平成10年5月18日(月)〜

缺けてゆく夜空 その二 佳子さん

15 凌辱



 
 日曜日、八月十九日。
 食材を買ってきてから、まだ暗くならないうちに、銭湯に行った。帰ってから調理し、夕食はシチュー。
 間宮は、自然科学系の新書本を読んでいた。昼間から始めて上のことなどで中断しながらも続けた。面白く、宵頃には今夜中に終えられるかと思ったが、たまに腕時計を見て寝るべき刻限までの残りをはかると、しだいに全部までは無理かもしれないと思えてきた。
 もう少しとページをめくるうち、五分の四は越えていた。
 窓の黒い隙間からまれに、遠くを走り去る車が聞こえた。あとは、どこかで流す水や、寝言をいう蝉、風鈴が鳴って消えていったり、その程度で、深夜、あたりは気だるく鎮まっていた。間宮はときたまシャツの内側にうちわで風を入れた。
 だからそのドアのノックの音が、それは控えめなものだったのだけれど、耳の間近ででもしたかと思えて、間宮は動物的に跳び上がってしまった。
 誰ですか、と声を出したが返事がない。本を伏せ、行って押し開けると、佳子さんだった。闇を背に、黄の網の小物入れを前で持ち、ものを尋ねるひとの仕草で間宮を見上げた。
 一人だった。午前零時までいくらもない時刻だのに。
 間宮は「どーしたの」と驚き、とりあえず上がれよ、とうながした。
 どうせどこかで友だちと遊んで、帰るのが面倒になったのだろう。おれも佳子さんの「知り合い」ぐらいには昇格したか、と当初は軽く考えた。
 テレビが観たいというので、イヤホン付けなよと言って許した。
 佳子さんは、炬燵机の向こうで間宮にも画面が見えるように姿勢を崩し、かるく片手をついていた。
 間宮は読書の続きをしたが、一ページを何回か読み直して、それでも頭に入らない。気を引き締め進もうとしたけれど、だめなので、閉じて、それからは佳子さんの背中とぽつりぽつり話した。
 えへへ、などとテレビで笑っている。
 土曜未明の電話のことを、
「夢の中のことだったような気もする」
 と言うと、
「そうよ。夢なのよ」
 と、目の端だけでこちらを見て答えた。
 映っているタレントの評や連想した事柄は呟くふうにいくつか並べたけれど、電車がどうのとか、昼間はなにしに出てきてとか、佳子さんは自分の訳を言わなかった。相づちを打つだけで、間宮も触れなかった。
 音のない画面を眺めていて、CMでいきなり半裸美女が出ると「お、おお」と指さした。佳子さんがげらげら嘲る。
 小一時間、そんな具合で過ごし、番組にも区切りがついたみたいなので、訊いた。
「どうする、トランプでもするか」
 首を横にするので、じゃ、寝よう、と決めた。
 佳子さんはもう慣れたもので、二人で炬燵を片付け、場所を作った。間宮は台所で服を脱ぎ、パジャマに着替えた。六畳に戻ると、佳子さんは短いスカートに手を入れてストッキングだけを脱いでいるところだった。
 敷布団を六畳の台所寄りにひろげた。佳子さんに布団使うか、と言うと、毛布だけでいいと答えた。いつもの赤だいだいをかぶって、南の窓寄りの畳の上で横になった。間宮は西枕で、佳子さんは東の壁を頭にしていた。
 灯を落とすとき、「いっしょに寝る?」となるべく平常に聞こえるよう誘った。
「いい」
 とあっさり断わられてしまった。
 間宮は目をつむり、敷布団の上でえんえんと考えをめぐらしていた。眠くてしようがないということはなかった。土曜、日曜とたいしてからだは動かしていないので疲れもなかった。それでも数度長く息を吐くうちに簡単に寝入ってしまうのが普段の間宮のはずだった。寝苦しさはあるが、温気や湿気のことならこの夜に限ったことではない。
 どうしたらいいか、と考えた。このまま朝まで眠ってしまうのが一つ。ついさきほどまでそれ以外はなかった。唐突な割り込みがあったので、こちらまで浮き足立たねばならないなんて本来はないはずだ。男にだって心の準備が必要だよ。はやく、眠ってしまえ。それに、人生は長い、きっと。
