惜敗した間宮がおごることになった。
《領収証 その二》
59年8月24日
上様 ¥3750
居酒屋むらさと
この二枚目の領収証は、約一ヶ月後にまた登場する。間宮はこの晩もらって、財布の中に入れておいた、とだけここでは覚えておいてほしい。
むらさとでの二人の飲み会で、間宮は言った。
「いいよ。作り話でいいから、どんどん話してみてくれ」
ナオ君は、どうしても聞きたいんですか、僕のシナリオが、と、困っちゃうなという笑みを浮かべた。
「君の創作能力がどのくらいのものか、判定してやるよ」
「分かりました、精一杯作らせてもらいます」
先週の金曜日、バンドの練習に行こうと思ってたんですが、駅で偶然、佳子さんと会ったんです。食事してから、ボーリングをしました。江戸川の堤防で二人でしばらく遊んでました。僕たち江戸川のホテル知らなかったので、電車のって、西船橋まで行ったんです。西船橋の大きなホテルに入りました。風呂のあと、彼女からじゃれて来ました。佳子さんが上に乗りました。僕は、天井のミラー見てました。きんきんには堅くならなかったけど、長時間持続しました。終わりの方、はじめいやがってた彼女もぐったり。
「……何時頃だったの」
そうですね、夜中の一時から三時ぐらいまでベッドでした。
間宮は、あの三時四十分の電話は、その後ホテルの部屋からかけたものだったのだ、と確信した。月曜未明、間宮の部屋で、彼女の方からナオ君への電話を提案したこととの符合を思うと、もう動かしようがなかった。
(間宮は翌朝、ノートの前のページを眺めつつ考えたとき、さらに思い当たることがあった。あの電話で間宮が「今どこからかけてるの、西船橋?」と訊いたとき、佳子さんがちょっと詰まる感じだった。見透かされている訳はないのだ、間宮さんはわたしの自宅のある所を言っただけだ、と気付くまでの間、とするなら、ぴったりである)
間宮は「シナリオに姿を借りた実話に受け取った」という態度を作り、ショックを受けたふりをした。話の合いの手に何度も、僕はピエロなのか、とおどけ、左腕に額を打ちつける大げさな落ち込み表現をしていた。すると、それは芝居のはずだったのだが、本当に沈んで滅入ってきてしまった。意外なほどだった。
ナオ君に根性なしと叱られてしまった。どうしたんですか。
「間宮さんにナニクソと思わせるための作り話ですよ」
「その作り話をもっと話してくれよ」
気分はそうでも建て前としての「実はピエロだった男」の芝居は、この後の帰り道、ナオ君の泊まった夜、翌日の会社の間も、間宮は続けていく。
地下鉄は終わり、国電の降車駅から二人で歩いて間宮の部屋に向かった。国電の駅は遠く昼間大急ぎでも三十分はかかるので、酔っぱらい同士では一時間を越える道行きになったはずだ。
その間、既製の曲の節回しや即興の詞をつなげて、間宮は歌った。情があり、もの悲しく、いい歌だった。しだいにあたりかまわぬ唱詠になり、内容もあからさまになっていた。
ナオ君は、シナリオだって言ってるのに、もう頑固なんだから、とあきれていた。
歌った歌詞はどういうものだったのか、まことに残念ながら、記録は何もない。
あくまでも想像で、こういうたぐいではなかったのか、と創作してみる。
川は流れても 流れないものは
僕の心の花
星は消えても 消えないものは
僕の心の熱
君は 最高だね
よしこさん、よしこさんよ
ああ あああ
笑顔はいつも遠い 街はいつも暗い
飲んでも飲んでも いつも苦しい
馬鹿たれだ おれはよ
あああ あああ ああ
消えてなくなれ すべての夢
君がそうなら
泡となって失せよ すべての時間
君が望んだのだから
雲が 夜空を 流れていく
さようなら こんにちは
生きていくぜ、いつまでだって
あああ ああ ああ ああ ああ
僕はもう 君ではないのだから
あとちょっとぐらいは、いい詞だったと思うが。間宮はときたま、飲んで記憶をなくすが、そのとき歌を歌うらしい。あるいは、際限もないおしゃべりをする。何か忘れがたい印象だけをまわりの人間に残す。ならば具体的にどういう歌であり、せりふであったかというと、彼らは覚えていない。とてものっていた、とか、こんなかわいい人だなんて知らなかった、とか感想のみを言う(残酷にも)。いかにメモ魔の間宮とて、記憶がないのではいかんともしがたい。そのどれでもいいから、今から飛んでいって、かたわらで筆録をしたい、衷心で思う。
まなこから液体が流れ出ていなくても、歌が泣いているときはある。そのしらべが奇態に過ぎ到底美しいとは言えないときでも、表わされるものと表わすものの一体感にただ酔いしれるばかりというのも珍しくない。
むきだしの心に人は立ち向かえない。普通顔をそむけたりする。本人は亡我であり、たいてい間宮の如く覚えていられない。幸いのためであるらしい。
