平成11年6月29日(火)〜

缺けてゆく夜空 その四 ノート

31 回想(3)



 

 まだお読みいただいている方がいるとして、前後の関係がこんがらがっているかもしれない。間宮がだれに読ませようというつもりもなく(唯一想定しているとしたら未来の自分だが)書き連ねている不親切なノートに、できるだけ従っていたので。
 時間順に少し整理してみよう。

 九月三十日日曜の夕、路上でナオ君と鉢合わせ。泊まり。
 十月一日月曜職場で、ナオ君、金を借りてからレントゲンへ。間宮は昼休み自室へ戻り、異常ないか確認。二人昼過ぎ来る。この晩、ナオ君、約束をたがえて、来ず。
 十月三日水曜職場で、借金取りたて完遂。
 十月十九日金曜地下鉄駅のホーム、私用の間宮が、人待ち風のナオ君を見つける。
 十月二十日土曜職場に、ナオ君友人から緊急連絡。間宮−佳子さん−ナオ君の経路で伝わる。夕方、ナオ君出社、父君死亡のため退職の挨拶。
 十月二十三日火曜の晩、ナオ君来る。北海道からの帰り。泊まり。
 十月二十七日土曜の晩、ディアハンターを観ていたら、二人が来て、トランプ。泊まり。
 十月二十八日日曜、埼玉産業フェア。
 十月二十九日月曜の夕、決算中に、二人来る。しかし、世話好きさんと直前に先約あり、帰す。
 十月三十日火曜職場で、佳子さんに事前に電話くれるよう願う。夕、ナオ君から電話。間宮、二人が来るのを拒む。
 十一月上旬、このあたり、殺人。
 十一月三日土曜、文化の日、五浪の友人来る予定なるも、来ず。
 十一月五日月曜、この日以降佳子さん欠勤。盲腸。
 十一月十一日日曜の午後遅くから、間宮の友人四人が来る。この後、黒い子犬の夢。
 十一月十二日月曜の夕刊、中野で女性絞殺の新聞記事。間宮ノート、生気。

(もう書き疲れ眠気にさいなまれ、間宮は結論を出そうともがいている。短い記述しかないので、間宮の頭の中に生じてもいいと思うことを補いながら、この夜の最後の部分を紹介する)
 僕に冷たくされたからといってそれが殺人につながるということは、常識世界ではない。でもそれが転がり始める最初のひと押しとなったり、かろうじて持ちこたえていたのに最後のひと押しとなったり、そういうことは珍しくないかもしれない。
「ナオ君には中野に女がいる。乱交パーティで知り合ったのちつきあっていたが、佳子さんの知る所となり、切った、と聞いていた」
「彼の友だちの所への泊まりぐせ。その上、今、宿なし。切ったはずの中野の女の所に泊まっていたこと十分ありうる。11/5から、佳子さんが本当に入院しているなら、彼のカンシもできていない」
 ナオ君が加害者であるなら、被害者がナオ君をあきらめてくれなかった、という構図だとなんとか理解できる。騙されていたことが分かったときの怨念は、どのようにも形をかえ、追いすがってくるのではないか。それが結局は彼女の心の中だけの妄執だとしても。絞めながら、ナオ君はむしろ人助けだと感じた。凶行に納得できる動機がなければいけないなら、だけれど。一人の人間に多面性があるのは当然としても、本当にあのナオ君が、そういう面を付けえるのか、というあたりが首を傾げてしまう。安っぽい怪談で、現実感がなさすぎる、これは。
 他にねぐらの見つからないときは、あてがあると言って佳子さんを家に帰し、中野の女の部屋に泊まった。うすうす気づいているから、佳子さんは極力彼と泊まり歩く方策を捜すことになる。
 だれかのことをきっかけに、ナオ君が多くのことに嫌気を感じ、突然、みんな殺しておれも死のうなどと思い込む。普通は考えられないのだが。
 もののはずみ、ということはあるのではないか。玉子を玩具にしているうち落としてしまうように。いつか僕が、逃げる二人の妹に夢中で石を投げ、ガラスが割れるまで正気に戻れなかったように。他人にはよく理解できない乱れ濁った事情があったとしても、人死にまで出さなければ清算できない事情などごくまれだと思う。「俺は不良だからもう先が無いんです」と言ったり、バイクのいとこのことなど、はたで感じる以上に人生に薄さを見ており、死をたいして珍しくもないとみなしていた、としてもだ。そんな奴はゴロゴロいるだろうが、だからと言って能動的な殺人に踏み切れる条件を充たしはしないだろう。だから、実質的には事故、というのがナオ君の犯罪であるなら一番ありえそうだ。
 佳子さんは、首のつぼを押さえる自殺法などという話を夏の夜、していた。ナオ君に自分の首を絞めさせる、ということはありそうだ。ナオ君が、それを別の女で遊び半分試してみた。ないと言えるか。
「殺人が11/2〜11/3として、11/4(日)の夕方、僕がウトウトしてるとき、電話が一回鳴って切れた。あれも、あやしい。
 次の日かその次−−調べると11/6に五浪よりTELあり。五浪、11/3か11/4に遊びに行くと言っていたから、そのいいわけのTELを11/4夕にしようとしてやめたのが、あの切れた電話かとめぼしをつけていたのだが、もしそうでないとしたら」
「11/2の夜以降なら、佳子さんが殺したとも考えられる。モウチョウは嘘で」
 どこかをこの真夜中、逃避行の二人、だとしたら。都内にいるなら今すぐにでもそのドアを叩くかもしれない。受け入れてあげられるか。ドアを抑え最後まで折れないのがお前なのか。
「オ、オソロシイ…」

