提案及び「感想」の感想 .
はじめまして。
和香と申します。どうぞよろしく。
PF「小説工房談話室」でしばしば発言している者です。
早速、表題の件に入ります。
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【 提案 】 .
このフォーラムは、読書が人生に与える影響が多大である、と実感している方、そして、これからも多くの本を意欲的に読んでいきたい、と思っていられる方のために作られました。 .
岸本検次様の言う、このフォーラムの趣旨に賛同します。しかし、全面的にではないのです。
まず、何を指して「読書」といいたいのか、という疑問があります。
本の形をしているものなら何を読んでも読書なのか。あるいはインターネット上の文章のように、今までは普通は本とは思われないものであっても、これを読めば読書なのか。
新聞はどうか。教科書はどうか。あるいは、実用書、写真集、雑誌、コミック類はどうなのか。
私は、「その人が読書と思うものなら、それが読書である」と考えるのですが、これではいけないでしょうか。ちなみに、私の場合は、一番広く考えたいのです。
次に、「読書が人生に与える影響が多大であると実感している」と、「これからも多くの本を」と、「意欲的に読んでいきたいと」などの点ですが、これらを全て満たしていなければいけないのか、というところが気になります。原文からは、全て満たしていなければいけないと受け取れてしまうのですが、私は、そこまでの自信がありません。
どれか一つだけでも満たしていればよい、というふうに、緩和していただけないかと思うのです。
1)読書感想文を最低限2〜3ヶ月に一度は提出できること。 2)感想文については、その本から影響を受けたこと、感銘したこと、役立ったこと等を自分の意見をふまえ簡潔にまた、わかりやすく述べること。 3)他の人の感想文について、感想を述べること。 以上の条件を原則としてお守り下さい。 .
参加条件についても、同様の提案をしたいのです。
あまりに厳しすぎはしませんか。
1)、2)、3)の条件を、全て満たさなくても、このうちどれか一つだけでも満たせば、あるいは、一つだけでも満たそうと前向きでさえあれば、ここに発言する資格がある、というふうにはできないものでしょうか。
『読書を通して豊かな人生を築いていく』 .
この目的自体に、異論はありません。
ただし、やはり、もし「豊かな人生は、読書を通じてしか築くことはできない」という、決めつけが含まれるのなら、挙げた手をおろしたくなるのです。いかがでしょうか。
そして、さらに付け加えるなら、「読書と人生」の後半についてだけの発言も許容していただければ、私のみならず、自由かつ開放を味わえる気がするのですけれど。
私の提案は、以上です。
なお、丸数字は、機種依存文字です。
私はたまたま読めましたが、パソコンの機種によっては、まるで関係のない文字が映し出されているものと思います。そういう機種を持っている方は、これを見ただけで、当フォーラムに参加する意欲を削がれたのではと危惧します。
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【 「感想」の感想 】 .
岸本検次様の、「すべての存在へ」渋谷直樹著の感想文、を読ませていただきましたが、不満があります。
具体的な点に入る前に一つ、「感想文」についての一般的疑問を述べますが、それは、はたして岸本検次様は「感想文」を、書評的なものと考えているのか、あるいは、評論的なものと考えているのか、ということです。もちろん両者は親戚でしょうし、人によっては同じものとしか考えないでしょうから、便宜的に簡単な定義付けをしますが、
A)書評とは、書物の紹介である。原則として未読の人たちへ、この本を読んではいかがでしょうと、勧める、そういう目的を持っている。
B)評論とは、書物の批評である。原則として既読の人たちへ、その本を読んで感じたところを著者は述べる。原本を題材として、むしろ、批評者自身を表現することを目的とする。
という具合に考えたとします。
A)の場合、それなら読んでみようか、あるいは、やめようか、という反応を読者は持つと思うのですが、「他の人の感想文について、感想を述べる」というのは、そういう次元の反応を言うだけでいいのか。ここがはっきりしません。
B)の場合は、当然ながら、まだその本を読んでいない人は、あるいは、その本を読む気が起こらなかった人は、感想を述べようがない、述べても不十分なものにならざるを得ない、ということにもなりそうです。
ここら辺のことは、いかがなのでしょう。
まさか、紹介された本は読むことを強制される、などというルールまでは、考えていないと思料するのですが。
さて、具体的な不満に移りますが、今回の岸本検次様の感想文は、条件の二番目、つまり、
2)感想文については、その本から影響を受けたこと、感銘したこと、役立ったこと等を自分の意見をふまえ簡潔にまた、わかりやすく述べること。 .
これに反している、または、逸脱しかけている、と考えます。
まず、引用が長すぎると思います。このこと自体が、簡潔ではありません。わかりやすくという点でも、多くの人に理解してもらうためには、せめてこの本の概要を冒頭に掲げる、あるいは、概要を主とし、引用を従とするなどの工夫があった方がいいのではと思いました。
この辺りは、前述のA)書評なのか、B)評論なのか、という把握がはっきりしていれば、もっと違う形にできたのではと思うのです。
そして、「解釈」ですが、私には、解釈や感想とは別物に思えました。
私は、この本を読んでいませんので、不十分な分析になることをどうかお許しいただきたいのですが、岸本検次様の「解釈」は単なる「要約」ではないのか、と私は感じたのです。
その前に掲げられた引用の「要約」であって、この本から影響を受けたこと、感銘したこと、役だったこと、これらが述べられていない。岸本検次様の意見はどこにあるのか。ただただこの本に完全に服従するというだけのことなのか。
違うでしょうか。
少なくとも、岸本検次様のなまの心、温かい感動が、行間から伝わってこないのです。
述べられている内容については、それほど間違ったことだとは思えませんが、不思議に、ここにあるのは、文字であって、心ではない、という気がしました。
「感想」の感想は以上です。
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私のこの一文も、まるで、簡潔ではなく、わかりやすくもなかったと思います。ただ、「感想」の感想については、細かい条件がなかったと思うので、勘弁して下さい。
終わりに、
書きたいことだったとはいえ、初対面の方に、しかも当フォーラムの主催者に対して、これほどもぶしつけに述べてしまったことを、深くお詫びいたします。
少なからず傷つかれてしまったのでは、もっとやわらかな書きようもあるのでは、と今さらのように、自省するのですが、すべては、私の我欲、非常識、力不足にあるとして(感情的な面については)どうかこらえていただけないでしょうか。
提案についてのお考え、また、【 「感想」の感想 】の感想、を望みます。
それでは!