平成10年3月17日(木)〜
間宮は、男だけでボーリングしてもつまらない、という大義名分に、ナオ君の苦手な荻原さんはおれが面倒見るから、という譲歩を付け、バイト男女何人かでのボーリングの集いを画策した。 七月二十八日土曜の未明に荻原さんに無視される夢を見る。 翌日曜にテレビが来る。 月曜三十日の飲み会の流れで、ナオ君と芝君が間宮の部屋に来た。芝君は帰ってしまい、ナオ君だけが泊まりとなった晩、このことを話して同意を求めた。 (芝君というのは、土くれをすくって放っておいたものが乾いて固まってでもまだ水気が残っているという顔つき体つきをしており、無精髭と丈夫そうな顎から生活力だけはうかがえる男だった。自分のことはほとんど話さない)。 八月三日から六日までの四日間が、職場の夏休みだった。これは、金、土、日、月だから、実質的には二日間ということになる。夏休み前には実行しようと強く言い、鳥海さん、高橋さんという二人の女子アルバイトに声をかけるのはナオ君の分担とした。ナオ君は、身を乗り出すということはなかったが、とにかく約束したはずである。 今まで親しい付き合いもなく無口な荻原さんだから、女一人では来づらいだろうという深謀だ。とにかく遊び飲ませて、何か聞き出そうと思った。女性が三人以上になったら、芝君や鹿野君も引き入れて人数を合わせる。あながち悪くはないだろう、彼らにしても、と間宮は考えた。前の週あたりからちょっとしたことで荻原さんをおだてたりしていて、布石はすでに打ってあった。 翌朝三十一日、ナオ君は用事を片付けてから昼に出社しますと言うので別れたが、終日来なかった。芝君も休みだった。 間宮は荻原さんを誘った。 「そのうちに、飲みに行かないか。みんなでさ。ナオ君が来ればいいんだが今日まだ来ないんで、誰と誰とかはっきりできないんだけど」 いやとは言わなかった。少し考えるようすをしてから、いつか決まったら教えて、と歯を見せた。その時に行けるかどうか答えますと言うふうだった。 八月一日水曜。ナオ君はまた休みだった。荻原さんには明日と話し、ボーリングでもと付け加えた。ならだいじょうぶという約束を得た。芝君は出てきたので彼には打ち明けようか、他の女の子たちにはおれが話付けてしまおうか、と間宮は迷ったがまだ一日あるからとどちらもしなかった。約束してしまったのだから明日できるだけ人を集め、ナオ君が来なくとも行こう、と決めた。 この日の夜、ナオ君が部屋に来た。七十円しか持っていないんです、宇都宮で友だちと女遊びしてその帰りなんです、と言った。 荻原さんには「たぶんあした」と言ってあることを教え、ナオ君が鳥海さん高橋さんに責任持つことを思い出させた。女の子三人になれば、芝君か鹿野君も、と念入りに明日の手順を言い聞かせた。 「二人がOKなら、それから先は彼女たちに勧誘させればいい。二人まででもいいし、仲間をもっと連れてきたいならそれで困るってこともないよな。人数多すぎたら女子には千円会費ぐらいはお願いしてさ、残りは男の割り勘にすればいいよ」 ナオ君は所持金七十円だが、明日職場に行けば先週のバイト代が入る。問題はなかった。 当日八月二日木曜。夏休み前最後の日。朝食は玉子焼きキャベツ入り。ナオ君と食べた。 芝君が休みだった。鹿野君はまじめな奴なので休まず出社している。 十一時過ぎまで、間宮とナオ君だけ二階の作業場へ行かされたので、十時半の休憩時間は使えなかった。昼の鐘が鳴ると、間宮は、「更衣室の前、煙突の下、六時十分」と荻原さんに伝えた。ナオ君は二人の女の子への接触を渋っており、約束守れよなと、先に食堂から帰した。 鳥海さんと高橋さんは短大生であり、夏休み利用のバイトだった。仲が良くいつも二人一緒だった。女ぶりはともに並み以上と言えた。間宮にとっては短大生だろうとなんだろうと小娘に過ぎなかったが、ナオ君あたりはなにかしら劣等意識でもあって恥ずかしいのかと思った。 「若いんだろう、そのぐらいできなくてどうする。声かけるだけじゃないか、断わられたっていいんだから」 が、あとから行ってみるとまだしていなかった。計良さんがいたから、など言い訳をし、いくら言え言えと言っても、三時半の休みあるし、とぐずぐずしていた。 まったく、口ばかりの奴は困るよ、と間宮は思った。 