平成10年12月16日(水)〜

缺けてゆく夜空

その四 ノート

25 念書



 

 年齢の関係を正確にして少し説明する。ただし本筋にとっての意味はあまりない。
 間宮が高校新卒で、あの出版社に就職したこと、在籍は八年間だったことは冒頭辺で述べた。
 会社は女子を採用する場合、間宮在職中にはほぼ例外なく、短大新卒を採った。間宮がちょうど半分の四年間を勤めて五年目となった四月、新入社員のうち女子は四人が入社する。だから彼女たちは間宮より学年で言って二つ下ということになる。間宮二十二歳、彼女ら二十歳。以後四年間、毎晩とは言わないが均せば二日か三日に一度は、この四人の中の誰かまたは複数と間宮は飲み歩くことになる。四人は同期として例年になく結束があり意欲もあり一年程度で落ちこぼれる者はいなかった。そして間宮は彼女たちみんなと陽の相性があった。
 四人のうちの一人が引っ越し後に手紙をくれたりした世話好きで清明な女性である。一人がおなかが大きいからと原稿を返してくれなかったゆみちゃんである。一人がこの年四月に送別会のあった社長になれるぐらい有能なのに専業主婦になってしまった娘である。残る一人は精妙な感性を持ち正義を愛する女性だったがこの年のひな祭りに結婚式を挙げていた。
 八月三十日木曜午後七時前、間宮は約束の喫茶店へおもむいた。耳にやさしい声の女性が待っていたが、他に、巻毛の優秀な後輩だが年上の青年、その精妙で正義を愛するひな祭りに結婚の女性も加わって、飲み会となった。
 ひな祭りに結婚の女性はだからといって辞めてはいなかったが、そういう圧力があるかの話をした。巻毛で後輩で年上の青年は、間宮より一年遅く入社した大学新卒なので、よって三学年上になる。耳にやさしい声の女性は上述の四人組の前年の入社なので、間宮の一学年下になる。
 間宮は電話のとき「ほかにだれか呼ぶかは君の好きでいい」と言っていたから、嘘をつかれたことにはならない。それに昔の仲間との馬鹿話で、ほのぼの平和な気分にどっぷり浸れて、デートをあきらめた残念さをおぎなって余りある、というところだった。
 帰り、バスがないかもしれないからと、耳にやさしい声の女性は一緒に国電を降り、間宮の地下鉄に乗り換えた。階段、プラットホーム、夜遊びの若者や酔った背広連中で意外に混みあう車内。「アパートに来る?」とはついに言えず、間宮は終始とぼけ加減だった。その代わり「今度映画見よう、電話しますから」と言って別れた。

 彼女との関わりは、現在も、僕の宝物なのだ。
 こわせない。どうしても、こわせない。

 などとノートに書いていたが、翌日三十一日金曜午後十時、早くも電話して、耳にやさしい声の女性を映画に誘った。きのうのきょうなのに、と、とまどっている様子もあったがNOではなく、九月九日日曜、今度こそデートとなった。
 九月一日土曜。一回り上の思慮深い先輩が間宮の部屋に遊びに来るはずだったが、上高地旅行の打ち合わせを兼ねた会合に急遽変わった。秋葉原駅プラットホームで午後一時待ち合わせをし、競馬と映画と食事。映画は薬師丸ひろ子主演の何かかもしれない。男二人のほかは、透き通る肌の気さくな女性、純で芯のしっかりした女性で、旅行参加もこの四人で固まった。ちょっとやせてる人なつこい女性は都合がつかなくなったそうだ。すでに退職している彼女たち三人は同期で、耳にやさしい声の女性の前年の入社、つまり、間宮と同学年である。

《上高地メモ・S59・9・1》
 出発 九月十四日(金)深夜発
 集合 南口改札出たところ
 集合時間 午後十時半
 旅費 バス 12500円
    宿   4500円
           当日持参
 持ち物 高原用・雨具
     おかずとおかし
 日程 新宿  十四日午後十一時
     ↓  バス
    上高地 十五日午前七時
        (朝食)
     〜
    松本  十六日午後二時
     ↓  バス
    新宿  十六日午後六時半
 宿  氷壁の宿『□□園』
    TEL 026395−□□□□

