平成11年1月14日(木)〜

缺けてゆく夜空 その四 ノート

26 空白



 

 ノートの記載が間遠になっていく。経過する時日に比して記事の件数も量も急激に落ち込んでいる。しかも、書かれるのはこんな内容だ。

9/3 一項のみ
 チンチンの根元から左上のところに虫さされあとのような、ハレ。
 左足首上のむこうずね始まる所にも虫さされあとのような、ハレ。
 前者の方が何ヶ月も前からあって、ひいたり、またハレたりしているような覚え。
 後者はここ2週間ぐらいの間。
 かゆくて、ひっかいて、それで、残ってしまう…
 右うでのひじの手前上には、同様のハレがついに硬く冷えてしまったかたまりのようなしこり(全く痛くもかゆくもない)が何年か前からあり。

9/5 一項のみ
 局部のハレ
 たて2cm 横2・5cm
 まわりはうすい(白い)肌色なるも、その中で、濃赤紫色にかわりながら、もりあがっている。押すと痛感(まわりは何でもない)
 中央は少し弾力なく、ブノブノしてる。
(半年ほど前、かゆいと思い、かいてるうちに傷つけた場所。その後直ったと思っていたが、ぶり返し)

9/6 一項のみ
 日本テレビ 木曜ゴールデンドラマ「幼児誘拐」 9:00〜11:00PM
 終盤、泣きっぱなし
 親子 3or4の親子関係、
 実に実に、僕、それに弱いのね、
 低くうめくように泣きっぱなし

9/8 第二項
 局部のハレ
 ハレ、引き始め。痛感もほとんどなく、かわいた感じ。
 なるも、中央に小さな穴あき、リンパ液と思わるるものにじみ出す。
 テイッシュで少し、ふきとる。
 全体的には、硬いグリグリ残る。

9/9 第五項
 局部のハレ
 ○ 痛みなし
 ○ ハレは止まった、リンパ液も止まる
 ○ 暗い赤紫色で硬い。

9/22 一項のみ
 僕の夢のある世界では、下の妹はすでに若死にしたことになっている。兄妹の中で一番若くきれいだったのに、となげいている。何回か見ても、そういうことになっていてお話がすすむ。
 今日は(今、6:13AM)下の妹のぬった丹物そっくりのビデオフィルムを、いとことほころびつくろいつつ、輪転機のインクにオロシつつ見ようとしている。そうしながら、今日、21日は、誕生日でもあるし、などと気づいて。

9/23 一項のみ
 小麦粉はお湯より水の方がよくとける。という、発見。とけるというより、よく混じる。お湯だと小さな粒がいくつもまるまってしまう。

(以上、誤字もそのまま、意味不明もそのまま。九月九日と二十二日の間には何もない。九月二十五日の日付で、その文芸誌の新人賞決定の新聞記事切り抜きだけが貼ってある)
 これでは話にならないので、家計簿を軸に多少読みやすくして眺めてみよう。お金の出入りに嘘をつくことはできないから、こんなノートよりは真面目に伝えてくれるだろう。

 八月三十日木曜、一九六〇円。飲み会。耳にやさしい声の女性、ひな祭りに結婚の女性、巻毛で後輩で年上の青年とともに。
 九月一日土曜、一〇九一五円。上高地旅行打ち合わせ。一回り上の思慮深い先輩、純で芯のしっかりした女性、透き通る肌の気さくな女性と。競馬、映画、食事。
 九月八日土曜、四二九〇円。秋葉原へ一人。競馬、将棋道場。
 九月九日日曜、四七九〇円。耳にやさしい声の女性とデート。

 ここまではすでに述べた。

 九月十四日金曜から十六日日曜、三一六五〇円。上高地旅行。一回り上の思慮深い先輩、純で芯のしっかりした女性、透き通る肌の気さくな女性。
 九月二十四日月曜(祭日振替休日)、四六九〇円。一回り上の思慮深い先輩、純で芯のしっかりした女性、透き通る肌の気さくな女性と会合。映画と旅行写真受け渡し。
 十月七日日曜、四七九〇円。新宿へ映画「ナチュラル」。単独。
 十月十日水曜(祭日)、六八六〇円。神保町へ。コミック購入、パチンコ、アレンジボール。単独。
 十月十八日木曜、三四八〇円。前の会社の同窓会。巻毛で後輩で年上の青年、転勤送別会を兼ねる。
 十月二十八日日曜、六三〇〇円。産業フェア(純で芯のしっかりした女性は主催者側)。一回り上の思慮深い先輩、透き通る肌の気さくな女性と彼女の妹さんと。
 十月二十九日月曜、七九八〇円。突然、世話好きの清明な女性と飲み会。