 当然、やるべきだ。夜中、女の方から寝室(と化した男の部屋)に訪ねてくる。今そこによこたわっている。こういうことは今後の人生においてもそうそうあることとは思えない。あまりにも明瞭な佳子さんの意思表示ではないか。
 が、佳子さんという女性は、自分が女であることを忘れているみたいなところがある。いたずら仲間とじゃれ合うのが楽しい。少年たちの秘密基地、あるいは悪ガキの溜り場、ここをそんな感じにみなしているだけなのかもしれない。今、赤だいだいの下で、ちょっとまずかったかなと反省している。
 しかし、男のパンツに手を入れる奴なんだ。あの晩二人にかわるがわるされてしまったとしても、それがいつものことであるような女なんだ。今は男女のみである。これは人の道の内側と言える。いただかない手はないのと違うか。
 起き上がり、あぐらになり、
「ねむれないよう」
 と自分の動作の注釈を声にして、枕許にあるボトルのウイスキーをキャップで一つ含んだ。ふたをしてまた寝た。
 堂々巡りは続いた。こっちかと思うとそれは大馬鹿に思え、ならそちらかと考えれば素直に信じがたい。要するに「どちらもするな」というのが心の指示だったから、間宮は小さな発狂状態に何度か陥った。が、そういう未熟な思索の果てに、相手がそこにいるのだから確認してみればいいのだ、ということを発見した。よく分かるよう的確に、興奮させないよう静かに尋ねる。……あほか、てっとりばやくからだにさわってみればいいんじゃねえの。これでまたしばらく綱引き。布団を敷き豆球にしてから、すでに一時間か二時間は無駄にしていただろう。
 また、ねむれないようと呟いて、ウイスキー。目覚まし時計を押して乏しい光で時刻を見た。咳をして、布団に寝た。
 あすは仕事であり行かねばならない。佳子さんらとは違い間宮は朝から来てくれるものと皆に期待されている。無遅刻なのだ。二週続けてズル休みもできない。つまり、最低限の睡眠時間を確保するためにはもう決断しなければならない。これ以上は迷えない。
 今までもこれからも口で何と言おうと、佳子さんはこういうことになった場合、たとえ間宮とそうなりたいと望んでいなかったにしろ、何もされないほうにむしろ侮辱を感じるのではないか。これが真理かと思い当たった。
 もう遅くなり過ぎた。寝不足で半端な仕事することほど嫌なことはない。何としても眠るしかないのだ。が、眠れないのだ。
 どうなってもいい、と、どっちにしろたいしたことじゃない、と、やっと腹が据わった。疲れ果てあきらめる感じに似ていた。
 心で掛け声を発し、一つ寝返りを打った。手をつき足をだせば、あとは畳の幅を動いてくれた。
 顔の間近で、言った。
「佳子さん、あかんぼ生んだことあるの」
 胸が動いた。薄目があいている。眠っていない。
「ううん」
「ふふ。……でも大丈夫だろ」
 間宮はなどと言った。
 赤だいだいを剥いだ。からだをその毛布の方に近づけようとしたが、間宮は上にまたがって邪魔をした。スカートの腰に指をかけて、ずりさげた。小さなうめきがあったが、両の脚には力がなく、まずこれは問題なく済んだ。
 白っぽい下着を脱がす。
 間宮は息を、うふううう、と吐いた。
 自分の手で女性の下着をおろしたのは初めての経験だった。当たり前なのだが、尻のふくらみを越えてしまうとその上で、いとも簡単に目の前にあらわれてしまって、間宮は数秒現実感を失っていた。あっけない展開に、脳の煮汁が、泡だち沸騰するひまもなく蒸散を始めた。佳子さんは表情もなく黙っている。ももを強く閉じようとさえしない。
 下着を足先から引き離し放るとくしゃくしゃ小さくなった。
 縦長に生えているものを右指先で深みへとさぐりながら、下だけでは片手落ちだと気づいて、Tシャツを脱がしにかかった。髪が広がり顔を布地がなぜるとき、佳子さんの声がはっきりときこえた。案外にも豊かにまるい乳が細い胴体に等しく並んでいた。ブラジャーはつけていなかった。おもわず手前の頂きに口づけした。
 もう脱がせるものがない。

