平成11年7月10日(土)〜

缺けてゆく夜空 その四 ノート

32 解決



 

 間宮は布団に入り、一旦は眠ったのだろう。でも、枕の上でうとうとしつつまだ考えがまとわりついて、気にかかり、明け方寝床を這い出てこう書いている。

11/13
 5:24AM
 しかし、中野の女にしろ、乱交パーティにしろ、身内の死にしろ、みんなあいつの嘘ということも十分ありえる。ほんとに嘘つきでもあるんだから。

 カレンダーによれば、十三日火曜の朝食は「ちこくしそうでヌキ」だ。
 ナオ君はもういないので、昼休みに朝刊を読めたかもしれない。が、社会面まではたどりつけなかった。なにより続報がこんなにも早く載るとは予想していなかった。
 午後七時三十五分という時刻付きで切り抜きが貼ってある。十一月十三日朝刊で、事件は解決していた。

 同せい男を逮捕
   中野の女性殺し

 記事全文はもう省略しよう。要は「警視庁捜査一課と中野署は十二日夜、□□さんと同せいしていた□□県生まれ、元□□□□□□□□□□□□(二二)を取り調べたところ、別れ話のもつれから□□さんを殺したと犯行を自供したため、同十一時、殺人容疑で緊急逮捕した」ということだ。
 同せい男の姓名だけでなく、顔写真も載っていた。ナオ君ではなかった。
(筆者の懸念。
 今、二つの切り抜きを見比べてみると、ただ一点不審がある。年齢部分は誤報だったらしく十三日では(二二)に増えている。ということは、もし誤報でないとしたら、男(二〇)は別にいて、容疑者が二人だったということにならないか。
 なかば同棲していた犯人(二二)が、足しげく訪れていた男(二〇)から□□さん(二三)を取り戻そうと思いつめたすえ……
 やめよう、かりにも人が死んでいる。不謹慎)
 間宮は、この事件決着記事を切り抜いてノートに貼っているだけで、言い訳も感想もなく、以後一切触れていない。

 聞く耳があるなら、聞いてくれ。
 どちらが勝った負けた。白だったか黒だったか。現代人類の最上級都市東京に住んでいれば、そういうことに敏感にならざるをえないのだろうよ。でも、せちがらいとも言うぞ。
 いくら恋敵とはいえ、意地が悪いよ。本人の言う通り本当にそんなにもてる奴だったとしても、ナオ君はまあいろいろ弱点を持っていた。金がない、いつでもなんか不足気味というところが最弱部分だろう。まだ佳子さんを競り合っているというならまだしも、もう大勢は決していると言ってよいのだから、少なくない関わりのあった後輩に、武士の情けをかけてもよかったのではないか。いまさらその弱点をつつくというのも、おとなげないよ、間宮。(ナオ君にいくつかの芝居がもしあったとしても、ころころとだまされてあげる、そのぐらいでなくては)。あまり美しくない自己資産防衛本能(なるほど一円玉一個まで守り切った)、谷底に落とし社会人の先輩として厳しく鍛えてやるというおごり、一連の腹いせ、人の真価はこういうときに現われるというのに。筆者が審査委員長なら「HITODENASHI大賞」をあげる。
“力になりたいときに友は無し”
 そんなことわざも作りたくなる。
(でも、お前にはできない。やり直せても、できないのだろうな)

 十一月十六日金曜、浅草橋の餃子専門店で飲み会があった。世話好きさん、ひな祭りに結婚さん、巻毛青年、間宮の四人。
 十一月二十一日水曜、母親から電話があった。
 何か欲しいものはないかい、と言うので、息子は、
「どうせ送ってくれるなら敷布団が欲しい」
 と、とぼけた。
「一人暮らしなんだから今の一つあればいい、それよりも寒くなるんだから掛け布団や毛布送るよ」
 と、母親。
 前回電話のあったとき地所を買いたいと言っていたが、この電話で、そうした、と母親は言う。
「お前が千葉に帰るなら家建てたいんだけどね」
「布団は、まあ、すぐ必要じゃあないけど、とにかく、ありがとう。千葉に帰って永住するとかどうとか、まだわかりゃしないよ」
 などと間宮は応じた。
 母親はこういう話もした。
「嫁さん、いないのかい」
「いないねえ」
「今の会社に女の子いないのかい」
「ウジャウジャいるよ」
「いっぱいいて、いないのかい」
「−−そうねえ、僕が必要を感じてないってことかな。飯つくったり、掃除洗濯したり、めんどくさいってことなくて、そうすることが僕楽しいもんな」
 越して来る前実家で無為に暮らしていた十ヶ月、お前だけが暇だ、とこの母親に家事をいやってほどたたき込まれている。
「私はさ、わがままだから、嫁さんになんか絶対頭下げないよ。だから、途中から一緒なんてのはだめだね。一緒に暮らすんなら、やっぱり始めから。お前、結婚するときは長男なこと、ちゃんと言うんだろうね」
「ああ、一緒に暮らすこと、やしなうことはっきり言うよ」
 もしそんなことがあればね、と間宮は心の中で付け足していたが。
 はっきりした日付は不明だが、十一月も末近くになったと思う。かなり久しぶりに佳子さんが職場に復帰した。盲腸にそんなかかるとは思えないが治ったからといってすぐ仕事に来るタマでもないから、何とも言えない。
 洗いざらしではないかという、たいして手入れもされず、先が脱色気味の、とても長かったあの髪を、ばっさり切っていた。入院したためなのだろう。短い、光沢のあるウェーブ。……悪くはないのだが。清潔で確実に何割か美人になってもいたのだけれど。
 十一月二十五日、日曜の晩、まさか尊属殺の友人から電話があった。出かけて喫茶店で二時間程度話した。
 このころ、ノートにある記載。

11/30 一項のみ
 今日、急に僕は犯罪者であるような気がしてきた。
 今日、婦女暴行みすいで訴えられたら、素直に認めてしまうような気がする。

12/2 第三項
 芸術は愛だと下世話に言うけれど、僕に言わせれば愛は芸術だ。
 ナオ君も、僕という評論家がいたから佳子さんの良さを知り、好きになることができたのではないか。今、僕が退場して(すでに久しく)どうなっているやら。

 十二月二日の日曜、一辺が一メートル以上あってこすりながらドアを通った立方体段ボール箱入りで、布団類が届いた。話の通り、敷布団は入っていなかった。
 十二月五日水曜、世話好きちゃんと飲み会。映画とかゆみちゃんなど誘っての飲み会を約束する。
 十二月八日土曜、新宿へ単独。映画とパチンコ。
 十二月十日月曜、母親から電話があった。たとえ親子の間であれ、礼状ぐらい出すものと小言があった。顔を見せなさいと言うので、十二月二十一日に帰省することを約した。年末年始は多忙の実家なのでこれは何としても外したかった。要するに手伝わされる。
 真面目な鹿野君はこのころ、社員の女子と恋仲になってしまった。駆け落ちしたのしそうだの、そういう噂が間宮の耳に入った。他部署のため、残念ながら間宮は詳細を知らない。

 




[32 解決 了]




戻る

次へ

目次へ

扉へ