 最初の電話では九月二十二日から祭日をからめてという予定だったが、一週早まった。
 これは後で知ったことだが、上の日程を立てたりバスや宿の予約などは女性二人がこなしたが、上高地という選択は思慮深い先輩のもので、そしてそれは思慮深い先輩が山歩きを愛するまさか尊属殺の彼からアドバイスを受けてだそうだ。
 日付のはっきりしないことがいくつかある。
 休日の昼間、間宮が台所の床にぞうきん掛けをしていたら、ナオ君が重そうなバッグを持ってやってきた。彼のアパートに入れないのかしめだされたかして、ドアの上の窓から侵入し、身の回りの品だけ詰めてきた、というような説明をした。かまちにそのバッグを置くので、だめだよ、ここにそれを置くことはだめだってば、と要するに、彼のいそうろうを拒否した。何日かだけですからと彼は食い下がったが、間宮は拒み通した。どっかのコインロッカーに入れておけばいいじゃん、それよりどっか飯食いに行こうよと、ドアに鍵を閉め、ナオ君にバッグを持たせたまま表通りをめざした。ナオ君は、いいです、ほかの友だちあたりますからと、途中で道を折れて駅に向かった。
 別のある休日の夕方、間宮がスーパーに買い物に行く路上で、ナオ君と鉢合わせをした。今から間宮さんの所に行くところだったんです、と言うので、買い物に付き合わせた。
 間宮はカレーやシチューの場合、豚の角切りをつかった。
「挽き肉も悪くないですよ」
 とナオ君が言ったのは、この夕方のスーパーかその後の食事の際であったかもしれない。
 九月四日火曜の夕食がシチューで「ナオ君と」と付記してあるから、この日の発言であった可能性もある。間宮は言われた次あたりから挽き肉を試してみたが、安いし、確かに悪くないと思った。角切りはいわゆる先入観だったのだ。が、ナオ君が来ることが次第に減ったので食べさせる機会があったのかはあやしい。間宮はカレーの肉を挽き肉からさらに鯖缶へと変えていくが、それは相当後年のこととなる。
 九月四日のシチューは美味すぎたのか、御飯がなくなり、翌日朝食は「シチュー汁残りのみ」と書いてある。
 八月二十五日土曜、間宮が佳子さん凌辱を告白する前、ナオ君に書かせた結婚誓約書とも言うべき念書のことを、ここでちょっと思い出していただきたい。第二十一節にある方だ。「できる限り近くなるよう現物を電子文字に移し代えてみる」などと説明しているからそれが筆者の手元にあることは了解いただけていると思う。
 実は、この念書には、バインダーの次の一葉にその転写文がある。内容そのままで全文間宮の筆跡である。そして最後に、
(ナオ君に9/4返却したものの写し)
 という但し書きがある。
 これが妙な但し書きであると、気づかれただろうか。ならば何故現物も残っているのか、と。
 この日の昼間、会社で、ナオ君があの念書を返してくださいと言った。
「その気、失せましたから」
 どうして、と問うと新しい女ができた風のことを言う。
 間宮は、二人がくっついてくれれば多少は自分も救われる気がしていたが、かと言って、もう当事者ではなく、本人同士の心が離れてしまうのなら、それを縛る権利も何もなかろう。そういう感じがして、承諾した。しかし、
「でも今持ってない。今夜うち来いよ」
 これがまた、嘘だった。念書などただの紙っぺらであり、ナオ君もしたいようにすればよかろうに、と思った。が、ナオ君がその紙っぺらを気にするなら返してあげることはいい、いいが、あんな面白いものを記録しておかない手はない、と短い間に考えた。間宮はショルダーバッグを毎日提げて出勤しており、その中に(つまりこの時点ではロッカーの中に)バインダーノートがあり、その一ページがその念書だった。
 七時に終業となった。ナオ君に一緒に帰りますと言われるのを恐れ、着替えるとトイレの個室に入った。間宮はここでバインダーノートを出し、何度も見直して誤りなく転記を終えた。これでもういつでも渡せる。本物をナオ君が破ったとしても、こういう事実があったということはこれで消えない。
 ナオ君が間宮の部屋に来ると、さっそく、その新しい女の話をねちっこく質問した。
 乱交パーティーで知り合った(ナオ君はそう言う)その女は、デパートガールなのだそうだ。中野のアパートに一人暮らしで、もう何度か泊まりに行った。決まってカレーを作ってくれるのだけど、これがすごい美味しいんです、と自慢する。
「佳子さんは、やっぱり僕には合いません」
 へー、ほー、言ってくれるじゃん、などとおどけた合いの手を入れて、間宮は聞いていた。女は年上で、どうも愛されているというより、かわいがられているが近いようだ、話からすれば。証拠はないのだからいくらでも疑えるが、「中野の女」が実在しているとしても「何度も」は嘘だろう。八月二十五日以降のことなら十日間しかない。せいぜい二度か。その女とあの動物園のとき同行したことが「乱交パーティー」と語られているだけかもしれないし。
