平成11年1月14日(木)〜
缺けてゆく夜空 その四 ノート
ノートの記載が間遠になっていく。経過する時日に比して記事の件数も量も急激に落ち込んでいる。しかも、書かれるのはこんな内容だ。
9/3 一項のみ
9/5 一項のみ
9/6 一項のみ
9/8 第二項
9/9 第五項
9/22 一項のみ
9/23 一項のみ
(以上、誤字もそのまま、意味不明もそのまま。九月九日と二十二日の間には何もない。九月二十五日の日付で、その文芸誌の新人賞決定の新聞記事切り抜きだけが貼ってある)
八月三十日木曜、一九六〇円。飲み会。耳にやさしい声の女性、ひな祭りに結婚の女性、巻毛で後輩で年上の青年とともに。
ここまではすでに述べた。
九月十四日金曜から十六日日曜、三一六五〇円。上高地旅行。一回り上の思慮深い先輩、純で芯のしっかりした女性、透き通る肌の気さくな女性。
これで、ほぼ二ヶ月分だ。お気づきだと思うが「彼ら」が一度も登場していない。
9/12(水) ◎旅行準備
順に補足説明をする。
10/16 一項のみ
間宮のバイト仕事はどうなっているのか、給料明細を調べてみる。 |
8/ | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | ||
2 | 1.5 | 2 | 1 | 2 | ||
9/ | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | ||
2 | 2 | 1 | 1.5 | 1 | ||
9/ | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | ||
2 | 1 | 1 | 1 | 1 | ||
9/ | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | 0 | |
2 | 2 | 3 | 2 | 2 | 7 | |
9/ | 祭 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | ||
2 | 3 | 3 | 3 | 1 | ||
10/ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | 0 | |
2 | 3 | 3 | 3 | 3 | 8 | |
10/ | 8 | 9 | 祭 | 11 | 12 | 13 |
8 | 8 | 8 | 8 | 0 | ||
4 | 4 | 4 | 4 | 8 | ||
10/ | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | 0 | |
4 | 4 | 4 | 4 | 0 | 8 | |
10/ | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | 8 | |
4 | 4 | 4 | 2 | 1 | 0 | |
10/ | 29 | 30 | 31 | 1 | 2 | |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | ||
0.5 | 0.5 | 1 | 1 | 2 | ||
11/ | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
8 | 8 | 8 | 8 | 8 | ||
2 | 2 | 2 | 3 | 2 |
十月はかなりの多忙と言っていい。毎晩八時九時、かつ土曜は全出勤。第三週などは六十四時間労働である。 だからノートを書けなかった、ということにすぐはつながらないと思う。日曜もあれば祭日もあり、これまで見てきたように、遊びでもいろいろあったらしい一ヶ月なのだから。 なぜまばらになったのだろう。 ここいらまで「彼ら」についての記載がほとんどなされないのはなぜだろうか。 何もなかったから、ではないのは後述で明らかなので、彼らとの交際がもう似たことの繰り返しでありいちいち書き記すのも煩わしい出来事になっていた、とも考えられる。毎日繰り返しているはずのバイト仕事のことなど、もうずっと前にノートから消えているのと同じに。 (一つ留意しておきたいのは、間宮が創作しようとしている『缺けてゆく夜空』という小説だ。彼らのことはこの中に封じ込めてしまおうというつもりがあった、という仮説が立てられるが、創作メモや残っているものを読むと、現実とは相当離れており、かつ、お話が始まったとも言えないうちに本文は中断している) 彼らのことだけではない。九月の、久しぶりの旅行であった上高地行きについてもノートには一字一句感想を記していない。面白かったとも、疲れたとも、何も。写真アルバムや家計簿を見て本当に行ったということがわかるだけなのだ。湖水や明るくひろがる緑を背景に、山歩きのいでたちの親しい友らといる、結構楽しんでいる風情の、若々しい間宮が残されているのに。頭髪がまとまりきらず風に乱れ気味だ。 九月の上旬、生まれて初めての投稿作が、たぶん自信作が一次も通らず落選したことが、どうやら、ある。原因のすべてではないにしろ。 大みえを切って家出をしている。 作品が捨てられた、ということは、間宮が捨てられた、ということに等しい。 ブラジルフィアンセの友人が二度落ちた東大、五浪の友人が少なくとも五度落ちた大学(最初の年は入院なので)、彼らもそういうときこんな気分だったのか、……二千人が投稿し、最後まで残ったのは二人だったから、倍率から行けば比べようもなく気楽なはずなのに、と思うが、間宮には慰めにならない。よくよく考えるとこれはそうではないのだ。似ているのは、ブラジルフィアンセの友人の最初の東大落ち、五浪の友人の一浪後の冬、であるらしい。間宮は大学受験をしなかったが、それは学力のこともあったけれど、神主になるための大学にはどうやらおまけで行けそうでありつまり親に並々ならぬ意気込みがあり、それが嫌だった。間宮は前の会社でも今度のバイトでも、さかのぼれば高校も中学も、みな受け入れられないということはなかった。試験はすべて通り、面接はどれも諾であった。これほどすげなく便所紙の如く落とされたことはない。間宮の二十七年間で、お仕着せではなく逃避でもなくみずから求めた将来は実質的に初めてであり、これほどの夢の大きさを託したことはなかったのにである。 落ちた作の写しを見直してみると、あまりに無惨であった。どうしてこんな愚かしい文章を人に見せることができたのだろう、という程だった。どうしてそんなつもりになったんだ。二度と読みたくない、と思った。 今年はこてしらべ、どういう手順で審査されるかなど様子が分かればいいのだ、と間宮は以前は考えていたはずだ。そういうまっとうな方針の陰で、小さくしていたモノが、追い込みから、投稿、待っていた数ヶ月で何倍にも肥満し、ほとんど別のモノに育ってしまっていたようだ。 ただ、彼はパチンコでも競馬でも負ければ負けるほど熱くなるお客さんであったので、失意の中でも、死んでもあきらめるもんか、とは考えていた。考えてはいたけれど、感情やら気力やらがマットから起き上がれないという状態だった。もう少し正確に書くと、始めパンチを食らったときはへらへらしていた。耳にやさしいさんとのデートを楽しんだりしていた。そのうち膝が折れた、まさかと思うが効いており気がつけばもう、マットまでの半秒をスローモーに漂っていく自分が見えていた。悔恨や妄念のゆらめく海の中をその暗い底無しの底へ向かって。 これは大げさかな。 佳子さんとのことで、男としてだいぶめちゃくちゃなところに放り込まれてもいたから、それでもすがっていたものが、藁であることが分かって、どこに手がかりを得て息をすればいいのか、すぐには探り当てられなかったのだろう。水面をばちゃばちゃもがき、沈みながら、わけもなく淋しく、たまらなく虚しく。 だから、八時九時や、週六十四時間労働というのは、案外、間宮はうれしかったのではないか。
底無しの底の話、ついでに。
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[26 空白 了]