岸本検次さん、こんにちは。
「人生について考えるコーナー その1〜3」「希望」「投射」など、たてつづけに発表なされる文章を、興味深く読ませていただきました。
こういう高い理念に、異を唱えるつもりはありません。とても立派なものだと思います。
ただ、人というのは妙なもので、完成されたもの、磨き抜かれたものを、時として、どこかうさんくさいと感じるのではないでしょうか。理屈では説明できないような、警戒心とも言えるもの。
当PFのテーマにそって、思い付く書物をあげれば、
中国古典選2 『易(下)』 本田済 【既済】 きせい
(朝日新聞社 昭和53年)より
既済は既に成る、事の完成を意味する。・・・(中略)・・・判断は少し通る。卦の形から言えば、おおいに通るであってよさそうなものだが、何故に少しというか。清の王夫之はいう、造化の妙は、陰陽不規則にまざり合うところに発揮される。この卦のように、陰と陽とがそれぞれの定位に整然と固定したのでは、もはや発展はない。いわば過ぎ去った事の記念碑であり、小人の道、衰世の象である。だから小さい事にしか通らないのである、と。
※ 漢字の一部を、ひらがなに、あるいは同意の別字に換えて、引用しています。
などともあります。
古来、未完成の中にこそ、人々は未来を感じてきたようです。
※
私は、岸本検次さんも、いきなり、あのようなところに至ったのではなかろうと思うのです。
あそこに至るまでの、貴方のいきさつにこそ、私は興味を覚えたのです。
さしつかえのない範囲で、もちろん結構です。
一度に全部ではなく、気が向かれたときに少しずつでかまいません。
明かしてはいただけないでしょうか。
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では、また。