 ナオ君とはこの夜ずっと話し込んだはずだ。間宮は念書のことを覚えていたが、ナオ君が言い出さなかったので思い出させてあげなかった。
 朝になっても、その後もナオ君は忘れたままだった。これ幸いに、念書は本物も控もともに間宮のバインダーノートに残った。
 何故ナオ君は、自分で言い出していながら念書を取り戻さなかったのか。
 ナオ君は、自慢話をしていると肝心なことを忘れるたちがある。
 話しているうちに念書などどうでもいいかという気分になりあえて要求しなかった。
 間宮の几帳面さを信頼していたので間宮が承諾した時点でもう戻った気になっていた。
 というか、ナオ君は、あの念書を自分が佳子さんに負う義務としてではなく、間宮とした約束と捉えていた。だから、あの念書が佳子さんの手に渡り何か求められることを嫌ったというより、間宮に今後非難されるのが嫌だったのかもしれない。だから中野の女の話をふんふん、そういうこともしょうがないかとものわかりよく間宮が聞いてくれた時点で、念書は実質的に反故になったと考えた、のか。
 もう少し深読みしてみる。この日から一二週あとになると思うが、ナオ君が何日も続けて休んだことがあった。珍しく佳子さんが、ねええ間宮さん、と甘えた声で話しかけてきた。手招きされ、何事かと思ったが、だれかのロッカーの扉にくの字にした細い腰をくっつけて、
「ナオ君のゆくえ知らない?」
 とさぐる眼で尋ねてきた。(こんなにスタイルのいい娘だったかと再認識しながら)なんだこのごろは佳子さんのほうが追いかけてるのか、と思い、
「僕もあいつがどこ泊まり歩いてるかなんて知らないよ、今日は給料日だからもうすぐ来るんじゃないか」
 と笑って言った。午後の休憩時間でそこは廊下の外れ男子ロッカーが並んでいる所だったが、間宮がそう答えているまさにその時、ナオ君が廊下をよぎるのが見えた。あ、ほら来たよ、あいつ。と言うと、佳子さんはぱっと顔かがやかせて跳ねるよう行ってしまった。
 つまり、この念書返しての日、ナオ君はそういうことだから、間宮さん、佳子さん引きとってくれないかな、と暗に勧めていたのではないのか。となれば、中野の女の話などいくらでもでっちあげることができた、とも言える。本当とも言えるが。佳子さんという女性を相手に、二十歳の青年が結婚に踏み切れない、面倒は放り投げてしまいたい、と思っても不思議ではない。いったい何人の男と遊んできたのかわからない女なのだから、僕が最後に責任持つというのも不公平な話だ。佳子さんは気に入ったのかもしれないが、この子とならそろそろ結婚もいいかなあなんて思ってるふしまであるが、僕にだって選ぶ権利があるよ、相手についても、身を固めてしまう時期についてだって。世の中にはまだいくらでもかわいい清純な娘たちがいて僕の未来で待っているはずだ、独身のときにしかできないことまだいくらでもありそうだ。なんだかんだ言って黒ずんでんもんなあ。いつかのことは、結局は僕が押しつけられたというのが真相じゃないのか。後から話す者の強みで、エレクトしなかったなんて今思えば嘘っぽいことまでそれらしく言って。狸だよ。自分の本命のほうがうまく行きそうになって遊びの佳子さん邪魔に感じたんだ、今の僕みたいに。このいろぼけさん(=間宮)きっとこんなふうに言えばまた佳子さんにちょっかい出してみようと思うよ、思ってくれないかな。一時は普通じゃなかったもん、あの執着ぶり。本命も佳子さんもなんてまた欲張ってくれればいいのに。見てて面白いのにな。そうなってくれればあしらいやすいのになあ。すっきりできていいのになあ。新しい朝だよなあ。……などと、ナオ君は思わなかっただろうか、この九月の初めあたり、夏も峠を越したころ。想像のしすぎかもしれないけれど。
 もっと素直に考えてみる。ただの紙っぺらを気にするナオ君、という最初のあたりからすでに彼らしくないとするなら、これはもやもや迷っているということだろう。ナオ君も紙っぺらとしか思っていない、けれどそれを知らず知らずダシにしている、別れるからと間宮に話を聞いてもらいながら、自分の気持ちを探している。誰かに話したい、聞いてもらいたい。どっちでもいいから決めてしまいたい。
 あるいは、間宮が佳子さんに気を動かすのをまた見たい、またファイトが湧くかもしれない、そう深く意識しないまま期待して。
 御飯がなくなったのは、美味しすぎたのではなく、間宮が始めから二人分炊かなかった(自分の夕と朝二食分のみ炊いた)ためということも考えられる。ナオ君の来訪が予定外であったとしたら上のいきさつとは食い違う。だから遅い時間に来ることになっていたのだと思う。確かめるとまだ食っていないと言うので残っていた御飯半分(間宮の朝飯用)を食わせた。
 または、ナオ君は来ると言ったが、間宮は完全には信じなかった。炊きすぎて炊飯器の中に丸一日置いておくのは、暑い季節であり避けたかった。つまりナオ君の言葉よりも、食べ物の大切さを高めに見積もった。
 どちらもありそうだ。