ただ心とは不思議なもので、この道行きの晩に限っては、間宮は、そういう自分を演じていたはずだ。ナオ君の書いた劇中の人のふりをして見せていた。二層の意識を支えるため、量として記憶をなくすほどはアルコールを入れていなかったのだから。心の奥から自分を操りナオ君の心中を暴こうとよく観察していた。電車を降りるあたりまでは確かにそうだった。が、あまりに真実に近い嘘という勘が消えてくれず、消えぬどころか信念に高まり、間宮の演じる嘘にもぽっぽっと真情が噴き出て、嘘と前置きして真実を言うらしいナオ君がだまされているとは知らずいい気になってもてあそんでいるつもりなのか、だましているつもりの間宮も自らの演技でたまらず吐露したくなって飲み込まれていったのか、つまりもう仮面が仮面でなくなって皮一枚を意味薄く支えていたのか、要するに実質もてあそばれていたのか、判然としなくなった。まぜ具合によっては心の中でも発酵してしまうためだろう。
部屋で眠る前、寝た女の数、という話題に関連してか、
「僕は地元ではセックスマシンと言われたんです」
とナオ君は言った。
「鹿野君は童貞なんですってよ」
そう笑いもしていた。ナオ君は、この頃鹿野君のアパートにも泊まっている。
翌早朝、八月二十五日土曜の午前五時前には間宮は起き上がり、ノートを開いて、少しでもいいから気持ちに筋目をつけたくて真相についての検討を始めた。
天文写真付き冊子カレンダーを見、ノートをめくったが、十七日金曜についてはニンジンの皮は剥くかとかのろくでもない記載しかなかった。
十七日、あのナオ君が連れてきたなかなかの友人も含め泊まり明けとなった朝から一つ一ついもづるで思い出そうと努めて、やっと次の事実だけを書き出した。
八月十七日金曜は、まず佳子さんがボーリング行こうよ、と間宮に言った。けれども、間宮は七時までの残業を班長に言われてそれを請け合っており、ナオ君からは今夜は用事あると聞いていた。この二点を言って、「だからなあ…」と日が悪いことを伝えた。そのあと、トイレの前で会ったとき「まだボーリング行く気ある?」と訊いたら、「七時までやるんでしょ。じゃあ、パス」と佳子さんは言った。彼女六時。ナオ君も六時にふっさらして帰った。間宮は、七時までやったあと、芝君とボーリング。そして、その晩遅く、未明、三時四十分頃、佳子さんから例の電話があった。
これが間宮の目で見、耳で聞いた現実。ナオ君の十七日についてのシナリオはどこまでも彼の話にすぎない。が、昨夜そのナオ君の話を聞いたこと自体は、現実であるので、昼間の会社からコンドームのやり取り、ボーリング場、飲み屋、帰り道その時々の彼のせりふと間宮の応対を順番が前後しても思いつくまま、ノートに書きつけていった。
書いてみると、ナオ君にしては(彼は心外と言うだろうが)よくできすぎたシナリオということが改めて感じられた。間宮に対してああいうことをした数日前に、ナオ君にああいうことしていたというのは、佳子さんらしく思えて、とても自然だった。事実だという気がした。
彼女本人に確かめてみるのはと思ったが、こういうことは当事者がいくらそうだあるいはそうでないと告白したとしても、真偽は第三者にはどうしてもわからないのだろうな、と考えた。(それに、佳子さんの声でああいうことをしゃべらせたくなかった)
だから、神となってその場を目撃することができない以上、一番うなずける物語を真実と信じるよりほかはないのだ。ナオ君のシナリオが全てではないだろうが、今日以降新しい発見がもし無いなら、最有力と言わざるを得ない。
「これシナリオですよう。信じないでくださいよう。僕シナリオ学科出てるんですから」
ナオ君が途中でやめた専門学校は、音響関係だったはずだ。が、マスコミに関わることということでシナリオもあったのかもしれない。それとも、口からでまかせで、後になって、シナリオ学科など嘘と知れても、つまり、シナリオでないと知れても、つまり、佳子さんとのこと間宮さんに知れてもいいと、あれ言ったとき、ナオ君はそんな気したのか。いつかは言おうと考えていた、ということもありそうだ。
が、普通「作り話」とは言っても「シナリオ」とは言わない。案外、かじっているかも。「これシナリオですよ」を何度も、「シナリオ学科行ってた」を二度ぐらい、彼言ってたか。
ひとねむりしており、酔いも醒めていたが、まだ頭の芯で青っぽい炎はゆらめいていた。こういう状態なので余裕もなく手探り程度ではあるけれど、二時間近い検討の結果として、間宮の手元に残されている切り札は、月曜未明のことのみらしいと悟った。これがあるから曲がりなりにもおどけ芝居を打てたのだろう。
かたわらでナオ君が熟睡していた。
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