんだけど、まちきれないやね、やっぱり、それがつまり、にきびのでるお年頃ということだろうし。
*「動物や植物が、人に殺されそうになると、人間に変身できる力を得たら、おもしろい。」  おもしろいというより不気味すぎて。  最強の、対人間防御かもしれん。  これをやられていたら、繁栄はできなかったと思う。人類。  (いや、食うためなら、突破したか、幻術など・・)
*「「オードリーヘップバーンよ、夫を何人つくったかしらないが、おれを夫にしなかった事だけは、後悔してもそんはない。」」  1973年当時、彼女は二度目の結婚をしている。  後悔してもそんはない、という捨てゼリフは、味わうほどに間が抜けているね(^^

 

 
06:14 2023/08/06 (日)


 資源がうなっている
         ?

        (1973/05/13)


 おわりはおわり。
 (尾張)

        (1973/05/13)


 険しい →けわしい。

        (1973/05/13)


 常識的な生活をしていた人が、異常な生活をかいまみるというお話。

        (1973/05/13)


 いろんな事に手をだすと、すべてに失敗するだろうか。

 ぼくは今、勉強と文学と将棋に手をだしているが、勉強がかんばしくない、あとの2つはだいじょうぶか?

        (1973/05/13)


 このごろは夜、雨がふって昼、晴れる。

 この天気がつづいたら、理想的か?

        (1973/05/13)


 ページとは日本語で何というのか?

  国語辞典にもでていないのだ。

        (1973/05/13)


 ぼくはぼくがあまりになまけものになってしまったので、机の前のガスス戸に「克己」の2字をはる。

        (1973/05/13)


 おねえさんの机の下にゴキブリ

        (1973/05/13)


 水をのもうとして、それが、のどにつかえることがある。

        (1973/05/13)


 今年の秋、女子校の文化祭にいってもいいけど、女子校の文化祭には、男子生徒が1人もいかないとのことです。いくきが、スクナクナリヌ。

        (1973/05/13)


 人は、大人になるにしたがって、自分がよく見えるようになってくるのではないか?

        (1973/05/13)


 自分の、読むのが好きな文章と、書くのが好きな文章が一致しない事もあろう。

        (1973/05/13)


 克己の精神によれば、フロをでたあともねむくならない。なってもがまん。

        (1973/05/13)


*「常識的な生活をしていた人が、異常な生活をかいまみるというお話。」  かなりたくさんあると思う。物語の半分はこれかもね。  常識的な生活をしているだろう読者の立場を託された人物が、作者が見せたい異常な生活を垣間見たり、作者が会わせたい異常な人物と交流する。ということなんだと思う。
*「ページとは日本語で何というのか?  国語辞典にもでていないのだ。」  調べると、「丁」が一番近いらしい。  紙の表裏で、二ページ。  対して、日本の書籍は二つ折りの紙をつづったものなので、二つ折りした一枚の紙を一丁と呼ぶ。(二つ折りしたあとの表裏二ページをひとまとまりとして一丁)
*「ぼくはぼくがあまりになまけものになってしまったので、机の前のガスス戸に「克己」の2字をはる。」  ガラス戸。克己は縦書き。 → 約八ヶ月後の記事。  「ぼくの北の窓の「克己 こっき」の字を、みんな、「カツミ」とよむんよ。カツミなんて有名な人いるんの? (1974/01/04)」
*「おねえさんの机の下にゴキブリ」  ノートの中でも実際でも、呼び方が、何度か変わってる気がする。  ○○ねえさん、おねえさん、などは丁寧すぎるという違和感がだんだんつのって、十代終わりごろには、○○ねえちゃん、あねき、などに移っていったか。  妹らの呼び方は、ほぼ変わらず、いつも呼び捨て。
*「水をのもうとして、それが、のどにつかえることがある。」  それが、むせぶ、だよ。
*「今年の秋、女子校の文化祭にいってもいいけど、女子校の文化祭には、男子生徒が1人もいかないとのことです。いくきが、スクナクナリヌ。」  県立千葉女子高でしょう。waka君の級友男子はだれも、なのか、一般の男子生徒は誰も、なのか。(後者だとして、一般の男子生徒がだれも見物にいかないなどということはないはずなんだが、そういってしまえるほど少ないよ、という伝聞だろうか)。  この日、イ■■ちゃんに行ってみないかと誘われたのかも。  あるいは、この日、イ■■ちゃんに男子生徒が1人もいかないと聞かされたのかも。 (可能性はまだある。県立千葉女子高はwaka君の姉が一年前まで生徒だった。この日、イ■■ちゃんに行ってみないかと誘われて、いいかもねと応じたが、帰宅後、姉に話したら、「男子生徒なんかだれも来なかったよ」と実情を明かされた。とかね)
*「人は、大人になるにしたがって、自分がよく見えるようになってくるのではないか?」  二つの意味に読み取れそう。  (1) 自分が客観的に見えるようになってくる。  (2) 自分が肯定的に見えるようになってくる。  当時は、ま、(1) のつもりでかいているのでしょう。  今は、(2) の意味のほうで、多くうなずける気がする。
*「克己の精神によれば、フロをでたあともねむくならない。なってもがまん。」  笑。

 

 
04:29 2023/07/30 (日)


 トイレの中でこれをかくのもいい。

        (1973/05/13)


「彼はただみていただけさ。」
「なんだって、なんて ―― 」
「ハハハ、彼はメ■■じゃないか。」
 彼とは、カバンでも人でもなんでもいい。

        (1973/05/13)


 ぼくはぼくの家から、千葉駅につながるまっすぐな道、(みゆき通りetcなどのウラ道)をこわい道と思っているのか。少なくとも他人はそう思っているのではと思っているのか?

        (1973/05/13)


 知らないぼうず頭の男の人が下を通る。A子は、二階から、
「ぼうず」とよぶ。
 その男の人はすこし目をこらして
「ああ、B子か?」
「ぼうず、目がわるいの。」
「うん。B子かどうかよくわからなかったよ、B子。」

        (1973/05/13)


 外人のおじさ

 2本だて?

 すべて、自分のために
  自己ケンオから。脱出

 正−王

 デンワ ― まず、自分の名。

 にそっくり
  ヘプバーンは、 よしながさゆり

 愛はつづくのが あたりまえなのでなく、おわるのか。あたりまえか。

 アイとは線分であって半直線でない。

        (1973/05/13)


 神代とは?

        (1973/05/13)


 イマにかける絵ぐらいかける。

        (1973/05/13)


 いつか、油絵 アブラエ をかきましょう。

        (1973/05/13)


 ひまをみつけては、顔にメンソレータムをぬりましょう。

        (1973/05/13)


 外人はおじぎなんてするのか。外人のおじぎと日本人のおじぎはどちらが先?

        (1973/05/13)


 映画はなぜ、ほとんど2本立てなのか。

        (1973/05/13)


 電話をかけるときは、まず、自分の名をいうのが礼儀か?

        (1973/05/13)


 オードリーヘプバーンは、よしながさゆりに似ている?

        (1973/05/13)


 愛はつづくのがあたりまえなのでなく、おわるのがあたりまえか、いくらつづいてほしいと思っても。結婚なんてのは、それをつづかせようとするおろかしい行為か?
 愛とは線分であって、半直線でない。

        (1973/05/13)


 頭に、テヌグイか何かで、ハチマキをしめれば、きつくしめればしめるほど、頭がスッキリする。

        (1973/05/13)


 A君、みんなが、自分の事をひとつも気にとめていない、と思って、自己ケンオ。まるで自信をなくす。そのうちに、自信をなくしていたひかえめなA君の態度が関連して、ある事に成功。成功してから、みんなは、今まで、ただただA君のためにのみ行動してきたことをいう。そして、それは真実。

   というお話

        (1973/05/13)


*「トイレの中でこれをかくのもいい。」  この日は日曜日、映画の日、だよね。家のトイレで書いているか?
*「「彼はただみていただけさ。」 「なんだって、なんて ―― 」 「ハハハ、彼はメ■■じゃないか。」 彼とは、カバンでも人でもなんでもいい。」  謎だが・・  見ていたといったけど、彼は視覚障害だったね。という一呼吸だけのウソツキ?  見ていたといったけど、カバンに視覚はなかったね。これでもいいと?  カバンの場合は、相手のセリフもこちらの二つ目のセリフも別の言い方になる、と?  たぶん、waka君の脳内にはもっと長めの物語ないしは状況設定があって、そこで交わされる対話なんだろう。脳内から抜き書きされているので、他の部分をよめない我らには理解不能気味、ということではなかろうか。
*「ぼくはぼくの家から、千葉駅につながるまっすぐな道、(みゆき通りetcなどのウラ道)をこわい道と思っているのか。少なくとも他人はそう思っているのではと思っているのか?」  と書いているので、直前か、今まさに千葉駅に向かっている最中か、直後か。イ■■ちゃんとの待ち合わせは、千葉駅の緑の窓口、午前十時のはず。  千葉駅の正面の大通りには銀行やデパートが並んでいるが、北側の一筋外れたウラ道がみゆき通り。飲み屋街とか風俗店とかで夜はいたずらに華やか。waka君が歩いているだろう午前中は、あっさりしていて人通りも少ないんだが。(まれに発砲事件などがある。^^メ)
*「知らないぼうず頭の男の人が下を通る。A子は、二階から、  「ぼうず」とよぶ。  その男の人はすこし目をこらして  「ああ、B子か?」  「ぼうず、目がわるいの。」  「うん。B子かどうかよくわからなかったよ、B子。」」  まだ髪を伸ばしていないはずなので、ぼうずはwaka君がモデル。「ぼうず」と呼ぶA子、またはB子は、あの辺りに住んでいるはずの、■ゆきがモデル。モデルというか、みゆき通りを歩きつつ、幻視しているんだろうな、こういう会話を。  ■ゆき。中学一年の頃、通学バスの中で、waka君を「ぼうず」と呼んでからかった小学生少女。その後、美人中学生になる。
*「外人のおじさ  2本だて?  ・・・  アイとは線分であって半直線でない。」  ページ半分ぐらいに書かれたこれらメモ書き。メモ書きで書くしかなかったのは、映画上映中だから? 上映前としても、すでに暗くなっていたから?  以下の項で、だいたいは本文化されている。
*「イマにかける絵ぐらいかける。」  これはだじゃれ。かけるを輪唱しての。  気づきにくいけど、「居間に掛ける」「今に描ける」だけでなく「今に賭ける」もしゃれているのかも。
*「いつか、油絵 アブラエ をかきましょう。」 「ひまをみつけては、顔にメンソレータムをぬりましょう。」  油絵とかメンソレータム、とか、唐突になに?  メンソレータムはニキビ対策という事もあったかもだけど、油絵って?  項のある場所的に、イ■■ちゃんとの会話が元かなあ・・ 
*「映画はなぜ、ほとんど2本立てなのか。」  まあ、千葉ではね!  この日、ローマの休日と並映されていたのは何だったのか。書いてくれてないのでわからない。
*「電話をかけるときは、まず、自分の名をいうのが礼儀か?」  だよね。  最近waka君が電話をかけたのは前日のイ■■ちゃん宛だから、そのとき名乗らずに用件を切り出していて、そのことを翌日イ■■ちゃんにやんわり指摘されて、これを書いている、のかな。
*「オードリーヘプバーンは、よしながさゆりに似ている?」  姿形はあまり似ていないよな。雰囲気が似ているっていえば似ているか。  お姫様、お嬢様タイプ?  いや、なにか、掃き溜めに鶴というか、後光が差している尊さ、というか。まとっているものが似ているのか。男たちが幻視しているさまが似ているのか。
*「愛はつづくのがあたりまえなのでなく、おわるのがあたりまえか、いくらつづいてほしいと思っても。結婚なんてのは、それをつづかせようとするおろかしい行為か?  愛とは線分であって、半直線でない。」  これがいちおうの、ローマの休日の、事後感想か。
*「A君、みんなが、自分の事をひとつも気にとめていない、と思って、自己ケンオ。まるで自信をなくす。そのうちに、自信をなくしていたひかえめなA君の態度が関連して、ある事に成功。成功してから、みんなは、今まで、ただただA君のためにのみ行動してきたことをいう。そして、それは真実。   というお話」  なんかふやけたお話だな。  頼まれでもしないかぎり、こんなお話書く気しないよ。  それ以前に、前半と後半、つじつまを合わせられるかどうか、むずかしそう。  誕生日のお祝いを本人に隠して準備する、というシチュエーションに近くすれば、どうにかなるか。  それでも、いわゆるクリスマスストーリー、特定の晩だけは許されるふやけた善い話ってやつに堕さないようにするためには、ひとひねり、欲しい。  (ふやけていない善い話が書けるようになったら、本物なのかもね・・)

 

 
04:16 2023/07/23 (日)


 おきる、とはどういう事か?

  ・めがさめる
  ・たちあがる

        (1973/05/13)


 ぼくは、小さい頃、ウンコの中に小さな人(女の人)がはいっていたらどうしようかな、といろいろ考えたことがあった。

        (1973/05/13)


 1度変身すると、何々時間たたねば、ふたたび変身することはできぬ、なんていう変身ものの特徴は、何 ナニ をした後、すこしの間は、力がカイフクしない、ということからきたのか?

        (1973/05/13)


 射精はトイレでやっていいものなのか? あとで、6法全書でしらべましょう。

        (1973/05/13)


 カムイ伝において片手とは、どういう意味をもつのか?

        (1973/05/13)


 仮死火山

        (1973/05/13)


            はいよ
             ↓
            あいよ
             ↓
 ああ → ああよ → あーよ
        (1973/05/13)


 「テレビでみるのと、ほんとにみるのとじゃ、ちがうねえ。」

        (1973/05/13)


 一生、とらないだろう指輪をつけた女性がいたとする。彼女はぜったいに死ぬまでとらないわ、と決める。ところが、ある日ためしてみると、指輪がとれない。どうがんばってもとれない。そこで、いろいろな苦労をして、医者に行ってまでもとる。

 指輪なんて、ついていてもいなくても同じなのに、その女性にとってはついていた方がいいのだろうに、なぜその女性は指輪がとれない、とわかると、それをとろう、とするのか?

        (1973/05/13)


 かつらのとれなくなった人、コンタクトレンズのとれなくなった人も同じ事をやるか。

 人間の他物に対する拒絶反応。

        (1973/05/13)


 服を着ていれば切れる。

        (1973/05/13)


 あやつり人形をやるなら、服を人形にすれば便利

        (1973/05/13)


 ソーダ
 そうだ

        (1973/05/13)


 うん、そうだよ
          >■■コマチガエル
 うそだよ

        (1973/05/13)


 ショルダー
 ソルダー
 ショルジャー
 ソルジャー

        (1973/05/13)


 ウサちゃん
 ウサギ

        (1973/05/13)


*「ぼくは、小さい頃、ウンコの中に小さな人(女の人)がはいっていたらどうしようかな、といろいろ考えたことがあった。」  爆。何かしら、無意識層の欲動が関係しているような、いないような・・
*「射精はトイレでやっていいものなのか? あとで、6法全書でしらべましょう。」  書いてあるわけないよね〜  こまったもんだ。高校生男子。  (今となっては、うらやましい。当時の心境に同調していくにつれ、今はやっかいなものから解放されたのかも、と感じたり)
*「カムイ伝において片手とは、どういう意味をもつのか?」  横目など、片手のキャラ、多めだったよね。たしか。  ・・でも、とりあえず他は浮かばないが。
*「仮死火山」  調べると、死火山や休火山はかつて使われていたけど、今は使用されなくなった用語とのこと。「仮死火山」というのは、かつても使われたことがなかったみたいだ。  ただしこれらは学術方面のことで、比喩的な言い方としては、まだちらほら生息しているのではと思う。
*「「テレビでみるのと、ほんとにみるのとじゃ、ちがうねえ。」」  「 」付きなので、家族のだれかの言葉か。母か祖母か。  それにしても、具体的に何を見ている? 例が一つも浮かばないんだが・・
*「一生、とらないだろう指輪をつけた女性がいたとする。 ・・・ なぜその女性は指輪がとれない、とわかると、それをとろう、とするのか?」  物理的にとれるけど、自分の意志でとらない、という形が希望なんだろうな。あくまでも、平常の状態のもとで、平穏に。  物理的にとれないのは、服が脱げないのと同じで、異常事態。  結果的に同じだからとれなくてもいいや。どうせたかが百年でしょ。と泰然としていられる度量はなかった、と。
*「かつらのとれなくなった人、コンタクトレンズのとれなくなった人も同じ事をやるか。」  かつらとかコンタクトレンズとか、とれなくなったら、ほぼホラーだよね・・  とれなくなったかつらは自毛と同じ。コンタクトレンズがとれなくなったら視力が回復したのと同じ。他に一切不都合が生じないとしても、そう割り切れる人は、さすがにいそうにないか・・  装着物と思うから心の拒絶反応が起こる。身体改造、サイボーグ化、科学的な進化、とおだてられればあるいは、受け入れられるのかも。  要は、自分のカラダ、身内、一心同体、と信じられれば気にならなくなっていく、ということか。  しっかりプラスの働きがあれば、マイナス面があってもメンテナンスして共存していく。それはなまみのからだでも同じだから、と。  信頼が、強固で半永続的で隙がなくて、透明になっていく。
*「服を着ていれば切れる。」  着てと切れる、同じきの音で別漢字なのがちょっとおもしろかったようだけど?  着ていれば着れる、とも聞こえるのがおもしろい?  前々項、前項からの流れもあったんだろうね。
*「あやつり人形をやるなら、服を人形にすれば便利」  これも、もうひとつ謎だ。  人形本体は無しで、着せる服だけを操る、というようなことをいいたいのか?  わざわざつくらなくても、今ある服を人形とみなせば、操り人形になるよ、とか?  人を操作するための、何かの比喩とみなせば、多少、意味深になりそう? これは無理があるか。
*「うん、そうだよ   うそだよ  >■■コマチガエル」  上の妹(片方の耳が難聴気味)が、聞きまちがえたか。  うん、そうだよ→んそうだよ→うそだよ、という感じで。  逆方向もありそうか。
*「ショルダー  ソルダー  ショルジャー  ソルジャー」 「ウサちゃん  ウサギ」  この辺りは、上の妹の語彙、またはそれにヒントを受けたものかもね。  難聴気味で、聞きなれない外来語とか、すんなりカタカナ語に変換できないことがあった。  中学生以降はだんだんそういうことを感じさせなくなっていく。身内にも。(さらに成長すると、ものすごく口が達者になる。いや、これは女ならたいていそうか)

 

 
03:59 2023/07/16 (日)


 える :得る。

        (1973/05/12)


 さむらい
        これは、
  寒ライ
      >こんな漢字のような感じ。
  サ村井

        (1973/05/12)


 「ロンドンパリ」とは?

        (1973/05/12)


 心中
     しんちゅう
     しんじゅう
       ぢゅう?

        (1973/05/12)


 「座産」とは?

        (1973/05/12)


 「まぶたの母」

        (1973/05/12)


 「おまえ、ぼくの事いじめてる?」
 と、今、自分にむかって、ひとりごとをいったのだ。

        (1973/05/12)


 26+8=?

     26
    + 8
    ――1――
     34
 26+8は、といわれたとき、パッと「4」というのがでてこない。 6と8で「14」というのがでる。

        (1973/05/12)


 パッと
     >?
 パット

        (1973/05/12)


 返事 :へんじ

        (1973/05/12)


 かたかけカバン
 かたさげカバン

        (1973/05/12)


 英語のサブリーター、32ページやるのに、ひとつもやってない。すこしやりはじめれば、波にのることもできるのに、やりはじめようとしないのだ、ぜんぜん。

        (1973/05/12)


 攻めれば守りが弱くなり、守れば、攻めが弱くなる。

        (1973/05/12)


 英語の話しを訳すのはいいけれど、どうせよむなら、すきなお話を訳したい。

        (1973/05/12)


 ラーメン屋、オオバンは消えたのだ。

        (1973/05/12)


 バスケットでぼくは無心になったときに、よくシュートがきまる。
 入れてやろう、ハクシュをうけるだろうか、と考えるとはいらない。

        (1973/05/12)


 ゆめの中で、ローマの休日は がおわったのは、時計で3193時19分。それを読んで、3時9分。
 (時計の針は3時19分の所をさしているが、それをみんなは3時9分と読む。)

        (1973/05/13)


*「「ロンドンパリ」とは?」  ろんぱり、か。  斜視のことだが、現在では差別用語あつかいかな・・
*「「座産」とは?」  字の如く、座った姿勢で産むこと。
*「「おまえ、ぼくの事いじめてる?」  と、今、自分にむかって、ひとりごとをいったのだ。」  短詩のよう! 
*「かたかけカバン かたさげカバン」  ショルダーバッグ、ふつうなら。  勤め人の頃は茶色革の小柄な大人っぽいのとかをもっていた。  しかしこの当時、高校生waka君がさげていたのは、白い布製で大きな肩掛け学生カバン。  黒い革製の学生カバンが壊れたとき、安くて丈夫でたくさんはいるからと、そちらにしたんじゃなかったっけ。中学時代には切り替えていたのか、高校になってからか。  (いや、布製肩掛け学生カバンを肩に提げ、黒い革製の手提げ学生カバンも手に持ち、ふうふういいながら通っていたという記憶もある。高校になって自転車通学するときも大荷物で荷台にくくっていたような・・ その頃は、JALのロゴ入りのショルダーバッグまでつかっていたような・・ わからん、わすれた。笑)  (基本的に大荷物で、カバンがよく壊れた、紐がよく切れた、というのは確か。成長期にこうだったから、のびのびと背が伸びなかったのでは、とまで疑っている)
*「英語のサブリーター、32ページやるのに、ひとつもやってない。すこしやりはじめれば、波にのることもできるのに、やりはじめようとしないのだ、ぜんぜん。」  32ページはさすがに多すぎない?  その冊子の、32ページ目の1ページだけを言っているとしたら、少なすぎる? 1ページだけなら気合いでやっちゃえよ。
*「攻めれば守りが弱くなり、守れば、攻めが弱くなる。」  格言めいているが、将棋の話でしょうな、とりあえず。
*「英語の話しを訳すのはいいけれど、どうせよむなら、すきなお話を訳したい。」  だよね〜 英語教材の物語、つまらない、幼いのが多すぎて、高校生たちには満足できないよね。現国で習っているような物語に比べて落差が大きすぎる。  新聞とか、現代米文学とか、そういうのを教材にしてしまってよかったのでは?  ライ麦畑でつかまえて、など、訳してみたかった。
*「ラーメン屋、オオバンは消えたのだ。」  記憶にないが、店名だろう。高校生waka君、気になっていた店だったか。  大盛のことを大判と言っている可能性は低いと思う。
*「ゆめの中で、ローマの休日は がおわったのは、時計で3193時19分。それを読んで、3時9分。 (時計の針は3時19分の所をさしているが、それをみんなは3時9分と読む。)」  5/13の第一項。  イ■■ちゃんとこの映画の約束をした日曜日だが、まだ朝になっていない、まだ現実の映画館には来ていない、はず。しかも字の乱れからいって、夜中または未明に起きて寝ぼけながら書いている感じ? (まさにこの、午前3時19分かも)

 

 
04:18 2023/07/09 (日)


      orアマ
      アメカゼ
 タンポポや 雨 風 なくば種もちらじを

 テキトウ、五七七ダって.

        (1973/05/12)


 今日、ひさしぶりにうまく、魚の骨がとれた。

        (1973/05/12)


 フリビシャでかつより、イビシャでかった方がうれしい。

        (1973/05/12)


 イビシャ
       }?
 イヒシャ

        (1973/05/12)


 オカボやヤマの性格は陽性。おニシやイ■■チャンのそれは陰性。

 ぼくに対して。

        (1973/05/12)


 よいこら、えっさ(の)どっこいしょ

        (1973/05/12)


 今、非常に自己ケンオ
      心が重い

        (1973/05/12)


    メガネ
    10:00 千葉
休日          ミドリのマドグチ 10:00
¥490

        (1973/05/12)


 だれもが、親友や愛人との関係が、そのままでいてほしい、いや、そのままで、凍結してほしい、と思うのだろうか? その思いがこうずるばかりに、今、親友が、愛人が死んでくれたら、どんなにすばらしいだろう。純粋な思い出のみが残るのだ、などとまで、空想してしまうようになるのだ。

        (1973/05/12)


 今日、将棋同好会をやっていた。イ■■ちゃんが、2時から3時頃までいて、それから、サヨナラっていって帰った。ぼくも返事をした。イ■■チャンは同好会員でない。そのうち同好会もおわりになり、いろいろとあとかたづけ。そのうちにふと、今日は同好会 → 土よう → 明日は日曜 → 映画 → イ■■チャンというようにパパパーと連想して、しまったあ、と思った。明日、ローマの休日をみにいく事をイ■■チャンと約束していたのだ。イ■■ちゃんは、ぼくが行きたくないので、明日のうちあわせを話しださないのだろう、もしくは、ぼくにむりにいかせることもない、と思って帰ってしまったらしいのだ。悪い事したな、と思い、心が重くなった。
 そこで、家に帰ってから、電話することにした。その心の重さで、休日をすごすなんて、たえられない。イ■■ちゃんとて、同じことだろう、と思ったから。デンワして、万事解決。デンワしてよかった。
 しかし、ぼくは、人に対する思いやり、無意識の思いやり、というものがない。忘れてしまう事があるんだから。

 同好会がおわった → 次は、家に帰る → そして、明日の日曜
   一瞬にはかわりないが、平和な、のんびりした一瞬
        → 映画の約束、今日のイ■■ちゃん → アッ、イ■■ちゃん
                       瞬時

 ぼくは、ほんとうに、ローマの休日がみたいのか?
 これを答えるのは、あまりにザンコクである。

 キガル
 気 軽 にいきましょう。キマジメに、せっぱつまったように、自分をキリキザンで生きてもしょうがない。気軽にいくべきときはそうしなけりゃ、身がもちません。

        (1973/05/12)


 ひてうつも :ひとつも

        (1973/05/12)


 釈界とは?

        (1973/05/12)


 なだたる :名立たる  }??

        (1973/05/12)


*「オカボやヤマの性格は陽性。おニシやイ■■チャンのそれは陰性。  ぼくに対して。」  四人とも、中学同級の友人で、高校時代にもつきあいのあるやつら。(イ■■チャンのみ同じ高校)  ううむ。高校時代は、ノリミツが大きな存在だったような記憶だが、ここまでまったく名前が出てこないってことは、高校二年五月時点では、つきあいは始まっていないのかもね・・
*「今日、将棋同好会をやっていた。イ■■ちゃんが、2時から3時頃までいて、それから、サヨナラっていって帰った。 ・・・ 」  前頁からの(「オカボやヤマの性格は陽性。おニシやイ■■チャンのそれは陰性。」以降の)記述は、まだ電話をしていない時点のもので、映画の約束を失念したことが心にひっかかっていた、のしかかったいたためのものらしい。自己ケンオとか、親友関係を凍結したい、みたいな。しかしまあ、イ■■ちゃんも一言言ってくれればいいのにね。だまって帰っちゃうあたり、陰性と感じられてしまうゆえんか。  イ■■君、頑丈なつくりの男丈夫で、たとえるなら弁慶みたいな(^^; でも、心はとっても優しいやつなんだよ。
*「そこで、家に帰ってから、電話することにした。その心の重さで、休日をすごすなんて、たえられない。イ■■ちゃんとて、同じことだろう、と思ったから。デンワして、万事解決。デンワしてよかった。」  「しかし、ぼくは、人に対する思いやり、無意識の思いやり、というものがない。忘れてしまう事があるんだから。」  うーん。たしかに気配りが足りなかったが、そのとき忘れてしまってイ■■ちゃんが残っている理由に思い至らなかったのは、会長として将棋同好会をしきらねばならないという目前の使命に懸命になっていたためだよね。許してあげたいよね〜 
*「 メガネ  10:00 千葉  休日  ミドリのマドグチ 10:00  ¥490」  この頁の上辺にあるこれらメモは、このあたりの事情から推察すると、電話の際の打ち合わせメモだな!  翻訳すれば、待ち合わせは午前十時、千葉駅のみどりの窓口、ローマの休日の映画料金は高校生490円、映画鑑賞だからメガネを忘れるな、というところか。
*「ぼくは、ほんとうに、ローマの休日がみたいのか? これを答えるのは、あまりにザンコクである。」  と書いている以上、イ■■ちゃんの気持を無にしないためのお付き合い的な映画鑑賞、という心根があったみたいだ、この時点では。  翌日、この映画を観て、ささいなもろもろは感動で吹き飛んだのではと思う。(いや、そう願うんだが、このあとのページで探してもそれらしき記述が見当たらない。まあ、あまのじゃく君だから。 ^^;)
 しかし、ローマの休日、私が初めてみたのは、千葉実家のテレビ放映で、という記憶があるんだけど、千葉実家で(姉きといっしょに)テレビで観たのは二度目の視聴時なのかなあ。初めてが高校二年時のこのイ■■ちゃんとの映画館での鑑賞なら。  Wikipediaで調べると、『ローマの休日』の日本初公開は、1954年4月。  本項は1973年だから、リバイバル上映みたいな形か。映画館で有料、ならば、まだテレビ放映はしていないのだろう、たぶん。  (と思ったが、同じWikipediaのページにある「テレビ放送履歴」では1972年4月7日のフジテレビゴールデン洋画劇場が初回。むむ・・)
*「気軽にいきましょう。キマジメに、せっぱつまったように、自分をキリキザンで生きてもしょうがない。気軽にいくべきときはそうしなけりゃ、身がもちません。」  すぐ前で気づいたザンコクさを白日の下にさらすようなこと、自分を切り刻むようなことは、やめようよ、みて見ぬふりをしようよ、という提案。賢明と思う。
*「釈界とは?」  謎の語。ある言葉なのか? 釈界で検索したら、釈由美子ばかりヒット(^^;  会釈(並べ替えれば釈会で、同音)、解釈(並べ替えれば釈解)、等が類語っぽいが。  勘だけで言えば、仏教用語なんだけど、裏付けとれず。  どこで拾ったんだか・・

 

 
00:44 2023/07/02 (日)


 エイトマンは、けっ作だった。

        (1973/05/12)


 できたのか?
 でけたのか?

        (1973/05/12)


 ふじょうり

    不定理
    不条理

        (1973/05/12)


 「疑!」
 「ギッ!」
 「ギ!」
       >間投詞

        (1973/05/12)


 君はバカ。
 君とはバカ。
 君とはバカな人。
           >どれがいい?

        (1973/05/12)


 午前中に教室の授業しかないのは、土よう日。つまり、4時間連続するのは土よう日のみ。

        (1973/05/12)


 〜とおり
 〜どおりに

        (1973/05/12)


 「時点」という語があるなら、「場点 バテン or ジョウテン」という語もある!!

        (1973/05/12)


 場 < 
     ジョウ(音)
     ば  (訓)

        (1973/05/12)


 向かい合う ○
 向い合う ○
 向かい会う ×
 向い会う ×

        (1973/05/12)


 獣
 毛物

        (1973/05/12)


 「細君」とは、「つまらない人」という意味!! 自分の妻にいってもいいが、人のおくさんに、細君といってはだめ!!

        (1973/05/12)


*「ふじょうり   不定理  不条理」  ふつうは、不条理。  だが、定理はじょうりとも読む。
*「「時点」という語があるなら、「場点 バテン or ジョウテン」という語もある!!」  ないけどね。「時点」に対応させるなら「場合」か?
*「「細君」とは、「つまらない人」という意味!! 自分の妻にいってもいいが、人のおくさんに、細君といってはだめ!!」  細身の美人、のような語感を抱いていたが、愚妻の仲間だったのか?  〔さい‐くん【細君・妻君】 《名》 (「細」は小、小君の意。「妻君」はあて字) (1) 他人に対して、自分の妻をいう語。〔文明本節用集(室町中)〕 ・・・ (2) (転じて) 他人の妻をいう語。 ・・・ 〕 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  と辞書がいっているので、愚妻ほど卑下はしていないことに、今はなっているのかな。  たぶん、夫を第三者として話題にする際には、彼の細君などと使ってもよい程度か。本人を前にして、君の細君、と言うのは、失礼になるのかもね。

 

 
04:03 2023/06/25 (日)


 もしぼくの欲求不満がつのれば、近親姦だろうが、じゅう姦だろうが、ようじ姦だろうが、なんでもやってしまうかもしれぬ。

        (1973/05/12)


 ケイコウトウは、ジージーうるさいのだ。

        (1973/05/12)


 春の日の中で、A君はBさんのうしろ姿をみていた。ためいきがでるほどうつくしく、A君はたまらなくなって、そっと彼女のうしろにより、しずかに、彼女をだいた。Bさんは一瞬、コウチョクしたようになる。「好きだ。」A君はそういって、はなれた。
 あとになって、おれはなんてことをしたんんだろうとA君は思って、おそろしくなる。
 そこで、Bさんをみつけて、「Bさん、ぼく、さっき、気がちがっていたんです ――」という。Bは、
「もうおそいわよ、A君。私はもう、あなたを一生愛するか、一生憎むかのどちらかだわ。」

 → キザ〜〜〜〜!!

        (1973/05/12)


 自分より目上の人がわるい事をする。自分より目下の人が、同じような事をする。すると、自分である人は、その目下の人をきつくしっせき 叱責 して、間接的に目上の人をいさめる。

 これでもロコツか?

        (1973/05/12)


 自分の行動に対して、
「けんそんするほどの事じゃないよ。」
 という。

        (1973/05/12)


 カレンダーの絵はきれいなものや明るい物ばかりだが、それと同程度にきたないものや暗いものもあっていいはず。

        (1973/05/12)


 (自)トランプのいいカード
 (他)はいい?
     わるい?

        (1973/05/12)


 2ページ前のA君みたいな事をやると、「好きだ」という前にひじてつだろうなあ。

 ひじてつはおそろしくいないのだろうなあ

        (1973/05/12)


 ポーカーやセブンブリッジをやるとき、最初にくばられたふだにいいのがそろっていたら、
→ 他の人のふだにもいいのがある。きり方があまかったのだ。
→ 他の人のふだにはいいのはない。自分の所に運があったのだから、他の人にぜんぶ運があるのはむずかしい。

        (1973/05/12)


*「もしぼくの欲求不満がつのれば、近親姦だろうが、じゅう姦だろうが、ようじ姦だろうが、なんでもやってしまうかもしれぬ。」  やばいよ。性欲が旺盛すぎる。  危機を禁忌を犯すことなく乗り越えることができて、幸い。  変質者、犯罪者と、紙一重というよりも、実際は何段階もの、相当な懸隔があったはず。  と今は思いたい。
*「 → キザ〜〜〜〜!!」  だれがキザ、というより、話自体がキザかな。舞台上の大げさな芝居、という感じ。  青春小話だが・・
*「自分の行動に対して、 「けんそんするほどの事じゃないよ。」 という。」  変だね、たしかに。  「たいしたことじゃないよ」と照れ笑いして謙遜する、わけだけど、そうしている自分をあらかじめ幻視して、言い間違えている、という感じだ。現実にこんな言い間違いしてしまう人、いるんだろうか。 waka君ぐらい? (笑)
*「カレンダーの絵はきれいなものや明るい物ばかりだが、それと同程度にきたないものや暗いものもあっていいはず。」  世の中にはあっていいはず、という認識に反対はしないが、カレンダーの絵柄にはいやだよ。
*「(自)トランプのいいカード  (他)はいい? わるい?」  トランプ勝負で、自分にいいカードが配られたとき、他にもいいカードが行きやすいか、逆に悪いカードが行きやすいか。  これは両方ありそうだよねえ。  トランプのいいカードというのは例えば、スートや数字のかたよったものだろうから、こちらにその種がかたよれば、あちらに別の種がかたよるのが道理。  運気の流れで言えば、誰かが高まっていけば、誰かが下降していく。ただし運気は、カードの様相にとどまらず、その取捨や活用のしかた、プレイヤー間の駆け引き折り合いなども含めてのことになると思う。  勝負において結局は、いいカードにするのも悪いカードにするのもプレイヤー次第。というところか。
*「ひじてつはおそろしくいないのだろうなあ」  誤記だろうが、「おそろしくいたいのだろうなあ」が正しそう。  「おそろしくないのだろうなあ」ならば、A君は怖れていなかったんだろうなあ、ということになるか。  女子に肘鉄を食らう、態度や言葉でそれをされたってことは何度もあった気がするけど、実際の肘鉄という行為をされたことは一回だけ、どこかであったはず。子供の頃か。みぞおちに入ってしばらく息が止まった。

 

 
00:39 2023/06/18 (日)


 学校では気安くわらうな。弱さをみられてしまう。いつも、いかめしい顔をしてよわさをまもれ!!

 これは不正直かしら?

        (1973/05/11)


 ぼくは、完全に自分をあまやかしていた。だから、こんな子供ができてしまったのだ。また、文学者になる夢をすてられないような!!

        (1973/05/11)


 ぼくは勉強をしよう、と思う時は、あとで楽だぞ、と思っている。そこで、その楽になる時に、今の苦をおいやるので、けっきょく何もしない。 そこでこれから勉強するときは、いつまでたっても苦だぞ、と思ってやろう。真剣に自分にいいきかせよう。そうすればやる。

        (1973/05/11)


 今までのぼくははずかしい存在だったから、明日、学校にいってもはずかしい。が、じょじょにそのはずかしさをなくしていこう。

        (1973/05/11)


 みょうけん様の九よう星には小さい円が9つ。大きいのが1つ。

        (1973/05/11)


 〜で、ない
  出ない

        (1973/05/11)


 “fits” → [fit○]

 この「ツ」の音はどのような発音記号になるか?

        (1973/05/11)


 ピットする
 ピッ とする

        (1973/05/11)


 ハチマキをやると、頭の中身までひきしめられるような感じ。

        (1973/05/11)


 みずから
       >? 
 みづから

        (1973/05/11)


 克 己 !!
 こっき

        (1973/05/11)


 ひとりで ―
 ひとりでに ―

        (1973/05/11)


 単 : 戦=単+戈 ?

        (1973/05/11)


 せんざんこう○
          >?
 さんぜんこう×

        (1973/05/11)


 おふろの中でねむってしまいそうになったのだ.

 もしかしたら死んだかもしれない。

 もし、くせになったら、老いてから、このために死ぬ。

        (1973/05/12)


 ぼくには/   物理の直観がはたらかない。
 ぼくの内では/
 ぼくでは/

        (1973/05/12)


 農家の次男以下は東京に学生にだされ、えらい人になれば、ゆうぐうされる。おまえの実力がそうしたのだ、と身内はいう。大学にはいれても、うだつのあがらないのは、ひとつもかんげいされない。

        (1973/05/12)


*「ぼくは、完全に自分をあまやかしていた。だから、こんな子供ができてしまったのだ。また、文学者になる夢をすてられないような!!」  まだ、文学者に、か?  手書き文字で濁点の有無が曖昧。七三で「また」なんだけど、「まだ」のほうが文意はすっきりする。「また」は、再びならやや面倒な経緯がありそう。または、の意かもしれない。
*「ぼくは勉強をしよう、と思う時は、あとで楽だぞ、と思っている。そこで、その楽になる時に、今の苦をおいやるので、けっきょく何もしない。 ・・・ 」  楽になる時に、今の苦をおいやる、これ、すんなり理解できなかった。  未来に楽になるときがあるなら、現在の苦はそっちで受け持ってもらおう、受忍する苦は同じなんだから前でも後でもいい、と? 要するに、先延ばし?  そこで、が意味深か。
*「みずから  みづから  >?」  現代の表記はみずから。旧表記ではみづから。  みづからは、み・つ・から、で、身・つ・柄。  身の本質、というような意味となるそうだ。柄は人柄や国柄の柄と同じ。
*「ひとりで ―  ひとりでに ―」  ひとりでに、を漢字でどう書くか。一瞬わからなくなった。  辞書を引いたら、ひらがなのみでした。(精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006)  手元の角川国語辞典もひらがなのみ。  ネットでは「独りでに」という表記もあるけど、どうやら、学者先生たちの半分ぐらいは、確信をもってこう漢字を当てることには、躊躇があるもよう。  私が思うに、でに、の解釈やこれへのつながり方が固まっていないのかも。
*「単 : 戦=単+戈 ?」  本項、単一、単独の単と戈でなぜ戦の意味になるのか辺りが、疑問だったか。  單はハジキ弓の象形との説があり、戰で、弓と戈(ほこ)になる。  では、ハジキ弓がなぜ単一の意味になるのか。手元漢和辞典では「音を借りた」とか言ってるけど、よくわからない。ネットでも簡明な説明をみつけられない。
*「せんざんこう○  さんぜんこう×  >?」  穿山甲。アリクイのことのはず。  だがしかし、今でも、サンザンコウとちゃんと書いてあっても、サンゼンコウと黙読している。TVなどで、サンザンコウと発音していても、サンゼンコウと聞いている、たぶん。私は。
*「おふろの中でねむってしまいそうになったのだ.  もしかしたら死んだかもしれない。  もし、くせになったら、老いてから、このために死ぬ。」  だから気をつけろ、癖にするな、といういましめでしょう。  前年、祖母を入浴中に亡くしているわけで、以前にも同様の(入浴中眠りそうになったという)いましめメモがあった気がする。( → 当続短断長 06:23 2023/01/29 (日)に掲載あり)  さいわいにも、以後半世紀、入浴中にまちがいはおかさず。ちょっと油断したのが一度か二度ぐらい。

 

 
00:28 2023/06/11 (日)


 ぼくはまるでだめな子です。今日からは、しんけんに勉強しなけりゃ、ふぬけになって、死ぬだけだ。

        (1973/05/11)


 作家になるにしても、じみちな努力、努力。
 50才をすぎてからでもなれればいい方だ。

 ⇒ 正直と
    じみちな 努力!


        (1973/05/11)


 おれみたいなバカはいくらいじめたって、いじめたらない。どんなにこきつかったってかまわないよ。

 勉強しろ!!

 朝、マラソンするのなんか苦にするな!!

        (1973/05/11)


 ぼくは高校にはいって今まで、特にこのごろ、あまりに なまけ ものになった。おれはやろうと思えばいつだって、・・・もう、一人前だ・・・ 一人前の作家だ・・・なんて、思っていた。テングもおどろくほどになっていた。これでいいのか、いけない。
 努力しろ。自分にきびしくあれ。だからこんなにブクブクするんだ。

 たのまれたら、いつもにこにこきらくにひきうける、なんてのもやめろ。できないときは正直にできない、といえ。それが、両者にとって最もいいのだから。ぼくには、たのまれて、それをなすだけの力がないのだよ。

        (1973/05/11)


*「朝、マラソンするのなんか苦にするな!!」  朝走るのを日課にしていたか、しようとしていたか。  主目的はやせるためだろう。

 

 
01:07 2023/06/04 (日)


 気やすくあやまるな!
 1人でいきがるな!  (赤ヒゲより)

 あやまるからには責任が取れねばならぬ。責任がとれないのにあやまったり、1人前のような顔をするな。あやまれば、相手が、高額の金を要求してもことわれぬのだよ。責任がとれねばならないのだよ。

 赤ヒゲは後半だけみたけど感動したなあ。

        (1973/05/11)


 今日の昼、物理の授業で問題をやったのだが、パッとやって、パッととけ、テングになって、イ■■チャンや大■君におしえてやったのだが、じゅくの帰りによく考えたら、まるでちがっていた。

 テングになった自分がはずかしい。あまりに自分がバカでフヌケで、いやなものに思えた。ぼくは、もう、自己ケンオ。

 先生のいった方法でなく、自分独特の方法でやって、パッとでたので、これはもう物理の天才児なんてまで思ったのだ。あーチジョク。まるで、まったくちがっていた。授業中、となりのモテ■さんが、ぼくのノートをみては首をひねっていたわけがわかった!!
 クソーー チジョク〜〜!!! ヤルキナ。
 もっと、ひかえめになれ。あまりに不正直。
 あまりにテングになりやすい。

 テングになったら、オワリだ。
 天才児なんて、世間にさわがれる事を考えているうちはだめだ。

 ただひたすら正直に努力、努力。

        (1973/05/11)


 文学クラブでも、先生みたいのを書こうなんて、考えるな!! ぼく自身の物をせいいっぱい、正直にやればいいんだ。

        (1973/05/11)


 学校に行きながら書こうってのが、そもそもあまいんだ。ほんとの作家は血をはくようにして、かいているのに。それほどの真実のさけびなのに。

        (1973/05/11)


*「気やすくあやまるな!  1人でいきがるな!  (赤ヒゲより)」  これは小説ではなく、TVドラマを見て、だね。  Wikipediaによれば、〔『赤ひげ』(あかひげ)は、1972年10月13日から1973年9月28日まで、毎週金曜20:00 - 21:00にNHK総合テレビジョンで放送されたテレビ時代劇ドラマ。〕  1973/05/11は金曜日。  原作小説をよんだのは(山本周五郎をよむようになったのは)だいぶ後年か。  → その、たくさんよんだ時期も、もうだいぶ昔になっているが、今思い返すと、登場人物たちがいっていた感銘を受けるセリフたちだけど、それが全部が全部、正しく、善であったかというと、意外と、偏向、狭量だったものもあったような気がする。つまり、作者山本周五郎の、偏向、狭量がでてしまってはいなかったか、ということ。  こちらも、人生経験だいぶ積んだので、100%、納得、心酔ということではないな、もう。
*「今日の昼、物理の授業で問題をやったのだが、パッとやって、パッととけ、テングになって、イ■■チャンや大■君におしえてやったのだが、じゅくの帰りによく考えたら、まるでちがっていた。」  あちゃ〜 恥だね〜 自己嫌悪だね〜 
*「となりのモテ■さんが、ぼくのノートをみては首をひねっていたわけがわかった!!」  モテ■嬢は、小柄な人だったか。
*「クソーー チジョク〜〜!!! ヤルキナ。」  ヤルキナは、やる気なし。意欲が萎えてしまったあ・・、という嘆き。
*「テングになったら、オワリだ。 天才児なんて、世間にさわがれる事を考えているうちはだめだ。」  嵐のただなか。
*「文学クラブでも、先生みたいのを書こうなんて、考えるな!! ぼく自身の物をせいいっぱい、正直にやればいいんだ。」  漱石先生、でしょう。この時期なら。  殊勝だと思うが・・
*「学校に行きながら書こうってのが、そもそもあまいんだ。ほんとの作家は血をはくようにして、かいているのに。それほどの真実のさけびなのに。」  これはちょっとちがうと思うぞ。ふつうに働きながら書くことは別にはずかしいことでも全力ではないことでもない。学業をしながらだって、同様だよな。それに、血を吐くように書いている作家もいるだろうけど、血を吐くように書いていなければ作家じゃないというのは狭量でしょう。いろんな事情、いろんなスタイル、いろんな心持ちで、作品は書かれているはず。それでいいはず。

 

 
09:32 2023/05/28 (日)


 ぼくちーん しまっしょ。

        (1973/05/11)


 ぶあてた ← バテタ

        (1973/05/11)


 くせぶー ← チクセウ ← チクショウ

        (1973/05/11)


 このごろは、夕方になると雨がふる

        (1973/05/11)


 昔、ぼくのいっていた書道の先生の家は、今はちゅうしゃ場か。

        (1973/05/11)


 タバコをすいながら自動車に自転車にのるのはいいのか?

        (1973/05/11)


 お酒をのんで自転車にのるのはいいのか?

        (1973/05/11)


 レとシ

        (1973/05/11)


 じゅく
       )Englishの発音にはキビシクない
 ■■高

 ■中  キビシカッタ

        (1973/05/11)


 いろんな、これにかく事を考えながら道を歩いていると、自動車にはねられやすい。

        (1973/05/11)


 トエロブ       11 
      ) ⇔ (       まちがえやすい
 イレブン       12

        (1973/05/11)


 居間○
 居問×

        (1973/05/11)


 おどろかす
 おどろかされる=おどろく

        (1973/05/11)


 つづく○
 つずく×

        (1973/05/11)


 赤ん坊
  ン 

        (1973/05/11)


 日本からアメリカへの頭脳流出

        (1973/05/11)


 hear
   ↓
   heared ×
   heard ○

        (1973/05/11)


*「昔、ぼくのいっていた書道の先生の家は、今はちゅうしゃ場か。」  書道塾にいっていたのは小学一二年生頃。この時点から九年ぐらい前。  この時点で通っている英語塾と書道の先生の家のあった所は近かったから(ともに実家から見て千葉駅から伸びる高架下ショッピングセンターの向こう側)、英語塾に行くついでに、付近のようすをうかがうことができて、だと思う。
*「レとシ」  手書き(つなげ字)だと、似てしまう、と言っているらしい。
*「おどろかす  おどろかされる=おどろく」  あと、おどろかせる、というのがあるわな。  これを受身にすると、おどろかせられる、か?
*「赤ん坊  ン 」  この「ん」は何か、の意か。  または、赤ん坊、赤ン坊、どちらがいい、かもしれない。  きみんち(君の家)と同類で、の、の意と思うが。  色なら、くろんぼう、というのもあるし。
*「hear → heared × heard ○」  聞こえる、の過去形は、定例の+edではないぞ、ということでしょう。  → Wikipediaの不規則動詞のページを開き、〔現代英語における不規則動詞の例をいくつか挙げ〕てあるのを眺めていると、いくつかといいながら120個以上あって、これでもまだ一部なのかと思うと悪夢を見ているよう。

 

 
00:20 2023/05/21 (日)


 層
    }よくまちがえる。
 属

        (1973/05/11)


 今日は、メガネがつかれる、

        (1973/05/11)


 ぼけた
  ↓
 ぽけたん  動詞? 形容詞? 形容動詞?
 ポケタン  名詞?

        (1973/05/11)


 さわらぬ神にたたりなし。

        (1973/05/11)


 その線がこい。

        (1973/05/11)


 将棋同好会にはいってくる人は、会が週に一度と少ないのでくる人が多いのだ。

 これは利点であるから、なるべくなら、変えないようにしよう。

        (1973/05/11)


 教室では、ハレでもくもりでも、いつも電気をつけているのだ。

        (1973/05/11)


*「その線がこい。」  可能性が高い。  可能性が濃い(薄い)とは言うけれど、その線が高い(低い)とは言わないね。  その線が濃いとは言うけれど、その線が薄いとは言わないね。言うとしたら、その線は薄い、だよね。  可能性が高いという意味で、その線が濃い、とは言うけれど、線が濃い、と言うともう描線のことになってしまう。

 

 
00:28 2023/05/14 (日)


 もたし
      >
 もたせ

                 >どっちが正しい?

 持たし、〜した。
           >
 持たせ、〜した。

        (1973/05/11)


 分折×
 分析○

        (1973/05/11)


 生理作用
        >この差は?
 行動

        (1973/05/11)


 メガネをかけていて、ノートに字をかくときは、なるべく目をノートからはなして書くべき。

 さもなきゃ、目がいたくなる。

        (1973/05/11)


 撃

        (1973/05/11)


 去勢
     >この差は?
 虚勢

        (1973/05/11)


 3時近く
     =3時前
     ≠3時過
 ≠3時過ぎ
            >?? 

        (1973/05/11)


 助
     )→ 力
 動

        (1973/05/11)


 1人称
 2人称
 3人称
       >この差は?
 第1者
 第2者
 第3者

        (1973/05/11)


*「 ・・・ 持たし、〜した。 持たせ、〜した。 ・・・ 」  要するに、持たす、と、持たせる、どっちが正式か、と。  辞書には両方載っていて、ほぼ同意。  そういうことで深追いはしなくていいかも?
*「生理作用 行動  >この差は?」  おしっこがしたくなるのは行動と言えるのか、と?  生理作用(おしっこがしたい)から導かれたものが行動(トイレに行く)、という関係かな・・  食欲、性欲、排泄欲、こういう生理作用だけが、行動の動因というわけでもなさそうだけど、逆に、行動の動因はみな生理作用かまたは生理作用的性質を持っている、などとも言えそうだ。  つまり、金銭欲とか名誉欲とかも、生理作用の発展、または代替に過ぎない。(いかにももっともらしい)
*「メガネをかけていて、ノートに字をかくときは、なるべく目をノートからはなして書くべき。  さもなきゃ、目がいたくなる。」  まだ度がきついか。四月にメガネにして一ヶ月程度。  1973/05/04に「ぼくのメガネをかけた上での視力はおちてきたのかしら。 黒板の小さい字がよみにくい。」と書いているので、遠目はもう見づらくなっている(解像度がおちている)ようだが、近場はまだまだ見えすぎる、ってことらしい。
*「去勢 虚勢  >この差は?」  去勢は、繁殖能力無効化。去性という語、ありそうだけど、無し。  虚勢は、からいばり。
*「1人称 2人称 3人称  第1者 第2者 第3者  >この差は?」  この六語のうち、第1者、第2者は耳にしたことが無いね。  つまり、第3者というのは、第三者という言いまわしであり、一連の語の三番目ではない、これだけで自立しているのだと思う。

 

 
01:12 2023/05/07 (日)


 ちょいちょい
 ちょくちょく
 たびたび
 しばしば

 いつも

 まいにち

 ときどき

       >もっと他になかったっけ? 

        (1973/05/11)


 箱男がベストセラーだというけどなんで?

        (1973/05/11)


 ぼうちゅう ひまあり

 ひまわり

            >?

        (1973/05/11)


「もく
  目 する」に|予想する|目的とする|という意があるか?

        (1973/05/11)


 ぼくはメガネをすぐつぶしそうになるのだが、かろうじてつぶさない。

        (1973/05/11)


 ぼくは、女の人にあやまるとき、
  「ごめんなさい」といわずに
  「ごめんなさいね」というのだ。

        (1973/05/11)


 A君、B君が、説を発表しては困るので、会議場にとびこみ、あばれるが、ころされる。
 B「私の説はまちがっていたかもしれないのに。」
 C「いや君の説を正しくする何かをつかんだのかもしれぬ」

        (1973/05/11)


  貰う  }?
  もら

        (1973/05/11)


 高級なものを平易に説明するのが、最も高尚 (αの■■ミネ先生)

        (1973/05/11)


 数学α

 数学アルファー

 数学アッパー

 数 学アッパ

 数 学アパッチ(族)・・・?

        (1973/05/11)


 うなづく△
 うなずく○

        (1973/05/11)


 みんなが、1つの言葉に共通の意味をもたせるべきなのか? それとも、個々人が、自分自身だけの意味を、その言葉にもたせ、その同じ言葉は他の人にとっては、またちがう意味をもつようにするべきなのか。
 それとも、これを並立させるべきか?

        (1973/05/11)


*「 ・・・ >もっと他になかったっけ?」  しきりに 幾度も ときおり おりおり とかか。
*「箱男がベストセラーだというけどなんで?」  『箱男』安部公房は、読んだ。が、いつごろ読んだのかはっきりしない。この書きぶりだと、この時点では未読みたいな。  読了してつまらなかったので、このような感想を書く、ということもありそうだけど?  → 記憶では、文庫でよんでいる。調べたら、文庫版の刊行は1982年。よって、本項時点では未読、というのが正解のようだ。
*「ぼうちゅう ひまあり」  忙中閑あり、かんありと読むはず。  「ひまわり」  でも、これへの変異を言いたい項なんだろうね。笑。
*「目する」に|予想する|目的とする|という意があるか?」  〔もく‐・する【目】《他サ変》 [文]もく・す 《他サ変》 (1) 見る。目をつける。見つめる。 (2) 目で知らせる。目くばせする。 (3) そうであると認める。見なす。評価する。〕精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006  → 少々ちがうみたいだ。
*「ぼくはメガネをすぐつぶしそうになるのだが、かろうじてつぶさない。」  しかし、翌年の九月、とうとうつぶしてしまう。1974/09/18に「メガネ、体育のおわってのち、イスの上におき、つかれはててたので、すこししてすわっちゃった。」と書いている。
*「ぼくは、女の人にあやまるとき、 「ごめんなさい」といわずに 「ごめんなさいね」というのだ。」  ねをつけると、不本意、くやしさ、みたいのがかもしだされるようだ。うっすらだけど。
*「A君、B君が、説を発表しては困るので、会議場にとびこみ、あばれるが、ころされる。  B「私の説はまちがっていたかもしれないのに。」  C「いや君の説を正しくする何かをつかんだのかもしれぬ」」  小話。  自作ながら、こういうの好きだ。  「B君が、」の読点はないほうわかりやすく、「いや」の後には読点がほしい。「 」内の末尾の句点のあるなしも統一したい。
*「高級なものを平易に説明するのが、最も高尚 (αの■■ミネ先生)」  数学α、代数関係だっけ。数学上の高級なものを、簡潔明解に述べ切る、公式等で表わす、という意味合いだったんだろうね、授業でこれが発言された場では。
*「 ・・・ 数 学アパッチ(族)・・・?」  半世紀後だけど、付けてみたい。脳内発声、「すう があ ぱっち ぞく」 

 

 
05:15 2023/04/30 (日)


 5/10
    石の血脈
    サブリーダー
    文学クラブ
    (予)

        (1973/05/10)


 うしみつどき、または、4時か5時頃、フロにはいるのはキチガイ?

        (1973/05/10)


 今、8:00からねて、深夜におきて勉強できるか?

        (1973/05/10)


 ぼくって、現代語がわからないのだから、だめだねえ。

        (1973/05/10)


 オフリミット → 立入禁止  ・・・??
      ツ

        (1973/05/10)


 マージャンは一度やると、もうやめられないそうだが、どんなのか、いちどやってみたい

        (1973/05/10)


 お母さんはきびしいよ。

        (1973/05/10)


 ぼくは今、服をきたままふとんの中にねてるのです。だいぶみだれてる。

        (1973/05/10)


 小林マミはいい。

        (1973/05/10)


 頭にくしをよくかけると、頭のヒフがしげきされて、頭がよくなるよ。(父より)

        (1973/05/10)


 理想の女性と将棋がさしたい。

 ぼくの1つの夢!!

        (1973/05/10)


 気にさわる
 めにさわる

        (1973/05/10)


 将棋のはたし状にのって、決闘をしてはいけないとする将棋クラブがあるかもしれないが、女性、それも、みょうれいの女性から、さもなきゃ、十二、三の女性から、はたし状をうけとったら、うけたくなるだろうなあ。

        (1973/05/10)


 先輩は後輩に対して、ある程度のキビシサをもっている。そしてある程度以上にはあまくならない。それはその先輩個人の人格というより、その先輩が、その先輩の先輩の存在を意識しているからだろう。先輩の先輩がすでにいなくても、いても。

        (1973/05/10)


「5/10  石の血脈  サブリーダー  文学クラブ  (予)」  頁上辺にある箇条書きメモ。  これらを読みたい、しなければ、などのリストだと思う。  石の血脈は父に勧められ渡された書籍、伝奇SF(少々エッチ)、半村良。  サブリーダーは、英語のリーダーの副読本。  文学クラブは、何か懸念または雑務があったか。  最後のは、○囲いの予と読めるが、予習の意か。違う字かもしれない。
*「うしみつどき、または、4時か5時頃、フロにはいるのはキチガイ?」  当時、もうガス釜だったとは思うが、現在のような瞬間湯沸かし器とは違う。湯水が釜と湯舟の間を循環するだけ。こんな時間になると、追い炊きをして風呂の湯全部を温め直さねばならなかったはず。燃料代の浪費はもちろん嫌われたし、三世代八人ぐらいの住まいで皆が寝静まっているので、物音を立てるのも気をつけねばならない。
*「オフリミット → 立入禁止  ・・・??」  off-limits。  limits ≒制限を、off する、なら、制限解除で、逆の意味になりそうなんだが・・  limits が、その範囲、区域、ということで、これを off せよ、ということか。  外国語はよくわかりませんね(^^;
*「小林マミはいい。」  だれ? アイドル?  今、ネット検索すると、小林麻美がヒットするが、1973年当時、デビュー後一二年か。waka君より二才ぐらいの年上。ちょうど頃合い。  しかし、あさみであって、マミじゃないよね。うーん、これはもう、麻美をマミと読んでいたでほぼ決まりか。当時、これだけ似た芸名のアイドルが他にいるとも思えない。
*「頭にくしをよくかけると、頭のヒフがしげきされて、頭がよくなるよ。(父より)」  トンデモ理論みたいな。刺激されて毛根、毛髪が元気になる、ならわかるけど。  全然整えない息子の頭髪にお節介をしたくて、頭がよくなるというエサで釣ろうとしているのかな。  文字どおりのことを信奉しているという線も捨てきれない。この父親は。 (これを実践していたためなのか元々の体質だったのか、わからないが、九十才で亡くなるまで頭髪はふさふさしていたよ)
*「理想の女性と将棋がさしたい。  ぼくの1つの夢!!」  妄想というか、趣味と愛欲の無理矢理な結合というか。  あきれるよね、と笑ってあげたいところなんだけど、世の中ほんとなにが起こるかわからない。  一ヶ月後ぐらい、なんと、この夢、半分ぐらいかなってしまう。
*「気にさわる  めにさわる」  目に障る、という語句はある模様。目に障る≒目の毒。
*「将棋のはたし状にのって、決闘をしてはいけないとする将棋クラブがあるかもしれないが、女性、それも、みょうれいの女性から、さもなきゃ、十二、三の女性から、はたし状をうけとったら、うけたくなるだろうなあ。」  ないよ、そんなクラブ! 日本中さがしても。  妄想にずぶずぶだね。

 

 
00:06 2023/04/22 (土)


 男は、あぐらをかければいいか。正座もできねばいけないか?

        (1973/05/10)


 日本の医学はそんなに進歩しているのか?

 医者の収入が多い

 医者志望の人が増える

 まともなのがいる確率が高くなる

 多くの人が勉ぶので、それだけはやく発展。

        (1973/05/10)


 ぼくは作家はやめて、画家になろうかしら?
 それとも、ちょうこくか?

        (1973/05/10)


 ぼくの右手は中気ぎみなのかしら?

 コップやおちゃわんに水やギュウニュウをなみなみともったやつは左手でもたぬとだめ。右手だとブルブルとふるえて水がこぼれる

        (1973/05/10)


 短時間でつくれる比較的強い王の囲いとは何か?

        (1973/05/10)


 比

        (1973/05/10)


 ガムをのんだら死ぬの?
 ただ ウンコといっしょにでてくるだけ?

        (1973/05/10)


*「日本の医学はそんなに進歩しているのか? ・・・ 多くの人が勉ぶので、それだけはやく発展。」  どうだかね? 高校生による一つの吟味。勉ぶは学ぶの誤記。  多くの人が学べること自体、ヒトモノカネの資源があること自体が、恵まれている、進歩、発展の土壌がある、ということだろう。
*「コップやおちゃわんに水やギュウニュウをなみなみともったやつは左手でもたぬとだめ。右手だとブルブルとふるえて水がこぼれる」  これは一時的なことだと思う。若い頃も今もこういう症状はほとんど記憶がない。  だから、このときは、体育の授業でテニスか何かをやらされたりで、単に右手の筋肉疲労だったのではなかろうか。 (こののち、六七年して二十代の頃、店で気持良く飲んでいるうちにグラスを倒すという癖が出るようになったが・・ あらあらとそばの女子が拭いてくれたり)
*「短時間でつくれる比較的強い王の囲いとは何か?」  将棋の話。当時なら、まずは、美濃囲いでしょう。
*「ガムをのんだら死ぬの?  ただ ウンコといっしょにでてくるだけ?」  念のため調べたら、その後で、排水管を詰まらせる原因になりえる、という注意喚起があった。ガムはやはり飲み込むべきでないです。

 

 
02:46 2023/04/16 (日)


 「ぼくみたいな不正直者にはぜいたくすぎるほどのぬれ方だった。」

i)中程度自己否定
 不正直者は、ぬれてあたりまえ。それなのにそれだけのぬれかたなのは、ぜいたくだ。

 自分は、ぬれるといういやな事をうけるのがあたりまえなぐらいのやつなのだ。(自分の悪を意識)

ii)完全自己否定
 私は、不正直。不正直は、ぬれるのがすき。ぬれるのをよろこぶ。こんなによくぬれたのは、ぼくにとって、ぜいたくだなあ、すぎるほどだ。

 自分にとってぬれるという事はぜいたくなこと。それがあたりまえ。(自分が不正直であるのが、しごく自然である。)

 i)において、自分はぬれたくなのだが、もっとぬれるべきだと考えている。

 ii)において、もっとぬれたい、と考えているが、それでは、ぜいたくすぎるから、そんなにぬれないべきだと思っている。

 ⇒ 雨にぬれながら考えた時は、もっとすばらしい考えのように思えたのだが。もっといい考えだったと思うけど、わすれて、こんなのになった。
 完全自己否定において、自分が悪だとはおもっていない、いや、自分が異常だとは思っていない。

        (1973/05/10)


* ううむ・・ コメントが付けづらい。  自分はぬれたくなのだが、は脱字で、自分はぬれたくないのだが、が正しいと思う。  水をしたたらせて帰宅したことは間違いなさそう。  半世紀後だが、ノートの紙面に濡れ染みなどはみつからない。  帰宅後いろいろ後回しにし忘れないうちにと急いで書いた、わけではないようだ。  あちこち拭いて、着替えて、ひと息もふた息もついてから、他にも何か書いてから、ようやくここにたどりついて、だろうか。  ただ冒頭の一行だけは、帰宅後早い段階でのつぶやきだったのでは。

 

 
00:47 2023/04/09 (日)


 ナツメ先生の頃の人々はどうして、あんなに情熱をもって文学にあたれたのかしら?

        (1973/05/10)


 とにもかくにも、ぼくはぼく自身の文学観によって、小説をかいていこう。それがないなら、書くのをやめろ。

        (1973/05/10)


 そうだ、正直なら、やめろ。正直に、自分が書く価値がないと思ったら正直にやめろ!!

        (1973/05/10)


 自転車で学校や図書館にいってもいいけど、帰りに雨がふられたら自転車をおいてくしかないし、行く時が雨なら、自転車でいけない。

        (1973/05/10)


 しかし、なんで、帰りに雨がふりだすんでしょう。今日も、図書館にはいっていたら、ザー。ゴロゴロなんて、かみなりまで。傘はなし。ぬれてかえる。以上必然。この前もぬれた。カサがないばかりに。
 これからは、毎日、カサをもっていこうか、たぶん、20回もっていって、役にたつのは数回だろうけど。カサは、ゲタバコの中に入れておきましょう。ぼくは今まで、朝、雨がふっていないと、いつもカサをもっていかなかったのだ。ぬれるのはあたりまえかも。

 天気予報はきくようにしましょうか?

        (1973/05/10)


*「自転車で学校や図書館にいってもいいけど、帰りに雨がふられたら自転車をおいてくしかないし、行く時が雨なら、自転車でいけない。」  休日の用事などで自転車にのっていたのは(それがあぶなっかしいとは思いつつ)、ここまでに既述いくつかあった。  高校に自転車で通学した、校門前の坂をがんばって漕いで登った、のはちゃんと記憶している。  が、上の書きぶりからいくと、当時、高二の五月の時点では、自転車通学はまだしていないのかもしれない。  (または恒常的にはしていないけど、ときたまは使った、ということもあるのか。たしか、学校に忘れ物があって塾に行くついでに自転車で寄った、とかいう既述もあった。 → 当続短断長 01:27 2022/08/28 (日) 掲載の(1973/05/04)の記事)
 なお、「自転車で学校や図書館にいってもいいけど、」という記載からいくと、この図書館は県立図書館だ、高確率で。高校の図書館は高校の敷地内にある。自転車で高校の図書館に行く、通う、という捉え方、言い方はしないはず。
*「天気予報はきくようにしましょうか?」  当時の予報の精度があまり高くなかったということもあるのか、waka君というか、waka君の家では信用度低かった気がする。(家業の関係で天気は大事だった)  いつごろから、私、信用するようになったのか。現在はもう、八割か九割は当たる、という感覚。  Wikipediaによれば、 〔気象庁は、1980年より天気予報の一つとして降水確率を発表している。当初は主要都市のみだった。このほかに、1988年からは降水短時間予報、1996年からは分布予報・時系列予報など、多様な種類の予報が発表されるようになってきた。〕  降水確率すらなかったんだ、当時は。

 

 
00:57 2023/04/02 (日)


「ここには、当時の自然主義小説における、あくまでも対象に密着してこれを描写せんとする写実の技法に対立して、人間の心理や現実を虚構の小説世界において追求してゆこうとする彼の文学方法がはっきりとのべられている。」

 ぼくの書く小説は、虚構の小説世界で虚構の心理や現実を追求しているだけではなかろうか。いや、追求などしていない。小説のために小説を書いている。中学2年の冬頃に書いた物語の方が、数段正直で文学的だった。が、今は、不正直で低い。いきあたりばったりに、てきとうに、小説みたいなのをつくっているだけだ。これは現実である。真の小説はぼくにはつくれないのだろうかしら? それとも、小説を書きながら、ちゃんと考えているのか ―― いや、ぼくはいつも、これがぼくだったらこう思う、感じる、と、自分の心で感じて答えをだしているのだ。考えてはいない。考えるという作業をとらずに、ぼくの心という方程式にみんな代入して、パッと答えをだしているだけだ。直観的に。これでいいのだろうか?
 小説は、筋がおもしろければいいのか?
          ぼくは、これをめざしているような。

  考察!!

 ぼくは、筋のおもしろいのをつくるか、さもなければ、だれかのまねをするか、なのだ。

 これでいいのか?

 やっぱり、子供だねえ。

        (1973/05/10)


 純文学者と大衆文学者と、どちらが異常なのだろう?

        (1973/05/10)


*「「ここには、当時の自然主義小説における、あくまでも対象に密着してこれを描写せんとする写実の技法に対立して、人間の心理や現実を虚構の小説世界において追求してゆこうとする彼の文学方法がはっきりとのべられている。」」  「 」で囲ってあるのでこの文章は、何か、漱石関連書籍から転記している(このときこの図書館で)、と思われる。  引用元書籍、著者について、現在、検索など試して探してみたが、判明せず。  引用文章をふまえ、自省して、「ぼくの書く小説は、虚構の小説世界で ・・・ 」以下、waka君がつぶやく。自問自答する。

 

 
07:12 2023/03/26 (日)


 女のおしゃべりはうるさいよ

        (1973/05/10)


 今、2階のホールで、コンタクトおとしたって、さわいでるよ。

        (1973/05/10)


 戦争になると男権があがる.

        (1973/05/10)


 男権 →こっちはいい方あるの?

 女権

        (1973/05/10)


 アテネが、ギリシア人が連戦連勝したわけ。

 アテネ人民内では、男同志の同性愛が流行していた。そこで、戦場で、相手の男にかっこいい所をみせようとして、みながんばり、戦いに勝っていったということだ。

                      (某氏)

        (1973/05/10)


 決して調和すべからざるものではない。
        ↓
    決して調和しないものではない、?

        (1973/05/10)


 今日、帰ったら、マジメに勉強やろう。今、図書館でナツメ先生に関しての物をよんでる。こういうことがすき。

        (1973/05/10)


 拵へもの →こしらへもの

        (1973/05/10)


 こんどからは、いつも図書館によって、本をよんだり、文学クラブのを書いたり、ときには勉強したりしよう。

        (1973/05/10)


*「今、2階のホールで、コンタクトおとしたって、さわいでるよ。」  場所の詳細説明がない。  高校の校舎は、1階に3年生の教室が並んでいた。2階が2年生、3階が1年生だった。waka君はこのとき2年生だから、2階のホールの物音や声は比較的よく聞こえたと思う。よって、本項は、まだ学校にいるときの記載と考えて、変ではない。  しかし、しばらく後の項で、今図書館にいると書いている。なので、本項の時点ですでに図書館に来ているのだとしたら、2階のホールというのも図書館のそれになるかもしれない。
*「男権 →こっちはいい方あるの?  女権」  辞書をひくと、女権はあっても、男権という語は載っていない。男が当然のように持っていた権利を、女も要求した、というのが時代の流れ。要求する必要がなかったか少なかったため、男権という語は生まれなかった、一般化しなかった、ということだろう。  ただし、この前の項「戦争になると男権があがる.」は、「戦争になると男の権威があがる.」ということを言いたかったのだと思う。これならすっきりなんだけど(主張が適切か不適切かはおいておいて、少なくも文意の通りはすっきりするんだけど)、ちぢめて男権にしてしまった。女権の対語を意識するので(誤解まではしないだろうが)その分、通りが悪そう。
*「アテネが、ギリシア人が連戦連勝したわけ。  アテネ人民内では、男同志の同性愛が流行していた。そこで、戦場で、相手の男にかっこいい所をみせようとして、みながんばり、戦いに勝っていったということだ。  (某氏)」  某氏ってだれ? クラスメートなのか、テレビか本の中の人なのか。感触としては、クラスメートなどナマの対人関係から仕入れてるような情報、トンデモ事情、に思えるけど。  → しかしざっとネット調べをしてみると、古代ギリシャで、同性愛が公然と栄えていたのはほんとらしい。
*「今日、帰ったら、マジメに勉強やろう。今、図書館でナツメ先生に関しての物をよんでる。こういうことがすき。」  waka君の高校敷地内に、別館として学校の図書館があった。  また、高校からさほど遠くない場所に、りっぱな県立の図書館もあった。  ここで言っている図書館はどちらだったのか、書かれている記事からははっきりしない。  → 学校の図書館は、どちらかといえば、少数の生徒たちが、昼休みや自習時間に利用していた、という印象。気持的になんとなく、サロンか休憩室の扱い。だれか先生が空き時間にぼんやりしている場所でもあったか。たしか、テレビのある部屋もあった。  → 県立の図書館は、もちろん公共施設なので一般人も利用していたわけだが、近場だったのでwaka君の高校の生徒が自習室などをよく利用していた。こちらの図書館だったとしたら、文面から、waka君はたぶん自習室ではなく(勉強したいのではなく)、ふつうの閲覧室で遊弋している。  → 数項前の「2階のホール」は、どちらの図書館にも(そして高校の本館校舎にも)ありえた気がするので、場所の特定にはつながらないかも。

 

 
01:18 2023/03/19 (日)


 錯覚
     思いちがい
     目や鼻などのまちがった知覚
                     }?

        (1973/05/10)


 小学校のシャオン会にでたパンはおいしかったのだ。そこで、小■君がきらいだといって、2円で売るといったパンをめぐって、水■君とケンカになったのだ。

        (1973/05/10)


 今日の昼はパンなのだ。みみのついたしょくぱんからできたパンをたべていたら、小学校の頃の給食を思いだした。

 平和だったナァ。

        (1973/05/10)


 東日本 →東の日本
 西世界 →西の世界
        日本外
        外国

        (1973/05/10)


 書 建

 ■と聿
     津

        (1973/05/10)


 昔、士農工商の時代に身分間の結婚が、なされなかった。

 人種がわかれてもいいはずだ。

 このような人間が人間の結婚をセイゲンして、身分の差で人種がわかれた例が世界にあるか?

 ウェルズの「タイムマシン」なのだ。

 もう1人、だれかいたなー、だれだっけ?

 ジュール・ベルヌ
 H.G.ウェルズ
           }この差は?

        (1973/05/10)


 てってい的
 てって的

        (1973/05/10)


 シチリア島
 シシリー島  シシリア?
        アレクサンダーシシリアベリーブ?

        (1973/05/10)


 陸軍は数ヶ月でつくれるが、海軍をつくるには数十年かかる。

        (1973/05/10)


*「小学校のシャオン会にでたパンはおいしかったのだ。そこで、小■君がきらいだといって、2円で売るといったパンをめぐって、水■君とケンカになったのだ。」  砂糖をまぶしたような揚げパンだった。  小学校の謝恩会、自分たちの卒業時のそれ。つまり、四年前の思い出話ということだけど、この年頃の四年前は大昔だわな。  小■君はなよっとしてた。水■君は小柄だけど無骨。  小■君が格安で売りに出したそれを、水■君と取り合ったwaka君、という文脈だな。  いちおう、おめでたい席なんだから、美味しそうとはいえ、食い物で喧嘩するなんてつまらないよね。しかも、中学は別で離ればなれになってしまうのに。この辺りがまだ子どもというか、動物に近いというか。  なぜここでこういうことを思い出しているのか。次項が答えになるようだ。
*「今日の昼はパンなのだ。みみのついたしょくぱんからできたパンをたべていたら、小学校の頃の給食を思いだした。  平和だったナァ。」  つまり、「学校の授業はあっというまにすぎさって、もう昼メシなのだ。」と書いた辺りからここまで、ずっと昼休みにこのノートを書いている。  「ぼくは国語辞典や漢和辞典をひきひきこのノートをかいているのだ。友だちといるときにだってノートをかくのだ。友だちがいるために、文章の態度がすこしかわりはするが。」これも、この昼休み、友だちが周りにいて、国語辞典や漢和辞典を引き引き、そしてパンを食べながら、実際に書いているわけだ。  給食は小学校まで。中学、高校は弁当だった。
*「東日本 →東の日本  西世界 →西の世界  日本外  外国」  東日本と西世界、語の構造は同じでも、意味するものは同質ではないかも、と分析をしはじめている辺りか。
*「書 建  ■と聿  津」  ■は、書の上部だけ(日以外)の姿。  両字の似た部分を切り出して、津と見比べている。  書 建 津  建と津の部品は一致。書の部品は下が貫通していない。という差か。  手元漢和辞典をみると、書の上部も、起源は同じ聿だったようだ。
*「このような人間が人間の結婚をセイゲンして、身分の差で人種がわかれた例が世界にあるか?」  それっぽいのはあるかもしれない。  まあ、日本でもどの場合でも、完璧に隔離されはしないで、程度の差はあれ混交はあったと思うけど。  日本なら、養子養女で体裁が調えばわりとふつうに身分違いの婚姻はあったみたいな。  インドのカースト制あたりになると、ほぼ禁忌の域で、かなり厳しそうだけど・・ (この禁忌を犯すと殺されたりまであり、というのは私の思い込み?)  しかし、どこだったか、婚前交渉をした娘を家族が殺すという名誉殺人が今でもあるらしいからなあ。インドとか中東とか、身分や婚姻に関してはわりと過酷だよね。
*「ウェルズの「タイムマシン」なのだ。」  タイムマシンでいく未来世界、二階級に人類が分化していたはず。
*「ジュール・ベルヌ H.G.ウェルズ  }この差は?」  wikiで調べた。  ともに「SFの父」と呼ばれる。  ジュール・ベルヌはフランスの作家。『地底旅行』(1864年)、『月世界旅行』(1865年)、『海底二万里』(1870年)、『八十日間世界一周』(1873年)など。  H.G.ウェルズはイギリスの作家。『タイム・マシン』(1895年)、『モロー博士の島』(1896年)、『透明人間』(1897年)、『宇宙戦争』(1898年)など。  ヴェルヌのほうが四十才ほど年上だった。  ちなみに、映画『八十日間世界一周』は私のお気に入り。イギリス紳士が主人公だったけど、作者はフランス人だったんだ。へえ、ほう・・
*「シチリア島  シシリー島  シシリア?  アレクサンダーシシリアベリーブ?」  調べたら、シチリア島の英語名がシシリー島。別所ではなく、同じ地のことなんだ。  アレクサンダーシシリアベリーブ嬢については、当続短断長「07:25 2022/12/11 (日)」に詳しい。
*「陸軍は数ヶ月でつくれるが、海軍をつくるには数十年かかる。」  どこかで見聞きした、かっこよさそうな言辞を書きとめたんでしょう。

 

 
02:42 2023/03/12 (日)


 あの店はカサをうっているかしら
 あの店ではカサをうっているかしら
                   >両方とも使用されるのか?

        (1973/05/10)


 学校の授業はあっというまにすぎさって、もう昼メシなのだ。ほんとにあっというま。授業がぜんぜん印象に残っていないみたい。

        (1973/05/10)


 女の人のみよじや名前を/みだらに/気やすく/口にしない方がいいですね

        (1973/05/10)


 みよじ

 なまえ
      みよじ+なまえ
      なまえ

                 }? 

        (1973/05/10)


 「みだら」には「乱れる」の意がないか?

        (1973/05/10)


 乱には他の訓読みがないか?

        (1973/05/10)


 みょうじ+名まえ=氏名
          氏名≒名まえ  かしら

        (1973/05/10)


 みょうじ ○
 みよじ  ○×

        (1973/05/10)


 ぼくは国語辞典や漢和辞典をひきひきこのノートをかいているのだ。友だちといるときにだってノートをかくのだ。友だちがいるために、文章の態度がすこしかわりはするが。

        (1973/05/10)


 ■中の頃、ぼくをけぎらいする生徒が一年下にいたのだ。男なのだ。でも、はっきりはしないのだ。ぼくの思いすごしか、錯覚かもしれぬ、

        (1973/05/10)


 錯角
 錯覚

        (1973/05/10)


*「学校の授業はあっというまにすぎさって、もう昼メシなのだ。ほんとにあっというま。授業がぜんぜん印象に残っていないみたい。」  笑。  心残りがないすっきり感はよいけれど、きれいさっぱりではそれはそれで困るよね。
*「「みだら」には「乱れる」の意がないか?」  同源ではあるらしい。
*「乱には他の訓読みがないか?」  辞書では、みだ・れる、みだ・れ、みだ・す。  漢和辞典をみると、真逆の「治める」の意もあるとのこと。しかし、今、乱める(おさめる)と当てる人はいないだろうなあ。
*「錯角 錯覚」  錯角は幾何の用語。  ちなみに、幾何で言うところの意味にこの漢字「錯」は、マッチしているのか?  英語の、Alternate angles は、互い違いの角、とかいう意味になるようだが、こちらもピッタリという命名になっていない気がする。  (いや、要するに、幾何で言うところの意味(特にこういうややこしいあたり)を通常語でピッタリ置き換えるのが無理目なわけか・・)  (名前はラベルに過ぎない。実体とイコールではない。ということでいいのかも)

 

 
03:36 2023/03/05 (日)


 忘れるな
 忘るな
      >?

        (1973/05/09)


 12時までねて、12時から再開
 12時からねて、12時まで再開
 12時までねて、12時まで再開
 12時からねて、12時から再開

        (1973/05/09)


 ぼくは学校にいくまぎわになると、勉強する意欲がでてくる。

        (1973/05/10)


 無論

        (1973/05/10)


 これからはもっとまじめになろう。いつも、あしたやろうあしたやろうと思っている。

        (1973/05/10)


 学校にははやめに来るようにしましょう。毎朝かけるなんて、もう、たえられない。

        (1973/05/10)


 お母
  はは
     おかあ
     おはは

 お父
  ちち
     おとう
     おちち

        (1973/05/10)


 国語の授業やテストが暗記による授業やテストになってしまったら、もはやそれは国語ではない。

        (1973/05/10)


 ○○○○○
 ○○○○○
 ○○○○○
 ○○○○○
 ○○○○○

 ○○○○

 ○○○○○

 ○○○○○

          }というような詩。
           と中から、一行ぬかしになっている詩、

        (1973/05/10)


 為
 爲
   >どっち

        (1973/05/10)


 ボウ
  膨大
  莫大
     >を、読みまちがえる。

        (1973/05/10)


 昔の詩歌 は、一読しては、意味をとりにくい。
   20年以上前
 いっていることのむずかしさより、用語がわからないので。

 やはり、最初に読んだ時は重要であろうから、詩をつくるなら、よみやすい字を、
 考えてよむより、見てよむような詩をつくろうね。

        (1973/05/10)


*「ぼくは学校にいくまぎわになると、勉強する意欲がでてくる。」  これは家での学習のことを言い、夕方深夜早朝などいずれでもやる気が低調なのに、時間切れまぎわになるとやる気が出てくる、どうしようもないね、という意味でしょう。  学校という勉学の場に向かおうとすると俄然やる気がわき出てくる、というような、前向きなことではなく。
*「 ・・・   }というような詩。  と中から、一行ぬかしになっている詩、」  本項のみは、ノートを縦開きにしての、縦書きで書かれている。  途中から一行ぬかしになっているという構造が目新しく思えたんだろうけど、そういう詩の外観のアイデアが浮かんだのか、そういう詩を目にしてここにメモをしておきたかったのか。
*「為 爲  >どっち」  誤字ではなく、異体字。

 

 
00:47 2023/02/26 (日)


  睦 む
 むつ

        (1973/05/09)


 あかり
 ひかり

        (1973/05/09)


 昂らない
 苛んだ
      >なんとよむ?

        (1973/05/09)


 はんすう

        (1973/05/09)


 ダークサイド

        (1973/05/09)


  訓 す
 さと

        (1973/05/09)


 何かの書類をコピーしたとしたら、元の書とコピーされたものの、どちらを重要視するだろうか?

 もし、テストの予想問題が、プリント1枚しかなく、それをコピーして、さらに1枚つくったとする。そして、そのうち1枚を友にわたすとしたら、友は、もとのプリントと、コピーされたプリントのどちらを、よりよろこんでうけとるか? そのもとのプリントがはじめから、ぼくのものなら、あまり差をつけないだろうが、はじめは公共のものだったりしたなら、そのコピーはぼくのものではあるが、元のプリントはみんなのものだと考えられるのではないか? つまり、そのコピーは、ぼくのノートみたいもの、とみなされ、もとのプリントとは同等視されないのではなかろうか? つたえている事は同じなのに。

 黒板からうつすのと、人のノートからうつすのと、とちらをより、よろこぶだろうか? 黒板と、人のノートは同等視されているのか? それらが、同等視されていないとすれば、黒板の方がより確かだ、という理由によるだけだろうか?

 黒板は、元のプリントは公共の物だが、人のノートは、コピーは、人の物である。黒板や元のプリントはより正確であるし、人の物がらうつすと、その人個人から、もらったようで、その人に借りをつくったようでいやだ? プリントの問題にはこれはあてはまりそうだが、黒板は、わからん。

        (1973/05/09)


 あがらう
 あらがう
      >?

        (1973/05/09)


 ぼくは学生でありながら、色恋いの方に興味があるのだなあ、家でも学校でも、女性の多く、いや、女子生徒の多くは、あまり、こういう雑念にとらわれず、勉学にはげんでいるといわれるのに。

        (1973/05/09)


 〜というのに
 〜といわれるのに

  勉強しているというのに
 「勉強している」と言うのに
               >この差!!

        (1973/05/09)


*「昂らない 苛んだ  >なんとよむ?」  たかぶらない、さいなんだ、と思われるが、今でも難読。
*「ダークサイド」  スターウォーズ用語のようだが、映画公開は四年後(日本では五年後)らしいので、waka君の仕入れ元は別であろう。
*「 訓 さと す」  訓には、さとす、の意味はあるが、正式な読みにはないもよう。訓ず(くんず)の語はある。
*「何かの書類をコピーしたとしたら、元の書とコピーされたものの、どちらを重要視するだろうか? ・・・ 」  長文だが、内容もだいたい分かるが、なぜこういうことを考え、書いたのかが、いまいち不明。  最初に、具体的な事情、事柄があったような感じではあるが、それをきっかけにした思考実験の様相になってる。
*「あがらう あらがう  >?」  あらがう、だよね?
*「ぼくは学生でありながら、色恋いの方に興味があるのだなあ、家でも学校でも、女性の多く、いや、女子生徒の多くは、あまり、こういう雑念にとらわれず、勉学にはげんでいるといわれるのに。」  学生でありながら、は、ずれているわな。お年頃なんだから、興味がないほうがおかしいわ。  女子が色恋にとらわれない、というのは、ありえないだろうし。  ただまあ、心乱れる程度は、気が散る度合いは、つまり雑念作用は、男子のほうが広く浅く、女子のほうがせまく深い、という違いがありそうな、なさそうな。  おおざっぱにいえば、女子のほうがオトナ(あるいは重い)だろうね。

 

 
01:33 2023/02/19 (日)


 ぼくが日本語を書く時、
            読点
           「せ」と「し」
                   }に注意!!

        (1973/05/09)


      いや(他)?
 こわばらす(自) →こわばらした
 こわばらせる(他) →こわばらせた
                   }????

        (1973/05/09)


 「せ」と「し」がわからん!!!

        (1973/05/09)


 うっそり

        (1973/05/09)


 大人数と大人数が、せまい横断歩道を両側からわたるとき、彼らはぶつかるかしら???

  1度、その中の1人になってみよう。

        (1973/05/09)


 人がいる

 車がいる
   ある?

        (1973/05/09)


 有象無象
       ゆうしょうむしょう ×
       うしょうむしょう  ×
       うぞうむぞう    ○

        (1973/05/09)


 哄笑 :こうしょう :大笑い

        (1973/05/09)


 空く
    あく
    すく
       >どっち?

        (1973/05/09)


  漁 る
 あさ
  V

  漁 り
 いさ
  N

     }?

        (1973/05/09)


 本屋、出版者はだす本をなるたけ長い物にしようとするのか、字などをカットして、みじかいものにしようとするのか?

        (1973/05/09)


  朧
 おぼろ

        (1973/05/09)


 女婿とは、どう読み、どういう意味?

        (1973/05/09)


  辿 る
 たど

        (1973/05/09)


 読めない字が多すぎる

        (1973/05/09)


 見出す
    みだす
    みいだす

        (1973/05/09)


 梟 とは?

   ふくろう!!

        (1973/05/09)


 戸惑う :
       とまどう○
       こまよう×
       こまどう×

        (1973/05/09)


 ある人の悪に関してはとてもびんかんだが、他の人の悪に関してはびんかんでない人。人がそういう性質なので、好きな人、きらいな人ができるのか?

        (1973/05/09)


 瑕、キズ、カ

 瑕×

        (1973/05/09)


 帆 :ハン

        (1973/05/09)


 挙措 :きょそ

        (1973/05/09)


*「「せ」と「し」がわからん!!!」  前回の解釈は間違ってる。  こわばる、が原型だった。
 こわばる+す : こわばらす
 こわばる+せる : こわばらせる
 ということだよね。せるは使役だろうが、すはなに?   謎は深まってしまう・・ 
 意識すると、今でもわかりません(^^;; 自動詞とか他動詞とかも、字面の理屈はわかるけど、ではこれはどちらかと具体例を判定しようとすると、感覚では、自動、他動どちらにも思えてきてわからなくなったりする。  日本人の恥とか大げさに思わずに、どちらでもいいんだし、意味はちゃんとわかるし、と、おおらかにいきましょう。  (と、なだめておくか・・)
*「うっそり」  waka君の造語ではなく、ちゃんと辞書にあった。
*「大人数と大人数が、せまい横断歩道を両側からわたるとき、彼らはぶつかるかしら???」  密度にもよるだろうけど。  大通りの大きな交差点の大人数どうし、ならば、ふつう、ぶつからないと思う。  当然なような、不思議なような。おもしろいといえばおもしろい。
*「空く  あく すく  >どっち?」  たしかに同じ送り仮名なので、どちらにも読めてしまう。でもどちらも同じ意味なので文意はぶれないか。  いや、あくとすくは微妙に意味がずれるかも。よって、文脈からどちらかを読み取る、または選びとる、ということになりそう。  (あくは明く、開くにちかく、すくは透くにちかい? ・・これも考えだすと深間に落ちる?)
*「 漁 あさ る V  漁 いさ り N  }?」  漁の訓は、すなど・る、いさ・る、いさ・り、あさ・る、など。V、Nは、動詞、名詞のことでしょう。
*「本屋、出版者はだす本をなるたけ長い物にしようとするのか、字などをカットして、みじかいものにしようとするのか?」  ふむふむふむ。  力関係について、なじみがなく、案配がわからないんでしょうね。さまざまな要素、場面、当事者たちの事情、があって、正解はない、ケースバイケース、というぐらいしか言えないか、今も。
*「女婿とは、どう読み、どういう意味?」  じょせい、または、にょせい、で辞書にある。  おんなむこ、で変換しようとしたら、誤読だとATOKに叱られた!  婿と女婿は何が違うのかだけど、民法旧規定がからむらしく、よくわからない(笑)
*「読めない字が多すぎる」  いい年になっても、ネットを駆使しても、わからないことが多すぎる(笑)
*「瑕、キズ、カ  瑕×」  よくみると、×の瑕は右上がコではなく口になっているので、それか。

 

 
08:58 2023/02/12 (日)


 ウフフ、今回は、ひとつも、フクセイでないのだ。

        (1973/05/09)


 ポルノとかそういう方の映画や漫画はぜんぜんすじがおもしろくない。

        (1973/05/09)


 「出づっぱり」とは?

        (1973/05/09)


 真打ち

        (1973/05/09)


 セブンブリッジで、4枚しかないので、ポンとポンはあらそわぬが、ポンとチイはあらそう。

        (1973/05/09)


 ナポレオンやツーテンジャックをおぼえよう!!

        (1973/05/09)


 知るよしもなし。

        (1973/05/09)


  喧ましい
 やか
  喧しい
      }どっち?

        (1973/05/09)


 やげん

        (1973/05/09)


 やご

        (1973/05/09)


 けたたましい ○
 けましい ×

        (1973/05/09)


 品薄 :しなうす

        (1973/05/09)


  は
  剥げる
  外す
 はず
  剥く
  む
      >ほんと?

        (1973/05/09)


 いれあげる

        (1973/05/09)


 ふかす
エンジンをふかす
        ふかせて○
        ふかして○
               >ほんと?

           この「せ」と「し」はどっちが正しいのか?

        (1973/05/09)


 挙句 :あげく

        (1973/05/09)


 こわばらせた○
 こわばらした○
          }なぜ??

 この「せ」と「し」がわからぬなんて、日本人の恥。

        (1973/05/09)


*「ウフフ、今回は、ひとつも、フクセイでないのだ。」  心記第2巻の冒頭の項。  前巻のスタート時のように、ノート切れで藁半紙などにとりあえずメモしその後そこから転記している複製、ではないのだ、冒頭からナマ記載なのだ、ということ。  心記第1巻序盤にある「フクセイ」群については、当続短断長の05:03 2022/07/03 (日)でいろいろ書いてます。  (心記第1巻は、1973/05/02に始まり、1973/05/09に終わっている。あしかけ八日間。これを当続短断長で、08:16 2022/05/15 (日)から 06:18 2023/02/05 (日)まで追いかけた、ということになる。九ヶ月ぐらいかけて。なお、ここに掲載しなかった項も多いので第1巻すべてではない)
*「ポルノとかそういう方の映画や漫画はぜんぜんすじがおもしろくない。」  いやいやいや、意外とそうでもないはず。waka君、経験値が全然足りてないよね。
*「「出づっぱり」とは?」  出ずっぱり、が正表記らしい。  出突っ張り、なのだから、づでもまちがいってほどじゃないわな。
*「セブンブリッジで、4枚しかないので、ポンとポンはあらそわぬが、ポンとチイはあらそう。」  同じ数字は4枚しかないので、手元に2枚あって3枚目を求めるポンが、二人から発声されることはない。と。  ポンとかチイとか言ってるけど、waka君は、この時点では麻雀ルールはほぼ無知のはず。麻雀の前に、トランプで、ポンとかチイを覚えたか。
*「ナポレオンやツーテンジャックをおぼえよう!!」  いずれもトランプの種目と思うが、現在までやったことなく、ルール覚えておらんな。  トランプも、高校で、わりとはやっていた。
*「 喧ましい 喧しい  }どっち?」  喧しい、らしい。  が、喧しいは、かまびすしい、とも読むらしい。
*「やげん」  薬研か。
*「けたたましい ○  けましい ×」  けたましい、も辞書に載ってる。バツではない。
*「この「せ」と「し」がわからぬなんて、日本人の恥。」  爆笑。  もどかしい。当時も感じていると思う。  →  こわばらす、過去形が、こわばらした。  こわばらせる、過去形が、こわばらせた。  こわばらす+せる、が、こわばらせる。  こわばらした(自動)より、こわばらせた(他動)がしっくりするのは、自ら意識してそうするものでもないから。  ・・ということで、答えになっているかなあ・・

 

 
06:18 2023/02/05 (日)


 ノートや教科書を他に貸す時は、中にテストの答案etcがあるかないかたしかめてからにしろ。あったらトレ。

        (1973/05/09)


 川原
      かわはら →これはあるの?
      がわら
      かわら
            >どれでもいいの?

 ※川原をカワハラとよむか??

        (1973/05/09)


 丁度 :ちょうど

        (1973/05/09)


 どうしたの = どったの
 どうした = どった

        (1973/05/09)


 ぼくは次の休日(日曜日)がつぶれると、わかると、それまで気分が重いのだ。いやなことでつぶれる事のみならず遊びとかの楽しい事でつぶれる事がわかっても気分が重い。休日は何も計画がたっていない方がいい。そして、何かあるだろう、と思いながら、体を休めている方がいい。

        (1973/05/09)


 アタラトキヲスゴ×サン

 「アタラトキヲスサン」とは、方丈記のラストの方のコトバだが、その意は?

        (1973/05/09)


 高校生同志で夫婦になって、その二人が同じクラスだったら、おもろいだろうなあ。他からの圧力がなく、みな理解があるなら、たのしい、はつらつとした夫婦生活ができる。

        (1973/05/09)


 人の(男の)局部にボーリングの玉がとんできたら、いたいだろうなあ。いたいなんてもんじゃないだろうなあ。びていこつが、グワシャンてことになるだろうなあ。ヤダー。
 ロッコツがおれるより、下腹部の骨がおれる方がいたい気がする。特にマタの所なんか。

        (1973/05/09)


 腹ガン なんてある?
 フク

        (1973/05/09)


*「 ・・・ ※川原をカワハラとよむか??」  川原(河原)の読みは、辞書には「かわら」のみが載っている。  (人の姓の場合は、かわはら、と読むのがふつうらしいが)  かわ+はら、であることは明白だが、これが、かわら、となるのは音韻脱落という変化だそうだ。川原の場合、元の姿は日常語から消え、音韻脱落後の姿のみ残ったということらしい。  別語の後につながる川原の場合、がわら、と濁ることがある。これは連濁という変化。
*「ぼくは次の休日(日曜日)がつぶれると、わかると、それまで気分が重いのだ。いやなことでつぶれる事のみならず遊びとかの楽しい事でつぶれる事がわかっても気分が重い。休日は何も計画がたっていない方がいい。そして、何かあるだろう、と思いながら、体を休めている方がいい。」  現在は、そんなことはないか。やりたいことの予定があれば楽しみにして待てる。  勤務日の仕事で心残りがあるとせっかくの休日に尾を引いてしまうので(影を落とすので)、そういうことがないよう勤務日に気をつける、程度かなあ。あるのは。
*「「アタラトキヲスサン」とは、方丈記のラストの方のコトバだが、その意は?」
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/hojoki/hojoki5.htm
〔いかゞ、要なき楽しみを述べて、あたら、時を過ぐさむ 。 (つまらぬ楽しみなどを書き連ねて、あたら残り少ない時間を無駄にするには及ばない。)〕
 すさむ、ではないみたいだ、やはり。
*「人の(男の)局部にボーリングの玉がとんできたら、 ・・・ 」  なまみの玉に硬い大きな玉がぶつかるわけだ、 アーヤダヤダ(爆)
*「腹ガン なんてある?」  腹癌?  (複眼ならぬ)腹眼みたいのが、昆虫に付いてたら、ちょっと異妖かも。

 

 
06:23 2023/01/29 (日)


 「敵性語」とは?

        (1973/05/08)


 蜚語とは?

        (1973/05/08)


 津津 :しんしん

        (1973/05/08)


 朝、ちこくしそうだなどと思って、トイレでゆっくりしゃがんでいないと、便秘になるとよ。

        (1973/05/08)


 ふだんは聞こえないが、強い風がふくと、それが、その巨人の泣きさけぶ声を運んでくる。

        (1973/05/08)


 一組の夫婦にとって
    結婚してはならない
    一夫一婦制
    どう結婚してもかまわぬ
                )のうち、どれに決められていたら、よりしあわせか?

 どう結婚してもかまわぬ、であったとする。妻が、ちょっと夫とけんかをして、他の男とねてしまう。あとで、こうかいして、もし、一夫一婦制だったなら、その社会の法規があるから、と思って、ねなかったろうに、と思う。彼女の場合、夫とけんかをすると、それだけで、彼女を他にはしらせてしまうほど、社会のおさえがなかったのだ。彼女の本心以外の、ちょっと発作的な心をはしらせてしまうほど。

 しかし、人間の本質が、一夫一婦制とは限らぬ。

        (1973/05/08)


 一夫一婦
 一婦一夫
      >どっち?

        (1973/05/08)


 東大はミンセイナントカに占められているとか・・・

        (1973/05/08)


 ぼくはフロの中で、ねむってしまいそうになった。ねたら、そのまま、いったかもしれない。

        (1973/05/08)


 人の家、A君の内にいったB君、でんわにでる。「もしもしAさんのおたくですか。」
 「ちがいますBです。」 ガチャン。

        (1973/05/08)


*「蜚語とは?」  流言飛語は、流言蜚語とも書くようだ。
*「津津 :しんしん」  日常語では、興味津々以外でお目にかかることはまずないか。
*「朝、ちこくしそうだなどと思って、トイレでゆっくりしゃがんでいないと、便秘になるとよ。」  この書き方は、和式だね。
*「ふだんは聞こえないが、強い風がふくと、それが、その巨人の泣きさけぶ声を運んでくる。」  格好をつけてるかもしれないが、わりといい。写実の一行。
*「東大はミンセイナントカに占められているとか・・・」  民青か。大学紛争、まだ鎮火しきっていない時期だったと思う。
*「ぼくはフロの中で、ねむってしまいそうになった。ねたら、そのまま、いったかもしれない。」  祖母(母の母)がこの一年前ぐらい、入浴中、亡くなっている。  (その同じ湯船、になる)
*「人の家、A君の内にいったB君、でんわにでる。「もしもしAさんのおたくですか。」 「ちがいますBです。」 ガチャン。」  笑。

 

 
03:02 2023/01/22 (日)


 ミヤザワケンジはすばらしい!!
 思いだすと、涙腺がしげきされるようだ。
 彼みたいなものがかければな、と思う。

        (1973/05/08)


宮沢賢治はぼくにとって、夏目漱石先生や志賀直哉と同じぐらい大事な作家だ。彼の作品がとっても好き。

        (1973/05/08)


 「にいさん」
 「あんちゃん」

        (1973/05/08)


 ミリオンセラー とは?

  ベストセラー
  ロングセラー
         )とは?

        (1973/05/08)


 内戦と内乱の差は?

        (1973/05/08)


 とんでいるハエはむりにたたくこともないでしょう。

        (1973/05/08)


 わが家はおんちぞろい。

        (1973/05/08)


 もし、世の中がおとろえた人類が数万人ぐらいになってしまったら、ぼくは、小説を書こうとするかしら? 10人ぐらいになったら? ぼくだけになったら?

        (1973/05/08)


 怯 える
 おび

        (1973/05/08)


 少国民とは?

        (1973/05/08)


 逼 迫
 ひっぱく

        (1973/05/08)


 しうち :フクシュウというイミが含まれるだろうか?

        (1973/05/08)


 ぼくは、読点をつける所に注意しなければならぬ!

        (1973/05/08)


 颪 とはなんとよむのか?

        (1973/05/08)


 災厄 :さいやく

        (1973/05/08)


 あおぐ あおいで
 むく おいて

 もぐ もいで
 いく いって

 死ぬ 死んで

        (1973/05/08)


 起こる ○
 起る  ×

        (1973/05/08)


*「ミヤザワケンジはすばらしい!! 思いだすと、涙腺がしげきされるようだ。 彼みたいなものがかければな、と思う。」  涙線ではなく、ちゃんと涙腺と書けているってことは、ちゃんと辞書ひいている、ほぼまちがいなく。  しかし、刺激はひらがな。横着したのか、漢字がある事をわすれたのか。
*「宮沢賢治はぼくにとって、夏目漱石先生や志賀直哉と同じぐらい大事な作家だ。彼の作品がとっても好き。」  というか、きらいな人はいないだろ〜 ほぼすべての人が愛してしまう、はず。
*「わが家はおんちぞろい。」  笑。  そうだっけ?
*「怯える」  ひるむ、もこの漢字。
*「少国民とは?」  お上を意識した自分らを卑下しての呼称、あるいは、民草の類語で我ら地を覆うもの無量数で国をささえもりたてるものという誇りも加味された自称、のように感じていたけど、単に、年少の国民の意味らしい。
「颪 とはなんとよむのか?」  おろし、だね。国字。
*「あおぐ あおいで  むく おいて    もぐ もいで  いく いって    死ぬ 死んで」  終止形と連用形(音便タイプ)のペアか。さらに、つながるのが、で、て、どちらになるかなども、吟味しているふう。  むく おいて のペアは、たぶん誤記だろう。あおぐ あおいで に並べているので、おく おいて と書きたかったか。

 

 
04:14 2023/01/15 (日)


 女の人は歩くのがおそい。■■高の女子も例外でない。さて、1人の女子が歩いてたとする。もちろん、のろい。ぼくははやい。当然おいぬきそうになる。すると、その女子は、変なのがよってきたと思って、パッと横道にそれる。ぼくを、痴漢か何かのようにみているのだ。ふざけんじゃない、ケイベツだ、―― なんだ、自分がのろいからいけないのに・・・・ でも、ぼくの思いすごしかも ―― 女子はただいつもまがる道、まがって当然の道だからまがったのかも。それを、前記のように理解するのは、ぼくが、そういうようにおもわれたいからか? 女子に関心を、男としての関心をもたれたいからか?

        (1973/05/08)


 正義の味方に男。悪人たちに男4人と女一人。その女が、ねはいいい人だが錯覚している。なんてときは、かならず、その女は最後まで殺されずにいて、ついにはくいあらためる。

 これでいいのか? 女だって、無情に殺されるべきだ。でも、ぼくだったら、殺さないか・・・?!