 筆者のおもいすごしを若干、ここに挟む。
「間宮さん、今日はどうしてもうちにいて」
「夕食たべさせて、お願い」
 これらを言う佳子さんの声に、変に真剣味がこもっていた。
 間宮は、そうやってなしくずしで彼らがいりびたることになったり金を貸してくれと言われたりするのを嫌ったのだが、彼の妄想の中では間宮が寝てからまたは簡便に間宮の息を止めてから、現金や物品を奪うことが少なくとも可能だということを怖れた。
 が、今さらだが、善意に考えれば、若い二人が彼らでは解決できない何かを前にして、虚心に間宮という年長者の教えを請いたくて、月曜火曜とあきらめず彼の部屋を訪ねようとしただけ、と言えなくもない。教えを請う、などということではなく、単に自分たちを迎えてくれる人や場所が欲しかっただけかもしれない。舌足らずで、恥ずかしがり屋でもあり、上のようなせりふしか言えなくて、それを間宮に伝え切れなかった。
 ならば、間宮は冷酷すぎたという気がする。十月三十日以降何も連絡がないということは(まだ数日佳子さんは出勤しただろうが個人的な話はなかったので同じこと)、自分たちでどうにかしたか、間宮なみの拒絶に遭いあちこちではじかれながら、暗い出口の無い気分に沈んでいったかだろう。
 若い二人が彼らでは解決できない何か、とは具体的には、寝場所や金のことだろう。でも佳子さんにはちゃんと親の家があるはずで、若く丈夫な男であるナオ君だけのことでそんな深刻な問題があるとは思えない。となると、二人が間宮に相談したかったのは、佳子さんの妊娠ではなかったのか。盲腸というのが、やはり、疑わしくなってくる。
 ここから先は新たな妄想としか言えないかもしれないが、この線で考えるのなら、レントゲンというのもナオ君のシナリオではなかったか。あのとき、朝一時間ぐらいしてナオ君はレントゲン行くからと間宮に金を借りた。そして昼過ぎ再び出勤してきたときは、佳子さんとほぼ一緒だった。間宮は、ナオ君のレントゲンに佳子さんが付き添ったのだな、と納得したが、「佳子さんの診察にナオ君が付き添った」というのが事実であってこれを隠したかった、ということでも通る。小銭ではない金をナオ君が借りたのは実はあれが初めてだ。ナオ君にもプライドがあったなら、そのプライドをいったん下ろしても、と思う金の遣い道とはなんだろう。レントゲンは十月の初めのことであり、この月のうちになぜかナオ君は就職など決めてしまう。女の腹が大きくなることがわかったら、間宮でもまっとうな勤めを捜しただろう。筋が通りすぎる。
 本来はそのまま、多少くずれ者同士とはいえ、一つの新婚家庭ができあがるはずだった。それなのに、ナオ君の故郷で不幸があり、彼の言う通りのことかどうか知れないが気持ちが混乱して金銭上の失敗を引き起こし、早くも困難に見舞われた。一時的にでも明るい見通しを持てなくなった。
 十一月五日以降、盲腸で休んだ佳子さんが、本当は何を治療したのか、わからないが、妄想世界特有の短絡思考で言えば「命を殺したのは間宮」ということになりそうだ。
 誤解のないようにしたいが、当時間宮は、こういう方向で妄想できることに、一切気づいていない。それどころかどういう巡り合わせか、彼らが新聞沙汰になる人殺しを犯したのではないかと、いだいたものをためつすがめつ調べている。