i. 男と女ではなく友人同士として、映画(+α)を楽しみに行く!

ii. 独身の彼女との最後になっても悔いないように!

 というのが九月七日金曜に書いた「デートの基本方針」である。
 九月八日土曜、間宮は後楽園で馬券を三千円買い、秋葉原で将棋を五局指した。昼飯を食わず痛くなるほど腹がすく。
 帰途ふらり本屋に寄ったところ、予期していなかったのだが、文芸誌の最新号を見つけた。あしたは楽しいデートなのだからその後まで取っておくべきと考えたのに、抗し切れなかった。捜すと、やはりもう一次選考の結果が載っていた。
 間宮の作品のタイトル、間宮のペンネーム、それぞれ二度見直して、無かった。
 しばらくの間、心臓が汗をかいていた。
 九月九日日曜、午前十一時、新宿駅東口改札口が約束。間宮は中に入って、数十分前から待っていた。
 耳にやさしい声の女性は、髪をつやつやと切り揃えていた。
 映画館はいくらでもあるのだから現地で何を観るか決めればいいと、間宮は下調べは何もしていかなかった。彼の好みは、ヨーロッパ風の、できれば半世紀以上は過去を題材とする、観念的な、匂いたつような映画で、次善として渋い恋愛物、ミステリー物でもあれば、だった。が、耳にやさしい声の女性が観たいと言ったのは、アメリカの娯楽活劇(インディ・ジョーンズ)だった。
 座席でひざを抱え、けいれんするぐらい間宮は笑った。終わった後、女子トイレの前でだいぶ待った。
 食事をしようということになったが、飲食屋はいくらでもあるのだから、歩きながら捜せばいいと間宮は考えてこれもあてがなかった。彼女が知っている所があると案内してくれて、高過ぎず、みすぼらしくなく、という店で食べた。きれいな眼の輪郭と瞳の真円を、これが最後かと思いつつ、見た。
 済んでから、まだひと遊びする? と訊くと、もう帰らなきゃ、ということだった。
 駅の中で別れる前、落選したことを話した。
「でも、そのぐらいで」
 と、彼女。
「もちろん。まだまだ」
 と、間宮。
 階段を上る背中に、今日、本当にきれいだったよ、さよなら。と言った。またね、とは言わなかった。耳にやさしい声の女性は振り返らなかった。
 間宮が掃除をしている、ナオ君が居られては困る、ということから考えて、いそうろうを強く拒んだのは、この前日九月八日土曜ではなかろうか。ナオ君と別れた足で、後楽園や秋葉原へ遊びに出たとしても変ではない。

 筆者がまだるっこしい書き方をしているのがおわかりだろうか。なぜかと言うと、耳にやさしい声の女性のこと以外は、ノートにたいした記載がないのだ。
 それも彼女に会った日の前後だけであり、どれも数行、しごく簡略。耳にやさしいさんのことが頭を占めていたからと言うより、たぶん、どこか焼き切れたのだ。ナオ君のことも書きたがっていない。

 




[25 念書 了]




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