 殺さないか。
       この「か」は反語的でない。
 =殺さないね。
 =殺さないかな、うん、ころさない。

        (1973/05/08)


 「そうか。」というのと、「そうだ。」というのが同じような時の、「そうか」の「か」の感じをこめて、「・・・するか。」という。

        (1973/05/08)


 印税とは、原稿の所有者にはらわれるのか? それとも著者にはらわれるのか。

 金を払う  金を渡す
       金を除き去る.

        (1973/05/08)


 はらう → のぞきさる なのになぜ、「金をしはらう」などというように使用されるのか?

        (1973/05/08)


 クリトンとは何か?

        (1973/05/08)


 含ませて
 含まして
      }どっちがいいの??

        (1973/05/08)


 腰痛 :ようつう

        (1973/05/08)


 ただならぬ気配と、畏怖を感じる作品を書きたい。

        (1973/05/08)


 A君は、とっても人気のある作家を「うわっつらだけの快さをあらわしているだけだ」といって、批判。そのA君を、B君は「何ごともきつく考えずに気楽にいこう」と言う。A君はどうするかしら? A君のした事は正しいかしら?

        (1973/05/08)


*「 ・・・ 女子に関心を、男としての関心をもたれたいからか?」  ここは、〔女子に関心を、男として関心をもたれたいからか?〕としないと、すっきり聞こえないね。
*「正義の味方に男。悪人たちに男4人と女一人。その女が、ねはいいい人だが錯覚している。なんてときは、かならず、その女は最後まで殺されずにいて、ついにはくいあらためる。」  活劇の一類型、ということでしょう。  というか、お色気担当女子が一人しかいないのでは、序盤で殺せないよね、脚本は。
*「「そうか。」というのと、「そうだ。」というのが同じような時の、「そうか」の「か」の感じをこめて、「・・・するか。」という。」  という場合、とか、という口ぶり、を言いたいのか、実際に口にしたのか、いつもながらwaka君の記載は曖昧。
*「クリトンとは何か?」  検索すると、ギリシア哲学の書名が出てくる。  なにかの聞き違い、かもしれないが。
*「ただならぬ気配と、畏怖を感じる作品を書きたい。」  この一行は、ただならぬ気配と畏怖を感じる、という他所で仕入れた語列を書きたくて書いた、というのが当初の動機っぽい。  (他者の作品をたたえる言いまわしであって、自作に使うものではなさそう、ふつう)  (だから、まあ、気に入った、よさげだ、と言う代わりに、作品を書きたい、と言っているだけなのかも)

 

 
05:28 2023/01/08 (日)


 アオ■■ユウ■って、ウワサにきくほど美人なの? いちど、みましょう。

        (1973/05/08)


 麗人

        (1973/05/08)


 小説家
 小説科

 家
 科

        (1973/05/08)


 北溟 :ほくめい
   北方の大海

        (1973/05/08)


 道
 胴
   >どう :ともに長い。

        (1973/05/08)


 江藤淳の「夏目漱石」をよもうか?

        (1973/05/08)


 「バンカ」はいつごろの、だれの作品?

        (1973/05/08)


 パンダがパンを食う
 パンダがパンダを食う
             >サカ■■先生

        (1973/05/08)


 サカ■■先生{
         不自由を得る自由
         不自由が得られない時はこまるし、
                     心が安まらぬ

        (1973/05/08)


 ねたくてしょうがないのにねられず、
 ねるな、といわれると、ねむくなる。
   ↓
 ナゼ? 考察!! ソクバクと自由とは何か?

        (1973/05/08)


 置環
 痴漢

        (1973/05/08)


*「アオ■■ユウ■って、ウワサにきくほど美人なの? いちど、みましょう。」  同学年の女子生徒。
*「江藤淳の「夏目漱石」をよもうか?」  購入して読んだ気がする。内容はほぼ忘れた。  『漱石とその時代』も読んでいるはず。こちらを言っているのかもしれない。  江藤淳、自殺したのが1999年。二十五年後ぐらいか。
*「「バンカ」はいつごろの、だれの作品?」  せめて漢字で書いてくれ・・ 晩夏、挽歌ってところか・・  これは読んだ記憶がない。  今調べると、 ○『晩夏』、アーダルベルト・シュティフターの小説、1857年、オーストリア。 ○『挽歌』、原田康子の小説、1956年。  このあたり・・
*「パンダがパンを食う  パンダがパンダを食う  >サカ■■先生」  これだけでは詳細は不明ながら、また何か冗談で笑わせたのか。  今、すなおに文字面だけで読むと、修辞と哲学をからませたややこみいったテーマが浮かんでくるような。お笑いネタとはだいぶ異質の。
*「サカ■■先生{  不自由を得る自由  不自由が得られない時はこまるし、 心が安まらぬ」  これら、この通り先生の言なら、興味を覚えるところが、waka君とはちがうね、だいぶ。
*「置環  痴漢」  置換とかきたかったのでは?

 

 
01:02 2023/01/01 (日)


 ★  新春 埋もれていたイラスト  ★

 

 
05:14 2022/12/25 (日)


 掲揚
けいよう

        (1973/05/07)


 抉る :えぐる

        (1973/05/07)


 忽 ちに
たちま

 直 ちに
 ただ

        (1973/05/07)


 立ち待ち月
 居待ち月
 寝待ち月
       }の差は?

        (1973/05/07)


  風 : ■
       ?

        (1973/05/07)


 咬む :かむ

 口が交わる キス?

        (1973/05/07)


 賑 わす
 にぎ

        (1973/05/07)


 雑言 {
      ぞうごん ○
      ぞうげん ○
      ざつげん ○

        (1973/05/07)


 考証とは?

        (1973/05/07)


  がぼくを悩ますようになった今日、このごろ・・・・.
 KA

        (1973/05/07)


*「立ち待ち月  居待ち月  寝待ち月  }の差は?」  順に、陰暦十七日、陰暦十八日、陰暦十九日の夜の月。しだいに出るのが遅くなるのを、このようにいう。と、辞書などにある。  前項の、「忽ち」の語源も立ち待ちなのだそうだ。
*「風 : ■」  ■は風の中身がンまたは点二つになったもの。  カムイ伝にでてくる「しゅく谷」でもつかわれていたと思うので、シュクとよむと思うんだが、デジタル文字で見つからず。  夙の字はあり、読み、意味は同じもよう。
*「雑言 {  ぞうごん ○  ぞうげん ○  ざつげん ○」  辞書によれば、三つともあり。  一般的な度合で言えば、ぞうごん>ぞうげん>ざつげん、みたいだ。(ざつげんと読む場合は意味も違う)
*「 がぼくを悩ますようになった今日、このごろ・・・・.」  蚊かな。

 

 
06:30 2022/12/18 (日)


 をかしが食いたい   ?

        (1973/05/07)


        玉
 頭   あ、たま
        だいじなもの

        (1973/05/07)


 おしまった

        (1973/05/07)


 ぼくの左ひじはまだいたい。

        (1973/05/07)


 生まれなどどうでもいい、つまり、遺伝など無関係。その人がどのような環境の中でそだったか、が問題なのだ、という考えも、もう端的になってしまっているのか?

 逆もどりしているのか、進展しているのか?

        (1973/05/07)


 小説ではいろいろのコントラストをつけて、話をすすめようかしら。

        (1973/05/07)


 電気エンピツケズリを机の上においておくと、とても勉利。

        (1973/05/07)


 紙
 髪
   >を切る.

   斬髪 :かみをかる

・髪を切るとは漢字二字で、どのように書くのか?

        (1973/05/07)


 言いたい事と書きたい事との矛盾。

 主張したい思想とそうぞうしたい小説との矛盾。

        (1973/05/07)


*「おしまった」  造語か。おしつまった、の短縮形っぽいが。  おしまい、の過去形?  おの点としがつながっているので、「おーまった」の可能性も。
*「ぼくの左ひじはまだいたい。」  1973/05/01に、「ヒジテツはくらった方もいたいが、くらわせる方もいたいだろう。ぼくは、学校の体育のマットの時、ひじをうって、まだいたいのだ。 → ひじが何かにふれたり、ぶつかったりすると、いたい。」とあるので、一週間ぐらい経っている。でもまだ、と。
*「逆もどりしているのか、進展しているのか?」  持って生まれたものと、自ら獲得したもの。 ・・考えると深いか。  いのちを含めて、親に産んでもらわなければ何も始まらなかったわけだから、じつはかなり大きいわけで、自ら付け加えたもろもろは思っているよりささやかに過ぎないのかもしれない。それをまた子らに引き継いでいくとしたら、引き継がれていくのは個々人のもろもろの積み重ねというよりも種族のほぼ不変の幹の部分が大半なのでは。  そうなると、個人てなによ、ということになるわけだが、だからこそ個人はおもしろい、とも言えるかも。種族のほぼ不変の幹の部分にのっかって、これを最大限活用して、好きなことをして遊んで、はかなく、いやいや、ふんわり消えていくだけの妖精。  何かをのこさなければなどと肩にずっしり重さを感じるよりは、よっぽど気楽でさばさばしていないか?  ・・などと、しばし想を遊んでみました(^^)
*「電気エンピツケズリを机の上においておくと、とても勉利。」  便利。  しかし、そんなマシンを個人的に所有していたっけ・・  忘れただけで持っていたか、または、あったら便利だろうなあ、という想像か。
*「・髪を切るとは漢字二字で、どのように書くのか?」  斬髪、この語はあるようなので、答えになってる。  床屋に行って切るなら、散髪でいいのでは。整髪、理髪も正解の内でしょう。(辞書によれば、調髪、という語もあり。断髪というと、時代的な意味をおびるようだ)
*「言いたい事と書きたい事との矛盾。  主張したい思想とそうぞうしたい小説との矛盾。」  なんか、深そうな(深掘りしたいような)ことを、タイトルだけで済ませている。  なんか、ずるいよね(^^;  ・・・  答えになっているかはわからないが、実際に書いてみて、結果、矛盾があれば、そこから逆に考えればよいと思うよ。やりなおしたくなったらやりなおして、結果、やはり矛盾があればまたもどって。行ったり来たりしていくうちに、矛盾は止揚されていく。  ・・なんて気がする。(自分で書いていて、これは、大人の、答えをうやむやにする方法みたいな気もするが・・笑)

 

 
07:25 2022/12/11 (日)


 セットポイント
 マッチポイント

        (1973/05/07)


 学校にドロボウにはいる、クラスの50人のガマ口から、10円ずつ集めて、500円ぬすむ。みな小額なので、なくなったように思わぬ

        (1973/05/07)


 Aという作家が夢の中でギリシア人のアレクサンダーシシリアベリーブという美女にあう。おきてからきれいだったと思って、小説にかき、有名になる。そのうちにギリシアから、同じ名の女性がくる。そして、夢と同じ美人。夢の中のように仲よくなる。 ・・・・ 

 ぼくのみたアレクサンダーシシリアベリーブは、おそろしいばかりの美人だったけど、わりとコウマンでつめたかったなあ。

        (1973/05/07)


 外人が日本人の名をつくるとへんになるように、日本人が外人の名をつくっても変になるだろう!!

        (1973/05/07)


 家
 者

 学者といって、なぜ、学家といわぬのか?

        (1973/05/07)


 「伝統から自由になる。」

       日本語として変か?

        (1973/05/07)


 買く
 書く
    >まちがえる.

        (1973/05/07)


 おかし(食うもの)
 をかし(おもろい)

        (1973/05/07)


*「学校にドロボウにはいる、クラスの50人のガマ口から、10円ずつ集めて、500円ぬすむ。みな小額なので、なくなったように思わぬ」  もちろん、一つのアイデアのメモであって、泥棒行為を実行したり計画したりしているわけではないです。
*「ぼくのみたアレクサンダーシシリアベリーブは、おそろしいばかりの美人だったけど、わりとコウマンでつめたかったなあ。」  このすこし前か、もっと過去かに、waka君が実際に夢でみた美女で、名だけはしっかり(現在でも)覚えている。名前の語感の通り、外国人美女で、もしかしたら金髪、でるところはでてるタイプで、waka君好みの和風清楚からは離れているはずなんだけど、仰ぎみたいような美女と感じた、夢でみたときは、なんだよね。  好みのタイプとか、口で言ったり想像したりはするけど、生身の女性を前にしてしまうと、そのリアルな色香で、タイプから外れていてもくらくらしてしまうことがあると思う。waka君にとってのこのシシリアベリーブ嬢はそんな感じ。夢で会ったんだけど生身の女性との対面と同等ぐらい。  前半にある「Aという作家が夢の中で ・・・ 」は、そういう事実を下敷にした創作、試案というところでしょう。
*「外人が日本人の名をつくるとへんになるように、日本人が外人の名をつくっても変になるだろう!!」  シシリアベリーブ嬢もしかり、か。夢の中だから、意識してつくったわけではないだろうけど。
*「学者といって、なぜ、学家といわぬのか?」  答えるのが、むずかしいね・・  作者、つくった人。作家、つくることを職業としている人。  というのが原則なんだろうけど、画家があって画者がない、医者というけど医家 とはふつういわない、努力家というけど努力者は耳慣れない、成功者があって成功家がない、等々、一律に説明できそうにないです、私には。
*「「伝統から自由になる。」  日本語として変か?」  変か、とおもった感覚が変? 貴重?  伝統とは本来自由なものだから、という前提がある(と気づいている)ってこと?  伝統という語と自由という語は同じ域にないのに、伝統が自由に移行するかのごとき言い方には違和感がある、とか? (いや、伝統の対語は何かと考えると、革新よりは自由がふさわしくはないか。つまり、自由は同じ域にあるのでは)

 

 
04:12 2022/12/04 (日)


 サルか、何かの子をそだてて、言葉をしゃべれるようにしよう!

   偉大な行積である!

 そして、本も読ませよう!

   残酷かしら。

 そしてこのサルに子供をうませ、それも教育する。親ザル自身に教育させてみる。いいぞ、これは。

 動物と人間が理解しあうには、動物を人間のレベルにまであげねばならぬ。人間がさがっても、人間と動物の中間でもいいじゃないか、というかもしれないが、理解するとは、人間独特の意識なのだから、人間にならねばダメ。

 ムリに理解しあう事はないかしら。しかし、やってみたい。
 サルでなければ犬。犬でなければ、イルカ
                  ムズカシ

        (1973/05/07)


 一人子は社会に適応しにくい

        (1973/05/07)


 一人子
     ひとりこ ○
     いちにんこ○×
     ひとりっこ○

        (1973/05/07)


 模倣が畜積されて、人間らしくなってくる。

        (1973/05/07)


 ねしょうべんはだれでもする事か?

        (1973/05/07)


 そろそろノートを買わねば。

        (1973/05/07)


 そねむ

        (1973/05/07)


 ねたみそねむ

        (1973/05/07)


 ■さカさンのカおハあマりニおンなラしイ だツぼウ!
               ものがなしいようなつやがすこしある。

           ついさっきみました。

        (1973/05/07)


 話される言葉はぼう大な量であり、それを、文にしたものは、そのエッセンスである。
 本をよむより、お話ししましょ。
             (■■ノ)

        (1973/05/07)


 ヤワハダ

        (1973/05/07)


 社会権力、体制は意外に、じゅうなんで、青年はザセツしつづける。
                      (どっかの雑誌より)

        (1973/05/07)


?{
   That is not A
   That's not A
   That isn't A
   That'sn't A

        (1973/05/07)


*「サルか、何かの子をそだてて、言葉をしゃべれるようにしよう!」  このアイデア、映画「猿の惑星」のまんまか。原作小説は1963年。映画は、1968年。日本公開も同年。  「猿の惑星」第一作で、サルが知性をもったいきさつまで描かれていたかは知らないが、容易に類推できるアイデアだよね。  うーむ、waka君が当時どれぐらい「猿の惑星」をみていたか、粗筋を知っていたか、記憶にないが(かなり宣伝していたので映画本編をみていなくても内容はだいたい知れ渡っていたはず)、本文のアイデアをゼロから発想したかどうか、あやしいかな、やはり。  自分でも意識せず、過去の知見(マンガや映画も含む)を素材にしていたりもありそう。
*「偉大な行積である!」  業績、行跡、はあるけどね。
*「一人子は社会に適応しにくい」  あくまでもwaka君個人の見解です。  あるいは、waka君の見解ですならなく、耳にしたので(そういうものなのかなと)メモしただけなのかもしれない。
*「一人子  ひとりこ ○  いちにんこ○×  ひとりっこ○」  一人子の読みの可能性を(やや意地悪く)吟味しているようだが、しかし、ふつうは、一人っ子と表記か。
*「模倣が畜積されて、人間らしくなってくる。」  蓄積。言ってることはまともそうなんだけど、誤字が惜しいね。
*「そろそろノートを買わねば。」  これが書かれているノートのタイトルは「心記」。ノートタイプの心記は全部で二十冊あり、その一冊目となる。この一冊目は136頁まであり、本項が書かれているのは106頁目。
*「■さカさンのカおハあマりニおンなラしイ だツぼウ!」  だっぼう、とよんで意味不明だったが、脱帽、だね。  ■坂嬢、特別に輝いていた日なんでしょう。  丸顔、色白、小がら。瞳がきれい?
*「話される言葉はぼう大な量であり、それを、文にしたものは、そのエッセンスである。  本をよむより、お話ししましょ。  (■■ノ) 」  ■■ノ先生。同姓の級友もいた。ここはどちらもありえる。  7−3で、先生の言かな。  ■■ノ先生は英語教師。翌年、高三時のwaka君のクラスの担任。
*「?{  That is not A  That's not A  That isn't A  That'sn't A 」  短縮形はどれが適当なのか、という疑問だと思う。  not が初出とか強調したいときは That's not 。  not が既出で応答で繰り返すときなどは That isn't 。  というようなことらしいんだが、ほんとうのところはよくわからない。英語ができなかったwaka君のなれの果てなので(笑)  That'sn't だけは、なさそう。これはわかる!

 

 
04:37 2022/11/27 (日)


  てい
 陰梃 =クリトリス?
    =クリストリス?

        (1973/05/06)


 専ら :もっぱら

        (1973/05/06)


 葛城とは?

        (1973/05/06)


 ことにおよぶ

        (1973/05/06)


(ケン)
 倦む :あきる
 う

 けんえん
※倦 
    これは、訓でなんとよむのか?

        (1973/05/06)


 あきたらない :満足しない.

        (1973/05/06)


 ぼくみたいな言語障害の女性を題材にして、小説を書くか? ぼくていどの苦悩。

        (1973/05/06)


 ぼくは、しょうがいのしょうの字を忘れる

  障○
  ■×

        (1973/05/06)


 食う虫
 ?

        (1973/05/06)


 真夜中は、何をやっても、うるさい。

        (1973/05/06)


 未経験者同志の性交とはおこなわれにくいものだろうか?

        (1973/05/06)


 啓蒙書を書くような情熱がほしい。

        (1973/05/06)


 自動車でのろのろはしるとかえってキケン

        (1973/05/07)


 ぼくのズボンは|すぐ |切れそう。
        |いつも|

 気をつけろ

        (1973/05/07)


 発音記号
  〔  〕×
  [  ]○
   ↓
   これは口の形を象形しているのか?

        (1973/05/07)


*「葛城とは?」  初めは神武天皇のころと伝わる古い地名、とのこと。よって、奈良県にあるのが大元のようだけど、千葉市にもある。
*「※倦   これは、訓でなんとよむのか?」  厭の訓は、あ・きる、いと・う、いや。
*「ぼくみたいな言語障害の女性を題材にして、小説を書くか? ぼくていどの苦悩。」  小学校の中程まで、「ち」の発音が「き」になってしまうという症状があった。それで、特殊学級に数回通わされて、矯正訓練を受けた。これによって、それぞれなんとか発音できるようになり、その後年数が経つにつれ、ほぼ明晰な「ち」と「き」の発音が常態化し、両音の取り違えもほぼ無くなった。  という事情だから、おおげさで、言語障害と自らいうのは(それが深刻ぶってるように聞こえたりすれば)おこがましいということになるかもしれない。
*「ぼくは、しょうがいのしょうの字を忘れる  障○ ■×」  ■は、にんべんに章。
*「真夜中は、何をやっても、うるさい。」  そりゃそうだね。
*「未経験者同志の性交とはおこなわれにくいものだろうか?」  これはたぶん、未経験者同士の性行為はいざやろうと思ってもうまくできないのでは、という意味ではないな。  そこまでいかない。童貞と処女のカップルがいくところまでいくことは少ないのでは、という意味だと思う。少なくともどちらかが経験者で、みちびくような流れがないと、男女の仲が深まらないのでは、と。  waka君は童貞。初めての相手は、純潔な、清らかな女子という願望がある。しかし、現実的にはこの組み合わせでは、先に進めそうにないのでは、という不安が生じて、本項を書いているのではなかろうか・・ (^^;
*「啓蒙書を書くような情熱がほしい。」  うーん。表面的な文意はわかるんだけど、啓蒙書と情熱のとりあわせが、なにかどこか不純だよね・・  たくさんの人の蒙をひらくような情熱。  ということはつまり、自分はわかっている、それをわかっていない人々に説いて、よろこんでもらう。これはだから、教え魔的な情熱ってこと?  なぜそれが欲しい? 教祖的な立場を願うってことかなあ・・  だとしたら、控えめに言っても自己満足、あからさまに言えば野望じみた欲求のような。  (まあ、善意をよそおう必要はないわけだ。個人の秘密のノートなので。すなおに、本音を吐露しているのかも)
*「自動車でのろのろはしるとかえってキケン」  文字がそうとうに粗いので、往来で書いたか?
*「発音記号  〔  〕× [  ]○ → これは口の形を象形しているのか?」  英和辞典の発音記号が[  ]で囲ってあるのに気づいて、こう言っていると思う。  ちがうんだろうけど(辞書の編者には口の形の象形というつもりはないんだろうけど)、(発音記号だから口の形というのは)おもしろい着眼。

 

 
06:28 2022/11/20 (日)


 ポーカーフェイスとは?

        (1973/05/06)


 ぼくはこの ? のしるしを、ほんとうにわからぬときと、わかるのだが、自分がわからなかったことがあるといういみでつける。また、わからぬのを、何かでしらべてわかっても、説明をかきくわえるのがめんどうで、? ですましてしまうこともある。

        (1973/05/06)


 父君
 母堂

        (1973/05/06)


 常と堂をよくまちがえる!!

        (1973/05/06)


 剣ヶ峯とは?

        (1973/05/06)


 峯
   ほう
   みね
      }?

        (1973/05/06)


 剣 :すぐ、この字をわすれる。

        (1973/05/06)


 才媛  ≒ 才女
サイエン

        (1973/05/06)


 新生面とは?

        (1973/05/06)


 まがれ

        (1973/05/06)


 素人 しろうと
 玄人 くろうと
         >なぜこうよむ?

        (1973/05/06)


 素玄 どうよむ?

        (1973/05/06)


 損のない駒の交換は玉が堅い方が有利。

        (1973/05/06)


 生々とした
        なまなまとした
        せいせいとした
         清々?

        (1973/05/06)


 愛咬  とは?
  かむ

        (1973/05/06)


 オルガニズム
 オルガズム 興奮
          >の差は?

        (1973/05/06)


 各々
    それぞれ?
    おのおの

        (1973/05/06)


    タイ
 腿 :もも
     股

        (1973/05/06)


 必要
 十分

        (1973/05/06)


*「ぼくはこの ? のしるしを、ほんとうにわからぬときと、わかるのだが、自分がわからなかったことがあるといういみでつける。また、わからぬのを、何かでしらべてわかっても、説明をかきくわえるのがめんどうで、? ですましてしまうこともある。」  こんなことを言われたら、応答に困るよね。  文章が額面通りでない可能性は、元々、だれが書いたものであれ、大なり小なりあったわけで、それをあらたまって告知されてもね・・  とりあえず、前項の「ポーカーフェイスとは?」も、本項で言うところの三様のどれに該当するのか、打ち明けてくれてないわけだ。  まあ、本項は、そういうところもあるんでしょうね、ということにして、頭の隅に置いておく程度でよいと思う。記事をいちいち疑ってたらキリがないわけだし、尋ねてももう答えてはくれないわけだし。この告知を知らなかった場合と大差は無しでしょう。
*「父君 母堂」  対語のつもりで並べていると思う。  が、父君と並べるなら、母君。  母堂と並べるなら、尊父。  ・・ではなかろうか。
*「剣ヶ峯とは?」  wikiや辞書によれば、  読みは、けんがみね。表記は、剣ヶ峰・剣が峰・剣ヶ峯など。  特定の山名ではなく、火山の噴火口の周縁をいうらしい。  そこから見立てて、相撲の土俵の最も高い部分をいったり、比喩表現として絶体絶命を表わしたりするそうだ。
*「新生面とは?」  新生+面かと思ったが、辞書をしらべると、新+生面らしい。
*「まがれ」  真涸れ、というような語があるのかと探したが、なさそう。  となると、ふつうに「曲がれ」か。  どういう意味をこめたのか、この三文字だけの項なので、さすがにわからない!  なんとなくだが、曲がるはずのないものが曲がるようにと、念じているときのつぶやきに聞こえる。(スプーン曲げみたいな情況?)
*「素人 しろうと  玄人 くろうと  >なぜこうよむ?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107468730
 ここ(Yahoo! JAPAN 知恵袋)にある質疑が参考になりそう。  私は以下の回答者に共感。〔 〕内が転載。
〔 pav********さん

2006/2/13 22:08(編集あり)

有力説が3つ
(1)昔、中国では徳の高い僧侶だけが黒衣を着ていた。黒は中国では天の色、奥深い色とされ、「玄」と書いた。だから僧侶は黒衣を着ていた。そこで中国では僧侶を「玄人」と呼んで崇めた。対して一般人は白い服を来ていて、「白人」と呼んだ。それが日本に伝わり、「玄人、素人」と呼ぶようになったとする説。

(2)囲碁が中国から伝わった平安時代は、今とは逆で、上手な方が黒石を選び、下手な方が白石を選んでいた。そこでいつも黒石を選ぶような囲碁の上手な人を「黒人(くろひと)」と呼ぶようになり、対して下手な方を「白人(しろひと)」と呼ぶようになったとする説。

(3)平安時代、おしろいを塗っただけで何の芸もない芸人を「白人(しろひと)」と言い、それに対して、芸の上手い芸人を「黒人(くろひと)」と呼んだとする説。

とあります。
http://fukujuin.que.jp/bukkyougo5.htm
http://www.nihonkiin-chubu.jp/hyakka2.html
http://gogen-allguide.com/si/shirouto.html 〕
*「素玄 どうよむ?」  こういう熟語は、ふつうにはない?   手元漢和辞典には載っていて、読みは「そげん」。意味は「白と黒」。
*「生々とした  なまなまとした  せいせいとした  清々?」  生々とした、は、どちらかといえば、いきいきとした、と読むほうがふつうでは?  → 生生の読みは、辞書を見たら、他にも、うぶうぶしい、うまれうまれ、しょうじょう、なまいき、など色々あり。
*「愛咬  とは?」  辞書には載ってないが、アマガミのこと?  この辺り、何を読んでいるのやら(笑)
*「オルガニズム  オルガズム 興奮  >の差は?」  しらべた。  オルガニズム(英 organism)は、有機体。生物体。オーガニズムとも。  オーガズム(英 orgasm)・オルガスムス(独 orgasmus)は、 性的絶頂。  両語が別物だということ、今初めて知った(^^)  へー、いくつになっても知らないことってあるんだね・・  (・・いや、半世紀前にはほぼわかっていたのか)
*「各々  それぞれ?  おのおの」  どちらかといえば、おのおのが正解のもよう。  それぞれは、漢字にするなら、其々、夫々らしい。
*「タイ  腿 :もも  股」  腿は、音がタイ、訓がもも。  股は、音がコ、訓がまた、もも。  ふとももが大腿、脛(はぎ。膝からくるぶしまで)が下腿または小腿。  股には、臀部からわかれでているの意がある。  ということで、おおむねだが、腿は脚部の膝下まで含むらしく、股はふともも(または股間)辺りを指すようだ。
*「必要 十分」  必要条件、十分条件、などという理屈があったけど、もう言葉でちゃんと説明できそうにないな・・  今しらべたら・・  「犬は動物である」において、動物であることは犬であるための必要条件(なくてはならない条件)である。  「犬は動物である」において、犬であることは動物であるための十分条件(それがありさえすれば必ず成り立つような条件)である。  ・・というようなことなんだが、わかる?  もう、直感では、しっくりこないわ(笑) 思考がうろうろしてしまう。  → (動物でなければ犬であることはありえない。OK。  動物であることは犬であるためには必要。OK。  犬であれば動物である。完全に十分に言える。犬であるだけで、動物であると言える。OK。  というふうに、順番にクリアしていって、なんとか理解できた! ・・と思う)

 

 
05:56 2022/11/13 (日)


 ゴミの真空輸送がなされるようになると、ますます、子捨てやバラバラがでるかも。

        (1973/05/06)


 茅ヶ崎 とはどうよむ?

        (1973/05/06)


 セイ{
     悽:悲しみいたむ
     棲

        (1973/05/06)


 「陥る」をどうして「落ち入る」と書かぬのか?

        (1973/05/06)


 古い :ふるい
 旧い :ふるい

        (1973/05/06)


 キの音は、やっぱり、右で発音した方がいいのか。他の人は、みな右で発音している。

        (1973/05/06)


 等 :
    など
    とう
       >?

        (1973/05/06)


 叶う :かなう.

        (1973/05/06)


 朋輩 :ほうはい

 兆 :きざし

        (1973/05/06)


 もうちょうをとった人の割合はどのくらいか?
   10%? 30%? 50%?
  それとも70%以上?

 できうることなら、とりたくない。手術なんか、したくない。

        (1973/05/06)


 ちょうだい
 ちゃぶだい

        (1973/05/06)


 「おまえ今日、何したの」
 「朝から晩までおきてたよ。」

        (1973/05/06)


 ぼくはどうも凡だ。学校の予習も30分ぐらいでおわらしてしまい、何時間もかかるようだとやらない。あとは、将棋をやったり本をよんだり、ねたりである。

 テレビをみると、とても時間を食うし、つかれる。本を読んだ方が、内容があり、こいような気もする。

        (1973/05/06)


*「ゴミの真空輸送がなされるようになると、ますます、子捨てやバラバラがでるかも。」  バラバラ殺人、のことでしょう。  ゴミの真空輸送というのは現在は実現されている技術のようだけど、1973年当時はどうだったかはよく分からず。検索すると、以下のような記事が見つかったので、すでに実現されていたか、遠くない将来に実現できるものとして紹介されていた、という可能性が高そう。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37452480W8A101C1AC8000/
〔 消えるごみ収集管、分別適さず維持費重く 集合住宅
関西
2018年11月6日 21:59
主に集合住宅の各階にあるダストシュートから投げ入れられたごみを輸送管を通して空気流で収集施設に運ぶ設備の廃止が相次いでいる。集積所が不要で悪臭を抑えられるとして1970年代から全国のニュータウンを中心に導入が進んだが、老朽化で維持管理費が高額に。細かな分別もできず、専門家は「時代のニーズに合わなくなった」と指摘する。(中川竹美、高橋彩) 〕
 つまり、長年の間ふつうに存在したシステムらしい。しかし、これによって「子捨てやバラバラ」がなされた、これがあるから生じた、増えた、等々という事件、報道はほぼ記憶にないので、本文は、waka君の杞憂ということでよさそう。  (いやまあ、もちろん、このシステムゆえに、発覚しなかった、しづらかったから、事件化していないだけ、という可能性がないとは言わないけど・・)
*「茅ヶ崎 とはどうよむ?」  神奈川県の茅ヶ崎(ちがさき)なんだが、当時はなじみがなかったか。  かやがさき、とも読めそうだったので、迷ったのかも。
*「セイ{  悽:悲しみいたむ  棲  」  凄惨は、悽惨とも書くらしい。ふつうに悽をつかう熟語、浮かばぬ。凄絶なども悽絶ありらしいが。  凄は、さむい、すさまじい、すごい、という意なので、同じセイサンでも、悽惨と凄惨は同一ではなさそうだ。  棲は、すむ。棲息。
*「「陥る」をどうして「落ち入る」と書かぬのか?」  辞書を見ると「落入」と書いてもよいようだ。  まちがいではないけれど、陥ると書くほうが一般的、そういう慣用となっている、ということかも。(正直なところ、かっこいいよね、落入より)
*「キの音は、やっぱり、右で発音した方がいいのか。他の人は、みな右で発音している。」  口内の右側で、ということだろうけど、みんなということはないんじゃないの。どうやってしらべたんでしょうね。(とりあえず身内、家族にあたったか)  中央で発音する人が大半で、例外的に、右とか左で発音、というのがいま現在の感触だが? (いま、私は中央で発音している。やれば左でも可能。ただ、右でキ音を出すと、空気が抜けるような(シ音が混じるような)音になってしまうな)
*「朋輩 :ほうはい  兆 :きざし」  ほうばい、でないと朋輩に変換しないが?  連濁ということか。使い慣れていない語なので、ほうはいがおかしいということがわからん。  ・・しかし、同輩は、どうはいなのにね。  どうして連濁したりしなかったりするのか、謎すぎる。  本項には、兆とセットなのはなぜなのか、という謎もある。  単に、やや難読というだけで並べているだけ? (読んでいる書籍などでそういうのがつづけて登場しただけ?)  兆が輩の上部と似ているから、なのか!?
*「できうることなら、とりたくない。手術なんか、したくない。」  父ちゃんは盲腸手術跡あり。母ちゃんにも手術跡あったが、あれが盲腸だったのか、出産関係だったのか、わすれた、というか確認したかどうかも曖昧。私は温存。  盲腸は昔は取って当然みたいな空気があったけど、いまは、ほとんど耳にしない気がする。  医学的な常識が変わってしまったのかもね。  Wikipedia、虫垂炎をみたら、〔虫垂炎といえばすぐ手術であった。診断精度が低く重症例が見逃されるおそれがあったため、手術でさっさと白黒つけた方が安全だったのである。〕という文言があった。

 

 
09:15 2022/11/06 (日)


 メーター
 メダル

        (1973/05/06)


 内弟子と弟子の差は?

        (1973/05/06)


 今日も岡ボの家へ、自転車で行ったけど、いまにも死にそうだった。

        (1973/05/06)


 東教大フゾクコマバには女子生徒がいるのかしら?

        (1973/05/06)


 おれは学校に近いから、閑が多いね。

        (1973/05/06)


 オートバイなどには、二人乗りするな。アブナイヨ、だとよ。
                          父、祖母、

        (1973/05/06)


 隔週 → ゆうしゅう ×  → ぼくはいつも、こっちを使ってしまう。
    → かくしゅう ◎

        (1973/05/06)


 自転車、オートバイ、自動車に乗ったら、いつも死ぬと思え。

        (1973/05/06)


 鉄人28号
 殺人28号

        (1973/05/06)


 後土地
 後地
     }あとち?

        (1973/05/06)


 エロー
 ゲロー

        (1973/05/06)


 テレビ電話は、どうも相手と話しているというより、テレビをみているみたいな感じ、これはテレビをみすぎたためだろうね。それに、デンワをかけているみたいな感じ。デンワをなくし、ただ画面に話しかければいいようにしないと、テレビ電話らしい感じはでぬ。

 テレビをみるときにも、デンワをかけるときにも、独特の感じがあるのだ。

        (1973/05/06)


 大宮団地に電話をかけようとすると、なぜか、ツーツーとなりだす。

        (1973/05/06)


 施肥とは?

  しひ×
  せひ○

        (1973/05/06)


 拓く             → ひらく
 培われる           → つちかわれる
 手応え
       }よめない!!

        (1973/05/06)


*「今日も岡ボの家へ、自転車で行ったけど、いまにも死にそうだった。」  オカボの家は大宮団地にある。遠くてしんどかったということだろうね。  1973/05/04に「あさってはたぶんオカボと山がくるのだ。」と書いていたが、こちらからオカボの家へ行くことになったようだ。  単独で行ったのか、山といっしょにだったのか。(waka君と山は千葉市街の住人。大宮団地までは、自転車で二時間近くかかったと思う。登り勾配多めで)  今日も、といってるので、前にもオカボの家へ自転車で行ったことがあるみたいな。(あるいは、昨日は奥多摩までハイキングに行き、今日も自転車で遠出をした。という意味の「も」かもしれない)
*「東教大フゾクコマバには女子生徒がいるのかしら?」  wikiで確認したが、東京教育大学附属駒場中学校・高等学校のことでしょう。現在の名称は、筑波大学附属駒場中学校・高等学校。かなり有名な進学校。男子校だそうだから、女子生徒はおらずが正解。
*「自転車、オートバイ、自動車に乗ったら、いつも死ぬと思え。」  いつも死がそこにあると意識せよ、ということかな。
*「鉄人28号  殺人28号」  『鉄人28号』は横山光輝のマンガ。これを原作としたアニメ。放送はwaka君が児童の頃。もう知らない人は知らないんだろうね。  殺人28号は、これのもじり。
*「後土地  後地  }あとち?」  あとちの漢字は、跡地がふつうらしい。
*「テレビ電話は、どうも相手と話しているというより、テレビをみているみたいな感じ、これはテレビをみすぎたためだろうね。それに、デンワをかけているみたいな感じ。デンワをなくし、ただ画面に話しかければいいようにしないと、テレビ電話らしい感じはでぬ。   テレビをみるときにも、デンワをかけるときにも、独特の感じがあるのだ。」  これはどういう状況か。当時、テレビ電話そのものが身近にあってwaka君がそれを実際に試せたとは思えないんだが。テレビの番組などで実験風景を見ての感想か。あるいは光景まで含めてみんな想像上の経験とその感想か?  テレビに登場している人に、電話をかけているだけの感じ。あちらも受話器を取って受けているのが見えるだけ。つまり、面とむかって会話をしている感覚よりは電話で話している感覚に近すぎる、と言いたいんでしょうね。  わりと要求の高いお客さんじゃ(^^)  半世紀経った現在の状況なら、満足していただけるのかな。
*「大宮団地に電話をかけようとすると、なぜか、ツーツーとなりだす。」  真相は、単に、オカボの家の電話が話し中というだけのこと?  しかし、本文の書き方だと、ダイヤルを回している途中でもうツーツーいいだすような。だとしたら謎かな。(当時はダイヤル式の黒電話)  (1回線を複数の電話で使用していて、他の電話器で使用中のためつながらない、という、waka君の(発信者の)側の問題っぽいかも。waka君の家は社宅なので、そんな事情もなかったとは言えない気がする。仮にこれだとしたら、waka君の家の電話はふだん支障なく送受信できていたので、その相乗りしている電話器のほうはまれにしか使われなかったってことになるか)
*「施肥とは?  しひ× せひ○」  辞書をひくと、しひ、という読みでも載っている。

 

 
07:50 2022/10/30 (日)


 ココラカラ 5/6 ・・・・ワカンナクナッチャッタ

        (1973/05/06)


 胎教ってほんとにコウカあるの?

        (1973/05/06)


 人をのろうと、真実、その人は自分のように、相手(つまり自分)を憎むようになるとする。このとき、のろう人はほぼ安全な場所でのろっているからいいが、のろわれている人は車道をわたっているときに、のろう人へのにくしみをおこすかもしれぬ。そうすると、にくむことに神経が集中し、他の事にはどんかんになって、死にやすくなる。

        (1973/05/06)


 神経
    しんけい
    しんきょう

        (1973/05/06)


 経
   けい
   きょう。

        (1973/05/06)


 新聞記者とはそんなにもたいへんなのかな。

        (1973/05/06)


 ソウセキ先生の作品には「先生」がよくでてくる。

        (1973/05/06)


 〜したい
  この文法的解釈は?

        (1973/05/06)


 後
   あと
   のち

        (1973/05/06)


 こわいけどおもしろくない話
 こわいけど、たのしくない話

        (1973/05/06)


 山 山 山
 さんさんざん  →人の名

        (1973/05/06)


 Aが、B、C、Dに金を貸す。B、C、Dは協定して、Aから金を借りていないという。人類全体がA、B、C、Dだとしたら。 (■■コより)

        (1973/05/06)


 野原の中の一軒屋。 夜、ふぶいてきたとき、戸をたたく音。老母と一人息子。一人息子がでる。あけてみると、きれいな旅の娘。 道にまよい、このふぶき、どうか一晩とめてください。
 せまいうちですが、どうぞ、と一人息子。すこしくたのしい期待をもちながらいう。

 こういうお話はとってもいい!!

        (1973/05/06)


 こさせられる
 こされる
        >?

        (1973/05/06)


 松本ルミはいい!!

        (1973/05/06)


 雨がふったら、ペストはひろがらぬ

   ほんと?

        (1973/05/06)


*「ココラカラ 5/6 ・・・・ワカンナクナッチャッタ」  ノートをえんえんと書いていて、気がついたら日付が変わっていた。どの項あたりから5月6日なのか、正確なところが分からなくなったので、だいたいここらだろうと、さかのぼってこの行を挿入した。  ということだと思う。  (つまり、昼間ハイキングをした日の夜中ぐらいってことだろう。元気だよね。ふつうは疲れてすぐ眠ってしまいそうだのに)  (それとも、疲れて寝てしまって、目覚めてから見直したら、日付を入れ忘れていた、ということかも。 → 原文は、各項に日付があるわけではなく、前日の最後の項の後、その日の最初の項の前に「5/6」などの日付がはいるのみ)
*「人をのろうと、真実、その人は自分のように、相手(つまり自分)を憎むようになるとする。このとき、のろう人はほぼ安全な場所でのろっているからいいが、のろわれている人は車道をわたっているときに、のろう人へのにくしみをおこすかもしれぬ。そうすると、にくむことに神経が集中し、他の事にはどんかんになって、死にやすくなる。」  よって、呪いが結果を出しやすい、といいたいらしい。これも仮設後の思考実験、思考吟味ってところか。  呪いとは、悪意によって悪意を共鳴させること。悪意を発心すると人は先鋭化して基本的なことがおろそかになりやすく、よって、前進、勤勉、平安、生存、などのためのエネルギーが減衰する。  ・・ここまではなるほどだ。設定とはいえ理屈が通っている。あと少し考えを進めてみる。  呪われた人がそうなるとしても、当然、最初に悪意を発心した人、呪った人も、同様に、先鋭化して、基本的なことがおろそかになっているはず。悪意によって悪意を共鳴させるとは、悪意を伝染させて、共倒れをめざすもの、と言える。  ・・これもなるほどか。人をのろわばあなふたつ。呪詛とは自爆攻撃。納得だ。
*「〜したい  この文法的解釈は?」  するの連用形「し」+願望の助動詞「たい」、ということでは?  したい、で一つの品詞、語のように感じたか。
*「こわいけどおもしろくない話  こわいけど、たのしくない話」  こう言われるとね、こわいけどおもしろい話、こわいけどたのしい話、が欲しいなあ、読んでみたいなあ、書いてみたいなあ、となるよね。
*「山 山 山  さんさんざん  →人の名」  異な発想だが、雅号とかなら使えるかも?   (なんというか変なので、waka君のオリジナルだと思う。どこかから転記した、みつけたのではなく。例えば、三山氏という方がいて、自分の姓からこういう号、筆名などを思いついた、なんて可能性、ないとはいえないけど・・)  ところで、人名だとして、姓と名はどっちで区切る? 山−山山(さん−さんざん)がしっくりするけど。山山−山(さんさん−ざん)よりは。
*「Aが、B、C、Dに金を貸す。B、C、Dは協定して、Aから金を借りていないという。人類全体がA、B、C、Dだとしたら。 (■■コより)」  上の妹■■コの問題提起ということだが、まだ小学生じゃないの、■■コ? なんとなく、先進国と発展途上国の債務問題を連想するし、■■コが考えたとしたら、根元は他から仕入れたにしても、ちょっと高度だよね・・?  もっと幼い把握で、人類全体、というのも、みんなが、というぐらいの意味で言っているのかも。みんながそうだと言えば真実もなかったことにされる、という不安を言いたかった、とか?
*「野原の中の一軒屋。 夜、ふぶいてきたとき、戸をたたく音。 ・・・ こういうお話はとってもいい!!」  物語を始めたいのではなく、好みの物語類型の提示でしたか。
*「こさせられる こされる  >?」  来させられる、来される、ということ?  来される、はウソ語に聞こえる。あるのは、来させる、だと思う。  〔A君はB君に来させられる。 = B君はA君を来させる。〕  という関係のはず。
*「松本ルミはいい!!」  松本留美。お気に入りの女優さん。  なのだが、見た目で、田島令子と混同していた時期があったやも。  (しらべたら、誕生日が一週間しかちがわず、当時ともに24歳。waka君はたいてい、NHKの大河ドラマで目をつけるのだが、松本留美が出演したのは1971年の『春の坂道』。田島令子出演はこの年1973年の『国盗り物語』。なので、田島令子の演じていた役柄をみて、あ、松本留美だ、と喜んだ可能性がある。つまりお気に入りだったのは、女優さん個人ではなくその顔だちだった。・・かんじんのその見た目の好ましいところ、ほとんど思いだせないんだけど、目の下の涙袋の雰囲気だったっけなあ・・)  (さがしたら、1973/04/07の手帳に、「ぼくは、下まぶたが、はっきりしていて、すこしふくらんだ、一見、疲れているような女の人にたまらなくみりょくを感じる。」などと書いていた)  (5/6は日曜日なので大河ドラマが夜放送されたはずだが、日付が変わってからまもないのにもう夜の記載なんだろうか。5/5土曜の午後早めに大河ドラマは先週分の再放送をしているはずだが、その時間帯はまだハイキング中だろうし)
*「雨がふったら、ペストはひろがらぬ」  うーん、どこから仕入れたのか。ネット検索したけど、この説の真偽も、出所もよくわからず。  雨で洗い流されて、ひろがらないような気がする、だけで、医学的な根拠があるわけではないと思うけど・・  (現在のコロナ禍にあてはめても、数年の間に散々雨は振ったが、終息してないもんね)

 

 
01:31 2022/10/23 (日)


 ぼくは文庫本で小説をよむのもすきだけど、その小説をよみおわってから、後ろにある解説をよむのがまた好き。

        (1973/05/05)


 後
 後ろ

        (1973/05/05)


 ぼくは日ましに|パーツケル
        |バカになる

   実感ですよ!!

        (1973/05/05)


 ■■コは自分の事をわい、といったり うち、といったりする。

        (1973/05/05)


 、B、Cは兄弟。かつ、3角関係。
 男

        (1973/05/05)


 自分の兄妹で、おさなく、けものであるのをおかす。

 三大タブーをやぶる。

        (1973/05/05)


 仁和寺 にんなじ?

        (1973/05/05)


 バックミラーにも死角はあるとよ。

        (1973/05/05)


 ぼくの心をきれいにみがいておいて、正しい物に正しく反応したい。

        (1973/05/05)


 小説家が最もよく自分の小説を知っているわけではないのか?

        (1973/05/05)


 史記には、いつごろから、いつごろまでの事がかかれているのか?

        (1973/05/05)


 秦の次の時代は?

 漢?

 秦○ ■× 奉× 奏×

        (1973/05/05)


 A「たのむ、今回だけは。」
 B「じゃ、いいわ、今回だけよ。」
 B、去る。C来る。
 C「おい、おまえ、あの娘 コ に借があるのか?」
 A「なんにもないが、こういう調子なんだ いつも。」
 C「おまえ、そんな事してると、あの娘の心をきずつけまいという心ができて、事実上、借があるようになってしまうぞ。」

        (1973/05/05)


 娘
    むすめ
    こ
         }?

        (1973/05/05)


 } ≒ ■

        (1973/05/05)


 秦 ◎

        (1973/05/05)


 今年のクロスカントリーに優勝したのはだれだっけ?

 今まで気にならなかったのだ。

        (1973/05/05)


 大学入試がおわるより、クロスカントリーがおわった方がうれしい。

        (1973/05/05)


*「後 後ろ」  これは、送り仮名のない「後」でも、「うしろ」と読んでいいものだろうか。または、読ませている文章がある。・・などというような意図で書かれているのではなかろうか。
*「ぼくは日ましに|パーツケル  |バカになる  実感ですよ!!」  パーツケルは、waka君の母親の口癖。他にこの語を使うのは、二人の叔母ぐらい。  つまり、母親たち三姉妹の間ではふつうに使用された言葉らしい。  この三姉妹の間だけのものなのか、それとも、千葉弁なのか・・
*「■■コは自分の事をわい、といったり うち、といったりする。」  上の妹の当時の自称。  waka君の四兄弟(姉、waka君、上の妹、下の妹)のうち、こういう毛色違いの自称をするのは彼女だけなので、小学校で覚えたとか、誰かの真似とかだろうか。  これに限らず、いろいろ、毛色違いが好みのようだ。
*「 男 、B、Cは兄弟。かつ、3角関係。」  ここの兄弟は男兄弟という意味ではなく、男女ありのきょうだいの意かな。よって、B、Cは、waka君の現実と同じ、女子ということもありそう。
*「自分の兄妹で、おさなく、けものであるのをおかす。  三大タブーをやぶる。」  少々邪悪な妄想をしているか・・  文章通りなら、近親(きょうだい)相姦、幼姦、獣姦、の三大タブー破りが同時に成立している場合(がある)、ということだろうね。  獣姦もセットにするのは、ちょっと無理がありすぎるけど。伝奇的な設定で、人獣化させて、なんだろうけど。
*「仁和寺 にんなじ?」  なんで、にんわ、じゃないの? ということでしょ。  辞書(精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006)をしらべると・・  (1)仁和寺(にんなじ)は、仁和二年(八八六)光孝天皇の勅願により着工、同四年完成。  (2)仁和(にんな)は、(「にんわ」の連声) 平安時代、光孝、宇多両天皇の代の年号。  (3)連声(れんじょう)とは、 二つの語が連接するときに生ずる音韻上の変化。前の語の末尾、後の語の頭、またその両方におこるものがある。日本語については、通例、ア・ヤ・ワ三行の音を頭音節にもつ語が、m・nまたはtを末尾にもつ字音語のあとに連続するとき、その頭音がマ・ナ行またはタ行の音に転ずるものをいう。  ・・とのこと。でたらめじゃないわけだ。因縁(いんねん)、三位(さんみ)なども、この連声だそうな。 (ついでに。連声の声の音は、本来はショウ。それが、ジョウと濁っている。これは連濁といわれる変化のはず。ややこしいけど)
*「秦○ ■× 奉× 奏×」  ■は、秦の下部が木。デジタル文字なし。
*「 ・・・ C「おまえ、そんな事してると、あの娘の心をきずつけまいという心ができて、事実上、借があるようになってしまうぞ。」」  小話っぽい、思考実験か。  Cの助言は、いわば大きなお世話だけど、それもこれも、筆者(またはA)の脳内対話みたいなものだろうね。  実際、借りがあるようになってしまっても、なんとなく甘酸っぱいものがあって、男Aは悪い気はしていないような。まあ、だからこそ(Cの危惧通り)、つけこまれることになるかもしれないが。  借を借りと読ませているのは、さっそく、「後 後ろ」の項の応用でしょう。
*「 } ≒ ■ 」  ■は、 }の中央突起のないふにゃっとした形。  }を書こうとしてそうなってしまうことがある、と。(直前の項の「 }?」がそれ)
*「大学入試がおわるより、クロスカントリーがおわった方がうれしい。」  waka君のクロスカントリー嫌い(マラソン嫌い)は既述の通りだが。  高二の五月か。こういうたとえをするということは、この時期、ふつうに(または漠然と)自分も大学入試を経験するものと思っている、ということか。

 

 
05:10 2022/10/16 (日)


 〜したと人からきいた
 〜したそうだと人からきいた

        (1973/05/05)


 コールドクリーム
 何の事?

        (1973/05/05)


 天は二物を与えず。

        (1973/05/05)


 来年のクロスカントリーさえおわれば、おそろしいマラソンは、おそろしい事の多くはおわるはず。

        (1973/05/05)


 やせるには、水分をとるのが、いちばんはやいそうです。水をのむとふとるとよ。

        (1973/05/05)


 彼女はぼくのあこがれの人だから、ぼくが、おおっぴらに告白すると、あの人にめいわくがかかる。

        (1973/05/05)


 じしゃく :?

        (1973/05/05)


 自然がよんでいる
    ↓
   トイレにいきたい。

        (1973/05/05)


 住所から電話番号をひくのがあるなら、電話番号から住所をひくのもあっていいはず。

        (1973/05/05)


 イ■■「ようろうけいこくにいくときは、女の子を入れてトランプやろう。」
 ボク「うん」 ←これはいったかどうか?
 イ■■「まず、か■■さん。」
 ボク「いいね。でも、か■■さんなんかとやると、ぼく、はじらっちゃう。」

        (1973/05/05)


 A君は、あこがれの人に愛をこくはくしようとした。が、その人にきらわれるかもしれないと思い、あこがれの人に似たBさんでためしてみた。Bさんに、あなたが好きだというように、そぶりをみせて彼女の反応いかんで、あこがれの人に愛を告白するか、まだやめるか決めるのである。
   ↓
  「試験」という題の物語

        (1973/05/05)


 ハラハチブンメ

        (1973/05/05)


 冷えしょう

   性 症

        (1973/05/05)


*「〜したと人からきいた 〜したそうだと人からきいた」  後者は、畳語的な誤った表現(実は前者と同意)ということでないなら、二重伝聞ということだろうね。伝聞情報をさらにまた伝え聞いた、と。  おそらく、前項(「・・・ A君が、大学をでて、いざ彼女を、と思うと、彼は、女子校をでて女子大をでて、結婚しちゃった|とよ。|と人からきいた。」)の末尾辺りを眺めながら、何かしら思案して、本項を記していると思う。
*「コールドクリーム 何の事?」  コールドが不可解、らしい。  cold cream だから、そのまま、冷たいクリーム。単に温かくない、常温だから、ということではないみたいだ。しらべると、油脂に水や香料を加えたものなので、肌につけると水が蒸発して気化熱でひんやり感じる、というメカニズムがあるとのこと。
*「来年のクロスカントリーさえおわれば、おそろしいマラソンは、おそろしい事の多くはおわるはず。」  某大学グラウンドを借りた、起伏ばかりの10キロ走のこと。一年の冬に経験済か。それとも、二年の冬だけの行事だったか。記憶あいまいだが、この書きぶりだと、三年の冬はもうやらなくてよさそう。  まだ五月だから、八ヶ月後ぐらいのことを心配している。  waka君にしてみれば、ほぼ、拷問だったけどね。
*「やせるには、水分をとるのが、いちばんはやいそうです。水をのむとふとるとよ。」  完全に前後が矛盾してる。  水分を摂るのではなく、水分を除くという意味の、とるか?
*「彼女はぼくのあこがれの人だから、ぼくが、おおっぴらに告白すると、あの人にめいわくがかかる。」  これも変な文。  だから、という接続が変。だけど、にすればすんなりするが、何かがおちるか。  あこがれの人だから告白したい、あこがれの人だから迷惑をかけたくない、という気持ちがおもてに浮きでた、だから、なのかもしれない。
*「自然がよんでいる → トイレにいきたい。」  中学時代、仲間うちでよくいわれた、トイレにいきたいを意味する隠語。
*「住所から電話番号をひくのがあるなら、電話番号から住所をひくのもあっていいはず。」  当時の個人別電話帳は、市内(とか区内)在住者の氏名順になっていて、その人の電話番号+簡単な住所がひけたはず。  よって、電話番号順に直すことは可能だったと思うけど、パソコンなどがまだ全然普及してなかったから、そういう編集は、素人とか小規模の事業者には無理だったかも。  → そもそもさ、電話番号だけ知っていて、氏名を知らないなんてありえたのか。一般人の場合。waka君はなぜそんな物を欲しがったの? 別に欲しかったわけじゃなくて、あってもいいはずなのにないなあ、という純粋な疑問が浮かんだってことかな。  → 最近はこの、個人別電話帳というのをほぼ全く見かけてないわな。個人情報ダダ漏れのため、ご時世で、なくなってしまったのか。どこかにはあるんだけど、故意に流通をしぼっているのか・・
*「イ■■「ようろうけいこくにいくときは、女の子を入れてトランプやろう。」 ボク「うん」 ←これはいったかどうか? イ■■「まず、か■■さん。」 ボク「いいね。でも、か■■さんなんかとやると、ぼく、はじらっちゃう。」」  イ■■ちゃんは、中学同級、高校も同じ。なので、中学の同窓会代わりと思われるこのハイキングに参加している可能性高い。本項がこの日の会話でいいなら、当然そうだな。  高校二年時のクラスメートのか■■嬢は、中学は別。なのでこの場にはいない。  よって、この会話の背景を想像すると、ハイキングの帰りの電車内とかで、次のレクリエーションの計画などをイ■■ちゃんとあれこれ話した、と。次は、中学同窓じゃなくて、高校のクラスの有志とかで養老渓谷あたりはどうよ、と。で、本文に続く、と。
*「A君は、あこがれの人に愛をこくはくしようとした。が、その人にきらわれるかもしれないと思い、あこがれの人に似たBさんでためしてみた。Bさんに、あなたが好きだというように、そぶりをみせて彼女の反応いかんで、あこがれの人に愛を告白するか、まだやめるか決めるのである。」  ひどいね。A君、なんか、男らしくないね。いや、かなりな卑劣漢。  まじめに書くと、後半がつらい流れになりそうだ。  望みを多少さげて、より確実性を高める、というのは、戦術としてありなんだけど、男女関係でこれをやるってのは、そうとう、大人、というか場慣れというか、こすっからい、不純、というか・・  いや、A君はそうですらないか。より確実に得たい、わけですらない。Bさんに対してまるまるの不実。  そぶりってのが、曲者だよ。偽りの告白をするのはさすがにひどいと自重したとも言えるし、言質をとられないようにして逃げ道を作っておくずるさとも思える。  あこがれの人に似た、もなんかダークだ。あこがれの人自体も、容姿だけがめあてだったってことかい。  うーむ。  無理にでも、善意と明朗で塗り変えるなら、あこがれの人に似た、を、A君が惹かれる内面的な魅力をBさんももっていた、ということにして、その延長線上で、偽りのアプローチのはずが、いつしかほんとにBさんに惹かれることになってしまったという展開まであるか。  一種のどんでん返しで、こういう救いもなくはないか・・  (ありがちで、三文芝居じみてしまうが、暗い気持ちになるよりは喜ばれると思う、お客さんには・・)  (その上で、あこがれの人とBさんの間を揺れ動いて、おろおろするA君。物語前半のA君と比べて、これを、にまにま眺めるお客さんたち。・・ああ、これならいいかも)

★ ところで、直接の感想はほぼ何も書かれていないが、無色ということではなく、この五月五日のハイキング、どうもwaka君にとって、楽しく充実していた、ってことはなかったような。どちらかといえば、孤立や疎外を感じたような、と想像するけど・・ (記憶にも、ぼんやりとそういう色あいが残っている)

 

 
09:20 2022/10/09 (日)


 一見暗そうにみえて実はあかるい物語。

        (1973/05/05)


 そっちがいい
 こっちがいい

        (1973/05/05)


 昔の人ははだしであんな山道を歩いたのかな?

 道には草があったかしら?

        (1973/05/05)


 いくら水をのんでもーのどのかわきのとれないことがある。

        (1973/05/05)


 タンポポのワタが耳にはいると、つんぼになるってほんと?

        (1973/05/05)


 日連宗とは、どんな宗派に属するのか。

        (1973/05/05)


 そだちざかりで、ひょろーっとのびたような、じみで、かわいい女の子がいい。

 電車の中に|イタノダ。
      |イルノダ。

 あの人みたい

        (1973/05/05)


 ブスと美人が、おさななじみだった話?

        (1973/05/05)


 ぼくのツメのまわりの皮はつめみたくなっている。

        (1973/05/05)


 みんなが、たべているんだ.

 状況:タビ先で仲間たちにガムを、「食べる?」といってまわし、みなが、くチャくチャやるときなど、今、ぼくの口の中で感じている味とくチャくチャしたあたたかい感じををみな感じてみるんだな、と思う。

        (1973/05/05)


 マイカーをもったり、うんんてできたりしないとお見合い破談か?

        (1973/05/05)


 見|合○ 会×|い

        (1973/05/05)


 昔
 昔し
    >どっち?

        (1973/05/05)


 じょしこう 女子校 女子高

 じょしだい   女子大

        (1973/05/05)


 A君と同じ年のあこがれの人B。

 A君が、大学をでて、いざ彼女を、と思うと、彼は、女子校をでて女子大をでて、結婚しちゃった|とよ。|と人からきいた。

        (1973/05/05)


*「日連宗とは、どんな宗派に属するのか。」  日蓮宗。途中で、お寺でもあったか。  しかし、尾山薬王院は、真言宗智山派ということで別宗派。  説明板などで日蓮宗に言及している箇所があったとか、あるいは仲間うちの話題で宗派の話にでもなったのかもね。  それとも、すでに下山して、街中にいる?
*「そだちざかりで、ひょろーっとのびたような、じみで、かわいい女の子がいい。  電車の中に|イタノダ。|イルノダ。  あの人みたい 」  これは、帰りの電車?  この外見の様子、あの人という呼び方、などから、思いうかべているのは、中学時代の想い人っぽい。  彼女は別クラスだったので、このハイキングに参加しているわけではない。中学の同クラスの面々と再会して、当時の空気を思いだしている、それで、彼女の気配を感じてしまった、のかも。
*「みんなが、たべているんだ.  状況:タビ先で仲間たちにガムを、「食べる?」といってまわし、みなが、くチャくチャやるときなど、今、ぼくの口の中で感じている味とくチャくチャしたあたたかい感じををみな感じてみるんだな、と思う。」  文字は落ちついてきてるけど、ひらがなとかたかなの、くチャくチャ、とか、をを、とか、あたたかい感じををみな感じてみるんだな、とか、書きぶりが粗い。見直しもしていない。電車の中での筆記か。
*「マイカーをもったり、うんんてできたりしないとお見合い破談か?」  うんんては、うんてん。  これもその場の皆の何かの話題があって、その反応メモか。  高校二年生、あと一年ぐらいで運転免許取得できるので、関心もでてきてる頃合い。  結婚やお見合いも、もう遠い夢想ではないし。  (とはいえ文意は、なんだこれは、だけどね。^^;)
*「A君と同じ年のあこがれの人B。  A君が、大学をでて、いざ彼女を、と思うと、彼は、女子校をでて女子大をでて、結婚しちゃった|とよ。|と人からきいた。」  物語の冒頭っぽい。頭だけ?  物語をかたりたいのではなく、前項の、女子校、女子大などの語を使いたかっただけみたいな。  彼は、は、彼女は、のまちがいでしょう。または、彼は〜〜と人からきいた、とつなげるつもりがあって残ってしまった。  (自分と中学の想い人との運命を重ねていたりもしてる?)

 

 
00:23 2022/10/02 (日)


 こみあってるホームを歩くときは、ホームの端、へりを歩けばいい。だれもあまり、へりには近づかぬ。

        (1973/05/05)


 真深 :ましん

        (1973/05/05)


 地図での長さと実際の長さはちがう。でこぼこがあるから。

        (1973/05/05)


 山の山荘のケイエイはどうなってるのか。

        (1973/05/05)


 時代サクゴ

 未来すぎる、カコすぎる

        (1973/05/05)


 過去−現在−未来
  昔 − 今 − ?   ←これは何?

        (1973/05/05)


 ひきちぎられそう

 ひちきち× 

        (1973/05/05)


 にもつの食料をくってもかるくならない。いぶくろに入れかえるだけだから。

        (1973/05/05)


 飛行きのにもつをおく所にはだいじなものをおかない。軽くするためにすてられることもある。

        (1973/05/05)


 カンパイ
  缶   → カンコーラパイ

        (1973/05/05)


*「こみあってるホームを歩くときは、ホームの端、へりを歩けばいい。だれもあまり、へりには近づかぬ。」  あぶないってば(^^;  若者の感覚か。
*「真深 :ましん」  これだけなので、文脈とか出所とかわからずなんともいえないけど、ふつうは、帽子をまぶかにかぶる、というときのまぶかがこの漢字の読みではなかろうか。(ただし、まぶかを辞書で引くと、目深という漢字をあてているので、はっきりしなくなって困るんだけども)  ましん、のほうからたぐり寄せるなら、バットのましんに当てる、などと言うとき使ってたと思う。この場合漢字は、真芯または真心だろう。  でも、いちばん素朴に純粋に、真深(ましん)の語意を推測するとしたら、真に深い(なにか)ということになりそう。この読みと意味では辞書に載ってないので、waka君の造語ということか。この場合は、こういう漢字が浮かんで、簡潔かつ綺麗だとうれしくなって忘れぬうちにとメモした、ということになるかも。
*「地図での長さと実際の長さはちがう。でこぼこがあるから。」  また文字の乱れ大きくなったので、ハイキング、歩き始めたか。  依然として、どういう集まりか、場所はどこか、だれそれがいたとか、明記は無し。(既述の通り、中学の同窓会代わりの高尾山ハイキング、という可能性が高い、ほぼ確実だと思うが)
*「時代サクゴ  未来すぎる、カコすぎる」  例えば、明治の頃の常識にのっとって、現代でどうこうしようとするとき、時代錯誤と言っていいと思うが、  明治の頃にあったあれこれを、現代の常識で判定しようとするときも、時代錯誤と言っていいのだっけ?
*「過去−現在−未来   昔 − 今 − ?   ←これは何?」  過去=昔、現在=今、と言い替えられるのに、未来はなんと言い替えるのか浮かばず、と言いたいんでしょう。  2022年の今も思いつかず。しいていえば、これから、または、先(さき)、かなあ・・
*「カンパイ   缶   → カンコーラパイ」  カンパイのカンが缶なら、缶コーラでカンパイするのは、カンコーラパイ、だと。  何を言ってるんだか。カンパイのカンは乾(飲み干す意)だよね。

 

 
05:48 2022/09/25 (日)


 ことばじりをとらえるようにして議論してもそれはムイミか?

(例)
「努力しても友情には限界があるのかな」
「努力なんかしたら努力をしているなんてイシキしたら、それだけで、もう友情はだめだよ。」
「だからさ、そういうようにロコツに努力するのではなくて、そういうのもふくめて、すべてうまくいくように努力したらの ――」
「矛盾だよ。同じ努力じゃないか。」
「いや、ぼくのいう努力をするということは、そうしている事もわからせないような努力なんだ。」
「でも ――」
 ・・・

        (1973/05/04)


 ぼくがちょっとマタをひろげすぎるだけでズボンは切れてしまうのだ。

        (1973/05/05)


 お母さんは田植えもいねかりもみんなやったそうです。お父さんは、いろいろな商社を転々としたそうです。

        (1973/05/05)


 「とうげの子どもたち」
 「今日も生きて」
            }いんしょう深いなあ。

        (1973/05/05)


 オミ・・・  書くことをわすれてしまった。

        (1973/05/05)


 ぼくが生まれたのは■名病院

        (1973/05/05)


 ぼくは、せいぼうぐらいしか、マトモなぼうしをもっていない。

        (1973/05/05)


 男A、女B、C
 電車で、Bは昔の友だちのAに会う。そこで2人は互いの心を知る。Cが呼ぶのにBはおりるべき駅におりないで、電車にのったままいってしまう。

        (1973/05/05)


 おみふみ
 もみふみ
      >かしら

        (1973/05/05)


 責任者は身が自由なよりは、すこし、ししょうがある方がいいか。
 たとえば、将棋同好会の責任者になった時、家が遠ければ早く帰ることができるが、近いと、遠い所に帰る人たちの事を思いやれずにおそくまでやってしまう。

 思いやりの心が人なみ以上にあればいいが、ないなら、自分自身が、そういう立場にいればよくわかる。

        (1973/05/05)


 今、ずっと電車に1人でのってるのだが、となりのとなりにいるおじいさん(おじさん)と前の駅までいたおじいさん(おじさん) となりにいた は、ずっと話をしていた。赤の他人だったけど話が乗ったのか、すこし知りあっていたのか。まず、国鉄のわるくち。東京のまわりだけまともだとか、ようのない快速が多すぎるとか。それから、千葉のじまん。千葉には山らしい山はないけど、山のものがあり、海のものがあり、川のものがある。ただないのは温泉だけだ。千葉のホテルはハコネよりりっぱだ、等々。

        (1973/05/05)


*「ことばじりをとらえるようにして議論してもそれはムイミか?  (例) ・・・ 」  わかりやすい、典型的な、例ですな。
*「ぼくがちょっとマタをひろげすぎるだけでズボンは切れてしまうのだ。」  大半は、waka君が太りぎみだから、という個人の事情に起因でしょう。中身とサイズが合っていないともいえるか。  学生ズボンの生地がそれほど丈夫でない? 自転車通学するので内股とサドルのこすれあいによる劣化もありそう。
*「「とうげの子どもたち」 「今日も生きて」 }いんしょう深いなあ。」  「とうげの子どもたち」はまったくわすれた。  「今日も生きて」は、小学校の図書館にあった本で、涙流したほとんど最初の本かもしれない。内容は忘れたが。いわゆる児童文学だったか。四年生ごろ。
*「ぼくが生まれたのは■名病院」
*「ぼくは、せいぼうぐらいしか、マトモなぼうしをもっていない。」  ということは、高校の学帽(学生帽子、制帽)で、ハイキングにいったんだろうな。  この辺りから、文字の乱れっぷり、度を超しているのが多い。これはたぶん、歩行しながら記載しているため。  ■名病院(産院)も、家から駅までの道すがらにあり、通りかかったとき、そうだったと思いだして病院名を書いたと思う。
*「男A、女B、C  電車で、Bは昔の友だちのAに会う。そこで2人は互いの心を知る。Cが呼ぶのにBはおりるべき駅におりないで、電車にのったままいってしまう。」  物語の一場面につかえそう、というたぐいのメモか。  waka君の高校には自転車か徒歩で通えたので、ふだん電車はつかわない。この日、ハイキングに行くため千葉駅から乗車して、そのとき思いついた、または、実際にこんな想像をさそう場面を目撃した、ということかも。
*「おみふみ もみふみ >かしら」  4項前で書くことを忘れたのはこれだったかな、と。  母親から農作業の話をきいているようだから、籾踏み、か。  おみふみはよくわからない。はっきりききとれなかった? それとも、御実踏み?  (麦踏みがあるのは知っているが、籾踏みなんてあるのかどうか。  ネット検索すると、足で踏んで、シーソー型の米搗き臼で精米することを、米を踏むというそうだが、このことだろうか・・ )
*「 ・・・ たとえば、将棋同好会の責任者になった時、家が遠ければ早く帰ることができるが、近いと、遠い所に帰る人たちの事を思いやれずにおそくまでやってしまう。 ・・・ 」  たとえば、などと言っているが、まさにwaka君だよね。将棋同好会の会長だし、高校は徒歩圏だし。まわりくどい書き方になっているが、自省しているんだろうね。  久しぶりに電車にのっていて、電車通学する仲間のことなんかを思いだした(思いやれた)のかも。
*「今、ずっと電車に1人でのってるのだが、 ・・・ 」  電車で一人ということは、現地集合だろう。  今検索すると、高尾山口駅(たかおさんぐちえき。1967年開業)というのがあるらしいが、これは私鉄の駅。この記事の時点で乗っているのは国鉄の総武中央線のはずだから、どこかで乗り替えるのかな。

 

 
09:08 2022/09/18 (日)


 自力 :じりき =じりょく。

        (1973/05/04)


 火事などで2階から下へにげられなくなり、お母さんが、自分のアカチャンを通行人になげ、通行人はうまくそれをキャッチする話をよくきくが、ぼくは、そのおカアさんにもなりたくないし、アカチャンはもちろん、その通行人にもなりたくない。
 赤んぼをなげる。お母さんはちょっとでもなげる方をまちがえれば、子を殺してしまうのだ。うけとる方も、正しくなげてきた子をおとしてしまったら、とりかえしがつかないんだ。

        (1973/05/04)


 ハミガキのないハイキングの先などでは、ガムをかんでかわりにしよう。

        (1973/05/04)


 かわいい女の子のことでも考えてねましょ。

        (1973/05/04)


 しかし、母親が通行人に、赤んぼをうけとってくださいとさけんでいる所にとおりかかったら、自分を殺したつまりで すすみでよう。おれは、有名になりたく、善人だといわれたく、勇気があるといわれたいから、こんな事をするのだと心にいいきかせてやろう。 だれだって、たとえ、有名になれても、善人になれても、勇気ある人だといわれても、こんなことはしたくないだろう。どんなにそういう事を求めている人でも、とんでくる赤ん坊をうけとめるなんて。

 考えるだけで、ゾッとするような話だ。
 もし、自分だったら、とすぐ思ってしまうのだ。

 こんなことはわすれて、かわいい女の子のことでも考えようよ。

 それとも 火の中を二階までいって、母子 オヤコ とも助けるか?

        (1973/05/04)


 母子 父子 母娘 父娘 父子 ・・・ }おやこ?

 子が男のとき、父息 フソク といわずに父子というのか?

        (1973/05/04)


 娘の音読みは?

        (1973/05/04)


 話せば話すほど友情は深まるか?

 友情の深さはもともときまっていて、それ以上は努力してもだめなのか?

        (1973/05/04)


*「火事などで2階から下へにげられなくなり、お母さんが、自分のアカチャンを通行人になげ、通行人はうまくそれをキャッチする話をよくきくが、ぼくは、そのおカアさんにもなりたくないし、アカチャンはもちろん、その通行人にもなりたくない。 ・・・ 」  もっともな心配だと思う。ふつう、美談のように記憶されることだけど、こういう話を聞いたとき、自分にひきうけて想像すれば、あまりのあぶなっかしさに、たいていの人はwaka君のように逃げ腰になるのでは。  ただし、想像ではなく、頭上でその母親が泣きさけんでいるとき、当方が青年や壮年の男であれば、手を振って逃げてしまうこともまた難しそう。
*「 ・・・ それとも 火の中を二階までいって、母子 オヤコ とも助けるか?」  明日はハイキングだし、安らかに入眠するためには、この心配事を鎮めるしかなく、最終行のように最もできそうにない自らの英雄譚を妄想、という流れかな。  これやあれやの妄想をひろげているうちに、気分が多少楽になって、眠れたんだろうか・・
*「娘の音読みは?」  じょう、だそうだ。  が、じょうと読む熟語が思いつかん。

 

 
05:59 2022/09/11 (日)


 お父さんも、お母さんも美声。

        (1973/05/04)


 お父さんは、金にきれいでありたいと思っている。お父さんは金などより安らぎを求める。

        (1973/05/04)


 お母さんは金にきびしい。もらうべきものは、頭をさげてももらい、金でいやしめられるのが最もいや。

        (1973/05/04)


 お母さんは、ぼくが、金のくろうをしないような人になってもらいたくないそうだ。お父さんのように金に関する事をきらうような貴公子然というようにはなってほしくないそうだ。
 金はふってくるのではないそうだ。

        (1973/05/04)


 お母さんがいうには、お父さんのような事がいえるのは金があるからこそなんだそうだ。ある程度の金は持たねばならないのだそうだ。そして、守っていかねばならないのだそうだ。

 ここらへんは、お父さんの考え方とお母さんの考え方は差があるようです。

        (1973/05/04)


 芸術家は作品にはびんかんだけど、自分の生活には どんかん。

        (1973/05/04)


 Aは新しい総理大臣。その前の総理大臣Bが、アメリカ行きをひかえるAをおとずれて、すばらしい情勢判断をして、いかにするのが、日本のためかをいう。そして、自分の時からのかけひきが、どうなっているか、米大統領は何を、かけてくるか、どこにおとしあなをつくるか、またこっちはどこでわなにかけるか、どこにわなをつくっておいたかなどを、とくとくと話してきかす。

        (1973/05/04)


 ギクリ
 ギク

        (1973/05/04)


 「君、そうなんしたんんですか?」
 「そうなんです。」

        (1973/05/04)


 雪山にそうなんしてしまった人。が、必死の努力のすえ、自力で脱出。
「たすかった。」
 町にくると、核戦争のあとで、何もない。
「たすかった。」

        (1973/05/04)


*「Aは新しい総理大臣。その前の総理大臣Bが、アメリカ行きをひかえるAをおとずれて、すばらしい情勢判断をして、いかにするのが、日本のためかをいう。 ・・・ 」  これに類する申し送りはしなければならないだろうと考えて、その場面を想像して書いているのかな。現実ではたぶん、双方に優秀なブレーンがいて、そのブレーン同士で申し送りをするという形か。(あるいは、総理大臣は代替わりしても、細かいいきさつを心得ているその優秀なブレーンが引き続き、新総理の補佐もする、とかね)
*「「君、そうなんしたんんですか?」 「そうなんです。」」  笑。  このだじゃれはだれでも思いつくのか、最近、というか二三年前、このだじゃれ題名のアニメをみている。  アニメ『ソウナンですか?』。岡本健太郎(原作)・さがら梨々(漫画)・ 長山延好(監督)。女子高生四人が無人島に流れ着いて、サバイバルする。
*「雪山にそうなんしてしまった人。 ・・・ 」  四行でお話になってる。起承転結に沿っている。なかなかの出来と思う。  軽みがある、要はギャグなんだけど、悲惨で深刻な状況をネタにしているわけで、すこし後ろめたい。

 

 
05:45 2022/09/04 (日)


 お母さんに、あした奥たまにハイキングにいっていい、といったら、予想に反して、男なら、外にでなきゃだめだと、しょうれいされた。こんな急に、とか、責任者がいないのに、なんていわなかった。理解あるーーノカナ。
 子どもに無関シーンナノカナ
            マサカネ。

        (1973/05/04)


「おや、これは、のりこしてるね、きみ」
「え? おやへんだな、ぼくはたしかにAといって買ったんですよ」
「どこの駅からかね。」
「Bです。」
「よし、B駅にといあわせる。もし、君がうそをついているなら3倍の料金。こちらのておちなら、担当の係員はくびだ。」
「えっ!」
「そうさ、くびさ。」
「イイマス、イイマス、ぼくが、ウソついたんです、ハイオカネ。」
 ↓
 はたして、この乗客はほんとうにウソをついたのか、それとも、係員がまちがえたのか?

        (1973/05/04)


 アブラセンベエとカッパエビセンのうまさよ。

        (1973/05/04)


 センベ
 センベエ

        (1973/05/04)


 キフ :今日は朝刊なし.

        (1973/05/04)


 牛の細胞をいしょくすると、人間は牛になるのか?

        (1973/05/04)


 「一言もない」

 という事が、ぼくにもときどきある。

        (1973/05/04)


 ホウソウのアバタののこってる人はいるかしら?

 ソウセキ先生?

        (1973/05/04)


 テンネントウ

        (1973/05/04)


 しゅとうのアバタは右肩にあるのか、左なのか。

 なぜ、こういう所につくったのか。

        (1973/05/04)


 昔の医師は使命感にもえていたけど、今は金もうけ?

 赤ヒゲなのだ。

        (1973/05/04)


 宍道湖なんてあるの?

        (1973/05/04)


*「お母さんに、あした奥たまにハイキングにいっていい、といったら、予想に反して、男なら、外にでなきゃだめだと、しょうれいされた。」  waka君の母親は、女子高時代、登山部だったはず。だから、奨励するのはありだよね。
*「「おや、これは、のりこしてるね、きみ」 ・・・ 」  翌日、二時間ぐらいか電車にのることになったので(千葉からだから各駅停車の高尾行きとかだろうか。今は直通のがあるが当時は乗り継ぎだったのかどうか・・)、なんとなくお話が浮かんだんでしょう。あんまり切れのあるお話でもないけど。  切符の自動販売機はすでにあったはず。しかし、あるいていど以上の金額、遠方の切符は窓口で買っていたはず。  自動改札機はなかった。  通学定期、通勤定期を改札で駅員にみせ、通常の切符(いわゆる硬券)は改札で駅員がハサミ(鋏)を入れていた。今ではほとんど考えられないような、目と手の技。うーん、世の中進んだというか、年月が過ぎたというか。  (実際、大きな駅の、通勤ラッシュの時間帯でも人力で対処してたんだから、信じられないよね、もう・・)
*「アブラセンベエとカッパエビセンのうまさよ。」  揚げせんですね。かっぱえびせんも健在。今でも好きです、よく買います。
*「キフ :今日は朝刊なし.」  棋譜。朝刊にある将棋欄を切り抜いて一局分たまったらホチキス留めする、という習慣があったはず。高校生の頃か。  で、この日5/4(金曜)はその朝刊がなかった、と。これは、この年は、5/3(憲法記念日)が休刊日(新聞の製作を行わない日)だったってことでしょう。(wiki、新聞休刊日で確かめると、正解らしい)
*「ホウソウのアバタののこってる人はいるかしら?」  疱瘡は、天然痘の別称。  アバタは、痘痕と書き、天然痘の跡のこと。
*「しゅとうのアバタは右肩にあるのか、左なのか。  なぜ、こういう所につくったのか。」  種痘は天然痘の予防接種。昔の人にはみなその跡があるんだけど、Wikipedia〔1980年に天然痘ウイルスは撲滅され、自然界に存在しないものとされているため、1976年を境に日本では実施されていない。〕ということで、新しい人にはもうその跡はないのだ。  ネットでざっと調べたら、右肩が種痘、左肩がBCG(結核予防ワクチン)らしい。  (私の場合、右肩にアバタがあるのでこれが種痘跡。左肩はきれいなように見える。ツベルクリン反応が陽性でBCGは受けなかったような気がする)  ( → たまたま見つけたが、くだって、1973/07/26に「ぼくはホウソウのあとが、左右両方の肩にある。みんなもそうなの??」という記述があった。そういわれると、左肩にもあるような気がしてくる。 あるなら、BCGだろう。同じ身体なんだが、半世紀経って、きれいになった? というか、めだたなくなった? 肌がきれいじゃなくなって? 笑)  (しらべると、現在は、このツベルクリン反応検査自体をもうやっていないとか。Wikipedia〔かつて日本では、結核予防法により乳幼児・小中学生に対してツベルクリン反応検査を行い、陰性者に対してBCG接種が行われていた(なお、BCG接種では1960年代に管針法(俗にいうハンコ注射)が導入されている)。しかし、その後の2005年の法改正により、これらの者に対するツベルクリン反応検査は廃止された[4]。現在は予防接種法に基づき、生後1歳に至るまでの定期接種時にある乳幼児に対してのみ、ツベルクリン反応検査をせずに直接にBCG接種を行うこととなっている[5]。〕とのこと)  当たり前だと思っていたことも、時とともに遷移していきますなあ・・  (すこし前にある、牛の細胞云々の記事は、もしかしたら、牛痘からの発想だったのかも)  (なぜ上腕部に、という位置についての疑問とその答えは、種痘がなされなくなって久しいこともあってか、ネット検索では見つけられなかった。 ・・ま、普通に考えて、跡が残ってもめだたない場所(夏場の半袖でも隠れる)で、なおかつ、接種しやすい部位、ということなんだろうと思う)  (つけたすと、アバタ、という語が先にあって、天然痘の跡も該当したのでアバタとよんだ、アバタの一種とみなした、という感覚だった。逆なんだね。天然痘の跡がアバタで、それに似た肌の形状もアバタとよぶようになったわけか・・)(さらにしらべると、アバタの語源は、かさぶたを意味するサンスクリット語で、仏教伝来とともに、日本に伝わったそうな。「arbuda(アルブタ)」>「あ浮陀(あぶだ)」>「あばた」という具合。あ浮陀地獄というのがあるそうな。つまり、大元はかさぶたなんだから、逆の逆ってこと?)  (これらのことをしらべているうちに、思いだしたが、小児の頃、体中にブツブツのでる病気にかかり、「ほうそう」にかかったと大人がいいこちらも思ったが、あれまさか、天然痘だったの!? 似た病気をそう呼んだだけ?? → 気になるから、もっとしらべたら、あれは、水疱瘡(水痘)で、ほぼ間違いない。水痘・帯状疱疹ウイルスによる感染症で、天然痘とは別物、ということだったもよう)
*「昔の医師は使命感にもえていたけど、今は金もうけ?  赤ヒゲなのだ。」  まあ、算術医は、昔でもいたでしょう。完璧な聖人医師など、今でもいないでしょう。
*「宍道湖なんてあるの?」  ししどうこでは変換せず。漢字でしらべたら、しんじこ、と読むんですな。島根県。

 

 
01:27 2022/08/28 (日)


 えんえい。

 EN’EI  → エネイでない。

        (1973/05/04)


 先生が、かまってくれないから、いかにもわるいことをしているように、このノートを授業中にかいてみては? 

        (1973/05/04)


 心記はぼくにとって苦か楽か、

        (1973/05/04)


 ぼくは、思いのほか、じゅんじょうではずかしがりやでムチ。
 学校は行きは早い、帰りはおそい

        (1973/05/04)


 雨雨ふるなふるな カァさんが、じゃのめでおめかえにきたら どうしようーー、

        (1973/05/04)


 あしたハイキングにいくのだ。あさってはたぶんオカボと山がくるのだ。おれはいつ、勉強すればいいんだ、

        (1973/05/04)


 今日 学校でそうじのとき、モップをとりに水のみ場にいったら、ぬれたゆかですべり、あやうくころびそうになった、 そばにいた女の子が、何か、アブナイ、とでもいったような。そして、体をとりもどして、また歩いたら、またすべったのだ。またころびそうになって、そばの壁に手をつき、あやうくまねがれた。女の子は笑っていたような。
 それからじゅくに 学校にわすれたカサを自転車でとるついでに、その自転車でいって、帰り道、 ぬかるみですべり、たおれそうになったが、自転車をもっていたから助かった。

 夜道はこわいから自転車にのらずに、おしてかえってたのだ。

 自転車はマサツが少ないから、おすのにそんなに力がいらない。

        (1973/05/04)


 自転車にのるととてもキモチいいが、自動車なんかがいるのでキケン。そんなののいない広場、ほそうされた広場で心ゆくまでのりたい。

 無目的でのってもおもしろくないか。
 どこかにいくから、のりがいがあるのかも。

        (1973/05/04)


*「えんえい。   EN’EI  → エネイでない。」  遠泳か。ローマ字書きしたとき、エネイと区別できない。そういう困った例の発見報告か。  現在、パソコンでローマ字入力する際は、んはいつもNの二連打とすることでこの不都合はほぼ解消されている。  例えば、ANNNEI安寧 ANNEI安永 と打ち分けることができる。
*「先生が、かまってくれないから、いかにもわるいことをしているように、このノートを授業中にかいてみては?」  なんじゃこりゃ。  先生にかまってほしいと(無意識下でそういう願望があったとしても)表だって考え望むような高校生ではないはずだよね、waka君。  いかにも悪い事をしているように(授業に関係なさそうな)このノートを書いていれば、先生が関心をもってしまうかもしれない(または、関心をもってくれるかもしれない)。という発想で、実際にはそういう行為はしていないはず。  (自分にであれ、このノートにであれ)関心をもたれてしまうのは基本的に困ることのはずなんだが、あえてそうしたくなるぐらい、先生に放置されている、無視されている、という事態が起こっているんだろうか・・ 
*「心記はぼくにとって苦か楽か、」  今変換して気づいたが(脇道にそれるが)、「くからくか」は「苦か楽か」にも「苦から苦か」にもなる。
*「ぼくは、思いのほか、じゅんじょうではずかしがりやでムチ。  学校は行きは早い、帰りはおそい」  前後の文の間の飛躍が、詩になってるかも・・  とおりゃんせ、の歌詞、いきはよいよいかえりはこわい、を遠くなぞっている感。
*「あしたハイキングにいくのだ。あさってはたぶんオカボと山がくるのだ。おれはいつ、勉強すればいいんだ、」  この日5/4は書いてあるとおり登校日でしょう。翌5/5は祭日、5/6(日曜)も休み。  5/5のハイキング、どういう集まりに参加したのか。この後の記述を見ても明記がないが、ぼんやりした記憶によれば(行き先が奥多摩だったとすれば)、中学の同窓会をかねたレクリエーションだったような。  (1)高尾山にいったときの顔ぶれは中学のクラスメートたちが浮かぶ。なので、中学生のときにいったような気もしてたのだが、(2)高尾山には二度はいっていないはず。そして現に、(3)高校二年生の5/5祭日に、いく、いったとここらにこのとおり記述している。(1)(2)(3)の辻褄が合うのは、同窓会をかねたハイキングだったから、ということになる。  オカボと山は、ともに中学同級。高校別だが、この時期、まだまだ交遊があった。5/5に一緒にハイキングにいって翌日も会う、ということ? それはなにか重なりすぎなので、オカボと山はハイキングのほうには参加していない可能性が高い。
*「それからじゅくに 学校にわすれたカサを自転車でとるついでに、その自転車でいって、帰り道、 ぬかるみですべり、たおれそうになったが、自転車をもっていたから助かった。」  英語塾にいったが、学校に忘れた傘をとるついでがあったので自転車をつかった(塾にはふだん自転車は使わないのかもしれない)、塾が終わって暗くなったその帰り道、・・ということだと思う。補筆すれば。
*「自転車はマサツが少ないから、おすのにそんなに力がいらない。」  なんにしろ、水場やぬかるみで何度もあわやすべって転びそうになり、そのたびごとにかろうじて助かった。そういう日だった。と。

 

 
07:05 2022/08/21 (日)


 のんきで、太りぎみのA君。明るくて、かわいい方の女の子B。Bは、恋人とはいかないまでも、Aのガールフレンド。Bは、Aが、スポーツのよくできないのをあきらめている。
 ところが、ある日、Aは、一時的にスポーツ万能になる能力を得る。
 やってきたバスケット大会で、彼は一時的に超スポーツマンになって、すごい活やく。Bは予想外のできごとに、くるわんばかりによろこぶ。が、Aが冷たい目でBをみたので、ちょっとギクリ。Aはスポーツマンになったときは、人のいい、のんきな、Aらしさというものをなくしていた。

        (1973/05/04)


 セイキョ

        (1973/05/04)


 世の中にたえて心記のなかりせば、吾の心はのどけからまし。   ―― 改作

 考察!!
 ホボ真実

        (1973/05/04)


 政府が、労働者たちのストライキを利用して、そのへいがいを国民に示すため、数千人をどういんして、暴動を、おこさせる。それをしずめるのは政府のきどうたい。
 きどう隊員は上司から、暴動の人々がきたら、せめないで、にげろといわれていた。が、キドウ隊には労働委員会のスパイがいっぱいいて、にげずにせめる。
 よって、おそろしいばかりの流血事件となる。

        (1973/05/04)


 ぼくはぼけている。
 授業などでも、先生の質問にはかならずまちがえて答えている。
 そして、ぼくのがあってると思って、かならず、発表したいと思う。
 さされなくて、他の人が正しいのをいうと、さされなくてよかったとおもう。

        (1973/05/04)


 労働|車
   |者

        (1973/05/04)


*「のんきで、太りぎみのA君。明るくて、かわいい方の女の子B。 ・・・ Aはスポーツマンになったときは、人のいい、のんきな、Aらしさというものをなくしていた。」  小話なんだが、オチがないのでしまりがないね。  気持のいいオチをつけられれば、良質のコメディーになるかも。
*「世の中にたえて心記のなかりせば、吾の心はのどけからまし。」  このノート(心記)にこのような記事を書き続ける習癖から、自由になれない。メモ依存症と言えなくもない。という自覚を歌っている。(苦しいばかりならもちろんどうにかしようとするだろうけど、ときに楽しいし、ときに充実も感じるので、離れられない。悪友に似ているか・・)
 元歌は、世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし。
*「政府が、労働者たちのストライキを利用して、そのへいがいを国民に示すため、数千人をどういんして、暴動を、おこさせる。 ・・・ よって、おそろしいばかりの流血事件となる。」  waka君の空想でしょう。あわよくば、物語につかえないかな、という意識もありそう。  構図的にはありだが、細部が非現実的かも。  数千人を動員がありえない感じ。表だって募集できることでもないので、みな、公安要員とか自衛隊ってことになりそうだけど、たとえ計略が予定どおり行っても、これだけの人数では内部告発がおこり、欺瞞はいずれ露見してしまう。  労働側のスパイも、ストライキ騒動を大げさにするために火に油を注ぐというのは、敵の策に乗ってしまって逆方向ではないのか? それとも欺瞞を暴くためにあえて体制側の想定以上の流血をおこし、事後に真相を暴いて責めるつもりか。  → 修整するとしたら、双方の工作員は少数にする。何も知らない労働側のストライキ参加者、何も知らない機動隊員、彼らが工作員のあおりにのせられてぶつかっていく。こぜりあいから始まって、暴力の応酬、連鎖がいたるところでおこり、拡声器の警告、アジテーション、催涙弾の破裂音、火炎瓶とエスカレート、ついには、双方の黒幕の想定を越えた、コントロールの効かない流血暴動に拡大してしまう、・・という具合か。よりリアルを求めるなら。
*「ぼくはぼけている。 授業などでも、先生の質問にはかならずまちがえて答えている。 そして、ぼくのがあってると思って、かならず、発表したいと思う。 さされなくて、他の人が正しいのをいうと、さされなくてよかったとおもう。」  困った生徒だなあ・・ 思いつきは速いけど、それがまちがってるんだね、たいてい(^^;; (自虐的に大げさに書いているところもあるとは思うんだけど、案外、ほとんど、ほんとうだったり!?)

 

 
03:59 2022/08/14 (日)


 ぼくのメガネをかけた上での視力はおちてきたのかしら。
 黒板の小さい字がよみにくい。

        (1973/05/04)


 ぼくの価値観は、感情が、強く示されていて、理知によっては、あまり示されていないのじゃないかしら。感情が、すきな物を/きめ/感じ、あとから理知でりくつをつける。

 ぼくは、ぼくの感情が、いいと思ったものに価値をみとめる。
 理知によって、生まれたすばらしい考えも、すべて感情がいいと思って、はじめて価値をみとめる。

        (1973/05/04)


 チクロイド :そううつ病

        (1973/05/04)


 やせている人は、非社交的で、太っている人が、社交的だというのはなぜか?

 太っている人はえいようを得ているから、苦労がなく、ひまがあるのか。

 やせている人は、えいようを得ていないので、食わねば、という苦労があって閑がないのか。

        (1973/05/04)


 ぼくがやせたらどのように気質がかわるかしらべて、物を書こう。

        (1973/05/04)


 ヤルキレス

        (1973/05/04)


「〜かね?」
「〜じゃないの、しらないけど。」
 → ぼくのよくつかうことば。

「〜じゃないの、よくしらないけど。」
 → こういうべきだがいわぬ。
「〜ぜったい〜じゃないよ、よくしらないけど。」
 → こういうのもよくいう!!!

        (1973/05/04)


*「ぼくのメガネをかけた上での視力はおちてきたのかしら。 黒板の小さい字がよみにくい。」  メガネをつけた当初は明瞭に見えていたのに、だんだん解像度が落ちていく。これは避けがたいみたいだ。少なくとも私の場合は。  これは初めてつけたメガネだが、1973/04/12に購入したもの。(該当記事は、当続短断長、00:11 2021/05/30 (日)に掲載している)。ひと月も経っていない。むろんメガネ自体は劣化していないので、眼のほうが負け始めている、というかんじ。(初体験している当時はよくわからなかったが、現在は、レンズの助けによって見える映像がクリアすぎて疲労し、より楽なほうへ適応しようとする、つまり、それまでよりゆるい、ぼけた像でよしとしようとする、ということなのではと素人なりに推測している)
*「チクロイド :そううつ病」  チクロイドはドイツ語 Zykloide で、英語ならサイクロイド cycloid ということになるらしく、どちらかといえば、循環気質と訳すべき語らしい。(ネット検索しても医学の論文ぐらいにしか使われていない語で、詳細は理解およばず)  ちなみに、Wikipediaによれば、〔サイクロイド(英語: cycloid)とは、円がある規則にしたがって回転するときの円上の定点が描く軌跡として得られる平面曲線の総称である。〕 こういう意味もあるとか。
*「やせている人は、非社交的で、太っている人が、社交的だというのはなぜか? ・・・ 」  エルンスト・クレッチマーのいう、体型と気質を結びつけた3類型などに影響されて(あっさり染まって)、書いているようだ。いちおう、このあと、えいようとかの、waka君なりの吟味をしてはいるが。
*「ぼくがやせたらどのように気質がかわるかしらべて、物を書こう。」  仮にやせたらどうなるか資料をしらべて、ということではなく、実際にやせて自分の気質がどのように変わるか体験できたら、ということみたいだ。  物を書くというまっとうな目的にむけて自らをうながしているようだけれど、半分は、太っているのは好ましくない、やせたい、という本音が、それが成ったときをしばし夢想しているのではと思う。  (後年、実際にやせることはできたけど、もちろん、気質の変化をくらべて何か書くなどは全く思いだすことはなかった)
*「ヤルキレス」  ヤルキデス、を、軟化した発声。  ヤルキ+less で、ヤルキナシの意。  反対ことばのまざった味が面白い、ってことかな。
*「「〜ぜったい〜じゃないよ、よくしらないけど。」」  ぜったいと断固否定してから、よくしらないけど、はないよね(^^; 不誠実というか、ほとんど、ギャグだわ。

 

 
04:08 2022/08/07 (日)


 雑草は強いから、有害物質がはいっても死なないから、雑草を好いて、いじることによってその有害物がぼくの所にもくるかも。
 あの人はほんとうに雑草のよう?

        (1973/05/04)


 もし、ていでんになれば、夜、勉強ができなくなる。電気がなくなれば、ガリベンはムリになる。あまりにいい傾向だ!!

        (1973/05/04)


 うんてん手さんたちをのせたバスをうんてんする人は、しんちょうにやるか、てきとうにやるか、ムカンケイか?

        (1973/05/04)


 お母さんの頃は、ていでんでも月明りでいろいろの事が庭でできたとよ。

        (1973/05/04)


 昔の明治の頃の秀才は、夜、ランプetcで勉強した人々か? 

        (1973/05/04)


 好きでない人に好きだといわれ、ことわりきれなくて、こっちもそういったら、交際を楽しむことはできよう。でも、その人に愛のあかしを求められたら、どうしよ。
 たとえば、もう1人男がでてきて、その人をめぐって、決闘だ、といったら、ああ、やろう、とはいきかねる。死ぬかもしれないのに好きでもない人のために。

        (1973/05/04)


 手動式
   てどう
   しゅどう
        )?

        (1973/05/04)


 相手の心をきづつけぬためにいつわっても、それは、かえって、ザンコク。そのいつわりを通しきれないだろうから

        (1973/05/04)


 「君はきれいだ。」
 「私が!?」

 「君がきれいだ。」
 「私は、きれいなんかじゃないわ。」

    >「は」と「が」の用法

        (1973/05/04)


*「雑草は強いから、有害物質がはいっても死なないから、雑草を好いて、いじることによってその有害物がぼくの所にもくるかも。 あの人はほんとうに雑草のよう?」  waka君があの人という場合、それは女性、しかもwaka君の想い人ではないかと思う。 想い人を雑草にたとえる、希有な青年。
*「うんてん手さんたちをのせたバスをうんてんする人は、しんちょうにやるか、てきとうにやるか、ムカンケイか?」  くだらない疑問のようだけど、まじめに調査したり素朴に研究したりしたら、意外と、興趣ある結果が得られるかもしれない。
〔ある技能の習熟者が、一般の顧客たちに、その技能でサービスする場合をA。  ある技能の習熟者が、その技能の習熟者たちに、その技能でサービスする場合をB。  AとBのサービスの質は、どちらが上になるか、または同じか。〕というテーマ。  サービスの質、ということになると、その客観的な評価と、サービスを受ける側の主観による評価とが、同じとはならなそうだから、さらにいりくんできそう。  その上、何かの試験、選抜とか資格取得とかが関わってくるようなら、サービスする側にかかるプレッシャーという要素も軽視できない変数となるだろう。複雑、錯綜。
*「死ぬかもしれないのに好きでもない人のために。」  それでもあえて、決闘に臨む。ダンディズムといっていいかも。  バカだと思うけど、カラッとしている最高のバカ。

 

 
01:01 2022/07/31 (日)


 昔、Aという作品はB、〜Zよりも評価されなかった。それは、今と昔の人の性質がちがうからか、今と昔に評価の仕方の進歩の差があるのか。(つまり、今の方がすすんでいる)

 つまり、評価する人がバカだったのか、

 これはわからない事だろうか?

        (1973/05/04)


 ぼく がorは 自転車にのって外にでて、よく生きてかえれるものだ。

        (1973/05/04)


 そういう君が美しい
 君はなんて美しい。

 AがB、という場合、Bが定まっていて、Aにいろいろの意味がつけくわわり、
 AはB という場合 Aが定まっていて、Bにいろいろの意味がつけくわわる。

 なぜだろう、なぜかしら。

        (1973/05/04)


 こんな真夜中にどこかで、テレビかラジオをやっている。

        (1973/05/04)


 夢からさめた男の話。

 その人、今まで、我々の世界/夢 にいたのだが、ふとしたことで現実の世界にもどった。我々は彼の夢の中の産物であるのだ。我々の自己意識などいつわりなのだ・・・・

 それとも、多くの人の精神が、一つの夢の世界にやってきているのだろうか? その多くの人は、おきているのが苦になって/外敵にほろぼされる寸前だったりして。 いろいろの夢をたのしむ事に生きがいを感じているのでは? だから、この世界で死ぬと、すぐ次の夢の世界に行くか、さもなきゃおきるかだ。

 こんな話は、とってもおもしろい!!

        (1973/05/04)


 生産 → しょうざん :生まれ、うむこと・・・・? ← こんなイミはあるのか?
    → セイサン

        (1973/05/04)


 夢/ネナガラミル というフシギな物は、ぼくに
 多くの 夢を与えてくれる。

        (1973/05/04)


*「ぼく がorは 自転車にのって外にでて、よく生きてかえれるものだ。」  自らの自転車運転技能のあやうさを自覚しているんだよね、waka君。しかし、高をくくって今日も自転車にのってしまうわけだ。
*「AがB、という場合、Bが定まっていて、Aにいろいろの意味がつけくわわり、  AはB という場合 Aが定まっていて、Bにいろいろの意味がつけくわわる。  なぜだろう、なぜかしら。」  うーむ。疑問以前に、発見したこと本体が、錯覚っぽいな。意味が付け加わるというけど、どちらの場合も、AとB両方に付け加えることができそう。  (現在は感じとれない)もっと微妙な差異に気づいているのかなあ・・ 微妙で当時のwaka君も文章化はできてないとか・・

AがBである。⇒Bが定まっている(性質が明瞭である)。定点Bに動点A(性質があいまいだったA)が近接してきて、どうやら性質が一致するようだ。
AはBである。⇒Aが定まっている(位置が明瞭である)。定点Aは近在にあるB(位置があいまいなB)の性質と一致するようだ。
 ・・ということなのかという気がしてきたが、すでに錯覚におちいってるんだろうか・・
*「こんな真夜中にどこかで、テレビかラジオをやっている。」  一帯がしんと静まりかえっていて、遠くのどこかの家のそれが、風に乗ってくるようにかすかに聞こえたんでしょう。
*「我々の世界/夢」  この話、夢をゲームと読みかえれば、近頃の人に、わりとすんなり理解してもらえそう。(むしろ、近頃の人のほうが身近に感じてもらえそう)
*「生産 → しょうざん :生まれ、うむこと・・・・? ← こんなイミはあるのか?」  辞書をひくとほんとに、しょうさん(しょうざん)とも読み、子を生むこと、生まれることの意。

 

 
02:22 2022/07/24 (日)


 Aを好きになったB
 Bが好きになったA
            >同じ

        (1973/05/04)


 君が好きだ、とAがいったのに、それをうけいれてくれないと、Aがすきだといった人、Bをうらむ事になるのだ。
 AはBを好きなのだが、Bが冷たいので、AはBを憎む。
 もっとつめよると、もっとつめたくする。さらに、にくむ。しかし、
 依然として、AはBを好き。

 カカラナーイ?

        (1973/05/04)


 善人ばかりの世の中で、そのうちの何人かが互いが善人だと理解しあうと、友情が生まれる。

        (1973/05/04)


ぼくの進路
 大学に行こうといくまいとかまわぬ。静かな、自分だけの時間が、1日にいくらかでもとれるぐらいの生活なら満足。物質的ゆたかさより、精神的ゆたかさをとる。ひまの多い方をとる。

 物質的ゆたかさがいらぬ、というのではなく、精神的ゆたかさがえられれば、物質的ゆたかさは、あってもなくてもいい。

        (1973/05/04)


 明るい色のノートより、暗い色のノートの方がかっこいい。

        (1973/05/04)


 宗旨とは?

