平成12年9月2日(土)〜

テーマ「確実」


未 来





 受験初日の昼、死のうと思った。
 県立第一高等学校は、名門校だった。
 俺は、中学三年間、学年ベストファイブより落ちたことがなかった。
 先公は、何も心配していないと大げさにうなずくだけだった。
 受験前日から、腹をくだした。
 当日、体調不良が幸いしたのか、比較的落ち着いて最初の科目をクリアしたはずだった。
 が、時間切れ寸前になって、一番大きそうな設問に致命的な勘違いを見つけた。やり直す時間は残っていなかった。が、やり直さなければやばいと決心し、消しゴムで消して、必死に書き殴っていたら、試験官に叱られた。
「失格にするぞ」
 時間切れだという。
 答案をもぎ取られた。
 めちゃくちゃだ。
 気分最低のまま、挽回できなかった。


 二日目も済んだ夜、「終わったな・・」とばかり考えていた。
 検事になって悪いやつらを取り締まろうと思ったのに、滑り止め私立に行って、一生エリート達の愚痴を言って終わるんだ。
 やっぱり、死のう。
 どうせ死ぬんだから、セックスというのをしておこう。
 ・・・そういうふうに、考えが進んだ。
 優美さんと・・・ いや、あの子はそんな退廃にはのってくれないだろう。それに、破滅のついでに汚してしまうなんてもったいない人だよな。
 節子か。
 俺の前に来ると、いつも赤面してるもんな。美人とは言えないけど、まあまあか。


 節子は、俺の滑り止め高校が第一志望で、受かっていた。
 同じ高校になりそうだと聞いて、こいつが、はしゃぐのだ。
「ごめーん、でもうれしくて。三年間また一緒だね」
 いやだよ、とはじめは拒んでいたが、押し切った。


 さて、やり残したこともなさそうだ。
 どうやって、死のうか。
 新聞ダネになるような、派手な花火をくわだててみようか。
 優等生で通してきたから、こういう時の発想がすぐには出なかった。
 でも、怖くはなかった。
 とにもかくにも、不合格決定の翌日あたり、と待った。
 毎夜毎夜、切ったり、飛んだり、ぶら下がったり、飲んだりの方策を考えているのは、なかなかの充実であった。もう何日も余命がない自分という生き物の、愛しさかわいそうさに、涙落ちたよ。


 しかし、受かってしまった。
 どういうことか、不思議だった。それほど平均点が低かったのだろうか。
 内申書に救われたのか。
 俺があれだけ不調であり、連鎖反応的に失点を重ねたのに、それでも俺のもともとのレベルが高かったので、堕ちきらなかったということか。
 何度見直しても、俺の番号がある。
 歩いた道の記憶がない。夢のような気分のまま、帰宅していた。


 翌日、優美さんとお祝いを言い合った。
 彼女も当然ながら合格であり、全校のあこがれの人を俺がさらっていくという形になりそうだった。
「三年生の間は我慢してたけど、これから、前みたくお友達に戻ってもいいでしょ」
 ああ、いいとも。
 あの頃のグループの中で、俺だけが残ったということになる。
 廊下の俺たち二人を、それとなく見て歩きすぎる何人かはいた。終始、見ているのがひとつだけあって、案の定、節子なんだが、俺は見えなかったことにした。
 優美さんと別れてから、初めて気がついたという風に声をかけようと計算したが、そのときはもうどこを見回しても姿がなかった。


 山は、越えていなかった。
 親父が帰っていない、夕食の席でだった。
 じじいが、新入生代表に決まったから入学式の挨拶を考えておけよ、と俺に言う。
 すれすれ合格の俺がなぜ、と思った。
 高校から連絡があったの、と確認した。
 じじいは、いつものようにニマニマしているだけだ。
「あんたがするのはもう決まってたのよ」
 と、お袋が言う。
 俺は、見えてきた。
 少し下を向いて、好物のほうれん草のおひたしを美味しそうに食べるふりをしながら、低姿勢で少しずつ聞き出した。
 県の教育委員会の実力者が、じじいの教え子なんだそうだ。今度の高校の校長もその子分ということだ。
 知事やら国会議員やら、強固なコネクションの一翼が、お袋の実家の親父だった。
 お前が自信ないこと言っているので、一声かけておいた。
 ということらしい。
 念を入れて、何かを包んだようなことをやつらは談笑する。
 へへへ、と声に出して笑った。俺は。
「世の中の作りだ。覚えておけよ」
 俺の力じゃなかったのか。
 受験勉強はなんだったんだよ。
 ・・・お人形さんか。
 食卓に箸を叩き付けて、大声でなにか吠えた。
 やつらは、びくっとして身体を反らしたけど、どちらかと言えば平然と俺を見ている。
「あんたはちょっと極端なのよ」
 また、俺はがなりたてた。どもっていたが、言いたいことを言った。
 じじいは溜息をついた。
「一人前のことを言いたいなら、なぜ、ちゃんとした点を取らなかった。責任はお前にあるだろうが」
「大人になるんだから、もっと、白でもない黒でもないってところ、勉強するんだね」
 白い飯の入ったままの茶碗を持って、じっと見てから、床に落とした。
 味噌汁も、皿も、ざらざらがちゃがちゃと上から払っていった。
「おう、よう。社会のルールはどうなる。堂々とした、・・公正な、フェアな競争は大切じゃないのかあ。自分の子供のためなら、そんなことどうだっていいのかあ」
「どうでもいいっ」
 刺すようだった。お袋の黒い瞳は。
「あんたのためなら、母さん、人殺しにだってなる」
 立ち上がってやつらを見おろしていたが、口がへの字にせりあがろうとする。
「わしらはそれだけ、お前がかわいいんだ。わかるか」
 じじいが言う。
 ちくしょう。卑怯なやつらだ。
 そう考えるのが精一杯だった。泣きそうだった。
 一分ぐらい唸っていた。
「・・・わかったよ」
 かすれ声で言い捨て、舌打ちを二度三度して、食事部屋を出た。


 わかりゃしねえよ。まっ黒じゃねえか。
 もう、やだよ。
 あんなくだらねえやつらと血が繋がってるなんて、恥ずかしい。
 検事にもなれない。
 こんな不正を足場に資格とったところで、何が正義だ。
 悪者をこらしめるって、だれを?
 笑っちゃうよ。
 もう、死のう。
 ばからしいや。


 どうせ死ぬなら、もう一度彼女としようか・・
 そうだ。
 一緒に、どっかに逃げるのもいい。
 俺は、めちゃくちゃに考えていた。
 夜の街をうろついたり、急に駆けだしたりしながら。
 あれでも、あの夜、俺なりに未来へ駆けていたか。
 まだ、わからなかったが。


 ・・・・・


 結局、負けて、県立第一高等学校に入った。
 入学式の代表というのもやった。俺の生涯の恥辱だった。
 が、自分を誤魔化し続けることはできないで、しだいに赤点常習者となった。
 大学は受けることすら放棄した。
 節子は、子供を産んだ、と聞いた。
 二十歳前、ふらふらしていた頃、節子の店に寄った。
 たばこの煙を顔に吹きかけられて、それから行っていない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(了)



●記録日 06/13(火)11:19 (平成12年)




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