 間宮さん、大声だすよ、と脅した。
 何を言ってる。よがりが大きいというのか。
「かまわないよ。どうぞ」
 佳子さんの脅しはやはり口だけだった。そうしようと思ったかもしれないが、決心がつかないで口を結んでいる、というふうでもあった。

 あきらめて、間宮は下着をつけパジャマをき、自分の敷布団に戻って、目を見開いたまま唾を飲み込んでいた。
 佳子さんはいい、どうしておれのは元気にならないんだ。間宮は普通でない衝撃を受けていた。手でしばらく励ましたがまだだめだった。どうしてだろう。佳子さんはそこで全裸で毛布をかぶせられて転がっている。
 じゅうぶん若い男女がすっぱだかでしつこいぐらいもつれあったのにそれがない。こんな滑稽なことはなかった。愚かしすぎて泣きたいぐらいだった。
 眠るために眼鏡を外していたので、途中でもっとよく見るために眼鏡をかけた。薄暗いのだからさほど変わりはなかったし、「上品」とは仮にも言えないというだけの意味しかなく、まずかった。
 二十分間程度か、形容しようのない静寂のうちに、やや期待がもたげてきた。
 肩で息をしだした。お上品に決めようなんてのが間違いだった、ということにした。
 間宮はまた腕時計をはずした。眼鏡をかけた。

 みなぎってきたのでつかんで無理やり押し込んだが、首までもはいらない。佳子さんが裂け目を浮かしそらし、まぬがれようとしていた。佳子さんのそこが万全でないのだと思い、指を一本入れた。
 次に二本入れた。おもしろくなって三本入れてみた。
「いたいっ」
 そろ、と抜いた。
「間宮さん、わたし、もう眠りたい」
 わたし、家で寝るときはいつも裸だから、このままでいいから、そっとさせて、……という意味のことを言う。
「眠れよ、眠りたきゃ。おれは続けるから」
 金切り声、爪を立てる、突き飛ばす、佳子さんはそういう反抗は一切しなかった。う、う、と喉の声だけ漏らした。抱えられて移され、敷布団にうつ伏せの後ろからいたるところをいじられ辱められているときでも、肩を少し動かすとか腰をにじるとかそれで拒絶を示した。
 間宮は頭の毛細血管がぷつぷつ切れてときたま記憶が途切れるのではと思うくらいはりつめのぼせており(そのぐらい佳子さんが愛しくかつ憎らしく)思いつくまますぐ佳子さんのからだを試し、もてあそびをしていったが、雄として存分には成就していない意識がずっとあって終えることができなかった。
 とうとう佳子さんが言った。
「間宮さん、外、散歩してきなよ。頭冷やしてきなよ」
 そう言われた頃は、浮き沈みをしていたままならない奴が急速に反硬化状態に落ち着くらしいのがはっきりしてきてさらにみだらな激しい行為はないかと模索していたあたりだ。
(まだ佳子さんの肌に血は滲んでいなかったが、放置して妙案が浮かんでいたら間違いなく、そのたぐいに至っただろう)
「いやだ」
 膝立ちの間宮は、見下ろしてそう言った。自分が外に行っている間に、彼女は逃げるつもりだ。あるいは、彼の蓄えている金銭または通帳と一緒に消える。そう決めつけていた。

 このあと、ふうー、と何度目かの息を継ぐことがあったときか、もっと前の時点でだったか、佳子さんがナオ君のところに電話をしてみようと言った。それもおもしろいな、気の利いた考えだ、と間宮は同意した。部屋の灯をともし(机上スタンドはすでに点けて、部分を照らしたりしていたが)バインダーノートの後ろの住所欄を捜した。ねぐらをナオ君から聞いてはいたがまだ連絡したことはなかった。どこであれ街は寝静まっているだろう時刻、電話は呼び出し音だけだった。わたしがしてみるというので間宮が回して受話器を佳子さんに持たせた。佳子さんは畳に脚を乱し座っていたし、間宮は後ろから抱きついて乳房の下を支え、なでまわしていた。これもつながらなかった。
 佳子さんの背中には、バツ印に交叉する水着のひものあとがあった。

 




[15 凌辱 了]




戻る

次へ

目次へ

扉へ