 これで、ほぼ二ヶ月分だ。お気づきだと思うが「彼ら」が一度も登場していない。
 消印十月一日で、純で芯のしっかりした女性から、上高地旅行の写真が送られている。「こんにちは! 大変遅くなってしまいましたが写真ができましたのでお送りします。被写体もさることながらなかなか良く撮れましたね」で始まる簡単な挨拶文も。九月二十四日の会合では実際は写真の受け渡しがなされなかったのだろうか。としたら、家計簿に嘘が書いてあることになる。この挨拶文の末尾には「尚、現実に戻って申し訳ありませんが1枚30円でヨロシク!」とあるから、写真代は十月二十八日に会ったときの後払いだったと思われ、九月二十四日に前払いされたのでもないはずだ。写真は、透き通る肌の気さくな女性も撮影しておりそちらの受け渡しが九月二十四日だった、という可能性を考えたが、純で芯のしっかりした女性からのこの封筒の裏に間宮の筆跡で「39枚×30円=¥1170」とメモがあり、残っている写真もぴったり三十九枚なので、違う。よくわからない。家計簿の信頼性が若干だがぐらつく。
(家計簿をもう一度よく見てみた。上記引用は年末に遊興費関連を抜き出して集計しているページを基本とし摘要欄だけ一次記載を参考にしているが、これは手抜きだった。一次記載があるページを改めて調べると、九月二十三日に一〇〇〇〇円仮払いされ、九月二十四日に五三一〇円戻し入れていた。よって「映画と旅行写真受け渡し」とあるのは、二十三日仮払い時点での「予定」だったのではないか。写真の焼き増しが間に合わなかった、とすれば筋が通る。しかも「映画」の方も嘘になっているかもしれない、これはすぐ後述する)
 次に、螺旋針金でとじてあるカレンダーから上高地以降で意味ありそうなものだけを抜き出してみる。ただし、ここでも、予定なのか結果なのかが書き分けてなく、困る。

 9/12(水) ◎旅行準備
 9/13(木) ◎家をあけること、大家さんへ!
 9/14(金) 11:00PM頃 変更! ◎旅行→2泊3日
 9/15(土) 朝 おにぎり  昼 カツドン  夕 旅館
 9/16(日) 朝 旅館  昼 カモスイ  夕 ハンバーグ
 9/17(月) 夕 シューマイ(ナオ・鹿野君の3人で)
 9/18(火) 朝 きのうたべたのでなくなり、ヌキ
 9/22(土) ◎旅行→2泊3日 中止  出勤?
 9/23(日) 炊飯キ掃除(内部にゴキブリいる?)
 9/24(月) ナチュラル! 1:00PM 西口、交番前、  ◎デキモノ直らなくば病院行くこと考えよう!
 9/29(土) 夕 ナオ君と外食 カツ定食
 9/30(日) 朝 パン+OJ  夕 シチュー ナオ君と!
 10/1(月) 朝 シチュー(ナオ君と)
 10/6(土) ◎ナチュラル、最終日か?!  夕 計良・津久井さんとのみ会
 10/7(日) 夕 ナチュラルのあと新宿で天プラ定食
 10/19(金) ◎同窓会! ◎6時半  夕 のみ会、現役女子たちと男性OBと巻毛青年。 6:30PM“まつばやし”
 10/20(土) ナオ君、辞めた日
 10/24(水) 朝 パン+お茶(ナオ君と)
 10/27(土) ナオ、佳子さん来る、
 10/28(日) 12:00 水道橋 売店のそば ←埼玉の産業フェアへ!
 10/29(月) 夕 世話好きさんとのみ会
 十月欄外  “缺けてゆく夜空” 12月いっぱい。未完でも可。来年、書けばよい。
 11/3(土) ※五浪、来るかも、
 11/5(月) → 今週“ナチュラル”の予定 先輩よりTELあり! → 純で芯のしっかりした女性参加なら、切符返す  不参加なら、切符代、彼女へ返却!

