平成10年5月11日(月)〜

缺けてゆく夜空 その二 佳子さん

14 残暑見舞



 
 八月十七日金曜の朝、ナオ君と間宮は出勤した。ナオ君の友だちであるなかなかの青年もどこかへ出かけて、以後会わなかった。
 昼あたり、ナオ君が、
「佳子さんもニンジンの皮は剥くって言ってましたよ」
 と報告に来た。
 この日の夜は、間宮は、芝君とボーリングをした。
 深夜、と言うより、十八日未明の午前三時四十分ごろ、電話のベルで起こされた。手を伸ばし、受話器を外した。
「もしもし、……間宮ですが」
 寝るときもしている腕時計を見たが暗くて読み取れなかった。すぐには返事がない。間宮はまだ醒め切らず、布団に寝たまま受話器を耳に付け待っていたが、向こうの息づかいがして、佳子さんだとわかった。
「……荻原です」
「ふっ、こんばんは」
 目覚まし時計の方は押すと点灯する。
「だれだと思った?」
「佳子さんだと思ったよ。……今頃電話するのは、いたずらか、佳子さんぐらいだもんな」
 なにか、髪を触るかの仕草をしているらしい。もちろん見えない。
「起こしちゃったかしら。ごめん」
「いいよ。佳子さんの声聞けただけで、満足だよ」
 今夜はなにしてたの、と言うので、芝君と遊んだことなど、その通り話した。
「佳子さんは今、どこからかけてるの。西船橋?」
 また沈黙があって、
「そうよ」
 と答えた。
 結局何の用事でもなく、終わった。
 間宮は起き上がり、小用を足し、一服し、また横になった。
 ちょっと物足りなかった、という気がした。こちらの頭がもう少し冴えてたら、はずんだ会話でもっと長くできたかもしれない、とも思った。
 しかし、うれしかった。来週あたり、佳子さんちの電話番号を尋ねてもいいかな。気持ちがゆるみ、やすらぐまま眠った。
 十八日土曜は、出勤はなく普通に休日。
 間宮は、本でまさか尊属殺の友人に残暑見舞を出した。

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 残暑御見舞い申し上げます。
 冬、冷蔵庫だったものが、今はサウナになり、私はその中で大変元気に過ごしております。そちらはいかがなものでしょうか。
 いつぞやの晩の電話、気にしてはいたのですが、その後連絡なく、これは貴兄のことですから立派にきれいさっぱりケリをつけられたものと勝手に安心いたしております。(それともこの葉書は“ 寿 ”葉書と行き違いでしょうか)
 さて、私ですが、“ 才能とは努力できる力である ”を信条にはげんだおかげで六月末、作品を投稿することはできたのですが、その後虚脱状態。少しぐらいはいいやと思っているうちに夏は盛りとなり、その上、オソロシク魅力的な女性と知り合いになってしまったのです。
 何ヶ月もの間、眠っているようなけじめのないような小娘と思っていたバイト先の女の子なのですが、ある夜飲んだときに彼女の話し方、夜昼の二重生活のことなどを聞き「これはただ者ではない」と驚き、決して美人ではないけれど細身の、少女の内側に深入りしていくうちに、男たちに吸い尽くされるのじゃないか、それとも吸い尽くすのか、というふうな、とんでもない女の住んでいることがわかってきたのです。
 友達の少年と、彼女との三人で部屋でざこ寝をしていた朝まだき、薄暗い中で抱擁し湿った愛撫をしている二人の二十センチとなりで両手で顔をおおい、おさえるよう注意をうながすかこのまま寝たふりをして好きにさせるか悩んでいる部屋の主人の図というのも、実に実に経験でした。(当然、やめさせました!)
… 以下次号 …

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 残暑御見舞い申し上げます。
(これは「残暑御見舞い」の第二部です。恥ずかしいことに一枚にまとめられなかったために二枚目となっております。一枚目未着の際はどうかお電話ください)
 ……さて、そういうことがありましても、彼女と切れるわけなく、和気あいあいと時は過ぎているのですが(これは本当に堕落でしょうか。そういえばテレビも買ってしまいました)、この前、寝不足でバイトを休んだ午前中、話のはずみでひょいと、彼女が「書いている」ことを知りました。(もう誤解なされているかもしれませんが、同棲とかそういう間柄では決してないのです)
 非現実的な夢を見られなかった子供の頃、少女Aならぬ少女Zぐらいイッテいた中学時代あたりから書いているようです。−−彼女が本当にその気なら、他に替えようのない底しれない作品が実現されるかもしれません。どうしてもそういう気がするのです。−−その時まで、私はきれいさっぱりケリをつけられそうにありません。
 ……と、三枚目は今度お会いしたときのお話に替えましょう。暑さにも妖少女にも負けず、私は書きます。貴兄もどうか、お元気で!
(多少脚色が生じてしまいましたが、やむなきこととお許し下さい)

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 いつぞやの電話とは、五月十二日土曜の午後十一時四十分ごろのもので、公衆電話から間宮にかかってきた。長話となり、三回切れ、三回掛け直された。女がらみで「もうだめだよ、やる気なくしたよ」と、それほどとは思えない元気な声で訴えていた。
 その一週後、五月十九日の土曜、細身で一回り上の思慮深い先輩らとの会合のおり、この先輩は「あこがれの人に、人を介して申し込み、振られた」という彼のさらに具体的な事情を知っていた。どうやらまさか尊属殺の友人は、精神的危機に際して、あちこちに電話をしたものらしい。ただし、会社に在籍していない知り合いへ。
 この友人は酒が飲めない。やるせない気持ちを電話以外でどうやってまぎらわしたのかは、わからない。
 だいぶ先になるが(日付は八月二十七日、消印は二十九日)、間宮の残暑見舞に応じる返事が来た。封書だった。ここで紹介しておこう。

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「拝啓、残暑見舞有難とう。カビ臭い部屋の空気に閉口しながらも、毎日何とか暮らしております。貴兄もすっかり一人暮らしになじまれた様子にて、安心致しました」
「さて、文面の話、楽しく読ましていただきました。その“ 少女Z ”ですが、僕にはどうも眼前にその姿が浮かんで来ません。普通のオンナノコしか知らぬ人間には想像することさえ難かしい。そんな女性が存在しても不思議ではないのですが。絶賛の模様にて、きっと素晴らしい女性なのでしょう。しかし、女はあれでいて奥深く、訳の分からぬものですから、くれぐれもご注意あれ」
 少し跳んで、
「先日電話で話したこと、あれ何のことだったか、という感じ。まったく話にもならない。未だに気持ちが整理出来ない。“ あの女が誰か知らぬ野郎と歩いていたら、二人とも殺してやる ”と、過激なことを考えている。面と向って嫌な奴と言われた訳でもないのに、やはりショックではありました。好きな人間といっしょになれると思ったら大間違い。実に実に良い教訓を得ましたね。でもオレはあきらめないぞと思うが、だからダメなのか。女は彼女一人じゃないのだが」
「閑話休題。作品の投稿済まされたとのこと、実にめでたい。お疲れさま。この世の中に二つと無い物を創ることの大変さよ。頭が下がります。最近は日記を記すこともおっくうだ。人間歳を取ると頭がかたくなるというのは真実のようです。すぐに書くことよりも、本を手にとってしまう。そして、あーでもない、こーでもないと色々思う。言葉は渦を巻いているが、それをまとめあげる気力がない。疲れているのか。日記にさえ、ウソばかり書く」
 後半は、八月はじめの登山行の話、「めったやたらに間口をひろげて読みあさっている」話、などへ移る。

 




[14 残暑見舞 了]




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