聖司さん、お久しぶりです!
夢ですか。
覚えていられる体質なんて、うらやましいです。
理屈が通っているときもありますけど、たいてい理屈どうのより、感情がいちころです。まじに焦ったり苦しんだりします。
何年経っても、学校に遅れるとか、体操着を忘れてしまったとか、見ます。
答案用紙を前に、いくら考えても、答えがでてこないなんてのも。
(このときは、実際思い出そうとしているんでしょうけど、すでに答えられる知識が現実の脳味噌の中にないらしく、苦しむわけです)
目覚めて、夢だった〜、と安心するときの、得したような損したような気分。
とにかく振り払って、起動しちゃいますので、数分後にはほとんど忘れてしまうんです。
起きるよりもずっと前に見ている夢ってのは、あるのかどうかもわからないぐらい覚えていませんよ。
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好きでもない、嫌いでもないという女の人がいました。
エレベータの中で二人だけになったことがあるんです。
そのときはなぜかちょっと色っぽく思えたんです。
その人がよろけるかしたときに支えて、そのまま抱きしめてしまった。
( ! な、なにをしてるんだ、おれは)
しかし、彼女も応えてくるんです。
(ええー、ちょっと、いいのか)
しばらく、抱擁したまま、なんだかいとしくなってしまって、・・・
でも頭の中では、こんなきっかけだけで、この人ともう行くしかないのか、あの子やあの娘はもうあきらめるのか、結婚したら引っ越しして、ああして、こうして、などと、何年も将来のことまで考えはじめて。
このときほど、目覚めてから、肩の荷が下りたことはありませんでした!
ふー って、溜息。
エレベータのドアが開く前にもう、目覚めちゃったんですが、夢らしくもあり、現実にありがちな気の迷いと言えなくもなくて、この過ちシュミレーションはずっと覚えていました。
平安の頃は、夢に異性が登場したときは、その人に想われている、ということだったようです。現代は逆に考えるのでしょうが。
そして、こういう夢を見たのですがと、お問い合わせの歌を詠んで、贈るのです。
私の場合、その女の人とは、ついに何事もありませんでした。
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以下は創作ですが、
その人との結婚生活とか、二人の間の子供を育てたりとか、同じ夢の続きを、何年おきかに見るなんてのは、面白そうなアイデアですね。
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夢のようにとりとめない話になってしまいました。
では、またね!