平成11年6月8日(火)〜

テーマ「反抗」


比翼の鳥




 裕君のことは知っていたけれど、知らなかった。
 席替えがあってしばらくして、授業中、ずいぶん熱心にノートを取る人だなあ、と気づいた。彼の斜め後ろだった。
 そのうちに変だとわかった。黒板にたいして書かれていないときでも、先生が脱線して生徒を笑わせているときでも、なぜか裕君はノートを書き続けている。
 鐘が鳴って先生が退出し、いつものように裕君がノートを閉じる前、誰かに呼ばれて席を離れた。覗き見をした。
 不思議なノートだった。
 確かに今の授業内容が書かれているけれどそれは真ん中あたりにまとめられていて、それを取り囲むように細かい鉛筆文字が上下左右四隅まで繁茂している。何が書かれてるんだろうと思って、顔を近づけたら、彼が戻ってきた。
「ごめん。ずいぶん細かく書いてるのね」
「うう」
「読んでいい?」
「えと、どうでもいいっていうか、かんけいないっていうか」
 裕君は、髪などちょっと不潔だったし、快活に笑っているなんてことも普段なかった。女の子たちの話題に上ったこともほぼ皆無だと思う。
 気になってしまった。
 テストが近づいて、裕君に国語のノート貸してって頼んだ。テストの役になんか立たないって断わられたけど、どうしてもって、泣いてるみたいなふりもした。
 裕君は唇をひくひくさせて、でも何も言わずに、ノートを置いた。


 夏休み前だと思う。
 清書した原稿を、三年生の教室に持っていった。その教室は、放課後、文芸クラブの人たちの溜まり場になると聞いていた。
 髪の長い、リーダー格と思われる先輩に、頭を下げた。読んでください、と渡した。
 リーダー格の人は、さらっと目を通すとその一枚を隣に回した。眼鏡の女の人は眉間に縦皺で黙読した。それをまた隣に回し、片方では二枚目を受け取る。
「君が書いたの。 ・・へえ、過激だなあ」
「いいえ、ちがいます。裕君ってお友達です」
「ああ、なるほどね。その彼はなぜ来ないの」
「私が無理言って、読んでもらおうって言って、でも彼、勝手にしろって怒っちゃって」
「ふうん・・」
 クラブ員たちが口々に評し始めた。
「俺は、わりといけてると思うな。なかなかだよ」
「そうかなあ。難解すぎない? 自分でも何書いてるかわかってないんじゃないの」
「うますぎるよ、ちょっと。部長はどう思う?」
 髪の長いリーダーは、しばらく天井を見て、それから皆から原稿を集めた。
「裕君という人の詩、翻訳調だね。自然な日本語を今は勉強したほうがいい。人真似をすれば詩人になれたみたいに思えるだろうけど、それは実力とは違うよ。・・・そう伝えてみて、お嬢ちゃん」


 妙な間柄になった。
 三年生になって、文芸クラブは牛耳った。
 でも、エッセイぐらいしか作品を書かない部長なのだ。裕君のほうはどうしても正式に部員にならない。一二度顔見せに引っぱってきただけだ。
 裕君の家に出入りして、段ボール箱や本棚のなかから紙束を引っぱり出して、清書した。
 後輩たちは、洗脳したから、みなありがたがった。例年通り、文化祭で部誌を売り出したら、完売だった。すこし大げさな噂を流しておいたので、近在の高校から同好が集まってきて半ばまとめ買いしていった。もちろん、みんな、裕君の詩が目当てなのだ。


 卒業して、二人で東京に行った。
 若い女の子なら、それだけで、十分なお金が稼げる。
 こういうこと全てが、冒険そのものだった。なんでもできるとわかった。
 していることは同じだった。
 裕君は、いつも書いている。天気がいいと散歩に行く。歩くことは大好きらしい。
 昼前に起きて、出勤までにワープロに打ち込んで、たまったらあちこちに投稿した。







「あきあきしたよ。お前のおもちゃになるのは」
 裕君にオンナができた。アパートに帰ってこなくなった。
 それはそれでいいよ。作品が輝くのならね。
 でも、送られてきた書き物を一読して、炬燵板に叩き付けた。
「あんちくしょー」
 蹴りを何度も入れてようやくドアを開けた。
 オンナが口をあけて、一瞬してからわめき始めた。
「だれよう、あんた」
「裕君はいるの」
「鏡みたら。ぼさぼさだよ。はやくでてってよ」
「うるさいんだよ。そういう話じゃないんだから」
 裕君は、あわててズボンを穿いていた。
 後ろから声をぶつけた。
「何をしてもいいよ。好きなようにしなさいな。・・でも、書くことだけは投げちゃだめ。あんな腐ったオンナに題材を求めたらだめ。吐き気がする」
「くさっただってえ、よくも、このやろうっ」
 後ろから髪を引っぱるから、振り返りざま甲の平手をくらわした。
「あんたみたいな、豚娘には、人間の魂が宿っていないんだ。犬にでも豚にでも脚を開けばいい。裕君は、神なんだ。
 あんたとは住んでる世界が別なんだ。え、わかるの? わかったら理由をいってごらんよ。わからないでしょうが」
 ぐちゃぐちゃに泣きながら、愛してるだの、離さないだのを言う。
「よくききな。詩も短編も、やっと載るようになったんだ。一緒に暮らすのは構わないけど、あんた、なんにもしゃべらないで欲しいな。あんたが一言腐った言葉を吐くたびに、詩が曇っていく。文章にいやなにおいが着いていく。間違いないから」


 いい経験にはなったみたいだ。
 味がでてきた。
 批評が食いついてきた。
「俺もう、出し切った。たぶん。もう書けねえよ」
「心配しなくていいのよ。無理してまで書かなくても、あなたの作品はまだまだストックがあるから。二年三年ぐらい、ごまかしておくから。ゆっくりなさいよ」
「ほんとに、もう書けねえよ」







 病院から会場に連れてきた。
 挨拶を無難に済ませることはできた。メモを渡しておいたから。
 裕君の手をひいて、先生方と、色々話した。編集者や記者たちが、これでもかというぐらい私たちを取り囲んだ。
 これもまたむなしい儀式ということは、わかっていた。
 参集したうちの何人かも、私たちを見て、だいたいを察してくれたと思う。
「あ、ありがとう。おまえの・・おかげだろうなあ、やはり」
「あなたの力よ。永遠をつかんだのは、あなたよ」
 二人して泣いて、それが翌日の新聞に載った。















(了)



記録日 03/11(木)11:50(平成11年)




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