三時半の休みにもはげ紫の上で打ち合わせをし、それじゃあ、こんどこそ、と作業室に戻った。が、彼女たちはちょうど席を離れており、ナオ君は気合いをそがれてしまった。彼女たちが来たが、行こうとしない。間宮は、言えないことなかったが、ナオ君の仕事というつもりで、彼が言わないならしょうがない、僕が声かけて、女三人責任持つのは無理と考えた。結局、ナオ君はできなかった。 『缺けてゆく夜空』のため、荻原さんとはどうしても話したかった。荻原さんさえいれば不足はない。なんとかしよう、と覚悟を決めた。 四時半、仕事が途切れたため、短大生二人は帰されてしまった。目は完全に無くなり、ナオ君を見ると晴れ晴れと顔を上げている。卑怯者め、と顎をしゃくった。 いつも忙しく、課長も朝礼で今日は七時と言っていたので、帰れない方を心配していた。予想外だった。 荻原さんの作業はちゃんと六時までもった。彼女がやりますと願ったのか、偶然計良さんが渡した量がちょうどよかったのか。 社員の半分も六時帰りだった。 ナオ君、二日間無断欠勤がたたって朝のうちは単身きつい部署にでも出稼ぎに行かされそうな雰囲気があった。あぶないと思われたが、間宮がうまく取りなして(結果、午前の二階の作業となる)、これも落着。 間宮は、前日計良班長に「何がなんでも六時」と言ってあったので、済まずとも帰るつもりだったが、頑張って区切りを付けた。 待たせちゃ悪いからと間宮は先に待ち合わせ場所に急いだ。 六時十分、女子更衣室となりの、地下に焼却炉があるらしい大煙突の下。ここは南門のそばで、社員たちが前を通るので、間宮は裏手に回り、道路に座って待った。 二十分頃、荻原さんが来た。彼女は煙突の下、表側で待っていて、互いに逢うのが遅れた。 荻原さんが化粧をしていた。 初めて見た。 首の回りからは銀鎖が光りこぼれ、柔らかい素材の半袖と、これも今まで見たことのない小ぎれいで落ち着いた膝を隠すスカートだった。スカートは余裕のあるもので、ボーリングということもあっただろう。見たことないと言ってもたぶん、この日の仕事中ははいていたが、間宮は気づかなかった。 一式で見ると、いわゆる「よそゆき」というなりだった。例えば親戚の集まりがあったときに着ていく服、同窓会なんかにもいいか。この装いは、その後ほとんど目にしなかった気がするので、彼女のこの時期の一張羅だったのではないか。(いや、女性には男性で言うそういうものはないかもしれない。同じ男には同じ服を見せない、そういう厳しい制約を課している方もいると聞く。佳子さんはどうなのだろう。間宮もナオ君もたまにしか会わない男ではないので、したくてもできなかったはずだ。だから、最初に遊んだ日の服だけは、という考え方をしたかもしれない)。 ただし、小物入れのバッグは以前から見かけている、黄色い網のかごだった。網だからカラフルな中身が見えて、わかやいで楽しいアクセントになっていた。 化粧も装いも、実際きれいだったけどそれよりも、精一杯それをした心映えに打たれてしまった。まして間宮は、利己的な、純粋とは到底言えないしたごころを隠し持っていたので。化粧というのは必要なときにだけすれば十分なのだ。むしろその方が効き目が最大になる。ということも知った。みなおした。 人集めが不調で、三人になってしまったと打ち明けた。荻原さんは、えー、と言っていた。 ナオ君はそれから七八分待ってやっと姿を現わした。ロッカーでは一緒だったはずで、男には化粧もなく、どこかでしゃがんでいたのかと思われたが、あとで尋ねると、 「間宮さんが彼女を気に入ってるみたいだから、お話できる時間を作ってあげたんですよ。いっそすっぽかそうかと思ったけど、約束したし悪いから」 と言った。 地下鉄で中野へ行き、ボーリングを三ゲーム遊んだ。 ボーリングの腕は三人ともどっこいどっこいだった。(パーフェクト三〇〇点だが)間宮とナオ君が一〇〇点をどうにか越えられる、荻原さんが一〇〇点にちょっぴり足らないというところだった。彼女にハンデ点をあげて、少人数にしては和気あいあい賑やかに楽しめた。間宮のあおりもうまかったと思うが、荻原さんは負けん気が強く、ゲームを重ねるごとに熱くなった。手を叩いてへへーと歓声を上げたり、唇を噛んでうなったり、これがあの荻原さんかと目を見張るほど表情豊かになった。