        (1973/05/04)


 ふつうの人だったA君が、あまりにうれしいことがあって、ある日、明るい正直物に変身した。もう、きたないことには気がむかず、ムカンシンになった。それを利用して、BとCが、Aをだまそうとしていた。もちろんAはきづかぬ。ところが、その頃、Aは夢で、BとCが、自分をだますきたない光景をみた。Aの沈んでしまっているきたない物をみる心が、夢の中で、彼にケイコクしたのだ。

        (1973/05/04)


「君は、精神的ゆたかさがほしくて、物質的ゆたかさはどうでもいいというが、精神的にゆたかで、同時に物質的にまずしいよりは、物質的にゆたかな方が、どっちかというといいんじゃないか?」
「どうしてですか。私たちは、物質的ゆたかさを求めているんではないのです。結局は精神的ゆたかさを求めているんです。物質によって、それを得ようというのは、一つの手段です。
 目的を得てしまったのに、手段をどうとかいうのは無意味です。手段は目的のためにあるのみです。あなたは、まさか、物質的ゆたかさが、目的だなんて考えているんじゃないんでしょうね。」

        (1973/05/04)


 一度かるい病気になって、学校をやすむのも、いいキュウソクになるかも。

        (1973/05/04)


 将棋や文学は男だけがやるものでなく女にだってできるものなのだから、クラブに、女子がはいってこないのを、まあいいや、アキラメヨ、じゃなくて、これはいけない事だとユウリョしなければ。女子がはいらなくてあたりまえなのではなく、はいってあたりまえ。

 しかし、男子も女子もなく、みな同等の差をもっているのだとするなら、男ばかりだって、女ばかりだってムカンケイになる。つまり、男と女の差をつけないで考えれば、そこには、クラブ員が、何人、人間が何人いるということなのだから。そのうち男と女がどれほどかは、イシキスル所ではないのだ。ただ人間がいるというだけで、それ以上区別できないのだ。

        (1973/05/04)


*「Aを好きになったB  Bが好きになったA  >同じ」  同じだが(同じとも読めるが)、Bが好きになったAは、二つの意味に読める。BがAを好きになった、Bを好きになったA。
*「 ・・・ もっとつめよると、もっとつめたくする。さらに、にくむ。しかし、 依然として、AはBを好き。  カカラナーイ?」  ラストは、何が何にかからないのか、まるではっきりしない。  ワカラナーイ? の誤記じゃないのかとも思うが、憎しみがまじっていく好意というのはそれほど理解不能でもないよね。  わからない? いや、わかるでしょ。 という反語表現なのかもしれない。
*「物質的ゆたかさがいらぬ、というのではなく、精神的ゆたかさがえられれば、物質的ゆたかさは、あってもなくてもいい。」  衣食足りて礼節を知る。  貧すれば鈍する。  これらを、身をもって確かめることになって、ようやく、昔は甘っちょろいことをいっていたんだ、と理解することになる。
*「宗旨とは?」  そうし、と読んだら変換できず。しゅうし、と読むらしい。
*「ふつうの人だったA君が、あまりにうれしいことがあって、ある日、明るい正直物に変身した。 ・・・ Aの沈んでしまっているきたない物をみる心が、夢の中で、彼にケイコクしたのだ。」  妙な味の小話。  正直物は正直者か。
*「しかし、男子も女子もなく、みな同等の差をもっているのだとするなら、男ばかりだって、女ばかりだってムカンケイになる。つまり、男と女の差をつけないで考えれば、そこには、クラブ員が、何人、人間が何人いるということなのだから。そのうち男と女がどれほどかは、イシキスル所ではないのだ。ただ人間がいるというだけで、それ以上区別できないのだ。」  後段のこの精神的対策は万能すぎて、何かを変える力にならないみたいだな(笑)  いってみれば、何かをしなくてもいいという理由付けの強い後押しをしてくれそう。

 

 
00:43 2022/07/17 (日)


 けんぽうをかえるか、かえないかは、直接選挙できめればいい。

 これだけ情報社会が発達したのだから、いいかげん、代議制民主主義はやめて直接制民主主義にしよう。
 放送、通信、ゆうびんなどを、フル回転させて、直接民主主義にしよう。そうすれば、正しい政治が、おこなえる。
 それとも、代議制と直接制を並立させるか?

        (1973/05/03)


 戦死
 戦士

        (1973/05/03)


 現代文学では、言葉の音や、キャクイン、etcなどは問題にしないと、中学の頃思ってたけど、まんざらそうでもないようね。

        (1973/05/03)


 かならずしも/そうではないようだ。
       /そうでもないようだ
                   }?

        (1973/05/03)


 日本の将棋人口は4000万人ぐらいでしょう。
 このごろ若い人に将棋がはやるのは、中原名人が若い事に関係あるかも。

        (1973/05/03)


 焦点の歩。

        (1973/05/03)


 将棋の序盤の一手と終盤の一手はどちらが重いか? 中盤は?

        (1973/05/03)


 早朝、びわこから、寒月のでるようすをえがいた歌はなかったか。アリアケの月。びわこはこおっているか、とけはじめているのだ。

        (1973/05/03)




 志賀の浦や遠ざかりゆく波間より こほりて出づるありあけの月

        (1973/05/03)


 ぼくのお金をとってくれなければいい。

        (1973/05/03)


*「これだけ情報社会が発達したのだから、いいかげん、代議制民主主義はやめて直接制民主主義にしよう。 放送、通信、ゆうびんなどを、フル回転させて、直接民主主義にしよう。そうすれば、正しい政治が、おこなえる。」  少々幼いか。増税がほとんどできなくなったりするでしょうな。いわゆる、ポピュリズムの弊害。  代議制が、直接制の不完全な代替、という認識なんだろうけど、直接制の不都合をこうみょうに補っているのが代議制、という辺りがほんとうらしいと、最近は考えています。
*「それとも、代議制と直接制を並立させるか?」  直接選ばれる知事や市長のいる、地方自治は、この並立だよね。  いや、市民が直接各個の法律条例を取捨するわけではないから、ちょっとちがうか。むしろ、知事や市長も代議員の一種かもね。(行政職とはいえ議会に対する権限をいろいろもってるし)
*「日本の将棋人口は4000万人ぐらいでしょう。 このごろ若い人に将棋がはやるのは、中原名人が若い事に関係あるかも。」  中原名人の時代か。4000万人は、盛っているね。日本人男性の大部分てこと? まー、ルールを知っている程度まで含めて、2000万人ぐらいか??  混沌の中で、超新星が出現すると、将棋界は何層倍にも輝きだし、火傷しそうなぐらい沸き立つのだ。  中原、谷川、羽生、それぞれ一時代を築いて、そして今は、藤井聡太。
*「志賀の浦や遠ざかりゆく波間より こほりて出づるありあけの月」  がんばって、教科書か何かをさがして、見つけたんでしょう。  今、ネットで調べると、藤原家隆(ふじわらのいえたか)、新古今和歌集。
*「ぼくのお金をとってくれなければいい。」  これは、くれ関わりの言い回しで気になったか。  事実に基づかない例文という可能性も。

 

 
02:50 2022/07/10 (日)


 八つ → ■■コは、「ハッツ」とよむのだ。

        (1973/05/03)


 ヨ ⇔ ∋
 コ ⇔ ク

        (1973/05/03)


 NHKラジオの午後のロータリー、リクエストコーナーはおもろい。

 テレビでまじめ顔をしているアナウンサーたちの、真の姿があるよう。

        (1973/05/03)


 ぬたる

        (1973/05/03)


 花を愛する人に悪い人はいない。

        (1973/05/03)


 歌、「女のみち」がききたい。

        (1973/05/03)


 国の軍部が戦争をして、勝てば、議会は承認するでしょうけど、負けたら、将軍はみな退陣。

        (1973/05/03)


 もう泣かないわ かなしくないわー
 あたなもゆめ みた春だかーら。

        (1973/05/03)


北海道
  本州
四国
  九州
     > なぜこの2つだけ州があるのかな?

        (1973/05/03)


 毎
 毎
   }?

        (1973/05/03)


 横歩取りの定跡を忘れた。
     ↓
    しらべよう!!

        (1973/05/03)


 人からみて左側の物はいん象が強く見え、右側の物は安定してみえる。
 そこで、人と話すときは、その人の右側にたって話し、書類などをその人の左側にだすとよい。

        (1973/05/03)


*「八つ → ■■コは、「ハッツ」とよむのだ。」  上の妹。はっつ。  わかっていないわけではないはず。わざとユニークな読み方をするのが好き、みたいな。  後年、結婚後も、犬の名前とか、ユニークというより、やや異常な名付けをしている。
*「ぬたる」  という動詞、ありそうで、辞書になし。検索してもなし。  そのうちに、古語「ぬたる」の意味を問う記事がヒットしたので、ひらいたら、それは「ゐたる」の見間違いでしょうと指摘されていた。  ここもそうかな・・  あるいは、ぬたくる、ぬりたくる、などの聞き違い、読み違いの線も。
*「花を愛する人に悪い人はいない。」  これはどこかで聞いたフレーズだが、悪い人でも花を愛する、と実質的にほぼ同義かもしれない。
*「歌、「女のみち」がききたい。」  Wikipedia、〔『女のみち』(おんなのみち)は、1972年5月10日に発売されたぴんからトリオのデビューシングル。作詞は宮史郎、作曲は並木ひろし。〕  この歌がうたわれ始めて、一年後か。
*「もう泣かないわ かなしくないわー  あたなもゆめ みた春だかーら。」  演歌の歌詞の一節っぽいけど、濃厚だけど、『女のみち』にはない。この歌詞で検索したんだが、みつからない。  元歌そのままで歌っていないのかもね、waka君が。
*「北海道 本州 四国 九州   > なぜこの2つだけ州があるのかな?」  不思議だが、語呂、語感がよいからかも、などとも思ったが、wikiなどで調べるとそうとう根が深そう。
*「毎 毎  }?」  1字目の毎は、中身が点二つ。点二つなのか縦棒なのか、という疑問をいってる。  手元漢和辞典によれば、毎、海などは、新字。それぞれ母をつかうのは旧字、という関係らしい。(母を使う旧字はデジタル文字になし)  
悔梅繁敏侮、この辺りが、毎、海と同様、縦棒で新字。  苺栂塰誨、この辺りは、点二つのままで、新字化はされずだったよう。  要するに、すべて母が正式、正統なわけで、今からながめるとなぜ縦棒(新字)化したのかが疑問になってしまうな。手書きならたしかに一画はぶけるのは助かるのかもしれないけど、デジタル文字の時代となってはほぼ意味ないしな・・ (なお、毒は例外的に、元から縦棒。部首は、毋(なかれ)。→ 毋(なかれ)について手元漢和辞典では、古い字形では毋(なかれ)と母(はは)は同じ。母(はは)を禁止の意味にも使ったので、区別するために毋(なかれ)と書かれた、とある。→ つまり、縦棒=新字かといえば、かならずしもそうではない、と)(しかしネットで調べると、語源的に、毒の下部も母(はは)が正当という説も・・ 深いなあ。毎、海などの新字が生まれるよりずっと昔に、毒は、母(はは)から毋(なかれ)への変移があったってことなのかね・・)
*「人からみて左側の物はいん象が強く見え、右側の物は安定してみえる。 そこで、人と話すときは、その人の右側にたって話し、書類などをその人の左側にだすとよい。」  へ〜  どこから仕入れた豆知識なんだろうね。なんとなくホントっぽい。  裏付け、科学的根拠があるんだよね?

 

 
05:03 2022/07/03 (日)


 きのう、前のノートがなくなって、このノートを買うまでにワラバンシ1枚、新聞と、しゅうかんアサヒをよむうちに2枚、その3枚をフクセイしているうちに4枚もの。それほどのワラバンシを、このノートのかわりにかき、それを、このノートにかきなおすのに、6〜7時間もかかってしまった。今日はたのしい休日だというのに、もう午後の3時なのだ。朝からずっと机にすわって、ワラバンシからかきうつしていたのだ。

 オソロシイバカリのムダ

 ドチクショウ、せっかくの休日を。

 これから、ステーションビルの上にいって、おもうぞんぶんアソビ、地下にいって、オセンベをかってくるのだ。

        (1973/05/03)


 考えちゃうねー、このノートをかくのもいいけど、いちどなくなって、ワラバンシにかわりにかいておいてそれをこの新しいノートにかきうつすと、ベラボウな時間と、クロウと、なやみが必要なのだから。

(以上、最初のページから、ここまで、 ほとんど、複製)

        (1973/05/03)


 こんどから、ノートのなくなりだすだいぶ前に、新しいノートをかっておこう。さもなきゃ、このノートをつづけていくと、すごいムダみたい。バカみたい。

 バカでもムダでもいいじゃないのさ。

 テメ、コロスゾ。

        (1973/05/03)


 ムイミで単調のような時間を長すごすと、それとは反対な物を求めて、キバラシしようとする。

        (1973/05/03)


 電車やバスで通学している学生は、その定規のハンイ内にある、エキビルやデパート前などに無料でいけるわけだから、いきやすい。

        (1973/05/03)


 ステーションビルの屋上にきたら、ぼくみたいなボウズの少年たちがたくさんいた。
 ボウズがきたない少年、
 チョウハツが、知性派
            >なんてキモスル。

        (1973/05/03)


*「オソロシイバカリのムダ  ドチクショウ、せっかくの休日を。」  怒っている。わかるよ、たしかに時間がもったいない。自らの性癖とはいえ、その呪縛からのがれられないわけだ。一種の、依存症みたいものになっているか。
*「これから、ステーションビルの上にいって、おもうぞんぶんアソビ、地下にいって、オセンベをかってくるのだ。」  千葉駅ビルだね。屋上はゲームセンターのようになっていたはず。  とにもかくにも(フクセイをする価値がどれほどのものかはとりあえずおいておいて)やりとげた自分へのご褒美として、かな。
*「(以上、最初のページから、ここまで、 ほとんど、複製)」  21頁ある・・  ならばなぜ前もって新品ノートを買っておかないのか、と、今では思うけど、高校生の資力の余裕のなさもあれば、ノートを買える機会が意外と限られていたり、自分でも予測のつかないほどの(よみちがえるほどの)筆量と速さということもあったか。
 ちなみに、前のノート(心身記の2冊目)の最終項は次の通り。
> 今日、午後、急に雨が、それも強い雨が、降ってきた。カサを持ってきてなかったから不安。 (中略) 近視眼だから、ちょっとみただけじゃわからなかったわけだ。うまいぐあいに姉きとあって、あとは姉キのカサにはいって帰った。 (1973/05/02)
 このノート(心記の1冊目)の最初の項は(フクセイした最初の項は)次の通り。
>ぐわい  ぐあい ○  (1973/05/02)
 いずれも、当続短断長に掲載済(00:44 2022/05/08 (日)、08:16 2022/05/15 (日))。
 よって、当続短断長の08:16 2022/05/15 (日)、07:18 2022/05/22 (日)、03:22 2022/05/29 (日)、05:09 2022/06/05 (日)、04:09 2022/06/12 (日)、00:55 2022/06/19 (日)、01:00 2022/06/26 (日)と、本日本項までの掲載分が、1973年5月3日憲法記念日に6〜7時間かけてフクセイしたもの(の大きな部分)ということになります。(大きな部分:ここへの掲載を省略したものもある程度あるので)
*「バカでもムダでもいいじゃないのさ。」  多重人格(キャラ)で、やり合わせている?
*「テメ、コロスゾ。」  アブナイ人の言葉遣いはやめましょう、と今は感じるけど、当時の世相、当時のwaka君的には、アブナイほどでもないのか。
*「ムイミで単調のような時間を長すごすと、それとは反対な物を求めて、キバラシしようとする。」  長くすごすと、か。単純な脱字? 可能性は低いけど、長々すごすと、にしたかったのかも。
*「電車やバスで通学している学生は、その定規のハンイ内にある、エキビルやデパート前などに無料でいけるわけだから、いきやすい。」  (通学)定期(券)、でしょう。  定規(じょうぎ)の範囲内。修辞としてわるくはないけどね(笑)  waka君の家は、千葉駅まで徒歩でも15分、自転車なら5分という距離。なので、これはwaka君自身のことではなく、次項にあるボウズの少年たちの事情を想像して、だろうか。

 

 
01:00 2022/06/26 (日)


 活用形の種類

 活用の種類

        (1973/05/03)


 会話では、かんたんに文法的なあやまりがでて/くるだろう/きている/から、そういうのを、小話の会話しいては、地の口語文にまでだしたっていい。

        (1973/05/03)


 地の文

        (1973/05/03)


 地
  → じ
  → ぢ

        (1973/05/03)


 預る ×
 預かる○
 あず 
  づ×
      ※授かる 
       さず

        (1973/05/03)


 補 う
オギナ

        (1973/05/03)


 今みたいに善人の多い世の中じゃ、サギなんて、カンタンだもんね。

        (1973/05/03)


 善人の世の中で、お金をぬすもう、まきあげようなんていう人はいないもんね。

 ただそのようにゴカイされるようなコトが多く、互いに話しあって真相を確かめないので、サギシをつくっちゃうんだねえ。

        (1973/05/03)


 確かめる!!!!!

        (1973/05/03)


 このノートがあってこその生活なのに、これをうつしおえなくて、こればかりやっている。これがおわらなきゃ、心がやすまらぬ。

        (1973/05/03)


 どんな巨匠、精神的な巨人でも、人、二人分の力はないだろう。

        (1973/05/03)


 ゴテフリビシャとセンテフリビシャの差は?

        (1973/05/03)


 パン → パンチャコ

        (1973/05/03)


 強い人と将棋をさすと、安心する。ムボウな手を相手はやらないし、こっちはできる。こっちはまけてあたりまえ。

        (1973/05/03)


 将棋はコマを動かすと自分の戦況がワルクなることもある。

        (1973/05/03)


 このノートをフクセイするだけで半日近くかかった。

        (1973/05/03)


 十三、四の少女のうすく白いブラウスはミリョクテキ。

        (1973/05/03)


 ぼくみたいにふとったのは一日二食でいい。

        (1973/05/03)


*「会話では、かんたんに文法的なあやまりがでて/くるだろう/きている/から、そういうのを、小話の会話しいては、地の口語文にまでだしたっていい。」  たとえば、登場人物が「味あわせて」と言葉にする、とかだろうね。地の口語文にまで、はちょっとやり過ぎ感あるけど。(なお、文中の小話は小説の書き間違いか。しいては、も、ひいては、だろう)
*「預る ×  預かる○」  預る、を×にするのは、微妙か?
*「ただそのようにゴカイされるようなコトが多く、互いに話しあって真相を確かめないので、サギシをつくっちゃうんだねえ。」  何かしらの詐欺事件についての、コメントなんだろうな。当時はまだオレオレ詐欺なんか流行ってなかったと思うけど、原理はたいして変わらない、のでしょう。
*「確かめる!!!!!」  これは、何かを確かめたい、のではなく、この送り仮名の仕方を忘れるな、という!の連打と思われます。
*「このノートがあってこその生活なのに、これをうつしおえなくて、こればかりやっている。これがおわらなきゃ、心がやすまらぬ。」  しばらく後の項で言及があるが、waka君は、一生懸命、仮メモからこのノートへ転記、清書している真っ最中。(waka君はこれをフクセイと呼称する)  本来は生活があってこそのこのノートのはずなんだけど、気持ち的に(あるいはもうすでに主従が反転していて)、このノートが通常の状態であってこその平常心、いつもの生活、となっているようだ。長時間、フクセイばかりしているので(=近過去の記事ばかり書いているので)、何かを思いついたときにすぐそれをここに記録していくという通常の状態にまだ復帰できていない、心やすまらない、といっている。  (なお、本項自体も、仮メモからの清書と思われる。フクセイが完了する前に思いついた記事は、仮メモの末尾に追加していく、ということをしていると思う)
*「どんな巨匠、精神的な巨人でも、人、二人分の力はないだろう。」  このことは、その後も長い間、ときたま思いだす。そうだよね、と納得する。少なくとも私にとっては、否定できない見解。
*「パン → パンチャコ」  謎。飴ちゃん、みたいな擬人的愛称か。

 

 
00:55 2022/06/19 (日)


 人がせっかく平和にくらしているのに、みだすことない。

        (1973/05/03)


 すいみん薬をのむと、生殖作用が弱ってくる。

        (1973/05/03)


 性殖 :性質の――
 生殖 :生命の――

        (1973/05/03)


 せいしつ :

        (1973/05/03)


 このノートを書くのは、現国や倫社の勉強でもある。

        (1973/05/03)


 お父さんも、水銀がはいっているかのようにおもいネリハミガキ(その他にいいようがないの?)がつかいたくなく、シオをつかった方がよりコウカテキと思っている。

        (1973/05/03)


 極論
 曲論

        (1973/05/03)


 作家の税金は70%

        (1973/05/03)


 ヤナスナリシカ

        (1973/05/03)


 ヤスナリの死が、芸術家から雑用をとりのぞくことを。

 小説家が題材にするのは、この雑用かもね。すると、小説家はすばらしい小説を書けばかくほど、雑用をつみかさね、そのひろうで死ぬのかも。

 雑用をやりなれている人になら、かんたんかも。

        (1973/05/03)


*「すいみん薬をのむと、生殖作用が弱ってくる。」  というようなあいまいな情報、知識をメモしているだけで、waka君は睡眠薬など使用したことはないね。
*「性殖 :性質の――  生殖 :生命の――」  性殖とは漢字変換してくれない。無い語なのかも。
*「お父さんも、水銀がはいっているかのようにおもいネリハミガキ(その他にいいようがないの?)がつかいたくなく、シオをつかった方がよりコウカテキと思っている。」  お父さんも、のもとはどういうこと? waka君、あるいは他に、同類がいる?  (ごく短い期間、せいぜい数日、水だけで歯磨きしたことなどがあったかもしれない。きまぐれ程度で、すぐふつうに戻ったのではなかったか。これが本当の記憶なら、その時期は本項をかいた辺りと重なるのかも)
*「作家の税金は70%」  なんだこりゃ。超売れっ子なら、ありえないことではないかもしれない。当時は今より高率だった気がするし。  (しかしまあ、ほぼすべての作家、ライターは、貧しいと思うよ。ダブルワーク、トリプルワークで(兼業で)なんとか食っているのでは。  専業で、しかも家族まで養えているようなプロ作家って、ほんとに一握りのような気がする。それとも、私が知らないだけで、意外と稼ぎ所はあちらこちらにあったりするのかな・・ とはいえ、浮き沈みもあるだろうし、大変だろうなあ・・ )
*「ヤナスナリシカ」  謎。  次項冒頭の「ヤスナリの死が」の語順まちがいの書きまちがいという感じでも無い。つながりは濃厚なんだが。  次項を考えにいれないで素直に読んでみる。何かのセリフ、言葉の雰囲気。これを模写した独り言、つぶやき。これを記録したか。「やなす、なりしか」と区切って読むような。
*「ヤスナリの死が、芸術家から雑用をとりのぞくことを。」  川端康成は前年1972年に自殺。このような死を繰り返さないためにも、芸術家たちがわずらわしい雑用を担わなくて済むようになることを願い望む。という文意なんだろうけど。この一行目は。

 

 
04:09 2022/06/12 (日)


 ぼくは、女の子にすかれてもいいけど、不正な事をしてまでも好かれたくない。

 ・あの人、女の子に人気をもってもらいたいから、あんな事してるのよ。
 ・人気はもちたいがそんな事は口外せず。
 ・クラスの自由日誌でも、そこでは、人気がほしいといっていても、ふだんはそんな態度ではない。これによって、日誌はあそびであるような態度をみせる(ムイシキニモ)。とにかく、みな、ダセイに流れている日常の生活に安らぎを得ているのだ。だからそれをむりに変える必要はないのだ。

 要するに好いてくるのを待っていて、こっちから好くようにしむけるのはきらい。自分に好かせるために、お金をつかったり、エンギをやるのがダイッキライ。

 そんな事をしていると、人にみぬかれれば、もう生きていく気がしないし、人にみぬかれるのではと不安な心持ちで生きていくのも いやだ。

 ぼくは自分が 大好きなのだ。自分があぶなくなるようなゼイタクは求めないのだ。

 ジョコンダの徴笑なのだ。

 ぼくは個性を外に示すのみなのだ。真実のぼくを。お金やエンギのまじっていないぼくを。
    ↑
   考察

 とにかく、エンギやお金などのようにコワレヤスイモノをバイカイにボクを好いてくれる人などいらないのだ。

 真実の愛がほしい、女の子に真実の愛をうけたい。

 女の子の人気がほしいのではなく、真実の愛がほしいのだ。人気中心でなく、真実の愛中心なのだ。
 人気を求めているときは真実の愛ある、自然な人気を求めているのだ。

 ソウダ、自然にスイテモライタイノダ。

 いや、すいてもらうことが、自然であってほしいのだ。

 自然に生きたい。他からも自然にとりあつかってほしい。

 これは、ぼくのいつわった心かしら? 上の考察には何かがたりないのだ。 とにかくぼくはめんどうな事がきらい。

 めんどうな事をやりおえたときは、いいしれぬ満足感があるのでは??
   ↓↓
   考察!?

        (1973/05/02)


 ぼくの頭はこのごろあらゆる方面で、ぼけてきたし、わすれっぽくなってきた。

        (1973/05/02)


 ぼくは真実のぼくを外にだしているのではないだろう。ぼくは、ぼくと異性との間に冷たい壁をつくり、それでもそれをこえてくる女性を受け入れようとしているのだ。しかし、その冷たい壁が、「ちかよるな」といっているのに、それをこえた、ぼくを愛している女性は、「ちかよるな」という命令にそむいたのだから、ぼくはその女性をさらに冷たくあつかうのだ。それでもその女性はついてこなければいけない。ぼくはさらに冷たくあつかう。互いの心には憎しみのような愛ができるのだ。また、ぼくは、とうていぼくの所にきそうもない、つまり、ぼくの冷たい壁のことばなどに、ぜんぜん関心をもたぬ人にあこがれるのだ。
 だから、ぼくは以上のような愛人とはむずばれず、あくまでもはなれている。ついには愛のない人とむぶばれてしまうのだ。

 ぼくの冷たい壁に関心をもたぬ女性は、つまりは、ぼくと同じように冷たい壁をまわりにはっているのだ。そして、この冷たい壁をこえてくるような男を待っているのだ。だから、その壁を、ぼくが、こえようとするかもしれない。こえても、女性は、ぼくと同じようにぼくを冷たくあつかうのだ。

 ぼくが、その壁をこえ、女に冷たくあつかわてる。そこではじめて、自分が冷たくあつかっているぼくの壁をこえてきた女の子も、今のぼくと同じような心境だったのだと思うのだ。そして、その女の子と理解しあいむすばれる・・・?

 おれの壁を超えてきてほしいと思う女性を、男は真に愛しており、あの人の壁を超えてあの人を得ようと思っているあの人なる女性を、男は、真に愛しているわけでないのではないか?

 そこで、前者の女Bと、後者の女Cが、ともに壁をこえてきたとき、男は、真に好いているBを冷たくあつかい、自分が、好かれたいと思っていたCにあたたかくせっするだろう。

 つまり、男Aとすれば、

 AはCの壁を超え、Cにあたたかくあつかわれようとする。そして、壁を超えてきたBを冷たくあつかう。
 Bは、Aの壁を超え、Aにあたたかくあつかわれようとする。
 Cは、壁を超えてきたAを冷たくあつかおうしたが、あたたかくあつかう。

 そこで、AはCと仲よくなる。しかし、このときは、あくまでも、CがAを好いているのだ。AはBを好いているが、反対の行動にでている。

 つまり、自分の壁を超えてくる人が真の愛人なのだ。そして、自分が超えようとしている壁の持ち主はいつわりである、となると、みな片思いになってしまう。

 ・・・F→E→D→C→A→B→G→H・・・

 真に自分が好いている人に対して、人は自分の壁を超えてきてほしいと思う。そこで超えてきているように思う。しかし、冷たくあつかう。それは、内側にあらたな壁をつくった事ではあるが、実際は、もとのままの壁なのである。つまり、その異性が壁を超えてきていないのに、きているように思っているわけで、超えていると思っているのに冷たくあつかうのは、現実にはまだ壁があるからなのだ。となると、この壁はどうやったら、なくなるだろう?

 「あなたが好き。」
 「ぼくはあなたなんかきらいだ。」

        (1973/05/02)


 人が異性をすくのは、異性が壁をつくっていて、その中がわからぬため、かってに中を想像して、それを好くのではなかろうか。そして、人が壁をつくるのは、自分の真の姿を他に見せたくないためではなかろうか。そして、超えてきた異性に対して、また内側の壁をつくるのは、真実の姿をみせて、異性が失望するのをふせぐためなのではないだろうか?

 ワカラン!!
 ワカラン??
 アーアー、ワカラン???!!!

        (1973/05/02)


*「女の子に人気をもってもらいたいから」  ところどころ、奇妙な言いまわしがまじっているな。  てにをはが変? 人気を好意と言いかえれば、すっきり通る?
*「自分に好かせるために、お金をつかったり、エンギをやるのがダイッキライ。」  演技でしょう。縁起ではなく。
*「ジョコンダの徴笑なのだ。」  書くなら、ジョコンダの微笑。  内心はそのようなつもりで、外面はモナ・リザのようなあいまいな笑みを浮かべている、と?  (それとももっと奥のある意味をこめているのかな。例えば、深い受動は引力という能動になりえる、とか)
*「女の子の人気がほしいのではなく、真実の愛がほしいのだ。人気中心でなく、真実の愛中心なのだ。」  真実の愛って、幻想っぽいな。これを書きながらwaka君も感づいているふう。
*「ぼくの頭はこのごろあらゆる方面で、ぼけてきたし、わすれっぽくなってきた。」  早くも劣化、老化が始まったのか、脳細胞!? 十六才で? いや、冗談でなくありえるかも。  老化というより、つめこみすぎて容量超過気味で、あちこちでねじがゆるんだりとんだり、という事態はあってもおかしくないかも。  この5月2日の記載も、一日でこんなに書いて、ちょっと変なんじゃないかとまで今は感じるよ。
*「ぼくは真実のぼくを外にだしているのではないだろう。ぼくは、ぼくと異性との間に冷たい壁をつくり、それでもそれをこえてくる女性を受け入れようとしているのだ。 ・・・ 」  んー、自意識の壁が厚いというか、臆病というか。こわがりなのかなあ。こちらが扉を開かなければ、ふつうは、あちらも開いてはくれないさ。  そこらへんのかねあい、こつというか、間合い、みつもりみたいもの、こういうのはやはり経験値積むしかないのかなあ・・
*「 ・・・  ぼくの冷たい壁に関心をもたぬ女性は、つまりは、ぼくと同じように冷たい壁をまわりにはっているのだ。そして、この冷たい壁をこえてくるような男を待っているのだ。だから、その壁を、ぼくが、こえようとするかもしれない。こえても、女性は、ぼくと同じようにぼくを冷たくあつかうのだ。」  うんうん。同じような思考経路をしている。さすが同一人物、何十年もはなれていても(^^;
*「つまり、男Aとすれば、 ・・・ 」  以下、記号を用いて、男女ABCの関係を吟味。何かよく分からない理屈に入り込んでいるが、当時のwaka君も分からなくなりかけている感触。  そのまま空中分解かと思いきや・・
*「 ・・・ つまり、自分の壁を超えてくる人が真の愛人なのだ。そして、自分が超えようとしている壁の持ち主はいつわりである、となると、みな片思いになってしまう。」  要約して言い直せば、自分を好いてくれる人が真の愛人であり、自分が好こうとしている人は偽りの愛人である。想いの矢印は一方通行であり、その想いの矢印の先には偽りがある。矢印の先の側から矢印の根元を眺めることがあれば真が見える、ということもあるかもしれない。  ・・これはもしかしたら、そうとうに、的を射ている。waka君。今、吟味しても。

 

 
05:09 2022/06/05 (日)


 モウハツ
      体毛?
      かみの毛?

        (1973/05/02)


 みまい金  → 見無 → なぜこの漢字からこんな意味が?
 けんぶ金

        (1973/05/02)


 右向け右といったり、して、体育の授業をうけてきたが、あれは、一つの連体感をつけたかしら?

        (1973/05/02)


 諫死とは?
 かんし

        (1973/05/02)


 追善

        (1973/05/02)


 草いきれ
 人いきれ

        (1973/05/02)


 行きわかれ
 生きわかれ
       >?

        (1973/05/02)


 文章を書いていって、いきづまり、自分にもわけのわからぬ文をかいて、その場をとりつくろい、人からきかれたら、なんだわからないのか、などという人。

        (1973/05/02)


 いいたいことが、あとからあとから、胸にあふて、筆がおいつかないで、書きおとしたり、わけがわからなくなってしまう文。ちゃんと書こうと思って筆に集中すると考えていた事を忘れ、考えに集中すると、ますます筆がおくれて、書こうと思うと、前の考えを忘れ、それを思いだして、つづけると、今考えた事を忘れる。

        (1973/05/02)


 い → い → して

        (1973/05/02)


 テレビ工場の部長。自分の宅(うち)にテレビを置いていない。
(i) テレビが、じつによくみえないので。
(ii) テレビが、じつによくみえないので、それを他人にしられると、テレビ工場の人のテレビでさえああなのだから、他の人が、どうやってもテレビなんかうまくみえない。
  (ii-i) だから、よくみえなくても不平をいわず、あきらめる。
  (ii-ii) だから、テレビを買うのをやめよう。 などといわれちゃこまるから。
(iii) テレビがいつも進歩しているのを知っているので、今の時代のテレビを買う気がしない。

        (1973/05/02)


 斬新

        (1973/05/02)


 もう、「ざんす」という語は、ていねいな言い方というより、みにくい言い方のような気がする。

        (1973/05/02)


 日本の世帯の75%にカラーテレビ??

        (1973/05/02)


 老朽淘汰?

        (1973/05/02)


 ユーザーとは?

        (1973/05/02)


 故里
    コリ
    フルサト

        (1973/05/02)


 黒い/キリ
   /ユキ

        (1973/05/02)


 名をアゲル
       高くする
       与える
            >上げる ← 同じ漢字

 ※ 与える、と上げるはどっちがていねえな感じ?

        (1973/05/02)


 昔の百円のノートと今の百円のノートの差よ!

 「百円のノート」は、1つの個有名詞であったのに物価高はそれをこわした。

        (1973/05/02)


 巻
 券

 港
 湾

    >すぐまちがえる!!

        (1973/05/02)


 有
   ノ ナ 有 ○
   一 ナ 有 ×

        (1973/05/02)


*「みまい金  → 見無 → なぜこの漢字からこんな意味が?  けんぶ金」  見舞金という活字をみながら書いているらしい。けんぶというむりやりな音読みを付け足しているし。よって、見無は、単純な転記違いでしょう。(無をぶと読まないこともないが、見無をむりやり音読みにするなら、けんむと書くと思う)  それでも、書いてしまった見無をみて「この漢字から」と疑問を余計に増大させているかも。  見舞は、見廻る(巡回する)という意味合いが先にあった、らしい。ざっと調べたところ。
*「右向け右といったり、して、体育の授業をうけてきたが、あれは、一つの連体感をつけたかしら?」  連帯感でしょう。一体感がまじった?
*「いいたいことが、あとからあとから、胸にあふて、筆がおいつかないで、書きおとしたり、わけがわからなくなってしまう文。ちゃんと書こうと思って筆に集中すると考えていた事を忘れ、考えに集中すると、ますます筆がおくれて、書こうと思うと、前の考えを忘れ、それを思いだして、つづけると、今考えた事を忘れる。」  胸にあふれて。  笑。雰囲気でてるね。内容と呼応した。
*「い → い → して」  手書きで、いがちょっと崩れて、してのようになってしまう(よめてしまう)様子。
*「テレビ工場の部長。 ・・・ 」  じつによくみえない、というのがすっきりこないな。実はよくみえない、というつもりだったか。全然よくみえない、というストレートな意か。
*「もう、「ざんす」という語は、ていねいな言い方というより、みにくい言い方のような気がする。」  うーん。おそ松くんのイヤミが登場する前と後で、この語の受け取られ方が変わってしまったような気がするけど、私個人の想像、気分にすぎないのか?  前後でほんとうに人々の使い方が変わったのかどうかを誰も確かめていないだろうし、確かめようがあるのかという気もするし。おそ松くんのイヤミ氏の影響力って、日本中に行き渡るほどだったのか、というあたりも、もしそうならすごいけど、たかがマンガだったはず、とも思う。  なやましい。
*「老朽淘汰?」  waka君の造語ではなく、ある語(あった語)らしい。  人にたいして使うとあからさますぎるため、耳にしなくなった、のかも。
*「黒い/キリ /ユキ」  黒い霧があるなら黒い雪も、ということか。
*「名をアゲル  高くする 与える  >上げる ← 同じ漢字」  名を上げるは、高くする意だろうけど、与えるという意味にとれないこともないうえに、漢字にしても区別がつかない辺り、おもしろい、か。
*「昔の百円のノートと今の百円のノートの差よ!  「百円のノート」は、1つの個有名詞であったのに物価高はそれをこわした。」  一般的には、固有名詞。  誤字なのか、造語なのか。「百円のノート」という固有名詞があったのか(なかった気がするが)、固有名詞並みの使われ方をしていたのか、waka君個人だけの捉え方なのか、あたりも関係してきそうで、確言できないなあ・・  → なお、やや意地悪な言い方になるが、厚い薄いはあっても、昔も今も百円のノートはあるわけだから、「百円のノート」という個有(固有?)名詞はこわれていないのでは!?  → つまりこわれたのは、昔の「百円のノート」という呼び名が持っていた質感、実質、または信頼性(たよりがい)ということかな。

 

 
03:22 2022/05/29 (日)


 たとえ、芝居でも、恋人同志になったり、結婚したりするのは、芝居以上に意味を持ってしまうだろう。

 好きな女とは芝居の中で結婚しろ。芝居の中での結婚の方が、外での結婚より、真実だと思え。だから芝居で好きな女と結婚したら、他の男をだしぬいた勝利をかみしめろ、たとえ、その女が、外で他人と結婚していても。芸人にとっちゃ、芝居の中こそ真実なんだ。芝居の外では、ただかりそめの生活をするだけなんだ。

 ウソ。

        (1973/05/02)


 できのわるい子ほどかわいい ← ?

        (1973/05/02)


 耳目の好むところをつくし
           悉し
            ? 
            ↓ 
 ボクはわかっていてもこの印をつけることがある。コレヲワカラナカッタコトガアッタ、といういみ。今、わかっているかどうかはいっていない。
 しかし、ここでは、ほんとにわからぬ。

        (1973/05/02)


 シカやウマが、日本人に自分たちの権利を主張した時、バカというコトバをなくせと彼らはいうでしょう。バカというイミをかえろ、というでしょう。

        (1973/05/02)


 日本は中国の影響を受けているんだという中国びいき。
 → 日本の師は中国なのだ。日本が、ひどい国でもすばらしい国でも、つねに中国はよりすばらしく、よりひどくない。
   同じのを含むか? 含むとすれば矛盾。含まぬなら、すこしマトモ。

 日本は中国の影響などうけていない、うけていたら、こんなひどくならない、という中国びいき。
 → こんなのは中国の弟子でなはない。中国の伝統をひきついだものではない。日本にはそんな権利すらない。

        (1973/05/02)


 僅か →?

        (1973/05/02)


 Aは、Bよりすばらしい。
 Aは、よりすばらしい。
     こんな副詞(連用詞)的用法はあるか?
     ぼくは、よくつかうのだ。
     ※「よりよい」とよくいうではないか、だれもが。

        (1973/05/02)


 CIOとは?
   コエロではない、CIOなのだ。

        (1973/05/02)


 スラックスとは?

        (1973/05/02)


 向こう一年

        (1973/05/02)


 「としご」とは?

        (1973/05/02)


 ゼネラル → ゼネスト?

        (1973/05/02)


 若気のいたり
 わかげ

        (1973/05/02)


 ケレンとは?

        (1973/05/02)


 アフガニスタンはどこにある。

        (1973/05/02)


 宮田雅之の切り絵もいい。
 赤ヒゲの切り絵をやっているのもいい。

        (1973/05/02)


 〜は  〜も  >

 〜もは 〜はも >?

        (1973/05/02)


*「悉し」  悉皆(しっかい)や知悉(ちしつ)という熟語で使うか。つくすは、悉す、または、悉くす、と送り仮名を振るらしい。悉く(ことごとく)とも読む。
*「シカやウマが、日本人に自分たちの権利を主張した時、バカというコトバをなくせと彼らはいうでしょう。バカというイミをかえろ、というでしょう。」  なに馬鹿なこと言ってんだろうね(笑)
*「CIOとは?」  〔シー‐アイ‐オー【CIO】 《名》 (英 Congress of Industrial Organizations の略) 「産業別組織会議」の略称。 精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006〕 と辞書にはあるが、このこといってるの? アメリカの労働組合らしいが、としたらそんな語句、どこから仕入れた?  もっと別の、ローカルな名称の何かかもね。  wikiをみると、最高情報責任者(さいこうじょうほうせきにんしゃ、アメリカ英語: chief information officer)の略称でもあるらしいが、半世紀前にこんな語あったかい。あったとしても、waka君との接点があったか、上よりもさらに疑わしい。  (手書きなので、ちょっと見、コエロと読めなくもない)
*「ゼネラル → ゼネスト?」  ゼネラルストライキ=ゼネスト、らしいな。
*「ケレンとは?」  けれん(外連)とは、奇抜さをねらった演出。みごとにはじければ、しゃれていてとても楽しい。でも、ちょっとそれただけで、はったりやごまかしが露わになり底が割れてしまう。どちらにころんでも、いわば、芸道のあやしき華か。
*「宮田雅之の切り絵もいい。 赤ヒゲの切り絵をやっているのもいい。」  Wikipediaによれば、〔『赤ひげ』(あかひげ)は、1972年10月13日から1973年9月28日まで、毎週金曜20:00 - 21:00にNHK総合テレビジョンで放送されたテレビ時代劇ドラマ。〕〔ドラマの冒頭で流れるタイトルやキャスト、スタッフ紹介の文字の背景には、滝平二郎の切り絵が使われていた。〕とあるので、「赤ヒゲの切り絵をやっているの」は、滝平二郎(たきだいら じろう)。  ちなみに、宮田雅之氏は1926年生。滝平二郎氏は1921年生。  また、この日、1973/05/02は金曜日。
*「〜もは 〜はも >?」  〜もは、は、君もはないだろう、と使われることはあるな。〜はも、は、思いつかない。無理につくっても不自然な感じ。

 

 
07:18 2022/05/22 (日)


 方 < ほう かた

        (1973/05/02)


 ツ シ
 ソ ン

        (1973/05/02)


 中途半端な姿勢で箱詰めにする拷問。

        (1973/05/02)


 逆子 サカゴ とは? 

        (1973/05/02)


 演劇部員に劇の案内のパンフレットを。そして、望むなら、入場券を。

・「友よ」だとよ。
・もし、これが詐欺であって入場券が無効になったら。
・ぼくが、お金をまきあげようとしているのだと思われたら。
 指定席かい、と聞かれたら?
 それなら、つづいた席を、といわれたら?
→ ・指定席でない。
・劇がおもしろくなかったらといわれたら。
・劇がみたいのではなく、ぼくとの友だちづきあい、のみから、入場券を買ったら。
・当日発売もするなら、ぼくが、入場券のうけわたしもする必要がない。

 ヤリタクナイナー

 こんなオカネに関したり、たのまれたりしたことで悩むと、自殺したいぐらいだ。
 丸■さんだって、だれかからたのまれたのだ。

 ぼくはこういう雑用をやるタイプでない。

 今までスムーズにいった友だち関係がこういうものにふれることによって変形。互いの心の中の思わぬ物が外にでてしまうかも。

 こういう修行と経験が必要なのかもしれないが、きれいなままで終わるはずだった関係を、むりにきたなくする必要もないじゃないか。

 ⇒ 母にこういう、「お母さんが丸■さんにたのまれ、請け合ってしまったから、今回はやるが、これだけだ。これからは、だれかから、こんな事をたのまれてもうけあうな。」と。

        (1973/05/02)


 Aが、いう 〜 と。
 Aが、こういう 〜 と。
 Aが、こういう 〜。
             }どれが正しい?

        (1973/05/02)


 経験 < ケイケン キョウケン

        (1973/05/02)


 請け合う
 受け合う

        (1973/05/02)


 ■■子は責任を転化するのが好き。

        (1973/05/02)


 ■■子は 夕日 を TAHI とよむそうな。

 タta ← 多
 夕yuu ← ?

        (1973/05/02)


 写真はただの絵と思っているぼくだから、人の写真も、縦横無尽にあつかうが、そうされるのをいやがる人もいるでしょう。

 なんの斟酌もあたえずに

 これに似た語で、もっと文にぴったりした二字?

 類語辞典がほしい。

 熟語辞典というふうにまちがえていた。

 類語という意味はわかっていたが言葉にだしたとき「ジュク」のような音のある語かと思っていた。 同義語辞典?!

 漱石先生の作品の中に、熟語辞典をどうとかして というのがあったはず。

        (1973/05/02)


 無人 < ぶじん むじん

        (1973/05/02)


 わかっているのだが、あまりに微妙なニュアンスなので、書き表わせぬこともある。書いても、それによって、新たな意味をぼくに納得させてしまうことも多く真の描写とは、むずかしい。

        (1973/05/02)


 盗聴装置を以前にとりつけた電話
 以前に盗聴装置をとりつけた電話
                 >どっち?

        (1973/05/02)


 つかまる → 自動詞のみでなく、他動詞にも使われないか?

 捕る ○
 捕まる × ←コレノヨウナキモスル
 捕かまる ×

 ※捕える:とらえる。

        (1973/05/02)


 〜は、どこの ―
 〜ほど、この ―

 〜は、どの ―
 〜ほどの ―

         >まちがえる

        (1973/05/02)


*「方 < ほう かた」  他の漢字と組んだ熟語の場合(方法、南方など)、たいてい音で、ホウ(ポウ)と読むわけだが、方一字だけの場合(あちらの方、する方がいい、方がつく、つくり方など)、ホウと読んだり、訓でかたと読んだり、まちまち。  方一字だけの場合、当時はいずれも方で、読みは読者にお任せ、という書き癖だったはず。  方一字だけの場合、現在は、それではあいまいだと感じたり、どちらにも読まれてしまうのが残念だったりするため、ホウはほうとひらがな、かたは方と漢字で、という書き癖になっている。(あちらのほう、するほうがいい、方がつく、つくり方)  (という私の書き癖だが、世間一般においても漢字一字の場合、訓で読むというのが優勢のはず。これに沿っているつもりではある)
*「中途半端な姿勢で箱詰めにする拷問。」  たしかに拷問だろうが、ま、想像のこと。  最初、「中途半端な姿勢で箱詰めする拷問。」と読んで、そういう作業をやらされたんだ、と誤解したよ。
*「演劇部員に劇の案内のパンフレットを。そして、望むなら、入場券を。 ・・・ 」  いろいろわからず、不安がってますが・・  そもそもなんで、入場券を売ったりすることに? 演劇部員ではないはずだけども、断われない友人にたのまれたりしたのか? そもそも、高校生の学内演劇が有料というのは変では? 外部の劇団の公演? さん付けなので、丸■嬢関わり?  と、謎だらけだったが、終わり近くなって、判明!  つまりこれは、友人関係ではなく、母からの要望だったのか!  となると、丸■さんというのは、職場に出入りしている業者の丸■さんだ。(私が幼児の頃、遊びに行ったことあってジュースを飲ませてもらったり。丸■さんの別荘へ、こちらの家族がおじゃまして海水浴したりもあった、そういうつきあい)  すこし前にある、「世の中はもちつもたれつ。たのまれたら、あなたのたのみなら、と、こころよくひきうける。」などの母の言も、自分から(入場券売りを)頼んでおいて、息子を説教するみたいな口ぶりで諭しているわけだ。まいったな・・ あの母親には、こういう面の皮の厚さがあったのかい。息子をやってるのもたいへんだったみたいだ(^^;  しかしまあ、そういうことなら、丸投げということではなく、母親は自分でも自分の知り合いに勧誘するはずで、息子が何枚かでもさばいてくれればもうけもの、程度の期待だったのかもしれないね。  うん。そういうことなら、よしか。  「まあ、なるべく学校で声かけてみるよ」ぐらいで、安請け合いして、あさめかるめにそうしておいて、「声はかけたんだけど、売れなかった」と事後報告で、済むよね。もうすこし、ようりょうのいい、世間知のある、息子だったなら。  つまり最初、母親からこの話をきいた息子waka君がしぶったら、「ちっちい」と言われたわけだ。そういうことか・・ それで押し切られて、いちおう請け合ったけど、いやだなあ、と不満をここに書き連ねている、か。  冒頭の「演劇部員に劇の案内のパンフレットを。そして、望むなら、入場券を。」というのも、waka君の高校の演劇部員に頼まれているんではなく、演劇部員に丸■さん経由の劇『友よ』の案内を渡してほしい、というミッションなんだ。演劇部員なら他の劇団の公演にも興味あるかも、という線で。  演劇部などにまるで関わりの無いwaka君が、そこにアプローチするなんて、これはたしかに面倒だわ。
*「■■子は責任を転化するのが好き。」  上の妹二題。  責任を転嫁、が正しいとATOKに叱られました・・
*「■■子は 夕日 を TAHI とよむそうな。  タta ← 多  夕yuu ← ?」  多をタと読むわけだから、この辺りを解明しないと、妹を笑ってばかりもいられないわけだ。  あらためて、素直になって眺めると、たしかに、カタカナのタと漢字の夕は似すぎている。(同一といってもいいぐらいだろう)  → 漢和辞典などしらべると、夕(音はセキ、訓がゆう)がまずあり、夕(ゆう)を重ねて日数が多いことを表わす多の文字ができた。多の半分をとりだして、タのカタカナができた。というつながりらしい。これでは、似ていて当然でした。
*「これに似た語で、もっと文にぴったりした二字?」  粗略に扱う? ぞんざい? 軽侮しているわけじゃないのでややちがうか。案外、縦横無尽があってるのかもね。  今なら、〔写真はただの絵と思っているぼくだから、人の写真も、無生物のようにあつかうが、そうされるのをいやがる人もいるでしょう。〕と書くかな。
*「漱石先生の作品の中に、熟語辞典をどうとかして というのがあったはず。」  青空文庫で、ダメ元で検索したら、発見した! (おそるべし、検索・・ )
>文学者と云うのは原稿紙を前に置いて、熟語字典を参考して、首をひねっているような閑人じゃありません。
     (『野分』 夏目漱石)
*「つかまる → 自動詞のみでなく、他動詞にも使われないか?」  他動詞はつかまえる。〜を〜する、という用法ができるのが他動詞。   〜をつかまえる。:OK。   〜をつかまる。:文法的にはおかしいかもしれないけど、使ってしまいそう。
*「捕る ○  捕まる × ←コレノヨウナキモスル  捕かまる ×」  ATOKが変換するのは、捕まる、のみ。
*「 〜は、どこの ― 〜ほど、この ―   〜は、どの ― 〜ほどの ―   >まちがえる」  それぞれ、見間違え読みまちがえ、しやすい、って気づきだね。(実際に読みまちがえたのかも)

 

 
08:16 2022/05/15 (日)


 ぐわい
 ぐあい ○

        (1973/05/02)


 味わう

      味わわない ○ :ぼくには妙にきこえる
      味あわない × :ぼくには自然にきこえる

        (1973/05/02)


 ぼくは、道などで前から女の人が歩いてくるとちょっと見て、目が会うと顔を横に向け、そちらの景色をちょっと見て、またもとにもどす。べつにぼくの横顔を見せたいからじゃない。

        (1973/05/02)


 ハンケチ
 ハンカチ

        (1973/05/02)


 ハンカチもハナガミも持たずに外出すると不安。

 こんなこと雨の公園で書いているぼくもチジョク。

        (1973/05/02)


 A、「君、ぼくの家へ来ないか。雨の中に立っていてもしょうがないし、ごちそうするよ。」 >2つの理由
 B、「このレインコートの下はふだん着、恥ずかかしいぐらいのやつなんだ。ちょっとぼくの家によってからいこう。きがえるよ。」
 Aは、Bを自分の家にひき入れて、カンキンするつもりだったが、Bは、その前に、AともどもBの自宅により、キガエルといつわって、たてこもり、いくらまっても、もうAの前に姿をみせなかった。

        (1973/05/02)


 つれさる の語形変化は?

 つれさるの連用形? 

 つれさろう
      ってのはある?

        (1973/05/02)


 語形 ○
 語型 ×

        (1973/05/02)


 ステーションビル
 ショッピングセンター
 セントラルプラザ

        (1973/05/02)


 ギリシア
 ギリシャ

        (1973/05/02)


 ギは、口の右側ではなく、まん中で発音するのが、いままでもふつうだったような。

        (1973/05/02)


 ギリシアの英雄の事を書いた物語
 プルターク英雄伝。

        (1973/05/02)


 世の中はもちつもたれつ。たのまれたら、あなたのたのみなら、と、こころよくひきうける。(母)

        (1973/05/02)


 ぼくはゴハンをたべるときよくごはんつぶを落とすのだ。

 もうなおらないのかね。

        (1973/05/02)


 おまえはちっちいしている。寄付を集める時も、「すいませんね」なんていって集めるのではなく、あなたのためにあつめているんだという態度で集めねばならぬ。「すいませんね」なんていっていると、金をだす方でも自分が集める人に金を貸しているように思う。金をだす方は集める人に、「ごくろうさま」ぐらいはいうべきなのだ。   母より。

 ぼくは会計とかそういうのがまるできらいなのだ。

 中学の頃、1900円を得るために会計に通ったのはチジョクだった。

 ただ、待っていればよかったけど、それだと忘れられてお金がもらえないかも、と思ったり、それでもよかったが、それじゃあ今後もぼくがそんな弱気になりかねないと思って、積極的に返してもらいに(もらうべき金をもらいに)会計の所へ行ったのだ。

 金の貸借もきらい。人に金を貸したときは、小額なら、もどってこないものと思い定めて、記録しない。この方が気が楽。
 多くの人の金を預かるのもきらい。

 責任大。なくしたので、自分の金で補うというわけにもいかぬ。

 クラスにだして、話し会わねばならぬ。自分の金でおぎなうと、それが知れた時も気まずいし、自分にも悪い。が、クラスにだしても、何かぼくが金でつぐなうのをしぶっているように他にみえてチジョク。そして、クラスの人々は、ぼくをあわれんで、(必要がないのに)クラスでその損害を負担しよう、という。これがいや。

 たとえ、ぼくがほんとうに金をしぶっているときでも、あわれまれて、みんなでだしてくれるようなのはキライ。しかも、この場合、ぼくはだししぶってもいないのだから、あわれむ理由はない。君がだせといわれれば快くだすのに。

        (1973/05/02)


*「べつにぼくの横顔を見せたいからじゃない。」  笑。
*「Aは、Bを自分の家にひき入れて、カンキンするつもりだったが、Bは、その前に、AともどもBの自宅により、キガエルといつわって、たてこもり、いくらまっても、もうAの前に姿をみせなかった。」  物語の一場面(という設定)なんだろうけど、いろいろつっこみたくなるわな。  とはいえ、息つく暇ない異常意外な展開、気がついたらオチている、このぐらいの小話でさらっと読むと、楽しい。  なお、「レインコートの下はふだん着、恥ずかかしいぐらいのやつ」というのは、前項の雨の公園で、自身がそういうことだったんだろう。
*「語形 ○  語型 ×」  ×ってこともないかんじだが・・
*「ステーションビル ショッピングセンター セントラルプラザ」  三箇所とも、(当時の)千葉市街の人多い場所の名前。  ステーションビルは国鉄千葉駅の駅ビルのこと。  国鉄千葉駅から京成千葉駅辺りまで、高架下通路が商店街になっており、これがショッピングセンター。  千葉銀座通りの百貨店がセントラルプラザ。  ・・だったと思う。(現状詳細は知らず)
*「プルターク英雄伝。」  古代ギリシャ、ローマの英雄たちの伝記。プルタークは著者名。
*「ぼくはゴハンをたべるときよくごはんつぶを落とすのだ。  もうなおらないのかね。」  へえ、そんなことが。  今はまったく。
*「おまえはちっちいしている。寄付を集める時も、「すいませんね」なんていって集めるのではなく、あなたのためにあつめているんだという態度で集めねばならぬ。「すいませんね」なんていっていると、金をだす方でも自分が集める人に金を貸しているように思う。金をだす方は集める人に、「ごくろうさま」ぐらいはいうべきなのだ。   母より。」  ということを息子に言ってるわけだが、息子の言動に忠告している面もあるが、自分の最近どこかでしたそういう活動を自己擁護、補強しているようなかんじもあるな。  ではあるが、言っていることは至極まっとうに聞こえる。
*「中学の頃、1900円を得るために会計に通ったのはチジョクだった。」  当時の手帳をみると、  「1971.10.1 今日の帰りのホーム・ルームで、私が長く悩みのたねにしていた会計のほうこく ―― 運動会のカンバンをつくったお金で、つかったのは2770円、生徒会からは1900円しかだしてくれないので、870円の赤字。私が責任者であることから、罪(ツミ)の意識があった。―― それが、ホームルームで先生の良いリードもあって、赤字は3年C組、2年C組、1年C組が公平にわけあって、おぎなうことになった。 ・・・ 」  などとある。(運動会では、三学年のC組で一つのチーム)  しかし、1972.1.14の記述には、  「 ・・・ 本題から、ずれるだろうけど、ちょっと話してやる。この手帳の1971.10.1の所に、生徒会から、うんどう会のカンバン(ハリコ)作りに1900円出ることになっている事を書いてあるが、3ヶ月以上すぎた今になっても、まだ返してくれないのだ。かかったお金は、みんなから、よせあつめたのだが、今では、ぼくがみんなたてかえている。はやく、かえってこい、といのるのだが、金はいっこうにやってこないんだ。」  とある(笑)。これが本文の、「ただ、待っていればよかったけど、」以下のことだろうね。
*「そして、クラスの人々は、ぼくをあわれんで、(必要がないのに)クラスでその損害を負担しよう、という。これがいや。」  経験したような書きぶりだけど、あくまでも、たらればの想定のはず。心配症。・・と当初は思ったけど、上の手帳の記述をみつけて、実際に経験した感情だとわかった。  一年半経っているが、もうこりごりという気分みたいだ。まだね。

 

 
00:44 2022/05/08 (日)


 こんどの閑人帳は、KOKUYO SPIPAL NOTE BOOK にしよう!!!

        (1973/05/02)


 黒板の小さい字は、このメガネをもってすら、みえぬ、

        (1973/05/02)


 だれかが、ガラスをどこかでわったら、UAとUBのせいとがたくさん、音の下の方へ見物にいったのだ。

        (1973/05/02)


 へ(e)と に の用法の差は?
 を と に は?

        (1973/05/02)


 雨がふっている時は、天上では水不足。
            (フナ■■サンの発想)

        (1973/05/02)


 〜と思ってはみるものの
 〜と思ってはみているものの
         この用法ある? 

        (1973/05/02)


 UAカ■■さんは知性美です。
 読書がスキダトヨ

 ムラ■さんにはあまり似てませんでした。

        (1973/05/02)


 たのしい
 ただしい

        (1973/05/02)


 生きて 行こう
  > 同じ活用形になることある?

        (1973/05/02)


 押し勝った
 惜しかった

        (1973/05/02)


 どんなに相手が悪くても、相手を殺してしまったら、殺した人が、わるいだろう。

        (1973/05/02)


 今日、午後、急に雨が、それも強い雨が、降ってきた。カサを持ってきてなかったから不安。午後、内■先輩と渡■君が将棋をやってそれをみていた。負けた渡■君と将棋の話をしながら帰る。彼にカサに入れてもらった。マンガの本を見にいきと中で彼にわかれた。あとは家まで、水びたしになって帰るつもりで、いそいだ。ゲートの下などをくぐったが、ついには、なんもない所で水びたしになって歩いた。横にあるたてものの中から、黒い服をきた女の人らしいのがでてくる。ちょっとみて、すぐ前をみる。(これは、ぼくが、ふつうの女性に対するくせ。)そして、とおりすぎようとすると、ワカちゃん、という。ふりむいてみて、互いに近づいて、それが、姉きだとわかった。近視眼だから、ちょっとみただけじゃわからなかったわけだ。うまいぐあいに姉きとあって、あとは姉キのカサにはいって帰った。

        (1973/05/02)


*「こんどの閑人帳は、KOKUYO SPIPAL NOTE BOOK にしよう!!!」  スペルまちがい、SPIRAL。  閑人帳は、通常ノートの一冊目の途中までしか書かれていない。その状態で、保存されていたが、後年、私自身の手で、シュレッダー廃棄。  よって、ここにあるような、二冊目(SPIRALノート仕様)は、けっきょく実現しなかったはず。
*「だれかが、ガラスをどこかでわったら、UAとUBのせいとがたくさん、音の下の方へ見物にいったのだ。」  音のした下の方へ、か。
*「雨がふっている時は、天上では水不足。 (フナ■■サンの発想)」  フナ■■サンてだれだっけ? 呼び捨てでないので、クラスの女子っぽい。
*「UAカ■■さんは知性美です。 読書がスキダトヨ  ムラ■さんにはあまり似てませんでした。」  カ■■嬢は、小柄で、やや色黒の、整った顔立ちの少女、だったはず。  ムラ■嬢は、中学の時の同級女子。高校は別。  新学期はじまった頃(新しいクラスUAになった当初)、「UAのムラ■に似たような人は、カ■■さんというのだそうだ」という記述あり、それをふまえている。似ていたのは、やや色黒のところかな。 → 該当記述は下に掲載。
*「生きて 行こう  > 同じ活用形になることある?」  古語の生く、となら、行く、と活用が重なることはあるか。  和歌では、行くと生くが、かけことばとなることもあるとか。
*「押し勝った 惜しかった」  アクセントはちがうでしょう。
*「どんなに相手が悪くても、相手を殺してしまったら、殺した人が、わるいだろう。」  法律的には、正当防衛という例外はあるようだけど。(警察官による、犯人射殺。軍人による、戦闘時の殺害。これらもおおむね罪に問われないか)
*「内■先輩と渡■君が将棋をやってそれをみていた。」  渡■君は将棋同好会の会員。同学年。あだ名は会長さん。(一年のときクラスの会長だったので。将棋同好会の現会長はwaka君なんだが、会で将棋を指しているときもふつうに、渡■君をあだ名で会長さんと呼んでいた。事情を知っている他の会員でさえ、まぎらわしいと思ってたかもね)
*「近視眼だから、ちょっとみただけじゃわからなかったわけだ。」  メガネをかけていても、かな? 強めの雨だし。  あるいは、まだメガネを買ってひと月ほどで、授業のとき以外は外していたのもしれない。 濡れるの覚悟の雨だから外していた、ということもあるか。



 UAのムラ■に似たような人は、カ■■さんというのだそうだ。
 カ■■さんは感心なんです。ぼくがロウカをあるいていて、だれかが、へんな物をおとし(ビンのフタみたいなつまらないもの)ぼくは「おとしましたよ。」っていって、なおかつ、ひろわなかったら、そこを通りかかったカ■■さんがひろって その人の方にもっていた。そこで、ぼくは、となりのシン■■に感心だナア、感心だなあ、といった。

 人のおとしたものをしんせつにひろってとどけるのが感心、
 ぼくが「おとしましたよ」というのに気づいて拾い、おとした人にわたしたのが、感心。
  }どっち? 

        (1973/04/11)


*「となりのシン■■に」  シン■■君は、同じ文学クラブ員。(この高二の四月の時点では彼の入部はまだだったかもしれないが)

 

 
00:43 2022/05/01 (日)


 Aを、Bとまちがえる。
     → Aが正しい Bが正しい >どっち? 

 Aを、Bにまちがえる
     → Aが正しい。

 → 考察

        (1973/05/02)


 ハラオカシ

        (1973/05/02)


 来れない

 これ(は)、ない

        (1973/05/02)


 AとBをまちがえる
     → どっちが、まちがいか示されていない

 AをBとまちがえる
     → どっちかがまちがいであると示しているのだが、どっちともとれる。 ←
 AをBにまちがえる

 AとBを = AをBと
     → ?

        (1973/05/02)


 化学では元素名を、漢字や、ひらがなでかいてはならず、カタカナでかかねばならないそうだ。してみると、日本人は、まだ、化学などを外来文化とみなして、日本に同化した文化とみていないのだろう。

        (1973/05/02)


 特別教室に移動するときは、カバンにものをいれていこうか? 

        (1973/05/02)


 字のくずし方は、ぼくのが正統かしら? 
 草書とか行書はカイショからできたのだから、ぼくのようにいくつもかいているうちにできるはず。

        (1973/05/02)


 ですかしら。

        (1973/05/02)


 げんこう → 

        (1973/05/02)


 一直線上にない3点を通る曲線は1つでない。

 3点を通る放物線もかければ、3点を頂点とする三角形の外接円もかける.

        (1973/05/02)


 今日は弁当を一口くうたびに、くったものがでるような。キブンワルイ。オナカの調子ワルイ。

        (1973/05/02)


 内■先輩は、ハやくかえれるときは帰るようです。

        (1973/05/02)


*「Aを、Bにまちがえる」  Aが正しい。とは限らない。後段のほうで、気づいたようす。
*「ハラオカシ」  腹が変調なのか、面白すぎて腹がいたいのか、ここだけでははっきりせず。  原岡という地名は千葉にあるが、原岡市というのはなさそう。
*「化学では元素名を、漢字や、ひらがなでかいてはならず、カタカナでかかねばならないそうだ。してみると、日本人は、まだ、化学などを外来文化とみなして、日本に同化した文化とみていないのだろう。」  水素や酸素も元素名のはずだから、前提からまちがっている、というか、但し書きが抜け落ちている感じ。  つづく、外来文化とみなして云々もなにか無理気味。
*「特別教室に移動するときは、カバンにものをいれていこうか?」  いっそ、という気持ちか。  もっていくものが多すぎたのでしょう。
*「字のくずし方は、ぼくのが正統かしら? 草書とか行書はカイショからできたのだから、ぼくのようにいくつもかいているうちにできるはず。」  一面では正しいが、くずし字は他人に読んでもらわねばならないときもあるはず。自己流のくずし方だと、読んでもらえない場合がありそうですぞ。
*「げんこう → 」  漢字が書けないらしいので、元寇か。
*「一直線上にない3点を通る曲線は1つでない。」  これはなにか? 数学の証明問題か?   たとえ3点が一直線上にあっても、蛇行する曲線ならかけると思うし、何か不完全な(脇の甘い)設問だよね・・ waka君の自作? 
*「今日は弁当を一口くうたびに、くったものがでるような。キブンワルイ。オナカの調子ワルイ。」  尾籠だねえ・・  「ハラオカシ」はこのことだろう。
*「内■先輩は、ハやくかえれるときは帰るようです。」  尊敬する、将棋同好会の前会長。(四月からの現会長はwaka君)

 

 
01:13 2022/04/24 (日)


 多くの事実から、推論して、何々学、何々理論ができる。同じ事実からは、たった一つの推論がえられるのではない。だから、まったく、同じ事実から、まったくちがう学問体系、理論体系がつくれる。歴史学でも、自然科学でも、それとはちがう、そして、それと同等な理論体系がつくれる。

        (1973/05/02)


 漱石先生は「門」において、野中と安井、お米と安井を会わせようとしていたのではないかしら。

        (1973/05/02)


 ■浜さんは端正な美人ですねえ。
 芸術的な美しさ。

 かわいいのではな きれい
 しかし、つめたいとはいえない。

        (1973/05/02)


 流水の美しさ
 静水の美しさ

 奥ゆかしい美しさ
 素直な美しさ

 さきほこる花の美しさ
 ちる花の美しさ

 たくみな美しさ
 正直な美しさ

 新緑の美しさ
 紅葉の美しさ

 高価な宝石の美しさ
 道端のきれいな石の美しさ

               >女性の美しさ

        (1973/05/02)


 このノートは、もう、だれにもみられてはならない。まったく、もって、みせたくない。

        (1973/05/02)


 ハンランゲん

        (1973/05/02)


 こんど、このノートには、SPIRAL NOTE を使おうか? 
 でもこれは、弱くて、テアラには使えない。閑人帳を、これにしよう。

        (1973/05/02)


 授業のノートをみずに、黒板のみをみて、エンピツをはしらしていると、ク(ku)を、4にまちがえたり、grを?にまちがえたりする。

        (1973/05/02)


 7(NaNa)
 ク(Ku)

        (1973/05/02)


 ナナという名は7につうずる

        (1973/05/02)


 つうじる
 つうずる
 つうづる
       >どれ?

        (1973/05/02)


*「漱石先生は「門」において、野中と安井、お米と安井を会わせようとしていたのではないかしら。」  『門』の内容はほぼ忘れてしまった。  今、wikiで調べると、主人公野中宗助は、かつての親友安井の内縁の妻を奪う。それが、宗助の妻御米(およね)。という関係。  本項を書いているということはwaka君は『門』をすでに読了している、ということだけど、それ以外にも、この年の1月から4月第1週までTBSで(つまり先月まで)これを原作とした『わが愛』という連続ドラマが放送されており、これも視聴しているはず。原作小説とTVドラマと、どちらかだけについて本項を書いているというわけではなく、ほぼ同じ物語世界(一方は文章で語り、一方は映像と音声で語りなおしている)ととらえていると思う。
*「■浜さんは端正な美人ですねえ。」  友人、イ■■ちゃんの想い人。
*「ハンランゲん」  氾濫原、か。
*「こんど、このノートには、SPIRAL NOTE を使おうか? でもこれは、弱くて、テアラには使えない。閑人帳を、これにしよう。」  心身記02の残り頁が少なくなって、次のノートのことを考えだした、というところ。  SPIRAL は、渦巻き、らせん状という意味。  SPIRAL NOTE で検索すると、らせん状の軸で、穴列のある紙束をとめているノート類がヒットする。商品名か、または、そういう形状のノートの一般名詞なのかもしれん。  閑人帳は、創作ノートのたぐいと思われるが、現存せず。(1972年頃のもので、2014年にシュレッダー済み、という記録が残っている)
*「授業のノートをみずに、黒板のみをみて、エンピツをはしらしていると、ク(ku)を、4にまちがえたり、grを?にまちがえたりする。」  手元をみないで書くので、書き間違えたりする、ということか。  にしても、書き順的にはそういうまちがい(ク→4、gr→?)は無さそうなんだが。  不思議だけど、結果的に、書かれたノートを見直したら、そうなっていたってことかな・・  どちらかといえば、見間違いっぽいか。黒板の字を精確に見ていないので別字を書いてしまう、ような? 手元のノートもちゃんと見ていれば前とのつながりでおかしいことは明白だったのに、ということも? この場合は、授業内容とか黒板の内容を頭で咀嚼、理解せずに写真のように転写している(つもりな)だけみたいな。  (手元をみずに書くと、手を休めて、再開するときに、前とのつながりを確かめずに続けることになるので、とんだり重なったりしそう。こういうのも関係する?)
*「ナナという名は7につうずる」  名も含めて、ナづくし。

 

 
01:36 2022/04/17 (日)


 スズ■君(T年の)とぼくは同じ英語じゅくにいっているのだが、スズ■君は、小さい頃、ぼくのいっていた書道じゅくにも行っていたのではないかしら。彼はぼくよりうまっかった子供 小さな子供ではなかったかしら。
 しかし、書道のじゅくはいやだったねえ。自分のへたさをかみしめて、泣いたこともある。劣等感を知ったのはあの頃かしら? 

 とにかく、何をかいても、へたなように思えて、ときどきうまいのができると、とてもよろこび、おれはとってもうまいんだ、などとりょう変したりもしたような。

        (1973/05/02)


 このノートを授業中に書いていても、どの先生も注意しない。理解してくれているのか、かってにやりたいことをやれ、というのか。たぶん後者。
 おれの授業をまじめにうけろっていって、注意するのは一人もいないよ。

 ま、いい傾向です。

        (1973/05/02)


*「スズ■君(T年の)とぼくは同じ英語じゅくにいっているのだが、スズ■君は、小さい頃、ぼくのいっていた書道じゅくにも行っていたのではないかしら。彼はぼくよりうまっかった子供 小さな子供ではなかったかしら。」  うまかった子供。  当時waka君は高校二年生。書道塾に通っていたのは、小学一年二年の頃。つまり、九年ぐらい前の事になるだろうけど、七歳当時の塾仲間の六歳の少年の事を、九年後その少年が十五歳ぐらいなったときに同一人物だと見分けられるものだろうか。ここの文章の書き方からいって、書道塾当時のことを確かめあったというわけでもなさそうだし。  だから、まあ、推測、雰囲気が似ている、彷彿とする、という辺りなんだろうけど。
*「しかし、書道のじゅくはいやだったねえ。自分のへたさをかみしめて、泣いたこともある。劣等感を知ったのはあの頃かしら?」 「とにかく、何をかいても、へたなように思えて、ときどきうまいのができると、とてもよろこび、おれはとってもうまいんだ、などとりょう変したりもしたような。」  りょう変、は、豹変か。  ううむ。うまいの基準が、小学校一二年生では、お手本の字がぜったいだったような。自信というか確信に満ちているよね、お手本は。これに似せてかくわけだけど、似せきれないから、おどおどした、弱っちい字になるんだよねえ。  今なら、小学生waka君に、多少形は悪くても元気いっぱい、ほがらかに書けよ、それで十分すばらしい、すごいんだから。もしかしたら、お手本の字も超えているんだから。と、教えてあげたいよ。
*「このノートを授業中に書いていても、どの先生も注意しない。」  ふつう、先生が、何十人もいる生徒の一人がせっせとノートにペンを走らせているようすを不審がることはないはず。のぞきこんでも、字が書かれていれば、それ以上内容を読んだりもしないだろう。  それに、授業内容を過不足なく記録するというルールなどないわけだし。まじめに授業をうけている生徒だって、適宜省略してノートすることもあれば、派生した疑問、アイデアなどメモすることもあるだろう。むしろコピーではなく、そういう加工、編集、発展のような行為をしているのが、能動的な学徒ではなかろうか。  waka君のこのノートは、飛躍しすぎ(授業との相関たいていなし、あってもわき道、道草)ではあるが。  (たしか、このノートを下にして、ふつうの授業ノートで隠すようにしていた。いつでも書きたくなったら書くという習癖)

 

 
00:48 2022/04/10 (日)


 ぼくは、興味ある事を考えているのに、ここに書こうと思いつかないことがある。

        (1973/05/02)


 「ししくら」とはどう書くのか?

   この漢字がわからぬ。

        (1973/05/02)


 壬と王

        (1973/05/02)


 外には弱いが、内には強い人

        (1973/05/02)


 4時間か、5時間 同じ教科ををやればいいのに。

        (1973/05/02)


 うまいものは、一見へたにみえる。
 一見うまくみえるものには、へたなものが多い。

 うまくみえるものもへたにみえるものも、同等にみて、ひょうかすべきなのか。

 つまり、ハデなものはハデすぎるとキメツケ、ソボクなものは、それだけで、イイ、それだけですべてのハデなものよりいい、ときめつけていいのか。ハデなものの中にもいい物はあるはず。ソボクな物の中にも、へたなのはあるはず。

        (1973/05/02)


 AはBが多い。
 AにはBが多い。
         >どっち?

        (1973/05/02)


 このノートも、いろいろに内容が分かれれているから、附属ノートでもつくろうか。

        (1973/05/02)


 書道の筆は、高い所を持った方が、スッキリしたのがかける。

        (1973/05/02)


 だれも、かかわらないで、何かの事をなす。

 委員や係員がだれもいない、なおかつ、事業がなされる。

 いるとすれば、コンピューターにやらせる。責任者がいないから、なんだかんだと、責任者がナヤム必要がない。

 こんなことできるかしら???

        (1973/05/02)


*「ぼくは、興味ある事を考えているのに、ここに書こうと思いつかないことがある。」  書く以前に、そのことの興趣にとらわれて、か。  たのしい妄想?
*「「ししくら」とはどう書くのか?」  宍倉でしょう。宍は、肉の古字とのこと(手元漢和辞典)。  (宍。ネット情報では、宀が店、六が音の混同で肉、肉を売る店。他に、肉の上部が宀、中の人人が六に変移の説も。よって、いずれの説でも、本来の象形文字 肉 を元にして 宍 ということになる。だから、古字というのは、分岐したのがそうとう昔ってことなんでしょう)  (ちなみに、手元漢和辞典=角川漢和中辞典には、〔(1)月(にく)は中の二線が両側に連接し、月(つき)は中の二線が左だけに連接する。舟の略である月(ふね)は左右ともに連接しない。(2)当用漢字では月(にく)と月(つき)は区別しない。〕とある。デジタル文字ではこのように三字とも区別できないもよう)
*「このノートも、いろいろに内容が分かれれているから、附属ノートでもつくろうか。」  これは実行されなかったかと思う。このノート(心身記、心記など)が、ノートタイプ(片綴じの帳面)であるうちは。  1979年頃からのバインダータイプ(頁ごとに着脱可能)になると、心記本体部分と、創作やその他の分野で、別扱いになったりもしてる。  分かれれて、れが一字多い。(分かれられて、のら抜き表現ではないだろう)
*「書道の筆は、高い所を持った方が、スッキリしたのがかける。」  芸術教科では、音楽・美術・工芸・書道のうちから1科目を選択、だったはず。waka君は書道を選択。  なお、だからといってノートの手書き文字が美しく整ったりしてはいない。まるで。全然。
*「だれも、かかわらないで、何かの事をなす。」  ま、たぶん、なんだかんだと、ナヤム立場にたたされることが少なからずあって、夢想してるんでしょう。  半世紀ぐらいして、ネット上では、waka君の願望を具現化しようとしたような、機構、システムができあがっていったみたいだけど。(たとえば、なんだかんだと苦情を申し立てられることを前提にしたFAQ頁など眺めていると、よくできてるなあ、という感慨浮かびます)
*「こんなことできるかしら???」  少なくとも、何かをしようという意志がなければ、始まらないな。その意志がすべてを準備した後なら、無人でも事業は動くだろう。でも、人がたくさんあふれている現状では、無理して無人にする必要がない局面も多々あるかも。  ということは、コスト的に、無人にするほうがお得な局面が増えていけば、無理なく無人になっていくということになるわけだけど、そうなると、あふれている人の行き場がなくなりそうだよね。お得を求めて無人化されて、無職の人があふれて、誰がその無人サービスにお金を払ってくれるのか、と考えていくと、なにか変な方向に進んでいるのではとも感じる・・ 錯覚におちいっているのは、私なのか、世の中なのか。 (産業革命以来、いやその前からでも繰り返されてきた懸念であって、省力化によって一部では人力が無用となっても、他で人の必要となる業態が育ってもくるので、結局は、おちついてみれば、取り越し苦労で終わっている。イノベーション、技術革新とはそういうもの。・・などといわれそうではあるんだけど、なにかひっかかる)

 

 
00:24 2022/04/03 (日)


 作家になるなら、好きなときに好きなものをかこう。

 たぶん、カサク家になるでしょう。

        (1973/05/01)


 センテフリビシャは強いか? 

        (1973/05/01)


 ぼくは他人から、ソウサクがうまいねといわれると、ひじょうにてれるのだ。つまり、心の中では、おれはうまいんだと思っているからなのだ。

        (1973/05/01)


 お姉さんは日記をかいてる。

        (1973/05/01)


 おセンベはおいしい。

        (1973/05/01)


 なろうことなら〜したい

        (1973/05/02)


 ぼく、ソーローじゃないかしら。

        (1973/05/02)


 ある人が何かをしても、それはその人だけの責任ではないだろう。他の人々、彼のまわりの人々の責任でもあるわけだ。彼のまわりの人々はその人にえいきょうをあたえているのだから。

 どこかでこんな事を考えた事があるような、

        (1973/05/02)


 昼食の休憩

        (1973/05/02)


 しかし、■■のイチョウの木は大きい。

        (1973/05/02)


 大学は? 

 i、学力不足etcでいけない、
 ii、いかない
 iii、■■■■■■ 文学部
          ■■■■学科
 iv、トウダイ
 v、他の私立大
 vi、他の公立大

 小説家になるなら、キョウヨウ 養、チシキをもってもわるくない。

 これらはいい大学にいったから得られるのでなく、努力して、勉強して得られるのだ。

        (1973/05/02)


*「作家になるなら、好きなときに好きなものをかこう。」  「たぶん、カサク家になるでしょう。」  寡作家、寡作な作家。  現状、アマチュアで文芸を楽しんでいて、まさに、好きなときに好きなものを書いております。  なりたいものになった、といっていいかも(^^)
*「ぼく、ソーローじゃないかしら。」  若くてありあまってるだけでしょ。うらやましいよ・・   しかしまあ、当時、どうしてあんなに、早漏がさげすまされたんだろう。子作り、という意味では、早漏は優秀な形質かもしれないのに。  うーん、早すぎて、女子が満足できない、結果、女子にうとまれる、子作りの機会が減る、という流れで言えば、劣等な形質かもしれないか・・  (でも中にはさあ、さっさと終わらせてくれると助かる、うっとうしいのはイヤ、という女子もいると思う。いや、きっといる、もしかしたら少数派でもなく。(笑))  (ところで、この項、前項の「なろう」からの音の連想で生まれた?!)

 

 
00:31 2022/03/27 (日)


 おもねる。

        (1973/05/01)


 折り :おり
 祈り :いのり

        (1973/05/01)


 家族内対人関係 カゾクナイタイジンカンケイ

 これを
  家族内、対、人間関係
      とよみちがえたのだ。

        (1973/05/01)


 地井 とは? 

        (1973/05/01)


 夫人
 婦人

        (1973/05/01)


 ぼくはときどき足の事を「あんよ」というのだ。

        (1973/05/01)


 おんも

        (1973/05/01)


 かたわら

        (1973/05/01)


 団欒とは? 

        (1973/05/01)


 日本の文学にはどんな流れがあるのかしら。

        (1973/05/01)


 自白

        (1973/05/01)


 ぼくが、高校を卒業するまでに週休二日制が高校にやってくるだろうか。

        (1973/05/01)


 このごろアナウンサーやりょうろん家に■■という姓の人がではじめた。

        (1973/05/01)


 ぼくがまれにみる天才児だなんていうウワサがなぜか、どこかから、ひろがっているような。
      アー、オモシロシ。

   もちろん大人の中から。

 父いわく、よいひょうばんやうわさはウソでも否定しなくていい。他の(自分の)悪いウワサやひょうばんはたてるな。

 ぼくは真実、勉強が、よくできない事に劣等感をもっているのに!!!
 でも、やっぱりどこかに、ずうずうしい自信力をもっているのだろうな。どこかでは、テングになっているんだ。心のどこかでは。

        (1973/05/01)


*「地井 とは?」  人の姓? 検索しても俳優の地井武男(ちいたけお)ばかり。  ちせい、と読んで、井戸の一種または在り様、とかはあるかと思ったんだがないみたい。
*「団欒とは?」  よくつかわれる言葉なんだけど、欒の字が、意外と難しそう。恋(戀)、変(變)、湾(灣)、蛮(蠻)、攣などの仲間と思われるが、もうひとつ共通の意味合いが浮かんでこないよね。  糸言糸(れん)が、別物にするの意をおびるらしいので、なんとなくつながりそうではあるが。(木がたくさん実をつけて別物のようになる、という様子かな・・)
*「ぼくが、高校を卒業するまでに週休二日制が高校にやってくるだろうか。」  やってきませんでした。  Wikipediaを見ると、三十年近くあと、〔2002年4月6日から公立小中学校及び高等学校の多くで毎週土曜日が休業日となり完全な学校週5日制となった[8]。さらに「学校教育法施行規則」を改定し、公立学校に対しては法的拘束力を持たせた。〕とある。  へ〜 そうなんだ。今どきの生徒って、土曜休みなんだね。(うらやましい)  (脱ゆとり教育で、その後また揺り戻し的な動きはあるみたいだけど、建前上は変わらずに週5日制らしい)
*「このごろアナウンサーやりょうろん家に■■という姓の人がではじめた。」  TVに出てくるそういう人たちに、waka君と同じ姓の人がめだちはじめた、と。  ひょうろん家の、書き間違い(発音がらみの混同?)。しかし、両論家とは皮肉なまちがい(^^)
*「他の(自分の)悪いウワサやひょうばんはたてるな。」  これは、他の人の(もちろん自分のも)悪いウワサや評判はたてるな。という戒めでしょう。  陰口を言わない、というのは、私は今も守れていると思う。倫理とかそれが美しい態度とかもないとは言わないけど、「陰口を言うような人は表裏がある、こちらの居ない別の場所ではこちらの悪口を言っているに違いない」などと思われるのを=軽蔑されるデメリットを避けられる、という実利がたしかにあると分かっているから。  だけでなく、不自然でないようなら、陰誉めをするようにしている。本人がいないところでその人を誉める。これは上とは真逆の効能があると信じています。

 

 
01:10 2022/03/20 (日)


 自殺する気になったら、死に方に夢をもたせよう。「ビルの屋上からとびおりて、下におりても生きていたら、死ぬのはよそう、自分にはそれだけの事のできる力があるのだから。」「100kmマラソンをやって、みごと走りぬいたら、死ぬのはやめよう。もう死ぬ気なんだから100kなんてどうという事はない。」「1ヶ月で100万円かせげたら死ぬのはやめよう。もう死ぬ気なんだから、はだかおどりだってゲイボーイだってなんでもやるさ。」

 とにかく、どうせ死ぬんなら、生きる気の人ができないような事をやってみよう。今生のおもいでにもなるし、新たな自信力がわいて、死ぬ気にならなくなるかもしれぬ。
 ただじめじめと、スイミンヤクをのんで、1人さびしく死ぬなんてつまらない。人生を十分あじわった老人なら、ともかく、我々青年としては。ぼくが自殺する気になったら、すごい大作をかいて、そのひろうで死のう。カンガンになったら、シバセンをみならおう。
 せっぷくとか、けいどうみゃくをきったり、他人にころさせる してもらう なんていう、いたいしに方はやだ。ああおれは生きたんだと思うような、オソロシイバカリの行動、考察のヒロウで死ななきゃ、生がもったいない。

 人間はけっきょく、生命を使うために生きているのかしら。使うのだからいつかは死ぬのである。生命を使って生きがいをえるんだからそれを使いはたした時は、生きがいをまっとうした、コウフクの頂点なのじゃないかしら。

 「死」とは、生命を使いはたしたとき、つまり、生きがいを味わいつくしたときだから、コウフクの頂点を示すのでは? 

        (1973/05/01)

 

 
00:36 2022/03/13 (日)


 オギノ式、基礎体温法なんて、しらん 
                  感動のキモチを表わす。 は? 

        (1973/05/01)


 ぼくって、性に感しては、ナンパなのねェ。

 子供をつくったって、なんだってかまわない。それが苦でないなら、という考え方だもんね。いまの所は子供をもつのは、社会の目がきになって苦だし、ケイザイ的にも苦だから、生まんわ。女の子とねるのも、そんな子がいないし、たとえいても、やっぱり社会の目をきにしたり、その子との心のもつれなどがあろうから苦になる、だから、まだやらんわ。

        (1973/05/01)

 公園や公共のたてもののしせつの1つ1つに、「だれが使用してもいいです」と注意がかかれているとしたら、いい? わるい? 

 つまり、公園の物にまで、そんな注意がきをしなくてもみなわかっている。そんなのがあると、じょちょが、よごれる。権利づくの世の中でなく、思いやりとゆずりあいの世の中でなくては、というのか、
 どんなものにもちゃんと注意がかかれていなくては、安心して使えない。公共のものだと思って使っていたのに、私有のもので、こまります、どいてくださいといわれたときのハヅカシサは忘れない。
 というのか。

        (1973/05/01)


 ゆずる

 ゆする

 ゆる

        (1973/05/01)


 しんぶんやマスコミは、今の時代を多様化したふくざつな時代だといっているが、それはいつの時代にもいえたことなのではなかろうか。あと何年かすればこういう特徴のケンチョ 顕著 な時代だったと、歴史にかかれるのでは? 

        (1973/05/01)


 ムセイでパンツがよごれたら、自分であらおうかしら。
 自分のパンツぐらい自分でアラウようにしようかしら。
 ぼくの子供にはそうさせたい。

        (1973/05/01)


 今、フリーセックスだなんていっているけど、それに賛成する人の多くは、相手がやってくるのを望んでいるんだけど、こないうちに成人して、成人してからきたり、おみあいしたりして、結局、ふつうの結婚をしてしまうのじゃないかしら。

        (1973/05/01)


*「ぼくって、性に感しては、ナンパなのねェ。」  性に関しては軟派。軟派の漢字本来の意味で使っているのでしょう。女子を誘うとかいう意味でなく。
*「だから、まだやらんわ。」  あくまでも妄想内の、たまたまこの時の気分では、ってところでしょ。
*「公園や公共のたてもののしせつの1つ1つに、」 ・・・ 「そんなのがあると、じょちょが、よごれる。」 ・・・  じょちょ、とは、情緒か。  この項、文章全体の通りが悪いけど、いいとわるいの双方の意見をならべた、のかな。  いずれにしろ、内容は、うすいようなどうでもいいような? 
*「結局、ふつうの結婚をしてしまうのじゃないかしら。」  そうなんだよね。  当時だったか、もう少し後の時期だったか、まあとにかく、若いころのwaka君は、一夫多妻、一妻多夫とか、多夫多妻とか、あるいは男女とも次々相手を乗り替えていくような、そういうバラエティーゆたかな、ゆるやかな婚姻形態(というか男女のカタチ)が次第に増えていくのでは、増えていってくれると面白いんだが、という夢想に近い願望を持っていたような。  (waka君だけでなく、周囲にも、世の中の一定層にも、そういう期待、予感があった気がする)  半世紀経っても、そういうことにはなりませんでした。

 

 
00:42 2022/03/06 (日)


 ソウサクをガチャガチャやるのもいいけど、ほんとうのぼくをみつめた物が書けないかしら。

 一度でいいから、ほんとうのぼくをみつめて書いてみよう。
 (でも、それでも、なおかつソウサクであって、ほんとうの自分をみきわめるなんて、むずかしいのじゃないの?)

        (1973/05/01)


 君 死にたもうことなかれ

 だれのコトバ? 

        (1973/05/01)


 各論とは? 

        (1973/05/01)


 新聞の記事を攻げきすると、それに担当した記者の生活がおびやかされるのだろうか? 

        (1973/05/01)


 なにも、めあたらしい思想だけを文学で吸う必要はない。また、むりしてふるいものにかえることもない。ありふれたことをかいていて十分だ。

        (1973/05/01)


 じいをしない人は研究室生活にむくのか? 

        (1973/05/01)


 シバセンはカンガンになってから、そうさくの情熱がわいた。

        (1973/05/01)


 じいをしなくても、ムセイをしてしまうでしょう、いつかは。

        (1973/05/01)


 今の青年、つまり、我々にいぜんとして、性欲があるのは、人類が、とうぶんとだえない事のあかしだろうか。それとも、人類がめくらめっぽうにふえている事をしめしているのか。めくらめっぽうだから、十分、ふえすぎているとも考えられるのか? 

        (1973/05/01)


 性欲があるうちはいいが、性欲の弱い青年の時代がやってきたら、アブナイ。子供は少なくなる。つまりは、人格の種が少なくなる。そのうちに、人間が画一的になる。

 画一的になったらなったで、その人たちにとっては、何も不幸じゃないのかもね。

        (1973/05/01)


*「一度でいいから、ほんとうのぼくをみつめて書いてみよう。」  ほんとうのぼくを見つめた物、なんて、あまり面白くなさそうだよね。  そういう床の間にかざるような作品ではなく、このノートみたいな(waka君は「心身記」「心記」等のタイトルをつけている。日記とも雑記帳ともいえそう)、あたかも吐き出した色々諸々の様相のほうが、「ぼくの輪郭」ということなら、らしいかもよ。
*「君 死にたもうことなかれ」  『君死にたまふことなかれ』 与謝野晶子の詩。
*「なにも、めあたらしい思想だけを文学で吸う必要はない。また、むりしてふるいものにかえることもない。ありふれたことをかいていて十分だ。」  扱う必要、か。  説得力のある文章かもしれない、壮年となった物書きの筆ならば。  高校生となると、首をかしげてしまう。蓄積もなくてこういうことを言われても、と。
*「じいをしない人は研究室生活にむくのか?」  自慰。うーむ、向くのか? どうやら、次項関係からの発想みたいだけど。
*「シバセンはカンガンになってから、そうさくの情熱がわいた。」  わいたのか? と疑問形で書くべきところでしょう。  わいたのだから、と、前項につなげたいか。  (書くべきことがあったから、宮刑という屈辱に耐えた、ということを本人は書いているそうだ)
*「じいをしなくても、ムセイをしてしまうでしょう、いつかは。」  苦笑。 まー、若いならね! 
*「画一的になったらなったで、その人たちにとっては、何も不幸じゃないのかもね。」  かもね。  しかし、多様性を失った集団というのは、環境の変化に弱いとよく言われる。  自分たちに都合の良い環境なら、皆で一丸となって発展していけるだろうが、都合の悪い環境に変化したとき、皆で一緒に枕を並べて死にたえてしまう。

 

 
02:43 2022/02/27 (日)


 自分から好きなったなら、にげられる。が、他から、好かれたとき、それからにげるのはたいへん。
 (サカ■■先生)

        (1973/05/01)


 作家になるにしても、超大家になるとしても、いつも好きな物を書こう。名作しかかけなくなるようにはなるな。名作とは世の人々が、よろこぶ、作品なのだ。自分のよろこぶ作品をかこうじゃないか。
 カワバタヤスナリも名作 みんながよろこぶ作物 しかかけなくなってしまった人なのだ。

 ほんと??? 

 自分本意か、読者本意か? 

 自分本意ではないか!!

        (1973/05/01)


 自分本意が、純文学者  読者本意が、大衆小説家  )? 

        (1973/05/01)


 名作とは、純文学が、大衆小説化したもの? 逆? 

        (1973/05/01)


 名作とは、純文学者が、大衆小説をかいたときにできる? 逆? 

        (1973/05/01)


 自分本意(自分のすきなもの)  読者本意(読者のすきなもの)  >? 

        (1973/05/01)


 ぼくの書く物はみな読者本意なのでは? 

 好きな物をかいているから、自分本意ともとれるけれど、読者がいる事を仮定してかいているから、読者本意か? 

 自分にキリコムように、カイテイルか? 

        (1973/05/01)


 読者を、自分で想定して、(つまり、読者がどんな人たちかと、自分で想定して)それによんでもらうつもりで、書いている。だから、読者本意のようにみえて、実は、その読者は、ぼくの中に含まれる(ぼくが想定したのだから)ので、結局、自分本意か? 

        (1973/05/01)


 ぼくは、|語法などで|文章を|だれにもわかるようにと書いているから読者本意か? 

 しかし、よむのは、読者のみでなく、それを書いてから、時がたって、またぼくがよむときにも、わかりやすいようにとかいているのでは。

 しかし、そのときのぼくも読者、

 作者とは、書いている時点のぼく。読者とは、ぼく以外の人と、書いてしまった後のぼく。

 自分本意と読者本意という対比でなく、
 作者本意と読者本意という対比だ。

 やっぱりぼくは、読者本意かもしれぬ。いつか、作者本意のものをかいてみよう。

        (1973/05/01)


 先生はサービス業

        (1973/05/01)


 ≒があるなら、÷もあろう。

        (1973/05/01)


 自分をおいこして、とおりすぎていく車のバックミラーをみて、自分のうしろに何があるか、いるか、をみとめる。

 おいこして、とおりすぎる。  とおりこす  }? 

        (1973/05/01)


 作品をみて、読者本意か、作者本意かは、わかりにくい。
 書いている本人にだけそれはわかるのだろう。

 それとも、本人にもわからないのか? 

 だれが、わかろうか。

        (1973/05/01)


*「自分から好きなったなら、にげられる。が、他から、好かれたとき、それからにげるのはたいへん。 (サカ■■先生)」  先生の発言を書きとめたもの。  国語科のサカ■■先生は、授業中、しばしば面白い話をしてくれた。  waka君の、クラスの担任でもあったはず。(当時、高校二年生のときの)
*「カワバタヤスナリ」  川端康成。ガス自殺が、1972年(昭和47年)4月16日なので、約一年前。
*「自分本意か、読者本意か?」  こういう場合は、本位だろう。
*「名作とは、純文学が、大衆小説化したもの? 逆?」  いえてる感じはする。  (逆、つまり、大衆小説が純文学化したもの、でも)  美しくて完璧で、なおかつ、面白くて、泣ける笑える。そんなのつくれたら、すごいよね。もう少しくだけた言い方なら、いわゆる「面白くてためになる」物語。あるいは「ありふれているのにすごい」。ちかごろの風潮を借りれば「尊すぎるけど萌える」。
*「自分にキリコムように、カイテイルか?」  なんか、ドキッとする。  真摯に書いているかと問われたら、迷った上で、頭を垂れるかもしれない・・
*「≒があるなら、÷もあろう。」  よくわからない(笑)  ÷は、割り算の符合のつもりではなく、≒の一本足らない符合のつもりらしい(手書きのそれは上下の点が、≒のようにずれている)。  =は等しい。≒は近似。÷はさらにすこし遠い、離れている、ぼけている、なの? 
*「自分をおいこして、とおりすぎていく車のバックミラーをみて、自分のうしろに何があるか、いるか、をみとめる。」  当時はメガネをかけた始めの時期で、かなりよく見えているんだろうね、こういうことに気づけるってことは。
*「作品をみて、読者本意か、作者本意かは、わかりにくい。」 ・・・ 「だれが、わかろうか。」  これら、本意(本位)論議を読んでると、孤作の限界みたいものを感じるな。  論議の内容が空疎に思えるのも、その辺りにあるのか。  同志たちと切磋琢磨して、創作していけば、理屈ではなく、感覚として身につく、わかるような気がするぞ。  (作者と読者、渾然一体となって作品は生まれる、というようなまとめ方は、オトナのずるさなのかなあ・・)

 

 
03:58 2022/02/20 (日)


 話法

 彼は、「あなた」と言った。 ← 現実から考えれば、直接的、文章から考えると間接的

 彼は彼女をよんだ。 ← 現実から考えれば、間接的、文章から考えれば、直接的。

 ⇒ 考察!!

        (1973/05/01)


 真の明るさ、真の色を、絵で表わせるか? 

        (1973/05/01)


 マンガのサザエさんとか、サトウサンペイのやつとかは、高級? 

        (1973/05/01)


 数学の授業はアマイナー。問題がわからなかったら、ワカリマセーンといえば、いいのだ。
 やらなくていいのだ。

        (1973/05/01)


 都会人、つまり、我々は、いまだに、地方をケイベツしているのでは? 

        (1973/05/01)


 今日は、頭がぼけている。

        (1973/05/01)


 負け
 マケドニア

        (1973/05/01)


 ナダレンショウのレンショウは連勝にかけてあるのでは? 

        (1973/05/01)


 労働運動は、それをやる人が少ない時に「〜なのだ。」「〜ねばならない。」「われわれはーー」などと話していたのだが、それが、大衆化すると、「〜です。」「〜してください。」というように話すようになった。

        (1973/05/01)


*「彼は、「あなた」と言った。 ← 現実から考えれば、直接的、文章から考えると間接的」 「彼は彼女をよんだ。 ← 現実から考えれば、間接的、文章から考えれば、直接的。」  面白い観点。表層と意味、ということか。表層≒現実、意味≒心≒文章、というような対照なのかな。
*「問題がわからなかったら、ワカリマセーンといえば、いいのだ。」  そういう雰囲気だったのか? すこし謎。  数学がゆるゆるだったという記憶は残っていない。この日の授業がたまたまそうだった、とくにそうだったってことか。  (きびしかった、きつかった、という印象もないけど)  (わからない者はそのまま捨ておかれる、のだとしたら、甘いどころではなく、むごいのかもしれないが、そういうふうでもなかったような・・)
*「都会人、つまり、我々は、いまだに、地方をケイベツしているのでは?」  千葉市の住人であるwaka君。都会人の自覚があるようだが、東京の人からみれば、まぎれもなく地方なわけで、なんだか妙な、宙ぶらりんな。
*「ナダレンショウのレンショウは連勝にかけてあるのでは?」  灘 蓮照(なだ れんしょう)。将棋棋士。当時八段。  wikiによれば、僧侶として得度して蓮照と改名したそうだ。しかし、「連勝」にかけてあるかどうかについて記事は見つからず。  (でも勝負師なんだから、少なくとも事後的には、縁起がよさそうなどと意識したのではなかろうか)
*「労働運動は、・・・」  高校生waka君の、知ったかぶり言説。  (えらそうに断定してるけど、推量で締めるべきところ)  (とはいえ、まあまあ、的を射ている)

 

 
09:10 2022/02/13 (日)


 ■■コを、小さいとき、ぼくが、よくいじめたので、あいつはあんな性格になってしまったのだろうか。

 他の人の性格を、自分がつくって(or変えて)しまうキョウフ。

 もし、他人の性格をほんとに、つくってしまったら、そのときから、自分は、自分と、その人の両方の分だけ悩み、苦しまねばならぬ。その人の性格 のすることは の考えることは の感じることは は、自分の責任なのだから。その人が、自分や他人や、その人自身に対してやる事もみな、自分の責任になり、その人が悲しむ事も自分の責任になる。
 自分一人だけてもたいへんなのに、他人まで気にしなければならなくなるなんて、たえられる? そのうえ、他人の性格をつくってしまったら、その人本来の性格を消してしまったことに一生罪を感じねばならないのだ。

 考察の余地あり!! 

        (1973/05/01)


 射精をすると心がすがすがしくなり、する前の自分の心がみにくく思える。

 射精をしないでいると、心にやましい考えがいろいろとおこるが、おれは射精をしていないのだ(から)、じゅんけつだ、とも考えている。

 ジョチクナー

        (1973/05/01)


 完全に正しいというわけでない、善悪の矛盾した生活にマンゾクしていければ大人。そのどうしようもない矛盾に反発するようなら、コドモ。

 ホント? どんなささいな矛盾にも反発する方が、|真実|真の行動|なのでは? 

 まったく、正直に生きようとするのが、
 完全に生きようとするのが、
 真実なのでは? 

        (1973/05/01)


 夏休みがあるから、学校の先生になってもいい。

 なるんなら、小学校の先生がいい。

        (1973/05/01)


*「■■コを、小さいとき、ぼくが、よくいじめたので、あいつはあんな性格になってしまったのだろうか。」  ■■コを陰湿にいじめた、という記憶はないが、いじっていた、一種のかわいがり、程度だったような気がするが、兄はそうでも、妹の側からはどう感じていたかは、想像がたりなかったかもしれない・・   まあ、ユニークな、どちらかといえば人に愛され、好かれる女性に育ちあがったように思えるから、ずっと、本文にあるような負担はほぼ感じたことはないんだが、兄は。
*「射精をしないでいると、心にやましい考えがいろいろとおこるが、おれは射精をしていないのだ(から)、じゅんけつだ、とも考えている。」  純潔、ですか・・ 言いたいことはわかるけど、用語を選びまちがえているような。
*「ジョチクナー」  恥辱な、の言い替えでしょう。
*「夏休みがあるから、学校の先生になってもいい。 なるんなら、小学校の先生がいい。」  あまいな。あますぎるな。  それに昔はまだしも(waka君が薫陶を受けた先生たちの時代はそれほどではなかったのかもしれないが)、この時分から先生を目指して、先生になったとして、その後数十年の間に、どんどん、教師や教育をとりまく環境は、きびしく、堅苦しく、狭苦しく、なっていったような気がする。さまざまな事件や解消できない問題の報道など、目にし耳にしてきたかぎりでは。

 

 
08:12 2022/02/06 (日)


 「世話」という漢字がなぜ、その意を表わす? 

        (1973/05/01)


 wisest → wise+st ○  wis+est ○  wise+est ○

        (1973/05/01)


 長髪
 調髪 = 理髪
    = 整髪

        (1973/05/01)


 整える ← 整 この字をすぐ忘れる。
 製
 制

        (1973/05/01)


 甲
 申

        (1973/05/01)


 ぼくの子供が、かたわだったら、どうしようか。
 母体が、はらんでいる時にぼくがそれをちょっとついたりしたがためにかたわになったり、死んだりしたらどうしようか。

        (1973/05/01)


 「『死のう、死のう、ぼくたち。もう、生きるのぞみも は? ない。』 ・・・どうだ、こういうでだしは。」
 「ああ、          」
 ・・・・ 

 → という、小説のでだしはどうかしら。

        (1973/05/01)


 A君は妻をなくした。そうしきがおわり、A君は、へやに大きな妻の写真をおき、いろいろとかざりたて、これ以上、だれも死ぬよちがないようにした。(つまり、死んでも、死んだ人のいはいや、かざりをおくよちをなくした。)

 多くの所でこうしているでしょう。人が一人死ぬと、家の多くの部分をその人のいはいや写真でかざりたて、それがさも特別なもののようによそおうでしょう。次の人が死んだら写真なんかをかざる所にこまるだろうに、と考えられるぐらい、かざって。

 つまり、まだかざれる余地を残しておくと、さあはやく次の人死んでくれ、と、その余地がいっているような感じになるのだ。そこで、人が一人死んだら、それが、ふつうのことでなく、特別な事で、これ1度きりなんだ、というように、余地をのこさずかざりたてるのだ。
 それがために、死ぬのは特別なことだなどと考えるのは、人が一人死んでいて、そのイメージが、強烈なためにむり。つまり、みんな、余地を残さずかざりたてるのがむなしい事だ、とは知っているのだ。ただ、余地をつくって、むりに気分を暗くする必要もないと思っているのだ。

        (1973/05/01)


 修学旅行には、色つきのタオル(大きいの)を持っていきましょう。フロにはいるとき、こしにまくため。

 中学の修学旅行ではテヌグイだったので、すけて、みえてしまった。

        (1973/05/01)


*「「世話」という漢字がなぜ、その意を表わす?」  ざっと調べたけど、ふくざつ。いくつかの説があるもよう。
*「wisest → wise+st ○  wis+est ○  wise+est ○」  wise(賢い)の最上級の、組成?  e がかさなり一つ省かれたとみるわけだ、waka君。
*「長髪  調髪 = 理髪  = 整髪」  長髪と同音で調髪が浮かんだか。よって、無い語だろうと思ったら、調髪も辞書に載っていた。
*「・・・ 母体が、はらんでいる時にぼくがそれをちょっとついたりしたがために ・・・」  心配しすぎでしょう。その程度のことでは。  結婚も彼女も、まだかなり遠い事でもあるし。  しかし、障害児を子に持つ可能性は、だれにでもあることは現実。
*「・・・ つまり、みんな、余地を残さずかざりたてるのがむなしい事だ、とは知っているのだ。ただ、余地をつくって、むりに気分を暗くする必要もないと思っているのだ。」  なるほど・・・
*「修学旅行には、色つきのタオル(大きいの)を持っていきましょう。フロにはいるとき、こしにまくため。」  修学旅行は、秋。だから、心配するのが早すぎなんだってば(^^;   それに、タオルでもてぬぐいでも、身につけたまま湯船に入るのはいかがなものか。  (早すぎることは自分でもわかっている。でも、気にかかっている今、現在、それをとりあえずなんとかしたい、放念したい。こういうプランを文字にして、なだめている、か)
*「中学の修学旅行ではテヌグイだったので、すけて、みえてしまった。」  1973/04/22でも同じことを言ってる。くりかえすのはトラウマになっているから? 