 順に補足説明をする。
 上高地で泊まったのは「旅館」ではなく「山小屋」と言うべき宿だ。が、間宮らはそこを起点に山登りに挑んだのではなく、一泊して大正池へ引き返しただけだからちゃんと「山小屋」として利用したとも言えないので、こういう語を選んだのもわからなくはない。
 寝る前、鹿野君のパンツに穴があいているのを見つけ、他の二人ではやした。ということが一度あったはずだ。鹿野君が間宮の部屋に泊まったという記録が他に見当たらないので、この九月十七日のことだと思う。
 間宮が銭湯から帰ると、アパート二階への鉄階段上り口に、二人が座って待っていた、ということもあった。予告なく鉄階段に座っていたのはナオ君と鹿野君だったのか、ナオ君と芝君だったのかはっきりしない。前者なら、やはりこの日ではないか。カレンダー十七日には「56.5kg」と体重の記録メモもあるので、銭湯に行ったことは確かだ。
 当初旅行予定だった九月二十二日は土曜出勤となり、七時間労働。
 九月二十四日、秋分の日の振替休日の「ナチュラル」も、やはりその映画の題名だ。しかし、彼らは観られなかった。なぜかと言うと、このとき待ち合わせ場所を新宿の西口交番と勘違いした間宮が、数寄屋橋にたどりつくまで一時間強を要し、会隅はできたもののすでに上映時間に大幅に食い込んでしまっていたためだ。食事などで済ませたか、あるいは他の映画で間に合わせたと思う。十一月五日の記載から、どうも、『ナチュラル』は今度皆で観ましょうという暗黙の了解があったのに、間宮は十月七日抜け駆けしてしまったらしい。間宮自身、どうしても観たいと考えてはいたようだが。
 「デキモノ直らなくば病院行くこと考えよう!」というのは、再びどこかに何かができたのではなく、九月上旬の頃立てた予定だと思う。つまり濃赤紫色に不安を感じた上旬に、この下旬頃までに治らないなら真面目に対処しよう、と心慰めたメモというのが妥当だ。未来の自分への申し送り。
 九月三十日夕食、十月一日朝食は、ナオ君に挽き肉シチューを食べさせているのだろうか。だが、前節で、挽き肉を勧められたのが九月四日火曜のことだったかもしれないと述べたが、この九月三十日日曜であった場合も捨てられない。スーパーに買い物に行くとき鉢合わせしたのがほんとうに休日の夕方だとしたら、火曜はおかしい。「OJ」とはオレンジジュースの略。三十日朝食に「ナオ君と」と書かれていないので、九月二十九日の晩にも泊まっている、とは言えない。
 十月六日飲み会は、家計簿記載がないので、計良班長のおごりと考えられる。
 同窓会の正しい日付は十月十九日であって、家計簿は誤記だった。家計簿では仮払いの日付(十八日)の下に「〃」で戻し入れの日付としている。巻毛で後輩で年上の青年は、転勤と言っても同じ都区内へのもの。彼は、何年も前に同様に転勤したまさか尊属殺の友人のいる支社へ異動となった。
 「純で芯のしっかりした女性参加なら、切符返す。不参加なら、切符代、彼女へ返却!」が、いくら考えてもよくわからない。間宮の分まで純で芯のしっかりした女性が『ナチュラル』のチケットを用意してしまった、と思慮深い先輩の電話で知った、ということは間違いなさそうだから、語句だけからすれば「彼女が来たら、確認せずに余計なことした責任を取らせるのが筋だから、その切符を受け取らない」「彼女自身は参加しないのに間宮のためにと切符を買った、というところまでしてくれていたなら、しょうがない、お金を払おう」という意味にしかならないが、これはひどい。そもそもは間宮の遅刻が因だ。本当にそうなら、精神に面白くないなにかが棲んでいるのではないか。(待ち合わせ場所を思い込みで聞き違えるなどというミスも含めて眺めると、一時の変調ではなさそうだ)。結局、映画鑑賞会の事実はこの週この月ともに無い。そういうことならと間宮はメンバーから外されたためなのだろうが。
 さて、間宮ノートだが、十月この一ヶ月間で記載は一項目しかない。