 悪意は悪意でも違った角度からの悪意で、検討してみる。
 当時間宮ははっきりした疑念は持っていないらしいが、今、眺めると、ナオ君の父死亡は狂言ではないかと、考えることができる。
 ナオ君は退職した土曜、次の日曜と佳子さんと二人で過ごしたと自分で言っている。次に間宮の所に現われたのは火曜の晩である。東京から北海道へは日曜の午後、北海道から東京へは火曜の午前飛行機に乗ったとしか思えないが、いくら義父とはいえ慌ただしすぎないか。またナオ君の実家は札幌などの都会ではなく、ひろびろ牧場のある田園と聞いていた。飛行機だけでは済まないはずで、としたら、現地に居られたのは数時間になってしまう。
 ナオ君は北海道との往復をしていない。
 ナオ君の実家が北海道であるということについても、証拠は、ナオ君の話または彼の書いた履歴書ぐらいのものだろう。アルバイトの身元を厳密に追求する職場ではない。
 ナオ君は喫茶店に就職が決まり、または、少なくとも身の振り方が決まり、あのバイト先を辞めることになった。この程度は確かとしようか。それが、数日欠勤したのち、地下鉄ホームで予期せず間宮と話をしたあたりまでに、ということもよしとしよう。
 翌日、父親の死が職場に知らされる。タイミングが良すぎないか。電話は、ナオ君の友人がナオ君に頼まれての芝居、または、間宮が気づけなかったほど巧い、ナオ君自身の芝居。
 アルバイトとか、若い青年は、恩をかけてくれた人たちを捨てる如く、そこを去ることに、負い目を感じる。要は自分勝手にそうするのだから、うまい言い訳が作れなくて、礼儀知らずにも挨拶なしに辞めてしまうということがありがちだろう。ナオ君は円満退職を演出したかったのだろうか。
 間宮は何も知らないが、あの退職の日、あの雰囲気の中、ナオ君が急のことで飛行機代がないともしそっと漏らしていたら、課長以下だれかが、心配するなと大きな心を見せはしなかったか。
 また、翌週火曜、ナオ君は間宮に窮状を訴えた。間宮が情に厚いあたりまえの人間であり、大金を持っていながら一円の出入りに執着するようなけちんぼうでなかったら、ここでも援助を受けられたのではないか。
 あの時間の中で息をしている間宮は、勘で、こういう気配を感じているふしが見える。これだけ疑り深い人間が、心底信じていたということだけはなかろう。
 これは常軌を逸した悪意の解釈かもしれないが、彼ららしい。シナリオ作者はナオ君とは限らない。この大胆さ、ずるっこさには、猫の匂いがある。

 




[31 回想(3) 了]




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