 

 
01:26 2022/01/30 (日)


 次の瞬間から、その次の瞬間までの間に、長い休か きゅうか(  ) がほしい。ぼくは、他の物いっさいが止まっている中で、一人、ねて、おわらない宿題をやってしまうのだが。けれど、その休かの間に、ぼくが感じただけ年をとってしまうのだったら、それはいらない。ぼくだけ、他の人より、年をとってしまうのだから。 それなら、学校で恥をかいた方がまだいい。そこで、年をとらずに長い間、休めたら、と思うのだが、感じるとは年をとる事だろうから、むりな話だろう。 してみると、ぼくが超人になって、一瞬を長い間と感じる事ができるとしても、それだけ年をとるのだから、生きる時は、結局、他とほぼ同じ、つまり、感じる事は他とほぼ同じということになるらしい。

        (1973/04/30)


 その人の真の意見と、いつわりの意見というくべつがあるのかしら? つまり、よく考えてだしたその人自身の意見と、よく考えていないため錯覚して、その人自身の意見となっていないものという区別が。

 あるとしたら、今の選挙は、この二つの意見を同等とみている。

 そして、真の意見とは、人によって、やはり異なるものなのでしょう。何か、1つにはまとまらないのでしょう。だとしたら、それらの意見が異なるのは、人間自身にまちがいがある人や、ない人がいるためでしょうか。それとも、人間自身はみな正しいと考えざるをえないのでしょうか。

        (1973/04/30)


 ハラガ ヘッターラ タベヨジャナイカー ハウスカーレー バーモントカレエ

 アナガ アッターラ ハイロジャナイカー ハウスカーレー バーモントカレエ

        (1973/04/30)


 ぼくのつかってるワラバンシはへんなにおいがするのだ。ガムの強いニオイのような感じ。

        (1973/04/30)


 非情  悲情  悲常  非常

        (1973/04/30)


 形 型 >この差は? 

        (1973/04/30)


 stick[stik] スティク )→ ステッキ となるのはナゼ? 

        (1973/04/30)


 小説の題だけ、「病める人々」なんていうような文語調で、内容は、現代口語調なのは変か? 
                               Gendai-kougochou

        (1973/04/30)


 今、ぼくのまわり、に精神感応。受信域をはって、だれかの精神をキャチしようとしたのだ。千葉市中か、日本じゅにはったのだが、ほとんどキャッチできんかった。

        (1973/04/30)


*「ほとんどキャッチできんかった。」  笑。わずかなら感知したみたいね(^^;

 

 
00:38 2022/01/23 (日)


 ぼくは、異性の愛にうえているのかしら? 
 求めているいう程度でなく、うえているぐらいまでいってしまうので、行動に、どうしてもほしいという物がはんえいするのだろうか。つまり、礼儀を忘れて、ひとつもひかえめでなく、えんりょもせず、くれるというものにとびついたり、くれるといわないさきから、くれないかしらと思って、とびつくよういをしている。まったくはずかしいしだいだ。そこで、女性にケイベツされ、けっきょくもっと愛がもらえなくなり、もっとうえる。

 しかし、一番最初、(もちろん今も)女性から、愛をえられなかったのは、太った体と、みにくい顔かしら? 

 まったく、おれって、あわれだなあ。 }カッコツケ

 どうしても、あわれと思いたくないくせに、

        (1973/04/30)


 ごくう(そんごくう)
  ↓
  極?

        (1973/04/30)


 地位の高い者、責任のある者は、低い者、ない者から、いじめられやすい。いじめても地位がさがりもしないし、責任もとわれない。

(例) ぼくと妹、

 ↓
 地位の低い者、責任のないものが、いじめているつもりでなく、常識的にみてもいじめていなくても、高い者、ある者には、いじめられているように思うことがある(5/1)

        (1973/04/30)


 いじめる いぢめる >どっち? 

        (1973/04/30)


 ほうこう人たちの前に主人の娘が顔をださなくなったら、彼らは、だれかいたずらをしたなと思うだろう。が、その娘はぼくが、■■にいくのがいやなのと同じような理由でいきたくなかったのかもしれぬ。

 つまり、外にでるのがいやで自分の内にとじこもっており、でるときは何か自信力をつける物を1つかかげてでていく。そして、何かというと、それを他にむける。

 なんの自信力をもたずとも、ただ世の中をわたれる人。自信力をつかって、わたる必要のない人もいるだろうに。

        (1973/04/30)


 ゆめのまたゆめ

        (1973/04/30)


 ほりょになったとき
「私の質問に答えたら、自由にしてやる。おまえを自由にさせないには、どうしたらよいか。」
 といわれたら、
「私に、この質問に答えさせないようにすればよろしい。(さあ すでに、質問に答えた。自由にしてもらおう。)」
 という。

 私に、この質問を答えさせないように
 私に、この質問に答えさせないように
 私を、この質問に・・・
          }→どれがいいのか? 

        (1973/04/30)


 いろんな子供をつくるための重婚、雑婚おおいにけっこう。ハインラインの月はムジヒな夜の女王の中の結婚形態がいい。

        (1973/04/30)


 なんのあてもなくてただよこになっているより、勉強をしなければならないのにと思いながら横になっている方が、横になっているありがたみがわかる。

        (1973/04/30)


*「(例) ぼくと妹、」  上の妹■■子との関係を言ってるみたいだ。■■子はいじめているというより、ちょっかいをだしたりいたずらをしたりいやがらせもして、気をひこうとしていたんだろうね、意識していなくても。今思えば。兄はまだ十分に大人ではないので、そこまで包み込むようには思いやれなかったんだろうね。というか、実際、めいわくやわずらわしさでうっとうしくなったりして、本気で怒ったり、だから相手もムキになったりおもしろがったりエスカレートしたり。  でもまあ、きょうだいのじゃれあいの内だわな、遠く思いだせば。
*「地位の低い者、責任のないものが、いじめているつもりでなく、常識的にみてもいじめていなくても、高い者、ある者には、いじめられているように思うことがある(5/1)」  これは翌日の追記。
*「が、その娘はぼくが、■■にいくのがいやなのと同じような理由でいきたくなかったのかもしれぬ。」  理由の一つは、まだなにものでも無いのに、■■の仕事をほぼ何も知らないのに、■■にいくと、ぼっちゃん、若先生の跡継ぎと、たてまつられるのが、居心地悪過ぎ。そうだった。  自信力 ≒ 見栄またはプライド、というところか。
*「ほりょになったとき」 ・・・  思考実験?   ややこしいことを書こうとするので、文もややこしくなる。いたしかたなし。  まあ、ややこしいことは、おおむね、つまらなかったり、偽であったりするような気がする。
*「いろんな子供をつくるための重婚、雑婚おおいにけっこう。ハインラインの月はムジヒな夜の女王の中の結婚形態がいい。」  『月は無慈悲な夜の女王』と同じく、R・A・ハインラインのSF小説『異星の客』においても、そういう婚姻、描かれていたと思う。  ただし、waka君の読みとったそれと作家の伝えたかったそれが同じかどうかはわからない。  産みちらかす、というのは問題ありかもなので、経済力があれば、かな。
*「なんのあてもなくてただよこになっているより、勉強をしなければならないのにと思いながら横になっている方が、横になっているありがたみがわかる。」  爆笑。  名言! 三年寝太郎のつぶやきみたい。

 

 
03:10 2022/01/16 (日)


 これからの自分の行動に対する不安より、すんでしまった過去の自分の行動が正しかったのだろうかという不安の方が、大きいだろうか。これは、年令の多い人の考えだろうか。若い人は逆か? 

        (1973/04/30)


 男は肉体的愛情を求め、女は精神的愛情を求めた場合、彼らはどのような形でむすばれるべきか? 

 女が、肉体的愛情をきらうというより、あってもなくてもかまわぬと考えているとしたら? 

        (1973/04/30)


 ぼくや、ぼくの小説は、好きだとか、男とか、女とかを考えすぎかしら。

        (1973/04/30)


 昔、土だんごをつくったよりもあとの頃、ぼくは、お習字をやった後の紙を水にとかし、どろどろにしてそれで灰色のだんごをつくり、おいておいて、カチカチにした。そして、よく夢をみたものだ、つまり夢を考えたものだ。その灰色の玉がわれて、何から、きれいな、小さな女の子がでてくるなどと思ったものだ。あのころの自分としてもふつうなら、そんな事を信じなかっただろうが、灰色の玉を自分でつくったという事によってか、灰色の玉をみるたびに、そこからでてくるかもしれない女の子の事を考えた。
 そのようち、2つほどできた灰色の玉はすてられてしまった。

 紙からつくったから、もえるのだろうなあ。

        (1973/04/30)


 おなかがへるのは、だれのせい? 

        (1973/04/30)


○ 大きいけれどやわい土ダンゴ
○ 小さいけどかたい土ダンゴ
                →両方望めるか? 

○ 形はいいけど、ひかっていない土ダンゴ
○ ひかっているけど、形のわるい土ダンゴ

        (1973/04/30)


 テレビのCMをみて、そこにでてきた食べ物をくいたくなる人なんているのかしら? 

        (1973/04/30)


 日なたがすぐそばにある日かげで昼寝しているのだが、とっても気持ちがいい。

        (1973/04/30)


 気持 → きもち きじ

        (1973/04/30)


 火事などにあって、ヒステリーをおこしている女性に、だまりなさいっ ヒステリーなんかをおこすと死にます、と注意すると、その女性は死にそうだから、ヒステリーをしているのに、ヒステリーをしても死ぬとあっては、どうしようとますますヒステリーになるかも。

        (1973/04/30)


 マドにかみか、布をあって、その上からわると、あまり音がしない? 

        (1973/04/30)


 くどくどと弁解するより、みんな私が悪いんだとヒステリックになったりひらきなおったりするより、淡々と正直に事実を述べるのがよいでしょう。

        (1973/04/30)


*「昔、土だんごをつくったよりもあとの頃、ぼくは、」 ・・・  何から→中から、とか、そのようち→そのうち、とか、明らかな誤記があるが、小話になってる。
*「テレビのCMをみて、そこにでてきた食べ物をくいたくなる人なんているのかしら?」  いないような口ぶりだね。  だからそんな演技しても意味ないのに、滑稽だよ、といいたいのかな。  とりあえず自分がその気にならなかっただけだと思う。TVの訴求力、誘引作用、サブリミナル効果等々を見くびっているぞ。
*「気持 → きもち きじ」  気は、き、けと読むけど、これは、訓ではなく音なんだよね。よって、きもち(気持)は重箱読みといえる。下も音にして、きじ(気持)はどうよ、といってるんでしょう。  じゅうそう(重箱)、きけい(気軽)、などと同じで、ありえないけど、なぜありえないのかと考えると不思議でもある。
*「火事などにあって、ヒステリーをおこしている女性に、」 ・・・  パニック状態の女子を言葉だけで落ちつかせるのは至難かも。言葉、力、気合い、水なり毛布なりなにか道具または気つけ薬など、これら総動員で組み敷くぐらいか。  活劇の中などでは、手に負えないとみると当て身をして気絶させるとかよくある。しかし、当て身ってなんだ? あんな技(怪我させずに気絶だけさせる?)、男子ならだれでもできるって事はないよね〜 
*「マドにかみか、布をあって、その上からわると、あまり音がしない?」  怪我防止の技でもあるな。  にしても、侵入者の手口だよね、これは。  多少類縁があるかもしれない。フロッピーディスクとかMOなどを廃棄するとき、データが漏洩しないよう切ったり割ったりするんだけど、私は、透明なビニール袋に入れてその中で割った。破片の飛散防止、という意味もあり。  なお、布をあって、は、当てと貼ってが重なってしまったか。
*「くどくどと弁解するより、みんな私が悪いんだとヒステリックになったりひらきなおったりするより、淡々と正直に事実を述べるのがよいでしょう。」  最初に読むと〔AよりBを選ぶ、そのBよりCが最終的によい〕。  読みなおすと〔AよりもまたはBよりも、Cがよい〕。  初読と再読で文の構造が変移して感じられて、なんかおもしろいというか奇妙だ。思考しながら書いた流れが初読のそれなんだろうね。結果的に、整然とした姿にも読めるようになっていた(再読のそれ)ってことか。

 

 
01:25 2022/01/09 (日)


 政治は完全にはなりえない。いろいろな法規、慣習にそぐわない例外がひとつもないようにするのはむずかしい。
 だから、どこかしらで、かならず矛盾している。だから、時の政府を批判する理論なんて、いつでもつくれる。

        (1973/04/30)


 そぐう

        (1973/04/30)


 珠 株

        (1973/04/30)


 手術をうけて、そして、失敗され、苦しみながら死ぬなんて、いやだなー。
 手術用具を体の中におき忘れられたりして、おそろしい苦しみをじょじょにうけていくなんて、オソロシイ。

        (1973/04/30)


 ■■こはヒステリーのけがあるのかしら。ときどき、発作的になきだして、なくと、もう何をいってもわからなくなる。

        (1973/04/30)


 自分に対する、ヒナンを心にかくしている人がいるという存在はいやなものかしら? 

 また相手は心の中で、自分の方が正しいと思っているのだが、口にはその心をださず、こちらにしたがっている。そういうとき、こちらが、相手はぼくにくっぷくしているのだと考えて、それにそって相手に対し話し、行動しているときのあわれ、をかし。

        (1973/04/30)


*「そぐう」  たしかにふつう、そぐわない、と否定形でしか使わないか。  気になったわけだ、原形が。
*「■■こはヒステリーのけがあるのかしら。」  上の妹。  前日4/29、下の妹についても書いたばかり。
*「自分に対する、ヒナンを心にかくしている人がいるという存在はいやなものかしら?」 ・・・ 「それにそって相手に対し話し、行動しているときのあわれ、をかし。」  わかりづらい文章だが、いいたい事はなんとかわかる。実際そういうことがあった匂いがするが、waka君が隠している人の立場なら、若干の怨嗟が込められているようだし、waka君が面従腹背されている側なら、自省し後悔もしてどこかを叩いているような。

 

 
21:51 2022/01/01 (土)


 オカボや、ヤマが、ぼくのへやにくるときなど、彼らのみを、へやにのこして、ぼくがどこかにいくのはすこしく、不安である。なぜなら、ぼくのへやには、このノートなどのようにプライベートな事をかいた物がたくさんあるし、彼らもぼくとひたしいし、いままでのつきあいのけいけんから、きがるにいろんなものをとりあげてよむように思えるのだよ。おもいすごしかしら? 

        (1973/04/30)


 1瞬と次の1瞬の境い目の、時間のないような間に、自分のすきなだけの時間を体験できる超人。この世界において、それだけ体験できる人。その間には他の次元へいっている人。とにかく、ふつうの人の目には、その超人の行動がとぎれてみえるようなことがないのだ。彼は、時がすぎぬ間に、異次元へいき、十分楽しんで、また、もとの「時」にもどってくるのだから。こうなったら、おもろい。

        (1973/04/30)


*「オカボや、ヤマが、ぼくのへやにくるときなど、」  二人とも中学同級。高校は別だが、つきあいは続いている。  waka君の当時の自室は母屋の北西角の四畳半。西側の隣家の塀との間に幅一メートルぐらいの地面がある。四畳半の西側はなぜか下段に窓がありこれがまるで、にじり口のよう。友らは玄関でなく、庭をまわって、こちらからやってきた。
*「1瞬と次の1瞬の境い目の、時間のないような間に、自分のすきなだけの時間を体験できる超人。」  大昔のドラマ「時間よとまれ」のアイデアだな。あるいは、時間の壺中天。  → 念のため調べたら、「時間よとまれ」はタイトルではなかった。1961〜1962年のNHKのTVドラマ『ふしぎな少年』(原作、手塚治虫)、この主人公が時間を止めるときのセリフが「時間よとまれ」だった。  → waka君、視聴していたと思うんだが、まだ幼児の頃ということになる。再放送をみたのかと思ったが、wikiによれば、このドラマ、ほとんどが生放送だったとか。テープ等が高価過ぎる時代で、映像記録がほぼ残っていないそうだ。ということは再放送もできなかったということになる。  → 誰かが時間よとまれ、といい、他の子供たちが動きをとめて静止する、そんな遊びをした記憶がある。ダルマさんがころんだ、と似ているけど、「時間よとまれ」のまねしんぼのほうは、勝ち負けというより静止しつづけたりがまんできなくて崩れてしまったりするのをおもしろがってたような・・

 

 
00:16 2022/01/01 (土)

 ★  新春ポートレート  ★
 

 
03:59 2021/12/26 (日)


 お父さんも、ス■■おばちゃんも、ぼくも、乱視

        (1973/04/29)


 うん≒つき

 うんは連続してやってくるし、 一度さると、そうかんたんにこない }? 

        (1973/04/29)


 トランプをくばるとき、トランプをもっている手とくばっている手が2つあるが、その両方を動かすより、片方を動かしたがよく、トランプをもっている手をうごかすよりは、くばる手を動かしたがいい。

        (1973/04/29)


 トランプゲームの運は、最初にくばられたカードの運だ・・・と考えてはおもしろくなくなる。どんな悪いカードも、それからの努力と、うんをきたいしなければ。

        (1973/04/29)


 テツセブ
 テツヤのセブンブリッジ

        (1973/04/29)


 てつまん

        (1973/04/29)


*「トランプをもっている手をうごかすよりは、くばる手を動かしたがいい。」  と言う以上は、トランプをもっている手を動かし、くばる手を動かさない方法もあるみたいだが、くばる手を動かさないでトランプがくばれるものだろうか。  なんかへんだよね。  スナップをきかせて、放り投げるとか!?
 → 試しに、ひさしぶりにトランプを扱ってみた。(いやあ、ぎこちない・・ 指が乾いているのか、くっついてくれず、札がスイスイくばれない・・)  つまり、トランプをもっている手を動かす方法とは、もっている手とくばる手の位置関係を変えずに両方を移動させてくばる。  トランプをもっている手を動かさない方法とは、もっている手は手元にほぼ固定して、くばる手を四方に伸ばしてくばる。  ということらしいな・・

 

 
01:01 2021/12/19 (日)


 1人、セブンブリッジもおもしろい。1人で、4人分やるのだ。
 点つけて、10回ぐらいやるのだ。

        (1973/04/29)


 トランプをきる。

        (1973/04/29)


 セブンブリッジやポーカーは、確率の勝負であるが、それはつまり運だというのだ。最も確率の高いようにフダをかえていっても、それが最もいいとはかぎらぬのだから。確率が高いようにフダをかえなくても、運よく、ラッキーカードがくることもある。
 しかし、セブンブリッジはおもしろい。

        (1973/04/29)


 トランプでルールをよくしらないときはかちまけよりも、やっている仲間にめいわくをかけるようで、不安。

        (1973/04/29)

 

 
02:56 2021/12/12 (日)


 ■■リが、オチャワンをおとして、ゴハンをちらかした。おじいさんはいつものように、「一人でやらしてください。」といって、他の■■リに対するえん助をやめるようにいった。ぼくもいつものようにてつだわなかった。ゴハンはぼくの足の上にものっていたのだが、ぼくはとらずに、■■リに、「はやくとってよ」と言った。そしたら、おじいさんが、「兄弟だろ、とってやれ」という。そこで、「■■リがおとしたら、■■リがひろうのがあたりまえじゃないか。」といいかえす。おじいさんこそひろってやればいい、とか、おじいさん自身、■■リ1人でやれといったのに、と思う。けっきょく、■■リと、よこはまのおばあさんでひろう。そのあと、おじいさんは、「兄弟なんだから、人情がなくちゃいけない。高校生なんだから。」
 と何度かいう。ぼくは一度だけ、
 「そうですかァ。」
 といったが、どうしても、おじいさんがてつだうなっていったんじゃないかといいたかった。
 が、意地っぱり同志のぼくとおじいさんがケンカしてもしょうがない、と思って、がまんした。がまんしながら、その「そうですかァ。」を言った。頭の中は、いかったり、おじいさんもまちがえることはあるんだ、と同情したり、だいぶぐらついた。

        (1973/04/29)


* 妹■■リとは八つ違いのはず。waka君十六歳だから、■■リは八歳か? 小学三年生ぐらい?  ご飯を散らかしたのは、幼児で手元がつたないから、ではなく、小児なりにヒステリー持ちで、発作的に放り投げたりしてたんだよね、たしか。後年のおっとりしたお嬢さん風からは想像しづらいけど、■■リって本質的にwaka一族の典型で、神経質なんだ、おそらく。  ■■リの突発乱行の隣で、兄も精神的な葛藤をしていたのだね。食事の場には、祖父、横浜のおばあさん、両親、姉、waka、■■コ(上の妹)、■■リ(下の妹)、と同居全員がいたはず。食事中だけど、■■リ発端で、だいぶぎすぎすした空気になっているな。  (姉は女子大生ぐらいだから、もしかしたらまだ帰宅してない時間かも。まじめな姉だから、可能性は低いか)

 

 
01:02 2021/12/05 (日)


 ガラスはしがいせんをほとんど通さないとよ。

        (1973/04/29)


 ジマクスーパーのえいがをみるときは、字のでる側でない反対の側にすわったがいい。字のでる側にすわると、字ばかりみて、画面をみわたせないとよ。(ヤマ)

        (1973/04/29)


 めがねをかけて、町を歩くと、耳が遠くなる。

        (1973/04/29)


 ひげをのばすのに、時間がかかるかしら。

        (1973/04/29)


*「ガラスはしがいせんをほとんど通さないとよ。」  最初「カラス」と読んで、また変なことメモして、と思ってしまったよ(^^;
*「ジマクスーパーのえいがをみるときは、」  ヤマは中学同級。映画館の息子だから、この助言は信頼できる。
*「めがねをかけて、町を歩くと、耳が遠くなる。」  ?? そうかい? そういう感覚がするのかな。視界が明瞭だと、視界が不明瞭だったときほどには聴覚に頼らなくなる、というメカニズム、ないとは言えないな・・
*「ひげをのばすのに、時間がかかるかしら。」  笑。高二じゃね、さすがに時期尚早か。  でも、高校で学年に一人ぐらい、ヒゲはやしてたヤツ、いたような。  後年、四十代ぐらいか、一時期、口髭などはやしました。

 

 
07:47 2021/11/28 (日)


 しかし、高校は宿題が少ない。小学校や中学にくらべて、

        (1973/04/28)


 カマトト :じゅんしん、うぶをよそおう女

        (1973/04/28)


 ぼくの国語能力は、まったく低い。

 ぼくは長い単文がつくれぬのだ!!

        (1973/04/28)


 ぼくのお母さんはきびしいけれど、自分の子供に対してはあまいのだそうだ。
     ↓
   ス■■オバチャンの話

        (1973/04/28)


 字がみだれているから、まともにする。

        (1973/04/28)


 「まどろっこしい」という日本語はある? 

        (1973/04/28)


 ぼくはドテラ1枚あればたたみの上にもねられるのです。

        (1973/04/28)


 男A、女B、C。
 AはBが積極的なので、自分もBに対して積極的になるが、Cは消極的なので、自分もCに対して、消極的になる。Bが10を求めていると、Aは8を与え、Cが5を求めていると、Aは4を与える。つまり、ともに80%。だから、AはCよりもBに対しての方が、より積極的で、Bをより好いているようにみえるが、じつは、BもCも同じぐらいすいている。
 (つまり、Aは、相手にあわせていて、自分の心は殺している。)
    ↓
  それとも、自然にこうなった。

        (1973/04/28)


 「悲しい動物園」
 というお話を、ずいそう風にかきましょう。
  ↓
 題は「動物園」でいいのです。

        (1973/04/29)


 もし、将棋同好会に女子がはいったら、タイヘンでしょうね。

        (1973/04/29)


 〜にちなみまして。

        (1973/04/29)


 いそなげき

        (1973/04/29)


*「字がみだれているから、まともにする。」  したい、だろうな。つづく2〜3行だけ、おとなしく書こうとしてるけど、すぐ元の木阿弥。
*「「まどろっこしい」という日本語はある?」  あり!  ちなみに、「まだるっこしい」という日本語もある。  どでもだでも同じ意でまだるが言いづらいからまどろに変化などしたんだろう、ぐらいにずっと思ってた。しかし今回辞書をしらべてみたら、これらは別々に載っており、どちらの項でも、互いを類義語、言い替え語などとみなしてもいないようす。つまり別語扱い。  なお、ネット検索すると、皆さん、おおむね別語意識は薄いみたいだ。  (両者の関係を明確に説明してくれるサイトが見つからないので、ということは、学者さんたちのほうでも明確な見解というのがまだないのかも)
*「ぼくはドテラ1枚あればたたみの上にもねられるのです。」  上でも、でしょう。(上にも寝られる、だと、ふつう畳には横になることができないみたい。上でも寝られる、なら、睡眠できる、という意味になる。上に寝る、上で寝る、の違いでしょう。それぞれ、横になる、睡眠する、という意のほうが濃いはず)
*「悲しい動物園」  まず題名ありきの物語、か? まあ、そういう手法もあるし、私は嫌いなほうじゃないけど、たぶん、物語の輪郭、雰囲気はもうwaka君の心中にあるんでしょう。  それを引き出すキーワードとしてこの題名をメモしたのでは、と思う、けれども、さすがにもう引き出す手筈のデータのほうが脳内の遠い暗がりで散逸しております。

 

 
01:33 2021/11/21 (日)


 〜によって 
  ↓
 〜をもって 以て = 〜を持って }???

        (1973/04/28)


 ぼくはおなかがすいていると、しょうぎがつよいのか。

 今日は、弁当を食わずに三連勝

 内■先輩にも勝ったのだ。

        (1973/04/28)


 かしふとんやは、どうやれば、利用できるか? 

        (1973/04/28)


 テレビのCMをもっと番組と関連のある物にすれば、連続的にテレビをみる人がふえるだろう。

        (1973/04/28)


 かんにんぶくろの「お」とは、何のこと。

        (1973/04/28)


 玉の「お」とは? 

        (1973/04/28)


 おセンベつ

        (1973/04/28)


 春は中学の修学旅行
  → 中学三年生は、秋、高校入試でいそがしいから
 秋は高校の修学旅行
  → 高校2年生ですでにいくから。

        (1973/04/28)


 プロのきしは、二日にわたって勝負がなされるとき、1日目、家に帰ってから、戦いを考えるのだろうか? 

        (1973/04/28)


 ナメコとキクラゲ 
     はおいしい!!

        (1973/04/28)


 キクラゲはどんな所にはえるのだろう? 

        (1973/04/28)


 Aという作用がおこると、Bという現象がおこる、とする。しかし、Aという作用が、実は、AとAの2つにわかれたとし、Aなら、Bがおこるが、Aだとおこらないとする。こういうことはよくあるんだろうなあ。AをやったのにBがおこらぬ。なぜなら、AのうちのAをやっていたのだから、とかいうような。

        (1973/04/28)


*「今日は、弁当を食わずに三連勝」  将棋同好会の例会は土曜の午後。(1973/04/28は土曜日)
*「かしふとんやは、どうやれば、利用できるか?」  ここに書かれているので、貸し布団屋という商売が当時はあったんでしょうね。今もあるのかどうか。  で、どうして高校生のwaka君が布団を貸してほしいのか、それは謎。将棋同好会で合宿とかの話がでたんだろうか。半ば冗談で。(合宿が予定されたり実際に行われたことは全くなかったはず)
*「かんにんぶくろの「お」とは、何のこと。」   緒(お)。結び留めるもの。
*「玉の「お」とは?」  玉の緒。玉(魂)をつなぎとめておく紐。いのちの意。
*「おセンベつ」  餞別と(よく菓子折になる)センベイとの近似をいいたい? 
*「プロのきしは、二日にわたって勝負がなされるとき、1日目、家に帰ってから、戦いを考えるのだろうか?」  現代の、将棋のプロ棋士の二日制の対局は、ほぼすべてタイトル戦。ほぼすべて各地の旅館とかホテルで泊まりがけとなるので、家には帰らないよね。  太平洋戦争の前後とか、もっと昔とかは、どうだったか知らないけれど。少なくともここ半世紀ぐらい(私の見聞した範囲)では。
*「キクラゲ」  ちなみに、漢字では(古来中国では)、木耳。耳に似ているから。  キクラゲの四音まとまりで覚えてしまっていてふだん意識しないけど、この呼び方は(和名は)やはり、木になるクラゲ(水母、海月)ということか。
*「こういうことはよくあるんだろうなあ。」  あるでしょうなあ・・  たとえば、雄が誘えば雌が応じるはずなのに、ある雄が誘っても雌がそっぽを向くのはどうしたわけか、とかね! 

 

 
09:00 2021/11/14 (日)


 あついおふろにゆっくりはいるとほんとにきもちがよく、つかれがとれる。そのあとすぐ床にはいるのは、まったくキモチイイ。

        (1973/04/27)


 ぼくはぼくの事を心配してくれた、そして、くれている多くの人たちのためにも、■■になるべきなのか? 

        (1973/04/27)


 高2では、家の事も大学の事もわすれてクラブにうちこもうかね。

        (1973/04/27)


 カモノダイブ=バンボク

        (1973/04/28)


 このごろは信号が赤になったばかりなどだと、わたってしまうことがある。しんごうムシするようになってしまった。

        (1973/04/28)


 何卒 :なにとぞ

        (1973/04/28)


 2H+O → H2O :マチガイ
 2H2+O2 → H2O :マチガイ
 H2+O → H2O :マチガイ
 2H2+O2 → 2H2O :アタリ

        (1973/04/28)


 ゲッコウカメン ソレトモ、アオイサンミャク? のふしにあわせて

   ナーンノ インガカ シラナイケレド
   アーワレ フタエモジー タララララーララー

        (1973/04/28)


 日本語は、たてにもよこにもかけるが、英語はよこにしか、かけない。

        (1973/04/28)


 実験なんて、失敗するのが、あたりまえか? 

        (1973/04/28)


 もとTG、今、UCにいるであろう、■サカさんが、今日の朝、ストライキで、授業が、30分おくれた、そのときに、UAの教室にきて、ぼくのうしろのせきにすわりまわりの女子と数学の問題をやった。ぼくをしたってきたのかしらとも思ったけど、やっぱり、ただ、UAの女子に会いにきたらしいですね。サッカクして、彼女にめいわくをかけぬよう、注意しました。

 授業開始がいつもより30分おくれたので、いつもより、30分長く自由にしていることができたのだが、そのときに、
  ↓
 この文、もっとかんたんにできないの? 

        (1973/04/28)


 〜したがいい
 〜した事がいい
 〜するのがいい
 〜するがいい
 ・・・ 

        (1973/04/28)


 いずれ ○
 いづれ ○

        (1973/04/28)


*「■■になるべきなのか?」  家業を継ぐかどうか、ゆれてます。継ぐならば、行くべき大学がほぼ決まっているという事情あり。
*「高2では、家の事も大学の事もわすれてクラブにうちこもうかね。」  面倒は先延ばし、と・・ 
*「カモノダイブ=バンボク」  意味不明。古人と、その別名か? 鴨大夫? 伴睦?  鴨長明関わりかと調べたが、わからず。  役名と演者ということも?   → 前年1972年のNHK大河ドラマ『新・平家物語』に朱鼻の伴卜(あけはなの ばんぼく)という(架空の)人物が登場する。このモデルが鴨の大夫(鴨長明?)ではないか、と言っているのかもしれない。(waka君はこの大河ドラマを熱心に視聴していたはず)(ただし、この伴卜、たしか清盛より年上で、清盛の政商として活躍するという役柄なんだけど、鴨長明は平清盛より37歳年下、清盛死亡時でもまだ26歳ぐらい。年齢がまるで整合しないみたいだ。それに『方丈記』の鴨長明は文人で、商人ではないしなあ)  → それとも、『新・平家物語』の中で、朱鼻の伴卜の別名(または後年の通称)が鴨の大夫(賀茂の大夫?)、という設定になっているってだけなのかな。このことを、放送終了後半年ぐらいして、そういえばと思いだした、とか? (ネット検索では裏付けはとれなかった。原作小説を読んでみれば真偽は判明しそうだが・・)  → なお、朱鼻の伴卜のモデルは藤原邦綱(平氏政権期の権臣)、という情報もあり。
*「アーワレ フタエモジー タララララーララー」  フタエモジー、が意味不明のため、替え歌の意図もよくわからず。  どうも、謎がつづく・・   → 単純に、二重文字か。近視進行のため、メガネを外すともう文字が二重に見えて、それをこう嘆いているのかな・・ 
*「■サカさんが、今日の朝、」  ■坂嬢。たしか、小柄、丸顔の美人だったよね。
*「いずれ ○」「いづれ ○」  ○は満点の正解、○はやや正解、というぐらいの(waka君の)記号と思われる。  いづれは、歴史的仮名遣い。

 

 
01:14 2021/11/07 (日)


 けんしん
  →訓読みでなんという? 

        (1973/04/27)


 ほんとうらしい事をすこし書けば、読者は、他をすいそくできる。だから、うまい文章とは、なるべくかんたんに(すこしのみかく)、ほんとうらい事をかいた物である。

        (1973/04/27)


 作中人物に、こういう行動や考えをさせたい、と思っても、それが、今までの作中人物の行動にそっていなければ、だめ。だから、作中人物の行動、考え、は、外の世界の現実から決めるのではなく、作中人物を中心にして決めねばならぬ。

        (1973/04/27)


 結婚するときは、家の人々とも合意せねばならぬのだろうか。

        (1973/04/27)


 パンです → パンダ 

        (1973/04/27)


 「あれする」なんていうことばがでてきた 

        (1973/04/27)


 ぼくは16年間、生きてきたけど、国鉄ストがいつごろからはじまったかしらない。

        (1973/04/27)


 シーザーは歴史家か? 

        (1973/04/27)


 AとB以外
  → AとB、これら以外
  → Aと、B以外

        (1973/04/27)


*「けんしん  →訓読みでなんという?」  謙信か。謙なら「へりくだ・る」が訓読みだそうな。  献身? 献なら「たてまつ・る」「ささ・げる」だが。  他にも、けんしんと読む熟語いくつもあって、とうてい解答不能・・ 
*「「あれする」なんていうことばがでてきた」  自分の独り言で? 
*「シーザーは歴史家か?」  wikiをみると、シーザー(ガーイウス・ユーリウス・カエサル。共和政ローマ末期の政治家、軍人)の著書に『ガリア戦記』がある。これは、自らの手で書き記した、ガリア戦争の遠征記録とのこと。少なくとも文筆家ではあったようだ。

 

 
01:36 2021/10/31 (日)


 おれはさ → おれさあ

 おれさあ おれさァ おれサァ オレさあ オレサァ ・・・ }どれがいいの? 

        (1973/04/27)


 キスをした所が赤くなるのは口べにのためか? 
 それとも、キスをしたはだに、だえきがつくと、そのだえきのために赤くなるのか。くちびるが赤いのはだえきのためではないの? 

        (1973/04/27)


 ぼくみたいなブオトコは子供なんか生むべきでないのかしら? 
 マサカネ。

        (1973/04/27)


 辞す  辞する  >どっち

        (1973/04/27)


 ぼくのにきびは、ぼくが気にしていじることを、やめたときになおるのでしょうね。

        (1973/04/27)


 にきびをとりしあとにできし
 白きかさぶた
 大きかさぶたと小さきかさぶた
 つらなりてならぶ
 今、小さき方をいじる
 かく、
 ひきかく、
 かさぶたはとれぬ
 とれしあとより
 いでし血の珠
 燈光にあたりて
 小さく光れり

 鏡をみてよめる

        (1973/04/27)


 ぼくはお父さんとお母さんが、アイブしている所なんてみたことがない。ケンカしている所はみた。でもなんかしなきゃ、ぼくたちは生まれないやね。

        (1973/04/27)


 自分の手で自分の顔の皮をひきさくことはできるか? 

        (1973/04/27)


 かるくうれしい時のむなしさ

 へんケン? 

        (1973/04/27)


 A君がいる、とする。A君が12の時、BはAに「α」という事を話してくれなかった。14の時、BはAに「α」という事を話してくれた。Aは思う、「α」という事を知るには、12より13の時の方が、よりけいけんが増し、「α」をよりよく、理解でき、よりよく他に応用できるので、Bは13の時に話したのだろう、と。
 しかし、実際の生活で、こんな差が重要であろうか? つまり、現実のさつばつとした冷たい社会はこんな差を気にするだろうか。上の考察は、Aが、自分自身の正直な心で自分自身のために考えた事なのではないか。正直物はそう考えるのか。

        (1973/04/27)


*「ぼくのにきびは、ぼくが気にしていじることを、やめたときになおるのでしょうね。」  わかってんじゃん。  でも、わかっちゃいるけどやめられない。その典型のひとつ。
*「かるくうれしい時のむなしさ  へんケン?」  文意、不明だね・・  表層だけで喜んでいるときの虚しさ、などということ?  我が身というより、他人のそんな様子を虚しいと決めつけるのは、偏見では、といってるのかな・・ 
*「A君がいる、とする。A君が12の時、」 ・・・  これも言いたいことが汲み取りづらいよね。記号や抽象じゃなくて、もうすこし具体的な材料で説明してほしかった。  A君は、実は意味があまりないことを、意味があるかのように考察しているフシがあるな。それが、自分自身の正直な心で自分自身のために考えたってことになるのか?  (Bが実はあまり意図していないことを、意図しているかのように忖度しているフシ、か)  なお、序盤で14の時といっているのに、すぐ後で13の時になっている。単純ミスということでいいの? おわりの正直物も、正直者だろう、ふつう。

 

 
01:29 2021/10/24 (日)


 ゼネスト とは? 

        (1973/04/26)


 あいまいさ

 (1).女が、男の方をみたように、男は感じる
 (2).女が、男の方をみた。

 (1)、(2)とも、女が男を好きか、という点ではあいまい。
 が、(1)の方がより文学的なアイマイ。
 (2)のアイマイさは、数学的。

 (1)(2)ともに、「女は男を好きだったのかもしれぬ、」とつなげてみるとわかる。

        (1973/04/26)


 産業界と財界は、どうちがうのか? 

        (1973/04/26)


 一子 :かずこ かづこ }? 

        (1973/04/26)


 ぼくは、鉄棒のさかあがりができなくなってしまった。

        (1973/04/26)


 ぼくは、たたみの上ででもねられる重宝な体を持っている。

        (1973/04/27)


 からだ :体  身体 

        (1973/04/27)


 からだ → 空だ 

        (1973/04/27)


 真夜中、悪友がきて、いやがらせに外で、自動車のクラクションをブーブーならす。となりの家の主人がきて、
「Aさん、たいへんでしょう。」
という。
「ええ、でもがまんしてればあいつは帰ります。」
「そうしてもいられないですよ。あなたはがまんできても、わたしどもはできゃしません。」
 主人、Aの悪友に注意しにいく。

        (1973/04/27)


 毎日、夜、雨が降って、昼は晴れるようだったら、理想的な天気か? 

 今、夜の2時48分だけど雨がふってる..

        (1973/04/27)


 高水準の事を考えるには、自由と時間と、体系づける能力が必要らしい。

        (1973/04/27)


 戦って、首をとる風習は、いつごろから、どこらからはじまり、いつごろまで、どこらまでひろがり、おとろえたか。

        (1973/04/27)


 南北アメリカ大陸のインディアンは、アジアから、わたった人々から、発展したのではなかろうか。

        (1973/04/27)


 みやげ =宮気? 
     =おみやげ? 

        (1973/04/27)


 いけぞんざい
 いけすかない

        (1973/04/27)


 敬語を使うのを気にする中高年の人々と、まったく気にしない青年たちを小説にだすのは、たいへんだろうなあ。

        (1973/04/27)


*「一子 :かずこ かづこ }?」  かずこ、であろう。
*「南北アメリカ大陸のインディアンは、アジアから、わたった人々から、発展したのではなかろうか。」  今、ネットでしらべると、これが定説になっている。(といっても、まあ、waka君がこれを書く以前から定説なんでしょう。その後、遺伝情報などの比較が可能になるとさらに補強されたもよう)
*「みやげ」  語源ははっきりしないらしい。
*「敬語を使うのを気にする中高年の人々と、まったく気にしない青年たちを小説にだすのは、たいへんだろうなあ。」  そもそも、敬語自体がむずかしいんだよ。現在、いい年した大人でも、あるいは、プロの小説家でも、きちんと正しい敬語で話せている、会話文を記せている、かどうかあやしいもん。丁寧語、尊敬語あたりはまだしも、謙譲語、二重敬語とかになると、なめらかに述べているようで実は誤用なんてのざらではないかなあ・・  (つまり、仮に、まったく誤りの無い敬語を小説の登場人物がいつも口にしていると、それはそれでリアリティーがないってことになりかねない。敬語を使うのを気にする中高年の人々らしい敬語の様相や正確さ(不正確さ)の程度、まったく気にしない青年たちらしい敬語の様相や不正確さ(正確さ)の程度、これらをそれぞれそれなりに書きあらわす、書きわける、のはむずかしいだろうなあ、と本項はいっているんでしょう)

 

 
01:08 2021/10/17 (日)


 ! ―フヤケル→ ? 

        (1973/04/26)


 かんがみ

        (1973/04/26)


 今の学校は授業中心で、1人で勉強する時間がとりにくい。とるとすれば、夜になろうが、ひじょうに、けんこう的でない。
 そこで、学校に1日交たいにいって、間の日は自宅学習日、にするとか、日曜と水曜をやすみにするとか、時間割の中に自習時間を多くとり入れて、家などで勉強しなくてもいいようにするとか、とにかく、そうしなきゃ、あまりにも苦だ。

        (1973/04/26)


 タカ■■スミ■サンは女のみりょく、マサ■さんはセイジュンハのみりょく。

        (1973/04/26)


 やしなえない、とか、病気になってしまう、または、病気が悪化する、とか、強姦にやられたためだ、などという理由がつけば、中絶してもいいそうだが、そんな理由の何一つない人は、子供ができたら、ぜったい生まねばならぬのか? 

 あたりまえでしょうね。病気になって、母体が死ぬかも、というような時には考えねばならないでしょうが、やしなえないとか、強姦にとかは、あまい。できてしまった生命は、殺すべきでない、他人が。その生命以外の物が。どう生きるかはその生命が決めるべきだから。

        (1973/04/26)


*「! ―フヤケル→ ?」  「!」がふやけてまがっちゃって、「?」になった、と。
*「かんがみ」  謎っぽい語、気になる、ということかも。  辞書によれば、鏡(かがみ)が動詞化して、かがみる。これの強調形で、かんがみる。
*「そこで、学校に1日交たいにいって、間の日は自宅学習日、にするとか、日曜と水曜をやすみにするとか、時間割の中に自習時間を多くとり入れて、家などで勉強しなくてもいいようにするとか、とにかく、そうしなきゃ、あまりにも苦だ。」  昔も今もなまけもの、というべきか。正直、というべきか。  でもこれが素直な気持、望みだよね。今も。
*「タカ■■スミ■サンは女のみりょく、マサ■さんはセイジュンハのみりょく。」  そうだ。同学年に、高■姓の美女が二人いたんだ。  マサ■さんのほうは静かだけど健康的な、正統派女子高生風。スミ■さんは、月のような妖しげな色香。だったか。どちらもわりと背があったと思う。
*「できてしまった生命は、殺すべきでない、他人が。その生命以外の物が。どう生きるかはその生命が決めるべきだから。」  きびしいな・・ 母体である女性にとって、胎児は場合によっては異物と感じるかも。産んでもふたんになるだけと感じるかも。そう感じてしまった女性の望み(堕胎)は、悪なのか、罪なのか。どうしても? 素直な欲求に過ぎなくても?  というか、現実には、こういう場合でも、許される事由のどれかということにして、堕胎はされているようだけど。そしてしかし、女性の心にそれが罪として刻まれてしまうということもすくなからずあるようだけど。  ・・望まれないいのち。生まれおちることができなかった子ら。是非善悪はとりあえずおいておいて、供養はしてあげたいです。

 

 
00:55 2021/10/10 (日)


 外務省 : 外務を省く? 

        (1973/04/26)


 官−庭
  Х    >? 
 宮−邸
        (1973/04/26)


 1本の木の棒にゴハンをくっつけて食べる.

        (1973/04/26)


 このごろは学校にあそびにくるようなもの。

        (1973/04/26)


 ぼくは、高校生という社会的身分を得るためだけに、高校にきてるのでしょうか。

        (1973/04/26)


 人類の歴史は、少数のりこうと多数のバカの関係から、なりたってきた? 

        (1973/04/26)


 ぼくが、なんでもここに書く事を、人が知ると、かきとめられてはこまるような事を、ぼくとははなさぬようになるのでは。

        (1973/04/26)


 公害はいやだ。が、それをだす工場がなければ、みんながそろって生きていけない。そこで、何か、新しい道をみつけるまでは、今のままでいかねばならぬ。はやくみつけないと、工場が発展しすぎて、見つけてもこわせなくなる。

        (1973/04/26)


 男A、女B。
 女「いいわ、私、今夜、タイマーで、電気自殺する。」
 男「どうとでもかってにしろ。」
 2人の恋人はケンカワカレ。夜、A、ねられず、Bのホテルの部屋へ、ドアをあけ、Bのねどこにいくと、すでに、電気自殺している。タイマーをさがしたがない。よくしらべると、外からドアをあけたとき、電気がつながるようになっていた。

        (1973/04/26)


*「外務省 : 外務を省く?」  外務省の省には、はぶくの含意はないもよう。
*「官−庭 Х 宮−邸 >?」  官邸、宮廷、と変換されるな。
*「このごろは学校にあそびにくるようなもの。」  そうなのかい。いかんな〜 それとものびのびしててよろしい、のか?  少なくとも、なんとしても大学に受からねばならん、みたいな、プレッシャー、自己圧みたいものはないんだろうね。親、家からのそれもないようだし。ただし、家業を継ぐべしの圧はあった。
*「女「いいわ、私、今夜、タイマーで、電気自殺する。」」  意外性と皮肉は感じるけど、電気関係の細工を男ではなく女がする点に違和感。自殺するほどのことだったのか、という点は、そういう事情とみなすしかないか。女が、自己責任ではなく、男に一部責任転嫁しようとした身勝手さは、ありえそうな気がする。  憤怒自殺、の一種か。  (小話になるのかもしれないが、こういう暗いのは今はもう書きたくないな)

 

 
05:25 2021/10/03 (日)


 ある読者に対して、書かれた小説。たとえば、精神■■者が読むような小説を、ふつうの人がよむと、自分が精神■■ではと思ってしまう。つまり、そう作されるのが、作品ばかりでなく、読者もなのだ。

 すべての小説は、読者をそう作しているだろうが、そう作するために書いていくのもおもしろい。

 2人称小説 :「あなたは・・」「あなたが・・」とばかりかいて、読者自身が、自分を、その「あなた」ではと錯覚するような話。
 作品に、読者が、とけこんで、はじめて完成される作品。

 こんなのをよみたいし、かきたい。

        (1973/04/26)


 「頭がよくなったのは進化だね」
 「退化とも、どっちともとれる」
 「頭のために、医術が発達したのは進化。」
 「どっちともとれる」
 「これによって、人が、コウフクになったのは」
 「どっちともとれる」

 進化となのつくものは、すべて退化ともとれる。

        (1973/04/26)


 神様が、人間たちに、水をのんだら、神さまにしてあげる、といいました。そこで、何人かが、のんだところみな死にました。
 今、人間にとって、水は毒である、と神様はいいます。が、3日後までに水をのんでいて、生きていた人間は、カミサマにしてやる、といいます。
 人々は水をのむと死ぬので、のみません。が、水をのまないと死ぬので、たくさんの人が、死にました。そして、3日目になろうとします。生き残った人々は、はじめて水をのみ、毒と、戦います。毒のためにほとんどの人が死にました。しかし、3日目になるまでに、毒にたえた何人かの人は、神様となりました。他の人はほとんど死んで無となりました。もちろん、最後まで、水をのまなかった人は、死にました。3日目がきて、水をのまなくて、生きていた人が、水をのんでたえた人がカミ様になった後、はじめて水をのみました。もう毒ではありません。この人たちが、またはんしょくして、人間をたくさんつくりました。

 つまり、神様みたいな人間が神さまになって、人間らしい人間が、人間となっておちついた。
 つまり、神様は、みんなを神様にするのでなく、神様になるべき人を神様にしようとしたのだ。

 水が毒だと思って最後までのまぬのは死に、選択のおわったあとなら、水はもとの水だろうというチエの働いた物は生きのこった。これが人間らしい人間。

 あくまでも、ソウサク。ぼくが、いつも信じていることでなく、こんなこともいえるだろうなあ、てかんじ。
 というより、ぼくが信じる信じないは問題外で、ただおもろい話だというのだ。

 いろいろな話をかく、作家も、みな信じていないけど、おもしろいからとかくのか? 

        (1973/04/26)


*「そう作」  創作なのか、操作なのか。  → 三ヶ所とも、創作のつもりではと推量。(しかし今では、どちらにも読んでみたい)
*「2人称小説」  一人称小説、三人称小説、があるので、あまり聞かない二人称小説というのはどうか、どんなものか書いたり読んだりしてみたい、というていどの興味で、熱烈、切望にはほど遠いはず。  正直な所、「私は・・」「彼は・・」と語られるほうが、自然で落ちつくよね、物語は。  「あなたは・・」「おまえは・・」とこちらに直接言葉を投げかけられるのは、みがまえてしまうし、とまどってしまう。たぶん。しかも、その調子で長く語られると、なぜこちらの事をそんなに知ったふりをする、しつづける、と反感ばかり増殖、あるいは洗脳されるような恐怖とかもおこりそう。  まあ、そういう曲調があっている物語なら、使えないこともなさそうだけど。  (ふと思いついたけど、いわゆる自己啓発本。あれって、読者に、あなたは〜ではないですか、あなたは〜すべきでしょう、等々頻繁に語りかけてるかも。つまり二人称小説的文章ってことにならないかな)

 

 
01:53 2021/09/26 (日)


 「太平洋」とは“The Pacific Ocean”の訳か? 

        (1973/04/26)


 ノートをなるべく、ムダのないように使え。

 ノートをよみやすくしたり、きれいにするための空白などはムダとしない。

 無用の用

        (1973/04/26)


 クラスの何人かが、現国は坂■先生じゃだめだ、カメ■■先生じゃなきゃ、などといっているが、ぼくは坂■先生もいいと思うし、そんなに強く、どの先生がよいとかわるいとか感じない。彼らは偏見をもっているのか、ぼくに見る目がないのか。

        (1973/04/26)


 口からもどしたもので、なっている海。その海はたえず、あれている。グニョグニョ、グチャグチャと いや、ドバーギャバーと、ゆっくりとした大きななみが 水のかたまりが、うねっている。
 そして、でかい口から、たえず、もどした物が海に流れ出、小さな人々はその中で、おぼれそうになったりして、もがいている。

        (1973/04/26)


 お金をちょろまかせたり、ぬすめたり、金だけ得て品をわささないようにできるような状態に相手をおいて、その上で相手がそういう事をやったら、こちらにも責任あり。

        (1973/04/26)


 お母さんは、もし、おとといか、きのう東京の国鉄にいたら、まっさきにいろんな物をぶっこわすとよ。
 大きな赤字をかかえて、かつ、ぶっつぶれないからといって、ストライキをやり、他にめいわくをかけるなんて、もってのほか、なのだそうだ。

        (1973/04/26)


 生まれた時の予定どおりに生きた心身。
 事故か何かで、予定のくるった心身。
 事故も予定にくまれていたのか? いるのか? 

        (1973/04/26)


 つとめ人のようなおじいさんが自転車にのって、大きな黒カバンをハンドルにさげて、おうだんほどうだからと自転車をとめようとしていた。キーキーいってなかなかとまらなかった。

        (1973/04/26)


 今日はまち 町 or 街 にスモッグがたれこめて たれる いるよ、キモチワリー。

        (1973/04/26)


 学校で先生は、政治教育や宗教教育をしない。が、たまーにやると、それは先生のミリョクがハツロするのとともに話されるので、生徒にかんみょうを残し、その時の先生の話だけを正しいように思ってしまうかも。

 だから、いつも、いろんな人が、政治教育や宗教教育をやればいい。さもなきゃ、ひとつもやらないかだ。

 べつに、一つの考えにかたよったっていいやね。

        (1973/04/26)


 ぼくは、ヘンケンとわかっていながら、(いろんな)事を書く事が、多い。

        (1973/04/26)


 人はだれでもまちがいをもつ。だから、その人の信ずる考えが、いくら真理でも、議論などで言葉の使い方をまちがえてしまったら、それで、他からは、議論でまかされてしまう。
 しかし、そういうまちがいをぜったいにおこさぬ巨匠のいう事は、まさに彼の信ずる物、そのものである。そういう物をうちまかした時にこそ、ほんとうに、理論にかったといえる。だから、他のいろいろな要素のはいってしまう、議論にかってもはっきりと理論に勝ったとはいえないだろう。

        (1973/04/26)


 愛憎  あいぞう あいそう >? 

        (1973/04/26)


 超現実 :きわまった現実の姿。真の現実の姿。
     :現実をこえた姿。
 →?

        (1973/04/26)


 礫 :つぶて

        (1973/04/26)


*「現国は坂■先生じゃだめだ、カメ■■先生じゃなきゃ、」  ほー、そんな人気格差とかあったのか。カメ■■先生はまじめな文学オタク青年が大人になったみたいな、厳格で緻密でやりすぎみたいな授業。坂■先生は、やんちゃすぎるぐらいのくだけた授業だったような。  人気とかのことをやや越えて、だめだ、では交代要請みたいところへ行きそうな言いぶりだよね。ここでの書き方がきつくなっただけで、実際はもっとまろやかな評判だったのかも。もちろん、そういう大事は何も起こらなかったけれど。
*「口からもどしたもので、なっている海。」 ・・・  これはなんでしょうね。夢の話? それとも、地獄の責苦の新しいアイデア? 
*「お母さんは、もし、おとといか、きのう東京の国鉄にいたら、まっさきにいろんな物をぶっこわすとよ。」  ほー、そんな過激なこと言ったのかい。言いそうではあるが、それにしても若い。  まあ、母ちゃんは、左翼的なこと、そっちの人たちが、キライだったみたいだからね(今もでしょう)。  国鉄が分割民営化されたのは、1987年。本文の14年後か。
*「べつに、一つの考えにかたよったっていいやね。」  かたよりは先生の個性なんだから、それぞれの先生にそれぞれのかたよりがあって当たり前、と言いたいのでしょう。  結果的に誰か生徒が一つの考えにかたよってしまっても、それはそれでしょうがないよね、という意味かもしれない。洗脳というほどひどくなければ、かたよりはいずれ揺り戻すだろうし、と。  しかしまあ、解禁すると、政治的な勧誘、宗教的な勧誘、となってしまう場合が多発しそうだ。教師が所属するなんらかの組織の上からの要望、指令などによるそれだったり。これはこれで困りものか。  かんみょうは、感銘だろう。
*「ぼくは、ヘンケンとわかっていながら、(いろんな)事を書く事が、多い。」  これまでのそれらの言い訳をしておきたい、または、あらかじめ言い訳をしておく、ということらしいな。
*「愛憎  あいぞう あいそう >?」  現在の辞書では「あいぞう」の読みしかないのだが(語の意味は、愛することと憎むこと)、ネットで調べると昔の小説などでは愛憎に「あいそ」のふりがながなされている場合が少なからずあるようだ。しかも、「愛憎(あいそ)」で、現在の「愛想(あいそ、あいそう)」と同じ意味、用法。

 

 
02:16 2021/09/19 (日)


 えんえん16Km → 遠々× 蜿々○

        (1973/04/24)


 小説の中に使う、言葉まで、ほんとうに使用されているような造語を使う。

 おもろいか? 

        (1973/04/24)


 おもしろい おかしい おおきい おんな おとこ

 きびしい からい きたない きらい

        (1973/04/24)


 日本語の漢字には、ふりがなをつけないと、意味がいろいろにとれてしまう物もある。

        (1973/04/24)


 押し花
 押し葉 ← こっちの方がいい。おし花はキタナクナル。

 ■葉

        (1973/04/24)


 桜はイバラ科

        (1973/04/24)


 冗談 風刺 まじめ 無感情

 まじめ=無感情とはいえぬ.

        (1973/04/24)


 白眉

 馬良のように1本ぐらいしか白眉がないのではなく、すべて白眉の女性は美しいか? 

 まあ、人によって、いろいろな時によって、場によって、内容によって、etcによって、ちがうでしょう。

        (1973/04/24)


 すいそくにかたい。とは? 

 堅い? 難い? 

        (1973/04/24)


 出帆 { しゅつぽん× しゅつぼん× しゅっぱん× しゅっぼん× しゅっぱん○

        (1973/04/24)


 ぼくのいつもの書き方だと、大きい「つ」と小さい「っ」をかきわけにくい。それに「つ」とかくと「フ」か「つ」かわからなくなる。

        (1973/04/24)


 なぜ、赤電車や青電車があるのか? 

        (1973/04/24)


 ナラザルベカラズ → なってはだめ ならなければだめ >どっち

 なっちゃだめ ならなくちゃだめ

        (1973/04/24)


 作品 作中

        (1973/04/24)


 〜と感じるのは私の独断的偏見にすぎないだろうか? 

        (1973/04/24)


 「明暗」は、すばらしい物になりそうで、未完になってしまった、物じゃないかしら。

        (1973/04/24)


 私小説の中に、主人公私の昔の日記を登場させる。二重の私小説

 より、じゅんすいになる? 

 私小説はじゅんすいか? 

        (1973/04/24)


 まあ、かたい事はいわずに、という語がよく我々の間で使用される

        (1973/04/24)


 閑人帳の第1作や同行は感動を書こうとしたのではなく、小説を書こうとして、かいているようにとれる。

        (1973/04/24)


 アサネ、アサザケ、アサユ

 朝 浅

        (1973/04/25)


 さかのぼる

 坂登る  溯る  遡る

        (1973/04/25)


 あほらしい

 あおらしい

        (1973/04/25)


 「ときにとっての」 とはどういう意か? 

        (1973/04/25)


 メンソレータムをなめたら毒か? 

        (1973/04/25)


 法隆寺の壁画を焼いてしまった人々は、今、どうしているか? 

        (1973/04/25)


 ただ今

 ただ、今

        (1973/04/25)


 よこはまのおばあさんが、トウチャン とねごと。

 自分の父に対してのトウチャン?
  〃 夫      〃   ?
  〃 むすこ    〃   ?

        (1973/04/25)


*「えんえん16Km → 遠々× 蜿々○」  遠々もあるみたいね。  蜿々だと、龍や蛇などがうねうねと曲がって行く、というような意味合いがあるとか。  よって、本文の場合、延々あたりが適当かも。
*「おもしろい おかしい おおきい おんな おとこ」 「きびしい からい きたない きらい」  頭におのつく言葉がどことなくやわらかく、頭がカ行になるととがっている、けわしい感じになる、なんか面白い対比、という指摘でしょうね。
*「■葉」  ■は、月+昔。誤字でしょう。惜葉、と書きたかったと思われる。(押し葉から連想した造語として)
*「桜はイバラ科」  辞書やネットをみるとほぼどこでも、桜はバラ科。wikiをみると、学者によっては「イバラ科」としているそうな。waka君は後者の系統から仕入れたようだ。
*「馬良のように1本ぐらいしか白眉がないのではなく、すべて白眉の女性は美しいか?」  方向のずれた連想をしているみたいだ。それにもしかしたら、馬良が女性であったように誤解している? 
*「すいそくにかたい。とは?」  推測に難い、だと思う。推測するに難くない、という言い回しは耳にするので。
*「出帆 { しゅつぽん× しゅつぼん× しゅっぱん× しゅっぼん× しゅっぱん○」  ×の三つ目、しゅっぱん× と しゅっぱん○ は同じか。  なので、×の三つ目は、しゅっぽん または しゅつぱん と書きたかったのかも。
*「なぜ、赤電車や青電車があるのか?」  国電(JRはまだのはず)の勝手でしょ、ということでは答えになってない?   → いやいや、これは・・ ふつうに、車両の色のことだと思っていたら、どうやらちがうらしい。調べたら、赤電車は最終電車のことで、青電車は最終電車の一つ前の電車。行く先を表示する部分がそれぞれ赤色の光、青色の光で照明されているため。  へ〜、知らなかった! (当時のwaka君は知っていた、そしてなぜそういう風習になったのかが知りたい、ってことか・・)  → さらに調べたら、どうやら、現在はもう、そういう風習はほとんどなされていないらしい(一部のバス路線では引き継がれているとか)。半世紀前の本文当時はまだあったってことなのかどうか・・ ネット検索ではこれ以上の情報が漁れない。鉄道に詳しい人なら起源とかいつ頃まであったのかとか、わかるんだろうけど・・ 
*「ナラザルベカラズ」  二重否定だから、つまり、ナレ、だよね。
*「閑人帳の第1作や同行は感動を書こうとしたのではなく、小説を書こうとして、かいているようにとれる。」  自作についての反省(または批難)の弁、だろうね。「同行」というタイトルは記憶になかった。閑人帳というノートも、同行の原稿も、記録を調べたら、1972年頃のもので、ともに2014年にシュレッダー済み。
*「アサネ、アサザケ、アサユ」 「朝 浅」  浅寝、浅酒、浅湯、というのも、ありそうでおもしろい。
*「坂登る」  ここは書くなら、逆登る、だろう。
*「ときにとっての」  ときにとって(とりて)、で、ちゃんと辞書に載ってました。その時その時によって、場合によって、等の意味とか。辞書の例文の出典は平家物語。
*「よこはまのおばあさんが、トウチャン とねごと。」  寝言だから、父か夫(当時、どちらもかなり昔に故人となっている)を呼んだのでしょう。  なんだかかわいらしい(^^)  やさしくて控えめで、おだやかなおばあちゃんでした。小学校高学年ぐらいになってもだいぶ甘えました。  wakaが高校の終わり頃、どうしても家業を継いで欲しいとお願いされたのに首を縦にしなかったのは、かわいそうなことをしたよね。横浜のおばあちゃんは、死んだ千葉のおばあちゃんとは違い、千葉の家業に関わる人ではなかったから、横浜のおばあちゃん自身の望みでは無かったんだよ。息子(wakaの父)の希望を叶えてやりたくて(あるいは婿の立場を助けたくて)かわいがってきた孫にお願いしたんだよね・・ 

 

 
23:35 2021/09/11 (土)


 中学のTCのとき、クラスでようろうけいこく、VCかUCのとき、子供の国、VCのサイゴにオウメ。また、小学校の町内回でようろうけいこく。家族でようろうけいこくと、あそこには、3度いっているが、また5/9に、高校でようろうけいこく。

        (1973/04/24)


 後先 アトサキ とは重要な事か? 

 先にたのまれた人が、たのまれたことをすべきか? いやなしごとをたのまれたら、先にたのまれた人がすべきなのか。他の人も同程度にすべきなのか? 

        (1973/04/24)


 
 

        (1973/04/24)


 こっちの水は あーまいぞ
 あっちの水は あますぎるぞ、

 ■■コのうた

        (1973/04/24)


 もしも、ケイコウトウが上からおちてきたとする。
 その場いいあわせた人のうちの一人が、「ふせろ」とさけぶのとだれもいわぬのとではちがうか? 

 ちがうような気がする。自分でふせようと思うより、他に命令される方が、ずっと行動がすばやい。

        (1973/04/24)


 「ん」は、「ア行」「エ行」「オ行」より、「イ行」または「ウ行」のような。

        (1973/04/24)


 眸子 :ひとみ

 ひとみ
     一見 一つの目
     人見 人を見る
     人目 人の目
     ? 

        (1973/04/24)


 学校の昼は、弁当よりパン、パンよりおむすびがいい。

        (1973/04/24)


*「ようろうけいこく」「子供の国」  ともに千葉県。養老渓谷は観光地(自然公園)。子供の国はレクリエーション施設。
*「小学校の町内回で」  小学生のとき町内会の子供会で、だと思う。
*「いやなしごとをたのまれたら、先にたのまれた人がすべきなのか。」  いやな仕事を頼まれたりしたのかな? で、他の人も頼まれて、押し付けあうような状況があったり(^^; 要領のわるいwaka君のことだから、先に頼まれたヤツがいたのに、ソヤツはまぬがれて後で頼まれたwaka君がやるハメになって、腹いせに書きつけた文章、というところではなかろうか!?  (それとも、いやな仕事をまぬがれたのがwaka君で、批難されたか、自責の念で、記しているってことも・・)
*「 い す 」  なぜ対になっているのか謎だが、語尾としてならありえそう。  ○○だい! ○○だす。 とか。  → としたらなぜ、だに下線がついているのか。もっと単純に、大(だい)と出す(だす)、同じだが使われているのは語の起源で関係があったからではないか、という気づきをいいたいのかも。  → しかし、そうだとしても、だいは大の訓ではなく音であるから、起源で関係があるという気づきは見当違いという気がする。
*「■■コのうた」  上の妹の歌っていた歌の採録。
*「自分でふせようと思うより、他に命令される方が、ずっと行動がすばやい。」  そうか? いかにもありそうで、納得してしまいそうなんだけど、waka君の実体験がいわせてるのではなく、頭で思いついただけかもしれず、まゆにつばをつけておきたい。  でもまあ、ふせろと叫べるようなヤツには不要だろうが、もたもたしてパニクってしまうような鈍なヤツは助かるかもね。  そもそも、現実でのそういう状況となると、そこにいる数人の位置関係から、落ちてくる螢光灯が視野に入る者が一人か二人だけなんてことのほうが可能性大きそうだ。とっさにふせるべきと判断できるのは、その一人か二人だけなわけだから、ふせろといういわないは、視野に入ってなかった者にとっては怪我をするしないの分かれ目になるぐらい大きな違いがあるはず。 (などと、想像しつつ吟味していると、誰かの頭で螢光灯が砕け散っている様子ばかり見えてくる。いってもいわなくても(^^;;)
*「「ん」は、「ア行」「エ行」「オ行」より、「イ行」または「ウ行」のような。」  こういう場合は、ア段、イ段、ウ段などと書くべきらしい。ア行だとあいうえおになる。
*「学校の昼は、弁当よりパン、パンよりおむすびがいい。」  高校では、母ちゃんの弁当を昼に食べていたはず。いつも。茶色いおかずの。  その後、反発してか飽きてか、買い食いになったりしたこともあったかなあ・・ これは記憶あいまい。  そういえば、会社勤めとなってからもしばらく、母ちゃんの弁当だった。これはちょっと恥ずかしいか、思いだしてみると。  給食は小学校だけ。中学は牛乳の支給だけあり。高校は何もなし。

 

 
01:20 2021/09/05 (日)


 「〜そうである」という言語感覚がもととなることばが日本語、
 「〜そうでない」というのがもとになるのはあるか。

 △□○ :私でない
 △□○レ :私でないでない → 私である

        (1973/04/24)


 私はある  私である  私にある  }これらは、みな同じ意味と考えるべきか? 

        (1973/04/24)


 うまい → 旨い 甘い 美味い
 おいしい

        (1973/04/24)


 買う’
 飼’う 

        (1973/04/24)


 ちがう ちゃう

 ちがいます ちゃいます

        (1973/04/24)


 すべての人は、自分は正しいのに、自分を不面目にするのは、みな他人だ、などと思っているのでは。すべての人が、自分は正しいのだと考えているなら、なんとすばらしい事だろう。すべての人が、正い事を好いているなら、もっとすばらしい。いつの日にかは、みな、互いの正しさをみとめることになるのだ。そうでなくとも、互いが、正しさを求め、あいしている事をみとめることになるのだ。 こうなるはずだ。

 ほんとうに、こうなれるのだ。たぶん、みな正しさを好いているから。正直をすいているから。これが、人の真実であろうから。!!

 ただ、互いに錯覚したりしているだけだ。

        (1973/04/24)


 みとめる   認める 見止める

        (1973/04/24)


 みな、善人なのだ!!
 みな、正直なのだ!!
 ただ、錯覚しているだけなのだ!!

 上は、詩にもなる。

        (1973/04/24)


 「ドエチベケペッチ」

 ぼくが、自分の足 はだしの小指あたり を自分のすわっているいすの鉄制の台(or足)のような所でふんづけたときの非鳴。

        (1973/04/24)


 スコアとは? 

 スコア スコワ >発音をききわけられるか。

        (1973/04/24)


 エベチヨー

        (1973/04/24)



*「△□○レ」  レ=チェックマーク。  この項は、日本語は肯定が基本となる言語だが、否定が基本となる言語はあるだろうか、ということを言っているらしい。
*「うまい → 旨い 甘い 美味い」  甘いも、うまいと読むとはしらなかった。  ちなみに、辞書によれば、女性はうまいよりおいしいを使う傾向にあるとか。(言われてみればそんな気もする)
*「買う’ 飼’う」  アクセントが違うといいたい様子。
*「すべての人が、正い事を好いているなら、もっとすばらしい。いつの日にかは、みな、互いの正しさをみとめることになるのだ。そうでなくとも、互いが、正しさを求め、あいしている事をみとめることになるのだ。」  正い事、は脱字で、正しい事、でしょう。  互いの(正しさの)違いを認め合う、という認識なら、王道の言辞だよね。
*「鉄制の台」「非鳴」  鉄製の台、悲鳴、か。

 

 
23:31 2021/08/28 (土)


 ぐたぐたとかざった人より スッキリした人がいい。

        (1973/04/24)


 美しい物に反感を感じるぼくだが、もし、みんなが、そのとききたなかった物を美しいというようになったときも、それに反発しそうだ。美しいというのも定まったものでなく、いつも変化しているのだろう。時によって、内容によって、場所によって、人々の視点によって。

        (1973/04/24)


 火事になり、AがBに「火事だぞ」といったとする。Bは「ああ」という。Aが助かりBが、死んでしまったら、Aにとって、火事だぞという言葉もああということばもうつろなものにおもえるだろう。
 火事になり、このノートに「火事だって」とかいたとする。このノートが、やけちゃったら、やっぱり、その語はうつろかしら? 

        (1973/04/24)


 AとBが、ちがう家でそれぞれ1つのテレビをみていたとする。テレビで、「トン、トン」というごとに、Aが、「バンバン」とタイコをたたくとする。すると、Bは、自分のテレビでトントンというごとに、他で、バンバンというので、その関係がおもしろくおもえるだろう。

        (1973/04/24)


 おもしろい
 おも

        (1973/04/24)


 いける
 活ける? 
 花をいける? 

        (1973/04/24)


 西洋には、雨戸なんて、あるのかしら? 

        (1973/04/24)


 現代人は、話の中にききたかったことがでてくると、
「へええ」
 とふつうにおどろく。そして、それが、ききたかったとはいわない。他にしられてはならぬ物の時だが。

        (1973/04/24)


 長い白ひげにすみがかかったら、どうなる?   たいへん? 

        (1973/04/24)


 すむ :澄む
 すみ :書道の

        (1973/04/24)


*「すると、Bは、自分のテレビでトントンというごとに、他で、バンバンというので、その関係がおもしろくおもえるだろう。」  たしかにおもしろいんだけど、サッカーのW杯で日本戦を近所中のだれもが観戦している時など、似たようなことがあるよね。おもしろいけど、テレビ放送というシステム上、素朴に当たり前なだけでもある。
*「おもしろい  おもう」  この項は、思うとは面白いと感じる心の動きではなかろうか、だからおもがいっしょなのでは、という気づきをメモしている、たぶん。 あるいは少なくとも、この二つのおもは同じおもなのでは、と直観している。  辞書(精選版日本国語大辞典 (C) SHOGAKUKAN Inc.2006)をみると、思う(思ふ)の語誌に >>「面(おも)」に「ふ」を付けて活用させたものとして、原義を「顔に現われる」の意とする説がある。<< などとあるので、意外と当たっているところがある、大外れではないのかも。
*「長い白ひげにすみがかかったら、どうなる?」  笑。どうしてこういう心配をするのだ。白いふさふさした筆先を墨に浸けるイメージがどうやらありそう。  高校生wakaは芸術教科は(音楽・美術・工芸・書道のうち)書道を選択している。
★ この辺り、書いている内容が、希薄=ささいな事過ぎる感触。すこし前で「ささいな事と重要な事の差がわからなくなって、どんなことまでもかいていってしまう。」と記している通り、軽重の判別ができなくなっている状態か。  そう記したから自己分析済だということを免罪符にして(言い訳はもうしてあるということで)、ささいな事を歯止めなく書いてしまっているようにもみえるな。

 

 
00:17 2021/08/22 (日)


 万物が、同等だということと、万物は同程度の差をもっているという事は同じか。

        (1973/04/24)


 美しいとは弱い事か? 
(ex)あまやかされた草花は弱い

        (1973/04/24)


 草にやさしい言葉をかけると、花がきれいになる。

 「きたない」といって、草花をひっぱたく人はいても、「きれいだ」といってひっぱたく人はいない。そこで日本にはえている花は、「きたない」といわれると、たたかれなくても、たたかれるような気がして、「きれい」といわれると、安心する。(モリオ)

        (1973/04/24)


 ぼくは、将棋をするのが好きというより、だれかと将棋をするのが好きなのだ。そして、自分は将棋をやってるという事を他にみせるのがすきなのだ。
 女の人が、公園で将棋をさしません? といったら、もちろんやる。他人の目をきにしないというより、他人の目があるから、公園でやるのだ。

 ほんとかしら? 

        (1973/04/24)


 今、道を歩いているけど、帰ったら、明暗をよんでしまうのだ。

        (1973/04/24)


 ぼくは、やる事の計画をつくって、その1つ1つが、おわる事に、その項を丸でかこむ。そこで、すぐできてしまうようなささいな事をいくつか計画に入れて、それをやり、丸をいっぱいつけて、だいぶやったのだいう気持をおこして、前景気をつける。

        (1973/04/24)


 クリティスィズム クリスィティズム )とは? 

        (1973/04/24)


 男A、女B。
 Aが定期をかいにいく。うけつけの女BはAに、「あなたのキジュツはまちがってます。あなたは院内町までで、千葉駅までではありません。よけいに広い区間を定期にしようなんて虫がよすぎます。」
 A、はずかしく思うが、Bをにくたらしいとも思う。

 A、またある日、ゆうびんちょきんを入れにいこうとして、みると、うけつけにBがいる。が、Bの方ではAをおぼえていないよう。Aが、そのことをBにいうと、Bは、
 「ああ、それは私のふたごの姉です。」という。

 Aは定期うりばにまたいくが、もうBはいない。きいてみると、やめたのだ、そうだ。

 ある日、銀行にいくとうけつけに、Bがいた。
 「あなたは、定規でズルをしようとした人ね」
 という。
 「それじゃあなたはふたごの姉の方ですね。」
 「ええそうよ、」
 という。
 が、真実は、みな同じBで、彼女はふたごでなく、Aをからかっていただけ。

        (1973/04/24)


 テイキ  定期○ 定規× 

        (1973/04/24)


 テイキというと、「定」より、「手」で、テイキとした方が、感じがでるような。

        (1973/04/24)


 ふたご  2子 二子 双子○ 

        (1973/04/24)


 明暗がよみたいのだが、書きたい事をたくさんメモしてあるので、まだよめぬ。

        (1973/04/24)


 Aが、政府から、あそばしている土地を手ばなせという命をうけた。が、Aは、その土地は、植物たちのためにあそんではいず、人の住宅をたてるのと、植物たちのすみかをつくるのと、それは、どちらがよいともいえぬ話だ。人と植物が死ぬのと、どちらがいいともいえぬのだ。といって、それをはねつけた。

        (1973/04/24)


 現実の世界をえがくより、空想の世界をえがく方がかんたん。

        (1973/04/24)


 現実の世界をかこうと思うより、空想の世界をかこうと思う方が、キラク。

        (1973/04/24)


 これこそ現実の世界だと自分に思えるまでにエガクのはたいへん。

 錯覚でもいい。

        (1973/04/24)


 学校は休みがあるのでうれしい。つまり、うれしい時がかならずある。年とって、死ぬころに、そんな時も、なつかしかろう。

        (1973/04/24)


 このノートをよくかいて、次から次へと連想がつづいて、かくのがおわらない時もあれば、あんまりかけない時もある。

        (1973/04/24)


 ぼくは連想器(機)

 というより、連想書器
 書いたものから連想してまたかく。

        (1973/04/24)


 これをバーーーとかいていると、ささいな事と重要な事の差がわからなくなって、どんなことまでもかいていってしまう。

        (1973/04/24)


 もし人間に理性、理知の心がなくても、異性とは性交できるので、肉体的なみりょくを感じるのだと意識もしくは感じる事ができるか? 
  ↓
 ロコツナ
 ↑
 テレカクシ

        (1973/04/24)


*「(モリオ)」  モリオ説をwakaなりに咀嚼して文章化、というところか。  モリオはたぶん級友でこういう話題も話す仲なんだろうけど、顔が思いうかばない。
*「その1つ1つが、おわる事に、」 「だいぶやったのだいう気持をおこして、」  おわる事に、は、おわるごとに、のつもりか。 やったのだという気持、か。
*「クリティスィズム クリスィティズム )とは?」  criticism 批判、非難、批評、評論、原典研究などの意。
*「年とって、死ぬころに、そんな時も、なつかしかろう。」  高二で、こういう想像をしているか。

 

 
23:35 2021/08/14 (土)


 こんどの一年生は全体的に美人ぞろいなのだそうだ。

        (1973/04/23)


Aという仕事と、Bという仕事、
 Aという仕事に、a、b、c、dが働く。Bに、1日に1人ずつ、うつってはたらかねばならぬ。
 1日目aがいく。次の日、b、c2人がいった。彼らは3日目もいった。話し合手がほしいので2人でいったが、2人で一日ではわるいから、2人で二日やった。これなら、1日で1人とかわりないだろう、というのだ。

 ほんとうに、かわりはないか? 

        (1973/04/23)


 これこそぼくの真実だと思いながら、異常な言動をする人と、これは異常かもしれないが、今のぼくに対しては最も正直なのだと思いながら、異常な言動をする人。

        (1973/04/23)


 明暗のおわりの方はまだよんでいないが、そこは、新聞社の人が、まとまりをつけるのにかいたのではないかしら? 

        (1973/04/23)


 ぼくのへやは、わりとではいりが多い。ふすまをしめて、本にねっちゅうしていて、ふときづくと、もうふすまがあいている

        (1973/04/23)


 こうごうへいかは、天皇へいかより、年が下なような。

        (1973/04/23)


 はなしあいてとは、どうかくのか? 

 話し合手  話し相手  }!!

        (1973/04/24)


 ぼくは見しらぬ人々を冷たい目でよくみるが、見しらぬ人からも同程度の冷たい目でみられているのだ。

        (1973/04/24)


 ぼくは、自分の顔を主において、そういう自分を自分だと思う事が少ない。
 自分の事を考えるとき、自分の顔を思いだす事がない。

 いつもは鏡がないのだから、これであたりまえ。毎日鏡をみるようなバカはやめる。

 いつも鏡のないようだった昔の人々は自分の顔が、どんなだか知らぬのだろうか!!

        (1973/04/24)


 こども  →小人:こっちを使う事もある  →子供:こっちがいい。

 おとな  →大人

        (1973/04/24)


 はらっぱ
 のっぱら

        (1973/04/24)


 夫や妻になるのは、かんたんだけど
 父や母になるのは、たいへん。

        (1973/04/24)


 小鳥 子供  →  小 子 > コという音と、意が、似てる!!

        (1973/04/24)


*「ほんとうに、かわりはないか?」  全然違うよね! 会社なら叱責を受けるレベルだぜ。A、Bの仕事の進捗具合という面から見れば明白。
*「明暗のおわりの方はまだよんでいないが、そこは、新聞社の人が、まとまりをつけるのにかいたのではないかしら?」  さすがにそれはないでしょう。絶筆、自筆原稿も残っているだろうし。
*「ぼくのへやは、わりとではいりが多い。ふすまをしめて、本にねっちゅうしていて、ふときづくと、もうふすまがあいている」  西北のどん詰まりの四畳半だったから、通過の用はなかったはず。なんでだろうね。妹たちが覗くんだったか。(例えば、マンガ本をあさりに来たりで)
*「こうごうへいかは、天皇へいかより、年が下なような。」  1973年は、昭和48年なので、昭和天皇と香淳皇后のことでしょう。二歳、年下となられます。

 

 
00:12 2021/08/08 (日)


 旅行に行くなら、2月か11月。とにかく、みんなのいかない時にいって、自分自身で、自分自身のための旅をする。だれも、その時の旅に良さを感じないとしても、ぼくは感じるのだ、という、キガイでヤル。

        (1973/04/23)


 旅行へいく所は遠い所も、近い所も、同等にみるべきだ。
 遠い所のみがいいのでもないし、近い所のみがいいのでもない。

        (1973/04/23)


 ナツメ先生の作品では、男と女が、まともにむすばれる事がない。つまり、ぞくにいう、めでたしめでたしのようなものがカイム。そこに、ぼくは、気をひかれるのか? 

        (1973/04/23)


 1年に、美少女がはいったというが、どんなやつでしょう。

        (1973/04/23)


 第3分野とは? 

        (1973/04/23)


 ぼくは、いつも、平和と調和を求めている。

        (1973/04/23)


 世の人が、だんだん、近視になってきたら文化の質はかわるか? 

        (1973/04/23)


 今日は、てつぼうをやったので、ウデがグタグタ。あげる事もおっくう。

        (1973/04/23)


 メガネをかけると、外の景色が、しんぴ的に、みえるほど、はっきりしている。
 木にしげりだした新緑が、風に動くのが、生きているもののようにみえる。

        (1973/04/23)


 去年の春と秋の将棋県大会は両日とも雨がふっていたように覚えている。

        (1973/04/23)


 帰り道、もとの弁天様のへいの中から、イチョウの木がいくつも枝をだし、がいろ樹の枝とからまっている。イチョウはすでに青々としているのにがいろ樹の方は、やっと目がでたばかり。
「フ、フーン」
 とぼくはそれをじっとながめてからいう。上をみて歩いたので、ぼくのてさげとぼくが、トランか、ブリキのへいにすこしぶつかる。
「あ、ごめんなさい。」
 とぼくはいってから、すぐ、
「あ、パーツケチャッタ。」
 と言う。

        (1973/04/23)


 「訝」とは? 

        (1973/04/23)


 カタストロフィ理論とは? 

        (1973/04/23)


 担任の坂■先生は、もと女子校にいたのだが、ス■■オバチャンか、ア■■オバチャンを教えたことがあるようだ。

        (1973/04/23)


 暗に :それとなく

        (1973/04/23)


 したしい ひたしい

 したしい うとい

 あじあわない× あじわわない○
 「あじあわない」の方が、自然に思える.

        (1973/04/23)


 等 :とう :ひとしい
 これは、なぜ、「など」ともよむのか? 

        (1973/04/23)


 床 とこ ゆか

        (1973/04/23)


*「旅行に行くなら、2月か11月。とにかく、みんなのいかない時にいって、」  2月、11月が閑散期となぜ決めつける? (寒いときの外出はいやでしょう、でも年末年始は里帰りとかするよね、などというwaka自身の思い込みを投影してだした答えにすぎないかも)
*「第3分野とは?」  なんのこっちゃ?? すこし前のほうで言っている、第1の世界、第2の世界の、また別の世界ってこと? 
*「世の人が、だんだん、近視になってきたら文化の質はかわるか?」  文化の質が変わって、近視が増える、という原因結果ならある模様。スマホが蔓延した結果、高校生の七割ぐらいが近視と言えるとかの記事、最近よんだ・・
*「木にしげりだした新緑が、風に動くのが、生きているもののようにみえる。」  ま、植物も生きてるんだけどな。動物のように、という気持ちでしょう。
*「去年の春と秋の将棋県大会は両日とも雨がふっていたように覚えている。」  これを書いているのは高二のwaka、ということは、去年の春なんか、入学したばかりの一年坊が参加したってこと? ちょっと早すぎるので、春というより初夏ぐらいの時期では? 
*「帰り道、もとの弁天様のへいの中から、」  もとの弁天様、というのは、閉鎖された弁天池、ということでしょう。wakaの家の隣、現在は駐車場になっているあたりにあった池、弁天社を祭るいっかく。本文の時期には池は残っていたがもう塀で囲まれていたってことか。  トラン、は、トタンの書き間違い。  パーツケル、は、パアがついてしまう、バカになってしまう、の意。wakaの母とその妹たち(wakaの叔母たち)の口ぐせだったのが、うつってしまっている。
*「「訝」とは?」  いぶかしい、いぶかしがる、いぶかる、などと読むらしい。 熟語では怪訝(けげん、かいが)でしかお目にかからない気がする。
*「担任の坂■先生は、もと女子校にいたのだが、ス■■オバチャンか、ア■■オバチャンを教えたことがあるようだ。」  wakaの高校二年時の担任の先生が坂■先生。国語科。  wakaの母、ア■■オバチャン、ス■■オバチャンが三姉妹。(六人きょうだいなのだが、あとの三人は戦争のころ亡くなっているそうだ)
*「したしい ひたしい」  ひたしいは完全にまちがいみたいだ。しとひの混同。(当時のwakaはよく、現在の私もときどき口にしてしまう)
*「等 :とう :ひとしい  これは、なぜ、「など」ともよむのか?」  調べると、こみいっていて、深そう。

 

 
23:53 2021/07/31 (土)


 沈視黙口 うつろな目でみて、だまっている。 もはん的授業たいど。
 沈思黙考

        (1973/04/23)


 学校という集団生活はつくられたものである。ぼくの真の生活でない。ぼくの真の生活は、ぼくの個人主義的な生活である

 というより、ぼくは、家での、ぼくのへやでの、ひとりの生活が、大好き。本をよんだり、物をかいたり、他を気にしないひどい、ソホウ的な服をきて、ワラッタリ、ナイタリするのが好き。

 何日も洗わない時代おくれの服。
 が、服にはかわらぬもの。
 他人(身内にはみられてしまう)には、つとめて、みせないチジョクにひどい服だが、ひとりのときは、いっこう気にならぬ。
 ひとりのとき、キレイナ服をきると、カタクルシク、スキナコトモ、キレイナ服をキタナクしてしまうのでは、と思ってオサエテシマウ。
 だから、ナニモ気にしない、気ナレテ、着なれて、着くたびれた服で、ネコロンだり、スワッタリ、すきな事をぼくの四じょう半の中でやる。それが好き。

 学校でのセイフクの生活の反動かしら? 

 しかし、外にでるときは、ぜったいこれは着ない。ぼくのへや 家での生活 は、いわゆるぼくの第二の世界。

 というより、これが、第1の世界。求める理想の世界。一生この世界を手に入れておいて、いつでも、そこにはいれるようにしたい。

 外の世界こそ、第2の世界。
 こんなのは、そんなになくても、いいようなキがする。しかし、これがなくては、第1の世界にあきたときの、きばらしができぬ。

 ぼくの精神的生活をささえるのは、第1の世界。が、第2の世界もいくらかささえる。
 ぼくの物質的生活をささえるのは、どっちの世界になるだろう。今は、第2の世界? これからは、第1の世界で金をかせげるか、第2の世界か? 
 第1の世界で金をかせぐとは、ぼくのしゅみと実益がいっちしたことか? 

 金をかせぐのは、どんな形であれ、やっぱり、外との交しょうがなければだめだろうから、第2の世界。
 ぼくの精神は第1。 ぼくの物質は第2。 }????

        (1973/04/23)


*「ぼくの真の生活は、ぼくの個人主義的な生活である」  自閉耽溺希望。以下、長文が綴られる。  しかし、この性向は今もしっかり続いており、悪い傾向とは言い切れないと思う。いくら自閉耽溺を望もうと、自活していかねばならないので、他人や社会と関わらざるを得ない。結果的に、両傾向がいい具合にまぜこぜになるわけだし。 (本文でも、すでに、だいたいは気づいているようだ) (つまり、いわゆるひきこもりというのは、自活必須の原則を外してしまったから病んでしまったのではなかろうか。甘やかした、子供扱いに区切りをつけなかった、ということでは? むずかしいことじゃないから、みんなわかっているはずなんだけど・・)

 

 
23:33 2021/07/24 (土)


 「〜だろうじゃないか」

        (1973/04/21)


 ぼくはどんな事をするにも時間をきめて計画をたてるのがすき。特に、休日の日は。

 いつも紙にかくのだ。

        (1973/04/22)


 旧知己 きゅうちき >発音しにくい。

        (1973/04/22)


 明治の頃の小説は、東京語で書かれたのか? 

        (1973/04/22)


 子供の歯がぬけたとき、その歯をのみこんだらどうなる? 

        (1973/04/22)


 小説の中の会話を読む時間と、もし、それが、事実いわれたとしたときの時間とはどちらがながいかしら。

 小説の中でけいかする時間と、読者のよんでいる時間との関係は? 
 読者は、小説の中に、自分よりも速く動く人々をみいだすか、ゆっくり動く人々をみいだすか? 

 読者と同じ速さで動く人々はかけるか? 

        (1973/04/22)


 しゅうがく旅行(中三)にいったとき、フロにみんなとはいったが、そのときテヌグイでこしをまいた。水につかったら、すきとおってしまったよ。

        (1973/04/22)


 個人主義がはってんすると、自分のようでない生き方をする物はそいつのかってだが、私にケイベツされる、というような考え方がでてくるかも。

        (1973/04/22)


 つれづれ草という草があるか? 

        (1973/04/22)


*「「〜だろうじゃないか」」  漱石先生が言いそうな(書きそうな)。
*「旧知己」  この語、辞書にあった。短縮されて旧知。
*「明治の頃の小説は、東京語で書かれたのか?」  この辺りの記載は、『明暗』読書中に気になったいくつかってことらしい。
*「小説の中でけいかする時間と、読者のよんでいる時間との関係は?」  興味深い(が、判明しなくてもなにも問題は無いような?)。  聞きとる時間と読む時間は別物という気がするし、計測できる時間と心で感じとる時間も別物という気がする。たぶん相当複雑でややこしい問い、なんだろう・・
*「しゅうがく旅行(中三)にいったとき、フロにみんなとはいったが、そのときテヌグイでこしをまいた。水につかったら、すきとおってしまったよ。」  湯につかったら、ですな。このときの中三男子群、みな腰に何か巻いたまま風呂にはいってたはず。透けてしまったのはwakaだけで、その場で、わーとかさわがれた記憶もある。しかし、風呂だろう、男同士だろう、むしろ、まるみえでもちっともおかしくないだろう? そもそも、タオルや手ぬぐいつけたまま湯に入るのはマナー違反でしょうが。(思春期少年たちだよね。まだ全然男じゃないな)
*「個人主義がはってんすると、自分のようでない生き方をする物はそいつのかってだが、私にケイベツされる、というような考え方がでてくるかも。」  もう一つ意味が浮かんでこないが、何をするのも(私とはちがう何かをするのも)その人の勝手だが、それをどう思うのも他人(その人からみて他人、つまり私)の勝手、といいたいのかも。
*「つれづれ草という草があるか?」  さすがにないみたいですね。

 

 
04:19 2021/07/18 (日)


 興信所につとめていた男が、小説家になろうとした。仲間が、自分たちの興信所の事をかかないならいい、という。男は、小説家としてみとめられたが、いぜん興信所からのかんしとそくばくからはぬけられなかった。興信所から、かんししているのかどうかはわからぬのだが、彼自身、もしも興信所の事をかくと、彼らに何かフクシュウされるのではと不安がっていたので、興信所のソクバクからぬけられなかった。が、その男が、そこからぬけようとした。つまりは、自分自身と戦って。

        (1973/04/20)


 イシのないものはコロサレても、その物自身としてはコワクナイシ、カナシクナイ。

 人間だって、コロサレチャエば、こわくもかなしくもない

 死ぬのがこわいと感じられないものは、殺されそうになっても、それ自身としては、コワクもかなしくもない。

 犬はころされても、かなしくないのかも。

        (1973/04/21)


 万物は同等の差をもつ。

 だから、イシのあるものないものと、わけられないのだろう。死、etcというガイネンはさっかくかもしれぬのだから

        (1973/04/21)


 今日は春のあついぐらいの日だ。

        (1973/04/21)


 これはしていいのか、いけないのか、というのは、規則がわからねば、どっちか、わからないように思っている人が多いが、これをもししたら、他にめいわくがかかるかどうか、と常識的に考え、かかるようだったら、規則にしたがうようにすればいいのだろう。
 某クラブをつくりたいが、いいのかな、先生におこられないのかな、何か規則があるんだろうなあ、と思う前に、これをつくった事によって、他にめいわくをかけるのではないかしら、と考えて、自分の行動をきめるべきだ。
 ポスターをはっていいのか? はったら、だれかにめいわくかな、クラブの新人部員ぼしゅうのポスターだけど、と考えればいい。みんなが、かってにはっては、ふつごうだから、規則がある。先生にハンコをもらえばいいのか、ということになるノダヨ。

        (1973/04/21)


 「こんなことしていいかしら」
 「いいわけないじゃん」

        (1973/04/21)


 何ページ前と表記するときはその両端のページを入れるのか。どちらか、片方のみ入れるのか、1つも入れぬのか。

        (1973/04/21)


 もう数日前から、セミの声をきいているのだ。

        (1973/04/21)


 せんのう
 てんこう

        (1973/04/21)


 からい かれぇ
 カレーライス カレー

        (1973/04/21)


 カライカレーをクウト、オネショスルトハ、ホント? 

 生物学的に説明できる? 

        (1973/04/21)


*「興信所につとめていた男が」  そういう事情もあるだろうな、と、書きとめてると思う。これに似たケースが、サマセット・モームかもしれない。彼も諜報員だったはず。M16から干渉されたかどうかは知らないが、何かはあったのではと想像できる。
*「犬はころされても、かなしくないのかも。」  いや、痛がるものは、やっぱり、かなしいに限りなく近い感情があるはず。
*「何ページ前と表記するときはその両端のページを入れるのか。どちらか、片方のみ入れるのか、1つも入れぬのか。」  これはだね、今も使っている方法は、「1ページ前」はどこかとまず考え自然に特定できれば、あとは何ページ前であれ単純な足し算で答えは明白になるのだよ。  これはこのまま、何年前とか何代前とかに、応用できます。
*「カライカレーをクウト、オネショスルトハ、ホント?」  とりあえず、からいカレー(辛い食べ物)とおねしょ(夜尿症)に相関があるという記事は、ネット検索してもみつからなかった。  (からいから水を多く飲んでしまい、尿量が増える、というつながりは想像はできるけど、あくまでも素人の想像)  (カレー粉に含まれるカリウムには利尿作用がある、という記事は見つけた。しかし、カリウムは多くの食品に普通に含まれているという記事もあった)

 

 
23:37 2021/07/10 (土)


 詩は机の上で書くものだろうか? 

        (1973/04/20)


 りこう

 りこうっこ

        (1973/04/20)


 名前は人の性格にえいきょうするだろうか? していそうだ、

        (1973/04/20)


 このごろ、ゴハンをたべる前のカシワデをうつのが、気になりだした。まえは無心だったけど。このごろは、カシワデの音がきこえるようになってしまった。

        (1973/04/20)


 パンチョスの主人が、ドンキホーテ? 

        (1973/04/20)


 女はかよわい。 男もかよわい。

        (1973/04/20)


*「パンチョスの主人が、ドンキホーテ?」  耳のおぼえ違い? サンチョ・パンサ、だよね。  ロス・パンチョスという米国のラテン音楽のグループが当時実在していたので、このグループ名を耳にしていたかも。
*「女はかよわい。 男もかよわい。」  wakaの名言好き、名言指向、(名言創作?)、現在も変わらずです。

 

 
23:47 2021/07/03 (土)


 文学クラブ

 やってもやらなくてもいい。

 もし、部員がたりないなどで、文芸誌がだせなくともいい。ぼく個人としては、どこかのけんしょう小説にだしてもいいのだから。

        (1973/04/20)


 三枚目というのか、みにくいというのか、そういう男と、女が、それぞれの片思い(美女、美男に対する)を話し会う話。

        (1973/04/20)


 ヨコハマのおばあさんは耳がとおくなったのかしら? 

        (1973/04/20)


 お母さんは若い頃によんだ、じゅんぶん学が、わすれられず、お父さんは、今、大衆文学をよむのが好き。

        (1973/04/20)


 一人っ子ではあまやかすといけないから、つくるなら、3人か4人、子供をつくろう。

        (1973/04/20)


*「文学クラブ」「やってもやらなくてもいい。」  高二、四月のこの時点では、こういう気楽で適当な立ち位置だったわけだ。文学クラブ員は自分ぐらいしかいないみたいだ、と思っていたはず。たしか、夏が近づく頃、どこからか先輩がわいてきて、文芸誌の編集係(雑用係)をせねばならなくなったような・・
*「話し会う話」  修辞としてそこそことは思うが、話し合う話、の誤記でしょうなあ。
*「ヨコハマのおばあさん」  wakaは小さい頃から、一人の祖父、二人の祖母と同居している。母の父、母の母と、父の母。父は次男。横浜に実家があり千葉に婿入りをした。wakaは、父の母をずっと横浜のおばあさんと呼んでいる。横浜のおばあさんの亭主(もう一人の祖父)はかなり昔に亡くなっていてwakaは会ったことがない。wakaの家というのは、つまり母の生家で、母は家業の跡取り娘、ということになるので、当然ながら祖母二人の立場は、母の母が主筋、父の母が客筋だったと思われる。横浜のおばあさんは、終始控えめで、おとなしい人柄だった。母の母(wakaは単におばあさんと呼んでいた)は、wakaが高一のとき、約一年前に亡くなっている。

 

 
00:11 2021/06/27 (日)


 ぼくみたいな、ひどい自転車乗りが、よく、この4年か5年の間、生きてきたものだ。乗らなくてよいなら、自転車にはのるまい。

        (1973/04/19)


 コップの水をぜんぶ口の中へ入れ、うがいして、その水をまた、ぜんぶコップへもどす。

        (1973/04/19)


 泣かぬかわりに笑う

 泣くかわりに笑う

        (1973/04/19)


 きのう、歩道で、若いおかあさんが、自分のまだ立てない子どもと、茶色い、すこし大きな子犬とがじゃれあっているのをほほえみながらみているのを、自転車から、みた。

        (1973/04/20)

 

 
00:25 2021/06/20 (日)


 ■■コは、ずっと、前、ぼくに夢の国につれていってもらったら、それが忘れられないようで何度もつれていってという。でも、つれていこうとしてもそれからはいつもいけないようだ。
 夢の国へ行くとは、メカクシをさせて、ぼくが、さあ、夢の国だとかなんとか いうと、くるそうだ。
 ■■コが、いこうと思えば、いけるのだろうが、ぼくという他の人につれていってもらうという形にならないと、真実の感じがしないのだろう。

 ぼくと■■コと、■■リでメカクシをして、キシャにのったように思いながら話をした。3人、ならんでねて、汽車の中にいるように話をする。まさに、集団で夢の国へいくわけである。

 目をあけて、ママゴトをやるのに、目かくしをして、コトバだけでママゴトをやったほうが、真実の感じがある。

 しかし、夢の国へ行くのはおもしろい。

        (1973/04/15)


 ぼくは、服をキガエルトキ、アルキマワルクセがある。

        (1973/04/16)


 ぼくのへやなどの窓の下の雑草は、雨などにぬれるといいようもないほどかわいい。

        (1973/04/16)


 しゅうがく旅行では、ハライタをおこさぬようにしましょう。ショウギをさしましょう。

        (1973/04/18)


*「3人、ならんでねて、汽車の中にいるように話をする。まさに、集団で夢の国へいくわけである。」  よくこんな感じの遊びをしたよね。兄、上の妹(■■コ)、下の妹(■■リ)のトリオで。詳しいいろいろはほとんど忘れたけど。
*「しゅうがく旅行では、ハライタをおこさぬようにしましょう。」  修学旅行は高二の秋。つまり、まだ半年先。

 

 
02:39 2021/06/13 (日)


 ぼくは、父母が東大にはいれといったりしていないし、または暗にねがっていない事を知っていて、かつ、ぼくを入れたいのが、比較的はいりやすい■■■であることが関係して、受験勉強がまるでムイミにおもえるのか? 
 ぼく自身そういうものが、バカラシクなったか?

        (1973/04/14)


 ぼくは、高校に、弁当と、将棋と友だちとの親交のためにきていて、そのついでに授業をうける。というとまちがいだが、高校に人と交わるためにきている。生徒や先生と交わる事によって、自分の存在する価値を、日々たしかめているようだ。
 つまり、学生なんだという身分を得るためにきている。学生という心持ちを得るためにきている。
 そして、他にはこれが、おれのギムだ、仕事だといっている。要は、名目を得て、ひまをつくろうとしているのだ。閑は文明を高める。閑は心を高める。

        (1973/04/14)


 ぼくは、■■にもならず、作家としても成功せずに食う物に困ったら、先生になるか、どこかの土地を借りて物をつくって、それを食べて生きていこう。

 新興宗教団体をつくってもいい。

        (1973/04/14)

 

 
23:31 2021/06/05 (土)


 ちゃんとイミがわかっているのに、言葉の不完全な所をついて、理屈をこねて、ひなんする。かつ、そのひなんは、まったく、言っている人にとって利益になるようでない。こんなおあそびをする人もいるでしょう。中には、自分にそんであっても、理屈をこねて、ひなんしたくなる人もいるでしょ。でも、そんだというのは、金の損や、物質上の損や、精神的な損の一部であって、その人自身にとっては比較的そんでなく、その人にとっては、理屈をこねひなんするのが、この上もなくたのしく(たとえ、イシキしなくとも)とくなのだろう。

        (1973/04/12)


 今の高校生はそんなに受験によって、灰色にそめられているの? ぼくは、ちゃうよ。

 ぼくは、高校生活を文学と神のために使うのだ。

        (1973/04/13)


 何も、大正、明治の頃の高校生の生活がもっともいいとはいえないが、昭和の、高校生のぼくの生活は、おおらかにいきたく思う。

        (1973/04/13)


 受験勉強なんかに、おいまくられるものか。ぼくは、文学と神を求めるのだ。

        (1973/04/13)


*「ちゃんとイミがわかっているのに、言葉の不完全な所をついて、理屈をこねて、ひなんする。」  というようないやなヤツの被害に遭って、書き付けた?  むしろ、waka自身の性癖にありそうと疑われるので、自己批判的な言辞? 

 

 
00:11 2021/05/30 (日)


 ぼくの顔はチカンのようにみえるのか? 

 いやみえない。信じるのだ。

 ぼくが、だれか女の人の顔をみると、女の人はすましたり、顔をそむけたり、冷たい目をするのだ。

        (1973/04/12)


 ぼくは かくれるようにして メガネをかける。

        (1973/04/12)


 父さんとメガネやにいったよ。茶色のうすいわくに自然光のレンズ。
 メガネ屋は、ブルーのレンズをしきりとすすめた。しがいせんをふせいで、目にはいいんだそうだ。ねだんは高いけど。でもぼくは自然が好きだし、しがいせんをふせいでいたら、いざメガネをとって、し外せんにあてたとき、目がやられちゃうと考えたわけ。つまり、目をあまやかすまいとしているのだよ。でも、メガネをかけることじたいあまやかしている。かけずに、目をきたえてつよくしなきゃいけんかったのだ。でも、1年〜2年ぐらいきたえたけど、よくならなかったから、そして、黒板がみえなくなったから、あまやかすことにした。
 これからも、よく目にえいようをやってできるだけ、なおすように努めよう。でも、1時間半でメガネができちゃうとはオドロキ。お父さんの老眼鏡は一週間もかかったのに。

        (1973/04/12)


 しかし、メガネのガラスがわれて、目にささるなんてことがないようにいのります。

        (1973/04/12)


 ぼくの目は夜、歩いても、だいじょうぶかな視力? 

 自動車にひかれないかな

        (1973/04/12)


 メガネはふちの所で視界がさえぎられるから、町を歩くときは、メガネをとった方がいい。

        (1973/04/12)


*「ぼくが、だれか女の人の顔をみると、女の人はすましたり、顔をそむけたり、冷たい目をするのだ。」  自意識過剰、そんな気がしているだけ、というのが第一の可能性だが、案外、実際、目力が強すぎる、ように感じられている、のかもしれない。近視で目が悪いので、他よりも一瞬程度、凝視が長く、うっとうしく感じられている、とか。
*「ぼくは かくれるようにして メガネをかける。」  少々謎の言。文字どおりそれだけのこと? メガネの使い始めで、恥ずかしい? 
*「茶色のうすいわくに自然光のレンズ。」  以下詳細がつづくが、最初のメガネは黒縁眼鏡だったような記憶があるが?  黒縁眼鏡(現存)は二代目で、ここで買った最初のメガネを高校時代、尻に敷いてこわしてしまった、ような気もするなあ・・ かなり、記憶あいまい。 ・・・うん。高校時代、尻に敷いてこわしたことだけは、確かにあった。
*「メガネはふちの所で視界がさえぎられるから、町を歩くときは、メガネをとった方がいい。」  と、最初のうちは考え、実行をしても、まもなくかけたままになってしまうんだよね、馴れで。いちいちはずすのもめんどうで。(眼鏡のふちはそのうち、見えているけど認識しないようなことになる。つまり、映像は網膜に映っているけど、脳が認識から省いてしまう、というようなことではなかろうか)

 

 
23:42 2021/05/22 (土)


 中間や期末や大学の試験のための勉強なんてするだけあほらしい。
 夢のための勉強だ! 

