平成12年8月7日(月)〜
】なれそめ【
忘れもしない二十二歳。
四大卒新入社員のしおりさんより二年、職場の先輩だけど、年齢は同じだった。二浪し大学を見切って就職したから。
夜な夜な、しおりさんの、甘美な幻想に苦しめられた。
】失 恋【
「Fさんの言いたい意味が、よくわかりません」
「そ、そりゃ、明晰に述べつくせる、なんてことがらではないけど、よ」
しおりさんは、
「K、と付き合っています」
と明晰に述べた。
K、と付き合っています。
・・・そうか。K、と呼び捨てにしていた。
Kは、私が入社したときから気にしていたって、言ってくれましたよ。
・・・おれも、そうだったんだけど。
Fさんは、意地悪だった。あはは。
・・・確かに、意地悪だったようだ。ごめんよ。
「そうか。おれは、ほんとに、うとい奴だな」
「Kと幸せをつかんでくれれば、それが一番良いと思う」
「君が幸せになれるなら、何も文句はないんだから」
以上、たてつづけに、捨てぜりふを吐いて、逃げてきた。
こうして、二十代の中核部分は、神殿とともに瓦解した。
】夢【
五月八日の夢(日記より)
電車に乗っていて、ショルダーバッグを無くしたみたい。
網棚に置いたまま、別の車輌に来てしまったか、乗り換えたか。
記憶が不確か、これではもう戻らないという気がする。
どこに向かっているのか自覚していない。
駅で降りても地下駐車場のような行き止まりのホーム。
なので、すぐ電車に引き返す。
・・・などなど・・・
】う そ【
四年か五年前。
Sから電話があった。
久しぶり飲まないか、と言うんだが、退職してからは初めてかもしれない。
しおりさんも呼んだから、と言う。
Kと離婚したことは、噂で知ってはいたが。
しおりさんには、小学校の真ん中頃の男の子がいるそうだ。
酒を注ぎあって、つい先日見た夢の話なんかして、自己分析してみせた。
「おれには、ぬぐいがたい喪失感があるみたいだ」
「仕事のこと?」
「決まってるじゃないか、君のことだよ」
「ふふっ、Fさんも口が巧くなったのね。ショルダーバッグだったわけだ」
「肌身離さず大切なものをしまっていた。でも、なくしてしまった」
見つめ合った。
お互い、微妙な陳腐さに大人の薄笑い。
そのうち、「ご家族は・・?」と訊くから、
「おれは、娘だよ」
と、種明かしをしておいた。
旧交を懐かしむ、冗談ぽい夜でいいと思っていた。
しがらみや負担は、よけてあげたかった。
が、しおりさんは、Sから本当のことを聞いていた。
・・・Fには妻子はいないし、結婚したこともない、はずだ。
むごいほうの嘘、そうなってしまったかもな。
】結 婚【
「というわけで、おれは、一人の女を十年以上愛したことがある」
あやさんは、だまって聞いていた。
「まあ、こういうことについては、根気がいいほうだと思うよ」
相手の瞳を見据えながら、声を強めた。
「いいか? おれで」
あやさんは、いちど顔を沈める。
顔を上げ、精一杯の微笑をたたえて「はい」とこたえた。
このひとは妙に素直だな、とは思った。
(了)