十二月二十日木曜の晩から、長い坂に並ぶ国電駅前商店街の、あるうなぎ屋の二階で、二課の忘年会があった。会はまことににぎわしく、料理皿に酒を注いで飲みほすなどがあって、間宮は後半ほとんど記憶がない。
ショルダーバッグをなくして、夜の街を悲しくうろついていたこと。
佳子さんと計良さんと、もう一人と四人で、喫茶店のような所でバッグに再会したこと。
計良さん、佳子さんと三人でタクシーに同乗し、大通りの十字路で間宮は転げ落ちるふうに、降ろされたこと。
これらその場面だけの断片がかろうじて残っているが、他は闇で、いきさつも周囲の動向も全く覚えがなかった。
コートもマフラーもバッグも財布もなくさず、ちゃんと鍵をしめ布団を敷き、寝巻きに着替え、首にタオルを巻いて、間宮は寝ていた。起きてみると。
しかし、どこか、とんでもない所で立ち小便している気もした。左手の甲にすり傷があった。
忘年会翌日、この二十一日は金曜だが、計良班長にあらかじめ休みをもらっていた。
午前中、からだが震えていた。寒気がし、動悸はげしく、昨年夏のカフェイン中毒に似てきた。が、頭は冴え切っているし、むしろ、爽快なのだ。
間宮は「これは何かと言うと、おなかが極端に減っている」からと考え、帰省のため国電の駅(つまり昨夜飲んだ辺り)へ徒歩で向かう途中で、小さな食堂に入った。
カツ丼と餃子を頼んだ。ものすごい不味いということはなかったはずなのだが、何口目かを嚥下しようとしたあたりで最悪の気分になり、しばらく目を閉じていた。間宮は生まれてこのかた出されたものを食べ残したということは数えるほどしかなく、まして自分で注文したものは最後の一粒まできれいにするのが絶対の正義と信ずる、丈夫で律儀な胃袋を持っている男だったけれど、このときは気力なく降参してしまった。店員の娘にほとんど残すことをわびて外に出た。
食欲ないのをちんたら食べているよりはすぐとび出してタクシー拾い、救急病院へ行った方がよいと決心したためだが、歩いているうちにいくらかよくなったのでやめた。
前々からの予定通り、駅そばの銀行から十八万五千円をおろした。
駅で缶コーラを飲み、下り電車に乗った。
各駅電車の座席で、もうまわりなどかまっていられず唸っていた。人生終わりでも、ちょうどいい、実家にたどり着ければ始末してくれる、という計算が浮かんだ。そうこうするうち、だらしない姿勢で寝入っていた。コーラとこの睡眠が良かったらしい、千葉に着いたときは、体調はほぼ回復していた。
千葉の銀行で(部屋から持ってきたもの、先程おろした額、それに普通口座から移すものを合わせ)五十万円を定期で預金した。
社殿で賽銭を投げたら祈祷をしている父親の背が見えた。社務所で(幼い頃バスにはじき飛ばされた)姉とその夫である義兄に挨拶をした。家業はこの夫婦が継いでくれる。
実家に荷物(この日は通帳類も入っているショルダーバッグ)を置いて間宮は外出した。Gパン、下着、靴を購入。デパートの本屋で来年用の冊子カレンダーを見つけて買った。
暗くなって、家に帰り、夕飯(みずたき)を父母、それに住み込みで修行する青年と食べた。間宮は鳥肉が死ぬほど嫌いだったが、健康に良いと信じている母親は知らぬふりか忘れたかしており、といって昔のように文句を言う気にならず、口にした。
食後も、いくらか話した。
ところで、料理を残してしまった食堂だが、間宮は以後そこを利用することがなかった。責任はその店にはまずないのだが。
鳥肉嫌いのわけも少し。間宮は酉年なので同胞を食べてる気が子供の頃した。やはりその頃、母親が鶏の首をふた巻ねじって絞めようとしたら、くるくる戻って逃げていったのを目撃した。この辺からだと思う。(甘い玉子焼きは好きだった。めんどりを解体する母親に素になるという赤いぶどう房を見せられたり、殻におさまっている雛を図鑑で眺めたりしてから、これもだめになったが、その後無精卵はにわとりではないという悟りを得て、玉子だけは好物に戻った)
十二月二十二日土曜。朝食は餃子、上の三人とあと妹二人。
妹らと話すうち昼になり、彼女たちの作ったカレーを食べてのち出発。アパートに着いたのは午後三時頃だった。
十二月二十四日月曜、午前の休憩時間に、木曜の夜の記憶喪失中の自分について計良班長から聞いた。
うなぎ屋の二階のあと、皆で近くの喫茶店へ行った。途中、間宮君がいなくなる。トイレへでも行ったのだろうと思った。
間宮君が帰ってこない。カバンはおいてある。近くだと言ってたし、帰ったのかもしれない。カバンは私(計良)か武藤君が預かることに決めた。