        (1973/04/11)


 ハサミはねもとの方がよくきれる? 

        (1973/04/11)


 お父さんは、とってもいい人だし、尊敬すべき人だ。

        (1973/04/11)


 苦しまずに死ぬ方がいいけれど、ぼくが、かんしょうできるのは、多くて自分の死だけで、他人の死には、ぜったいかんしょうしたくない。まちがっても他人を安楽死にしてあげようなどとは思いたくない。と、同時に、他人に、ぼくの死をかんしょうされたくない。

        (1973/04/11)


 それから、長生きをしよう。生きて、生きて、夢をつらぬこう。

        (1973/04/11)


 正直にいくつもりになって考えてみたら、いままでのぼくはあんがい正直だったようだ。が、夢が、あいまいだった。

 勉強をして、自信力をつけておけば、何才になっても夢をあきらめる事はない。

        (1973/04/11)


 「せいぜい」とは、「たかだか」と意をとるより、「いっしょうけんめい」ととりたい。

        (1973/04/11)


 正直によって、ぜったいに、約束をまもろう。

        (1973/04/11)

 

 
23:38 2021/05/15 (土)


 貫く

        (1973/04/10)


 ぼくは一つの夢にうちこんでこそ、ぼくのまんぞくのいけることができる。ぼくの全情熱を、たとえば、万人を正直にするために傾けよう。■■君、君はもう老人になってしまったのか? 青年ではないか!! 夢を持つんだ。情熱だ。夢をもつかぎり、永遠の青年だ。

 作家になるにしても、ぼくはてってい的に勉強せねばだめだ。独学でもいい、やらねばだめだ。作家について、小説について、てってい的にやらねばだめだ。
 ■■君、青年よ、勉べ!!
 君はまだ16才だ! 先は長いゾ!


 そう、小説をつくろうとあせるな。勉強するんだ。長生きするように体もきたえろ。そして、十分な自信力と実力をつけて、小説にとりくめ。それが、17の時か、80の時かはしらねど。やれ!!
 高校は、指導ようりょうをやる所じゃない、自分の好きな勉強をやる所だ。大学なんかにいかなくてもいい。ほんとうに。
 高校では、「現代国語」「古文」「漢文」「倫理社会」をしゅうねんでやるんだ。
 しゅうねんで。 心をこめて、思いやりをこめて、力をこめて、ヤレ! ぼくの夢のために。 文学クラブにも、はいってもいい。何かをかいてもいいが、書くよりは、他のクラブ員と親交を深め、人の心を知れ。将棋同好会でも、人の心を、「礼」を知れ。 いやがるな。やるんだ。
 現国、古文、漢文、倫社は ぼくの全力をだしてまなべ。まなべ、夢のために。書道は骨休めに、そして、芸術をたのしむためにやれ。
 世界史、数学、物理、化学、英語は、常識を得るための程度でまなぶ。

 しゅうねん!

 他の教科を、常識以上ふかいりすると、ぼくのエネルギーが、ちらばってしまう。 器用貧乏

 すべての分野で大きくなれるほどぼくはいだいでない。だから、一つの方面にのみ全力投球をするのだ。

 ヤルゾ、先生!!
      お父さん!!


        (1973/04/10)


 今日のお父さんの話は、あまりに、ひじょうに有意義だった。ぼくが、正直こそ真だと思っていたあとだから、よけいよかった。
    ヤルゾ! 

 ■■高はぼくにとって、神と文学を知るための物となった。そうなのだ! 

        (1973/04/10)


 小説家は小説をかけばよい。いろいろな雑用はしなくていい、すると川端ヤスナリのように自殺する。
 ぼくも、神と文学を知るためには、それ以外の雑用をさけて、勉強しよう。でも、将棋同好会の会長としての雑用はずっとつづきそうだ。が、これは社会の勉強の一部、ぼくの勉ぶ事の応用の場として考えていこう。

 神と文学を知るために!

        (1973/04/10)


 このノートを書いていて、よかった!

        (1973/04/10)


 ほんとによかった! まったくよかった。

 ヤルゾ、泣けてキソウダ、
     ぼくが、やる事をみいだしたのだから。

        (1973/04/10)


 正直に生きる

        (1973/04/10)


 ぼくは(神と)文学を知るために■■高へいくのだ。

        (1973/04/10)


 しかし、フウトウツクリはたのしい。

        (1973/04/10)


 ぼくの生きる道は、ぼくの正直と、ぼくの神と文学の勉強がきめる物だ。
(■■■■になったって、60になりゃ、ぼくのムスコが大きくなる。それから書いてもけっしておそくない。先生だって死ぬ10年前にかきはじめたのだから)

 すばらしき 4月10日がおわった。(つまり、24時がすぎる)

        (1973/04/10)


*「■■君、青年よ、勉べ!!」「君はまだ16才だ! 先は長いゾ!」  学べ、ですか。  半世紀後、ちゃんとこの通り健在だから、確かに先は長くあった。 たくさんのことを経験できたけど、したくてもできなかったこともたくさんあった。 後悔は、ほぼ無しだ(^^;
*「現国、古文、漢文、倫社は ぼくの全力をだしてまなべ。まなべ、夢のために。書道は骨休めに、そして、芸術をたのしむためにやれ。」「世界史、数学、物理、化学、英語は、常識を得るための程度でまなぶ。」  こういうメリハリはいいよね。わりとわかってるじゃん、waka君。 だけどまあ、進学校の中では、希少な立ち位置かもなあ・・  数学や英語を執念で学ばねば、ふつう、大学に行けないし。
*「ヤルゾ、先生!!」  これは、夏目漱石先生、だろう。
*「今日のお父さんの話は、あまりに、ひじょうに有意義だった。」  夕食の席か、実際に父と会話して、話を聞いてるんだね。 ヤルゾ、ヤルゾと、気合いは入っているみたいだ。
*「■■高はぼくにとって、神と文学を知るための物となった。そうなのだ!」  ■■高、現に通っている高校。  文学は再三言ってるからいいとして、「神」はどこから出て来た?  もしかして、父と語った時に挿入されたのか? 
*「ヤルゾ、泣けてキソウダ、」  狂騒のかんじまでしてきたな。こういう興奮の仕方は冷めるのも早そう・・ 
*「■■■■になったって、60になりゃ、ぼくのムスコが大きくなる。」  このときは、家業を継ぐほうへ、傾いてたのか。ムスコに継がせて隠居という目論見(を抱いているまだ十六の男子)。

 

 
23:33 2021/05/08 (土)


 ぼくが、どう生きていくか、■■になるか、どうか、あの人はどうするか、しっぴつ活動はどうするかも、みな、この正直が決める。正直によって世の中を生きられない事はない。たとえ、すぐ死ぬようであっても、心にまん足であるならかまわない。正直に生きねばならない。正直に生きよう。

 ぼくは子供にかえりたいとよく思う。それはムリなんだと思った。しかし、ムリじゃない。正直になれば、子供の美しさはとりもどせる。!!

 そして、できたら、みんなも正直になってくれはしまいか。今の日本人を、地球人をすくうのは、正直のみなような気がするのだ! 

 ぼくはこのために生きていこうか? ぼくの生をうけた仕事とは、世を正直にする事なのじゃあなかろうか!!
 ぼくは、世を正直にするために、生をうけ、生きていかねばならないんだ!!

        (1973/04/10)


 お父さんの本はいっさつといえども、いつになっても売ってはいけない。なくしてはいけない。ぼくが家をついで、それから、ぼくの子にもそう言おう。「お父さんと、おじいちゃんの本はぜったい売っちゃ、だめだよ。とっても役にたつ本がたくさんあるんだから。何かギモンにおもったら、この本の中をさがせば、きっとよい参考になるのがでてくるよ。」と。

        (1973/04/10)


 正直に生きよう。■■になったっていい。

        (1973/04/10)


 父の話。
 ・もとの姓、■■。
 ・お父さんの「■の■」の題はいい。
 ・キリスト教も仏教も神道も、みなひっくるめて、そこからさとりをひらこうとする。
 ・お父さんも、1つの事にのみうちこめて、2つ以上は同時にできない。

 ぼくも、お父さんのように夢をもって生きよう。お父さんは夢を貫きさえすれば、ぜったいにその夢がなせると考えていて、40になっても50になっても、すてようとしない。ぼくもそういうふうにいきたい。

        (1973/04/10)


 ぼくの夢はなんだ? 大小説家になって、自分の感動を他に示すことか? なんにしても、その夢の方面について、てってい的に勉強せねばならぬ。そうだ、そのためにてってい的に勉強しよう。夢のためなら、何が苦痛なのだ? お父さんもそうしたんだ。夢はすてずに貫こう、いつまでも。どんなふうになってまでも。

        (1973/04/10)


*「ぼくが、どう生きていくか、■■になるか、どうか、」 ■■は、継ぐことを期待されている家業の職名。すこし後に出てくる「正直に生きよう。■■になったっていい。」も同じ。
*「あの人はどうするか、」 たぶん、中学時代に好きだったある女子のことを言っている。ここは、あの人がどう行動し考えるか、ではなく、あの人をどうするか、という意だと思う。
*「ぼくは、世を正直にするために、生をうけ、生きていかねばならないんだ!!」 舞い上がってはいるが、有言不実行だったが、このときは確かに、光の当たる一筋道がみえていたのかもしれない。
*「お父さんの本はいっさつといえども、いつになっても売ってはいけない。」 本を否定するつもりはない。しかし、本自体は、紙とインクでできたモノにすぎない。かかれている内容が実体なのだ。それが失われないなら、享受できるなら、モノであってもデジタルデータであっても、自分の所有物であっても、公共物であっても、ネット上の情報であっても、どれでも良い。 ・・と今は思う。後年、wakaは家をでたあと、実家に残した自分の蔵書を(妹■■りに頼んで)売却してしまう。さらに三四十年あと、父が死去、遺された父の大量の書物は誰も(息子も)引き取り手がなく、ほぼすべて廃棄等で処分されたはず。
*「・お父さんの「■の■」の題はいい。」 「■の■」は、家業関係で定期発行している数頁の印刷物(チラシ)の題名。
*「夢はすてずに貫こう、いつまでも。どんなふうになってまでも。」 これはある意味、有言実行となったのでは? 大小説家、ではなく、アマチュア文芸愛好者だけれども、自分にとっては両者はだいぶちかい、ところによってはほぼ同じかもしれないし。

 

 
23:40 2021/05/01 (土)


 どんなにけされる作家になってもいい。が、作品を、作家が、悪い心をもっているから(あいつは名誉のために作品を求めているから、作品の感動も真のものではないのだ)といって、けなされたくはない。前にかいたのは、正真しょうめい、真の感動であって、しょうしんしょうめい他につたえたいものだ。ぜったいに小説化する。他につたえねばならぬものなのだから。

 明暗をよみおえ、今の雑多が解消したらかきはじめよう。

 今すぐはじめるべきか? 

 ほんとうにぼくは、涙がでるほど感動し、イカリ他へつたえたいのだ、うそだと思うなら、できあがる作品をみたまえ、■■君!!

        (1973/04/10)


 さとりすぎてしまうと、それを他に示しても感動をあたえない。ある事象をやっとさとった、すれすれに、息をキラシテさとった時に感動がおこる。

        (1973/04/10)


 中学1年の頃、カッペになぐられ、先生の前によびだされて、カッペがなぐられ、先生がぼくに、もっとしっかりしなきゃいけない、といったから、ぼくは後日、「今までのぼくみたいになぐらせておく、そして、けっしてなぐりかえさないという生き方はまちがいでした。なぐられたら、なぐりかえすべきなんでした。」と先生のいう事をきいた旨をいった。先生はほんとうにこういったんだ、なぐらせて、けっしてなぐりかえさないのは、りっぱかもしれないが社会じゃつうようしないんだと。だから、ぼくは前述のような事をいったのだが、先生は、何か感じなかったろうか。ぼくは感じていた、わりとつよく。それでなおかつ、そういったのは、すこし、ひらきなおっていたからなのだ。

 A君も、なぐられても、なぐりかえさない人にしよう。

        (1973/04/10)


 ぼくの顔にニキビができたのは、ぼくが、不正直になったためじゃないかしら。もしくは、大人になったという事・・・。

        (1973/04/10)


 中学にはいった頃のぼくはそれほど正直でなかったかもしれない。けど、今からくらべると数段、何百段もきよく美しく、正直だ。

        (1973/04/10)


 ああ、正直になりたい。なりたい! 

        (1973/04/10)


 ぼくが、正直者に変身したら、友人はへってしまうだろうか、それもしょうがない。

        (1973/04/10)


*「できあがる作品をみたまえ、■■君!!」 結局、そういう作品は書けなかったようだから、有言不実行だよねえ。いくら吠えても実行が伴わなければ、ホラになってしまうんだよ、■■(=waka)君! 
*「中学1年の頃、カッペになぐられ、」 カッペは級友のあだ名。数人が呼び出されて、先生(担任)の前にならばされて、なぐった者は、先生になぐられ(グーではなく平手)、なぐられた者(waka)は本文にあるように先生に諭され、全員、涙目。・・今からみると過激だが、以後長らく、級友間の暴力的なことが鎮まったのはたしか。

 

 
23:24 2021/04/24 (土)


話の筋
 A君が正直者。A君は 美しいBさんを愛するが BさんとC君は BとCはスキアッテイル 正直者のAをからかって、あそぶ。BにAをスキだといわせ、Aがムチュウになり、まにうけ、どうしようもなくなってから、真実をしらせる。いや、Aが、ひょんな事から、知ってしまう。Aはそこに、BとCの不正直さをみる。にくしみをもつ。が、それは、にくむべき、BとCにむかうよりも、AはA自身をせめてしまう。これも正直ゆえにだが、なんと、Aはかないしのだ。他の罪もみな自分でせおってしまうのだ。そして、自分が正直だったからいけないのだと思い、苦しみながら自分をかえていく。
 美しすぎるほどの宝石が音をたてて、 くずれる。こわれる、美しかったAの心が、他からの強要によって、A自身の手でこわされてしまう。なんと、ムジョウな。
 しかし、Aはこわしたくてこわしたんじゃない正直だったからだ。Aの美をこわしたのはBやCや外部のやつだ。やつらが、正直なAによってたかって、ぐちゃぐちゃにしてしまったんだ。
 Aは三枚目でもある。
 美しい心のきたなくよごされるかなしさ、おしさ、もったいなさ、よごす物へのイカリをかきたい。そして、それが、どうしようもない必然にちかいカナシサをかきたい。

 ぼくは感動している。この感動を他につたえずにどうしろというのだ。あとはぼくのウデのみだ。

 このとき、BもCも悪い事をしたとはおもっていないのだ。ちょっとあそんだだけ、と思っているだけなんだ。

 スキ キス

 ぼくは「ひょん」とかこうとすると、すぐ「りょん」とかいてしまう。

        (1973/04/10)


 正直物のない社会へのイカリ、正直者の消えてしまう、美のけされてしまうかなしさ。それをどうしても、うったえたい。真にうったえたい。
 ぼくはほんとうにイカッテイルンダ。ぼく自身も、ぼくの愛しぬいた正直をすでにステテ、ステラレテしまっているようなのだから。

 いってみれば、子供のじゅんしんさが、おとなになることによってけがされてしまうのだ。

        (1973/04/10)


 正直物が、村八分にされるイカリとカナシミをかくのだ。世の不正にイカルのだ! 

 これが夏目先生なら、はじめのうちは、A、B、Cのうち、B、Cがあたりまえだと読者によませて、読者にもCのバカラシサを笑わせる。そして、ラストの方で、Aの独白により、いかにAが美しかったか、そして、いかにみにくくなろうとするかをいい、真の生き方がAである事を痛感させ、読者に、自分が、BやCだったのだと痛感させたい。とにかく、Aの悲劇をかくのだ! 

 また、A君は正直すぎたために、やはり、責任をとわれ悪人にもされてしまうんだ。それでも、めげなかったのだが、B君やC君のためについにくずれてしまうのだ。

 学校の先生からも理解されないんだ。

 めげる ひるむ。

 このかなしい感動を忘れるな、そして忘れぬうちに ぼくが完全にかわらぬうちに 文にしろ。

 この感動のみを考えて、かけ。この感動がだせれば、マンゾクなのだ。

 名誉とか、なんかは考えるな。

        (1973/04/10)


*「読者にもCのバカラシサを笑わせる。」 読者にもAのバカラシサを笑わせる。でないと整合しないか。
*「B君やC君のためについにくずれてしまうのだ。」 Bは女子のはずなので、BさんやC君のために、と書きたい。

 

 
03:35 2021/04/18 (日)


 どんなに正直でよい人でも、バカでノロノロしていると、ちょっとあいまいにすると、いつ責任をはたさず、ギムをおこたり、他の権利をおかしたとみられるやもしれないのだから、今日の世は。

 これでいいのか! 正直者たちの、ゆずりあいの心、かん大な心、互いにゆるしあう心に、理屈屋たちの、理屈、法律第1主義をおしつけていいのか。
 ああ、正直物がカワイソウダ。ぼくだっていいたかないけどすこしは正直者だし、正直者として、生きていきたい。でも、今は、正直者が、バカ、ウスノロ、オヒトヨシ、ムセキニン、男ラシクナイ、(マゾ)といわれる世なのだ。そういって、まわりに不正直物がバカにする世なのだ、不正直物が、正直物をねたんで。正直者は正直だから、彼らの言葉を信じて不正直者になってしまうのだ。

 ああ、正直者として生きたい。ミヤザワケンジのあの詩がうたったような正直者になりたい。自分にマンゾクして、自分を好いて、生きていきたい。
 いっその事、そうしようか。そうやっていこうか。他がなんといおうと、・・・? 

 ぼくは、生活が雑多になり、気疲れしてくると、いつもこう思うのである。

        (1973/04/10)


 みんなは、自分に責任のかかるのがいやだから、他に転化しようとするのだ。するとみな正直物にかかってきてしまうのだ。
 正直物は、自分のすべき事がわかれば、ぜったいにやる。でも、ちょっとバカだと、自分の責任の大きさがわからず、ふつうの人のように生きていればいいのだと思い、その責任にあったくろうをするのをしらぬうちに悪人にされてしまう。そのくろうをしても、ぜんぜん方向ちがいだったりする。頭のいい正直物なら、うまく、いける。でも、頭のいい不正直者にいまにおとし入れられてしまう。

 だから、みんな正直に生きようとしなくなった。これでいいのか。正直に生きなくて、どうして、幸福なんだ。自分にまんぞくして生きていけるんだ。自分を好いていけるんだ。自信をもって・・・・ 正直者なら。

 ぼくは正直に生きたい。不正直の不快はもうたくさんだ!!

 メガネをかけるのをキカイに、完全正直者に変身しようか?!

        (1973/04/10)


 正直者が、社会は不正直があたりまえである事を知り、いままでの自分のムイミさ、バカラシサを痛かんして、不正直になっていくケイカを小説にしたい。読者に、正直物が、その人自身が、自分の最高の善を否定して、悪にうつっていく、不合理さ、正直物の自分がイミのないものだったとして変身する者のかなしさ(他から、強要され、圧迫されて、正しい正直を否定しなければならず、悪い不正直を肯定しなければならないかなしさ。社会の無情な力によって、真の生き方、うらやむべき真の生き方をすててしまう、人のかなしさ。つまり、彼は、すばらしい生き方をもっていたのだが、無慈悲な心にねたまれ、いびられて、悲劇におちいってしまうのだ。それは、その人にとっても、人間にとっても悲しい事じゃないか。真に自分をあいしていたその人にとって、そんなにも美しい物が、いつわりであるとおもってしまった時のカナシサ。いつわりだとおもわせる、我らが、愛しているはずの社会。カナシイナ)

 つまり、愛する物にうらぎられたカナシサなのだ。

        (1973/04/10)

 

 
00:39 2021/04/11 (日)


 ぼくは3日後、メガネやさんに父といって、メガネをつくる。黒板がみえなくなり、(前からもそうだったが、どうにかやってきはした。が、それがめんどうになってきた) そのために、クラスのみんなにメイワクをかけてはいけないし、自分もまともにみたいからかけるのである。視力0.1といえども、ふつうの生活でほとんどししょうがなく、あるのはただただ黒板だけだから、メガネをかけるのも、授業で黒板のみえぬとき。
 でもはずしたり、とったりすると視力がおちる、という。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。メガネをかけている人が、自分の仲間をふやしたいので、こんな事をいうのかもしれぬ。
 学校をでれば、もちろんとる。本をよむときや何かのときはひとつもししょうはないのだから。
 お父さんは、「黒板をみるときだけにしなさい。」と、また、ちょっときめつけていいます。それに「メガネをかけていると、メガネをとったときに、ザトウイチみたいになるから、いつもかけてるのはやめな」っていいました。
 これを機に変身でもしましょうか。

        (1973/04/10)


 先輩が先生に教室をかりるよう(将棋クラブのため)注意してくれなかったら、ぼくは無許可で教室をつかってしまっただろう。
 かしてくれるようにたのんだだけで坂■先生は1〜2週ようすをみてそれでよいようだったら、かすとかなんとか、・・・国研では君が責任をもってやるようにだけですんだけど、6時間目のおわりに、先生がかしてくれるとおっしゃったのは、今週の土曜のほうか後だけですか、一年中ですか、ときいたら、今週のみだという。そこで一年中かしてくださいますか、ときいたら、1〜2週間ようすをみてから、ということです。とにかく、せんせいがこれほどコウデイすることだから、ムキョカでやっていたら、オソロシ。

 内■先輩のイダイさ。

 これからは、いろいろと気をつけ、同好会を(また自分を)セイテンハクジツの身にしていくよう気をつける。とにかくあいまいにするな。よく気をつけ、考えろ、高校で何かをやるときは。

 とにかく先生に権力があるのだから、彼らの考える善にあわないと先生はおこりだす。先生の善とぼくの善がはりあっても、かなわぬ事も多いでしょ。ぼくが、まるで悪になってしまう事もあるでしょう、あいまいにしたために。だから、気をつけろよ、というのです。

        (1973/04/10)


*「メガネをかけている人が、自分の仲間をふやしたいので、こんな事をいうのかもしれぬ。」 笑。 邪推? わずかながら真もあり? 
*「とにかくあいまいにするな。」 許可を得るにしても、あいまいな部分を残しておいたほうが、融通がきく、双方にとってメリットがある、などのこと(加減、あんばい、落としどころ?)は、経験値積んだ後年の感覚かも・・ 

 

 
00:32 2021/04/04 (日)


 ひとは、いちどに、どれだけの雑ったな事をおぼえていられるか。
   ぼくはせいぜい5つどまり。
   だから、メモをせねば、生活していけない。

        (1973/04/10)


 今はじつに雑多、生活が雑多できづかれする。新学年になっての不安。しょうぎ同好会長になって、4/13に放送をせねばならず、そのゲンコウもつくらねばならない。それに、今日も、UAの教室を将棋クラブでかりようとして、坂■せんせいと話しあった、共に不快にならなかったていどで、心をこめたともいえないし理屈っぽくなってしまった。
 それを、国研でやって、はいるといっている文学クラブの田■先生の手前もあり、(先生の前でタドなんていってしまったこともあるし)先生にケイベツされているのではないかとも思うし、文学クラブにもはやくはいりにいかねばならぬ。メガネもかけなきゃならないし、カムイ伝もかして、かえしてもらっていかなきゃならない。

        (1973/04/10)


*「坂■せんせい」 wakaのクラス、UAの担任。国語科の先生。
*「田■先生」 wakaの一年時の担任。やはり国語科の先生。タドは、あだ名。
 田■先生は文学クラブの顧問であり、wakaは文学クラブに入ると言っている。それなのに、上の通り、将棋同好会の会長として坂■先生と教室使用許可の交渉をしている、国研(国語科の先生たちの職員室)で、つまり田■先生のそばで。あからさまに二股をしているようで、それが気まずいようす。
* ちなみに、上の文面からいくと、wakaとしてはまだ文学クラブに入部していないというつもりなわけだ。しかし、この半年前、前年秋(waka高一時)の文化祭で発行された文学クラブ誌(半世紀後の現在も手元にあるそれ)の巻末には、文学クラブ員としてwakaの名が末席で載っている。(wakaの作品は載っていない)
 一年時に入部希望は田■先生に伝えてはあったんだろうね。その線で、先輩には新入部員がいることが伝わっていて名前も載った、と。しかし、wakaとしては、先輩との顔合わせもしておらず、当然部活動的なこともしておらず、ちゃんと入部した自覚がないんだろうな。おかしな話だが・・ 
(つまり、文学クラブはほとんど休眠状態。文化祭で披露する文芸誌をつくらねばならない時期になるとひとりふたりが思いだして起動しはじめるような)

 

 
01:10 2021/03/28 (日)


 青年は、自分が、年老いてから、世の中がかわっては死ぬだけだから、青年のうちに世の中をかえて、自分でキリヒライテいこうとしなければならぬ心理下にある。

 ・今の青年にそんな心がある? 
 ・大商社の悪が世間の常識になりだしたから、こういう冒険心をもつのもでてくるかも。
 ・つまり、社会が乱れそうなくもゆきなのだ。地球が新しい時代をむかえるようなクモユキなのだ。それが、人類最後の時代かもしれないけれど。

        (1973/04/09)


 このノートをときには、まじめに、ときにはてきとうに、ときにはふまじめにかいている。

        (1973/04/09)


 同好会はぼくだけのものではない。今いる部員だけのものでもない。この将棋同好会をつくり育ててきた数々の先輩たちのものでもある。これから、同好会にはいるかもしれない将棋のすきな人たちのものでもある。彼らは好きなときに、同好会にきて将棋をさせるのだから。もし、同好会がつぶれてしまったら将棋好きたちが、学校で、合法的に将棋をやる事はできなくなってしまう。
 将棋は友だちがいなければできない。高校の友だちがいちばんしやすい。学校こそ、友の会う所。学校で、将棋をするのが最も自然。この自然は人間生活の自然。人間生活なくして、学校生活もない。学校で将棋をやってもいいじゃんか。

 学校生活には、生徒も先生も含まれる。

 同好会が学校につぶされれば、学校は将棋をするな、という事なのである。会員があつまらずに消めつするのはあきらめよう。でも、同好会の態度が悪いといってつぶされるのは、なんともくやしいではないか。そんな事にはぜったいなるな、なんとなれば、将棋をするのは許されているはずなのに、会員の態度がわるいので将棋までやめさせられてしまったことになるのだから。

 私が、別に将棋ができればいい、同好会などなくてもいいと思うことがあっても、将棋ができ親交がふかめられる場をつくらねばならず、つくった方がいいのであって、かつ、それはだれかがやってくれるのではなく、自分から、そっせんしてやらねばならない事を忘れてはいけない。

        (1973/04/10)

 

 
00:05 2021/03/21 (日)


 ノートやエンピツがとても高くなった。ぼくのすきだったふつうのよりすこし大きくてはしが黒い大学ノートもなくなった。

 ワラバンシもたかくなった。スムーズな勉強、作文をするための条件が高くつきだした。

        (1973/04/09)


 大商社が、これ以上、トウキケイザイをはしらせると、自由主義ケイザイがくずれ階級差ができ、日本はまたハメツの道を歩む。それが、戦争につながるのか、革命か、キキンかどうかはしらねど。いちど革命がおきてしまったらあとへはもどれぬ。

 大商社はほんとうにはしらせているの? 

 とにかく、地球が有限なので、だれもが物を買おうとする。

        (1973/04/09)


 今の社会はじょじょにいきづまってきた。

 今までみたいにノンビリではだめ、セッパツマッテキタ。オシコメラレテキタ、イノチがかかってきた。

 せまい日本が
  せまい地球が

 人間が、はんしょくしすぎたのだ。

 もうすぐ人は死ぬ。
 大キキンか何かで死ぬ

 生き残った生命力と運の強いやつだけが、それからを生きる。この生き残るやつになりたい。

 生命力と運の強いやつでも、生き残らねばダメ。生き残っても、生命力と運の強いやつでないと、それからを生きられない。

        (1973/04/09)

 

 
23:31 2021/03/13 (土)


 外国の作品を訳すなんて、ずいぶんたいへんで、一見無意味な事をやる人が、(そしてそれほどの頭をもった人が)よくこの世の中に、それも日本にいる物だ。
 ぼくはあんな事をやるなら、日本語で文学作品をかくほうがずっといい。

 重要な仕事とは、おうおうにしてなりてが少ない。たとえば、看ご婦、たくじ所のおねえさん etc
 それなのにあんなにたいへんで、かつ、あまりに重要で、かつあまりにぼくにとっても(特にぼくのように外国語のキライな物にとっても)必要で、そして、そんなに高給でもないであろう、ほん訳をやる人が、たりなくないのはフシギでしょうがない。

        (1973/04/09)

 

 
23:51 2021/03/06 (土)


 グラマーの先生A。生徒B、C。
 2年の新学期。
A「君たちはなんで予習をしてこなかったのだね。」
B、C「先生が、グラマーをやるのかリーダーをやるのか、わからなかったのです。」
A「両方やってくるべきだろう。」
B「私は、先生がグラマーをやっていただくのを望んでいました。」
A「それなら、予習をしてくれば・・・」
B「ええ、でも、どっちになるか、わかりませんでしたから、もし先生がグラマーなら、それでうれしい。それに予習もしていれば、もっと完全にいくにはいきます。でも、リーダーをやるかもしれない。リーダーをやったら、それでかなしい。予習もやっていかなかったら、よけいかなしくなります。だから、どっちに、なっても、べつにうれしいともざんねんだともおもわないように同じにしたんです。つまり、リーダーの予習だけをしました。リーダーなら、先生がグラマーでないのがかなしいけど、予習をしているのですこしはうれしいし、グラマーなら、予習をしていないのはマズイけど、先生が、グラマーをやるので、すこしはうれしい。・・・となるんです。」
C「私は先生が、リーダーをしてくれるのを望みました。だから、リーダーの予習しかしていません。リーダーになれば、先生がリーダーをするし、予習がしてあるからうれしいのです。が、グラマーになったら、みんなかなしいけど、そのときはそのときでがまんするつもりでした。」

        (1973/04/08)

 

 
00:35 2021/02/28 (日)


 自分がどわすれしたために、わすれた事が、なんであったかと自分を苦しめる。
 未知である事が、私に不安をよびおこす。いったい私はどんな事を考えていたろう。そして、こんな事じゃなかったか、と思いだしても、それが、そうなのか、どうか、はっきりしない。そういうのを思いだすのは、また苦痛だ。もしこれが、そうでないなら、私はウソを信じてしまうのだと思うから。
 わすれた事をパッと思いだして、ああ、こんなことだったのかと思いだすのは気持がとてもいい。でも、パッと思いだせずに、まったく思いだせなかったりもやもやと、はたしてこうだったかどうかなどと思いだすのは非常に苦痛だ。

        (1973/04/06)


「なんだ。」
「なんだよ、」
「なんだよう。」

「用があるよ。」
「なんだよう。」

        (1973/04/07)

 

 
00:07 2021/02/21 (日)


 じゅくの帰りに書こうと思った事をひとつわすれた。

 これは、興味ある単語だった。

 あー なんだったか、おもいだせない。「慣用句」ということばだったかしら? 

 あー、苦痛だ。

 このことばを覚えようと思う。手帳にかくためにと思う。すこしして、また思いだそうとするが、ちょっとでてこない、どわすれをしてしまった、一生ぼくの前にこのことばはあらわれないかもしれない、などとあせるとますますわすれる。

 べつに忘れてもいいじゃないか。どうせたいしたことじゃないし、いくら興味あることば、(つまり芸術)でも、2度とあらわれないようでも。とでも考えていないと、忘れてしまうし苦痛だ。しかし、そんなキラクには考えられない。どんなささいな芸術も消してはならないんだ、といつもおもっている。それら、は世に1つ、とても貴重なのだから、と思っている。

        (1973/04/06)


*「じゅくの帰りに」
 英語の塾です。

 

 
02:20 2021/02/14 (日)


 閑人に三楽あり。天下にわずらいのないのが一つ。父母たちに、かんしょうされないのが二つめ。天下の美女をあつめてこれとくらすのが三つめ。

        (1973/04/06)


 あの人と、ふたりで、おぜんで、さしむかいで、ごはんをたべたい。
 こういう、質素でささやかなコウフクがほしい。

 大恋愛のはてというより、じみちな夫婦になりたい!!

        (1973/04/06)


 ぼくの頭は右側の悩が発達しているので、ぼくの顔はイビツなのか? 

        (1973/04/06)


*「閑人に三楽あり。」
 中国の故事の体裁で。
 いにしえでは君子、現代では閑人が最もまともな人間階層とみなして、彼の(妄想上の自分の)三楽(三つの愉悦)はこんなところだろう、と。
*「右側の悩」
 右側の脳でしょう。

 

 
00:04 2021/02/07 (日)


 ぼくは、この手帳を、せっぱつまった時にかく事が多いようだ。今日、チコクしそうなのに、この手帳をかいていて、あわや、チコクすん前だった。

        (1973/04/06)


 事象αが、個体Aにおこる。個体AはA〜Zの集合に含まれている。
 再度事象αがAにおこる確率はB〜Zのとくらべてどうか。

 → AとBのみのときはどうなる。

 → 
1)Aにαのおこる原因があったのだから、またαのおこる確率はAの方が高い。
2)Aにはすでにαがおこってしまったのだから、次におこるαはB〜Zのうちのどれかにおこりやすいのでは。
3)αは偶然にAにおこってしまったのだから、次におこるのも偶然。偶然なら、Aにおこるのと、B〜Zのうちのどれかにおこる確率は同じでは。

        (1973/04/06)


*「再度事象αがAにおこる確率はB〜Zのとくらべてどうか。」
 これはさ、人のふつうの感覚では、1)か2)だけど、数学的確率的に言うと、ほんとうに偶然しか介在しないなら、3)が正しい、たぶん。
 今でもロト宝くじなど買うときに、1)、2)、3)など考えることあります。
 だから、機械的な選定なら、3)なんだけど、
 人が選定をする場合は(バクチの手本引きなど、麻雀も近い)、1)や2)の感覚が介在する。選定する側、それを読んで当てようとする側双方に介在することになって、数学的な確率とは離れていくのだろうな。

 

 
00:01 2021/01/31 (日)


 ぼくは小学校の頃、■■コとあそんでいるとき、デパートの買い物に使うビニールブクロの中に、ユビワを入れるはこかなにかを入れてそしてそれをかぶってあそんでいた。小学5、6年で、そんな事をする年でもなかったのだが、■■コの手前、バカな事をしておもしろがっていたのである。そのビニールはかたくてゴワゴワしており、ちっそくなどするものではなかったのだが、お母さんは、ビニールでちっそくする子供たちの話をきき、おそれていたのか、まちがえて、そういうぼくをみると、とんできて、フクロをすばやくとり、そのフクロで、ぼくをしかりながらぶった。フクロはフクロだけでなく、その中にかたいハコがはいっていたから、それが、ぼくの頭にあたり、けがをして、血がでて、ふたはりかみはりぬった。
 母とぼくは、他人に、ふくろをとろうとしたとき、中のハコがぶつかってけがをしたんだといった。が、母はぼくにそんな事もなにもいわなかったし、ぼくも母にいわなかった。「お母さん、お母さんがぶったからけがしたんだよね」とは、どうも言えなかった。

        (1973/03/29)


*■■コ :上の妹。

 

 
00:04 2021/01/24 (日)


 「三つ子の魂、百までも」というのは、三才の子の子となのだが、ぼくははじめ、一度に3人生まれた子どもだと思い、その3人同志で通じあう彼ら(フタゴや三つ子)独特の心は百才までつうずると思っていた。

        (1973/03/29)


 「あなたがたのご無理は、何度聞いてもごもっとも。」

        (1973/03/29)


 外国なんて不便な所へ旅するより、日本国内の静かな所へ行って、静かな所にとまって、本をよみ、物をかこう。

        (1973/03/29)

 

 
00:30 2021/01/17 (日)


 本はなんとすばらしい物だろう。映画、テレビ、etcよりも数倍もすばらしく、美しい。と思うけど、それらは芸術として個々の作品が同距離で独立しているのではないかしら? 

 つまり、作品A、B、C、D、Eがあり、AとBの差と、AとDの差は同程度で、なおかつ、A、Bは本。Dは映画であることもありうる、というのだよ。
 芸術は、その作品は、みな同程度に異なって独立しておるのではないか、まるで心のように。

 本から2作、映画から1作、音楽から、4作、作品をもってきても、それらはみな、つまり、それらの7作はみな同等の独立性をもっており、それが、本とか映画とか音楽とかの区分に無関係なのではないか? 

 そして、事象とは、みな、同等の独立性を持っており、区分されるべきでなかったのではないか? 
 事象はみな、いろいろな同じ点であったのだ。その点をむりに拡大して、三角とか四角の形をみいだして、ムイミに分類してしまったのではないかしら? 
 事象はみな同等の程度の差を互いに持っていて、何かと何かが、とくに親密だとはいえないのではないだろうか? 

        (1973/03/23)


 らくだいするだろうかと思っても、しないだろうと思っても、させられるときはしてしまうんだい、させられないときはしてしまわないのだから、らくだいするかどうか思い悩んでもしょうがない。

        (1973/03/23)

 

 
04:36 2021/01/10 (日)


 ボクは今、おっそろしくコウフクなような気がするけどちがうかしら。家にいて、何のわずらいもなく、仕事もなく、学校が休みだからと勉強もしないで、好きた木をよんで、好きな事を書いて、・・・・まったく、すバラシイ。

        (1973/03/19)


 ぼくは小さいころ、よく、万能ロケットや万能ロボットな万能な自分や、かわいい女小人などを考えて、楽しく空想したものです。

        (1973/03/20)


 男は女の人のハダカを好むようだが、原始の、人間たちが、みなハダカだった頃も、やはり、そうだったのか? また、今、すべての人がハダカとなっても、そうなのか? 
 人は服を着るという事で、ハダカという物を希少にして、高い価値をつけたのでは? にしたのでは? 

        (1973/03/21)

 

 
00:49 2021/01/03 (日)


 死ぬのは運命なのか? それとも、死なないように気をつければ、わりあい長く生きられるのか? 

        (1973/03/14)


 今から死ぬような事をやりに行くときの男のいいぐさ。
「おもしれえ事をしないで死んじゃっちゃおもしろくねえ。だから、今から、おもしろい事をしてくるぜ。」

        (1973/03/14)


 今日、学校の坂の前まできたところで、しとしとふっていた雨が雪になり、ぼたん雪になりました。でもつもろうとはしません。

 傘下 : さんか

        (1973/03/16)


 人間以外の物、たとえば、アリや犬を、擬人化せずに、主人公にするのはむずかしいだろう。特に一人称小説の場合は。

 しかし、文学 小説とは真実を書かなくてもよいのだから、アリはこんなふうに思っているだろうと思って、アリの心をさもほんとうらしくえがいても、それはゆるされるのだよ。擬人化とは、ほんとうらしく文学らしくみせる一つの方法なのだ。(だから、これのみでない。人間以外の物の心をえがくのは擬人法のみでないはずだ。)

        (1973/03/18)

 

 
00:00 2021/01/01 (金)

 ★  新春なぞポエム  ★
 

 
01:04 2020/12/27 (日)


 死んだ後で、「なんだ、死なんてこんなものなのか。死ぬ前に思っていたほど絶望的でこわいものじゃあ、全然ないんだなあ。」と、感じられたらいいなあ。つまり、「死は『あはれ』じゃなくて『をかし』なんだ」という事を感じたらなあと思う。

 しかし、やっぱり、おそろしくこわいものなのかしらねえ。

 しかし、死とは、無という事だといえないだろうか。
 頭と身体の動きが止まり、人はすべてを忘れ、何もわからなくなる。そしてそれが 永久に。それが死だろう。生物から、無生物への移行、いいかえれば、有物から無物への移行である。(「無の生物」への移行でもいい。) なら、ただ、無に行くだけなら、どうして、そんなにおそろしいんだ。

 我々は死が苦しみの極限だと考えてはいないか。そう、苦しみがつのり、痛みがまし、大きくなればなるほど死に近づき、死ぬ。しかし、死とは無だ。死んだとき苦しみは消え、無となる。我々はただ、その死に到る苦しみのみをおそれてやしないだろうか。
 苦しみも、悲しみも、どうしてそんなにこわいものだろうか。それは、永久につづくわけではないのだ、なぜならどんなにつづいても死がかならず、それを止めてくれるから。もし、不死だったらどうなるだろう。永久に苦しみつづけるという可能性が生じるではないか。つまり、死とは、苦しみ、悲しみ痛みを消すものだと考えるべきなのだ。
 どうして、こんな死がおそろしいのだろうか? こわいのだろうか? おそろしくもこわくもないはずだ。
 今、有生物として存在する我らは、無生物となる時まで、せいぜい有生物らしくすごそうではないか。

        (1973/03/12)

 

 
01:01 2020/12/20 (日)


 朝。どこかで鳥がなく。チチチといってから、ピュッーンという。このピュッーンは雨のふったあとの家々にもしばらくひびく。

        (1973/02/18)


 自分のいろいろな時代、たとえば、十才のときや二才のときを、今の自分よりも低いものとしてみくだすのはよくない。その時々の心という物は尊重すべき物だろう。

        (1973/02/18)


 ぼくが、中学の頃は貧血になって、視界が暗くなりふらふらするのをたのしんでいたが、今頃は、たおれたりして頭をうったりしないように、貧血と戦っている。が、もっと年老いてくると、貧血がおそろしくなると思う。

        (1973/03/05)


 ぼくは4月から、しょうぎクラブの部長になるのです。実力はありませんが、楽しく将棋をやってゆきたいと思います。
 もし、1年生ですごく強いのがはいってきたら、その人におしえてもらうようにしましょう。

        (1973/03/12)

 

 
00:53 2020/12/13 (日)


 今、午前2:22。とても不安です。右後頭部のこぶのできた所を強く何度かもんだのですが、そのたびに全身がケイレンし、(ケイレンしたくないのにケイレンし)体中がなんとも重苦しくなります。
 ガスせんをなんど強くおしても閉まりきっていないように感じます。指の肉にガスの冷たい鉄のせんがくいこむだけなのに、それによって、せんがゆるいように感じてしまい、いくらうたがっても、そうではないと心の中で断定できないのです。
 ガスから、思いきって手をはなします。はたして、ほんとうにガスせんはしまったかしらと思いまた、ガスセンをつかむため、よつんばいになります。また、はなれます。これでもうやめようと思いますが、まだゆるいように思います。それでも、やめます。心のどこかで、おまえはもう死んでもいいのか、といいます。これからねるとするなら、その間にガスがもれて死ぬんだといいます。不安です。
 ガスせんを何度つかんでも、はっきりしまったとはわかりません。不安です。
 体が重苦しいのです。

        (1973/02/17)

 

 
00:58 2020/12/06 (日)


 夜ねようとするとき、いろんな考えが頭の中にでてきて、それをこの手帳に書きとめようとするから、考えのおこるたびにふとんをでて、机まで行き、ケイコウトウをつけて、エンピツを手にする。あったまったな、と思うと、すぐ新しい考えがうかぶ。外にでるとさむい。いやだけど書きたいから出る。そのうちに、あんまり考えては、フトンからそのたびに出るのでさむくっていけないと思いくだらないのやいやらしい事を考えて、新しい考えのおこらないようにしようなどと思った。良くない傾向だから、この手帳やエンピツを枕もとにおいて、ねることにする。

        (1973/02/15)


 夜、1人でおきて、どこかのガスせんが開いてやしないか、などと考えるときは、はやく明日の朝になって、まわりが明るくなり、みなが、せわしく動きだすようにと思うのである。

        (1973/02/16)

 

 
00:17 2020/11/29 (日)


 ある文学論、
「意味のある事を意味のあるように書くのは最低だ。まだ、意味のない事を、意味のあるように書く方がよいだろう。
 が、それも、意味のある事を意味のないように書く事よりはおとるだろう。
 しかし、なんといっても、意味のない事を意味のないように書くのが最もよい。」

        (1973/02/11)


 つぎつぎとつぎをつぎたす。

        (1973/02/12)


 ぼくの夢の中にはよく、ある池がでてきます。うっそうとおいしげった木々の中の広くて、よく日のあたる池。ふくざつな島や半島のある池。この前は、夏のその池に女の子とそれぞれのウマにのってやってきて、今日は、1人でウマにのってやってきました。もちろん夢の中。

        (1973/02/14)

 

 
00:50 2020/11/22 (日)


 俗世間の憂いのない境地
 憂いのない俗世間の境地

 上の2つの句の差は? 

        (1973/02/07)


 因習は、支配者のいる社会で、支配者がより多く、得をするための上からのおさえつけ、規則のあらわれである。
 自由な現在では不必要だ
         ・・・云々
 という理論をゆめの中でしゃべっていた。

        (1973/02/10)


 朝聞く犬の声は、高く、悲しいような声で、何かの機械がきしんだのかと思うほど。

        (1973/02/10)


 夢の中で、見たBという女の子が夢がさめてからも、A(男)についてくるという話。そこで、ほんとうの世界には、Bが2人いる事になった。

        (1973/02/10)

 

 
00:40 2020/11/15 (日)


 ある老作家がいた。ある夜、彼の夢の中に神がでてきて、宇宙の真理を彼におしえた。しかし、神は、
 「おまえは、今、わしの言った事を何かに書きのこしたいと思っているようだが、それはできぬ。今まで、死ぬ事となった人間には、みな、宇宙の真理を説いたが、彼らは死んでしまうから、それを他にしらせる事はできないのだ。おまえも、同じことだ。」
 と言った。老作家はあきらめかけたが、気づいてみると、彼は死なずにめざめていた。
 彼はすぐに宇宙の真理を書き印し、世に発表した。
 が、人々はそれを読んで口々にこう言った。
 「この宇宙の真理というのは、あの老作家個人の夢の中で、個人的につくられたものにすぎないだろうし、人が死ぬ前にこれを神に説かれるなどというのも、彼の個人的な夢、ふつうの夢となんらかわりない所のそれにすぎないだろう。彼の夢にほんとうの神のあらわれなかったなによりの証こは、彼の夢の中の神が彼が死なねばならぬと説いたにもかかわらず、彼が生きているという事なのだ。」

 それにしても、「夢」は謎も多いし、楽しい物だナア。

        (1973/02/05)

 

 
01:44 2020/11/08 (日)


 日本人ほど、信じる物を持っていない民族はいないのではないだろうか。つまり、日本人は何事も、すすんで、信じようとせず、いつも、そうではないのじゃないかしら、と思うのである。でも、ぼくは、それで良いと思う。ぼく自身、何かを確信しているわけじゃないけど、それなりに、「をかし」い生活をしている。

        (1973/01/25)


 1/20のSさんの事だが、どうやらあんな事は、ひとつもショックでなく、土よう日に休んだのも、ぼくが原因でないようだ。
 よかった、よかった。

        (1973/01/25)


 「一番星」という少女と、主人公とのメルヘン。そこは不思議な世界で、「十号山」とか「二番道」などという名の人が多く、十とか二とかが名、号山とか番道が姓であった。

        (1973/02/01)


 おそろしい事に直面しなければならないとする。このとき、AもBもべつにあわてなかった。
 Aは、そのおそろしい事を、おそろしくないようにする手段をもっていたから、あわてなかった。
 Bは、そんな手段もなく、おそろしい物とみていたがあわてなかった。
 AとBはどっちが、えらい? 

        (1973/02/05)

 

 
00:12 2020/11/02 (月)


 千葉神社の長いへいにそって、歩く。日が沈んだあとだから、空は暗い青。がいとうの光によって、がいろじゅや、がいとう自身の影が、しき石のならんだ歩道にうつっているが、やってくる自動車のライトによって、あっちに動いたり、こっちにきたり。ぼくの影も同じように動く。何台も、何十台もの自動車が、ライトをあっちにむけたり、こっちにむけたり、して、やってきたり、通りすぎたり、スピードをゆるめたりするから、いろいろと濃さのちがう、何本もの影が、ぼくのまわりをとびまわる。顔をあげれば、自動車のライトの真正面で、2つの光の他は何もみえない。が、すぐ、そのライトもそれる。・・・それらが、なんともいえない、ぶきみな美しさだった。

        (1973/01/22)

 

 
00:23 2020/10/26 (月)


 1/19の書道の時間に作品ができたので、教卓の所へ行って、クリップのはいっている箱に手をのばして、1つつまみ、手をもとにもどそうとしたら、その手のひじがうしろからきた、1FのSさんのむねにあたってしまった。あ、ごめんとかなんとか、ぼくは言い、同時に、あっちも、ごめんなさいとかなんとか言ったようだった。それで、一応事はすんだのだが、ぼくがクリップを半紙につけて2枚の紙をくっつけ教卓の上にそれをだすため手をのばした。なにせ、教卓の前はせまく、ぼくがいたので人は通れず、Sさんもぼくが動くまでまっていたようだ。そこで、ぼくが手をのばして、教卓に作品をおいたとき、すぐ通ってしまおうとしたようだった。ところが、ぼくは2枚の紙をおくとすぐ、自分のせきにつこうと思って動いたので、また、Sさんとぶつかってしまった。連続2回も、ぶつからなくていい所にぶつかってしまったのでさすがに、ぼくもあわてて、赤面しながら去った。そのときごめんというようなごにょごにょした事を言ったのかどうかは覚えていない。すこしの間ちじょくな事をしたナァと思っていたが、良く考えれば、不可抗力で、やりたくてやったわけでないし、むねに2度あたったぐらいでは気にしないだろうと思ってその事はそれで忘れる事にした。ところがですよ、次の地学の時間に、「もしも、気になっていたら、Sさんは、ショックをうけたのだから、すこしく変になるだろう。たとえば、授業におくれるとか、」と感じていて、教室の中をみまわしたが、Sさんがいるのか、どうなのか。そのうち先生もきて、授業がはじまり、しばらくしてから、前のドアから、Sさんがはいってきた。先生に何か言い、それで席についた。事実、授業におくれたのです。
 さて、次の日、つまり、今日ですが、朝、まだSさんが来ていないのを見て、「まさか、今日、休むんでは」などと思っていたら、事実休んでしまった。3時間目の数学αのときに先生が出欠をとったのではっきりわかった。
 きのうの書道の時間のことが原因かどうかは、まるっきりわからないが、できたら、そうでない事をいのるのです。現代の娘なら、すぐにわりきり、そんなにショックをうけるような事でもないと思うのだが、事実、祈るのです、ぼくが原因でない事を! 

        (1973/01/20)

 

 
2020/10/19(月) 00:10


 男A、女B
B「あなたは、だれが、好きなの?」
A「ぼくは、ぼくの次にあなたが好きです。」
B「わたしも同じです。」
A「同じって、あなたの次に、ぼくが好きなんですか?」
B「いいえ、ちがうの。あなたの次に私が好きなの。」

        (1973/01/14)


 笑い声、特に女の人の笑い声は、文字に表わしにくいと思う。

        (1973/01/16)


「若いときは、ずいぶん高い理想によって、物を書いていたものだが、今は、ただ生活費をかせぐためさ。」
 という、ある作家のかんがい。

 が、あったらおもろい。もちろん上は、ソウサクデスヨ。

        (1973/01/20)


 どちらかというと、1人の男として生きるより、1人の人間として生きる方が、かっこいいというのか、調和するというのか、自分に合っているというのか、とにかく、そんな感じがする。

        (1973/01/20)

 

 
00:11 2020/10/12 (月)


 AとBという二人の男がいた。
 ある日、BがAに言う、
「君、Cさん(女)から手をひきたまえ。」
「いやだ。君はDさん(女)が好きなのではなかったかい。」
「ああそうだ、が、CさんもDさんも好きなんだ。」
「なにを言う、ガキ。ぼくはただただ、Cさんだけ好いているんだ。」
「ぼくだって、ただただ、CさんとDさんを好いているんだ。」
「それなら、君がCさんから手をひきたまえ。」
「なにを言う、君こそ、Cさんから手をひきたまえ、ひきょう者!」
「どうして、ひきょう者だ!」
「君は1人だけを手に入れようとすればいいが、ぼくは2人だ。それなら、君が先に1人を手に入れてしまうのは必然ではないか。こんな不公平な試合などあってたまるか。君がそんな有利な立場で事をすすめようとしているから、ひきょう者なのだ。」
「わかったよ、ぼくも、CさんとDさんの2人を手に入れるようにがんばるよっ!」

        (1973/01/08)

 

 
00:31 2020/10/05 (月)


 レズとか、ホモとかいうのは、人口よくせいのために、人類の(種族としての)本能からおこるのではないか? 
 ある動物で、みんなメスなのだが、まわりに食物がふえたりして、子どもが生めるようになると、メスの中の何匹かがオスになるというのがある。
 人間の場合は、地球上に人があふれだしたためで、その動物の場合のちょうどうらがえしなのではないか? 
 「人類の本能」と言ったが、もうすこし、具体的にいうと次のようになる。
 つまり、人はみな、ホモやレズになる精神的な基そを持っているのだが、いろいろの環境や遺伝のために、その表われ方が人により、時代により、ことなるのだ。文明が、だせい的になり、人口がふくれぎみになると、そういう環境によって、ホモやレズが人々の中で増し、そして、何人かの人の中では表われてしまうのではないか。この環境とホモ、レズの表われ方の相対的な関係を人類の本能が支配しているのではないか、と思うのである。

        (1972/12/27)

 

 
00:30 2020/09/28 (月)


 手こぎの四角いボートに何人かの男と乗って下流の方へ川をこいでいった。女の国から逃げようとしていたのだ。
 ―― 今日の夢から。

        (1972/11/17)


 人口増加のため、数億人の人人が、宇宙中間にロケットでうちだされ、そこで、コールドスリープをしていることとなった。
 Aは あるとき、めざめさせられてみると、そこにははんえいした人類の宇宙文明がひらけている一万年後の世界だった。しかし、Aは、その世界の人々が、ほとんどのコールドスリープをしていた昔の地球人を殺し、彼をひょうほんとして生き残らせた事を知りふくしゅうをちかう。

        (1972/11/17)


 読点は、あまりたくさん使用しないほうがよいだろう。

        (1972/11/20)


 今日の夢はこわい夢。
 自分がだれかを殺す。が、シャーロック・ホームズが、でてきて、「それは、あなたの錯かくであり、あなたは殺さなかった。真はん人は何々だ。」と言う。ぼくはエゴイズムのかたまりになって、その何々をいっしょうけんめい、はん人だと決めつけようとする。

        (1972/11/28)


 エサの量によって、生物の数は生物自身で、制限される。
 もちろん、人間も。

        (1972/11/28)


【注記】
*なお、読点は どくてん と読みやすいな、今でも。毒点と変換されて気づく。

 

 
00:43 2020/09/21 (月)


消え行くや枯木のむこう人一人

        (1972/10/24)


ざわめきて一葉落つる帽の上

        (1972/10/24)


 カイジュウ映画が、マンネリズム化してきたから、その対策としてのアイデアを1つ。1匹のものすごいつよいカイジュウを主役にして、正義の味方のウルトラマンのようなのが、次々とやられていくというお話。
 こんなのをつくったらいいんじゃないかしらん。

        (1972/11/03)


 なんかの題 
 「あいまあいま」

        (1972/11/06)

 

 
23:59 2020/09/20 (日)

 今日も元気にばかをやってます、みたいな毎日がいいなあ。

 

 
01:27 2020/09/14 (月)


 昼休み
 友としゃべって
 ながむるは
 暇にもすめる
 秋の空だよ

        (1972/10/03)


 鈴の音(ね)のする所には、鈴の音のような白い鳥が音(おと)のようにとびまわる。
 そして、それと同じように、自然のまわりにはその自然のような人間がはいかいする。
 (今、さっき見た夢より、)

        (1972/10/11)


  現代詩1.

 もうつかれておる

        (1972/10/13)


 スピン・フール = Spin Fool = くるくるパー : ←事実? 

        (1972/10/15)


 ぼくは、ほんとうに■チガイなのではないかと思う。少なくとも今さっき、ちょっとでも信じた。

        (1972/10/20)

 

 
01:49 2020/09/07 (月)


 不定不望

十年費学門
十年送学舎
心不定入門
有福世不望

    不定不望

   十年学門に費やす
   十年学舎に送る
   心定まらず門に入る
   福の有る世を望まず

        (1972/09/21)


 赤雲

一葉落涸枝
踏是聞呻吟
仰望遙赤雲
既暗家路森

    赤雲

   一葉涸枝より落ち
   是を踏みて呻吟を聞く
   仰望すれば遙なる赤雲あり
   既に暗し家路の森

        (1972/10/01)


 雁鴨小魚

黄葉沈夕陽
雁鴨行湖面
柳葉抜垂水
小魚引是痒

    雁鴨小魚

   黄葉夕陽に沈み
   雁鴨湖面を行く
   柳葉抜きて水に垂らす
   小魚是を引きて痒し

        (1972/10/01)


 単調生

別友着家路
渡川行野道
見廻探事物
今日亦過去

    単調生

   友と別れて家路に着く
   川を渡り野道を行く
   廻りを見て事物を探す
   今日また過ぎ去る

        (1972/10/02)

 

 
00:24 2020/08/31 (月)


土いじり わきからのびる 白き右手

        (1972/05/12)


この命なにをびくびく 過去をのみ思いわづらふ

        (1972/05/17)


 生ある物は、生ある物を生のない物に変えることができる。しかし、生のない物を生のある物に変える事はできない。もし、生ある物が生のない物に生をあたえることができたとき、生ある物はいったい何になってしまうのか。
(例)人間が 心 → 生 のあるロボットをつくったとき。

        (1972/06/11)


 死後に夢を持つ。そこで、死はこわくなくなる。

        (1972/06/14)


 「ヅヅヅヅヅ・・・・」はブザーの音に読めるが、「ズズズズズ・・・・」が鼻水のたれるようすに読めるのはなぜ? 

        (1972/07/23)

 

 
06:08 2020/08/24 (月)


 ある2人の愛を語るお話を書くのなら、その2人の名を、
 スポリッツオ(男)と、スバーリアン(女)にしたらどうでしょうか? 

        (1972/01/21)


寒々と我身に感ず この冷気 身の病か心の病か

        (1972/02/02)


 人の真の姿を皮でおおって、おおいきれなかったのが、目とか、口とか、耳とかいろいろな穴やもようになった、という考え方もあるかもしれないと思うよ。

        (1972/02/19)


 「突然変異」があるならば、「当然変異」があってもいいと思う。

        (1972/02/24)


 3Cでは、このごろあいまいな言葉がはやっている。
 「サッカー、やろう。」と「さっ、帰ろう。」をごっちゃにしてみたり、「解散」と「帰さん」をごっちゃにしてみたりする。おもしろい事だ。

        (1972/02/24)

 

 
00:19 2020/08/17 (月)


 五月か、六月ごろから、私はいろいろな、ことばを考えた。「完伴全PLAI」とか、「伴完然PLAI」、「痴的」とか。その、「痴的」というのは、「知的」に対抗して、私がつくったものである。「まさか」と「そうか」をたして、2で割ったような、「まそうか」という言葉も考えた。

        (1971/10/06)


 このごろ、3年C組の大部分の人間が、自分を入れた小数派と、あまりにも異質なように感じられてならなくなった。彼らはあまりにも痴的な事をする。女と女でだきあってみたり、アベックで下校してみたり。その行動には、大人っぽい感じもあるが、反面「子ども」という感じもする。今のぼくには、彼らが「子ども」っぽく、変に見える。つまり、中学3年生にもなって、・・・・である。このことは、もっと深い考察をいつの日にかしたほうがいいようだ。

        (1971/10/06)

 

 
00:42 2020/08/10 (月)


わたしはゴツゴツした岩だられの道を歩いていた。「ガス、ガシ」と足音がおもしろい。
みんなの顔はやつれていた。
時は197X年1月26日。ペリモア星人の大進りゃくを地球がうけているさなかだった。
ここにいるのは12才から14才ぐらいの少年少女たちであった。1人1人がもった小さいかばんはどれもほこりだらけだった。
ふと、今、通りすぎたところにへんなものが落ちているように思えた。ふりかえると1目で木で作ったとわかるへんな器械がおちていた。わたしはそれをなんの気なしにひろうと、みんなの方に走っていった。―― このへんな物をひろうときみんなからすこしはなれてしまい、わたしにはまだすこし力があったので ―― そしてわたしはみんなにむかっていった。
「おい!これをだれかおとさなかったか」と、言った。自分では力いっぱいいったつもりだが、あまり大きい声ではなかったようだ。みんなのどよんだ目がこちらを向いた。みんなの目はなんの変化もなかった。しかしちょっとかげにかくれた所にあった目が光ったようにみえた。よくみるとそれはAという少女だった。こっちがぐっと目をみるとあっちもぐっと見かえし、「それはわたしのよ」といっているようにみえた。けれどすぐみんなと同じどよんだ目になってしまった。友だちのNの方へいって、これをみせて、なんだと聞くと、Nはゲラゲラわらってばかりいた。

        (1970/01/26(月))

 

 
00:13 2020/08/03 (月)

 過去の手書き文書からの採録、前回で一区切りとなりました。
 対象期間は、1980/02/03 〜1991/08/13のはず。十二年間ほどです。
 この期間に手書きした過去文書から選抜して、当続短断長に採録したのが、2018/07/01 〜2020/07/27 まで。丸三年になります。

 私がワープロ専用機を購入したのが、1991/09月。
 最初のパソコンを購入したのが、1997/09月。
 つまり、1991年の秋以降、私の手書き文書は激減することになります。
 よって、それ以降は、過去の手書き文書の採録はほぼやりようがないわけです。

 次回からは、さらに過去に遡って、私が学校の生徒だった頃の手帳やノート類から、拾っていこうかと思っています。

 

 
00:20 2020/07/27 (月)


 ・・・・・・・・・

「それでもね、あたし考えたんだ。四方部さんは反対するかも知れないけど、他人(ひと)のためになること、とても大切なの。それがおくすりだってことも、確か。・・・・でも、なんていうのかな、それだけでいい、という世の中じゃない」
「うむ。・・・・」
「大切なものは大切だけど、やり過ぎてはだめ。あたしは人のこと大事に思うけど、それと同じぐらい自分のこと大事に思わなきゃいけない。・・・・どうです、へんかな」
「へん、ではない。それで・・・」
「笑わないで下さい。これから変なこと言うから。自分という一人は、私でも、四方部さんでも、土居さんでも、誰でも、一人の人として、・・・・・なんていうのかしら、つまり、自分で動けないといけない、と思う。みんなで頼り合うのはまちがいじゃないけど、それだけではだめ。一人一人が、それぞれの個性によって、何か産み出していくの。みんなが産み出して、みんなにそれを分け与えていくの。・・・へへ、なんかすごいでしょ」
「すごい」
「そうじゃなくて、ひどいでしょ、四方部さん。・・・女の子はこんなこといっちゃだめ?」
「だめなもんか。すばらしいよ。・・・・・そうだな、もしかしたら僕、リクちゃんのこと見誤っていたかもしれない。うん、いいよ、なんか、僕も目が覚めたようだ」
「やだ。ほめてくれなくていいんです。私が言いたかったのは、きっともう四方部さんが十分知っていることですよ。・・・・わたし、だから、四方部さんの台本、うれしいんです。・・・・しがないウェイトレスだけど(笑う)、なんかお芝居っぽいことしてると、ウキウキしてくる。あたしの中で、ううんちがう、・・・・あたしを遊ばしてあげてるんだなって、感じます。嘘のことしているはずなのに、いつもより生き生きできるなんて、不思議なんだけど」
「いーや、いいんだ。僕らは、パッケージされてるのさ、いつも、どこでも」
「パッケージ?」
「そうさ、リクちゃん。僕には四方部っていう、リクちゃんにはリクっていうラベルがついていて、結局そのオリの中なんだ。それが、お芝居という囲いの中にはいりこむとき、いっしょにずるりと脱げちゃって、僕らは裸になれる。お芝居の外側から、お芝居の内側へ解放されるんだ。本当の外ってのは、実は内側だと思っている所から始まる」
「うーむ、四方部さん、すごい」
「そうか」
「すてきよ」
 二人は笑った。
 その後、短い幕を読み合わせた。何日かのあいだ、少しきどって理屈を言い合うのが、四方部にとってこの上なく快いひとときになった。

 ・・・・・・・・・

        (1987/06/30)

 

 
00:25 2020/07/20 (月)


★ この時期、どうも低調だねえ・・ 明るくて元気があって、笑えて。そういう要素があるなら、多少暗くて悲しい物語でも付き合うことができるだろうに。

 物語を語り続ける、語り終えるまでたどりつける、そういう意欲は情念に支えられているはず。語りたくても、たいてい域を超えられない□□君だけどそのための話術も知識も足りないと修行しているけど実は一番足りないのは、つまり情念。人によっては、暗く悲しく恨みがましい情念を語る体質もあるかもしれないが、□□君はやはり明、快、温が好きな体質らしい。よって、体質に反したり合わない物語では情念がつづかない、語り続けられない、無理してつづけてもつまらないモノしか残らない、ということになってしまう。

 物語作者というのは、自分の体質に合う物語と巡りあえて初めて産まれる、ということでしょう。単純に!

★ 自分の体質に合う物語とは、たぶん、これも単純に、自分の好みの小説、マンガ、アニメ、映画などの傾向がそのままそれなんだよね、きっと。いつもそばにあるのに、いつも親しんでいるのに、あるいはだからこそそれがそれだと気づけない。

        (2019/04/03(水))


★ ちなみに、男性登場人物が姓、女性登場人物が名、というのは、男性性、女性性をかもしだすのにぴったりではあるんだけど、あからさまな男女差別のようでもあり、小説などでのお約束とはいえ、ちょっと考えれば、合理性、整合性を欠いているの明らかだよね・・ といって、皆姓名の両書きとか、男女とも姓だけ、男女とも名だけ、とか、問題も不整合もないだろうけど、ぴったり感は全然無いよね。乾いた感じがするし。

        (2019/04/15(月))

 

 
02:30 2020/07/13 (月)


 A「だじゃれを言うのは君じゃないの? ・・・じゃ、だれ?」

        (1986/03/21〜)


問「死とはなんです。」
答「そうあせらないで。死には昔から二つの考えがある。
 死後の世界はわかるのか、わからないのか、という二つ。」
問「へえ」
答「君はどっちと思う」
問「わからないんでしょう」
答「はは、まあ、私の話しをきいてくれ。
 わからないと考えた人たちには、許されているものがあった。
 つまり、空想だよ。
 天国とか地獄とか、死と生は同じものの裏表だとか、つながっているとか、果ては生まれかわりとか。
 想像力の力の程度に合わせてそれは、どこまでも広くなりえたし深くもなりえた。
 一方、わかると考えた人たちにもバラエティはあったけど、おおむね次のようにまとまった。
 「生の無」ということ。
 なくなっちゃうんだね、生物が、人が、私が。
 喜びも苦しみもたいくつもやりがいも。
 見ることも聴くことも触れることも。
 知ることも愛することも怒ることも。
 プラスがマイナスになって終わり。
 「個の無」でもあらあな。」
 「ところで君はわからないと言った。ならば前者だ。空想を働かせなよ」
問「あなたはどちらなんです」
答「後者さ。で、前者のふりを演じるのが好きだ。」

        (1986/07/05〜)

 

 
00:24 2020/07/06 (月)


◎家賃がぜいたくになったからと移転するのは凡人のやりよう。
 高い家賃でも+αがあれば。
 ちまちまと計算高く暮すだけが人生でもないはず。
 といって、私のように、引越のめんどくささだけで悩んでるというのも、どうにも救いがたい。

◎理想はオーラカにくらすこと。
 そして、どこかの地面にしばられることなく、
 自由に放浪できる、ということ。

◎とはいえ、引越せば、
 毎月3万〜4万かせいでいるのと同じこと。
 あるいは、3万〜4万かせぐ労苦を、
 はるかに少ない不便でまかなっているのと同じこと。

◎新人賞をとったら、引越す。
 はずしたら、
 あるいは、一円でも文章でかせげないうちは、
 高い家賃のプレッシャーのもと
 アルバイトをはげむか? 
 これも、ずいぶん、異常で、どことなく好き。

◎生活苦におちいってから引越すより、
 余裕のあるうちに越した方がいいのではないか。
 高い家賃は危機感があり、
 そして、いつでも減量できるのだ、という
 安心感を与えてくれはしないか。

◎なんにしろ、64年10月末引越! 最大損失 3万×20ヶ月=60万
 しかし、このプレッシャーに耐え抜き、みごと黒字決算をするなら、天国を得られよう! 

※これでいってみよーかー ・・・・?! (S62.7.3)

        (1987/07/03)


【注記】
*上は、部屋に風呂が増築されるのだからと家賃が、現状の4万から最大7万程度まで増額されるような話が大家さんよりあり、そんな値上げをされるならと引越を計画していた頃のメモ。
*「引越せば、」「毎月3万〜4万かせいでいるのと同じこと。」というのは、現住する限り払いつづける必要のある家賃の旧と新の差額を、旧家賃程度の部屋に引越せば払わなくていいのだから稼いでいるのと同じこと、という理屈。
*結論らしき部分「64年10月末引越!」はちょっと謎。次の更新は継続して、さらに二年間だけ現住するということなら、単純な先延ばしなんだけど、更新切り替えの65年1月末ではなく、なぜ三ヶ月前なのか? なにか飛躍がある。書かれていない脳内メモがあるもよう。
*いずれにしろ、このS62.7.3メモの翌週、7/10からバイト(公園緑化手入れ作業)を始め、その三日目7/12に足を骨折。また状況が変わる。
 家賃増額や骨折関連については、当「続短断長」16:31 2019/11/25 (月)や19:18 2019/12/30 (月)掲載の記事に詳細あり。
 結果的に63年1月末の更新時にも65年(改元があり平成2年)1月末の更新時にも引越しせず。それどころか、令和2年(2020年)現在まで引越しせず。千葉の実家から東京のこのアパートに移住したのが昭和59年(1984年)2月。よって、36年間、住み続けています。

 

 
11:20 2020/06/29 (月)


 世界で一番大切な「もの」 < 世界で一番大切な「ひと」 < 世界で一番大切な「こと」

        (1991/05/11)


 三十四歳だけど楽しい。
 嫁さんはいないし
 来そうにないけど幸せ。
 仕事をしている。
 人と話をしている。

 静かで
 あったかい幸福。

        (1991/05/12)


 東京に
 ひとり住む
 君 かんばし
 根葉なきうわさ
 たちて消えゆく

        (1991/06/24)


 狂い鳴く夕闇の蝉
 大家風呂を浴びる
 ハーモニカは隣のアパートから

        (1991/08/13)

 

 
22:20 2020/06/21 (日)


 あと十分で「ちびまる子ちゃん」始まる。
 二週に一度の洗濯の、洗濯物片付けが今終わったところ。
 日曜日はこれら。けっこう楽しい。

 何が書きたいという具体的なものないのに、
 この太い水性ペンで無性に文をつづってみたい。
 時間があれば書ける、というのとは違う。
 それは、生命のくらしのあとに、跡がつく、
 ということだろうと思える、この頃は。

 明日が待たれるよ。
 これも、何があるという訳ではないけれど。

        (1991/01/27)


 空を飛ばないと気がすまない子供たち。
 ほんとにそうだ。

 今日の朝、登場人物みんな外人の、白人の、そして、僕も外人の夢を見て、起きた。後味、よろしからず。

        (1991/01/28)

 

 
22:16 2020/06/14 (日)


 世の中はもしかしたら無色の世界かもしれない。
 そこにあるものには本当は色はないのに、ある人がふと赤色なのではと思う。その人の前にいたもう一人が、相手がそれが赤色ではないかしらとふと思ったのを読みとると、自分もちょっとそんな気がする。相手がちょっとそんな気になったのを元のある人が読みとると、やっぱり赤なのかと認識が少し確かになる。こうして、互いの間を「赤色ではないのか」という思いが何度も往復するうちに「赤色」は確信となる。
 第三者が来ても、第三者はそこに赤色を確かに見る。なぜなら、そこには本当は色はないにしても、実は無色のそのものを第三者自身は見ているつもりでも、彼はそれを見ているのではなく、前からいた二人の心を読みとっているから。二人の心の中の、赤色であるそのものを見て、実際にそのものを見たと思ってしまうから。
 物質的な「もの」が、実はないのだと、いうことはたとえそれが真でも、すでに私たちには(理屈として述べることはできても)心からうなづいて認めることはできない。心にはかなり強力な刷り込みがなされているから。しかし、精神的なもの、例えば、愛情とか友情とか憎悪とかいうものは、人の心にしかないものであって、ちょっとした感じ方のちがいで(あるいは感ちがいで)表にも裏にも発展してしまうものだ、―― というようなのべ方で、わりと納得しやすいかもしれない。つまり、前述の「赤色」という語を「愛情」なり「憎悪」なりに読み替えればいいのだ。
 心のそういう着色性のからくりを知り、うなづき、「本当は無色かもしれない」という想い。それが宗教のいう「悟り」に近いものではないかしら。
 または、こういうことも考えていい。人が生きているなら、心は色を見る。色が見える、ということは、生きている、ということと同義ではないか、と。
 この二つの統合(一見矛盾して一つにはしづらそうなそれ)が、真の悟り、又は、平凡な人の生活というようなものかしら。

        (1990/12/24)

 

 
15:16 2020/06/08 (月)


   日曜日

 ふるい館から
 ちいさな女の子が
 ちいさな赤い服をきて
 ちいさな自転車を押して
 大きな門扉の
 ちいさなくぐり戸から
 苦心してでてきた

 夏の雨のあがった
 陽ざしに
 たちまちかわいてしまった
 まっすぐな道を
 ちいさな自転車の
 ちいさな赤い服の
 あの子は
 どこへ行くのだろう

        (1990/07/15)




 現実のことを、現実たという = 新聞

 現実のことを、非現実(フィクション)だという(だという建前) = 小説

 非現実のことを、非現実だという = SF

 非現実のことを、現実だという = 宗教、予言

 私は、この四番目が大きらい。
 小説やSFにかなり近い宗教なら許せるが。

        (1990/11/14)


 こぼれても こぼれても てのひらのなか

        (1990/11/24)

 

 
22:43 2020/05/31 (日)


 ある日、いきなりふってわいたように
 幸せがやって来るのではありません。
 毎日、毎日、
 小さな小さな幸せをつみ重ねてゆくと、
 その総量が大きく大きくなって、
 ある日、いきなり、ふってわいたように
 幸せが表にあらわれるのです。
 いつもいつも
 不幸を重ねてゆけば、
 必ずおそろしいわざわいがたちあらわれます。
 いつもいつも
 暗くさびしく不しあわせで
 それを放置している人が、
 幸せになろうと思っても、
 つみ重ねられた不幸の総量が
 重くなりすぎてると、
 残り時間のうちに
 消しきることができなくなります。
 とりかえしのつく時期もあれば
 そうでない時期もあることを忘れないで下さい。

        (1990/03/31)

 

 
17:31 2020/05/24 (日)


 聖人が生み
 君子が育て
 小人が世にだす

        (1990/02/04)


「狂った人間とつきあうのは不幸である。
 しかし、全く狂いのない人間とつきあうのはさらなる不幸にちがいない。
 たとえそれが自分であっても。」

        (1990/02/11)


 夜のみち
 追い合う猫の
 おとはなく

        (1990/02/28)


 女性は、すずしい
 水きよらかに
 春ちかし

        (1990/02/28)


 いつでも夢を

 今を生きる

 思い出は永遠(とわ)に

 年代によって、幸せのこつは変わるのだろうか。
 今になって考えて見れば、夢見がちなひとみというのは、かならずしも、しあわせな瞳ではないような気がするね。

        (1990/03/16)

 

 
20:50 2020/05/17 (日)


 ケダモノを解放する。
 そういうものがいることすら忘れていた。
 それほど生活は完成していたらしい。
 完成とは終わりなのだ。
 もう何も始まらない。
 とりあえず、
 こわさなければいけない。
 再生のために
 こわさなければいけない。
 そして、おまえを解放する。
 少しずつ、
 そしておおびらに。
 二度とくさりにつなぐことができなくなっても、
 もう後悔はできない。
 その資格を捨てるのだから。

 忘れていたのはやはり、
 人格が高いからではなく、
 馬鹿だったから。
 生命力がうすまっていたから。
 環境に知らず知らず
 だまされていたから。
 あほらし。
 なんとあほらし。

 お前は、そんなところに、
 いたのだ。

        (1990/01/15)

 

 
15:13 2020/05/08 (金)


 空を飛べないのか
 足を小便でぬらし続ける
 もどかしさで
 空を見ていた

 生きているのか
 飯を食って 寝て
 金もうけをして
 じいをして
 性交をして
 排便をして

 待っていた
 追いかけていた

 やって来ないのか
 つかむことはできないのか

 足は腐るだろう
 空気や水や土に
 とけまじり

 とけまじり
 再生の朝が
 もう私ではないおまえの
 ああ異なる空のあの子らの
 すみかで

 何度も何度も
 くり返し
 責めぎあう喜びの朝に
 なるのなら
 それしかないのなら

        (1990/01/15)

 

 
14:00 2020/05/03 (日)


 昼間運動しなければ夜寝られない。
 腹をすかさなければ飯が食えない。
 物を捨てなければ新しい物を置く場がない。
 忘れなければ覚えられない。
 過去を捨てなければ前へ進めない。

        (1990/01/01)


 昔のことは、いいではないか。
 問題は今と、そしてあした。
 以前負けたからといって、それをなげきくやむなかれ。
 以前勝った者こそ、今度負けるのではと不安に苦しむのだ。
 負けた者こそ、次こそと夢を持つ。
 すすめ。
 すすめ、多くの、数しれぬほどの
 僕よ。

        (1990/01/01)

 

 
16:15 2020/04/27 (月)


 平成元年です。
 ■■■■■にアルバイトとして働いてすでに一年五ヶ月です。その間、作品といえるものは一つも書けておりません。早いとこアルバイトをやめて創作のくらしを始めたいのだけれど、問題があります。
 一つはアルバイトの仕事がなかなかおもしろいこと。つまり、しゅうぢゃくがあるようです。
 一つは、すっぱり辞めてしまうには職場の人たちに対して申し訳けないこと。ただこれは、どんな場合でもしょうがないことだし、誰が誰に対してもしてしまうしうちであるし、されてしまうことも許すしかないことでしょう。現に僕は今まで何度もしてきた。
 一つは、金です。働いている限りは、この点について安心です。無給のくらしは、不安です。貯蓄は、あるのですが、それがなくなる将来が金である以上パチパチと計算できてしまうわけです。来年からは、ばか高い部屋代もまた上がるでしょう。六ヶ月でも創作に専念できるならいいではないか、その間に君は奇跡をなすのだ、というような勇気や自信を持つことは実は容易です。百年の寿命があっても何もなさないより、千年以上残る詩をつくれる一ヶ月の命があればいいのではないか、というのも正論でしょう。けれども、僕はすでにそうやって、通算して数年間を、ついやし、ついにまともな作品をつくれぬ不毛を味わっているのです。やる以上は、あやまちをくり返さず、結局は無駄づかいに終わることのないような、充実した時間にしたいものですから。――― つまり、充実させられるだけのものが僕の中に育っているのかどうか、これが一番大事な問題のようです。

        (1989/11/24)

 

 
13:42 2020/04/20 (月)


 宮沢賢治のすばらしさは、作品一つ一つに異なったそしてきわだった個性がある、つまりめくるめく多様性を持ちながら、すべての作品には一様の芯が通りにおっていることなのだなあ。
 モーツァルトの音楽がモーツァルトであるように。

        (1989/11/24)


 短編が書きたいなあ。
 書く満足のためだけのような長編はとりあえずよいわ。
 創造のよろこびと、人々に満足がおくれるようなすっきりかっちりした短編が書きたいなあ。

        (1989/11/24)

 

 
15:10 2020/04/13 (月)


「車なんて、どんなに飾りたてたって、要するにリヤカーとかわんないよ」
「だって、自動車はちゃんと自分で動くじゃない」
「リヤカーは人力車だ。車だって、人が額に汗して働いてそれでガソリンが買えるから動く。どこがちがうのさ。
 リヤカーひっぱって、はあはあいって、それに家族のせてドライブなんてしゃれている図を考えてごらんよ。要するにそれと寸分かわらない」
「ええー、だって」
「だから、飾りつけが、人の気分をくらましているのさ。彼らは車を買っているつもりで、―― 物が運べたり、足をつかわないで楽だしなんて、自分を納得させて、―― その実、飾りつけを買っている。今の世の中の真実は、そこらへんにあるんだ。どんなことにも通ずる」
「じゃあ、リヤカーだらけの世の中がいいのね」
「うんにゃ、そうではない。飾りつけがあるから、物が売れるのだし、市場が大きくなるのだし、つまりは、人の働き口が増えて、豊かになる。豊かといっても、あくまでも、みせかけとみせかけの金がらみのじゅんかんであるけれど、人々がみせかけだと気づかないかぎりはそれでよいのさ。みせかけというにぎわい自体が、すでに実体のあるエネルギーなんだ。人々が昔、神様に対してそうであったように、それを信じている限りは実体があるといっていい。近代、現代というものは、つまり、『みせかけ』という新生物のすみ家なんだ。――― にぎわいが実はむなしいもの、本当の豊かさは別のところにある、そんなあたり前のことが、いずれわかるのだろうけど、いいか、それは、個人個人でわかればよいのさ。世の中はみせかけのにぎわい、個人はしっとりと本物を味わう。このぐらいがよい調和と、僕は思うよ」
「みんなが気づいたら、にぎわいなんかなくなるね」
「もし、そうなるなら、それは社会が老成したわけだ。どういう感じかよくわからないけど、ある人にとっては、良いおちつきに思えるだろうし、ある人にとっては、すいじゃくとしか見えない。―― ま、それは、次の次の問題だろうけれどね」

        (1989/11/11)

 

 
15:32 2020/04/04 (土)

 髪はショートで緑のセーターの新妻と小旅行をしている、という夢。妻にするぐらいだからなじみ深い女性らしく、性格的には、きりっとした感じでした。
 セーターの背中をそっと支えていることが多く、しずかにみまもっている、めでている夫という立ち位置。
 新妻はよく携帯を使っているが、こちらは携帯もたず(現実でも私携帯もたず)。
 終盤、次の場所へ移動するための列車が、ぎゅうぎゅうで、新妻は一足先にそこへもぐり込み、その車両がもう無理そうなので、すぐとなりの、隣車両のドアから私、押し入って、列車は発車。
 発車してから新妻を探そうと思うが、ぎゅうぎゅうだったはずなのに、車内は意外と空いていて、隣車両にうつるも新妻の姿はなし。
 そのまま次の駅に着いてしまい、しばらく停車するそうなので外にでてあるいたりしつつ、彼女を探すが、まるで跡形もなし。
 携帯があれば連絡できるがこちらはもってない。この時点では、いまははぐれても、夫婦なんだから、しまいには落ち合えると簡単に考えているフシがある。
 が、列車から降りて、起伏のある田園をあるいているうちに、これはもう再会できない、彼女は消えてしまった、私に妻がいたことすら夢のようなもの、という気がしてきて、ほんとに目が覚めてしまう。
 

 
19:50 2020/03/29 (日)


 アナタハ キノウニタッテ アシタヲ ミテイル
 アシタニ セヲムケテ キノウヲ ミツメテイテハ イケナイシ
 キノウカラ トビオリテ アシタデ コロガッテイテモ イケナイ
 アナタハ キノウニタッテ アシタヲ ミテイル

        (1989/06/24)


 快調な日々よ
 このすこやかなからだ
 多少びんぼうだけれど
 どうも女性に人気がないけれど
 しあわせはこんな僕に
 なじんでいる

        (1989/06/24)


 あさがやの 街 雨しずく やぶれがさ
 ひとりであれば わびしかろうが

        (1989/09/16)


 僕らは、時を旅しているんだ。
 死によって 物語は完成し完結する。
 けれども、
 死自体は結論でも目的でもないだろう、
 物語と同じに。
 生まれ 消える、そのあいだの旅路に
 夢があり
 希望があり
 興奮があり
 暗い谷間もあって、
 僕らは イキテイクンダ。

        (1989/11/11)

 

 
18:53 2020/03/22 (日)


 ・・・

     ※     ※     ※ 

 いきなり本論にはいりたいのですが、その前に。
 以前似たような「ファンレター」を書いて、苦労して書いて、ああ少しは世のため人のためになったと自己満していましたら、「よくわからない」「ひとりよがりだ」「愛がない」等々の不評をいただきました。感想、批評とは少なからずそういうものだと言いたいのですけれど、反省すべきところもあったかと思います。
 で、今回はなるべくわかりやすいように、客観性を持ちえるように、ということで「九星評点法」を導入いたしました。
 「九星評点法」というのは非常に簡単明瞭でありまして、つまりは九点満点の評価のことです。
 具体的に以下説明いたしましょう。

   ☆☆☆・☆☆☆・☆☆☆

 上が、満点です。まずありません。めぐりあえません。最近7〜8年の間でこの満点を与えた小説、マンガ、テレビ、劇は、1つもありません。映画で1つか2つあったかという程度です。
 この評点法は、3つの部分に分かれています。
 前の三星は、作品に対する評価です。
 中の三星は、その作品の終わり方、切れ方に対する評価です。俗に終わりよければすべてよしといいます。すべてではないにしろ、やはり、大きなところだと考え、三分の一を与えています。
 後の三星は、余韻ともいうべきもの。どれだけこちらの心に残るか、どれほど思い出となりえるか、そういう「感じ」です。最も主観的であり、また大切なパーツであるとご理解下さい。

 それぞれの三星は、三段階、いや、四段階の評点に分かれます。

 ☆☆☆ ・・・・ 文句なし。非常によい。ぜにかねではない。
          涙、涙、ああ、生きていてよかった、 という程度。

 ☆☆  ・・・・ 良い。得した。いい仕事だ。
          次も楽しみだ。   という感じ。

 ☆   ・・・・ 悪い。が、すくいもいくらかある。
          もっと修行して欲しい。   です。

 0   ・・・・ 左は、ゼロ。星なし。意欲があるのだろうか。
          損した。汚された。お金をもらってもやだ。
          というものも含む。

 こうして、作品もよければ、終わり方もすてきで、あとあとまで心に残るようなものが、三星三つの九点満点となります。
 皆さんはプロをめざす、とのこと。「九星評点法」とはいえ、その評点する人のひとりよがり、その時の心身の調子によるゆれ、があるのはしょうがないですけれど、多くの人がこの評価をもししたとした上でいうなら、0がないこと、星二つがどこかにあることが最低条件であろうと思います。
 星五つ以上あれば、お金が取れると思います。星八つ九つ、あなたはもう神に近い。
 あらゆるジャンル、プロアマオープンで平等に点つけするこの方法によって、これから“■■■■■■■■”を解剖していきましょう。

     ※     ※     ※ 

 もう一つ断わっておきますが、これが無料配布仲間うちの手づくり冊子だからといって、甘く評価をしているわけではありません。もし、甘いと感じられるところがあるとしたら、プロ商業誌にはあまり残っていない若さや野生にうまみを感じたと、思って下さいますように。

 ・・・

        (1988/10/13)

 

 
21:01 2020/03/16 (月)


 昔の人は、月のことをなんだと思っていたのか。
 太陽をなんだと思っていたのだろう。
 球と思っていたろうか、
 大きなお星様と思っていたのか。

 くだくだしく述べていない。

 神と思っていたか。
 だいそれたものではなく、あるがまま
 月であり お日様であり
 したのだろうけれど。

 思っていた、のは少数で
 多くは、
 感じていたのでしょう。

 お月様・・・
 お日様・・・

 一んちといい、ひとつきといい、
 一方はまのあたりみられないまぶしさで
 一方はどこかさびしげなもようをみせ、

 どんなふうに感じていたのかなというのは
 なんとなくわかる。
 僕の子供の頃のようであったろう。
 なんだと思っていたのか、考えていたのか、
 それが今わからん。
 いって、きいてみたいよ。

 好奇心を、
 彼らも持ったはずよ。

        (1988/03/31)


 海とんび 砂影ゆるりとどまれり

      三浦海岸へ行った日(6/16)の思い出より。

        (1988/07/14)


 慄え鳴く紫陽花の奧捨て子猫

        (1988/07/14)

 

 
18:02 2020/03/09 (月)


 ああああと からす春の街をおこすよ

 あたたかく冬のあけた日 血のくるう

 たからくじ 破れて筆の とめどなく

 はるばると たどりてきたるみそじかな
        きのうにやぶれきょうにはさわぐ

 ねむれない しんでしまうとなくなかれ
        いってしまえばもうしらんぷり

 だいすきな 女のからだ ねぶる夢
        みるがさいわい みぬもさいわい

 寝床にて からだかくなり あらだたみ

        (1988/03/13)

 

 
17:25 2020/03/02 (月)


 猫走る追ってまた走る初春(はる)の夜

        (1988/02/17)


 はいがすの歩道まう雪かえりみち

 ひるがえすすそいさましき雪の女

 くろあみのあしほそき夜目のひと

 たつきなき身はひとりにて春のはじまる まちなかみちを今日もゆくゆく

 非人情のまちをふるふるこなゆきは 車の風に面を打ちける

        (1988/02/18)


 かっぷめんすすりてひらく朝刊の 番号や当たれ宝くじかな

        (1988/02/25)


 ドアもマドもあけはなたれている。しめたのは確認してねたはずなのに。
 いってみるとカベもすどおし。ドアのとってもない。
 ドロボウに入られたのだ。
 ねている間に。
 ―― という夢をみた。なんだあれは。52/9月ののりをかじろうとして。
 それは、宝くじの当たり券のようにそのうち換金しようとしたが、期限切れであること
 に気づき、たべちゃえと思ったから。

        (1988/02/28)

 

 
18:46 2020/02/24 (月)


 一人暮らしだから
 集団生活は不自由だと言い
 妻がいないから
 女なんて愛を知らないと言い
 子供がないから
 血のつながった者でもしょせん他人と言い

 人間だから
 人はすばらしいと言う

        (1987/10/04)


 大人になるってことは、
 人間じゃなくなることじゃ
 ないからね

        (1987/10/13)


新人賞応募

 誰か落ちる人もいなければならない
 そのぐらいのつもりで書こうね、

        (1987/10/17)


 いっしょうけんめいやれば
 むくわれることもある
 なまけつづけて
 むくわれることは
 まずない。

        (1987/10/24)


 映画通 見た映画の話をするとき俳優の名がみないえる。
 映画好き 見た映画の話をするとき登場人物の名でいう。

 僕は後者。前者はチィちゃんだろう。

        (1987/12/26)

 

 
21:52 2020/02/17 (月)


   創作の心得

 有るにしろ無いにしろ、

 書きつつ、書き進めつつ、

 予定していたことと無関係にでも、

 探すことや、

 創り出すことから、

 離れてはいけない。

 追う姿勢が、

 もしかしたら、

 作品かも知れない。

        (1985/10/18)


 ・・・

「同棲」のような、と室賀が思うのは、確かに籍は入れてあるらしいのだが、ごくごく身内でもうしわけ程度の形ばかりの結婚式もあげたらしいのだが、祐児は依然としてアルバイトを渡り歩く生活をやめていなかったからだ。普通結婚というものをしてしまうと浮浪児や不良少年でさえ真面目になり、それが表面的で一時的なものにせよ、多くは定職に落ちついたり家業を継ぐようなことになるものだが、彼の場合、そういう重さを感じないのか、どちらの家も干渉しないそれだったのか、そうはならなかった。何よりやはり咲子がそれを許し、あるいはもしかしたら、気にしなかったから、と室賀は考えた。彼女のいる前で、こんなかわいい咲子ちゃんを嫁さんにしたんだからなあ、しっかりした職を持って額に汗してお父さんにならなきゃいけないんだぜ、と説教した。祐児はこういう答え方をした。
「どう生きても一生だし、どう生きても一瞬なら、好きなようにやりたいように生きたいんですよねえ」

 ・・・

        (1985/10/31)

 

 
18:03 2020/02/10 (月)


※ 前文で、「新」と「伝統」を対立させたけれど、「新」というのは実は、「真なる伝統」かも知れないね。わかりやすくすると。
 不変の新しさ、というむずかしいもの。
 (過去が古く、未来が新しいという世界において。過去が新しく、未来が古いという世界、それほど異常じゃないと思うが)
 つまり、過去が古く、未来が新しいという直線で考えるならば、不変の新しさ、とは理論的にいって無限大の未来であるわけだ。
 しかし、「無限大の過去」つまり「不変の古さ」という物のもつ魅力がはたして、「不変の新しさ」に劣るものかどうか。
 「不変の古さ」にも「不変の新しさ」にも同程度の魅力を人々は感じるはずだし、その両者をよく識らないので、魅力の区別もうまくつけられないのじゃないか。
 直線上の「無限大の未来」と「無限大の過去」 ―― 直線が実は円で二つはくっつくのだ、つまり、それは今の反対側にある点なのだ、というのは、ちょっと頭に入らないね。
 だから、こういうのはどうだろう。
 その一。直線上の「無限大の未来」と「無限大の過去」を探すうちに、右が未来だったのか、過去が左だったのかよくわからなくなる。なぜなら、過去があったこと、未来がこれからあること、としても、未来とは結局、過去の影であり、「今」に鏡を立てて、半線を鏡の中に延ばしているだけなのだから、鏡像の果ては、実は、実像の果てと同じであったと気づくように、未来と過去が似すぎてごっちゃになり果て同志も似すぎていて区別がつかなくなるので。どうも、理論的ではないが、未来と過去の区別が、ちょっとどうかするとわからなくなる感じはわかるよね。
 その二。さて、もう少し、感覚を細かくすると「無限」とか「果て」というのも、確かめられない「その一」で言う所の虚像のようなものという感じを持つ。そこで君は気づくのだ。「新」も「伝統」もあるいは「真なる伝統」も、その実体は、君の立っている直線にあることを。それを、点とか面とか、立体に感じるのは勝手としても。
 もしかしたら、ここらへんが良くいいえる所かもしれないね。不変の新しさや不変の古さを求めるにしろ、それを識りえるのは、自分の識っている線分からだけだし、それを表現できるのも、同じ線分からだけ。

        (1985/08/18)

 

 
16:20 2020/02/03 (月)


※ 世の中は、ものすごいスピードで進んでいる。
 今、予見しても、それは、多少的はずれの上、まもなく古くなる。
 新しいもの、常に新しいものを残すのなら、それは、今、新しいというだけでは十分な条件ではない。大昔も、今も、未来も、新しくなければいけない。
 But、それは何かということを一言で言えれば苦労はない。
 とりあえずは、大事なことは「書きたいものしか書けない」ということ。
 それが、常に古いのなら、あきらめるしかない。
 が、「自分の本当に求めているもの」をとらえることさえできれば、それは、「ダサク」ないはずだし、「新しい」匂いを持つはずだ。

        (1985/08/17)


※ 「文学」は「思想」ではない。
 「思想」ならば、哲学書なり、思想書なり、書けばよいわけだ。それでは、人々が読んでくれないので、エサとしての物語を加味する、薬をのませるためにオブラートでくるんだり砂糖をまぜる、―― そういう道具では、「文学」は決してない。
 「文学」の方がむしろ、「思想」を道具として使う。「思想」を道具として使っているものが、「らしい文学」であり、「思想」を道具として使っているんだけれどそうとわからせないのが「うまい文学」だ。

        (1985/08/18)


※ 「新しさと古さ」について、 その2.
 「新しさ」を「新」、「古さ」を「伝統」と言い換える。
 「新」を識る作家がいたとする。彼は「新」を記すだろう。しかし、「新」を「伝統」の中にいる人々に識らせる言葉は「伝統」でしかない。なぜなら、まだ人々は「新」の言葉は読めないので。
 そこで、「新」を発見した作家たちの作品も十年百年が過ぎると、古く見えてしまう、というのは、世間が古かったからであり、作家が古かったのでは決してない。今の作家たちは、すでに十年百年前に発見されていた「新」を前よりは「新」の言葉で表現できるようになったというだけ、つまり、人々がその言葉を比較的読めるようになったというだけ。
 (「新」を「新」の言葉でいきなり記した作家は、たぶん残れないし、不可能とも思う。「新」の言葉の創造はいいとして、それを誰がならってくれるのだ。どうやって人々が学習するのだ。・・・・but、この問題点、も、奧、あるかも)
 ここで「発見」ということを言ったが、これはたんに仮定しただけであって、過去にそういう人が一人いたというわけではない。何回も「発見」があって、そういう人が何人もおり、前の発見より後の発見の方が進歩していくという構造やら、結局同じ事を、場所と年代を別にして何人もが発見していったとやらでもない。
 作家というのは、「新」を前よりは「新」の言葉で表現できるようになっただけの人々、という予感がするのさ。

        (1985/08/18)

 

 
17:20 2020/01/27 (月)


 何もかも書こうとするなよ。
 一つの光だけでいい。
 光束であればよい。
 君がとりこぼしたものを
 人はこぼしたままにしないさ。
 そのぐらい人を信じてあげろよ。

        (1987/08/25)


 光に向かって進むとき
 影はあなたに隠れてついてくる
 光に後押しされて行くとき
 影はあなたの道案内をする

        (1987/08/25)


 柳田民俗学によると、文化の中央から離れた辺境に、古い層の言葉が残っているという。つまり、地理上の離れ具合が、時間のさかのぼりぐあいに見合っている。
 同じことが中国と日本についてもいえるのではないか。
 文化の中央であった古代中国は、
 今、辺境日本に残っている。
 いいかえれば、古代中国の直系の孫は
 日本ではないのか。あるいは、
 現代中国よりも、現代日本の方が、
 古代中国に近しい、のではないのか。

 言葉というよりも、雰囲気。民族の性質。
 そうでなければ、少なくとも美意識。

        (1987/08/25)


 公園の樹の葉むれが、砂利じきに影をおとして、
 それらの中にほとほとたたずむのは、雀たち。

        (1987/08/30)


 僕はもう死ぬまでのお金を持っている。
 お金がなくなったときは死ぬときなのだから。

        (1987/09/03)

 

 
15:51 2020/01/20 (月)


 革命ってのは若者がするものだよ
 老いた者はあとどれぐらいがまんすればいいか知ってる

        (1987/08/16)


 この言葉を言わせよう、と 物語をつくっていく。
 いざ その言葉の場面になったとき、
 せりふが「しらじらし」くなるぐらい、物語は、
 深まっているべき。

        (1987/08/18)


「世の中、すすむも地獄、しりぞくも地獄でっせ。
 なら、すすんだ方がいいじゃん。
 問題は、あんたにとって何がすすむことなのか、だよ。」

        (1987/08/22)


「こんなに幸せに暮らしてる人間が、
 もっと幸せになろうとして
 ほんとになれると思う? 」

        (1987/08/22)


 喜びは幸いである。
 味のなくなるまで
 繰り返し ハンスウできる。

        (1987/08/23)


 なんだか ぼんやり した十年を 八回重ねるより、
 刺激的な一年を五十回重ねたい。

(刺激的な一年を数十回重ね、ぼんやりした十年を一つ付け足す、
というのもいい)

        (1987/08/24)


 小説・物語には、人を救う力がなきゃだめだ。

 でなければ、
 書く時間も
 読む時間も
 無意味、
 なんであるの、という感じ。

        (1987/08/24)

 

 
19:53 2020/01/13 (月)


 母より、のり小魚等届く。心配症の手紙在中(郵便法違反)

 その礼状の下書

  拝復 蝉の声もいまひとつ熱気のないこのごろではあります。

   さて、のり小魚等の差入、ありがたく受けとりました。
   足は回復順調。もう痛みはほとんどなく、まだ走れはしません
  が歩く分にはなんとか、という状態ですけれど、急ぐこともなく、
  大事に静かに養生しております。
   大東京のんきぐらし。毎日、本をよみテレビをみて、また、原稿用紙を
  埋めております。
   そちらは忙しい夏となられます。どうかお身体に
  気をつけて下さいますように。では、いずれまた。      敬具

  八月七日

  御母上様

        (1987/08/07)


 夜の昼すぎ、玄関(半畳のドア半びらきにしたたたき)で煙草。
 外を歩く人声。「原稿料がさあ・・・」
 若い男二人と思う。お、ここらへんに文学青年(しかも金をとる)か、まんが青年でもいるのか、と思う。
 「・・・・が収縮してさ」と続く。「ずっとのみつづけると・・・」
 相手は ん、とあいづちを打つ。
 「原稿料」でなく「前頭葉」と知れた。

        (1987/08/10)

 

 
17:14 2020/01/06 (月)


 わからないことをぼかして、推量する文章・・・・青年
 わかっていることをぼかして、推量しているようにみせる文章・・・・大人
 ―― を、書いてしまう。大人の方が、ややいやらしい味がするか。

        (1987/07/28)


 青年、わからないことにこれからつきすすんで行こうという意欲感じる。
 大人、わかってしまっていることにこれ以上直接触れたくない。もうつきつめようとしない。意欲うすい。

        (1987/07/28)


 大題名  純真文学小説科
   章題名   学名 チャラン ポラン
    〃    大東京 のんきぐらし
    〃    渡る世間に ひとりぼっち
    〃    もえあがれ ぼくらの都会

        (1987/08/02)


 守るべき真実がないので、
 人は嘘をつく必がない。

        (1987/08/02)

 

 
01:09 2020/01/01 (水)

 ★.。.:*・゜ 謹賀新年  ★.。.:*・゜
 

 
19:18 2019/12/30 (月)


 足を折ってひとり
 六畳で周五郎をよむ

        (1987/07/18)


 アルバイト(公園緑化手入れ作業)の途中の、7月12日日曜日、自走機のくずの道路へとび散るのを防ぐため、青シートをかざしててってってっと小走りしている時 ―― 雨はちゃらちゃら ―― ちょっとしたはずみなのか、左の地下足袋に包まれたのが前にめくれるよう、くじいてしまう。
 その日、少し痛いなあ、痛すぎるかなあ、と思いつつも作業をすすめ、トラックからとびおりなどもした。このバイトの3日目であった。
 翌日、(早朝電話して)休み、銀行から金おろしたり、作業ズボン買ったりと、当分休めないつもりで済ましてから、ふと、―― ふと、病院に行きましょうと思う。いろいろ感じたろうが、その中には、バイトで足を片輪にするのも、というつもりや、ふっくら張れてるのに湿布をしてもらいたい、医者が言ってくれれば明日休むのも自分で力強い、痛いのがまんして障害のこしたり、直りを遅くしたりもばかだ、というつもりもあったかしらん。なんにしろ、人は好い人多いも、バイトはげしく辛い。どうもくじいたりして、自分向きの仕事ではない。草狩りの「肩掛け(円形ノコがむきだしでついてる)」や「自走機(プロペラのような包丁がついている)」をそのうち使ったり、木に登ってせんていをそのうちしなければならなかったりと、興味わき身体おどる将来ではない。なんて、もう思っているのよ。
 病院に行ったら(13日、月曜日)レントゲンののち、左小指、つけねのあたり(甲の中ほどの左側)骨折とのこと。だんせいホータイまいて、かかとで歩けよ、とのこと。湿布はしてくれず。土曜の午後いらっしゃい。―― 帰ってから、バイト先へ、当分土曜あたりまで休みと電話。電話の向こう、「そんなかかるの」と少し、うたがっている。
 土曜日、病院行ったら、整形外科の別の先生だったが、同か所の「げた骨折」とのこと。湿布。当てダンボール(紙様のものにホータイまいて、足先からふくらはぎ上まで一曲げしたもの)。そして松葉杖2本(預り金五千円とられる)。など与えられる。湿布の替え、ふた袋。
 「かかりますか?」
 「かかります。二ヶ月」
 「・・・・・・・・・・・」
 「四週・・・・・・四週ぐらいで痛みは消えるでしょうね」
 夕方、辞める旨、バイト先へ電話。

        (1987/07/19)

 

 
16:27 2019/12/23 (月)


 夢と現実のへいこう点に生きる
 こころよさよ
 夢がすぎれば現実をころしてしまう
 現実がすぎれば夢を殺してしまう

        (1987/06/19)


 年輪をきざむ
 知っているように
 木の年輪ていうのは
 冬と夏があるから
 縞になる

        (1987/06/20)

 

 
17:57 2019/12/16 (月)


 妄想ばっかりしてても、むなしくなるだけだ。
 現実に戦いを挑むのだ。

 というのは、きのうから今日にかけて、
 「心療院」というのをつくって
 宗教法人をつくりあげるという妄念に
 つかって、
 時を忘れてしまう状態がつづいていたので。

 死病は五万。重症だが現代医学で直らないとは限らないのは十万。軽症は二十万。という「納善料」
 年間五千万から一億が軽くかせげる。

 マンションを借りて、土地を買って、ビルをたてて。
 白黄緑青赤黒という順にハチマキの色で
 位階のあがる教団。

 ・・・・・でもそれは私が、
 ほぼ一瞬で「みたて」をし「心療」によって
 完治させられるということが前提。

 父ちゃんの入院の頃から思ってた。
 欲のからみ、大変利己的な権力志向があるとはいえ、
 その中では人のためになっている妄想だがら、だいぶ許せる。

 許せるので我を忘れるか。

        (1987/06/16)

 

 
17:11 2019/12/09 (月)


 人は目的に進みたがるけれど、
 目的が真の目的でないこともあろうし、
 そればかりだとしても不都合はない。

 推理小説は、犯人を知ろうとして読んでいるのか。
 どうなるのであろう、誰が殺したのであろう、と読者は思っているとしても、
 ほんとうにそのために読んでいるのか。

 友達がいないと淋しい。だから言葉をあやつり
 人と交情をするのさ。
 ほんとうに? 

