平成10年10月12日(月)〜
親父はいけない人だった。
母親がいないことをいいことに、いたいけな息子に妙な講釈をたれて遊んだらしい。
蟻が、砂糖にめぐりあうほど、うれしい。
だから、「ありがとう」なのだという。
砂糖、糖分という漢字を示して、甘いということだと付け加えたりした。
私は、蟻の行列や、巣に出はいりするのを、(炎天下であろうと)何時間でも眺めている子供だった。しみじみと実感できた。
ふだんは「ありがとう」(蟻が糖)と言い切っていたからよかったが、特に丁寧に言わねばならないとき、
「ありがとうのようです」
と言った。
誠意がないと先生に叱られたのは、小学校の何年生だったか。先生がなぜ怒ったのか、説明を何度きいてもわからなかった。
大きな理不尽を感じて、涙ぐんだ。
親父のこれらのわざわいからようやく逃れられたのは、中学に進んでからではなかったか。
ただ、もう少し成長してからも、思い出すことはあった。
仏様が初めて、日本という国に来たとき、たいへんにもてたという。
彫り深く男前だし、最先端の思想で後光がさしていたしで、女神様たちが放っておかなかった。
ある地方で、ある女神様とねんごろになって、一緒に暮らすようになる。だけれど、仏様はしばらくすると飽きてしまって、ふらりと旅に出る。
別の地方でもまたモテモテで、一番の女神様と暮らすようになる。またまた飽きてしまって、旅に出る。
そういうお方だった。思い出すと昔の家に戻ってきて、よりを戻したりもした。
日本という国の土着の神様たちは、ほれたはれたに関しては相当におおらかだった。この異国のお客人を、みな大目に見ていた。だけれども、そのうちに、あまりに放浪癖が過ぎるように思えてきたし、若い男神の中には不満もくすぶりだしてきた。
で、長老神がやんわり助言をすることになった。
「いかがです。人間たちがあなたを正式にお迎えしたいらしいですよ。新しいみやこ奈良を造るそうです。さまようなら、奈良へ行かれては」
もうこの国の風土や気質になれていらっしゃったので、仏様も、自分は何も悪くないとは思うけれどここはあくまで自己主張というのもまずかろう、素直に折れるしかない、と悟られた。
そこで、奈良の都に腰を据える前に、道々、女神様たちに挨拶をして回った。
「さまようなら奈良へ。そう助言をいただいたので、もうお別れです」
「さまようなら奈良へ。そう言われたのですね。わかりました。お逢いしたくなったときは、私から伺いますわ」
こう言い合ったので、これが別れの挨拶となったんだよ。
・・・と、再構成すれば、おおむねこういう具合に意味を繋げて、いわれを語った。
慈愛に満ちそれでいて皺一つのゆるみもない、まさに仏像の相貌で。太い鎮まった声で、演じた。
息子を、溜息がもれるほど感心させた。
初めて、女性の優しさや温かさを、私に味わわせてくれた人がこう言った。
「さよなら」
色あせ流れ落ちていく風景の中、彼女が去っていくのを見ていた。
不意に、あの大嘘が浮かびあがった。
『さまようならならへ』
『今生ではもうお逢いすることはできませんが、たとえ、千年万年の後であっても、奈良の大仏様のみもとで相まみえましょうね。さまようならならへ。さようなら』
さまようならならへ
さよなら
さまようならならへ
電車に乗っているとき、帰宅までの薄暗い路地でも、私の頭の中では何百回にもなるのか、このフレーズが繰り返されていた。つぶやいてもいたか。たまに、ははは、と笑った。
こういうときの、慰めにはなってくれたかもしれない。
そういう意味だったのかな、親父よ。
・・・でも、所持金が足りていたら、奈良までの切符を買っていたかもしれないよ。
(了)