やっぱりいい子だ、と思った。 女性が一人でもいるとやはり違って、テンフレ(一ゲームの最終回)の競り合いなどになれば男二人もマジに燃えた。 電車に乗り、吉祥寺の暗いが広々したパブで飲んだ。このコースは前に芝君ナオ君間宮で経験済みだった。 状差しにタイムカードが並んでいるので「佳子」という字は知っていた。が読み方がわからずナオ君との間で話題になったことがあった。 尋ねると、えー、と斜め上を見る。 ナオ君がぼつり「かこ」と言った。 間宮は「よしこさんでしょー」と語尾を伸ばした。 当たり、と言って、間宮を指さした。 なぜ一週間に一日二日とか午後からとか出てくるかと言うと、夜のバイトとの二重生活だから、と佳子さんは答えた。グラスを気持ちよく空けた。昼間のあそこは寝る所なの。中野まで定期持ってるよ。彼女は「夜と土日の女」とうそぶいた。最近も八丈島、新島、その他に毎週行ってる。 そして、中学のころにワルした。家はマイナーな宗教の教会。そういうことも教えてくれた。船橋にある出身高校の名前も。 通った高校の名前、そして間宮も街の神社の息子であること、訊かれたので正直に答えた。ともにナオ君にもあそこの職場の人たちにもそれまで明かしていないことだった。ナオ君はわからなかったと思うが彼女は千葉県の人なので、高校が並外れた進学校であったことを知られてしまった。ええーと侮蔑含みの嘆声が起こるのを制して、頭振り顔しかめ、あわや落第だった劣等ぶりを付け足して(安心させて)はおいたけれど。家業の方は「ふうーん」程度の反応だった。(が、小説を書いていることまでは言わなかった) 終電がなくなりそうだというので、早足で駅に向かった。閑散とした風があり、国電の御茶の水以遠はもう終わっていた。 中野に知り合いがいると佳子さんはそこに押しかける案を出した。夜のバイト先の関係で、夫婦者の自宅だと言う。とにもかくにも、と国電に乗ったが、間宮はいくら愚連隊を自認していても、この人数でこの時間に迷惑をかけるというのが(自分などほんとにもう分別盛りの歳でもあるのに)どうにも踏ん切りがつかないうちに中野に着いてしまった。 一旦は降りたが、佳子さんはそっちに行かせて自分とナオ君は国電でさらに行って多少長くなるが歩く、その方がいいかと思って切り出そうとした。佳子さんにその気があるなら、深夜の街路を四十分は行く元気もあるなら、泊めてもいいし、ときわどい考えも浮かんだ。 間宮は目がぼやけて遠い字が見づらかった。時刻表を見上げていたナオ君が地下鉄の方は西船橋までのがまだあると指さし、報告した。間宮も佳子さんもそれならば好都合なので、ベルの中、三人で走って地下鉄に飛び乗った。 が、車輌が走り出してから、これは東陽町止まりだというアナウンスがあった。それから先もすべて終わったと続く。東陽町はまだ東京都で、佳子さんの自宅のある西船橋は千葉県で、だいぶ先だった。 この馬鹿は、と間宮は言い、こら、と佳子さんはげんこをかざした。 もう接続があるかどうかわかんないし帰るの面倒になったからと、ナオ君は、間宮さんのとこに泊まらせてもらいます、と自分で決めた。 佳子さんは、東陽町に友だちがいるから、とひとりごとっぽく言い、電話してみようかなー、と続けた。 間宮はあちこちにいるんだなと思って、どんな友だちなの、と尋ねると、高校で同級だった女の子だと言う。夜中でも無理して頼めば、ということだった。 降りる駅が近づき、間宮は、来る? と簡潔に言い、まばたきして佳子さんの顔を見た。 佳子さんは口をとがらしてまよわせ半秒逡巡し、すぐひょくっと頷いた。うん、と言った。 改札、地上と出た。女の子がそういうことではいけないんじゃないの、とナオ君が冗談めかして言うので、もとはと言えばお前が嘘ついたからいけないんだろう、と間宮はひじで押した。嘘じゃないですよう、ほんとにそう思ったんです、と言い訳を言う。たまに振り向く二人の後ろを、佳子さんは首傾げて微笑みながらついてきた。 道すがらコンビニでつまみになる菓子と、氷、ジュースを買った。ウイスキーならあるからと間宮が言ったので。
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[9 八月二日 了]