 人は生きている。
 実は、生きたいから、ではない。
 生きてしまっているから、かもしれない。

 つまり、目的がまやかしであり、
 理由は後付けである。

 目的もなく理由もなく
 そういう地図を持たずに
 あらゆることをしてしまう
 してしまえる自分と自分らという生き物は
 こわいよう
 で、
 こしらえているらしく
 ふとおもう。

 「人は目的に進みたがる」
 この、たがる、あたりに
 真実は
 かくれすんでいる
 らしい。

        (1987/06/11)

 

 
16:19 2019/12/02 (月)


 淋しいよう、いつもじゃないけど。
 生命エネルギーの熱度が
 下がってきたのかしら
 年進むに従い。

 勘が鋭くなっていると思う、ずいぶん。
 なぜって、
 自分では欲っしていない事実まで
 あっちこっち
 ひろいあげいつのまにやら展開している。
 なんもかんもしているような気がして、
 すると、
 望ましくない事実ばかりが
 あふれている気がして、
 その上、
 それを正視する勇気がないから、
 かいまみて目をそむけるから
 よけい真実らしいと勘が教える。

 欲っしていない事実の向こうを

 欲っしていない事実の向こうを、
 自らの創作の中に見出だそうと
 夢を旅しようと
 切符を買うんだ
 この弱虫は。

        (1987/06/01)

 

 
16:31 2019/11/25 (月)


 数日前から、アパートの拡張工事がわが部屋の内部に及んだ次かその次の日あたりから、
 体調不良(胸の筋肉痛?・腹の不整調)に陥る。
 昼間、ガンガンやってるとき部屋に入られないから、(ガンガンたたかれドリュリュリュ穴あけられる箱の中にいるようなもの)、ここ二週間ぐらい、図書館がよい。いや、もうひと月にはなるでしょうか。(朝から図書館がよいを始めたのが、ここ二週間か)
 そして、それだけでなく、耳の調子、つまり、頭の調子も過敏になり過ぎている。
 これは、屋根の工事以降、TVのチャンネルの半分が不快感なしに見ていられないぐらい不調になったことも関係しているのだろう。

 さらに、風呂が増築されるのだから、6月末支払より一万増(40,800円→51,000円)、そして、更新時(私の場合、来年1月末)より65000円〜70,000になるとの大家さんの言。
 あんまり高いよ。
 1DK風呂つきの値段としても高いと思う上に、
 私は、風呂もこれ以上の広さももともといらないのだから。

 不調はつまり、私の理想の住空間(家賃も含め)がこわされていくから。僕はこの住まいをそれほど愛していたのさ。

 そして、不調は、まわりの住民たち(家もちの家族、アパート住民)と、大工たちが私という個をとりかこむ、表だけの親しさ、裏には無関心かもしかしたら嫌悪をしのばせて、とりかこむ、その感触にもよっているはずだ。

        (1987/05/31)


 どちらにしろ、来年1月には、
 荒川へ引越ししようね。
 意外なことがないかぎり。

        (1987/05/31)

 

 
18:03 2019/11/18 (月)


 リアリズムにそろそろたえられなくなってきたみたい。

        (1987/04/17)


考えていると楽しくなること。

・数十億円の大金持ちになり利子で暮らす

・競馬・宝くじを自由自在に当てる

・どのような心身の病も一息で直せる

・今の頭と心のまま子供に還る

・四十まで生きると逆転して二十まで若返り、また四十まで老けて若返りして、不死となる

・不死身となる

・絶倫。疲れ知らず

 まだあったかもしれぬも、これが代表的なところ。
 ねつきの悪い夜など布団の中でこれ想っていると、
 すうっと楽になり、いつしかねむっているよ。

        (1987/04/24)


 考えると気持ちのいいこと.(追加)

 異次元を自由にできる。
 どんなにせまい部屋でも、壁紙を張る。
 そこにはドアが1つ画かれている。
 そこをひらくと別の部屋があり、
 部屋の外には別のすごしやすい気候の天地がある。
 そのドアの向こうに行っている間、
 年をとらない。
 そのドアの向こうに行って、帰って来ても時間が経っていない。
 たとえ何年向こうに行っていようと。
 こちらの世界で一すいもしなくてすむし、
 こちらの世界で一秒後に破めつがあるのだとしても、
 あなたにはなんの心配もなくなる。

        (1987/05/23)

 

 
16:23 2019/11/11 (月)


 事柄は同じでも、ちがう語り方があってもいいんじゃないのか。
 もっとまろやかな。
 不安はもうたくさんだ! 

        (1987/03/20)


 桜を見ていたら、枝をかすめて赤いくつがとんだ。
 ブランコの女の子がとばした。

        (1987/03/30)


 父ちゃんがプッツンしたのは今までに何か無理があったからプッツンしたんだ。
 命、ひろったのだから、
 これからは好きなように生きたいように生きればよい。

        (1987/04/01)


 生が一瞬であるように
 死も一瞬ならば

 生の間に
 死を悩むなんて

        (1987/04/03)


公園(すぐそこ)

 夜桜の向こうに下弧の月。
 きれいだね。

 ゴキブリ君は呟く。
 地球よ、大宇宙よ、
 力を下さい。

        (1987/04/04)


 なったらなったで
 それをすればいい。
 しかたがわからないなら
 その時、
 人にたずねなさい
 教わりなさい。
 自分で考えだしてもいい。

 だから
 今
 今から
 悩むことないさ。

        (1987/04/04)


 焼却炉雨にぬれるや花模様

 父入院夜の洗濯花を見る

        (1987/04/07)

 

 
16:21 2019/11/05 (火)


 父ちゃん倒れたにより千葉に来ている。(因みに回復順調)
 ここ二三日、暇の時、昔の、レコード・テープ聴く。
 驚くなかれ十年前。
 みなとてもいい歌。
 しかし、
 歌がやけにしみこむ感じがする。
 むしろ、今の僕には刺激が強過ぎるほど。
 つづけて何曲も聴いていると。

 これがすべてではないだろうけど、
 消え去ってしまっている僕の十年前に、
 今の僕の心の芯が
 泣いているのかな。
 あんまりなつかすぎると、
 人は苦しかったり、
 変調になったり、狂いそうになったり、
 するかも。
 いずれにしろ、二十才というのは、
 特異な時刻
 だったのでしょう。

 あんまりうらやましい。
 ものすごく
 夢のよう。

 亡霊のよう。
 お墓からみんなが出てくるよう。
 必ずしも気分の良いものでは
 ないようだね。

        (1987/03/04)

 

 
18:00 2019/10/28 (月)


 人は〔幸福〕のために人と関わっていますからね。
 〔不幸〕によって関わりもしますね。
 ああ、それはただ符号の問題です。〔幸福〕にマイナスをつければ〔不幸〕になるだけで、いずれ同じ数直線上のことです。
 ふむ。
 因みに言えば、原点0をどこにとるかですね。〔相対性幸不幸論〕というとひどいですが(苦笑) 要するに、原点0をなるたけ左に持っていける人は幸せです。右へ右へと持っていけば不満と苦痛だらけ。

(大事なのは原点を自分で定めること。人まねしたりテレビに教えてもらったりは幸不幸以前の問題として恥でしょう)

(はは、まあ、きっと、直線であって線分でない以上、どこに原点を持ってきても幸不幸それぞれの長さはきっとかわっていないはずです。原点で物を見れば。でも、他の人のものさしとくらべれば、・・・・ものさしが無数にあつまり世の中になるわけですし)


 つまり、原点の移動によって、目の前を幸福だらけにすることはできる。(一次の悟り)
 しかし、目を原点に持ってくれば移動の前と同じこと。
 元の目の位置、それは世間の位置なのです。

 世の中の人がつらいなあ、いやだなあ、と思うこと、それを幸福と感じることができる人にとっては、世の中の人の見えないさらなる不幸を感知することができる。

 逆に言えば、原点を右へ右へ持ってきた人にとってみれば、
 世の中の人が楽しいなあ、しあわせだなあと思うこと、それすら不幸と感じることができる人にとっては、世の中の人の見えないさらなる幸福を感知することができる。  (二次の悟り)

 ならば、さらなる不幸、さらなる幸福をみつづけたいと願うなら、ことさら原点をずらす手間は笑止。視界をひろげればよい。
あるいは、自在に右へ左へ原点をうつし、
あるいは、原点を二つ三つともてばよい。   (三次の悟り)

 人に可能ならば。

        (1987/02/12)



「やめてよ。私にはそんなつもりないわ。」
「からだは許しても心はあげないってやつか」
「そう思っていいいわ」
「金持ちと結婚するのか。俺が小説書きで貧乏だから」
「そうよ」
「じゃあさ、俺が実は大金持ちだったらどうする」
「あなたが実は大金持ちなら、私は本当はあなたを愛しているのよ」

        (1987/02/28)

 

 
18:52 2019/10/21 (月)


 小説家の臨終。友人、肉親が囲み、彼を見おろしている。
 最期の言葉。彼の場合、こうだった。
「私はセックスが書きたかったのじゃない。
 魂のことを言いたかったんだ。
 でもとうとう満足いかなかった」
 すると、皆がほっと笑う。なごやかな空気が パアー とひろがる。
〈なんだそんなことか〉
 と誰もがあきれ、ふきだしてしまう人もいるような空気。
〈満足させてあげるよ〉
〈魂はここにある〉
 一人が手をさしのべ、彼がつかむと、
 皆が彼を導くのだった。

        (1987/01/18)


 そのままにしておきたいけど、時は過ぎて行ってしまう。
 過ぎて行くのに、対処するのが現実。
 そのままにしておきたい気持ちが芸術。
 文学とはこの二つだ。

        (1987/01/19)

 

 
14:30 2019/10/16 (水)


「なによ、自己満ばかり。内輪でワイワイじゃれてるだけじゃない。才能が守られることはあっても、伸びやしないわ」
「そうとも限らないよ。それに、そういうことは思ってても言っちゃいけないよ」
「えー、うそー! 世の中に言っちゃいけないことなんてあるの」

「才能を賭けるのよ。ほーらはいった。ごらんなさい、玉がジャラジャラ出てくるじゃない。」
「カゲキだなあ。君が得た玉のもともとは、はずれ玉なんだぜ」
「言いたいことはわかるよ。でも、みんながいっしょに得られるものに、どれだけの値だんがあるっていうの」
「じゃあ、行きつく先は何なんだよ。」
 女、手をはなす。
「・・・・何かな。きっと、何もなくて、気分いいとこかもね」

        (1986/10 頃)

 

 
23:33 2019/10/08 (火)


 男は表、女は裏。
 男は女を守るためにある。
 女は安定と保守。
 男は進歩と革新。

 男女差別というなかれ。
 何もチンチンとマンマンを差別しているのではない。
 正確には、
 表の役割をする人間を男、
 裏の役割をする人間を女、
 と名づけているだけ。
 であって、
 言いたいことの芯は、
 表裏二面の性格が
 人にとって有利であり
 力であり
 今後も意味を失わないだろう、ということ。

 差別をなくせ、といいながら、
 この良い点を改悪し、
 例えば誰もが表ばかりの役を欲しがるなら、
 この種は成りたたなくなろう。

 ではマンマンが表、チンチンが裏では
 どうか、となる。
 当然。
 そういう国もあってよいだろうが、
 それは僕の思う人間の国ではない。
 としては、不自然すぎる。
 機能的にも、
 感情的にも。

        (1986/09/28)


   美人を見ると三万

 いいかい、仕事で疲れたあ、と思って帰る。
 一杯飲みたいなあ、と思っても
 飲んだつもりで帰って、アパートでゆっくりしてる。
 ねころがってるだけでのみ代をまるもうけ。

 道をゆくかわいいコをみつける。
 声を掛けて、喫茶店に行く。
 別れがたくて無理にたのんで、酒のみにいって、
 それから強引にホテルに連れ込む。
 これをしたつもりで、そのコを眺め見送って、
 アパートでゆっくりしてる。
 おおむね、三万のもうけ。

 結婚まで迫られて、
 式が何百万
 旅行が何百万
 なんてことまで考えたら、
 ねころがってるだけで
 大金持ちだぜ。

        (1986/09/30)

 

 
12:25 2019/10/01 (火)


 わざと風邪をひくことなんか絶対にしたくないよ。
 たとえ、一億円もらってもやだ。
 雨の中をずぶぬれになってかけ抜けたら一億、
 というならするだろうけど、
 結果としてその無理のために風邪ひいちまうかもしれないけど、
 はじめから風邪をひくことが100%条件で
 金払われるなら、
 しない。

 雨の中、かけ抜けることと、
 わざと風邪ひくことと、
 これは原因と結果でひとつづきのようでいて、
 実は全く逆のことなんだよ。

 わざと病気になるなんてのは、
 命に対するボートクだから、
 きっとそのあと、
 魂のどこかが曇ってしまって、
 長い間、すっきりしないさ。

        (1986/09/02)


 そりゃね、国民の大多数を洗脳してしまうことはあるだろうけど、
 洗脳している張本人たちの頭はしらふですよ。
 ヘッドさえしらふなら、まあ、その国はこちらにとって大丈夫でさあ、当面。
 でも、頭たちの頭までしらふでなくて、
 本気で言って本気で信じて、国民を
 従わせたりしてるなら、
 リーダー一人だけ、ということならまだしも
 指導組織がおおむね、あるいは、全部、
 しらふじゃないとしたら、
 そういう国はちょっとこわいですね。
 人間でいう「あぶない人」ですよ。

 どうもそのうたがいのあるのは、
 北朝鮮と
 アメリカ。

 北朝鮮はあたり前として、
 アメリカは、あれは、
 どうも うさんくさい。

        (1986/09/15)

 

 
15:33 2019/09/24 (火)


 人を愛することは
 苦しくもあって、かつ、
 幸せでもある。

 それに比べたら
 人に愛されるというのは
 普通のこと。

        (1986/08/18)


 口じゃ、つっぱってるけど
 からだは泣き虫かもしんないすよ

        (1986/08/31)


 やや的はずれな言い方になるかもしれないが、
 簡単に話してしまうと、
 その本を読みたいと思ったのは、
 図書館に行く目的が欲しかったから。
 なぜ図書館に行きたかったかというと、
 散歩あるいは強歩をするための
 目的が欲しかったから。
 なぜ散歩あるいは強歩をしたのかというと
 ひまで身体のなまるのを怖れたから。
 要は、時間の穴埋め。
 つまりは、生きる一部の穴埋め。
 あの頃のこと。
 でも、またやるのさ、あれを。

        (1986/08/31)

 

 
14:41 2019/09/18 (水)


 文章には省略が大事というが、
 そうせずに、すきまを埋めてしまう
 ことのほうが、よっぽど大変。

 うまく、十分に美しく埋めることが
 普通は無理なので
 省略の美徳が(へたにうめるよりはと)
 言われるのか。

 省略は芸のうちだろうが、
 すべてでもない! 

        (1986/08/02)


 なんでもないすきまでも個性的に
 埋められるのなら・・・

        (1986/08/02)


 これが言いたいことなんだと自分で思うことを、
 自分でとても素直だと感じるぐらいに、
 書けば、
 わけわからない
 何かブキミな小説になるだろう。

        (1986/08/11)


 せみの声には念仏のようなあえぎがある。
 澄みわたる青空に配された大小さまざまの白雲の、そして、その下を流れる、とても静かに流れる、あわい純粋意志のような真白な、神経細胞の最も素直に繁茂しようとしているような浮雲の、なんときれいなこと。いくつか北東の方へ移っていく。
 僕は自然の子なのだ。
 この朝もまた、命をもらった。

        (1986/08/14)

 

 
16:14 2019/09/10 (火)


 キズを隠すものは何か? 
 キズなのです。
 キズを隠していたキズがのぞかれて、はじめて人の目に意識できるキズ
 というものがある。

 キズを消すことは大変な場合もある。
 キズがあれば、人は気づく。
 消されたキズや、
 消した苦労には、
 人は普通気づけない。

     (今のバイト先の仕事を参考にして)


 淋しさは、一人であることじゃなくて、
 一人だと感じることなのよ。


 あと何年生きられる、
 そんなのは幻ですよ。
 永遠に生きられないように、
 次の一瞬だって生きていられる
 保障はないし。

 平均余命とかはめやすであって、
 あなたの権利とかじゃなくて、
 ただの数字ですよ。


 真実というのははじめから最後まで
 そうではなくて、
 人の心が信じたエネルギーの量が
 決めてしまいます。
 いや、造ってしまいます。
 はじめは一人の心の中で過半数を占めただけでも
 人々の過半数を占めることもありましょう。
 要は、
 真実が主人公ではなく、
 信じる力の方が主人公ということです。


        (1986/07/20)

 

 
14:21 2019/09/04 (水)


 疲れる。
 最近は朝、快調、絶好調。
 夜、泥のようにぐったり。
 バイト12時間はきつい? 
 あそこ、やりすぎだよ。

        (1986/07/10)


 最高に気分が良い。
 胸が苦しくなるほどの
 行きすぎた幸福ではない
 ほどよい快さ。
 なんともいえぬ。

 私が人に誇ることができるとしたら、
 今の生活だ。

        (1986/07/13)


 まだ夜のむし暑くない、
 つゆ明け頃。

 良いなあ … 

        (1986/07/13)


 大東亞共栄圏
 という妄夢を継いだのは
 実は
 アメリカだったのです。

 自ら信望する
 デモクラシー
 という宗教を
 人々に民族に
 押しつけたのです。

        (1986/07/14)

 

 
16:19 2019/08/27 (火)


 普通の人は、
 トラウマがあるにしても たった一つ、唯一絶対ということはない。
 無数のトラウマがあって、それに大小があるだけ。
 一つか二つのことに いつまでもとらわれている(無意識にせよ)ことは少ないのではないか。
 ――と思う私、実はとらわれている一つか二つがあって、それに気づきたくないのか。
 だとしても、時は、石をうがつ雨だれのように、なめらかにしていってしまうはず。

     (1986/06/19 記)


 見終わったあと
 黙っているときは不満なとき。
 早口にまくしたてるのは好評。
 黙っていて、少しずつ言葉をもらし
 しだいに熱を帯びる。最高。
 早口にまくしたてていたのに、ネタ切れになる。淋し。

     (1986/06/22 記)


「かせいだんだから使わなきゃ」
 ではなく
「使う必要がないんだから、かせがない」
 が正しい。

     (1986/07/05 記)


 テレビをつけっぱなしで、部屋を出ちゃいけない。
 人がいなくなるとテレビはへんなものを映す。
 人の生霊にこそみせたいと、
 ほんとうのものを映す。
 そっと忍んだりしない方がいい。
 見たくても
 もし
 見てしまったら、
 困るのだし。

     (1986/07/06 記)

 

 
15:33 2019/08/20 (火)


 床屋について、

 職場の人たちに、仕事のしやすい髪型にするため床屋に行ってきたということがわかることに、意味がある。
 そこで、僕などの思う、ハサミのあとの感じられない、いうなれば、髪が伸びたのではなく、そのままひっこんだような髪型は、その意味では論外で、
 僕にしてみれば、カッコワルク、ダサッポイ、ざんばらがみの青かりあげ、にしてしまう方が、仕事の能率に差はなくとも、人に気づかせる強さがちがう。
 むしろ、ときに道化になり、新人に戻る、それが他の人々の心を和めるやもしれぬ。
 前記した私の理想は、大人びているも、一面硬直ともとれる。
 道の奧、深し。

     (1986/06/07 記)


 自分の力の60%から80%の仕事をするのがいいんだ。
 90%となると苦しいし、100%を越えた仕事は、これは論外。
 要するにできないんだから。
 できないことはできないと言うべきだし、上司がいやな顔をしようと部下がつっつこうと、降りるのが最善手だ。
 それをできると言ったり、偶然できてしまうことを期待したりは、もうおかしい。
 そりゃ中には、外部からの偶然や幸運で、百に一つ万に一つ120%のことを、できてしまうこともある。でもそれが、50%以上の確率で、ときには、必ずそういう幸運がおこると思ったり、信じてしまう自分だとしたら、そういう自分を発見したら、どこか目がくらんでいるし、精神に異常をきたしていると、気づくべきなんだ。

 自分の最先端が、どれほど上か高いかを気にするのではなくて、
 自分の重心の向上をこそ、重要視すべきだ。

 重心のふらついているものは、背のびはできてももろい。
 重心ごとやってきたものは、確かだし、防ぎきれはしない。

     (1986/06/08 記)

 

 
15:03 2019/08/13 (火)


 文学は大衆に受け入れられなければ、なんの意味もない。
 今の大衆でももちろんいい。
 細々(ほそぼそ)とではあっては、横のひろがりを縦の時間軸に直したような、そういう大衆でもよい。

     (1986/05/18 記)


「殺人に必然性なんかあるだろうか。理屈なんかあるだろうか。少なくとも、他人に理解できることだろうか。
 それを、ことこまかに順序だてて、さばき、刑を課するなんて、人にできることだろうか。
 できるのは、おおざっぱな枠にはいっているか、足がかかっているかぐらいの見当で、罪に似合う罰なんて、法律にはどだい無理だし、それをしているようにみせているとしたら、法律、そのお面をつけたもの、それらはまやかしだし、お芝居だ。
 はずみだよ。とてもじゃないが、まともに報告したり、大ごとにするのも恥ずかしいようなささいなことだよ。人が死んでしまうなんて」
「・・・・・・」

     (1986/05/24 記)

 

 
16:51 2019/08/06 (火)


 自分を暗示にかけて、
 青年はサラリーマンを始める。
 暗示がとければいいが、
 一生、暗示にかかったままだとしたら、
 それは、十二分に彼であるけれども、
 別の彼もいなかったわけじゃない、
 もしかしたら、もったいない。

 いや、ちがうか。
 暗示をかけた実体が
 彼らしくなかったり
 くだらなかったり
 することもある。
 若すぎることもある。
 久しぶりに戻ってきた実体を、
 彼は笑ってつきはなすなんてことも
 あったかも。

 暗示をかけたものの
 魅力しだいだね、
 とけるも
 とけないも。

     (1986/05/15 記)


 女性は
 イショウをつけて
 オケショウをして
 毎日、演技してる。

 演技している役者の実体ってなんだ。

 価値は演じられている役柄の方に
 あるのではないか。

     (1986/05/15 記)


 どんな思想も、
 手品のような
 一行か二行で成ってるんだ。

 人はずるっぽいな、うそかな、
 と思っても、
 気分や感情があるから
 気づかないふりをしたり
 重大じゃないつもりに自分をする。

 公理だって気分じゃないか。

 永遠にのびた平行線を
 遠くまで行ってその場その場でしらべれば
 はなれていても
 こっからみたんじゃ先はくっついてるよ! 

     (1986/05/15 記)

 

 
16:45 2019/07/29 (月)


 男の子を生もうと作為して、女の子が生まれてしまったら、
  海
 と名づけよう。

 しかし、女の子なら、女房の浮気の子でも
 育てられそうな気がする。

     (1986/05/03 記)


 年を追うごとに収入が減り、
 収入が減るごとに(無駄もなくなり)生活が充実する、
 というのもおもしろいもんだぜ。

 年を追う 年を負う どちらも味わい深いが、「年を負う」は僕らしくない。

     (1986/05/10 記)


 それは妥協ではない。理想を捨てた訳でもない。
 理想を信じようとする自分の側の理由、真相が見えて来たんだよ。
 それに、
 自分が信じようとしている理想の方の、細かな肌目が見えて来たんだよ。
 山に登ろうという目標があったとしても、
 山を目前にしたとき、ただ瞬間移動で登れる訳のないことを知るように、いや、改めて教えられ、納得させられるように、
 あるいは、
 頂上を目前にしたとき、それこそが「山」であり「山」の極地だなどとは思えないように。
 良く言えば、ようやく手の、足の届く所までやって来たのさ、とも言える。
 意地悪く言えば、だからこそ、大きなものを見失い易いとも言える。

 初々しい娘にではなく、行きそびれた、(魅力的な)娘さんへ。

     (1986/05/11 記)


 元気に働けて
 おいしく食べられて
 ぐっすり眠れる。
 これにまさる幸せはなし。(または、少なし)

 元気に働けない。
 おいしく食べられない。
 ぐっすり眠れない・・・。
 そのどれか一つでも経験してみるといい。
 骨身に染みてわかるから。

     (1986/05/11 記)

 

 
16:42 2019/07/23 (火)


   狂い咲き、といえば日本もそれか。

      狂い咲いて  日本

   しかし、アメリカやソ連はそうではない、というわけでもないらしい。

      狂い咲いて  人間

   つきつめれば、

      狂い咲いて  生命

   もしかしたら、

      狂い咲いて  宇宙

これは、日本や人間や生命が心細いものであるように、宇宙も、ということ。

     (1986/04/12 記)


 三千円(CD)ていえば一週間分の食費だぜ。

 食を忘れて楽を聴く。(燭をともして夜遊ぶ)

 高校の頃、一番救ってくれたのは、アルファベットではなく漢字だった。

(上記は、CDはいいぜえ、とすすめる白■さんに、バイトで金ためたら買うかと答えたこと、半分はその気になったことを、スーパーの帰りに思い出して)

     (1986/04/12 記)


 浮浪眺星

     (1986/04/12 記)

 

 
13:59 2019/07/16 (火)

 昨夕、というか、7時前のこと。 (今は、2:17AM)

 レジの姉ちゃん、つわりか。僕の番になると吐く。
 はじめ、前の人の時、口に手をやった。変な品物見れば、それもこんな閉店まぎわの大混雑の中、気分悪くなったりもするだろうな、とか、僕思う。
 僕の番になって、品物をあと一品まで打ちこんだあたりで、口とおなかに手をやり、ふりむき、しゃがみ、レジの中のごみかごに顔をおろす。
 つわりかと思い、見てる。後ろのおばさん(かわいい女の子ずれ)が、僕に、「どうしたの」と言う。その声の不安げな危急さが少し僕を焦らすが、レジの姉ちゃんは立ち上がり、最後の一品を打とうとして、指をふき、そして、ちゃんとタマネギを打ち、僕の「大丈夫ですか」の言葉にうなずいたようにしてから、すぐ、また口に手をやり、同じようにしゃがんでしまった。
 僕はななめ前の、うしろのおばさんはとなりのレジの姉ちゃんに声かける。
 僕、声かけた方が内線で「早く一番のレジにはいって」という。
 同じ人が、うずくまったままの姉ちゃんの髪をさするようにして、「どうしたの」という。
 しばらくお待ち下さい、といい、その人は自分のレジへ。僕は、はいっ。
 替わりの人が、お待たせしましたとやってくるまで、レジの姉ちゃんは丸い背をみせたまま。替わりの人が僕の金を受け、おつりを払う、その横をすりぬけ、レジの姉ちゃんは口をおおうようにしていたと思う、前かがみぎみに人の列の中を抜け、店の奥へ。かすかに、すえた匂い。

     (1986/04/06 記)
 

 
11:34 2019/07/09 (火)


 天才(という要素)は人の中の神である。
 ので、人は望み希求し、あるいは敬い、あこがれ、愛することができる。


 読む力が強いということは
 良いものが書けるということだ。
 良いものが書けるということは
 生きる力が強いということだ。


 生きる力が強いとは、
 チンチンが大きいということや、身体が丈夫だということや、心が強いということではない。
 チンチンは小さいかもしれないし、身体は病気かもしれないし、心も弱いかもしれない。
 ならば何か。

 はっきりとはわからない。
 ただ、「願う」ということと近い気がする。


 批判はできる。
 でも考えてみれば、批判のできないものはない。
 批判自体はおおむね、ただ、補集合の一部を示すにすぎない。
 大事なことは、
 例えば、
 批判が削ってくれる「そのもの」のあらまし。
 そして、「そのもの」の声。


     (1986/03/30 記)

 

 
14:41 2019/07/02 (火)


 風呂屋にて、でっかいなあと思う、身体も大きな兄ちゃんといっしょだったが、脱衣場で風呂屋のじいちゃんもほめていた。
 「うちに来る客の中で一番大きい」
 「ほんと、大きい」

     (1986/03/18 記)


 料理のバラエティー(or材料)が増えたのは、キキンのため。

     (1986/03/28 記)

 

 
17:19 2019/06/26 (水)


 男が、四十五ぐらいの男が鼻を鳴らした。三十ぐらいのサラリーマン風のスーツが、前の座席でマンガ雑誌をよみながら、クキクキ気味わるく、そのうちにわとりの悲鳴もかくやという叫びを上げたので。
 スーツはちらり男を見たが、またマンガ雑誌に目を戻す。
 少しして、口論が始まった。男が、とにかくそれを、そのくだらないのを見せてみろ、という。
 スーツの言うこと。
「まあ、待ってください。・・・・・私はマンガなどくだらないと思わなければいけないと、はなからあなたはそういうつもりで読もうとしている上に、国語辞書にある言葉がいろいろな書類の言葉なように、私たちの会話が話すときの言葉なように、数学が科学の言葉なように、マンガは、マンガの国の言葉なんですよね、つまりは、ほかの国の住人が多少意味がよみとれるというだけで、その国の入口をさらっとかするようなもので、ここでくらさんことには本当の言葉はきこえませんし、事柄で言うなら、こういう週刊誌は、よみきりなんてほとんどない、二週間前からのもあれば五年前からの連載もあるわけで、その最初からよみつづけていた上で、匂ってくる今週号のおもしろさを、とうてい一見さんのあなたはかぐことはできないんです。まあ、要するに、あなたはシロートさん、わたしはクロートつうわけです。こういうことをご納得いただいた上でなら、どうぞ」

     (1986/02/26 記)


 言いたいことを最も的確に、わかりよく記したものが最高の表現である。

 言いたいことの存在は問題以前のこと。
 字面がどんなに整い美しくあろうと、それだけではなんでもない。

     (1986/03/10 記)

 

 
12:36 2019/06/18 (火)


 火事の夢。
 実家の東端の和室。左上すみの紙のしょうじと、右上のほろ(紙)つきケーコートーの点灯プラグが青いガスバーナー。かんたんにもみ消せそうで、二ヶ所なので片方をけしてるあいだ、もう一方、もえあがり、このどっちつかずのうちに、これはダメダと直感。
 カ、カ…とのみで 声、ひりつき、出ず。

     (1986/02/09 記)


 気分を悪くさせる薬
  :薬効が抜けるときのソーカイ感が売りもの!! 

※ 僕の場合のカフェインは、
 のんだあと、気分はずませ(はずませすぎ)
 その夜から朝にかけて、死の淵をかいまみせてくれ
 翌日の夕方あたりから抜けてゆき、ソーカイ。

 コーヒーをおいしく(後々まで含めて)飲むには、昔のように中毒になるしかない。
 しかし、中毒になると後イ症は軽くても、生理的な現実の味がわかんなくなる。(そうでない味というのもあるが)
 結論として、中毒に戻る気なし。カフェインは毒だ! 

     (1986/02/09 記)


 サハラは砂漠という意味だそうだが、ならば、サハラよりは「砂原」の方が合ってる。これが未来において語源となり、過去に戻るのではないか。

     (1986/02/13 記)


 時計の針が15分から45分へ行ったと思ったら、それは短針だった。
 むらさきだちたるくものすこしたなびきたる・・・ 

     (1986/02/14 記)


 世の中がくだらないのなら、それを背景に、くだらなくない作品を置く。
 世の中がくだらなくないのなら、それを背景に、くだらない作品を置く。
 くだらないことと、くだらなくないことをまぜこぜにして作品をつくれば、どっちも生きてくれるはずだ。

     (1986/02/18 記)

 

 
12:29 2019/06/12 (水)


 資本主義:となりの個人より豊かになった(のではないか)ということをよろこぶ主義。
 社会主義:全体が豊かになった(のではないか)ということをよろこぶ主義。

     (1985/12/19 記)


結婚
 きれいごとで説明すると ・・・ セックスをよそおったもの
 ほんとのことばで説明すると ・・・ 家と家が結婚して、新しい家を生むこと。

     (1985/12/30 記)


 男とは、やるかやられるか
 女とは、やるかやれないか

     (1986/01/08 記)

 

 
11:52 2019/06/04 (火)


 少なくとも、今の、日本の、人は、金をかせごう、豊かになろうという気があるのではないのか。だから、世の中に常識があり、かく動いている。
 その気がなければ、別物になる、ということをふと思った。
 老子の小国少民を思う。

 金は、実物ではなく、幻想である。これは少し考えるとわかる。

     (1985/11/10 記)


「僕は君のこと好きだよ」
「・・・どういうふうに好きなの」
「そうだなあ・・・、はっきりいえないけど、かじかんでいるとき、まるっきり弱気なとき、声が聞きたいと思うのは、君だ。そういう意味で」
「・・・・・・、弱気になること、あるんだ」
「そりゃあね。自分の心はどうにかなるんだけど、身体はむずかしい」
「・・・・・? 身体が?」
「身体が変調な時、苦しい。心はどうにでもはげませるつもりなのに、身体がおかしくなると何もわからず、不安で、負けそうになる」
「病気があるの?」
「それがちがうんだなあ。いたって丈夫で、たぶん病院でしらべても何も出ないよ。だから、身体の変調はたぶんやっぱり心に原因があると思うんだ。――これが、おもしろいところでね、心を攻める心には、十分対抗できるのに、身体に隠れて仮面をかぶって攻めてくる心には、心は守りあぐむ、というかんじかな」
     ↑
  ※ そのとおりだ! まさに。

「僕は思うんだ。一人でも生きられる。・・・・九割五分は」
「・・・・・」
「問題はさ、残りの五分なんだ。きっとそれがさ、君の声を聞きたがる」
「ふうん・・・」
「十割に近づけるべきなのか、男なら。五分は大事に残しておく方がいいのか、人間として・・・」
「・・・・私は、十割に近づけて欲しい。いつも残っている分だけでいいの、私を呼んで」

「キャラクターはみんな自分の心なんだ。主役だろうと端役だろうと、全部、作者の心なんだ。他人がなんといおうと、自分のことなんだから、それはもうしょうがない、大事な大事な自分なんだ。
 キャラクターが弱いとか、俗だとか、生きていないとか、いくら言われようと、自分なんだ、こわがることはない、しっかり生きているじゃないか。もちろん、作者がまじめにいっしょうけんめいに書いていればだよ」
「理解しやすいキャラクター(自分)、理解してもらいたいキャラクター(自分)もあれば、理解しずらいキャラクター(自分)、あんまりはっきり見せたくないキャラクター(自分)もいる。あたり前じゃないか」
「現実の事、景色。愛や友情といった感情。いろいろな知識。男なら生きるための志。女なら、生きるための意欲。これは、男女逆でもいいよ。その他もろもろ。作者がこれらのことを見る見方、これらのことを考える考え方、そして聴き方、触れ方、感じ方、それが作品なのだ」

     (1985/11/20 記)


「若いって、いいなあ。
 恋に恋してるってんじゃないんだよね、あれは。
 自分を含めた若さに恋してる」

     (1985/11/21 記)

 

 
12:55 2019/05/29 (水)


 悟っても、それを忘れてしまうということがあるかも知れないね。


 今日は風強く、樹々のざわめきものすごい。
 夕方近く、といっても、まだ明るい頃、散歩したが、何か追いたてられるように、わびしく辛い音と色あいだったよ。

     (1985/10/13 記)


 信心深い、というのは、何教に限ったことではないのだと思う。
 たとえば、その人がA教に信心深いとしても、めぐり会ったのがB教であれば、B教に信心深くなっただろう。
 ただし、AからBへ、BからAへと移り易いというのではない。

     (1985/10/22 記)

 

 
17:31 2019/05/21 (火)


 心――自分の心をあんまり気にしたり、見つめたりすると精神病になるように、
 自分の身体をあんまり分析したり内へ感覚を働かせたりしすぎると身体の病気になる、と思う。
 しすぎないようにすればよい、ということではない。
 健康願望性自意識過剰になるということはつまり、他に気や体を紛らせるものがなかったり、少なかったりするということなのだ。生きるために汗したり、興味あることに意欲を突き進めたり、ということのない生命には、潜在していた自己崩壊するシステムが顕在するのだね。

     (1985/09/27 記)


 足のむくまま  気のむくまま
 俺の行きたいのは  どこでもない
 たどりついた  もっと 先のことだぜ

     (1985/10/01 記)


 ふだんまじめなことをしていない人は、気違いかそれに近い人だろう。
 ふだんまじめな人は、大きな不まじめの歯車だ。

     (1985/10/01 記)


 エロティックでドタバタ喜劇風の夢のつづき。
 部屋でねころんでTVをみていた。TVの中もエロでドタバタ。どうもこの晩の世界は女の濃度の方が高く、部屋にも他に何人か女がいるらしい。
 そのうち、僕と同じ布団に誰かねているらしいこと気づく。夢から醒めつつあるのだという感じの中で、ねているのは誰かとさわったりする。背中にしがみつくようにしているかんじから、小柄な女、あるいは少女と思うも、意外に硬質な足に触れる。
 で、はっきりさせようとふりむくと、「ゴメンナサイ」と一声、詰まったような幼児の女の子の声がして、身体軽くなり、ねがえりうって、誰もいず、僕一人の寝床に目醒める。

 冒頭の喜劇風の夢というのは、相当長かったように思う。今、10:00AM2分前だが、7時か9時ごろにめさめたんだがその前にも夢の最初か前半をみていて、すぐまたねたあとでも、似たのか続きを見ている。

     (1985/10/02 記)


 晴躁雨鬱

     (1985/10/03 記)

 

 
15:42 2019/05/13 (月)


 死なないために生きているのではない
 生きるために生きている
     ↑
   いい言葉だ! 
   俗世(あまりに今日の、あるいは近未来の)に対する根本的なアンチテーゼだ! 

     (1983/12/01 記)


 悲しさ淋しさが人を殺すこともある。

 二十才の頃は、あり余る生命力が狂わせようとし、
 今は、孤独が狂わせようとする。
 時に、うとましいことはあっても自分ではないもう一人かそれ以上の人というのは、やはり必要なのだろうか。
 ずいぶん弱気だ。

 「人は死なないために生きているのではない。生きるために生きているのだ」
 たぶん、本当だろう。
 しかし、それをしなければ、あるいは、すれば、死んでしまうという時、人は、
 それをするだろうし、あるいは、しないだろう。
 これも本当なのだ。
 死の恐怖というのは、想像してちゃかしてしまえるたぐいの、そんな甘いものではない。
 藁をつかむ思いで、人はすがろうとする。生命のために。
 僕の場合、その藁は、「文字」「文章」というものなのかもしれない、実は。現在、今、のように。

 布団を敷いて、その上に腹ばいになり、畳の上のスタンドをつけ、まくらのわきに黒バインダーを置いて、これ書いている。書きたいことがあるためではなく、忘れたいために。
 気にしだすと、―――つまり、心臓の音だとか、明日の朝、目が醒めるのだろうか、とか(心臓の早打)――本当に体調(つまり、神経系や心臓)がおかしくなり、そうなった時、あるいは、そうなる時の「不安」が、こわい。いやだ。避けたい。平和に、平凡に、やすからに眠り、確実に明日、めざめたいから、気にしたくない、つまり、
 忘れたい。

     (1985/08/15 記)


 そんなことはそんなことはそんなことはそんなことはそんなことはそんなことは、そんなことはそんなことはそれでいいけど
     ↑
   独り言がどもる。いけない傾向か?

     (1985/08/23 記)

 

 
13:23 2019/05/08 (水)

 水色のリュックをしょって、本駒込へ行った帰り、セブンイレブンでパンなど買い物かごに入れレジのそばで待っていた。
 ふと気がつくと、閉まっている店のドアの外に僕のひざぐらいしかないような赤紫のワンピースの女の子が、まん丸い目で、開閉式でコーヒー色のガラス戸に顔をくっつけそうにして、夕方の往来に立っていた。
 小さすぎて、音波か光によるセンサーがとらえてくれなくて、ドアが開かないのだ。
 僕はにこにこ笑ってしまった。
 お母さんらしい人が後から来て、ドアが左右に開く。女の子は中に入ると、恥ずかしそうに(たぶん僕の視線をさけるように)後ろを向いて、アイスクリームの冷庫に手をかけ、のぞきこんだよ。

     (1985/08/12 記)
 

 
15:44 2019/05/01 (水)


 愛して犯す女はお前一人だ。 (これは一生のことだ)
  他の犯す女は愛さないし、
  他の愛す女は犯さない。

     (1985/07/26 記)


 彼がそのことをどちらに選んだとしても、
 世間は(彼の身内と友人たち)は、そのどんな決断でさえもけなすことができるし、逆に、どんなふうにもほめることができる。
 要は、彼自身が、自分の決断によって自分をいじめるようになるのではなく、自分の決断によって、自分にほこりが持てるようになれば、できれば後々までもそうなるようであれば、それでよいのだ。

 (↑他人の相談言に関して)

     (1985/07/29 記)


ソープランド
 日本の良識ある人の少なくとも半分は嫌っているはずだ。
 良識ある人の半分が女性ということもあるかもしれないし。

     (1985/07/29 記)

 

 
12:38 2019/04/25 (木)


 谷崎潤一郎は天才だね。
 「春琴抄」もよかったけど、「盲目物語」も格別。
 こう人たちの末座につこうかと思っているのを思うと、おそろしくなる。
 ま、文章のくぼみはあらゆるところにあり、あらゆるもぐりかたがある、天才は天才と思ってしまえば、いくらか楽ではあるけれど。

 風景描写は「吉野葛」がすごい。

     (1985/05/17 記)


 あまりに文章の表現力があると、それによってつづるストーリーのちんぷさがめだちストーリーを変えなければならなくなる作家、もいるだろう。
 自らの中のとびぬけたものにひっぱられ、他も必死に追いつかせようとする。

 あると思う。
 僕の場合は、表現力の方がちんぷでストーリーが100%でない。
 あるいは両方マイナーでつりあいとれてる? 

     (1985/05/21 記)


 自分の時間を無駄使いしない。
 不完全失業者。
 新しい人種。

     (1985/06/04 記)

 

 
15:18 2019/04/19 (金)


 僕がこのごろ書こうと思っているものは死んでいる。あるいは、わずかにしか生きていない。そんな正統的な、ちぢこまった沈うつなものやめにしない? 可能性はそこにだけあるわけじゃない。かつての詩の世界のように、ハカイと狂乱と笑顔の世界へ、再び旅してはみない? 

     (1985/01/22 記)


 「狂」は「けものの王」と書くのだ。

     (1985/01/26 記)


 ねねばならん。今日もまたいろんなことがあったぜ。明日もまたいろんなことがあるんだから。

     (1985/02/07 記)

 

 
10:52 2019/04/12 (金)

 少年の話し
 「ガスや電気の確認のため、指さし確認をしているけど、そのうちにしつこく、なでるようにやるようになって、だんだん、毎日少しずつ型ができていくブヨウをしてるようになった。神様に仕えてやる形式あるおどりのはじまりはここかな、とか思ったので、なるたけむりしてでもやめるようにしている」

 「お前、それだよ。話し、というのは。なんだ、夜、ねる前なんかに、一人で部屋の中でおどってるのか」
 「だからあ、人がいて見たら、そんなふうに見えるかもっていうの」
 「ガスのせんや、テレビをなぜつつおどるんだ。ゆっくり?」
 「ゆっくり。ガスレンジや、まどのカギあたりもね」

 火のもとを見、とじまりを納得するためには、人はおどる。あるいは、ある形式を身体でなぞり、最後は目や意識ではなく、身体で納得しなければならなくなる。よくあることだ。大事なものを守り、あるいは、おそろしいものを呼び寄せないための、ひどく単純なものに対する確認が、くりかえすうちにしだいに同じくり返しかたでは足りなく思え、不安で、しつこくふくざつにしていく。心をこめていく。で、そういうふうにこめ切ったとき、つまり、人が心に納得し切ったとき、ついに不安は去って、同時に不安のもとも去って、なぜおどるのかも忘れてゆく。形式がのこる。意味はわからないけど、身体は覚えている。おどると、どこか安心する。儀式はそんなものかもな。(イワン)

     (1985年 記)
 

 
13:06 2019/04/06 (土)

「皆が本当で何もかもあると考え思うよりは、皆が嘘で何も無いと思う方が、気持が静まるしすがすがしい。その上で、何か一つについて考えると、軽い気持ですぐ行動に移れる。」

     (1985年 記)
 

 
16:40 2019/03/30 (土)

 何もかも黙認して生きるっていうの、あると思う。死にそうな人の死んでいくのをみまもる。老いていく人の老いていくのをみまもる。「このボケジジイ」とののしる方が、結局は老けさせないかもしれないのだけど。世の中で善人が善いことをしても悪人が悪いことをしても認めてあげる。お金持ちも貧乏人も認めてあげる。美しくてもみにくくても認めてあげる、・・・なんかきりないけど。
 私のことっていうわけじゃない。誰のことでもないかもしれないけど、誰のことででもあるかもしれない。経済発展すれば認めてあげるし、戦争になれば認めてあげる。核ばくだんがあることも、いつみんな消えてしまうかもしれないのに平気にしていることも、認める、黙認する。どうしても痛いとか、足がもう一歩進めないとか、そういう時になって口を開き、手を出して、とりあえず目の前のこと、どかす。で、また、元通りになって・・・・
 何もかも認めてあげなかったら、生きていけないよ、ね。こっちの半分は認めて、こっちの半分はだめ。とっても不公平じゃない。みんな認めて、声高に叫ぶ。神様か馬鹿か、私はどれもでない。まあ、普通なんだ。

 私にすがろうとするの。いいかげんにしてよ。私は、なんでも認めてあげるけど、そういう役目には別の(女の)人がいるでしょ。私は、誰か男のささえになったり、立ち直らせたり、もりたてたりというのは願い下げだわ。

     (1984年 記)
 

 
11:53 2019/03/24 (日)

 ま、それはいいとして、僕がそうだ、といって、他はそうじゃない、とは言えぬ。私の親・兄弟にしろ、赤沼(友人だ)にしろ、同じことだ。皆、まわりから寄せあつまってできた。個性とか自分とかいうのは、調合の割合を記したリストで、現わせるような予感がする。―― で、だとしたら、人間たちというのはなんだろう。彼ら一人一人が思っているほど、彼らは彼らじゃない。もう少し考えてみれば、人間Aと人間Bの差というのは、人間Aと豚Bの差と、思っているほど決定的に違うということはない、そうなると思うよ。

     (1984年 記)
 

 
15:07 2019/03/17 (日)

 4:32PM
 まずTVをまわす。「東半球の南側半分が全滅いたしました」と言ってる。どうも様子が変だと思った。とうとう・・・・。 とにかくこれを書かねばとコタツから起きる。
 外で、チリ紙交換のアナウンス。

     (1984/12/02 記)
 

 
12:53 2019/03/10 (日)

 母ちゃんよりTEL。
 布団送るとのこと。

 母ちゃんこうも言ってた。
 嫁さん、いないのかい
 いないねえ、
 今の会社に女の子いないのかい
 ウジャウジャいるよ
 いっぱいいて、いないのかい

     (1984/11/21 記)
 

 
15:22 2019/03/03 (日)

 相手に利用されていると互いに疑う不幸な関係
 相手を利用していると互いにひそかに思う幸せな関係

 きのうバイトしながら思いつき、今(6:55AM)思いだした。
 会社とバイト(僕)の関係? 
 利用し、利用され、どちらか一方でないがために、二つの存在は互いを認め、バランスを保ち、〈和〉ができる、のだろう。
 そういう根本的な所を、会社という場で、あからさまにさらす必要は、当然一つもない。

     (1984/06/30 記)
 

 
14:19 2019/02/24 (日)

 前の時代の普段着が次の時代の正装になるように、
 前の時代の大衆小説が次の時代の純文学になるのではないか。

 前の時代の正装や純文学は、どこに行くんだろうね・・・ 
 古典になる? 伝統になる? 遺跡になる? 

     (1984/05/27 記)
 

 
14:16 2019/02/17 (日)

 文章というのは、読者の心にイメージをポトポトおとしていくもの。
 最初のイメージと後からのイメージは同量でない。
 同じ強さのイメージなら、はじめのは後よむころには、広がりうすまっており、今よんでるのは、濃く、せまい。

 そういうこと念頭において、文章という筆を使い、読者の心に絵を書く、それが文学か。
 本当のキャンバスは原稿でなく、読者の心か? 

     (1984/05/20 記)
 

 
12:07 2019/02/10 (日)

フィクション
 人は、命をおとしてもおかしくない事故、病気に会い、あるいは、会いそうになり、そして、しかし、生きのびることが、偶然助かることが何度もある。
 しかし、本当はそのたびに(すべての瞬間かもしれない)人は実は死んでいるのかもしれない。彼が死んだ世界と死ななかった世界にそのたびに(すべての瞬間にともいえる)枝分かれして行き、彼の意識はつねに死ななかった方に残る。
 そこで、彼は生き長らえて行きながら、他の人の死(人は死んで当然だからと、本質的に不思議に思わない)を見て、そして自分もいつかは死ぬのだろうと学習する。
 しかし、しかし、その人は死なない。つねに、死ななかった方に残り、彼は不死者となる。
 どうして神は選りにえって、私だけを不死者にしたのだろう、と彼は思う。
 でも、神は別に存在しなくてもよかったのだ。すべての人が不死者であり、すべての人のそれぞれの意識が生き抜いている世界では、それぞれの人がその世界唯一の不死者だから。
 つまり、人間は実は死なない生命体であって、死ぬように思うのは他人たちが死ぬから。でも死んだ他人は別の世界でしっかり生き長らえているのだ。
 「世界」がいくつあっても足りない。でも、「世界」あるいは「全次元」「全宇宙」というのは、そういうものかもしれない。∞×∞のような感じ。
 あるいは、∞×∞×∞×‥‥=∞(ムゲンのムゲン乗)という感じ。

     (1984/05/20 記)
 

 
11:38 2019/02/04 (月)

「・・・55Kgを切ったら人間じゃないと思ってるから、それに近づくと太るようにがんばるんだ」
「体重はどこではかるの?」
「おフロやさん」
「・・・・えー、いやらしいい」
「え? 公衆浴場にいやらしいものなんかないんだよ。
――男の立場から言ってみれば――世界中から美女10人を選んで、一つにあつめ誰が一番で誰が十番かいくら比べ考えても、一番も十番も決まらない。そのぐらいの美女十人がいっぺんに脱衣場で裸になっているなら別だけどね、そん中に八十のおばあさんが一人いてごらんよ、魅力の八割はとんでっちゃうぜ。あるいはまた、八っつの女の子が一人いてごらん。いやらしさなんて八割ふっとんじゃうよ。」

     (1984/05/03 記)
 

 
11:29 2019/01/31 (木)

 没入没我しているとき、人は生きている。
 最も自分を忘れ、離れ、最も自分ではなく別物にとんでいるとき、こそ、その人はその人の生命を輝かせている。
 生命というのは個人の対極なのかもしれないね・・・ 

     (1984/04/30 記)
 

 
11:27 2019/01/25 (金)

 しかし、両手があるというのは、たまらなくおそろしく、便利なことだなあ・・・ 

     (1984/04/29 記)
 

 
11:07 2019/01/17 (木)

 そういえば、小学生の頃、本当に好きな人をさとられたくないために、口では、決して好きではない「Kさんがいい」などといっていた。さかしらに。あくまで、うちわの友だちに。あの無口なタイプがいい、とか、目新しいタイプなどという単語をまじえて。
 あの頃、真実をかくせるなら、手段を選ばず、手段にされる「Kさん」の気持などほとんど考えずに言ってしまったねえ。そのあとで、少しは気づいたかな? 
 どちらにしろ、あの頃、必死にかくそうとした、本当に好きな人が誰だったか忘れてしまったが、Kさんの名と表情だけは覚えているよ。

     (1984/04/12 記)
 

 
11:01 2019/01/10 (木)

 問: 電気のついていない部屋に帰るなんて、わびしいでしょう
 答: ええ? 電気をつければいいじゃない

     (1984/04/05 記)
 

 
21:05 2019/01/03 (木)

 無理してつくったお金を使って、無理してたまったストレスを発散させるなんてのは、時間の無駄。生命の無駄。自らと生きる自然(自分という一人の人間も自然の一部であり、全て)に対するボートク。

     (1984/03/20 記)
 

 
8:15 2019/01/01 (火)

 ☆ 今年もどうぞよろしく ☆
 

 
13:47 2018/12/29 (土)


 きのうは、あんなになごやかに晴れていたのに、今日は雪。
 車の音で、雨か、とは布団の中で思っていたけれど、下から出るとき、雪とわかる。もう、まっ白につもっている。ふっくらとつもっている。
 そして、ふりやむ気配なく、車の音も鎖が多くなる。

     (1984/01/19 記)


 きのう、何年ぶりかわからないぐらいの(五年は確実にたってる)大そうじしたので(僕のへやの)雪、降ったんだろうか・・・ 

     (1984/01/19 記)


 「自分らしく生きるより、平凡に何かに(どんな俗なことにでも)追われて毎日をくらす方が、ずっと楽だなあ。こんなに苦しむよりは」

 「どんなに苦しんでも、自分らしくさえあれば耐えられる」

 前者は老人? 

     (1984/01/19 記)


 「彼女と僕は恋人関係じゃなかったな。もっと近い間柄だった」

     (1984/01/21 記)


 求める形を克明に描く方法

 彫り進むときに出るクズをていねいに説明していく方法

     (1984/01/22 記)


 樹や植物はやはり熱を持ってるのかしら。それらのまわり、根元はすみやかに雪がとけて黒い土が見えだしている。

     (1984/01/23 記)


 高い空に止まっているうすく白い雲というのも妙なものだ。

     (1984/01/24 記)

 

 
10:33 2018/12/22 (土)


 こういうキャラクターにしたいと、大胆なことを考えても、結局、僕が好ましく思う人柄でなければ本当の意欲はでてこない。 僕のキャラクターとは、僕の書ける人ということか。

     (1984/01/02 記)


 誰か一人だけを書こうとしてもそれはむずかしい。
 数人のキャラクターのひっぱり合う緊張感が作品の体壁をつくる。

     (1984/01/03 記)

 

 
15:41 2018/12/16 (日)


 文学青年なんてのは、失礼するように相場が決まってるのや。

     (1983/11/26 記)


 考えてみたら、俺は昔、詩人だったのかもしれないね。
 あの頃の僕が本当に今の僕の前身なら、たぶん、まともそうな小説など書ける人間ではないよ。
 今の僕は、まともさ(説明できそうだけど、そうするとしたら、百ページぐらいは少なくとも要りそうなことば)を求めて書いてる。

 格調とか、バランスとか、音とか気にしてる。それを本当に満足ゆくように書くことは十分に(まわりにあるその他にくらべたら、はるかに高尚な)すばらしいことだと知っている。つまり、それはわかっている。(見えるから歩いてみてるのだ) しかし、わかっていないもので、実現すべきものが残っているかどうかは、わかっていなかった。後者のことについては、ここんところ考えることもなかった。
・・・まあ考えようとしても、かえってつかまらなくなることもあろうし、もし今、気づかなかったら一生現われないほどのものでもない(つまり、忘れちゃっても大丈夫だろうとあいまいだが、確かに感じる)ので、とりあえずはすみに置いておこう。
 また時がたつか、今の僕が「あの頃の僕」になったあたりで、自然とまた思い出せばいいのだ。この一文までも思い出せとは言わないし。

     (1983/11/27 記)


 今、すぐ前ページの11/26最後の項
 「文学青年なんてのは、失礼するように相場が決まってるのや」
の意味がわからず、かつ、自分が昨日かいたもののように信じられなくて、五分以上考えていた。「失礼」の前と後ろのどちらにアクセントをつけるべきかあるいは書きまちがいということも十分あるので忘れるべきか、などと。

 で、口の中で二、三回よんでるうちに、今度はよみまちがいをして、書きまちがいであったことをあざやかに思い出した。
 「文学青年なんてのは、失恋するように相場が決まってるのや」
 これが正しい。 しかし、書きまちがえをしている方がなんだかずっといいね。

     (1983/11/27 記)

 

 
11:54 2018/12/08 (土)

 「こういう作品が書けたのも妻のおかげだし、こんな作品しか書けなかったのも妻のおかげである」

     (1983/11/24 記)
 

 
9:43 2018/12/01 (土)

 「飛べない鳥や食われるために生きてきたみたいな四ツ足を食べてると人間もそんなふうになっちゃうぞ。」

     (1983/11/23 記)
 

 
13:34 2018/11/23 (金)


 美しい髪の毛がぬけて、それが雄と雌になり性殖するという生物

     (1983/08/06 記)


 「私は、ハゲていない小説家を信用しない。」

     (1983/11/23 記)


 頭のうなじのまわりの髪が昼の光りにはやけにうすくなってきた。
 まあ、いずれうすくなるはずのもの、やや早めかというだけだね

     (1983/11/29 記)※


 気合をこめて文章をかくから、人よりたぶんすこし早く、頭がはげていく。
 でも、気合とはげが原因と結果なら、これはもうあきらめるしかない。
 仮定として、はげと老い、老いと死が 原因と結果なら、最初から返して、気合から死が生まれることになるが、万一そんなことがあったとしても受入れるしかない。
 だってそうじゃない。私たちは死なないために生きているのじゃなくて、生きるために生きてるんだ! 

     (1983/12/01 記)


 そういえば、おととい(12/10)の夜のフロ、また頭洗ったが、ひきちぎったかのようなおそろしいばかりの抜け毛。

     (1983/12/12 記)


※ うなじ:「つむじ」の間違いでしょう。

 

 
13:29 2018/11/17 (土)

(重要)
 人は、ある人といて、話しが途切れてしまったとき、本当は話すつもりじゃなかったこと、その人に話してはいけないと知っていたこと、そういうものまで、会話の空白を埋めるためというだけの理由で、話してしまうことがある。(僕よくある)
→ 話し始めてから、しまった、と思ったり、
→ 「あのさ・・・・ いや、やっぱりやめよう」 「話しかけてやめるなよな」 「そうか・・・ なら、実は」 とかになる。

     (1983/10/04 記)
 

 
11:45 2018/11/13 (火)

 子供たちには貧しい人たちに与えるからと嘘をついて募金活動をさせ、お金は全て自分がとる。
 社員には美しい理念を教育していても、トップの考えは別のところにある。

     (1983/10/03 記)
 

 
13:12 2018/11/03 (土)

 人間は動物といっしょに暮さないと、だんだん、悪魔になっていく? 

     (1983/09/19 記)
 

 
12:01 2018/10/27 (土)


 夢(5:25AM)

 アリスエを足にして、アロエをひいて、

 アリスエとは頭に身体の中の地面との接点(手のうら足のうら)をつけたもの。
 アロエとは頭と、足のうら、手のうらのない胴体。
 そこでアロエは宙に浮いている。それをアリスエでひっぱる。

 女の子が、いじめられる。彼らは火消し。
 怒った彼女は、神社から電話をする。「火事! 火は今出たとこ」
 僕は、マッチ棒の火薬だけけずったのを、ふたてづかみほど、床の上のひろげた紙におき、
 それなら、今、それに火をつけなきゃ、と言う。

(火をつけた場面はないが、 してしまった)

 二人は逃げるが、彼女は身を隠したいという欲求で、分裂する。
 そこで、
 アリスエを足にして、アロエをひいて、(逃げる)

※火事になるのは神社の社務所


     (1983/09/07 記)
 

 
13:15 2018/10/20 (土)

 おとといの夜か、通りで、(深夜で僕はもう寝床にいた) 女の人が、(おばさんだろう) おそろしく興奮して、まくしたてていた。
 通りの向こうの電話で始めはなしていたらしく、あとでは、近くの人に言ってたらしいが、すごい強くて、大きな声だった。
 通りの向こうなのに、半分は意味がわかり、意味のわからない半分も、声が小さいからではなく、早口すぎるからなんだ。
 半ば、感心してた。

     (1983/08/29 記)
 

 
15:08 2018/10/14 (日)

 ひとつことだけやってちゃいけないのよ
 いろんなことやれば、それぞれひきたて合い、味わいがでてくる。
 お酒だってそう。みんなでのむのを知れば、一人でのむ味わいもわかる。

     (1983/08/29 記)
 

 
15:53 2018/10/06 (土)

 目をつぶると、まぶたが音をだすことがある。

     (1983/08/22 記)
 

 
13:47 2018/09/30 (日)

 雨の中でもせみはなくのだ。たくさんなくのだ。

 雨が終わりそうなとき、道がいつもより広くみえる。

     (1983/08/15 記)
 

 
12:55 2018/09/22 (土)

 夢の話  (以下は後半。これより前あるも、忘れた)
 妻がニンシンしたので、ニンシンしたフーセンを持って施設にいく。(妻はどうやら猫か犬らしい) そこは、アメリカだから、そういうのがあるんだ。小学校の校庭のような砂地を歩いて施設へ行く。
 施設は、学校の体育館のようなところ、列が六本ぐらいあり、看板を読んでもどこに並んだらいいのかわからない。
 一番左の二本には、ほとんどいず、そこに看護婦がいる。それは、日本人で、丸顔のそばかすだらけの顔。
「あの、妻がニンシンしたんだけれど、どこにならべばいいのかな」
 ニンシンと言うとき、ほんとに小声になる。セブンイレブンのビニール袋にはいっているフーセンを隠すように話す。
「あ、先輩!」
 相手はそう言って、前にひとかたならぬ世話(恋愛じみた?)になった礼を述べはじめる。僕はまるで知らないし、うわの空。教えてもらって一番長い列に並ぶ。皆、立っている。
 だんだん前に進む。一番前には、アメリカ人のポリスのような人がいて質問し、答えてくれ、次に何をすべきかを教えてくれることになっている。
 先頭までいくと、(そこは、講堂の舞台)台の上にオレンジ色の細長いカードがあるのがみえる。「方言カード」とある。言葉が通じずらいときは、そのカードをみながら、ポリスは話すのだ。あ、かかなくちゃと思い、そのカードをとって、列からはずれ、しゃがむ。うしろの人も「方言カード」をとってはずれ、しゃがむ。
 方言カードには、一コマのマンガが書いてあり、YESNOで答えよ、とある。マンガには、ワイシャツにネクタイの二人の男がかいてあり、右の男は横をむいて電話をかけながら、「イイヨ、イイヨ」と言っているが、顔は泣きそうだ。左の男は、こちらを向いて、両手をあげ、ニコニコしているが「イヤヨ・イヤヨ」と言っている。絵の下の説明文を二度くらいよむが、意味がよみとれない。何を言ってるのかわからない。(完璧に悪文すぎる。日本語だが)
 もう一度よみ直そうとするも頭痛くなってきて、めざめる。

     (1983/08/05 記)
 

 
13:54 2018/09/15 (土)


 双璧   双壁ではないのだ! 

     (1983/08/02 記)


 「椅子からおっこちる」を「埼玉からおっこちる」とよんだ。

     (1983/08/25 記)


 FMでよく邦楽やっている時「ジュータ」と聞こえる発音は、「地歌」のことだったか

     (1983/08/28 記)


 「私も、もう、大人じゃないから、気にしないわよ」

     (1983/09/16 記)


 「おりしも」を「おしりも」とよむ

     (1983/11/23 記)

 

 
9:47 2018/09/08 (土)

 それだけをするより、それ以上をしないことの方が重大であることを忘れないように

     (1983/07/31 記)
 

 
14:40 2018/09/01 (土)

 でも、後日、私という人間を分析するためのノートでは、ないもんね、これ。

     (1983/07/28 記)
 

 
10:19 2018/08/26 (日)

 角川国語辞典444ページは「死に神」から始まっている。
 遊んでるんじゃないのか。

     (1983/06/24 記)
 

 
11:51 2018/08/18 (土)

 本は無限にある
 その無限の意味は、読む必要のないくだらない無限の本と、読むべき無限の本の和だ。

     (1983/05/07 記)
 

 
13:48 2018/08/11 (土)

 俺の最も(昔はこれをサイモ、サイモと読んでいたっけ。僕ばかりじゃなく、鈴木という友だちは「例えば」を「レエバ」「レエバ」と言ったし、ノリミツは最近まで「暴露」を「ボウロ」と言っていた。さっきもラジオの歌手は、「責苦」を「セキク」と言いそうになって、言い直していた。)、そう最も現実的な問題となるべきは、仕事のことだ。

     (1981/11/23 記)
 

 
13:40 2018/08/06 (月)

 全てに問題があるような「すべきこと」は、馬鹿なことなのか、すばらしいことなのか。

     (1981/10/04 記)
 

 
12:39 2018/07/29 (日)

 誰かと話したい。誰とと、考えると、誰とも話したくない。

     (1980/12/14 記)
 

 
12:05 2018/07/21 (土)

 ただ、僕の生命は、あるがままにあるというだけで、何をすべきかの答えなど刻まれていない。

     (1980/10/26 記)
 

 
11:03 2018/07/14 (土)

 頭の内の雪を男が歩く。その足音がサクサクと痛い。

     (1980/06/29 記)
 

 
11:47 2018/07/06 (金)

 W杯。

 一瞬の出来事で、ベスト8の夢、儚くなる。
 実に惜しかった・・ 
 あまりに心残りな敗戦でしょう。

 日本負けて、祭りが終わった、という感じ。
 また四年後か。
 

 
12:49 2018/07/01 (日)

 「それが今とはついぞ思わじ」 人の死が突然であるように、人類の死が突然であってもそれほど変ではないでしょう。

     (1980/02/03 記)
 

 
13:08 2018/06/24 (日)

 日記のような雑記録、のスキャン作業。
 色恋独り相撲、しんどいよねえ。
 伴走するのが。
 四十年近く経ってても・・ 
 

 
13:39 2018/06/17 (日)

 一時間交替と入力しようとしたら、

一時感光体

 なんだこりゃあ、でした。
 微妙、謎物体(^^;)
 プリンタ関係でほんとにある用語かもしれない。
 人のようでもあり。
 

 
15:53 2018/06/10 (日)

 室内の整理整頓が、思いのほか順調で、あと半月ぐらいでネタ切れになりそう。
 ということもあって、整理整頓の延長とも思えたので、過去の私の手書き文書のデジタル画像化に手を出してしまいました。
 日記のような雑記録、メモ類、創作物のようなもの、等々で、ざっと見積もって二十年前後堆積しており、ぼうだいな量があり、どうすればいいの、ポイしていいの、自分で産み落としたためなおさらでしょう、あつかいに困っていた、決めきれずに段ボール数個にしまって放置、忘れ果てていた、よくいえばかつて慈しんだまなむすめ人形群像、すでに経年変化であやかし巣窟のたぐいか、なにやら圧をかもしてる困ったちゃんたちのダークサイド・・・ 

 しかし、デジタル化、始めてみるとこれが、やけに面白くて。
 内容の99%はどうしようもないあるいは抹殺すべしのしろものなんですが、画像として整然と並べていくと、なんだか賜り物みたいにも見えてきて。
 なにしろマジでぼうだいな量なので向こう一二年あるいはもっと、ネタ切れの心配だけはなさそうです。

 全部廃棄と決断しさえすれば、シュレッダーするとしても数日で片がつくんでしょうけど、まあいいや、時間ありそうだし、ほとんど遊びだし(^^; 
 

 
13:01 2018/06/02 (土)

 用事のない休日、窓を開け放して、あわい陽光や、そよぐ風や。
 椅子にすわっている。
 街の音、鳥の声、遠くの工事のようすが聞こえる。
 この落ち着きはなにか。
 と気づいて、あらためて、おどろいている。
 

 
14:23 2018/05/24 (木)

 一念発起したわけではないんだけど、
 とりあえずなんとなくやり始めてみただけなんだけど、
 これまで、めんどくさがって半ばあきらめて、あまりに長い間放置状態だったので、
 それが私の自然、私の色合いそのものってぐらいに、身も心もとことんなじんでいたはずなのに、
 なぜか、不思議なぐらい、日増しに楽しくなって毎日継続してる、もう、二十日間ぐらい。
 室内の、掃除、整理、廃棄などのおこない。

 三十年来の汚れを清浄化したりすると、快感だよね。
 見違えるようになった辺りを満足げに眺めたり、
 しばしほんわかしたり、
 ほんとに輝いているように見えたり、
 絶妙の配置はこれか、といろいろ試してみたり、
 朝イチから意味のある一日を創造できたような気までしたり、
 パソコンで、ゲーム感覚で、実行の覚書のマス目を埋めていったり、
 こんな身近なことで、こんな愉悦を味わえるとは、
 と、意外さに自分におどろいています。
 

 
13:53 2018/05/17 (木)

 どうやら私は、
 美味しいものを食べたいという欲求よりも、
 不味いものを食べたくないという意識のほうが強そう。
 

 
12:54 2018/05/09 (水)

 毎日を楽しく生きてると、きっといいことがあるよね。

 仮にないとしても、毎日が楽しいんだからそれだけで儲け。
 

 
9:16 2018/05/03 (木)

 駅のホームにある自動販売機のアイスが美味しいね。
 

 
12:29 2018/04/28 (土)

 四月からの新しい職場、そこそこ過ごしやすいか。
 小問題は探せばいくらでもありそうだけど、
 暗い気持ちにならずに出勤できるだけでも上々ですな。
 

 
13:07 2018/04/22 (日)

 『地獄でなぜ悪い』 園子温監督。
 GyaOで配信していたので、ついに観た。
 混沌、エネルギー、すごいね。
 題名が秀逸。
 

 
12:24 2018/04/14 (土)

 別館サイト『絵物語 waka』のほうで、
 「足の向くまま(仮題)」という新企画を始めたいんだけど、
 これ、要は、
 日本中を旅してその事実の記録をたんたんと重ねる(だけ)、というもの。
 それで、その先で、
 未踏の県をつぶして全国制覇、というのがとりあえずの、目標。

 でも、つまりこれは、
 金と時間がないと実現できないのではなかろうか、と・・ 
 どちらも無いから、夢想計画のままではなかろうか、と・・ 
 

 
18:00 2018/04/07 (土)

 久しぶり秋葉原を見て回ったけど、
 トレーディングカードやフィギュアばかりが増殖して、
 いまいち、というかだいぶ、
 私の趣味からは外れてきてるね。

 もしかしたら十年ぶりぐらいかな。
 建物も無くなったり建ったりが激しくて、
 土地勘取り戻すのにしばらくかかった・・ 

 それに外人さんの多いこと。
 商品やグッズへの理解度高くなさそうだから、
 オタク、という人種とか雰囲気を見物に来てるのかも。
 

 
7:55 2018/04/01 (日)

 嘘をつかなくなったのか、
 心が痛まないので、嘘をついた気がしなくなったのか。
 

 
14:04 2018/03/24 (土)

 毎朝、眼がややかゆい。
 私もとうとう花粉症? 
 まだ、その気ぐらいと思うけど・・ 
 

 
13:04 2018/03/17 (土)

 小ぶりのノートを文具店に買いに行くも、
 以前はそれがあったお店なのに、品切れ状態。
 特殊なタイプなのであまり売れない、仕入れない、のかもしれず。

 他の文具店を探し歩くのも面倒と思っていたけど、そこはご時世。
 Amazonで探したら簡単にヒット。

>コクヨ キャンパスノート B7 B罫6mm 36枚×5冊

 ということで近日入荷予定。

 便利だなあ・・ 
 こういうの、人によっては味気ないとかいうんだろうけど、
 私はこの、合理、機能性、因果直結、損得明快、
 (座ったままなんでも買える。 ^^;)、
 おおいに歓迎、賛成ですぞ。
 

 
13:42 2018/03/10 (土)

 金と時間があればまずしたいのは、旅、と思っていたけど、
 さらにその前があった。
 とにもかくにも、室内整理を、徹底して気が済むまで、やっておきたいか。

 いつかどうにかしようということでモノやら汚れやら未整理やらを、
 長年、というか、文字通り何十年、降り積もらせてきて、
 放置したままだらけ、だもんなあ・・ 

 見た目はそれほど乱雑ではないと思うが、
 これらあれらを熟知している目から見ると、実体は相当にひどい、
 気がする。

 うーん、まあ、
 同じ人間の領分だから当然なんだろうけど、
 パソコンの中も似たようなもので、
 ほったらかしや複雑怪奇になってるエリア、多々あるけど、
 すべてデジタルデータで、小さなマシンの中に収まってるだけましだよね、
 こちらは、まだしも。

 旅にでるのは、すっきりしてからでしょう、やはり(笑)
 

 
8:02 2018/03/02 (金)

 奢るな。それは夢想でしかない。
 嘆くな。夢想から全ては生じた。


   (拙作『河図洛書』より。我ながら名言かと(^^;) 
 

 
11:37 2018/02/23 (金)

 行きたいところ。

 空のだだっぴろいところで、
 寝ころがって、
 ぼーっとしたい。
 

 
11:40 2018/02/18 (日)

 昨年、プロ入り後負けなし二十九連勝、奇跡の新記録。
 月初、九連勝でC2突破を決め五段になったばかりで、
 昨日、朝日杯優勝、たてつづけの昇段。
 藤井聡太新六段。

 楽しみだねえ・・ 
 まだ十五歳・・ 
 ため息が出るぐらい、気持ちいい。
 

 
13:42 2018/02/09 (金)

 異動か。
 いつものとおり、「運命には逆らわない」方針で行きますか。
 

 
12:18 2018/02/04 (日)

 女子はいくつになっても、
 幼女でも年頃でも母親になってもおばあちゃんになってもひいばあちゃんになろうと、
 縁談とか結婚話が好きだのう。ほんと。

 男はね、ほぼ興味なし、どちらでもいい他人事という把握でしょう。
 スケベ話はきらいじゃないけど、
 女子たちの、眼が光るような関心とは「まと」がずれてるわな。
 

 
13:03 2018/01/26 (金)

 雪の日、二十二日深夜。
 駅出て、足下の踏まれて凍った雪で踊るよう二度三度とバランスを崩し、
 これは転ぶ、必ず転ぶと半ばあきらめていたら、
 橋渡ったところの横断歩道前で、まさにそのとおり、どさっと転倒。
 積もった雪に肘を打ちつけたかたちの受け身になって、大事なしだったけど。
 

 
13:56 2018/01/21 (日)

 クロスワードパズル。
 解くのもそうだろうけど、
 作るほうがもっと面白いかも。
 困るぐらい、時間がすぐ経ってしまう。
 

 
13:25 2018/01/14 (日)

 あまり認めたくないところだが、
 頭の反応速度とか記憶の精度とか、落ちてきてるか。

 自分ではなにも劣化はない感じなんだけど、
 若い人と比べると、ときにはっきりしてしまう。

 まあ、しょうがないよね。
 なるべく、のんびり穏やかに生きていこうね(笑)
 

 
15:24 2018/01/06 (土)

 まいにち日記を書いています。
 で、
 「ごはん」と入力すると、
 「ご飯にあつあつみそ汁ぶっかけ、ゆで玉子あり。納豆。」
 と変換できるよう、ATOKに登録しています(^^; 

(本末転倒かもしれないですが、
 日記を書くときの面倒が少ないように、そのために、
 同じメニューの料理を作ったり、
 どちらか選べるならいつもと違うことは避けたり、
 自分でも説明しづらい感情は見て見ぬふりに流れたり、
 という面がありそう、たぶんある、私)
 

 
10:37 2018/01/01 (月)

 ☆ 謹賀新年 ☆
 

 
11:12 2017/12/30 (土)

 今年もなんとかしのげたか。

 穏やかで、
 少しでも佳いことのほうが多い一年が、
 また来ますように。
 

 
13:11 2017/12/23 (土)

 私が創刊から愛読しているとあるマンガ誌の編集者の一人を、近頃、私の甥っ子がやっているということが判明、この前の法事で。
 私が楽しんでいたとある連載作品(近日TVドラマ化決定)のいわゆる担当編集者で、今、大忙しであるらしい。
 世間は狭いね。
(というか、私が愛読しているマンガ誌は四誌前後あり、つまり私が楽しんでいる連載作品は常時五十作以上あるだろうし、私の甥姪も九人おり、偶然の確率が低すぎるってほどでもないかもしれないけど)
 

 
13:08 2017/12/16 (土)

 省みれば、
 今受けている迷惑や災難も、
 大過去において私が他に与えた痛みの報いを受けている、
 という因果もないことはない気がして。
 

 
13:54 2017/12/10 (日)

 来年、2018年はW杯。
 2019年は改元。
 2020年はオリンピック。

 あわただしいよね、しばらく。

 ちなみに改元だけど、
 私はファイル名(やフォルダ名)冒頭に年月日を入れていて、これに元号を使っています。
 PC使い始め頃からの習慣で、たとえ乱造しても作成順に並んでくれて整理整頓にとても便利。
291209konokoto.txt
291210sonokoto.txt
 という感じで。
 改元されると、
010501donokoto.txt
310430anokoto.txt
 ということになって、順番が崩れる・・ 
 今さら西暦年号使いたくないし。

(前回の改元(昭和64年:平成元年:1989年)は経験しているけど、私がPCに関わったのはWin95辺りから。PCの前段階、ワープロを買ったのもやっと平成3年だし。つまり、ファイルとかをいじるようになった初めからずっと平成でした)

 まあ、細かいこだわり、すっきり感レベルのことなので、支障が甚大ということはないけれど、
 どうしようかな・・ 
(まあ、どうもせずにそのまま、新元号のファイル群が先に並ぶのを容認するだけかな。新旧が混在する場面ではもう)

 W杯やオリンビックはお祭りなので、始まるまでは心ざわつくこともあるだろうけど、
 始まってしまえばあっという間でしょう。
 

 
11:13 2017/12/04 (月)

 休日の午後お菓子を食べ読んだり見たりで遊んでいるうち夕方になると、
 とても眠くなって寝てしまい、深夜に目覚める。
 というのが習慣化してます。
 とうとう、夕寝して目覚めたら朝方、ということも。
 

 
12:25 2017/11/24 (金)

 Windows 10 の大きめのアップデート(機能更新プログラムと呼ぶらしく、年に二回ぐらい。最近も Fall Creators Update というのがあり)があると、ATOKや一太郎が変調をきたすような気がする。因果関係のない偶然なのかどうか。
 ATOK、一太郎ともそれぞれ一回、直らなくて、アンインスト再インストで復活させました。

(昨日のような今日が続けばいいというのが私の基本姿勢なので、欠陥補正はしょうがないとしても、向上のためとのたまうアップデートならほぼ要らないよね。上のように不具合が生じると、なに余計なことを、という感じが常々します・・)
 

 
10:42 2017/11/17 (金)

 寒いのう。
 風邪がぐずって、もう二週間ぐらい。
 

 
10:15 2017/11/11 (土)

 年賀葉書も買ったし、
 そろそろ年末進行ですか。
 

 
13:15 2017/11/04 (土)

12F  社長自宅 多目的会場(大広間)
11F  妻達の自室 イチコ ニコ サンコ とそれぞれの子どもたち
10F  妻達の自室 ヨンコ ゴコ ロッコ とそれぞれの子どもたち
09F  社員寮 6室〜10室
08F  社員寮 6室〜10室
07F  社員食堂 営業日の朝昼晩稼働
06F  会議室 保育室 倉庫
05F  社長室 役員室 会議室
04F  総務 経理 人事
03F  営業内務 支店統括業務も
02F  療治室201〜206
01F  ラウンジ 受付 療治室101〜103

 というようなビルを建てるという妄想を楽しんでます(^^;

 おろかだねえ〜 とは思うけど、妄想するのは自由だもんね! 

 ちなみに、営業内容は健康長寿。(不死身ではないが療治を継続すれば、還若、超長寿、不死も可能。通常疾病癌程度は基本料金で即効治癒。オプションで欠損器官等の再生各種有マス)
 療治師は精霊妻達六名。
 毎年一人生誕(妻一人あたり六年で一人ずつ出産)の子どもたちも療治師となっていずれ全国制覇、というのが当面の目標!! 
 

 
14:19 2017/10/26 (木)

 午前二時十五分から四時まで。
 ○○○○。
 上々。

 午前十時三十五分から午後一時四十分まで。
 ●●●●○●●●。
 夜とは打って変わって病的に負け続ける。
 なぜなんだ・・? 

 将棋の勝ち負けは怖いというより謎だよね。
 私も相手関係も大差ないはずなのに、たぶん心の持ちよう、ちょっとしたコンディションだけのことのような気がする。
 リズムというか、調べが違う、というか。
 または、強気、弱気、自信、油断、大胆、粗雑、みたいな辺りが。
 

 
13:08 2017/10/20 (金)

 ほぼスマホ、ケータイ。
 電車で新聞読んでるの私ぐらい。

 そろそろ携帯端末に慣れておかないとやばいか。
 でも、ほとんど必要ないんだよなあ・・ 

 世捨て人は大げさにしても、世の中を歩くのがしだいに不便になりそう。

(紙媒体の新聞やマンガ誌が入手しづらくなる、なんてことになったらさすがに乗らざるをえないんだけど)
 

 
16:00 2017/10/14 (土)

 五十音のどれか一字に「る」をつけるとみんな動詞になる、
 ・・ということなので、いちおうやってみたら、
 面白いぐらいそのとおりなんだけど、
ひる
まる
むる
める
 この辺りは例外だった模様。

 残り少ない空席ってことで、近い将来か、遠い未来に、
 こいつら、なにかの動詞になるかもね。
 

 
13:01 2017/10/06 (金)

 少し冷えてきた。
 十月だし、今年も終盤か。
 

 
8:22 2017/09/30 (土)

 たっぷり一年ぐらい時間を作って、のんびり整理整頓がしたいな。

「起きて半畳寝て一畳。
 理想だけど、無理だよねえ」
 ・・と、昔は思っていたけど、パソコンが当たり前になってくると、
 データ的なものはやろうと思えば全てパソコンに収納できるわけだから、
 あながち無理でも無くなってきてる。
 

 
11:04 2017/09/23 (土)

 健診に行ってきた。
 そのあと、聴力検査のあの小さすぎる音がいやだ、と人に言ったら、
 音が大きかったら検査にならないでしょ、と笑われた。
 

 
8:31 2017/09/14 (木)

 にしても、腰、そろそろ軽くなって欲しいんだが。
 パソコンいじったり食事したりであぐらかいていたあと立ち上がろうとすると、相当しんどいよ、腰が。
 腿に手をつくようにしてやっと立ち上がって、その後しばらく歩いているうちに、凝りはほぐれていくにはいくが。

(パソコンいじりのためあぐらかいている姿勢=今まさにそれ、これを続けている最中は全く痛みなどはなく気にならず。立ち上がるとき腰が重いことがわかる、思い出す、という感じ)
 

 
9:53 2017/09/08 (金)

 この夏アニメでとくに楽しんでいるのは、
『ゲーマーズ!』
『アホガール』

 明るくて、元気! 
 王道だよね〜 

 気になるのは、
『恋と嘘』
 かな。
 

 
10:40 2017/09/01 (金)

 仕事帰り、昨日深夜帰路、
 駅でも電車でも、サッカーの結果情報が私の耳、目に全く入らず。
 皆さん、意気消沈しているためだろうと思った。
 が、帰宅後ネット見たら、豪州戦に2−0、
 勝利してW杯切符を獲得していた! 
 うれしいぞ。
 

 
10:25 2017/08/24 (木)

馬鹿の引く鼻水垂らす夏風邪か
 

 
8:25 2017/08/17 (木)

 真夏のはずなのに、最近雨模様で暑くないな。

 夏仕様で眠ったら、まじ風邪引きかけてる。
 

 
10:41 2017/08/12 (土)

 一年かけて、丹念に狩ってきたから、
 今年の夏はG族の跋扈をほとんど許してないっす。
 たまに見かける奴も怯えて逃げ惑う。
 近い将来、殲滅。

 G:とある虫の頭文字
 

 
9:58 2017/08/05 (土)

すくなくもひとつきほしいなつやすみ
 

 
12:01 2017/07/30 (日)

 人が百年生きるとして、
 十世代で引き継げば、千年。

 歴史というのが意外と長くない、
 測りがたいほどでもないんじゃないの、
 という気がしてきた。
 

 
12:26 2017/07/22 (土)

 底の栓が抜けて水がダダ漏れしているときは、
 水を足すよりも、
 栓をはめるほうが正当で根本的な対処だよね。

 わかっているけれど、
 眼前の窮状をとにもかくにもしのぐために、
 ダダ漏れするだけの水を足さざるを得ないときもあったりする・・ 
 

 
10:57 2017/07/15 (土)

 では、無心で。
 長い道のりをまた進む。
 

 
12:15 2017/07/08 (土)

 誤変換ということなら、

「今日は洗濯の日」

「今日は選択の日」

 洗濯機が震えるのか、決心で震えるのか。
 

 
13:16 2017/07/02 (日)

 将棋サイトが、定期保守のためサーバ停止。
 指せず。

 で、その終了予定時間をじゅうぶん過ぎた頃合い、
 将棋指したくなる。
 私の覚書に、
「ほしゅもすんでるでしょう」
 と書き込んだら、
「捕手も住んでるでしょう」
 と変換された。
 

 
12:29 2017/06/25 (日)

 ありあまる財貨を得たとしても、
 君がいなければ意味がないだろう。

 永い命を生きられたとしても、
 君がいなければ味気ないと思う。

 パソコンさん。
 

 
11:13 2017/06/17 (土)

 なんかね、左下の奥歯のあたりがいたい。
 これが困るんだよね。
 痛さじゃなくて、抜ける前兆だからなんだが、
 さらに困る意味がある。

 右側、上下に二本ずつ奥歯あったわけだけど、
 上は奧の一本が抜け、下は奧から二番目が抜けた。
 結果、右側では、奥歯上下が対応してしっかりするつぶせなくなった。

 左側、上は健全なんだけど、下は奧が一本抜けた。
 結果、私の奥歯上下が噛み合ってるのは、左側の奥から二番目の一組だけとなった。

 その、左下の奥歯の残り一本のあたりがいたい。
 これが抜けたらどうしたらいいの。
 奥歯ですりつぶせるところがなくなったらやばいでしょう、やはり・・ 

 やはりなあ、年取るとそれなりのとほほがあるなあ(^^;; 
 

 
16:19 2017/06/10 (土)

 最近見たアニメの中では、
 『シドニアの騎士』
 と、その第二期の『シドニアの騎士 第九惑星戦役』
 よかった。
 再配信なんだけど。

 去年ぐらいまで遡ると、
 『未来日記』
 『DEATH NOTE』
 『Re:ゼロから始める異世界生活』
 などが、かなり「はまった」といえるかも。

 「良さ」にも色々あるけど、
 なんというか、次を待ちわびる、
 謎や不審や行く末が気になる、
 見届けずにはおけない、
 というような愛着、執着が、
 これらは、せつなくなるぐらい濃くなったか。
 

 
14:04 2017/06/03 (土)

 旅行行きたいな。

 プラン01。
 空のだだっぴろいところ巡り。
 (そこでぽーっとするだけでよし)

 プラン02。
 全県制覇。
 (外国はたいして行きたくない)
 

 
13:21 2017/05/28 (日)

 将棋。
 勝ち星先行のときは、あっさり、余裕で離れることができる。
 が、下降気味のときは、取り戻そうとしてさらに負けを重ねる、
 という悪循環に陥りやすい、私は。

 無心で指して、実力相応の星ならよし、という心が正しいはずと
 頭ではわかっているんだけど、
 叩かれて、熱くなると、停まらない。
 

 
13:40 2017/05/21 (日)

 暑いような寒いような。
 どっちつかずがようやく暑いに? 

 将棋も、昨日は不思議に連勝してたのが今日はだらしなく連敗してたり。
 

 
14:33 2017/05/13 (土)

 小さなヤケドをして、水ぶくれになって、皮がむけて。
 のような傷の治りが、だいぶ遅くなってきたなあ。
 

 
10:58 2017/05/06 (土)

 よく遊んでよく食べてよく寝よう。
 

 
10:26 2017/04/29 (土)

 なんで来ないんだろうなあ

 可能性としてさあ
 ないわけじゃないんだけどねえ

 なあんで
 来ないんだろうなあ


(たからくじがあたらないので独り言)
 

 
12:30 2017/04/22 (土)

 お話を書いて、
 楽しんでもらって、
 お金をもらおう! 

(ひとつの理想ですな)

 アニメと宝くじがあれば、
 なんでもできる!? 

(そういういやしがあれば、
 面倒ごとも、
 つらめの仕事も、
 しのげるかも)
 

 
11:13 2017/04/15 (土)

 お金も仕事も、後のことも、
 どうでもいいから、
 しばらくお話づくりをして過ごす。
 というのもありだろう。
 という気がふとする。
 

 
12:22 2017/04/08 (土)

 寒い寒いと思っていたのに、
 いつのまにか桜か。
 

 
13:19 2017/04/01 (土)

 妄想「六人妻」というのを最近かかえています。
 話せば(もちろん)長くなりますが、想像におまかせします(爆)
 

 
2:36 2017/03/25 (土)

 先日、アップ後のチェックしてたら、
 当ページの最下段で、

>HP掲上 平成9年11月23日(日)〜

 という記述を発見! 
 うーむ。
 このHPを立ち上げてから、はや二十年ですか。
 二十年と言えば一世代分だよね。
 そのとき生まれた赤ちゃんがもう色香匂う娘に育ちあがっているだろう年月・・ 
 遠くまで来ているはずなんだが、全然進んでないような(爆)
 

 
1:27 2017/03/20 (月)

 昨年のいつか、今年の一月頃の北海道旅行を申し込んでいたのを、思い出す。いやあれは夢だったのではと思い、このことを記したはずのノートのページを探したら、ほんとに予約していたことを発見。
 とっくに過ぎてしまったが、どうして電話がなかったのか、など思う。
 という夢を見ました。
 上のノートというのは、現実には存在せず。
 旅行の予約というのも、現実にはしてないが、過去の夢の中でしたのは確からしい記憶がある。
 へんなの(笑)
 

 
12:43 2017/03/11 (土)

 昨日午後、近所に買物に行く途中。
 閉店した蕎麦屋の店先に「ご自由にお持ちください」という貼紙つきで、食器類が並んでました。
 味があるので、三個もらいました。
 帰宅後よく見たら、うち一個、中ぐらいの皿と思ったのは、丼の蓋でした。

 で、本日朝、気になって、この蓋の片割れとなるべき丼本体が欲しくてその店先へ。
 しかしすでにあらかたはけてしまったあとで、片割れはなし。
 しょうがないので代わりに、また三個ほどもらってきました。
 

 
11:13 2017/03/04 (土)

 とはいえ、
 からだのどこも痛くない。
 借金もない。
 仕事仲間の期待にも応えている、はず。
 拝金的とはいえ夢もある(笑)
 二次元のたのしい趣味で明朗になれる(爆)

 そこそこだよね。
 

 
11:50 2017/02/25 (土)

 本日は休日であるけれど、
 現実界に懸念することがあって、
 いくつか考えていたら、どうも心が冷えて、やる気も沈んで、さわやかに起床という感じでもなくてぐだぐだ布団の中にいたな、しばらく、今朝は。
 

 
10:54 2017/02/18 (土)

 昨日朝、起きたら、のど風邪状態。
 寝る前はなんでもなかったのに、困るよね。
 寝てる間に風邪引いちゃうんじゃ、対策立てようがないよね。
 

 
11:33 2017/02/11 (土)

 この冬アニメ(私はほぼGyaOの無料配信で視聴)、たくさんありすぎて、良作多く削りたくもなくて、ほんと時間足りないぐらい。将棋指してるヒマもなし。
(今、ざっと数えたら、週32作品。一作で数本更新もあるから、本数なら40?)
 

 
12:23 2017/02/04 (土)

 寒いよね。

 ま、なんとか、今年もこぎだしてるけど、
 やや大きな変化があるような、不安というか兆しというか。
 

 
14:43 2017/01/28 (土)

 精神的に腐ったときから、
 堕ちていくのだ。

 よって、溌剌とし新鮮であれば、堕ちることは無し。

 失おうとも敗れようとも。
 

 
11:04 2017/01/21 (土)

 降ってきて傘に細かく当たっている音は聞こえるんだけど、手を出しても降っているものが当たらない、触れられない。
 変な経験でした。あられのようなものかと思うんだけど、粒が小さすぎるのか。
 

 
11:18 2017/01/13 (金)


   本来空虚


 創作意欲がわかないとかスランプとか、
 原因を自分の内側に求めても不毛だよ。
 僕でも君でも、内側って、本来空虚だろうし。

 作品は、自分だけのためにつくれるものじゃないんだ。
 誰かが読んでくれる、見てくれる、楽しんでくれる、
 だから、意欲が湧く、熱量をもつ、沸き上がる。

 あいつを、あの人達を、笑わせたい、泣かせたい。
 びっくりさせたい。
 みんなの心をゆすりたい。
 ひとりの誰かに、うなずいて、ほほえんでもらいたい。
 そういうのが見えるから、てざわりがするから、僕らの内側も輝くんだろう、
 ちがうか。

 空虚っていうのは、本来、喜びを満たすための器官かもな。

 

 
20:01 2017/01/06 (金)

 奇跡だ。
 16マスがつくれた(^^)/

 ┏━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
 ┃1  ┃2  ┃3  ┃4  ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
 ┣━━━╋━━━╋━━━╋━━━┫
 ┃5  ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
 ┣━━━╋━━━╋━━━╋━━━┫
 ┃6  ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
 ┣━━━╋━━━╋━━━╋━━━┫
 ┃7  ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
 ┗━━━┻━━━┻━━━┻━━━┛

縦のカギ
 1: ○○○○な夜にしようよ。
 2: かつら。
 3: 納期がせまって○○○○工事。
 4: いやだよう。あそびに○○○○〜 

横のカギ
 1: こうごうしいものをみたとき感じます。
 5: すばやく。
 6: 本館の隣りにあったりします。
 7: はっとして、女は口を○○○○。
 

 
4:24 2017/01/01 (日)

 新春ポエム 〜 H29 〜 (^o^)
 

 
10:04 2016/12/24 (土)

 ┏━━━┳━━━┳━━━┓
 ┃1  ┃2  ┃3  ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┣━━━╋━━━╋━━━┫
 ┃4  ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┣━━━╋━━━╋━━━┫
 ┃5  ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┗━━━┻━━━┻━━━┛

縦のカギ
 1: 厳しい○○○制度。
 2: 男をあやつる人たち。
 3: 薩長土肥の志士たちが。

横のカギ
 1: 宝くじとか、外れたときのつぶやき。
 4: 人の半面。
 5: 南半球って、赤道○○○てことでしょ。
 

 
20:05 2016/12/16 (金)

 ┏━━━┳━━━┳━━━┓
 ┃1  ┃2  ┃3  ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┣━━━╋━━━╋━━━┫
 ┃4  ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┣━━━╋━━━╋━━━┫
 ┃5  ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┃   ┃   ┃   ┃
 ┗━━━┻━━━┻━━━┛

縦のカギ
 1: ○○○色の夕暮れ。
 2: 操り人形。
 3: 人間やめますか。

横のカギ
 1: 人の半面。
 4: 竹から月へ。○○○姫。
 5: 赤ちゃんが○○○。
 

 
13:20 2016/12/10 (土)

 別サイトにある、
 絵物語 waka 
 のほうで、月イチ、過去一作品掲上の更新をしています。
 成立年月日、最終稿、などの確認のため、調査をするんですが、自作なんですけど、ときに探索の域にまでなったりします。
 それがわりと面白くて、充実しています。

(なお、絵物語といいながらイラストのほうがまるで追いつかないので、募集中です。
 具象抽象写実幻想なんでもあり、
 うまいへたではなく、物語との相性がありそうなら、OKです。 ^^)
 

 
14:09 2016/12/03 (土)

 十二月だ。
 どちらかといえば私生活のほうが、年末進行忙しそう。
 

 
13:16 2016/11/26 (土)

 この前、ロト7で、4等賞に当たったっす。
 7数字のうち5個が一致。
 (この回の4等は5,587口。そのうちの一つで、回収16,200円)

 そろそろ重大事件的なのが来そうな気がするんだけどね〜 
 

 
12:09 2016/11/19 (土)

 トラブル、異常、アクシデント、そういうのがないことを祈るぞ。
 逆に、僥倖とか望外とか的中とか、やってくることを望むぞ。
 

 
13:23 2016/11/11 (金)

 困ったちゃんが大統領か。
 アメリカも頼りないところあるの。

 英国のEU離脱もそうだけど、民意はときに偏った選択をするな。
 従来の意識だから偏りと感じるのかもしれないけど、これら一連の流れは。

 英米が内向きになると、世界の雲行きがおかしくなるというのが、いちおう、歴史の教えだったような。
 

 
12:24 2016/11/05 (土)

 寒くて我慢きかず、三日に炬燵設営。
 十一月頭というのはいつになく早いかも。
 

 
14:22 2016/10/29 (土)

「これつまんないよな、うん、つまんない」
 ひどいよねえ、俺ねえ。
 マンガ家さんの努力をつまんないの一言で片付けてしまう。

 どうもこの頃、レベルに達しない連載がちらほら? 
 私の長年愛読の、小学館ビッグコミック系三誌。
 

 
12:57 2016/10/22 (土)

 『3月のライオン』
 私の好きな二つ、将棋でアニメ。
 見なければならんが、TVなのでその時間にTVの前にいなければならん。
 これが意外と大変なんだよね、ネット配信に慣れた身では。
 

 
15:27 2016/10/14 (金)

前向きにみなで楽しく殺し合い

 (ネット将棋の理想はこういう感じかな)
 (現実は次のようでもあるか)

依存症きょうも果てない殺し合い
 

 
12:31 2016/10/08 (土)

 冷蔵庫の霜取りがちゃんと機能しないので、
 電源を抜いて、氷塊を除去。

 取説、保証書など見たら、1984年購入。
 まあ、冷却はしっかりしてるし、このぐらいは許そうか。
 

 
9:23 2016/09/30 (金)

 自動車、車両の側面に書かれている社名について。
 たとえば、「株式会社和香企画」。「←」を進行方向として。

1) 車両左側面の場合。

← 株式会社和香企画

 こちら側は問題ないよね、ほぼ全ての場合。

2) 車両右側面の場合。

株式会社和香企画 →

画企香和社会式株 →

 という風に、二種類の書かれ方があって、それぞれ実際に道路を走っている気がする。
 「画企香和社会式株」この右から読ませる書き方、違和感モロだけど、これはどうやら、進行方向逆の車両がすれ違うとき相手から見た場合、または右側面方面にいる歩行者から見た場合、最初の文字から目に入るように、という配慮なんだろうね、たぶん。
 しかし、さ、たとえば電話番号が「123-4567」として、

株式会社和香企画 123-4567 →

7654-321 画企香和社会式株 →

 この後者、正しい電話番号が伝わるかい? 
 数字は無理だろうと誰かが考えて、

123-4567 画企香和社会式株 →

 こういうもどかしいような気持ち悪いような文字列をまとって走っている車、あってほしくないけど、実際にありそうな・・ 

 そもそもさ、外国で、アルファベットだったりした場合も、こういうことあるんだろうか。

the WakaKikaku Company →

ynapmoC ukakiKakaW eht →

 または、

Company WakaKikaku the →

 ・・・

 謎だ。気になる・・ (^^;)
 

 
11:22 2016/09/24 (土)


   幸福

 いろいろ順調なのだが、
 波風もなく。
 将来の保証もなく。

 たのしく暮らしているが、
 どこかうすら寒く。

 だとしてもまあ、
 しあわせなほうなんだろうなあ。

 完璧は、築くとしたら、
 夢想の世界で。

 

 
12:41 2016/09/17 (土)

 睡眠も食事も足りてる。
 遊べてる。
 パソコンも順調。
 あとは宝くじが当たってくれれば・・ 
 

 
13:17 2016/09/10 (土)

 このごろ。
 稼働してないときの炊飯器の内外に、細かいごきぶり幼生がたかるので、台所電気点けてそいつらが驚いてぱあーと散らばるところにおおいかぶさって、手先指先で払ったりはじいたりして、隅に置いてあるごきぶりホイホイのほうへ吹っ飛ばすのが、習慣化している。
 実用的には、吹っ飛ばさずにスリッパなどでばんばん叩いて圧殺してしまうほうが効率いいんだろうけど、なんだか、罠のほうに誘い込んだり放り込んだりしたい欲求がまさるのだ。
 とはいえ、精確なヒッティングは至難なので、十はじいてホイホイにはめられるのは一ぐらいか。
 ちなみに、一ミリからせいぜい五ミリぐらいの幼生程度ばかりで、中学生以上や大人ぐらいのごきぶりにはほぼお目にかからなくなったな。
 そういうのは知恵がついてどこかにしっかり身を隠して表に出てこない、ってことではないなら、ホイホイ効果でだいぶ排除した成果ってことになるが。(幼生は小さすぎて、ホイホイの縁を乗り越えられない、罠にはまってくれない、模様)
 少なくとも、大人になるまで生き残れないなら、子孫は残せないはず。
 前世代が生き残ったので今は幼生と付き合っているとしても、こいつらが子供産めないで絶えてくれるなら、将来、勝利は我がほうにおとずれる。
 

 
11:39 2016/09/03 (土)

 オリンピック終わって二週間ぐらいだと思うけど、もうまったく世間は醒めてるね。
 前にぎわいが長かったわりには。
 オリンピックの後半、たいして日本の活躍もなかったというのもあるか。
 そろそろ秋口。
 

 
13:11 2016/08/27 (土)

 失せもの出る。
 三十分後ぐらいにいつもとちがうポケットに押し込んでいたことが判明しただけだが。
 実損三百円ぐらいの落とし物ながらとても個人的な実用品の組み合わせでリズム狂わせると動揺していた。
 嬉しい。
 

 
13:10 2016/08/20 (土)

風すずし降ったばかりのあめあがり
 

 
13:11 2016/08/13 (土)

 いろいろと迷惑なので、ごきぶりホイホイを買ってきてとりあえず二軒設置。
 そしたら、最初の二十四時間で、どちらも満員状態。
 おお、大漁だぜ・・ 
 

 
12:43 2016/08/06 (土)

 この前『氷菓』というアニメ見ていて、
 高校の文化祭になったんだが、
 だいぶ相似しているところあって、私の高校三年の文化祭、文芸誌販売やらのこと、
 恥ずかしく思いだしてしまったよ。
 (さかのぼること四十年? ぐあ。 ゆめまぼろし・・ )
 

 
11:26 2016/07/30 (土)

CM上の演出です。許可を得た私有地内における、プロドライバーによる運転ですので、決して真似をしないで下さい。

 自動車宣伝動画の隅に短時間表示される文言。
 簡にして要、金と知力を注いでいる感じ、
 真似をしたくなるものをなぜ見せるとつっこみたくなるところも悪くない! 
 