……が、やはり間宮君を捜せということになった。どうも普通じゃなかった、と誰かが心配した。何人かで通りに出てみると、櫛田さんが間宮君を支えるようにしてやって来るところだった。地下道でフラフラしていたとのこと。このときの間宮君の弁、
「誰もいなくて淋しかったよう」
その後、皆、帰ることになったが、間宮君が荻原さんを帰さない。荻原さんが「電車がなくなります、どうにかして下さい」と私に言うんだが、おもしろいので見物していた。抱きついたりしていたな。
で、計良、荻原、間宮、他部署の多賀さんの四人で別の店に行く。この時、間宮君、相当騒いでいた。間宮君の主な主張、
「荻原さんはいつも昼に来てずるい」
「僕は、荻原さんが大好き」
だいたいこの二つ。
その後、タクシーで帰ったけれど、間宮君が住所言わないので、会社へ向かった。
……これは計良さんは言ってないが、そのタクシーにはやはり、間宮、佳子さん、計良さんの三人だったと思う。また、計良さんは「荻原さん」と言ってくれたが、「佳子さん」を連発していたのかもしれない。
計良さんの話を聞いているうちに間宮は思い出した。
映像の記憶少ないが、店(その二軒目か)で、計良さんが「間宮君がこんなに陽気だったとは知らなかった」と言ったこと。タクシーで、間宮がべらべらしゃべりまくっているとき「とにかく会社へ行けばいい」と言った計良さんの声。タクシー降りるとき「佳子さんも行こう」と間宮が言い、佳子さんが「いやよー」と言ったこと。これらはまず事実と思われる。
降りるとき押されるようタクシーから落とされ、アスファルト道路に転がったはずだ。ここらで降ろしておけば一人で帰るだろう、と班長は考え、その通り大丈夫だったわけだ。
「…では、タクシーにのった佳子、計良はどうしたか? さあて…
ちなみに、計良さんは、翌21日、1時間ちこくした、と佐倉さん言ってた。タイムカードみたところ、佳子さんは21日、休み。(といっても、先週は二日しか出勤していない)そして、今日も休み」
と、間宮は懲りずにまた詮索している。
間宮は、計良さん、二人の早川さん、課長、諸氏、そして櫛田みさに迷惑かけてすいませんとわびて歩いた。いいからいいから、若いときは色々あるさ、というふうに誰もが慰めてくれた。
櫛田みさは愛らしい笑顔だった。
やはりおぼろに思い出していた。推測だが、国電の駅に通ずる地下通路だったと思う。壁に、片腕か、直接額でもたれ、立ち小便をしていた。そこへ帰ろうとしていた櫛田みさが通りかかったのだ。間宮が行方不明ということを耳に入れていたところに、いちじるしく心身耗弱状態の本人を見つけ、捨てておけなかったのだろう。聖女だ。
帰宅後、
「なさけないものを見せて(もしかしたらさわらせて)、櫛田嬢の心の病を悪化させてしまったらどうしよう」
というせりふを思いついて、力なく笑った。心に病はどうやらこっちだ。舌打ちしたり、拳固を畳に打ちつけたりしたが、やってしまったものはどうしようもない、と考えるしかなかった。
記憶の焦点が合ってきて、突然、佳子さんが好きだとわめいている自分が浮かんだ。それが現にあったことだということが泥かぶりに水を浴びせかけるよう一度に納得できた。
闇夜とネオンの路上でそう騒いで彼女に近寄りなだれかかろうとするのを何人かに抑えられている、その様子が見えた。ある時点まで、人の壁に甘えて執拗に繰り返し佳子さんに投げつけ、中にはあらげた制止を言う者もいた。どこかで間宮は一転してこれを恥じ、結局雲隠れしたらしい。
炬燵に肘で、頭を抱えた。
「いろいろひどいこともし、(ひどすぎて私に教えてくれないのもあるかも)ひどいことも言ったらしいが、あれだけ酔い意識を失くしたのに、生命あること、健康でけがのないこと(左手甲に少しだけすりきず)何も持物を失くしていないこと、これを幸いと思うべき」
と、間宮はノートで、居直り気味の総括をしている。
この同じ二十四日月曜、封入機の佐倉さん、マッチング機の武藤さんらが言っていた。
六月頃、バイトに来ていた薬師丸ひろ子にそっくりな女の子、テレビのコメディ番組に出てる、昨晩みた、と。
佳子さんは年末までに一日だけ出社した。間宮はじりじり待ち、やっと出てきた日の休憩時間、廊下で見つけて、ふたことみこと謝った。佳子さんは、気にしないで、と言うような笑顔のみだったが、間宮には夏のことも含めてのつもりがあった。
「ごめん、わるかった。ごめんね」
手の仕草付きでちょこちょこっと頭を下げていた。
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