10/16 一項のみ
 10/14世話好きさんよりTEL
 巻毛青年支社へ行く。送別会+同窓会が10/19。くわしくは後日。
 10/16本日、7:00AMTELあり。10/19、6:30PM、まつばやしにて。
 そのほかに、11/3・4奥日光へ温泉旅行、どうか、とのこと。
 10人ばかりで行く。耳にやさしいさんも、たぶんひな祭りに結婚ちゃんもゆく。巻毛青年も。
 はじめ、若い人たちで行く、といったので、やめようかな、と答える。(世話好きさんにしてみれば、みんなまだ若いうちだったか)
 耳にやさしいさんあたりの名前きき、いってもいいかな、と思うも10人ときき、悩む。
 男は巻毛青年だけなの、ときくと、「渉外のはいったばかりの若い人たち、気のおけないおもしろい人たちも」というので、決まり。断わった。
(耳にやさしいさん・世話好きさん・ひな祭りに結婚ちゃんがいって、男女半々の10人と仮定したら、少なくも女の子は若くはないじゃないの!)(アハハ)
 ……それよりも、言うつもりだった、世話好きさんの「誕生日おめでとう」は、朝のTEL、旅行のさそい等におされて(orおどろいて)忘れちゃった、というより、思い出すひまなかったよ。
(最初、ただ奥日光、ということ。悩んだ末、何しにいくの? ときくと、温泉、とのこと。そしたら、そんときは、いきたくなった)

 間宮のバイト仕事はどうなっているのか、給料明細を調べてみる。
 次の通りだが、各週の一行目は日付、二行目は時間内、三行目は時間外である。

 
8/2728293031 
   
  1.5 
9/ 
   
  1.5 
9/1011121314 
   
   
9/171819202122
  
  
9/2526272829
   
   
10/
  
  
10/111213
   
   
10/151617181920
  
  
10/222324252627
  
  
10/293031 
   
  0.50.5 
11/ 
   
   
 
 十月はかなりの多忙と言っていい。毎晩八時九時、かつ土曜は全出勤。第三週などは六十四時間労働である。
 だからノートを書けなかった、ということにすぐはつながらないと思う。日曜もあれば祭日もあり、これまで見てきたように、遊びでもいろいろあったらしい一ヶ月なのだから。
 なぜまばらになったのだろう。
 ここいらまで「彼ら」についての記載がほとんどなされないのはなぜだろうか。
 何もなかったから、ではないのは後述で明らかなので、彼らとの交際がもう似たことの繰り返しでありいちいち書き記すのも煩わしい出来事になっていた、とも考えられる。毎日繰り返しているはずのバイト仕事のことなど、もうずっと前にノートから消えているのと同じに。
(一つ留意しておきたいのは、間宮が創作しようとしている『缺けてゆく夜空』という小説だ。彼らのことはこの中に封じ込めてしまおうというつもりがあった、という仮説が立てられるが、創作メモや残っているものを読むと、現実とは相当離れており、かつ、お話が始まったとも言えないうちに本文は中断している)
 彼らのことだけではない。九月の、久しぶりの旅行であった上高地行きについてもノートには一字一句感想を記していない。面白かったとも、疲れたとも、何も。写真アルバムや家計簿を見て本当に行ったということがわかるだけなのだ。湖水や明るくひろがる緑を背景に、山歩きのいでたちの親しい友らといる、結構楽しんでいる風情の、若々しい間宮が残されているのに。頭髪がまとまりきらず風に乱れ気味だ。
 九月の上旬、生まれて初めての投稿作が、たぶん自信作が一次も通らず落選したことが、どうやら、ある。原因のすべてではないにしろ。
 大みえを切って家出をしている。
 作品が捨てられた、ということは、間宮が捨てられた、ということに等しい。
 ブラジルフィアンセの友人が二度落ちた東大、五浪の友人が少なくとも五度落ちた大学(最初の年は入院なので)、彼らもそういうときこんな気分だったのか、……二千人が投稿し、最後まで残ったのは二人だったから、倍率から行けば比べようもなく気楽なはずなのに、と思うが、間宮には慰めにならない。よくよく考えるとこれはそうではないのだ。似ているのは、ブラジルフィアンセの友人の最初の東大落ち、五浪の友人の一浪後の冬、であるらしい。間宮は大学受験をしなかったが、それは学力のこともあったけれど、神主になるための大学にはどうやらおまけで行けそうでありつまり親に並々ならぬ意気込みがあり、それが嫌だった。間宮は前の会社でも今度のバイトでも、さかのぼれば高校も中学も、みな受け入れられないということはなかった。試験はすべて通り、面接はどれも諾であった。これほどすげなく便所紙の如く落とされたことはない。間宮の二十七年間で、お仕着せではなく逃避でもなくみずから求めた将来は実質的に初めてであり、これほどの夢の大きさを託したことはなかったのにである。
 落ちた作の写しを見直してみると、あまりに無惨であった。どうしてこんな愚かしい文章を人に見せることができたのだろう、という程だった。どうしてそんなつもりになったんだ。二度と読みたくない、と思った。
 今年はこてしらべ、どういう手順で審査されるかなど様子が分かればいいのだ、と間宮は以前は考えていたはずだ。そういうまっとうな方針の陰で、小さくしていたモノが、追い込みから、投稿、待っていた数ヶ月で何倍にも肥満し、ほとんど別のモノに育ってしまっていたようだ。
 ただ、彼はパチンコでも競馬でも負ければ負けるほど熱くなるお客さんであったので、失意の中でも、死んでもあきらめるもんか、とは考えていた。考えてはいたけれど、感情やら気力やらがマットから起き上がれないという状態だった。もう少し正確に書くと、始めパンチを食らったときはへらへらしていた。耳にやさしいさんとのデートを楽しんだりしていた。そのうち膝が折れた、まさかと思うが効いており気がつけばもう、マットまでの半秒をスローモーに漂っていく自分が見えていた。悔恨や妄念のゆらめく海の中をその暗い底無しの底へ向かって。
 これは大げさかな。
 佳子さんとのことで、男としてだいぶめちゃくちゃなところに放り込まれてもいたから、それでもすがっていたものが、藁であることが分かって、どこに手がかりを得て息をすればいいのか、すぐには探り当てられなかったのだろう。水面をばちゃばちゃもがき、沈みながら、わけもなく淋しく、たまらなく虚しく。
 だから、八時九時や、週六十四時間労働というのは、案外、間宮はうれしかったのではないか。