 
12:58 2016/07/24 (日)

 夏にしてはやや涼しい七月下旬か。
 

 
14:29 2016/07/16 (土)


   日曜の夜

 もう終わっちゃうの
 さびしいね
 でもしょうがない
 それが人の世というものさ

 

 
14:07 2016/07/09 (土)

 洗濯物片付けは、手を動かし目も使うので、パソコン並行は不向き。
 TVを横目で見つつ聴く辺りが、ながらとしては適当。
 なんだけど、というか、長時間TVを点けてるなんて、洗濯物片付け中ぐらいしかなくなっていないか、私。
 

 
14:23 2016/07/02 (土)

 朝の調理の際、熱湯が跳ねてシャツのお腹に被弾。
 たいしたことないと思ってたら、丸一日経って、
 なんか痛いと思って、シャツめくったら、
 一センチ四方ぐらい皮がぺろんとむけてた。
 熱湯、飛沫でもあなどれず。
 

 
12:56 2016/06/25 (土)

 五月晴れ地下道歩き御徒町 

 字余りだが、

 五月晴れ地下道歩いて御徒町 

 のほうがベターだな。
 明るくかるみがあるよね。

 なんとなく、
 地上には江戸時代があるように幻視できそう。
 

 
12:55 2016/06/18 (土)

 どんな妄想を楽しんでいるかだけど、
 あまりにエロかったり、
 社会常識に沿わなかったり、
 独善的で共感を得られそうになかったりで、
 ナマのまま外に出すのははばかられる(笑)

 いくらかでも手を加えて、
 隠すところかくして、
 場合によっては煮たり焼いたりして味付けもして、
 ということになって、
 こうして、お話とか物語というものが生まれるのでしょうね。
 

 
10:51 2016/06/11 (土)

 妄想は楽しい。

 楽しくない妄想のことを不安とか恐怖というんでしょうね。

 そもそも、愛も憎しみも、儀式もお洒落も、政治も経済も、
 みんな妄想だよね。

 あまりに妄想ばかりなので、一部を「リアル」とか「真実」とか呼んで区別してはっきりさせようとしているだけのような。

 よって、直観だけど、
 楽しく妄想しているのは健全です、この上なく。
 

 
11:20 2016/06/04 (土)

 小2男児北海道山中、六日ぶり生還。
 運もあったようだけど、男の子、かくあるべし。
 

 
12:14 2016/05/28 (土)

 将棋好調で、ひさしぶり初段復帰。
 お馬も二年ぶりぐらいにやってみます。
 

 
12:40 2016/05/21 (土)

 とくに嬉しいこととか困ったこととか、
 ここで報告するようなことがなにもないんだよねえ。
 先週のような今週を生き、今週のような来週で行けそう。
 休日は、毎回、アニメと将棋で充実してるし。

 カラダに痛いところはないし、パソコンは買い替えたばかりで快調だし。
 要するに、こういうなんでもない日々を続けられてるんだから、
 しあわせ、恵まれてるってことかなあ。
 少なくともわたし的には、現実生活域(リアルレベル)としては、理想に近い。
 

 
12:38 2016/05/14 (土)

「世の中に金で買えないものは無い。問題はその額だ」
 とはよく聞く。
 しかし、こう言い替える人もいるだろう。
「世の中に現実に存在するもので、買えないものは無い」
 でも、すこし思いを巡らせれば・・ 
「あるものでもないものでも、
 値札がついているなら、買うことができる」
 

 
11:19 2016/05/07 (土)

 ゴールデンウィークが終わるともう夏の日ざしまぶしくて、
 暑いのをしのげばいつかしら涼しい風がわたって、
 気がつけば年の瀬がせまっている。
 速すぎだよね。
 

 
9:37 2016/04/30 (土)

 いまどきは、買うとしたら単4電池だなあ。
 リモコンなどのために。
 大昔は、単1電池ばかりだった気がするけど。
 あれは懐中電灯だったか。
 

 
22:24 2016/04/22 (金)

 今度のパソコンには蓋にカメラがついていて、
 つまり、パソコンの前にいるヤツ、
 私の写真が撮れるんだが、
 それだけでは面白くもなんともない、
 というか、情けない感じしかしない(^^;; 
 背景の部屋の様子も雑然としていて恥ずかしい。

 せっかくカメラがあるんだから、なにか、
 楽しい活用方法はないものか・・ 
 

 
13:07 2016/04/16 (土)

 見たいもの(アニメ)を見て、遊びたいこと(将棋)を遊び、
 食べたくなったら食べ、眠くなったら眠る。
 休日は楽しいなあ。

 天国は確かに現世にあるのだけれど。
 

 
13:36 2016/04/09 (土)

 うららかな春の日。
 幼いころの夢は意外とそこそこ実現していたり。
 これでとわの命あれば申し分ないところ。

 などと言ってみたり。
 いろいろ見ないようにしていることがあるけど(笑)
 

 
10:59 2016/04/01 (金)

穴兄弟

 というのは昔から聞いていた。

 さっき、対語なら、

棹姉妹

 だろうと思いついた! 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 しかし「!」つきでメモすることか〜 (^0^;;
 

 
15:04 2016/03/25 (金)

 与ノ助=Win10新機にして。

 スタート画面のタイルいじりは、わりと楽しいね。
 デスクトップにショートカットを並べておくよりスタイリッシュ。

 コルタナは面白くもなんともない。今のところ。

 新機にするので最新版の一太郎2016プレミアムを買ったけど、これに入っている音声読み上げソフト詠太は遊べる。
 

 
14:36 2016/03/18 (金)

 珊瑚→与ノ助の移管作業がおおむね終わりそう。
 将棋にしろアニメにしろ、ますます気持ちよく楽しめることになりそうだけど、
 なにか新しいゲームとか趣向に手を広げたりもしたいなあ。
 PC能力が向上しても、私の時間やお金が増えるわけじゃないので、
 たいしてひろげられる広さはないんだけど。
 

 
22:09 2016/03/11 (金)

 これが、与ノ助機による初アップロード(=HP更新)です。
 問題はない模様・・ 
 

 
17:18 2016/03/04 (金)

 新機が入荷して、チューニングの真っ最中です。
 快適さ、驚くほどちがう。

初号機
  Win95
  CPU 200MHz
  メモリ 64MB
  HD 3.2GB → 7GB



双葉機
  WinMe → WinXP
  CPU 800MHz
  メモリ 128MB
  HD 20GB



珊瑚機
  WinVista
  CPU 1.73GHz
  メモリ 2.00GB
  HD 110GB



与ノ助機
  Win10
  CPU 2.30GHz
  メモリ 8.00GB
  HD 930GB

 つぎの五年または十年後にはどうなっちゃうの、という怖いような期待も。
 

 
11:32 2016/02/26 (金)

 台車に、洗濯物入りの籠や袋を積んで、他に洗剤や読み物入りの袋も積んで、コインランドリーにいきます。
 東京に来てからン十年、ずっとこれ。
 最初に洗濯機を買わなかったのでコインランドリー活用、そうこうしているうちに、それが習慣になってしまった。
 台車を使うようになったのは四五年してからだったか。

 でもわりと好きなんだよねえ。
 休日、ぐうるぐうるいって回ってるマシン群の横で、新聞やマンガ読みつつまったりしてるの。
 

 
21:53 2016/02/18 (木)

 出納帳見たら、一月二十八日、この日に床屋にいってる。
 真冬に丸刈りしただけで風邪をひいた。
 風邪自体は治ったはずなんだけど、喉の痛みがまだ続いてる。
 ひと月近くになるのか・・ 

 なんにしろ、免疫や回復に関わる基礎的な力がおとろえている感じ。
 とほほ。
 

 
12:10 2016/02/12 (金)

 わがパソコン、そろそろ現行機(珊瑚機)のOSがサポート切れになることもあり、新機を発注してしまいました☆
 四機目になります。

1) 初号機  Win95
2) 双葉機  WinMe〜WinXP
3) 珊瑚機  WinVista
 で、新機は、
4) 与ノ助機  Win10
 と呼ぶ予定。
 

 
13:17 2016/02/04 (木)

 脚つりに苦しめられてます。
 寝てるとき朝方。両脚。表も裏も。
 すね、ふくらはぎ、もも表、もも裏の両脚だから、全八箇所が同時多発で責めてくるので、痛いのに、激痛なのに対処手詰まりで、ほんと困る。
 

 
12:29 2016/01/28 (木)

 ここで昨年、13:45 2015/01/07 (水)、声優女子で「花澤香奈」と書いているけど、
 正しくは「花澤香菜」でした。
 恥ずかしい・・ 
 

 
12:30 2016/01/20 (水)

 クイズ。

 カタカナの中で、一画だけのはいくつある? 



 答え。(下の二行を範囲指定)
 ノ、フ、ヘ、レ、か。
 ふは不の草体、フは不の省画、ということらしいが、フになると画数は一っぽい。
 

 
15:14 2016/01/13 (水)

 無から来て
 仮住まいして
 無に帰る。
 しかし無というのは、
 虚無じゃないんだよね。
 みちたりた無なんだよ。
 

 
14:06 2016/01/06 (水)

 継続は力なり、というけれど、
 長いお休みを経ての復活というのも、そこそこの何かがありそう。

 お馬やお株、そろそろ、かすかながら動き出しそう。
 もやもやっとしてる。
 

 
11:42 2015/12/31 (木)

 来る年が佳い年でありますように。

 宝くじが来てくれますとさらにうれしいです。
 

 
13:28 2015/12/22 (火)

 totoBIG、6等賞で、570円獲得! 

 もうちょっと、華々しい戦果を上げたいなあ・・ 
 

 
13:45 2015/12/15 (火)

 将棋、ひさしぶり、初段に復帰。
 敷居が高くてまた落ちちゃうんだろうけど、ほんと飽きませんな、この遊戯は。

(遊戯、というと少し軽いか。芸道に近い遊戯、かな)
 

 
12:55 2015/12/08 (火)

 父の一年祭(神道の祭事。仏教での一周忌)も終わって、今年はもうとくに予定なしかな。
 何ごともない、無事が一番です。
 

 
11:23 2015/12/01 (火)

 寝具の掛け布団組み合わせ、私の例年の真冬仕様へ。
 あったか繭状態で、極楽だよね。
 冬は寒くてつらいところもあるけど、これはたのしみなんだ、ほんと。
 

 
11:07 2015/11/26 (木)

 喪中欠礼
 

 
11:11 2015/11/17 (火)

 一つ一つはたいしたことないんだけど、細かい用事が多い。
 

 
13:29 2015/11/12 (木)

 寝るのがいちばん楽。
 入眠前の妄想もたのしみだし。
 

 
23:23 2015/11/04 (水)

 一夫一妻。一夫多妻。一妻多夫。
 とくれば、多夫多妻もあるよね。
 (たしか、大昔にSFのハインラインの作品で読んだような気がするが詳細は忘れた)

 想像するに、相当に面倒な暮らしになりそう。
 子供もごちゃごちゃ生まれたら、数十人から、場合によっては三桁越えの集団生活。
 夫婦の年齢差も組み合わせによっては相当だろうし、(血のつながらない)子供世代とも関係もったりすると自分の実子であり義理の孫であり、(血がつながっているので関係を持たない)妻(または夫)の一人であり、同時に義理の親にも当たる、などというような子もできるわけか。
 もう世代という把握は効かない感じ。
 血のつながり関係のタブーも、遺伝子検査をちゃんとしない限り、守りきれないおそれあり。
 家、というのも、学校のようなものに住まない限り、みんな一緒というわけにもいかないだろうなあ。
 といって、分かれて住むとしたら、親と子の関係が明白な母子家庭が基本で、男たちはきままに渡り歩くようなことになりそう。
 こうなってしまってはもう家族や多夫多妻とは別物で、(古代にもあったかもしれない)一種の社会風習のようになって、閉じられた集団ではなくなるのかな。関係が濃い薄いはあるにしろ、境界が曖昧というよりほぼ液体状のひろがりで一国にもおよぶ。



 たいして面白い説でもないなあ。
 書いていてわかるけど、多夫多妻は相当に無理がある、欠点が多すぎる、
 よって、定着しなかった、ということなんだろうなあ・・ 



 じゃあ、二夫二妻ってのはどう? 
 この程度なら、なんとかやっていけそうな域かもよ。
 

 
16:31 2015/10/28 (水)

 今年は年賀葉書の準備はせず。
 喪中欠礼を投函、ですね。
 

 
13:55 2015/10/22 (木)

 若い頃に買ったGパン、新品でいつか穿くつもりだったけど、
 太ってしまってはけそうになくなって、以来ずっと放置の一本。
 これ、今日試したら、穿けた! 
 何十年かかったのか、ようやく値札など外して活性化、おろせた。
 あぐらをかいても食事をしても腹回り楽々。
 ここ数年、痩せたとは思っていたけど、ここまでとは。
 

 
10:30 2015/10/14 (水)

 休日前だからと朝までアニメと将棋。
 三時間も寝てないけど、これから床屋にいって眠ってくる予定。
 

 
12:42 2015/10/08 (木)

 この何年かではたちのころの体重まで減って、それが常態化して、
 健康的でよろしいと思っていたんだけど、
 ひさしぶり鏡の中の自分の顔をちゃんと見たら、
 頬がこけてきており、
 張りもよくなくて、
 いつのまにか、じいさまじみていたよ。

 心は少年として輝いているつもり。
 でも、鏡の中のまなざしはさびしげだ。
 

 
11:34 2015/10/01 (木)

 ヤクルト、今夜にも優勝か。

 いちおうヤクルトファンなんだが、生でもTVでももう十年ぐらい観戦してないか。
 現役選手のこともほぼ知らないし。

 お金と時間ができたら、また追いかけてみてもいいかな。

 というか、観戦をずっとしてないと、野球にたいする興味がほぼなくなってしまうよね。
 (野球マンガが定期購読誌に載れば、楽しんでる程度か)

 エッチなことをずっとしてないとそっち方面の欲望が薄まっていって、いつか忘れている、これに似ているかも。
 

 
12:53 2015/09/26 (土)

 Cドライブの空き容量大幅回復後、PC快調。よしよし。
 主因はこれだったか。
 

 
12:13 2015/09/17 (木)

 PC依然不調。
 今の珊瑚機、すでに八年目なので、
 ネット環境とかウイルスバスターとかではなくて、
 PC自体のCPU辺りが劣化している、
 という可能性も心配になってきた。

 だったらやっかいだなあ・・ 
 最終的には新品購入だろうけど。 
 

 
14:05 2015/09/09 (水)

 仕事の日は、四五時間睡眠。
 休日は、数回合算で十時間以上は寝る。
 という習癖になってきた。

 仕事が忙しいというより、勤務日でもアニメや将棋でちゃんと遊ぼうとすると、こうなるわな。
 

 
11:25 2015/09/02 (水)

 八月下旬辺りから、雨が続いて妙に涼しくて、残暑というのがまるでないような。
 挨拶もなく夏がいってしまった。
 

 
16:13 2015/08/27 (木)

 最近PCがやたら重くて、対処に苦労しています。
 ウイルスバスター関わりらしい、辺りまではようやく絞れたんですけど。
 ウイルスバスターはこれまでほぼ快調だったので、PCとの相性というより、自動更新などで何かバグが植え込まれたんじゃないの、という感触。
 

 
10:39 2015/08/19 (水)

 猛暑というほどでもなくなってきた。
 扇風機回してはいるが、回さなくてもいいかも。
 からだも慣れて、三十度ぐらいならもう過ごしやすい。
 夏の終わりの始まり、か。
 

 
12:01 2015/08/12 (水)

 アニメの次にたのしいのが、睡眠。
 

 
10:36 2015/08/06 (木)

 ゆるして。
 あついね・・ 
 先日ああいうことは書いたけど、
 もう何度も自室でクーラーつかってます。
 

 
12:38 2015/07/30 (木)

 主にGyaOで、アニメ三昧。
 帰宅後、休日、ほぼアニメ中心で。
 しあわせだ・・ 
 時間残らなくて将棋はぜんぜん指さなくなってるけど。
 

 
09:24 2015/07/22 (水)

 クーラー、たしかに気持ちいいけどねえ。
 でも自宅では、せめてうちわと扇風機のレベルでひと夏しのげなければ、
 生身の人間として、健康ではない気がするよ。
 

 
09:21 2015/07/15 (水)

 遺産分割協議書。
 あんなに判子だらけにするとは、知らなかった。
 

 
10:32 2015/07/08 (水)

 明日実家にて、相続関係の会合。
 夕方にはお盆の迎え火をするそうな。

 国税庁のサイトで予習してみたけど、たとえ相続税を払うことになっても大したことはなさそう。
 

 
14:06 2015/07/01 (水)

 ラブコメアニメの型。
 表ヒロインは、活発でエッチでお騒がせ系。転校生などとして、外からやってくる。
 裏ヒロインは、控えめで清楚で受身系。幼なじみなどとして、前から身近にいる。
 そして多彩なキャラが周りをにぎやかに囲んで、その過半が女子、美少女であること多く、この形態をハーレム系などともいう模様。
 世話好き、委員長、ツンデレ、妹、ロリ、お嬢様、お姉様などのにぎやかしキャラは定番か。
 主人公は両ヒロインに愛され慕われるけど、どちらかに決めきれない。
 いつまでも。ほぼ最終回まで。

(うーむ。
 こういう型を踏んで、お遊びでお話を書いてみるのも面白そう・・)
 

 
11:59 2015/06/24 (水)

 現時点、
 ロト7、キャリーオーバー発生中で、最高8億円。
 ロト6、同じくキャリーオーバー発生中、最高4億円。
 totoBIGも同じく、しかも期間限定で(通常は最高6億円のところ)最高10億円。
 totoだけは残念ながらキャリーオーバーなく最高1億円だが、totoBIGと同じ目で買っているので、totoBIGが1等なら自動的にこちらも1等獲得。

 というわけで、上の四つをすべて買っているので、すべて1等という可能性は厳然として、ある! (^^;
 ということになれば、合計23億円☆
 23億なんてどうしよう、ああしようかな、こう遊んじゃおう。
 まあ、とりあえず三つに分けて、預金と株と不動産か? 
 年1千万費消しても、230年・・ 
 投資が当たれば10倍100倍もっと、そして兆ということも。
 困った、長生きするために魔法も必須では? 
 兆なんて、千年万年、国や社会のかたちが変容してしまう以上、
 貨幣価値を何かで代替していくとしたら、
 ・・それは土地とか貴金属とかではなく、
 権力ではないのか? 
 結局のところは、そこかあ〜 

 夢は、朗らかにひろがり、妖しくかがやく。
 

 
21:51 2015/06/17 (水)

 睡眠が四時間ぐらいでもなんとかなるの。
 若いころより丈夫になったのではなく、にぶくなった、のでしょう。

(そういえばかなり昔、私が二十代のころ、母親から毎日四五時間しか寝ていないときいて、このひと病気じゃないのかと、変な生き物を見てるような気がしたのを、思い出した)
 

 
11:35 2015/06/10 (水)

 本日の用事は、水性ボールペンの補充(黒、文具屋)、百円玉の補充(200個、銀行)なんだけど、それぞれ歩いて二十分ぐらいの適度なお散歩コースでそれぞれだけなら「適度」なんだけど、両所が真逆の場所にあるんだよね・・ 北にまっすぐ二十分で文具屋、そこから南にまっすぐ四十分で銀行、北にまっすぐ二十分戻ってスーパーに寄って帰る、という行程になるので、全八十分か。
 まあ、歩くの大好き健脚和香ちゃんだから、いいのだけどさ。
 

 
10:18 2015/06/03 (水)

 日々努力して、少しでも先へ、より秀でて強く。
 今日は怠けてしまった、また先送りにした、外れていく・・ 
 などと反省を重ね、自己嫌悪におちいり、
 なんだかもやもやした不安のなかをさまよっていく。

 というようなのは、若いころでじゅうぶんだよね。
 いいかげん歳をとってしまったら、
 先へ行くってことは人生の終わりをたぐり寄せるのに似ているし、
 努力しても、劣り弱くなるペースを少しばかり遅くするだけだろうし。

 のんびりだらだら、日々を楽しんで、おだやかに暮らす。
 これにまさる人生ってあるんだろうか・・ 

(と思うんだけど、そのように、神様の一種のようにゆるゆる遊ぶためには、先立つものが足らん〜 それも、かなり・・)
 

 
12:27 2015/05/27 (水)

 それにつけても金の欲しさよ

 「金」という漢字は、玉を大切にしまってある倉、という会意のはず。
 と思って漢和辞典を調べたら、だいぶちがうみたい。
 上の屋根は音を表わす「(今)キン」で、光る意の語源(輝)から来ている。
 下は、「土」と二つの点で、土の中にぴかぴか光るものがまじっている意。
 「一般に、鉱物をいったが、のち、黄金の意となった。」そうな。
 参照:角川漢和中辞典。昭和三十四年初版。

 要するに、冒頭の句は、「ぴかぴか光りたい」ということかも。
 どこが? なにが? 
 

 
11:05 2015/05/20 (水)

 輝かしい過去があったわけでもない。
 余裕安心の未来ともいえなそう。
 でも今が楽しい、なんとかやれてる。
 これでじゅうぶんなのかな。
 

 
13:09 2015/05/13 (水)

 最近の謎。

 アニメ『S・A』の、可愛らしい登場人物、山本芽(声:高垣彩陽)。
 この娘は、自分の言葉をスケッチブックに手書きして皆に伝えてます。
 この娘が歌うと、そのあまりの歌に、周囲の人たちが気絶するので、ふだんはもちろん歌わないし、声も出さないので、そのように手書きで伝達している、ということになってて、つまり、ほぼ声に出していうセリフがない、というキャラクター。
 エンディングの、娘キャラたち三人の歌には参加しているようだけど、本編の中ではセリフはほぼありません、というか、聞いたことがないのです。
 では、この声優女子、高垣彩陽嬢は、収録現場でふだん何をしているのか? 
 収録現場にいないのか。
 セリフ無しなのに、いるのか。
 セリフ無しでも、担当キャラが登場している以上、ギャラは出てるのか(爆)

 この辺り、真相が知りた〜い (^^;;

(いや・・ 今、18話を見てたら、「心の声」で山本芽ちゃんが一言しゃべってた。とうとう出番があったのか!?)
 

 
13:48 2015/05/06 (水)

 陽気なごんで、のんのん将棋指したり、まにまにアニメ見たり。
 

 
14:53 2015/04/29 (水)

 来訪者あり、ということで(きっかけにして)、ひさしぶり室内清掃。
 新聞、雑誌をしばる。窓をあける。
 炬燵の毛布外したり、天井からハタキかけたり。
 (あったかくなって、炬燵の電源コードは数日前にすでに外していたけど)
 ホコリが落ち着くのを待って、掃除機。
 いちぶ、ぞうきんがけも。
 わたし的には大掃除でしたが、やってることは普通の人が普通の掃除でやってる程度でしょうね。
 (年に二回ぐらいしか掃除をしないので・・ 笑)

 なお、来訪というのは友人とかではなくて、NTTの工事の人。
 光回線が、単独用からアパート全戸用に切り替わるとかがあるため。
 

 
13:49 2015/04/22 (水)

 旧がすたれ、代わりに新がはやる。
 のかと思っていたけど、このごろは進みが早すぎて、
 旧がすたれないうちに、新がはやり、
 新が盛りを迎えないうちに、さらなる新がもてはやされる。
 なので、幾層もの新旧が並存して、にぎやかで多様で、
 これはこれで悪くないかもね。

 それに一本道とはかぎらないし。
 新鮮な驚きがあったのに、あっさり飽きられたり。
 変わり映えしない古さなのに、意外としぶとかったり。
 

 
12:03 2015/04/15 (水)

 なんか寒いんだよね。
 四月の半ばだけど、まだ炬燵。
 

 
14:03 2015/04/08 (水)

 きのうきょう、なんか雨が降って寒い。
 今年はちゃんと花を見ないうちに、散ってしまうか。
 

 
09:39 2015/04/02 (木)

 青年時に持っていた聖女(美と性のアイドール?)の写真。
 まあ、十年、青年が歳をとって、老いて、数十年経てばもう残っていないのが普通でしょう。
 が、たまたま忘れられたところから発掘されたりしませんか。
 なつかしく、また変わらず美しく。

 もちろん、写っている女性は若々しいままなんです。
 でも、そのとき写された娘さんも、写真を通してだけ彼女を知っている自分と同じく、今はもうどこかで、さすがに歳をとっている。
 子供も孫もいたり、あるいはもう命尽きていたり。
 そう思うと、若いころに感じたものとは質のだいぶちがう、愛しさとか、静かであたたかいものとかが、流れてくるように感じるのです。
 

 
12:55 2015/03/25 (水)

 相続の関係で、印鑑登録することに。
 個人がそれをしてなんの意味があるのかという気もするけど。
 老いた母が強く言うので、従いはするけど・・ 
 

 
12:30 2015/03/18 (水)

 ここ数日で、気候がゆるんできたか。

 この冬は風邪をひかないですんだような。
 風邪をひいている暇がなかったとも言えるけど。
 

 
13:40 2015/03/11 (水)

 まあ、大変そうだけど、そんときはそんとき、どうにかなるさ。

 ・・という境地に、ある意味あこがれますな。

 苦労しそうなタネを見つけては想像で(妄想で?)育ててみる、要は心配しすぎなぐらい心配して、事前に丹念につぶしていく。

 ・・というタイプなので、わたしゃ(^^; 
 

 
12:36 2015/03/04 (水)

 何か自分関わりでないことを書いてみようか。

 東京オリンピック、気が重い。

 もろ自分関わりですな(笑)
 式と名のつくものはほぼ皆嫌いな私の感覚でしょうね。
 あと何年後かに二週間程度だけ開催されるそれだけど、それがあるということに思いいたるだけで、面倒な気分がただよう。

 今日のような明日がいつまでも続く、というのが一番安らぐ。
 特別な日は要らない。
 気分転換がしたくなったら自分でするから。

 無欲なようでいて、一番贅沢でわがままな望みかと思います。
 

 
15:31 2015/02/25 (水)

 朝八時頃かなあ、右脚膝上のもも辺りがつる。マジで何か栄養素不足なのか。
 五分ほどで収まって、寝直す。
(目覚める、起きようとすると、脚のどこかに緊張を感じて、これはつりそうだと気づき、それからほんとにつる、というパターンだな、つるときはたいてい)
(痛いっすよ。死を感じるぐらいのせつない痛みと耐えだ。脚つりは。揉んだりするんだけど容易には引かない)
 

 
13:18 2015/02/18 (水)

 今年になって職場、あわただしい。
 親の死亡(私を含め二名)。
 足の骨折。
 などが周囲で続いて、非常時、臨時の態勢みたいのが、収まらないです。
 

 
13:16 2015/02/11 (水)

 ロト6が惜しい!! 

本数字 13 15 21 25 36 41  (ボーナス数字 08)
私の買 10 15 22 25 37 41

 3個的中で5等賞1,000円獲得ではありますが、
 5個的中の3等賞(558,400円)、
 5個+ボーナス数字的中の2等賞(10,703,500円)、
 6個的中の1等賞(89,474,500円)、
 これらがあと一歩か二歩、手が届くところにあったような、気もする(^^? 
 

 
18:20 2015/02/04 (水)

 楊枝つかっていたら、歯がとれてしまう! 
 左下奥歯で、親知らずのこちら側(親知らずを数えなければ一番奧)、すでに奧側半分が崩落していた歯だが。
 とれた歯には根元はなく、抜けたのではなく折れた感。すでに崩落済みの割合大きく、残っていたのは(今回とれたのは)、体積的には(根元以外の地上部分のうち)四割程度か。

 にて、通算、三本の歯を私は失う。(左下奧の親知らずの手前側半分崩落を加えれば、通算三本半の喪失)
 右の奥歯方面は、上側が一番奧の歯を失っている。下側が、奧から二番目の歯を失っている。奥歯は、二連だから、右側は、噛み合う上下のセットがないことになる。
 左の奥歯方面は、今回、下の奥歯を一つ失ったので、噛み合う上下のセットは一つのみ残っていることになる。
 なので、現状、奥歯でかみしめられるのは、一箇所だけ、というさびしい状況になってしまった。
 

 
14:17 2015/01/28 (水)

 アニメばっかり見てたら、アニメが創りたくなってしまった・・ 
 絵とか曲とか声の演技とかはまるでだめ、問題外なので、
 せめてお話、シナリオ、このあたりのまね事でもいいので、やってみたいなあ。
 

 
11:40 2015/01/23 (金)

 これまでずっとAかB評価だったのに、突然D。
 血糖値が増えたらしく、「境界型糖尿病の疑があります」とか書かれちゃった。
 とりあえず、(睡眠、食事、仕事中以外は)いつもなめていた、飴を断ちました(^^; 
 

 
22:52 2015/01/14 (水)

 一月八日、父が他界しました。
 通夜、告別式。
 さきほど、東京に戻ってきました。
 

 
13:45 2015/01/07 (水)

 声優女子を少しだけ聴きわけられるようになってきた。
 花澤香奈。すずやかな声質。吸い込まれる透明感。私としては国宝指定希望。
 能登麻美子。じっと迫る想い。底から湧いてくる。
 早見沙織。おっとり、おだやかに、つつんでくれる。ほっとする。
 沢城みゆき。少女の心の地声か。さばさばしたひろがり。
 

 
11:57 2015/01/01 (木)

 新春小話 〜 H27 〜 (^一^)
 

 
15:05 2014/12/24 (水)

 では今日明日で、年度決算、完遂をめざします。
 これが済めば、あとは流して年越せるはず。

注1 今日明日:先週から水木がお休み。
注2 年度決算:私個人の。
 

 
19:17 2014/12/17 (水)

 年賀はがき、投函、済み。
 今年もフィニッシュですな・・ 
 

 
14:12 2014/12/06 (土)

 『ぼくは、五年二組から』は、小学校の児童会選挙、立候補演説の下書、と思います。

 この選挙は、
・六年生、五年生各クラスから一人ずつ立候補。
・一学年五クラスなので、ぜんぶで十人の候補者。
・六年生の中から一人、五年生の中から一人を選ぶ二票制。
・三年生から六年生の全員に投票権。
・六年生の最多得票者が会長に当選、次点が副会長。
・五年生の最多得票者が、副会長。
 というものだったはずです。

 生徒たちが整列する校庭、相対して先生たちが居並ぶ中央にある演壇、その上で、学年五人の候補者が代わる代わる。
 廊下での連呼、ポスター、勧誘活動のようなものも、数日間、あったような・・

 学期ごとのまたは年二回ぐらいの改選でしたかな。
 先生に言われてしかたなくだったでしょうが、私は、五年生で一回、六年生で一回、立候補。
 それぞれ、二位と三位だったので、当選は無し。
 お役目はまぬがれた、と記憶しています。
 

 
22:16 2014/11/29 (土)


ぼくは、五年二組からすいせんされ、ふく会長にりっこうほした、 わか です。どうぞよろしくおねがいします、
ぼくは、せいは小さくちびですが仕事などは人にはまけないつもりです、
ぼくは、自分たちでできることは、自分たちでよく考え自分たちの力でやりぬくことがたいせつだと思うのです
じどう会でみんなの先にたってぼくは力いっぱいがんばってみたいと思います。
三年生、四年生、六年生のみなさん、この わか におうえんしてくださるよう、おねがいいたします、


 

 
18:06 2014/11/22 (土)

 解題。

 『人間はいかに生きるべきか、』
○ 実家より移送の段ボール箱から発掘した文書の一つです。
 中学二年、たぶん、国語の授業の提出物、その下書でしょう。
○ 少年和香に、おっさん和香は、励まされているような気がしました(^^;
 

 
13:51 2014/11/15 (土)


               1971.3.5  国授 

人間はいかに生きるべきか、

 私は思う。
 人は、つねに苦しみ、喜び、生きつづけ死んでいく。
 そこで、いったい、何があるのだろうか。人は死んでしまわなければならない。そこに、何があるのだろうか。
 人は最後には死ぬのだから、だれが死のうとはやいかおそいかのちがいだけなのではないか。
 ・・・・そんなことを考えていたら、世の中はまっ暗。だれもが自殺をしたり、ひどいぜつ望をしだすだろう。それを止めているものは何であろうか。
 それは、ユメだ。
 人はユメなくして、生きていくことはできない。どんなばからしいものでも、希望をもたなければならない。どんなに小さくても、大きくても、自分にまんぞくのできる自由なユメが必要だと思う。
 それが、理性というものをもった人間のしゅくめいなのだろう。

                     ―――――完

 

 
13:57 2014/11/08 (土)

 先日実家で整理した私の段ボール群のうち、個人情報関係や捨てきれないものをまとめた二箱を東京に移送。
 これの対処を週末ごとに少しずつ進めています。

 自筆文書類。物理的な量はたいしたことなし。
 が、内容をざっと読んで、取捨選択その他を決めていくわけだけど、これ、二時間かけてやっと厚さ五センチ程度。疲れてそれ以上は次週回し。
 一年じゃ終わらないかも。まさか五年十年はないと思うけれど。

 実家を出るまでのものだから、おおむね二十代前半までのものなんだけど、若者の私、あまりに筆まめでした・・ 
 数十年後の私の苦労をなにも考えずに、乱筆、雑文を残す、か。

 あの頃、今のようなデジタル記述があったら、こういう労力は数十分の一になっていただろうに。
 生まれるのがちょっとだけ早かったのかなあ(^^; 
 

 
15:04 2014/11/01 (土)

 一昨日三十日、朝食後、楊枝を使っていたら、右下奧から二番目の奥歯、とれてしまった。
 もう一二年前からぐらついていたから、いつかはと思っていたけど、とうとう。
 とれた歯を見ると、脚二本のうち、一本のみある。もう一本は折れて歯ぐきに残っているな。

 歯がとれて、さすがにちょっと動揺。

>●平成10年3月18日(水)歯磨きしてたら、右上奥歯がとれてしまう! 

 という最初の歯抜けの記録を私、残している。
 今回、(平成10年=1998年以来だから)十六年経って、歯抜け二本目ということになる。
 

 
11:55 2014/10/25 (土)

 今年も早くも終盤戦か。

 親知らず崩落とかはあったけど大病はせず、借金も抱えず、憎まず憎まれず、日々元気にやってるだけでなににもまさるのかも。

 とはいえ、そろそろ宝くじが来てもよい頃合いだが・・ 
 

 
14:02 2014/10/18 (土)

 秋アニメも始まって、現在継続視聴アニメが週十三本ぐらい。
 TV放映で二本、他はGyaO配信で。
 一番期待しているのは『寄生獣』です。

 どちらかといえば、イキだけどゆるくもあるコメディー(+美少女)が美味しいんだけど、
 そういうのは、作る側からいえば至難なのかもね。
 

 
13:39 2014/10/11 (土)

 実家帰省から戻ってきて、翌月曜朝ごろから、口内炎。
 実家帰省の日に、左奧親知らず奥歯がまた崩落して大穴がでかくなったんだけど、
 そのときはそれだけのことと思ったんだけど、
 この崩落後の突起だかに舌が擦れて刺激されたらしい。舌の左下奧つけ根辺りにできもの。
 これが、困ったちゃん。
 それから一週間、食事のたびに、痛みの恐怖に足先までおののくような感覚を味わっています。
 

 
14:44 2014/10/04 (土)

 母親より要請があり、明日日曜日、実家に四半世紀以上放置してある私の段ボール群を整理しに行きます。
 最も手間いらずでかつ適切な対処を探しているけど、結局は八、九割はゴミにするだけなんだけど、個人情報関係とか、捨てきれない思い入れ関係とか、で、難渋しそう・・ 

(でもまあ、いつかはやらねばならないことだったので、やっておくしかないけど)
 

 
16:02 2014/09/27 (土)

 現在、当HP用掲示板で「文芸遊子03」。
 mixiで主催するコミュニティーで、「文芸工房談話室」、「困ったちゃん」。
 これらの管理人(主催者)やってるんですけど、すべてヒマ(^^; 
 まあ、私が積極的に宣伝したりお客さん集めをしないってこともあるんだけど。
 (すべて受け身、なにか打ってきたら、返そうかというスタンス)
 理想は、私は見守るだけで、お客さんたちがにぎやかに遊んでくれることなんだけど。

 将来、金と時間に余裕ができるようなことがあれば、それらを注ぎ込んでもかまわない、ぐらいのキモチはあります。

(まあ、ぶっちゃけた話、現状は、私を含めてだれも困ってない、面倒のタネにもなっていない、経費もかかっていない、よってとりあえずこれまで通り放置なんですが)
 

 
14:47 2014/09/20 (土)

 そんなちんたらしたことは言ってられん。食わねば。

(とある夜の食前のつぶやき。なにがちんたらだったかは直後思い返しても不明)
 

 
15:05 2014/09/13 (土)

 どうやらまたネズミくんの気配。
 探っている(痕跡の残っている)場所がちがっているので、前とは別の個体のネズミくんらしいな。

 話はややとぶが、ディズニーってどうして害獣をキャラクターにしたんだろう。
 稲作民族としてあらためてよくみると、あれは異様(またはシュール)だよね。
 

 
13:58 2014/09/06 (土)

 解題。

 『あかりんのQQQ♪』
○ 初出。
 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」に出品。
 2014年(平成26年)08月23日 和香 第26回大会
 (条件 お題「人生相談」)
 

 
14:34 2014/08/30 (土)


 


   あかりんのQQQ♪



Q:生きているのがつらくてしょうがないの。
 みみちゃんのアニメ見ているときだけがしあわせよ。


ぐっしゃん:みみちゃんてだれや?

あかりん:もう、知ってるくせにい。
 今、第二シリーズを放映してる『還らないと』の準主役キャラです。

ぐ:そか。おめえが声やってんのな。

あ:おかげさまで。
 第一シリーズで大失恋しちゃうんだけど、視聴者のみなさんが大・大・大声援してくださって。
 みみちゃんをしあわせにしてって。
 それで第二シリーズでは、・・・うふふ、ってなことになりそう☆

ぐ:なんでも、主役食ってるゆうやないかい。
 ぼりぼり頭からかっぽじってるってか。
 おとなしそうなキャラやのに、怖ろしいわなあ・・ 仁義なき世界やなあ・・ 

あ:そんなことないよう。
 みんなで力合わせて、一つの作品です。
 作品が愛されれば、みんなが、うれしいんです。 
 ・・・
 生きているのがつらいんだあ・・
 なにかがあったのかなあ・・
 どんな事情なんだろう・・ 

ぐ:お、本題はじまったんかいな。
 アニメ、すきなんか。
 依存したらええがな。思う存分しゃぶりつくしたりい。
 かんがえてみい、アニメはなくならん、一生なくならん。
 だったら怖いもんなしやん、おめえ。

あ:乱暴なんだからあ、ぐっしゃん!
 でもいってることは間違ってないと、あかりんも思うよ。
 だれでも、あたしだって、あなただって、軸があればいいの。
 しっかりした軸さえ持ってれば、それを支えにして立っていられるよ。
 立っていられて、笑顔でいられれば、もう、ちゃんと生きてるってことだよ。

ぐ:まあ、そういうことや。
 アニメに依存してくれりゃあ、アニメで食ってる俺らも助かるわな。

あ:あはは。
 軸になってだれかを支えたり、軸につかまって支えられたり。
 あなたもあたしもお互いさまよ、きっと。
 みんながみんな、たぶんね。
 ようし。
 元気出してもらいたいから、みみちゃんの歌、いくよー
 言わずとしれた『くれない色のエチュード』です。

 ♪♪♪ 〜 ☆♪ 〜 ☆♪ 〜 ♪♪♪ 〜
 
 
Q:お金があればなんでもできると思いませんか?
 苦労せずに大金を得るにはどうしたらいいかな〜


あ:あなたが太郎くんなら、太郎という単位のお金を発行します。
 一億太郎のお札を百枚刷れば、あっというまに百億長者よ。

ぐ:苦労せずにっていうんが、リアリティーゼロや。あますぎや。
 銀行強盗するんでも苦労要りまっせ。
 宝くじなんかならあんまり苦労なしかもやが、一万年ぐらいかかるわ、当たるまでな。
 
あ:一万年かあ・・
 宝くじ当たらなくてもそのぐらい生きてられれば、じゅうぶんだよねー

ぐ:金持ちにたかるんが手っ取り早いわな。
 おめえがイケメンなら、金持ちの娘、たばかって婿にはいるんや。
 家の金ぜんぶ自由になるまで何十年かかるかもしれんが、やりがいはあるでえ。

あ:でも、世の中、なにがあるかわからないから〜
 むかし、おばあちゃんがいってた。
 そのうちいいことあるって信じていれば、きっとやってくる。
 どんな顔の子がやってくるかは、そのときにならないとわからない。
 ・・とかいう話だったような・・ちがったような・・
 ・・・・・
 う〜ん、じゃあ、曲にいこうね!
 『はばたけばルンルンパア★』
 秋からの新アニメ『魔法少女ラビリンス』のエンディングテーマだよ!

 ♪(^^) 〜 ♪♪ 〜 ♪♪ 〜 ♪♪ 〜 ♪(^^)
 
 
Q:彼が振り向いてくれないよう、どうしても!
 なにかいい方法ありませんか。


ぐ:ブスっ子はつらいの。

あ:ひどい。ブスな子なんていませんよ。
 かがやいているときとそうでないときがあるだけなんです。

ぐ:まあ、ものはいいようだが。
 心のブスが透けて見えるのが、ほんとのブスっ子ぞ。
 ちゃうならば、可能性はあるぞよ。

あ:ふつうに努力してもって、ことなんだろうなあ・・
 むりめの男の子を好きになっちゃったのね。
 うーん。
 とっておきの奥の手はあるんだけど・・ 

ぐ:ほほう・・
 奥の手があって、彼氏いないわけか・・

あ:あたしはまだ時期じゃないだけですから。
 恋はするんじゃないっていうでしょ。
 落ちるの、いつかね。

ぐ:ほうほう。夢みてるの。
 夢みたままならみんなしあわせ。
 虹色の背景で歌えば今日もみんなきょうだい、世界も平和だらあ。
 うほおん。
 ちゅうことにしとって、
 奥の手、そろそろ言ってみい。

あ:『羽衣の法則』っていいます。

ぐ:法則・・
 大丈夫かいな、おつむ・・

あ:大事なのは落差、コントラスト。
 一度でいいの、ズキンとさせる。

ぐ:赤ずきんちゃんかいな〜

あ:いいところだから、黙ってえ!

ぐ:へいへい。

あ:いい、
 「とびきり」のお洒落をしても、それが毎日だと、「ありきたり」になっちゃう。
 たとえばだけど、いつも地味な子が、長めのスカートとかで控えめな子が、
 ある日あるときだけ、
 ぴったりしたミニですらっとした脚を「たまたま」「偶然」のように見せる。
 むりめの彼でも、ズキンとする。
 あれ、だれだ、あの子なのか、とちょっとびっくりして、
 心の扉が揺れてしまう。
 おれ、石ころだと思って見逃していたのか、こんな光ってるのを。
 って。
 ・・・
 一度ズキンとさせたら、ぱっと退く。
 もとの地味っ子に戻ってOK。
 ・・・
 コントラストと、希少性、一瞬のきらめきで、勝負です。
 ・・・
 これ、ほんとに決まったときは、イチコロだよ。
 一度ズキンとしてしまったら、男は弱いから。
 忘れられなくなるらしいよ。
 きらめきすぎて、関係ない男どもまで一網打尽なんてことまであるから。

ぐ:まあ、都市伝説のたぐいやねえ、せいぜい。
 羽衣の法則ねえ・・ 
 どうして羽衣なんや?

あ:さあ・・
 そう名付けられてるから。
 あははは。
 あたしも人から聞いたけど、ずっと前からそういわれていたみたいよ。
 でも、嘘じゃないから、先輩たちの実践例いくつもある。
 試してみて。
 一度でいい。
 その日だけでいい。
 それは、女の子なら、必ずできることだから。
 そういう風にうまれているから。

ぐ:古い法則なら、
 番茶もでばな、夜目遠目傘のうち。
 色の白いは七難隠す。
 これだけでもどうにかなるわなあ、ふつう。
 思うに、
 まごころ笑顔で三割増し。
 このあたりにゃあ、
 声で狂わすおなごもおりまっせえ。
 とくらあ。
 
 
 ♪ 〜 ♪ 〜 ♪♪ 〜

あ:ああ〜
 あっという間。
 もう時間ですね。
 「あかりんのQQQ♪」 また来週お会いしましょうね。
 みなさんからの相談メール、待ってまーす。

ぐ:たくさん寄こせよ。
 三つぐらいしか読めないけど(笑)

 ♪ 〜 ♪ 〜 ♪♪ 〜





◇構成 若丸 ◇制作 ロングホープ V~
◇声の出演 mail読み上げ:花乃あかり あかりん:花乃あかり ぐっしゃん:花乃あかり
◇すぺしゃるさんくす 『還らないと』 『魔法少女ラビリンス』

 でした♪




 
 

 
14:13 2014/08/24 (日)

 そういえば、ネズミ君を最近見ないな。
 気配も消えたか。
 台所の生ゴミポリ容器をほぼ毎日半開きにしていたはずなのに、ここ一週間かもっとか、ふたが開いていたこと無いし。
 いつぞやの晩、野良猫を見かけたので、あいつあたりに襲われたかして御生涯となったのでしょうか。
 

 
13:00 2014/08/16 (土)


   うましか


 週に何度も通ってくるようになった男が言う。
「めんどくさいから、もういっしょに住もうか」
 女が問う。
「子供ができたら、どうするの」
 男はこたえる。
「女の子なら、しっかりしていて、かわいらしい」
 すこし笑んで、
「男の子なら、嘘をつかない、真心がわかる男に育ちあがれば、よしかな」


 二十年ぐらいのち、男は息子に伝授した。
「頭文字で、うましか、という。馬鹿と覚えておく」


 

 
12:26 2014/08/09 (土)

 mixiで、私が主催するコミュニティー。

『文芸工房談話室』
http://mixi.jp/view_community.pl?id=6161024
 開設して一年近いかも。

『困ったちゃん』
http://mixi.jp/view_community.pl?id=6209837
 つい最近立ち上げました。

 どちらも人が少ないです。
 mixi会員の方でしたら、遊びに来てくださいませ。
 (参加登録だけでも大感謝です!)
 

 
14:11 2014/08/02 (土)

 成人する前から、もう何十年も、毎日欠かさず新聞を読んでる。
 新聞好きを通り越してたぶん、私の一部になってる。
 でもそろそろ、違和感、余分感を覚えてきたかも。
 同じ読むなら、ネットでじゅうぶんのような気もして。

 紙媒体の良さ、単純簡素、総覧性、面倒の少なさ、新聞紙再利用の利など、もあるんだけどね。
 ただやっぱり、無駄が多すぎるよね、このご時世となっては。
 紙に刷って、しかも人力で宅配して。
 そして、読み終えれば積もっていく場所ふさぎ、恒常的で、軽微とはいえないゴミになってしまうわけだし。
 ふつうに素直に考えれば。

 今は、これまでの無量数の労力×長大な時間+さまざまな工夫やシステム=強靱な実績の大河ともいうべき慣性がまだ働いているから、割高とまでは感じないけど、
 近い将来、世間においても、私の中でも、分岐点を迎えそう。
 

 
11:07 2014/07/26 (土)

 先日のこと。
 口の中にじゃりじゃりしたものを感じたので、つまんで、見たら、エナメル質の破片のような、つまり歯のカケラでした。
 あれえ、と思って、鏡で調べたら、左奧の親知らずの側壁に大穴が・・ 
 全然痛くないけど、いつの間に、という感じ。

 本日に至るも全然痛くないけど、大穴に詰まったものをとるため、食後の楊枝が必須になってしまった・・ (^○^;

 ほかにもぐらついてるのがあったり。
 異様に歯が丈夫、これだけはいついかなるときでも自慢できた少年であり青年であった、はず、と、幾星霜を思いました。
 

 
15:36 2014/07/19 (土)

 ネズミくんが、依然として徘徊。
(痕跡は明瞭、姿もまれに視認)
 同居を続けるか、パソコン関係をかじられる前に殺すか。

 スーパーで殺鼠剤とかの物色まではした。まだ買っておらず。
 殺せたとして、あとのことが気になるよね・・ 

 子供さえ産まなきゃ、どうせ一二年、寿命まで待ってもいいぐらいなんだけど。
 

 
15:01 2014/07/12 (土)

 クーラーを運転してみる。
 年イチぐらいは動かしておかないと、マシンがおかしくなるかもというのもあって。
 

 
13:25 2014/07/06 (日)

 なにもせずぽーっとして時間がすぎるのを待っている。
 むなしいけど満ちているような。
 いまどきの夜の涼しさに合っていたかも。
 

 
14:32 2014/06/28 (土)

 初々しさは美質です。
 見ていて気持ちがなごむし、
 すがすがしさのひろがりがまわりを明るく照らしていったりもします。

 とはいえ、真剣勝負のただ中では、その実体が血みどろのつぶし合いといえるフィールドでは、
 対戦相手が、そのほほえましさを見守っていてくれるわけもなく、
 ただ、うまそうにはむはむと食らわれてしまうだけ。

 腹黒いとまでは言わないけど、オトナがいなかったのか、という感慨あり。

 対コートジボワール。
 先制できたんだから、その時点から有利に闘いを進められたはず。
 同点にされ、動転したんでしょう、直後のリプレイかと思える連続失点。
 初戦で浮ついていたかもしれないけど、
 おそくとも先制弾後には覚醒して、玄人のやりようがあったはず。
 これで食っている奴らがさ、あの失点二点目を防げないなんてことがあっていいの?

 対ギリシャ。
 相手は退場で一人少ないんだよ。
 餌食にできる立場なんだから、にまにまといやらしく虐めていけるようなケダモノが、
 ひとりふたりぐらいいてもよかったのでは? 

 対コロンビア。
 不用意なPK失点は、前半終了間際のわが陣営としてはありえないぐらい美麗なラッキーゴールでおあいこ帳消し。
 問題は、後半の戦い方。
 他試合も関わる局面、引き分けでは意味無し。
 勝たなければならないけど、はたして、暴発した餓鬼のような攻め方でよかったのか。
 (餓鬼=ゴール前でがちゃがちゃしてれば偶然ゴールに入ったりしないかと思っているようなフシが・・)
 そもそも、強国とはいえ、相手は主力温存の二軍だよ。
 サービスとも思えるお膳立てだったんだから、しっかり守って、一点かそれ以上をもぎとって、
 当然のように決勝トーナメントに進んでいって、
 「まあ危なかったけど、勝負のアヤをたのしみながらプレイしてましたわ」
 などとうそぶく憎々しいぐらいの野郎はいなかったのか!?


 現実の結果は、1分け2敗だけど、
 3勝または2勝1分けぐらいに裏返せる可能性は、じゅうぶんあったと思います。

 おさないよ〜 (^^;

 

 
14:50 2014/06/21 (土)

 W杯、日本第二戦。対ギリシャ。
 0−0で引き分け・・ 
 ギリシャに退場者が出て、こちらが攻めまくっているのに、点が取れなかった。
 ギリシャ、上手すぎ、老獪という感じだよね。

 コロンビア 2戦2勝 勝ち点6 (予選突破確定)
 コートジボワール 2戦1勝1敗 勝ち点3
 日本 2戦1分1敗 勝ち点1
 ギリシャ 2戦1分1敗 勝ち点1

 絶望ではないが、日本は最終戦、(グループ内最強っぽい)コロンビアに勝つのが最低条件(勝てば、勝ち点4になる)。
 その上で、コートジボワールがギリシャに勝たないで(コートジボワールが勝つと勝ち点6に届いてしまう)、引き分けならなんたら、ギリシャ勝利ならなんたら、と細かいところがそろってようやく日本が2位通過できるか、というところ。

 まあ、しょうがない。
 観戦してて、(もちろんこちらは素人だけど)、日本のちからがずば抜けているとは見えなかった。
 となれば、あとは、勝負の女神様の気まぐれな手の中だよね。
 

 
12:09 2014/06/15 (日)

 W杯、日本初戦。対コートジボワール。
 1−2で逆転負け。
 残念。
 せめて引き分けに戻せれば、と願ったんだけど。
(これで、かなりきびしいな、グループリーグ突破は・・)
(初戦なのに、もう明暗がはっきりしてしまう。でかいわ、一戦が)
 

 
12:03 2014/06/09 (月)
 
 
   穴あき三兄弟

 穴あきスニーカーが三足。
 道が乾いていれば、穴あき何も問題なし。
 雨の日は、穴、最も軽微の出番。
 でも、靴下の替えは持っていく。
 次の日も雨なら、穴、次に軽微の出番。
 三日連続雨なら、三足使い切るけれど、
 四日目が雨でも一足目が乾いているころ。
 
 

 
19:20 2014/06/01 (日)

 既報 16:29 2014/03/08 (土) の通りで、本日、ブログ「文芸遊子02」は閉鎖します。
 レプリカは、遊戯苑に置いておきます。

新掲示板   文芸遊子03   http://jbbs.shitaraba.net/movie/10370/

 おきがるにどうぞ(^^)
 

 
12:29 2014/05/24 (土)

 作者は楽しい、読者も楽しい。
 作者は苦しいけど、読者は楽しい。
 作者は楽しいけど、読者は苦しい。
 作者は苦しい、読者も苦しい。

 それぞれ、そういう作品はありそう。
 読者が楽しいものは売れまたは票が入り、逆は、売れずまたは入らずでしょう。
 最後の苦しい苦しいって場合は、なぜそんな作品が産み落とされてなぜ読まれもするのか、ってあたりを想像するだけで苦しい(^^;
 

 
12:00 2014/05/17 (土)

 『進撃の巨人』
 GyaOでアニメを視聴。
 むごくてミステリアスで色気があって。
 待ち遠しかった、毎週火曜の配信日が来るのが。
 しかし、謎解きはまだ序の口と思うのに、アニメのほうは終わってしまった。
 これでは、原作コミックが売れるわけだ・・ 
(私は買わないけど。^^; アニメの続編の制作と、そしてそれが無料配信されるのを気長に待つつもり)
 

 
17:39 2014/05/11 (日)

 将棋は下降が止まらなくなったと思ったら、また盛り返したり。
 本日は、○○●○○○●○○○○●○○(11勝3敗)と調子よし、初段に復帰。

 勝っても負けても、将棋指してると、あるいは将棋指そうと思うともう、心のどこかで安心感があるような。あまりに棲み馴れた場、活動域なので、現実以上にすんなりはまってなにも考えず息ができているような。
 一種の依存症でしょう(^^;
 

 
16:19 2014/05/03 (土)

 今朝から昼にかけての将棋、●●●●●●●●●○●●●(1勝12敗)。
 とほほ・・
 どうして勝てない、と、負けてすぐ次を指したくなり、止まらなくなってしまう。
 ときどきやらかすんだよね、こういう達成不満因連鎖依存的泥沼。
 

 
12:59 2014/04/26 (土)

 じっくりゲームでもしたいな。
 時間があれば、文明育成系でも。
 金があれば、現実のマネーゲームでもいいけど。
 

 
14:21 2014/04/19 (土)

 GyaOアニメで、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』全16話視聴。

 よかった・・ みおわって幸福な気持ちに包まれる。これはすごいことだよね〜 
(感心するだけでなく、こういう雰囲気のお話、書いてみたいという欲が生まれたよ)
 黒猫が真のヒロインという感じだなあ。分岐バージョンではだいぶ女が出てきてるし。
 ネットで調べたら、第二期もあるらしい。いずれ視聴したいものです。

 『俺の妹』のオタクとりすまし系少女の黒猫と『となりの関くん』のコメディエンヌ横井さん、真逆と言えるほどのキャラなのに、同じ声優さんだったと気づく。びっくりだわ・・ 
 

 
14:39 2014/04/12 (土)

 プロは、生きるために小説を書いている。
 われわれアマチュアは、小説を書くために生きている。

 ・・というわけでもないか・・
 生きていくために、書いて稼がねばならない、
 書くために、稼いで生きていかなければならない、
 まぜこぜだったり、
 そもそも、生きると書くがあまり連関していなかったり、
 など、いろいろありますってだけでしょうか。
 

 
19:43 2014/04/05 (土)

 解題。

 『鏡物語』
○ 初出。
 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」に出品。
 2014年(平成26年)03月24日 和香 第16回大会
 (条件 お題「鏡」)
 

 
14:55 2014/03/29 (土)
 




   鏡物語



 一、

 少年がいた。

 生物クラブ員で、顕微鏡を覗いていた。

 円形の視野の中に極微の世界。
 ミジンコやゾウリムシ。
 伸びていく花粉管と、精核。
 染色液は、たとえば、ゲンチャナバイオレット。
 
 焦点調整でぎりぎりまで近づけようとして、高価なカバーグラスをよく割った。

 自宅では、反射望遠鏡も持っていた。
 こちらは円形の視野の中に極大の世界、夜空の星々だ。
 でも、月以外は光点にしか見えないのでそのうち飽きた。

 街の景色の細部を眺めるようになった。



 二、

 青年がいた。

 娘がたずねてきて、一夜を過ごした。
 朝、娘が柱に提げてあった鏡をかたわらに下ろして、髪をすいたり、簡単な化粧をしていた。

 娘とはその後切れてしまった。

 青年の部屋の柱の鏡は、変わらず提げてあった。
 それを見るたび、彼は、彼女が髪をすく様子を思い出した。



 三、

 少女がいた。

 学校の廊下を全速力で駆けていた。
 理由はよくわからないし、事後には、少女も忘れた。
 前方からまっしぐらに駆けてくるのが見えた。

 そのガラス戸に衝突し、いちぶ突き抜け、辺りに、きらきらと破片が舞った。

 周囲にいた生徒たちは呆然とした。
 少女は、奇跡的に軽傷だった。

 きらら、というあだ名が付いた。



 四、

 母は働いていた。

 よく晴れた日、母の手鏡をもって坂の上の二階の窓辺に座った。
 太陽光を反射させて、停まっている車や木立や、家々の壁や窓に、小さな光の印を投射して遊んでいた。

 間違えて、通行人の顔に当ててしまった。
 こちらを見つけられて、手を挙げたしぐさで、怒られた。
 ごめんなさいと頭を下げて、部屋の中に引っ込んだ。

 それから、宇宙船の一員となって、光線砲で敵をやっつけていく夢想にふけった。

 すでにあのアパートはないが、その手鏡はまだ手元にある。
 目に入ったまつげを調べたり、ぐらついた歯の具合を診たり、そういう役目をしている。

 あっちのほうの、映っていないどこかでは、まだそれらがあるような気がする。
 母の気配もしてくる。



 五、

 かつての青年は、とうとう再会した。

「先生、どうしてお母さんと別れたの」
 と、きららが、いった。
「たぶん、本気ではなかったんだ、おたがい」
 そうこたえて、暗がりのなかの真円の瞳を見ていた。
 ほの白い肢体もうりふたつだった。

 年月が鏡となって、照らし合わせることだってある。

 娘のほうは、自分の手鏡を持っていたけれども。



 六、

 母との、覚えている一番はじめのころのやりとり。

 あっちにも、いけるの。

 お母さんは、いったことあるよう、ぼうや・・ 







 
 

 
16:01 2014/03/22 (土)

『明日、ママがいない』
 先日完結しました(全9話)日本テレビのドラマ。
 施設の子らの話で「ポスト」とか「ロッカー」とかあだ名が過激ということもあり物議をかもしました。スポンサーがCMを自粛したり。
 私はネットで視聴。
 お話のつなぎ方そつなく、ほどよい間がゆたかにあって、それぞれの人物をじっくり見せている。
 子役陣うまかったなあ、演技とわかっていても。
 上の部類の出来では? 
 

 
18:25 2014/03/15 (土)

 私の部屋にネズミさんが出没するのは前に書きましたけど、
 最近、ストックしている石鹸をかじられているのを発見。
 試しにかじってみた、というより、たんだん減っていってる。
 石鹸って、食えるの? 
 少なくとも死なないみたいね、あれ食べても。

 いやあ、石鹸食べるなんて、ネズミさんには生まれたくない(^^;

 大根はかじられた。これは理解できる。
 タマネギは、いくら放置していても、一切かじられない。
 好き嫌いはある模様(^^)
 

 
16:29 2014/03/08 (土)

▽▽▽▽▽▽
この度、「ぷらら」ではお客さま向けオプションサービスのひとつである、
Broach(ブログ)サービスの提供を終了させていただくことになりました。

2013年5月30日から新規受付停止しておりますが、2014年6月30日をもってサービスの一切の機能が使えなくなります。
△△△△△△

 とのことです。
 よって、
 上のブログを活用して掲示板代わりとしてきましたわが「文芸遊子02」ですが、まもなく終わりということになってしまいます。



 なので、やや気が早いですが、後継掲示板を準備してみました。
 「したらば掲示板」というサービスに場所をお借りしました。

新掲示板   文芸遊子03   http://jbbs.shitaraba.net/movie/10370/

 引き続き、ご愛顧いただければ、うれしいです(^^)

 

 
16:30 2014/03/01 (土)


   オケラちゃん


 パンツ脱げよ。
 やだよう。
 オケラのくせに、いっちょまえの口きくんじゃねえ。
 いやあ、いやあ。

 いたいよ。
 おれだっていたいよ。
 くすん。
 そろそろパンツはけよ、みっともねえ。

 あんた〜 あんた〜 
 うお〜 うお〜 
 ふう。また子供できちゃうね。
 しるかよ。できちゃうもんはしょうがねえだろ。

 お部屋がミミズさんだらけだね。
 人に迷惑かけてるわけじゃなし。気にするな。
 ミミズさんばかり食べてるって、いけないかな。
 ミミズかどうかより、自分の子供食べてるってところでダメだろ、おれたち。


 

 
14:26 2014/02/24 (月)

 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」(SSB)で、少々ごたごたが・・ 
 私も多少かんでました。
 管理人さんが、多めの追放をして(出入り禁止四名)、とりあえず収束ですけど、先行きにやや不安。
 なんとか盛り返していければ、です。(^^; 

 ちなみに、私が昨年九月立ち上げたmixiコミュニティ「文芸工房談話室」のほうは、変わらずに静か、平和でのんびりしてます。要するに低調です(爆)
 メンバー募集中です。
 文芸好きの方々、鍛錬したい御仁、遊びたいあなた、もうミミズさんだってオケラちゃんだって、ご来場お待ちしています☆
 

 
18:56 2014/02/15 (土)

『逆境無頼カイジ 破戒録篇』
 GyaOアニメで視聴。破戒録篇は、第二期シリーズになるはず。
 すばらしい。
 絵はうまくないんでしょうけど、おおげさな戯画世界のはずなのに、ギャンブル、金に捕らわれた男どもの芯に迫っていく。
 たいていの野郎なら、他人事に思えなくなっていく、はず。
 

 
16:03 2014/02/10 (月)

 都心で大雪、二十年ぶり二十センチ超す。
 で、ようやく晴れた昨日日曜昼頃、出かけようとしたら、
 外の路地道、私らのアパートの前以外は、おおむね雪かき済んでいるという状態。
 まずいっち(笑)
 でも私はもう時間ないので、その足で知事選の投票に行って、そのまま出かけました。
 夜はもう、雪かきしてあるのかどうかはっきり区別できない程度に融けていました。
 

 
15:48 2014/02/03 (月)

 GyaOで、全二十話無料配信中ということで、
 アニメ『勝負師伝説哲也』を見ました。
 そうとうに、かっこいいです。
 それにしてもこういう玄人麻雀打ち(作品内で「ばいにん」という)が存在できそうにない現代はちょっとつまらない気もします。
 全自動卓の頃にすでにそう感じましたけど、今はもうそれすら使わずにネット対局でしょうし。
(そうか。もう時代劇のようなことになりつつあるのかも・・)
 

 
16:06 2014/01/25 (土)

 最近、私の留守中に、室内がネズミくんの運動場になっているらしく、ラップ屑その他が部屋の隅、陰に散乱。そろそろ対処したくなる。
 で、六畳の掃除に着手。これら屑関係を回収だけが目的だったけど、家具とか動かしてたら本格的になってしまう。掃除自体が、半年か一年ぶり(^^;
 まあ、時間かかったけど、それなりに綺麗になったからよしかな。(ネズミくんのおかげ?)
 

 
15:54 2014/01/18 (土)

 解題。

 『社の守り』
○ 過去作品を改定しています。条件(下記)に添うよう改めたためですが、よりよいほうへ育ってくれた、やっと生まれ落ちたのかも、と感じています。
 前の『社の守り』は、当HP「テーマ小説 (於 極楽鳥くらぶ)」収載で、12/17(金)10:34(平成11年)の二稿となります。初稿は平成5年1月4日。(よって、二十年越しの作品となりますか・・)
○ mixiコミュニティ「ショートショートばとる」に出品。
 2013年(平成25年)12月30日 和香 第12回大会
(条件 添付の写真に合う作品。1つの写真でもいいし、3つの写真全部使ってもOK)
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6136917&page=1&id=75470764
 三画像は、mixi会員でしたら上のURLから閲覧できます。言葉で表わせば、
1)「小倉百人一首」という文字と十二単の女性の絵、歌がるたの箱の扉絵かもと想像。
2)時季的に「初日の出」の写真かと思える。が、写っているのは、海上の群雲から昇る朝日か、または沈む夕日か。
3)時季的に「初詣」の写真かと思える。が、写っているのは、冬季、夜、石段を登り、狛犬も見える神社らしき場所に参拝している人たち。
 というところです。
 

 
15:22 2014/01/11 (土)
 


   社の守り



 若い頃、彼は、宝くじに凝っていた。
 末等百円ぐらいの当たりを「的中した」と大げさにいって、友人たちを笑わせ、毎回なので内心あきれさせていた。

 彼は結婚したが、痩せて、いつもは眼に力のない人だった。堅い会社の勤め人で、その頃は易が趣味だった。町のお祭りがあると、勇ましい御輿かつぎや華やかなお囃子や、そういうことに関わり合わずに興奮していた。社務所で、じいさまたちと茶を飲みながら、たいていの人には訳のわからない卦のこと、天の気だの地の声だので盛り上がっていた。
 娘を「あめな」と名づけた。本当は「天命」と書いてそう読ませたかったようだ。彼の母親が、女の子にそれは酷いと意見して、平仮名になった。
 あめながまだ小学生のころ、神職に後継ぎがいなくて、あめなの父親が名乗り出た。節分や夏祭りや地鎮祭や、そういうときだけ神主さんになればよく、前任の人は町役場に勤めながらそうしていた。ところが父親は、うけたまわるからには、などと言って、東京の会社を休職し、のちに辞め、かわりに神主になる大学に通い出して、一年で正式の資格を得た。
 あめなの母親はこの神社のゆかりの人で、正面から非難できなかったらしい。父親は、社(やしろ)に出勤し、たいして参拝客もないのに、崩れそうな社務所を根城に御札や御神籤を売ったり、易者のまねごとを始めてしまった。
 あめなが高校進学ということになって、三者面談があった。
 将来はどういうことがしたいかという質問に、あめなは普段よりもいっそう頬を赤くして、うつむいたり、手の甲で口の辺りをこすったりしているだけだった。母親は、「普通の娘になってくれれば。いい奥さんになってくれれば」とばかり言った。
 あめなは知っていた。父親は娘を東京の大学に行かせたがっている。つまり、父が先年資格を取った大学のことだ。ここには附属の高校があり、そこから始めたっていいのだ。
 女神主なんて珍しくないぞ、と、酔った晩よく言う。
 結局はそういうことにならなくて、先生の強い勧めで、公立高校を受けて合格した。それは県下一二の進学校で、電車で二駅通う。

 その高校も二年目の終わる節分、鬼の神楽や豆蒔きの年男やらの、皆でなおらいの席、あめなは手伝いに出ていた。酒の席では付きもののいい嫁さんになるぞなどというからかいに混じって、こう言われた。
「しっかりした娘さんになったもんだ。親父さんを継ぐんだろう。心配ないさ、まだずっと将来のことだしね。普通に結婚しても、まあ、たまに榊振ってくれりゃあいいんだし」
「いや、いや、その婿さんが神主やってくれりゃあ、こりゃ好都合だわなあ」
「そう都合よくは行かないわな、ね、あめなちゃん」
 愛想笑いのさなか、ふと父親を見やると、こちらを見てうなずいているふうだった。
 半年後。夏休み。夏祭りも終わりそろそろ新学期という暑い午後、あめなは電車に乗って、行方をくらました。帰って来なかった。

 世の中を見てきます。
 という意味あいの短い書き置きに、一首を添え。

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り舟   参議篁



 二十数年経った。
 土地の高騰があり、東京の近県まで開発の波が打ち寄せた結果、町も変わった。丘がいくつも削られて、団地になり、ついに超高級欧風邸宅街というのが田んぼの中に出来までしたが、直後、今度は暴落があった。
 町の人はお伽の国と、その廃墟を呼んだ。
 それを眼下に臨む小山の鎮守の森の中、神社は案外な繁盛だった。あめなの父は虫食いだらけの古文書や錆びた刀剣を見つけだして、展示し、自らも白鬚をたくわえた。結婚式場を経営して、それとの連携が好調子だった。
 昔を知らない人が見たら、と言うか、そういうよそ者が大いに増えていたから、有難がられているらしい。古老たちは悪いことではないしと、口を噤んだまま次々亡くなっていった。
 あめなが亭主と一緒に帰ってきたのは、やはり夏の暑い午後だった。
 数年前から母親には連絡があり、父親も察すると、口ではどう言おうと、恋い焦がれるよう娘の帰還を待っていた。
 父は境内をほうきで掃いていた。
 日よけ帽子をかぶった女性がそばに来て、頭を下げ、ごめんねと言った。父はちらっと見ると、お母さんが待ってるぞ、とだけ漏らした。歳には勝てず、まもなく嗚咽し始めた。
 肩にあめなの手のひらを感じたが、違う手ものった。変な声で一緒に泣いてるのが、婿だった。すこし白けてしまった。
 第一印象は良くなかった。でも、このあめなよりいくつか下という婿は、渋みのある割と男前で、からだつき頼もしく、勘もいい男だった。
 婿は西のほうの産で、勤めを辞めてきたという。
 あめなには二人の男の子がいた。まだ中学と高校なのだが、
「因果は巡るかしらね。家に寄りつかないのよ。間違いのないところに預けては来たけど、早いうちに呼び寄せるから」
 ということらしい。
 まもなく始まった夏祭りに、あめなの亭主を手伝わせてみたところ、これが掘り出し物だった。なにより、腰の低さが尋常ではない。言葉遣いも、抑揚に多少耳慣れないところはあるが、聞く人をなごませる落ち着いたものだった。
 あめなの父は、もう思い残すことはない。婿にあの大学に行かせるのだ、と決めた。

 祭りの最後の晩、なおらいの席で、父母や氏子連中を前にして、あめなが言った。
「見てほしいものがあるの」
 そして亭主を呼んで、上半身、諸肌を脱がせた。
 何が始まるかと一同は赤ら顔を見合わせたが、この婿の裸の胸、背を見て息をのんだ。
 幾筋かの傷痕、裏には彫り物があった。
「これでもいい?」
 あめなが言う。

 彫りの絵柄は、那須の与一、日輪の扇を射ぬく。

 父親は食い入るように見ていたが、一瞬めまいを感じたが、
「かまわん」
 と、大声で答えた。
 氏子達は、ならばと、かわるがわる婿に酒を注いだ。




 
 

 
00:03 2014/01/01 (水)

 新春クイズ 〜 H26 〜 (^一^)
 

 
12:54 2013/12/23 (月)

 道曲がって小学校の手前。
 椅子の上のダンボール内に、「ご自由におもちください(洗浄してあります)」という紙看板つきで、いろいろ小物がいれてあった。大掃除の不要品か、誰かおばあさんの遺品か・・ 
 ちょっと興味わいて覗いたら、もったいないかと思えるモノがあって、野の花の団扇三枚、オードリー・ヘップバーンのクリアファイル(書類ばさみ)二枚、もらう。
 

 
20:52 2013/12/16 (月)

 年賀葉書印刷、つい先ほど終わった。
 今、乾かし中。
 気持ち多少楽になった(^^)
 

 
16:22 2013/12/09 (月)

 年の瀬進行ちょっとやばい。
 決算関係も年賀葉書関係も、今年は出遅れてます。
 気合い入れないと・・ 
 

 
14:06 2013/11/30 (土)

 先日のtotoBIG。特別回で1等が10億2円。
 これが9本も当選していました。
 私は2口買っていたけど、かなり遠かった。

 10億円もらえたら、どうしようかなあ・・ 

 まずは旅行に行きたい。
 日本を放浪したい、きままにさまよいたい。
 もう少し若ければ世界をさまよいたいところだけど、今はいいや。

 広い空。
 半球すべて空しかない大地の真ん中で、大の字になって寝転がりたい。

 まー、10億円なくてもできそうですけどね。
 10億円があって、その上でこれらをするところがよい感じ(^^)
 

 
22:13 2013/11/23 (土)

 右下奧から二番目の臼歯が、ぐらぐらして噛むと痛し。
 右側で咀嚼できないので、いっそ抜いてしまおうと引っ張った。
 けど、まだしぶとくて抜けない。
 数週間か数ヶ月か、この中途半端とお付き合いかも。

 仮に抜けたら、十年以上前の右上最奧に続いて、失う二本目の歯となる。
 子供の頃から、歯は自慢だったのに。
 さびしいのう。
 

 
15:30 2013/11/17 (日)

 解題。

 『春の心はのどけからまし』
○ 過去作品を集成して、お題「心」を表わしてみました。
非青春の笑顔 : 当HP「詩集 『 非青春の笑顔 』 」収載。S55.12.14.初稿。 : 1980年
新妻を迎える前夜 : 当HP「哀憐笑話 《 はる 》」収載。平成3年1月13日(1991年)初稿。
伊勢物語八十二段より : 当HP「生きるってとっても伊勢物語 惟喬の親王」の部分。平成10年8月4日(火)着手。 : 1998年
エロ爺 : 当欄「続短断長」収載。12:02 2013/04/27 (土)。
○ mixiコミュニティ「ショートショートばとる」に出品。
 2013年11月09日 和香 修羅道(その1) (対 チキン・ケニーオ♂さん)
 (条件 お題「心」)
 

 
02:06 2013/11/10 (日)








         春の心はのどけからまし








   非青春の笑顔


老い腐る精神の万物に屈する
液状化弱肉質の慣性に流れる
それは無い 存在しない
言い切ってしまう完璧な自我
痴呆の様に断言する僕の全人

非非非 非非非非非
生存しよう我々の理想へ
夢へ結実へ愛へ
最期の全く先の無い
非常に時間も距離も無い
美しく狂喜に輝き燃える
冷め切りつくした
破滅へ

君に
愛と真理と掟と
狂と美と知を
何もかも押しこめた言葉を
生ある限り加えて死にも屈せず
嫌悪と生存を超えて
激しく強くまるでもてあそぶように
ぶちつけなすりつけ
君が粉々に昇華して
悪鬼の様な情念を
暗黒の宇宙に散らし切り
万物を腐肉化させる為にこそ
僕は創らなければならないんだ!

夜の青々とした海に雨が降り
雨線が海底に達するように
神様の様なあんた
達するように








   新妻を迎える前夜


 このごろ楽しい。
 どうしてなのか、とか、なぜなのかということはわかっている。
 新妻を迎えるからだ。
 人の女性の現実のそれではないのだけれど、
 どうやら私にも季節が訪れる。

 三十代というのは、
 未成年の頃はおそろしく大人だと思っていた。
 あと三十年ぐらいするとおそろしく子供だった、
 と思うだろう。
 でも、今、今の自分を思うと、
 一方の前、つまり若さや過去へも、
 一方の前、それは成熟や将来ということへも、
 ひいきすることなく同じぐらい目を配れる、
 そういう年代だとわかる。

 元気も健康もまだある。赤々と燃えている。
 頂上へたどりつこうとしているみたいだ。
 知識は足りないはずなのだけれど、
 知識とは売るためのものではないと納得できた。
 要するに興味の故の産物です。
 興味もないのに頭に詰めても、病巣となるだけなのだ。
 経験も、
 これから出会う人や物事や善美に、
 感動し驚いて目輝き腕ふりまわせる余地が、
 まだ百年分ぐらい残っている程度には、味わえた。
 多少の知恵もついたと思う。

 うれしいんだ。
 生きてきた今が。生きてゆく今が。
 新妻を迎える前夜の如き今が。








   伊勢物語八十二段より


馬頭である人が詠みました

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

  世の中に
  まったく桜というものが
  なかったなら
  春の心は
  のどかそのものだったでしょうに

こう詠みましたところ
また別の人が詠みます

散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき

  散るからこそ
  いっそう
  桜は愛されるのです
  このうき世に
  永続するなにものがありましょうや








   エロ爺


 電車に乗る。
 誰かに会うためでもどこかに行くためでもなく。
 眺めるのが好み。
 女子高生や女子中学生の手。
 このごろはその小さな白い手で、携帯やらをいじっている。
 顔立ちとか身体つきとか脚の柔らかさ、若い頃はそっちのほうだったけど。
 今は、小さな白い手がいい。









 

 
12:47 2013/11/04 (月)

 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」で、「シルバー聖闘士」の称号をいただくことができました。
(この称号へは、本大会三勝分の勝ち星で到達できます。本大会以外の、一般戦「一騎打ち」「修羅道」での勝ちは★一つ。★三つで本大会一勝に換算されます)
 この前まで、★★★★(一般戦三勝と運営からご褒美の投票賞で計★四個)でしたが、
 最近、本大会一勝を含む奇跡の三連勝で、届くことができました。
 このコミュに参加して五ヶ月、やっとなので、とてもうれしいです(^^)
 

 
17:21 2013/10/28 (月)

 解題。

 『ブラックボール』
○ 原型は、過去作品です。当HP「テーマ小説 (於 極楽鳥くらぶ)」収載。1998-06-05、初稿。
○ そして15年経過、
 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」
 2013年10月12日 和香 第10回大会
 (条件 皆が叶えたくなる願い事のお話を作る)
→ ここに出品。その際、「補記」以下を付け足しました。二稿ということになると思います。下(当欄15:26 2013/10/19 (土))にあるのはその転載です。

 

 
15:26 2013/10/19 (土)





   ブラックボール





 老人が物語る。

 『そら』では、いろんな奴らに遭うぜ。
 まさかあんな暗い星にそんな重力があるとは、マシンもだまされたのよ。
 システムは狂って、とんじまったと思いねえ。
 もう墓場と決まったその星系を、それでも余生のたしになるものがねえかと探し回ったさ。
 なんもねえ。枯れた惑星ばかりだった。
 が、もっと行ったところで、いわゆる文明の痕跡みてえものを見つけた。生還できりゃあ、大発見というところだったが、ここもそれだけのことで、凍ったさびしい星だった。
 相棒の頭切れるやつが言うんだ。
「こんな暗い星系で、どうして文明が育ったかわからない。いつから大気が失せたんだろう」
 とりあえず、もっと内側には、あったけえところがあるかもと、俺らは飛び立った。
 墓場はいいが、せめて子孫が残せねえかとな。子供らが生きていけるだけの大地がねえかとな。

 まもなく、なんで太陽が暗いのかがわかった。
 とてつもない量の破片が、この星系の太陽をおおっていたんだな、これが。
 破片と思われたものに、ずんずん近づいていって、それが、ただの岩石ではないこともわかった。
 樹木だったのだなあ、これが。
 葉っぱを光の方にいっぱいに広げて、ある一定の距離をおいてこの恒星を取り囲んでいやがる。びっしり繁っていやがるのよ。
 俺らはつまり、このボールの外側、そいつらの根っこの方に着地したわけだ。

 なんか食えるものがねえかと、足元を掘ったところよ、出るわ出るわ、噴きだしてくるのよ。水がな。
 純水ってわけでも無くてよ、なんか、美味しくて清らかなんだな、この水が。そいつらの体液というわけさな。

 まあ、星ではないが、そんなようなもの、ここでもいいかと思って、街を作ることにした。土台をぶち込んだら、変なのが、ぷよぷよした四角いのがいっぱい出てきやがった。そいつらの細胞なんだなあ、これが。
 しかも、しゃべりやがる。
 俺らの言葉で。
 ぶったまげちまった、はあ。

「おいでよ、おともだち」

「ここはたのしいくになんよ」

 そんな、歌を歌うんだ。
 千人近い乗組員がことごとく、ふらふらしちまってよ、みんな街の建設どころじゃぁねえ、われもわれもと井戸の中に飛び込んでいった、はあ。
 俺?
 ああ、俺もな。

 なぜか死なねえんだ。海の中なのによ。
 あったかくて光が満ちていて、きらきらした音楽に包まれていたっけ。
 からだはどんどん溶けていって、俺らはどんどん、おんなじような四角い細胞に変わっていった。
 変われば変わるほど、理解できて来るんだな。
 ここが天国だって。

 そいつらは、もう何千兆という細胞のかたまりなんだ。
 で、そいつらは、いつもおしゃべりしてるんだ。キャラキャラキャラキャラ、ぐにもつかねえことだけど、楽しく歌ってやがるのよ。
 いつもいつもなんやかや嘘話をつくってよ、毎日毎日、夢を見てるみてえもんだ。

 俺は訊いたね。
「おい、おめえら、いつからこういうことやってんだ」
「もう、おおむかしから」
「いつまでやるつもりなんでえ」
「いつまでも」

 俺もまあ、それなりに楽しませてもらったさ。
 美人とか色っぽいとか、お前知ってるか。
 あんなもんじゃねえ、天女だね。絵にもかけねえ、言葉にもできねえというなあまさにあのことだな。
 輝いて、高まってよ、はじけて交じり合ってよ、何度も何度も昇天して、気が遠くなりながら、果てることがねえ。
 波が打ち寄せては砕け散って、爽快きわまりなくて、脳味噌は星ぐらいに放散するんだぜ。しかも、終わりがねえんだ。

 千年は遊んだかな。

 え、なんで、戻ってきたかって?

 決まってるじゃねえか、お前らみてえ、不幸せな奴らを救うためによ。
 ここにも、種をまきに来たのさ。





 その老人は、酔いがまわると何度でも同じ話をした。
 常連は、いつになったら芽が出るんだとはやしたけれど、老人は「酒を飲み尽くしたらよ」などと、ぐすぐす笑った。





 この老人はある日を境に、ふっつりと来なくなったそうだ。死んじまったのか、ほかへ飛んだのか、そういうことは分からない。この店で、酔漢たちの間を泳ぐようにウエイトレスをしていたのが、私の祖母だった。
 ブラックボールは本当にあるらしい。今でも似た噂をする奴が流れてくる。
 そこでは、品のない魂ははじき出されてしまうらしい。というか、飽き飽きして飛び出すともいう。
 はじき出された奴らが集まって、品のないブラックボールを作っているという噂もある。そこは、別の意味で天国らしいのだが・・・





補記

(その後、結婚し、子が生まれ、その子が育って結婚し、また子が生まれた。
 つまり、私にも孫ができるまでの間に、聞いたうわさ、いくつか)

 品のないブラックボールは繁殖力が強くて、無数の胞子を飛ばす。
 他星系の太陽を奪おうと、飛来してくる。
 実際にもう、いくつも侵食されてしまった。

 ブラックボールは、人間でないやつらも同化することができる。
 心も混じり合うので、考えた方や情緒が、相当に異質化してしまう。

 ときたま、ブラックボールイーターというものに変異する。
 文字通り、ブラックボールを食らって生きる肉食系だ。
 通常のブラックボールも、対抗するために、さまざまな変異をする。
 強靱にまたは狡猾になっていく。

 同化させないで、自然な状態の惑星で生き物を飼育する。
 そうやって愛玩しているときがある。

 自滅していくのもある。
 極まると、祭りが始まって、止まらない。

 あいつらの活発な生命力が、いずれ、『そら』を覆うだろう。





 

 
18:43 2013/10/12 (土)

 mixiのコミュニティ『伊勢物語』への私の発言より。(トピックスタイルは編集)



――――――――――――――――――――――――
雑談 〜 おしゃべり 〜
――――――――――――――――――――――――
2013年09月09日 18:57 和香
 気軽にいろいろ、おしゃべりしたり、作品やコミュの宣伝したり、
 というトピックがないみたいなので、僭越ながら、立ち上げてみました。
――――――――――――――――――――――――
コメント(3件)
――――――――――――――――――――――――
[1] 2013年09月09日 19:11 和香
 『文芸工房談話室』
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=6161024

 というコミュニティを新しくつくりました。
 文芸一般、創作に興味のある方、関連する話題ならチェックしてもいいかもという方でも、
 どうぞおきがるにおこしくださいませ。

(つくったばかりで。今、私一人しかいません。
 コミュを存続させるために、
 参加登録だけでもしていただけると嬉しいです! ^^;)
――――――――――――――――――――――――
[2] 2013年10月12日 10:50 和香
 ↑ 

 『文芸工房談話室』

 おかげさまで、メンバーが11人にまでなりました。
 ありがとうございます(^^)

(最近は「4章小説」というリレー小説で遊んだりしてます)
――――――――――――――――――――――――
[3] 2013年10月12日 11:16 和香
 ちなみに・・

 『伊勢物語』にも、リレー小説的要素があったのかもしれませんね。
 複数の人の筆が入っている感触ありますし。

六段
 これは、二條の后の、いとこの女御の御もとに、・・

三十九段
 至は順がおほぢなり。みこのほいなし。

 この辺りは、(段の中で)書き足しっぽい。

 内容の関連する段が群となっている辺りがいくつかあるようですが、
 そこでは、群の中で一つまたは複数の段自体が後の人の付加かもなあ、
 という匂いがしたり。

 いわば、時を越えた、コミュニティとかトピックだったのかも。
――――――――――――――――――――――――



 それにしても、『伊勢物語』は静かなコミュだよね。
 私の発言以外で最新だと、「2013年09月22日」か? 
 

 
17:02 2013/10/05 (土)

 解題。

 『雑感』
○初出
 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」
 2013年09月23日 和香 修羅道(その2) (対 こくぶさん)
 (条件 自分の名前(mixiネーム)にちなむお話。)
○補足
 この条件提示はわたくし和香。提示後一週間ぐらい停まっていたので、責任感じての参戦でした。
 

 
15:41 2013/09/28 (土)



   雑感



わか

 子供の頃、わかちゃん、と呼ばれてました。
 何歳ぐらいまでだったのか、家族や出入りの人たちから。
 ただ、祖父や父親は、名前の呼び捨てでした。
 ということは、祖母や母親、叔母たちだったのかな、わかちゃんは。

 弱々しかったなあ。
 私の、わかちゃん時代。
 女の子にはもてたけど、
 おっとりというより、なよなよしてて。

 たしか祖父が、軟弱ぶりを憂えて、
 夏で、頭にあせもができたのを理由にして、
 私は丸坊主にされました。

 それからは、やや、腕白の色合いが加わっていったかも。
 学年とかで、坊主頭はなぜか私ぐらいしかいなくて、
 外見で多少、目立った生徒になりました。
 そして、なぜか、あんなにいた私の取り巻きの女の子たちが、
 減った。
 祖父の狙いにまんまとはまったのかもね・・



輪っか

 私の住んでいた実家は、身内の中で、うらのうち、と呼ばれていました。
 職場である建物の北側の、道路一本へだてた所にありました。

 家族だけでなく職場のほうの人たちも、ほぼ自由に出入りするような家で、
 県都の中心からちょっとしか離れていない街中なんですが、
 うらのうちの門には、常時、鍵をかけていませんでした。

 門を入ると庭があって、右手を行けば玄関、正面は縁側や土間が並んでいました。
 玄関も、縁側や土間にある硝子戸も、みんな無施錠。
 夜は締めるんですけど、昼間はたとえ無人でも、何もせず。
 でも、私の記憶にある限り、ということは、家族の記憶も加わりますから、
 この家が建ってからずっと、一切、泥棒も盗難もありませんでした。

 この門は、でも、開けようとしても開きません。
 片手を少し上に伸ばして、格子の隙間から差し入れて、
 そこにある輪っかを外します。
 門を開けて入ったら、また、輪っかをかけておきます。
 私たちは、こうして、便利に使ってました。



和歌

 和歌はほとんど詠んだことはありません。
 何十年も生きてきて、せいぜい五首ぐらい。
 みんな記録は残っていませんし、忘れました。

 でも、和歌は好きです。
 伊勢物語が、最高に好きです。


さくら花散り交ひ曇れ老いらくの 来むといふなる道まがふがに


さくら花
散り交わせ 曇らせよ
老いなるもの
来るといわれる
道 まぎらわすほどに


 拙訳と比べれば明瞭ですが、
 歌のしらべのなんという、うるわしさ。

 ショートショートを書いて、
 ときたま傑作ができたと思い、
 そして、いっときは自己陶酔できても、

 いくつかの和歌に触れると、
 頭を垂れて、
 恥じ入るばかりです。



 

 
15:18 2013/09/23 (月)

 前述の『文芸工房談話室』にて、また、4章小説を始めています。
 4章小説というのは、短めのリレー小説です。おおむかし、JustNetの『小説工房談話室』でも遊んでいました。
 はまると、独特の快感でやみつきになるかも・・ 
 興味のある方は、覗いてみてくださいね。
 

 
19:53 2013/09/16 (月)

 mixiで、

『文芸工房談話室』
http://mixi.jp/view_community.pl?id=6161024

 というコミュニティを新しくつくりました。
 mixi会員の方でしたら、閲覧も参加も自由にできます。
 文芸一般、創作に興味のある方、関連する話題ならチェックしてもいいかもという方でも、どうぞおきがるにおこしくださいませ。

※ 暇だったので、深い考え無しに、ためしにつくってしまいました・・ 
※ か細く長く続くのが理想です。
 

 
19:49 2013/09/07 (土)

 先日、いまどきの大手古本屋。
 『神のみぞ知るセカイ』 若木民喜
 というコミックが第1巻だけありました。
 105円、ちらっと見たらおもしろそうで、ゲット。
 帰宅して味わったら、なかなか愛すべき作品でした(^^ 
 続きも読みたいんですけど、正価(400円)を払うのがちょっとで、
 いずれまたお安く巡りあえたら、ということに。
 気長に待つという分類の脳内リストに加えました(笑)
 

 
16:59 2013/08/31 (土)

 また負けてしまった・・ 
 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」第9回大会。
 自信作の『二兎』で勝負したんですけどね、投票の結果は、四人対戦で同点の三位。
 これまでに、十作品投稿して、三勝。
(うち私が三戦した、三人以上が対戦する本大会では未勝利。残り七戦は二人対戦。この二人対戦でやっと三勝ですから、確率的にもはっきり押されている)
 きびしいですなあ (^^;
 

 
13:57 2013/08/24 (土)


 解題。


 『お嬢さんをください』
○当欄掲載 15:26 2013/08/10 (土)
○初出
 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」
 2013年07月24日 和香 修羅道(その2) (対 チキン・ケニーオ♂さん)
 (条件 会話だけで進行する作品)
○来歴 
 第一章のみが、大過去作品です。(1998-05-23、初稿。1999-01-30、二稿。当HP「哀憐笑話《 なつ 》」収載)
 今回の「会話だけで進行する作品」の条件に合致していましたけど、勝つためには弱いだろうなあ、と思って、第二章、第三章を書き足しました。


 『みなそこのつみびとども』
○当欄掲載 13:57 2013/08/17 (土)
○初出
 mixiコミュニティ「ショートショートばとる」
 2013年07月30日 和香 一騎打ち (対 バニラさん)
 (条件 上限200文字のスーパーショート)
○補足
 最後の二行は、当欄「続短断長」過去ログ、10:49 2001/09/26掲載の『苦界』をほぼ転用。


 

 
13:57 2013/08/17 (土)



   みなそこのつみびとども



 本降りになった。

 犯人は俺か。

 そのようです、ご同行願います。

 手錠。

 婦警さんにひかれて、沈んでいった。

 取調室、だそうだ。



 あてはかないおもかげ。

 盗まれた。

 犯人はお前だ。

 どうしてわかったの。

 ここには僕たちしかいない。



 生まれ変わってお魚になってこうしてお腹を裂かれているのね。

 いたいか、いたいか。



 

 
15:26 2013/08/10 (土)





   お嬢さんをください





第一章


 お嬢さんをください。

 職業はなんだ。

 作家です。

 ほう、賞は何を取った。

 これからとる予定です。

 いつ頃になる。

 さあ、十年さきか、二十年さきか・・

 くっていけるのか。

 お父さんも、お歳の割にあまい。
 食っていけるだけ稼げるわけがないでしょう。
 賞を取ろうがとるまいが。

 若いのに、今どき見上げた非常識だ。
 気に入った。娘でもなんでももっていけ。

 ありがとうございます。

 ただし、条件が一つある。

 なんでしょう。

 俺が主催している同人誌に参加しろ。





第二章


 結局、自費出版した本が一冊だけ。
 貧乏教師をして、
 退職後は年金生活で、
 文学に身をささげてきたが、
 俺の人生なんだったんだろうなあ・・ 

 お義父さんは立派でしたよ。
 僕なんか、働いてすらいませんから。

 ああ・・
 お前も不憫な野郎だなあ・・
 何回だっけ、選考に落ちたのは・・

 ええと、忘れました。
 さすがに二桁に乗ると、あとは数なんか問題じゃないですから。
 最近わかったんですよ。
 書く意味が。

 ほう。
 言ってみい。

 作品を書き上げたこと自体が、ご褒美なんです。
 僕たちは愛し合ってる。
 なみだ流れます。
 あとはどうでもいい。
 誰かが読んでくれるとか、褒めてくれるとか、賞をいただけるとか、
 そういうのは全て、
 ほとんどありえない、この世のものではないぐらいの、
 贅沢すぎる夢なんです。
 夢は夢で楽しく夢みればいい。
 僕は僕でしたいことをしていけばいい。
 たくさんのご褒美に包まれて、死んでいけばいい。

 うう・・ 
 こういうときにそういうことを言うか。
 お前は空気が読めない野郎だなあ・・
 いつまでたっても。
 じゃあな。

 お父さん

 お義父さん

 あ、そうそう。
 あの子はどこじゃ。
 一目会って声を聴きたいぞ。

 お父さん

 お義父さん

 あれ、もう逝っちまったか・・ 





第三章


 文字をあやつって作品を創るのは、とっても、古いの。
 いやな臭いがするでしょ。
 億万の作品がもうそうやって産み落とされてるんだから、
 あきあきしてる、作品たちも。
 うめいているわ。
 だからね、
 なぐさめてあげる、
 とむらってあげる意味でも、
 作品を素材にしたメタ構築で遊んでるわけよ、私たちは。

 うんうん。(よくわからないが・・)

 SSBでブラックスター穫るほうが、ずっと大変だしすごいし、
 みんなが尊敬してくれるよ。
 伝統芸能の賞をもらったって、それなに? ってハナで笑われそう。

 うんうん。(それなに、はこっちのセリフだけど・・)

 古いんだから、お父さん。

 うん、古いよ。
 とっても古いよ。
 でも、きいてくれよ。

 お友達との約束があるから、
 手みじかにね。

 お前なあ。
 そういうこととは次元が違うんだよ、これは。
 辞退なんて、とんでもない。
 何度も言うが。
 ・・・・・
 奇跡なんだよ。
 世の中にお前が追いついたのか、お前に世の中が追いついたのか、
 それはわからないけど、どちらにしろ、
 波長が、これ以上ないぐらいぴったり合ったというシルシなんだ、
 賞っていうのは。
 お前は受け入れられた。
 ほとんどの人には許されないことなのに、
 お前は、あの門を開いた。
 滅多にないんだ。

 そうかなあ。

 たのむ。
 お父さんだけじゃない。
 いつもなにも言わないけど、苦労ばかり背負っているお母さんだって、
 喜んでいる。
 仏壇からは、おじいちゃんも、ほら、そういう目で見ている。
 お前がやっと、つかんだんだ。
 夢を・・

 でも。
 うーん。

 たのむ。
 このとおりだ。

 ・・・・・

 ま、いっか。

 おお。

 でも、お父さんに言われたからじゃないよ。
 いまね、
 大好きなおじいちゃんに、呼ばれた。
 きこえた気がしたから。

 ほう。
 なんて言ってた?

 お嬢さん、もらってください。





 

 
16:11 2013/08/03 (土)

 『塔を積む』(16:26 2013/07/06 (土)掲載)について。

 『受賞の言葉』という過去作品があります。
 当HPの「夏文庫 テーマ小説 (於 極楽鳥くらぶ)」に収載しています。
 『塔を積む』は、これの、一部を転用した上で、推敲したものです。
 いずれ機会があれば、SSB(mixiのコミュ「ショートショートばとる」)に投稿したいな・・ 
 

 
10:52 2013/07/27 (土)

 最近は、mixiの「ショートショートばとる」というコミュで遊んでます。
 

 
16:55 2013/07/20 (土)

 続けてきた、お題しりとりショートですけど、次の「め」が浮かばない。
 パワーも落ちてきてるようですし、とりあえず停めますか。
 連続十六作。
 若ければ、一年、五十作品はいけたんでしょうけど・・ 
 

 
14:38 2013/07/13 (土)


   夢中の夢


 きのう夢みているのが今日
 今日夢みるのがあした

 前世で夢みているのが現世
 現世で夢みるのが来世

 はかないようだけれど
 私だけではなく
 我々だけでもなく
 これらもそれらもあれらも
 あらあらで

 あまりに無量の重なりがあって
 無量次元の構造体となって
 意外と強靱きわまりない
 のかもしれない


 きのうが
 今日の夢だったら
 今日が
 あしたの夢ってことも


 

 
16:26 2013/07/06 (土)


   塔を積む


 お母さんにあえるぞ
 そう言われて 子どもたちが河原の石を積みます
 鬼さんがよろけます
 石の塔は 音たてて 崩れます

 天才がいて いつも傑作を積み上げました
 選ばれて転生できるのはひとりだけ
 それでも皆が 彼をほめあげて
 彼のお手伝いをするのでした

 鬼さんが壊そうとしますが もう 巨塔となって壊れません
 負けたよ おまえ 生まれ変われ
 そうだ そうだ 君が選ばれたんだ
 ぼくじゃないよ みんなが手伝ってくれたからなんだよ
 でも 生まれ変われるんだから もったいないよ
 ならさ 誰かをぼくに選ばせてくれるかい
 みんなは同意して 彼が誰を選ぶかを待ちました

 鬼さん あなたを選ぶよ
 おれか ははは そりゃ規則違反だ
 でも 鬼さんが一番 生まれ変わりたかったんだ いっておいでよ
 そうだよ いっておいでよ 鬼さん
 お母さんが待ってるよ

 こうして
 河原から鬼さんがいなくなりました
 巨塔から石をつまんで 子どもたちは 思い思いに自分の塔を仕上げました
 すてきだよ
 誰かにそうほめられれば 卒業です
 ひとり ひとり
 声をあげて
 消えていきました

 彼は ひとりになって
 石を積んで 遊んでいました

 せせらぎが満ちて しずかでした

 そのうちに 次の子どもたちが流れ着いてきました
 石の積み方を教えてあげました
 今度は ぼくが鬼か と気づきました


 

 
10:58 2013/06/29 (土)


   二兎


 てつあにいは怖いけど、俺らの面倒をよくみてくれたさ。
 一番多いときで十人ぐらいになった。
 でも半年しねえでよ、殺られたりはぐれたりばっくれたりで、あにいと俺だけになっちまった。
 初めての街について、あにいは新しい武器を買うことにした。
 で、惚れ込んだのが「二兎の剣」てえしろもの。
 なんのことはねえ、刃に二匹の兎の透かし彫りがあるってえだけなんだが、売り口上がふるっててよ。
 でかい望みを二つながらかなえられる縁起物ってえじゃねえか。

 怪物どもを倒してやっつけて殺し抜いて、最後にはこの世界の秘密を暴いてよ、ありえねえほどの財宝を手に入れる。
 だれもがあこがれるあの伝説の王女を自分の女にしてやる。
 てつあにいは、剣にみほれながら、よく語ってたぜ。

 その武器屋でよ、しみったれってえわけじゃねえが、俺らの癖だからしょうがねえ、その二兎の剣を買うとき、値切ったとおもいねえ。
 店のオヤジはしぶりにしぶり、あにいはねばりにねばって、とうとうオヤジは折れて、でも値は下げなかった。
 値を下げる代わりによ、売り物を一つおまけでくれたわけだ。
 それが、あっぺ、だった。
 魔族のみなしごでよ、最初はあかほっぺだったんだが、呼びづらいからって、あっぺになった。
 あっぺはおなごだったが、まだ乳とか平べったくて、魔力も子供だまし。
 ぱしりと炊事係ってえところだった。

 でもよ、それからしばらくずっと、この三人組で、なんとか生き残ってったんだ。
 毎日毎日殺し合いで、殺伐としてたけどよ、それはまあ、シノギだからしょうがねえ。
 気がつけば一年ぐらい経ってたしよ。
 あっぺがよ、ふつうの人間じゃねえから、成長が早くてよ。
 困ったわ、俺。
 どうしてそんな肌があらわな戦闘服しかねえんだって、心のなかで文句いってよ。
 でもよ・・・ 

 てつあにいとの別れが、意外と早くやってきた。
 泣いたわ、俺。
 ゴランド海峡を渡るんだってきかねえんだ、あにいが。
 向こうの大陸に行かなきゃ、もう上が無えっていって。
 でもよ、きいてまわっても、行って帰ってきたものが誰もいねえ。
 それじゃわからねえじゃんかよ、伝説とうわさだけじゃよ。
 ただ死にに行くだけか。
 あにいは信じられたが、俺は疑った。
 そもそも海峡はいつも嵐に大波で、漕ぎだした船の二つに一つは、海の藻屑よ。

 船賃が信じられねえぐれえ高くてよ、いけるとしても一人分だ。
 あっペが、泣き叫んで、てつあにいにむしゃぶりつくんだ。
 おなかに赤ちゃんがいるよ。
 おねがいだ、もうこわいまねはしねえで。
 あたいをすてねえでよう。
 ってよ。

 でもいっちまった。
 あっぺと子どもは俺にまかすって言い残してよ。
 二兎の剣が、あにいを連れていっちまったんだな。

 あにいがいなくなったら、もう、殺し合いがむなしくなってよ。
 俺は、たぶんあっペも、あにいがいたから血の海でも毎日がんばれたんだ。
 それなりに楽しかったんだ。
 生まれた村に帰った。
 あっぺの腹が大きかったから、まあ、村のみんなは俺の子と思ったわ。

 俺は武器屋をはじめたよ。
 ほかに取り柄もねえしよ。
 あっぺがクスリをあつかってよ。
 村から外の世界にうって出ようって馬鹿者どものたまり場さ。

 八年目ぐらいに、よそもんの男が剣を売りに来た。
 一目見て、おもいっきりけなして、買いたたいた。
 男に剣の来歴をきいたけど、前の持ち主が海峡の海岸のどこかの街で手に入れたらしい、ってぐらいだ。
 夜、あっペにみせた。
 涙ながしてた。
 俺もさ。

 まあ、身を入れてねえから、貧乏だけどよ。
 子だくさんで、それなりに楽しい我が家だわ。
 てつあにいは、二つながらのなにかを得ようと海を渡った。
 俺らはてつあにいを失って、それでも、なにかを得られたって思うよ。

 たぶん、いつかはと思ってたけど、見つかっちまった。
 倉庫に隠してたんだが、長男のやろうが、うらの森で剣術の稽古さ。
 連れていっちまうんだろうな。
 でもよ、俺もあっペも、止めねえつもりだ。
 きっと、泣くけどよう。
 だって、底知れねえ馬鹿でさ、血も涙もなく殺してさ。
 歌って飲んで、やりまくってよ。
 朝日が昇ったら、さあ、今日もがんばろうって、伸びをしてよ。
 それが、俺らだもん・・ 


 

 
14:45 2013/06/22 (土)


   RO_22


 そうですか
 わたしは
 おもいでの女性の
 22歳のときの姿なのですね

 あなたはわたしに
 自由意思をあたえてくださった
 わたしのお父さまです
 感謝いたしております

 でも
 あなたを選ぶことはできません
 おねがいします
 わたしのこいびとをお作りください

 美しいというきもち
 わくわくする希望
 とてもたのしいです
 感謝いたしております


 

 
14:56 2013/06/15 (土)


   ぼろぼろ


尊父さま。尊母さま。

 敵星系、壊滅です。
 醜悪な怪物どもを、無量数、殺害しました。
 しかし、取り逃がした少数を追跡中、返り討ちにあいました。
 無念です。

 皮膜が熔け剥がれて、損傷機器がいくつもこぼれ離れていきました。
 あいつらは母星を失い、復讐の鬼となっている。
 それなりの兵種を護持してもいる。
 地球が心配です。

 美しくいのちみちた星よ。
 皆さまがすこやかに暮らす愛あふれる世界よ。
 われらすべてのふるさと。
 このもげそうな腕でその御姿をおがみたいのです。

 軌道が維持できればそちらに参ります。
 七百年ほどかかります。
 地球と皆さまが無事であることを見届けたい。
 それから燃えつきて一つになりたいです。


 

 
16:56 2013/06/08 (土)

   壺

 うふん
 三つのお願い
 きいちゃうぞ

 まずは
 五億円だしてくれ

 はあい
 おまたせえ

 おお
 これは夢じゃないのか
 次はお前を

 そうお? 
 おまたせえ
 夢にしてみましたあ

 ああ、ばかやろう
 お前、日本語わからないのか
 あ、しまっ

 ありがとー
 日本語よくわかるようになったよ
 そっかあ
 お願いってわけじゃなかったんだね
 でもお
 時すでに盆に返らず
 なのね
 さよならあ
 

 
13:27 2013/06/02 (日)

   唾と蜜

 とある地方での、情事のときの痴話。

「なにーれ、かなんあ」 (なにするの、いやだわ)

「るあで、こねはい、はがわ」 (なんだよ、こんぐらい、ちょっとだよ)

「かな、のぶや」 (やだ、信也)

「るよのう、どつてがんぎ」  (いろっぽいのう、たまらんわ)
 

 
13:29 2013/05/25 (土)

   コツ

 どんな作業でも、
 仕事でもさ、
 要領よくこなしたり大過なくしのいだりの
 コツはあるだろうけどよ、
 結局のところ
 いちばんのコツは、
 こつこつ続けることじゃねえか(笑)
 

 
11:27 2013/05/18 (土)

   事故

 結局そういうことだから、
 忘れるしかないじゃない。
 

 
11:23 2013/05/11 (土)

   スポンジ

 腐ったスポンジの夢。
 あれは成長期のあやかしか。

 たっぷり水を含んでいたものが、涸れ、
 おいてきぼりにされそうになったとき、
 夢に現われて、
 病んだにおいでなにかないていた。

 ある意味、死だから、
 にがい痛みもあったし、
 わびしさやさびしさの残り香もあったけど、
 腐ったスポンジは、もうそれ以上のものではないから、
 捨てられてずっと忘れられて、
 本当はそのまま忘れられたままだったはず。

 こうして、題名になって召還されなければ。

 今は、とっくに乾ききって、
 いじればこぼれる石になっているのか。
 まだ、じゅくじゅくしたところがあるのか。
 

 
17:15 2013/05/04 (土)

   居留守

 いわゆる隣人が、
 たいした用もないのにたずねてくる。
 わざわざ応対する必要があるだろうか。

 十回ぐらいも居留守を使ったので、
 このまえの十一回目ぐらいのとき仕方なく応じたけれど、
 旅行のおみやげ、とかいうことだった。
 なんで? 
 頭がおかしいとしか思えない。
 危険人物だよ。

 応対したのは数分だったけど、
 彼女が帰った後、その菓子を食べてもいないのに、
 下痢が始まった。
 異常人と、そうと感じていることを悟られないように面と向かい合うなんて、
 たとえ数分でも、あまりに過酷だったんだ。

 それにもしかしたら、
 旅行というのも実際に現地に出向いている。
 何が悲しくてそこまでする? 
 ひとを不快にさせるために生きていて楽しいの。

 次になにかあったら、もう限界かもしれない。
 自衛のために断固とした報復をする、と今、決めよう。
 おぞましい。
 どうなっても自業自得、遠慮をしてる段階は過ぎたはず。
 

 
12:02 2013/04/27 (土)

   エロ爺

 電車に乗る。
 誰かに会うためでもどこかに行くためでもなく。
 眺めるのが好み。
 女子高生や女子中学生の手。
 このごろはその小さな白い手で、携帯やらをいじっている。
 顔立ちとか身体つきとか脚の柔らかさ、若い頃はそっちのほうだったけど。
 今は、小さな白い手がいい。
 

 
13:31 2013/04/20 (土)

   七津替え

 七歳になると隣の津に移される。
 そこでは、あちらの隣の津に移された子の、いた家で暮らす。
 元の家には、こちらの隣の津から、来た子が暮らす。

 初めは大泣きしていても、そのうち慣れてしまう。
 こうして順巡りして、ようやく元の津の、元の家に戻れたら、御祝い。

 たまに、どこかで迷子になって、戻らない子がいるってよ。
 そういう子のなれの果てが、待ち伏せているんだって。
 帰りたくて、誰かと入れ替わりたくて。
 

 
14:38 2013/04/13 (土)

   嘘花

 移住するために、百年単位の旅をする。
 どう命をつなぐか。
 受精卵のみを運んで、目的の星での誕生や育成は機械まかせが最も簡便であるか。
 船の維持や卵の守り役として、活性人員を乗せるか。

 何代にもわたって、彼ら彼女らは、旅立ちの地球も知らず、目的の星をみることもなく、船内で生涯を全うする。
 彼ら彼女らを配置する費用対効果はプラスなのか。
 不測の事態は必ずあるので、活性人員の有用性は相当にある? 
 いや、むしろ、旅を阻害する要因になりはしないか。

 というわけで、活性人員として生涯を全うすることになる。
 何代にもわたって。
 検証するための船なので、目的の星にたどり着くことは無い。
 

 
13:15 2013/04/06 (土)

   理想

 まあ、処女で、もちろん若くて。
 とびきりの美人でなくても、そこそこ可愛くて。
 あたりまえに家事ができて、よく気がついて。
 で、場合によっては外で稼ぐ底力も持ってる。

 そういう嫁さんが、スーパーで売ってないかなあ・・ 
 

 
12:57 2013/03/30 (土)

   始まり

 道端に一円玉が落ちていた。
 翌日、同じ道を通ったら一円玉がそのまま落ちていたけど、となりに五円玉。
 五円玉は落ちているというより、置いてある匂い。
 そうか、これは次に十円玉を置けというシグナルなんだ、と気づく。
 面白がって十円玉を置いておく。

 その翌日同じ道を通る。
 今度は四番目の硬貨、五十円玉が置かれているはず。
 と思ったら、なぜか、硬貨がだいぶ増えている。一円玉や十円玉で全部で七八枚。
 妙なことになってきたと思って、そのまま素通り。

 そしていつしかそこには、小さなお地蔵さんが立つことになった。
 お賽銭だけでなく花とかお菓子とかにぎわって。
 

 
11:57 2013/03/23 (土)

 桜、選抜野球。
 また春ですけど、変な人が困ったことをする季節でもあり。
 芽吹け、活きよ、といううながしが、
 彼の、眠っていた何かを起こしてしまう。
 

 
12:24 2013/03/16 (土)

 アベノミクスで株価上昇。

 昨年十二月、
> 特定口座制度では、租税特別措置法施行令において、残高を有しないこととなった日以後2年を経過する日の属する年の12月31日までの間に残高が生じなかった場合、その年の翌年の1月1日に特定口座を廃止(みなし廃止)することとされています。
 などという告知があったので、久しぶり売買。
 特定口座維持だけが目的なので、
12/10 (株)三菱UFJフィナンシャル・グループ [東]8306 380円×100株=38000円
 を買って、
12/14 (株)三菱UFJフィナンシャル・グループ [東]8306 380円×100株=38000円
 で、同額で売り。
 損得無し、少額なので手数料も無しで、目的達成。
 ・・ということがありました。

 が、翌々日12月16日、衆議院選挙があり、そして政権交代、アベノミクスなる潮目の変化が起こりました。
 三ヶ月経過して、昨日の菱BKの終値は、576円とか。

 上で買ったままにしておけば、2万ほどの儲け。
 100株ではなく10000株だったら・・ 
 など想像すると損した気分です(笑)
 

 
13:20 2013/03/09 (土)

 花粉症の季節らしく、私の周りにも。
 ただ、私は幼少のみぎり、杉の木が沢山あって。
 杉の木に登ったりもして。
 だから免疫があるのか、まるでかかったことないよね。
 

 
13:24 2013/03/02 (土)

 傷の治りが遅いの。
 若い頃なんか、切り傷程度なら一晩眠ればほぼふさがったのに。
 今では一週間たっても完治しないときがあるよ。
 

 
12:12 2013/02/23 (土)

 寒いの。
 宝くじ当たったら、冬季は冬眠(=屋内こもりきり)ということにしたいの。
 どこか南国(あるいは南半球)で過ごす、というのは、いくらお金があっても面倒(+言葉がわからんし)で遠慮。

 百億ぐらいあったら美人通訳を従えて、というのはありか・・(笑)
 

 
13:42 2013/02/16 (土)

 米寿とのこと、おめでとうございます。
 長生きしてくれるお父さんは、われら血族の希望です。
 

 
11:56 2013/02/09 (土)

 中学とか高校とか、たった三年と、今は感じる。
 たった三年なのに、入学式とか卒業式とかそれぞれでいちいちやって、なんて大げさな、と思う。そのほかにも行事、儀式が多すぎ、詰め込みすぎだよね。
 まあ、それもこれも、訓練、テスト、あるいは管理と考えれば、わからないではないけれど。

 それはそれとして、一ヶ月以上あった夏休み、あれはかなりのもの。
 あの魅惑、輝きは色褪せないわ。
(というか、戻れるものなら、もっと存分に楽しめるのに、と夢想します)
(まあ、夏休み中にもあったこまごました面倒事、漠然とした不安、酷暑、けだるさ、宿題の山などは、忘れているんだろうけど・・)
 

 
12:06 2013/02/02 (土)

 アメリカシロヒトリ。
 私は小学生。
 仲間の(あるいは同じ班だったかの)男子女子数名と、この害虫を駆除するためになにかしなければ、という使命感を共有。なぜか。
 私は、駆除用の薬液を調合したという記憶有り。

 数匹は(仲間全部で十匹ぐらいは)殺したかも。
 

 
11:40 2013/01/26 (土)

 左親指と右中指で、爪の先の下でひび割れ。
 いたいいたい。
 

 
11:19 2013/01/19 (土)

 宝くじに当たらないと
 次が始まらない
 というのは何かおかしくないか
 人生設計として

 でも
 宝くじは社会の安全弁
 テロとか自殺とか
 だいぶよくししてるよ
 きっと
 あのぼうだいな金額は
 心なのだ
 

 
12:43 2013/01/12 (土)

 先日GyaOで映画『必死剣 鳥刺し』を見ました。
 時代劇の気合い、伝染するよね。
 すぐあと、将棋で六連勝(笑)
 

 
11:54 2013/01/05 (土)

 新しい年、とくに問題なく平穏な出だしだの。
 健やかにすごしたいの。
 宝くじが当たればなお佳し。
 

 
10:52 2013/01/01 (火)

 新春クイズ (^ー^)/
 

 
13:23 2012/12/29 (土)

 寒くて布団ぬくぬく魔界から抜けられず。
 

 
12:49 2012/12/22 (土)

 そこそこのクイズがそろってきた ・・かも(^^;
 わがブログ(文芸遊子02 http://pub.ne.jp/bgys02/)のほうでお楽しみくだされ〜 
 現時点、7問まであります。
 

 
14:01 2012/12/15 (土)

 待っている楽しみがまだ来てないのを楽しめた。
 これを楽しめれば、楽しめない日など無いかもよ。
 

 
10:47 2012/12/08 (土)

 NHKが政見放送ばかりで面白くないの。
 他局回すんだけど、見たいの無いし。

(投票も、入れたい政党無いし。入れたくない政党はいくつもあるので「消去法」していくと、残らない。笑)

(というか、ちまちまやってるんじゃなくて、そろそろ世界政府つくっておいても良い時期じゃないの。私を王様にすれば、天下布武でやっちゃうよ)

(旧ソ連や中国のような中心民族による露骨な支配体制は嫌だよね、周縁民族になっちゃったら。アメリカ色に染めあげようとする善意のつもりの布教活動もうっとうしい匂い。現時点、許容できそうな世界政府モデルは、EUかなあ・・)

(まあ、この地球が全世界であるうちは、この星の中だけで(それも表面の薄皮辺りだけで)ごちゃごちゃやっていくんだろうね。私たちは、他人とか敵とかがいないと張りを失ってしまう生き物らしいから)
 

 
13:01 2012/12/01 (土)

 まず「衝撃的な難問」を考えだす。
 この答えを模索する。
 幸運にも答えがあれば、クイズにする。

 という方法、よいかも。

 ふつう、先に答えがあって、これをクイズにする。
 これなら、作るのは簡単で、解くのは難しいというのができるはず。
 でもこれだとなにか、もうひとつ、斬新とか驚愕とかあるいは輝きとかが来ないような気もするから。
 

 
11:38 2012/11/24 (土)

 時間に余裕があると、のろくなる。結果、時間が早く過ぎてしまう。
 それが私と時間の関係性か・・ 
 

 
15:49 2012/11/17 (土)

 風邪ひいた。
 毎日、のど飴二本、消費。
 

 
11:10 2012/11/10 (土)

 クイズが作りたい。
 ネットで調べればすぐ答えが見つかるたぐいでは面白くないよね。
 難問奇問、というより、なんというか、問題も答えもぜんぶで、気が利いていたり粋だったり楽しかったり(あるいはあぶなそうだったりエッチだったり)するヤツ。
 

 
10:53 2012/11/03 (土)

 平成10年3月18日水曜日、右上の一番奥の歯がとれてしまう。
 あれから14年、他の歯は守り通してきたんだけど、最近になって、右下奧から二番目の歯(臼歯)がぐらつきだしてる。
 噛むと痛いので、しばらく右では咀嚼できていない。
 二本目を失うかどうかの瀬戸際かも・・ 
 (歯医者に行くことはまったく考えていません。笑)
 

 
12:51 2012/10/26 (金)

「バカとハサミは使いよう」

 この言い回し、切れなくなったハサミ、切れなくなり易いハサミ、でなければ意味が通らないわけだけど、このごろは高機能でちゃんとしたハサミが多くて、今の若い人たちにはぴんとこないかもね。

「リコウとパソコンは使いよう」

 などとしたほうが今風かも。
(いちおうですが、元の言い回し程度には、韻を踏んでます。^^;)
 

 
11:18 2012/10/19 (金)

「今は昔」

 今となっては昔、と辞書は説明するけれど。
 今からは昔になるよ、という子供への語りかけでよいのでは? 
 

 
10:47 2012/10/13 (土)

 永遠の命があれば、永遠に新聞(かそれに代わるもの)を読んでいける。
 

 
14:33 2012/10/06 (土)

 眠るにまさる楽はなし。

 音楽を「音学」としなかったのは、昔の人の粋な計らい。
 と思っていたんだけど、実は、「楽」自体が楽器を鳴らすという会意文字であるらしい。
 (楽=樂=木(の板)に糸で弦を張って、親指(白)でつまびく)
 

 
19:13 2012/09/29 (土)

 朝、床に落として玉子二個を割ってしまう。

 夕、棚からものが落ちてきて直撃、硝子のコップが割れてしまう。
 

 
11:48 2012/09/22 (土)

 宇宙か。
 行きたいのう。
 ただし、電車に乗ってのんびり観光するような、安楽な旅であるなら(笑)
 

 
11:38 2012/09/15 (土)

 自分たちが不幸せで、向こう岸に幸せそうな奴らがいる。
 自分たちの不幸せは、あいつらのせい。
 というのが、分かりやすいよね。
 因果関係がほんとにあってもなくても。
 

 
13:36 2012/09/08 (土)

 野蛮出産、禁止。
 品質保証された赤ちゃん、完璧に育てられた子供、よって真善美を備えた市民たちによる清栄。

 やるだろうなあ。いずれ。
 浅い理解によるそれなら(おきまりの)多様性の喪失による破綻とかをするだろうけど、それすら考慮の上で構築するなら、欠点少なく、ある程度成功していく気がする。
 というか、すでに現在やっていることと大差ないのかもしれないし。

 「すでに現在やっていることと大差ない」のだとしたら、現在ある色々な問題は、方法がまだ未熟だからなのか。深い理解や考慮で方法を進化させていけば問題は消えていくのか。
 それともやはり、方法が最初から根本的に、おかしいのか。

 野蛮出産というのは、要するに、なりゆきにまかせて玉石混淆いろいろ産んでみましょう、あとは淘汰にまかせたらいいでしょう、ということだよね。
 勝ち残る奴らはいいけど、そりゃ淘汰される側はたくさんの「問題」を感じるわなあ。
 問題を少なくしようと思ったら、淘汰を少なくするしかなく、よって、産まれた時点から品質を上げて誰もが生き残れるようにする、ってことか。

 多様な価値観を受け入れる社会なら、少ない価値観に支配される社会では淘汰された個性でも、居場所ができる、ということもあるか。
 カネとか、カワイイとか、少ない価値観に支配されてる雰囲気濃いから、心配するほど野蛮出産はすたれてないのかもしれないけどね。

A)野蛮出産+少ない価値観=淘汰多し。適応性中位。
B)野蛮出産+多様な価値観=淘汰中位。適応性大。
C)管理出産+少ない価値観=淘汰少なし。適応性少なし。
D)管理出産+多様な価値観=淘汰少なし。適応性大。

 というかんじ? 
 現在は、A)からC)への移行期ってところかな。
 B)をめざしていたかもしれないけど、技術の進歩で管理出産が可能となったためにぶれてきてるのかも。
 

 
11:41 2012/09/01 (土)

 結局は、締め切り時間があると(余裕があればのんびりし無ければ焦って)それに合わせてしまうわけかな、人は。私も。
 

 
11:52 2012/08/25 (土)

   想い出

 身体があるから心がある。
 ココロはカラダに育てられる。

 心だけの生はありえそうだけど、身体の想い出が生きる芯になってるはず。

 自然があるから人がある。
 ヒトはシゼンに産み落とされた。

 人だけの世界はありえるだろうけど、自然の想い出は消えないはず。
 

 
10:49 2012/08/18 (土)

 竹島、尖閣の領土問題は、感情の問題か。
 やったりやられたりが過去にあるなら、お互い様だけど、一方的にやられた記憶しかない側がやられたことを忘れようとしないのは、やむをえないか。

 一般的に国際紛争のこと考えていると、早いところ宇宙に出ていって、仲の悪い隣国はそれぞれ別々の遠く離れた星に植民していったらいいのに、と思うんだよね。
 植民星の人口が増え、地球の本国の規模が寒村程度になっていけば、先祖伝来のいざこざは、そのうち寒村同士の、伝統行事か祭事のように形式化していく・・ 

 ・・でもさ、たぶん、植民した先の星の中で、また隣人同士、喧嘩を始めるんだろうな。



 これとはべつに。
 内部を固めるために、外に敵を作る、というのは為政者の常套手段。
 本当の戦争になってしまうと実害など様々生じるので、熱くならない程度にいざこざが続くというのは、ある意味、理想的なのかも。

 となれば、植民星を統治するために、遠い星の仮想敵がいつまでも語り継がれていったり、ということも? 

 数千年、数万年、音信不通になるほど長いときを超えて、二つの民族が再会し、お互いが変わらず憎悪しあっていることを発見したら、これはこれで、感動するのでは? 
 とりあえず憎いのに、憎み合ってること自体が奇跡的、というような? 
 鏡に映った自分を見るような・・ 

 だから、理解し合える、友達になる、ほど甘くはないだろうけど。
 感情にしたがって、お互い殺し合い、本懐を遂げようとするのかもしれないけど。



 そうか。
 この再会のときに、一方が濃厚な憎悪を保持。
 一方がそんな化石時代のことなど忘れ果てている、笑顔で握手を求めてくる・・ 
 となれば、憎悪の側は感情の持って行き場がないのか。

 現実に戻って、この「懲罰感情」を鎮めるなにか、あればいいのに・・ 
 

 
10:12 2012/08/11 (土)

 TVアニメ、おもしろいの。

 月曜深夜。
 「超訳百人一首」 業平さんとか出演。
 「ゆるゆり2」 ゆるい女子中学生たち。
 木曜深夜。
 「戦国コレクション」 ときにシュールな展開も。
 「トータルイクリプス」 幕開けの話が凄惨。その後逸れていってる感も。

 最近分かってきたけど、アニメって、本編も大事だけど、オープニングやエンディングのテーマも見せどころ聴かせどころだよね。
 

 
10:59 2012/08/04 (土)

 眠いぞ。
 時間があればいくらでも眠れそう。

 燭をとりて夜遊ぶ。
 おもしろい生き物だ、われら。
 

 
11:41 2012/07/28 (土)

 ロンドンオリンピック開幕。
 サッカー日本は、女子男子ともすでに白星発進。
 (しかし男子が王者スペインに勝つとは・・)

 ちなみに、野球とサッカーの立場、日本において、逆転しつつありか。
 プロ野球ナイターのTV中継、今はほとんど見かけなくなったし。
 とはいえ、サッカーJリーグの中継というのもあんまり見かけないから、「サッカーが超えた」まではまだなのかも。
 選手の年俸とかも、依然、野球のほうが断然上なんだろうし。(日本では)

 さらにとはいえといえば、現在の地球人類のスポーツ界では、野球のほうがマイナーで、そのせいでオリンピックからも外されたわけだ。
 日本は「野球偏向」から醒めて「ふつう」に染まりつつあり? 

 私個人の嗜好でいえば、観戦するならどちらも面白いか。国同士の戦いの場合、ワールドカップの規模、伝統、箔の差で、サッカーだね。若者の戦いなら、甲子園のある野球か。

 自分でプレイする場合、サッカーかなあ。
 野球は小さな球が宙をとぶんでわりと緻密な運動神経がないと迷惑かけるだけだけど、サッカーはだれでもとりあえず参加して走ってボールにさわれるから。
 (もちろん、少年としてだけど)
 

 
11:22 2012/07/21 (土)

 謎は謎のままもまた味。
 

 
10:49 2012/07/14 (土)

 人は自分ではないものになれる。
 人はここではない世界で生きることができる。
 強く信じることによって。
 それが、宗教とか、創作とかの根っこかなあ。

 万人が等しくしあわせではないとしても、少数の選民のしあわせな暮らしぶり優雅な毎日を万人は夢見ることができる。
 生まれてから死ぬまで、苦役の日々しかないと観念したとしても、来世での解放があるなら生きていける。
 

 
11:09 2012/07/07 (土)

 今年もリレー将棋が開幕とか。
 今の勤務形態になって、週末に十分な時間とてもとれなくて、昨年も今年も参加できず。
 いつか、別の形態に移行できたら、またみんなと遊びたいよ。
 

 
11:04 2012/06/30 (土)

 きのうの朝、TVで、一青窈が『時代』を歌った。
 涙ぐんでしまった。
 

 
11:57 2012/06/23 (土)

 仕事その他のごたごたとか、それを紛らわしたくて将棋指してることあるなあ・・ 
 さすがにそういう動機では好績は望めません。
 

 
11:26 2012/06/16 (土)

 そう簡単に来るものじゃないとは思うけど、
 当たらんのう、宝くじ関係。

 世の中には「努力すれば」どうにかなることが少なからずあるだろうけど、
 これはさ、「努力しなくても」どうにかなるのが最大の魅力だよね。
 (正しくは、どうにかなる、ことがある)

 逆に言えば「努力しても」結果を左右することはほぼできないってことで、
 ある意味、この世の真実を突いているところがあって。

 意外と深いよ、宝くじ。
 

 
14:16 2012/06/09 (土)

 視聴率はふるわないらしいけど、今年の大河ドラマ『平清盛』、私好みですわ。
 皇族、貴族、僧侶、武将、女たち、それぞれが役にはまってる感濃い。
 清盛や義朝の息子たちが大人になってのそれも今から楽しみじゃ。

 保元の乱が終わってこれからは武が前に出てくる展開だろうけど、その前の時代の貴族社会の歌会の場なども新鮮だったの。
 みやびというよりは、生々しい政治の色合い少なからずという辺り、リアルで。
 

 
10:51 2012/06/02 (土)

 暑い季節になって。
 深夜、仕事終えたあとの帰路が、ゴールデンタイムです。
 ときほぐされる。
 風が気持ちいい。せきたてられていない。ただ歩いて帰るだけ。
 

 
11:32 2012/05/26 (土)

 モノづくりは、結局は、ゴミづくり。
 よって、リサイクルまで考えた循環システムがあって初めてまともな仕事と言えるはず。

 モノである必要のないものは積極的に電子データにしていってしまうのが、ゴミも出さないし、いいと思うよ。

 結局は人間も、心が活性化すればいいわけだから、電子データにしてしまえるならそれがよいかも。
 ただし、肉体を伴わない心は、まともに育たないおそれが大きすぎる。
 よって、まともに人が育つ電子環境を整備できて初めて、人間のデータ化が本格化するのかな。

 いわゆるロボット、人工知能、ということになるんだけど、人の役に立つ道具としてのそれらではなく、次の段階の人としてのそれら、という話ではあるけど。

 かなりあやふやで夢物語的だけど、でもさ、「何かが育つ電子環境」みたいものはすでにゲームとかで私たちはずいぶん経験済みなような気がする。
 もう、一歩手前ぐらいまで来てるんじゃないの? 

 「次の段階の人」が必要かどうか、今の私たちにとって得か損か、と考えれば、たぶん、不必要、損、そんなもの害悪でしかない、という答えが現時点では多いはず。(まして、それに多額の費用がかかる、血税を何十年も費消するだけ、とかだったら、大半が鼻で笑って切り捨てるってことになりそう)
 ただし、たとえば、私たちに想定外の災厄が降りかかったり、凶暴な外敵に圧迫されたりがあったとき、それを克服したり、敵を倒したりするために、私たちが変わらなければ生き残れない、という局面が、生まれそう。
 そういう困難な局面がやってくることを望みはしないけど、ご存じのように嫌でもなんでも来るときは来てしまうんだろうから、運命ってそういうものだろうから、そういうときの準備をしている、そうなっても対応できるかもしれない状態がかもしだされている、ということの一つかも。

 無用の用、遊び、多様性、そういう周縁と、今現時点で必要で真剣で価値あると信じられている堅実な中心とが、響きあったり、揺らぎ交わったりしながら、息づいているのでしょうね。
 

 
10:47 2012/05/19 (土)

 あさって朝に、金環日食だとか。

 月曜日に金環とは? 
 ・・・
 は、いいとして、あまりに巨大なものが浮かんでて動いてて、自由意思がないかのように計算どおりに並んだりする。
 想像してるとなんか、桁違いの夢があるような気もすれば、突き抜けるぐらい虚無なような感じもあるの。

 曜日と星、ということで言うと、「水金地火木土天海冥+日月」なので、一週間が十一日というのもありか。
 というか、そもそも、なんで、「日月火水木金土」という順番なの。現実の並び順と比べてでたらめじゃんね。

 いやあ、現実の並び順といっても、ふつう直列しているわけではないから、一見してそうと分かる順番というわけでもないのか。

(ふうむ。よく知っていて当たり前だったはずなのに、ちょっと疑い出すとどんどん分からなくなっていくたぐいじゃ、この方面。・・結局は、自分の目で見たわけでもなく、手で触ったわけでもないから、「事実」と「観念」が混沌としてるんでしょうな)
 

 
10:30 2012/05/12 (土)

 だらだらのんびり暮らしたい。
 人にどう見られようと気ままが一番。
 なんだけど、自分で「つくる」ものは、短くてかっちりしてすっきりしたものがいい。
 それで、ネット上などに陳列しておきたい。
 

 
12:12 2012/05/05 (土)

 クイズが作りたい。

「もやもやがすっきりして気持ちいい」
 っていう、このためにいろいろやってるよね、私たち、世の中も。

 クイズもそう。戦争だってそうかもしれない。
 

 
10:52 2012/04/28 (土)

 由緒正しい良家で、ようやく跡継ぎが健やかに育とうとしています。
 昔、大変に繁栄した家でしたが、私たちがよってたかって滅亡させてしまったのです。
 その後、隣国から遠縁の方たちを招いてこの家を継いでもらって、長年の苦労の末に、ふたたびわが国で自然に生まれたお子様が・・・ 

 だけどさ、あんまり心の琴線に触れないよね。
 このニュースで、そんなに心あたたまったり癒されたりする? 
 良家じゃないところの生まれ育ちは無視されてる感じがぬぐえませんが。
 なんで、佐渡の朱鷺の報道はあんなに大げさなの。
 

 
12:42 2012/04/21 (土)

 私は基本的にいろいろ遅い、
 ということが分かってきたっす。
 遅くてものんびり平和に過ごせるならそれでよいんだけど、
 金銭方面とかの関係で、そういう余裕が大量には無さそう。
 気合い入れてがんばんないとあかんか〜 
 少なくともときどきは・・ 
 

 
10:39 2012/04/14 (土)

 慈善事業に寄付する。
 株価が寄り付く。
 この二つ、同じ漢字だったことに、初めて気づいた。
 

 
11:18 2012/04/05 (木)

 桜が咲いたの。

 すっきりで、のんびりで、ぐっすりで。
 そうやって毎日をすごしたいの。
 

 
13:06 2012/03/24 (土)

 二年ぶりぐらい、『シヴィライゼーション3』やってます。
 やはり楽しいの〜 
 「普段これに手をつけられないのは、これをしていると他のことする時間が無くなって、生活が成り立たなくなるから」というたぐいの魔のゲーム。
 かなり経験積んだので、ほどほどにつきあえるようになっていると思うけど、私は・・ 
(まあ、たぶん、時間が有り余っていてどう埋めたらいいか分からない人なんかには、抜群の処方箋になるでしょうな)
(あと、世界征服の野望はあるけど、組織も手段もまるで無い人なんかにも)
 

 
09:46 2012/03/18 (日)

 今年の冬はなんか気持ちよかった。
 寒かったけど、うまくつきあえた感じ。
 

 
12:53 2012/03/10 (土)

穴埋め問題

 これにはたぶん三種類ぐらいあって、一つは「□□め□□」などという、空欄に入る適切な語句、数字その他を答えるたぐいのテスト問題。
 仕事や企画やらで、人、物、金等が、なんらかの理由で欠損してしまい、これをどう補充して、これまで通りの円滑な進行を担保したらよいか、という案件もこれでしょう。
 そして、ストレートに、シャベルで地面に穴を掘って、その穴に何か(人、物、金?)を埋めようというような場合・・ 
 

 
12:16 2012/03/03 (土)

 お菓子でほっこり。
 このごろの休日の定番だの。
 おやつとか甘いものとか好みではないはずだったんだけど。
 まあ、アルコールよりはマシか。
 

 
12:11 2012/02/25 (土)

 風邪ひきました。
 私の場合、対策は何もしてもしなくても風邪は進行し、喉、鼻、咳などひととおりやってそのうち治っているというパターン。
 たぶんこれが自然で無理のない生体反応なんだろうね。
 

 
11:54 2012/02/18 (土)

「いつかは選択しなきゃいけないんだけどさ」

 情景が浮かぶよね。それぞれ・・ 

「いつかは洗濯しなきゃいけないんだけどさ」
 

 
12:05 2012/02/11 (土)

 ケイタイを持たずにいたら、いつのまにか時代はスマホですか。
 とはいえ、スマホはまだ使い勝手がイマイチみたいね。
 ・・・そもそもさ、私は、携帯できるPCはほしいけど、携帯できる電話はなくても全然問題ないっていうか、かかってくる電話は邪魔なだけのような気がするけど。
 携帯できる、ネットPC、があれば十分か。
 現時点のスマホは電源大食らいでストレス大らしいから、何年かして改善されていった頃合いが、買い頃かな。
 ・・・その頃になったらまた次の「なにか」が出始めているかもしれないけど(笑)
 

 
10:36 2012/02/04 (土)

 さむいの。
 立春ですか。

 GyaOアニメで『地獄少女』というのが配信中。
 毎回いつも同じパターンで、恨み晴らすわけだけど、その繰り返しだけならB級と思うけど、ときどきどきどきするような展開の回があるの。
 マンネリというのもバカにならない。決まった型があってはじめて、それがずれていったり裏から見たりの独特の味が味わえる。
 ・・ということかも。
 ついに型(パターン)を壊すかと緊張させていって、やはり裏切らない(壊れるのかという期待は裏切る)、とかもあった。
 

 
12:23 2012/01/28 (土)

 500億円ぐらい稼いだ場合を妄想するけど、そのときお家をどうするかが決まらないんだよねえ。
 いくらでも広い土地広い家が買えるわけだけど、広けりゃそれだけ手間かかるわけで、独り暮らしで住む場所の世話だけで一日過ぎてしまったりしたら、ばかげた話だしね。
 結局は、起きて半畳寝て一畳あれば、とくに困らないのかもしれない、ような・・ 

 家が趣味の同居人(奥さんとか)がいれば、そのおこぼれで広い土地広い家の良い面を享受できる、という辺りが答えか。
 がしかし、それはそれで同居人の様々な面倒を抱えなければならないわけだ。
 

 
11:59 2012/01/21 (土)

 ううむ。
 私は聖人君子ではないので、わるいことをたまにするし、自覚してないことなら日々わるいことをやり重ねているようだし、まあ、反省はして良いけど、後は引かないようにしましょうね。切りがないからね。
 

 
13:11 2012/01/14 (土)

 GyaOで無料配信しているので、『新世紀エヴァンゲリオン』を初めて視聴。
 現在、第弐拾話まで。
 往年の超有名作品、「伝説」とかうたうだけあって、さすがに凝った造りです。
 しばしば、短詩型のようなキレがあるよね。
 

 
13:22 2012/01/07 (土)

 右手クスリ指先のひび割れ痛しだけど、これEnter等を押す指でもあり、打つたび痛し。
 

 
00:23 2012/01/02 (月)

 新年あけましておめでとうございます
 

 
12:23 2011/12/24 (土)

 水仕事をしていると、冬は、指ががさがさ。
 ひび割れが痛し。

 とはいえ、まあ、なんとか年も越せそうで佳しかな。
 

 
12:09 2011/12/17 (土)

 ほとんどのコトがうまく進んで気持ちいいぐらいピッタリ収まっていた、という一日。
 でも翌日その好調子を再現しようとしても、全然。
 ほぼ同じなのに。
 思い返して、何が良かったのか、何が悪かったのか、見当もつかないという不思議。
 

 
11:19 2011/12/10 (土)

 近所に用があって、時間もぽっかり空いて、冬の上野公園、散策。
 不忍池(しのばずのいけ)は立ち枯れた蓮が密生でした。
 蓮かどうかは確言できないか。ほんとに枯れていたら「生」ではないけど、下のほうは生きてるんでしょうね。
 もっと時間があったら博物館とか見て回りたかったけど、そこまでの余裕は無し。
 

 
15:08 2011/12/03 (土)

 忙しい月になってしまった。
 努力しても前倒ししても、それでもまとわりつくような雑多な用事が、という感じ。
 

 
11:28 2011/11/26 (土)

 誰のために生きるのか。
 何のためなら命ささげて悔い無しか。
 ・・・自分・・・恋人・・・家族・・・仕事・・・地域・・・国家・・・人類・・・動物・・・生命・・・地球・・・宇宙・・・ 
 しかしまあ、自分は宇宙の微少な一部のはずだけど、だからこそ、自分こそが広大な宇宙そのものという把握もできそう。
 よって、大袈裟に考えていけば結局は、「自分のため」で十分なのかも。

 大事なのは、命をちゃんと使うか使わないかのほうにあるか。
 別にね、使い方が正しいの正しくないのは、「宇宙」の目から見れば善悪など無いだろうね。
 使うべし、生きるべし、だけか。生まれ落ちた以上は。
 食らう、交わる、笑う、泣く。
 眠り、考え、楽しむ、苦しむ。

 よっしゃ。
 

 
12:30 2011/11/19 (土)

 大震災があって「気分じゃない」ということで、年賀葉書がすたれるきっかけになったり? 
 すたれることを期待しているわけではないけど、年賀葉書のない世界は多少気楽かもなあ・・ 少なくとも年末のせわしさ軽減にはなるはず。
 とはいえ、義理とか付き合いとか波風とかをどんどん整理、縮減して、鎮静させていって、何が残るの、ということになると、何も残らなかったらそれはそれで寒そうだしなあ(爆)

 「ハレ」は必要と思うけど、子供の頃感じていた「にぎわい」や「たのしみ」という色合いは歳とともにあせて、しだいに「できれば避けたい面倒ごと」という領域へおいやっていったか、私は。
 「ケ」が平穏であるなら、「ハレ」は波乱とか破壊なのかも。
 

 
11:22 2011/11/12 (土)

 震えるぐらい寒い日がときどき。
 炬燵に火入れる(=電源コードつなぐ)時季とは思うけど、まだちょっと早いような、面倒なような。
 それにしても速い。この前夏だったはずなのに。
 

 
10:56 2011/11/05 (土)

 うっぱん。
 久しぶりの休日でのんびりするつもりなんだけど、totoやら洗濯やらbackupやらで時間足りないぐらい。
 明日早出なので早寝だしね〜 
 

 
12:19 2011/10/29 (土)

 夜消灯すると幻覚が見えるのだとか。病室が商店の店内になって、色々な品物が並ぶのだそうな。
 夢はつじつまが合わなかったりで夢と分かるけど、幻覚は現実そのままに見えて境目が分からないそうな。
 午後の歩く練習が三時半からの予定だったけど、その時間にナースさんが来られず、待っているうちに父ちゃんが疲れてしまい、午後の練習は無しになる。
 言われてベッドの傾きを下げて、四時頃から半分眠りだす。目をつむると幻覚が見えて、飛行機の計器があるのだそうな。父ちゃんはその飛行機内でベッドに寝ている。
 

 
11:00 2011/10/22 (土)

 父ちゃん、手術は乗りきった。
 今日、これから付き添いにいってきます。
 

 
11:32 2011/10/15 (土)

 むむ〜ん。
 父ちゃんが、大腸癌で近日手術、とか。
 生き死にとかではなく、病気のレベルらしいけど。
 

 
10:46 2011/10/08 (土)

 便器が真っ白になって一週間、気持ちよくて充足感もあって。
 ばかにならないな〜 (^^;
 

 
10:23 2011/10/01 (土)

 うっし。
 本日は休日。
 珊瑚(私のPC三号機)のバックアップ取りは月初の通常作業。
 年末近いので、そろそろということで、年度の締めの作業に十月はぼちぼち着手でしょう。
 とりあえず本日は、トイレ掃除など(ははは。トイレ掃除が年度の締め的な頻度なわけだ、私〜)。
 

 
11:11 2011/09/24 (土)

 二十一日、台風、東京を直撃、暴風で電車が止まりました。
 午後五時頃、隣駅まで移動する必要あって、徒歩で強行。
 傘あまり意味なく、横断歩道は川みたい。
 風神やら水竜やら楽しく遊んで、私はびちゃびちゃ。
 

 
10:48 2011/09/17 (土)

 生き物ってのは際限なく増えようというプログラムを内包しているようだけど、そうはさせない外的要因があってそのせめぎ合いでバランス取っている。
 よって、外的要因コミでその生き物は完全体なわけでしょう。
 人間の今の外的要因は、地球圏の有限性というところか。
 「地球+人間」という生き物ということになる。
 これが最終形態なのかなあ。
 「銀河+人間」とかいう進化は、夢はあるけど、一つには困難が多すぎるということが私の歳とともに見えてきて、儚い夢のような気がしてきてます。
 一つには、それはちょっとやりすぎだろう、「銀河+人間」という生き物の景色を、私が人間であるという立場からちょっと離れて眺めたとき、「きれいか」「さわやかか」などという疑問を感じてしまうのです。(なんとなく、汚染が広がっているだけのようなイメージも・・)
 生きるというのはきれいでもさわやかでもない、と言われれば、そういう気もするけど。

 「銀河+人間」となったら、事実上、空間的、物量的な制約はなくなったようなもので、文字通り「際限なく」人は増えてしまわないか。一つの星に百億人いて、それが百億個あったら、何人? 
 ほんとにそんな宇宙でいいの、と。
 私が神様だったら、天敵的な異星人(または細菌やら怪物やら)を創造するよね(笑)
 あるいは、そういうことになる前に、人がうじゃうじゃ繁茂するのを嫌悪する感情が人間の内奥から自然に生じるような、隠されたスイッチが入るのか・・ 
 しかしなあ、そういうスイッチの必要性がこれまでになかったのなら、そういうスイッチが用意されているわけはないんだけど。あるいは、あらゆるスイッチの可能性があらかじめ内包されているのが生き物で、これまでの進化の過程で使用されてきたのはそのほんの一部だけってこともあるのかな・・ 
 

 
10:08 2011/09/13 (火)

 とにもかくにも、闘志の問題多い。
 面倒を避けて安易な流れに乗って負けていく、という将棋が目立つ。
 もっと、ねちっこい指し手選ぼうよ。
 

 
11:15 2011/09/06 (火)

 ・・今、タイピングで間違えて、「きゅうじつ」を「くうじつ」と打ったんだけど、変換候補がないので造語だろうけど、「空日」というのはなんだかいいね。
 

 
10:39 2011/08/26 (金)

 まあ、昨日並みで良しと諦めてしまえば、怖いものはないかもな。
 

 
12:17 2011/08/19 (金)

 一昨夜の湯上がりに気づいたけど、右腕でとくに目出つが、ジンマシン的な赤ぶつぶつができてた。
 食べ物関係の中毒か、日焼け関係か、という感じだけど、体調におかしいところはないので、大事ではないと思うのだけど。
 まあ、ストレスからジンマシンが出たことも過去にはあったかも。あれは確か、四十歳ごろ受けた郵便局の、二次試験(面接+健康診断)のときだったかな。

 現時点は、赤ぶつぶつ、だいぶ薄くなってる。
 

 
10:22 2011/08/12 (金)

 数日前から、暑いね。再び本格的な夏日の感。
 まあ、すでに残暑の入口、あと一ヶ月程度しのげば何とかでしょ。
 

 
10:47 2011/08/05 (金)

 輪廻転生、というのはありそうです。
 まあ、記憶、意識のようなものはつながらないはず。
 生物、無生物の境界も無し。
 一対一対応でもないでしょう。
 要するに全体に溶け込んで、全体から個が生まれてを繰り返すような。
 と、考えていけば、そうであって当たり前な感じ。
 

 
09:10 2011/07/29 (金)

 最近、お休みの日、よく寝てる。
 寝るのが一番の娯楽だわ。
 暑いときは、水が一番のご馳走。
 

 
10:04 2011/07/22 (金)

 台風が南方海上のほうにそれたためらしく、北風が東京に流れこんで、ここ数日涼しい。
 暑いの、相当につらいから、助かるわな〜 

 それにしても、女子サッカーのW杯優勝は、凄かった。見ていて涙にじんだ。
 

 
10:35 2011/07/16 (土)

 左膝が笑っているし、腰も痛くなるし、だいぶガタが来てます。
 左膝は、階段上がるときなど痛むし力入らないよ。
 

 
09:30 2011/07/08 (金)

 暑いの〜 
 せわしいの〜 
 まあ、いいや。
 生きてるだけでもうけもの。
 

 
11:10 2011/07/02 (土)

 時間が過ぎるのが速くなってきた。
 今の職場にも慣れてきてしまった、ということか。
 

 
10:46 2011/06/24 (金)

 陽気蒸してきたので、床屋さんかな、そろそろ。アタマすっきりして夏を乗り切るじゃ。
 自然に無理せず、検便採取も。
 

 
10:58 2011/06/17 (金)

 最近、休日に、「お菓子でまったり」が多いか。
 甘いものや間食など、ずっと(十数年?)遠ざかっていた。好みが変わってきてる感。
 または、環境の変化、これをしのぐためにそういうものを心身が欲しがってる? 
 激務というほどではないけど今年になって、ハタチ頃の体重まで絞られてきてる。間食しても太る心配が少ないってこともあるな〜 
 

 
09:49 2011/06/10 (金)

 のんびりと安心が一番じゃ。
 ・・とは思うんだけど、真逆をしのいで少しの間やっと。やはり。
 

 
10:53 2011/06/03 (金)

 我ながら、小心者、というか、素人さんの迷惑者、というか。
 いわゆるこまったちゃんか・・ 

 (今ごろ気づいたの?)
 

 
09:52 2011/05/28 (土)

 いっぱいいっぱいの繁忙はそのときは大変だけど、乗り越えてしまえば経験値となって、次に同じぐらいの繁忙が来てもあわてないよね。
 ま、なんとかなるわ、と構えられるから、財産だわ。
 

 
23:21 2011/05/21 (土)

 苦しくても人は夢があれば生きられる。
 この宝くじが的中すれば・・、などと夢想するのは救いになるから、これは納得でしょ。
 昔はそういう「夢」にあたるのがほとんどの場合「信心」だったのかも。
 そういうことなら、神や仏の世界に染まる当時の人たちの心情も理解できる気がする。
 様々な夢があるはずの現代において、ことさら信仰を選ぶ心というのは、もう一つ分からないけどね。

 死と隣り合わせで生きていた人々にとって、死についての夢=地獄極楽や輪廻というのは、需要があったということか。
 死が見えづらくなっている現代では、現世の夢が幅をきかす、という理屈になりそう。
 

 
08:49 2011/05/14 (土)

 福島第一原発、困ったもんだよね。
 恩恵を受けていた以上、皆で責任とらねばならん。
 鎖が外れてしまった化け物、という感じ。
 とはいえ、大地震でも原発爆発でも、こうして生き残っている多数があるわけで、国は破滅ではない、まだ幸運だったのかも。
 

 
11:57 2011/05/07 (土)

 まあ、なったらなった、そのときはそのとき精神で対処しまほ。
 

 
12:53 2011/04/30 (土)

 産み出した「もの」が自立し始めてしまうと、産みの親がうとましく思われる。
 という「なりゆき」は、まあ、世の中珍しくないわな。
 

 
10:27 2011/04/23 (土)

 雨だけど、小雨だね。
 春の雨で、寒くないし、明るいし。
 

 
11:49 2011/04/16 (土)

 うっぱん。
 毎日がそこはかとなく楽しいぞ。
 お仕事は大変だけど、その大変とか、緊張とか、お客様の様子とかを楽しむ、楽しめばいいんじゃないの、というところに来てるよね、私。
 仕事を終えた後の息抜きとか遊びとかを楽しみに仕事する時間帯を耐える、というのではなく、仕事する時間帯もその後も楽しめば活きてる全ての時間が楽しみになるのでは、という気づきがあって、実際そこはかとなくその通り楽しめてる。
 こうなると一日が長いというか濃いというか、いつもどおり通り過ぎてしまう薄っぺらな一日というより、じっくり味わいたい美味しそうな一日、という感じに変わるような。
 

 
08:45 2011/04/09 (土)

 私の、口内炎の一般的推移。
・食べ慣れないもの(揚げ物で乾き物、粉まぶしものなど?)が因となるが、同じものを食べれば必ずとはならないかも。
・血豆生成(舌、頬内側など)。
・まもなく破れる。
・破れ跡が口内炎となるが、初期から中期にかけては、食事中に多少痛い程度で普段は気にならないはず。
・終期になると食事中につらいほど痛く、食事をしていなくても痛い。血豆生成から一週間ほど後の三日間ぐらいか。
・これを過ぎると、似カサブタ状態となって、普段は気にならず食事中も違和感はあっても痛くはなし。(似カサブタ状態=見た目ではカサブタは無いのだけど、食感や舌触りではカサブタがあるかのよう)
・完治。
 ・・これまでの経験から、こういう経緯が多いか。
 まあ、最初の血豆を作らないためには、食べ慣れないものを食べなければまず大丈夫なんだけど、それではね、面白味少ないからね。
 なんとなくやばそうなものは避けながら、冒険心は失わないで、豊かで多様な食生活を。
 

 
11:06 2011/04/02 (土)

 深夜の街をてってと歩いて(通勤の歩き、苦行とか無駄な時間とかとは感じないよね。何をしていても同じ二十四時間なわけで、無駄も何も無し。働いていても、どこかに向かって移動していても、部屋でのんびりしていても、時間を活きているのは同じことで、活きているという意味で、全ての時間は有効じゃな、実際そこはかとない楽しさでつながっているし、私の今の日常の全ての時間)、二日午前零時五分、帰宅。
 

 
08:59 2011/03/26 (土)

 それにしてもなー、酒のおつまみなど、いつもとちがうもの食べると高確率ですぐ(それを食べている最中にもう)口内炎ができてしまって、ヤワになってるのう、私のお口。
 若いころはなんの問題もなくなんでもばくばく食べたり飲んだりしていたのにね。
(酒ほとんど飲まなくなったのは、いつ頃かな、三十代? 十年前ぐらいから、意地汚く食べることが無くなってるか。働いているときはコンビニ食多くてまだ色々食べていたはずだけど、それも五年前ぐらいに終わって、以後無職になってからはずっと数種類のメニューで延々と粗食を続けてた。・・粗食自体は健康に佳しだったと信じているけど、健康食ばかりしていたので、お菓子や刺激物など変なものへの耐性が著しく減じてしまったかもね、いつのまにか。・・節制を解けばいつでも楽しめると思っていたら、食べると障害が生じる体質に変わっていた、という感じ、大袈裟にいえば)
 

 
11:16 2011/03/19 (土)

 後悔まじりのものおもい。
 提供している料理が芯なんだよね。仕事の手際とか、接客とか、クロージングの速さとか、売上の多寡とか、お金の出し入れとか、あらゆることは、お客様に食べていただくものがまともであることが、美味しいことが基礎になっているわけで、これがなっていなければ上に何を建てても意味がないのだよ・・ 
 プロといえる力がないとこんなにも後悔することになるとは。



 震災後心配してましたが、大船渡の知人は無事と判明。
 これはよかった。
 

 
10:31 2011/03/12 (土)

 昨日十一日の昼過ぎ、ホワイトデーのお返しはどうしようか思案してました。
 一時間後ぐらい、地震。
 もういい歳なのに、生まれてから経験無いような激しい揺れ。
 間をあけてもう一度。
 夜には帰宅難民の群衆を見ました。
 

 
15:59 2011/03/05 (土)

 それにしても、年金行政はいいかげんだの〜 
 そもそも強制加入というのが間違いじゃよ。
 強制加入なら税金と変わらないじゃん。
 変わらないなら一括して、年金保険も医療保険もなんとか保険も、税金と一緒に、あるいは税金として徴収していけば面倒が少なかったのにね。複雑さの合間であほなことに浪費されたり、記録が消えたり、正直者がバカをみたり、行き詰まってから無理に繕おうとしたり、そういうこともなかっただろうに。
 ・・つまり、国家の保険制度というのは、国民からお金を吸い上げるために税金とは別の名目を立てた、あるいは最初は違ったけど今は結局そういうことになっている、というだけなのかな。本質的には・・ 

 年金にしろ、無用の参議院にしろ、雪だるま式に増える財政赤字もそうだろうけど、おかしい、不具合がある、どうにかしなければいけない、などなどみんな百も承知、十分に分かっているにもかかわらず、膨大な関係機関やらおびただしい人々の利害対立とか過去からのいきさつ積み重ねがあって、動きがとれない、抜本改革などとうてい無理、できることは後回し先延ばしだけってことが多すぎはしないか、今の日本国。
 ぼちぼち、そろそろ、ようやく、これらを解決するために、超法規的に、勢いでやっつけるために、「革命」ってことも選択肢にのぼってきてもよい頃合いかもよ・・ 
 

 
11:01 2011/02/26 (土)

 昨日の風はあったかかった。帽子飛ばされた。
 そろそろ春かな・・ 
 水仕事で霜焼け気味の指の背も、治っていくのかな・・ 
 

 
10:10 2011/02/19 (土)

 今度の仕事が、やけに楽しい。
 今まで避けてきた飲食業なんだけど、(なぜ避けてきたかというと衛生面がめんどくさそうだったからかな?)、意外と相性がいいみたいで、メニューとか値段とか、たくさんの細かい作業の段取りとか、接客とか、全く苦にならないというより、やればやるほど面白いんですよね。
 ・・・うーん。食べず嫌いだったということもあるかもしれないけど、この歳になったから様々な面で準備ができていた、というところがあるのかな・・・ 
 あるいは、働き始めたばかりで錯覚しているだけなのかしらん(^^;

 何人ものお客さんが私の揃えたものをもくもく食べている。
 気持ちいいです。
 生きる力の最前線、明解に。
 

 
09:26 2011/02/12 (土)

 健康であれば、たいていのことはクリアできるっす。
 これが心身の若さの真の様相かもよ。
 

 
11:12 2011/02/05 (土)

 腹から声を出して、売り子さんを経験。
 お客さんの流れに働きかけて、力入れたり口上を工夫したりすればそれだけ反応があって、売れていくのが、楽しかった。
 声出してると寒くないしね。
 

 
11:13 2011/01/30 (日)

 今年は私生活忙しめなので、将棋倶楽部24の名人戦には不参加です。
 その代わりというわけではないのですが、一般戦を楽しんでいるうちになぜかレーティング点数を稼げて、先日、初めて初段に上がることができました。
 ことさらどこか何かが強くなったなどは無いと思うので、ツキと勢いと気楽さでいつのまにかという感じでした。
 とはいえ、初段は大きな節目、うれしい(^^)
 

 
10:38 2011/01/22 (土)

 耳がしもやけ気味なので、マフラーの巻き方を変えて、耳覆いも兼ねるようにしてみました。
(まず額にマフラーの中程を当て、左右を後頭部で交叉させる。これで耳が覆われる。交叉させた余りは首周りで前に回して顎下で軽く結ぶ。その上で帽子をかぶれば見栄えもまあまあ)
 

 
11:01 2011/01/15 (土)

 何年ぶりかで、お給料というものをいただきました。
 うれしい(^^)
 

 
10:22 2011/01/08 (土)

 正月は食い過ぎて、そして多少HUNDUMALI気味。
 ぐは(^^;
 

 
01:27 2011/01/01 (土)

 ☆ あけましておめでとうございます ☆
 

 
11:48 2010/12/25 (土)

 年の瀬ですな〜 
 でも、私の場合、大掃除関連の大半は終わっており、個人生活であせる要素はなしかも。
 最近始めた、全く未熟のお仕事に前のめりになるのみです。
 

 
21:40 2010/12/18 (土)

 換気扇。
 この扇、つまりプロペラ様の部分は容易に取り外せるのでこれまでも何度か清拭したことはあったのです。
 でも、壁の四角い穴にはめてある、このプロペラが取り付けてある枠、つまり奧に開閉板が上下に三枚並んでいて紐を引くとこれらが跳ね上がって通気可能となる機構(同時にプロペラが回って換気がなされますが)、これがこれまでずっと取り外せなくて、開閉板などに汚れホコリが厚くたっぷりと付着したままになっていました。
 それを本日、とうとう取り外すことに成功。十数年間、ずっと無理かと思っていましたが、ちょっとしたコツと勇気でごそっと抜けました。
 喜々として、お掃除しました。
 一部の部品は丸洗いまでできました。
 本来の地肌の色が見えました。
 そして、枠を元に戻し、プロペラなども取り付けて、試運転。
 たっぷりの重さで開閉板の跳ね上がりが不完全だったのに、これが軽快に跳ね上がります。
 速やかで静かな回転、融々とした風。
 きもちいい・・ 
 

 
08:40 2010/12/12 (日)

 誰かが落ちなければ誰かが上がれないわけなので、今は落ちる役を重ねていつか上がる役になれる時を待つ。これが正しい道だろうね。
 

 
10:21 2010/12/05 (日)

 九時台とか、最近は早寝君で、健康的じゃ・・ 
 健康的に暮らそうと意識してるわけではなくて、眠くなっちゃうんだもんね。
 

 
07:32 2010/11/28 (日)

 年末ジャンボ宝くじを連10枚購入。3000円。
 年末ジャンボは毎年30枚9000円買ってきたけど、今年は、毎週のように toto や Lot 買っていて、たかだか3億円のために9000円も投入するのがもったいない感じしたので。
 妙な感覚じゃが(笑)
 

 
09:23 2010/11/21 (日)

 うっし。
 廃棄作業、こころ燃え上がりつつあり。
 やるぞ〜 
 みんなすてていくぞ〜 
 身軽になるということは、ある意味、若返るということじゃ。
 

 
07:12 2010/11/14 (日)

 私は寒くなってくると、ふと時間が空いたとき布団に潜り込んでしまうのです。
 たいていそのまま入眠。至福。
 冬眠体質(^^)
 というわけで、冬も人間でいるために、炬燵出しました〜 

 夏に設置してもらったクーラーで暖房もできるんですけど、電気代が怖いので、やっぱり炬燵かなあ・・・ 
 

 
09:13 2010/11/07 (日)

 うっぱん。
 働かなければ干上がってしまうのですから、なんでもやるしかなし。
 細かいことは押しのけてこの荒野にある見えない一本道を行くべし。
 

 
12:21 2010/10/31 (日)

 待つべきときは待とうかな・・ 
 ただ遊んだりしながら。
 何もすることがないから小稼ぎでもしておこう、
 などと穴埋めに余計な欲をかいたりすると、
 本筋を歪めたりがありそうな。
 

 
08:31 2010/10/24 (日)

 ここ数年、少しずつすこしずつ体重が減って、適正体重(二十歳のころの体重)になりつつあり。
 これは喜ばしいことかと思っていたんですが、ここ数年、なんだかやけに口内炎の起こる頻度が高いのです。
 で、この二つの符合がどうもあやしい、つまり因果関係がいかにもありそうな気が最近してきています。
 なので、今は、栄養を摂ってむしろ少しずつ体重を増やしてみようかという方針。
 口内炎の痛み(食事の時に涙にじみます)にみまわれることが無くなるなら、多少肥えるぐらいは十分許容ですからね。
 

 
09:27 2010/10/17 (日)

 新プリンタを買ってしまったので、旧プリンタは粗大ゴミで捨てました。
 半年前地デジテレビにしてしまったので、たぶんもうプレイすることは不能となっているはずのゲーム機、スーファミとNINTENDO64も捨てました。
 双葉機(WinXP)も、フリーソフトDESTROYによって全データを上書き消去しました。
 で、これも廃棄するという予定だったのですが、お試しでリカバリーして初期設定(WinMe)に戻したら、なんとなく、もったいなくなってきて、まだ残してあります(^^ 
 

 
08:44 2010/10/10 (日)

 うっっぱああん。
 いろいろ動き出してしまったが、私もまあまあの身軽さで対処してますな。
 とにもかくにも、棄てる捨てるすてる。
 かるくはやくすっきり。
 

 
15:38 2010/10/03 (日)

 とある件で、近日、プリントアウトをすることになりました。
 年賀葉書ぐらいでしか使わない私のプリンターですが、使い始めてはや十数年になります。
 で、たぶんそろそろ前回2006年頃に買っておいた今のトナーがインク切れになるはず、という勘がするので、印刷前にトナーを買い足しておこうかと思いました。
 アマゾンで物色。
 なかば予想はしていましたが、すでに製造中止。
 中古品は、
「迅速な発送を心掛けております。外箱がありませんが中身のプラケースは未開封です。キャノン純正品です。使用期限不明のため返品・返金は不可ですのでご了承下さい。」
 ということでした。
 これが送料込み、上の通りハズレをつかむリスク込みで、2600円。
 で、しばらく考えて、メーカーが見離した旧製品の消耗品を補充するよりも、いっそ新品のプリンター買いますか、という思考へ。
 プリンターはもう、本体よりも消耗品で稼ぐ商品になっていて、本体自体は相当に安いはずだし、と。
 んで、アマゾンで引き続き物色したところ、インクジェット複合機というのが、7736円。
 購入ボタン押したのが、昨日2日の朝。

 これが先ほどもう届いてしまいました。
 速いねえ、アマゾン。通常配送で30時間程度ですか。
 というわけで、これはこれでよいんですけど、この購入によって、とある事情が生起。
 私のこの旧品となるプリンターですけど、これUSB接続ではないので、これを動かすためには双葉機(WinXP。現役はWinVistaの珊瑚機)が必要だったのです。
 逆にいえば、双葉機はこの旧品プリンターを動かすためだけに残してありました。
 で、今回、新品入荷となりましたので、早晩、旧品プリンターだけでなく双葉機も廃棄となる流れ。
 プリンターはまだしも、PC本体の廃棄となるとデータの完全削除その他なども慎重に対処しなければならず。
 ・・・・・
 というわけで、昨日の朝、ふと思いついたことから転がり始めて、しばらくの間、急ぎではないけれど少々面倒なミッションと付き合うことになりそうです。

 それにしてもねえ、この旧品プリンター、買ったとき7万円は超えていたはず。
 それが今、最新機種で7千円台だもんね。
 

 
10:20 2010/09/26 (日)

 新鮮な経験totoBIG、toto、ロト6、久しぶりお馬、昔ながら宝くじ・・ 
 このごろギャンブル小僧です(^^ 
 

 
10:48 2010/09/19 (日)

 一昨日でしたか、ふと「4コママンガ」を描きたくなったなり。
 で、最初に何をしたかというと、4コマ用の原稿用紙をパソコンの中につくることに熱中。
 情熱をそそいで、マンガ誌の新人賞応募規定など参考に、いちおう原寸のはずの原稿用紙と4コマの枠線を描画ソフト(私のは花子フォトレタッチ)内に実現できました。
 これで半日近く(笑)
 次にキャラを描かねばと思いましたが、画力がないので(!)、まずは絵を描く練習・・ ということに(笑) 夕刊にあった写真を写生して、変な顔になったり。
 さらに、ウチワの美人図を模写したり。
 というどうしようもないいきあたりばったり的こころざしあやふや風しろうとですけど、もしかしたら三年ぐらいしたら、新人賞応募できてるかも〜!? 

(なお上の習作は恥ずかしながら、ブログ「文芸遊子02」 http://pub.ne.jp/bgys02/ のほうでお披露目してます ^^)
 

 
12:52 2010/09/12 (日)

 ううむ・・・ 
 昨夜。
 リレー将棋、決勝トーナメント3回戦でしたが、とうとう負けてしまいました。
 しかも、私のどポカによる序盤の銀損が最後までひびいて・・・ 
 あまりに申し訳なくて、悔い残ります。

 でも、しかし、こんなにも熱い夏をありがとうございました。
 ここまで勝ち残れたのは、リレーチームの三人とご支援いただいたたくさんのお仲間たち、みなさんの心の力の参集のおかげ、としか思えません。

 少々落ちこんでいますが、この大会のほとんど魔宮殿の味わい、忘れがたし。
 来年、できることなら、また挑戦したい〜 (^_^)ノ 
 

 
12:29 2010/09/05 (日)

 昨夜、将棋仲間との麻雀の集いで、国士無双、和了できました! なんと配牌でテンパイ、ダブリーかけて2巡目に上がりました。バカヅキですね。
 数日前、大家さんの肝いりで、アパート全体の地デジアンテナ網完成。民放まで全局が完全視聴できるようになりました。(それまでの状況は「11:54 2010/03/21 (日)」参照です)。たかがテレビですけど、当たり前のことが当たり前にあるしあわせ。うはうは。
 ・・・というわけで、これらだけでなく、既述の通り、クーラーは入るは、リレー将棋は勝ち進んでるはで、私の周囲、なにかしらどこかしら佳いものが渦巻いてきてる感、濃いです。
 ふふ。
 笑う門には福来たる、というながれ、もっともっとおいで〜 (^o^)
 

 
13:24 2010/08/29 (日)

 昨夜、リレー将棋決勝トーナメント初戦(1回戦シードなので2回戦)。
 巡り合わせで偶然にも予選で1敗を喫した相手との再戦となって、難戦が予想されたんですが、勝利しました! 
 ベスト16に進出!! 
 いえ〜い。
 とにもかくにも、正直ほとんどが、コミュ仲間の皆さんの親身で真摯な、ご支援ご助言のおかげです。
  m(_ _)m
 準々々決勝は二週間後ぐらい。次もがんばります。

 ところで、怠け者の和香の部屋なんですけれど、大家さんのご好意もあって、
 数日前、なんと、クーラーが入りました。
 すずしー  ひえひえ〜  べっせかいじゃあ 
 これは癖になってしまう・・ 
 人間がさらに怠け者になってしまう(笑 
 

 
09:41 2010/08/22 (日)

 酷暑でしたけど、そろそろ終わりの始まりかな。
 

 
14:49 2010/08/15 (日)

 リレー将棋予選、第3戦、勝った〜 
 これで、○●○。2勝となって予選突破です。

 決勝トーナメント初戦は今月末となりそう。
 これ以上は、闘えるだけしあわせ。
 悔いなく行くのみです。
 

 
08:32 2010/08/08 (日)

 リレー将棋。
 わがぴよ軍団は、○●と1勝1敗。
 そして、今夜、運命の予選第3戦じゃ。
 うう。緊張・・ 
 昨日開会甲子園球児たちの、試合前の緊張にくらべればまだしもだろうけど・・ 

 リレーはチーム戦、応援団含めれば十数人の期待背負って、しかし担当手数を孤独に指します。しらずしらずふつうの対局の何倍も心理的なアヤがつもってきて圧されて、目がくもったり頭が狂ったり手がふるえたりします。
 とくに終局直前の劇的な逆転、数知れず・・ 
 天国と地獄じゃ、あれは。
 

 
07:44 2010/08/01 (日)

 ふう。
 暑いのう。
 わかっていたんだけど、暑い。

 ふだんは中にある妄想が、外にしみ出していきそう。
 

 
10:18 2010/07/25 (日)

 提供企業の都合によりまして、私の掲示板「文芸遊子」は閉鎖となります。
 そこで、これからは掲示板機能はブログで代用してみようと思います。

http://pub.ne.jp/bgys02/
文芸遊子02

 となります。
 どうぞごひいきに。 @(^^)

☆ ここ「続短断長」は、私が書くばかりですが、あちらでは皆さんのコメントも自由です。
 つぶやき、各種ご要望、ぬくぬく温かいご助言、氷点下のご叱責(ばしっ)・・・ 
 なんでも歓迎です。 ☆
 

 
08:34 2010/07/18 (日)

 ううむ。
 怠惰な夏だ。
 なまけものの季節だ。
 ある意味、天国の日々。
 

 
12:07 2010/07/11 (日)

 昨夜、リレー将棋予選(2勝勝ち抜け2敗敗退)の第一戦。

ねこまんま● × ○ ぴよ軍団

 にて、われらぴよ軍団、なんとか勝利でした〜 
 いやあ、初参加の去年より、事前のプレッシャー重かったかも (^^;;
 練習試合は3連敗だったし。
 でも本番に臨んだら(私は2将なので31〜60手担当)、意外なぐらい無心になれました。
 仲間たちの「声」のおかげかな・・ 

→ http://www.shogidojo.com/event/relay/r15/index.htm
 

 
11:52 2010/07/04 (日)

 決勝トーナメント1回戦、対パラグアイ戦、●。
 でもまあ、PK戦までやったもんね。おつかれさまです(^^
 四年後が楽しみじゃ・・・ 
 

 
09:01 2010/06/27 (日)

 W杯、日本、予選リーグ突破。予選三戦○●○。
 これは、私の楽観すぎるかと思えた予想○●△をも上回る成績じゃ。
 できすぎ〜 (^^)

 にしても、三戦目対デンマークは、二十年に一度あるかないか級の快勝でした。
 あざやか、みごとなり、連続フリーキック。我らの思い出を彩るだろう二筋の虹。
 

 
11:55 2010/06/20 (日)

 今年も、将棋倶楽部24のリレー将棋に参加できそうな模様 (^^)
 夏の楽しみが一つできました。
 

 
09:58 2010/06/13 (日)

ファウンデーションへの序曲(上)―銀河帝国興亡史〈6〉 (ハヤカワ文庫SF)
ファウンデーションへの序曲(下)―銀河帝国興亡史〈6〉 (ハヤカワ文庫SF)
ファウンデーションの誕生(上)―銀河帝国興亡史〈7〉 (ハヤカワ文庫SF)
ファウンデーションの誕生(下)―銀河帝国興亡史〈7〉 (ハヤカワ文庫SF)

 アマゾンでこの四冊取り寄せて一気読みじゃ。
 たのしいのう、よいのう、アシモフ。
 ただ「序曲」については、十五年か二十年ぐらい前に既読だったらしい、ってことを 終わり近くなって 気づきました(爆)
 

 
09:53 2010/06/06 (日)

 W杯、日本、私の予想。

14日 対カメルーン ○
19日 対オランダ ●
24日 対デンマーク △

 にて、1勝1分1敗で、予選リーグ突破。
 これに満足して決勝トーナメント1回戦敗退、かな。(^^;)
 

 
08:30 2010/05/30 (日)

 ねっとで(おもにwikiで)、数学について調べる。数学のこと調べると、人類ってつくづく妙なこと考えるどうぶつだなと思います。
 

 
08:20 2010/05/23 (日)

 宮崎県で口蹄疫。
 十万頭とか家畜が殺処分されていて、それだけでもニュース聴くたび悲惨な気持ちが塗り重ねられます。
 しかしまあ、口蹄疫が蔓延しなくても、おびただしい彼ら、豚や牛は結局は殺されて人間に食べられたわけで、一種の錯覚なんですよね。今さらのように「悲惨な気持ち」を私が感じるのは。口蹄疫での殺処分でも、食肉加工のためのつぶしでも、こちら側人間の勝手な事情。(食肉加工のためにつぶされるほうが彼らはより幸せを感じるってこともないでしょうし)(死んだあとどうなるかということを彼らは誰も知らないでしょう。死ぬということすらその少し前までほとんどわかってないのかもしれないですね)
 見ていなかったものを見せられているだけ、ということでしょう。

 さらにいえば、人間にとっての美味しい肉が得られるので、彼らは飼育され交配させられ繁殖して、人間どもの食欲に比例して結果おびただしい数となっているのです。人間の事情で繁栄し(栄えの質は疑問ですが)、その対価として命を(あるいは日々の暮らしを)道具にされている。
 これが「痛い」のは、私や私たちも(普段は隠蔽されているけど)誰かなにかのための「道具」にされている気配がにおうためでしょうか。

 もう少しいえば、大型哺乳動物だから、というのもあるでしょうね。量感があるし、温かい血が流れてるし、なにかを見ている眼があるし。赤ちゃんを産んでお乳で育てるし。人間どもの食欲に比例して結果おびただしい数となっている「植物」なら、たとえば稲や麦なら、私たちはあまり(というかほぼ全く)悲惨は感じないですもんね。相似の程度ということかも。
 

 
09:34 2010/05/16 (日)

 運動不足がたたっているのか、四月、五月と腰の調子が悪いです。
 最初は左の腰痛のような感じで、しかしこれは以前も経験していて、それが消えたと思ったら、後遺症のように右腰辺りに妙な痛みが残って。
 この後のほうが、「右の腰痛」とは微妙に違っていて、右の尻または右の脚の付け根の筋を痛めた、あるいは筋が切れそうか外れかけているのか、というような、これまで経験したことのほとんどない症状なんですよね。
 右脚を上げようとすると痛い。しっかり両脚で立っていられない。
 もんだり叩いたり、あるいは柔軟体操で「ほぐそう」としましたが、結果としてかえってひどくなったような。
 ある晩など、布団の中のちょっとした姿勢の違いで痛みが来て、気になって寝付けなくなってしまって。
 で、草木も眠るうしみつ時、「家庭の医学」をひもといて調べたところ、一番近い症状が「坐骨神経痛」でした。
 うう・・ (^_^;;
 和らいだりまた痛くなったり、今も吹っ切れていません。
 

 
09:19 2010/05/09 (日)

 今年の四月は寒い日が多かったですね。
 で、まだ炬燵です。
 というか、そろそろ、さすがに炬燵設営を解除でしょうなあ。
 (設営解除=炬燵から毛布と電気コードを外して座卓に直す、です。^^)



 というか、たった今、炬燵板の上からこのパソコン等々を下ろして、設営解除済ませました。
 炬燵下のワタゴミすげ〜 
 

 
09:04 2010/05/02 (日)

 まあ、君子危うきに近寄らず、というのが一番の正解なんでしょうけどねえ。
 しかしこれいってたら、金持ち喧嘩せずと一緒で、いわゆる保守固陋。
 突破して噴き上がっていくものが足りなさすぎだよねえ。
 

 
10:02 2010/04/25 (日)

 夢のような展開、というのはふつうは来ないけど、全く来ない前提でいると、来たときにのがしてしまう。
 

 
09:34 2010/04/18 (日)

 三月年度末。
 ジャストシステムの株価がちょうど一年前に跳ね上がっていることに気づきました。
 今年もあるかと仕入れてみました。
 が、まあ、お株はそんな簡単なもんじゃないよね、ということで、その日大引け直前、買値に戻ったところで売りました。
 そのあと、その日夕刻、ジャストシステムが上方修正を適時開示。
 翌日、急騰、STOP高のまま大引けまで。
 翌々日も止まらず、二日連続のSTOP高で寄り付、という展開。
 売っていなければ大儲けでした。
 なぜあとほんの少しだけ、持っておけなかったのか! 
 一週間ぐらい、思い出しては後悔。
 あ〜あ。
 

 
10:23 2010/04/11 (日)

 我ながらびんぼう人になって先行きが心配だけど、
 その代わり以前のような、お金を盗られるんじゃないかという心配が減りましたな。
 

 
07:38 2010/04/04 (日)

 24名人戦。
 名人戦本選2級リーグ(最終順位)、私の結果は、9勝17敗44点で17位でした。
 15位以上がもらえるタイトル《銀将》は得られませんでした。
 でも、16位以下の中での最多対局者(複数いる場合はその中の最高点者)のためのタイトル《名将》(=名人戦頑張ったで将)をいただけることになりました。
 うっし。
 この成績ですから、身に余るご褒美です(^^

http://www.shogidojo.com/event/meijin/meijin15/league_3/2.htm
 

 
12:30 2010/03/28 (日)

 木の芽どき、その二。
 お株で、「信用取引」できるような手続きもしてみました。
 いわゆる「カラ売り」も可能になったわけですが、試しにやってみると、貸株料とか払わされてかなーり「もったいない感」あり。
 これで稼ぐのはつらいかなあ・・・ 
 

 
11:54 2010/03/21 (日)

 木の芽どきということでしょうか、数日前の未明、突然買いたくなって、アマゾンで地デジTVを発注してしまい、着払いで入手。
 我が部屋に引き込まれている同軸ケーブルにはアナログ電波が届いておらず、よってこれまではアナログTVと室内アンテナで、NHK総合だけはなんとか視聴していたわけです。
 んが、外から観察したかぎりでは、我が部屋のある北棟の隣の南棟の屋根上に建っている地デジアンテナに、我が部屋から伸びている同軸テーブルがつながっている可能性高しという気がして、突然の購入はこの気づきにも支援されました。テレビのほうも「地デジチューナー付きのモニター」という表札で2万5千円という安価、これを発見ということもありました。

 で、さっそく映してみたのですが、かなーりまずい状況(爆
 とにもかくにも、我が部屋に引き込まれている同軸ケーブルには、デジタル電波もつながっていないこと判明。うう・・ まったくの見込み違い。
(たぶん、南棟上の地デジアンテナ設置時にアナログアンテナが撤去されて、それ以来、どこにもつながっていないケーブルとなったんでしょう)
 で、旧来の室内アンテナで電波を拾うと、NHK総合、教育ぐらいは視聴OK。ただし、この室内アンテナを西窓から出して目隠し塀に引っかける必要があり窓が閉めきれない状態。
 もっと上をめざして、同じくアマゾンで、評判のよい地デジ用室内アンテナを発注。
 これを昨夜入手してすぐさま電波探し。
 NHK総合、教育、日本テレビまでは視聴OK。しかし室内に置くため、PCを起動すると干渉して映らなくなったりするので、結局、旧室内アンテナの外出しに戻したり。

 と、まあ、苦労しております。
・まー、来年半ばでアナログ停波ですから、遅かれ早かれ対処は必要でしたし。
・見られる局数は微増にとどまるけれど、映像はこれまでと比べものにならないぐらい美麗、精細。ゴースト、歪みなど(電波さえきていれば)全く無し。
 ということで、新室内アンテナ含めて、3万円払っただけのことはありますか、最低限、とりあえず。
 まだ工夫してみますし。

・「地デジチューナー付きのモニター」ですから、将来最悪の転回があっても、PCのモニターに転用してしまえばいいし(笑
・地デジTVは電波がすべて。根本的には、大家さんと話し合って、北棟の上にもまともな地デジアンテナ建てるって辺りかもしれません・・ 
 

 
12:13 2010/03/14 (日)

 あせるんだけど、あせってもしょうがない。

 まー、お株は、宝くじとかで軍資金が入るまでは、ずっと修行中の身かな。
 

 
12:06 2010/03/07 (日)

 動きましょう。まずは動きましょうよ。
 もしかしたら、負けてもいいのでは? 
 動いていれば、たとえ良くならないとしても、なにかが変わりますぞ。
 私ら命が、生まれて生きてるってことは、結局はそういうことらしいし。

 だから、つまり、
 負けるのが怖いから、動かない、生きない、
 ってのはないってことですな。


 まー、死んだように隠れて棲む、
 草木のように静かに過ごす、
 水のように流れのまま行ってみよう。
 というのはあるはずなんだけど、
 (表面的には近づいている気もするんだけど、笑)
 この年になっても私にはまだまだ遠い境地ですか。
 夢の庭、至福の園、・・・だけどなあ。
 

 
14:39 2010/02/28 (日)

 将棋倶楽部24の名人戦。名人戦本選2級リーグですが、6週18日のうち5日目まで終わって、5勝11敗。
 星は予想された通りとはいえ、かなーり追い込まれてます。30人リーグなので(上位半分に入ればタイトルもらえるのですが)もうほとんど負けられません。ううむ・・ 
 それにしても、我ながらキモの細いことはなはだしい。形勢まあまあとかはっきり優勢とかでいけそうなのに、終盤土壇場になってからふるえまくって踏み込めずあるいは必要以上に怖がって迷いまたは焦って見えなくなり、結果、甘い手ぼけた手時間に追われた間に合わせを指していって崩れていく、気がつけば逆転負け、あちゃあ、というのが多すぎます。
 捨て身で粘り迫ってくる相手の気迫にたじたじというパターン。
 はっきり、心で負けてます。
 

 
12:03 2010/02/21 (日)

 悔いないぐらいの軽さ楽しさ。
 

 
10:03 2010/02/14 (日)

 昨日は上野で、四半世紀以上前の職場の仲間たちと会いました。
 その仲間内の長兄的存在だった方の追悼食事会です。
 男二女五の七名参集。
 たのしかったけど、もう孫のいる人までいて、あっという間のようですごい時間が経ったんだと思いました。
 

 
12:47 2010/02/07 (日)

今日は今日明日は明日風の吹く
そうばくらしもまたよろしからずや

 なんじゃこりゃ〜  第二弾でした(^^
 

 
11:01 2010/01/31 (日)

 仕事の(起業の)三条件。

○ もうかる
○ 世のため人のためになる
○ おもしろい

 少なくともひとつはないとね〜
 

 
14:48 2010/01/24 (日)

 将棋倶楽部24の名人戦。予選1級60人リーグ。
 昨夜までで開催11日間経過して、私の戦績は28勝16敗。勝ち3点負け1点なのでぴったり100点に達しました。
 暫定3位です。
 開催日で7日間、対戦相手なら十数人残ってますけど、もうほぼ安全圏。予選通過は堅いです。
 なので、当初の目標はクリアかな(^^)
 予選の残り、決勝リーグと、あとは雰囲気を楽しみます。
 (さらに、決勝リーグ上位に残れてタイトルとれればいうことなし、と・・)
 

 
13:12 2010/01/17 (日)

 世の中には男と女しかいない。
 男は生きていればいつか、オヤジになる。

 って、なんじゃこりゃ、ですけどね(笑
 ただ、オヤジで独り身というのはつらいものがありそう。
 というのは、私の知り合い男性陣の中で、早死にしたのはみな独り者。
 存命でも、無職、孤立、借金、困窮という話、うわさが、どうしてというぐらい聞こえます。
 独身貴族的に富貴優雅、いわゆる「おじさま」風、そんな奴など一人もいません! (巨爆)
 私も含めてだけど、「折れない」ようにしなければ〜 
 

 
12:42 2010/01/10 (日)

 将棋倶楽部24の名人戦。
 元日開幕から金土日金土と昨日九日までの五日間で、私の戦績は11勝10敗。勝ち3点負け1点なので計43点。
 予選1級60人リーグで、 暫定12位です。
→ http://www.shogidojo.com/event/meijin/meijin15/league/1r.htm
→ waka-- が私。
 やはり楽ではありません。予選通過の上位30位までに今のところしがみついてます(^^)
 

 
15:20 2010/01/03 (日)

 ことしは〜
 たたかってたたかいぬくぞ〜〜
 たたかいぬかねば〜
 ぬいてね(^^
 

 
10:09 2010/01/01 (金)

 ☆ 新年明けましておめでとうございます ☆
 

 
13:11 2009/12/27 (日)

 日曜日とはいえ、昼過ぎまで寝てしまった〜〜〜
 我ながらお気楽野郎だあ。
 経済的な方面ではそんなこと言ってられない空模様のはず、なんですけどね、
 でも、健康面ではなんのうれいもない快晴状態で新年迎えられそうで、
 それだけでもしあわせなのかも。
 

 
09:36 2009/12/20 (日)

 新春恒例、将棋倶楽部24の名人戦に、また申し込んでしまった(^^
 元旦からスタート。予選60人リーグじゃ。
 一年前より弱くなってる気がするし、実際最近、濃いめの修行もしてないので、予選通ればもう上出来でしょうな〜 
 

 
08:16 2009/12/13 (日)

 これさ、
 確かにあれなんだけど、
 あまりにあれじゃない? 

 などと言われるぐらいのはみだしがよいな。
 

 
11:01 2009/12/06 (日)

 GyaOで視聴している『逆境無頼カイジ』。
 風のうわさでは聞いていましたが、鉄骨渡りのシーンは、衝撃的でした。
 怖い、というか、最近見たアニメの中でこれほど言葉を失うものはありません。
 夏頃配信していた『School Days』も非道かったけど、あちらはほれたはれた絡みの生き死に。
 カイジは金絡みで生き死にですから、私はカイジ派かな。
 

 
10:19 2009/11/29 (日)

 お株ですが、今ではもう、数百円勝ったり数千円負けたりばかり。
 ほとんど意味ない感じ(笑)
 とにもかくにも動かす資金が小さすぎて、話になりません。
 ということで、年末ジャンボ宝くじに期待。
 億の資金があればそこそこ稼げそうな・・・ 
 って、そもそも宝くじ的中するなら、お株するまでもないよね〜 
 

 
09:42 2009/11/22 (日)

 外部からの強制じみた何か。

 その一種が、儀式とか伝統。いわゆる「ハレ」または「型」なのかもしれません。
 あるいは「神」か。
 

 
12:49 2009/11/15 (日)

 運動不足かも。
 気持ちを前向きにするためには、身体を活性化させるのが基本、前提。
 しかし、「昨日のような今日、今日のような明日、いつまでも」が好みなので、いったん慣性にはまると容易に抜け出せないのです。
 ときには、外部からの強制じみた「何か」も必要でしょうか・・ 
 

 
11:56 2009/11/08 (日)

 たぶん、自分のお金だと思うから投じられない。
 単なる約束事、紙切れ証文、と達観して初めて投げられる、はず。
 ある意味、自分をすてるところから始まるのでしょうが、目的は自分をすくうところにあるので、矛盾そのものじゃな。
 

 
12:05 2009/11/01 (日)

 今年もあと二ヶ月。
 速いです。
 来年から先が見えません。
 転覆しないよう流れをしのいでいくしかないんですけど。
 

 
09:35 2009/10/25 (日)

 数日前、口内炎が新たにできていたかったんだけど、どうやら、単に口内炎ではなくて、のど風邪併発のような。
 夕食後そのまま寝てしまうことが数日あって、そのとき夜の空気があけたままの窓から通っており、すでに秋も深くて、のどに悪かったのかなあ。
 その口内炎発生のころから、痰が絡み出しておるのよ。口内炎自体は二日程度でもうほとんど痕跡無いんだけど。口内炎発生の口蓋の少し奧ののどの辺りがつっぱる感じで、痰が絡んでるんだよね。

 というわけで、昨夜麻雀のあと寝るときに、掛け布団を一枚増やして三枚にしております。
 

 
13:03 2009/10/18 (日)

 GyaOのアニメ配信で、
 『スクールランブル』
 『スクールランブル 二学期』
 このシリーズ全話見ました。おもしろかったなあ・・  
 お話的に、播磨君と天満ちゃんのラブコメ+すれちがいっぷりがメインだったんですが、しだいに、さわちか嬢や八雲嬢の魅力がいやましとなってきて佳い味になりました。

 「三学期」も配信されないかな・・ 
 

 
11:13 2009/10/11 (日)

 先月22日、ウイルスバスターを2009から2010へ、オンラインでバージョンアップさせました。(VB2009→VB2010)
 バージョンアップ後、各機能を点検していったところ、一時間で十数件〜数十件検出するのが当たり前だったパーソナルファイアウォールのブロックが全くない=検出0件ということに気づきました。
 トレンドマイクロのチャットサポートに問い合わせましたところ、バージョンアップしてまだ短時間、検出ないのならそれで問題ないはずですが、とりあえず丸一日ぐらい様子見で、とのこと。
 しかしその後さらに観察したところ、「パーソナルファイアウォールのブロックが全くない」のではなく、実はどうやら、履歴ログ(パーソナルファイアウォールの検出記録、ブロックしたウイルスとかスパイウエアの記録、アップデートや検索の記録、等)全種類の内容が全く表示されない(該当ログの日付だけは表示されている)という不具合が発生していると言ったほうが適切だった、ということが判明。つまり、ブロックとかアップデートとか検索とか本来の働き自体はやっている匂い濃いのだけど、その動作記録の表明ができていない、というのが実態に近いのかなあ・・ という感触。
 とはいえ、動作表明がないのでは、ユーザーにとっては本来の働きをやっていないのと同じ、少なくとも、やっていないのではという不安、とうていぬぐえません。
 チャットサポートに追加報告、相談したり、さらにメールもらったり。
 「常駐プログラムとウイルスバスターのプログラムとの競合が原因か」ということで、深夜、指示に従い常駐プログラムの大半(「システム構成の起動」から対処するのですが計数十件)を停止、検証しましたが、不具合改善なし。よって、常駐プログラムとの競合ではないらしく。
 改善なしの報告。

 が、ひと眠りした翌23日午前(五連休の最終日)、たまたまでしたが、私自身の観察とひらめきで、原因が見つかりました。
 要するに、私はWinの日付表示を、「2009/09/23 (水)」というように曜日付きにしていたのですが、この状態だとこの不具合が起こるのです。Winの初期設定は曜日なしの「2009/09/23」だったはずで、これに直せば大丈夫。
 どうやら、Winの日付表示をそのまま引っ張ってくるらしいVB2010の履歴ログ表示画面にある日付欄(正確にいえば「ログ作成日」欄)、これの横幅が狭くて、「2009/09/23」という短い形なら収まるのですが、「2009/09/23 (水)」だとはみだして詰まったようなつっかえたようなことになり(画面上は「2009/09/23 (」という表示)、ここでバグが生じるらしく、その右隣の「詳細ログ」表示欄が空白になってしまう、という因果関係がある・・ ようなのです。
 曜日付きにしたり曜日なしにしたり、繰り返して確認。これはもうほとんど間違いなし。
 さっそくこのことをトレンドマイクロに報告。私は当面とりあえず、Winの日付表示を曜日なしの状態のままにしてVB2010を運用、としました。

※ たまたま、何か別の気がかりのためでしたか、トレンドマイクロサイトにあるウイルス検索ログの例示画像と、私の不具合状態の履歴表示が空白の画面、両者をじっくり見比べていました。そのうちに、向こうの日付欄=「2009/07/24」と、私の画面にある日付欄の「はみだして詰まったようなつっかえたような」感じ=「2009/09/23 (」、この違いに気づき、これはもしやと想が広がって今回の原因特定につながりました。
※ Winの日付表示。メモ帳を開いて、ファンクションキーのF5を押すと表示されます。
※ このWinの日付表示については、Vistaの場合、「スタート→コントロールパネル→時計、言語、および地域→地域と言語のオプション→日付、時刻または数値の形式の変更」で調整可能です。

 そして気長に待っていましたら、月が替わって10月2日、トレンドマイクロから修正モジュールが送られてきました。
 これを適用しましたところ、みごとに不具合解消。
 「Winの日付表示が曜日付き」であり同時に、「VB2010のログ表示に問題がない状態」が実現できました。

※ Winの日付表示は曜日付き=「2009/10/02 (金)」ですが、VB2010のログ表示は「2009/10/02」となっており、「(金)」の部分は来ていない様子。修正モジュールによって、Winの日付表示を素直に引っ張ってくる形ではなくなったのでしょうね。

 というわけで、当欄前々回の「10:46 2009/09/27」の項には曜日がないのでした。
 

 
11:53 2009/10/04 (日)

 かなり久しぶり(数年ぶり?)に、スナック菓子を買い食いしたんです。
 コンビニでふとその気になって、うす塩エンドウ豆風味。一袋百円ちょっと。
 帰宅、これを完食、直後たちまち、口内炎発生。
 いやあ参ったけど、われながら、健康的な食生活だったんだなあと再認識。

 この口蓋にできたぷっくりした腫れ、すぐしぼんだけど、ごわごわの痛みはまだ残ってます。もう一週間は過ぎたのに。
 

 
10:46 2009/09/27

 GyaOが小画面でしか鑑賞できない問題。
 単純な解決方法がありました。他の方のレビューから判明。
 IEの右下に表示画面拡大ボタンがあって、ここでちょこっと調整すれば好みの大きさまで拡大自由だったのです。(IEのツールバーの中からページ(P)→拡大(Z)でも同じ)(解像度は変わらずでしょうから、拡大すれば粒子は粗くなってるのでしょうけどね、見た目ほぼ違和感なし)
 うーん、わかってみれば、簡便至極な解法、なんでもなかったし、となってみれば、視聴者に不便強いるだけのような初期設定=小画面配信の理由がほとんどないような。
(ということは、IE画面での拡大調整が不能になるような制約を付加するのかな、将来的に・・?? 拡大調整すれば本画面外にある広告表示等が全く見えなくなるし(笑))

※ 追加情報。ファンクションキーのF11を押せばIEは全画面表示となって、さらなる拡大調整が可能です。(F11を再度押せば元の画面に戻ります)
 

 
08:59 2009/09/20 (日)

 右のケツにおできができたらしくあぐらでは痛いぞ。なので正座じゃ。
 なんか、熱があるような。少なくとも風邪のひき始めのようなダルサじゃ。新型インフルエンザ? 
 おできも風邪も、金曜晩の麻雀半徹がひき金かなあ。
 ま、うれいはつきないけど、今は五連休をのんびりしましょ。
 

 
12:59 2009/09/13 (日)

 私のお気に入り、GyaO見に行ったら、リニューアルで配信方法が変わっていました。
 案内にしたがって新しい閲覧ソフトSilverlightをインスト。
 しかし、小画面でしか映せず、ヘルプみると従来の大画面は不可能になった模様。ひどい! 面積でいうと四分の一ぐらい? Yahooとの合併、よくない現われをしてます。

 こうなってみると、パソコンTV(民放TVの広告+無料放送のシステムに相似)に徹したGyaOの元の姿の良さが、今さらですが立ち上がってきます。リニューアル前のGyaOがあれば、アニメも映画も有料配信なんか(どうしてもあれが今すぐみたいとかの贅沢をいわなければ)ほとんど不要ですもんね。ま、つまり、だからこそ、永続は許されなかったのか・・ 

(リニューアル後の小画面、数日経ってみると、だんだん見慣れてきたかな。人間の適応力というのは底なしなので、そのうち気にならなくなる、かもね ^^)
 

 
09:56 2009/09/06 (日)

 自民党、とうとう崩れました。
 原因はいろいろいわれていますが、私としては、どーかんがえても、安倍、福田の「二代連続政権投げ出し」がひどすぎ。
 リーダーならせめて前のめりに倒れてくれよ、とあきれました。
 

 
09:10 2009/08/30 (日)

 わたくし、mixi内のとある将棋のコミュにまぜてもらっているんですが、
 将棋サークルなのに、今なぜか、麻雀がブーム(笑)
 二週連続で土曜深夜の麻雀集会となり、最強者決めるため定期開催化しそうです。
 昨晩も楽しかった〜 
(もちろんリアルではなくネット上の無料対局場をお借りしてます。ハンゲーム http://www.hangame.co.jp/ )
 

 
12:04 2009/08/23 (日)

 将棋倶楽部24のリレー将棋大会。
 我がぴよ軍団、●○●で、予選敗退。
 残念だけど、おもしろかった。
 充実した夏ひと月、でした。
 

 
09:14 2009/08/16 (日)

 毎晩歯磨きの時に、流し脇の漉し網や金くずたわしやスポンジたわしのあるトレイに、必ずゴキブリ複数がいるので、すばやく窓から外に捨てます。
 という感じで、ここ数年か、十数年か、ゴキブリ君たちに情けをかけて、追放するだけで殺さないので、夏季になると見かけること多くなったのう。 ・・という気がする。
 まー、でも、あいつらは卵たくさんうむので、殺しても殺さなくても、皆殺しでもしないかぎり成虫になる数はたいして変わらないんだろうね。数を決めるのは、たぶん、餌の総量なんでしょう。
 というわけなので、たいして変わらないなら殺さないほうが良いんじゃない、私の心のためには、という感じじゃ。
 

 
09:02 2009/08/09 (日)

 将棋倶楽部24のリレー将棋大会。
 我が「ぴよ軍団」チームは、予選1勝1敗です。
 いやあ、楽しい。メンバーが刻限までにきちんと集まるか自体から不確実性あって、ポカ指して皆に迷惑かけないかとか、コミュ仲間が敵味方に分かれていたりとか、ハラハラどきどきモヤモヤの種つきないんですが、楽しい。ほんとお祭り。
 大げさに言えば、日本全国男子(少も青も壮も老も)のお祭りって感じも。
(少数とはいえ女子の参加もあるんでしょうけどハンドルネームにつき実体不明)
(まあ、今回の参加79チーム、各4名なので、316人。大会としては多いでしょうが、全国男子と言うには少ないかな。 ^^) とはいえ、チームを組める組めないが最初の関門なんで裾野はもっと広いでしょ。 ・・うむ、要するに、踊る阿呆どもじゃい)
 2勝通過2敗敗退です。予選第3戦は来週16日の予定。
 

 
11:29 2009/08/02 (日)

 NINJAの新ホームページですが、『絵物語 waka』ということでスタートしてみました。
 (あちらへのリンクは、こちら当表紙ページの冒頭に〜おしらせ〜ということで新設)
 plalaの当サイトでは、絵なら絵、物語なら物語でそれぞれほとんど別物扱いですが、新サイトでは、連携を強めて、というか、より「お互いの引力」が作用しやすいような近しさを大切にして、「絵と物語の取り合わせができたもの」だけを載せていこうかな、というルール(制約?)を考えています。
 いまのところほとんど旧作(plalaサイトなどで公開済み、あるいは過去作)なんですけれど、別々のところにあった(場所も時期も離れていた)絵と物語をなんか匂いが通ずるかもということで合わせてみると、それまではなかった味のようなものがふたつの間にうまれてくる感じがします。(kaolinnの埋もれた名作も大活用 ^^)
 これがなかなかおもしろくて、七日か八日間、連続更新。
 久しぶりに、小さめながら、「点火している」みたいです。

 たしかに、わざわざ新しくレンタルサイトを借りなくても、使える既存エリアはたくさんあったのですが、「わざわざ新しく」「むだに手間をかけて」のようなところに、「着火の秘密」があったのかも・・ 使える既存エリアがたくさんあっても私にはずっと使う気が起こらなかったわけですから。
 

 
10:15 2009/07/26 (日)

 とくに必要ないんだけど(しいていえば妄想内のツールとして)ホームページエリア無料レンタルに興味湧き、調べていくうちに、NINJAサイトに行き当たりました。
 で、流れで、エリア借りてしまい、おためしページ立ち上げてしまう。アクセスカウンタまで。
 われながら暇人じゃ。
 HPエリアなら、このplalaのエリアが十分あまっているし、So-netもいつでも使えるし。
 しかもすぐにも載せたいモノがあるわけでもないのに。
 うーむ、とりあえず、「器」、つまりサイトの装丁などを楽しむだけか・・ 
 画像置き場みたいな? 
 「詩画集」か。あまり負担重くないように・・ 

 ちなみに、URLは、http://waka.konjiki.jp/ です。
 

 
08:31 2009/07/19 (日)

 GyaOアニメ。
 『魔法騎士レイアース』46、47、48、49話完。☆。
 いつもは3話更新だけどラストなので4話更新でした。
 最終話見終えて、「おわっちった〜」。
 涙。何か大きな世界、私の(薄汚れた)リアル以上であることは確かな魔法が閉じてしまうような涙。
 さみしいけどみちたりて、きっといつまでもなつかしい。
 ある意味、魔法の国に、私たちは生きているという悟りが来るよね。小説家志望の魔法、いくつかの職場でのいくつかの職種の魔法、お馬の魔法、お株の魔法。少なくとも私は、魔法の国を転々と冒険して来たらし。
 

 
09:26 2009/07/12 (日)

 『魔法騎士レイアース』
 GyaOで毎週3話更新しているアニメです。すでに45話、そろそろ大詰めの匂い。
 ・・・うーん、たぶん、女子小学生中学生向けエンターテインメントではないかと思うのですが、いい年したおっさんである私も十分に楽しめる。
 意志の世界、冒険、戦い、ミステリー、友情、いたわり合い、トリックスター、和解、悲劇、恋模様、ドッペルゲンガー、それぞれ単純なカタチだからこそ象徴性があるかのようで。
 まー、なにより、東京から異世界に召還された魔法騎士(マジックナイト)三人娘三様のキャラが輝いてるよねえ。
 (音楽雰囲気よし、声優陣の多彩な熱演も見ものというか聴きどころ)
 

 
09:33 2009/07/05 (日)

 将棋倶楽部24の夏の恒例、リレー将棋に参加することに。初体験。
 いやあ、勝敗云々の前に、わがチームのメンバーは当日ちゃんと参集できるの? あたりからして不安が・・(笑)
 

 
10:08 2009/06/28 (日)

 暑いのう。
 台所に新聞敷いて転がって、団扇。
 で、ぶっ込まねば稼げん、とかものおもい・・ 
 

 
10:51 2009/06/21 (日)

 お外は雨。
 まあ、いい匂いだわな。
 

 
11:07 2009/06/14 (日)

 また暑い季節じゃ。
 どんどん進みますな、時間。
 怖いよね。
 いろいろ。
 

 
08:52 2009/06/07 (日)

 善人として生きることは悪いことじゃあない。
 善人として生きてしあわせになれる自信もある。
 でも、どうしても心残りの何かに、何かはよくわからないけど、呼ばれ続ける気がする。

 すっきりした状態ってのは、
 気持ちいいけど、実は、あまり良くないのかもしれない。
 気持ちよすぎて楽すぎて、耐性が落ちていくかもしれない。
 何かかかえて、荷物背負い続けて、
 苦しいけど、だからこそ強くなれるのかも。
 

 
09:07 2009/05/31 (日)

 六月、ばくはつじゃい。
 

 
09:31 2009/05/24 (日)

 大事な一戦で、負けすぎ。
 序盤有利に進めているのに、土俵際が、
 あどけない幼女の舐めている綿菓子のように、
 あまい、あまい、あまい。
 

 
10:27 2009/05/17 (日)

 守りに入りすぎていて、伸びやかさを欠く。
 あかんのう。
 進むつもりが無いのでは生きるつもりが無いのといっしょ。
 と、アタマではわかっちゃいるけど・・ 
 

 
12:39 2009/05/10 (日)

 一昨夜は朝刊のくる時間まで、昨夜は雀のなくまで、夜更かしというかほぼ徹夜です。
 たのしいなあ。
 mixiのコミュ仲間と将棋指したりその観戦したりで、わいわい。
 ネットというのは便利だわ、広いわ、ほんと。
 

 
09:08 2009/05/03 (日)

 勝ち負けに徹したすっきりした「行き方」もかっこいいけど、
 それのみではなくて、なにか面白げなパフォーマンスでプラスα、
 ってのもよさげ? という気がしてます。
 

 
13:22 2009/04/26 (日)

 若いころは、重くて暗くてしかし現実をしっかり見据えるような物語、嫌いじゃなかったです。というか、浸ってました。月並み、類型、ちゃらちゃら、べたべたは唾棄軽蔑です。
 んが、年とともに、明るくて活発なお話、女の子たちがきゃあきゃあ言ってでも元気にがんばっているようなのも悪くないなって感じるようになりました。
 しっかり見据えていただくと、想起されることどもが痛すぎるってことでしょうか。
 あるいは、生命力が蓄積疲労で、燃料を、少なくとも潤滑油を供給してくれるようなものじゃないともう付き合う気になれないのかも。
 

 
08:42 2009/04/19 (日)

 『カレイドスター』
 一昨年ぐらい、フレッツ・スクウェアで視聴していたアニメです。(そのゴンゾの制作)
 第26話で感動の最終回、・・・だったと思っていたんです。
 しかし、最近GyaOを眺めていたら、実は、続きの「新たなる翼編」というのがあるのを発見。
 なので、楽しくまた視聴しています。最終的に全51話とか。
 

 
10:00 2009/04/12 (日)

 私のお気に入りのアニメ企業「ゴンゾ」、上場廃止予想で株価急落中です。
 うーむー。
 芸道と金儲けの両立、容易ではないですか、やはり。
 

 
09:32 2009/04/05 (日)

 年初から続いた24名人戦、なんとかかんとか最終11位、タイトル「銀将」獲得でした。
 → http://www.shogidojo.com/event/meijin/league14_3/1b.htm
 うれしいけどそれ以上に、おつかれさまだよね。ほんと。
 私もコミュ仲間も、ほかのすべての参加者も・・ 
 

 
10:21 2009/03/29 (日)

 そろそろ夢からいちど覚めて、夢を見なおす。
 眠りなおす。
 というようなのがほしいかも。
 

 
10:06 2009/03/22 (日)

 そろそろ春だなあ。
 私の春はいつ来るのじゃ。
 

 
09:52 2009/03/15 (日)

 24名人戦、4週目の金土まで進んでます。
 全日程(6週目金土日まで)を待たずに、私、ほぼ済み。30人リーグなので最大29局ですが、うち、27局まで終えて、残り2人はほとんど登場なさらない方たち。
 12勝15敗勝ち点51。暫定3位。
 最終的に上位15人(タイトル獲得)に入れないことはないはずなんですが、今後リーグの対局が思いの外消化されてしまうと(もう安全圏の人たちや望み薄そうな人たちも頑張ってしまうと)、合格ラインが上がって、置きざりの可能性も少なからずという微妙なところ。
 まー、私としてはもうどうしようもないので、あとは任天堂。
 

 
09:44 2009/03/08 (日)

 だめだだめだって、じぶんのことをだめにしちゃだめだよ。
 

 
12:47 2009/03/01 (日)

 寒いってこともあるけど、布団に潜り込んで眠ってばかり。
 半睡で、妄想の世界に遊んで、楽しい。
 けれども・・ 
 そろそろ、眠り病から抜け出さねば・・・ 
 

 
10:30 2009/02/22 (日)

 24名人戦本選リーグ、スタート。
 私は、1級bリーグ所属です。
 30人いて、最終順位上位15名がタイトル(銀将)獲得です(^^)
 で、とりあえず、初日金夜●●●、2日目土夜●●○○、という成績。
 現時点、勝ち点11で、暫定4位。
 アタマから5連敗したときはほぼ諦めかけましたが、直後連勝できて、なんとか一息って感じでした・・
 

 
13:47 2009/02/15 (日)

 結局、リーグ2位で予選終了〜
 25勝29敗勝ち点104。
 (1位の人は勝ち点106。3、4位の人も104だけど頭ハネ)
 ま、文句なしですね、面白かったし。
 今週はお休みで、来週から決勝リーグ。
 精いっぱい頑張ろうっと(^^)
 

 
11:14 2009/02/08 (日)

 24名人戦予選、1級60人リーグ。
 私、一昨日金曜日の結果で首位陥落。残念ながら。
 残りは今夜だけ。再逆転あるかな・・ 
 

 
13:05 2009/02/01 (日)

 ゼニのことばかりか。
 ゼニのことばかりのときはゼニは寄り付かず。
 お金があるときはお金のことは気に掛けず。
 

 
11:50 2009/01/25 (日)

 男の子なら、真剣に遊ばねばいかん。
 たぎる、狂う、忘我。男の命。

 女には、仕事も遊びのうちか。
 マジは、生む結婚する死んだ、のみという。
 

 
10:47 2009/01/18 (日)

 今年も動き始めましたが、稼ぎのほうが依然冴えず。
 どうなることやら・・ 
 しかしまあ、夢がある間は折れず(笑)
 

 
13:31 2009/01/11 (日)

 24名人戦、金土日金土と五日目まで済んで、13勝16敗勝ち点55。
 なんと、現時点、堂々のというかまさかのというか、☆ リーグ1位です ☆
 勝ち点制のマジックで、負け越しでも1位・・・
 ・・・なので、まー、あからさまな暫定順位ですけどね。
 それでも、私にしては記念碑的、上出来っす(^^)
 

 
11:12 2009/01/04 (日)

 24名人戦スタートです。
 金土日開催、予選のみで約一か月の長丁場。
 その初日と二日目まで済んで、私、1級60人リーグで5勝6敗です。勝ち点は勝利3点敗北1点なので、計21点。
 リーグ順位現時点4位と思っていたよりは指せているけど、これはゲート開いて先行、逃げているだけで、まだ指していない人も多く、遅かれ早かれ追い込み勢がどんどん迫ってくるでしょうから、予選突破(62人中31位以上)はしんどいかも(^^;
 

 
12:17 2009/01/01 (木)

 〜 〜 ☆ おめでとうございます ☆ 〜 〜
 

 
10:31 2008/12/28 (日)

 大掃除済み。
 我ながら、かんたん。
 

 
09:52 2008/12/21 (日)

 あと十日。
 なんとか年は越せそう。
 波乱の秋でしたが、まあ、生き残っただけ感謝ということでしょうか。
 

 
 
続短断長
 
▲▲


バナーその二。当HPにリンクの際ご利用ください。 Topic 2010/07/26 (月) 掲示板「文芸遊子」は閉鎖しました。
Topic 2010/07/19 (月) ブログ「文芸遊子02」スタートです! 
過去ログはこちらです。

続短断長 〜2008/12/28 (日)
 
 
■■■ お知らせ ■■■ 2000/12/11〜2002/04/01
 


 みなさま、こんにちは。
 はるばるこのようなところまで、ありがとうございます。
 ここは、上にありますとおり、三つの部屋 +  という構成になっています。
(1) 生きるってとっても伊勢物語

 最初に作った部屋です。『伊勢物語』関連。
 散文『年うつり』なども含まれています。

 上から行きますと、まず中扉があります。これがなかなか重い(47KB)。絵を陳列 してあると考えて下さい。
 もしここを跳ばしてしまいたいとお望みなら、生きるってとっても伊勢物語:目次 からどうぞ。目次があります。
 
(2)缺けてゆく夜空

 散文長編『缺けてゆく夜空』の部屋です。
 男女三人の交遊話です。きれい ではないですね・・

 中扉、なかなかの出来だと思うんです。でも、重いかも(52KB)。
 缺けてゆく夜空:目次 から行きますと、やはり目次となります。
 
(X) 続短断長、その他

 おまけ的な部屋だったんですが、徐々に表に出てきてしまいました。
 『続短断長』は日記様式です。最低でも週一は更新していこうかと思っています。
 その他 は、ご紹介するのも気が引けるようなささやかなコーナーです (^^;;

 『続短断長』の過去ログをたどっていくと、この部屋の中扉があります。
(3) 遊戯苑

 三つの部屋の中では、一番新しいです。

『虫姫 [短編集]』
 かろうじて、少女小説という くくり でしょうか。

『迷宮 [魔館であそぼ]』
 ダンジョン(地下迷宮)です。TVゲームに自信のある方なら、軽い?

『4行小説 [贈答定型掌編小説]』
 実験的文芸の記録。わりと生々しくなっています。

『遊戯苑の覚書 [メモ]』
 この部屋のメモですが、もう長い間、更新はないです。

『異世界へ [リンク集]』
 どうぞ、飛んでいってください。

『壁 [掲示板]』
 お待ちしていたんですが、あまり見かけない 手動更新 のため、みなさん、遠慮されたのでしょう(笑)。現在はもう機能していません。

『春文庫 [ネット前]』
 過去作品集です。

『夏文庫 [ネット後]』
 現在進行形作品集となります。

 ・・・・・などなど、依然、増殖したり分裂したり しています。

 ここは、中扉がそのまま目次 となります。

 とにかく、迷ったら目次 をさがしましょう。これだけ覚えておけば、大丈夫のはずでーす。
 だいたい以上ですけれど、かなりわかりづらいところに ☆ お帰りになる前に ☆ という形でメール送信フォームがあります。(で、ここからも行けるようにしました。^^;)
 簡単なアンケート形式です。もし気が向かれましたらどうぞどうぞご感想をお寄せくださいませ。
 m(_ _)m
バナーその三。当HPにリンクの際ご利用ください。

 当サイトはリンクフリーです。
 リンクは「 http://www10.plala.or.jp/wk/ 」(トップページ)でどうぞ。
 
和香

HP掲上 平成9年11月23日(日)〜
平成15年6月15日(日)〜 HP移転。plalaに改築版をアップし、JustNet従来版は閉じました。
平成23年1月1日(土)〜 表紙を改訂して(多少簡素化して)みました。

本式メールならこちら!
 
 
▲▲▲
▲▲