 底無しの底の話、ついでに。
 それは大げさかもしれないが、しかし嘘でもない。ダウンするボクサーでも間宮の例でもあるいはしてはならない過ちをしてしまった人でも、程度の差はあれ、かいま見るもの、と思う。
 結局のところ人はだれであれ、長い年月をかけて底無しの底へ沈んでいく。夢から醒め、人が正気に戻ったときだけ、それを思い出す。これが実態だ。
 舞台で浮かれ騒いでいたのに必然か不注意か故意かつい足を踏み外して、板の底の地面に立つことになる。舞台では賑やかなせりふがかまびすしいし、観客はさんざめきときに手をたたいている。自分は何をしていたんだろう、あれは何だろう、ここはどこだろう。ここに書くまでもなく、ほとんどの人は知っている感覚だ。
 どうすればいいと聞かれて、気のきいた答えがあるか? 要は落ちた穴を見上げ、舞台に戻るかどうか決めるだけ。それだけだよ。手が届かなければそこら辺に木箱が落ちているだろうし、声をかければ手を伸ばしてくれるかもしれないし。君が喜劇役者なら、舞台の上に戻りおでこをぺたぺたするのもいい。悲劇役者なら荘重な言い訳を編むのもいい。観客はしばしのアクシデントなど、劇の本筋がおもしろければ忘れてしまうさ。
 ばからしくってもうあんな所に戻れない。助けを求めるなんて恥だし。いいよ。筆者は好きだよ、そういう奴が。心配しなくっていい。おいで。それでも君には仲間がいる。楽屋裏というのもそこそこ楽しいもんさ。
 戻ってもいいのに、見上げたらなにゆえか穴が無いのだ。それどころか頭の上のその板はどんどん遠のいていく。いい気持ちだけどなんだか疲れてうなじを揉む。……よかったね。それは、もう演技は終わりだということ。それだけのこと。じゅうぶん戦った。笑ったりも、泣いたりもした。おつかれさま。帰って寝ようよ。劇の続きは、君の相棒たちや裏方がちゃんとつなげていくから。

 




[26 空白 了]




戻る

次へ

目次へ

扉へ